丘田ミイ子の観てきた!クチコミ一覧

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寂しさにまつわる宴会

寂しさにまつわる宴会

上田久美子

蒲田温泉 2階 宴会場(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/02/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

寂しいからなのかな、とふと思う。私がなんでも多めにしてしまうのは、寂しいからなのかなと思う。
買わなくていい量の日用品を買う時。
作らなくていい量の料理をつくる時。
どんな文章もつい長くなってしまう時。
演劇を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、お酒を飲むのも、銭湯に行くのも、セックスをするのも、結婚や妊娠や出産ですら、そして文章を書くのだって、私が好んでやっていることは全部全部、本当は寂しいからなんじゃないかな、と思うことが結構、というか、いつもあって。だけど、その生活や仕事や芸術や性交のどれをしたって結局全く寂しくない気持ちにはならなくて。
そのとき、私にとって「寂しさ」という穴は終わりのある窪みではなく、どこか果てしない場所に繋がっている四次元ポケットみたいなもののように思うのだけれど、この演劇によって一瞬そんな宇宙のような場所で何かに繋がった気がした。

projectumï『寂しさにまつわる宴会』
私はこれをわりと覚悟して、そして必ずという強い気持ちで観にいった。

この演劇を観ている間もやっぱり私は寂しかったのだけれど、少しだけ、わずか一瞬だったけど全く寂しくない瞬間があって、そのときに、そのときにこそ私の身体は涙を流した。それは果てしのない場所から届くサインみたいだった。お人形遊びをしている子どもとお人形のように、私という人間を上から見て、操っている何かがいて、その何かと目が合ったような、あるいはその何かと決別するみたいな。たとえるならそんな感覚で。

それは、理屈じゃどうこう説明できないもので、でもたまに日常生活でもある。
その人にしか言えない言葉を伝えたり、伝えられたとき。
その人にしか見せられない姿になったり、なられたりするとき。
そして、その人としか見られない景色を二人だけで見たような気がするとき。
それは手紙のような文章を書いているときや、自らの意思で熱望したセックスをしているとき、真夜中の散歩で朝や昼とは全く違う顔をした駅や店や公園に辿り着くときとも言えるのかもしれないけれど、解像度を上げるとそうじゃなくて「触れられたところのない場所に触れ、触れられる」ということなんだとなんとなく思う。

これまで宝塚という大きな舞台を手がける中で、いわゆる「推し活」についても、もっと言うならばこの国の産業としてのスターシステム、資本主義としての芸術、そしてそこに生じる諸問題を間近で見てきた上田久美子さんがその側面(それもどちらかというとネガティブな)を描く、という点において様々な感想が寄せられていることもなんとなく知っていたし、ストーリーにおいてなされるあらゆる視点からの議論についても理解はできた。
でも、正直なところ、私にとっては、そういったストーリーやその設えよりも、この演劇のそこかしこに隙間なく配合される「寂しさ」が胸に迫った。
(続きはネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

『寂しさにまつわる宴会』は、大衆演劇を舞台に、その俳優とその俳優の推し活をする観客の、言葉を選ばずにいうならば、売れない俳優とそのヤバいファンを巡る物語だった。
工場勤務から帰宅しては夜毎ゲームの課金によってお金と時間を溶かしていたある一人の人間が、ひょんなことから大衆演劇の劇場に辿り着き、数回目の観劇で自身の存在に気づき声をかけてくれた俳優、ほとんどセリフの持たないその俳優に熱をあげていく、という話だった。そして、その熱の出力は日に日に暴走し、周囲のファンや劇団にとっては迷惑客として出禁となり、それによって俳優もまた劇団を追われることになる、という話だった。

劇団を出禁になったファンと劇団を追放された俳優。一見決して交わらなさそうな二人の人間が、歪んだ執着と無気力によって奇妙な共存関係を築き、その行き場のなさからやはり奇妙な同居生活を始め、やがて家をも無くし、路上生活者となる。そうして、灼熱の太陽の下で互いを刺し合い、文字通り体ごとアスファルトに溶けるように一つになる、姿や形、内臓すらもどちらがどちらなのか分からなくなるように一体化していく、といったラストは圧巻だった。
何が圧巻って、やっぱり俳優が体現する、いや再現する「寂しさ」が圧巻だった。
一人で生まれて、一人で死んでいくしかない人間の孤独、その穴は結局埋めようのないものなのだという真理と、しかし一瞬でも他者と一体になれたと思うこと、それを希求してしまうことによって、やはり一瞬、その穴は果てしのない場所に繋がる。たとえ思い上がりでも、傲慢でも繋がったような気がする、してしまうという体感。それが殺人(やあるいはそのような行為)であることはもちろん倫理的に良いわけが断じてないのだけど、そういった狂気のような寂しさを抱えている人間の姿に私は恐ろしくもたしかに共感をしてしまったのだと思う。
もう少し踏み込んで言うと、それが私の場合は、(この物語における)推し活や殺人(やあるいはそのような行為)でないだけなのではないかと思った。
買わなくていい量の日用品を買う時、
作らなくていい量の料理をつくる時、
どんな文章もつい長くなってしまう時、
人と一緒に大きなお風呂に入る時、異常な頻度で芸術を見たり、お酒を飲んだり、セックスをしたり、結婚や妊娠や出産ですら、そして文章を書くのだって、私が好んでやっていることの全部と根本的には変わらないのではないかと思った。

