GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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羅生ノ鬼 ~地に咲くは、かくも美しき桃の花~

羅生ノ鬼 ~地に咲くは、かくも美しき桃の花~

風ノ環~かぜのわ~

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/02/28 (水) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2018/03/02 (金) 19:00

座席1階B列9番

桃じい(老後の桃太郎)、お岩(桃太郎のおつき)が出てきた冒頭の部分では、その安定した演技に期待感が高まり、これは2時間楽しめるな、と。

でも、30分も経つと失速感がすごい。
よくあるパターンに陥ってしますうんですよね。
活劇を中心とする劇団がはまりやすいのは、
①設定の説明(これは必要なのですが)
②活劇
③裏切りや事件
④愛情ないし友情による翻意
このパターンで、②と③をいかに増やすかで物語を進めること。
別に悪いと言わけではなく、②と③が単に場面転換のためだけに、同じテンポ、トーンで繰り返されるので、すぐに退屈してしまう。
で、最後はめでたしめでたし、なんだけれども、破綻がなければ、意外性もなく、童話やおとぎ話が持つ妖や残虐性があるわけでもない。

そしてよくある、死んだ人物がいつのまにか生き返っていたり、死んでなかったりで、よく判らない。おいおい、お前は少年ジャンプかい、という展開で、悲劇性のかけらもない。

物語としては面白い設定なんだけれどなあ。残念。

うーん、端の席だったら立ち上がっていたかもなあ。

ネタバレBOX

父神のいい加減さに唖然。自分の行為が全ての元凶なのに、ずーと放置し放し、やっとこさ、事態が行き詰ってから出てきては、元妻(母神)に頭を下げて許しを請うという体たらく。
母神も自身の子供たちの命をも奪おうとする怒りで、父神殺そうときているのに、父神の「愛している」連発で、ころっと許して2人仲睦まじく、去っていくなよなあ。
異邦人

異邦人

東京演劇集団風

レパートリーシアターKAZE(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/03/01 (木) 19:00

懼れていたことは、朗読劇に終始ないかということ。原作はムルソーの内面を描き切ったものだから、その心象風景を描こうとすると、映像のような編集可能な見せ方ならともかく、空間が固定的にならざるおえない舞台では、ついついセリフに頼らざるおえないだろうと。

確かに、ムルソーの内面の独白シーンは多い、しかし、舞台として、演技として、身体表現として成立していたことを称賛したいと思う。

ムルソーが母親の葬儀に出向き、その後に海岸で殺人を犯す。ここまでの前半は、確かに静かで、役者さんたちの動きも少なく、淡々と進んでいく。それでも会話が散りばめられ、後半に向かって不穏な空気を湛えながら、物語は高揚感を増していく。
これが、後半の予審から法廷にかけて、突然スピード感を増し、役者さんたちの動きが目覚めを迎えたようにキビキビとしだす。そこで行われる検察と弁護士の噛み合わない裁判。証人という第三者にしか描き出されないムルソー。曖昧なままの、ムルソーへの罪状。ムルソーの裁きに、ムルソーの存在自体が喪失されていく不条理。
原作の展開を、見事に舞台化している。
ラストに神父に向かってなされる、神の否定の宣言。
レパートリーだからこそ、練り上げられてきた脚本と、試行錯誤された演出、役者の理解・表現の掘り下げを経た演技、その成果を(まだ発展途上だという期待をもって)観られたことは、まさに幸せだった。

さて、1つだけ、気になったことがあるので、それについて述べさせて欲しい。

「今日、ママンが死んだ」この有名な出だしで始まる、カミュの反抗劇。
この表現は、けだし名訳だと思う。この最初の一文としては、何かが起きている、という不安な推察を読者に抱かせるのだが、訳で敢えて「ママン」というフランス語の表現を残しておくことで、何か微妙なズレを、尋常なさざる(いわゆる「普通」「常識」「通常」とは無縁の)何かが起きるであろうことを、予測させるから。言い換えれば、この訳は、ここからは読者の考える「世界」ではなく、カミュの「世界」が繰り広げられる、という宣誓ともとれる。

舞台は、やはりこの言葉で始まる。
しかし、舞台としてのセリフでこの「ママン」は必要であっただろうか。文章と違い、舞台上では舞台装置があり、実際この舞台では、生活空間がなく、舞台は屋外でもあり屋内でもある。すでに十分に、これから起こる舞台上でのできごとは、尋常ならざる世界なのだということが判る。不思議なもので、文字としては衝撃的なこの一文も、セリフにすると、けっこうやぼったい。ここは「今日、かあさんが死んだ」くらい平板にする勇気が欲しかったような気がする。

ちなみに、前回公演よりも敷かれた砂の量が格段に少なくなったようだが(敷き詰められたものが、今回は部分部分のみ)、こちらの方が、空間を限定しないのでよかったと思う。(法廷でもあり、海岸でもあり、カフェでもあり、アパートでもあり、というように)

