十二人の怒れる男
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2009/11/17 (火) ~ 2009/12/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
観客は13人目の陪審員
まず、コクーン初出演という中井貴一をはじめ、12人の陪審員の配役が
新鮮だった。品川徹、田中要次、斉藤洋介、辻萬長らの性格俳優が
揃ったのも大きい。
平面的に席を並べると「最後の晩餐」の絵みたいになってしまう
と蜷川幸雄は思い、いかに立体的に見せるかと知恵を絞った
ようだ。派手な視覚的演出が望めないので、観客が退屈してしまう
と一気に重苦しい空気になってしまうだろう。ベンチシートが舞台
を四方から取り囲み、日頃身を晒すのに慣れている俳優もかなりの
緊張感だったと思う。観客もまた13人目の陪審員の気分で舞台を
見つめる。
今回注目したのは、蜷川が上演に際して原典に当たり、
改めて翻訳して上演台本を一から作り直した点である。
この芝居の核となる「8号」同様、演出陣も先入観を捨てて、
立ち向かったというわけだ。
「改めて人間について考えて頂く芝居にしたかった」と蜷川は訴える。
人は人を裁くときにも、「自分」という人間から逃れてそれを行うこ
とはできない、ということを強く感じ、いろいろな意味で複層的に
楽しめる芝居となった。
ネタバレBOX
芝居では、やはり、最後まで意見が真っ向から対立する8号の中井貴一と
3号の西岡徳馬の対決が見所となる。3号は息子との関係がこじれている
ことから、この年頃の少年にも偏見がある。少年の無罪を認めることは
息子の行動を容認するようなものなのだろう。西岡はいつもの3枚目的洒脱さは封印し、屈折し苦悩する男を演じきった。
中井貴一の舞台を観るのは実は今回が初めてだ。演技が映像のときと同様、実に自然で、弁護士役がはまるだけに、8号の賢明さ、誠実さがよく出ていた。父佐田啓二の亡くなった時の年齢はとうに超えたが、父同様、爽やかな二枚目俳優から深みも感じさせる演技派へと脱皮した。
緊迫した空気の中で、田中要次のノンシャランとした態度が笑いを誘い、一種の潤滑油となっていた。
2号の柳憂怜は「え、あのたけし軍団のユーレイなの?」と同伴者に教え
られるまで気づかなかったほど(いま芸名が漢字なのね)自然な語り口
で観客をひきつける。
陪審員長の石井愃一もいかにもそれらしい演技で芝居を締める。
45年で初めてふだんの役どころとは違う役を演じたと言う10号の大門悟朗の
短気で怖いおじさんも面白かった。4号の辻萬長も久しく舞台を観ていなか
ったので、こういう重厚な役を演じる年齢になったのだという感慨が。無名の若手のころ、あるTVCMのコミカルな演技で注目され、「あの俳優は誰?」とメーカーに問い合わせやファンレターが殺到した当時を覚えているから。
5号の筒井道隆は三谷幸喜の「十二人の優しい日本人」と両方に出演した唯一人の俳優だとか。5号がナイフの特徴から刺し傷の矛盾点を述べる場面に注目した。これは5号がスラムで育ち、ナイフを振り回すような少年時代を送ったことに起因する。
しかし、8号がこの事件についてもう一度、よく考察してみようと提案するまで、だれも少年の有罪を疑わなかったのである。
痴漢冤罪を描いた「それでもボクはやっていない」の映画監督、周防正行氏が関連自著について語った中で「裁判員制度で、自分の決断によりだれかが死刑になるのは嫌だと言う人がいるが、それは裁判の実態とはかけ離れている。裁判は、調書、証言や証拠によってある程度の道筋が決められてしまうのだ。裁判員はそれを認めるかどうかで、一から話し合って有罪か無罪かを決めるものではない」という内容の指摘を読んだことがある。
この芝居でも、8号を除くと、全員が「裁判の道筋」に概ね納得していた。
劇中のセリフにもあるように「裁判とはそういうもんだろう」という意識が強かったのだ。
わが国の裁判員制度でも、裁判員はこの陪審員たちと似た状況で事件と向かい合うことになる。それだけにこの芝居は他人事ではない。「裁判の道筋」にあらがえるだろうかという問題。個々のエゴも出るだろう。その象徴として「さっさと終わらせて野球を観に行きたい」と言う7号(大石継太)のような男もいる。12人は8号の提案により、自分たちの目で事件を見つめ直していくが、そこにはめいめいの人生観が関ってくる。少年を裁くというよりも、自らの人間性、生き様を問われるかたちになる。
強く有罪を主張した3号も、再考の過程で、自分と息子の問題を見つめ直すことになる。
8号は少年を無罪だとは主張していないし、この芝居でも有罪か無罪かの決断を下していない。そこが重要で、この芝居の優れた点でもある。
俳優たちもまた、自分の役を演じながら、自分がこの陪審員ならどうかと考えたり、他の役との芝居上のコミュニケーションをいつも以上に要求されたようだ。
カーテンコールで俳優たちはテーブルの周りを一巡して、四方の観客すべてに挨拶する。1人1人の「生き様」が流れていくようだった。
昨年、ロシア映画祭でロシア版の「十二人~」が上映されたが、
ロシアの社会状況を反映させたという点が気になって観ておらず、
観ればよかったと後悔している。来年の俳優座版もぜひ観に行き
たいと思う。こちらは従来の訳で上演するのなら、今回とは印象
が違うかもしれない。
最後の料理人
味わい堂々
OFF OFFシアター(東京都)
2009/11/26 (木) ~ 2009/11/30 (月)公演終了
満足度★★★
作家の白日夢願望?
タイトルバックに使われる荒船泰廣による不気味なアニメーションに比べれば、後の展開は意外にふつうに感じた。楽器のガチャガチャした生演奏で出演者たちが踊る場面は唐十郎風だし、ノスタルジックな録音音楽で女性たちがポージングする場面は清水邦夫風で、どこか70年代初頭のアングラ芝居の懐かしさも感じさせた。
フラッシュバックのように同じ印象の場面が続くので、少々退屈でもあるが
とても不思議な世界に思わず引き込まれる。
「喫茶店に伝説の料理人がいて、こんなことが起こったら面白いね」という作家の白日夢願望を具現化したような作品に思えた。
ネタバレBOX
旱魃による飢饉に見舞われたらしい村の3人の農婦の会話から物語は
始まる。食べるものが何もないのに、「こういうときは抱かれたくなる」などと
言い出し、村に残る男はいたっけという話題で、老衰で亡くなった村人の
名やジョニー・デップの名前が出てくるなどメチャクチャだ。
場面が変わって、めいめいコンプレックスを抱え、どこか壊れている女たちが集う喫茶店。
アングラ芝居の雰囲気と言ったが、言い換えると小劇場演劇の
貧乏くささも漂う。また、女子校の学園祭劇の雰囲気もあり、洗練された
感じではない。ホラーと御伽噺は切っても切れない縁があると思うが、
「注文の多い料理店」みたいなのを想像したら、あそこまでブラックな話では
なかった。
「女たちの呪い」をときどき呪文のように口にしながら折鶴を折っているメガネ(宮沢紗恵子)、小説を書きながら、女たちを観察している小利口そうな女たまこ(浅野千鶴)、この2人にそっくりな物言いと容貌の知人がいるので、思わず笑ってしまった。願望に合わせて嘘をつき、妊婦を装い、ばれても悪びれず、笑い飛ばす女(川口恵理)。個人的には、出会い系サイトで不倫してるクールなコーヒー夫人(梅澤和美)が魅力的だった。
ミュージカルのアニーみたいなヘアスタイルで「おかか」を演じるタカハシカナコのオバチャンぶりは強烈。彼女がいないと、この芝居は成立しなかったと思われる。ああいうオバチャンっていますね。笑い上戸の陰に実は隠された素顔があるのかと思ったが、おかかは最後まで屈託なく笑っていた。
手癖の悪いバイト(宮本奈津美)が店の金をごまかしたり、万引きをしても、ニコニコして許すというより、受け入れてしまう。少し頭が弱いみたいな物言いのバイトのマイを演じているのが作・演出家の岸野聡子。
メガネの宮沢紗恵子が頭にタオルを巻いていきなり立川談志のモノマネを始めるなど、突拍子もないリアクションもあった。
すべてはたまこの妄想なのか。日照りで餓死した女が生まれ変わって、今度はたまこの言うように至福の味わいの中で死んだとしたら・・・なんて考えたり。嫌いな芝居ではないが、何かもうひとつ味がしまらないような感じが残った。
余談だが伝説のある飲食店には、やはり白日夢を期待するものだ。60年代に東京・蒲田に「80番(オッタンタ)」といううまい外国料理を食べさせる店があり、ここの皿洗いは有名なミュージシャンになれるという伝説を店主がこしらえたらしい。事実、この店から、有名GSグループのメンバーも輩出した。
中学生のとき、授業中にこの「オッタンタ」を舞台にした白日夢のショートストーリーを落書きしたものだ。写真と地図から場所にあたりをつけて、見に行ったことがあるが、大人になって蒲田に勤務したときには、町の様子が変わり、もう場所さえも覚えていなかった。オッタンタについては「店はなくなっても、伝説は残った」と何かの本に書いてあった。この芝居を観て、久々にオッタンタのことを思い出した。
フロスト/ニクソン
