GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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室温 ~夜の音楽~

室温 ~夜の音楽~

天幕旅団

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/12/12 (火) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★

ケラさんもこんな脚本を書くほど、青い時があったのですね。なんか、よくある小劇団のサスペンスで、それほどのことはなかった、というのが感想です。
終盤、やたらとがちゃがちゃしすぎです。もっと、スマートに狂気を描けないのだろうか。
ただ、冒頭の歌「私の未来は、火葬場の灰、大きな生ごみ、海に浮かぶ遺体、、、」は秀逸、歌詞カードが欲しいくらい。舞台途中まで、ずっと頭の中で口坐作んでおりました。加藤晃子さんの霊役を、もっとシンボリックに生かせなかったかなあ。存在が(って霊だけれど)散漫で、何なのかよく判らない。

ネタバレBOX

途中で、サオリが妊娠していたこと、海老沢がキオリに毒を盛られながらも(かつ末期癌でもあり)死を受け入れるところで、おおよその話の裏の検討はつきました。でも、よくありそうな脚本で。

神の左手:coda

神の左手:coda

キコ qui-co.

サンモールスタジオ(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/12 (火)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/12/11 (月)

おそらく(と言わざるおえないのが残念なんですけれど)、私的にはとても好きな題材なのだと思うのですが、心に今一つ届かなかったです。
理由ははっきりしていて、とにかく怒鳴り合いばかり。
怒鳴るというのは、演技ではないですから。
ただ、うるさくてイライラするばかりです。

神の左手は、神の配剤だと思うのですが、それがどのように人間の選択と共存するのか。各場面での男女の会話でじっくり見たかったですね。

やわらかい扉

やわらかい扉

はぶ談戯

テアトルBONBON(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/11 (月)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/12/07 (木) 19:30

2日目の舞台を拝見しました。
歌詞カード(別にパンフが売られていたので)に書かれてなかったので、完治されたかは分からないのですが、穂科エミさんが長い闘病生活でご苦労されたことは拝察しました。
とにもかくにもまずは、10年ぶりの舞台上への復帰おめでとうございます。

さて、はぶ談戯初観劇でした。
フライヤーを見る限りアダルトな劇団、ピカレスクやエロチシズム、デカダンス、バイオレンスの香りがします。近年の公演名とそのキャッチを見ても、その確信は揺らぎませんでした。
しかし、今回の舞台は、どうもまるまる昭和の場末調の人情劇かな。イメージ違い過ぎませんか。

冒頭は、20年前に火災で閉館、廃墟となった総合病院に、映画撮影ロケハンに監督が役者3名を連れてきます。(あくまで、勉強の一環として帯同させているので、設定に違和感はありません)そこに1人の不審な男が現れ、入口を閉じて爆弾をしかけたとニコニコ顔で現れます。逃げたり携帯で外部と連絡を取ったら、手にしたガソリンに火を点けると皆を脅します。男の目的は何か、彼らは脱出できるのか。廃墟に住み込んでいた浮浪者も現れての密室劇。がっちりと心は鷲掴みにされます。
ここでの謎は、終盤回収されるのですが、、、、

この場面で登場する、横尾下下さんの監督が、終始ハイテンションで観ていて楽しい。塩口量平さんの明るい不気味さもよい。ただ、、、

私のように先入観なし、人情ものに抵抗感がなければお勧め。
劇中歌はどれもオリジナルで、素晴らしい出来だと思います。

ネタバレBOX

話は3つの親子、世代で展開します。
火事場の子供を取り残しで失踪、事故死した奏(かなでと読む)とその娘愛毬
声を失い歌手として生きられなくなり子供を残して失踪、その後街に戻ってくる純子と育ての母を持ち歌手を目指す琴子
酒乱の父と気弱な兄(優)を持ち、恋人の女性と子育てをしてきた舞とその息子勝(ウィンと読む)
ちなみに、子育て時点では3人とも夫はいません。(奏のみ籍が残り夫に追われている)

優と舞の父親との関係を入れれば、4つといってもよいのですが、先の3つの関係では、子育てをする側の女性が全て、はぶ談戯のメイン女優ということを考えれば、やはり3つの関係が物語の縦糸かと思います。

奏と愛毬の関係には根深い確執があります。
純子と琴子の関係には、育ての母も加わりただならぬ悲哀があります。
舞と勝の関係には、特に何もありません。勝の存在は、舞と両親の関係を象徴する道具立てくらいかな。

それで、これらがみごとに絡まない。
いや、接点はあるのだけれど、相互にほとんど何の影響も及ぼさない。
まあ、確かに「愛の物語」ではあるのだけれど、比較にもならず羅列のままです。

うーん、これでは、というのが感想です。

舞台の正面には、「やわらかな扉」を象徴するような扉があります。ラストにちょっとだけ開き光を発します。よい光景なので、それを活かせるような人間模様が見たかった、と思います。

