ヴォンフルーの観てきた!クチコミ一覧

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荒野に咲け

荒野に咲け

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/12/15 (日) ~ 2024/12/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

25周年記念作は劇団員のみで公演。これは本当に凄い作品なんだがどうにも伝えようがない。どんなに言葉を選んで積み重ねてみても大して伝わらないだろう。何だろうな、この感覚。気になった人全員に観に行って欲しいがチケットはもうあるのかないのか。このクラスの作品を年末にガツンとぶつけられて頭はクラクラ。次の桟敷童子の新作まではどうにか生きていたいと思った。

客入れのもりちえさんは見る度にどんどん痩せていく。
井上莉沙さんは可愛いが役柄が・・・。

ワンツーワークスのようにスローモーションで皆が駆けるオープニング。構成が映画的で時間軸が次々と飛んでいく。それを無理矢理成立させる役者陣。メイクと衣装と表情とでこの無茶を成り立たせる腕力。何度も強調して使用される対位法。象徴的なものはどうしようもなく不幸な場面に流れる「ラジオ体操第一」の明るいメロディー。黒澤明の好んだ演出で世界と自分とのズレを浮き上がらせる。今回は演出がかなり凝っており、バラバラにばら撒かれたシーンや夢、妄想や記憶が一枚のモザイクアートのように収斂されていく。

主演の大手忍さんは主演女優賞もの。中村玉緒みたいな嗄れ声で猫背の病んだ女性役。軽い障害のある人の受け答えそのもの。ここまで作り込んだか。
彼女の母親役、板垣桃子さんは助演女優賞だろう。確かにそういう女性が舞台上にいた。直視したくないものを直視させる演技の凄味。この表情。
彼女の弟役、加村啓(ひろ)氏が劇団員になっていた。押尾学みたいなふてぶてしい面構え。
彼女の父親役、三村晃弘氏の元気ハツラツとした健康的な笑顔。山登りとラジオ体操が大好き。とにかく身体を動かしてこそ人間だ。

従姉妹にあたる増田薫さんの表すリアルな痛み。誠実に生きているが故に誠実に我慢ならない怒り。

妹方の叔母にあたるもりちえさんの佇まい。再婚した家庭で会得したのは何も感じない“無”。そしてそれは当たり前の生活の一頁。誰にとっても特別なことではない。
彼女の義理の母親、鈴木めぐみさんが重要なパーツ。独り暮らしの老いぼれた交通誘導警備員だがSNSで動画を投稿していいねを稼ぐ。全く腐っちゃいない。今の時代を楽しみまくっている老婆の強さ。

大手忍さんのキャラはギリギリなところを突いている。観客の感情移入と生理的嫌悪のギリギリ。しかもユーモラス。こんな鬱話の中、観客が笑いでホッとする。そこのサーヴィス精神こそが数十年続く劇団の持つ地力。こんな話に和む笑いを入れる余裕。幾つもの修羅場を潜り抜けて来たタフなベテランの持つ味。

作家が10年以上前から着手していた実際の知人をモデルにした物語だそう。現実では彼女に何もしてやれなかった。せめて虚構(嘘話)ならどうにか出来るのだろうか?納得出来る救済のカタルシスを用意出来るのだろうか?だがそんな嘘話を騙ったところで一体何になる?
こんな負け戦の作品に心底取り組んだ作家の魂にRespect。
「一体どうしたらあんたを救えるんだろうか?」
「それは私が知りたいよ!どうしたら私は救われるのか!」
答えのない世界にただ問いだけが舞っている。

主人公(大手忍さん)の一生絶対に関わるつもりがなかった母親(板垣桃子さん)との電話のシーンでは泣いた。はらわたから振り絞る声、互いに何一つ嘘が存在しない。作家の安易なヒューマニズムに逃げない姿勢を支持。嘘臭い話で器用にまとめるのは簡単だがそんなものは現実と乖離し過ぎていて無意味。今作は虚構から現実を撃たねばならないのだ。嘘話で現実の人間を救う?笑止千万。だがやるのだ。

哀しみが嫌いだったら気のぐれた振りをすればいいし
別に悪い事じゃないさ ねえあんた少し変だよ
BLANKEY JET CITY 「ロメオ」

ネタバレBOX

「荒野に咲け」と題された二本の向日葵の絵。小さな時からいつか自分が咲くべき荒野に辿り着けると夢想した。ここではない何処か。そこに行けさえすればこんな惨めな自分ではなくなる。そこは一体何処なんだ?
いつも耐え切れない受け止め切れない現実を前に「これが私の運命なんだ」と心を押し殺し我慢して生きてきた。どんな残酷で不条理な出来事さえも。誰のせいにすればいい?母親が狂っていたから家族が崩壊したんだ。父親が自殺したんだ。自分も弟も病んだ母親の犠牲者なんだ。決して私のせいではない。私は逃れられない運命を強要されて苦しんでいるだけだ。何一つ選べなかった。

タイトルにもなっている向日葵の絵は琳派の日本画のようでもあり、エゴン・シーレ調にも見える。北九州の学校教師が描き廃線になった炭鉱町の駅舎に飾られていたという。地域の小学校ではそれにちなみ皆で向日葵の絵を描くカリキュラムがあったらしい。
今では全てが郷土資料館入り。しかもそれすら壊される予定。IKIRUと名付けられた小さな炭鉱蒸気機関車、かつてそこで働いた全ての労働者達の死への恐怖を払拭した。何が何でも「生きる」んだ。その老残した冷たい姿に寄り添う主人公。それに敗残した自らの存在を重ね合わせる。

もう駄目だ、何処に行っても人に迷惑をかける。嫌われていく。傷つけてしまう。何処か遠くに逃げよう。それは例え死後の世界でもいい。主人公は全てを諦める。

夜中に家出して郷土資料館に潜んでいる。ここで主人公は巨大な蒸気機関車に襲われる。(人力で動かしているであろう巨大な作り物が突如背面の壁が開いて出現)。「ああ、ここで死ぬんだ」と観念する。そこにIKIRUが突進して主人公を守る。小さなIKIRUが何倍もの大きな機関車にぶつかっていく。だが全く相手にならない。ボロボロにされていく。「ああ、もう駄目だ」と思った刹那、主人公を乗っけてIKIRUは走り出す。倒せなけりゃ逃げればいい。「私を荒野にまで連れてって!」と叫ぶ。空から降りしきる向日葵の雨。黄色い紙吹雪が無限に降り出して視界は全く見えなくなる。ファンタジーだが絵に力がある。ラストの昂揚には唐十郎への追悼をも感じた。

