tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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荒野に咲け

荒野に咲け

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/12/15 (日) ~ 2024/12/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

時代を反映してか、(イキウメ前川氏程でないが)桟敷童子東氏の戯曲も、ある時期から無慈悲な冷酷な現実を映し出す場面を含む作品が散見される。「エトランゼ」を思い出す。貧困の再生産という事が言われるが、言語が示す「平均的」イメージはそれとして、本作では「頭が悪い一家」と、その自意識からのひずみが家族を病ませて行く「パターン」を描出している。
病的な被害妄想を楽観的に変えようとしない母孝子(板垣)、家出したその娘香苗(大手)、彼女が発見された後面倒見がてら雇われる事になる親戚の営む食堂(仕出しもやっている地元の老舗会社)で彼女の面倒を見る事になる恵子姉さん(増田)、毎度のお婆役だが今回は最も時代に乗り自由を謳歌し、どん詰まりの所で香苗を救う事になるヒサ(鈴木)、今回はこの四女優の形象が優れていた。普段とは違った役柄というか佇まいの親戚の叔母二人(川崎、もり)も良かった。男優はそれぞれ役としての存在感を持ちながらもアンサンブルに徹し、女優を光らせていた、という印象が強い。
無惨で悲惨な日本のどこかに今もあっておかしくない現実を、目を見開いて凝視させる筆力、役者力、アンサンブル、微細な伏線を大きな変化に繋げる技も見事。装置を駆使したクライマックスをラストでなく少し手前に持って来て、ファンタジックな場面を介して小さな光あるエンディングへ誘う。この場面に登場するアイテムは「現実」の峻厳さに見合う迫力を備え、必見である。

白衛軍 The White Guard

白衛軍 The White Guard

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2024/12/03 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ブルガーコフ作品だと気付いたので急遽予定を組み、足を運んだ(チケットも余裕で取れた)。
劇場都合なのかどうなのか・・新国立主催公演では久々の中劇場。つい2階席を懐具合と相談して買ってしまい、残念な観劇となる確率が高いのだが、今回は二階からでも舞台が近く感じ、役者の姿も声もしっかり入って来た。(劇場都合なのか・・と疑問がもたげたのは小劇場が似つかわしい舞台に思えたので。)
ロシア革命前夜、ではなく革命直後のウクライナを、大ロシア帝国の王ツァーリを主と仰ぐ「白衛軍」側の家族の目線で描いた作品だ。スターリン支配下のソ連で苦悩の作家人生を送ったブルガーコフを題材にした劇団印象の前作をおぼろに思い出しながら、劇としては面白く観た。ソ連に組み込まれる以前のウクライナとロシアの関係(地続きに隣接するヨーロッパの国々の事情は測りがたいものがある)や、闘う者たちが帰依する対象(何に殉ずるのか)を相対的に評する視点があり、だからこそドラマを描くのだ、という作者の声が聴こえるような気がする。
物語の主人公はトゥルビン家の兄弟アレクセイ(白衛軍の部隊を率いる大佐)とニコライ(若さで血沸き戦いに漕がれている)、そして界隈のマドンナ・エレーナ。舞台はこの家の広い居間で旧知の者(殆どが軍人)が出入りする。この家の人たちに憧れて遠方からやってきた若い学生(従兄弟)が唯一の非軍人。厳しい戦いを強いられている白衛軍だが、ドイツの支援が期待され、エレーナの夫は「政府の用事」と称して序盤にベルリンへ赴くのだが、ついにドイツ軍は援軍をよこさず、白衛軍は敗北する。白衛軍の指導的立場であったゲトマン率いるゲトマン軍に属するレオニードもエレーナ目当てに家に出入りする一人だが、戦いの終盤においてこのゲトマンの逃亡を目の当たりにする。
作者は白衛軍の目線でドラマを描き出しながらも、陣営の正当性を主張するものでは勿論ない、のだが、ただ、国内のロシア支配から脱却せんとする民主勢力ペトリューラ軍は残虐に描く。日本における日本赤軍事件が象徴する「左翼」「過激派」のイメージに近い。そして終幕、ウクライナ首都キエフを陥落したのはロシアから進軍したボルシェビキであり、民衆は早くも彼らを歓迎し、それを自嘲気味に揶揄する白衛軍の居間の会話が「平和」の時間の中で交わされる。
古いロシアによる支配による平和秩序を尊ぶ白衛軍は歴史の必然のように表舞台から退場し、新たな時代を迎えた瞬間で物語は幕を閉じる。トゥルビン家の長男・アレクセイ大佐が戦闘で死に、それを目の当たりにした同じく建物内に追い詰められたその弟は命からがら帰還するが、精神を病む。
敗北の悲劇を経て、訪れた日常において人間が平和を享受する尊さを描きながらも、人間が「平和ゆえに」腑抜けて行く予感が漂う(とは穿った読みかも知れぬが)ラスト、人生の喜劇を滲ませる。

