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ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡/パセリ農家の悲願2025

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡/パセリ農家の悲願2025

レティクル座

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
前説での話や当日パンフにも書いてあるが、頭を空っぽにして楽しめる作品 とある。確かに楽しめるが、やはり少し考えてしまった。本公演、短編「パセリ農家の悲願2025」と中編「ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡」の2本立てで、異なる作風を楽しんでほしいと。劇団はナンセンスコメディを標榜しているらしいが、両作品とも或る共通した思いを感じる。ナンセンスコメディと言いつつ、強かな作品作りをしている。或る物や者の表層(見た目)と奥にある本質的なこと、その葛藤のようなものを描いている と思う。それを被り物や小道具を使い、笑いを誘いながら軽快に描く好公演。
(上演時間 短編30分、中編60分、計1時間30分 休憩なし) 

ネタバレBOX

●「パセリ農家の悲願2025」
舞台は東京豊島区北池袋の小汚い定食屋。舞台セットはテーブルと椅子だけ。それも物語が進むと搬出し素舞台へ。定食屋の常連は、いつもパセリを残す。このパセリを擬人化し、茨城県のパセリ農家で育てられた「パセ・パセ男」はエリート野菜として出荷されたのに食べてもらえない。
食堂ではエビフライやハンバーグの添え物、彩といった役割でしかない。客からは、苦くて不味いと不評。パセ・パセ男の妹分は自分の価値を認めるモノと諦めたモノがいる。しかし 台詞にもあるが、パセリは苦くても栄養価は高い。その外見(味)は不味くても、中身(栄養)は十分。

●「ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡」
舞台は埼玉県熊谷市のイベント会場。熊の被り物=マスコット(熊ったくん?)が出番待ちをしている楽屋に見知らぬ男が来て、司会の女性 典香に これを渡してほしいと封筒を置いていく。ひょんなことから、マスコットのファンである女性 鏡子と知り合い、恋をする。一方、鏡子はホストに貢いでおりという典型的な悲恋もの。マスコットの着ぐるみを脱いで、本人 中野になると 普通のおじさんで誰も見向きもしてくれない。マスコットの時は愛想を振りまくだけだが、人間の中野は鏡子のことを心配して…。見た目の愛らしさよりも、中身のおじさんの優しさが大切といったところ。ぶら下がり健康器具(キャスター付き)のようなものを鏡(大きな姿見)に見立て動き回す。そして、時に枠を潜り抜け違った視点で覗いてみる妙。

両作品とも簡素な舞台セット(小道具)だが、躍動感ある物語にするためシンプルにしているよう。ほとんど何もない空間に、パセリという野菜でありクマのぬいぐるみが動き回るが、そこで感じるのは人の優しさ。また作品に共通しているのは、外見に惑わされず本質を見抜くことの大切さ ではなかろうか。
次回公演も楽しみにしております。
修羅

修羅

LIDDTHROUGHS

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2025/04/19 (土) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

㊗旗揚げ公演。
短編8本を「修羅」というテーマで綴った公演。もっとも「修羅」というよりは「混乱」や「焦燥」といったイメージであり、女性の観点から描いているのが特徴。なお、演技(声量)なのか演出(音楽の被り)の問題なのか、いずれにしても台詞が聞き取り難いのが惜しい。

それぞれの短編は、現実にありそうな場面ー人間的であり社会的ーを巧く切り取っている。1本ずつの長さは適度、それをサングラスをかけたストーリーテラーがオムニバス形式として物語を繋ぐ。何となくTV「世にも奇妙な物語」といった感じ。
(上演時間2時間 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術、はじめは 中央にソファとミニテーブルがある。物語に応じて小道具を搬入搬出し状況を作り出す。また特定の色彩照明によって動きを止め、修羅場の対象人物が独白する。

タイトルと対象人物・内容は次の通り。
1.オーディション
小劇場歴10年の女優。深夜TVのヒロインのオーディションを受けるため、前日に知らされた台詞を覚えている女。わずか一言だが、どのように表現したらよいのか悩む。当日の面接演技で他の役者の台詞と違うことから焦る。開き直って自分の思いの丈を激白し…。
2.合コン
丸の内OL同期3人+後輩1人。合コンで、それぞれのタイプを目当てに集まった男を品定めする。後輩OLは、職場の人間関係を気にして先輩には逆らわない。しかし、合コンに来た男性が 皆その女性を気に入り、ついに後輩OLの本性が…。
3.不倫
不倫女。男の家のソファに2人。しかし、殆ど家具等がないシンプルな部屋。そこへ妻が帰ってきて不倫女を詰り慰謝料を請求する。夫である男は妻に土下座をして すぐに謝る。不倫女は開き直り、訴えでも何でもしてと言い残して去るが…。
4.ストーカー
優秀な女性社員。会社に知らない人物から荷物が届き、中身は刺激(エロ)的な女性用下着。会社帰りに知らぬ男から刃物を突き付けられる。こんなところで殺されてなるものかと必死に抵抗し、逆に男を足蹴にしている。その姿が女王様のような…。
5.起業
学生時代の友人2人。久しぶりに会った女友達の1人がアメリカで起業し成功。その話に刺激され 20年来の友達とネイルサロンを起業しようと。それぞれが資金を出し合い、物件の契約をしようとするが2人で立ち会えない。そこで1人に資金を渡して頼むが…。
6.上京
福井県に住んでいる姉妹(21歳・20歳)。東京には金が降っているという嘘話を信じ、自転車で上京する。夜の新宿 歌舞伎町、怪しい男に絡まれているところを或る女に助けられる。カリスマキャバ嬢のようで、その紹介で働こうとするが…。
7.骨董品
カリスマ鑑定人と従業員。商談ーエジプトの白磁の皿がカンボジアの密林で見つかって、という胡散臭い品だが、鑑定金額が2億。鑑定人の下で働いている女が誤って皿を割ってしまう。慌てて同じような品を探しに街へ。その糊塗の先に…。
8.劇団
劇団員。場当たり稽古、1人ひとりに演技・演出指導をし 翌日は初日。皆 意味ありげに帰路につくが、本番当日 電車が遅れ上演時間に間に合わない。そこで劇団主宰ともう1人で上演(けん玉)する。上演前の注意事項の1つに、何があっても白けないように…。

修羅場という状況と心情表現を中心にしていることから、リアルな描写はしていない。例えば 合コンでは、酒ボトルの栓も開けず注いでいるなど。もう少し丁寧な演出があると好かった。一方、照明は外的な状況と内的な心情を巧く表しており効果的だった。
次回公演も楽しみにしております。
ええ愛とロマンス

ええ愛とロマンス

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。近未来という設定だが、現実的にも考えさせる内容。説明に南国の離島・尾神島にあるホスピス「神の御宿」が舞台とあるが、最近、離島からの医療搬送用ヘリが墜落した痛ましいニュースがあったことを思う。公演は、AIの進化、特に医療・介護分野で力を発揮したら、という問題提起のようだ。

劇団enjiは「メッセージを伝えることよりも、観る側の心に染み込むような、誰もが持っている不変的な感情を『温度』を表現したい」とあるが、この公演はAIの知性がもたらす可能性と人の心の葛藤のような物語。同時に人の死、その時を迎えるまで どう生きるかといった生き様が優しく描かれている。映像の美しい風景、方言の台詞が自然と人の温かさを感じさせる。
(上演時間2時間 休憩なし) 4.20追記

ネタバレBOX

舞台美術は、色違いの平板を組み合わせ箱馬を作り、それを積み重ね状況を連想させる。見た目はシンプルな寄木細工のようで、それを可動させ診療所や小料理屋といった場所。同じように後壁や側壁を作り状況に応じて動かす。その壁に風景や図表の映像を映し出し、空間的広がりや解り易い説明をする。今までの公演と違って、敢えて抽象的な造作にすることによって、観客に想像させる といった意図を感じる。

島にある尾神村診療所の人間は、医師 長岡鉄雄と看護師 古屋照子だけで、他の職員はAIロボットで対応している。そして今 鉄雄は病のため本土の病院に入院している。島の人たちは人間味溢れる鉄雄を慕い、早く戻ってくることを願っている。しかし、その願いも空しく亡くなる。そして彼の心である脳をAIロボットへ。現実に医療・介護の現場ではAI導入による進歩が といったニュースを見聞きするが、そこに細やかな(人間的)感情を求めることは まだ早い。物語の中でもAIの有用性と人間的な感情のをユーモアを交えて描いている。

AI開発に係るプロジェクトリーダー的存在の黒沼祐介は、照子と鉄雄にとって浅からぬ存在。その衝撃的な事実が さらにAI技術を印象付ける。鉄雄の体は無くなるが、その意識(例えば記憶や思い等)は有る、その時の<鉄雄>とは…。劇中ではセテウスの船を例に、代替の程度や心と体の関わりを問うていた。AIロボットという半永久的な存在は、人間にとって本当に必要なものか。一方 SF映画などで、AIロボットが人間的感情を持ったら という物語もある。死なない感情は幸せなのか?そんな考えさせる公演。

