黒猫
声を出すと気持ちいいの会
演劇スタジオB(明治大学駿河台校舎14号館プレハブ棟) (東京都)
2009/04/10 (金) ~ 2009/04/12 (日)公演終了
満足度★★★★
面白い実験劇のよう
以前劇団名で検索したら出てこなかったので、
書けなかったんですが、明治大学で検索したら出てきました。
では、改めて。
全員黒の衣装で場面転換も小道具も背景も俳優が演じて
しまう。
俳優は女性は1人で、男性が女性役も演じる。
近所の口さがない主婦たちを演じる俳優たちが上手。
ちょっとアングラっぽい演技で。
脚本も別役実の不条理劇っぽく面白かったし、
黒猫を演じる俳優の手の動きが生きた猫のようで見入ってしまった。
大人が観てもじゅうぶん楽しめる出来。
今後の作品に期待します。
家無子
声を出すと気持ちいいの会
アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)
2009/08/06 (木) ~ 2009/08/09 (日)公演終了
満足度★★★
CDのような短編集
前回の「黒猫」が非常に演劇的で面白かったのですが、
今回は趣のまったく違う作品群。
体を目一杯使っているところは今回も同じだが。
先輩に当たる多少婦人の渡辺裕之の作品に共通したものを
感じる。CDのような短編集です。
筒井作品については、同作をもっと面白く脚色したものも観たことがあるので
その点はちょっと物足りなかった。
でも、従来の劇団にない個性があるので、次回作も楽しみです。
終演後、前回の「黒猫」のDVDを希望者に無料配布してくれていて、
とても嬉しかったです。学生さんでもなかなかDVDを無料でくれる
ところないですもの。意欲的でよいと思います。
余命1時間の花嫁【ご来場ありがとうございました】
Aga-risk Entertainment
荻窪小劇場(東京都)
2009/11/05 (木) ~ 2009/11/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
シチュコメの王道
このところ、シチュエーション・コメディに恵まれなかったので、久々に楽しい
作品に巡り会えた気分です。とても楽しめました。
誰もが普遍的に笑える喜劇をめざしているとのことですが、まさにそう思いました。何かとひねりをきかそうとして面白くなくなっているコメディの多いこと。
下手なひねりなんかいらないんです。
何でもひねりを入れないと凡作のように言う風潮は嘆かわしい。そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないかと思います。
シチュコメは素直に笑える作品が一番。私は素直に☆5つ進呈します。
ネタバレBOX
そもそも容態が急変してICUに入れられた患者が普通に会話できるはずが
ないのであって、そこがこの劇の最大の矛盾です。
しかし、それには目をつぶって観ましょう。
花嫁がパジャマにスリッパのまま登場するところから、このドラマのワクワク
が始まっていて、それは往年の藤山寛美が花道から登場したときのような
高揚感がありました。ありえない姿で登場するのだから。
生真面目な牧師や器用で頼りになるバイトくん、いかにもな先輩の司会者、南海キャンディーズの山ちゃんのような見るからにオタクっぽいストーカー的な花嫁の幼馴染、職務に忠実な医者、みんな大マジメだからおかしかった。
幼馴染がブーケトスを「形見に!」と所望したり、映画「卒業」の名シーン
よろしく(最近の若者にはこれが通じないらしいが)花嫁を連れ去ろうとしたりする場面は面白かった。
配役の妙というのはありますね。父親役の俳優が「素人」とか「大根」と酷評
されているようですが、ハタと思い出したことがあります。それは私の父が「喜劇は全部巧い役者で埋めると面白くないんだ。脇に1人くらい大根が混じっていたほうがいいんだよ」と教えてくれたことでした。この役者が登場したときは私も「あまり巧くないな」と思いました。しかし、礼服一式を持たされてて座り込み、呆けたような父親の表情を見た時、「これだ」と思いました。
巧い役者なら、いろいろ芝居をしようとするでしょう。でも、彼の演技しない表情こそがむしろ、花嫁の父の途方にくれた放心状態の感じがよく出ていたのです。なぜか。技術でなく、役を照射していたからです。この役がいかにも父親らしい深みのある俳優(たとえば志賀廣太郎のような)では、かえって浮いてしまうのですよ。それはサンシャインボーイズのときに小林隆を大根と言う人が多かったのに三谷が意に介さなかったことや、演技にうるさい溝口健二が棒読みに近いセリフを言う浦辺粂子を気に入って使い続けたことでもわかります。2人とも当時は大根だったかもしれません。でも、役への照射は下手な役者ほど愚直にできるとも言える。
芝居らしい芝居をする人だけで濃密な芝居を組み立てようとするとかえって破綻してしまう。抜けをひとつ作ることも時には必要で、この役は彼でよかったのだと思えました。喜劇に詳しく見巧者の父だから教えてくれたことなのだと思います。
最後に、この作品で感心したのは、やけにきれいなお嬢さん2人が友人代表
だったこととサークル時代の「貞子」の余興写真です。
だれしも結婚式で主役になりたいと思います。でも千恵の場合は、「貞子じゃなく目立ちたい」「みんなを見返したい、うらやましがらせたい」と言っています。「貞子の余興をやらされていたこと」と美人の女友達を並べたことで、
そのセリフが生きた。スライドコーナーを大笑いして見ていましたが、あの写真にはそういう千恵の思いがあったのだなーと。
ただ笑わせるだけでなく、うまい演出だなと思いました。
観劇の場そのものを結婚式仕立てにしていたが、
ボールペンを落としたという女性の声に、係員からサッと差し出された懐中電灯。手際のよいこと。サービス業そのものでした。
終演後くらい、普通の挨拶をして「アンケートにご協力ください」と言っても
よかったのではと思いましたが。
あの人の世界
フェスティバル/トーキョー実行委員会
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/11/06 (金) ~ 2009/11/15 (日)公演終了
満足度★★★
想像を喚起させる作品
松井周さんの作品は過去に観た事があるのですが、サンプルのことは
まったく知らないで観ました。
外国の作家のような作品だなと思いました。
舞台美術がシュールレアリスムの絵画のようで、内容も強烈な印象を残しましたが、難解で私には苦手なジャンル。
加えて表現方法の一部が生理的に受け入れがたかった。
ネタバレBOX
人と人、人と物、空間と物などさまざまなものの間に生まれる「磁場=物語」を見つめる意欲作、とフライヤーに書いてあった。
三角形の舞台に「上」と「下」の世界があり、上下の世界をポールが貫いている。
さらに一隅にはハンモックのような機能を持つ台があり、ゴムボートが載ったりする。「磁場」というのは観ていてなんとなくわかる。
舞台の周囲を娘(「柿喰う客」の深谷由梨香とは意外なキャスティング)が自転車で周回するさまは磁力を表現しているようだった。
一見、無縁そうな「上界」の夫婦と、下界の人々がいろんなかたちでつながっていく。さらには夫婦が下界に降りてきて、犬になって這い回るなど、混沌とした内容。人間関係が希薄でありながらみんなどこかでつながっていたいと心の底で思っている現代の都市のカオスを表現しているようでもある。
上界の夫が放尿し、下界の人々がそれを「雨」だの「虹が見える」だの
喜んだり、シャンプーを始めたりする演出は、ピーター・グリーナウェイの
映像を思わせた。
青年が娘のことを「僕の未来」と呼ぶ。それが彼にとって理想の伴侶だとしても、上界には既に関係が破綻した夫婦が住んでいるという皮肉。
終演後、外に出ると、劇場の周辺がなんとなくさきほどの舞台面に似ているなーと思いました。芸術劇場にはいつも、殺伐とした劇場にふさわしからぬ
雰囲気を感じていて、このあたりを歩くといつも都会の孤独を感じてしまう
ので。昭和40年代はこのあたりはまだ劇場は建っていませんでしたし、手配師といわれる職業の男性や労務者がたくさんいて女性が一人では歩きにくいこわい雰囲気でした。今回の舞台に共通する不気味さがありました。でも、最近の若い女性に聞くと「池袋西口は親しみやすく明るい感じ。東口のほうがこわい」と言う。まったく逆の印象です。
SHOW MUST GO ON
劇団ストロボライツ
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2009/11/06 (金) ~ 2009/11/08 (日)公演終了
満足度★★
これってコメディなの?