装置、音響が優れ、演出の勝利にも思える(ワンツーワークスの古城氏が今年の記憶に残る演劇作品として本作の「二幕」を挙げていた。二幕って・・)。
戦闘シーンの頻出する芝居だが、ある局面で舞台奥にある箱の中でかなりの衝撃だと分かる爆発音が鳴る。(銃の音もちゃちい火薬の鉄砲ではなく十分に衝撃音を出すものを使っている。)
ほぼ邸の居間が舞台。冒頭から秀逸であったのは、ロシア人気質というものを恐らくは体現しようとした男らの言動。妙に人懐っこく、喧嘩っ早く、日本人感覚では甘えん坊と揶揄されかねない人物像をそれぞれ作っていた。
現代のウクライナ・ロシア戦争を「評価」する際においても感ずる事だが、あまりに無自覚な自己投影(相手も自分らと同じ文化を有しているという前提)によって価値判断をしていないか・・。
他国領土に侵攻したロシアの行為は許されるものではないが、許す許さないを超えて事態は動く。そこでは「違反者=絶対悪」という単純思考では物事の先行きは見通せない事実に直面させられる。
ウクライナの西欧への接近は長い近隣の歴史の流れの中ではどう意味づけられるか・・100年前のウクライナの歴史という一つの点を、「他者(他国民)」理解の補助線を引くために活用し、文脈を見て行く態度を獲得していく事が肝要ではないかと思えてならない。「知る」という事は押しなべて人の人に対する「断罪」という愚かさを遠ざける側に機能するのだと思うし、そうありたい。「面白い!」とかみしめた味の中身は、そういう事であったかも。

イヨネスコ『授業』

イヨネスコ『授業』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2024/12/17 (火) ~ 2024/12/21 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「イヨネスコ『授業』」とは何なのか。奇怪そのものの戯曲は人の心の深層を叩いて来るものがあるが、正体は漠としており強度の高い解釈を作り手に求める。
結論的には、面白いパフォーマンスであった。教授役は前回のリーディング企画で「お国と五平」の男役をやった男優で、人間の「狂気」の背後に流れる何かを、想像させるに十分な奇怪さを体現した。
私はSPACで西悟志氏の非凡な演出による本作を目の当たりにしたので、「あれを超えるものはあり得ないし」と敬遠する向きがあったのだが、楽園王なら観る価値はあるかなと、(他の公演と散々迷った挙げ句)新たな「授業」を観る気になり足を運んだ。
面白かった。
醸されていたニュアンスを言葉化するのは難しいが、言葉が見つかったらまた書いてみる。

杏仁豆腐のココロ

杏仁豆腐のココロ

ヒトハダ

浅草九劇(東京都)

2024/12/12 (木) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

恐らく10年以上前に観た鄭義信作の四人芝居「アジアンスイーツ」が良かったのでその後上演のあった本作も観たが、もう一つだった記憶。笑いの仕込みが効果を持つためのベースとなる人情の層が脆かった印象で、脚本の強度の問題か、役者の問題かと考えたものだった。今回そのリベンジを、と速攻で予約したが、鄭義信氏による演出は前回も同じであった(認識違い)。アララと若干の失意を覚えるも、今回は村岡女史の出演である。久々の浅草九劇の客席に滑り込み、煌々と露わな舞台上のリアルに雑然としたコタツのある畳部屋を眺めながら開演を待った。
村岡希美の登場。書籍を抱え両手塞がった状態でコタツ脇へ足を運ぶと灰皿を引っ掛けそこに足を突っ込み、「うわちちち」と足を挙げて下せば雑巾がけの水が残ったバケツの中、「あっ」。徐に足を出し、靴下を脱ぐ。白金に染めたショート、セーターとパンツ。こういうリアルにアットホームな村岡女史は見た事がなかった。やがて浅野雅博の登場。クリスマスを舞台にしたハートフル・コメディは二人芝居だけに役者の負荷は大きい。そして最終的に本作は女性主導の芝居と言え、村岡希美の出色の演技(隙が無く完璧)により、出色の舞台になった。