ちなみに、この「宴会」は「余興」と定義されていて、「物語をぶっ通しで上演する」という形をとっておらず、合間に上田さんによる語りや、観客参加型のアンケートなどがとられる形式になっていた。
その中で、「会場の寂しさ指数を測定する」という試みがあった。それは、観客がどのくらい「寂しさ」を感じているのかを音で測る、というもので、寂しさを感じない、時々感じる、いつも感じる、無回答の4つから自身の自認に合うものの時にひとつ手を叩く、というものだった。
プライバシー保護の観点から観客は目を閉じてそれを行うのだけど、私の観劇した回で私が感じる限り「寂しさをいつも感じる」という項目で手を叩いた人間は一人だった。一人分の音だった。
重なる音を感知しなかったのが私の勘違いでなければ、それは私一人だった。
宴会場にパチン、と響いたその音を私は他のどれよりも大きな音に感じて、とても寂しかった。
そして、自分の中にある「寂しさ」がはじめて具現化された瞬間であるようにも感じた。
目的に沿って綺麗に整えられた劇場ではなく、生活とあまりに密接な銭湯、その宴会場という雑多な場所であるからこそその体感は余計に生々しいものに思えた。

私にはこの作品を良いとか悪いとか、よくできているとかそうじゃないとか、そういうことでは語れない。だけど、こういう言い方がふさわしいかは分からないけど、芥川賞の候補作や受賞作のような純文学を読み終えたような感触がいつまでも残った。(念のためですが、芥川賞という「権威」に準えたくてそう例えたのではなく、私は毎年その候補作を全て読むという楽しみを恒例としており、あくまで芸術における「好み」という点で私の中で同じ引き出しに入った、という意味です)

私にとって、この作品は見たことのない演劇であると同時に、文学でもあった。
演劇においては、舞台上で見たその風景を記憶をたぐり寄せ反芻することができるけれど、文学においてはそれを自分の想像で補ったり、彩っていく。そのことによって、特定の風景だけではない、いくつも風景が身体の中で発生し、熱さられ、やがて揮発し、私の身体を循環する空気になる。そういう感触があった。だから、到底忘れられるはずがないというか、取り込んでしまったという感覚が最も近かった。
そして、大きなショックとともにそのことを喜ぶ心身があった。
それはまるで、灼熱の太陽の下で、誰かと一つになれたように。

私が涙したのは、三河家諒さんが『愛燦燦』を、「人は哀しい、哀しいものですね」と歌ったとき。竹中香子さんが「怒り」に変換された底知れぬ「寂しさ」を全身にまとって、そこに立っていたとき。そして、上田久美子さんが自身の言葉と語りで「寂しさ」を開示された(ように感じた)ときだった。
そのとき少しだけ私の中を循環する計り知れない「寂しさ」が救われた気がした。
宇宙のような果てしのない場所で一瞬何かに繋がった気がした。
触れられたところのない場所に触れ、触れられた気がした。
そして、その後もやっぱり私は猛烈に寂しかった。温泉とお酒と焼きそばの、自分の好きな匂いが混ざり合う宴会場で、愛する演劇を観て、とても寂しかった。
人は哀しいもので、かよわいもので、かわいいもので、人生は不思議なもので、嬉しいもので、私はやっぱり独りなのだなと、そう思った。
今日も今日とてまた文章は長くなった。
私は今も寂しいのだと、心からそう思う。
Under the North Stream

Under the North Stream

ターリーズ

OFF OFFシアター(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

10歳娘と観劇。
世田谷区北沢が下北沢と上北沢に分裂したのち、上北沢が"神北沢"に改称し東京全体を支配する...というめちゃくちゃくだらない物語(最高ですよね)なのですが、"シモキタ"という文化の喪失と戦う若者たちを等身大で力演する俳優陣の姿に思わずグッときてしまう。それはやはり≒演劇であるし、また、花まる、北とぴあ、そして重要な場面で叫ばれる「インディペンデントシアター!(※from大阪)」と多出するワードに通底する王子への愛着も演劇を愛する者には殊更グッと響く。

演劇やライブなどのパフォーマンス活動がエネルギーの無駄遣いとして規制され、破った者には厳罰が下る、という設定も一見破茶滅茶なコメディ展開に見えるけど、震災時などには実際に挙がった声でもあるので、その実切実なテーマであったりもする。
表現や創作などの文化活動が国や世界、そして人々やその暮らしにとってどういうものであるのかというクエスチョンは普遍的かつ表現を生業にする以上必要不可欠な問いかけであるし、それが若手カンパニーによってめいいっぱいくだらなくパッケージされた喜劇世界の中で叫ばれる、というのはやはり胸を打つものがありました。
そして、観終わって初めて気づいたのだけど、タイトルもUnder=下 North=北!!!

