黒い太陽
M²
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2024/05/30 (木) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
1970年日本万国博覧会の開催に係る出来事を、岡本太郎を中心に描いた群像劇。
タイトル「黒い太陽」が、岡本太郎の心にある深く強い思いであることに感動した。これは、芸術家 岡本太郎だけではなく、多くの人の普遍的な<思い>ではなかろうか。
なお、上演前には当時の実況中継等が流れ、その雰囲気を知ることが出来るので、早めの会場入りをお勧めする。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
半円を描くような舞台、奥に細紐で円柱のようなもの。上部(天井)には舞台と対になるような雲のような輪、そして客席と舞台の間にも白い輪。少しずつ輪の大きさが違うため、天地それぞれから眺めたら遠近法のように感じるか。勿論 天井を刳り貫いていることから、万博における丹下健三「大屋根」と岡本太郎「太陽の塔」の関係を意識した造作に思える。
物語は、岡本太郎(豊田 豪サン)が万博に関わるまでの過程、そして彼を育んできた家族を含め重層的に描く。進行役は太郎の養女になった岡本敏子(根本こずえサン)、特に太郎の激しい気性に込められた心情を代弁するような語りが上手い。岡本太郎-インターネットで検索すれば概要を知ることはできるが、舞台(フィクション)としての面白さは本人等とは違った人物像や観点で描き出すところ。それがタイトルに表れているよう。また口癖のような〈芸術〉とは〈生きること〉だと言い、生き様を感じさせる。
当初「黒い太陽」は、「太陽の塔」にある3つの顔(地下の顔を入れると4つ)のうち、背後にある(過去を表す)ものと思っていたが、実は母への思慕。見上げれば太陽がある、目を瞑れば暗闇の中に母(太陽)の姿をしっかり思い出すことが出来る。母の気質(性癖?)には振り回されたようだが、両親からは愛情を注がれたよう。
愛という狂おしい情熱で生きた母 かの子(内海詩野サン)、そして母の愛人との共同生活まで受け入れた父 一平(市原一平サン)、何が普通か分からないが、少し歪に感じられる家庭環境の中で育った太郎の生い立ちがしっかり描かれている。その思いが万博への参画、そして世間からの批判を無視するへ繋がる。自分の信じる道(事)を進む。万博について、人間は進歩も調和もしていない、政府の思惑である安保改定(反対運動)から目を逸らすためなど、太郎の気骨に絡め反骨ある台詞・場面を鏤める。
舞台技術は、ハーモニーのような柔らかく優しい音楽、人影を壁面に映し出すような陰影が効果的だ。半円舞台であることから、役者の立つ位置によって表情が見えないシーンがあるが、そこは ご愛敬か。
次回公演も楽しみにしております。
「Collapse Of Values 」Re'
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2024/05/28 (火) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
ダークサスペンス--物凄い緊張・緊迫感が容赦なく観る者を圧倒する、そんな見応えある公演。
物語は 説明にある通りだが、そのダークな雰囲気は想像を超え 感情を激しく揺さぶるような痛みと悲しみが…。物語の展開には緩みを入れないが、登場人物の性格等で緩和させる、そんなバランス感覚が好かった。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)【裏チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、薄汚れた灰色の壁、中央に出捌け口があり 奥は玄関になっているらしい。室内にはソファがあるだけ。後々 分かるが、下手にある仕掛けの出入口。全体的に不気味な雰囲気が漂う。この空間は ある閉鎖された建屋の一角で、別部屋は客席通路を使用する。
或る事件の捜査をしていた警視庁刑事部捜査一課の佐々倉刑事(高田 舟サン)は、別件で 突然姿を消したサラリーマン2人の行方も捜査することになる。この2つの事件が結び付いてくるが、元々の事件の概要が掴めないことから、その繋がりの詳細は分からない。ただ、行方不明になっているサラリーマンの1人が自分の弟であることから強引に、そして執拗に捜査を開始し始めた。その理由 動機は、ハッキリしていることから説得力はある。ラスト、影の真犯人と佐々倉の自行為が衝撃的!
この監禁(場所)は、知らずに闇バイトへ応募してきた人々の人間性を奪い鬼畜へ追いやる。死体を解体し臓器を仕分けする。学費捻出や親の介護費用を稼ぐためにやってきた普通の人々、その心身を蝕んでいく。狂気じみた光景だが、目を瞑り顔を背けることなく見入ってしまう。物語は迫力・緊張感を持続させるといった集中力が凄い。そんな中で佐々倉の相棒であり後輩の山崎鈴音(中沢雪乃サン)の天真爛漫なお喋りが場を和ませる。その一服の清涼剤的なバランスが良かった。
公演の緊迫感は、迫真の演技にある。表面的な悪役である佐伯龍(小郷拓真サン)は首あたりに入れ墨、そして監禁している女性の髪の毛を掴み 容赦なくビンタもする。拳銃の発砲も威力を感じさせるもの。舞台技術は薄暗い建屋(倉庫風)に低重音の響くような音楽、朱色の閃光だが 発砲時と血飛沫によって照明色彩を諧調させるなど細かい工夫が好い。
少し気になるのが、ダークサスペンスという謳い文句で、真犯人へ辿り着くような伏線があったのか?もしくは自分が観逃したのか。
次回公演も楽しみにしております。
ピテカントロプス・エレクトス
劇団あはひ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
観念的な作品といった印象の異色作 というか意欲作。
舞台美術(設営)を始め、照明・音響といった技術も独特の雰囲気で、その中で極めてシンプルな演技が…。演技だけではなく、衣裳も含め余計なものを削ぎ落とし、内容そのもので描き伝えるといった意気込みを感じる。しかし、観客がそれを どれほど理解し吸収出来るか否か、評価が分かれるところ。
説明にある四幕、その表層は何となく解るが、その裏に潜ませた思いを汲み取ることは難しかった。終演後、カウンターに置かれてあった<あらすじ>の裏面を読んで、その意図を知った。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
囲み舞台。中央に四角い穴があるだけ。上演前に猿人らしき者が穴の周りを動き回る。開演して 直ぐ天井から穴に向かって砂のようなものが流れ落ちる。時代というか時間が流れる、その経過であり諸々が堆積していく表現であろうか。
冒頭、鴨長明の「方丈記」の一節が語られ 物語が始まる。劇中の案内役になるのが猿長明であり人長明である。説明にある(表層的な)四幕は、400万年前の猿人(4人)、180万年前の原人(4人)、30万年前の旧人(4人)、そして0万年前の現代以降の(新)人類といった区分。幕の繋がり(交代劇)は、夫々の区分の演者が 順々に穴と会場出入口(四隅)へ移動する。そして前時代の演者4人が、少し上を見上げるような仕草で次時代と語り出す。穴は、前時代と次時代の時空を超えた呼応--メタファーであろうか。