バックステージ物のコメディということで観に行ったが、大いに期待はずれ。
コメディというよりも作・演出家の自己満足劇を延々と見せられてる感じ。
笑えるところが楽屋オチくらいしかない。それって内向きってことですよね。
しかも2時間20分の長編。
簡単に言うと、「演劇っていろいろ大変だよー。でも、やりがいあるし、楽しいよー」という作品です。
苦痛のため、久々に途中退出したくなった。
私、小学校のときにこれに似た作品を学芸会で観たことあるんです。
学芸会のバックステージ物。落としどころとか、それと変わりませんわ(笑)。
いや、むしろそっちのほうがまだ感動的でした。
なかなかよい劇場なので、ほかの公演を観てみたい。
詳しくはネタバレにて。
ネタバレBOX
先日、早稲田で「崩壊劇団の崩壊劇場」という芝居を観たが、
そちらは演劇に嫌悪感を持っている人でも楽しめる作品だったと
思う。だが、この作品は、演劇制作の現場にいる人しか真に共感できない
気がする(関係者なのか、最前列右隅に立ち、主人公の独白に満足気に深く
うなずく人が1名いた)。
出てくる人物はみんなステレオタイプだし、意図的に役者の本名とそっくりな役名にしてあって、まちがえて本名で呼んでる場面もあって失笑。
だいたい、こういうバックステージ物はみんなが知ってるような話で
ないと、ストーリーがわからないから楽しめないし、これはそのストーリーも
SFだかなんだかちっとも面白くない。
元となる作品は前回公演の作品らしいが、観てないと筋がわからない
ので、みんなが勝手に自己主張してストーリーが変わっていく可笑しさが
伝わってこないのだ。(MCRがかつて架空の戦隊物のバックステージコメディをやっていたが、それは面白かった)
この劇団のファン向けに作ったのか?どうしてもその作品をモチーフにしたければ、あらすじをパンフに載せてほしかった。不親切だ。
笑えた場面はムカイ(多少婦人の酒井雅史)が、「2人作家がいる劇団のかたわれ」で、片方の作家のほうが評判がよくて腐っており、客演にきて、演出に口を出し、「面白くない」と指摘されてキレ、痙攣してしまう場面(これってフィクションの楽屋オチ? 笑)と、
オオクボ(村上聡志)が共演者の女優にメール攻撃をしたことを注意され、「下心などない。濡れ衣だ」と弁解する場面くらい。
2人とも明大の劇研OBではありませんか。
対立するマセッち(羽瀬文野)とエチコ(鈴音りん)は熱演。
ナオカの市野々はる果はいい女優だが、使い方がもったいない。
多少婦人の國枝陽子はいつも大人びた役が多いので、純情で優しい娘
の役は新鮮に見えたものの、芝居のしどころがなくて悩んだのでは?
主宰の母親が重病らしいことを知ると、メンバーたちの物分りがよくなり、
前日なのに衣装を用意していないことがわかっても素直に聞き入れるなど
腑に落ちない。
ストーリーは冒頭で決着を見せてしまっており、意外性など何も
ない。母親が登場して、入院するのは祖父だと明かすくらいだが、これも
サプライズとは言いがたい。
細かいことでは、本読みシーンの台本や帰宅する際に持つ個人のバッグなどを手まねで演じているが、それくらい、現物の小道具を用意してもよかったのでは。ストーリーが稚拙なので、おままごとに見えてしまう。
芝居の最中、電飾で題名と劇団名がやたらチカチカ点滅するので、劇団の
宣伝劇にしか見えなかった。
「心が折れそう」なのは主人公ではなく、観客の私のほうでした。
この程度の話は学生演劇時代にやっておいてくださいと言いたい。
せめて1時間40分くらいにまとめられなかったのか。
長い、長すぎる。
役者はみな熱演してたので、かわいそうになってしまう。役者の頑張りに1つプラスして、あえて☆2つ。
カラス≪終幕!次回公演は、6月末!≫
劇団サーカス劇場
タイニイアリス(東京都)
2009/03/05 (木) ~ 2009/03/15 (日)公演終了
満足度★★
いろんな意味で興味深かった
今回もHPで「セットがすごい、すごい」と宣伝するものだから
まあ、いつもの類かと思っていたら、案の定、「へー、これが?」と拍子抜け
してしまった。みなさん、感心しておられるようですが。
某大学の学生演劇で狭い会場に本物そっくりの駅のホームを作ったところがあり、それに比べれば別段、夫も私も感動しなかった。
「新宿ガード下を再現」というからもっと思い切った空間の切り方をするのか
と思ったら、なーんだという感じ。
ワダ・タワーという俳優を初めて観ました。凄い迫力。おばさんだけど実はおじさんなんであろう。怪物みたいな役。水野香苗の芝居が肩に力が入りすぎの感も。泥棒学校に劇団運営の内情をパロったような怪人二重面相とゴウダタケシ(ジャイアンの本名の剛田 武?)のやりとりが最高に可笑しかった。書いた清末氏も偉いが、役者として彼を起用した唐ゼミ☆の中野氏もエライ(笑)。ゴエモンの佐丸のアングラっぽい不気味さ、ルパン3世の八重柏氏の
チープな作りが目に残った。
壁に吸い込まれてシミを残す「男」は、劇団合体で消え行く劇団サーカス劇場を表現しているのだろうか。
うーん、意味深。
ネタバレBOX
カラスのおばさんが歌う歌詞の中に「三十世紀」というのが出てきます。
以前、「二十世紀」にさんざんこだわった清末氏は合言葉の「もっと遠くへ
行こう」のように、今度は一挙に三十世紀へ飛ぼうというわけでしょうか。
それにしてもこの曲、70年にヒットした新谷のり子の「フランシーヌの場合は」
にそっくりで笑ってしまった。
清末氏は本当に「遅れてきた青年なんだなぁ」と実感できた芝居でした。
「音程が狂ってるのはワダさんの歌唱力、それとも作曲がそうなってるの?