ロミオとジュリエット

ロミオとジュリエット

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/12/07 (土) ~ 2024/12/12 (木)公演終了

実演鑑賞

新国立の研修所生公演で「ロミジュリ」は新鮮に見た。岡本健一の演出は民藝アトリエ「破壊」公演で一度目にし、自身による劇伴(ギターによる)を今回も使っていたが、効果的。対面客席(バルコニー席を入れると四面)の中央に正方形のリングのような台、周囲を客入れ時間から台詞を言いながら騒がしく歩き回る。両家の「争い」の側面が強調され、戦争が続く現在の世相を目の当たりにするような視覚的な演出が際立っていた(上演台本も岡本氏による)。

『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』

『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』

あやめ十八番

澤田写真館(東京都文京区本郷4-39-9)(東京都)

2024/12/12 (木) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

実に色んな「楽屋」を観て来たが、さらに新たなバージョンを目にした。生音楽入り。写真館というので興味津々で訪れたが洋館の内装、白い階段のある高い天井の屋内で、緩急、BGM(生ピアノやボンゴ、キーボード)も効果的で元気の良い「楽屋」であった。

「Fearless People―フィアレス ピープル/恐れない人々―」

「Fearless People―フィアレス ピープル/恐れない人々―」

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)

2024/12/10 (火) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

今年は同作者による「玄界灘」(こちらもリーディング)が圧巻であったが、本作も作者の魂のこもった作。青年劇場俳優の語りを通して前景化して来る後半はその思いに同期して涙する。
ミニュシュパリズム=地域主権(等の翻訳がある)を体現した杉並区長選(これを追ったペヤンヌ・マキ監督のドキュメンタリーはリアルな日本の光景とは思えぬ眩しい絵を映している)がふと想起される架空の街(上水市)を舞台にしたドラマだが、独自な作劇を成し遂げている。劇の始め、道路建設反対を唱えていたはずの候補(保守の現職に対抗した候補)の当選後に手の平返しはカジノ問題での林横浜市長の記憶もよぎるが、印象としては小池都知事もダブる。要は利権優先で動く政治と社会への「諦め」を象徴する出来事だ。
これを冒頭に据え、地域主権を模索する人々の姿を群像として描く。これに絡む「他者」が、架空の地方(桃山県)選出の長老国会議員の死により急きょ後継となり上京した長女。彼女と、上水市の活動市民が集うカフェを繋ぐ「他者」が同市で図書館司書をする同級生の女性。
議員を辞した長女の後を担った弟、その母の場面も、固陋な政治家の家系の象徴として描かれる。またひょんな事から昔実家にいた家政婦が長女の元に現われる等もある。上水市の活動市民らの間にも「敗北」からの離別があり、存在感を増すに従い吹く逆風も経験する。だがこのドラマでの最も大きな「変化」は、自分の疑問に真正面にぶつかって行く姉の姿と、家の伝統との狭間で葛藤し始める弟である。新しい議員生活を忙しい忙しいと悦に入っていた自分が、ただ(己と自分の家族の)地位を守るためだけに立ち居振る舞う、つまらない存在に見えて来る。それに対し、理に従って行動して行く姉がまぶしく、本物に見えて来る。
仲間との活動の中で市長選出馬への決意を固めた長女に対し、現職と遺恨の間柄となってしまった選挙参謀的人物の支援を手回ししようとした母に対し、弟は恐らく初めて声を荒げる。それは古い自分の「敗北」の叫びでもある。
演出は作者有吉朝子と同じ劇団劇作家所属の坂本鈴。可能な範囲で無対象の動きや交流を挟み込み、新鮮であった。メッセージ性、というものとすこぶる距離を取った作劇の印象であっただるめしあんとは一線を画した明快なメッセージソングを指揮した事自体も新鮮。

線引き~死者に囲まれる夜~

線引き~死者に囲まれる夜~

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2024/11/14 (木) ~ 2024/11/21 (木)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