シーエイティプロデュース
天王洲 銀河劇場(東京都)
2009/11/18 (水) ~ 2009/12/05 (土)公演終了
満足度★★★★
もう少し小さな劇場で観たかった
観終わっていろいろなことを考えさせてくれた作品。
と言っても、良い意味で言ってるのではないけれど。
鈴木勝秀演出は「ドリアン・グレイの肖像」に続いて
の観劇。前作でも感じたが、この人の演出は、俳優の
力量に負うところが多いとの印象を抱く。
栗山民也のように俳優の特性を知り尽くしたうえで、
さらにプラスαの魅力を引き出すことによって作品が
さらに面白くなるというのでもなく、蜷川幸雄のように、
「こういう見せ方もあったのか」という商業演劇らしい
インパクトもない。平たく言うと私には演出の妙
というのがあまり見えてこないのだ。この俳優たちなら
こんな感じに演じてこんな作品に仕上がるだろうなという
予想以上のものを与えてくれない。
「ドリアン・グレイ」の時の肖像画のときと同様、舞台背面のスクリーンに
抽象的な模様の動画が場面転換時に映し出される。鈴木氏が気に入
っている演出なのかもしれないが、同じ手法なのが残念。
「スポットライトが照らすのは一人だけだ」という台詞が劇中
にあるが、今回の舞台も大空間の中で大スター北大路欣也の圧倒的な
存在感だけが残った。
このハコの大きさでは、そうするしかなかったのか。本当は
もっと小さな劇場(たとえばシアタートラムのような)
で上演したほうがふさわしい戯曲だと思う。
その点では、次の巡演先である名鉄ホールのほうが広さは
ちょうどよい。
ネタバレBOX
TV司会者としての地位を向上させたいフロストと、ダーティーな
イメージを払拭して再び政界に帰り咲きたいニクソン。
この2人の息詰まるようなインタビュー対決を見せる芝居だが、
北大路と仲村トオルでは舞台俳優としての力量が違いすぎ、TVなら
それなりに見ごたえが出るのだろうが、舞台ではそうはいかない。
仲村は大柄で颯爽としており、舞台映えはするが、演技のほうはいま
ひとつ。TVの仕事が多い俳優によくあることだがワイヤレスマイクの
せいか、彼の声だけがひときわビンビン響き、それがマイナスになっ
ている気がした。
北大路は自分に役を引き寄せて演じるタイプなので、このニクソンも
我々の知る米国大統領ではなく、当然、北大路ニクソンとなった。
政治家の清濁併せ呑むずるがしこさとか大胆さ、図々しさは感じられず、いかにも誠実で神経細やかな人格者に見える。この作品の映画化が決まったとき、ジャック・ニコルソンも食指を伸ばしたそうだが、私の中でもニクソンというとニコルソンのイメージが近い。
ニクソンは時間稼ぎと情に訴えようとする計算もあり、家族の話を延々として
フロストを煙に巻く。ちょっと嫌味も感じさせる場面なのだが、北大路という
人はふだんも空気を読まずにプライベートのことを自慢げに語るタイプではなく、しかもそういう礼儀正しさがにじみ出て消せない人だから、嫌味は感じないし、役にちょっと違和感が出る。
そこで思い出したのが彼の父、市川右太衛門を以前、北大路の出演する劇場で見かけたときのことだ。時代劇の大御所俳優だから、ロビーでも彼の周りはファンが取り囲む。顔見知りでもないファンの前で心から嬉しそうに延々と右太衛門は息子自慢を始め、席についてからも開演直前まで近くに座った人にまで振り返りながらニコニコ息子の話を続けていた。ほほえましくとても感じはよい人だが、聞いている相手のことなどまったく気にしていない話振りだった。しかも右太衛門こそ「説得力の俳優」で、どの役で出てきても、必ず最後の場面で相手を諄々と説得する。ニクソンこそ、右太衛門にふさわしかったかも。きっと北大路も父のことを思い出したのでは、と興味深くもあった(PPTがあれば、聞いてみたかったが)。
劇の冒頭で、ニクソンの辞任の演説があるが、このときに感じる誠実さが、北大路には、最後、フロストから贈られた靴を万感を込めてじっと見つめる芝居まで、ずっと続いていく。
身内への愛を強調するあまり、墓穴を掘ってしまったニクソンの敗北感とある種の後悔と安堵感が交じった場面だと思うが、北大路ニクソンには権力への執念や愚かしさより、同情の念さえ感じてしまう。それが芝居の欠点にはなっていないからかまわないと思うが、戯曲の持ち味とは少し違うように思う。
脇を固める安原義人、中山祐一朗、中村まことといった俳優たちもどちらかというと、小さな劇場で持ち味を発揮してきたので、演技力とは関係なくこの空間にはなじまない感じだ。その中で、語り部でもあるレストンを演じた佐藤アツヒロは、空間が生きる芝居をしていた。やはり、新橋演舞場や新宿コマのような大きな劇場での場数が生きていると思う。
プログラムを読むと、鈴木勝秀は「この芝居のテーマは愛」ととらえ、「愛があるから、人間は弱さを見せてしまう」ということを訴えたかったらしい。そこに執着するあまり、きれいごとの芝居に終わった感じは否めなかった。
瞬間キングダム
あなピグモ捕獲団
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2009/11/27 (金) ~ 2009/11/29 (日)公演終了
満足度★★★
王様ゲームの果て、何を訴えたいのかがよくわからない
「詩的で哲学的、不条理で理不尽な物語世界」という説明に惹かれて観に行きました。確かにそういう芝居なんですが、観終わって強く心に残るものがなかったというか、結局、何を訴えたいのかよくわからなかったです。
電動夏子安置システムの「performen」シリーズに似ているところもあるけれど、あそこはロジックの仕掛けがはっきりして、その枠組みの中で観客が遊べるのだけれど、こちらはストーリーが散漫な感じで、いまひとつ、その仕掛けが観客を捕らえ切れていない。今後、ファン層を広げるには、もう少し説得力が必要だと思った。
原泰久がフライヤーのイラストを担当しているが彼の連載漫画「キングダム」とは、無関係の内容でした。
ネタバレBOX
合コンの王様ゲームに興じていた男女。挙動不審な店員のあとを男の子たちが追っていくが見失い、散らばったコインをみつける。コインは砕け散った流星のかけらだという。やがて彼らは王国の戦いに巻き込まれていく。
30回目の公演にちなんで、30のシーンが用意されていたが、1つ1つのシーンは流星のかけらともいえる。シーンは時系列に並んでいないので、断片的なピースのような場面がちりばめられ、だからといって観客がその断片をつないで芝居を楽しんでいくまでには発展しない。
詩的哲学的要素ももちろんあるが、不条理劇のアクセサリーのような感じ。
イエス・キリストと12人の使徒たちの話をモチーフにしているようだが、
単なる不条理劇ではなく、ロジックの部分もあるので、そこをきっちりと描かないと、観客は付いていけないと思う。聖書の知識に疎い人もいると思うので、そのへんの解説をパンフレットに載せてほしかった(九州男児ですから、を連発する主宰の長い挨拶文より大事ですよ)。
合コンにいた女性たちが精霊のような使徒のような存在も両方演じるのだが、化けているのかどうか関係性がよくわからない。王女と召使の会話が突然始まるが、王女と王様の関係もよくわからないし、キリストを王になぞらえるのでよけいわかりにくくなっている。久米靖馬演じる東崎詩黙は、合コンの男たちとは別の側の人物らしいが、位置づけがよくわからず、迫り来る「世界の壁」と闘っている。
こんな具合で、間に詩的な朗読調のセリフが出てくるので、何だかわけのわからない「お芝居ごっこ」を見せられているような感覚に陥り、シラケてしまった。
出演者の中で名前を知っている俳優は久米だけだったが、ホームのクロカミショウネン18とはまったく違う少女マンガから抜け出したようないでたちで
いったいどこへ行っちゃうのと心配したくなった(笑)。
衣装のカーキ色のフード付きコートは、めいめいアクセントカラーのパッチワークを入れるなど、なかなかカッコ良かったです。
アンケートに「30回も公演を続けてきたことに何か労いの言葉をかけてください」と書いてあったのには吹いた。
「何かメッセージを」と言うならわかるが、「労いの言葉をかけてください」と
向こうから要求されたのは、生まれて初めてですよ。こういうところが、何か
小劇団の仲間内感覚を感じてしまう。「30回も続けてきたこと」にはもちろん敬意を払うけれど、きょう初見で、これまでの歩みも知らないのに、いきなり
「労ってください」と言われてもなー、という感じです。
アンケートに添えられた別紙、主宰の「DEARESTみなさま」も、だらだらと独りよがりの甘えた文章がつづられ、失笑。
自分の考えを自分にしかわからない表現で書いてもダメ。もっと相手の立場に立って書かないと。芝居も同じじゃない?と思いますけど(笑)。
この公演、お試し感覚の2人で1人分の割引価格の「ペアチケット」で観たのですが、「わかりにくい芝居」を共有するには納得できる価格かなと思いました。2人5000円ではちと高いかなと。
乾かせないもの【御来場有難うございました】
机上風景
タイニイアリス(東京都)
