GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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未必の故意

未必の故意

さんらん

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2019/08/08 (木) ~ 2019/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/08/11 (日) 14:00

この舞台、劇中劇の素人演技を役者が演じ、この演じられる舞台を全体として虚構であることを前提として観客が観ているという構造になっている。同時に、役者は各人物として日常の会話・行為を演じながら、素人演技も演じなくてはならず、この二重構造が虚実を入子にして、観客の舞台の対象化がしづらい、言い換えれば、観客自身の舞台認識を揺るがす効果を生じている。
 劇中劇がある舞台は幾つもあるが、この舞台がまたややこしいのは、舞台上の登場人物が、
殺人の確定的な故意を未必の故意として処理するために、模擬裁判を演じるという構図を取っていることにある。真実(江口の殺害)→虚偽(未必の故意)→虚偽(模擬裁判)→虚偽(クミ子と江口の約束)→真実(クミ子の死)→真実(消防団員内での内輪もめ)→虚偽(証人教師の懐柔)→真実(教師の殺害)という進行で、ひたすら虚実を行き来するのだ。
 
サスペンスとしてなかなか上質なのだが、この虚実のないまぜが、安部公房作品らしく、とても気持ちの悪い、閉じられた世界での心理葛藤劇としている。場面転換も多く、そのたびに、とてつもない不安感が横溢し、眩暈を覚えそうになる。

薦められえるか言えば、難しなあ。やはり、気分悪くなるもの。
作品の価値は高いと思えるのだけれど。でも、この戯曲に臨んだことには、拍手、拍手。

ネタバレBOX

貯金箱壊したり、結構、壊し物が多く、調達大変だろうなあ。
アイランド

アイランド

イマシバシノアヤウサ

OFF OFFシアター(東京都)

2019/08/01 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/08/07 (水) 19:00

座席A列8番

 1ヵ月近い、下北沢では本多劇場を除けば、稀なロングラン上演。ましてや、OFFOFFである。気合の入り様が違う。(まあ、集客や採算、役者の本業との兼ね合いなどで、ロングランしたくともできない劇団が多いのだが)

 アイランドとは、南アフリカのアパルトヘイト下で、政治犯を収容した孤島を指す。過酷な強制労働が課せられ、生活環境も過酷だ。この舞台は、そこに送られた2人のカラードの物語である。

 アソル・フガードの舞台を観るのは、2017年1月新国立劇場の「豚小屋」以来となるのだけれど、この「アイランド」を観て、アソル・フガードを調べるまで、彼の作品とは思いもよらなかった。第二次世界大戦時の脱走兵の話と南アフリカのアパルトヘイト下の話だから、共通点を見出せなかった。しかし、両作品とも自由への果てしなき渇望を描く2人芝居ということでは一致している。もちろん背景には、一方で戦争批判や社会主義体制批判、もう一方でアパルトヘイト批判があるのだけれど、むしろそこよりも、必死に現状に抗って、いつの日か自由を獲得しようとするバイタリティー・執念が大きく前面に出ていることも、同じテイストを持たせている。

 劇中劇の「アンチゴネ」、自らは確かに罪を犯した(法に背いた)、しかし、私の行動は正しいと主張し、自らに過ちはないと主張するアンチゴネの姿は、アパルトヘイトに対する抗議行動をした、まさに2人の立場の代弁である。
 この舞台で、終始通底している「アンチゴネ」と強制労働、2人の停滞なき生の象徴である。そこには諦観や絶望など、微塵のかけらも見られない。

ネタバレBOX

 でも、「アイランド」は、何という硬派で男前な舞台なのだろう。とにかく力強く、生命力に溢れている。ラスト、舞台の収容所のセットを取り外し、2人で肩を寄せながらの逞しく歩を進める姿、ただただ感嘆するばかりだ。

ただ、ちょっと空席が目立ったなあ。後半の巻き返しを祈る。
怪物/The Monster

怪物/The Monster

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/08/03 (土) ~ 2019/08/05 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/08/05 (月) 14:00

座席2階RB列24番

寓意に満ちた作品です。ある村の罠に怪物が捕まります。この怪物は、おぞましい姿をし、
瀕死の状態にありますが、殺そうとしても死にません。村人は次第に、この怪物の漂わせる匂いに惹かれ、怪物に自らの家族そして自らを与えるようになります。怪物は人肉を喰らい。どんどん大きくなっていきます。長老は、村を救うには、人肉を食わなければ、怪物がどんどん小さくなっていくことを知り、けして村人を怪物に近づけないこと、近づく者は殺すことを命じます。そして、怪物は消えていくのですが、その時、村は、、、、

 原作を読んだことがないのですが、上演時間は1時間10分。舞台は、新国立劇場演劇研修所 & マンチェスター・メトロポリタン大学演劇学校それぞれで、2人1役で入れ子のように演じていきます。ですから、素の芝居として観れば、せいぜい40分に満たないのではないかと思われます。
 なぜこのような構成にしたのか?異国語でのやりとりを可能するため?それだけだったら、新国立の研究生だけでやっても良かったのではないかな。今一つ演出構成の意図がわからない。
舞台冒頭、研究生たちが各々の「怪物」の見立てをするのだけれど、ちょっと話が矮小化しすぎかな。

シンプルに観たかった、というのが正直な感想。

ネタバレBOX

の怪物を何に見立てるのか、作者の生きた時代を鑑みれば、戦後資本主義という見方をする意見は有力でしょう。拝金主義、ポピュリズム、などなど。
六人の令嬢

六人の令嬢

劇団フーダニット

タワーホール船堀 小ホール(東京都)

2019/08/02 (金) ~ 2019/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/08/04 (日) 12:00

