kikiの観てきた!クチコミ一覧

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リチャード三世

リチャード三世

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/10/17 (火) ~ 2017/10/30 (月)公演終了

満足度★★★★

冒頭。パーティだ……と思ったのは、人々がシャンングラスを手にしていたからだろう。白塗りで談笑する男たちは、皆同じように白いシャツに黒いズボンで、シャツの前をはだけている。サックスを吹く者もいる。

そう書くと陽気な場面のようだが、実際に観ているときはまた違う印象があった。何かが始まりそうな不穏な空気。いや、何が始まるかは知っている。有名な物語だ。なんなら台詞のひとつもそらんじてみせることだってできるだろう。

その有名な物語の最初の台詞を男が口にする。なるほど、彼がリチャードなのだ。

訪れたつかの間の平和に飽き足らず、野心を語る男。ときに片足だけハイヒールを履いて、不具を演じる道化めいた動きも、すらりと立ち上がって女を口説く様子も、自然に目を引かれる熱量がある。

キャストはほとんど男性で、彼らの演じる王妃や元王妃たちが禍々しくてとてもよかった。

手塚さんのアンの独特の存在感と色気とか、植本さん演じるスキンヘッドのエリザベスの肩の辺りのたおやかさとか、今井さんのマーガレットがもうスゴい素敵(←語彙力w)だったこととか。

今井さんは、萬斎版リチャード三世『国盗人』で理智門(リッチモン)を凛々しく演じてらっしゃったので、なおさらインパクトが強かった。

この舞台のマーガレットは「絶望して死ね」という強い呪詛の言葉の代わりに、歌うように呪っていた。いや、ホントに歌っていたのだ。「この世に想いを絶って死ね」と。

高い天井。いくつかの場面で水の降る音。三方に張り巡らされた幕が水しぶきで濡れていく。

王位に就くことを承諾する場面は雨。広場に集まった人々が傘を差している。それを建物の内側から観ている。そこで演じられる、望まれて王位に就くという茶番劇。

ビニール袋に包まれた王座への愛撫がなんかもう生々しくて、エロいなどというより、観ちゃ行けないモノを観ている感じだった。

彼の王座への執着は、野心というより、なんだろう、もう少し切実な何かだったように見えた。

物語の後半を覆いつくすようなリチャードの狂気。手に入れた王位への歪んだ執着。破滅へ向かって物語が加速する……。

陰惨な物語を解体する演出と、物語を牽引する佐々木さんの熱量。悪魔というよりは、かすかに道化めいた哀しみを感じさせるリチャードであった。

ワンピース

ワンピース

松竹

新橋演舞場(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/11/25 (土)公演終了

満足度★★★★★

もう本当に楽しかった!

原作の魅力と、歌舞伎の気持ちいいところと、横内さんらしい作劇の面白さとがあいまって、初演以上にがっつりテンション上がった。

ストーリーのまとめ方は端正でわかりやすいが、演出はド派手だ。

たとえば水を使う場面。本水を使うのは歌舞伎でもときどき拝見するが、この舞台ではなんていうか、ちょっと驚くほどの膨大な量である。

立ち回りをしつつ滝のように勢いよく降り続く水をはね飛ばし、客席に向かって跳ね上げ、キャスト同士が水を掛け合ったりもする。(前方数列の客席には、水よけのビニールシートが配られている)走ってきた兵士たちが水浸しのステージに滑り込んだりもする。実際にはたいへんなことも多いだろうけれど、客席からは本当に楽しそうに見える。

あるいは、2幕の終わりにルフィーが宙乗りをする場面がある。何度も傷つき倒れながら、兄と慕う大切な人を助けるためにまた旅立つ、というシチュエーションだ。

ステージだけでなく場内全体に明るい光が満ち、テーマソングが響き渡る中、我々の頭上を飛びまわるルフィーの表情は明るい。苦難はまだまだ続くだろう、それでも仲間とともに船出する彼の眼には希望しか映っていないのだ。

同時に、たくさんのキャストが客席通路を踊りながら通っていく。観客とハイタッチし、手にしたタンバリンを観客と交換したりしながら。

ほとんどの観客が立ち上がり、頭上のルフィーや通路で踊る人々に手を振る。歌舞伎で、という注釈さえ必要ない、こんなに大勢の人々と一緒にこれほど盛り上がる、祝祭めいた芝居をこれまで観たことがあっただろうか、と考えたりする。

観ていて、歌舞伎というジャンルの懐の深さを感じた。脈々と続く伝統に裏打ちされた技術と人材と様式、そして新しいモノを受け入れる柔軟さで、またひとつ大きな軌跡を産みだした。

横内さんの作品として個人的に好きな作品は他にいくつもあるけれど、多くの人の心を動かしたという点において、しばらくは横内さんについて語るとき「ワンピース歌舞伎の」という形容が外せないだろう。

検察官

検察官

劇団東演

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2017/10/13 (金) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★

