実演鑑賞
満足度★★★★
観劇後すぐは、観客が登場人物たちを十分に理解し、愛するための要素が人物造形にも文脈にも足りていないように感じて、それだけに物語に没入しづらかったり、クライマックスシーンで描かれる痛みをその濃度で受け取れなかったように感じていた。しかし、本作が描きたかった本質はそこではなく、むしろ逆なのかもしれない。
売れる=愛されるということへの疑問や、大衆から浴びせられる愛の不確かさと脆さ、幸せである状態よりも不幸である状態の方が注目が集まるという皮肉…。そういったこともがこちらに問いかけられているのかもしれない、という気持ちになってからが本当の余韻の時間であったように思う。
そんな観劇後すぐには気づけなかった本作がもつ途轍もない問いかけとエクスキューズに後々くらった。
「笑い」という暴力、過激化する欲求、「面白さ」の成立と同時に失われるもの、その残酷。
(とくに前半は)一見そうはみえないようなポップな手触りとなっているけど、その実切実なまでの社会への批評性が通底する作品だった。その意図の有無は分からずとも、奇しくもこれが今こその改革を要するM-1直前の上演であったことも含めて。
「笑い」を巡る暴力性や歯止めのきかない承認欲求、頭ひとつ抜きん出るために過激化していくパフォーマンス、SNSをはじめとする匿名性を有したメディアを通じて顔の見えぬ者によって築かれる名声や評価、そうした中で見失われる本質、そして、されども貫かれる狂気と信念。振り返るたびに示唆に富んだ上演であったと痛感する。