目を覚ますとそれは夢で警備員の鈴木めぐみさんがカフェオレの缶コーヒーを奢ってくれる。「不幸でなければ幸せだ」と。
プラスを求める価値観でなくマイナスを忌避する価値観。生きてさえいりゃどうにかなる。ろくな欲望さえ持たなけりゃ無理に苦しむこともない。幸せは他人が判定するもんじゃない。結局は自分自身が決めるもの。

ああもう少しだけここでの暮らしを続けてみようかな、と思う主人公。従姉妹に電話して謝る。失くしたもの手に入れられなかったものをいつまでも悔やむのではなく、今自分にあるささやかなものを確かめてみよう。多分きっと大丈夫だろう、自分をほんの少しだけあてにしてみる。ここが私の咲くべき荒野だ。ここでもう少しだけ生きてみる。もう少しだけ。

どんな場所でもいいのさ 自分の足で立ってりゃ全然
LAUGHIN' NOSE 「WILD」
世界の果てからこんにちはⅢ

世界の果てからこんにちはⅢ

SCOT

吉祥寺シアター(東京都)

2024/12/13 (金) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

勝手な先入観から糞つまらない演劇との偏見を持ち、吉田喜重、実相寺昭雄的なものを想像していた。観念だけで中身空っぽの評論家向けのお遊びを。自分でモノを考えられない連中は保証書付きのブランドに群がる。ステータスと肩書とに。だがそれはある意味とても健全なことだ。世界には秩序が必要。どれだけ自分でモノを考えなくていいかを競っているような世の中だ。それはそれでとても正しいことなのだろう。

そんな気分でいざ観てみるとピスタチオの漫才のようなシュールなコント。金屏風をバックに下半身だけ下着姿(上半身と下半身とが別人格の表現)の登場人物達が車椅子で登場。真剣に日本論日本人論を語り合う。各自自らの足で車椅子を移動させるのだが舞台を踏みしめる足音に拘りを感じた。口を左側に歪めて伝統芸能(狂言)のような低い声色で全員が会話。「にっぽんJIN」とジンの部分に強いアクセント。どうやら近未来の日本は巨大な病院となっているらしい。

平野雄一郎氏は中村獅童を老けさせた感じ。
長渕剛っぽい人もいたが名前が判らない。

女性6人組ダンサー・グループ「パンプキン」が大活躍。病院に慰問に来たような設定で見事な踊りを披露。女性の顔がプリントされた謎のうちわを右手に持ち、女版『純烈』のよう。ロリータ・ファッションの熟女達という出で立ちは現代日本への皮肉か?一番上手の女性が気になった。彼女達二曲のダンス場面が鮮烈。

凄く高尚に下らないことをやっている。
SCOT=Suzuki Company of Toga
1976年、鈴木忠志氏率いる劇団「早稲田小劇場」は富山県東礪波(ひがしとなみ)郡利賀(とが)村に移住。(現在は合併して南砺〈なんと〉市利賀村に)。山間の過疎村に建てられた劇場、稽古場、宿舎は後に「演劇の聖地」として世界中の演劇人が訪れる巡礼の地となる。来年で50周年。俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」は世界的評価を受ける。
「利賀」と聞くと「三里塚」みたいに左翼の小難しい口うるさい老人のイメージを連想していたのだがどうやら全くの誤解だったようだ。
勿論居眠り客は沢山いた。結構熱心そうなファン程眠りに就くのは永遠の謎。
「これで吉祥寺で演るのはラストになるかも知れない」と鈴木忠志氏85歳。観るなら今回しかないかも。

ネタバレBOX

病院の院長は中国人で日本人に家賃を要求する。公共の病院で家賃なんて払うものかと反発する患者達。だが日本自体、中国に売り払われてしまったそうだ。由比正雪のようなドクトルが抵抗運動の組織化を熱弁する。凄く為になる空論だがそれを聞いたところで誰も何も出来やしない。ただぼんやりと日本は滅んでいく。

60分の作品の後、休憩を挟んで鈴木忠志氏のトーク・ショー。45分くらい?こちらの方がお目当てだった人が多そう。話の取っ掛かりに観客からの質問を求める鈴木忠志氏。一人の観客が「今作は演出の表記しかないが作は鈴木忠志氏と考えていいのか?」と質問。そこから今作の作劇方法の開陳が始まる。冒頭の会話はチェーホフで、あそこはイプセンで・・・と自分の記憶からの引用から生まれたと。美空ひばりの「芸道一代」、平野國臣が桜島を詠んだ「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」は島村抱月と松井須磨子の取っ組み合いの喧嘩のもとともなった・・・などなど。
面白かったのは彼が一番重要視している「偶然性」のことについて。利賀に移住した切っ掛けは東宝で舞台稽古をしていた際、終了の時間が来る。だがここでもう2、3時間詰めた方が絶対良い芝居になる。そこで劇場管理者と揉める。東宝のトップとも揉める。「偶然性」こそが芸術を自由足らしめる根幹なのにそれはシステムとして排除されていく。突発的偶然的なもの、管理出来ないものを忌み嫌う社会。この「偶然性」を許容する環境を自ら創る為に移住を決意。当初は奇妙な演劇集団が山奥で自給自足の生活を送っていることに連合赤軍のイメージを持たれ、公安がついて回ったそうだ。演劇を隠れ蓑にテロリストの武装訓練を行なっているのではないかと。
もう今回だけで今後観る気はなかったが、彼のトークが非常に面白かったのでまた観たいなと思った。
お婆ちゃんの詩的な生活

お婆ちゃんの詩的な生活

shelf

THE HALL YOKOHAMA(神奈川県)

2024/12/14 (土) ~ 2024/12/14 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