」と細かいことを夫が気にしていた。どっちでもいい。アングラだから(笑)。
隕石
劇団サーカス劇場
不思議地底窟 青の奇蹟(東京都)
2007/09/01 (土) ~ 2007/09/30 (日)公演終了
満足度★★
作者の理想の夫婦像なのだろうか
「いずことも知れぬ空間に浮かんだ奇妙な和室」に住む夫婦の話。
狭い空間に建て込んだこの和室のセットが売りだったらしいが、あまりHPで宣伝するのでかなり期待して行ったら、「何だ、これかい」というショボイセットだった。
天井から何本かぼろぎれがぶら下がっている。これを古ネクタイと評している
人がいたが、私には人形作りなどに使う安い和風のはぎれを買ってきたんだろうなという連想しか浮かばなかった。
列車の中で怪しい連中に妻の遺骨らしい風呂敷包みを奪われた男があばら家に追ってくるとガラリと和室が現れ、この和室に住むひたすら売れない物書きの夫(男)に尽くす献身的な妻の物語が始まる。住み込みの家政婦との面白くないドタバタギャグや珍化な3人組が出てきて変な歌を歌うのは、もう勘弁と思った。
妻に言い寄る華族の坊ちゃんやいかがわしい不動産屋などが出てきて、
この庭が世界の裂け目に通じているらしいというような展開になっていく。
いきなりギリシャ悲劇の話が出てきたり、このギリシャ悲劇を童話仕立てで説明したりするのだが、よく理解できず、よけいなことに感じた。
結局、隕石とは何のために出てきたのかよくわからなかった。
しいていえば、広島の原爆を現しているらしく、男の妻は夫よりも先に死ぬが、「あなたはこれから先もっと大変なことを経験することになるけど、
頑張って生き抜いて頂戴」と暗に戦争や原爆のことを暗示した遺言を残していったらしい。
結局、何を描きたかったのか。喜劇だとかラブストーリーだとかブログに書いていたので、夫婦愛が語りたかったのだろうか。
随所に唐十郎の芝居風のやりとりが出てくるが、アングラ好きな人が観れば
楽しめるのかもしれない。
1カ月貫通公演と銘打っても、きょうまで1人の書きこみもなかったほど、
まったく話題にならない公演だったようだ。
ネタバレBOX
華族を演じた俳優が急病になって休演し、清末氏が代役を勤めたので、大変だったろう。
「青の洞窟」では終演後、公演中毎晩宴会を開いていた。
俳優の体調に影響を与えたのではと心配したが、HPでは何の情報公開もされなかった。
青の洞窟では、安く会場を貸与する代わり、終演後は店で飲食をすることが条件になっていると以前、ここでアルバイトをし、公演も行った人に聞いた。
宴会というのはその飲食のことだろう。私はこの公演での宴会には出ていないが、赤澤ムック氏のブログによれば、口論から流血騒ぎもあったとか。
いやはや熱い人たちが集ったものだ。
ファントム
劇団サーカス劇場
タイニイアリス(東京都)
2007/03/22 (木) ~ 2007/03/26 (月)公演終了
満足度★★★
女優陣の熱演に支えられて
珍しく黒崎先生が出てこない作品(笑)。1977年(昭和52年)に横浜で米軍のファントムジェット機がエンジン火災を起こし、宅地造成地に墜落した事件をもととしている。
それまでのサーカス劇場の作品の中では一番テーマがはっきりしていて
わかりやすかった。
世界劇場の看板女優、そのだりんを客演に迎えたこと、霧子を演じた河野
圭香のみずみずしい演技に支えられ、作品が厚みを増したことは確か。
河野圭香の長台詞はなかなかのものだった。語り部となる少女アザミの
中村理恵に注目した人も多かったようだ。
なぜか廃校にいる用務員たちのドタバタ芝居や、「ヤモリ男」のギャグは不評だったのか、失笑がもれていた。
やけどの女にこだわるポルノ映画監督九条が、なぜこだわるのかというのは
米軍機事故のことが忘れられないからだが、その事故と九条との接点に
必然性がないのがこの戯曲の欠点。それは作者がこだわっているからという理由で、サーカスはそういうひとりよがりのような強引な解釈が目に付く。
出てくる人間の描き方が浅いのだ。
事故の被害女性の霊が廃校の小学校に住み着いていて、九条の心の傷を癒すというラストシーンは納得できるのだが、被害女性の米軍ジェット機への怨念が9.11テロにもつながったという解釈がいかにも無理がある。清末氏が9.11テロにこだわりがあるのは理解できるが、そこにまで結びつけるのはちょっと苦しかった。
ネタバレBOX
この事件をTVドラマ化した際の大谷直子の好演が印象に残っているだけに、
被害女性の苦しみが本作ではあまり伝わってこなかった。
最初から「被害者はかわいそう」という前提で乗り切っている。
そして「聖女」のような扱い。
それは「幽霊船」の初演の際もそうで、取材をしたといっても、どう生かされたのか観た限りでは伝わってこない。
どうでもよい話だが、この芝居にはもうひとつ清末氏のこだわりのエピソードが
秘められている。それは「決定的な原点回帰を果たした」と彼が位置づける
「リヴァイアサン」に出てくる嶋先生という小学校の女の先生である。
霧子を火事から救おうとする青年が、小学生のとき、けがをした自分に優しく
白いハンカチで手当てをしてくれた嶋先生に醜いやけどを負わせてしまった想い出を語るが、似たエピソードが「リヴァイアサン」にも出てくる。だが、これは観客にとってはどうでもよいことで、単に作者の感傷(たぶん、初恋の女性が小学校の先生なのでは?白いハンカチが忘れられないアイテムらしい)としか思えず、「なんだかなー」と思ってしまった。そう言えば、廃校も「リヴァイアサン」に出てきた。
そして、最後にそのだりん演じる女の霊(幻影?)が九条を癒すのも「白いガーゼ布」となれば、もう何をかいわんやという気持ちになってしまった。
知人の解説によれば「九条」はたぶん憲法九条からつけたのではという
こと。憲法九条によって戦力を持たないはずの日本が、ファントムによって
一般市民が殺傷されてしまうという悲惨さを訴えたかったのか。
ノスタルジア
劇団サーカス劇場
駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)
2006/10/26 (木) ~ 2006/10/30 (月)公演終了
満足度★★
反戦への思いと恋愛話がミスマッチ
劇団サーカス劇場が東大駒場を旅立つ記念作ともいうべき作品。
「ノスタルジア」という題名には作者自身のノスタルジアも含まれているのではないだろうか。シベリア抑留の過去を持つ詩人の石原吉郎が登場人物のモデルになっている。シベリア抑留から帰国して舞鶴の桟橋に降り立った時、彼は自分は日本人皆に成り代わって戦争責任を果たして来たのだという自負を持っていたと言われる。晩年は狂気の中をさまよい、失意の死を遂げた。
その史実をもとに創作したようだが、ここにも石原のように詩を読む青年が感傷的に描かれ、作品では「シベリア抑留の歴史を忘れるな」と訴えつつ、「彼女と別れてしまった」という青年のどうでもいい失恋話が交錯してきて、作品としての色が薄まってしまったのである。
また、公演に先立っての諸注意を3回連続で清末浩平が行い、その3回目
に諸注意を述べた直後、そのまま「ここで一編の詩を読みます」といきなり
導入部に入るので興醒めした。劇中でも清末はナレーションを担当するが、ならば諸注意は他のスタッフに任せるべきだ。
ネタバレBOX