コロナ期以来の配信を有難く視聴した。「死に顔ピース」に通じる「死者」をめぐる家族の物語。通夜の日に亡くなった父(の魂)が、棺桶に足を入れるのを逡巡している。それを見る白髪の女(これは彼の母にも見えるが不明)、やがて先立った妙齢の女が和装で現れ、彼は最愛の妻との再会を喜ぶが、そこで死を自覚する(ちょっとコメディ風)。妻は旅館の女将であり彼は経営者であった。一方喪服の親族たちの間の会話で、旅館は3年間閉じていた事も。久々に旅館の一室に集まり、葬儀屋の男、息子三人、叔父とその息子、仲居だった女性の孫、長男の妻と娘、叔母たちにより家族のドラマが語られるのだが、そこらをうろつく父の姿がやがて息子らの目に見えるようになる(見えない人もいる)。家族問題の中心は巨額の借金。長男が叔父の勧めで最初は幾ばくかの負債の返済のため先物取引に手を出したがそれが雪だるま式に増えた事が窺える。が、長男は詳細を話さない。脚本上は主人公(観察者)に三男を据えているが、人も寝床に入った深夜、彼の前で次男は長男との絶縁を吐露する。また父(死者)が長男の妻に、遠慮なく離婚をしなさいと勧める。
劇終盤はその後日談、十数年後。三男は葬儀以来会っていなかった長男の危篤を、彼の娘から知らされる。妻は一切タッチしないらしく、自分が立ち回っているのだと言う。彼は考えた後この事を次男に伝える。皆に会いたいと病床で訴えているそうだ、きっと罵倒してほしいんだと思う・・当然のように固辞する次男。三男は彼に、自分は会って来ると言う。行って思いきり罵倒して来る、と。
不幸な帰結を迎えた家族とその人生を、死者を介在させながら描いている。古今東西描かれ尽くされて来た家族の不幸(と再生)のドラマの範疇に属し、特段珍しい事実もなく、現代風俗が盛り込まれた訳でもない物語を、死者の介入、巻き戻しやムーブといった演出を駆使しつつ見せた。

雪間草(ゆきまそう)-利休の娘お吟-

雪間草(ゆきまそう)-利休の娘お吟-

劇団前進座

たましんRISURUホール(立川市市民会館)(東京都)

2024/11/20 (水) ~ 2024/11/20 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前進座は恐らく十年近いブランクで二度目の観劇。
前回は「南の島に雪が降る」という演目が目当てで武蔵野市民文化会館まで足を延ばしたのだが、役者が登場すると拍手、見栄の演技にスポット照明と、演目とそぐわない歌舞伎風の演出に奇妙な感覚をおぼえた記憶。この演目は、黒澤映画の常連加東大助(前進座所属)が自らの従軍体験を元に記した(に違いない)同名の著作によるもので南洋での珍しい逸話をなぞった舞台。
いわゆる時代物ではないのにあの演出?という疑問からすると、今回の作は時代物だがそれにしては「現代の演劇」としてごく自然に見られた。
利休という人物をめぐる話をを史実に基づきながら翻案した話で、茶道の精神を利休本人からでなく、真摯に道を究めようと勤しむ利休の娘と弟子を通して語らせるのが効いている。秀吉とのフラットな関係の空気から、朝鮮出兵という野望に対し反対の立場に立つ事で利休の前に大きな権力が立ちはだかる。この急転回に至るくだりのみ、(突如の睡魔で)私は見逃し、観劇としては骨抜きになってしまったが、それはともかく。。
戦争が持ち上がる事によって、それが茶道と相容れないものである事が浮かび上る。利休は秀吉の実弟から兄に出兵を思いとどまらせるよう説得を頼まれた格好で、それがゆえに切腹を命じられ、終盤のクライマックスとなるが、大団円は場面変って茶畑のある村。本編中ロマンスのあった利休の娘と弟子が夫婦となって移住しており、村人らの「茶」を巡っての交流がある。剣呑な権力の中枢と対置された「平和」が象徴され、村の長老的人物が顔を出し利休の成り代わり?と思わせる台詞で客席に笑いを起こす。
史実では利休は朝鮮出兵の折は利休の地元である堺に蟄居を命じられ、その後その地で行なった行状が秀吉の逆鱗に触れ切腹となる、とされるが、あらゆる説があり、秀吉を怒らせた直接の原因は不明。ただ切腹斬首、さらし首というのは事実のよう。
芝居にある茶畑のある村は、九州の何処かと思われるがこの部分は翻案だろう。大名らに親しまれた「茶道」から、温暖で天候の良い土地を選ぶお茶を作る農村の場面への展開が鮮やか。

SEXY女優事変ー絶頂作戦篇ー

SEXY女優事変ー絶頂作戦篇ー

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2024/11/24 (日) ~ 2024/11/30 (土)公演終了

