満足度★★★★
1980年代東京。
東京大学で長年公害についての公開講座を行っていた宇井純氏とその周囲の人々をモデルに、水俣病を始めとする公害病について問題意識を持ち、それを広めていこうとする人々の葛藤と転機を描く。
戯曲を担当された詩森ろば氏(風琴工房)は、この題材に高い関心を持っており、自らが主宰する風琴工房でも『hg』というタイトルで水俣病についての作品を上演している。
いや、「題材」という言葉が軽く聞こえるとしたら、見過ごせない同時代の問題として。
社会性の高い問題を広い視点で見つめながら、あくまでも個人の関わり方を中心に描くことで観る者が共感しやすいものとなった。
特に、終盤の主人公の決意と、彼とともに行くと決めた女性の描き方は(モデルとなった人物や事象もあったように聞いたが)、大きな問題に個としてどう関わっていくか、そしてそれを誰と共有できるのか、という人の生き方や考え方に寄り添って描かれていたように思う。
ある種の運動にのめり込んでいく男と、それを理解し得ない、あるいは家族をかえりみない彼の熱意ゆえことさらに目を背けようとする妻のすれ違う心。
そして、家を出て、彼とともに水俣へ行くと決めた女性の迷いないまなざし。
我々は何のために生きるのか、という素朴な問いは、応える人の数だけ答えもあるかもしれない。
我々はここでその答えのひとつを得ることになるだろう。
水俣病という重いテーマを扱いながら、人間ドラマとしての面白さで観る者を惹きつけた脚本はもちろん、説得力のある人物像を立体化した演出も見事だった。
老舗劇団らしい幅広い年代のキャストの活躍や丁重なスタッフワークも見応えがあり、熱量と端正さを併せ持つ舞台となっていた。