殺しの神戯

殺しの神戯

虚飾集団廻天百眼

ザムザ阿佐谷(東京都)

2018/02/25 (日) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/27 (火) 19:00

座席1階2列

アンケート用紙を見ると「なぜ、今回の公演をご覧になろうと思われましたか」との回答の選択肢の1つに「ザムザ阿佐ヶ谷だから」とあった。これは言いえて妙。早速〇をつける。
そうだよなあ、私が観るザムザ阿佐ヶ谷での芝居って、月蝕歌劇団、緊縛夜話、B機関、ザムザで観る劇団には否応なき独特の匂いがあるものなあ。本能が呼ぶのかな。(単なるエロ・グロ趣味?劇団の皆さん、怒ったらごめんなさい)

さて、宗教の力をもってして殺しを請け負う殺し屋たち、彼ら彼女らには序列があってNo.で呼ばれている。この設定にして、「殺しの神戯」というタイトルからしても、鈴木清順監督「殺しの烙印」を意識したものは自明。

ただし、話は殺し屋同士の序列争いにいくのではなく、平将門の怨霊が封印の緩みから禍々しい霊力を導き出し、その霊力の化身"桔梗"を、No.4"歩き巫女のサロメ"が東照宮まで護衛して連れて行くという話。その先には、様々な思惑で、殺し屋たちが立ちふさがり、"桔梗"とNo.4"歩き巫女のサロメ"をなきものにしょうとするが、ついに世界は、、、という話です。

それぞれ、殺し屋は二つ名を持っているのですが、No.2は確かにストリップの名の通りストリップでしたが、No.3はポールダンスなのに、ポールないじゃない、というのが観客の当然のツッコミ。
さて、舞台の評価ですが、いやあめくるめくなあ。皆さんエログロを強調されていて、その通りなのですが(今回、あまりグロは感じませんでしたが)、地獄と現実の狭間を取っ払い、観客を双方の狭間で引き摺り回すがごとき物語展開は見事です。だからといって、物語が混沌としたり破綻したりすることはなくて、ちゃんと対決は対決として成立させているし、桔梗の児童性と禍々しさはうまく表現されているし、見終えたときには一服の清涼感さえ感じる、整然としたお芝居でした。

前説で、かなり客席に水ものが飛び散るとのことで、2列目の私は身構えましたが、月蝕歌劇団ほどではなく一安心。(とはいえ、もっとやって欲しい、という意味ではありません)でも、どちらにしても、洗濯大変そう。

ラストの生首が、ドラマ「アンナチュラル」の井浦新にそっくりなのは、笑えました。

また観に行きます。

ネタバレBOX

ラストに全てが地獄に飲み込まれてしまう、あるいは地獄と現実の境目がなくなってしまう、といった展開は、大仰なようですがかなり見ごたえありました。
真実

真実

文学座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2018/02/24 (土) ~ 2018/03/05 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/02/26 (月) 19:00

座席1階I列3番

期待を上回る出来、全てを把握していると思っている主人公ミシェルが、妻と親友と親友の妻(ミシェルの浮気相手)に、さんざんパラ振り回されるというお話。
渡邊徹さんの舞台は、初めて観たのだけれど、さすが文学座。
ちょっととぼけた味わいを終始醸しながら、その臆病な性格から慌てては驚き、言葉を詰まらせてはボケまくる。
ひたすら同じ話を繰り返すところに、ミシェルの現実逃避への志向が読み取れて、とにかくおかしい。
いやあ、時間を忘れるくらいに笑わせてもらいました。

ネタバレBOX

ラストはやられたなあミシェル、と思わせておいて、もうひと捻り入れるところが秀逸。
この辺りは、それまでの妻役、古坂るみ子さんの毅然とした演技がとても活きていました。で、誰がどこまで嘘をついていたの????(笑)
『戦争戯曲集・三部作』

『戦争戯曲集・三部作』

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/25 (日) 11:30

昨年、日程の都合で観ることができず、今回やっとの観劇。と思ったら、卒業制作での公演は、今回が最後とのこと。観終わって、図らずもその事実に落はんすうしたくなる落胆した。

この芝居、中毒性が高い。1度見るだけでは消化できないし、もう一度、1つ1つの場面を反芻したくなる。とはいえ、限られた期間での、数回の公演。再見したくても時間が取れない。ということで、初の翻訳本を劇場で、購入した次第。
戯曲というより、まるで詩集ですね。第一部冒頭から、不思議とランボウの「地獄の季節」を思い起こす。このタイトルが、戦争戯曲集の1つ1つの場面を想起させるからかもしれない。

うーん、また観たい。でも、商業的に客を集められるような舞台ではなさそうだし、8時間上演は、役者の確保とあいまって難しそうだし、何よりも1000円という価格で、ここまで上質の舞台を観ることはできない。