語りの中に「火」「鏃」といった台詞、それは<命><生>への本能的手段・道具を連想させるが、あらすじ の裏面では「兵器」「破綻」といった別のことを警鐘しているよう。まさか、日本の明治維新以降を描いていようとは。全体的には、人類としての反省、自省を客観的に描いているようだ。
自分の思考・想像では、ここまで踏み込んだ主張を 真に感じ取ることは出来なかった。公演(物語)は、この表裏一体をどこまで感じ取り、面白いと思うか否かで評価が違うかも…。
演出・演技は、全体的に薄暗い中で、穴に沿って 直線的に歩き回る。天井は何かが蠢く様な妖しい照明。演者は黒い衣裳、かといって全員が同じデザインではなく少しずつ違う。そこに時代や人も同じではない、画一ではないことを表しているようだ。発声・発語は、明確で独特な抑揚? そう言えば、落語や能といった古典芸能をベースに現代の会話劇としてリミックスする手法が話題になっていたっけ。
次回公演も楽しみにしております。
最初の二十面相
劇団身体ゲンゴロウ
北千住BUoY(東京都)
2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
説明では、江戸川乱歩「怪人二十面相」と谷崎潤一郎「小さな王国」の翻案とあるが、その印象は、「怪人二十面相」の怪しげな雰囲気・謎解きの世界 という枠に「小さな王国」の内容を取り込んだ異色作といったところ。特に 学校を怪人二十面相に見立てたところが妙。
描かれていることを理解するためには、たくましい想像力がないと難しく(⇦自分だけかも)、見巧者向けといった印象を受けた。会話は説明のような台詞、それが理屈付けのようで 観ながら考えていた。もう少し 観ただけでスッと分かるような…。
もっと多くの人に観てもらいたい作品だけに 惜しい気がする。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)【Aチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、ダンボール箱で築いた壁、外から食事等が差し入れられる所が1か所。上演前には椅子が数脚置かれている。下手にポール。監禁されているという設定のため、ほぼ素舞台。
物語は、云年前の小学校時代や現在の状況--監禁場所になり、場所と時間を変化・往還させて展開していく。まず小学校時代--担任の女教師が学級運営に苦慮しており、30人いた生徒が いじめなどで不登校になり、今では20人学級。そんな時、転校生 沼倉の助けで平穏を得たかのようだが…。沼倉は学級内に理想の街(国)-N国を築く。N国の紙幣を発行しモノを買う。モノは各自の家庭から持ってくるが、いつの間にかモノ不足が生じてくる。一見平等に思えた国の綻び、モノを補うために盗むようになる。1人の犯人という訳ではないことから、犯人像を特定できない。まさに二十(人)面相である。
一方 現在は、教師や旧友が或る場所に監禁、いや自分達で留まり死を望んでいるよう。SNS等で自殺メンバーを募ったような描き方だ。いつの間にか沼倉が提唱したN国への入国を望む。そのためには或る条件をクリアすること。小さな王国、そこは共産・共生といった、すべて善人で平等な社会を目指すことだったが、その過程で裏切りや粛清といった仲間割れが起きる。この色々な場面が錯綜し、断片的にしか理解出来ないところが恨み。
理想と現実の乖離、その陥穽にもがく人々をポップに描いたような劇作。表層はコミカルに観せ、その真(実)は、色々な社会問題(カルト・テロ集団等)を盛り込んだ問題作と言えよう。
演出は、入国迄の日数等をテロップのように映し 集中させる。舞台技術も音楽で効果的な情景イメージ、照明の諧調で印象深く観せる工夫など巧い。
次回公演も楽しみにしております。
さかさまのテミス
友池創作プロジェクト
駅前劇場(東京都)
2024/05/22 (水) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
出版社を舞台に 「正義」は、人の立ち位置によって違う、といったことを描く。主人公は出版社で働くヒナタ(二宮芽生サン)、彼女は最近 文芸部へ転属してきたばかり。その部署では、出版社と作家の確執、その作家の本(シリーズ)を原作とした映画制作のプロジェクトが立ち上がろうと、そんなゴタゴタに巻き込まれていく。
登場人物は、それぞれの立場(正義)を明確にし自己主張してくる。しかし、ヒナタはそんな周りの人々の意見等に振り回され、自分の思いや考えが揺れる。二宮さんは、そんな心情表現を しっかり演じていた。
少しネタバレするが、本「されど念力の黙示録」(略称:サレモク)は、作者の妹キャラも登場する。その妹がネットで晒(話題に)されて、本はもちろん作者である兄を嫌っている。本の内容が分からないため、なぜ妹が嫌っているのかが疑問。出版社としてはシリーズ本を継続させたい、一方 作者は妹を登場させない、もしくは別の作品を書きたい。それぞれに正義はある。その根本は 妹の意向にあるが、そこが判然としないため モヤモヤ する。
ヒナタは、過去(高校時代)の嫉妬・悔しさや現在の状況に振り回され、自分自身を見失いそうになる。そんな時に勇気づけられたのが、「されど念力の黙示録」である。爆発する怒りを脳内で「かめはめ波⇦『ドラゴンボール』」ならぬ「念力波!」と唱え、気持を落ち着かせている。最近は、インターネットによる情報操作など真偽不詳な<正義>が流れる。そんな現代的な問題も提示するなどテーマとしては面白いが、先の妹の件が憾み。また、作・演出の友池一彦 氏が演じる 過去の男 友池さんの役割も気になるところ。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 追記予定
去りゆくあなたへ
劇団BLUESTAXI
ザ・ポケット(東京都)
2024/05/21 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
優しさ 温かさに溢れた好公演。
葬儀会館を舞台にした2つの家族の物語だが、関連することなく それぞれが独立した物語を紡いでいく。逆にそうすることで、去り行く人と残された人の思いが しっかり伝わってくる。そして2つの家族に共通した思いのようなものが浮き彫りになってくる。亡くなった人からの、満たされないと思っていた愛情。しかし そこには思いもしなかった深い情愛が…。亡くなって初めて知る情の深さに涙する。そのラストシーンに多くの観客がすすり泣く。
舞台は葬儀会館の第1控室と第2控室、その特定の空間で 通夜という特別な日。そこで繰り広げられる軽妙だが滋味ある会話が心に沁みる。舞台にありがちな2つの物語の関連付よりも、それぞれの違った<情愛>を描くことによって、家族のあり様の幅を観せる。なお 家族と記したが、厳密には少し違って、そこが妙。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Aチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は葬儀会館の控室。下手に座敷--座卓や座布団等、中央--障子窓(上演前には枝葉の影)、上手--ソファが置かれている。捌け口には暖簾。このスッキリとした(飾り気のない)セットの中にリアリティを感じる。