実演鑑賞

SEXY女優事変シリーズ第4弾、見応えあり。やはり楽曲(歌)+踊りが良い。AV業界に生きる女の事を言っているが、その詳細への無粋な言及をうまくかわしながら「性を売るエンタメ」業界に生きる者の「矜持」を潤滑油に多様な人物らのドラマを縦横に描く。望月氏も得意なテーマなのだろう、俳優らを萌えさせる役人物の設定、軽重様々な場面と風景、敵味方もないまぜの群像劇に才気を見せる。
広がり過ぎの感のあるアレコレを回収するに終盤中々ざっくりと捌いてさっさとエンディング、というのは毎度の傾向のようで。腕に覚えのある劇作家ならこうは書かないだろう感じはあるのだが、これはこれで良い気もする。

ネタバレBOX

映画の場面が浮かびそうな特徴的なエピソードは物語の軸をなす。風俗の界隈に迷い込んだやさぐれ男(現新興宗教の教祖=牧師の過去シーンだと判って来るがぶっ飛んでる)、一人の女を当てがわれ恋人を演じる事で「食って行く」家業に身を落す。世話をした男が時々、友達を装いつつ監視にやって来る。この場面のBGMというのが、前に深夜放映していたアニメ「アカギ」のようなフォーク風(楽器はエレキだがギター一本)でドガドガでは中々耳にしないジャンルだがこれも効いていた。女が男を慕えば慕う程男はやるせなくなる。そして絶望的な場面を迎える。
冥王星の使者

冥王星の使者

流山児★事務所

新宿スターフィールド(東京都)

2024/11/21 (木) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々に旧タイニィアリス(現新宿スターフィールド)へ、天野天街演出(今回は演出協力とあり、演出クレジットは流山児だったが、天野氏が加わって天野色にならない舞台は考えられない)による、高取英戯曲の上演を観に行った。
流山児事務所は主宰の意向で色々試みをやるが、今回は演出の名前に加えて、最近流山児やPSYCOSISを通じて高取英世界に関心がもたげており、当日思い立って予約無しに訪れた。・・のだが、我らが天才演出家・天野氏は今年夏に亡くなっていたと終演後の挨拶で知る。少なからず衝撃を受ける。(7月に少年王者舘公演を目にした時は既に他界されていた事になる。初日のコール後流山児氏がこれを告げるのを聞きながら顔が歪むのを隠せない俳優に共鳴しつつ胸に刻んだものである。)
今回の舞台は天野演出の王道(?)である繋ぎ(しりとり)台詞、映像・音響等、実は少年王者錧メンバーの協力もあって実現したとの事。また旧月蝕歌劇団メンバーの参加もあり、高取そして天野という両鬼才へのトリビュートの趣きであった。
当劇場の狭い客席に、隙間が出来る程の平日昼の入りであったが舞台はひたすら熱く、(過剰な声量と演技が入って来ない瞬間も正直あったが)天野天街スピリッツに最後にまみえる機会を得、幸運であった。
高取作品は今回で確か3~4作目の観劇になるが、歴史的事件を国、時代を超えて交錯させ、ファンタジックな構成の中で時代精神の共通項を抽出するといったものが多い。今作は3つの相が入り乱れ、中々込み入った筋をかなりバッサリとやって見せていた(と見えた)が、力技でラストへ押し込んだ感である。
高取テキスト的にはもう少し歴史事件の意味を吟味したくはなるのだが、天野氏に掛かると、過剰と欠落の大波のようなうねりの後、ほっと凪いだ波間にたゆたう言葉の破片だけが、恐らく観客の脳裏に残るという案配式(否、言葉さえも、さぁっと舞台袖へと吸い込まれ、何も残らない)。
出来事の嵐の中に生きる人間の手に握りしめるものは小さく、いつしか手元から消え去っている。それでも何かは残るのであり(その次元では人は魂というものをおそらく信じている)、己の生が儚く消えようとする時にそれを存在の証として抱きつつ眠りにつく。「意味」を超越した天野的世界であるが、ご本人はどんな世界を見ながら旅立ったのだろう。

少年王者錧という集団はその創造精神を継いで何らかの活動をして行くのだろうか・・。今後を見守りたいが今は故人の冥福を祈り、かのめくるめく時間を反芻する事にする。

できないなんていわないで。

できないなんていわないで。

TOKYOハンバーグ

サンモールスタジオ(東京都)