2009/11/26 (木) ~ 2009/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
心に染みました
「銃後を守る」という言葉があったように、戦争は残された女たちも蹂躙する。
女たちの静かな日常に絞って描いてあるから、一種、寓話のようでもある。
「いつまでも乾かない、乾かせない想い」。
洗濯の風景につづられる女たちの哀しみが心に染みました。
こういうテーマだと、作家は長く描きたがるものだけど、抑制して
1時間20分にまとめ上げたことにも好感が持てました。
ネタバレBOX
ユニーク・ポイントや平田オリザ作品にも共通する静かな中にもじんわりと
訴えかけてくる作品だった。
戦地から届く夫たちからの手紙だけを楽しみに暮らす6人の女たち。
軍に勤務し、毅然とした大人のキリヤ(長島美穂)、冗舌でムードメーカーのユチカ(浜恵美)、少女のように無邪気なユエ(石黒陽子)、新婚のカズナ(村上由紀)、妻や夫たちの手紙を音読して聴かせるアーブル(宍戸香那恵)、几帳面なモスタル(根津弥生)、そこへ弟を兵役にとられた若い娘テト(木村恵実香)が新入りで加わる。
前半他愛のない会話が続くだけに、後半空気が一変する。
その対比が見事だ。
「男たちが帰還したらどうしたい?」という話題で、カズナが「夫に洗い立てのシャツを着せて、抱きつきたい」と言い、テトは「弟をどこにも行かせないで、一生ずっと傍で暮らす」と言う。女たちの切ない心情がよく現れている。
カズナの夫(梅田大資)だけが帰還し、その報告で夫が死んだと聞かされたユエは自害してしまう。
「誤報もあるかもしれないから、もう一度詳しく話を聞きたい」とカズナに迫るキリヤに、「夫の心の傷に触れないでほしい」と拒むカズナ。戦争後遺症の
深刻さを思わせる場面だ。ユエの死を契機にアーブルは女たちを扇動し、復讐のため兵を志願し、戦場に赴くと言い出す。必死に止めようとキリヤが銃を構えたそのとき、戦死が伝えられたはずのユエの夫(古川大輔)が帰還し、「ユエの居場所」を尋ねる。
ロープに吊るされた洗濯物が女たちの歳月や心の襞を表し、間奏曲のようでもあった。戦闘機らしい爆音、蝉の声も効果的に使われていた。
彼女たちはこれからどう生きていくのだろうか、と思いながら、「もはや戦後ではない」と言われ始めた昭和30年代のころのある風景が浮かんできた。
それはいまの吉祥寺シアターの近くにあった戦争未亡人が多く暮らす女子アパート。ベランダと言うほど広くはない出窓にはいつも白い洗濯物が干されていた。彼女たちは戦前は専業主婦だったせいか洋裁や和裁の賃仕事で生計をたてている人が多く、ひっそりと地味な身なりで暮らしていた。
このアパートの前を通るたび、何か物悲しい気持ちになったことを憶えている。というよりは、忘れられない光景だ。あのころは、まだ身近に戦争が残っていたように思う。戦争が終わっても、夫や兄弟を失った女たちは生き抜いていかねばならない。
クリスパ♡
劇団娯楽天国
TACCS1179(東京都)
2009/11/26 (木) ~ 2009/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★
秀作コメディーでした
観劇前は結婚式をめぐる独身カップル何組かのコメディーかと想像していたのですが、違いました。クリスマスの銭湯を舞台に巻き起こる結婚騒動で、銭湯のセットが本格的でとにかくよくできていると思ったら、パンフレットの付録を読むと、舞台美術の佐藤大樹さんは建築設計が本職。「想像が膨らむ舞台を作る」ことをモットーに、「外側や内部や奥の部分、さらにいままでその場所で経た時間まで感じさせる」ような舞台を作ろうと努め、時には隙間からしか見えない部分やカーテンに映りこむ影まで作りこむという(職人芸だ)。
確かに見えない部分の家の構造まで想像できる舞台装置で、銭湯は中のエコーまできかせてくれる。最近はシンプルな舞台面の公演が主流だが、写実的なセットを出すなら、このくらい凝ってほしい。杉村春子のいたころの文学座を思い出した。
出演陣も手堅く、しっかりしたストーリーでキャラクターがきっちりと描き分けられ、優れたシチュエーションコメディーのお手本のようで、最近はやりの学生演劇調ドタバタとは一線を画す。
ネタバレBOX
資金繰りに行き詰まったウェディングプランニング会社の女社長とギャンブルで借金を抱える夫。ヤミ金の取り立て屋は幼馴染の女レイカと組み、出会い系サイトで知り合った金持ち男・高島をカモに2000万円の結婚詐欺をくわだて、夫を悪だくみに引き込む。高島が金持ちというのは嘘で実は既婚者。結婚式準備が進む中、本当のことが言い出せず苦しんでいるという設定。不動産屋が用意した会場が廃業した銭湯「亀の湯」だったため、女社長と夫は銭湯を「セントカメーユ教会」だと言いくるめ、結婚式リハーサルを強引に進めようとする。銭湯に出入りする謎のホームレスや、常連客だったボケ老人、高島の妻がからんでのスッタモンダが繰り広げられるが、終盤はレイカの素顔が明らかになり、本当の結婚式が執り行われ、クリスマスらしい心温まるオチがつく。
女社長夫婦に必要なのは確かに現金なのだが、サンタのプレゼントが現金というのはなんとも即物的で引っかかった。
ホームレス男の鷲巣知行が飄々としていてとにかく面白く、銭湯に入ろうと目の前で全裸になったのには仰天。女社長の夫が銭湯の丸窓の十字の木枠を指差して「あそこに十字架があるでしょう?ここは教会なんです」と苦しい言い訳をする場面など思わず吹き出してしまった。
臨時式場アルバイトに不動産屋が世話した女、岡島(河野美雪)の年齢性別不詳の怪演ぶりも可笑しい。パンフレットのドレスアップしたカラー写真ではきれいなお嬢さんなのにね。
結婚式本番に飾り付けをするところで、銭湯の木製ロッカーを装飾布で覆わなかったのが気になった。
外は暑いほどの陽気だったためか空調がやけにきいていて、途中からコートを着るほど寒かったのも、クリスマスらしさの演出の一環?
客席がアットホームな感じで、ほかの小劇場芝居とはまったく違ったムード。
開演中もお茶の間でTVを視ているかのように中年女性たちが大声で疑問点を話すなど、面食らうこともあったが。
駅に近いと油断して出かけたが、最寄駅の改札を出たら、ホールが落合橋の位置から完全に死角になって見えず、近くの商店で訪ねたが、どこもそんなホールは知らないと言う。目と鼻の先なのに迷って入場に遅刻してしまった。フライヤーを入手しなかったが、ネットの地図は平面でわかりにくかった。「線路際の茶色いレンガの建物」とネットにも表記しておいてくれれば見つけやすかったのに。
おるがん選集秋編
風琴工房
ギャラリー日月(東京都)
2009/11/21 (土) ~ 2009/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★
“観る読書会”のような雰囲気でした
路地のさらに奥のほうにある隠れ家のような会場でした。JR駒込駅からは1本道ですが、路地で迷われた方が何人かいらっしゃったようなので、夜などは時間に余裕を持って行かれることをおすすめします。地図の説明にある「2つ目の十字路」がちょっとわかりにくく見過ごしてしまった人もいたので、要注意です。
この辺り、お寺も多く、お屋敷町の西片町も近いので、一軒家レストランのような瀟洒な感じの建物を想像していたのですが、ごく普通の小さな家でした。
最近、ギャラリーやカフェ、バーなどで上演する劇団がしばしばあるようですが、劇場とはまた違った雰囲気で、俳優の演技を間近でみることになり、新鮮です。特に今回のような文学作品を脚色上演するにはふさわしい会場で、終演後、上演台本が配布されるなど、ちょっとした「観る読書会」のような雰囲気でした。
それぞれ好きな作品を主演女優が選び、詩森ろばが脚色している。
ネタバレBOX
『春は馬車に乗って』(横光利一原作)
肺病を病み床に伏す妻(松本美路子)と看病しながら治療費のために意に染まぬ仕事をする作家の夫(浅倉洋介)。互いに言葉で傷付け合う2人の息詰まるような会話劇。夫の「物書き」特有の心情と、「死病に取りつかれた」妻の激情がぶつかり合う。やりきれない状況だが、夫が次々、妻の前に鮟鱇や海老や鯵などを取り出して見せる場面に笑いが起きた。物語の舞台は庭の松に亀、新鮮な魚などから、海辺の家で療養しているらしい。芝居上、実際に魚の生臭さが風に乗って部屋の中まで匂ってくる。夫が行きたいという「ミュンヘン」をめぐる夫婦の応酬が面白い。夫が最後に登場するスイートピーの花束に「春」が集約され、救いがある。
『痩せた背中』(鷺沢萌原作)
父の葬式で帰省した亮司(菅原直樹)を出迎えたのは幼馴染みの郁夫(浅倉洋介)と父の後妻で精神を病んでいる町子(小山待子)だった。
亮司は恋人の敦子(石澤彩美)と会話しながら、過去の町子とも会話する。このあたりは演劇ならではの面白さだが、最初に敦子が部屋に入ってきたとき、郷里にいる女友達かと思ったり(実は亮司の下宿に訪ねてきた設定)、町子との時系列が観ていてよくわからなくなった。
女癖の悪いオイサン(亮司の父)の帰りを待つ町子が寂しさを紛らわすために編み物を始め、やがて狂い、自殺未遂に至る様を見ていて、詩人の金子光晴と愛人大川内令子の関係をふと思い出した。そんな見方ができるのも、