第1控室は、元中学校校長の森家の葬儀。喪主は、故人の次男 卓也が執り行う予定。ずいぶん前に退職していること、近所付き合いもなかったことから 家族葬にしたい。自宅で嫁 美智子を始め家族皆に介護されながら最期を迎えた。その介護の苦労話が実にリアル。
第2控室は、劇団灼熱の元座長の葬儀。故人はアパートで孤独死しており、遺体の引受人がいない。劇団は解散していたが、元劇団員が縁ありと葬儀を執り行うことにした。元座長には別れた妻・娘がおり、連絡したが…。そして 葬儀を演劇仕立てにしようと、奇抜なアイデアの実行。
この2つの葬儀を関連させない。元校長は 家族に介護され、最後は皆に見守られて亡くなる。一方 元座長は 離婚し、アパートで孤独死。最期を迎える その時を対比するような描き方。勿論その正否のようなものを説いている訳ではなく、現実にある状況を紡ぐ。舞台にありがちな関連付けをせず、敢えて並行した2つの物語にすることで、<死>を考えさせる。同時に 去り行く人の<生き様>を観るようだ。しかも、身内だけではない 幅の広さ奥深さも感じられる。
森家には長男 和也がいるが、若い時に家を出て消息知れず。母の葬儀にも参列していない。しかし、突然 若い女性を伴って現れた。父に反発し心配ばかり掛けていた。
一方、元劇団員たちは、座長の稽古が厳しかったことを懐かしんでいる。劇団員たちは入団する前に何らかの挫折を経験している。演劇は好きだが、生活もある という現実。
夫々の葬儀は、手がかかる子(長男)ほど可愛い、現役教師の時には 不良っぽい子の面倒をみていた。挫折した者は強い意志を持つ、その成長を心待ちにしている、そんな愛しさが伝わる描き方だ。そこに 去りゆく人の思いが しっかり込められている。
舞台技術は、時々聞こえる外の騒音(暴走族のバイク音?)、人の心情を効果的に表すスポットライト。場面に応じた照明の諧調など、実に丁寧な観せ方だ。そしてラスト、長男 和也の(最期の)挨拶が涙を誘う。
次回公演も楽しみにしております。
あしたはてんきにしておくれ
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2024/05/22 (水) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
少しネタバレするが、或る男(作家)の魂の彷徨と嘆き 叫び。自分の生き様を俯瞰することで見えてくる人生模様や人間模様。そして、改めて周りの人々の優しさ温かさに気づく。そんな幸福(感)は、一夜遅れて実感する、といった比喩であろうか。
帰り際、観客が「好かった」「良かった」と口々に言っているのを久々に聞いた。公演は、声なき声の慟哭が描かれており、本来ならば涙腺が緩むところだが、何故か 逆に口元が綻んでしまう。敢えて、その状況に現実味を持たせないようにして、人の気持を暗く追い込まない。逆に 伝えようとする気持は生き活きとしており、明日を見据えている。そぅ ”あしたはてんきにしておくれ” なのだ.。見応え十分。
(上演時間1時間45分) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、段差ある舞台に 箱4つが横並びしているだけ。そして瞬時に鯨幕が吊り上げられ葬儀場になる。
物語は、或る男の戸惑ったような問い掛けから始まる。周りには誰もいないが、その言葉をニヤニヤしながら聞いている者?がいる。この2人が物語の主人公で瞬時に場所を移動する。或る男の名は (津島)章太郎(高橋亮次サン)、職業は作家である。実は既に亡くなっており、まもなく彼の葬儀が執り行われようとしている。しかし彼は死んだことを認識していない、どうして死んだのかも覚えていない。もう1人は、あの世からの使者 ツジ(関 洋甫サン)。しかし 使者は、死んだ原因・理由を教えてくれない。この謎が 物語を牽引していく。
章太郎は 太宰治に憧れており、作風はもちろん生き方も真似ている。妻 美奈(前田綾香サン)など家族がいるにもかかわらず複数の愛人がいる。亡くなったのは愛人と会った日で、無理心中かといった憶測が…。その浮気相手佳乃(中西みなみサン)が葬儀場に来て 参列したいと言い出し、家族と一悶着起こす。そして、章太郎に推理プロットを盗作された友人、章太郎のファン、編集者などが巻き起こす騒動。
一方、役所で働く公務員一家の話。突然 夫 タケオ(井内勇希サン)が仕事を辞めたいと言い出し、戸惑う家族。自分は人の役に立つ仕事をしたい。役所では、忖度するような仕事ばかりで生き甲斐が感じられない。真面目/地道に生き 暮らしてきた。
この2つの家族が交錯することによって 物語が大きく動き出す。章太郎と正反対のような性格だが、実は幼い時の知り合い。ひょんなことから章太郎がタケオに憑依し、自分の思いを家族や友人に告げ出す場面が見所。自分の生き様を俯瞰することで、今までの所業を悔い反省する。色々な意味で周りの人々に助けられ、その優しさを知ることになる。そして死因は自殺としているが、これは妻の思いやり。
照明によって現世とは違った雰囲気を漂わせる。大人数の時は 明るい照明、章太郎の独白などはスポットライトなど、その諧調は定番。しかし、霊界の使者 ツジが下手の一角に佇んでいる時の妖しげなシャボン(浮遊感)のような照明は独特の世界観。そして章太郎の思いが少しずつ伝わる、そのポロ~ンという優しい音色がなんとも効果的だ。
ラスト、この世は魂の修業の場、生まれ変わったら真っ当な人生を歩みたい と。
次回公演も楽しみにしております。
団地ング・ヒーロー
コケズンバ
サンモールスタジオ(東京都)
2024/05/21 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
笑いの渦、その笑劇の中で衝撃な告白。それがフライヤーにある「ヒーローになんて なるもんじゃない。失うものが多すぎる」だ。多くの笑いの中だけに、その悲哀は強い印象を与える。
2日目(22日)も渡辺シヴヲ氏の代役として飯島タク氏が演じた。急遽ということもあり、始めはスマホ(台本)をチラ見しながらだったが、いつの間にか開き直って読みだした。主宰で作・演出の穴吹一朗氏との掛け合いは、台本なのかアドリブなのか分からない、そんな笑わせ方である。コメディ作品の中に、違った感覚(要素)の笑いネタが挿入されたようで面白可笑しさが倍加したみたいだ。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、小立花団地内の集会室といった所。上手に座敷--座布団、ミニテーブル、扇風機。中央奥の壁際--折り畳んだ横長テーブル、公衆(赤)電話。下手--横長テーブルに椅子2脚。それ以外にホワイトボードや掃除道具、消火器が整然と置かれている。
主人公 若宮慎太郎(魚建サン)は、若い頃に山で遭難した人を助け、ひょんなことからヒーローになる そんな選択をした。しかし、ヒーローらしい特別な力を発揮することもなく、今では団地の管理人をしている。そこへ1人の女子大生 砂川愛美(空みれいサン)が訪ねて来て力を貸してほしいと…。一方、最近 団地へ引っ越してきた女性 丸山奈々(横山胡桃サン)と、住人・主婦 藤田美里(北原芽依サン)が友人のようだが 様子が変。この2つの話が交錯し展開する。最後の3女優による修羅場は圧巻だ。