世界中の孫達から世界中のお婆ちゃん達に贈るLOVE SONG。
冒頭、主演の女性がお婆ちゃんの想い出を語りながら衣装をまとっていく。「小さい頃はいつもお婆ちゃんの背中に乗っかっていた。ある日気が付くとそれはとても小さな背中だった。そして小さい頃はいつも後ろを追っ掛けていたがいつの日か自分が道の先を急ぐようになっていた。お婆ちゃんは夜空の星を捕まえて瓶に詰め戸棚に隠した。その戸棚の開け方は私とお婆ちゃんだけの秘密だった」。女性はいつのまにかお婆ちゃんの扮装になっている。

お婆ちゃんは田舎の村で一人暮らし、息子一家は飛行機を使わないと会えない都会に。大好きな可愛い孫の男の子。ついその子の事ばかり考えてしまう。孫の為に手作りで人形を作っている。まだ未完成の彼はコピーロボットのような顔。早く遊びにおいで。

人形は後頭部と背中に棒が付いており、頭と左手を操作、胴体と右手を操作、両足を操作の三人遣い。非常に滑らかな動きを表現。お婆ちゃんがいない、もしくは眠っている時だけ自由に動くことが出来る。孫への愛情を代わりに受けてきた人形は自分が孫の代替物だと認識しており、何とか本物の孫がお婆ちゃんに会いに来るよう企む。アンサンブルの子供達がボール状の光る星を上下にバウンドさせる。星は願いを受け止めて必ず地上に降りてくる。

中国語に下手のスクリーンに英語と日本語の字幕が投影される。お婆ちゃん以外に役者として登場する人間はいない。後は人形と星の球を揺らす子供達だけ。

好きな世界。思わず、帰りに小さなコピーロボット風人形を買ってしまった。そんな気持ちになる舞台だってこと。

ネタバレBOX

人形はお茶で足を洗い、毛糸玉を張って綱渡りをしてみせる。そこに偶然、孫からの電話。人形は孫に早く来るよう告げる。孫は母親に頼むが相手にされない。自力で行こうと道路を歩く。親切な運ちゃんが空港まで乗っけてってくれるがチケットもなく飛行機には乗れない。迎えに来た母親が彼の想いを受け止めて、一緒にお婆ちゃん家に行くラスト。

ミニチュアの車や人形で見事にそれらを表現。影絵を使って伝えてみせた。

欲を言えばお婆ちゃんと孫にしか通じない秘密が欲しかった。
黙れ、子宮

黙れ、子宮

KAAT神奈川芸術劇場、韓国国立現代舞踊団

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2024/12/13 (金) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

未来人に「未来ではどんなお笑いが流行っているのか」と訊ねたらこの作品を見せられそう。未来のドリフ。曲に合わせて集団で踊るシーンは未来のダンスシーン最前線を見ているよう。まるで『時計じかけのオレンジ』。全く訳が分からないがきっと未来の若者には大受けなのだろう。

韓国国立現代舞踊団からの三人は子宮(支援)班。
上は銀色の宇宙服のようなへそ出しトップス、背中に小さな赤いマント。下はステンレスたわしのような銀色ゴワゴワのオムツみたいなパンツ。
刺青筋肉質の父親(イ・デホ氏)が「ムクゲの花が咲きました」とだるまさんが転んだを始める。母親(ユン・ヘジンさん)は手足が長く人形のような肢体。三つ編みツインお団子の娘(イム・ソジョンさん)はコミカル。(右膝を桜庭和志のようにガチガチにテーピングしている)。御約束の寄り目。振り向く父親にバレないように動いていく笑い。突然マネキンのように倒れていく二人を慌てて抱きとめる父親。未来型ドリフ。寄り目、振り向く、硬直、倒れる、抱きかかえる、寄り目・・・。延々と続く謎のだるまさんが転んだ。
両腕を鳥の翼のように斜め上に掲げる功夫の鷹爪拳に近い型が子宮のポーズ。一発ギャグとして秀逸。

迎え撃つ日本人ダンサー達は金玉隊。
赤と黄のデザインが入った青い宇宙服のようなつなぎ、腹のあたりがポッコリ膨らんでいる。金玉のポーズもある。

「鹿児島おはら節」、福岡の「黒田節」などが使われる。
「金玉のテーマ」は圧巻。

令和の暗黒舞踏。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

父親が去ると母親はパンツの中に手を突っ込みチューインガムを三つ取り出す。娘と一個ずつ口にし、残りの一つを半分に割って二人で分ける。そして噛んだガムを互いに交換する。母と子の絆の表現らしいが、自分はKiss(唾液の交換)だと思っていた。
「ラン」「パ」とテクテク歩いて行く。
一つだけ穴の空いた白い巨大シーツ。捕まえた下島礼紗さんの腹の太鼓を叩きまくると、出てくるのがアメリカンクラッカーのような金玉二つ。
金玉隊が腹のカバーを開けると中には装着された太鼓。でんでん太鼓のように金玉二つぶら下がっている。これを振りながら踊る「金玉のテーマ」が素晴らしかった。小野寺夏音さんが映える。
別れた父親がシーツ越しに顔を浮かび上がらせて迫って来る。ラストは娘が鬼になってのだるまさんが転んだ。残るのは全く動かない母親だけ。赤い巨大な旗を振る娘。最後はキャノン砲(銀打ち)で客席に銀テープを発射。

主宰・下島礼紗さんが5歳の時、父親のDVにより両親が離婚。元演歌歌手の母親と暮らしてきた。18歳の時、病院で医師から先天的に子宮がないことを告げられる。レントゲンに映った影が睾丸の可能性があり、その場合貴方は男性であると。自分のアイデンティティーが足元から崩れ落ちる衝撃。肉体的に自分は男だったのか!?結局、検査で睾丸は見付からなかったが検査結果を見るまでの間に感じた「揺れ」を今回ダンスとして表現したそうだ。
いつもケダゴロの舞踏には拷問装置を用意して肉体的精神的イレギュラーなエラーをダンサーに課した。今回の拷問装置は極度に正確さを要求する振り。手の角度から何から過度に求めたという。アフタートークで主演のイム・ソジョンさんは「巨大な旗振りこそ拷問だ」と語る。かなりキツくて毎回湿布一箱消費しているらしい。
メイジー・ダガンの遺骸