「やわらかな扉」とは愛情の通用口ですよね。けして固くはないけれど、それゆえに得体のしれない、扱いにくい扉。
Salvation-救済-

Salvation-救済-

劇団天動虫

ワーサルシアター(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/12/06 (水) 19:30

座席1階2列

 天動虫は今、何か変わろうとしているのかな。というのも、以下の理由。
1. かなり心理的な痛みを伴う内容の舞台が続くようになった。
2. 劇団員の外部出演が増えてきた。(温井さんなどは、MUに連続だ)
3. メディアにインタビューなどを積極的に出し始めた。(カンフェッティですが)
4. ツイッターやフェイスブックを活用した情報拡散を積極的に推し進め始めた。
(他の劇団よりも結構積極的な感じがする)
5. 3と連動するが、集客にかなりこだわり、様々な割引制度を用意し始めた。
劇団としてのサバイバルなのか、意識の変化なのかは分からないけれど、これは悪いこ
とではない。変化なき者は廃れゆくだけですから。ただ私は1観客として、今までのようにオーソドクスに観劇を続けて、行く先を見届けるだけです。(すみません、非協力的で。おじさんは快楽主義でして、気楽に見たいのです)

 さて、フライヤーを見ても、海賊だと書いてあり、少年犯罪とも書いてある。「幻の女」を観劇した時、ジョニーさんから、この舞台の概要を聞いたのだけれど、さっぱりわからなかった。でも、舞台を観て、「ああ、そういうことか」と納得。

 「飛び火」以来の活劇調で、ジョニーさんはこうした活劇がよく似合う。とにかく、演技が外連味たっぷりで、指先一つ一つに緊張が走り、その跳躍に開放感が溢れる。(「煙のミロク」を観られなかったのが残念)御年○○歳ということだけれど、こういう芝居は若い時にしかできないのだから、役やテーマは替われど、こうした芝居をどんどんするべきだと思う。それでも、悲哀や煩悶、歓喜や安堵を演じる力量は、十分培われていると感じるし、一幕劇のようなコミカルな演技と相俟って、十分に役者として成長していると思われるから、心配ない。
 ジヨニーさんは脇で抑えた演技をさせると、結構な女前なのと立ち位置をわきまえすぎて、何とも没個性的になってしまってもったいない(「上を向いて歩こう」の女霊媒師や「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た」の3姉妹とか)。脇で主役を光らせることは、主役の経験値でも養われるから、脇を張る時でもやはりはじけて欲しい。

温井さんは、いまや完全に天動虫舞台のキーマン役だ。「幻の女」に続いて、この舞台でも抑え目で目立たない役を、ラストから逆算して登場直後から慎重かつ丁寧に演じている。
こうした役を演じきれる方はそうはいないと思うので、今後は、客演も引く手あまたにならんことを祈っております。

杉本さんは、舞台設定を活かす上での重要なスパイス役。過去については詳しく分からないけれど、どういう立場なのかはよく分かる。だからこそ、終始大声で怒鳴るばかりではもったいない。法律(青少年更生法)に反対なのか、少年そのものの存在否定なのか、脳内に意図的な作業を施すことへの批判なのか、それとも全部なのか。その辺りを、もう少し強弱のある演技で仕分けて欲しかった。

 「幻の女」でも、号泣していた男性がいたけれど、初日、私の隣の女性もラストでワッと泣き崩れました。帆足さん、演出家冥利に尽きますね。

追伸:2時間は全く構わないのですが、お尻が痛いのは何とかならないかな。
   次回公演も同じ劇場らしいので、ちょっときついです。





























ネタバレBOX

ラスト近く、家族で食卓を囲むというシーンで、少年Aの伊藤さんと少女Bの千晶さんがテーブルの前に正面に並んで座るのだけれど、この時、舞台上は13人。伊藤さんと千晶さんが、テーブルの左右横にいれば、図はさながら「最後の晩餐」。するとジョニーさんがキリストなのかユダなのか。興味深い構図でした。

ここで最後に残った課題、冒頭、母を殺した少年と同じ名前で呼ばれる少年Aと少女Bは何なのだろう。全く的外れかもしれないけれど、少年の中に存在する母親への希求(少女B)と反発(少年A)のメタファーなのかな。ラストで描いているのは、そういうことなのだろうから。

最後に、話の進行で井村さんはてっきり少年の幼いころに離婚した父親という設定かと思いました。(死んでいないとは言われていないし)やはり、おじいちゃんですか。(失礼!)
相談者たち

相談者たち

城山羊の会

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/30 (木) 19:30

座席1階1列

ストーリーだけをみれば、他愛ない話。(現実であればかなりシリアスだけれど)

50歳過ぎの夫婦。夫が若い女と不倫をし、妻に別れを持ちかける。
そこに、一人娘が彼氏を連れてきて状況を垣間見ていると、何と不倫相手の女が男性に連れられてやってくる、さて。(これで1時間50分)

これが、ツボを押さえておかしい。
いや、内容的にはシリアスだけれど、会話やセリフ、行動に生ずる微妙なズレが、常に笑いを誘う。それが声になる笑いであったり、クスっという笑いであったり一筋縄でない。