洒落たブラックコメディー。同じ下宿に住む5人の老婦人と大家。下宿の前のアパートには、殺人課の刑事が住んでいる。下宿では、1人、2人と毒殺死体が見つかり、かの刑事が下宿を訪れるのだが、、、さて、犯人は?
毒は殺鼠剤、砒素毒によるものとわかるが、誰もが犯人となりえるし、老婦人たちが殺される動機が特定できない。
 実のところ、犯人探しはこの舞台の面目ではなく、この老婦人たちが引き起こすドタバタ劇、裏目裏目になる展開を楽しむ作品。
 劇団創設20周年、日本初演というおめでたい舞台。老婦人たちも可愛くて、華がある舞台は、休日の昼に楽しむにはとても心地よい。

 難を言えば、千秋楽直前の回、少し慣れが出てきたのか、ちょっと噛みが多いのが残念。前回「ミカンの部屋」では、そんなことがなかったので、どうしちゃったのでしょう。最終上演回は、しっかりやってもらえたことでしょうが。
 それと、令嬢役の数人が、老け役を演じる上で、顔に皴やほうれい線を書いていましたが、どうも不自然。ある意味、下町演劇的な味を意識したのかもしれませんが、その辺りは設定を変えても良かったのでは。30代40代の未婚女性でも、話の設定としてはおかしくはないので、もっと年齢相応のナチュラルな演技の方が、舞台としてはすっきり観れたような気がします。
 それと、女性言葉の「・・・だわ」という言い回しは、そろそろ控えませんか。古い新劇の海外戯曲みたいで、どうも違和感が、、、

さて、いつも美味しいお茶とお菓子ありがとうございます。
また20年は続けられるそうなので、楽しみにしております

ネタバレBOX

ラストの刑事の独白。殺人課から火災課に移ったと話した時、オチはすぐに判りましたが、それはそれでお約束。うまい締めでした。
『怪人二十面相』

『怪人二十面相』

サファリ・P

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/08/01 (木) 19:30

座席17列

この怪人二十面相、変装ではなく、変化するらしい。入れ替わりなのか、性別はどうなっているのか。「陰獣」の要素を取り入れながらの、明智と二十面相との対決は、ともすると「黒蜥蜴」を思わせる、一種倒錯した恋愛模様も描き出す。スクエアな舞台を縦横に使いながら、緩急を織り交ぜた活劇であり、対話劇。
 「財産没収」「悪童日記」と3作通し券、堪能させていただきました。

ネタバレBOX

ラスト、暗転から壁を登って見得を切る二十面相。「いよっぅ、サファリ屋!」と声をかけたいほどのカッコよさ。
血のつながり

血のつながり

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2019/07/28 (日) ~ 2019/08/04 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/08/01 (木) 14:00

座席1列17番

 もはや古典の域に入っている戯曲について、作品そのものの評価をしても致し方あるまい。とはいえ、観客としての素朴な疑問、素朴な感想(それも寡聞、思い込み、無知に起因するとしても)は出てくる。
例えば「血のつながり」という題名。これは誰と誰のつながりなのだろうか。
この作品で血縁があるのは、父アンドリューと2人の娘、エンマとリッヅィー。まあ、義母アビゲイルと弟ハリーも血縁があるけれど、こちらは事件の発生装置みたいなものだ。特に血縁に意味はない、と思う。
 さて、アンドリューへのリッヅィーの極端な愛憎の起伏、エンマとリッヅィーの心の深層に淀む背徳的な関係、これらは血縁があればこそで、事件が起きたのは彼らが血縁にあったから、そして血縁にあったが故にリッヅィーは無罪になった、と いう理解でよいのだろうか。
 
 勘違いしていたのは、はなからミステリーだと思って観劇したこと。謎解きではないし。とはいえ、サスペンスと言われても、別段、ハラハラドキドキもない。あっと驚くこともない。
 アフタートークを聞いて、ああ、これは19世紀末のアメリカ文化を描いた社会派劇なのだなと納得した次第。リッズィーと同性愛(?)関係にある女優が、10年前の惨殺事件をリッヅィー役として再現するとういう興趣。面白い。そしてリッヅィー自身は、一癖ある女中役として、10年前のリッヅィーに寄り添い、自身の行動を客観視しながら、サイレントパートナーごとく、共犯関係を築いていく。これも面白い。
 当時のアメリカ社会の意識を聞き、この物語が孕むマスコミを透過することで起こる事実の疎外化を論じられると、なるほどなるほど、と納得するのだけれど、、、、

 でも、演劇として面白いかと問われるとどうだろう。役者の皆さんはさすがと思わせる技量はあるし、そつもないし。(ネタバレ)

ネタバレBOX

「リッズィー、あなたが犯人なの?」「いいえ、私じゃないわ」と言われてもねえ。
夕食の前に

夕食の前に

劇団1980

下高井戸 HTS(東京都)

2019/07/13 (土) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/07/18 (木) 14:00

アフタートークがなければ、かなり感想が変わっていたかもしれません。

 舞台は母親と息子ナーセルの室内での2人芝居が基本となります。
そこに時間を司る(ラップ音で時間を巻き戻したり、時間を止めたりする)DJが関わってきますが、DJが演出上設定されたものなのか、そもそも脚本に登場する役なのか、不思議に思っておりましたら、ちゃんと脚本に登場しているとのこと。むしろ、ナーセルに殴られて退場となるDJを、演出家の小林さんが、後半登場場面を増やしたとのことです。
あるいは、かなり性描写や神を冒涜する描写が出てきますが、イスラム圏では許されないことから、作者のヤーセル・アブー=シャクラは執筆途中で国外逃亡を図り、現在もシラクに帰れない状況であること。
リーディング上演はあるが、演劇としては世界初演であること。
小林七緒さんが、演出に際してレバノン、イスラエル、パレスチナを回ったこと。
神原弘之さんが、在日シラク人と情報交換したこと。
などなど、私の疑問を解消し、印象をかなり変えるトークとなりました。