冒頭。4人の楽師と指揮者が登場する。ロシア人の俳優が演じる指揮者は、ロシア語でまくしたてたかと思うと、日本語を交えた戯けたトークで観客の笑いを誘う。

そして、着飾った男女が踊りだす華やかなオープニング。

色とりどりのドレスで踊る女たち。街の権力者たちのいかにも俗物めいた描写が笑いを誘う。

かと思うと、「ロシア語がひとことも話せない」と言われる医者をロシア人の役者さんが演じる皮肉とか。

検察官と間違われた若い役人と市長をはじめとする人々の滑稽なやり取りがある種の様式美によって描かれていく。

その様子は、なんていうか、不思議な国のサーカスみたいだった。カラフルで滑稽な馬鹿騒ぎ。印象的な音楽とダンス。躍動感とリズム。独特の陰影。皮肉と哀愁。

初演の記憶よりいっそうパワフルで、3時間近い長尺を飽きる間もなく魅了された。

ブッダ

ブッダ

わらび座

京都府立府民ホールアルティ(京都府)

2017/08/26 (土) ~ 2017/08/26 (土)公演終了

満足度★★★★★

再演初日となる京都公演を観てきた。

開演の少し前からほの暗い舞台に人がぽつりぽつりと現れて気怠そうに床を磨き始める。

客席はまだ明るいが、舞台の様子に気づいたのだろう、観客がしだいに静かになっていく。

突然鳴り響く音楽!氾濫する大河!

人々は流され、渦を巻き、そして1人の赤ん坊が生まれる。

そこからの展開を観ながら、そうだった、わかりやすいとはいえない作品だった、と初演を観たときの印象が蘇り、初めてご覧になる方はどんなふうに感じられただろうと気になったりした。

説明めいた台詞もないまま物語は動き出し、登場人物それぞれの過去や想いは鮮烈だけれど断片的で、時間の経過にも飛躍がある。けれど気がつけばそれらはひとつの流れのように、シッダールダの人生を映し出していく。

後半になるともう怒涛の展開だ。目に見えない渦が会場を満たし、理屈を超えて観客を巻き込み押し流していく。

客席の人々は、息を呑むように静まり返って舞台を見つめている。

人々の嘆きや苦しみが渦を巻く終盤の場面はやはり圧巻であった。

説明しきれない衝動や圧倒されるような感覚。そういう変わらない何かを抱えたまま、新しいキャストを迎えて鮮やかに蘇った。

まだ初日らしい硬さもあっただろう。歌やダンスもこの先もっと馴染んでくるような気がする。

しかし初演キャストの安定感と新キャストのエネルギー、そして若々しいアンサンブルの躍動感が、懐かしく同時に新しい『ブッダ』の世界を作り上げていた。

KINJIRO!

KINJIRO!

わらび座

小田原市民会館大ホール(神奈川県)

2017/05/13 (土) ~ 2017/05/13 (土)公演終了

満足度★★★★

二宮金次郎という名前は知っているけれど、そういえばいったいどんなことをした人なのか、少しも知らなかった。

マジメで働き者なのは、少年時代の銅像からイメージするとおりかもしれないし、節約や工夫で財政難にあえぐ家や地域をよみがえらせた、立派な人物であるのは間違いない。

でも、完全無欠の偉人を遠くから仰ぎ見るような舞台ではない。

ラップとムーンウォークで始まり、和太鼓に合わせたヒップホップや民謡もあれば多彩な楽器の生演奏もある。たくさんのダンスや音楽に乗せて描かれるのは、迷ったり悩んだりもする1人の男の人生である。

仕事だって、人間関係だって、うまくいくばかりじゃない。そういう中で、彼が何を思い、何を選び、どこへ向かって歩き続けたのか。

これはたぶん、そういう物語なのだ。

三英花 煙夕空

三英花 煙夕空

あやめ十八番

旧平櫛田中邸アトリエ(東京都)

2017/09/26 (火) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

公演の情報に書いてあったキャストは4人だったが、実際に舞台を観るとそれだけではなかったなぁ、と思う。

音楽を担当なさった吉田さんが2つの役でご活躍だったのと、そして、もうひとりの出演者……とでも言いたいくらい存在感があったのは、「会場」である。

東京公演は、彫刻家のアトリエだった場所で、観客は三方の壁に張り付くように並べられた椅子に座った。

大正8年に建てられた建築物の窓を閉ざした空間に、4人の、いや5人の声がそれぞれ印象的に響いて、何だかずっと昔に観た夢のような、現世と切り離された時間を過ごした。

下町の墓地に近いロケーションも、大きな窓をふさいだその部屋も、演じられる物語にぴったりで、我々は古物商の倉庫の壁の一部にでもなったように成り行きを見守った。

限られた空間に居並ぶ人々は、季節外れの暑さを感じていた。いつ書かれた戯曲なのか、物語の中もそれと同じような蒸し暑さがこもってきて、夕闇に煙の立ちこめる火事の様子さえその家のどこかに隠れて観ていたような錯覚を起こさせる。