現実の離島医療の脆弱さは、ヘリの墜落事故でさらに明らかになった。公演は近未来の政府の政策と 今の厳しい現実を突きつける、そんな虚実の視点が見事に融和している。それを大上段に振りかぶることなく、多少コミカルに描く。AIロボットのぎこちない動きや小料理屋での会話に人間味が…。そしてラストの精霊船や墓 社などのセットに人間臭さや営みを感じる。AIを通して人間劇を描く巧さ。
次回公演も楽しみにしております。
奇跡のりんご

奇跡のりんご

劇団龍門

阿佐ヶ谷シアターシャイン(東京都)

2025/04/16 (水) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

シアターシャイン最優秀作品受賞作品,、面白い。
物語は、説明の通り 典型的なダメ人間が地球を救う任務を依頼されるが…奇想天外というか荒唐無稽のような冒険ファンタジー。幻想と現実、壮大と矮小の世界を行ったり来たりしながらテンポ良く展開する。場面(点)と場面(点)を結んで面(物語)という在り来たりな描き方ではなく、突然 関係ないような世界が現れる。断続の間(はざま)にある空白、そこに観客の想像力を刺激し面白さを感じさせる。観客の想像力の数だけ世界観が違うのではないか。ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、クスクスそして ジワッと。

冒険を通して、ダメ男が少しずつ変化していく成長譚。地球を救う任務とそれを阻止する反勢力、どうして そのような事態が生じ、ダメ男がその任に選ばれたのかが肝。壮大な視点は人類に向けた警鐘のようだ。笑いと泣きで感情を揺さぶり、そして考えさせる好公演。ちなみにタイトルやフライヤーにあるリンゴは、ダメ男の意志(選択)と託された世界観を暗示しているよう。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間45分 休憩なし) 千穐楽後に追記予定

あー昼休み

あー昼休み

劇団BLUESTAXI

シアター711(東京都)

2025/04/15 (火) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。劇団BLUESTAXI公演は、中野のザ・ポケットで何回か観たことがあるが、下北沢は初めてだ。当日パンフにも主宰の青田ひでき氏が初の下北沢公演で、小さな劇場(シアター711)で少ない出演者での公演とある。それでも 舞台である東京下町にある お菓子等のパッケージを企画・製造・販売する小さな会社の休憩室(女性専用)をしっかり作り込んでいる。昼休みの休憩室、そこで語られる女性の話。

この会社は二代目社長 、先代ほどのカリスマ性はない。しかし従業員・パートなど皆に気をかける そんな誠実さ、包容力が魅力の人。登場人物は 社長を含め10人、1人ひとりの性格や出身地、今の状況・事情などを丁寧に描き、会社と人々 その四季折々を紡いでいく。悪人や意地悪な人はいない、それでも人は何らかの悩みや苦労を抱えている。見所は、日常の何気ない光景を 俳優陣が見事に描いているところ。ドラマチック・ドラスティックでもなく刺激的な出来事があるわけでもない、なんの変哲もない日常を紡ぐほど難しいものはないだろう。

生きることは選択の連続、迷った時は「どちらにしようかな、天の神様の言う通り」で指さした方を…。選択の結果は自分で決めたもの、自分の人生は自分のもの。少しネタバレするが、冒頭 2種類の饅頭のうち どちらを選んで食べるかで使った数え歌。2025年春から2026年春迄の1年間に起きる、1人ひとりの選択と決断を暗示している。休憩室という小さな空間で紡がれる人生模様の一コマ、とても滋味に溢れた好公演。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 4.18追記

ネタバレBOX

舞台美術は、中央壁際に冷蔵庫・電子レンジ・ポット、そして二段の収納箱。上手に流し台と長テーブル、下手の壁にカレンダーと「整理整頓」の張り紙。客席寄り中央にテーブルと椅子、まさに休憩室の出現である。上手と下手の奥にそれぞれ出入り口、客席側が窓ガラスという設定。そこから陽が入り、季節や時間の経過とともに照明を諧調する。

舞台は 株式会社トミゼンの女性休憩室、そこは和気藹藹とした雰囲気に満ちている。冒頭パートの1人、安達さおり が饅頭を差し入れるが、選ぶのに迷う。その時に「・・神様の言う通り」で決めるが、その後に続く言葉は地方によって異なる。そして社長 冨山慎太郎と従業員の長谷部奈々が新人社員 植田福男(18歳)と新たなパート 立花葵を連れてきた。このパートは7年ほど前 学生の時にバイトをしており顔見知りもいる。パートは5人体制ー重鎮の安達(鹿児島県・50代)、新人の立花(29歳 もうすぐ30歳)、そして唐沢恵(東京都・30代)、井口薫(埼玉県・30代)、佐々木依乃(宮城県・25歳)で、これで やっと人手不足は解消。この出身地と年齢が、その人物が抱えている悩みなどに関係してくる。少ない出演者ということで 1人ひとりに焦点をあて、丁寧に人物像を描き、役者は それを立ち上げている。

このパートを中心とした物語は、身近に見聞きするような事ばかり。立花は適齢期?ということもあり何となく結婚したが、今は別居し離婚も考えている。唐沢は努力家で、自分の力で進学・就職もしたが、子宝に恵まれない。不妊治療を続けているが焦燥感に駆られる。同年代の井口は離婚しシングルマザーで娘(小4)を育てているが、大変だと愚痴をこぼす。佐々木は役者を目指しているが、年齢的なこともあり諦めようと苦渋の決断。そして安達は、義父に続いて義母の介護をしながら家庭を支えてきたが、義母の死と夫の定年退職を機に離婚して自由の身へ。個々人の問題であるが、社会問題と密接な関わりのあることばかり。観客によっては同じような境遇 もしくは経験したことがあり、共感等をもった人がいたかもしれない。

出身地が違うことや世代が異なることから、色々な価値観や流行った歌などにギャップがある。その違いを乗り越えて一緒に歌を歌う微笑ましさ。四季折々の光景は、例えば夏などは近くの食堂へ 冷やし中華をといった季節にあった台詞やタバコを吸いに部屋から出たとたん汗が流れ。身近にいる人々の暮らしが、確かにそこにある。勿論パート以外…社長は妻を10年前に亡くし、1人で娘を育て といった苦労人。その社長を慕う長谷部、そして佐々木を好きな従業員 南原哲平の可笑しさ、社長の妹 嶋亜希子の逞しさ といった、皆 個性豊かな人物を立ち上げている。ちなみに劇中で実際に飲食をするから空腹で観劇するのは…。
次回公演も楽しみにしております。
タナトスの棲む町

タナトスの棲む町

藍星良Produce

Studio twl(東京都)

2025/04/10 (木) ~ 2025/04/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。自分自身と向き合った自己分析・内省や人間観察、それを色々な形の「愛」や「恋」を切り口に描いた心象劇といったところ。その解ったような解らないような曖昧模糊とした感情を具象化しようとしている感じ。たびたび出てくる台詞「人は二度死ぬ。一度目は肉体の滅び、二度目はその人のことを覚えている者が誰もいなくなった時」だと。人が生きることとは、そしてその存在とは を劇中で語られる哲学的・心理学的とも思える台詞によって印象付ける。この公演、小難しい台詞もあるが、人の心の奥底にある魂の叫びのようなものを感じる。それを どう舞台化するのか腐心したようだーそれが舞踏と語り。

冒頭は、2人の妖艶で幻想的な舞踊から始まるが、物語の途中でも突然 舞いだす。この舞い手こそ心にある二律背反の感情の表れ。1人(紫苑)は黒を基調とした衣裳、もう1人(茜)は白っぽい衣裳で、交差した時などは対照が際立つ。愛は男女の交わり(性)から始まり、この世に生を受ける。人は何らかの形で他者の評価を気にして生きている。人の肉体は滅んでしまえば忘れ去られるが、その評価(業績等)は後世まで語り継がれる。その意味で芸術は直接的に生き甲斐を感じることができる。物語は演劇活動を行っている者たちを描いており、まさに等身大の人物が息衝いている。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【Lycoris】 4.12追記

ネタバレBOX

舞台美術は、紗幕を正面そして上手/下手の壁に向かって斜めに張る。やや下手寄りに丸テーブルと椅子2脚。もともとあまり広いスペースではないこと、そして舞踊を行うため空間を確保している。この舞踊、感情というか人の内面、外面を擬人化したような存在で、その語りが己の選択を…そして物語に潜ませたサスペンスのようなことと相俟って不思議な魅力を漂わす。

物語は、劇団を主宰している穹良が恋人 翔太の死を嘆き落ち込んでいる時、墓参りで彼の妹 凪と再会したところから始まる。人間は恋愛に狂うこともあれば嫉妬に狂うこともある。その持て余した感情の はけ口はどこか。凪は、兄 翔太を慕っており穹良に良い感情を抱いていない。そのことを知らない穹良は悲しみを共有するかのように劇団の脚本家 四宮を紹介する。凪は四宮に惹かれ親しくなっていく。一方、穹良も四宮を頼りに…。後世に残したい「作品(脚本)」作りに集中している四宮、その彼を巡る2人の女性の愛情と嫉妬、そして自分は何者なのかを自問自答するような懊悩が心を揺さぶる。