メイジー・ダガンの遺骸

名取事務所

新宿シアタートップス(東京都)

2024/11/30 (土) ~ 2024/12/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

マジックリアリズム(魔術的リアリズム)はラテンアメリカを世界の最先端にした。全ての物語に行き詰まった文学はバロウズのカットアップやフォールドインなど特殊な技法に走る。(新聞や雑誌をバラバラに切り離してランダムに繋げるなど)。ポストモダン文学は脱構築(解体と再構築)を掲げるがデリダの意図から離れ、そこにあるのは無意味で虚しい記号の羅列の世界であった。だが先住民(インディオ)の文化が白人西洋文化によって侵略、虐殺、奴隷化された混血の歴史を持つラテンアメリカにこそ誰もまだ見ぬ文学の種が蒔かれていた。それは理屈が通用しない世界。幻想と矛盾と神話と非日常とが現実と混在しつつ全てが許容されていく。何の制約もなく無限の想像力だけでこの世界の人間の本質に触れようとする衝動。読者の感覚はまるで夢を見ているようなもので人為的作為的なものを感じずにごく自然に有り得る一つの世界として受け止めていく。
今作もその文脈で解釈した。

運転する車がアイスバーンにスリップ、トラクターに激突して亡くなったとされるメイジー・ダガン(谷川清美さん)。その訃報をFacebookの連絡で知った娘の滝沢花野(はなの)さん。家出してからずっと音信不通だった実家に帰って来る。イングランド、サザーク・ロンドンのベッカムからアイルランドのケリー州へ。
知的障害の弟(森永友基氏)は楽しそうにトーストを焼いている。暴力しか能のない耳の遠い父親(髙山春夫氏)。
母親への酷い暴力を毎日のように見て育った滝沢花野さんはこの家を心底憎んでいた。心の拠り所だった真っ白な仔猫もある日無惨に始末されていた。生涯帰ることもなかった筈の家、そこには死んだ母親が当たり前のようにいる。

森永友基氏は「うんちょこちょこちょこぴー」で誰もが知るGO!皆川を連想させる。
髙山春夫氏はいつもこんな役。段々本当にそういう人間に見えてきた。
谷川清美さんはこの役を本当に嬉しそうに演っている。女優冥利に尽きる、と。
滝沢花野さんは秋野暢子の若い頃みたいで魅力的。母親への愛憎が自分自身を作り上げていったことへの苦悩。余りに世界があやふやで暴力でしか自分と他人を確かめられなくなってしまった。
母娘二人のシーンが鮮烈。打ちのめされる。月夜の墓穴。中原中也だ。

この作品は間違いなく価値のある作品、出演者制作陣は誇るべき。『夜は昼の母』よりもこっちが好き。演出の寺十吾氏には天野天街氏を感じた。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

廃墟で初めから誰もいなかったようなラスト。
リフレクション

リフレクション

レイジーボーンズ

小劇場 楽園(東京都)

2024/12/03 (火) ~ 2024/12/11 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

想像を遥かに超えて面白い。凄まじい才能が爆裂している。誰もが認める天才の集結。青山勝氏と狩野一馬氏のユニット、「レイジーボーンズ」はCOMPLEXを彷彿とさせる。(JACROW演出助手・野月敦氏もメンバーの一人)。脚本は中村ノブアキ氏の書き下ろし、ONEOR8の田村孝裕氏が演出。二人芝居とされていたが実質は音楽担当の宏菜さんも含めた三人芝居だった。
東京ドームでコンプを観に来た大観衆の前、突然現れたアイナ・ジ・エンドが最高のステージングで喝采を浴びるような舞台。天才は天才を知る。このシチュエーションで舞台二作目の新人がよく暴れ回れるものだ。末恐ろしい。宏菜さんはギターも巧く手が綺麗。
脚本も圧倒的。入れ子構造が互いのイニシアチブを奪い合い二転三転し続けるようなメタフィクション。このアイディアにもひれ伏す。
演技合戦としても面白く、玄人から素人から唸らされるだろう。終演後の物販では脚本が飛ぶように売れた。宏菜さんのCD直販もあり。「来年3月30日、王将を下った先の下北沢LOFTでワンマンがあるそうだ。」
メチャクチャ面白い。是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

lazybones=怠け者。

脚本家(青山勝氏)と小説家(狩野一馬氏)がTV局の会議室で落ち合う。青山氏はかつて小説を書いており、開いていた講座の門下生だったのが狩野氏。青山氏は小説を断念してTVの道へ、狩野氏は文学賞を総ナメしてベストセラー作家に。今では立場が逆転した二人、狩野氏の小説をTVドラマ用に脚本化するのが今回の青山氏の仕事。だが狩野氏は青山氏の脚本にどうも納得いってない。

劇団「道楽兄弟」は兄(青山勝氏)の脚本と弟(狩野一馬氏)の演出コンビでのし上がってきた。開幕直前だが今回の脚本が弟にはしっくり来ない。

どうも狩野一馬氏が西尾友樹氏とだぶる。役者としてのDNAが近いのでは?デ・ニーロVSアル・パチーノみたいにいつの日か演技合戦で戦って貰いたい。
ゴーギャンおやじ2

ゴーギャンおやじ2

グワィニャオン

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2024/11/27 (水) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

いかりや長介の声がする。「次、行ってみよ〜!!」

東福生駅、横田基地の街。そこで生まれ育った主人公(山口勝平氏)の一代記。破天荒な親父(西村太佑氏)、安保闘争で丸太ん棒をぶん回して機動隊と戦ったWILDなお袋(上高涼楓〈かみたかすずか〉さん)。貧乏だったが米軍ハウスで暮らした少年時代。(主人公の少年時代役は天野ユウ氏)。あの頃は誰もが『あしたのジョー』に憧れた。父が始めたボクシング・ジムでボクサーへと前のめりで走り出す。

PBB(パーフェクト・ビッグ・ボクシング)にPPP(パーフェクト・プリティ・プロレス)というネーミングセンス。挿入される新興女子プロレス団体のエピソードはつかこうへい風味。園山ひかりさんが凄く良かった。