芝居の内容はかなりシュールです。
序盤は、ナーセルの部屋を片付ける母親、そこに帰ってくる息子の会話です。会話は夕食まで続きますが、夕食になるとDJによって時間がわずかながら巻き戻され、そこから別の展開に変化して、また夕食。このパターンが繰り返されます。こんな感じで芝居は続くのかな、と思っていると、母親の過去語りから、それを嘘だと断罪するナザール、虐殺とはないかについて語り始めるナザール、そしてナザールが書いた戯曲が上演され、最後には母と子の和解、しかし、、、という感じで続きます。
もちろん、芝居は終始、時間が時として止まり、巻き戻されます。

 ナーセルの脈絡のない膨大な台詞の渦、それに押し流される母親の不安定な心情と、反抗そして同調。これらの意味を捉えるのがとても難しい。リーディングによる言葉中心の舞台では、その抽象性にあまり違和感はないのでしょうが、実際に芝居や舞台装置が現前とすると、観客にとってはただただカオスにしか感じられません。

 果たして、これに耐えられるか否かが、評価の分かれ目です。なにせ、1つ1つの台詞の意味を咀嚼する余裕がないにもかかわらず、2人が置かれている現状、部屋の外で起きているであろうことが、それとなく判ってくるからです。(ネタバレ)

 かなりユニークな舞台を見せてもらったことに、間違いはありません。演劇を広く見ている方には一見の価値はあると思います。
また、観客を選ぶ舞台でもあります。

ネタバレBOX

 そして、舞台はひたすら日常からの逃走を続けながら、結局、2人は夕食という日常に帰ってきます。シリアで起きている現実の不条理を、劇として昇華した舞台と言えなくもありません。

 ただ、あのザーメン塗りたくりのシーンには抵抗感あったかな。

 

ジャスパー・ジョーンズ

ジャスパー・ジョーンズ

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2019/07/12 (金) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/07/17 (水) 19:00

座席G列8番

私は寡聞にして、アメリカを支持して、ベトナム戦争にオーストラリアが派兵していたことを知らなかった。ということは、アメリカに限らず帰還兵のPTSDは、アメリカの同盟国においても見られただろうから、憲法第9条を盾に派兵ができなかった日本の幸運を感ぜずにはいられない。

タイトルになっている「ジャスパー・ジョーンズ」は人名であり、登場人物ではあるが主人公ではない。主人公は、チャーリーという読書好きの、ひ弱な14歳の少年である。ジャスパー・ジョーンズは、白人とアポリジニ(オーストラリア原住民)との間に生まれた16歳の少年である。(だから、フライヤーに載っている爺さんではない。)

 ジャスパー・ジョーンズの存在は、直接的にも間接的にも、ここコリガンという田舎町で起きている様々な抑圧と差別、絶望と排他の象徴である。人種差別(原住民族やアジア人)、失業、児童虐待、いじめ、不倫、暴力、そして近親相姦。(遠くには。ベトナム戦争の影も見える)町で何か犯罪や事故が起きると、「ジャスパーがやったに違いない」と言われる存在である。
 ジャスパーは愛する少女ローラとこの田舎町を脱出しようと試みる。アメリカの戯曲によくある、閉鎖社会からの脱出、明日への希望を手に入れるための行動。(ネタバレ)

ネタバレBOX

ここまで書くと、かなり陰惨な話に思われるだろう。確かに少女ローラの死、その妹イライザの放火と話の導入と顛末は暗澹とするものだ。しかし、驚くくらいに、チャーリーやジャスパーを含む少年少女たちは、この逆境をポジティブに乗り越えてしまう。

 導入部での、ジャスパーがチャーリーを乗せて疾走する自転車、クリケットに一生懸命になっているジェフリー(チャ―リーの隣家に住むベトナム人の友人)、ラストの少年たちの明るい笑顔。そして、おそらく1人の友人を得たことからだろう、ジャスパーがチャーリーの部屋の窓の下に置いていく、感謝の食べ物。
 とにかく、明るい。気持ちが良いくらいに明るい。チャーリーだって、死体遺棄しているのに。この辺りの違和感をどう評価するのかが、きっと作品の評価も分けるのだろう。
 私は高く評価する。ローラの死が物語の中核ではあるが、それを無神経と言えるくらいに脇にやったり、スルーしたりしてしまう物語、少年少女たちのバイタリティに感動する。
 私はチャーリーが、ジャスパーが、ジェフリーが、イライザがとても好きだ。そして、苦悩を抱える脇役の大人たち、チャーリーの両親や、狂人ジャックにも、愛さえ感じる。
 日常なんて、こんな多調な空気感なのだから。

 フライヤーに載っている爺さんは、狂人ジャックと言われ、過去に人を殺したと噂される待ちの世捨て人。実はこの男はジャスパーの祖父であることが後半になって判る。彼は息子がアポリジニの娘と愛し合い、妊娠して結婚することを拒む存在であった。つまり、彼はある意味、ジャスパーを生み出した存在であると同時に、中絶をさせようとしたという意味で、ジャスパーの存在をなくそうとした存在でもある。また、全くの不慮ではあったが、ジャスパーの母親の命を亡くしたという意味で、息子を社会不適合者(アル中)に追いやり、ジャスパーの家庭・生活環境を決定づけた存在でもある。一方では、チャーリーやジェフリーの抑圧された状況を、ある芝居で開放してやる存在でもある。そして、推測だが現在のジャスパーの安寧を支えていることも推測される。
 つまり、ジャックは、抑圧を生み出し、開放を具現化するといった、双方の意味で、この芝居を体現する存在と言えるだろう。それが、フライヤーを飾った理由と思う。