劇団には雨華という女優と映像で活躍している東雲という男優、その2人が等身大の芸能(劇団)人物像を立ち上げる。台詞に込められた意味を理解しようとする真摯な姿から多少スキャンダラスなことをしてでも有名になりたい。先の三角関係の重苦しい関係とは違い、あっけらかんとした乾いた感覚が対照的に描かれている。そして、こちらも肉体関係を重ねるが深みにはまらない。その愛(感情表現)の違いは何であろうか。
人はいつか死ぬ、翻って それまではどう生きるかが問われている。昨今 注目され出した?死生学、まさに愛の形を切り口にした死生観を描き出している。

俳優陣は総じて若いが、性格と立場をしっかり立ち上げている。特に、舞踊をしながら2人の語りが哲学的であり、物語を奥深いところまで導いてくれるよう。この演出が妙。幻想的であり、時に妖艶な肢体をくねらし(婀娜やか)性的な匂いを漂わす。同時にピアノの力強く弾くような曲が流れ、感情のうねりを感じさせる。死を意識した生、その生き甲斐が男と女によって少し違うような、そんな微妙な感情も垣間見える好作品。
次回公演も楽しみにしております。
龍と虎狼ーepisode SOUJI-

龍と虎狼ーepisode SOUJI-

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/04/10 (木) ~ 2025/05/11 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

前に「龍と虎狼-新撰組 Beginning-」を観劇したが、それにリンクしている と言ってもこちらが先になるような物語だ。説明では「何故、総司は人を斬ることになったのか、その背景となる過去を『龍と虎狼』シリーズのフィクションで描く」とあるが、沖田総司のエピソード0(ゼロ)として、その心情を巧く立ち上げている。勿論『龍と虎狼』シリーズを観ていなくとも十分楽しめる。

物語に明確な前半と後半があるわけではないが、何となく後半 特に見せ場である殺陣はスピードと迫力がある。その中心にいる沖田総司役の市瀬瑠夏さんは、凛々しい青年剣士として殺陣はもちろん所作もキビキビしており美しい。顔立ちも憂いを帯びているようで孤高の剣士というイメージ。少しネタバレするが、稽古(練習)では強いが真剣(本番)では力を発揮できない。その心情を薩摩藩士 西郷信吾(西郷隆盛の弟)とも重ね、心も体も そして剣術も強くなければ生き残れない、そんな激動の時代に生きた青年像を立ち上げている。物語の肝もそこにある。

物語は新撰組の前身ー壬生浪士組と名乗っていた時、京都の情勢を探るため江戸から来た4人、そして今で言うところの風評操作を行っていた薩摩藩士<尊皇攘夷の過激派志士>、そして遊郭の花魁たちを時代状況に重ねて描いた幕末群像劇。少し分かり難いのが有名な「寺田屋事件」の場面。そこに壬生浪士組が絡んでの殺陣になるが、その状況・事情等の背景がハッキリしないことから、突然 他の薩摩藩士が現れて藩内の同士(上意)討ち、捕縛が始まる。前半の敢えて芝居掛かった緩いシーンと 後半の殺陣シーンのギャップに違和感が…。
(上演時間1時間35分 休憩なし) 4.13追記

ネタバレBOX

舞台美術は、下手の一部を2段ほど高くし別空間ー遊郭を設える。朱色の片引き戸、その両側は楓や牡丹の花柄の壁で華やか。それ以外は広い空間を確保しているが、勿論 殺陣シーンのため。

壬生浪士組の4人が江戸から京都の情勢を視察に来たところ。その4人とは沖田総司、山南敬助、斎藤一、永倉新八で、それぞれの性格を早い段階で描く。まだ何者にもなれていない沖田、冷静沈着な山南、血気盛んな斎藤、楽天的な永倉といった感じ。沖田は剣術に優れているが、実は生身の人間を斬ったことがない。その躊躇する気持ちが命取りになる、そんな危うさがある。

その頃、京都では薩摩藩のうち 倒幕に急進的なメンバーが幕府の悪評を流布していた。その中に西郷信吾がいた。彼も人を斬ったことがなく、さらに長兄(西郷隆盛)の活躍と比較され忸怩たる思いをしていた。そして情報収集や諸々の活動のため遊郭に出入りしていた。その遊郭に夕霧という花魁、その付き人として曰くある姉妹が仕えていた。西郷と夕霧、そして薩摩藩の動向を探る沖田と山南も夕霧と接触し…。初心な沖田は夕霧に恋心を抱くが、夕霧の態度は曖昧で要領を得ない。不穏な行動をする薩摩藩士、京都の町を火事にしてその隙に暴動を企てるが…。混乱の最中、浪士組と薩摩藩士が斬り合いになるが、西郷を庇って夕霧が沖田に斬られる。初めて人を、それも恋心ある花魁を。ちなみに西郷も人を斬ったことがなかった。

その悲しみを乗り越え、使命を果たそうとする。その非情さが後々、新撰組一番隊長として恐れられた沖田総司を作る。同時に精神的な逞しさを身につけ、夕霧を慕っていた女2人を素知らぬふりをして観察方として引き入れる。この2人が くノ一のような格好で「龍と虎狼-新撰組 Beginning-」にも登場する。沖田総司が人斬りへ、それが後の新撰組の原動力になっていく。幕末の動乱期を 虚実綯交ぜで描くが、やはり見所は殺陣シーン。
次回公演も楽しみにしております。
地球は僕らの手の中

地球は僕らの手の中

劇団十夢

キーノートシアター(東京都)

2025/04/06 (日) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

物語は、説明にある通り 銀行支店長になったその日に強盗に入られ、銀行強盗をした犯人が逃亡、さらにヤクザの事務所から大金を盗んだ三姉妹、その3つの話が収斂していく。話は 二転三転しアップテンポに展開するが、何となくご都合設定のような…。そして一発芸や漫才を所々に挿入し笑いを誘うが、あまり受けていないよう。何方かと言えば失笑。

一方、素舞台で緩い演技のように思えるが、光景や状況は想像できるところが好い。何故3つの話を繋げるのか、銀行強盗など危ない橋を渡らずとも大金を手に入れることが出来ると思うが…。何となく辻褄合わせをするため、いくつかの伏線がある。前提は その金額…ボソッと生涯収入は約3億円といった台詞がある。銀行から盗んだ金は2億円、ヤクザの事務所から盗まれた金も2億円、そこには繋がりがある。そして何故か支店長が或る方法で弁済(そんな義務はない)しようとする、その手段というか算段も…。

一発芸や漫才、そのお笑いを挿入するのが 劇団の特徴なのか。そうであれば もう少し工夫が必要。少しネタバレするが、銀行強盗後 逃走中に警察に包囲された。その際、面白く笑わすことが出来たら、包囲を解くという交渉をする。敢えて、滑稽な描きを本編に入れることなく、ドラマとしてストレートに描いたほうが楽しめる と思う。登場人物の裏があり、一癖も二癖もある設定が面白いだけに 惜しい。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 【B】4.9追記

ネタバレBOX

素舞台。舞台技術の照明や音響・音楽といった効果はあまり感じられない。どちらかと言えば演技主体の劇団。

ヤクザの「サブ」が組の資金を盗られた。その穴埋めをすべく、兄貴分の「アニキ」と「サブ」が銀行強盗をし2億円を奪った。その銀行の支店長「ダーリン」はその日に着任したばかり。ヤクザの2人は逃走する際中、警察の検問をどうにか突破し山中にある屋敷に闖入する。そこには三姉妹「るい」「ひとみ」「あい」がヤクザから奪った金を持って潜伏、祝宴をしようとしていた。偶然に出会った二組、しかし「アニキ」と長女「るい」は恋人同士。示し合わせた計画で2人は弟分の「サブ」と妹たちを置き去りにして逃走。しかし残された者たちが必死の追走。

銀行を辞め妻の「じゅんちゃん」と一緒に自殺しようと、そこへ猛スピードの車二台がカーチェイスをしている。その車に飛び込み自殺を図るが、2人のタイミングが合わない。ダーリンは、盗られた金を保険金で弁済しようとしていたが、実は「じゅんちゃん」に掛けられており…。そして彼女は闇商売ー武器の仲買のようなーをしており姉妹の次女「ひとみ」に噴射式催眠ガスを提供していた。2台が衝突(追突)し、混乱している最中に、じゅんちゃんは同種のガスで2組を眠らせ、ダーリンと共に4億円を…まさに棚から牡丹餅といったところ。

「アニキ」と「るい」は恋人で、組の資金を盗んだ相手を知っている。銀行強盗などしなくとも、その気になれば金は返せる。また「サブ」から金の情報を聞かなくとも、「アニキ」⇒「るい」を通じて知ることが出来る。生涯収入が約3億円、盗んだ金額では 遊んで暮らすには少し足りない。冒頭に登場する銀行支店長「ダーリン」は巻き込まれ被害者のようだが、この人物も 何時 妻「じゅんちゃん」に保険を掛けたか定かではないが、一緒に自殺に見せかけてといった企みへ。伏線の回収なのかご都合設定なのか判然としない。

ダーリンは妻じゅんちゃんを騙し、その彼女はダークな仕事。ヤクザのアニキは弟分を騙し、その弟分はアニキを裏切っている。三姉妹はそれぞれ役割分担があり、長女「るい」は計画立案、次女「ひとみ」は武器調達などの実行、三女「あい」は情報収集で、サブから組に金があることを聞き出す。皆 一癖も二癖もある人物ばかりで、騙したり裏切ったりと二転三転する物語。緻密とは言えない荒唐無稽な展開だが、テンポが良いことから引き込まれるように観てしまう。その意味では飽きさせない 力 がある。それだけに 緩い笑いの場面は工夫がほしい。
次回公演も楽しみにしております。
或る、かぎり