(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

ピンチ時に少し遅れてしかし必ず現れる生き残りのパフォーマーがfrom高円寺というのも高円寺ラバーとしてはニクい展開。下北も王子も高円寺もどれもが等しく重要な文化の発生源であり居場所であること。そういう土地に向けて綴ったラブレターの様な95分でした。自ら観に行きたいと申し出た娘もナイス!
トップ・ガールズ

トップ・ガールズ

犬猫会

SOOO dramatic!(東京都)

2025/01/23 (木) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

キャリル・チャーチル代表作を新訳(常田景子)にて上演。
一人のキャリアウーマン・マーリーンの役員昇進を祝うべく集ったのは家族でも友人でも同僚でもなく、歴史や芸術の中に姿や名を残した女性たち。時空を越えた女たちが語る「わたしたちはどう生きたかトーク」はまさに弾丸の如し。誰もが誰の話も聞いておらず、「あるある」と思わず笑ってしまうのだけど、その混沌が生き方の異なる姉妹の物語に接続し、二人を隔てる「分かり合えなさ」に着地した時、本作の鋭利な核心をぐさりと突きつけられた。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

早くに妊娠したものの子を姉に託して都市でキャリアを築く妹とその娘と老いた母のケアを田舎で夫に裏切られながら一人背負うことになった姉。そのやりとりにはシスターフッドとは程遠い、女性と女性の間にもたしかにある対立や分断を感じざるをえない。
社会で活躍する女性と家を守ることに徹した女性を巡る軋轢は朝ドラ『虎に翼』でも描かれていたけれど、本作では家事や育児のみではなく、ケアラーである姉の苦悩が色濃く描かれており、その中心にケアをされる立場である発達障害を抱える娘の存在がある。家の外(=社会)からは見えづらい、しかし喫緊の諸問題が家の中に積み上がっていること、「トップ」に立つ者の背後に隠されている者の姿にはやはり現代の様相が、2025年の日本でも解決しきれぬ問題が映写されている様にも思う。

隣人を掻き消すほど声の大きな女たちの弾丸トークではじまったこの作品が、声をあげる力すら奪われた女性たちの声ならぬ声をひろいあげる作品であったこと。そう感じられる上演であったことが大きな意味を持っているのではなかろうか。戯曲の中で手をとりあえなかった女性たちの物語を、今後私たちの生きる世界でどう編み直し、再生していけるだろうか。そういうことを問われているような気もした。
女性の生きづらさやその怒りを描くときに、二項対立として家父長制や有害な男らしさが配置された結果、物語のクライマックスやカタルシスとして女性と女性が安易に手を繋がされることも多いけれど、決してそうでないところ/そうはいかないところに真実が宿っている様に感じた。同時に、インナー姿で登場した俳優が舞台上で衣裳をまとう冒頭には社会で生きるために女性が装わざるをえない様々も忍ばされていたように思う。

もはや「実録・時空横断弾丸トークバラエティ!」と銘打って深夜番組化してほしい位に面白かった怒涛のしゃべくりはじめ、俳優一人ひとりの迫力と説得力は圧巻。
ラストの石村みかさんと名越志保さんの両者譲らぬバトルでは思わず前のめりに。見逃さずにすんでよかったです。
解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話

解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話

1999会

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2025/01/23 (木) ~ 2025/01/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

近く解体されることが決まっている建築物で行われる150年展のチケットを不手際でロスしてたことに気づいた翌日、奇しくも私はこの演劇に出会いました。
1999会『『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』。

私もかつて女子大に通う大学生だった。あの頃の私にも見せたかった。とってもとっても丁寧に直向きに物語に、演劇に、そして「今この作品を自分たちが上演すること」に全員が自身の生きた時間や生きる時代を以て応答するような上演。同じ年に生まれた縁で繋がれた1999会というカンパニーだからこそ成し遂げられる公演だったと感じ、見届けられて本当によかったです。

「形あるものの喪失」に思いを馳せるとき、人はそこに息づいた「形なきものの喪失」に恐れを抱く。
だけど、その場に生まれる人と人との出会いや営みを''息吹"と呼ぶならば、それは一度吹き込まれたなら失われることはい"永遠"と言ってよいのかもしれなくて、いくつもの運動ののち訪れる"平穏"が、それらをずっと見つめているのだと思う。それが再び揺らいでしまうことを心配しながら、子守歌などを歌って辛抱強く見つめているのだと思う。

"敬虔"であることに潜む孤独、不自由の裏返しである"奔放"、"哲学"に辿り着くまでの葛藤、寂しさの境地である"癇癪"、"沈黙"する時ほど騒がしい心、そして"飴玉"の様な日々が溶けるまでの時間。
いのちの息吹と同時に「名付けられる」という宿命を背負った複雑で素直なわたしやあなたの成長をこの場は全部覚えているだろう。たしかにみえた旧体育館を前にそんなことを思った。
俳優はもちろんその心身にぴたりと添った衣裳や音や光にも時が滲んでいた。

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン事務局(Antikame?)