「この街は軍用機の音でいつも話が遮られる。」
山口勝平氏がやたら格好良すぎる。サム・ペキンパーの苦味。人生って奴は栄光や夢へと駆け登る甘い子供向けのは第一部、序章に過ぎず、本篇は第二部からなんだ。転落して何もかも失って惨めに生き長らえる。誰もが去っていく。もう体面も糞もない。生活していかなくちゃ。払うものを払わなきゃ。

一番好きなシーンは郷里に戻り、かつて住んでいた米軍ハウスに寄ると今ではコーヒーショップになっている。店を経営し画家でもある青井はれる(松浦裕美子さん)との邂逅。ここのシークエンスがまさに映画。作家の込めたものが凝縮してある。

魚建氏の丹下段平も最高。
遠藤純一氏は佐村河内守に見えた。
日替わりゲストのインフルエンサー役、桜咲千依(おうさきちよ)さんも狂っていた。凄くリアル。

ガッチリした脚本、第二部は文学だ。次回は来年5月に朗読劇!勿論これも観たくなる。

ネタバレBOX

『あしたのジョー』(アニメ版)の主人公・矢吹丈は生きる目的、戦うモチベーションの全てであったライバル力石徹を試合で死なせてしまう。半年程放浪し何かに吹っ切れてもう一度ボクシングに帰って来る。そこから始まるのが『あしたのジョー2』。今作もそれに習い人生第二章の意味でこのタイトルを付けている。

ラスト、自分の脳裏に流れてくるのはやはりSION「通報されるくらいに」。

褒められたくて気にして欲しくて解って欲しいことが
見返したくて格好つけたいことが全部力をくれる
同じ景色に蹴躓いてまた無様にコケたとしても
笑われても相手にされなくても···それがどうした⁉
ほら通報されるくらいにYEAHぶっとばすぜ!!
青春にはまだはやい

青春にはまだはやい

プテラノドン

「劇」小劇場(東京都)

2024/11/26 (火) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

参った。今年はこの作家(笠浦静花さん)の年なのか。凄い脚本をごく当たり前のように仕上げてみせる。これが才能という奴か。多分このまま天下を取るだろうけれど、実はそんなもの何の興味も持たず更なる高みへと突き抜けそう。まだ誰も想像も及ばない新しい価値観の創造まで。ひれ伏す。
当日券もありそうなので行ける人は何とか行った方がいい。前売り4800円、高えなと思っていたが観終わると全然安い。アガリスクエンターテイメント系が好きな人には御馳走。とにかく脚本の組み立て方に感心、物語の構想に打ちのめされた。

大林宣彦 meets デスゲーム。過去のやり直しに取り憑かれた時間旅行SFの数々の名作を想起。藤子・F・不二雄風味でもある。キャスティングだけで既に勝利は決まっている。まさにタイトル通りの作品、ズバリと決めた。

NHK杯全国高校放送コンテスト、通称Nコン。1954年(昭和29年)にスタートしたものでアナウンサーを夢見る全国の放送部高校生達の甲子園的存在。2020年の第67回大会だけがコロナで中止になった。今作の主人公(桜木紗瑛さん)はまさにその夢を破られたコロナ直撃世代。謳歌する筈だった青春時代をずっと引きずって生きてきた。鬱屈し高校を中退して引きこもりニート。かつて民宿をやっていた田舎の婆ちゃん家に転がり込んだものの二十歳になって頼りの婆ちゃんも亡くなってしまう。誰もいないガランとした古い建物で自殺を思い詰める主人公。そこに天井から落ちてきた一冊の古ぼけたノート。表紙に「願いが叶うノート」と記されている。かつてこの民宿で定期的に行われていた全国の放送部合宿のものらしい。歴代それぞれの彼等の夢。希望に満ち溢れ夢を真っ直ぐに見つめる彼等の澄んだ言葉に憎悪をたぎらせた主人公は最後のページに呪詛を書き殴る。すると・・・!?

ネタバレBOX

冒頭、キャスティング頼みのネタにも思えたが全然違っていた。所謂『バトル・ロワイアル』『人狼ゲーム』のデスゲーム系のオープニングで全く別の着地点へと観客をいざなう。

作家は告げる。「“青春”とはその時感じる充実感などではなく、ずっと後になって振り返った時に沁みる感慨のことだ」と。

菅沼岳氏の小島よしおは面白い。確かにキチガイにしか見えない。
加納遥陽(はるひ)さんは平体まひろさん似。
志賀耕太郎氏は肺気胸の為、初日から3日4公演を宮地洸成(みやちひろなり)氏が代役。4日目から復帰。自分は復帰して2公演目を観劇したのだがメチャクチャ面白かった。笑い上戸でずっと妙にイヒイヒ笑いをこらえている。
渡邊りょう氏も最高。癖で髪の毛をすぐ弄る。
柿丸美智恵さん、瓜生和成氏の高校生は卑怯にも程がある。そりゃ笑うだろ。
水野小論さんのキャラもずば抜けている。一番観客の爆笑をかっさらった。もう何をすれば面白いのかDNAレヴェルで感知しているのだろう。全ての計算が正解。

自分の好み的には全共闘世代とかガチガチのアカとか政治ネタのキャラも欲しかった。(違う方向性の笑いだが)。

そして大内彩加(さいか)さん、ずっと気になっていたがこういう女優だったのか。性格女優でキツ目のキャラが行けそう。放送部滑舌ネタはキャラ的に噛む訳にいかないシーンなので見事だった。
2024年11月27日、谷賢一を訴えた裁判が裁定和解として終結。性犯罪の被害者として「勝利的和解」だと受け止めるとコメント。ただ「和解は仲直りではありません」。ハラスメントカウンセラーの資格を取った彼女は、演劇界に泣き寝入りの被害者を今後出さないよう発信していく、と。興味ある方は「大内彩加の雑記置き場」を検索して頂きたい。
脳-BRAIN-

脳-BRAIN-

大駱駝艦

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/11/28 (木) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

老齢の外人客が多かった。文化交流か何かか?結構真剣に見入ってた。伝統的宗教祭事を見守るように。対して日本人、左隣の老人はぐっすり。ウトウトするとかではなく開幕から睡眠。時折目覚めてぼんやり眺めまた眠る。その癖アンケートは妙に書き込んでいた。右隣の女性も何度も意識を失い舟を漕ぐ。毎度ここは不思議な空間だ。何かのカリキュラムに組み込まれているのか?