或る、かぎり

HIGHcolors

駅前劇場(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
どこか ありそうな家族、そして母親の死によって初めて親子喧嘩をする。少しネタバレするが、母親は胃潰瘍ということで入院したが、実は胃癌で余命三か月。そうとは知らされない子供(息子)たちは、あまり見舞いにも行かず自分の生活を優先(大事に)する。亡くなって味わう喪失感や後悔といった思い、それを夫々の役者陣がキャラクターを立ち上げ熱演する。観客によっては身に覚えがあるような、その没入感や感情移入等は物凄い。そして母親が心配し 会いたがった長男が引き籠りという設定が肝。

舞台美術は4か所…上手から事務所、リビング、ダイニングキッチン そして病室であり引き籠り(長男の)部屋を扉枠で仕切る。神は細部に宿るというが、実にリアルな造作で この家族(柿沼家)の在り様を描き出している。そして場転換は、夫々の場所への照明の諧調によって場景を上手く転換する。物語は家族やその周りの人々を交え、一筋縄ではいかない長男への対応を巧みに紡ぐ。柿沼家は自営業を営んでおり、職場と家庭が一緒(職住接近どころか一体)になっており、家庭の問題=職場へも影響する。そして従業員も家族同然、同じような思いを抱くことになる といった妙。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 4.6追記

ネタバレBOX

舞台美術は、ほぼ横並びに3か所と下手奥に病室or長男の部屋。それぞれ配置されている小道具・小物が そのまま生活や仕事に使用出来る物。例えば事務机や椅子、打ち合わせ用のミニ応接セット、リビングはソファとテーブルそしてTVリモコン。下手のダイニングキッチンは冷蔵庫やシンク そして炊飯器やポット、テーブルや椅子。それぞれの場所には直接行かず、扉枠を通って移動する。その動線が異空間ということを感じさせる。

柿沼家には3人の息子がいるが、長男 修一は30歳過ぎても働かず、引き籠っている。しかも家では我儘 言い放題 し放題。そんな長男に対し他の家族は呆れ半ば諦めている。母 聖子は入院し後々判るが胃癌で余命三か月。父 輝明は修一に見舞いに行くよう言うが…。社員の田中灯里の楽しみは「レンタル彼氏」と会うこと、それを聞いて修一にも「レンタル彼女」 塚本愛を紹介する。修一は、自分の言うことに反論せず寄り添う彼女に好意を抱くが、彼女にとっては 飽くまで仕事。契約終了時、愛は修一を反面教師として母の看病をする気持になったと告げる。

母は亡くなり、その通夜はもちろん葬儀にも参列しようとしない修一。そして母が死んだと思わないことで、現実逃避を図る。父は修一に母が亡くなった事実、それを受け入れるよう諭す。ラストは父 輝明の奇矯というか自虐的な行為、その可笑しみと悲しの綯交ぜになったような感情表現が印象に残る。公演には実感ある台詞の数々。例えば亡くなった母の姿に 「まるで眠っているようだ」と。自分も 遺体に呼びかけ、周りから狂ったと思われた覚えがある。

公演は、引き籠りという ありふれた設定に親の死という現実を突き付ける。劇中のTVニュースで親が亡くなったことを隠し年金を騙し取っていた音声が流れる。いずれ親も(経済的)援助できなくなるという伏線。それにしても30過ぎの息子を色々説得するための行為があれか?力ずくは、幼児ならば躾という名の虐待になるだろうが…。

公演は、どこにでも居そうな登場人物が、その立場や性格をリアルに立ち上げ物語へ力強く引き込む。特に引き籠りの長男 修一を演じた根本大介さんの憎たらしいほどの悪態や我儘。そしてレンタル彼女 塚本愛の土本橙子のシニカルな演技、そして「言うのは知性、言わないのが品性」という台詞が印象的だ。生きることは辛く大変、それでも平凡な暮らしを手に入れるため日々戦っている、はこの劇のテーマのよう。
次回公演も楽しみにしております。
あゝ大津島 碧き海

あゝ大津島 碧き海

若林哲行プロデュース

座・高円寺2(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

オーソドックスな劇作の反戦劇。国や大切な人を守るために戦う、それを人間魚雷「回天」乗組員の視点から骨太に描く。当時の状況等を分かり易く観せるが、一方 既視感があることは否めない。本作でも登場するが、(航空)特攻隊の話は戦争を早く終わらせるため といった今から考えれば、詭弁の公演も観たことがある。この内容に、演劇的な奇知を求めることは難しいかもしれない。しかし、戦争を語れる人が少なくなる中、このような演劇(公演)を続けることは意義あること。

今年は 昭和100年、戦後80年になるため、このような内容の公演は 多く上演されるだろう。しかし、決して忘れてはならないこと。当時の大義の下による特攻志願、その純粋な思い、そして同調圧力といった目に見えない怖さ。現代のようなSNS等といった誹謗中傷と違って国家が絡んだ、一種の洗脳と言っても過言ではないだろう。戦争は天災ではない、そして歴史は変えられない。今後 二度と同じ過ちを繰り返さないよう、1人ひとり 自分で賢く考え行動することが大切、そんなことを訴えている公演。今、世界を見れば紛争・戦争はどこかで起きている、ワールドワイドの現代において他人事ではないのだ。

舞台は、同じ地域で野球を愛する青年たちが戦況を憂い、彼らの家族や愛する人たちを守るため 特攻に志願する、それまでの心情を情感豊かに紡ぐ。その情景を照明や音響・音楽で効果的に表す。勿論、俳優陣の演技も熱く力が入っている。場内のあちらこちらで嗚咽や啜り泣きが聞こえる。それだけ丁寧に描き 感情移入させる公演。
(上演時間2時間10分 休憩なし)【 回チーム】4.4追記

ネタバレBOX

舞台美術はシンメトリー。二重の板、場面によって潜水艦に見立て、上部のハッチ(上げぶたのついた昇降口)を開けて階段を降りると、そこは「人間魚雷(回天)」内。上と下の間を平板で部分的に隠し奥行きを感じさせる。同時に上り下りといった動作が躍動感を生む。また潜水艦以外に、別場所といった空間的な広がりをイメージさせる。客席側に3つの台、その中央だけが少し小さい。その わずかな段差の上り下りも生きているといった息遣いを感じさせる。衣裳等…男性は軍服や軍刀、そして敬礼等の動作も凛々しい。女性は もんぺや割烹着で当時の雰囲気をだす。

公演は、特攻隊員(「回天」乗務員)の生き残りが、雑誌の取材に応じる形で戦争の悲惨さを語る。時は昭和19年 太平洋戦争末期。物語は 同じ地域にいる野球少年、台詞に甲子園を目指すことや職業野球人になりたいといった夢が語られる。一方 少女たちは歌(合唱)の練習 そのハーモニーが美しい。上演前に「夏の思い出」といった、郷愁を誘う歌が流れている。そこには平和な日々が何気なく描かれている。しかし戦況の悪化、1人の少年が志願すると言い出し、仲間はそれを止めることが出来ない。当時の正義=大儀は お国のために役に立つこと。

そして1人また1人と志願していく。また少女たちにも勤労動員の命令が下る。家族や愛しい人との別れ、生きて帰ってくることが叶わないと解っていても、必ず帰ると約束する。特に家族…父は傷病兵として家にいるが、息子に向かって自分の人生は自分で決めろ。母は人殺しを生み育てた覚えはないと言いつつ 食事の用意をする。両親の心中は、察するに余りあるもの。そして愛しい人からの手紙や手作りのお守り といった心情表現が泣かせる。

志願先…空中特攻隊と海中特攻隊へ分かれたが、どちらにしても自己犠牲を前提とした特別攻撃隊。タイトルから後者をメインに、その訓練と心境を丁寧に綴る。上下関係にある者との会話(敬語)と仲間内の親し気な話し方で、物語に硬軟もしくは緩急をつける。また軍における上官への謹厳な接し方(敬礼や言葉遣い等)、外出時の愛しい人(恋人であり妹)との微笑ましい会話が交差して展開していく。「回天」搭乗する訓練で多くの(事故)死者を出した。それは人間魚雷への乗務がいかに難しいか物語っている。

若林哲行さんが演じる、回天乗務員の生き残りの慟哭。戦後一度も大津島を訪れることはなかった。仲間は皆 戦死した。自分は、幸か不幸か生き残ってしまった。自分が搭乗する予定だった回天が敵の攻撃の影響で損傷、出撃出来なくなった。仲間に顔向けできないといった忸怩たる思い。生きることも地獄、戦争に生き残った者が生涯負うことになる悲しみ。その心に<戦後>という思いはないのだろう。だからこそ語り継ぐのだ。
次回公演も楽しみにしております。
夏砂に描いた

夏砂に描いた

miwa produce。

πTOKYO(東京都)

2025/03/28 (金) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
異なる時間軸で紡がれる慕情や郷愁、それを繊細にして抒情豊かに綴った珠玉作。登場人物は、僕・君・女・母・彼の5人。僕と君は勿論、すべての組み合わせで会話があり、長い時を経て関係性が明らかになっていく。その情景が鮮明に浮かび上がるという、朗読劇ならではの醍醐味。5人の喜び 悲しみ、そして驚きといった心情が手に取るようにわかる。