その空間で、主役の尼子鬼平を演じ島田さんの声が圧するように響く。手を伸ばせば届きそうな距離で。贅沢なことだ。

歳を経て妖怪めいた大蜘蛛と、同じく長い時を経た器物たちと。骨董に取り憑かれた主と妻や娘と。その中で、鬼平の放つ気だけが異質であった。

野心も打算も執着も憎しみも、現世めいた色を放って彼らの中で浮かび上がるように見えた。

盲いたそぶりが生々しい。そういえば所属されている劇団でも盲目の兵士を演じたことがあったはずだ、などと脈絡なく思い出す。

年代物の大壺を演じた村上さんの堂々たる存在感。名刀の贋作を演じた小口さんの感情の振り幅。幽霊絵を演じた金子さんの儚い美しさ。妖怪めいた大蜘蛛を演じた吉田さんの飄々とした風情。

事件を担当する刑事役は、やや道化た吉田さんの動きに他のキャストが声を当てた。傀儡めいた刑事の世俗感は、鬼平とは別の意味で骨董商の屋敷に住む者たちとは異質であった。

吉田さんはその上に、澄んだ音を響かせる木魚ほどの大きさの打楽器やその他名前も知らないようなさまざまな楽器を駆使して、音楽やその他の音を生み出して、この不思議な物語を支えた。

三英花 煙夕空

三英花 煙夕空

あやめ十八番

浄土宗應典院 本堂(大阪府)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

大阪での公演は、浄土宗應典院というお寺であった。本堂はホール仕様で、「シアトリカル應典院」と名付けられ、演劇や音楽など様々なジャンルの催しが開催されているとのこと。

会場が変わり、音の響きや照明が変わり、キャストが変わって、東京公演の濃密な仄暗さとはまた違う、エッジの効いた明暗を感じさせる物語となっていた。

硬質な印象を与える音と光。碁盤を模した床の上を人々がうごめく。

大阪公演では島田さんに変わってあやめ十八番主宰の堀越さんが尼子鬼平を演じた。なるほど、演じる人が変わるとこれほど印象が変わるのか、と思った。

古物商の屋敷の中にあって、どこか異質だった尼子鬼平が、ここでは古物たちと同じ匂いを感じさせる。

本堂をイベントホールとして使用するとき、通常はお姿を見えないようにされているご本尊を、この公演では正面に据えての公演であった。碁盤状の床の上で、傀儡であったのは刑事ばかりではあるまい。差し手は誰なのか、因果応報という言葉が刻んだように脳裏に残る。

物語の輪郭が鮮やかに浮かび上がって、なるほど、なるほど、と思う。

ご本尊の見守る中で、妖怪めいた器物たちや人間たちの織りなす運命と皮肉の物語。

東京と大阪、両方でこの作品を観られたのは稀有な経験だったと思う。

カーテン

カーテン

日本のラジオ

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/09/30 (土) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

某国の劇場を武装した集団が占拠した。投獄されているらの指導者を解放せよ。要求が聞き入れられなければ人質を巻き添えに自爆する、と声明を出して。

物語は、劇場が占拠された数日後から始まり、制圧される直前に終わる。その間に劇場内で交わされた会話から、彼らの目的やそれぞれの出自、思惑が浮かび上がり、そして……。

ドラマティックなはずの題材を、少人数の会話を中心に淡々と描いた、余白の多い芝居である。観終わった後いつまでもいろいろと考えてしまうのは、そこにこめられていた情報量がとてつもなく多かったからかもしれない。

90分の時間とホールの空間を満たした濃密さと空虚さが、遠い国の歴史を聞かされたような儚さに似た余韻を残した。

ネタバレBOX


会場は三鷹芸術文化センター星のホール。ほんの少し前にも他の作品を観るために訪れた場所だ。

しかし、開場して通されたのはステージの上に組まれた客席だった。目の前には幕。この幕……というよりカーテンが開いたとき物語が始まる、つまり客席を使って芝居をするのだろうということは、座った時点で予想できた。

カーテンのこちら側で、劇団の名物でもある(←)独特の味わいのある主宰の前説。そのあと、カーテンの向こうからも改めて前説らしき声が聞こえ始める。Mrs.fictionsの今村さんだ。15mmなどで聞き慣れた前説の口調であらためて諸注意を……いや、そうではない。気がつけばそれは独立武装戦線「海鳴り」の声明であった。

そして幕が開き、現れた光景の異様さに目を引かれる。客席のあちこちに散らばって座っている人々。それぞれオレンジ色の布のようなあるいは頭巾のようなものをかぶっている。その布を取ると物語に登場し、客席のどこかに座ってまた布をかぶると物語の上から一時退場した形になる。