80年代のシンセバリバリのプログレみたいな曲やゲーセンでピュンピュン効果音が鳴っているようなBGM。ニューロン(脳の神経細胞)を飛び回る電気信号、出力装置であるシナプスを模しているのか。「ハー!」と掛け声を入れる。天井から吊るされた銀色のボールが十数本、てっぺんにはワイヤークラフトの花火のような装飾。鋳態(ちゅうたい=出演)の白装束の者達の全身に赤青黄緑白のワイヤーが血管のように貼り付いている。銀河の果てのような脳細胞の世界。丸めた新聞紙を嬉しそうに拾う面々。それを広げて読む。マシンガンの音、銃殺される者達。

両掌にライトを持ちホイッスルを首に下げた男。グローブを持った男。扇子を持った男(松田篤史氏)。設計図のようなものが書かれている大きな帳面を見ながら何かを確認する男(村松卓矢氏)。意識朦朧の王様のような男は麿赤兒氏。
ライト男がいろいろな人の所に行って光を当てる。照らされるとグローブ男はよっしゃと何かを掴み取る。そういう謎の動作が繰り返される。きっと何らかの意味があるのだろう。

無論面白いとか面白くないとかではなくそもそもが全くの理解不能。自分の脳がショートした。

ネタバレBOX

谷口舞さんが歌い出し突然始まるグロテスク・ニュー・ポップ(GNP)。作詞は麿赤兒氏、作曲は松田篤史氏と谷口舞さん。いつも思うがNHKの「みんなのうた」で流して欲しい。かなり潜在意識に刷り込まれたトラウマとなる気がする。

どうしてできたの どこへ行くのか
忙しいヤツだ おそろしいヤツだ BRAIN

全員寝そべり突如身を起こして一言ずつ発するコーナー。多分、「非連想ゲーム」なのだろう。全く関係しない言葉をその場でアドリブで発しているような。

全体的に曲が好みじゃない。強いリフを延々繰り返すようなのが欲しい。
鳥籠が鳥を探す・K

鳥籠が鳥を探す・K

演劇実験室◎万有引力

座・高円寺2(東京都)

2024/11/27 (水) ~ 2024/11/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

「二十億光年の孤独」谷川俊太郎

先日92歳で亡くなられた谷川俊太郎氏のこの詩から取られた劇団名『万有引力』。

鳥が鳥籠を探し求めているのか
鳥籠が鳥を探しているのか

開幕前、ニーノ・ロータ調のテーマ曲がエンドレスで流れている。時折チェコの首都プラハにあるフランツ・カフカの生家らしきモノクロの写真が明滅する。ヴァイオリン片手にふらりと現れた多治見智高ジーザス氏が舞台を開く。
1912年、オーストリア=ハンガリー帝国(現チェコ)で労働傷害保険局員の仕事の合間に小説を書いていたフランツ・カフカ(小林桂太氏)。フェリーツェ・バウアー(森ようこさん)と出逢い夢中になる。手紙魔だった彼は狂ったように手紙を送り、後に彼女が保管しているだけで500通以上もあった。一日二通送る程の狂熱。二人の共通の知人であるマックス・ブロート夫妻(加藤一馬氏、木下瑞穂さん)が相談に乗る。段々と彼の手紙に夢中になっていくフェリーツェ。カフカは書き始めた『変身』について綴っていく。

グレゴール・ザムザに髙田恵篤氏。だが彼は毛布を引っ被ってほぼ姿を見せようとしない。『エレファント・マン』のようなニュアンス。
父親に今村博氏、母親に伊野尾理枝さん、妹に山田桜子さん、女中に内山日奈加さん(久々の登場!)、雇い主に髙橋優太氏。

J•A•シーザー氏の楽曲の強さが全開。ド迫力で持っていかれる。前半の強さに圧倒された。役者達はまるで人形のように何かに操られているかの如く動く。時折、猿山の猿のようにも。人間を使った贅沢な人形ごっこ。
森ようこさんが光り輝いていた。
凄く面白いので是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

原作をガキの頃に読んだ筈なのだが、全く後半の展開を覚えていなかった。何かグレゴール・ザムザが拳銃自殺したような記憶。こんな話だったのか。序盤の手紙の遣り取りの調子が凄く良かったので『変身』のパートに停滞を感じた。個人的にはもっとカフカとフェリーツェの遣り取りを挟んで欲しかった。

熱烈に恋したカフカだったが、二度の婚約も破棄して結局は別れることに。結婚することによる創作への妨げを恐れたとされる。だが恋して昂揚している自分が好きだったんじゃないだろうか?昂揚する為に相手が必要だった。鳥籠が鳥籠である為に鳥を探すように。

※J•A•シーザー氏は自身の死と劇団の終焉を見据え、カフカの言葉に自らを託している。(カフカは40歳で肺結核で亡くなる)。終わりとはまた新たなる始まりであると。
たしかめようのない

たしかめようのない

ブルーエゴナク

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2024/11/26 (火) ~ 2024/11/28 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

同棲していた元彼(増田知就氏)との別れから精神を患い、引きこもった主人公(重実紗果さん)。家から一歩も出られずスマホだけを世界との接点とする日々。元彼を吹っ切ろうと部屋の内装や家具を変え、全てを過去に。後は元彼の置いていった荷物、段ボール箱に入ったそれを処分したい。親友(野村明里さん)が定期的に部屋に飲みに来る。主人公を苦しめるのは自分自身の妄想で、唯一の武器も同じく自分自身の妄想だ。

一度観たいなと気になっていた劇団。
役者陣はそれぞれ独特な味がある。何か不思議な空気感を醸し出す。野村明里さんは何となく坂井真紀っぽくて気になった。表情の変化が印象的。