声がかなり小さくて、冒頭におことわりがあるのだけれど、それが効果的。
(集音マイクが3基設置してあるが、それでも聞き取れないところがあった)
集中してセリフを聞かせるので、ニュアンスの面白さや、セリフの意味をあれこれと想像させるのである。この規模の劇場ならば、こういった演出もアリアリだと思わせた。

ネタバレBOX

「相談」=どうすればよいかなどについて、意見を述べ合ったり、意見を述べてもらったりして考えること。 

らしいけれど、「相談者たち」というより、みんな人生の一場面でついうろうろてしまう「遭難者たち」に見えた。

鄭亜美さん(不倫相手)、色っぽい。ラストの吹越さん(夫)とのラブシーンはちと長すぎなくないかい(笑)きっと、毎舞台部分部分、2人で工夫して(なすがまま?)違うんだろうなあ。
暗転する中で1回、暗幕になって1回、安澤千草さん(妻)のセリフ「うちではやめて」2連発には、笑った笑った!

うらやましい。
~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

サンハロンシアター

テアトルBONBON(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/30 (木) 19:00

座席1階1列

どこまでをここに書いて、どこからネタバレとするか迷います。

まず、多くの観劇者が、このフライヤーに惹かれて、少ない説明にそそられて足を運ぶ(運んだ)と思います。戦前の上海租界の魅惑に溺れたいがために。

確かにその魅力は十分に舞台で表現されています。
マニュエラ役のYOSHIEさんは、フライヤーを飾っているとおりに妖艶で魅惑的です。
ベリーダンサーとして、舞台を縦横に舞います。
李香蘭を再演する田宮香苗さんの歌は、ミュージカル女優ならではで十分に魅了されます。そして2役となる川島芳子の軍服姿で演技は、短いながらも彼女の悲劇的な運命を感じさせてくれます。

劇作の長い中盤を占める上海での情景、よく雰囲気を醸し出していて、舞台の大きさや予算のことを考えれば非の打ちどころがありません。むしろ、豪華絢爛です。しかしこの舞台の骨格はそこにはありません。

マニュエラの物語でも、ましてや李香蘭の物語でもないのです。
これは1人の作家ないし編集者の物語。

「現代日本と戦前上海とを行き来する」と説明がありますが、現代日本とは老人介護施設。登場人物たちの立ち位置はまさにミステリアス、でもこの幻想譚はそれなりの方法で伏線を回収し、カタルシスを開放してくれます。

これ以上はネタバレですね。ストーリーとしてはもちろん楽しめますが、上述のような上海を味わいたければ、できるだけ前で、かぶりつきで観るべし。

ネタバレBOX

冒頭の数分間、男女の編集者2名が出てくるシーンは何だったのだろう。
あれは、男性編集長が自身の老婆を連れてくるシーンだった(つまり、老婆と自宅で話しているシーンは回想していることになる)のかな。
だって、老婆はこの物語の主人公の女性編集者なのだから。
その老婆が恋焦がれる嘱託医が、件のインチキ占い師こと現代と戦前の上海を行き来する小説家、つまり双子の兄と同じ江口信さんが演じているのは、うまい配役だと思った。

ただし、男性編集者を介護施設に登場させるために、例の介護施設での大量殺人事件を引用したのだろうけれど、あまり味の良いものではない。もっと、サックリ描いてもよい気がした。
青森県のせむし男

青森県のせむし男

B機関

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/24 (金)

ラストに向けて、確固とした何かを与えてくれる芝居だな、と途中で思ったのだが、その予想はある意味あたり、ある意味はずれた。泣いてしまったのだ。涙腺が感情と関係なく緩んでしまった。どこで泣いたのかと言えば、ラストで、と言えるのだけれど、なぜ泣いたのかと言えば、これは言葉では難しい。

語ることが難しい芝居、舞踏を基礎とした身体性が、頑なに言葉を拒絶しているような芝居である。点滅氏はヒルコであり、せむし男の精神性だったのですね。

ネタバレBOX

果たして、あのせむし男松吉は、マツの本当の子だったのか?マツの子殺し発言は本当だったのか?ただ、はっきりしているのは、松吉が母を求めていたという、その一点だけである。

ヒルコ伝説はそれとして、母子相姦の意味するものは何だろう。
「15」

「15」

雀組ホエールズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/11/22 (水)

前半は、舞台の取っ散らかり方と言い、役者が前面に出てきてアクションとセリフで笑いを取る展開といい、まさに吉本新喜劇なのだけれど、後半は、しつこいくらいのお涙頂戴の人情劇、初めて明かされる過去の話が重く、皆善人になってしまうところは、松竹新喜劇ですね。
ただし、前半支店長のアクション以外にそれほど笑えなかったし、後半織部さんの強盗たちへの異常な感情移入は理由を聞いても同調できなかったし。うーん、どうでしょうか。

ネタバレBOX

たった数時間前に合った強盗の話、それを皆に信じさせるだけの仕掛けが欲しかった。
だって、3億円ですよ、それも翌日の15時までに用意しなければいけない。騙している、あるいは罪を逃れるための出まかせを言ったということも十分考えられるわけだ。