 なお、他の方が述べているように、パンフに書かれてある、この作品が現代の日本の姿に重なるものとは思えないし、そうした視点で上演すべき作品とも思えない。全くの同感。
戯曲は、現代的な視点で上演するもよし、独自の解釈で上演するもよし、時代考証しながら上演するもよし、だが、何でもかんでも現代日本と結び付ける必要はないのでは。
芙蓉咲く路地のサーガ

芙蓉咲く路地のサーガ

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2019/07/10 (水) ~ 2019/07/22 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/07/16 (火) 19:00

座席B列3番

中上健次の自伝的な作品「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」を1つにまとめた舞台。
中上健次の生い立ちを調べると、主人公秋幸はまさに健次の立ち位置であり、名前こそ改変されているが、血縁関係はそのままといってよい。あくまで創作なのだが、実父の本名「留造」が作品では「龍造」と読みは同じで文字だけ変えられているところなどは、かなり人物像が酷似しているのかもしれない。異父兄の自殺などはそのままだ。

さて、私は小説未読なので、かなり的外れなことを書くかもしれない。
どうも、この舞台、話の据わりが悪い気がしてならない。かなり散漫な感じがする。
タイトルにある「芙蓉咲く」の芙蓉の意味が解らないし、「路地」という土地への主人公の執着も、やっと後半にならないと感じられない。ここで「サーガ」というのは、連作をまとめあげた長編ドラマといった意味なのだろうけれど。

この原作3つは、確かに話としては時系列に繋がっているのだけれど、おそらくそれぞれの作品で描かれるテーマと表現方法が異なるのだと思う。それを1つに繋げたことにより、各テーマが薄まり、ただただ秋幸が苦悩する話になってしまい、タイトルのような話にならなかったのだと思う。
おそらく、①複雑な血縁関係への秋幸の懊悩②龍造という人物と彼への秋幸の憎悪③路地を起源とした秋幸の存在証明 というように3作は作られていたのでは、と思う。
例えば、映画「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPart2」は連作だけれど、それを1つにまとめられないのと同じ。テーマも違うし、表現方法も違う。あくまで、別作品として個々に観て、はじめて「サーガ」である。
むしろ、この夏舞台に持ってこずに、スズナリなどで、3部公演で、じっくり描いたらよかったのではないかな。
つまらないわけではない(役者さん各自の力量でしっかり芝居は魅せている)が、これといってやられた感、なるほど感もない。

外部の役者さんについて

山本亨さん、相変わらず複雑で、心のうちに何を持っているのか判らない役柄はうまいなあ。
驚くくらいに天真爛漫で鷹揚(ある意味、薄情)な一方、貪欲な野心と殺める凶器を懐に隠すようなアンビバレントな表現、いつもながら感心します。

天動虫のジョニーさん。けして出番は多くないですが、インパクトは女優陣の中で1,2.
アラサーになって、ついに娼婦や妊婦の役をやるようになったのですね。天動虫では、同じ役柄でも、どうしてもコメディ寄りになりますから、外部出演は大事です。とはいえ、16歳の役をやっても、それなりに見えてしまうのが恐ろしい。

シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2019/05/27 (月) ~ 2019/07/16 (火)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/07/15 (月) 17:00

いわく「反復横跳び芝居」
舞台前列の金属棚は何だったのだろうか。ツイッターの写真を見ると、役者全員がこの棚の上に座っている写真があるが、実際の舞台ではこのようなシーンはない。安倍総子が大半座ってはいるが、他の役者さんたちは、馬となってこの棚に臨みかかる(登ろうとして、登れない?)だけである。

ひたすら広いシベリアの平原を、ただただサハリン目指して駆け抜ける馬たち。死をも賭してチェーホフは何を求めたのだろう。

三人姉妹

三人姉妹

地点

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2019/07/04 (木) ~ 2019/07/11 (木)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/07/11 (木) 15:00

一言で言うと「膝パット芝居」(笑)役者の皆さんの膝に目が行く。あれだけ、這いつくばったり、倒れこんだりすれば、膝が擦り切れるだけではなく、膝傷めないかな。

「三人姉妹」を葛藤あるいは格闘として表現しきった作品。
始めは何のこっちゃと、「三人姉妹」のストーリーがぶっ飛んでしまう。何とも騒々しい動きと煩雑なセリフ回し、ところどころにみられるしつこい反復表現。
しかし、それでも登場人物たちのもがき続ける姿が、次第に浮き彫りになっていき、最後にはしっかりと「三人姉妹」を観た気になってしまうのだからしょうがない。

劇場では、地点人気の大きさを感じた。私は生で観るのが初めて。(「山々」をビデオで観た)
こういう舞台が好きかと言われると?なのだけれど、これが私たちの解釈した「三人姉妹」ですよ、と提示されてしまうと、そうですかと納得し、忌避する気にもなれない。不思議な舞台だった。もう一度観たいですかと言われると、今度はうーんともなるのだけれど。
けして、薦められる作品とは言えないけれど、作品の意義はそれとなく感じ入った。

あの白い粉は小麦粉?そして、上手下手の床に描かれたローマ数字の意味は?