村上春樹の文体に村上龍のエッセンスを振り掛けたような。テーマは『妄想』。主人公はすぐに何でもスマホで検索しようとする。スマホに表示される正しさ=不特定多数の集合知性。現実感のないもやもやとした真実はどうにも掴みようがない。会ったことも話したこともない誰かとネットで繋がっている時代。本当も嘘も妄想もふわふわ浮遊して漂っている。自分の自分自身だと捉えていた意識の境界線が曖昧になっていく。デマが流布され意見がコントロールされていく。自分が考えて選んだ筈の答は本当に自分が考えたものだったか?誰かのコントロール下に立っているのではないか?会ったこともない人間と出会い何も確かめられないまま別れた記憶。それすら初めから妄想だったのか?主観だけの世界をそれぞれの『妄想』で繋ぎ合わせて暮らしている。無理矢理辻褄を合わせる言い訳をまぶしストーリーの形にしていく。それも嘘だろう。

ネタバレBOX

荷物を取りに元彼は家に来るがトイレが変わったことに不満、荷物も持ち帰ろうとはしない。スマホで通話しながら家を出て駅前の裏通り、怪し気な饅頭屋で遊び心で注文してみる。渡されたのは何かの薬物だろうか?売人でないことに気付いた店の男(加茂慶太郎氏)に殴り倒され引きずられていく元彼。偶然その場に通り掛かった親友。彼女をごまかすためにでまかせでファミリーマートの店長だと嘘をつく。親友はそのファミマで最近までバイトしていたので逆にその嘘に食い付く。店の男は仕方なく適当に話を合わせる。スマホから聴こえる音で事件に巻き込まれたことを知った主人公は元彼を探すために到頭家の外に出る。
3年後、社会復帰している主人公。元彼はあれから見付からずどこかに監禁されているようだ。何故かそのままウミヘビになってしまった。親友と店の男は今では付き合っていてドライブしている。だがそんな男、実はそもそも存在していないことを知っている。海岸をずっと歩き続けた主人公は早朝漁師相手の店で海鮮丼を御馳走になる。家に帰ると親友は眠っていた。(アフタートークで作家が交通事故死の話をしていたがよく判らなかった)。

うさぎストライプの『あたらしい朝』や阿佐ヶ谷スパイダースの『ジャイアンツ』などこの系の演劇は多い。やはり記憶と妄想の中を彷徨っていく物語。それだけに今作のスタンスは中途半端に感じた。例えば押井守の作品はほぼ全て「果たしてこの世界は本当にオリジナルだろうか?仮想空間でないと誰が言える?」がテーマ。だが毎回話がそこ止まりなのが気に食わない。この世界が作り物だとしてそれを押井守がどう受け止めるのかが語られていない。今作に感じるのもそれと同じで「皆妄想をぶつけ合って手探りで生きている」止まり。まあその通りだろう。そこからもう一歩踏み込んで欲しかった。
つきかげ

つきかげ

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/11/07 (木) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

前篇の『白き山』が斎藤茂吉と二人の息子、一人の弟子との四重奏。後篇である今作は斎藤茂吉と、文学史的には無視された妻と二人の娘との四重奏。見事なアンサンブル。個人的には今作の方が好み。前作が黒澤明なら今作は小津安二郎の世界に挑戦する作家の新境地。だがやはり我慢ならない、本性が出てしまう。達観した死生観では終われない。命ある限り生きて生きて生きまくってこそが生物だ!と黒澤明になってしまう。侘び寂びで慎ましくお茶を啜ってはいられない。醜さこそが同時に人間の美しさであると、人間のその浅ましさこそが生命の本質なんだと。

上手に洋間、下手に和室、真ん中に火鉢。斎藤茂吉(緒方晋氏)は脳出血で倒れ歩くこともおぼつかない。意識がぼやけてくる。創作に集中出来ない。記憶の混乱。全ては老いだ。老いてしまった。やりたい事やらねばならぬ事が山程あった筈なのにそれが何だったのかすら思い出せない。

素晴らしいのは文学史的には意味のない、妻である斎藤輝子(音無美紀子さん)、長女・宮尾百子(帯金ゆかりさん)、次女・斎藤昌子(宇野愛海〈なるみ〉さん)の存在こそをメインに据えた視点。各人それぞれに見せ場はあり、光の当たった人々だけが存在した訳ではないことを強く主張する。

音無美紀子さんは見事としか言いようがない。確かに間違いなくここに生きて在る。金の取れる女優。
驚いたのが宇野愛海(なるみ)さん。メイクもあるのだろうが原節子や轟夕起子を思わせる戦後日本映画のヒロインの貫禄。凄いのが出て来たな、と思ったら既に二作自分は観ていたらしい。しかも元エビ中のバリバリのアイドル出。心底驚いた。この娘は今後ヤバイ。
帯金ゆかりさんの体現する現実感も重厚。生きて在ることのそのリアル。その手触りを感じられた時、共感の度合いがぐっと上がる。

そして緒方晋氏の立つ境地。弱って駄目になった自分のありのままを見てくれ。これが今の俺だ。失望しようが落胆しようが構わない。これが今の老いた俺の姿だ。

浄土宗の開祖である法然が詠んだ和歌、宗歌ともされている。
「月影の 至らぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞ住む」                      
月光は全てを照らしてくれているのに受け手側がそれに気付かなければ届かないのと同じこと。どうか気付いてくれ。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

この作品を村井國夫・音無美紀子夫妻で構想した作家の怖ろしさ。確かに観てみたくはある。

書棚がちょっと古書すぎる気がする。逆に当時ならもっと新しい方がリアルでは。
斎藤茂吉の日記帳、手書きで全ページ、ギッチリ文章が記されている。美術を担当した人間の狂気。細部にこそ神が宿る。こりゃ役者も負けてらんねえな、と気合いが入る訳だ。凄いね。