皆さん、自分の誠意を見せるために、強盗に財布を渡すけれど、西園寺さんや、スミレさんのようなセレブでも、カード時代に20万円も持っていれば十分です。とてもじゃないですが、何の役にも立ちません。

強盗するという時点でもうアウトなのは、誰が考えてもわかるでしょう。すぐに札番号で足がつくでしょうし、盗んだお金なら、見つかった時点で回収されるでしょう。強盗で捕まったら、病院の妹さんはどうするの、病院を出されて誰が面倒を見るのでしょう。ましてや、3億円は手術代であって、溜まった入院費、これからの生活費は誰が工面するのでしょうか。(両親がいない)

ちなみに、私はてっきり最後に、織部さんの会社で開発した新素材繊維の特許を、西園寺グループに譲るとかで、3億円工面するものだと思っておりました。冒頭部で、その辺りの話が出ていましたので、そこが伏線かと。

観られた方は「15」にいろいろな意味を見出したようですが、是非教えて欲しいです。
すでに書かれているところの、役者が15人、銀行窓口が締まるのが15時、それ以外ではラグビー選手が15人くらいしか思い立ちませんでした。井上さんが元選手でNo.8、喩のようですが織部さんがフルバックで、2人の会社は「スクラム製作所」(最初「スクラップ製作所」に聞こえた)


ポーランドの人形遣い

ポーランドの人形遣い

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/11/15 (水) 19:00

座席1階E列5番

「観たい」の感想そのままの期待をもって劇場へ向かいました。
かなり前から、フライヤーが配られており、期待まんまんでした。(劇団からの情報が遅くてイライラしたくらい)
当日、劇場も満員。観客の期待値もかなり高い感じです。
しかし、残念。牛山さんの変化が面白かった以外は、何も感動できませんでした。
(何か、天岩戸の話みたいで、楽しめた)

ネタバレBOX

最近、青年座の「旗を高く掲げよ」、その後日談となるような昴の「幻の国」、あるいは青年劇場の「アトリエ」と、収容所や戦後処理の話を観続けてきたせいか、この舞台のテーマ性については、何か新しい視点を得られるような気がしたのですが。
延々と続く、人形いじり、これがどうもよく判らない。
結果、主人公の経験した収容所での経験なのは判るのですが、だから?
ラスト近く、実は彼がSSではないか、というドンデン返しになりそうになって、緊迫感が高まりますが、でも実際は、、、、まんま、というお芝居でした。
主人公が、人形に託したものって何?
『青いポスト』/『崩れる』

『青いポスト』/『崩れる』

アマヤドリ

王子小劇場(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/11/11 (土) 19:00

「崩れる」を拝観しました。
アマヤドリ作品をそれほど観ているわけではないのだけれど、他の方々もおっしゃっているようにダンスなしの会話劇は、異色な感じがしました。

作品自体としては、これは必見です。
「痛い」とにかく「痛い」を感じさせる会話劇。

勝手な思い込みで申し訳ないのですけれど、広田淳一さんはこういうの書きたかったのだな、と思いました。
2本立てというのも、何かこっそりやっちゃっおうなのかなと。
「青いポスト」がアマヤドリとしての表紙ならば、「崩れる」は裏表紙というか。
おそらくですが、「崩れる」は、男性のみだから成り立つ話なので、これ単体でやると、結構アマヤドリファンとしては、賛否渦巻いちゃうかもしれませんね。

「必見」というのは、当然、観るべき価値が高いということです。
あるよな、あるよな、でもそれ言っちゃあいけないのでは、それ言わなくてはよいのでは、園田さんその通りだよ、という葛藤を、ひたすら感じさせます。
作りの丁寧さが、観客に一層の痛みを感じさせます。
一方で、再演が難しいという点でも(単作公演はないような気がします)、そしてもう一度観たいかというと「うーん」と言わざるおえないという点でも「必見」です。

でも、きっとこの公演のことは忘れないな。

キャガプシー

キャガプシー

おぼんろ

おぼんろ特設劇場(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/09 (木)

公演内容の公開もフライヤーも作っていなかったのですね。
あくまでも一期一会(5日間のみの特設会場なので、まさに儚き出会い)に拘る舞台でした。そんなことも知らずに、何の予備知識もないまま観に参りました。

おぼんろの公演は初見でしたが、それでも観劇したいなあと思った理由は、末原拓馬さんの描いた1枚のイラストと「キャガプシー」というタイトルの響きに惹かれたからです。

まだ6公演残っておりますので、何を書いてもネタバレになりますので、ここではテントの情景を書きます。

会場に向かう道には、所々にオブジェが飾られています。ホント暗い。街灯があっても、地図が読めない程度の灯。
その中に突如、光を放つ色彩豊かな造形物が見えてきます。

会場内は見てのお楽しみ。
ただ、私のような50代半ばの方はかなりレアで、会場は若い男女で埋め尽くされています。舞台を観て、その理由は判然としました。なぜおぼんろが若年層に支持されるのかが。