布で顔を覆われている間は、劇場内の人質を表しているのだろう。オレンジの布は某テロ集団が人質にかぶらせていたものに似ている。そして、なぜかキャストの15人より多い人数が顔を覆われて座っていた。

舞台となっているのは架空の某国。本土と島の対立は、単純に都市と地方の対立というだけではなさそうだ。

対する武装集団の中にも島出身者もいれば本土やあるいは異国からきた者もいて、それぞれの出自によって使う言葉が異なっている。本土の言葉、島の言葉、島の辺境の言葉、日本語、それぞれの片言などがあって、もちろん舞台上ではすべて日本語だけれど、敬語や方言めいた言い回しの使い分けで、区別がつくようになっている。

言葉に現れる住民性や彼らの経てきた歴史。

そういう言語の使い分けに気づいたのは舞台が始まってしばらく経ってからだった。最初からその辺りも意識して観たら面白いだろう、というのが2度目を観に行こうと思った最大の理由かもしれない。

何も起こらない芝居だった、という感想を目にした。そういう意味では、出来事の前後や外側(あるいは内側)の「会話」を綴った物語だと言えるかもしれない。非日常の中の日常的な会話を淡々と描写しながら、事件が起こるまでの過程や人々の辿ってきた道を想起させる。

日常的、たとえば、少女が手にしていたアイスキャンディー。バナナ味なのかマンゴー味なのかそれともメロンなのか、それぞれが違う意見を言う。ただチョコミントでないことは確かだ。ミントの刺激を「からい」と表現した島の少女。島ではからいものは好まれない。さきほどの言葉に表れた白黒つけない住民性と食べ物の好みと。

日常的な会話の向こうに見えるもの。

少女は、巫女の末裔であり、三姉妹の末妹である。彼女は、若い同志のひとりに淡い想いを向ける。別の若者は、彼女に少し惹かれている。獄中にいる英雄は、巫女の次女と夫婦となっている。

会話の端々から伺える人間関係。ひとつひとつの会話に、登場人物ひとりひとりのこれまでの人生や想いがのぞく。

長女のおだやかな寛容と、次女の潔癖さ。長女と次女はそれぞれ違うものを見ていたのかもしれない。彼女たちが相手の頭上に手を差し伸べる仕草を人々が自然に受け入れる様子に、島に根付いた信仰が伺える。

奥行きのある人物描写に15人のキャストの魅力が充分に生きた。

それぞれあまりにもハマリ役だったので、終演後のロビーで「宛て書きですか?」と主宰で作・演出の屋代さんに尋ねた。そうではない、どちらかというと演出でキャストの持ち味を取り入れている、というふうな(←正確にはどう表現されたか覚えてないのですが)お答えだったように思う。

武装勢力の全滅、とあらかじめチラシにも書いてあったが、ラストでそれについて言及されるまで実はまったく頭になかった。

序盤で、若者に向かって、お菓子を食べてきたらいい。遠慮することない。どうせもうすぐみんな死ぬんだから。というワダツの巫女の末裔 ソン。

終盤で彼女は、うつろな表情で歩き続けていたグループのリーダーが言う「この世は生きるに値しない」という言葉に、ウゴくんも気づいてしまったか、と呟いて歌い出す。

1度目に観終わった後、この物語に登場していた人物はすべて死んでしまったのかしらと思ったけれど、2度目に観て気づいた。そうじゃない、だってラストシーンで「後から聞いた話によると……」と言ってるじゃないか。生き残った者もいるのだ。でもそれは武装集団の誰かではない。

甘い匂い。甘い……匂い。まもなく催眠ガスが充満する劇場に漂っていたのは、神に捧げられる供物の甘さか、あるいはアイスキャンデーの匂いか。その直後に「みんな死」んでしまう武装勢力。人質のうち、誰が死んで誰が生き残ったのか。

観終わったあとも、そんなことをいつまでも思い続けていた。
不届者

不届者

劇団鹿殺し

天王洲 銀河劇場(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

妻を亡くした男が夢を叶えようとしてあがく姿と、徳川吉宗が将軍へと上り詰めていく様子を重ね合わせ、シェイクスピアを思わせる波瀾万丈の物語として描いていく。

妻を殺したのは誰か。彼の夢はどこへ行くのか。

道化師めいた保険屋の示す脚本が、男たちの運命を導く。

現在と過去。罪と野心。

交互に描かれていた2つの時代が、次第に重なり合い混じり合う様子にワクワクする。

生演奏のドラムの響きが、不穏な予感のように物語に寄り添っていく。

人を殺めて権力の座につき、疑心暗鬼からより多くの人を手にかける。そうしているうちに、自分自身の望みや大切なものが何かも見失っていく。

『リチャード三世』や『マクベス』を思わせる血塗られた物語に、歪んだ笑いと哀愁が漂う。

劇団鹿殺しの本公演に流れるピュアで温かな印象の代わりに、虚無を見つめる少し哀しいまなざしが感じられる気がした。

瘡蓋の底(かさぶたのそこ)