ここにも黒崎先生(森澤友一朗)が登場するので、紛らわしくなってしまう。だいたい黒崎先生というのは吸血鬼みたいな人物で、時空を超えて生きているようなところがある。本当の年齢は見た目とは関係ないことになっている。シベリアに抑留されたことを語り、その事実を多くの日本人が忘れていることをなじるのは黒崎だが、石原吉郎を思わせる記憶喪失の青年が出てきて、感傷的にわめきながら詩をかきとめようと紙をとりちらかすので、観ているとわけがわからなくなってくる。
この青年の動きは後の「幽霊船」のミズホシとパターンが似ている。
病院で「株主総会が開かれる」とか、表現がおかしいところもあった。
結局、ラストは唐十郎の芝居のように舞台後方がパーンと開き、役者が外に
走り出していく。「サーカス劇場の旅立ち」を表現したかったのだろう。
コミカルな看護婦を演じた木山はるかの演技は、唐ゼミ☆の禿恵を思わせ、本当にアングラっぽい芝居だった。
この作品あたりで、私に「いつも同じような作品を見せられているような気が
するのはわたしだけでしょうか」と言った人がいる。
「いやいや、私もだよ」と苦笑してしまった。
東大のような秀才が多く集う大学でさえ、内容のこむずかしいサーカス劇場の芝居は圧倒的な支持や共感が得られなかったことが、その後のこの劇団の低迷の遠因となっているように私には思われる。
つまり、観客の視点をあまりにも無視していて、「理解しない奴が悪い」と決め付けているようなところが見られた。
思い入れを押し付けるだけで説得力に欠けていたのだ。
熱帯、オフィーリアの花環
劇団サーカス劇場
池袋小劇場(東京都)
2006/08/11 (金) ~ 2006/08/14 (月)公演終了
満足度★★
人間の描き方が浅薄
劇団サーカス劇場は劇団地上3mmと合体し、2009年ピーチャム・カンパニーとして新たにスタートを切るそうです。
駒場関係者を除けば、私ほど長く劇団サーカス劇場を観て来た者はいないという自負があるので、合体に当たり、あえて過去の観劇ノートから感想を書かせていただきたいと思います。消滅へのレクイエムというか(笑)。
初期の「観て来た」が極端に少ないようなので、参考記録のひとつになれば
と思うので。
作者の清末浩平東大在学中の2002年に上演された『熱帯、雨の少女』は
かつて清末氏自身が再演したいと願い、劇団員もぜひやりたいと言った
作品なのだそうです。劇団員と言っても、森澤友一朗氏のことだと思うのですけど。それほど思い入れのあった作品らしいですが、再演の割りに
まとまりが悪かった印象が強いです。
正直言って「近代アジアの傷口を浮かび上がらせながら歴史を遡航する『ハムレット』は、日本人の暗い記憶を辿って、いかなる水源に行き着くのか。 日本と熱帯、戦後と戦中をつないで展開する、イメージの万華鏡」なんてものではなかったですね。。
ネタバレBOX
黒崎先生というのはサーカス劇場のお決まりの登場人物ですが、
この作品では、黒田三郎という清末氏が気に入っている詩人がモデル
になっています。
史実の黒田三郎は東京帝国大学経済学部卒業し、南洋興発会社社員としてジャワに赴任、同地で敗戦を迎え、1946年(昭和21)帰国しました。この芝居では妻子を捨てて植民地時代のジャワに渡った黒田三郎が身分を隠して黒崎先生として生きており、日本に連れ帰ったステイという現地人少女を女優として育てているという設定。サクラは黒崎先生が自分の父、黒田三郎だと知って、その過去を問い詰めようと訪ねてくる。
しかし、この芝居の最大の欠点は、なぜ黒田が妻子を捨てたかということが
明かされず、「戦争はいけません。植民地は悪です」といった観念論を振りかざすだけに終わっていることでした。人間を描ききれていない。ステイを女優として育てるという必然性も感じられず、それは当時ステイを演じた女優への演出家の思い入れにしかわたしには思えませんでした。ステイに現地語を忘れさせようとする黒崎先生の執念も植民地への贖罪の念からなのか、自分の過去との決別を言いたいのか、よくわからない。
南洋興発の社員を演じる役者が、劇場のオーディションを受けに来る芸人を
演じているのだが、芝居を観ている限りでは、2役なのか、社員がわざと化けているのかわからず、寒いドタバタギャグだけが浮いていた。
「ヤシ油の匂いが・・・」ということばの繰り返しが多く、休憩をはさんで約2時間、客がぐったりしていた姿だけが印象的だった。
崩壊劇団の崩壊劇場
早稲田大学演劇倶楽部
早稲田小劇場どらま館(東京都)
2009/10/30 (金) ~ 2009/11/01 (日)公演終了
満足度★★★★
さながら“寺島祭り” 文字通り壊れた面白さ
初日は劇団員の友人が多く来ていたのではないでしょうか。自分が観た回は
爆笑と言うほどの笑いは起きず、比較的静かでした。
パンフの挨拶文にあったように、寺島さんが「思い出作り」でやりたいことをやりきったという感じ。
芝居好きの人、学生演劇のファン、興味がある人、すべてに観てほしい。
可笑しいです。楽しいです。
寺島さんがノリノリで作っている学生演劇のオモチャバコをひっくり返したような
作品。ここまで壊れちゃっていいんだろうかと思ったくらい面白い。
満点とは行かない理由はネタばれで。
ネタバレBOX
個人的感想を言えば、本作もまさに早稲田テイストのお芝居。
早稲田って「学生演劇やってるぜー!」っていうノリをすごく感じる。
私が大学生のころからで、今回の劇団員のダンスシーン観てると
雰囲気があの当時と変わってないなー、と。
明らかに東大演劇の静けさやこなれた明治とは違う。
本作もまた、弾けるような若さと荒削りな魅力と言えようか。
登場人物のキャラクターがそれぞれ個性的で面白い。
パロディーのようなシーンもふんだんに盛り込む。劇団をやめた女・柳沢ルミコ(中村梨那)の演技過剰やそれに絡む演劇かぶれの大島(大岩千衣理)の場面はまるで『ガラスの仮面』だ。
劇団ライジングサンダーに対抗意識を燃やす劇団ゴルゴンは
60年代の状況劇場と天井桟敷のようだし、ゴルゴンのはちゃめちゃな
主宰井桁(池田恭佳)を「昔の唐十郎のようですね」と蜷川幸雄もどきの石狩川(三井翔太)が評する。
井桁の連れてる「地獄犬」は「盲導犬」のファキイルがモデルなのか(笑)。
滑舌が悪く、身体能力が高いというのもアングラ俳優っぽく笑えた。
黒魔術師(寺島)により江戸の名優五代目市川団十郎がチャラ男(石井友章)に憑依してエチュードに参加するなんて凄い発想(笑)。
終盤に作者の寺島氏が登場して飄々と芝居のネタばらしをすると、劇団員たちが「俺たちが学生演劇だって?嘘だ!」とパニックになるのも学生演劇コンプレックスを諷刺している。
「思い出話」をここまでエンターテインメントに作りこめる才能はたいしたもの。寺島氏が今後も演劇を続けるかどうかは未定だそうだ。
「柿喰う客」を思わせるテンションの高さは将来性を感じさせる。
劇団員が次の主宰となる奥村徹也を「柔らかいボールで野球して遊んでる」と評し、奥村の次回作は「カラーボール野球、死ぬ気で(仮)」とパンフにあった(笑)。 金髪の奥村は若い頃の沢田研二をノッポにしたようで容貌も個性的。
いかんせん上演時間1時間55分はちょっと長すぎた。寺島本人も劇中「学生演劇は1時間半が限度だと思ってる」と言っているのがご愛嬌だが。