おじさんは、相撲でいうところ砂かぶり席で拝見しましたが、いわゆる花道横の角だったので、すぐ隣を恵さんを除く3人が脱兎のごとく、そして宙を舞うガゼルのごとく疾走していきます。そのたびに「オオーッ」となってしまいました。
こんな席もありますし、椅子席もありますし、寒風の中、ストーブ近くの特等席もあります。

末原拓馬には適当にいじっていただきました。(結構、いい男なので恥ずかしいんだよなあ)

夜はかなり冷え込みます。暑がりの私でも、ベスト1枚持って行って助かりました。
配られた簡易カイロも、初めは不要かなと思いましたが、結局使ってましたから。
足の裏、攣っちゃったし。
凄い陸風がビュンビュン吹きまして、舐めているといけません。特に寒がりの方などは、十分な防寒対策を。昼でも割と寒いのではないかな(今度は海風で。ただし、海側は多少防風性は高いです)。

「キャガプシー」の意味(言葉の出処)や発想の源など知りたかったのと、役者さんの素顔を拝見したかったのとで、帰りにパンフレットを購入しましたが、前者の望みは公演主旨から果たされず、でも後者の望みは内面含めた素顔まで十分に果たせます。

次回も行くかなあ。舞台というかエンターテイメントとしての面白さは保証します。
残りチケットはあるのかしら、こりっちでは夜の回しかないようですが。是非ご一見を。(昼の回を観ていないので恐縮ですが、むしろ夜の回こそ、この舞台にとって本来なのかと)

ネタバレBOX

「キャガプシー」という言葉の禍々しさ。何となく嫌な響きです。
そしてイラスト。兄弟殺しを想像させますし、人形みたいな人物は戯画化かと思いましたが、まさに見たまま人形の兄弟殺しの話です。

この舞台、失礼を顧みずに言えば脚本に面白みはありません。
愛がどうのこうのと、言葉にしてしまうような話はあまり好きではありません。

「キャガプシー」という人形を設定し、そして登場人物に「ネズミ」「ツミ」「トラワレ」「ウナサレ」と名付けたところで、舞台はもう完成です。それを、役者の皆さんが、身体による具現化と感情の相互交換で演じ切る、ということで、芝居が成立しています。まさにパッションですね。

弾きだされる行為、相手を突き刺すようなセリフ、まさに一夜の夢、一期一会。
異空間で展開される祝祭でした。
墓掘り人と無駄骨

墓掘り人と無駄骨

MCR

ザ・スズナリ(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/11/08 (水) 19:30

座席1階1列

大劇場は別にして、何か最近、やたらと噛んだり、セリフが詰まったり、間が悪かったり、立ち位置が定まっていなかったりが目立った舞台を観てきた(ないものねだりなのか、そこにばかり気が行っているのかもしれないが)。が、この舞台、初日公演でも噛んだのは2ヵ所だけ。テンポよくリズム感があり、笑わせるところではしっかり笑わせて、機知を嫌味なく漂わせながら、その上、切なくて残酷な物語をしっかり見せている。立派!

役者の力量もあるのだけれど、少ない稽古時間でも、演出なのか、脚本なのか、集中力なのか、あるいはそれら全部なのかがあれば、これほどしっかりした舞台ができるということ。前の方が書かれていたように「恋」とは、こういうものなのかもしれません。

2つの話が並行していきますが、主人公の墓掘り人(男)と「無駄骨」(女)の物語です。残り20分で2つの話がクロスします。

役名をしっかり頭に入れて、人物像や各自の行為に注意して見ていくことをお勧めします。ちょっとした驚きを、いち早く味わうことができます。

加藤美佐江さん、「元天才子役」以来、1年振りの再会でした。
あの時は40過ぎたおっさん役、今回は6歳の孤児。役柄幅広すぎでないかい。どちらも男だし。wwwww

ネタバレBOX

けして珍しいラストというわけではありませんが、むっちりの女霊媒師のセリフを思い返すと、ちょっとした感動が沸き上がりました。やたら、胸揉んでいただけではなかったのですね。

一旦、両親を殺したのは川島だという、勝手な伏線読み込みをさせておきながら、、、、

「傑物」を親として暮らした、孤児のゆうすけは結局、自身の「俗物」さに気づきます。親子の生活感を一切醸し出さないところが、「墓掘り人と無駄骨」のテーマをブレさせなくてよいですね。

本筋だけで考えると、かなり悲惨な話なのです。けれどね、2人を殺した犯人に拘ることなく、主人公2人の「理不尽」さを踏まえ、敢えてそこを落としどころにする潔さに感心至極でした。
『事件』という名の事件

『事件』という名の事件

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/11/07 (火) 17:00

座席1階1列

どのようなアレンジで「横浜事件」を描くのか、そこを最大の興味として舞台を拝見しました。かなり多くの登場人物(冤罪をかけられた人々や、特高警察官、周辺の人々)が想定されますから、どこの部分にスポットを当てて芝居として成立させるかということが必要になってきます。