瘡蓋の底(かさぶたのそこ)

タカハ劇団

小劇場B1(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

終戦直後の満州。ほの暗い船底に5人の男たち。船底に身を潜め、人の名前を買って、満州から日本へ秘密裏に帰国しようと目論んでいる。当たり前の方法で帰れないのは、それぞれ人に言い難い事情があるのだ。

たまたまそこに乗り合わせただけで立場も年齢も目的も違う。互いへ向けた不信の目は、そのまま自らの後ろめたさと重なるだろう。

あることから、買い取った名前が同一人物のものであることがわかり、命がけの駆け引きが始まる……。

一方、ある嵐の夜、母の入院を契機に集まった三人姉妹とその友人たち。

入院は検査のためとわかるが、それを口実に長姉が妹たちを呼び寄せたのは、母の還暦祝いについて話し合うためだった……。

異なる時代、異なるシチュエーションで、交互に進んでいく2つの物語。

船の男たちの物語は、それぞれの事情と命をかけたやり取りによる緊張感と、存在感のあるキャストの熱演で見応えがあった。

一方、現代の姉妹たちの物語は、彼女らの生い立ちや両親との関係、次女の元カレや三女の奇妙な友人などを絡めつつ独特のユーモアと屈折を含んで進んでいく。

それぞれの物語の展開に引き込まれたが、特に、エゴむき出しのやり取りを経て、小さな命を囲むこむ男たちの姿が印象的だった。

2つの物語の関連が明らかになるラスト。つながれていく命のイメージが胸に残った。

シャーロック・ホームレスの食卓

シャーロック・ホームレスの食卓

劇団ズッキュン娘

テアトルBONBON(東京都)

2017/09/21 (木) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★

男性比率の高い客席。そうだ、女性ばかりの座組だった、と、会場に入ってから改めて気付いた。

彼女たちがダンスや歌も交えて描くのは、公園から追い出されようとするホームレスたちの活躍とある家族の軌跡。

ささやかな約束を守れなかった母に投げつけた言葉を、長女はそれからずっと後悔することになる。なぜなら、母に謝るまもなく家が火事になり家族はバラバラになってしまったから。

そして月日は過ぎ、ホームレスとなった長女はある公園にたどり着いて……。

個性的なホームレスたちの経歴や立ち退きを迫る行政側の対立などをやや戯画的なタッチながら、主要な役柄に説得力のあるキャストを配してテンポよく描いていく。

ホームレス劇団が立ち上がる様子。探偵モノ仕立ての劇中劇。家族の再会。むかし家族で囲んだ食卓。

そして、失われたものは取り戻せなくても、能天気なほどにハッピーな結末。

観終わって元気が出るような、理屈抜きに楽しい舞台だった。

海の凹凸

海の凹凸

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2017/09/20 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

1980年代東京。

東京大学で長年公害についての公開講座を行っていた宇井純氏とその周囲の人々をモデルに、水俣病を始めとする公害病について問題意識を持ち、それを広めていこうとする人々の葛藤と転機を描く。

戯曲を担当された詩森ろば氏(風琴工房)は、この題材に高い関心を持っており、自らが主宰する風琴工房でも『hg』というタイトルで水俣病についての作品を上演している。

いや、「題材」という言葉が軽く聞こえるとしたら、見過ごせない同時代の問題として。

社会性の高い問題を広い視点で見つめながら、あくまでも個人の関わり方を中心に描くことで観る者が共感しやすいものとなった。

特に、終盤の主人公の決意と、彼とともに行くと決めた女性の描き方は(モデルとなった人物や事象もあったように聞いたが)、大きな問題に個としてどう関わっていくか、そしてそれを誰と共有できるのか、という人の生き方や考え方に寄り添って描かれていたように思う。

ある種の運動にのめり込んでいく男と、それを理解し得ない、あるいは家族をかえりみない彼の熱意ゆえことさらに目を背けようとする妻のすれ違う心。

そして、家を出て、彼とともに水俣へ行くと決めた女性の迷いないまなざし。

我々は何のために生きるのか、という素朴な問いは、応える人の数だけ答えもあるかもしれない。
我々はここでその答えのひとつを得ることになるだろう。

水俣病という重いテーマを扱いながら、人間ドラマとしての面白さで観る者を惹きつけた脚本はもちろん、説得力のある人物像を立体化した演出も見事だった。

老舗劇団らしい幅広い年代のキャストの活躍や丁重なスタッフワークも見応えがあり、熱量と端正さを併せ持つ舞台となっていた。

オペラ『スマイル─いつの日か、ひまわりのように』

オペラ『スマイル─いつの日か、ひまわりのように』

オペラシアターこんにゃく座

俳優座劇場(東京都)