自分の座った2列目の左端は役者が花道の七三のように立ち止まって演技をする狭い通路際。早めに入場したが、中ほどの観客がゆとりを持って座わるので左へ皺寄せが来て1人分のスペースが取れなくなり、はみだして腰を浮かしてすわっていた。ベンチシートも右へ引っ張られ、自分のところは欠けている(係員は1席として確保したつもりらしいが)。役者とぶつかりそうで危なかった。演出上、通路を役者が通るなら客入れの際に配慮すべきではないのか。花道の安全確保は芝居の基本だ(昨日は右端の席ではみだし、ご難続き)。係員に説明し注意したが、けげんな様子で「何で文句を言うのか」といった表情だったのが気になる。芝居のスペースは舞台だけではないことを理解していないらしい。
歌舞伎役者を登場させた芝居だからあえて言おう。
中村勘三郎はニューヨーク公演の際、「役者は悪環境を我慢しても、お客さんに我慢させちゃだめだよ」と述べている。2点の理由から、あえて★4つとさせていただく。
終演後、無理な姿勢が響いたのか、左の脇腹の筋がつってしまい、激痛で動けなくなり、ロビーの端でしばらく立っていた。このことはさらに気管支をも圧迫し、翌日はすっかり体調を崩した。週末の予定に向け体調を整えねばならない。いまいましい限りだ。
あぶく
浮世企画
荻窪小劇場(東京都)
2009/10/30 (金) ~ 2009/11/01 (日)公演終了
満足度★★★
確かに「あぶく」・・・・物足りない
実質的旗揚げ公演。パンフにある浮世企画代表の今城さんの言葉によれば「小劇場なんて気持ち悪いほど狭い世界で動いていて、しかもそれをよしとする風潮がありますが、それはあまりにも勿体ない」ということで、「違う表現をしている人たちが、お互いの違いを超えて、あるいは面白さとして持ち寄って、一つの時間・空間を作る場」を持とうと、一石を投じたらしい。
有意義な企画だと思います。
今回の作品に限って言えば、特段目新しさは感じられず、学生演劇で出てきてもおかしくない平凡な作品だと思いました。自分が観ていたころの東大のサークル演劇にはこういう傾向のものもあったし、大学生なら「よくまとまっているな」と感心したでしょうが、ロードショー1本分よりちょいと高い観劇料金を払ってまで観たい作品とは思えなかった。
2回目以降、好きな俳優が出れば観に行くかもしれませんが物足りなさは否めませんでした。題名どおり「あぶく」のように淡い印象。
ネタバレBOX
男女7人+αの物語。あぶく=うたかたの夢ということか。就活中の大学生が中心なので、リアルな会話が続き、学生演劇を観ているようだった。
ストーリーを話してしまうとあんまりなのでやめておきます。
主人公の男の子の夢の中の話が交錯している以外、等身大の青春物語
なので、言っている内容は「それがどうしたの?よくある話だよね」と思って
しまう。飲み会の場面などもまるで素のようでこれを「ナチュラル」と褒めるべきなのか?戸惑う。
今城の演じる市の職員大川は早口の長いセリフをつっかえて滑舌が悪いので面白さが半減する。早口なら、黒柳徹子や横山道代、野際陽子のように一気にまくしたてないと意味がない。浅利ねこの萌え系アイドル水嶋祐里がガールフレンドとして夢に出てくるが、夢と気づかないほど、一同に馴染んで存在しているので騙される。
浅利は本拠地の銀石同様、衣装も担当し、網のようなモチーフがみんなの服に付いているのは「あぶく」を表現しているのか。
この一座で唯一救いに感じたのは小笠原佳秀の演じる先輩・巽(たつみ)
。会社では若造でまだたぶん重用されていないであろう男が、大学の後輩
の前では精一杯カッコをつけ、偉そうに説教したり、見下したようないやみを言う。そのくせ小心者で蜘蛛に逃げ惑い、足をくじいてしまう。「こういう男、いるよなー」と思わせる存在感があって面白かった。酒を飲んで語る表情など若手と比べ一日の長がある。
友情出演とも言える電動夏子安置システムの岩田裕耳が諸注意の長~い前説、電話での佐山の上司の声、その上司で祐里の彼氏(これも幻影らしいが)を演じ、短い出番ながらきっちりと印象を残す。
自分がすわった2列目の右角の席は0.5人分のスペースしかなく、100分間、右半身が浮いた「すわり案山子」状態で観劇するのは辛かった。中ほどは比較的席の間が空いて余裕があり、座布団の置き方に配慮がほしかった。
ハリジャン
innocentsphere
シアタートラム(東京都)
2008/04/19 (土) ~ 2008/04/27 (日)公演終了
満足度★★★★
松緑のDNAを実感できた作品
既に終了した作品、しかも昨年のものについてのレビューを書くことは
反則なのかもしれませんが、前から気になっていて、中にはこの劇団の
以前のものについて読むかたもおられるかもしれないので
思い切って書かせていただきます。
まず、ここを開けてあまりの低評価に「えーーっそうなの??」と驚いて
しまいました。
歌舞伎ファン、小劇場ファン双方を満足させられない作品、安易な企画
とのご指摘がありましたが私はまったく違う感想を持ちました。
松緑の歌舞伎役者としてのDNAを実感でき、大変感動しました。
「迷える憂き世に 咲けよまがしき 悪の華」
これ、誇大宣伝でもなんでもないと思いましたけど。
観終えてもしばらく席を立てず、もう一度席にからだを沈めて
深いためいきをつきました。傍らの連れも同じく感動の面持ちでした。
さらにいくつか離れた席の若い女性は顔を半分覆って嗚咽をもらし、
そのなかで「よかったよー」とひとこと。彼氏らしき男性が彼女の背中を
優しくさすっていた様子が忘れられません。
以下、長くなるのでネタバレで。
ネタバレBOX
あえて「俳優論」に絞って書かせていただきます。
このお芝居は差別的な表現がたくさん出てきてハラハラするけれども
差別といったら、歌舞伎なんて差別用語満載ですからね。
今日の感覚でとらえて、言い換えてたら歌舞伎は上演できない。
幕が開いてしばらくして、私はこれは「小劇場的な歌舞伎」だと思って観る事にしました。
身障者が次々出てしゃべるシーンは鶴屋南北の世界のよう。
松緑の登場はかなり遅く、出てきたときはその存在感にわくわくした。
当代の中村歌六が20代のころ、梨園から劇団四季の研究生になったとき、「新劇から歌舞伎を観たときどう思うか」とインタビューで聞かれ、
「やっぱり歌舞伎はおトク。だって主役があとから出てきてもおいしいとこみーんなかっさらっちゃうんだよ。新劇ではないでしょ、こーいうの」と答えたことをいまさらながらに思い出した。また現幸四郎の「歌舞伎役者が演じたものはすべて歌舞伎なんだ」という言葉も。松緑のエビスがまさにそうだ。これは小劇場の芝居だけれども。
メークがグロテスク過ぎるというご意見。先代勘三郎の「籠釣瓶」の次郎左衛門や「巷談宵宮雨」の竜達のキモいメークを見てる私はヘッチャラですわ。
6代目菊五郎は竜達のメークのまま楽屋でお弟子や子役を追い回してこわがらせて喜んでたってんだから。
エビスという役はこれぐらいのメークでちょうどよろしい。
確かに脚本の粗さはあるんだけれど、松緑の渋谷エビスの圧倒的存在感が
それを補って余りある。
というか、「歌舞伎は役本位なので脚本は粗い」ものも多く、時に合理性を超えて演じなければならないので、さほど気にならなかった。