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/07/05 (金) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/07/06 (土) 14:00

演劇関係者の観客が多い。上演日数も限られているので、この密度になるのでしょうね。ヤン・ペシェック氏は大御所ということなので。

皆さん、称賛の嵐なのですが、私はこうした一人芝居はちょっとなあ。
かなり緻密に芝居が計算されていることは、よーく判るのですが、それでも、どうしても取っ散らかっている感が否めない。ピンポン玉に、水、偶発性の産物。歌舞伎などだと、活劇の中で偶発性がダイナミズムを生むのだけれど、一人芝居となると、どうもちまちま感が。

ネタバレBOX

スタニスラフスキー・システムを否定していたのは(一部、共感するところもあると但し書きながら)、さすが御大ならではのご意見。舞台を拝見するだに、確かにそうだろうなあ、と思った次第。
骨と十字架

骨と十字架

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/07/06 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/07/07 (日) 14:00

座席1階C!列

 この「骨と十字架」も、全くの予備知識なしで拝見。何の話かも知らずに拝見すると、神父らしい装束で、皆出てきて、どうやらバチカンの話らしい。では、いつの話かしらんと思っていると、どうやら創世記の話と進化の話が出てきて、19世紀以降の話だよね、と思っていると、北京原人の話が出てきて、登場人物を「シャルダン」と呼んでいて、えーっ、ティヤールド・シャルダンの話かい、と気づいた。そうだバチカンが進化論を認めたのって、極々最近だということに思い至った。
 話の体裁が、何とも中世的な感じがしたのだけれど、確かシャルダンって、現代史の人だよなあ、こんな議論がまだ半世紀ちょっと前にもあったんだ、とすごい隔世感。

 内容は信仰と科学、そしてシャルダンへの敬愛と同情を感じながら、自らの信念に忠実にあろうという人々の物語。なかなかのハードボイルドなストレイトプレイ。
プレビューという位置づけで、アンケートなどを手掛かりに、3日間のインターバルで直しを入れての本番となるそうですが、これ何直すんだ?というくらいの緩急挟んだ、しっかりとした出来。演出の小川さんが前説で、アンケートの協力を切にお願いしていましたが、
役者の巧拙も含めて、何を注文すればよいんだ?好奇心から、アンケートを拝見したいくらい。

神農直隆、伊達暁、佐藤祐基、3氏のエッジの効いたセリフ回しに、小林隆、近藤芳正両氏の穏やかかつ強いセリフ回しが絡んで、各役の懊悩の物語をすんなりと聞かせてくれる。そして、各人の階上、舞台内での立ち位置が、それぞれの心情をうまく表現していて素晴らしい。動揺、不安、懐疑、決意等々を、セリフなしで感じさせてくれる。
好みもあるとは思うけれど、小川さんの新国立劇場演劇部門芸術監督就任後の最高傑作ではないか。

メディアマシーン

メディアマシーン

劇団 風蝕異人街

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/06/28 (金) ~ 2019/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/28 (金) 19:30

宗方駿さんに聞いたのですが、岸田理生さんはハナ・ミューラーに心酔しており、ミューラーの研究家でもあったそうです。そして、ミューラーは「メディアマテリアル」という作品を書き、それを発展的に作り直したのが、今回の「メディアマシーン」とのこと。言うまでもなく「ハムレットマシーン」にちなんで付けた題名です。

岸田理生の詩編を通じて、王女メディアを時間的な制約から解放し、舞踏を通じて異化するという作業は、とても興味深く拝見しました。舞踏のことはよく判らないので、巧拙を語れないのですが、あの単調なリズムの中で身体を研ぎ澄ましていく作業は、「ハムレットマシーン」を触媒とした作品としては、演じることの意味を無化しているという点で成功しているのではないかと。1時間の舞台は中々濃厚でした。

イアソン役の川口巧海‏ さん、舞踏のタクトとしてはよく機能していたと思います。
本業の美術も頑張ってください。

公演後の水妖忌、宗方さん、こしばさん、URARAさん、いろいろお話ありがとうございました。

あとは「吸血伝説」残すのみ。

闇にさらわれて

闇にさらわれて

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2019/06/23 (日) ~ 2019/07/03 (水)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/07/01 (月) 18:30

座席18列19番

民藝って、やはり文学座や俳優座とは違うんだなあ、と改めて思った。民藝の舞台は、日本人作家の作品しか観たことがないので、何とも土着的な作品の風情がそう感じさせると思ったけれど、海外作家でも同じような舞台演出になるのだなあ、と。

舞台を部分部分で切り取り、登場人物を明暗で切り取りながら場面展開をしていく。一定面積の舞台を、小道具を入れ替えながら、執務室、収容所、街路、居間、ホテルと展開していく。なので、役者の可動範囲は、中央を使う時以外は、かなり狭い。それでも中央以外に、場面を作るスペースを作る都合で、中央もけして広いわけではない。紀伊國屋サザンシアターとなれば、推して知るべし。しかし、ある種の芝居には、この空間の作りがとても良く合う。今回の作品もそうだと思う。劇的な事件や変化が起きない、淡々とした芝居。役者が内面からセリフと所作で、語り演じる芝居。その空気感がとても心地よい。

舞台では、過去にあったナチス突撃隊の犯罪行為をハンス・リッテンが、ヒトラーに断罪するという法廷場面が、ある意味一番の見せ場。ここは、ラストの回顧場面として、神敏将演じるハンスによる一人芝居(ヒトラーは声だけ)で演じ切られ、そこまでの鬱屈とした物語進行にカタルシスをもたらす。
しかし、一方で、そこに至るまでにそれぞれにスポットが当たる、場面場面でのストレートプレイの連続がこの舞台の見せ場だろう。収容所内でのハンス、オシエツキ―、ミューレンの会話や寸劇、リッテン夫妻の会話、リッテン夫妻とアレン卿のやりとり、ハンスとグスタフの親交、ゲシュタポの暴力風景、そして最後近くにやっと叶ったイルムガルトとハンスの体面。これらの繋ぎ合わせが、物語を先の法廷場面に収斂させていく。