座・高円寺1(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

カンテン The Foundatinos 【select B】を観劇。
(※催し内の全ての作品を観劇しているわけでないため、満足度については空きとさせていただきます)

劇団だるめしあん
『バイトの面接に遅刻しそうだったが、どうやら遅刻していたのは世界の方だったらしい』

女性がSEXを語ると、ましてや「セックスしたい」だなんて言うと、男性がそう言う何倍もの特異な意味付けをされ、あろうことか"肉食系"なんて言われる事。あるいはそれ全部がタブーかのように透明化される事。に私はずっと抗いたいと思っていて。だからこの演劇に出会えて本当に嬉しかった。
タイトル通り「世界の遅れ」を複数の異世界を貫きながら描くSF社会(喜)劇。ポップに、えっちに、そして、世界が反転しても対等に扱われるトピックの数々に現代とその課題を見た。
だって好きな人とセックスしたいだなんてことお日様が登って沈むくらいとても自然なことじゃないか。だけど、そういう女性はホモソーシャルの中で「エロい女」「ヤレる女」と蔑称で矮小化される。それとは逆に、いや同じ問題として、エロな話題にのれない男性にもまた”草食系”などとコミュニティ内で嘲笑の対象になったりする。
もうそんなのはどっちもやめませんか!全部やめませんか!新しい世界をやりませんか!
そういうことをポップに、しかし切実に伝える作品でした。

坂本さんの前作『ラブイデオロギーは突然に』はケータイ小説に生きるヒロインと現代を生きる女性の時空を越えたシスターフッドの物語で"女性とはそういうもの"と思わされてきた数々を編み直す様に呪いとの対峙と決別を描いていた。あの頃の自分に言ってあげたいこと、今の自分が言われたいことがギュッと詰まっていたけれど、今回はその言葉がもつ射程がもっと広がっていたように思う。
「人間が社会で傷つき立ち向かう様を、明るく、えっちに、ポップに描く」
まさにそんなだるめしあんの信条を示すような作品でした。俳優の心的負荷を考えての、それでいてカンパニーらしさをも追求した性描写の工夫も素晴らしかったです。
セックスにおける疑いと喜びがともに表現されているところも好きでした。

架空畳
『Φ(ファイ)をこころに、一、二と数えよ』

数学の世界では空集合(=要素を一切もたない集合)を意味するらしいΦ。
この世界で起きていることそのもののようだけれど、まさに人が集合することによって発生する同化と異化が忍ばされていたように思う。時空を越えたパラレルワールドに誘われる感覚はしっかりあるのだけど、デパ地下や娘のお部屋など手触りある風景が浮かび上がってくる不思議。
Φが鍵穴を意味するのだとしたら、全てがどこかに、世界の何かへと影響し、繋がっているのかもしれない。
直近の小野寺さんによる高木珠里さんのひとり芝居『伝説の女』が好きだったけど、それも始まりは居酒屋のトイレだった。多数が出入りし集まる場所。何てことない場所から物語がうねりを見せていく様が、何もない空間から演劇が生まれていく様と手をつなぐ時、私はどこでもない場所に行ける気がする。
そして多分そこにもΦが、鍵穴がきっとある気がする。独特の世界に誘う導入も効いていました。

何時までも果てしなく続く冒険

何時までも果てしなく続く冒険

ヌトミック

吉祥寺シアター(東京都)

2025/01/17 (金) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

妊娠時に「心拍とれました」と、出産時に「吸って吐いて」と言われた時に実感したすぐそばの命。そんな呼吸の刻みから始まり、それらはやがて音になり、音楽になり、そして演劇へと繋がっていくこの作品は、やはり一貫して生死を描いていたように思う。そして、音によって想起する痛ましい風景に息をのみ、傷ついた自分にもまた生を見た。

「自死」というモチーフが思った以上に強く、時に直接的な演出で打ち出されている作品でそれ相応のショックを受けると同時に、それら社会問題に対する危機感のようなものが色濃く忍ばされているのも感じて、持ち帰って考えるところが大きい作品だと感じました。
それはまさに、終わらぬ、答えのない物語。人の生と死の巡りとその問いかけこそが、”何時までも果てしなく続く”ものなのだという一つの着地だったのかなと思ったりもしています。