役者さんの力量はもちろんだけれど、佐藤信、生田萬の両演出家の力量にも関心することしばしば。

ただし、第3部の老婆は、ちょっと元気がよすぎて、テンポが速めになってせわしく感じたけど。

人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

いけない!!!
カメラ忘れた。そうだドガドガは、終演後に📷撮影ありだったんだ。
(私、ガラ携なので、写真撮影の画像が悪くて)

このたび3回目の、ドガドガ観劇。勝手知ったる浅草にて、軽ーく一杯やっての観劇。
こちらも、3回目の東洋館。相変わらず、エレベーター遅いぞー(笑)。

いやあ、ドガドガははずれがない。なので、演目に関わらず毎回見ようと思っているのですが、「ロミオとジュリエット」「金色夜叉」ときて、今回は「人形の家」。換骨奪胎どころか、トロイの木馬並みの意外性と、案外しっかりしたテーマ性。

今回、ノラならぬオラが、子供と夫を残して東京に出てきて、真の愛と自由を見つけるといった話。探しに来た夫も、今は農業で成功し金持ちになっており、東京で新しい愛を見つけて、子供と一緒に田舎に帰ってめでたしめでたし、というお話。

途中、ひたすらアンダーヘアの話で盛り上がりますが、そこはドガドガの品のあるところ、けして下にのみ流れることなく、下の毛の存在を人間の実存に結び付け、生きること・自由とは何かについて新たな解釈を提示します。

錦糸町って面白くって、江東区側にはラブホがあるのに、墨田区側にはないんですよ。でも、風俗は墨田区側にもあります(雑学)。

また、次回も行きますね。

夜、ナク、鳥

夜、ナク、鳥

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/24 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/22 (木) 14:00

座席1階C列10番

「夜、ナク、トリ」このタイトルは、劇中でも触れられるナイチンゲールという鳥のこと。
別名、小夜鳴鳥、夜鳴鶯、墓場鳥とも言うらしい。この鳥は、劇中では黒くて気味の悪い鳥のように言われているが、鳴き声が美しく、褐色のかわいい鳥だ。
「ナイチンゲール」という命名が、どのような所以なのかは知らないが、言うまでもなく、この名前から想像するのは、かの白衣の天使である。
保険金殺人に走る4名の主人公たちを、看護師と墓場鳥の2面から比喩している素晴らしいタイトルだと思う。

吉田、石井、池上、堤、もの覚えの悪い私が、しっかりと役名を覚えるくらいに、この4名の主人公たちは強烈でした。特に、松永玲子の演じる吉田のキャラクターは最強(最凶)で、憐憫、懐柔、親身、恫喝と恐ろしくその表情を変えます。何と言っても、池上の夫殺しには、自分では一切手を染めない狡猾さ。
吉田の夫の死は、劇中で語られていませんが、殺人ではなかったのでしょうか。
単に、多額の保険金が入ったことに味を占めての、計画殺人だったのでしょうか。
未婚のような堤が、あれほどまでに吉田に従順なのはなぜなのでしょう。

池上に付きまとうようにいる、亡き夫の幻影。
吉田は、精神科医への相談を勧めますが、この幻影、妻に殺されたにもかかわらず、
妻の健康や行動をいつも心配して付き添っています。この距離感や、深い愛情は池上の願望?それとも本当の心霊現象?

堤は患者が亡くなったことに悲嘆しながら、保険金殺人の計画には余念がありません。

石井はひたすら殺人に疑念を抱いていますが、蟻地獄のような保険金殺人計画から抜け出ることはできません。そこには親友の幸せ、子供の幸せという、甘い餌がまかれているのですから。

4人の殺人行動の拠り所は「友情」。彼女たちには、裏も表もなく、常にその時に重要と思われる正しいことが存在するのです。

もちろん、その破綻は、暗に終幕で暗示されています。

日常に横たわる暗い闇。それはすぐそこにあるのです。

『人魚 ―死せる花嫁―』

『人魚 ―死せる花嫁―』

鬼の居ぬ間に

王子小劇場(東京都)

2018/02/21 (水) ~ 2018/02/26 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/02/21 (水) 19:30

座席1階1列

鬼の居ぬ間には「土蜘蛛」以来の2度目の観劇。「土蜘蛛」が時間軸を交錯させて、人間関係を逆転させたり、そこに伏線を盛り込んだりして、かなり複雑な構成をしていたことと比較すると、この物語はかなりストレート。

このストレートにさは、作者が長く温めていたタイトル「死せる花嫁」に込められた念のようなものが反映されているような気がしてならない。
捻りがない、という評価もあろうが、むしろこの捻りのなさでぐいぐい引っ張っていく力強さは尋常ではないと思う。