若宮のヒーロー<スーパー・グレイト・フラッシュ>に係る話は、誰も信じない。そもそもヒーローなんてTVドラマの中だけの存在、冒頭 そんなことを彼自身が自虐的に話している。それでも人の役に立ちたい、そんな願望が生き甲斐になっている。オジサンいや老人になってもロマンが…公演は、そんな儚い?思いを綴っているようだ。
ちなみに、当日パンフに「コケズンバ」は、「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』から拝借し、意味は『危険を冒さなければ、大きな成功は得られない』のたとえ」で命名したと。
2人の女性の関係は、学生時代の苛めが絡む復讐。その負の連鎖を断ち切りたいが、若宮にはそんな<力>はない。もともとヒーローの存在など信じていない団地の住人達--小関直樹(迫田圭司サン・小説家)・川俣修(穴吹一朗サン・アルバイト)・宇佐美達郎(飯島タク サン・長距離ドライバー)が面白可笑しく たきつける。繰り返し行う変身シーンが、笑いと哀切を感じさせる。
衣裳替えによって時間の経過を表す。照明の効果的な印象付け、優しい音楽で雰囲気を盛り上げる。
ヒーロー=特別な能力があることを知られてはならない、そのためには一人でひっそりと暮らすこと。だから独身である。ダンシング・ヒーローならぬ団地ング・ヒーロー、しかし本当は地団駄・疲ー労といった心境かもしれない。
次回公演も楽しみにしております。
LALL HOSTEL
おぶちゃ
MsmileBOX 渋谷(東京都)
2024/05/15 (水) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
後悔先に立たず といった句があるが、恋愛に関してお互い素直になれないために別れてしまうことがある。そんなカップルを何とか手助けして、恋を成就させたいと奮闘するゲストハウス・LALL HOSTELのオーナー筑紫健司と周りの人々。その心温まる物語だが…。
物語の展開は分かり易いが、結末が早い段階でわかってしまうので 物足りない(予定調和か)。
登場するカップルは、数年前に交際していた恋人・水瀬ひまり と 綿貫勇人。この二人が初めて旅行した思い出の宿での すれ違いや勘違いを面白可笑しく描いた青春純情物語。一方 恋愛教訓として、オーナーが別れた女性と再会した時の話がリアルでグッとくる。少しお節介のような人々、しかしコロナ禍を経て不寛容になった今、こうした人間味・人情味ある物語は好感度が高いと思う。
少しネタバレするが、物語は説明にある「同宿していた ある職業の宿泊客」の素性が肝。登場人物たちの憎めない滑稽な振る舞いや、自分に都合の良い思い込みが騒動を大きくしていく。それが観客の笑顔を誘い、いつの間にか会場全体が大きな笑いの渦に巻き込まれて、優しく温かい気持になっていく。
なお、本公演は おぶちゃ の全国行脚第一弾!すでに福岡公演が決まっているらしい。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手にLALL HOSTELの受付カウンター、中央に雑貨・小物が収納された棚、下手にソファとローテーブル、そして玄関。会場の構造を相まって、全体的にアットホームな感じ。
物語は、以前 宿泊したカップルのプロポーズ・結婚を心待ちにしているオーナー。しかし何故か別れてしまったとの報告が…。その原因が、両家(親)の顔合わせの時に勇人が来られなかったこと。その理由が曖昧で ひまり は承服していない。何とか仲直りさせたいオーナー達。そんな時、偶然にも結婚コーディネーターを名乗る男 坂間誠一が宿泊しようとするが、どうも怪しい素振り。この男の正体とカップルが仲直りするか否かが見所。
今時こんな優しいオーナーがいるのか?コロナ禍によって 人との距離を隔てざるを得なくなったが、それは物理的なことだけではないような。不自由な暮らしや不寛容な気持が、人の優しさを奪ったような。物語の中で カップルがお互いの良い面をフリップに書くが、<真面目>とか<優しい>といった有り触れた言葉。少し こそばゆいがホッとする。
自称 結婚コーディネーターのウンチク・アドバイスを受けながら、上手く仲直りできそうな雰囲気だが、最後まで勇人が真実を打ち明けない。この理由が、物語を最後まで引っ張る肝。早い段階で明かされる「母が救急車で運ばれた」が、それは何故?他愛もない笑い話のようだが、それによってカップル解消、別れてしまうという本末転倒。
オーナーが付き合っていた彼女に再会したが、既に結婚し子供も生まれていた。その時、改めて別れたことを後悔したと。好きだったことを認識するのは、その人が居なくなって実感するのだと力説する。このシーンが結構リアルで、多くの人に共感と納得が得られるのではないだろうか。
主役のカップルの恋愛に並行して、他の人物の恋バナが面白可笑しく描かれる。勘違い思い込みといった独りよがりの恋、当人にとっては真剣そのものだが、傍目には滑稽な喜劇。それをキャストが実に面白 楽しく演じている。冒頭とラストに出てくるマスコットが愛らしく印象的だ。
次回公演も楽しみにしております。
親の顔が見たい
diamond-Z
日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)
2024/05/16 (木) ~ 2024/05/18 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
考えさせる濃密な会話劇。見応えあり。
無くならない苛め問題、それを当事者である生徒ではなく、その親の責任を問うような物語。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央にテーブルとパイプ椅子。下手に出入り口の木製ドアと電話。中央壁に「聖母子の絵画」と校訓「真理友愛」が掲げられている。その壁が薄汚れており年代=伝統を思わせる。シンプルなセットだが、内容は濃密だ。ドアを開けると外の雑音が聞こえ、この部屋とは別世界のよう。その意味では、集まった保護者は誰も途中で出入りしないことから、密室劇(保護者という責任から逃れられない)の様相でもある。
梗概…都内の私立女子中学校、校内の会議室に5組の父母(もしくは祖父母)が集められる。苛めを苦に自殺した生徒の手紙(遺書と思われる)に5人の級友の名前が書かれており、その生徒たちの親が集められた。年齢や生活環境、職業が異なる親たちは、それぞれ自分の子どもは無関係とばかりに擁護することに終始する。いつの間にか親同士が激しく対立し怒鳴り声が高まる中、各家庭の事情や親娘関係が明らかになっていく。
苛めは、暴行を加え、金を要求し、足りなければ援助交際まで強要する悪質さ。これは<虐め>を超えた犯罪であろう。公演では、学校の事実確認・調査に対して、父母等は自分の子供に限ってという言動。一方 学校側の曖昧な態度が事態をさらに混沌とさせる。
この戯曲が書かれた何年か前に、北海道で小学生の女生徒がいじめを苦に自殺した事件があったのを思い出した。当初、学校だったか教育委員会だったか忘れたが、苛めはなかったと結論付けた。しかし、遺族によって遺書が公開され一転して謝罪することになった。その後「遺書」ではなく「手紙」という説明まで飛び出した。