『変身』東京公演

『変身』東京公演

ブルーエゴナク

森下スタジオ(東京都)

2025/01/17 (金) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

カフカの代表作である『変身』を丁寧に、しかし、カンパニーの意図や今の時代の視点も携えて再解釈した作品でした。人が虫の姿になること、そのことが周囲の人間に与える影響を通じて「尊厳」や「存在(≒不在)」を問う物語であると同時に、介護や看護など「ケア」という課題を巡る演劇である様にも私は感じました。
物語の陰鬱な世界観とは対照的の明るい音楽がここぞというシーンでかかることによって、より悲劇や皮肉が際立つようにも感じました。
光の陰影と音の抑揚がいかに風景を左右するかを知らされる劇でもあり、それはやはり小説でなく演劇であるからして辿り着ける体感だと思います。面白かった!

おもいだすまでまっていて【東京公演】

おもいだすまでまっていて【東京公演】

Pityman

シアター711(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

いつしか追い抜き追い越され逆転する眼差し。そんな親と子の宿命がひりひり伝わり、ラストにかけては文字通り波打つようなカタルシス。思い出せなくても決して忘れてはいないということ。だから、まってる。まっていて。ちゃんと波が見えた。海が見えた。しょっぱかった。涙だった。

装飾の多い言葉があるわけでも、過度な演出があるわけでもなく、ただじっくりと重ねてきたものが見せるものの大きさを感じずにはいられない演劇。素晴らしかった。余韻があまりに大きくて、アフタートークは聞けなかったけれど、いろんな人がどう感じたのかを聞きたくなるラストでした。私は自分でも戸惑うほどの爆泣きでした。

きみはともだち

きみはともだち

果てとチーク

アトリエ春風舎(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

観終わったあと、祈るように、刻むようにタイトルをなぞった。
「きみ」と「わたし」がちがったままともだちでいられる方法を、世界を、誰でもないきみとわたしでつくらなくてはならない。互いを損なわず、すり減らさず、手を取り合うこと。その果てしなさに目眩を覚えるけれど、本当にそれしかないのだと思う。
分かりやすいジョーカーをつくるのではなく、異なる立場や属性、対岸に立つ人間の苦しみや怒りをも描き、いくつもの角度と視座から「間違い」ではなく「違い」を照射するこの演劇は、真摯に何度もそのことを伝えていたように思う。いや、果てとチークの演劇はいつだってそうなのだと改めて痛感する。つたわらない/わかりあえない/通じ合えないかもしれない恐怖を背負いながら、舞台と客席を横断して辛抱強く対話を試みている。
しかし当然ながらその辛抱を誰かだけに背負わせてはならない。わたしにはなにができるだろうか。
悪者を一人つくって、そこを叩くことによって「正しさ」を叫ぶことの方がきっとずっと簡単で、安心もできる。それは社会にも演劇にも言えることだけど、その果てにホープはあるだろうか。そう問われている気がした。

後半ずっと涙を流しながら観たのだけど、その涙には確実に無自覚さや独り善がりやその他さまざまな自分の暴力性も配合されていて、それを知らされる演劇であるにも関わらず安全な居場所で泣いている自分にそれこそ冷や水をかけたくなったりもした。全ての人物に少しずつ自分がいた。感情が昂る度にそのことにはたと気付かされた。それは情けなくもとても大きな気づきだった。

升味さんの劇作はさることながら俳優も本当に素晴らしい。
川村さんの明るさの中で揺れる怒りと祈り、モヘーさんの戸惑いながらもなんとか言葉にして伝えようとする時のリアリティ、横手さんの有害な男らしさを遠ざけながら一体となってしまう絶望の佇まい、そして、諦めから踵を返して叫ぶ升味さんの瞳。さらに、このような喫緊のシリアスな題材でも、いやだからこそ、演劇的な仕掛けや人々のユーモアや可笑しみ、親しみある言葉づかいによって舞台上の空気を緩和させたり、温度をあげたりすることを同時に成し遂げていることの凄さ。演劇に不慣れな人も飽きずに見届けられる風景に変換することは技量であり同時に寄り添いなのだと痛感する。そして、寄り添わせてばかりいてはならない、ともやはり痛感する。
だからやっぱり「きみ」と「わたし」がちがったままともだちでいられる方法を世界をわたしたちでつくっていくしかない。ちがったまま手をのばし、取り合うというホープをなんとか信じて。
(この喫緊の題材と作品から得たものの体感と「満足の度合いをつける」という行為が自分の中で折り合いがつけられないので、満足度は空きとさせていただきますが、演劇の持つ力、観られてよかったと心の底から思う気持ちの点では迷うことのない星5です。)

終点 まさゆめ

終点 まさゆめ

岡山芸術創造劇場ハレノワ

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2025/01/11 (土) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