冒頭の生贄にされる女性と一緒に、盗んできた人魚の肉を食べ、400年の命(1切れで800年生きたという伝説から、半分ずつ食べて400年)を近いあう主人公。このシーンは見事なまでに美しい。ストレートに予見される悲劇が、このときの2人の会話を神々しくさせている。

ネタバレBOX

おぞましい遺体と、幻想として現れる女性と主人公との会話との対比が、当然ながら悲劇の度合いを上げてくる。主人公の「一緒に海で暮らそう」という慟哭で終わる手もあったかと思うけれど、ラスト、僧侶が主人公を供養する一瞬の場は、落としどころをしっかりさせていて、すごく観後感をよくしている。
疫病神

疫病神

ピヨピヨレボリューション

北とぴあ つつじホール(東京都)

2018/02/21 (水) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2018/02/23 (金) 19:00

座席1階K列5番

フライヤーの魅力がすごくて(王子一帯は、このフライヤーとポスターまみれで、まさに北区ピヨピヨ状態)、とにかく観ねばなるまいと思い、足を運びました。タイトルの簡潔さも、とても好感触。

内容としては、かなりつらい物語。セクハラによる内面葛藤劇なので、時宜を得ているのでしょうが、どうしても主人公のめぐみに感情移入ができないので、今一つ消化不良。
この感情移入ができない理由は、彼女がタカビーだからではなく、彼女があまりに周囲の人間に愛されすぎているというところにあると思う。
めぐみに疫病神が生まれ(憑つく)、酒に溺れ周囲の人間を傷つけていく、それを克服していく姿勢に共感を持つ向きもあろうが、それは観客の立場でこそ持てるもので、実際に彼女の周辺では、暴言・愚行に辟易する向きが大半であるはずだ。

その孤独を掘り下げずに、皆、彼女のことが好きだった、彼女の価値を再発見した、というところにまとめられると、ちょっとなんだかなあ、という気がしてくる。

彼女は被害者であることで、当然に同情され励まされる立場だとは思うけれど、何分、導入部で語られるように、タカビーで自意識過剰な女性なのだ。彼女をもともと嫌いという人が多くいて当然。むしろ、彼女の破綻への道筋を喜ぶ風潮があってしかるべきではないか。

自分自身について、周囲の人間にインタビューを試み、それをきっかけに再生を図るのだけれど、それほどまでに自分が好きなんかい!とつい、ツッコミを入れたくなってしまう。

彼女自身が疫病神になるきっかけを、別のテーマで構成させ(その性格に全ての原因を持たせてもよかったのでは)、そのままあの歌とダンスでいったらどれだけ、すっきりしたかな、と思う。あるいは、徹底的に嫌な奴を貫くとか。

ピヨピヨは初観劇なので、この劇団について知らないことばかりで申し訳ないけれど、ちょっと消化不良でした。もっと、歌とダンスに振り幅を大きくして、ハンドレスマイクでミュージカル的な構成にしたらよかったのに、と思う。

テーマ重くない?というのが、どうしてもついてきてしまって、すんなり歌やダンスが楽しめなっかたのが、むしろひどく残念。でも、とても好きな劇団が、また1つできました。

また観に行きます。

蟲喰い公演「ドグマンダラ 」

蟲喰い公演「ドグマンダラ 」

企画団体シックスペース

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/26 (月)公演終了

満足度★★

鑑賞日2018/02/25 (日) 19:00

座席1階1列

題名を読んでの通り「ドグラマグラ」を原案に持っているが、導入部と記憶を自ら辿っていくという設定までは同じで、ストーリー展開は全くの別物。むしろ、コメディといった方がよいかと思う。
フライヤーのような、エロとドロドロ感はほとんどなく、非常に乾いたタッチでストーリーは進んでいきます。ちょっと、期待とは違うかな。

ネタバレBOX

プレミア席でいただいた「青森のせむし男」のDVD楽しみに見せていただきます。
死ぬか生きるか!

死ぬか生きるか!

オルテ企画/アミューズ/アタリ・パフォーマンス

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/02/18 (日) 13:30

座席1階17列17番

80歳超えの本題の伊東四朗さん、芝居やドラマならばまだまだご活躍いただけるだろうと
信じていますが、生コントとなると、、、、
と心配して来場された方が多かったようです。
よって、会場は大盛況。一瞬観劇を迷ったのですが、すぐに決断してよかったよかった。

千秋楽ということもあって、失礼ながらやはり疲れは隠せませんでした。
かなり声が出にくくなっていて、(カーテンコールで三宅さんがばらしていましたが)セリフ忘れも多いようでした。
まあ、そこはアドリブで双方おぎなっていたようです。

構成としては、次男の伊藤 貴明さんがコントの幕間に、写真で四郎さんのバイオグラフィーを紹介して、計5本のコントを披露してくれました。
劇団員の皆さんの伊東さんの思い出話は、今一つだったかな。でも、この話は毎回同じなのだろうか。(でも、こういうことやるから、ラストステージ感がまんさいになっちゃうんだけれど)