「読書」のような芝居だからかもしれない。
オイサンが家に連れてくる女たちの中で、町子は唯一少年時代の亮司が好感を持った女性だった。継母というより、町子に異性を見ている。
最後、「折鶴」をめぐる亮司と町子の会話にホロリとさせられる。血のつながらない2人がオイサンに思いを馳せ、心を寄せ合う場面だ。
冒頭と終幕近くにしか出ない浅倉が、前作とは打って変わり、快活な青年を演じ、亮司との何気ないやり取りで笑わせる。
鷺沢萌も最後は自殺してしまった。町子のようなもろさをもっていたのだろうか。若すぎる死だった。
この催しで感じたのは、昔の邦画はこういう文学作品の掌編を1本映画にするという企画がけっこうあり、地味だが見ごたえがあって私は好きだった。現在の状況では、その役割は演劇がふさわしいのかもしれない。詩森ろばの活動に期待しよう。
マグズサムズのジャングル・ブギー
マグズサムズ
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2009/11/20 (金) ~ 2009/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★
やっぱり面白かったです
初の屋外シチュエーションコメディということで興味がありましたが、婚活ものというのは知らなかったです。マグズサムズは劇団員の私生活でもオメデタイ話が続き、産休のために梁嶋みほさんが休演したのはちょっぴり残念。
今回、話の面白さと役者たちの演技に大いに笑わせて
もらい、マグズサムズはやはり大好きな劇団だと再認識しました。
連れも「伊達に賞を獲っていませんね」と満足げでした。
私は演出上引っかかる点が2つあったので☆4つとさせていただきました。
次回本公演は「宇宙もの」とのこと。宇宙ものもポピュラー過ぎて難しいと思いますが、そこをどう料理するか、また楽しみです。
ネタバレBOX
まず、気になる点から。
舞台美術はなかなか立派なものでしたね。これがこの間の「柿喰う客」みたいにシアタートラムのようなところを使ったら、もっと凝れるんだろうななんて思わせました。一方、それが冒頭の場面や、やくざたちの本来幕外劇の部分では見えている分、邪魔になったかも。冒頭は、歌舞伎の浅葱幕のような演出法をとってもよかったのではと思いました。現に、他の劇団では、狭い劇場でも両側の装置を引きにつくって、暗幕を切って落としたり、紗幕を使って幕外劇を演じ、照明がついた瞬間、両側の引きの装置を前に出し、舞台美術に観客が「ほぉっ」と感心した芝居も観ているので、工夫してほしかったと思います。冒頭のシーンは後のターザンにつながるとはいえ、照明を落としてもジャングルの美術が気になったので。また、やくざたちの会話でもパイプ椅子を使って拉致した人物とのエアアクションをやっていますが、ここも視覚的に気になった。
やはり他劇団での芝居で同じような設定の幕外劇の場面を見ましたが、暗幕と本物そっくりの人形を使って巧く処理していました。
今後はこういう細かいところにも気を遣ってほしいなと思います。
そして気になったもう1点は婚活コーディネーターの言葉使いでやたら「よろしかったです(でしょう)か」が出てくる。これは何か意図があって使っているのだろうか。
というのも、私はかつてこの業界でコーディネーターのマナー教育を担当したことがあるのですが、この業界はベンチャー企業が多い後発産業のせいもあって、業界の地位向上にやっきとなっている。だから敬語や接客用語にはうるさく、ファミレス用語なんてまず使いません。
そのうえ、ファミレスの場合は客の注文に対して「よろしかったですか」と尋ねるから、まだ目をつぶるが、この芝居のコーディネーターは「荷物を運ぶの手伝ってもらってよろしかったですか」と言っている。相手の意思がない時点でそういうのはおかしいし、この職種で客に対してこう言うのはなおさらありえません。コーディネーター役の泉粧子が上品な雰囲気を出しているだけに惜しい。
この言葉で職業のリアリティーがふっとんでしまったのです。
作家の佐藤さんに別の思惑があれば聞いてみたいですが、もしあったとしてもこの業界ではよほど臨時のインチキパーティー会社以外、この接客用語はありえないと申し上げておきます。
個別の俳優について。
前年のキャンプで10組中唯一オチこぼれたほどの森(AKKY)のイタイ軽薄さ
が可笑しい。私生活ではサッパリした好青年らしく、新婚ホヤホヤでブログでもイヤというほどノロケている人なので、そのギャップが観ていて面白かった。一見、爽やかに振舞う豆塚(猿渡亮太)が実は借金まみれで一番ドロドロしていることが後にわかる。猿渡は役柄のためか、いつもより髪が短い。ストーカーの元カノ(石丸香織)に付け狙われる気弱で端正な岩上(日暮丈二)。肉食系女と草食系男の対比。だが、岩上が「僕は草食系だから」を連発するのは気になった。言葉では1回くらいにして、あとは芝居で見せるべき。これは脚本の問題だが。石丸のターザンと遜色ない野性味が面白かった。
ターザン生活を送る男の安藤洋介は、こういうナゾめいた役がうまい。寡黙に木の枝を削っている姿はまるで原始人なのに、行進のハミングにいちおう合わせて声を出すのに笑った。やくざの曽谷(嶋則人)は本来関係ないのに、一番メモをとるのが熱心。メンバーたちからも「兄貴」と頼られるのが皮肉だ。
嶋は劇団外での客演経験も豊富でさすがにこなれている。子分の宮林(相羽タカフミ)は慶応劇研時代のクールな役どころとは正反対で楽しませてもらった。
印象が薄くて損をしているという雨水のぞみ(水澤恵美)、大手ドラッグチェーンの令嬢三瓶薫(ヒロココバヤシ)、妊婦風の阿部圭子(まつおか晶)、潜入ライターの石川(大澤友梨花)と、女性陣らもキャラクターをくっきりと演じていた。石川が最初にメンバーにアダ名をつけるのも、記事作成の都合上なのかとあとから思った。いくつかの点を除くと、ストーリーに無理がなく、楽しいコメディでした。それだけに「玉に瑕」が気になってしまった。
光の中の小林くん
ファルスシアター
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2009/11/20 (金) ~ 2009/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★
予想外に奥行きのあるドラマが
「光の中の小林くん」とは園児のことかと思うけれど、まったく予想外のドラマでした。お受験ものだと聞いて、親と園側の攻防で笑わすのかと思いきや、もっと深刻な内容でした。タイトル通り、最後は溢れる光を感じるヒューマンドラマでした。
面接会場を舞台に出演者は4人。しかも会場の外で同時進行する出来事があるせいか、劇団スタッフたちが保育士の扮装で出迎えるのも幼稚園全体を感じさせるための演出かなーと思えた。主宰のかたも保育士さんなんですよね。
ネタバレBOX
Bキャストで拝見しました。
だんだんと息詰まるような芝居でした。
配役が園長以外は男、女、青年とだけ書かれているのもこの芝居の性格を
表現していると思った。
園長(神谷はつき)がいかにもエリート幼稚園の代表者らしい雰囲気を醸し出していてお見事。「十一面観音」と形容されるように、慈愛にみちているけれども、したたかさも併せ持つ難しい役どころをくっきりと演じた。
女性週刊誌の記者ゆえのワーキングマザーの悩みも抱える母親(堀米忍)は、その職業カンと行動力で息子の入園をもくろむ。黒のパンツスーツ姿と鋭い視線ががまるで宝塚の男役のようにキマッテいて、先ごろ亡くなった大浦みずきそっくりに思えた。
自分がまるで園児のように童顔の父親(白土裕也)はどんな事態にも激昂するでもなく、ひたすら低姿勢で攻める。
無愛想な青年(横山将士)が実は保育士であり、HIV感染という深刻な事実を抱え、この編入枠が生まれたのもその事実が関係していることがわかってから、ドラマは急展開をみせる。
大人たちの行動に怒った園児たちの反乱の中で、男女それぞれの2人の子供が各自の特性を発揮してこの危機を救うことになる。
運動会の借り物競争に参加した園長先生が保育士に対し、「笑顔が素敵な青年」という言葉をかけて腕をとり、微笑む幕切れが温かい。
海をゆく者 The Seafarer by CONOR McPHERSON
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2009/11/14 (土) ~ 2009/12/08 (火)公演終了
満足度★★★★★
先入観で観逃したら損です
アイルランド、ダブリン北部の海沿いのさびれた町の古びた家が舞台。
50代の演技派男優5人だけの翻訳劇というと、あまりにも地味で敬遠して
しまいがち。事実、観客動員は苦戦しているらしく、リピーター割引を呼び
かけたり、PPTの回数も増やしている。
でも、先入観で観逃したら損だと思う。
重厚だけど、決して重苦しくはないクリスマスらしい作品。
5人の俳優のチームワークも良く、退屈するのではというのは杞憂に終わり、
自分も同世代ですが、羨望すら感じました。
