なんかの味 公演情報 ムシラセ「なんかの味」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    敢えて自分が書くまでもない出来であるからして他の方々にコメントはお任せ・・な気になるだけの「出来」であったという訳で。
    今観たい芝居全て観劇できるとしたら本多劇場グループほぼ全館に日々通う事になるこの1、2週間のラインナップだったが、迷って選りすぐって一週の内に3日の下北沢訪問。その2日目は先日観た同じ建物の(左でなく)右の方。
    ムシラセ・保坂女史の実リキを体感。出演が言わずと知れた実力派4名(内1名は若手だが先日のコクーン公演とまるで違う人物像を演じて堂々たるもの)というのも大きいのだが、脚本の巧さに今回は当てられた。
    家の中でない場所で父娘の会話が始まっている。何故こんな場所?と訝る時間も与えず穏やかならぬ会話、親子の様子。そこへその場所を管理する者(要はスナックのママ)が登場し、さらに部外者のような若い風変わりな女子がバイトと紹介され、黙ってそこに居る奇妙さも先程から解決の見えない父娘の対話に背景化し・・。
    こうした展開全てに理由があり、ある事を後の展開で謎解いて行くその途上に、(平田オリザ流に言えば)後出しジャンケン的な情報の持ち込みもあるが、これが後に必然化される。大きな事実が一つずつ、ある者の前で他の者によって、また別の者の前で他の者によって、解かれて行く。解かれた事実は一瞬にして観客の納得を得ている。
    そして冒頭から見えていた(と思っていた)よくある風景が、最後には別物(実はここにしかなかった風景)に見えている。
    観客が「あれ?」程度に判別できる小さな違和感の差し入れ方がまた巧い。

    ネタバレBOX

    唸った筆頭は、久々に目にした橘花梨の役の貫徹振り。そして娘さえ「そこまでは読めなかった」事実が、観客の目に明らかになった時、変わらぬ風情がまるで別物と見えてくる有馬自由。同じく、得意の関西弁で「大阪のおばはん」キャラ全開なのが観客サービスでも穴埋めでも無かった、と分かる瞬間に愛らしさを湛える松永玲子。これも出会い頭からの不躾キャラが百八十度違う意味を醸している(この謎解きが本ドラマの最大の胸打つポイントだな)中野亜美。
    片親欠落の境遇からの今、という事で言うと、貧困と無縁でない。それ以上に親子関係での理想の「濃度」を保てなかったゆえのこじれは、片親であるかどうかとは実は無関係だがそれはともかく・・関係のこじれ具合は様々な「今」に帰結するもので、もっと陰惨で深刻なケースがあるだろう。
    だが橘演じる女性の行動線と最後に見せる毅然とある事を拒否する態度はシビアな今に通じ、ある種の頼もしさを覚える。人間関係図が、あり得る一つのあり方としてよく考えられ、整合性があり、その理由を述べてみたくなる。恐らくああだったからこうなったのだろうし、こういう事もあったろうからああもなったんだろう、とか、色々・・。
    「なんかの味」の意味が最後には分かるのだが、「結局は食べ物だよな~」、の一例ではあるものの、作者が施した娘の過去エピソード(祖母に預けられた期間の「味」の記憶)が特殊でありながら「さもありなん」と思え、味にまつわる話題は確かに「誰しもが持つ固有の何か」であるな、と(貧乏人も金持ちも誰しも平等に(否むしろ貧乏人に)それがある)。
    ラスト、その誰しも持つ固有(大の大人なら知ってておかしくなかった素朴な事実)が、また一つ本人の発見する所となるが、「おいしい」と一言呟いてカットアウトの終幕寸前の一瞬の表情に、頑なな意思と化した娘の中にふと「透き間」が生じたようにも見える。その空隙に、今拒絶しようとした相手がチョンと入り込んで「こんにちは」と言っても不自然でない余地が、あったりするような、ないような・・。

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    2025/04/07 23:36

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