ネタバレBOX

しかし、残念ながらその部分は成立していません。確かに登場人物は20名程度に絞られています。(ただし、特高警察についても、不特定の人物ですと、同じ役者さんが演じていても同一の人物ということではないでしょう)舞台装置のない円形の舞台(壁と舞台上には、調書らしき紙がコラージュのように貼られているだけで、あとは椅子と拷問を受ける人形があるだけ)ですから、シチュエーションは役者さんの発言内容・言葉遣いや、壁に投影される文字から読み解くしかありません。複数の役をやらなければなりませんから、衣裳も皆、個性を映えさせない同じデザインのものを着用しています。

そこで、何か混乱が起こっているようなのです。すでに6回目の公演なのに、セリフが詰まってしまう方、朗読を円滑にできない方、演じ分けようとして声が上ずってしまう方。今、何の役を演じているか迷っているようです。

舞台はテレビドキュメンタリー的に進んでいきますが、そこがどこなのか、いつなのかが観客にはよく判りません。

ふじたあさやさんは、御父上の作られた本を読み解くような形で、脚本を作り演出されたようなのですが、それでしたら映像か文字に任せておいた方がよかったのではないでしょうか。結局「横浜事件」というものがありました、共謀罪は治安維持法になりかねません、という主張があるだけで、強い怒りも悲しみもない舞台になってしまったような気がします。舞台という空間と時間に制約のある表現手段では、どうしても部分的に切り取る作業が必要ですし、事実をなぞるとしても想像の域を出ないことはあるわけですから、そこを整理して「芝居」として見せる工夫が必要などだと思います。

残念な舞台でした。
とりかえこ

とりかえこ

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2017/10/26 (木) ~ 2017/10/31 (火)公演終了

満足度

Voyantroupe=海賊ハイジャックの舞台は、前回作がよかったので、次の機会も観たいと思っていたのだけれど、危うく見逃しそうなところを、偶然発見。やはり、集客にはメール配信は不可欠ですね。

さて、今作。別れた男女が縁りを戻す戻さないという話なのだと思うのだけれど、、、、
また、皆で肝試しに行くという話だと思うのだけれど、、、、
よく判らなかった。

タイトルからして、個人が何者かと入れ替わる(人間とは限らないが)、並行時間で物語が入れ替わる、とかなんだよね。

誰か説明してほしい。自身の解釈といっても、それすらできない私がいます。難解というのとは違うと思う。

役者さんは理解しながら、進んでいたのかなあ。

すみれの花、サカセテ。again

すみれの花、サカセテ。again

羽衣1011

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/10/25 (水) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★

リチャード・ノリジとは、郷田ほずみさんのことだったのですね。
声だけの出演ですが、声の感じが違って意外でした。怪物ランドやレオリオの声を想定するので。引き出しが増えたのですね。

さて、本作。
誤解を避けずに言えば、女性受けする作品です。
男性的には、どうも話が散漫な感じがして、面白いことは面白いのですが、
ややきついかな。

ネタバレBOX

この舞台は、ゴールが決まっていて、閉じ込められたビルから脱出することは判っているので、そのプロセスを楽しむことになります。
まあ、普通に考えると、ビル管理会社か警察に電話するということになるわけですが、そうしたら物語にならないので、お互いの意見の対立であったり、目論見があったり、意外な事実が出てきたりするわけです。
そのための伏線も一応張られています。

ここで期待したのは、チラシにある主演お二人の顔半分の写真のような、お互いの腹の探り合い。(つまり、目的は同じなのだけれど、顔半分が隠れているようにどうしても相容れない部分、隠さなくてはいけない部分がある、といった感じ)

でも、話はドタバタ展開をしていき、電話の奪い合い、ビルの周囲に人が集まったり、実は過去の知り合いだったことが判明するといったことになる。
結果として、外に出るのは他愛ないことが判り、また、救助に人が駆けつけてくれたりするわけで、問題は難なく解決するので、サスペンスフルな展開があるわけでもない。

緊張感の中での笑いという感じにもなっておらず、ショートコメディの連鎖が、ひたすら続いていくといった構成になっている。
これは、おそらくアラフィフの女性2人がやると、ちょっと見ている方がつらい。彼女たちの年齢を、お互い揶揄する場面(結婚や顔の皴など)がやたらと出てくるのだけれど、30歳後半とかならまだシャレになるけれど、50歳近いとなると、イタイだけだ。
もう、そんなことは通り過ぎているだろうに。

別にシリアスな芝居を期待していたわけではないけれど、「地下室のメロディー」みいたいな、お互いの存在・立場に焦点を当てたやりとりが欲しかったな。

燃えあがる荒野

燃えあがる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/24 (火)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/10/20 (金) 19:00

まずは、この大作を3巻分2時間20分にまとめた上に、昼夜公演で演るというのは並大抵のことではない。敷島4兄弟の描き分けがすごくよくできていて、全く似ていないのが凄いなあ。次男は大陸を流浪していることもあって、1人他の兄弟と接点がないのだけれど、それゆえかしがらみなしで、暴れる暴れる。かなり凄惨な人生を歩んでいるけれど、まさにヒーロ然として、爽快感を覚える。
次作は来秋とのことだけれど、かなり先のことに感じられ、観劇後の高揚感をそこまで維持できるだろうか。
でも、さすが直木賞作家の作品、女性陣の配置には娯楽性も高く、結構なエロチシズムを醸しておりました。