「よくぞ、この作品を選び、配役を実現してくれました」と感謝の気持ちで一杯。時間が許せば、もう一度観てみたいほどです。
詳しくはネタバレで。
ネタバレBOX
目が不自由でわがままいっぱいに1人で暮らす飲んだくれの老いた兄リチャード(吉田鋼太郎)の面倒を見るため、長く家を離れていた弟シャーキー(平田満)が帰って来た。彼はアル中で禁酒している。2人の家には気が優しいが、飲み汚く、恐妻家のアイヴァン(浅野和之)が出入りしている。クリスマス・イヴの夜に、シャーキーの元恋人の現在の恋人ニッキー(大谷亮介)が身奇麗な紳士風のよそ者ロック・ハート(小日向文世)を連れてやってくる。シャーキーは恋人の一件からニッキーには好感が持てず、毛嫌いしていた。しかも、ハートはシャーキーの忌まわしい過去をなぜか知っており、シャーキーもこの男にどこか見覚えがあった。5人の男はポーカーに興じ、時に辛らつに語りあいながら、世は更けていった。シャーキーは自分の命を賭けた大勝負に出るが・・・。
ロック・ハートは人間の姿を借りた「悪魔」という解釈らしく、アイルランド人に
対比する英国人風に描かれているのだそうだ。
リチャード役の吉田は膨大なセリフと大胆なアクションをこなし、強烈な印象を残す。身の回りのことが思うようにできない苛立ちと加齢で増す気短さがよく伝わってきた。眠っている間に眼鏡を失くしたために動きに不自由さがある浅野は少年のようにかわいらしく、大谷のニッキーは年がいってからも恋人ができるような男のもつセクシーさがある。小日向は、にこやかな柔和な顔の裏に残酷さがひそむ。以前、インタビューで「こにこしていい人そうに見えて、実は邪悪という役を演じてみたい」と答えていたから、まさに念願の役を得たと言えよう。
クリスマスプレゼントを送ってくれた女性からの手紙に目を通していたシャーキーが差し込んだ朝日に振り向くと、階段の脇の壁の聖母マリアの絵画が浮かび上がる幕切れが素晴らしい。
俳優各自の動きについては演出の栗山民也がかなり細かく指示を出したとかで、実に自然に動いてみせる俳優を見ているだけでも見事な芝居だ。年をとっても喧嘩ができる友だちが傍にいて、自分を思いやってクリスマスプレゼントをくれる人がいる生活っていいなあ、と思えました。
アワード
ZIPANGU Stage
シアターサンモール(東京都)
2009/11/20 (金) ~ 2009/11/22 (日)公演終了
満足度★★★★
そつなくまとまって
もっぱらサンモールスタジオの方での観劇が多く、シアターサンモール
に入ったのは初めて。なかなか良い劇場ですね。本作の雰囲気とも
合っていました。パンフレットの配役表に目を通すと、登場人物全員が
小説家の苗字。文学賞物だからと言えばそうだけれど、作家の役以外は
普通の苗字でもよかったのでは。文学にこだわりたいなら、作家以外は小説の題名にちなむ姓にすればよいのに、なんて考えていました。というのも、
文学賞物の小説「大いなる助走」は、登場人物も実在作家をデフォルメしたような性格づけになっているから名前の酷似も面白かったが、この芝居は文壇をそこまで活写した作品ではないからだ。
コメディーとしては大きな欠点もなく、いちおう文学についても語られているし、
面白かったです。でも、あまり感情移入できなかったので☆4つ。
ネタバレBOX
まず、舞台美術が地方の安ホテルのロビーみたいで、栄えある文学賞の会場に見えなかったのが残念。予算というよりセンスの問題かと。「何事にも負けない犠牲的」なホテルのベルボーイ・宮沢寛治、「ニヒルな」編集者・芥川龍太郎、「無頼漢を気取る」坂口せいご(正誤の字を当てるのかしら)、「ベッドに関係ある」浜田詠美といったところが、小説家本人と共通点を匂わせる人物かも(小説家の役でない人物もいるが)。編集者の武者小路実光(長野耕士)は役としては面白いが、なぜ武者小路なんだろう、刑事の武島有雄(古川健)はなぜこの名前?本家の有島武郎は二枚目俳優森雅之の実父で森をしのぐ美男作家なのに、どこも共通点がない!なんてどうでもよいことが気になってしまった。坂口せいごは、ストーリー展開上、名前を明かせないので、配役には「流れ雲」になっていて、これはせいごの祖母林文江(林芙美子のもじり)の「浮雲」をパロッたのだろうか。
宮沢のキム木村は田山涼成、坂口の新田正継は佐々木蔵之介、太宰勉の日澤雄介は陣内孝則みたいな演技だなーと思って観ていた。浜田詠美の宮本ゆるみはコントをやっていたころの山田邦子そっくりの声色を出していた。
太宰勉の候補作品は「走れ!失格」というらしく、アメンボウのように細長い足を高く跳ね上げて始終走っていて、「こち亀」に出てくる白鳥麗次のようにプライドが高く軽薄な男。チョコレートケーキという劇団に以前から興味を持っていたが、役者としての日澤氏を観たのはこれが初めて。なかなか面白い役者なので、チョコレートケーキの公演を観てみたいと思う。
夏目颯太(この読みは、「そうた」でなく「さった」では?)と与謝野秋菜の場面だけ、ピンクの照明になって新派みたいに古風な純情芝居になるのがあざといが可笑しかった。しかし、夏目という男が文学に対しても信念が感じられず、女性に対する態度も煮え切らなくて、主人公としてあまり共感できず、魅力が感じられなかった。坂口の候補作が「大いなる滑走」で受賞のための枕営業の話が出てくるあたり、やはり筒井康隆の「大いなる助走」も意識したふしがある。で、どうしても比べてしまうと、ストーリー展開が見劣りするのは否めない。どんでん返しもひねりも定石どおりで平凡な後味。自分の場合、思い出し笑いをするほどでないとコメディは満足したとは言いがたい。
蛇足になるが、1枚の申し込みに対し、同じ席番号のチケットが2枚送られてきたので受付で申し出ると、3人に同じ話をさせられ、寒い入り口で長いこと待たされた。結局「ダブリなので1枚返してください」という答え。もう少し手際よく対応できないものか。
「前略疾走」
劇団だるい
荻窪メガバックスシアター(東京都)
2009/11/21 (土) ~ 2009/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
ただのお笑いではないセンスが光る
劇団だるいの作品は、作・出演者の佐溝貴史の言葉を借りれば「身の回りで面白いことが増えれば、ちょっとだけ生活が楽しくなって、ちょっとだけ生活が豊かになるような気がします」というコンセプトで作られているようだ。
スタイルとしては故林広志がやっている「更地」などに近い演劇コント。東京大学で演劇をやっていた男性陣に、今回東京女子大、お茶の水女子大のメンバーが加わって小道具、衣装にも凝り、華やぎが出た。
インテリの社会人劇団らしく、ただのお笑いではない。日常に話題をとりながらも、現代社会の諷刺も込め、しかも抑制がきいて嫌味はなく、随所にセンスが光る。
大上段に振りかぶった「演劇」ではなく、仕事で疲れた人が休日に頭を休めながらゆったり笑える小品集。サービス精神にあふれ、寄席の雰囲気に近いかもしれない。
当初の予定が変更され、1時間45分で6本の短編集となった。普通、短編でお笑いでも長時間休憩なしで続くと、見ているほうは疲れるのだが、ここの公演は疲れないのが有難い。
内容はネタバレで。
ネタバレBOX
「オフ会」(小林早苗 作・演出)
ブロガーの青年(中野和哉)には女子からのカキコミが多い。オフ会を楽しみにしていると、そこにヘンテコな愛読者が現れて・・・・。匿名の世界を皮肉り、仲間内のカキコミが多い実情も表現している。大島健吾のコスプレ少女がキモカワイイ。
「ベッドルーム・ファルス」(大島健吾 作・演出)
飲み会でしこたま酔った女性。朝目が覚めると隣りにはゆうべ一緒だった男の友人が寝ている。そこへ彼女が無事帰ったかと心配した彼氏が訪ねてくる。彼女はこの場を取り繕うとして、彼氏を買い物に行かせようとするが・・・。
劇団だるいの第1回公演からの再演物。当時、私が一番面白いと思った作品で、作者の大島自身も気に入っていると言っていた。初演は大島が彼氏を演じたが、今回は中野が演じ、若干、演出も変えている。ナチュラルな芝居で笑わせる中野が演じることで、また趣が違ったが、私は初演の大島のパニくった軽演劇的なおかしさのほうがこの作品には合っている様に思えた。
女が男に水を吹きかける場面も、初演はハプニング的おかしさがあったが、今回は女が途中から狙ったように見え、おかしさが半減した。
開演前の客席で妙齢の女性が「ファルスは男根のことよ!」と大声を出していたのには唖然。きょうびの女性は恥じらいを知りませんなぁ。「ファルス」って笑劇のほうの意味じゃないの?男のうわごとに「ちくわ」が出てくるので、
引っ掛けているのかもしれませんが。
「アスモ」(小林早苗 作・演出)
コスト削減で職場のアルバイトに「アスモ」なるヒト型ロボットが投入される。契約社員(?)は社員から「アスモ」の教育指導を頼まれるが・・・。
「アスモ」の轟雅子は藤原紀香似の美女で、なかなかチャーミングでクチ達者でチャッカリした憎めないロボットを演じている。お父さん必見(笑)。
そしてキャリアウーマンを演じる遠藤佑美のキッチリした演技がこの芝居にリアリティーを与えている。