歌舞伎では「芝居が生になる」と言って、素に見えるような演技を未熟とする。「生になることがなぜいけないのか」と猿之助に質問したところ、「あまりに生々しく演じると不快な場面が観客にとって不快に感じるから」とのことだった。その点でも、エビスのような役は、松緑にとって難しかったのではないだろうか。しかし、松緑は強姦シーンなど「不快感を覚えるか否かのギリギリの境界線」を演じきったと思う。「重い宿業を背負った男」という今回の役どころは歌舞伎俳優の彼だから演じきれたのであって、一般の俳優では表現できなかったのではないだろうか。最後の“暴走”場面は、鳴神上人のようで
理屈抜きに魅せた。
私は正直、歌舞伎俳優としての尾上松緑の演技に感心したことはあまりない。「蜷川版十二夜」の安藤英竹を大変面白く演じていて、この役が再演以降、中村翫雀に代わってからは観に行ってないほどだが、現時点では古典より新作歌舞伎にいい味がある。現幸四郎同様、赤毛物を得意とした曽祖父の7世松本幸四郎のその方面の血を受け継いでいるのかとも思う。
祖父の尾上松緑がかつて演じた新作歌舞伎の「燈台鬼」の迫力には絶句した。「燈台鬼」は南條範夫の直木賞受賞作で、捕らえられた遣唐使が奴隷にされ、生きながらに「人間燭台」として饗宴に供されるという話。アングラチックな設定でしょ?そのメークはグロテスクどころじゃなかった。だから、当代の松緑のエビスを観た時、祖父を髣髴とさせた。いつか彼の「燈台鬼」を観たいものだ。
そして、歌舞伎俳優として音羽屋のお家芸である「髪結新三」みたいな悪党役もいずれは期待できるかも。そんなことを考えさせてくれる芝居でした。
ですから今回彼を起用してくださったことに感謝します。
最近、歌舞伎俳優が小劇場演劇に出演する機会が増え、概ね小劇場ファン
には不評のようだけど、私は悪いことではないと思う。
歌舞伎を「食わず嫌い」で区別し、まったく観ないという人も私の周囲には多い。でも、歌舞伎は本来、現在のようなゴージャスなものではなかった。
江戸時代の小劇場演劇だったんですよ。歌舞伎と言ってもいろんな芝居が
あるから、小劇場ファンが好みのものもきっと見つかると思います。
約半世紀歌舞伎を観て来た私でも小劇場系の芝居は楽しめてるから、
これに懲りず、双方のファンに双方の芝居を観てもらえればなぁと思います。
下谷万年町物語
劇団唐ゼミ☆
浅草花やしき裏特設テント劇場(東京都)
2009/10/23 (金) ~ 2009/11/08 (日)公演終了
満足度★★★★
テント芝居を満喫!
唐十郎・蜷川幸雄コンビの伝説の名作を若手がテントで上演すると
いうのでとても興味があった。「花やしき裏テント劇場でオカマ100人芝居!!」というキャッチコピーがあったが、100人はあくまで初演の話で、
そこはテントに見合った人数しか出てこないので、ちょっと拍子抜けの感も。
作品のモデルとなった事件があったころ、唐十郎は主人公の少年と同
じ年頃だったのだろう。「文ちゃん」は唐の分身でもあるわけだ。
「反権力」の象徴のようなオカマたちのパワーが、官憲権力を笑い飛ばす。
しかし、オカマはお上の発行する「移動証明」がないと配給米も買えない
という悲しい現実。
唐十郎作品は詩的であり、理屈で解釈できない世界なので、感じるしかない部分も多いが、サフランの花びらが舞い、歌舞伎で言うところの「本水」がバシャバシャ飛び、アングラらしい楽しい芝居だ。
でも、設営面には注文もあるので、詳しくはネタバレで。
ネタバレBOX
椎野裕美子のキティ・瓢田の体当たり演技がとにかく魅力的で、池の中から
気を失った状態で現れたときの表情の美しいこと。男役姿もカッコイイし、
歌って踊り、足も高く上がるし、コミカルな場面も楽しんで演じている。
彼女を初めて見たのはまだ学生のときで堅さがあったが、いまは
看板女優としての自信に溢れているようで頼もしい。
いい女優に成長した。
少年の文ちゃんを演じる水野香苗は本物の男の子のようで旧サーカス
劇場の「カラス」の客演のときとは別人のように巧い。
今回、旧サーカス劇場の「カラス」の客演メンバーがたくさん出ており、彼らはやはりアングラには強みを発揮するようだ。元主宰の清末浩平は残念ながら「観たい!」に書いたようにオカマ役ではなく、オカマのお市を演じる女形役者の役。彼は作家よりも役者のほうが向いているのではと思う。
演出の中野は、「カラス」のときと同様、彼を道化役に起用して成功している。
神保良介のお春、二枚目の青年洋一の尾崎宇内もいかにも唐十郎の芝居の役者らしい。演出家のほうの洋一(洋一は2人いる設定)の弟を名乗る白井の杉山のうさんくささ、お市の野口和彦(青蛾館)の貫禄は言うまでもない。
<設営面で感じたこと>
夜の部に行ったが、「花やしきの裏」といっても、囲いがされていてわかりにくく、矢印の張り紙を頼りに不案内な夜道を歩くのは心細かった。路地の細道のようなところにやっとみつけた入り口マーク。せめてここにスタッフを1人立たせてほしい。
3時間20分の長丁場。上演時間も来るまで知らなかったし、休憩は3回入るが10分、2分(道具転換のためのみ)、5分と短い。開演に先立ち、知らせてほしかった。女性客など、「10分休憩がもっとあるのかと思った。寒くて途中でトイレを我慢して頭に内容が入ってこなかった」と言う人が何人もいた。不親切である。
そして、仮設トイレでは、手を洗うところがなく、みんな、そのまま戻っていた。災害時の避難所生活のようだ(小屋に戻るとき、まるで避難所に見えた)。
インフルエンザ流行の折からどこの劇場でも神経質に衛生対策を講じている。スタッフが抗菌ウエットティッシュを渡すなり、手指消毒スプレーを持って立っているべきだ。それができないなら、フライヤーやHPなどで事情を知らせてほしかった。幸い、携帯洗浄剤を持ち歩いているので、ペットボトルの水で対応したが、それも5分間では時間が足りない。
いくらテント芝居でも、唐十郎さんの時代とは違う。
このご時勢、衛生対策をしっかりやるべきだ。
コンプレックスドラゴンズ
The end of company ジエン社
d-倉庫(東京都)
2009/10/22 (木) ~ 2009/10/25 (日)公演終了
満足度★★★★
閉塞感の中にあるもの
久々に観たがやはり面白かった。
開演前から登場人物が舞台にいて動いているのは青年団と
似ている。TVニュースで諸注意を流すなど洒落た演出だ。
登場人物は各自、自己主張するばかりで会話は成立しない。
何を言っても何を言われても互いに受け止めようとしないので、
軋轢も生じないのである。
極端なようだが、現代日本の縮図のようでもあり、じわじわと
怖さが迫ってくる。
難しい問題は避けて先送りし、目の前のことにだけ関ろうとする。
無関心を装っても、他者の目や自分の立場を実はとても気にし
ている。
何とも言えない閉塞感のなかで他者との距離を取りながら
必死に自発呼吸しようともがいているわれわれの姿を突きつ
けられるような問題作だった。
また、作者本介氏自身の演劇における疑問や焦燥感も感じられ、
興味深い。
ネタバレBOX
傷害事件がおきても「身内以外にだれにも迷惑かけてないよね?」
と確認し、出血多量の仲間を見ても「本人が大丈夫と言ってるから」
と放置する。
師匠の孔子先生の安否も何かあれば連絡が来ると楽観視。
自分に関係あるかどうかだけで判断しようとする傾向は最近の若者
によく見られる。
企業が新卒の求人条件に判で押したように強調する「コミュニケーション