この隠蔽体質、適当に誤魔化す対応が、苛めに対して断固たる対処できない一因ではないだろうか。さらに今日的にはブログやSNS等、責任の所在を曖昧にする巧妙なネット苛めが増えているのは周知のこと。
また、学校での苛めを通して様々な問題提起をしている。父母と娘のコミュニケーションの希薄さ、名門学校という枠組みに潜む差別・格差。山の手以外、例えば下町や近隣県からの通学生への蔑視、家庭の経済的な貧富、片親や職業への偏見、帰国子女への悪意ーそれは社会全体に蔓延る縮図そのもの。公演はそれらに対する警鐘ではなかろうか。
1人の母親 柴田純子がスリッパに係る素朴な疑問を発する。なぜ来客はスリッパで、教師は上履きなのだろうか。何気ない台詞の中にリアリティを持ち込む。父母の中に教員夫婦 長谷部亮平・多恵子がおり、説明によれば男性教師は生徒を追いかけ、女性教師は生徒から逃げるためだという。
やはり何年か前、男子生徒が女性教師から何かの理由で注意され、それが原因で女性教師が刺殺された事件を思い出した。それだけに一層リアリティを感じた。
公演では、苛めた生徒は登場しない。しかし担任教師 戸田菜月から、生徒達の様子は普段と変わらず平静だと言う。その生徒達はLINEで連絡を取り合い知らぬ存ぜぬを決め込む様子。苛めのターゲットがいなくなれば、別の生徒を…そんな怖さを抱かせる。一方、戸田は自殺した井上道子へ心肺蘇生法を施しており、そのショックは計り知れない。精神的な動揺、その落ち着かない様子を 呈茶で紛らわす。実に丁寧な心理描写だ。
「親の顔が見たい」…このタイトルは、自殺した生徒がバイトしていた新聞配達店の店長 遠藤亨の告発から来ている。親の顔も見たいが、心裏も確認したいところ。
次回公演も楽しみにしております。
世界ギュルルン滞在記
FREE(S)
ウッディシアター中目黒(東京都)
2024/05/15 (水) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
タイトルから、TV放送された世界紀行ドキュメンタリー番組のようなイメージを持っていたが、内容は 社会に蔓延る差別や圧力といった不条理を描いた風刺劇。勿論 TV番組を意識しているが、表層の面白可笑しさだけではなく、間口の広さや奥行きを感じさせる好公演。内容は示唆に富んでいるが、更に この番組制作自体のことが…。
スラップスティック・コメディのように体を張った(表現)場面もあるが、そこにはしっかり観せておくといった意味があり、物語を展開する上での伏線になっているよう。
総じて若いキャスト陣だが、滋味ある表現と飛び跳ねといった躍動感、その硬軟ある演技が物語を魅力的にしている。
ドキュメンタリーということもあり、訪れる村の地理的・人間的な雰囲気を醸し出そうと工夫している。それが衣裳でありメイクである。そして村の祭りの見せ場として、或る玩具を使った遊びをする。その ちょっぴりドキドキする観せ方が、観客の集中力を高める。舞台としての遊び心であろうか?
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は階段状になっているだけの ほぼ素舞台。正面壁(オフホワイトの衝立2枚)には枝葉が茂り密林イメージ。その奥にある村へ探検取材といったイメージがドキュメンタリー番組のパロディイメージ。
表面的な面白さ・・取材するのは芸人アベックとスタッフ2人の計4人。現代世界から絶縁したような村(場所)では、外の世界と情報や文化的な繋がりはない。また上級・下級民といった差別(もしくは奴隷制)、村長への貢ぎ物といった前近代的(封建的)な名残り。まるで江戸時代へタイムスリップしたような感覚。
裏面的な面白さ・・売れていない芸人アベックが取材するという話題作り、見返りに村(長)には内密の金が流れ といった不実。さも 村が実在するかのような偽ドキュメンタリー番組。劇中で番組制作といったオチで、映画「鎌田行進曲」といったところ。カチンコが鳴ったら夢物語から現実の世界へ逆戻り。ヤラセ番組制作を鋭く皮肉ったコメディ。
公演は、偽番組中の考えさせる内容そのもの と物語全体の構成、その二重の(良い)意味での裏切りが見所。そして売れない芸人アベックの恋愛の駆け引きとその真偽、呪術的な場面等を挿入し飽きさせない工夫が好い。また新嘗祭におけるイベントがキャスト全員による<けん玉>とは…遊び的な要素が多いのも、特徴の一つ。
村人のメイクや衣裳の凝りよう、擬人化したモンキーのしぐさ、村長の怪(妖)しき雰囲気など、直截的な面白可笑しさも楽しめた。勿論 雷鳴、アラブ風の音楽といった音響・音楽や照明の諧調など舞台技術も効果的だ。全体的に楽しませよう、そんなエンターテインメント作品だ。
次回公演も楽しみにしております。
達磨さんは転ばない
劇団龍門
シアターシャイン(東京都)
2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
物語は、子供の頃の「だるまさんが転んだ」のように無邪気に遊ぶという訳ではなく、大人になることで色々な柵で己を見失ってしまう。よく言われる建前と本音を使い分けて うまく立ち回ろうとするが…。過去に縛られた人々の心の解放が描かれているような人生応援(歌)譚。人生再生という意味で「達磨さんは転ばない」は、登場人物全員に当てはまるもの。
説明にある、映画監督の金本達磨がSNSでキャスト募集のオーディションで選考した人々との剣吞な会話が肝。そして 闇を抱えているのは、集まった人たちだけではないような展開へ。「だるまさんが転んだ」の遊びは、「一対多」で行うもので オーディションそのものの構図。監督(一)によって闇の過去が暴かれ、否応なく己と向き合わざるを得なくなった人々(多)の慟哭、同時に映画製作に係る現代的な問題、さらに政治問題へ間口を広げる。
物語は、オーディションで集まった人々の過去や苦悩、その理由や原因とは? そして個性豊かなキャラクターが ぶつかった丁々発止が面白い。一人ひとりの見せ場があるため、人物像は分かり易い。そして最大の関心ごと…本当に映画を撮るのか、配役はどうするのかといった結末へ興味を持たせる。人間ドラマであり、点描する時事ネタによって社会ドラマの様相も帯びる。見応え十分。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に板網状の衝立、その前に黒ソフと脇に片目が入ったダルマ。両側が門柱のようで、上手は「燃やせ闘魂」そして壺が置かれ、下手は「達磨」と書かれた掛け軸。そして観葉植物、微妙に異なるが左右対称の造作。
冒頭、子供時代に遊んだ<だるまさんが転んだ>、それが大人になると純真、無邪気ではいられない。一癖も二癖もあるような人間が或る仕事に応募してくる。キャバ嬢、女優志望、刑務所帰り、フリーライター、元中学教師、引き籠り等で、何らかの理由で 過去を詮索されたくない人々。一方、求人をしたのは有名映画監督で、次回作のオーディションという名目である。求人の条件は、経歴に噓偽りなく詳細を書くこと。これによって個々人の過去が知れ、監督との面接(問答)で自分自身を曝け出すことになる。潜在意識のように閉じ込めていた感情、それが溢れ出ることで己を解放していく。生きるためには目標を持つことーこれが自己啓発セミナー的な時間潰しの説明かなぁ。