ネタバレBOX

ラストの長兄と三男の対峙は見ごたえたっぷりでしたね。外務省と関東軍という組織の尖兵として、銃を構える三男に、胸を突き出す長兄。この対立はどこに行きつくのだろう。次男と他の兄弟との邂逅は、四男大丈夫か。これだけの作品なのに、ドラマ化とかされていないのかな、映画化の話があってもよさそうなのに。
でも、舞台化に臨んだピープルシアターの意気込みに感謝。
☆5つと行きたいのだけれど、他の方も述べているように、舞台装置が次男のみを映えさせていて、どうしても場面転換に難があるなあ。回転舞台を使って明治座か国立劇場で観たかったな。(でも、観劇料が半端なくなるだろうけれど)
犬狼都市

犬狼都市

Project Nyx

芝居砦・満天星(東京都)

2017/10/19 (木) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/10/19 (木) 19:30

座席1階2列

説明書きにある通り。澁澤龍彦の世界に偽りなし。全編に流れるエロチシズム。いかに幻想譚として魅せるかに、ひたすら注力した、その執念に感嘆しました。
演技に還元できない部分を、朗読で補うのは致し方ないとして(その線引きが難しいのだが)、それはコロス的でけして劇の邪魔になることなく、そこの「存在」に語らせるのだ。
音楽、舞踏、映像、オブジェや衣装で、見えないものを見させようとし、それが相俟って1時間40分間、澁澤の精神世界を再現し続ける。素晴らしい。

ネタバレBOX

水嶋さん、朗読はこの舞台の肝です。初日とはいえ、噛みすぎ、活舌もけしてよいとは言えず、タイミング間違いもありちょっと足を引っ張りました。ご本人が一番分かっていることなので、鞭打つようで心苦しいのですが、2日目以降がんばってください。
そこで☆1つ減です。
三編の様々な結末

三編の様々な結末

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/10/16 (月) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

朗読劇はたまに見るのだけれど、開演前にはいつも「聞くだけなら、ラジオでもテープでもよいのではないのかな」などと思いながら、毎回その舞台性に負けて(つまるところ、舞台の役者と観客が向かい合い、反応し合うことの醍醐味に快感を覚える)帰宅の途に着く。
今回も同様だ。
役者は衣裳も来ていないし、舞台装置もない。でも、存在するという、ごく単純な事実が声に身体性を持たせて、その都度異なる感情のハーモニーを作るのだなあ、と思う。

特に今回は、それを強く思った。

ネタバレBOX

作品の性質は全く違うのだけれど、どれも、うまく余韻を残し、幾らかの悲哀と希望を感じさせてくれることでは共通する作品だ。

解説では「システム」「杉山さん」「対の人形」の順だったので、その進行だと思ったのだけれど、「対の人形」からのスタート。どうしても、オムニバス形式だと、最後の作品の余韻を引きづりやすいのは否めない。
でも、これ「対の人形」が、最後だったら、結構、舞台の印象は変わっただろうな、と思う。「対の人形」が、淡々と、えぐいくらいの人生そのものの残酷さと底知れぬ数奇な運命の在り方を、物(2つの人形)に託して綴っているのに対して、他の2編は生きていくこと瞬間瞬間の残酷さを描くにとどまり、どちらかと言えば話は軽快で、時折ユーモアさえ交えていく。
それほど、「対の人形」は重い。
そこに希望が見いだせるのは、お互いに気づかなかった双子の姉妹の最後の邂逅、そこに登場する妹の孫娘の未来と、妹の娘の思い出があるからにしか過ぎない。

姉は今度5歳の時に別れた妹と会った時には、そっくりだから必ず気付くはずだと思っていた。しかし、気付くことはなかった。姉と妹の容姿を大きく分けさせたものは、何だったのだろう。それはあのもうひとつのきれいな人形に対する欲望だったのか。

「対の人形」はもともと小説だとおっしゃっていたから、作品としても古いのかもしれない。そこで順番が前に来たのかな。順番については、いろいろと考えられるけれど、「対の人形」の招いた胸の痛みが、最後まで響いた。その意味では、最後がよかったのかもしれない。

今、ちょうど昼の舞台上演中。「対の人形」の話は、かけおちのところまでいったかな。
ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.5

ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.5

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2017/10/04 (水) ~ 2017/10/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/10/04 (水) 19:00

3作品とも秀作。これは絶対観るべき。
初日の『ゲシュタルト崩壊』を観て、休憩時間にすぐ、翌日の『サイコパスは猫を殺す』を予約。一早く3作完全制覇に乗り出しました。
『ゲッペルス劇場』では、ドイツの話をハングル語でやることへの違和感(でも、日本語だったら何の違和感もないのに)と、演技と字幕との視線の移動の慌ただしさで、かなり観劇に戸惑いましたが、ものの10分もすれば慣れて、舞台を満喫できました。
翌日の『サイコパスは猫を殺す』では、現代の韓国が舞台で、字幕の位置も把握できていたので何ら問題なく楽しめました。

