満足度★★★
鑑賞日2018/02/17 (土) 13:00
座席1階1列
新たな表現・解釈なのか、それとも悪ふざけ・仲間内ウケなのか。
観る側の評価は分かれるでしょうね。
当日劇場に向かうと、前説をやっていてシェークスピア演劇について役者さんたちがウォーミングアップをしながら語っている。はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ」よいセリフを、久しぶりに思い出させてくれました。
そこで、言葉の多義性について語られるのだけれど、私も以前思っていたことそのまま。何で「テンペスト」って題なの?「嵐」でいいじゃない、嵐が起きる話なんだから。その後、「テンペスト」には「バカ騒ぎ」とかいう意味があるので、そういう意味を含めて、多義性を残すために「テンペスト」という題のままにしているんだよ、と誰かに教わった。(でも、シェークスピアがそう言ったのか?彼の戯曲の題名は人名が多いし、喜劇のタイトルでもそんな多義性を持たされて現代まま、ってあったか?)
前説では、その後シェークスピアは難しい、という意見を受けて、だったら私たちが判りやすく演じればいいんじゃないかということになり、舞台が始まる。
「テンペスト」の「バカ騒ぎ」という意味を、「嵐」同様に尊重しながら。(というより、思いっきりそちらに振り切れながら)
当日のパンフには、仲条裕さんが、
そもそも、当時イタリアになど行ったことがない人物が、イタリアの物語を作り、それはなんと英語でセリフが書かれており、その400年前の戯曲を日本人が今や演じるというとんでもないことしよういうのに、本格的とか亜流とかがあるはずもない
ということを書かれていた。
結局、そこが肝なのだろう。
歌謡ショーあり、水着あり、i-phoneあり、バレーボールあり、確かにバカ騒ぎが展開される。
面白くないかと言えば、展開の読めなさ加減は心地よいくらいだし、確かにストーリーの骨格は原作通り。まあ、そういう作りもあるよな、というのが感想だ。
ただし、1つ提案させていただくけれど、フライヤーを見る限りでは、こうした展開になることは微塵も感じさせていなかった。(正確には「潤色・演出」という肩書と「人間と妖精のカーニヴァル」という表現にそれを読み込むべきか)
パンフにあった仲条裕さんのコメントを少しでも織り込んでくれたらと思う。
なぜなら、おそらく観劇の可否の判断には役立ったろうから。
私の左の男性は眠ってしまったし、右の女性は明らかに舞台の進行に混乱していた。
シェークスピアを観よう、つばめ座は西洋古典の正統派劇団だという認識で来た方の戸惑い(あるいは怒り?)は、間違いなくあったように思う。
試み自体を否定するのではない。その宣言が欲しかったと思う。
We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.
「われわれ人間は、夢と同じもので織りなされている。