2017/09/14 (木) ~ 2017/09/17 (日)公演終了

満足度★★★★

過去を振り返るように語り始める男。夕焼けに照らされたどこか懐かしい風景。浜辺で言葉を交わす金髪の少年と男言葉の少女。

西洋人の父を持つ金髪の少年けんとと戦争に行った父の帰りを待つ少女ぼたんは、同級生たちの輪に入れないまま、2人の時間を重ねる。

旅する漫才トリオ サマーフラワーズ。ユリ、ドクダミ、ボタン……とそれぞれ花の名前を持つ元気いっぱいの女たちは、ケンカしたり稽古したりしながら旅を続ける。

2つの時間軸が、それをつなぐ(であろう)ケントの語りとともに進んでいく。

戦争は激しさを増し、空襲に備える子どもたちの様子や素直になれないほくろとぼたんの友情などを繊細に描きつつ物語は進む。

一方、劇中劇めいた漫才を見せつつ、町から町へと車を引いてサマーフラワーズは旅を続ける。

戦争。旅芸人。散りばめられた笑いも郷愁もどこか鄭義信さんらしい。

この物語は、金髪の少年けんとが大人になって、過去を振り返っているのか、と思いつつ観ていた。

そうではない、と気付いたとき、さまざまな言葉や場面が改めて思い返された。

逢えない中で、ぼたんとけんとがそれぞれに見上げる月。空襲。燃えさかる炎。倒れ伏す人々。母へと伸ばした手。

少年けんとを演じた泉さんの星の王子のような金札や少し寂しげな雰囲気と大人のケントを演じる井村さんの透明感を感じさせるたたずまいに説得力があった。

残されたぼたんは大人になり、ボタンとして、人々の笑顔のためにユリとドヌタミとともに旅を続ける。

東西の名作をややドタバタな芝居仕立てにしたサマーフラワーズの漫才(?)が楽しく、ケンカもしつつ前向きに生きる彼女らのエネルギーに元気付けられる。

ドクダミ役の金村さんがこれまで拝見した役柄(ロボットの少年やモーツァルトなど)とまた違うインパクトがあって印象的だった。

歌声や生演奏も物語によく合って、もの哀しい遠い思い出のような柔らかな時間となった。

きゃんと、すたんどみー、なう。

きゃんと、すたんどみー、なう。

青年団若手自主企画 伊藤企画

アトリエ春風舎(東京都)

2017/09/15 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

ああ、いいもの観たなぁ、と観終わってすぐに思った。

切実な題材をしっかり描きつつ、それだけでないさまざまな人の想いを繊細に積み重ねた作品。そこに日常を逸脱する奇妙な存在を加えて、ペーソスとユーモアを感じさせた。

三姉妹を軸に、友人や夫や引っ越し屋さんや施設の職員など、それぞれの想いが丁重に描かれる。

三人姉妹のそれぞれに感情移入しつつ観ていた。特に三女の不安や屈折、そして亡き母(のように見えたもの)との会話が印象に残った。

キャストはそれぞれ魅力的で、中でも長女と結婚したいと言い出す男を演じた岡野さんの演技に説得力があった。

ネタバレBOX

会場に入ると、作り込まれたセットが目に入った。そして、そこにはすでに人の姿があった。どうやら引っ越し屋さんらしい男女の会話から、物語は始まった。

三人姉妹の暮らす家。三人姉妹の次女が、結婚して家を出るのだけれど、夫の荷物がまとまってなかったり、知的障害のある長女が動揺するなどのトラブルで作業は進まない。

長女は男性に対して人見知りするため、引っ越し屋さんを見てパニックを起こしたらしい。しかしどうやらそれだけではなく、妹が家を出るのがショックだったのだ。

それは、三女についても同じだ。障害のある長女とともに取り残される不安。この先の自分の人生。あるいは、次女の夫となった人物への気持ちもあったかもしれない。元々は彼女の方が先に知り合っていたのだ。

そこに、長女と同じ施設に通う男が現れ、彼女と結婚したいと言い出す。ともに知的障害者であり、2人で暮らすのは無理だと言われるのだけれど……。

奇妙なペット(!?)の存在が物語に不思議な味わいを加える。

電話での哀しい知らせによる結末を描かず、長女の身支度をしつつ暮れていくエンディングにも心惹かれた。
アンネの日

アンネの日

風琴工房

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2017/09/08 (金) ~ 2017/09/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

舞台の上に8人の女性。それぞれの初潮の思い出を語っていくオープニング。

生理用品開発に携わるチームの奮闘を通して描かれるそれぞれの人生と、研究の苦労やマーケティングや環境問題まで含めた幅広い問題提起と。膨大な量の情報を、観る者の気持ちをそらさず見せる手腕もさすがだった。