その中でも、イルムガルトとコンラート博士とのやりとりが全編を通じて秀逸。双方に行きかう軽蔑と嘲り、弛まない信念、それとない比喩と嫌味、ともすればギクシャクする対話が両者の心の揺れと戸惑いを表し、次第に心の交流が生まれる。私服になったコンラート博士は、イルムガルトの心境に同情も寄せるし、慈愛すら感じさせる。
とはいえ、そこが甘くはないのが海外戯曲。制服に戻ったコンラート博士と対峙するイルムガルト、双方の目的達成に妥協はない。獄中の突撃隊兵士開放のために、ハンスから証言者情報を得ようとするコンラート、息子の開放のみを求めるイルムガルト。そして、その唯一の解決案を、母親の教えと自らの矜持、信念のために拒否するハンス。

結末は悲劇的だが、そこには昇華されていくハンスの魂があったような気がしてならない。

日色ともゑさんの声よく通るなあ。

Paranoia Papers 〜偏執狂短編集ⅣΣ〜

Paranoia Papers 〜偏執狂短編集ⅣΣ〜

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

サンモールスタジオ(東京都)

2019/06/18 (火) ~ 2019/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/27 (木) 14:00

座席1列

聴の章」「橡の章」ぶっ通し上演を観劇。アフターイベントと休憩を含みの8時間。
会場は満員。開演1時間前までは、通路の邪魔になるからという理由で入口に並ばないようにお触れが出ていたけれど、ぴったり1時間目に着いた時には、すでに20人くらいの列が劇場脇に整理されてできていた。

「偏執狂短編集 第4.5回公演としたのは、第4回公演でミソがついて2公演上演できなかったことに対する劇団なりの意趣返しのような意味があるのだろう。
その分、今回の舞台のはじけっぷりは凄まじかった。そして8時間飽きない。(ただし、当然ながら少しお尻が痛い)

「千年狐狸精蘇妲己凌遅演義」
前回から上演延期になった、いわくつきの作品。古代中国の拷問、処刑の暗澹たる風景を、これでもかというエロ、グロと、ひきつるようなユーモアで描く。何しろ満員の劇場で、中盤にかかったところ、熱気で空調が良く効かなくなり、人肉食の場面では、ちょっと気分が悪くなった。(まあ、自己責任。でもやたらと脂汗が出たのにはまいったな)
大森さつきさんと鈴木大二郎さんの、はじけっぷりが凄い。

「魔女狩り処刑人PL」
ペンチでの爪剥ぎ、頭蓋骨粉砕機、苦悩の梨、振り子、のんだくれのマント、審問椅子、腸巻き取り機、スペイン式くすぐり器、貞操帯等々とにかく、これでもかという拷問の数々。
まさに、よくも作り上げたと思われる魔女狩りの地獄絵図。こちらは、人肉食や人体懐胎などあまりない分、色とりどりの絵巻物。視覚に強く訴えかける。
ところどころ、レベッカ役の川添美和さんのとぼけたような芝居に、笑いを誘われる。結果として妹や使用人を殺され、その挙句にPLからの質問に対して、彼女が最後に口にする一言が、さらなる悲劇を予見させて幕。ただ、審問官にも女性がいるのだけれど、彼女は対象外なのか?
PLことピエール役の山本恵太郎さんが、無慈悲な審問官として執拗な執念で異端者を作り上げていく様は、毎度の短編集での彼の見せ場ともいえる好演。

「向う側の世界―Missa―」「こちら側の世界―Sabbath―」
前者は、見てはいけないものに興味を持った男と、その好奇心を押し留めようとする女の物語。後者はストーリーがない、となっている。澁澤龍彦氏いわく、サバトの儀式は妄想とされるからかな。しかし、登場人物の構成から前者の続きと見えなくもない。
「こちら側の世界―Sabbath―」に出てくるピエールは、「魔女狩り処刑人PL」の審問官ピエールを想像させもし(両方とも、山本恵太郎さんが演じている)、彼が常軌の世界から足を踏み外す発端となるのは、このサバトの宴を目撃することに由来するともとれなくもない。

「アーサーシャウクロスは戦いたい」
出ました、アーサーシャウクロスです。すでに何度か同劇団では取り上げられている人物である。今回は幼少期の生活と、ベトナム戦争での生活をリンクさせながら、彼の精神構造を探る舞台となっている。
現在のアーサーを山口晃洋さんが演じ、子供時代のアーサーを酒井奈々夏さんが演じる。この子供時代の存在が、彼の嗜好・思考を理解させるために重要な要因となり、アーサーの人物像に厚みを加えている。性的虐待を受けるアーサー、母親に捨てられるアーサー、強くなりたいと必死に願うアーサー、自らが女性として成人時のア―サーに犯されるアーサー、そしてベトナム戦争犯罪の集会の隅にいる少年時のアーサ―。
彼は、ベトナムからの帰還後も、べトコンとの戦いを続ける。米兵相手の娼婦に扮したベトコンがいるという妄想から、娼婦を犯し殺し続けます。そして、アーサーが敬愛するカリ―中尉の一言に打ちのめされ、絶望の淵に落とされる。(ネタバレ)

「悪徳の栄え」
(ネタバレ)