10歳娘(推しは唐組)とともに観劇。
「全員で話し合って決める」という民主的解決、に潜む「その中から一人(それもコミュニティから除外する者)を選ぶ」という暴挙。生死を分かつ議題であるからこそ如実にその非道さが(可笑しくも)際立つけれど、類似した手法は社会でも様々な形でとられていて、その接続を思うと背中が冷える。
と同時にSFの物語の中にもそういったことが感じさせられる劇作に演劇として胸を打たれた。

俳優が繰り広げる議会は毎回台本がなくアドリブらしく、その日ごとに会話の展開も違って一人ひとりの個性と魅力が試されるのだけど、みなさん素晴らしかった。初日もっとも客席から笑いが溢れた(と私が感じた)のはかき養殖を生業としてきた石川さんの「産地偽装」という悪事のカミングアウト。言葉のチョイスもだけど、なんといっても佇まいと間が素晴らしくて、「静」の状態であっても機敏であり続ける俳優さんの姿に感動をしました。

セリフがなかろうとも、俳優がそこに存在するだけで生まれるものの雄弁さが通底している作品だった。唐組ファンの娘とはやはりハマり役の久保井さん海賊に大盛り上がり。終演後には紅テントの役者紹介になぞらえて「宇宙船を襲撃する海賊を演じました久保井研っ」と言い合う遊戯をしました(笑)
荒木さんや篠崎さんが伝えた若者の諦観や絶望もこの作品にとても必要なものに感じ、素晴らしかったです。"自分"という物語の終点、つまり死に様≒生き様を選ぶことと選べないことの狭間で揺らぐさまざまをしかと握らされる舞台でした。松井さんと菅原さんのタッグならではの世界観。埼玉まで行ってよかった!

マルコとグリーンの海

マルコとグリーンの海

ヒコ・カンパニー

ブックカフェ二十世紀(東京都)

2025/01/10 (金) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

絶対観たくてチラシもとってたのに気づけば完売...でも運良くキャンセル分に滑り込めました。観れてよかった。
二人芝居だけど、"二人"にとどまらないいくつもの視座、から見るこの世界は、闇は、夜は、本当にどうしようもなくて越えるのを諦めたくなる。
けれど、加害と被害の可能性を等しく持ち合わせている人間が、なるべく沢山の私たち人間がそれを自覚するところからしか夜明けは始まらない。自分の経験したことのある怒りや哀しみや虚しさ。登場人物の中を揺蕩うその感情に吸い寄せられながら、果たして自分はその経験を誰かに乱反射していないか、と身につまされた。

私の場合は大いに心当たりがあった。ハラスメントの裁判をしていた時、自分がされて深く傷ついた言動をそのまま家族に放ったこと。友人に上司からの圧迫の悩みを打ち明けられた時に自分が傷ついている時にはされたくない、もはや励ましとは言えない励まし方をしてしまったこと...。
多分まだまだある。気づいてないことも含めたら途方に暮れそうなほどある。

「加害者」「被害者」という言葉のみには収まりきらない、あるいは収めてはならない様々をあらゆる角度から照射していた作品だった。つくるのにも、演じるのにも、観るのにもエネルギーのいる作品だった。苦しかったし、痛かったし、そんな風に他者を苦しめ、痛みつけることが自分にもできてしまうことを痛感した。「今この瞬間も映画や演劇の世界で実際に起きている暴力」がテーマとして通底している物語だったけど、映画や演劇の現場に限定されない問題であること、人が二人存在すれば起き得る生活や人生への脅威、私たちの誰もが日常的にそれを手にしているということ。とてもこわかった。

だけど、絶対に観られてよかった。
言葉を発している時だけでなく、相手が話している時にみるみる歪んだり、緩んだりしていくその表情がとても雄弁で、二人の俳優の表現力に舌を巻きながら、同時に、この表現をただ消費してはならないとも強く思った。
昨年観た演劇で「加害者の再生がドラマティックに描かれた作品」としか私には受け取れず大変くらったものがあった。一方的に割り振られた闇と光に目眩がしてその経験からこういった題材を遠ざけていた節もあった。それでも私がこの演劇をどうしても観たかったのは、かねてより業界で起きている暴力に声をあげていらした港岳彦さんや桜木梨奈さんに共感し敬意を抱いていたからです。

この題材を扱う限り誰も傷つけないことは難しい(しそう思うこと自体危険だ)けれど、この方々が恐らく様々なことを覚悟して表現されるのだから絶対観なくてはと思った。ということを明確にしたいと改めて感じた。演劇について書くことのあるいち文筆家として。そして、被害と加害どちらの経験も、可能性も持つ者として。
夜が長すぎて途方に暮れるけれど、このお話も今起きていることもここで終わりというわけではない。
だからこそ観る意味がある演劇でした。
(こういった題材と体感から「満足の度合い」をつけることが自分の中でそぐわないため、満足度は空きとさせていただきますが、観ることができ本当によかったという点では星5です。)