「あうんの呼吸」(佐溝貴史 作・演出)
なかなか息が合わない2人の男が揉めていると、「あうんの呼吸の神様」の声が聞こえてきて、助けてくれると言うのだが・・・。
大河内健詞はパントマイムで笑わせる人なので、こういう動きの間はすごく巧い。実は息が合わないとできないコントだという点でも面白い作品だ。
神様の声を演じる大島(たぶん)もおかしい。
「パソコン」(中野和哉 作・演出)
ふだんはSEでもある中野の作品。ニートで引きこもりの青年(佐溝貴史)の使っているパソコンがいきなり話し始める。
パソコンを演じる中野の関西弁のシュールさが面白い。青年は実は作家志望で「ドナウの畔で」とかいう小説を書いている。
この小説の一場面が黙劇で演じられるのがなかなか凝っていて面白かった。この日の客席でももっとも沸いた作品で、中野は今後、シリーズ化していきたいという。
「熱○殺人事件的なあれ2009」(大河内健詞 作・演出)
この題名を見れば、まず「熱海殺人事件」を思い浮かべると思う。その雰囲気じゅうぶんに芝居は始まるのだが、実はこの事件の裏には・・・。パリーグファン必見です。
大河内が映像をうまく使って、じゅうぶん演劇的な、でも落語ファンも堪能させる柳亭痴楽も真っ青の芝居を作った。彼は不思議な才能の持ち主だ。
轟雅子の女性刑事は滑舌がよく、セリフのめりはりがきくので、引き込まれていく。
今回、大島、大河内、中野というどちらかといえば個性の強い中にいて、一見存在感がないようで、印象に残る非常に心地よい芝居を全編で見せたのが佐溝。また、小林早苗の女性らしいおしゃれな小品も新鮮だった。
次回公演は来年7月予定で先が長いが、続けてほしい企画です。
ベストアンサー
643ノゲッツー
劇場HOPE(東京都)
2009/11/11 (水) ~ 2009/11/15 (日)公演終了
満足度★★★
役者さんは面白かったけど
初見の劇団で、どういう芝居なのか知らずに観ました。
フライヤーから受ける印象とまったく違う劇でしたが(笑)、
会話がリアルで、役者さんたちの演技はまあまあ面白かったです。
女優陣にくらべ、男優陣の性格づけが川島兄と秋元以外は、イマイチ弱く感じましたが。
ストーリーに無理があり、すんなり納得できない部分もありました。
この劇団自体への自分の評価はあと1、2作観てみないと決められないなーと思います。
ネタバレBOX
特に印象に残った役者さんは、秋元の熊谷さん、米山の松本寛子さん。
2人も生活感が感じられる役でした。秋元さんは「逆手本忠臣蔵」のときとは
また違った役どころで楽しめました。
下着を売った女性が金回りがよくなったといって、2人ともわかりやすいケバイファッションになるのも同性としてはよくわからない。
ブランドものを買うことはあるかもしれないが、あの2人の外見は単に下品になったようにしか見えない。水商売に入ったわけでもないのに?北岡さんはしゃべりかたまで変わってしまう。不良仲間に入った中学生じゃあるまいし。
下着を売ったことを隠しているのに、あんなに極端に変わるものなのか。
コントではないので不自然に感じました。
中村さんが事実を知り、意外に常識的なきちんとした意見を言うので、2人が精神的に堕落したことを表すためにあの服装にしているのかもしれないが、服装センスと金回りがよいこととは問題がまた違う気がします。
アイドル志望の手塚さんも登場のしかたが唐突で、それも仕掛けなのかもしれないが、最初、従業員なのか遊びに来ている知り合いなのかよくわからなかった。
同伴者が「あの弁当屋の店長、あるいは個人事業主がまったく出て
来ないのはとても不自然な気がする」と言っていました。
確かに、あの狭いシチュエーションではそうかもしれません。
最近のコメディーによく見られる傾向ですね。日常劇である以上、必要と思われる存在の人物が、本筋には関係ないからまったく登場しないということが。それがお芝居のリアリティーをそぐ場合もありますね。難しいところですが。勤務時間外での出来事とはいえ、従業員たちがあれだけ気を遣うような怪我なら店の責任者が蚊帳の外ということも考えにくいですから。
それに平井さんの怪我の程度がよくわからない。眼鏡をしていたのに、まるで目に刺さったかのような騒ぎようで、目に刺さったら失明は免れないでしょうけれど。平井さんがあの職場に来ているのは、休職中だが従業員たちに病院の送り迎えをさせるためなのか、仕事はいまも続けているためなのか不明。弁当を詰める仕事ならあの目の状態では普通はやめるか休職するかどちらかだと思われるが。
シリアスな場面とお笑いのバランスも一考されたほうがよいかなと思います。
「ベストアンサー」という題名ですが、川島弟が同僚たちの電話を一斉に受ける場面が終盤にありますが、それまで彼がふだんから仲間に頼られてるという印象の場面がないだけに、この場面が取ってつけたように見えてしまいました。兄の借金のふくらみかたがギャンブル、キャバクラ、フーゾクとありきたりでしかも、なぜそんな自堕落な生活になったかという背景も説明されない。
暗転が多く、いくつかのエピソードをつないでいく芝居なので、ラストのような
「あの夫婦お似合いかも」みたいな当たり前のオチでは、「何だ、それだけ?」と肩透かしをくらったような物足りなさが残りました。兄嫁も目力で笑わせる以外の描き方がほしかった。フィリピン人の彼女がなぜ、駅前で日本語で演説していたのかという理由がわからない。自転車を平気で乗り逃げしたり、単に突拍子もない行動に出る変わり者ということなのか、それではあまりにも外国人をバカにしているのでは。
HAMLET
明治大学シェイクスピアプロジェクト
アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)
2009/11/12 (木) ~ 2009/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
学生とプロのコラボ~とても素晴らしい舞台でした!
「社会に開かれた大学としての文化発信」の一環として行っている企画だそうだが、想像していた以上に素晴らしい公演でした。しかも入場無料。
少子化を見据え、学生集めの宣伝も兼ねてるんでしょうけれど、
無料カンパ制にしたら、みなさんそれなりにお金を払うのでは、と思いました。
こんな大きな劇場でプロのスタッフに支えられ、公演できるなんて学生たちにとっても素晴らしい想い出になるでしょう。今年で6回目だそうで、校友会報にもお知らせがなく、家族に明大OBがいるのに、全然知らなかった。
知ってたら全部観たかったので悔しい。
シェイクスピアファンのこりっち読者にはぜひおススメします。
来年は「夏の夜の夢」だそうです。
嬉しかったのは、まず、会場に入ると、中世のステキな舞台衣装を着た人たちがいる。ロビーパフォーマンスですって。もう芝居は始まっているのだ。彼らは劇中で旅役者を演じている学生たちのパントマイムグループ(nani-sole氏の指導を受けている)。
上階へ行く長いエスカレーターに乗っていると、階下へ行くエレベーターに乗った彼らが人形のように微動だにせず、すべるようにすれ違っていく。
夢のような光景。まさにシェイクスピアの世界にタイムスリップしたような。
途中階にも別の役者が貴族の扮装で乾杯の場面を演じていたり、街灯を手にした道化がロビーの椅子にすわり、あたりを伺っていたりする。特にすばらしかったのは、「鏡の間の決闘場面」と題して、黒と白の騎士がパントマイムでフェンシングを行っている場面でした。
これらのパフォーマンスは劇中で演じられるものとは別の内容なので
す。劇場に入ると、客席の間も、パントマイムの俳優が優雅に動き回っていました。
いやがうえにも期待感が高まっていく・・・・。
ネタバレBOX
学生たちの公演ですがプロスタッフと一緒に作り上げているのです。
衣装デザインは「エリザベート」などでお馴染みの朝月真次郎氏。生地のパタンナーには文化女子大の学生が協力。音楽はピアノ、ヴィオラをプロの演奏家が生演奏し、心理の微妙な揺れも表現。行軍などを表わす録音音楽は明大吹奏楽部が担当。フェンシング部や歌舞伎研究会も協力しており、プロだけでなく、大学も枠も越え、学生が学生を指導するという方式も好ましい。
そして、この劇は、既成台本を使うのでなく、学生たちが「コラプターズ」という翻訳班を作って、原語から翻訳して一から台本を作り上げていく。シェイクスピアの言葉だけでなく、「タメ」だの「マジ」「シカト」「自主休講」などの学生言葉も交え、学生俳優が考えた意訳やギャグも取り入れられている。
コラプターズの訳は松岡和子や小田島雄志も高く評価しているそうで
会場にはその台本の制作過程も展示されています。
男女混合のトリプル、Wキャストで、私が観た回は女ハムレットと男オフィーリア版でした。女性が男役というと宝塚を連想するが、これは違った。
鈴木由里は小柄で、いわゆる男役としての見た目のカッコよさはない。
しかし巧い!口跡が良く、膨大なセリフを暗記するだけでも大変なのに、心に響くようなセリフを言う。ハムレットという青年の存在が心に染みてくるようだ。
これまで私が観たプロの俳優は苦悩する複雑な青年で役にあまり共感できなかったが、鈴木ハムレットは身近に感じた。暗いだけでなく、小生意気で
