実演鑑賞
満足度★★★★
近く解体されることが決まっている建築物で行われる150年展のチケットを不手際でロスしてたことに気づいた翌日、奇しくも私はこの演劇に出会いました。
1999会『『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』。
私もかつて女子大に通う大学生だった。あの頃の私にも見せたかった。とってもとっても丁寧に直向きに物語に、演劇に、そして「今この作品を自分たちが上演すること」に全員が自身の生きた時間や生きる時代を以て応答するような上演。同じ年に生まれた縁で繋がれた1999会というカンパニーだからこそ成し遂げられる公演だったと感じ、見届けられて本当によかったです。
「形あるものの喪失」に思いを馳せるとき、人はそこに息づいた「形なきものの喪失」に恐れを抱く。
だけど、その場に生まれる人と人との出会いや営みを''息吹"と呼ぶならば、それは一度吹き込まれたなら失われることはい"永遠"と言ってよいのかもしれなくて、いくつもの運動ののち訪れる"平穏"が、それらをずっと見つめているのだと思う。それが再び揺らいでしまうことを心配しながら、子守歌などを歌って辛抱強く見つめているのだと思う。
"敬虔"であることに潜む孤独、不自由の裏返しである"奔放"、"哲学"に辿り着くまでの葛藤、寂しさの境地である"癇癪"、"沈黙"する時ほど騒がしい心、そして"飴玉"の様な日々が溶けるまでの時間。
いのちの息吹と同時に「名付けられる」という宿命を背負った複雑で素直なわたしやあなたの成長をこの場は全部覚えているだろう。たしかにみえた旧体育館を前にそんなことを思った。
俳優はもちろんその心身にぴたりと添った衣裳や音や光にも時が滲んでいた。