流れる涙は嫌でも止めない

流れる涙は嫌でも止めない

キムライヅミ企画

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/12/21 (土) ~ 2024/12/21 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ヤバイ芝居presentsヤバイ芝居こと 『流れる涙は嫌でも止めない』高円寺K'sスタジオにて。
シアターゴーアーの猛者、遂にステージへ。インプットを武器にしたアウトプット。俳優への愛とリスペクト、演劇への思慕と憧憬、そして偏愛と疑いを詰めし40分。清水邦夫の『楽屋』をそういう形でオマージュ、そういう角度で照射するのか、という驚きもありました。俳優4名の瞳がそれぞればちばち、ぎんぎらにキマってかっこよかったです。

ファジー「yours」

ファジー「yours」

TeXi’s

北千住BUoY(東京都)

2024/12/21 (土) ~ 2024/12/23 (月)公演終了

実演鑑賞

TeXi's『ファジー』最終作『yours』千秋楽を見届けました。
1年をかけて男女二元論が生み出してしまっている「加害性」について考える。
とんでもない精神力と胆力を要するこのプロジェクトを完遂したテヅカさん、そして参加した全ての俳優さんやスタッフさんにまずは敬意を。しんどかったと思います。やるせなかったこと、わからないこともあったと思います。劇評執筆をした私もしんどく、やるせなく、わからないこともありました。それでも舞台芸術界において、いや社会においてこのプロジェクトが存在したこと、観客も含め多くの人が参加したことはとても大きい。集大成を見届けて改めてそう思います。

『theirs』『ours』に続き『yours』も劇評をお寄せする予定です。
演劇に携わる一人の文筆家としてもこんな風にプロジェクトを通して作品を見つめ、筆を執ることはなかなか得られない機会でした。また男児と女児を育てる親としても多くの気づきをもたらしてくれました。終わりのない課題だとも思います。(※ゆえに満足度は空きとさせていただきます)

て

ハイバイ

本多劇場(東京都)

2024/12/19 (木) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

この後どうなるか全部わかってるのにどうしてこんなにも心が震え、乱されるのか。
風景としては描かれてない時間、例えばお兄ちゃんが幼い頃おばあちゃんと過ごした時間とかそういう時が心身に傾れ込んでくる様で拭っても拭っても涙が止まらなかった。家族はなんて煩わしいのだろう。

大倉孝二さん演じる兄が背負う渇ききった諦観、だけどその端にひとさじのさびしさがあって、それがちょっとした仕草、何気ない言葉から溢れ落ちるようで目が離せなかった。瞬きひとつの瞬間に時をまたいでいく川上友里さん、その母性の滲む眼差しに涙腺が決壊。あと、なんといっても岡本昌也さん。どこ切り取っても居心地の悪さや戸惑いや焦りを繊細に表現されていて、身体や瞳、振る舞いの雄弁さを痛感。アウトサイダーとしてある家族の軋轢のど真ん中に立ち会わざるをえなくなった状況が伝播してくるようで、彼と同じ地平から家族を見つめていました。
ずっと忘れられない、さいごの『て』。

ケレン・ヘラー

ケレン・ヘラー

くによし組

シアタートラム(東京都)

2024/12/19 (木) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観劇後すぐは、観客が登場人物たちを十分に理解し、愛するための要素が人物造形にも文脈にも足りていないように感じて、それだけに物語に没入しづらかったり、クライマックスシーンで描かれる痛みをその濃度で受け取れなかったように感じていた。しかし、本作が描きたかった本質はそこではなく、むしろ逆なのかもしれない。
売れる=愛されるということへの疑問や、大衆から浴びせられる愛の不確かさと脆さ、幸せである状態よりも不幸である状態の方が注目が集まるという皮肉…。そういったこともがこちらに問いかけられているのかもしれない、という気持ちになってからが本当の余韻の時間であったように思う。
そんな観劇後すぐには気づけなかった本作がもつ途轍もない問いかけとエクスキューズに後々くらった。

「笑い」という暴力、過激化する欲求、「面白さ」の成立と同時に失われるもの、その残酷。
(とくに前半は)一見そうはみえないようなポップな手触りとなっているけど、その実切実なまでの社会への批評性が通底する作品だった。その意図の有無は分からずとも、奇しくもこれが今こその改革を要するM-1直前の上演であったことも含めて。
「笑い」を巡る暴力性や歯止めのきかない承認欲求、頭ひとつ抜きん出るために過激化していくパフォーマンス、SNSをはじめとする匿名性を有したメディアを通じて顔の見えぬ者によって築かれる名声や評価、そうした中で見失われる本質、そして、されども貫かれる狂気と信念。振り返るたびに示唆に富んだ上演であったと痛感する。

ゲイ・モノローグ

ゲイ・モノローグ

y/n

STスポット(神奈川県)