監督の名は<金本達磨>、その男か女か判然としない名前に戸惑い。過去に何度も映画賞を受賞しているが、自分が目指す作品(内容)でないことに苛立っていた。次回も芸能事務所やスポンサーの意向が…。そこで映画界の柵のようなルールを逸脱してでも、自分のやり方で制作する。監督自身もある呪縛から解放されたいと思っていた。
物語は、この監督と応募してきた人々、その立場を超えての自己解放と自己(夢)実現を描いている。それぞれの過去の出来事、性格の弱さなど汚点・欠点を洗い浚い喋る場面が圧巻。そして職業人である監督は、ある思惑 仕掛けを考えているよう。それによって映画の撮影中 劇(物語)のようにも思える。オーディション自体を隠し撮りし ドキュメンタリー風にした斬新な映画制作か。そして時々姿を現すプロデューサーor刑事?(村手龍太サン)の謎めいた存在も妙。この二転三転したような展開、そして心情吐露という重苦しい場面と面白可笑しい場面、この真逆のような観せ方も巧い。監督の強かな企み…<達磨>さんは転ばない、だろう。
舞台技術は勇壮な音楽、そして照明は 情景変化を表す全体的な諧調、心情を効果的に表すスポットライトなど、巧みな変化で印象付ける。
次回公演も楽しみにしております。
リンカク
下北澤姉妹社
ザ・スズナリ(東京都)
2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
当日パンフに作 西山水木さんが「不思議な客席に驚かれたことでしょう…」とあるが、自分も こんなザ・ズズナリは初めて。スタッフに たまたま空いていた席に案内されたが、まさかの正面ど真ん中。俯瞰するような感覚で観た。
梗概は それほど難しくはないが、そこに登場する人物の性格や情況、気持を推し量ることは容易でない。人物像の輪郭がハッキリしない、もっと言えば 自分がどうしたいのかといったことが自身で分かっていない。それが、色々な人と関わりあうことで自分の意思を持つ、そんな自覚していく様子が描かれている。
登場するのは一家族だと思うが、その人達の関係も歪というか不思議で、自分の狭い常識の中では考え難い 不可解なこと。そこに他人が関わることで分かってくる事実が、この物語の妙。そして、一見 不思議な舞台美術(客席配置含む)だが、物語を紡ぐ上では理に適っている。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に花道のような長い舞台。いつもの座席位置を正面とすれば、花道の両側にも客席を設えている。花道の中央に窪み、そこに主人公 華子が入り天井から水が流れ びしょ濡れになる。このためだけの穴のようで、以降の場面では閉じてしまう。
本筋--これが説明にある投身自殺を思わせるシーンであろう。そこで謎の女に助けられ、彼女を連れて自宅へ帰る。この家族、同じ敷地内に夫の愛人とその娘が一緒に住んでいる。そして愛人に家事をさせ 対価を支払っている。華子には息子がおり、娘は幼い時に交通事故で亡くしていた(時々 マリオネットで登場)。息子は、娘(姉)の死は自分のせいだと思い、心を病んでいる。自室に籠もり動画配信をしている。そして愛人とその娘(異母妹)を甚振ることで平静を保とうとしている。夫は愛人とその娘に介護してもらっているという歪さ。
脇筋--愛人の娘が 通う大学のダンス部 先輩の話、これを別の心の病として描く。ダンスに情熱を注いでいるが、それだけに他の部員に厳しい言葉で指導してしまう。それがパワハラと誤解され、離れて行ってしまう。そんな苦悩を抱え、今では一人でダンスをしている。
心を病み、苦悩を抱えた人々、そして複雑な家族関係の中で平静を装った暮らし。そのため自己主張せず、淡々と無難にやり過ごすこと。そんな諦念とも言える感情が、自分というリンカクを暈けさしている。ちなみに 家族の複雑さは、引き籠りの息子の出生にまで係る。その対比として脇筋のダンス部女子大生は、自己主張の強さが災いし 人間関係を築けない。そして同じように心を病んでいる。
謎の女は、人は己の愚かさには無自覚。その目覚めさせるような道化師(愚者)として登場させているようだ。そして<家><家族>といった枠から感情を解放させ自由になる。それが謎の女との旅へ…。
次回公演も楽しみにしております。
こどもの一生
あるいはエナメルの目をもつ乙女
王子小劇場(東京都)
2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白いが、好みが分かれるかも…。
物語を前半と後半という括りをすれば、コメディとホラーで その落差が大きい。原作は中島らも で、その混沌 不穏 狂気と化した恐怖の世界観が十分に味わえる。
原作(脚色)の面白さは勿論だが、照明音響といった舞台技術がすごい。上演前の注意アナウンスや観劇確認メールで「戯曲における表現を尊重し、また時代背景の描写や演出効果のため、公演では<差別用語、暴力表現、流血表現、大音量の使用、強い光の点滅>」がある旨、説明があった。
ある人物が登場して、それまでの雰囲気が一転して…。おっとネタバレしそうだ、ぜひ劇場で。
制作サイドは丁寧・適切な対応が好印象。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 2024.5.22追記
ネタバレBOX
舞台美術は、両隅に古びた石柱、後景は平板が縦・横そして斜めに無造作に張られ、その間から葉が茂っているのが見える。所々にキノコらしきものが生えている。上手にモニターとキーボード、後々 分かるがパソコン。全体的に山奥にある怪しげな建屋といった雰囲気だ。
物語は、説明の通りで 製薬会社の三友社長とその秘書 柿沼が、瀬戸内海のとある孤島にある医学クリニックを訪れるところから始まる。そこで精神療法を受ける患者たちはストレスを取り除くため10歳の「こども」に返り、共同生活をしている。当初 社長たちは、この地を買収しようとしていたが、いつの間にか治療を施されるようになり…。大人の時の立場は、こども になっても引き摺っている。暴力・差別・虐め等、大人の世界とは違う子供の世界--そこで三友を仲間外れにするようなゲームを始める。
山田のオジサンという架空の人物を創り、三友が その人物の話題に入ってこれない意地悪をする。しかし 突然、架空の人物が現れ恐怖の世界へ。オジサンの口癖、よろしいですかぁ、ピーコピコ。映画でも見かける凶器を持ち出し、殺戮を始める。目の前の惨状が現実なのか幻覚・幻影・幻想なのか、そこに込められた事実(舞台美術にヒントあり)が物語の肝。
この山田のオジサンは、中島らも 氏の実話に基づくものらしい。ちょっとしたキッカケで仲間を煙に巻くために思いついたゲーム。仲間内で飲んでいる時に、やたらと人の話にクチバシをいれる者がいた。彼が席を外した隙に架空の人物を創り上げたと。しかし このゲームは危険だから二度としなかったらしい。
舞台技術の迫力に圧倒される。音響音楽は轟く雷鳴を始め、地響きするようで体が揺れるよう。妖しげな、そして 剣の舞 のようなクラシック音楽が緊張感を高める。また照明は目つぶしを始め、強い光線や妖しげな色彩、その諧調で効果的な雰囲気を漂わす。
次回公演も楽しみにしております。
マクベス
演劇ユニット King's Men (キングスメン)
座・高円寺2(東京都)
2024/05/14 (火) ~ 2024/05/16 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