能力に優れた人」、その対極にある人物を描いて興味深い。
ミサイルが撃ち込まれた、戦争が起きているといっても他人事で、
ろくにルールも知らないメンバーを集めて草野球の試合を開くこと
のほうを優先する芸人たち。
湾岸戦争が起きたとき、シミュレーションゲームを見ているようだと
多くの識者がメディアで発言したことを思い出す。
芸人アオガクの女装は、何をしていいかわからず捨て鉢になっている
様子をよく表現している。彼がネタを披露しようとして孤独と挫折感
に襲われる心象風景を照明で表現した場面が印象的だ。
孔子先生がかなり面白そうな人物で登場しないだけに想像が膨らむ。
以前の作品でも向こう岸にニート村ができている設定が出てきたが
今回も向こう岸(東京)の話が出てきて、作者本介氏の作品の象徴に
なっているのだろうか。
アンケートの中に性、暴力描写、舞台での喫煙についてや、不快感を
覚える表現への設問があり、制作側が具体的な質問を観客に投げ
かけるのが珍しく、有意義な試みだと思う。
ちなみに、私は今回、舞台で役者が喫煙した場面の直後、咳が出て
焦ってしまった。席が離れていても、密室では気管支が敏感に反応
してしまう体質なので辛かった。
映画「曲がれ!スプーン」【12月より舞台版全国ツアー開始!】
映画「曲がれ!スプーン」製作委員会
※劇場情報は公式HPにてご確認下さい。 (東京都)
2009/11/21 (土) ~ 2009/12/31 (木)公演終了
満足度★★★★
ヨーロッパ企画の宣伝映画として楽しめる
小劇場系の役者+長澤まさみという組み合わせは集客を
考えてのことなんでしょうね。
ひと癖もふた癖もあるエスパーたちがとにかく面白い。
青年団の志賀廣太郎が出て、グッと引き締まった。
本広監督の「サマータイムマシン・ブルース」や「うどん」
は観ていないので、リンクする面白さはわからないが。
本家の芝居を観る前の導入企画としては楽しめた。
でも、映画としてはどうかなー。
1950年代の邦画はお金かけずに1時間30分物ですぐれた
コメディーを作ってたから、その時代を知る自分にはさほどの
秀作とは思えない。
いかんせん、チープ感は否めなかった。
ネタバレBOX
時間を止めてから自力で移動するというテレポーテーション
(三宅弘城)のアナログっぽい馬鹿馬鹿しさが可笑しかった。
「家電は苦手」と言いつつ、結局、液晶テレビやエアコンを
操る羽目になるエレキネシス(川島潤哉)、ちょっと怪しい透視の
中川晴樹が面白い。
超能力は使えないので、エスパーらの前で恥をかく細男(岩井秀人)
が、濠に落ちて這い上がってからは特技を駆使する場面も笑えた。
マッシュルームカットの純情青年テレパシー(辻修)は物語のキーマン
で印象に残る。
本広監督の言うとおり、確かに小劇場は俳優の宝庫かも
しれない。
反面、日本は撮影所システムが崩壊し、映画俳優を育成する場を失っ
っており、その点で中国や韓国には及ばないという現実も痛感する。
深情さびつく回転儀
電動夏子安置システム
サンモールスタジオ(東京都)
2009/10/16 (金) ~ 2009/10/25 (日)公演終了
満足度★★★
面白いけど複雑過ぎて混乱する
実は16日の初日に一度観て、わからない点が多くて、翌日観たら
違うバージョンの結末で、それで若干筋が補完されたという感じ。
電夏は大好きな劇団だし、ロジック・コメディーというコンセプトにも共感
するが、今回はそのロジックに足を引っ張られすぎの感が強い。
まず、ルーレットとチップのルールがパンフを読んでもわかりにくく、
終盤近くに俳優のじょんが説明するが、頭が悪いのか、よく理解できない。ルーレットに近い前のほうの席で観ても、俳優の体や手によってふさがれ、実際に数字は確認できないので、数字の出目が何かにはそれほどワクワクしなかった。視覚的に大きなルーレットなら、単純に楽しめるのだろうが。
役者の動きで「あ、状況が変わったんだ」と思う程度で、コメディーの部分は
面白いのだが、ルールの複雑さはさほど意味を持たない。
結末を見ても、スッキリ感はなく、別の疑問が沸いてむしろフラストレーションが増すばかり(笑)。
そのためか、上演台本が売り切れとか言っていた。
6つの結末が書いてあるから?
最近、他の劇団でも日によって演出や結末を変えたり、2バージョン見ないと
ストーリーがつながらないという趣向がしばしば見られ、
ファンサービスやリピーターを誘う興行的な思惑もあるようだが、
本来、作品は1本で完結、勝負すべきで、個人的にはあまり感心できない
企画だ。
引っかかった点いくつかはネタバレで。
ネタバレBOX
①最初に出てくる5人のチャレンジャーが住んでる家は緑色の屋根の家で
「向こうに見える4つの家」という台詞があるので、家は5つあるのだろう。
4つの家は赤と黒、それぞれ四角と三角の屋根があるわけだ。
しかし、「4つ?5つじゃなくて?」という台詞が後から出てきて、紛らわしい。
②蒼(七味)が「私には4棟の家が残された」と言っているが、葵(志賀)は「私はこの家をもらったの」と1軒のように言っている。
フライヤーには次女に4棟の家が残されたと書いてあるが、同じ次女のアオイという娘(正確には自分が次女のアオイと思い込んでいる娘)でも、相続したと聞かされてる家の数が違うのだろうか。
次女に2人の妹がいて、長女を加えれば4人の娘で、1人1軒ならわかりやすいのに、1人に4棟とする設定がわかりにくいのだ。
③自分が観た回では娘は4人いたという結末だったが、5人の目隠しされた
子供はどういう意味になるのか。また、常葉の妻が地下室で見た「目隠しされた子供」というのは誰なのかがわからない。夫が殺したのは
成長した娘なので。
ストーリーをいたづらに複雑にしている感が拭えない。
ナゾはあってもよいが、1本観ても解けるようにしておかないと
反則技に思えてしまう。
俳優はそれぞれキャラクターが楽しめる。
岩田の低音の声が管財人の風格を感じさせた。
渡辺の芝居にリアリティーがある。
澤村・なしおの夫婦がとにかく笑わせる。
なしおの安定感、澤村のトボケた中年男の存在感は捨てがたい。
七味はなしおと入れ替わったときの芝居が巧い。
しゃべりかたで人格はなしおだとわかるところがさすがだ。
新野の美雪は「由布さん(じょん)」への屈折した女心がかわいい。
横島裕は初めて見る役者だが愛嬌がある。
七味の蒼を助けようとする小原の戒二がクールでカッコイイ。
電夏の山本耕史といったところか。
道井の演技はさすがに達者で、幕開きから釘付けにさせる。
ファンとしてはじゅうぶん楽しめる。でも初見だったら・・・を加味すると
あえて★3つ。
見えなくてもそうなんだ
ボールベアリングドラゴンズ
東京アポロシアター(東京都)
2009/10/16 (金) ~ 2009/10/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
想像する楽しさ、短編小説の魅力
田岡美和の会話劇は一度観るとハマってしまう魅力がある。
その原因が、今回ようやくわかった気がする。
田岡の芝居は、一口で言うと「部外者による覗き見の世界」だ。
別の言い方をすればたとえば喫茶店で隣りの客の会話が耳に
入ってきて、つい興味を持って聞いてしまうような感覚だ。
今回の芝居もその人物について何の予備知識も持たないまま、
その家庭を覗いたとしたら・・・というような内容だ。