ちなみに一昨日は、リオ・フェスで昭和精吾事務所の「水鏡譚」を観劇。身体と声で張り詰めるシンプルな舞台。通底するような淫猥さや漆黒な闇があるのだけれど、「偏執狂短編集」は、とにかく小道具の嵐。まあ、次から次へといろんなものが出てくる。生首、内臓、切り取られた腕や足、乳房から、先の拷問器具まで。ベテランの山本恵太郎さんらが仕切っているらしいのだけれど、舞台裏はどんな感じになっているのだろう。小道具を作るのも大変だけれど、整然と管理するのも大変。

それと女優の皆さん、結構露出が多いのだけれども、膝やお尻、太腿などに痣や擦り傷のようなものが見られた方が多いような気がしました。稽古が過酷?大変そうなのは推測できますが、千秋楽後は体を労わってあげてください。

さて、また第5回が楽しみだな。

ネタバレBOX

カリ―中尉の一言「そんなものは戦いではない」

「悪徳の栄え」
まず。開演早々から、期待させる。何やら秘密の宴で、次々と人が拷問されるという。そして、どのような拷問がなされるのか、創意工夫に満ち溢れたものらしい。「魔女狩り処刑人PL」とどのような対比を見せてくれるのか、楽しみ。
しかし、出てくるのは人体解体、串刺し・刺殺、延々と繰り返される銃殺、なーんともはや、どこが創意工夫か?
話としては、最初に殺されることが決まっていた支那人の女中が、結局あれこれあって最後まで生き残るというブラックユーモアかと、途中まで思っていた。でも、描きたかったのは、春名風花さんが覚醒する反道徳、悪徳の快楽だったのだね。でも、刺激足りないかな。(山本さんの血の吹き出し、と濡れた春名さんくらいで)
水鏡譚

水鏡譚

昭和精吾事務所

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/06/25 (火) ~ 2019/06/27 (木)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/25 (火) 19:30

座席1列

上演時間は1時間45分(休憩なし)予定とされていますが、公開ゲネプロの際には1時間30分(休憩10分)との話でした。実際は2時間5分(休憩10分含)でした。その後、もう少しコンパクトになったのかしら。開演が押したので、終演は21:45くらいになったいました。

ゲネ後のオープニングパーティは、10:15までとのことで、実質20分くらいだったのではないかな。
参加したかったけれど、何分千葉県民としては、翌日のことを考えると10:00には出たいところ。19:00開始か、予定通りの上演時間だったら参加したのだけれど、残念。
特に、こもだまりさんと話したかったなあ。

さて、この作品、「李庚順」「糸地獄」と「草迷宮」という作品、そして幾つかの詩編からできています。「李庚順」や詩編を読むイッキ氏の声量、迫力は圧巻。まさに、自身の肉体と声こそが舞台装置と言わんばかりの存在感。

何分、裏営業と自負するほど、ちょっとした手違いが見られたものの、まあゲネプロと言い切っているので、仕方ないか。
でも、全体として十分魅せていただきました。

J・A・シーザーさんの楽曲、西邑卓哲さんの演奏もよい。
そうか、月蝕歌劇団との相性もよいわけだ。久しぶりに(映像だけれど)拝見する
白川沙夜さんはやはりチャイナドレス。うんうん満足。岬 花音菜さんも元気そうだし。

ゼンさんと久津佳奈さん、共にたいそうな男前。

「まっすぐ坂を下りませ」昨年のプロジェクトRの「野外劇 糸地獄」が思い出されるなあ。のぐち和美さんの声は、どう聴いてものぐち和美さんだし。

ひと時の瞑想を迷走を明装を味わいました。
いと旨し。

雪女

雪女

URARA

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/06/24 (月) ~ 2019/06/24 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/24 (月) 20:00

座席1階2列

昨年のリオ・フェスでも、URARAさんの「雪女」を拝見したけれど、村上裕さんとの音楽劇の様相が、今回は本当の意味での一人芝居。こんな話だったっけ、というくらいに、舞台の感じが変わっている。

話としては、小泉八雲の『怪談』「雪女」がメインだがそれに限らず、「雪女房」「雪女郎」幾つかの伝承を織り交ぜた構成。これらの話を、宿に泊まった学生に、宿の女将が夜通し話してあげるという設定。
翌朝、学生に女将は、昨晩の話は作り話ではない旨を釘をさす。学生は雪女に去られた巳之吉や、その子供たち(『怪談』では10人だったのが、3人になっている。確か小林正樹氏の映画でも、子供は2,3人だったと思う)がその後どうなったのかを尋ねるが、女将ははるか昔の話で判らない、という話。

1人芝居は、1時間くらいがちょうどよい。起承転結がほどよい。

ネタバレBOX

しかし、巳之吉は再度口封じをされているのだし、子供たちは母親が雪女であることを知らない。
だとすれば、その雪女の話はどうして漏れ聞こえてきたのだろうか。女将が実際あった話とする確信はどこからきているのだろうか。女将が実は、、、、

画像を使った演出がユーモラス。けして舞台を大きく使うのではないが、むしろURARAさんの所作に漂う可笑しみと悲しみが、ちょうどよいスペースで醸し出されていた。
THE NUMBER

THE NUMBER

演劇企画集団THE・ガジラ

ワーサルシアター(東京都)

2019/06/18 (火) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/06/20 (木) 14:00

座席1階1列

まずは、田村真帆さんを称賛したい。
2時間20分の舞台に出ずっぱりだけではなく、何と開場後、開演までの30分、舞台上で目隠しされ、鎖で拘束されているのだ。およそ3時間自らを晒し続けるというのは、並大抵の精神力ではないだろう。そして、多くの時間をあの怪優(失礼)千葉哲也氏を相手にするのだから。フライヤーを見ると、外見が何となくほんわかとした感じなのだけれど、肝っ玉座っているんですね。ちょっと噛みがあったけれど、今後に期待。