シェイクスピアの四大悲劇の一つとして有名なマクベス。それを「みずみずしく大胆な舞台意欲で、全く新しいシェイクスピアの世界を創出」という謳い文句で、「マクベスを、悪の化身としてではなく、人間の本質的な心の闇、善良であるがゆえの弱さを持つ、両義的な存在として描き出す」と力説。当日パンフは、手作りの<チラシ+15頁>という 力の入れようだ。
魔女の予言を信じ、ダンカン王を暗殺して王位を奪ったマクベス。そして王位を守るため次々と殺人を重ね、暴君として滅んでいく という内容。当日パンフに、平澤智之氏と絵里さんの対談が記されているが、その中で作品のテーマを<人間の心の問題>としているようだ。心の闇=世の破綻、しかし心の善良=救いといったことで負の連鎖を終えたいと。それをラストシーンに凝縮させたとある。
因みに、この公演の魔女は 民衆に見立て無責任なことを言う。そんな愚衆(現代では真偽分からぬネット情報か?)に踊らされた人間の愚かさをマクベスにみる。
シェイクスピアの他の作品でも、人間が矛盾を抱えていることを表していたと思う。勿論 「マクベス」でも魔女たちが「きれいは汚い、汚いはきれい」といった台詞があったと思うが…。論理矛盾があったとしても、それはそれとして成立する。人間の多面性、真実や正義は一つではない世界観、そんなことを物語っている。その意味では、この公演(テーマ)は自分が観てきた「マクベス」と大差(新機軸)はなかった。
人間の矛盾した感情、一方 物事の真価を見る目は重要。目先の利益等といった外見に惑わされ、本当に大切なことは何かを改めて考える ということが昨今の課題ではないだろうか。例えば コロナ禍においての不自由、不平等、不寛容といったことが挙げられ、時代を超えてシェイクスピアの作品は訴えかけてくるようだ。そこに色褪せない現代性があり、面白さがあるのだと思う。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
素舞台。役者がアクションをするスペース(客席 通路も使用)を確保する必要があったと思うが、他に「プロジェクタを使用した芸術写真の作品の投影」を効果的に見せるためであろうか。「甘美で、暴力的で、詩的な空間が客席と舞台を一体化」とあったが、花畑や抽象的・幾何学的な模様で、あまりピン とこなかった。
1人の男優が、他のキャストをバックダンサーに従え歌う。また手話シーン等、色々なことが盛りだくさんだが、何を表現したかったのだろう?
また衣装は西洋・時代といったものではなく カジュアル。小道具(武器)は、西洋・剣、日本・刀といった何でもあり。全体的に統一感がなく、というか敢えて外観(外見)に惑わされずに、物語の本質を観せようとしたのか。そしてマクベスが少しづつ上着を脱ぎ といった過程は、だんだんと人心が離れていく象徴か。最後は裸の王様ならぬ半裸姿(筋肉美だ)が痛々しい。
演出・主演は、劇団シェイクスピアシアター出身のシェイクスピア俳優・平澤智之氏と、高村絵里さん。この二人の演技は熱演と思うが、俳優陣に演技力の差があるようで ぎこちなさ が気になった。
次回公演も楽しみにしております。
609号室からの脱出/ 口を開け、息だけを吐け
演劇集団nohup
RAFT(東京都)
2024/05/11 (土) ~ 2024/05/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
演劇集団nohup&劇団よけいの事 の2団体によるコラボ公演。公演は4回だけだが、すべて満席(完売)。勿論 作・演出は別々だが、どちらの作品も基本は会話劇。当日パンフに nohup主宰の朝比奈史樹 氏が「約10年ぶり、大学以来となる志島との合同公演」と記している。どちらも会話劇だが、ラストの観せ方が違うため印象は全然異なる。
まず「609号室からの脱出」は、登場しないヒロインが2人の男をラブホテルに閉じ込めて といったコミカル調の物語。ラストは、そのような状況になった事情などの謎解きと脱出を…。一方 「口を開け、息だけを吐け」は、今事情を反映させた内容で 途中からサスペンスミステリー調になる。ラストは観客に問い掛けるような。端的に言えば「609号室からの脱出」は人間ドラマ、「口を開け、息だけを吐け」は社会(世間)ドラマといった印象を受けた。その違いをコラボ公演として観せる好企画。
チラシ(裏面)に あらすじが書かれており、「609号室からの脱出」は 2人の男がラブホテルの一室で交わすチグハグな会話、その漂流するような内容から夫々の境遇と状況が浮き上がる。「口を開け、息だけを吐け」は、当日パンフに 劇団よけいの事 主宰の志島はこ さんが「6年ぶりの作演となり、その間に世は刻々とナイーヴになり、様々な痛みが可視化され続けている。本作は器用に生きられない人々の痛みを描いている」といった旨を記している。勿論 コロナ禍のことで、不寛容な世の中になったことを意識しているだろう。息を吐け どころか生き苦しさがしっかり描かれた作品。
因みに、演劇集団nohupは「サイボーグ会社員 美々美」で グリーンフェスタ2024 優秀賞を受賞した新進の劇団。今後 注目していきたい。
(「609号室からの脱出」50分、「口を開け、息だけを吐け」60分 転換兼休憩5分) 追記予定
OG
株式会社NLT
相模原南市民ホール(神奈川県)
2024/05/08 (水) ~ 2024/05/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
カーテンコールで 今回はゲネプロと言っていたが、本公演そのもの。観応え十分。
新宿・歌舞伎町にある、最後のグランドキャバレー「ミラクル」が舞台。時は、平成28年7月25日、あと一週間で閉店することが決まっていた。登場するのは、この店のシンガーとして歌い続けている、スミ子(旺なつきサン)とカズエ(阿知波悟美サン)。この2人による38年間に及ぶ回想と将来への不安が切々と語られる。この 2人の濃密(蜜)な会話劇。そしてボーイ兼(客)呼び込みの 松尾(池田俊彦サン)と生演奏するピアノマン(金森 大サン)の男 2人が脇役として物語を支える。
見所は 何といっても 2人の滋味深い演技(台詞)と情感あふれる歌唱であろう。そして誰もが迎える老い、これからどう生きていくかといった不安と希望、その複雑な思いがしっかり伝わる秀作。多くの人が味わうであろう感情、それゆえ納得・共感も得やすい。
カズエが、2人の楽屋の光景を動画に撮って姪に送信している。スマホの操作などしたことがなかったが、新しいことを覚えようと…これが物語の伏線でありテーマのように思える。38年の間には色々なことがあった。歌手になる夢を見て、夢に敗れ、愛と幸せを求めながらも、ステージで生きる事を選んできた彼女たち。そんな彼女たちに起こった『ミラクル』とは…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
中央上部に高架or橋のような舞台、両端に階段がある。中央の板には楽屋を思わせるテーブル2つと衣装掛け、そしてソファ。上部には何本もの のぼり旗。