少しネタバレするが、舞台は 或る年の8月31日夕暮れ、人気のない海辺。物語は 茫洋と海を眺めて、街へ帰る最終バスに乗り遅れた高校生2人の淡い思い、その回顧から始まる。今となっては夢か現か、過去と現在を彷徨する。可笑しくて 優しい、でも悲しくて残酷な…。舞台技術、時間と心情を表す照明の諧調、音響は さざ波や微風、音楽は咲田雄作 氏によるギターの生演奏、この上ない贅沢な時間が舞台空間に流れ、実に気持ち良い。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 

ネタバレBOX

5脚の椅子が横並び。そして上手には別の椅子、そこにギターの生演奏をする咲田雄作 氏が座る。朗読劇ゆえ基本的には動かない。最初の登場と最後の退場時に客席通路を何人かが通るだけ。舞台上には浮き輪やビーチサンダルという夏イメージ。
朗読の情景にあわせて照明を諧調する。例えば時間の変化や5人の心情表現など、淡い照明色であり強調すべき場面ではスポットライトへ、その効果付けが巧い。同時にピアノ音楽を流し、ギターの生演奏が適宜入り情景が豊かになる。

8月31日夕暮れ、この海辺にある海の家でバイトをしていた2人。同じ高校の先輩 ー高校3年(君)と2年(僕)の会話、それぞれ淡い気持ちを抱き、将来の夢を語り合う。僕は画家を目指し、君は…それを聞きそびれた。後々わかるが花嫁になること。この時、君が僕の絵が見たいと せがむから棒で砂浜に描いた。取り留めのない会話、そして来年もここで会おうと約束したが…。君は明日、横浜へ引っ越し転校するという。

翌年、君は現れなかった。あれから12年、僕は30歳になっていた。そしてあの時と同じように最終バスに乗り遅れた女と出会った。女は途方に暮れ、歩いて街まで行くか、始発まで浜辺にいるか思案している。僕は女に話しかけ、一緒に歩いて帰ることにした(疲れたら 途中でラブホテルもあるし)。実は女は君の妹。そして君は難病に侵され入院中。病院の理学療法士であろうか、彼の治療を受け、そしてプロポーズされる。君は病気のことを知っており、だから花嫁になりたいと言ったのだろうか。

さらに、それから10年、僕は40歳になり離婚し独り身である。そして以前会った女と偶然あの海辺で出会う。女も結婚し子供がいるが離婚したと。偶然、彼は病室に僕の絵を飾って君に見せてくれていたらしい。君が亡くなったことは女(君の妹)から聞かされた。さらに年月が流れ、あの海辺に僕と女ー2人は結婚した。年を取り棒ではなく杖をついている。高校時代の淡い思い出、それも1日の…その追慕が実によく描かれている。
次回公演も楽しみにしております。
Better Days

Better Days

“STRAYDOG”

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

希望や苦悩を抱え、今を生きる等身大の若者を描いた青春群像劇。舞台は沖縄県伊平屋島という離島。そこで ひと夏(3日間)、島の同世代と過ごすことによって 少し成長していく少女たちの姿を清々しく描く。
東京と伊平屋島での暮らしの違い、例えば買い物や遊ぶ場所など その社会・文化などの違いを通して思考と志向の形成も描く。説明にある解答用紙を白紙で出す女子生徒の苦悩と島で暮らしている少女の希望が交差して生まれる友情。同時に、都会では味わえない雄大な自然や生命の(神秘的な)誕生を目の当たりにして、自分の悩みなど…。教師が教えられることは、授業での知識ぐらい。毎年島を訪れている理由は、学校だけでは教えられない大切なこと。

この公演は、「レモンズカンパニー」の復活を確認するかのようだ。子供たちに合った等身大の脚本(物語)で分かり易く、演出は、大人の役者が見守り支えるといった感じだ。稽古では色々な事があったと推察、それが物語の女子学生の成長に重なるよう。そして大人の役者は、引率の教師のような存在。劇中で奇妙なミュージシャンとしても登場し、子供たちの歌やダンスを客席袖から応援する姿が微笑ましい。少しネタバレするが、舞台美術は、夏らしく 左右に簾と中央奥に黒板。その黒板に日直:あかば│しげまつ と書かれている。勿論 演出の赤羽一馬さん と引率教諭の先輩役の重松隆志さんのこと。学校での教育を次世代を担う役者達の育成に重ね合わせる。その 初々しく元気溌剌とした演技/パフォーマンス、ぜひ劇場で。
(上演時間1時間25分 休憩なし) 【スカイ】

ネタバレBOX

公演は、夏季合宿を通して少女たちの心の成長、同時に「レモンズカンパニー」としての演技(力)成長、その2つを巧みに観(魅)せている。舞台美術や衣裳は、夏の雰囲気を漂わせている。

日常の暮らしを通して、東京と伊平屋島の違いを分かり易く描く。例えば、都会におけるボーリングやカラオケ、一方 離島における遊び場所は大自然(景色)。そして買い物にしてもコンビニが当たり前な都会、そん店はなく、たぶん萬屋(よろずや=ゼネラル・ストア)が島の唯一の店。都邑における利便性や環境の違いをさり気なく説明し、その中で、東京から来た少女の苦悩へ。

解答用紙を白紙で出す女子生徒、彼女は小学校の頃は学業優秀で母の期待も大きかった。しかし、母は家を出て行方知れず。今の状況を知ったら戻って叱責してくれるのではないか。一方、島で親しくなった少女の両親はスキンダイビングインストラクターだったが、今は亡い。そして卒業したら大阪の親戚の家から学校へ。広い世界を見てみたい、そんな希望を抱いている。2人の会話を通して、家庭や地域環境の重要さが浮き彫りになる。

2人の会話の最中にウミガメの産卵光景。スマホで撮影しようとするが、その光によって進む道を間違えてしまう。カメは、命(孵化)の誕生を見ることなく、生まれた子カメは自力で生きていく といった諭しに繋げる。
物語を楽しませる、それがダンスでありマイクでの歌唱。また漫才的な面白ネタや方言を挿入し笑わせる。その一生懸命な姿が、物語における少女の姿に重なる。
次回公演も楽しみにしております。
「mariage」

「mariage」

おかしないえのまほうつかい

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2025/03/28 (金) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

初日観劇。
オムニバス5編。この演目、どのような関連性で選択したのか判然としないが、自分の解釈では、大切なものは目に見えない、そして失ってから初めて気づくといった 人の「心」や「情」を紡ぐようだ。この団体の公演は初見、オムニバスではなく 中長編の公演も観てみたいと思わせる 力 がある。

5編は、「星の王子さま」「葉桜」「ペアリング」「プロポ-ズ」「ふたり、目玉焼き、その他のささいな日常」で、役者は4人。場景は椅子等の物を使用するだけで、ほぼ素舞台。オムニバスであるが、全体を通じて 人生における悲劇と喜劇の間をさまよい歩く、そんな面白味も感じられる。同時に、何となくであるが 色々な情景・状況を通して役者の演技(力)をみる試演会のような気もした。なお、設定を変えるなど 現代風にアレンジするといった工夫は感じられない。例えば、岸田國士の「葉桜」(大正期の話)などは、今風の会話(テンポ)で早口だ。いやリアルな日常会話より早く、当時の時代感覚とは合わない。台詞を早く喋ってしまいたい気持の表れか?細かいことはあるが、脚本(物語性)の魅力を体現する力はあり、飽きさせないところが好い。
(上演時間1時間35分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、モンゴルのパオorゲル内のような感じ。床は円形の白幕 周りはそれを囲うような白幕。演目によって椅子などを搬入するが、基本は素舞台。衣裳は、映えるような赤・黒・青といった原色で、役者の表現力を強調するかのようだ。
日常にある何気ない温かさ 優しさ、それが無(亡)くなって初めて分かる その大切さ 愛しさ。

●「星の王子さま」(作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ )
王子さまは バラの美しさに惹かれ 献身的に尽くすが、バラの本心は解らない。バラがそこにいて芳しい香りで包み、晴れやかな気持ちにさせてくれた。バラの見え透いた謎かけに翻弄され本当の優しさを知ろうとしなかった。つまり バラの姿を見て、香りに酔いしれるだけでよかったのだ。

●「葉桜」(作:岸田國士)
お見合い相手の、自分への気持ちを掴みあぐねて 前に進めずにいる娘と、その娘を優しく見守りつつも心配のあまり、つい口を挟んでしまう母。そんな母と娘が織り成す柔らかな心の揺れを描いた会話劇。お見合いを通して、今後の二人の行く末を考える、そんな日常の一コマが描かれている。

●「ペアリング」(作:かわせゆうき)
物語というよりは、物語間を繋ぐような意味合いを持たせているような。この戯曲は、かわせゆうき氏のもので、この演目の中で唯一のオリジナル作品。何となく とぼけたユーモアと溢れる愛情のようなもの描いている。

