悲円 -pi-yen- 公演情報 ぺぺぺの会「悲円 -pi-yen-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    初の団体だが、他の特徴的な公演に何がしか絡んでいた記憶と、「新NISAの劇をやる」で観劇を決めた。
    風俗としてのそれ(投資流行り)の悲喜こもごもを描くにせよ、思考実験的にやるにせよ、「投資」というテーマを巡っては重要な論点があり、自分的にはそこへ迫ってほしい願望はどこかにあったが、町工場の町大田区の一角の車庫で芝居の時間を味わう趣向も一方の目玉で、その点では中々面白い体験であった。

    ネタバレBOX

    あ、「ワーニャおじさん」・・と気づいたのはラストに地味目の小柄な女性が「ねえ、おじさん」と語り始める場面で。
    最後に繋げたのね、くらいに思っていたが、後でよく思い出せばこの芝居で何らかの事業を立ち上げる「尊い目標」に開眼したらしい男が、突然前妻の実家を訪れ「土地家屋を売り払う」との決定事項を伝えた所がチェーホフの原作、ワーニャとその姪がやりくりしてきた実家へ引退した大学教授=姪の父でありワーニャの亡き妹の元夫=が「ここは売っぱらっちまおう」と軽口を叩いたのに重なるわけであった。
    確かに功成り名を遂げるに至らなかった大学教授の、興味の矛先を変えて持ち物を売り払って「次の夢」に向かおうという軽薄さは、この劇で事業に失敗して実家に戻ってきた男の「夢」という名の体の良い「軽薄な宗旨替え」と重なり、秀逸。
    ただ、ワーニャが自分の「人生」と秤にかけて絶望的な虚しさを実感するにこれ以上ない対象としての教授の軽薄さは、トリガーに過ぎず、ワーニャは人生そのものに(その気質と来歴により)激情をもって絶望している、その滑稽で無様なありよう即ち人間の実像なのであり、他は最終的に遠景となり、ただ姪のソーニャが近景に現れてワーニャの混乱を整理してやるという按配。一方この劇は「金」の方に比重があり(あったはず)、ラストで照準がおじさん側に寄った事で「ワーニャ」に重なったという訳であった。
    そしてこれはこれで成立したように思う。序盤から劇の様態としても自由極まる揺さぶり方で、主語も多数に上り、ソーニャが初めて主語となるラストは劇の一部として不自然さなく収まる。
    この日はポストトークがあり、何と岡田利規であった(そうだったっけ)。冒頭は岡田氏が主宰・宮澤氏にNISAを題材にしようと思ったのは?という質問に端を発して氏の投資経験とそれが執筆動機にどう繋がったかの流れを掘り出してくれたので、鑑賞者としては有難かった。
    同時に、恐らくは総じての括りとして本作は直前に企画としてポシャったチェーホフが(意識したかは別にして)主になっており、「投資」はエピソードを飾るエッセンス、スパイス的な位置づけであったものだろう。とは言え「風俗としての」投資を考える契機を提示したい目論見のようなものは感じ取れた。

    ただ、資本主義における「投資」とは何か、またそれが肯定的に語られるとすればその条件は何か、という部分を考えると、劇では結果的に投資話のいかがわしさの側面と、不可避な流れという側面とでどちらかと言えばネガティブな位置づけになったが、お金を注ぎ込むという行為は「子どもに対して」と考えれば愛の実践であり、企業におけるそれは企業の成長への夢を手繰り寄せる具体的なアプローチ。国にとっても同様。では何に対して、誰に対して、誰が投資を行なうのか。ここが考えどころなのであるが、機会があればまた。

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    2025/03/31 22:41

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