2人にとって このキャバレー「ミラクル」は人生そのもの。ここで働いた38年間の間には色々なことがあり、走馬灯のように頭を過ぎる。その中でお互いの恋愛話が中心に語られる。お互いが、その相手(男)に対する苦言や反対するといった言動・行動もした。スミ子は店では売れっ子だったが、何故か 梲が上がらない年上の男と結婚した。一方、カズエは妻子ある男と恋仲になり、大恋愛をするが破局する。若い時に良いと思ってアドバイスしたことが、今となってはどうか。人生は選択の連続であり、一瞬一瞬が大切なのである。
今、スミ子が結婚した相手が認知症になり、少しずつ記憶が無くなる。店の閉店と同時に、介護という現実が迫っている。カズエは独身を貫いているが、お1人様の侘しさ淋しさを味わっている。大恋愛した男は亡くなり、不倫で一緒になったとしても喪主にもなれない。たかが紙切れの結婚届、されど婚姻という現実に打ちひしがれた時もあった。
閉店になり、居場所と生き甲斐を失う2人。しかし、カズエが姪っ子へ送信した楽屋の光景がSNSで拡散され話題になる。多くの来客、メディアにも…最後の晴れ舞台を2人は熱唱する。そんなラストシーンが素晴らしい。
次回(続き)公演も楽しみにしております。
フィクショナル香港IBM
やみ・あがりシアター
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2024/05/01 (水) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
スタイリッシュな舞台美術の中で、同じような場面が繰り返されるが、少しずつ変化していく。物語は1988年の初デートから2088年の近未来までの男女2人の回想劇といったところ。それも単なる回想ではなく、仮想空間(電脳都市ーフィクショナル香港 IBM)という非現実の中に 自分たちのリアルな記憶(人生)を重ね紡いでいく。
人生は、「縁は異なもの味なもの」「生きるって素晴らしい」といった言葉では言い表せない不思議に満ちている。人生は先々何が起こるかわからないから面白い、といった哲学めいたものではなく、例え これから観る映画のストーリーやラストを知っていようとも、また この人と一緒の人生を歩みたい。「これから観る映画のこと、なんで全部言っちゃうの」という非難めいた言葉より「これからいっしょに観る映画(人生)はとっても面白いんだ!」という前向きな言葉のほうが楽しめる。
この公演、結末を知っているにも関わらず リピーターが多いのは、何度観ても飽きず 楽しめる(魅力がある)からだろう。ちなみに、自分の隣席の人は5回目だと…。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定
汚泥河童
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2024/05/02 (木) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
物語は、人の心に巣くう偏見や疚しさといった嫌らしい面を浮き彫りにするが、描き方は、歌やダンス等を盛り込み面白可笑しく観せる。公演には 多くの子役が登場するが、大人・子供という年齢を超えて 明るく元気に魅せるエンターテイメント時代劇。
ゴールデンウイークに遠出しなくても、江戸の物見遊山(東京の旨いもの巡り)が感じられる? 片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」公演は、正月にシアターグリーン3館を使って同時上演を行っていた時以来、久し振りに観た。やはり華やかといった印象で、それは夢や元気がいっぱいと言い換えても過言ではない。行楽時期に合わせて というわけでもないだろうが、満席であった。
ちょっぴり切ないが、温かく優しくなれる好公演。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は黑塀、上手・下手に柳のような枝葉。上手の客席寄りに力石の大小2つ。後々この石が縁結びに御利益があると江戸市中の噂になる。舞台は吉原遊郭の外、その近くを流れる川は汚い(対として、昔そして田舎の川はきれい)。
物語は 幼い時に遊んだ女児 雛が、家の事情で吉原へ。子供の頃は(河童の姿も)見えていたモノも、大人になると見えなくなってしまう。幼い時の無邪気な様子、大人になっての吉原遊郭、その子供ー大人 時代を往還するように描く。河童の河太郎(山田拓未サン)は雛(野口真緒サン)との思い出を懐かしみ、田舎から江戸(吉原界隈)へやってくる。
一方、吉原遊郭から足抜けしようと塀を乗り越える花魁 千代(藤田怜サン)と与平(山口託矢サン)、しかし吉原以外の世界が珍しいのか、千代は江戸市中の物見遊山・名店(味)めぐりをする。遊女とは思えない自由気まま。それを温かく見守る与平。そこに女性蔑視・貧富といった差別はない。遊郭へ連れ戻されては同じことの繰り返し。勿論 足抜けによる折檻などの場面はない。何回も足抜け出来る=恋の成就、その近くに汚い川と力石(河太郎の棲み処)。幼い頃に遊んだ女性を一途に想い続ける(汚泥)河童。どんな環境(汚い川)であろうとも、心はいつまでも清く澄んでいる。何時しか川は清められるのであろうか。
本来 見えるはずがない河童が見える与平、かくして吉原遊郭の内と外が繋がる。
河童が人間を川へ引きずり込んで溺れさす、といった迷信は人間が勝手に創り上げたもの。子供の頃の純真な心、それが<河童>という比喩になっている。雛の幼馴染 みよ(林杏優サン) にも過酷な状況がおそう。本当に見るべき そして考えることは、お金は勿論、心の貧しさが偏見や疚しさといった感情を生む。公演には多くの子役が登場し、また観客には多くの子供たちがいる。それが物語の眼目に一致するような描き方である。
大人・子供という年齢を超えた座組(温かさ)…それが物語の人間・妖怪(河童等)を問わず自然界のあるがままの姿を表しているよう。時代劇に歌・ダンスといった魅せるシーンを挿入し楽しませる、まさしく時を超えたエンターテインメント公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
トライアル 2024
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2024/04/24 (水) ~ 2024/04/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
当日パンフによれば、初演は14年前で裁判員制度が施行された頃 だという。本作は時代に合わせ加筆修正したとある。表層的には裁判員制度を揶揄するような印象だが、物事(事件等)を疑って多面的・多角的にみることの大切さを描いているよう。演劇的には、裁判員制度といった堅苦しい内容(制度)を 面白可笑しく描くことで、その在り様を楽しく観せ そして考えさせる。
有名な「十二人の怒れる男」を連想させる内容で、勿論 被害者と被告人は登場しない。謎の そして曖昧な人物像を想像させ、事件が起きた状況を素人なりに推理していく。その過程と登場人物1人ひとりの性格や立場を立ち上げながら軽快に展開していく。観客の気を逸らせない楽しい会話、そして いつの間にか事件の核心に迫っていく巧みな構成、見事。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【Aチーム】 追記予定