2024/12/13 (金) ~ 2024/12/16 (月)公演終了

実演鑑賞

初日。ギリギリだったけど、観られてよかった。

おぐセンターでのワークインプログレスのような公演で「この言葉と風景を多くの人に」と感じていたあるシーンが、前後の文脈含めてより強固なものになっていた。
他者の気持ちを「想像すること」を忘れずにいたいと生きているつもりでも、「想像することさえ必要でなくなればいい」と思う人がいることまでは想像が及んでいなかった。
この題材においてはマジョリティに振り分けられる自分、そんな自分が知らずに手にしている特権性のようなものを痛感させられた。必要な機会だった。

私はこの公演を田舎の両親にも観てほしいと感じた。
y/nのレクチャーパフォーマンスは都市部のみならず地域にも持ち出される意義があると思う。なんなら教育現場でやってほしい。もちろん持ち出しではなく国のお金で。その意味があると思う。死と生/性と生が痛切に背中合わせとなったあの言葉を私は忘れない。忘れてはならないと思う。必要な時間だった。
(※この題材のパフォーマンスを受けて、「満足」してしまうことは作品が伝えようとしていたこと、それを受け取った自分の体感にも逆行する行為に感じるため、「満足度」は空きにします。ただ、観られてとてもよかった。)

おわるのをまっている

おわるのをまっている

劇団 贅沢貧乏

シアタートラム(東京都)

2024/12/07 (土) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初日を観劇。三度に渡る拍手、劇場に満ちるその音がとても温かくて落涙。あの拍手には作品や作家や劇団への待望と敬愛が、それから、複雑な心身を抱えながら其々の今を生きる互いへの労いや祝福が込められている様に感じてならなかった。みんなで抱きしめ合うみたいな拍手だった。
ここ数日それこそ不調ゾーン入っちゃってたけれど、シアタートラム行ったらそこにはとても勇気がいったはずの、だけどその分やさしい言葉や景色があって、「わたしも同じことあるよ」って言ってくれる人がいて、好きな人に沢山会えて、私はこの人たちと一緒にあの温かい拍手してたんだな、と思ってまだ胸がいっぱいの帰路。
そういうことがすこやかな心を保つためにはとても必要なのだということを気づかせてくれる劇。

その後しばらくして、色々やらなきゃなのに何もする気が起きず後ろめたさにまたやられていたとき、とりあえず温か靴下はいてあのホテルのみんなを思い出していた。そうこうしてたら観てほしい人の顔が浮かんで連絡して、こちらがもらった言葉に励まされたりして。しんどい時こそ出会ってほしい演劇だなと痛感する。そういう演劇はとても少ないとも思う。

平和によるうしろめたさの為の

平和によるうしろめたさの為の

城山羊の会

小劇場B1(東京都)

2024/12/04 (水) ~ 2024/12/17 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

城山羊の会観ずして年は越せんぞ、ということで今年も無事観劇。背徳的快楽に身を任せる時とその前後。エッチで上質な会話劇にぼんやり浮かぶ寂寞と切実。共感してしまったよ。城山羊が初の友人を誘ったのですが観る前から絶対面白いという安心感の元おすすめでき、実際はそのさらに上をいく面白さ!

まよかげ/Mayokage

まよかげ/Mayokage

篠田千明

世田谷代田 仁慈保幼園 Piazza(東京都)

2024/12/05 (木) ~ 2024/12/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

お迎えからその足で、篠田千明『まよかげ/Mayokage』初日に10歳、6歳の子どもらと。
一緒にいながら3人別々の光や影や音を追い、其々に心を動かすとてもいい時間だった。
私はワヤンを見つめる時とその影を追う時を交互に重ねながら、魂の在処や赦しや畏れについて考えるなど。
たかくらかずきさんの手がけるキャラクターたち、その愛嬌にもぐっと心を奪われる。子どもらは1つずつ好みのグッズも購入し早速絵を描いていた。とても面白かったと。思い切って連れてきてよかった。それぞれ好きな神様や怪物や生物を発表し合う帰路。畏怖についてのQに対して子どもたちが選んだAも含めて気づきの多い夜だった。

三月の5日間

三月の5日間

7度

北千住BUoY(東京都)

2024/12/05 (木) ~ 2024/12/08 (日)公演終了

実演鑑賞

※会場での通し稽古の見学ですが、とても興味深い公演で記録しておきたいので残します。ご了承ください。(ゆえに公演としての満足度については空きにさせていただきます)

チェルフィッチュ初演はおろかリクリエーションも観逃してる私にとっては初めての『三月の5日間』。前説から渋谷の街の風景のみならずそこに身を置いた時の体感をも握らせる導入がとても効いていて、不思議な没入感を堪能。一人芝居というよりは一人語りという感じで声が印象的な演劇でした。照明や音響、BUoYという独特な空間との共振あるいは違和が加わった時、また別の体感が生まれるのではないかと思います。

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