「他人の世間話なんか興味もないし、聞いても面白くない」
という人は嫌いな芝居かもしれないが。
たくさんの登場人物による饒舌な芝居を見飽きている向きには
癒されるような心地よさが感じられるだろう。
想像力を働かせて観るしかない。特別ドラマチックなことは何も起こらない
のだが、観終わって良質な短編小説を読み終わった気分にさせてくれる。
ネタバレBOX
年下の男性ヒヨシと結婚した女性イサキ(配役表に役名は出ていない)。
夫のヒヨシには定職はなく、主夫をやっているらしい。
妻のイサキはそのことに不満はなく、2人は仲良く暮らしている。
妻の母親が上京してきて疲れて奥の部屋で熟睡しているという設定。
母親は劇には登場しない。そこへ母親の友人だという中年男性(名乗らない)が訪ねてくる。これまた、母親よりはかなり年下らしい。
「恋人ではなく、ただの友人です」と言うが、いったん出直して
きて、夫婦の暮らしぶりについてあれこれ質問し、「4人でいい関係を築きたい」などと言う。「それも悪くない」と言うヒヨシだが、イサキは「自分たちには
干渉しないで」と男に言う。
母親は寝ているところを起こされると物凄い反応を示すらしく、
ヒヨシは恐怖におののいて、母の部屋から逃げ出してくる。
しかし、その男性は平気らしく、部屋から出てこない。
その様子を見て娘夫婦は「2人はうまくいくかも」と納得する。
男を夫の知り合いと勘違いした妻があわててブラウスの裾をスウェットパンツの中に入れて身づくろいするが、男が帰ったあと、母の友人と知って
怒ってまたブラウスの裾を出すところなど、ちょっとした細かい仕草に
生活感が出ていておかしい。
ヒヨシがチラシで箱の作りかたを丁寧に男に教えるところも面白い。
彼女の作品には、いつもあまり一生懸命な人物は出てこず、
みんなマイペースでゆったり生きている。
普通ならエキセントリックな母親も出して、4者でドタバタコメディー
にしたがるところ、田岡は母親を出さず、抑制をきかせる。
イサキの母親は観客の想像の中にあるのだ。
声高に人生を語る作品ではないが、確かにそこに息づいている人たちが
いる。
先輩の西尾早智子のリードで若手の大河内と大島がそれぞれの持ち味を
出していた。
俺の屍を越えていけ
クロカミショウネン18 (2012年に解散致しました。応援して下さった方々、本当にありがとうございました。)
Heiz Ginza(東京都)
2009/10/04 (日) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
満足度★★★★
ドラマチックなクロ組/やはり3組観て良かった
文字通りのラスト公演は「クロ組」。3組の中では一番ドラマとしての
面白さを楽しめ、もっとも「情」の濃い仕上がりになっていた。
やはり3組通して観て、それぞれまったく違う印象で、役者が替わる
だけでなく、野坂氏が演出も変えているというのを実感できた。
2組、3組と観る人にはやはり割引特典を設けてほしかった。
劇団としては「複数観てほしい」という意向があるようなのだが、ならば2組4200円、3組6300円のようなリピーター割引があってしかるべきでないかと思う。会場のキャパを考え、コアなファンだけ来ればよいと思ったのだろうか(事実、会場は常連さんや俳優が多く来ていた感じ)。「内容で勝負」という劇団のようだが、料金面のサービスも必要だと思う。
今回、出演していない加藤裕の発案でふだんのブログとは別に、ボイスブログ「クロッポ」、「銀座でカトウをつかまえて」ブログを自ら立ち上げ、積極的に公演宣伝を展開。出演しない場合は傍観することもできるのに、出演者と同じ気持ちで公演に「参加」。当日はカウンター内でドリンクサービス係を担当するほか、銀座で観客と携帯電話をツールに鬼ごっこを実施するなど公演を盛り上げた。加藤自作のバナナケーキを、鬼ごっこの景品としてプレゼントしたり、場内でも1個100円で販売していたが、料金割引をしないなら、3組観劇者にプレゼントしてもよかったのではと思う。(ちなみに、自分はケーキもちゃんと購入しました。美味)。
「クロ組」の感想はネタバレで。
ネタバレBOX
この組では「本荘」の唐沢龍之介が一番印象的だった。彼の本荘は放送作家としての才能を持ったタイプの如才のないディレクターに見え、人間臭い。
「東根」の細身慎之介はリストラ候補となる先輩の「技術部長ムナカタ」への思いを3組中最も強くにじませた。「北上」の久米靖馬は明朗な青年を演じ、他の組の若手2人に比して一日の長を感じさせ、台詞に説得力があった(場内スタッフを勤める堀内、松岡の2人の「北上」が後方で久米の芝居を食い入るように見つめていた)。
本荘、東根、北上の3人の芝居がガッチリ噛み合って芝居に厚みが出た。
「郡山」の内田晴子は表情の変化が巧く、パワフル。ただ、派手なヘアスタイルはまるで70年代の流行歌手「欧陽菲菲」のようで、女子アナというより
スナックのママに見えた。「夕方のニュースの花」は苦しい。「深夜枠」でしょ(笑)。岡田梨那の「松島」は鳥羽一郎の歌を歌う場面が3組中、一番ホロリとさせられた。ただ、気になったのは衣装で、赤のチュニックの後ろ裾だけが静電気でまくれ上がり、白のキャミソールがはみ出していたのがだらしなく感じた。
「三沢」の薬師寺尚子は最も明るく、伸びやかな性格の娘で演じていた。
ラストシーンで、北上の思いを知り、スタッフパスを持って2人一緒に走り去る
演出が、この物語の救いとなり、未来へのわずかな希望へとつなげた。
会場は自由席だが、この回は一部見やすい席が関係者用なのか劇団キープ席になっていた。座りたい位置の席がみつからないのかウロウロしていた客2人にスタッフ(劇団の俳優)が「出演者にお知り合いは?」と声を掛け、俳優名を答えると優先してその席に案内していた。自分が観た他の回ではそういうことはなく、席の選択は早いもの勝ちだったので、露骨に目撃すると気分は良くなかった。
逆手本忠臣蔵(公演再開&追加公演決定!)
劇団バッコスの祭
池袋小劇場(東京都)
2009/09/30 (水) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
公演再開、切れなかった集中力
中日に再度観劇予定でしたが、インフルエンザ事件で
の公演中止。振り替えでの観劇。
アクシデントのショックをものともせず、役者の集中力は凄まじかった。
初見の知人に見せるのが目的のリピーターだったので、正直初回ほど
楽しめないのではと踏んでいたのだが、初日よりずっと良くなっていて
初めて観るような新鮮な感動があった。
自分は時代劇ファンとしてのキャリアが長い分、いつもかなり辛口評価
のほうなのだが、設定など細かいところはたくさん気になるにもかかわらず、
森山演出と殺陣の迫力にぐんぐん惹きつけられ、途中から不覚にも涙が
出てきた。「いい、これはやっぱり面白いよ!」
殺陣が得意で時代劇経験も豊富な知人も隣りで泣いていた。
(「若い集団でこれほどできるのは凄い!」との感想)
初日のときの女優陣のおかしな着付けも直っていたし、
りく役の辻明佳の芝居に深みが出て、数段良くなっていた。
観てないけど気になっていたら、観て損はないと思う。
12日千秋楽の観劇お薦めします。
2度目ですので、あえて評点は出しませんが。
森山智仁の今後が楽しみです。