●「プロポ-ズ」(作:アントン・チェーホフ)
チュブコーフの屋敷に 隣人のローモフが訪れる。正装であることを不思議がるチュブコーフに、ローモフは娘のナターリヤに結婚を申し込みに来たと告げる。チュブコーフは喜び ナターリヤを呼びに行く。しかし やがて2人の間で、両家の境界線にある土地の所有や夫々が飼っている猟犬の優劣等で言い争いが…。結婚すれば関係ないのに。

●「ふたり、目玉焼き、その他のささいな日常」(作:関戸哲也)
走馬灯ってどんなんだっけ…目玉焼きは半熟が好みなのに、賞味期限は厳守して、カレーは箱書きの説明通りに作って等、些細なことしか思い出せない。あんなに一緒にいたのに、あなたが覚えてるのは そんなことだけ。駆け巡る日常の中に大切な思い出が…。

次回公演も楽しみにしております。
CARNAGE

CARNAGE

summer house

アトリエ第Q藝術(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
初めて観る演目、映画「おとなのけんか」(邦題)としても上映されたそうだが 観ていない。舞台は、虚構の世界を空間と時間を使って どう描き出すか。しかし この劇は、現実の出来事をその時間の中で紡ぐ、言い換えれば 現実を舞台という虚構の世界で描くといった感覚だ。敢えて空間を作らず、時間も流れない。今そこにあるリアル、その漂流するような会話や行動を覗き観るといった楽しさ面白さ。

舞台はフランス、登場するのは二組の夫婦、その4人が 子供の喧嘩の後始末を話し合うために集まる。中流階級でリベラルを自認する人達が、いつの間にか本質からずれた話し合いになり、だんだんと興奮し我を忘れる。リアルな空間と時間、その中で役者陣の自然な演技が臨場感を増していく。自然(体)という確かな演技、それが異様な雰囲気を漂わせていく。喧嘩の当事者である子供は登場しないが、会話の端々からどのような子供で親子関係なのかが垣間見えてくる。色々なところに飛び火した会話を通じて、一人ひとりの人物像が立ち上がる。いつの間にか(リベラルという)化けの皮が剝がれ 本性剥き出しの激論、それがどこに辿り着くのか目が離せない。少しネタバレするが、この舞台をひっ掻き回す者でありモノが肝。

舞台美術は、話し合いが行われる家のリビングルーム。その光景がさらに現実味を帯びるような錯覚に陥る。どこにでもあるような空間だが、工夫も凝らしている。それは劇中でトイレ、洗面所に行く場面では、ある舞台セットを回り込むという動作が加わる。その動線が同一空間の中で別の意味合い(廊下)を表しているようだ。細かいところだが、これによって居住空間の広がりを的確に表現している。実に丁寧な演出で巧い。
(上演時間1時間25分 休憩なし) 追記予定

ネタバレBOX

舞台美術は、中央にソファとテーブル、その斜め横に椅子2つ。後ろの壁際に2つの置台ー1つは電話、もう1つに煙草、酒瓶が乗っている。客席側の上手/下手に本の山、中央の花瓶に50本のチーリップが活けてある。中流階級の家庭、本の山は 仕事であり良識等といったリベラルの象徴か。

登場人物は わずか4人。被害者側の夫婦=ヴェロニク(水野小論サン)はライター、ミシェル(小林タカ鹿サン)は雑貨商、加害者側の夫婦=アネット(伊東沙保サン)はファイナンシャル・プランナー、アラン(小野健太郎サン)は弁護士。子供同士が喧嘩をして、棒を振り回して相手に前歯2本を折る怪我をさせる。初めのうちは穏やかに話していたが、だんだん本来の目的と違う方向で議論し始める。その行き違いとなる分岐点が曖昧、ただアランの携帯電話が頻繁に鳴り、話し合いが度々中断し、皆 少しずつイラついてくる。一方、ミシェルの母親からも電話が…。この姿を現さない相手(電話)に翻弄されていく。
以降 追記予定
幽霊

幽霊

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2025/03/25 (火) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
ハツビロコウらしい重厚にして骨太作品。しかし 今まで観てきた公演、例えば 同じイプセンの前作「ヘッダ・ガブラー」のような重苦しい緊張感はあまりない。逆に この公演の魅力は、テーマ性というか物語性が鮮明で分かり易いところ。当日パンフに代表の松本光生 氏が、イプセンの戯曲をもとに複数の翻訳本やグーグル翻訳を参考に上演台本を書いたとある。そしてタイトルにある「幽霊」、それは現代に生きる我々にとって何なのか、どのような影響を与えているのかを意識したとある。

1881年、イプセンによって書かれた戯曲が 現代日本によみがえり 何を伝えようとしているのか。観客それぞれ思い抱くことは違うであろうが、少なくとも因習や慣習に囚われた閉塞感、不自由さはしっかり描かれていた と思う。また人間が抱いている思い、その願望が封じ込められた時、大きな反動が狂気を生む。それは 本人だけではなく、その家族をも巻き込んで…。

旧弊的な道徳観・価値観は崩壊し、同時に正当な倫理観も失われつつある。それは自己中心的な思考と行動、そこには欺瞞や強欲が潜み それが社会に蔓延していく怖さ。公演では宗教(牧師)を以って倫理観を説き、その建前に人の希望や願望が抑制されるといった矛盾。舞台という虚構(俯瞰)の世界、しかし現実における世相・世情を見れば、今でも言われ続けていることに気づく。その意味では現代においても色褪せない、根本的な問題を孕んでいる。さらに 少しネタバレするが、近親相姦や安楽死などのセンセーショナルな出来事も描かれている。それが140年ほど前に書かれた戯曲ということに驚かされる。
(上演時間1時間45分 休憩なし) 

ネタバレBOX

変型の二重舞台。舞台美術は 中央にテーブルと椅子、上手にベンチのような椅子、下手奥に机のような置台と壁に大きな鏡。上演前から男が俯いている。そして波の音や船汽笛が聞こえる。全体的に昏く重厚感が漂っている。

舞台は 峡湾に臨むアルヴィング夫人の屋敷。彼女は愛のない結婚生活を否定しつつも、因習的な固定観念に縛られて放縦な夫から離れらずにいた。夫が亡くなり10年、彼の名を冠した孤児院の開院式の前日から物語は始まる。夫の偽りの名誉を称える記念式典を前に一人息子オルヴァルがパリから帰ってくるが、因習の幽霊がふたたび夫人の前に現れる。勿論「幽霊」は比喩であり、公演では2つを示唆しているよう。

1つは、この地での因習や慣習といった前例踏襲といった目に見えない仕来り。かつて夫の放縦に耐えかねて牧師 マンデルスの元へ逃げたが、夫に使えるのが妻の役目と突き放された。夫は召使の女を犯し、それを目撃したアルヴィング夫人は 悪影響を心配し 7歳の息子をパリへ。そして召使が産んだ子が、今 使用人として働いているレギーネ。つまりオルヴァルとレギーネは異母兄妹、何も知らず 悪病に侵された兄は妹に好意を抱き一緒に暮らそうとするが…。もう1つの「幽霊」は 遺伝ー父の放縦は息子に受け継がれ、パリで放蕩な生活を送った。それを共同生活で多くの交友関係といった事から におわせる。放縦な夫は亡くなったが、愛息が忌まわしい「幽霊」を受け継いだ結果、悪病に罹ったという皮肉。

この劇は「過去」が起点になっており、それを明らかにするだけではなく物語の回転軸になっている。「幽霊」という目に見えない因習等から逃れようと足掻くアルヴィング夫人、しかし感情はその環境から抜け出せないといった奇妙さ。フランス古典劇の「三一致」の時空の中に回顧という「過去」の目に見えない「幽霊」を見事に立ち上げた。自由を奪われた閉塞感、そんな環境下では能力を発揮出来ない という悪循環に陥る。一方では因習、建前という鎧で身を固めた自己保身、それが宗教(牧師)の言葉となる。

照明は状況を効果的に表す。例えば孤児院が火事になる朱色、時間の経過を表す諧調、そして最後 アルヴィング夫人が愛息オルヴァルを抱きかかえ、日が昇り その陽の中で2人はシルエットといった余韻付けは見事。
次回公演も楽しみにしております。
ふりむかないで

ふりむかないで

ゆめいろちょうちょ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2025/03/15 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

#ゆめいろちょうちょ
#舞台ふりむかないで
恋愛 いや不倫狂騒といった告白劇。フライヤーからも分かるが、1人の男性を囲んで7人の女性が寄り添っている? 少しネタバレするが、この男性は既婚者で多くの女性と…実はこの7人以外に一夜を共にした女性が何人もいるが、その人数は覚えていない。以前、言葉狩りで「不倫は文化だ」といった言葉(噂)が一人歩きしたが、今の時代はその風評が命取り。

さて、妻への嘘があっても不倫している女性には いつも真(誠)実。結婚したら もう恋愛は出来ないのか。人を好きになることは美しいはずなのに、それが罪になってしまうのが現実。ここに登場する男性と女性の関係は不適切だが、一方 妻は…。不倫となる一線とは、そして不倫相手になった女性の言い分と一線を越えるようになった状況とは を男性の語りを中心に展開していく。その告白を強要(余儀なく)される状況が面白可笑しい。

人と人、特に 男と女の出会いは運命的で、そのタイミングが重要だ。タイミングとは結婚しているか否か、独身ならば許されることも既婚となれば卑猥で不道徳となる。恋愛はまさに天国になるのか地獄への始まりなのか。一人ひとりとの出会いと別れを描きながら、恋愛という甘美な潤いと辛苦な渇きを上手く描いている。