猟師の話が、一番ナンセンスというかシュールというか面白かったかな。

とにもかくにも、伊東四朗さんを堪能できた2時間でした。
三宅裕司さんの企画、舞台上でのフォローにも、観客として深く感謝いたします。
お2人ともありがとうございました。

ネタバレBOX

ただ、テレビと勘違いしているのか、観客マナーはかなりひどかったですね。
遅れてくるのが多いし、後列への配慮がない動き、係員への無茶な注文とか。
ちょっと、いらだっちゃいました。
スモール・フリーク・ショー

スモール・フリーク・ショー

ひねもすほろすけ

シアターシャイン(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度

鑑賞日2018/02/17 (土) 17:00

フリーク好き、タブーなんて糞くらえ、見世物小屋をやりたい、といういうのなら心意気やよし。力いっぱいやればよい。
しかし、暗いの、醜いの、禍々しいの大好き!ということなら、決定的に力不足。

障害者、欠損者の役はただただ不快だし、一方差別用語や猥雑な表現の頻発は何らカタルシスを晴らしてくれない。

だって、小さいとは言ってもフリークショーなんでしょ、もっとフリークに敬意を払って楽しませて欲しいなあ。

テンペスト

テンペスト

劇団つばめ組

シアター風姿花伝(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2018/02/17 (土) 13:00

座席1階1列

新たな表現・解釈なのか、それとも悪ふざけ・仲間内ウケなのか。
観る側の評価は分かれるでしょうね。

当日劇場に向かうと、前説をやっていてシェークスピア演劇について役者さんたちがウォーミングアップをしながら語っている。はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ」よいセリフを、久しぶりに思い出させてくれました。

そこで、言葉の多義性について語られるのだけれど、私も以前思っていたことそのまま。何で「テンペスト」って題なの?「嵐」でいいじゃない、嵐が起きる話なんだから。その後、「テンペスト」には「バカ騒ぎ」とかいう意味があるので、そういう意味を含めて、多義性を残すために「テンペスト」という題のままにしているんだよ、と誰かに教わった。(でも、シェークスピアがそう言ったのか?彼の戯曲の題名は人名が多いし、喜劇のタイトルでもそんな多義性を持たされて現代まま、ってあったか?)

前説では、その後シェークスピアは難しい、という意見を受けて、だったら私たちが判りやすく演じればいいんじゃないかということになり、舞台が始まる。

「テンペスト」の「バカ騒ぎ」という意味を、「嵐」同様に尊重しながら。(というより、思いっきりそちらに振り切れながら)

当日のパンフには、仲条裕さんが、
そもそも、当時イタリアになど行ったことがない人物が、イタリアの物語を作り、それはなんと英語でセリフが書かれており、その400年前の戯曲を日本人が今や演じるというとんでもないことしよういうのに、本格的とか亜流とかがあるはずもない
ということを書かれていた。

結局、そこが肝なのだろう。
歌謡ショーあり、水着あり、i-phoneあり、バレーボールあり、確かにバカ騒ぎが展開される。
面白くないかと言えば、展開の読めなさ加減は心地よいくらいだし、確かにストーリーの骨格は原作通り。まあ、そういう作りもあるよな、というのが感想だ。

ただし、1つ提案させていただくけれど、フライヤーを見る限りでは、こうした展開になることは微塵も感じさせていなかった。(正確には「潤色・演出」という肩書と「人間と妖精のカーニヴァル」という表現にそれを読み込むべきか)
パンフにあった仲条裕さんのコメントを少しでも織り込んでくれたらと思う。
なぜなら、おそらく観劇の可否の判断には役立ったろうから。
私の左の男性は眠ってしまったし、右の女性は明らかに舞台の進行に混乱していた。

シェークスピアを観よう、つばめ座は西洋古典の正統派劇団だという認識で来た方の戸惑い(あるいは怒り?)は、間違いなくあったように思う。

試み自体を否定するのではない。その宣言が欲しかったと思う。

We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.
「われわれ人間は、夢と同じもので織りなされている。




法師ノ旅

法師ノ旅

直也の会

シアターX(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/16 (金) 18:30

座席1階1列5番

仏は人間を救えるのか。
凄い芝居を観たな。スケール感ももちろんだけれど、人間の内面にある仏性とは何かについて、ダーマという修行僧を通して突き詰めていく物語は、さながら怒涛の心象風景。

フライヤーでは、二反田雅澄賛のコメントが数多く掲載されていましたけれど、何とも言わんおや。前半の豪快で粗野な、それでいて人の好いダーマが、中盤を通じて師の教えを振り返りながら、自身の仏性に目覚めていく姿は美しい。サシャシカとダーマとの問答は、この舞台最大の見せ場だけれど、どんな言葉が発せられるのか、時間が止まったような緊張感を発していた。