小粋で、近年の社会的事件にもあった母の再婚相手を殺してしまう
中学生にも共通する危うさがある。
「悪いハートはポロリと捨てちゃって清い心でお生きなさい」とガートルードを突き放したときの表情に浮かんだ虚無が印象的。クローディアス(薄平広樹)は声もよく、プロ並みの演技で学生とは思えない。父の亡霊(正木拓也)の威圧感、ポローニアス(米澤望は1年生!)の軽妙洒脱さも忘れがたい。端役では墓掘りの草野峻平が光る(ご贔屓劇団「声きも」所属)。ガートルード(加藤舞)は美しいが滑舌が悪く、演技はイマイチ。王妃というより港町のスナックのママみたいだ。ハムレットが詰問し、衣装の黒のフリルスカート部分が脱げ、赤のミニドレス状態になることで娼婦の面が強調されるのが面白い。ガートルードと義弟の結婚発表のシーンはハンドマイクを使ってコンサート風で若者らしい演出。男オフィーリア(川名幸宏)は思ったより平凡で印象が薄かった。シェイクスピア時代の女形として演じたのかもしれないが、性の反転の妙味を出してもよかったのでは。オフィーリアが摘むハーブの花々に風船を使ったのもアイディア(花の色と同じ)。ハムレットが仕組んだ劇中劇がパントマイムの役者によって「人形ぶり」で演じられる。操り人形だが、義太夫調の語りに載せ、歌舞伎の「き」=拍子木を使い、よく言われるところの近松とシェイクスピアの共通点を思わせた。
なるべくノーカット上演が監修の原田大二郎特別招聘教授のモットーだそうだが、「ハムレット」は長すぎてイギリス使節のくだりがカットされた。
そのため、王冠を宅配便のお兄さんが届けるのだが、周囲の学生からは
「何で宅配便なの?意味わかんない」の声が。短いセリフを入れたほうが親切だったかもしれない。
舞台美術はプロの林いずみ(夢工房)。舞台下手奥のファイバー状の吊り物が操り人形の糸のようでもあり、オフィーリアが掴まえようとした柳の枝のようにも見え、印象に残った。
舞台美術と言えば、日大芸術学部の卒業公演では学生案がコンペにより決められている。プロ一任でなく、学生のプランをプロがアドバイスする形で作ってもよいのでは。
カットしたとは言え、休憩15分を挟み、3時間30分。見応えがありました。
私はシェイクスピアものは「シェイクスピアって面白い」と思わせたら成功だと
思っているので、その意味ではこの公演は大成功だと思う。長く続けてほしい企画です。
ふたりの女
SPAC・静岡県舞台芸術センター
舞台芸術公園 野外劇場「有度」(静岡県)
2009/06/20 (土) ~ 2009/07/04 (土)公演終了
満足度★★★★★
野外劇の新鮮さ
アングラ=テント芝居のイメージが強い唐十郎の戯曲を開放感のある野外劇場で観ることがまず新鮮な体験だった。
テント芝居の持つある種の息苦しさとは無縁で、傍観者として俯瞰するような位置に身を置くことができ、それは能を観るときの感覚にも似て、唐十郎の戯曲を先入観なく新しい視点で追体験できたように思う。
ネタバレBOX
開幕時、舞台正面の4つの銀色の戸板返し式回転ドアに浮かび上がる手が蠢き、ロックの大音響と共に8つの人影がもがき現れる。この点がノスタルジックな曲と共に始まる通常のアングラ劇と異なり、期待感を誘う。人
影はあたかも地獄の亡者どもの象徴のようでもあり、これから始まる男女3人の恋地獄の苦悶をも暗示している
ようだ。
原作の『源氏物語』から現代へと抜け出した六条御息所は<六条>、光源氏は<光一>、葵の上は<アオイ>として登場する。六条は昔出会い、忘れられずにいた医師光一の妻に間違われたことがきっかけで光一の妻にな
りたいと思い始め、光一と婚約者のアオイの間に入ってくる。原作の車争いの場が富士サーキットであり、六条が化粧品セールスをしたり、アジ演説を行う学生運動家風の男が登場するなど70年代当時の風俗をさりげなく描
いている。演者ではなく寝かせた小袖で表現される能の「葵の上」とは違い、アオイは生き生きと能弁で、1人の男を巡って女2人が争い、互いに引き剥がそうとして命を削るのが傷ましい。六条が渡した髪油を媒介にアオイは六条の情念に取り憑かれていくのだが、原作の生霊現象というより、光一が2人の女を愛した時点で2人の存在が表裏一体となって引き剥がすことができなくなってしまう皮肉が描かれている。
アオイと六条は1人の女優が演じ分けるが、たきいみきは初演の若き日の緑魔子を彷彿とさせ、妖艶で美しくはかなげでありながら力強い。2人が別人に見えながらも1人の女性に重なっていくように見せた点で成功だ。光一の永井健二は恋愛のカリスマ・光源氏ではなく、等身大のナイーヴな現代青年を明晰な台詞で演じる。官女風の大きな髪型に派手なビーズカーデガンを着た木内琴子の「母」が歌舞伎の生世話物風にくっきりと演じ、目を惹く。看護婦の三木美智代、老人の三島景太らもいかにも唐十郎の世界らしい雰囲気を醸し出していた。
今回は舞台美術と衣裳の果たす役割が大きく、潮騒や「鍵」の澄んだ音などの音響効果も印象的だ。俳優の衣裳は平安貴族の夏の装束である紗の薄絹を思わせ、医師の<是光>(原作では源氏の家来・惟光)の着る白衣も
光一の着る黒のジャケットも透けたオーガンジーのような素材である。この衣裳が、この芝居を現代劇の写実性から離れ、ドラマそのものの夢物語のような虚構性を観客に強く植え付けている。アングラ芝居で多用される白
塗り化粧もこの芝居では違和感がない。また、薄紫色の髪に白の下着姿の狂女の六条は砂浜に打ち上げられた人魚にも見え、突飛な言動と共に浮世離れした女を表している。
俳優は舞台の屋根部分の高所に上るほかは主に格子状に木を渡した床の上を行き交うが、格子によって形作られた道が人々がさまよいながら行く冥府魔道を思わせる。交わるかに見えても決して交わらない男と女の生をも
表現している。六条と光一が平均台のように、正面を向いたまま細木の上を後退する動きなどは、俳優の肉体の使い方として面白い。本物の能舞台もこのような格子が組まれた床下に足拍子が響くように甕が置かれているの
だ。さらに能舞台に描かれた松のごとく、自然の木々が舞台背後には聳えている。
野外劇場というロケーションが生んだもうひとつの視覚効果は、「闇夜に舞う蛾」である。蛾は照明を受けると、あるときは青く、あるときは緑色に、金色に光り輝きながら、ヒラヒラと浮遊する。それがあたかも劇中の砂浜に浮かぶ漁火のようにも、鬼火のようにも見えるのである。また、アオイが転落死した瞬間、背後の木が照明によって真紅に染まる。アオイの血しぶきとも情炎ともいえる強烈なシーンに崖の高度が活きるが、その直後、金色の蛾がアオイの化身さながらに舞台下方から舞い上がっていった。炎に群れる蛾を描いた速水御舟の名画「炎舞」を想起させるような自然が生んだ巧まざる劇的効果だった。
じゃじゃ馬ならし
SPAC・静岡県舞台芸術センター
静岡芸術劇場(静岡県)
2009/06/27 (土) ~ 2009/06/28 (日)公演終了
満足度★★
乾いた演出が好みではなかった
古典を型破りな形式で見せることで知られるアムステルダムの劇団だそうです。
「じゃじゃ馬ならし」というと「キス・ミー・ケイト」のモチーフになったりして、
わが国でも人気演目ですよね。
私が高3のとき、最後の学園祭の学年劇も「じゃじゃ馬ならし」でしたし、
楽しい舞台を期待して行ったんですが・・・。
ネタバレBOX
お国柄の違いなのかなぁ。まず、日本では俳優がこういうふうにはやらないだろうなと思いました。
何しろ、唾を本当に顔に吐きかけるんですよね。何人もが。ネトーッ、
ベチョベチョって。
観ていて吐き気がしてしまった。マジで。映画ならまだしも、生の舞台でこれをやられると気持ち悪いです。
日本人の私としては慣れてないし。
で、俳優がみんなアッケラカンとしていて、ストーリーは「じゃじゃ馬ならし」
に違いないのだけど、別の現代演劇を見せられてるみたいな感じで。
バリバリに乾いた感じの演出。
透明なスクリーンのむこうで物語を同時進行で見せたり、興味深い点もあったのですが、生理的に合わなかった。
オリヴィエ・ピィのグリム童話
SPAC・静岡県舞台芸術センター
舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」(静岡県)
2009/06/27 (土) ~ 2009/06/28 (日)公演終了
満足度★★★★
夢見るような舞台
私が観たのは「少女と悪魔と風車小屋」です。外国の遊園地にいるような
楽隊の生演奏も聴けて、俳優の演技もさることながら舞台に花びらが散るさまとか、少女の銀の義手のきらめく美しさとか、夢のような舞台でした。
私のような者は、フランスのオデオン座なんて一生行く機会なんてないですから、貴重な体験でした。
楕円堂は磯崎新の設計で、とても素晴らしいホールです。
ホールだけでも一見の価値があります。多く使われている木の力なのか、高血圧にも喘息にも効くみたいで、ここで過ごすととても体調が良くなるのです。
ネタバレBOX
明治時代、財閥や華族の家の園遊会にこういう楽隊が出たようですが、
きっとパリの万国博の影響だったのかなーと思って観てました。