同時に 女性の側が男性と親密になる、その現実味ある状況(年齢・職業や手練手管など)を巧みに設定しているところが妙。この会場(パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』)をリアルな修羅場/愁嘆場として覗き見るような感覚。公演は8人の確かな演技とバランスの良さ、そして生演奏が効果的・印象的だ。他人の不幸は蜜の味というが、この男性が味わう ラストが実に…。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間15分 休憩なし) 3.24追記

ネタバレBOX

舞台美術は、この会場にあるBARカウンターそのものを使用し、セットとしてあるのは壁際に椅子7つ。そして高価そうな1つは、睥睨するような感じで別場所に置かれている。ほぼ素舞台で、中央は大きなスペースを確保している。

登場人物は、真瀬温と史緒里 夫妻と 夫の浮気相手6人。妻に浮気がバレて、この店で問い詰められるところから始まる。当事者が一堂に会し、夫の温が告白するような一人語りで進む。どのようにして出会ったのか 回想するように説明していく。そして何故浮気をするようになったのか。
まず BARで働いている女 棚田穂波から誘惑される。以降、職場の独身先輩 利重牧子、会社近くの食堂のバイト 川東菜穂、就活中の大学生 古沢啓代、キャバクラ嬢 市井佐希、そして出会い系サイトで知り合った主婦 片寄純香 と様々な女性と肉体関係を持つ。妻は仕事が忙しくセックスレス状態、今は子供がほしくない。この悶々とした気持ち、その憂さを晴らすことが浮気の遠因。その心底には自分(夫)を見てくれないといった不満/真情が隠されている。 

この2人(夫婦)は 高校時代の同級生、久しぶりの同窓会で出会い 付き合いだして半年で結婚。そして今 新婚2年目。妻が浮気相手を調べ上げ 夫を追い詰めるが、その激怒ぶりが心底怖い。妻 史緒里を演じるのが主宰の神崎ゆい さん、やはり演技は上手い。実は史緒里は職場の上司を慕っている。仕事の遣り甲斐は、上司に認めてほしい そんな気持ちを秘めている。浮気とは、肉体関係という一線を越えたら、それとも心が夫以外に ときめいたら…。刷り込みのある、妻は上半身で考え、夫は下半身で行動するといった 女と男の本性/本能を浮き彫りにするようだ。

会場を上手く使い 臨場感ある場面を紡ぐ。至近距離にあるアクティングスペース、そこで浮気現場を濃密に描き出す。その場景は、甘美というよりは滑稽といった笑いを誘うもの。狼狽え、言い訳、謝罪の言葉(台詞)が何故か面白く思えてしまう。同じ浮気でも映画「黒い十人の女」のようなサスペンス?ものではなく、どちらかと言えばコメディ。
夫婦喧嘩と浮気相手への対応、その奇妙な光景を間近から覗き見る可笑しみ。色々(下世話)な場景を印象深くさせるギターの生演奏、実に効果的で良かった。
次回公演も楽しみにしております。
狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当日パンフによれば、吉井勇の原作で 三代目蝶花樓馬樂をモデルにした人物 =俳諧亭句樂を主人公に、その句樂や句樂の周辺を描いた作品群。公演は、その「句樂もの」の幾つかを遊戯空間(構成・演出・美術 篠本賢一 氏)が再構成し、滑稽洒脱な物語として紡ぐ。その粋な芸人の生き様が生き活きと描かれ、実に抒情や憧憬が豊か。この「句楽もの」戯曲の選択と構成が妙。

吉井勇という歌人で劇作家のことは知らなかったが、「ゴンドラの唄」は黒澤映画「生きる」で知っており、その作詞家だという。哀愁に満ちた印象を持っていたが、開場前に流れる同曲はポップ調でなんとも楽し気である。原作の「句楽もの」は読んだことも観たこともないが、この再構成(換骨奪胎か)によってどのような姿に生まれ変わったのだろう。自分は、この滋味溢れる内容と小気味良い展開は好きである。

幾つかの「句楽もの」を繋ぐのが、桂右團治師匠の語り。これによって場面が変わったことが分かり、物語全体が違和感なく構成される。夫々の場面を通して、当時の芸人たちの暮らしや考え方、そして先にも記した生き様が面白可笑しく立ち上がる。同時に 狂人となった主人公が述べる戯言、しかし そこには現代にも当て嵌まる皮肉や批判が込められている。
また場面変化に対応した舞台美術が見事。同時に「句楽もの」の世界観とでも言うのか、その雰囲気も楽しめた。
(上演時間2時間40分 途中休憩10分)3.22追記

ネタバレBOX

舞台美術は、平台のような裏面を三方向に立て半囲い、天井には裸電球が吊るされているだけ。中央は素舞台。上手の客席寄りに高座、釈台が置かれており、客席中央に座布団。シンプルな造作だが、場面に応じて卓袱台などが置かれ、平台の一部が戸になっており開けると障子になる。勿論 時代に合わせた衣裳や小道具も雰囲気を損なわない。

出囃子で 桂右團治師匠が高座へ。物語は、河岸近くにある盲目の落語家 小しんの家。そこへ古くからの仲間である焉馬と柳橋が句楽を見舞った帰りにやってくる ところから始まる。盲目となり脚も不自由になった小しんは、精神病を患って 入院している句楽のことが気になってしょうがない。何時しか句楽との楽しかった日々を回想する。実は白装束の句楽が客席側にある座布団に座り聞いている。全体が浮世離れした浮遊感ある雰囲気に包まれている。

物語は、小しんの家での句楽の病気見舞い(1話「俳諧亭句楽の死」) 船旅の船中(2話「焉馬と句楽」)、伊豆の旅館(3話「句楽と小しん」)、浅草の仲見世(4話「縛られた句楽」)と続き、芸人の滑稽洒脱のような<粋>が描かれる。そして最後は句楽が入院している精神病院での突飛な話<魂を作る機械>(5話「髑髏舞」)へ。この最後の話は、魂の形は定かではないが 瓶のようなものに入って、赤・黒や青といった色が付いている。魂は作るだけではなく、病気にもなるから(魂の)病院も必要だ。魂(材料)は酒に入っているモノで作られている。しかし、どんな酒にも入っている訳ではないから 飲み比べをする必要がある。先に記した話(1~4話)には 全て酒(日本酒・ウィスキー・ワインなど)が出てくる。まさに魂の彷徨であり 酔(粋)狂の人である。

今では米の値段も高騰し 酒(代)への影響もあろうが、金で解決できる分には まだよい。魂を作る機械の話の中で、魂の欠片があちこちに落ちており足の踏み場もない と言う。そして死人に魂を分けてやりたいと。「句楽もの」が書かれた時期は、たぶん大正期であろう。日清、日露戦争で多くの死傷者を出した。また国外に目を向ければ第一次世界大戦が勃発していたかも知れない。そう考えると、現代のロシア・ウクライナ戦争やイスラエルによるガザ侵攻が重なる。

最後(精神病院)の舞台美術は、白幕で囲い 句楽の白装束、他に3人の白衣裳の患者、そこは病院であり遊魂の世界のよう。芸人たちの微笑ましくも哀歓ある生き様の中に、現代の世態にも通じる皮肉や批判が…。それを華族であり知識人が綴っているところが面白く、そして遊戯空間が再構成し現代に蘇らせた。見事!
次回公演も楽しみにしております。
プシュケーの蛹

プシュケーの蛹

中央大学第二演劇研究会

シアター風姿花伝(東京都)

2025/03/06 (木) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

学生演劇らしく柔軟な発想、瑞々しい感性、そしてアップテンポに展開する好公演。一見すると荒唐無稽な物語だが、2024年度卒業公演として タイトル「プシュケーの蛹」に込めた思いは しっかり伝わる。しかし、気になることも…。
(上演時間2時間10分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は二層の立体的な造作、上部は外であり下部(板)はアパートの室内や怪しげなBARを表している。両壁に白レース、上手にソファ・中央に机状の置台・下手にカウンターを設えている。所々に不揃いな文様のようなものが、後から考えれば 鱗粉か? この美術からして混沌としたイメージ。

物語は、卒業公演らしく1月下旬から3月下旬までの59日間を描いた青春の旅立ちを思わせる。説明にある漫才トリオ 小西・中山・大野の3人は、アパートでシェアハウスを始める。このアパートは曰く付きの居抜き物件で、前の住人の残した物は処分できない。その1つがアンドロイド、その名は<るり>。
3人は小学校からの友達、その親しみもあって 大野が中山と小西を誘って漫才トリオを組んだが、その思い入れ 真剣度が違い 生き方(目標)にズレが生じだす。そのキッカケになったのが、<るり>の存在。この生き方を巡る3人の激論がリアル。このシーンが無いと3人のそれぞれの行動の意味が暈け面白味が感じられない。ここを膨らませるのかと思ったが…。

<るり>は、同じアパートの2階に住んでいる 研究員が勤めている 研究所の所長 大和の一人娘。8年前の暴風雨の日、家族3人でドライブしていたが 事故で海中に転落。大和だけが生き残り、妻は行方不明、娘るりは死亡。大和は るり の肉体をアンドロイドとして蘇らせたが、その耐用年数が8年。その期限付きが 物語の肝。そして妻は幽霊として、この世を彷徨っている。