最前列上手通路側、おそらくだけれど上手の通路の方が役者さんの通行量が多かった。
とにかく、戦闘シーンで通路と舞台を駆け上がり、駈け下りる時の迫力はヒェーてな感じ。皆、槍や剣を振り回して(といっても、観客に当たらないようにちゃんと加減しているのだろうけれど)声を張り上げて走るので、ワッ、ワッ、ワッとなってしまう。

結構、舞台下に隠れたりするシーンもあり、足元にダーマが這いつくばっていたりと、臨場感が凄い席でした。そういう芝居中もセリフを喋っているのだけれど、多くの人には見れない、聞こえないのだろうな、この経験ができたのは14名だけだったとはちょっと至福。

ネタバレBOX

ラスト、9年間の修行を終えたダーマのところに、煩悩(ダーマの子供時代)を連れた布を被った人物が訪れる。ダーマはその人物を一瞥すると、弟子たちと共に座るように促し、一言発するところで舞台は終わる。
この人物、直也さんが演じている(ただし、舞台が終了して布を取ったところで判る)のだけれど、死んだはずのサシャシカと解してよいのかな。彼はまだ、悟りを求めてさ迷っており、ついにまたダーマの元に現れたのだと。
二人芝居「パ・ド・ドゥ」

二人芝居「パ・ド・ドゥ」

劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)

スーパーエキセントリックシアターSETアトリエ(東京都)

2018/02/19 (月) ~ 2018/02/21 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/19 (月) 19:30

座席1階1列

価格1,800円

ノワール(永澤洋、立川ユカ子)の回を鑑賞。
SETアトリエへの地図を検索しても出てこないので、難儀しました。
会場は満杯で追加の椅子も設けられるほどに盛況。関係者も多かったのかもしれない。
受付、案内などの劇団関係者の手筈もきびきびして気持ちがよい。やはり、若手劇団員はこうじゃなきゃ。
昨日、紀伊国屋サザンシアターで三宅さんの芝居(コント)を観たばかりだからか、舞台の内容と相俟って、これがSET?とよい意味での違和感を得た観劇でした。

被疑者の女性Aは殺人未遂で訴えられている。これを弁護する弁護士Bは女性の元夫。
Bは他に好きな女性ができて、離婚。BにはAへの慰謝料500万円が重くのしかかっている。
 しかし、そのBを弁護士に指名したのは、A自身である。そして、殺人未遂の被害者Cは、Bの大学時代からの親友で、AをBに引き合わせた人物。CはAのマンション4階の部屋のベランダから落下し、意識不明である。Cは現在Aと付き合い、妻帯者であるが離婚を進め、将来的にはAとの結婚を視野に入れている。Aは被害者の子供を身ごもっている。(妊娠はしているが、誰の子かは明確にされていない)

こうした設定で、AとBのパ・ド・ドゥが進められていく。
Aの行為は殺人なのか、過失なのか、事故なのか。殺人とすれば、その動機は?Aの子供の父親は本当にCなのか?そもそも、AとCとは、どういう関係にあったのか?CはBをどう思っていたのか?遡ってAとBとの離婚の引き金は、本当にBの浮気だけなのか?

現象としての真実があるとすれば、それを知っているのはAだけだ。Aに翻弄されるBというのが、物語の骨子なのだが、Bも負けてはいない。幾つかの調査で、Aの嘘を暴いていく。それをAが別の展開でまた切り返して(Aの言い分としては、真相を語るといった形で)いくのだが、その切り返しも切り返されて、、、
それでも、舞台は深い愛の物語、涙涙に終わるかと思いきや、、、

2人舞台では、セリフのキャッチボールを緩急・抑揚で、喜怒哀楽を織り交ぜながらリズミカルに呼吸を合わせなくてはならない。何せ、独白を除けば、セリフを話す相手は1人なのだから、同一のリズムに落ち込んだらアウト。そうすると、セリフを聞いている側の表情・動作が重要なのだけれど、ノワールの2人はその受身に空白がない。相手の長セリフの間も、無言だが一切停止することがない。言葉を1つ1つ受け取りながら、その感情を表現していく。見事。

ただ、この芝居は会話劇に失われがちな動きを、ところどころに散りばめながら、停滞をうまく回避している。2人の抱擁シーンのギミックも、演出の勝利です。

これで映画1回分1800円は安いわ。今後も同様な企画を期待しています。



ネタバレBOX

この舞台の導入部、Bは電話で離婚裁判の話を当事者の妻と娘と交わしている。夫が浮気をしたらしい。この舞台には、離婚という問題が色濃く漂っている。AとBの離婚原因もいわゆる浮気だし、CもAの話を信じるならば、Aと結婚するために離婚を画策しているらしい。

パ・ド・ドゥとは西欧的な愛の表現。AとBの間に愛はあったのか、今でもあるのか?それでは、AとCには愛があったのか?