オープニングで語られた思い出が、そのあとの物語に投影されていく構成が気持ちいい。最初に提示された疑問が物語の中で解決されていく様子も本当に面白かった。

観終わって、ああ、元気出た!!と思った。

登場人物がみんな愛しいし、それを演じるキャストがホント素敵だった。

弱さも迷いも、それぞれの真実の中で美しい。それはたぶん彼女たちが前を向いて生きているからだ。

ああ、女に生まれてよかったと、ごく当たり前に思った。いや、もちろん男性がご覧になっても面白い芝居だったはずだけれど。

女でも男でも、それぞれが生きていくことをまるごと愛せるような、そういう舞台だったように思う。

さよならなんて 云えないよ

さよならなんて 云えないよ

しゅうくりー夢

ザ・ポケット(東京都)

2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★

天使長ラファエル様が、まだ駆け出しだった頃のお話……と言われると、しゅうくりー夢ファンとしてはそれだけでちょっと楽しみ度が増す。

しゅうくりー夢では、これまでに「死期の近いた人間(または急逝した人間)にしか見えない天使」の登場するいくつかの作品があったから、そしてそこに登場した天使長様がとてもキュートだったからだ。

駆け出し天使(だった頃の)ラファエルの今回のお仕事は、ある女の子の願いを叶えること。もちろん(?)その子はまもなくこの世を去るのだ。そんなラファエルの説明を、彼氏からのサプライズだと思い込んだヒロイン音無真代は、可愛くて一途な、いやちよっと一途過ぎるくらいの女の子だった……。

タイトルやあらすじからロマンチックなラブストーリーを想像するけれど。

真代の恋人須藤海斗は本当に優しいけれど、ちょっと、いや相当にチャラいし、海斗の親友 遊馬は友だちへの誠実さだけでなく別の想いをも隠しているし、ヒロインの真代だって、とっても可愛いし健気だけれど、ちょっとめんどくさいタイプだったりもして、なかなかロマンチックにはなれなかったりもする。

でも、そういう一筋縄ではいかない面々がそれぞれに魅力的で観ていて楽しかった。

真代や海斗や遊馬だけでなく、元気な女の子たちや合コンで出会う男の子たち、それぞれの恋やその他の(?)想いもまた丁重に描かれる。

恋人同士が、それぞれ「自分はまもなく死ぬ」と思った時の反応や対応の違い。そして、天使や堕天使(!?)や、一筋縄ではいかないけれどそれぞれに切実ないくつもの想いが描かれて、この劇団らしい笑って泣けるハートウォーミングな物語となっていた。

いろは四谷怪談

いろは四谷怪談

花組芝居

ザ・スズナリ(東京都)

2017/08/26 (土) ~ 2017/09/08 (金)公演終了

満足度★★★★

1987年に新宿タイニイ・アリスと下北沢ザ・スズナリで上演された『いろは四谷怪談』初演版を元に、現在の座員に加えてOBや30周年ボーイズや日替わりゲストも参加した多彩かつ豪華な顔ぶれによるダブルキャストでの上演となった。

客席は満席で、開演前から熱気に満ちていた。開演時間が近づく頃、座員が2人登場し、軽やかなトークとともに観客に声がけし、空席を詰めるよう誘導する。その後、椅子を持った観客が通路や壁際を埋めていく。

ますます熱気と期待の高まる場内。

鶴屋南北の葬式から始まって、ご存じ四谷怪談の登場人物たちを笑い飛ばし、仮名手本忠臣蔵を洒落のめし、忠義と義理と恋と打算の物語が綴られていく。いや、綴る……なんていう生易しいものではない。笑いと毒をたっぷり詰め込みつつ、歌って踊ってレビューまで見せる、30周年の記念に相応しい華やかで見応えのあるステージであった。

過去の大作をがっつりと全力で再演することで、30年の蓄積が目に見える形となった。それは、作劇についてだけではなく人脈についても言えることで、たとえば日替わりのゲストが発表されたとき、その多彩さと豪華さにアッと声を上げそうになった。

30周年ボーイズと名付けられた若いキャストのがんばりも、OBも含めたベテランの暴れっぷりも、それぞれ見応えがあった。

色悪の代名詞である民谷伊右衛門はマザコン気味の好青年で、つぶれた主家を見限って敵の家に再就職しようとしている。

ポップで露悪的で、でもその中に確かな美しさがある。

フィナーレは、記念の年の公演にふさわしい華やかなレビューで、役者さんたちの麗しい礼装とキレッキレのダンスを楽しんだ。

ラストで降る雪が、客席にも舞い落ちる。膝に落ちた紙のひとひらをそっと手帳にはさんだ。華やかで奇妙に哀切なその物語の名残として。

青の凶器、青の暴力、手と手。この先、

青の凶器、青の暴力、手と手。この先、

キ上の空論

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2017/08/31 (木) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★

学校の風景。

彼女ら・彼らの交わす言葉の奥に繊細な想いが行き交う。いくつもの短い場面が、乾いた音で切り替わり積み重ねられていく。その中でしだいに見えてくる過去は深い青に彩られて切ない。