大野は、お笑い芸人を目指しているが、未だバイトを掛け持ちし日々悶々としている。或る日怪しげなBARで飲んだ酒で幽霊が見えるようになる。小西は、中学生(天文部)の頃から宇宙に興味があり、ひょんなことから宇宙人マカオンネリウスと出会う。そして大和の研究所(バイト)で働き始める。中山は、<るり>が起動しなくなる=メモリ(記憶)が消えるまでの59日間を一緒に過ごし、色々な世界を見て回ることにした。何か記憶が消えない方法がないか、それが宇宙人による未知の科学技術と幽霊の魂を融合させ<るり>を存続させようと。ここに 3人の物語が収斂してくる。

記憶は過去、時間は未来といった台詞は、空間的な広がりと同時に、宿命は変えることが出来ないという非情な現実を突きつける。たとえ<るり>の記憶が消えても、一緒に過ごした中山の心に<るり>の思い出が残り、彼の心の中で生き続ける。ラスト、蛹になった中山の姿は<るり>の思い出と溶けあったイメージ(プシュケーは「魂」だけではなく「蝶」の意もある)。人と人の繋がりは死んでも なお思い出を抱き続ければ、その人の記憶、魂は消滅しない。いや いつか一体となって舞えるかも…。

演出…最初と最後は日常風景をスロームーブメントで表現し、一転 不思議な街へ引っ越して来てから出会う個性豊か 奇妙な人々は、舞台装置を上がり下がりするなど躍動感があり、生(活)きていることを体現している。ただ演技は少し粗く、その力量に差が観えたのが惜しい。ラストは大きい白布で舞台を被い3月の雪景色、そして白布を中山の体に巻き付けて蛹を表すといった余韻付け。照明は夜空に輝く星々といった幻想さ、音楽はポップな曲を流し心地良い。

さて、タイトルは <るり>を巡る物語を示し 展開もそれを中心に描いている。しかし説明では 3人のこれからの生き方 幸せを見出していくとあり、どちらがメインなのだろう。「混沌が安寧をもたらしている」(⇨構成であり世界観の意だろうか)といった台詞があったが、このカオス(アンドロイド・幽霊・宇宙人や奇妙な人々)がバランスを保っている なんてことはないと思うが。この柔軟・斬新さも有かも知れないが、王道的な描き方も出来たような。
次回公演も楽しみにしております。
ジョバズナ鼠の二枚舌

ジョバズナ鼠の二枚舌

おぼんろ

新宿シアターモリエール(東京都)

2025/03/04 (火) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

コロナ禍以前の 本来の おぼんろスタイルの公演が戻ってきた。劇場全体を劇中空間とした360度舞台。上演前から俳優陣(語り部)が観客(参加者)を場内へ案内し、そのまま談笑したりする。そして開演時間が近くなると、参加者とじゃんけんをしたり、参加者の1人に 劇中での小道具の渡しを依頼する。客席は桟敷や椅子で、参加者は好きな場所に座って観劇する。本作は劇団員(4人)だけの公演だが、場内(客席の横など)を縦横無尽に走り回る。いつの間にか 参加者は おぼんろ(脚本・演出 末原拓馬 氏)の世界へ誘われ、その雰囲気に陶酔していく。この没入感が、おぼんろ の魅力。

物語は、とある都会の片隅にある研究所で、ネズミたちは生体実験を受けていた。仲間たちの死を背負いながら、必死に生きるネズミたちだったが、或る日 研究所の閉鎖が決まりネズミたちの処分が……。今まで生きてきたのは、世界の役に立っているという自負。無駄死にしたくないため研究所の外へ逃げる。44匹が脱出したが、今では4匹になってしまった。外という未知の世界での冒険が始まる。
(上演時間2時間 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は 形容しがたい雑多な装置、布・紐・裸電球等が吊されている。そして どちらが舞台正面か判然としない。ただ入り口の右手に櫓上への階段、そこに張り付けたような変形球体状(そう思える)のオブジェが見える。最後に分かったが、その球体が赤く点滅し、同時に語り部(ネズミ)たちがポリタンクを叩き響かせる。それは心臓の鼓動を表しているようだ。最近は、2.5次元舞台などは最新技術を駆使するが、このアナログさが、逆に生きているといった息遣いを感じさせる。

物語は、外の世界に出て 研究所のドクトル・マーサを早く探さなくては、と思うところから始まる。4匹の旅は、世界の役に立つこと、それは最後の1匹になるまで続く。それが自分の価値であり 誇りとしているからである。そして生き甲斐でもある。
それは、未知のウイルス対策の治験薬開発に役立つこと。しかし外の世界は 紛争・戦争で混乱している。そして治験薬開発と思っていたことが、実は細菌兵器開発の実験だったという衝撃。世界の役に立つ=命を助ける薬が、実は人殺しの武器になろうとは。外に出て初めて知る事実、それは人間同士が殺し合い、他の動植物を巻き込む不条理な世界。

今起きている時事的な出来事を絡め、命とは 生き甲斐とは を考えさせる。さらに物語に隠された衝撃の真事実、そこにタイトルにある二枚舌の意味が…。本作では それをネズミという人間から嫌われているモノの視点から描いた心優しき寓話。

おぼんろ らしい観(魅)せ方、一人ひとりの面白いパフォーマンスを始め 歌やダンスで魅了する。単に演劇というよりは、楽しませる要素をふんだんに盛り込んだエンターテインメント公演。観客も一緒に冒険しているような刺激的な一体感、そして没入感が興奮させる。歌に合わせて自然にクラップも起こる。語り部も激しく動き回るが、小物(旗布or柄シーツ)も天井へ吊り上げるなどダイナミックだ。このワクワク ドキドキ感が堪らなく好きだ。
次回公演も楽しみにしております。
『BORDER〜罪の道〜』

『BORDER〜罪の道〜』

五反田タイガー

六行会ホール(東京都)

2025/03/05 (水) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

硬軟ある場面を絶妙に交え 飽きさせない巧さ。フライヤーのデザインから何となく分かるが、舞台は女子刑務所(キャストは女優のみ)。そこにいる看守・受刑者等によって紡がれる罪と罰。その観せ方は鬼気迫る衝撃的な場面、一転 小咄や笑劇的な場面を挿入し和ませる。

少しネタバレするが、「次、生まれてくる時は 友人として会おう」というフレーズ、その奥にある思いは 劇中の「人は なぜ罪を犯すのか」という問いに繋がる。この台詞が公演のテーマとして強く重く響く。勿論、罪が罪を生むといった負の連鎖もしっかり描く。

公演は歌やダンス、それを音響・音楽そして照明といった舞台技術で効果的に観(魅)せている。総じて若い女優陣の躍動感ある演技 パフォーマンスが楽しめる好公演。ぜひ劇場で。
(上演時間2時間 休憩なし) 千穐楽に追記

ネタバレBOX

舞台美術は 二階建監舎。2階に鉄格子の居房、1階は頑丈なドアの独居房、真ん中に階段があり対称の造作。上手/下手に監視塔が建っている。全体的に薄汚れており老朽化が進んでいるようだ。

物語は、この女子刑務所に配属された新人刑務官が 所長に案内され、収容されている受刑者の性格や特徴等を聞くところから始まる。何となく明るく陽気な雰囲気、皆 同じように腹が減ったと訴える。この新人刑務官は副所長の娘であり、母を恨んでいる。母は夫の乱行に耐えかねて、高校生の娘を置いて出奔した。この母娘の確執が1つの物語。

もう1つが、老朽化が進んだ別の女子刑務所の改築工事のため、そこに収容されている受刑者が移送されてくる。罪が重い受刑者が、この刑務所の受刑者を洗脳し いたぶるようになる。移送されてきた受刑者は、殺人・放火・暴行そして窃盗など重犯罪者ばかり、中には死刑囚もいる。そして凶悪、二重人格等といった性格付け。この説明シーンは、一人ひとりにスポットライトを照らし、心の声のような音響で語る。実に効果的な演出だ。

実は新人刑務官、この刑務所の配属を希望していた。それには母との関係もあるが、実は死刑囚に婚約者を殺された恨みがある。その遺恨を晴らすためでもある。死刑囚は不遇な環境で育ち、人や社会に憎悪の感情しかもっていない。殺した婚約者は優しく接したが、自分を利用している といった被害妄想に取りつかれ、近づいてくる人間を殺してしまう。なお、公演に託けて過度に自分の主義主張を…いかがなものか。

受刑者に別の刑務官が洗脳され、灯油をまき火事が起きる。所外に避難させたが 戻ってこない受刑者もいる。外で その受刑者に恨みを抱く者に殺害されるといった罪が罪を招く。その負の連鎖もしっかり描く。

さて、死刑囚は脱獄せず そのまま刑務所内に止まっていた。誰か自分を殺してくれないか、かと言って自分では自殺できない。そこで法の裁き=死刑になることを望んだ。人は罪を赦せるのか、一概に結論を出せない難しい問題を投げかける。悩み困った時は、誰かの助けが必要。「次、生まれてくる時は 友人として会おう」が赦しなのかも…。
次回公演も楽しみにしております。

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