序盤の、2人が夫婦と判るまでのゆるーい展開から、殺人、離婚、愛憎、虚言と重苦しいテーマが次々と扱われ、Aの告白のたびに、舞台のボルテージはどんどん上昇していく。しかし、それでも2人のパ・ド・ドゥは本当に真実に迫っているのかが皆目わからない。

ラストで何かを話そうとするA。それを強く遮るB。その一言で真実が明かされるのだが、舞台はあえてそれを求めない。そもそも、その一言さえも、真実である確証はないのだから、それは無意味なのだ。

なお、Bが調査や裏工作を頼んでいる「サキ」なる人物、この女性がBの恋人なのか?と思わせておいて、実は「さきしま」という男性だったことが判るというオチは好きだな。
皆殺しの天使

皆殺しの天使

“STRAYDOG” Seedling

ワーサルシアター(東京都)

2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2018/02/16 (金) 14:00

座席1階2列2番

STRAYDOGの舞台は、過去に拝見したことがあるけれど、“STRAYDOG”Seedlingとしては初見。

いやあ芸達者な皆さんです。
とにかく、テンポよく一切の淀みを生ずることなく舞台は進行していきます。
今回はAチームを観たので、ヒロイン朱玲花を森岡里世あんが演じています。

この朱玲花、日本語がよく判らない(というフリをしている)設定で、誤った日本語を使うだけではなく、ダジャレを連発する。「私」を「タワシ」と言うし、「ありません」を「アリマオンセン」と言う。幾つものこれらの表現を繰り返し繰り返し使う。その上、相手の日本語がよく判らないという設定だから、会話がかみ合っていないことがしばしばある。
だから、通常の会話設定がなされていないわけで、これを破綻させずに演じ切るというのはよほどの鍛錬と才能がなければできないと思う。まずは、その点が素晴らしい。

舞台は小ネタと情報量に溢れ、同じ設定のネタ(例えば「〇〇ー人名、ってもう死んでいるけれど」これに返しで「いやまだ死んでいない」というのも入る)がリフレインする。突然、漫才を始めたり、昔の歌(子連れ狼!とか)やコマーシャルフレーズ(あたりまえだのクラッカー」が頻出し、ダンスも披露。とにかく楽しいこと、楽しいこと。
蘊蓄が多い人ほど楽しめる舞台だ。
 こうした舞台は、観劇者も気が抜けないし、役者さんの脚本への練度は並大抵のはずはない。ただただ、凄い。
 しかし、もったいないと思うことも幾つかある。例えば、アドリブだろうと思われるシーンが幾つかあるのだけれど(赤羽一馬さんパート)、当然、観客のうけを狙うだけに、それまでどんなギャグにも冷静に対応していた役者さんたちもつい笑ってしまうこと。これが楽屋落ちのようで、舞台の品を少し貶めているような気がしてならない。

しかし、舞台として考えると、どうか、、、、




ネタバレBOX

主人公詐欺師の坂巻は、田舎で一儲けしようとするが、それが映画のオーディション。しかし、どうもオーデションの態をなしていない。この場面だけ妙に寒い。

そして、コメントのように楽しいのだけれど、ストーリーが散逸してしまい。
ラストでヒロインを殺し、主人公がその死に泣き叫ぶ、という落ちはちょっと安直に過ぎる気がする。なぜかというと、人間関係がよく判らないまま進んでいき(例えばドクターと朱の関係)、感情の交換場面が少なく(朱と酒巻を中心に)、そうなると朱の死が意味するところや、酒巻が慟哭する意味が分からない。

もうちょっとストーリーの展開に軸足を置いて、一本芯を持たせる必要があったと思う。そこが残念至極。
嗤うカナブン

嗤うカナブン

劇団東京乾電池

ザ・スズナリ(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/14 (水)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2018/02/07 (水) 19:00

座席1階1列1番

唐組3人、東京乾電池3人でがっぷり4つのというところだけれど、当日は辻さんがお休みということで(理由は判らないけれど、今はやりのインフルかな)、唐組2人と東京乾電池4人という座組。演出が柄本さんなので、やはり乾電池から出した方がスムーズということなのだろうか。

パリ・北沢という設定なのだけれど、背景に書かれたギャングの面々は、皆アメリカ人。
これ狙ってそうしたのかな。

唐組と東京乾電池この接点がよく判らないのだけれど、芝居全体としてはよく調和していたと思う。うまく捻りが効いていて、淀みなくストーリーが進むコメディ。

で、「カナブン」って誰だったの?