『ゲシュタルト崩壊』
「突如発見された謎の回転物」が何かが判らず、とても抽象的な説明書きを読んだ時には、シュールな演劇なのだろうなあ、と思いましたが、実はかなり土着的(日本的)で人間の業に迫る話。舞台は地獄です。
役者さんが素晴らしく、役柄に応じた変幻自在の立ち回りを見せます。劇後に役者さんを拝見して驚いたのは、役者さんのサイズは普通なのに、舞台上では異なるサイズに見えたこと。見聞鬼(小鬼。とてもチャーミング)の磯部さんは、舞台では子供らしく小さく、閻魔大王の細村さんは、舞台では最高権力者としてとても大きく見えました。
審判を取り仕切る秘書官の鬼は、審判の時には背筋を伸ばして溌溂としていたのが、職を辞し賽の河原で石運びをするようなると、とたんにショボクレた生気のない存在になる。複数の役を兼ねている役者さんも、役に応じて大きくなったり小さくなったりする。演技とは身体表現なのだな、と改めて思いました。
鴻上尚史さんの舞台の影響ですか、ダンスあり、仕掛けあり、小ネタあり。

『ゲッペルス劇場』
ヒトラーと共に、自分たちの強大なコンプレックスを糧に、ひたすら社会への報復に邁進するゲッペルスの姿は、おかしくもあり醜悪でもある。わずかな被害者は、自らを巨万の人々への加害者となる。神とは、平等とは。
舞台に投影される当時の映像は鮮烈で、時折ふりまかれるユーモアで弛緩した気持ちに、すぐに冷や水を浴びせる。
ヒトラーを前大統領になぞるとすれば、ゲッペルスはあの人かな。

『サイコパスは猫を殺す』
ひたすら滑稽な団地の会議は、各々の狂気を披見させ、次第に背筋を寒くさせていく。サイコパスは誰だ?ラストも衝撃(笑劇?)の2段落ち。とにかく、嫌~な作品。後味は決して良くないのが魅力かな。

ネタバレBOX

『ゲシュタルト崩壊』
回っていたのは死生、つまり輪廻転生のことでした。
ラストの3段落ちは、舞台の伏線回収もしていて、すっきりと、そして感動的です。
見聞鬼の死んだ親への慟哭は、彼女の内面を前面にさらけ出し涙を誘います。
閻魔大王が、現世と天国への厭気から、何者かに動かされている自分を否定するように地位を投げ出すのには強い共感を生み出します。
そして、秘書が繰りした、同じ人物をひたすら裁き続ける様は、自らを永遠に裁くという地獄だったのですね。

『ゲッペルス劇場』
ゲッペルス役の役者さんは、この役で賞をとっただけあって安定のうまさです。でも、歴史上の人物、それも画像が出るとなると、どうしても、元人物の方に印象が振られてしまうのは仕方がない。ちょっと大きすぎるんだよねえ。ヒトラーも同様、大きすぎる。
ベッセル役のキムさんは、その狂気を帯びた目つきと可逆性あふれた言葉使いが最高。
韓国の石橋蓮司と称そう。ベッセルは、先生と牧師、母親と並ぶ、いやそれを超えるゲッペルス誕生の立役者だな。

『サイコパスは猫を殺す』
惜しむらくは、301号室の男とストーカーまがいの警察官がラストに関わらないことかな。単なる賑やかしに終わっているのがもったいない。301号の男と警察官は同一の設定でも面白かったのでは。であれば、彼が最初の被害者になるというのもありだったような気がする。
ちょっとした気の病は、集積するととめどもない狂気になるという話。

ゴーレム

ゴーレム

糸あやつり人形「一糸座」

座・高円寺2(東京都)

2017/09/28 (木) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/09/29 (金) 19:00

座席1階1列

丸山厚人の熱演、人形たちの狂演。
33年毎に現れるゴーレム、それは実在するのか否か。
時間は繰り返され、またその進行を自在にする。
幾つもの反復は、時間の経過自体を無効にする。
ふぁから、因果や空間認識は意味をなさない。

人形遣いと人形、ラビとゴーレム。この2つの関係をうまくまとめた舞台。
人形は人形遣いを操るようになり、ゴーレムはラビを離れて自我を持ち始める。

「そうか、私は、、、、」主人公は何のためにそこにいて、何をしようとしたのだろうか。

音楽・音響が繊細で、園田容子さんが1時間40分ひたすら、舞台に心音を与え続ける。
楽曲や歌、効果音が何倍も舞台空間に、ある時は拡がりと奥行き、ある時は歪みと爆発、ある時は停滞と蠢きを与える。
Bunkamuraの「羅〇門」よりも、遥かに「百鬼オペラ」。音ではこちらの圧勝。

望むらくは、演出家の意図や場面解説、歌詞を入れたパンフレットか、シナリオが欲しかったな。いらないのに売っている舞台も多いのに。

ネタバレBOX

ゴーレムは誰だったのか。
ゴーレムは巨大化して、そして崩壊する。

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