2024/11/15 (金) ~ 2024/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

この所は2回に一度程の頻度で観ているハンバーグだが、前作がこども食堂と養護施設を取り上げたように、社会問題の集約する場所を題材に取る姿勢が今作でも明快だ(相変わらずチラシでは題材は不明だが)。
敬意を表してここでも題材は伏せておくが、テーマの要諦を外さずにいながらポップで半ばファンタジック、そしてリアルの凝縮する瞬間がちりばめられる。私には「美味しい」場面が幾つもあった。
中心的な役を担う福寿奈央がよく、メンバーが増えたハンバーグ劇団員が舞台の柱を支え、客演たちのキャラは炸裂、温度の高い劇空間があった。公演が終わったらネタバレを気にせず色々と記したい。

お気に召すまま

お気に召すまま

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2024/11/08 (金) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

今回3度目のMSP。毎回演出もスタッフ体制もキャストも違うから舞台の見え方も違う。今回は音楽の質の高さが目についた(演奏力は毎度同程度)。主要キャストの中でラストに向けて一人抜きん出る役どころとなるロザリンドのポテンシャルが好感。

光の中のアリス

光の中のアリス

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク

シアタートラム(東京都)

2024/11/01 (金) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

松原俊太郎戯曲とスペースノットの相性よし。と言っても初めてではなかった由で(過去に二作)堂に入った舞台の印象はそれを示すものか。硬質さのあるシアタートラムの色合いも舞台に相応しく、すこぶる好印象である。これはスペースノットブランクの自作公演の掴み所のなさに比べての感想でもあるかな。個人的には全幅の信頼をおく伊東沙保を始め、スペースノットの二人も語りでステージに上がり、絡み具合もよい。
後に詳述の予定。

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

KURAGE PROJECT

シアター711(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

オリジナル「熱海」(が一つなのかも不明だが)は二度、「売春捜査官」も二度観たと記憶。だいぶ前に観た最も素朴な「熱海」が私のつか世界との遭遇でこれを超えるは無し、であったが、今回はさらに異形のバージョンを面白く観た。モンテカルロver.という脚本の特徴も一つの発見であり、俳優を凝視させる張り詰めた空間を「観る」観客自身にもある種の覚悟を要求するものがある。
うまく言語化できていないが後刻追記する。

ネタバレBOX

政治の季節から、その残滓を引き摺りながら草の根運動へ、あるいはエコロジー、原始回帰(宗教)そして少なくない人々が芸術文化、芸能へと「散った」のが1970年以降の事・・という歴史区分は自分の頭にインプットされている。演劇においては戦後政治的な左翼を担った新劇が舞台芸術において陥ったパターン化を嫌って澎湃と起こったアングラ世代、ただしその「抵抗」「アンチ」の構えは政治の範疇とも言え(私はどうやっても政治から人は逃れ得ないと考えるが)、政治的な立ち位置の「是非」を問う態度とは訣別した演劇表現が生まれる。小劇場演劇さらに静かな演劇(平田の現代口語演劇が一つの画期)、さらにはポストドラマと呼ぶべき演劇もひそかに探究されつつも今に生き延びる新劇、アングラ、商業演劇系と多種多様なスタイルが百花繚乱の都東京である。
そんなざっくりとした時代区分で言えば、つか演劇はアングラと小劇場を橋渡しする存在、と理解している。論じるだけの知識も観劇歴もないが、熱量を見ればアングラを母胎とし、一方語られている言葉は政治的な威勢の良さとは対極の次元。
「熱海」では都会への薄っぺらな憧れと見栄、しょぼくれた青春の一コマしか想起させないとある殺人事件を、捜査責任者である木村伝兵衛が傍若無人にも部下を巻き込んでわが物のごとく捏造し始めるが、彼の情熱は都会の片隅に消え、忘れられて行く最も小さき存在を、逞しい想像によって新聞を大きく飾るに相応しい事件にストーリーを書き換えて行く。絶叫のように台詞を叩き出す終盤、観客がまざまざと見せられるのは、みすぼらしく生きて死んだ若者たちを皮膚が肉薄する程に見据えるならばそこには自分と同じく渦巻くマグマの如く内奥では何かを切望し願ってやまなかった人生があった、という事実だ。政治的・社会的な「正しさ」を超えて、己自身の生を滾らせたいという欲求、願望、これが何にも優る人間の真実だ、というテーマは、思えば当時作られた多くの映画や小説に見られ、持て囃されていた。
さて今回のモンテカルロ・バージョンであるが、オリジナル「熱海」をベースにした亜種として観ないと中々厳しいように序盤では感じた。最終的に繋がりを持つ要素がいまいち関連を感じられずに語られる時間が長い。役者たちの手練ぶりが見えるだけに何故か上がって行かない事に少々倦みを覚えはじめたのだが、リアルベースでは物語の人物の連関は理解が及ばないままに、滔々と俳優が語るモードに入る。ここがつか舞台の恐らく真骨頂で、今回は棒高跳びというマイナーな選手らとオリンピック出場の有無を巡るエピソードが、リアルの土台を築き得ない内に強烈に(強引に?)展開する。そしてそれが聴かせるのだ。「リアル」の部分への自分の不足感は、私の台詞の読み解き力の問題か演技演出による伝わらなさの問題か、脚本の問題かは一概に言えないが、自分的には確固とした人物の物語(人物の関係性も)があやふやなままであるにも関わらず、大山金太郎、水野秘書、そして伝兵衛らの長台詞に、打たれた自分がいる訳である。そこにはやはり名も知られずに消えて行く人間たちがある。その者たちへの作者の眼差しを確信した時、この舞台の世界を、胸を開いて受け入れている。
「熱海」のドラマツルギーしか、私はつか作品を知らないが、他の著名な作品もいつか目にしてみたい。
いびしない愛