劇中で交わされる会話の柔らかい方言の響きが、重なっていく場面にもうひとつの色を加えていく。

あの子の言葉に、土地の訛りがなかったのはそういう訳だったか、と後から思ったりもする。

現在向き合っている大切な人の死と過去の悲劇とを抱えて、ぶっきらぼうにしか振る舞えなかった少女の自責の念が痛々しい。

あの子もあいつもキミのことを大切に思っていたんだよ、と耳もとで言ってやれたらいいのに。

大きな悲劇を物語の背景に置いたことは、そのことに対する創り手も思い入れや必然性が問われなくてはならないだろう。切実さとかすかな違和感の双方を感じたりもした。

それでも、劇中で交わされた会話やそこに込められた彼女ら・彼らの細やかな心の動きは、観終わった後も確かに心に残った。

小竹物語

小竹物語

ホエイ

アトリエ春風舎(東京都)

2017/08/24 (木) ~ 2017/09/04 (月)公演終了

満足度★★★★

「怪談師」という方々は実際に存在するらしい。集まって怪談を語る催しもあちこちで開催されているようだ。

ここでいう怪談は、『四谷怪談』とか『牡丹灯籠』とかではなく実体験に基づく怪異体験談あるいは実話怪談と呼ぶべきもののようだ。

劇中である人物が「私たくさん怪談持ってますから」と言ったり、『遠野物語』の中の挿話を語った人物が非難されたりするのはそれゆえであろう。

もちろん自らの体験には限らない。「これは友人のAさんが体験した話です」みたいなものであったり、あるいは人が体験した話を蒐集し、整理して語ってりするようだ。ま、考えてみれば先の『遠野物語』を編纂した柳田國男がやってたことだって基本は同じなのかもしれない。

蒐集するだけでなく語って聞かせる訳なので、それぞれパフォーマーとしてのキャラクター付けも抜かりない。それゆえ登場人物も濃い面々の集まりとなっている。

この日の集まりは観客を前にしての語りでなくネット中継。技術を担当するのは主宰の友人である人物。

怪談を語る者たちの立場もそれぞれで、主宰であったり常連であったり初参加であったりゲストであったりする。

キャラの濃い怪談師たちがつかの間の集まる中で見え隠れする人間関係。

加えて、劇中で語られる怪談ももちろん見どころである。

怪談師としてならミロくんのクールそうでいてややウエットな語り口が好き。

怪談アイドルの手馴れた風情には安定感があったし。

憑依型というか、結子のはとにかくインパクトがあったし。

主宰の語った、海で死んだ妻と出会う話は、あ、遠野物語、と想うか思わないかでも印象が変わるだろう。

もうひとつ軸になるのは主宰の友人で、この日のネット配信の技術を担当する高橋だ。

開演前の客席とのやり取り。集まりのはじめに雑談として語られたつぶつぶの話(量子力学?)。その中の関わるということについての話。そしてラストのこちら側からあちら側への越境(?)。

後半はそこにまたさまざまな要素が加わってくる。

怒鳴り込んできた男。聞こえるはずのない階段の音。目玉焼きにかけるもの。

実際に現れた幽霊(?)より、人間の方が(いろんな意味で)怖いよ、という話かもしれない。

いろいろ考えるとより面白くなってくるタイプの作品で、一度しか観られないのが残念だ。

ちなみに、目玉焼きには塩コショーで醤油もソースも雨水もかけない派だ。

純惑ノ詩―じゅんわくのうた―

純惑ノ詩―じゅんわくのうた―

野生児童

小劇場B1(東京都)

2017/08/23 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了

満足度★★★★

『四谷怪談』をベースに、現代劇として再構築されたある姉妹と男たちの悲劇。

それは自分の中の『四谷怪談』のイメージとはずいぶん異なっていた。伊右衛門といえば歌舞伎では色悪の代名詞のようなキャラクターだ。だが、この作品で描かれた伊右衛門いや伊左雄は、ただひたすらに石珂を愛していた。彼女とともに生き、そしてともに死ぬことだけを望んでいた。

冒頭で彼女にプロポーズし、承諾の言葉を得た彼自身がそう言ったのではなかったか。

ひとつの愛の成就から始まった物語なのに、なぜだかずっと不幸の予感が漂っていた。原作があるからというだけでない、ああもう、どうしたって悲劇になってしまうんじゃないか、と思わせる不穏な空気が物語を覆っている。

伊左雄をはじめとする登場人物たちの、恋というより執着と呼びたくなるような強過ぎる想いゆえだろうか。

ザワザワと背筋を震わすような悪い予感がしだいに現実のものとなっていくのが、いっそ小気味好いくらいであった。

終盤になって続けざまに悲劇が起きてしまうくだりは、呼吸をするのも忘れそうなくらいの緊迫感であった。

主演のお2人の切実かつ壮絶な愛情が、観終わった後も胸に残った。

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