追記:そうか、コガネムシとカナブンって違う昆虫なんだな、と感心した次第。

ハンブルク・バレエ団『ニジンスキー』

ハンブルク・バレエ団『ニジンスキー』

東京文化会館

東京文化会館 大ホール(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★

鑑賞日2018/02/12 (月)

期待外れ。
バレエで人生を語ることは無理なのかな。
もっとソロを多くして、舞台一杯を使う工夫をしないと、3階席では何をやっているのかが全く分からない。

通常のバレエ演目だと、あらかじめ舞台装置や美術、音楽が舞踏をドンドン引っ張ってくれるのだけれど、それがないので、とにかく冗長。

ブラボーをやたら叫んでいる男性がいたけれど、そうか?
私の横の老紳士が、儀礼的に拍手をした後、カーテンコール時にも沈黙を守ったのは、
私と同じ感想だと確信した。

若い江頭2:50が多くのダンサーの間を、ただちょろちょろしているようにしか見えなかったけれど。これで11000円はないなあ。

CAPTAIN CHIMPANZEE 都電荒川線借り切り公演

CAPTAIN CHIMPANZEE 都電荒川線借り切り公演

CAPTAIN CHIMPANZEE

都電荒川線(東京都)

2018/02/11 (日) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2018/02/11 (日) 13:10

座席1階1列17番

日曜のお昼、天気も良くほっこりとした時間帯のほっこりとしたお芝居。
往復拝見しました。

往と復では、役者さんが全て入れ替わります。
都電荒川線はドアも開放感一杯で、ガラス戸の面積がともかく半端なく広い。
そこで、鬼の角を点けたり、占い師とかがいるのだから、周囲の注目視線が凄い。
何やっているの?目線が半端なく来ます。そして、信号や駅待ちがあるので、止まっているときは、反対側のホームの方々や電車待ち客、とにもかくにも衆人環境にさらされまくります。

16席限定ですが、席としては18席あります。
言わずもがな、2席は演者の方の席。
運よく往路17番の席に当たった方には(当日にならないと判らないですけれど)、「ネテバレ」をサービスしますので、ご覧ください。

それと、撮り鉄でない方も、是非カメラは持参されることをお勧めします。
公演後の数駅では、写真撮影OKなので、役者さんはもちろん、風景やレトロな車内をガンガン撮りましょう。

17:30からの大塚での打ち上げ、参加したかったです。都合が悪くて残念。
次回期待してます。

天気も良く、三ノ輪の散策も楽しんで帰らせていただきました。
幸せな1日をどうもありがとうございました。
(なぜ、三ノ輪には日本蕎麦屋と餃子屋があんなに多いのだろう)

ネタバレBOX

往路18番席は役者さん席(復路は違います)。
3話目の「やさしい鬼塚さん」の際に、役者さんが演じた後、一旦席に戻ります。
席に座った役者さんはiPhoneをいじっています。
本来はやってはいけないことなのですが、これも演技だと思い画面を覗きこみますと、、、
さすが芸が細かい。
彼女が(舞台設定で)神と崇め、苗場に目指すユーミンの写真と苗場のスキー場の地図を観ておりました。これ、17番席でしか確認できないので、是非ご覧下さい。
「マーニ ~その隠された人生~」再演

「マーニ ~その隠された人生~」再演

SPPTテエイパーズハウス

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2018/02/11 (日) 19:00

やはり、年代を問う舞台ですね。
50歳代半ばの私などは、どれも楽曲が流れるたびにもう目頭を押さえてしまう。大変失礼だと思いながらも、そこにマーニがいて、ヘップバーンがいて、ユル・ブリンナーがいてと想像するだけで、演技の可不可やちょっとした不出来など気にならないくらいに楽しく美しい舞台でした。

ただ、この年代をというという点、役者さんにとっても大きかったのではないでしょうか。
というのも、女優陣全員が役にはまり切って、全力疾走感半端ないのに(まさに、私は女優よ!と全身で、他の役者さんたちと渡り合っている)、若手男優陣がダメダメ。だって、こなし感一杯で、まあやっています、というくらいに乗りが悪い。演技に本腰が入っていないというか、やらされ感まで漂っている。
妹尾さん他のベテラン男優陣が、この時代のハリウッドに対するリスペクトが体とセリフで一杯いっぱいに溢れているから、一層、もっさりとした印象が強調されている。嫌ならやめれば、とまで言ってしまおう。

私は舞台としては、1人の人物を描くうえで、エピソードを中心に時間軸を交差させながら進めるというやり方は王道だし(といっても、他の方法は想像もできないのだけれど)、よくまとまっていると思う。だから、周辺の部分が粗い(拙い)と、それだけで興が削がれるのだよなあ。

でも、この時代のミュージカルが好きな方には、やはりお勧め。


ネタバレBOX

YUMIKAさん、あの衣裳を着て舞台に立てるなんて一生ものです。お見合い写真とかに是非使ってください。本当にキレイ!もちろん、素がよいからですけれど。
こういう舞台こそ、写メとかしてくださいよ。ブロマイドなかったですよね。うーん、欲しい!!!

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