いびしない愛

(公財)可児市文化芸術振興財団

吉祥寺シアター(東京都)

2024/10/25 (金) ~ 2024/10/31 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

劇作家協会新人戯曲賞受賞からリアルタイムでシェアしているから親近感も違う作品であり作家。(公開審査が無くなって淋しい..何度も書いてるが。)アゴラでの初演、続いて同作家の作品を二作観て(もう一作は見のがした)、再び代表作(今の所の)がala collectionでのお目見えである。
一回り大きな劇場をゆったり使い、工場の一角らしい空間は悪くないが、この作家の特色である幡多弁の出方はもう一つだった。その事によるのか、キャスティングの問題か、劇の世界観を作る俳優たちの全体としてのまとまりと言うか統一感?バランス?はもう一歩と感じた。南沢奈央とか出てたんだ。。(と後でパンフを見て。)もう一つ、古い従業員役として振られていたのが神戸浩だったとか。軽い知的障害があり、ドラマの進行に関わり、かつ芝居に色調を与える部分で、体調不良で降板して代役として入ったのは大柄ないかつい体のこれも特徴的な役者で、芝居にハマる役作りが見えたが、イメージは違う。当初のキャスティングありきで配された俳優陣と見えなくない。そこから逆算してあれこれ思い描くと、確かに・・。この役の存在は、障害ゆえの「不安定さ」ではなく真逆の「安定」を担うのだ。絶対に流儀を変える事がなく、それゆえの(扱いにくさ以上の)信頼があり、変わらなさの救いがある。
揺らぐ主人公の対極。「無能の人」等で見せた神戸浩の(どこから来るのか知らない)動きの確かさを思ったりした。
最初に不法侵入する男も、影響を受けながら変わる人物の一人(と言っても変われる人物像として主人公に影響を与える、という事でもあるが)。
主人公(工場を苦手ながらに切り盛りしていたがコロナによる停滞に逆にホッとしている)の出戻り姉が、「やり手」である事からかき乱され、確執があからさまになる、その姉も主人公に影響を与えつつも少し変わる。
残るは自分を「働く者」として律するためにローンを組み、その確固たる人生哲学を人に勧めるという役所だが、これも「変わらない」役。のはずなのだが、登場時から特徴的なしぐさや喋りに表れていた初演の記憶に対し、今回はその揺るぎない像を押し出せてなく、割と普通に変わり得る人物として存在させてしまっていた感じがある(演技的にはそれを目指していたかも知れないが、登場からそれが見えている必要がある)。
もっとも開演後10分以上遅れて見始めた印象であるので、そうだと断定する自信はないが。
演技の質感が、もう一つ馴染んで一つのものと見えたかった感想に変わりはないが、と言って再演のある企画ではなく、勿体無い感がある。

RTA・インマイ・ラヴァー

RTA・インマイ・ラヴァー

東京にこにこちゃん

駅前劇場(東京都)