「グリム童話の残酷さ」をテーマにした本がブームになったことがありましたが、今回の芝居を観て納得できました。童話なのに、大人が観て楽しめる。
しかし、ですね。東京からのハシゴツアーの高速バスの渋滞により、我々の一団は開演時刻に間に合いませんで、到着しても楕円堂が遠いから徒歩での移動に時間がかかり、開演を遅らせてもらったわけです。何時間も乗ってるバスを降り、トイレが限界だったのに時間押しで行けない訳ですよ。バスジャックの人質の気分(笑)。
我慢して観てたけど、終演後はまた移動時間がないから、もう駄目!となって、幸い出口に近い端っこにいたので、這って行って係員に耳打ちし、ソーッと後ろから出してもらって中座し、何度か来てるので勝手知ったる近くのトイレに駆け込みましたわ。
楕円堂は本当は地下のトイレに行くべきなんだけど遠くて時間かかるので。
中座2分。またソーッと戻りました。
ツアーのご厚意はわかるけど、移動時間を考えるとタイムスケジュールに無理がありすぎなんですよね。
演劇/大学09春「近畿大学『少女仮面』」◆フェスティバル/トーキョー
フェスティバル/トーキョー実行委員会
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/03/28 (土) ~ 2009/03/29 (日)公演終了
満足度★★★★
初演に思いをはせて
もっと早く書きたかったんですが、団体名キーワードをフェスティバルやトーキョーで入力しても検索に出てこないもので見逃してしまってたんです。
秋公演を観たいに登録したので、さかのぼって書くことにしました。
初演の「少女仮面」は吉行和子、白石加代子によって演じられたそうです。
今回の公演を観て、初演を観たかったなーと思いました。
吉行和子は当時、反新劇のノロシをあげていたアングラ劇に出ることを決意して「民藝」を去ることになったのです。
新劇界の重鎮で民藝の主宰であった宇野重吉が「そんな芝居に出ても何の得る物もないよ」と大反対したそうです。宇野の秘蔵っ子として「アンネの日記」の主役に若くして抜擢された吉行はどんなに悩んだことでしょう。
この「少女仮面」により、彼女の新たな女優人生が始まったともいえましょう。
「時はゆくゆく 乙女は婆アに、それでも時がゆくならば、婆アは乙女になるかしら」(「少女仮面」より)
何と美しいことばでしょう。
公演に関った学生の多くが、この芝居のテーマは「肉体と心」だと述べている。まさにそう。でも、そのテーマをこんなに素晴らしい劇に仕立てた唐十郎は凄い。
2008年、「アプサンス」(2010年再演が決定)で舞台を去ることを決意した吉行和子は老女と少女の同居した難役ジェルメーヌをみずみずしく演じました。「アプサンス」も「肉体と心」を描いた作品。
その記憶が残る中で、大学生たちの「少女仮面」を観たのです。
ネタバレBOX
真紅の羽根のストールを肩にかけた春日野八千代(久保田友理)が音楽に
乗って客席に登場したとき、いかにも唐十郎の芝居らしく、うれしくてワクワクした。かつて渡辺えりもこの役を演じたそうで、それも観てみたかった。
風呂桶に入って体を清める儀式が行われたり、何だか妙な春日野八千代ではある。春日野八千代は宝塚を代表する男役スターであり、宝塚少女歌劇はもともと温泉浴場の宣伝として発祥した史実をモチーフにした巧い作劇。
この春日野八千代はもちろんそう思い込んでいる精神を病んだ女で、
満州での戦争の爆撃がトラウマになっているようだ。
これも宝塚の満州慰問団の史実とリンクするようで興味深かった。
終盤、戦地の記憶が交錯する甘粕大尉の進軍の幻想場面に迫力がある。
喫茶店の客の腹話術師と人形が主客転倒する話や、ボーイたちのタップダンスなど、楽しい場面だった。難波有の人形の演技には感心した。特に人形を人間扱いしないと言って怒る腹話術師や、喫茶店の水道の水だけ飲みに来る男など、昭和には実在した風俗が描かれているのも興味深い。
メリー・ホプキンの音楽もやるせなくてとてもよかった。
いらない里
ホチキス
吉祥寺シアター(東京都)
2009/11/07 (土) ~ 2009/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
今回は退屈しませんでした
いくつもの段差を設けた立体的な舞台美術が素晴らしく、
人の出入りや場面転換を効率的に行っていた。
円形のスクリーンも巧く使っていた。
登場人物が生き生きとしていて、全員が揃って歌うシーンもエンターテインメントらしくてよい。
作・演出家が自信をつけて余裕が出てきたのがはっきりと見て取れる作品だったと思います。
個人的には小劇場系の芝居は1時間40分くらいまでにまとめるのも腕前の内だと思っているので、現時点ではもう少し刈り込めたかなという気はしますが。
観終わって思ったのだけど、あのフライヤーの思わせぶりな図柄は何だったんだろう?(笑)
ネタバレBOX
UFOの話が出てくる劇はあまり好きではないのですが
コストカッターとの取り合わせに意外性があって面白かった。
冒頭の村上と小玉の立場が逆転した妄想シーン、
こういう滑り出しは昔、博品館劇場の芝居などによく使われた手法で
センスを感じる。
幕開き、円形スクリーンは天文台のイメージなのかなと思って眺めていたが、あらゆる場面で有効に使われていた。今回は音楽もとてもよかった。
小玉久仁子の桂は、まるでサイボーグのように動きやしゃべりかたが非人間的で悪役キャラと思いきや、後半、結構人情味も発揮するのが面白い。
村上直子は主役として大きな華には欠けるが、演技は明快。
そのほかの女優陣も美人ぞろい。
玉置玲央は「悪趣味」のときのOLと同じ人には思えないほど、スリムな印象。
本作でも運動神経のよさを活かし、個性的な演技を見せる。
加藤の館長の息子、橋本の天文台館長、山崎の副館長は安定した芝居。
本筋と並行して抜殻殺人事件の捜査が行われるが、話の展開上必然的に挟まれた場面なので会話が少々平板になったのが気になる。
もう少し、役者にしどころを与えてほしかった。
ちなみにこの抜殻のカラクリは、以前何かのSF小説でこれと同じ話を読んだことがあったので、すぐにそれとわかった。設定は偶然だとは思うが。
セントナ・DE・シンデレ男
劇団ギリギリエリンギ
セントポールの隣り(レストラン)(東京都)
2004/09/01 (水) ~ 2004/09/04 (土)公演終了
忘れられない作品です
えーっ、もう5年前になるんですか。この公演しか観てないんだけど、
いまも忘れられないので、今回お気に入りに登録するにあたり、
観てないファンのために当時の思い出話として書きこんでみました。
シンデレラを下敷きにしてるナンセンスコメディなんですが、いやもうヒドイのなんのって。芝居を観に行ったというより、お楽しみパーティーに潜入したというのかな。よく開かれてるタカラジェンヌのお茶会の余興みたいな雰囲気だった。
会場はいまもある池袋のレストランなんですけどね。狭い中、お客がひしめいてました。
池田さんがノンノボーイみたいにきゃしゃでひ弱な男シンデレラでさんざんいじめられるんだけど観ていて劇と言うほどちゃんとしてないので、何がいいたいのかよくわからない芝居だった(笑)。女優陣の大胆なコスチュームはやんやの喝采をあびてた。剣戟シーンがね、ストローで戦うんですから。愕然としました。お手洗いが女優陣の着替え室兼スタンバイ場所になってた。公演全体がネタみたいでした。
でもね、いまでも鮮やかに覚えてるのは、カーテンの陰から太田さんの国王が登場したこと(レストランのカーテンの陰だから爆笑です)。
X-JAPANの曲に乗って、第一声が「いやー、感動したー!」って。
小泉首相風のモノマネで。まるでTHEニュース・ペーパーの松下アキラ。
で、退場のひとことが「自己責任!」と言って無責任に逃げてしまう。
すごく印象的でした。面白い役者ダナーって。
芝居全体としてはヒドイナと思ったけど、「略称ギリンギ」の2人には好感を持ちました。
当時活劇工房に所属してたおらんだ氏が「おらんだ王子」で客演してたんだけど、終演後こんな話をしてた。「いや、会場に着いたらさ、いきなり出てくださいと言われてさ、えー、オレ出てないよ、と言ったんだけど、もうプログラムに書いてありますと言われて。おらんだ王子だって。で、おらんださんのまんまでいいですからって」。それを聞いて何だ、こりゃって思いました(笑)。
その後、DMがまったく送られてこないし、一時HPも休止してたみたいで、
公演を観てなかったんです。
久々懐かしくて、太田氏がアロッタファジャイナの「ルドンの黙示録」に客演
したとき、観に行ったほどです。
もうひとつ忘れられないエピソードがあって、当日、主催者側からちゃんとした席が設けられないかもしれないから座布団類を持ってきてくれという指示があり、持っていったのですが連れが忘れてきてしまったんです。
で、池田さんの携帯に連絡して翌日店に取りに行ったんですが、雨が降ったこともあり、汚れるといけないからってビニールできちんと包装してくれてた。
細やかな心遣いに好感が持てましたね。芝居はアバウトな感じだったけど(笑)。近いうち、また公演を観に行きたいと思っています。