この舞台、田村さん演ずるD503が上記のように拘束された状況から始まり、ラスト前にこの状況になぜ至ったかが判る回想形式で進行する。彼女が記した手記がストーリーとなっている。
D503は科学局に属するエンジニアで、宇宙(つまり世界そのもの)の有限を疑わない存在である。しかし、I330(千葉哲也氏)と出会うことで、その意識に変化が芽生え、自身がプログラミングする宇宙船インテグラル号にある仕掛けをして、、、、と話が進む。
彼女らのいる世界は、200年の世界戦争後、極少数残った人類が統一国家を作り上げて、1000年の長きにわたって幸福な国家を構築することに腐心してきた。わずか1000人の国家。ホルモンの調整で不老となり、死はあるが妊娠出産はなく、減員は体外での受精育成がなされる。生活の総ては、管理下に置かれ、人工知能による最善の判断指示によって、日々の生活指示がなされている。
 
 この舞台世界における価値観の対立は、自由か幸福か。この単一国家、緑の壁に囲われており、その外には古代人として自然と暮らす人類が生息している。古代人は自由だ。しかし幸福を望む国家の人々は、絶対的な規律と優性思想の元に生活すること望む。
「最高の愛は、無慈悲だ」ブレることなく、逸脱することなく生きることが幸福だと。

I330は、原作では女性とのこと。これを男性にし、D503と関係させることで、優性思想ひいてはSEXが際立たせられている。D503しかりI330しかり、登場人物たちは、管理統制下でも、統一された衣服を脱ぎ捨てる時(主に性交渉時)に、うつろな自我を垣間見せる。田丸さんのスタイルのよさと、千葉氏のウォッカ(テキーラだっけ?)を飲みながら口で服のチャックを開ける仕草、結構エロチックです。

統制の取れた、いかにもなデストピア世界。それを意外にも、ホント生臭く見せてくれたことには感心しきり。
さすがガジラという舞台。

ネタバレBOX

ラストシーンで、D503がI330を断罪しながらも、ブレることに共感を得る2人。ホントに通じ合っていたのかな。

1つ指摘を、
原作をザミャーチンが書いたのは1920年代。当時では仕方なかっただろうが、現在の芝居として、脚色して見せるのであれば、「紙」の存在はちょっと疑問。
手帖、手紙、新聞、張り紙等々、紙媒体は筆談や情報の蓄積隠匿を可能にするので、今の感覚だと、紙の廃止、電子機器による文書のやりとりが絶対的な管理体制では必須ではないかな。電子機器であればいつでも検閲・削除が中央でも可能だろうし。「華氏451度」というお手本があるのだから。(こちらは衆愚化のための焚書だったけれど)
機械と音楽

機械と音楽

serial number(風琴工房改め)

吉祥寺シアター(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/18 (火)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/17 (月) 14:00

座席1階B列

 「機械と音楽」という題名
説明を読むと「生活の機械化(共産主義化)」と書いてあり、これが題名の由来なのかな。
ただ、「機械」とは、言うまでもなくル・コルビュジェが提唱した「住宅」の意だと解していた。この舞台でも、彼の名が出てくるし、建築のモダニズムにおける比喩としては当然だと思ったし。ただ、「音楽」とは何だったのだろう。イワンが、図面を引く時に音楽が聞こえる、というようなセリフを言うのだが、そこに意味があるのかな。音楽の持つリズム、メロディー、ハーモニー、彼の理想を奏でる設計図といったような。パンフレットを読んで解題を試みようとしたけれど、、、、

この作品を観る大きな動機となったのは、ロシア・アバンギャルド、特に美術部門に関心がったので。(隆盛期のポスターデザインは幾何学的な構成とコラージュが斬新)
3度目の公演だという。この時期でも斬新だけれども、2005年でも斬新だ。(かなり改訂がなされたみたいだけれど)

この舞台で成功しているな、あるいは凄いなと感じた点が2つ。
1.ロシア革命期の高揚と、その後のスターリン体制での後退あるいは幻滅が空気として見事に表現されていたこと。
2.建築家あるいは建築というものを、舞台上に再現するのではなく、図面の存在とセリフ 
  を通じて表現できていること。

1については、イワンとオルガのシーンの数回の挿入や、イワンが自身の描く集合住宅についてニーナに説明するシーンなどと、ヴェスニンとギンスブルグの葛藤や、ブリークの登場シーンなどとの対比で、時系列を交錯させながら描いている。

2については、建築物を残せなかったレオニドフであるからこそ、図面(補足的に模型も含め)を舞台装置の中心に置き、それについてセリフを交わすということで建築家とは、建設とは、を描き切ることに成功している。(欲を言えば、うまくいくかどうかは?として、現存するメーリニコフやギンスブルグらの建造物を、最近はやりのスクリーンで見せてくれると、より理解は深まったかもしれない。「構成主義」という言葉自体がわかりづらいので)

登場人物たちは、理想と政治体制、創造と抑圧、愛情と理念の間でひたすら葛藤しており、
舞台の空気は終始重い。スターン体制の元で押しつぶされていく何とも救いのない話だが、ヴェスニンとギンスブルグの沈黙、ニコライの明るさ、ブリークの悔恨が声なき抵抗に思えて辛くもあり救いにもなっている。

ただ、レオニドフとは友達になれそうにはないなあ。ニーナの気持ち、ニコライの気持ち、ギンスブルグの気持ち、解らないのかな。あまりにも子供過ぎないか。周り傷つけていないか。

詩森さんは、2019年だからこそ、この舞台を理解してもらえるのではないか、とパンフに書いているけれど、私にはおれを切り離しても十分面白かった。

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