2024/10/02 (水) ~ 2024/10/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三度目の東京にこにこ、今回はRTAなるマニアックなゲームの世界が題材、という事から予想される、現実とゲーム世界を行き来する芝居であったがかなり混沌の度合いが強かった。これどっち?という境界認識の混濁が、狙いだったかと思わせる程であったが、自分の知らない分野だったせいか前半時々見舞われた睡魔のせいか・・。
相変わらず役者のトボケ振りと笑い満載の楽しい舞台。出演陣を見て観劇に赴いた自分の期待には応えてくれた。小難しい事を書けば、人物のとぼけた態度は、日常の細やかな事々に対する、疑問、疑い、相対化の視線の差し込みである、ゆえに笑える。一服の解放感をもたらす。
今後も楽しみ。

ピローマン

ピローマン

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/10/03 (木) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

以前大森の小さなスペースでこの作品をやったのを観た。工夫があって意欲的な仕事をしていた(その後また別の海外作品を横浜でやっていたのを観た、若手の実力派俳優のグループ)。
陰惨な話だが、どこか人間味がある。小川絵梨子が以前名取事務所公演で演出した演目だが、アイルランド系の劇作家として名を馳せるMマクドナーの中でも特別な作品のようだ。
二幕3時間弱が目眩く展開の内に過ぎている。
『悲劇喜劇』に収録された戯曲(今回の公演の翻訳)を読むと、初めて観るようなくだりが。処理を大胆に変えたのか、自分の記憶力が弱いのか(後者の疑いが大)。

ホテル・アムール

ホテル・アムール

画餅

浅草九劇(東京都)

2024/09/26 (木) ~ 2024/09/30 (月)公演終了

映像鑑賞

配信あり、観劇叶う(嬉しや)
「鎌田順也作品上映会」(ユーロライブ)でチラシ入手。ラッキーであった。
小野寺ずるをキャスティングし、ナカゴーから高畑女史。画餅の神谷氏以外は女性という5人芝居。
面白い。シュールにして物語性あり、鎌田順也世界の知らなかった一端を一つ知る。
上映会もその機会であったが、終了後のトークに招かれた神谷氏によれば、鎌田作品の内比較的役数の少ない3作品からこれを選び、幾らか脚本を手直ししたそう。原文のままで舞台を成立させる技術、発想はないと断念したとか。
黒一点という構図から想像される話に(終わってみれば)なっているものの、その物語ラインを行く時間は僅か。過剰と脱線の奇想天外ぶりは鮮やか。

神谷氏の述懐ではナカゴーは特徴的な台詞が動き(ギャグ)とのパッケージになっていて、笑いを作るが自分にはその動きを捻り出す発想がない、という事であった。
トークはナカゴー女優4名が登壇するも妙な空気が流れ、笑いを誘う。勢い神谷氏が喋る展開に、というのも狙ったようにおかしいが、インタビュアーになった彼がナカゴー女優らに聞けば、皆鎌田氏の演出の意図は「分からなかった」そうである(笑)

「ホテル・アムール」配信の方はカンフェティなら来週までやっているそう。

現代韓国演劇2作品上演「最後の面会」「少年Bが住む家」

現代韓国演劇2作品上演「最後の面会」「少年Bが住む家」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2024/10/04 (金) ~ 2024/10/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「最後の面会」。
「少年B」と立て続けに観た。こちらもズドンと打って来るものがあった。オウム事件をなぜ韓国人作家が?という問いには答えがあった。実行犯林泰男に面会に来る主人公の女性役が終始、相当量の熱とテンションをもって演じる。彼女を支えて来たものを次第に理解する。その彼女に最後に突きつけられる真実を、観客も彼女自身のように受け取らせられる。「少年B」と通底するモチーフが浮上する。両者の違いを考えようとする自分と、等しく見なければならないと諭す自分がいる。
両作品とも、人をある生き方の態度へと促すものがあり、それは人を裁く懲罰システムの根本の危うさをも示唆しているのだが。
オウム事件において抜かせない問いは、世界を救う事と、殺戮を結びつけていた麻原及び実行犯らの認識だが、劇中に直接的な答えはない。だが理想を目指しているという自負(主体的関わり)と、流れに抗えない空気(受動的関わり)、後者が根本だが認めるには抵抗がある。
林は忠誠を証する必要性を強く自覚する。それはあたかも日本人以上に日本人たろうとする他国人の精神構造に似る。韓国人劇作家がこの作品執筆に掛かる着眼はそこにあったか。

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