1933年11月銀座ダンスホールの教師(今のホストのようなもの)・田村一男(24)が検挙される。彼目当てに通い詰める常連の有閑マダム達を手玉に取り金を貢がせ情事に耽けっていたのだ。当時はまだ姦通罪がある時代、新聞雑誌は大々的に書き立てた。彼の相手は華族である伯爵夫人など錚々たる顔ぶれ。その中の一人が「青山某病院長医学博士夫人」こと斎藤輝子。(本人は情事を否定)。激怒した斎藤茂吉は婿養子として入った脳病院を辞め、離縁する意思を示したが周囲の説得により何とか思いとどまる。輝子を弟の家に預け、その後12年間別居状態に。
だがその翌年、52歳の斎藤茂吉は24歳の永井ふさ子と歌会で出逢う。以前より短歌の通信指導をしていたのだが上京した彼女の美貌に一遍で心を奪われてしまった。歌人の師弟の立場を越え熱烈に恋し、秘めた愛人関係に陥る二人。1936年1月18日から1937年暮れまでのSUBROSA(秘密)。周囲の門人達は知っていただろう。(1944年まで会っていた)。
1963年、永井ふさ子は斎藤茂吉の死後十年を待ち『小説中央公論』にて手紙80通を公表。世間の知ることとなる。

ちなみに斎藤輝子は茂吉の死後、65歳から97回海外渡航に。79歳で南極大陸に立ち、81歳でエベレスト登山、85歳でガラパゴス島、89歳で亡くなるまで108ヶ国を訪問。

欲望のパワーが桁違いの一族。『楡家の人びと』が読みたくなる。
慟哭のリア

慟哭のリア

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2024/11/01 (金) ~ 2024/11/09 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

狂った風車(かざぐるま)。明治34年(1901年)、北九州の炭鉱町にある屋敷。日清戦争に勝利するもすぐに日露戦争が始まるであろう空気が列島に立ち込めている。時代の宿業。逃れられない流れ。戦争が起きることが必然ならば、せめて勝つべきだ。日本は勝利しなければならない。勝ち続けなければならない。何処までもいつまでも。全てを投げうって尽くすべきだろう。全てを。全てを。

筑豊炭田の炭鉱主の一人、岩崎加根子さん。劇団俳優座の俳優座劇場70年のラストを飾る92歳の主演女優。足腰も台詞回しも全てにおいて現役。これが女優だ。彼女が演るリア王こそ終焉に相応しい。劇団に足を踏み入れた15歳の少女が77年掛けて演劇史上最高齢のリア王になった。
もう一人の主人公とでも言うべき、長男の斉藤淳氏。片脚が不自由でいつでも杖をつく。心優しき妻(瑞木和加子さん)と花を愛す。
出来の悪い粗暴な次男は田中孝宗氏、放蕩の限りを尽くす。夫を憎むその邪悪な妻に荒木真有美さん。
東京の大学に学び社会主義的な思想に傾倒する三男、野々山貴之氏。

岩崎加根子さんに付き従う数十年来の使用人、森一氏。物語の善性。
そして『オセロー』のイアーゴーというよりも『天保十二年のシェイクスピア』の佐渡の三世次を思わせる渡辺聡氏。綾野剛が邪悪な本性だけで歳を食ったらこんなふうになりそう。怪優・上田吉二郎っぽくもあって物語を邪悪に塗り潰す。

影登炭鉱周辺の貧民窟は鉱害で苦しむ。鉱毒ガスや酸性雨により草木は枯れ土砂災害で崩落。川に流れた鉱毒で水は汚染され作物は育たず病が蔓延する。長年粉塵を吸った労働者は肺病に冒され生涯苦しみ続ける。盲目の乞食の集団が呪詛を呟きながら物乞いの行脚。とても人間とは思えない臭気。恨みと呪いと憎しみとそれを反転させた笑顔。そして狂った風車。

首都テヘランを空爆されたイランがイスラエルに報復を宣言。「決定的な報いを受けると知るべきだ」。ずっとおんなじような話がループしている人間の歴史。
「地獄に行くのではなく、地獄の方からこっちに来てくれるそうだ。」
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

屋台崩しがないのが逆に驚いた。
脚本的にはいろいろと不満はある。けれど作家の捕らえようとしている“今”を感ぜしめる。遠い何処かの架空の物語ではなく、“今”ここの話なのだ。

『リア王』といえば黒澤明の『乱』なわけでこの作品は何度も観ている。TVの画面で観ていると傑作に思えるのだが、でかいスクリーンで観ると凡作に思える。晩年の黒澤明は色使いがチープで絵がスカスカ。モノクロで三船敏郎で撮るべきだった。
息子達に裏切られ全てを失った絶望で気がふれ荒野を彷徨う仲代達矢。この世には神も仏もないものか?人の世に人の心などないものか?あばら家に宿を借り、人の優しさに触れ少し正気を取り戻す。だがそこに暮らす盲目の少年(野村萬斎)はかつて自分が滅ぼした城主の嫡男で、殺す代わりに目を潰させたのも自分であった。俺自身がやったことの報いを受けているのだ。俺は何の落ち度もない可哀想な被害者ではなく、これは自らが招いた当然の報いであった。それを思い知った仲代達矢はもう誰も責められない。逃げ場はない。荒野に走り出す。

そんなシーンが観たかった。

※渡辺聡氏の最期は山田風太郎『忍法忠臣蔵』の毛利小平太が元ネタだろう。
式 三部作 第二話「追悼式-まほろ汽船 サンバード号 編-」

式 三部作 第二話「追悼式-まほろ汽船 サンバード号 編-」

studio salt

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2024/10/31 (木) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

2009年10月、まほろ汽船サンバード号が謎の沈没事故を遂げる。15年後の今も引き揚げられることもなく、事故原因も謎のまま。遺族達が集まる追悼式典の会場。
開演前からピアノを弾き続ける根本修幣氏(a.k.a.堂本修一氏)。式典運営の責任者・仲尾玲二氏。
まほろ汽船の社長未亡人・服部妙子さん。
推しの曲の演奏をリクエストする大図愛さん。

全ては厳かに始まり被害者の生前の記憶を思い起こす慰霊の集いの筈だった。
なかなか変わったニュアンスの世界観。
今日の朝食、誰と何を食べましたか?
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

そこに突然刃物で岩﨑理那さんを人質に取った山ノ井史(ふひと)氏が乱入して来る。事故原因を公開しろ、と。
亡くなった筈の船長を名乗る浅生礼史氏がふらりと現れる。
いつしか追悼式と事故当日の船内の様子が重なって語られていく。
もう少し生死の淡い境目を漂うような感傷的な物語の方が自分は好み。

セウォル号沈没事故と日本航空123便墜落事故を足したような設定。経済アナリストの森永卓郎氏は現在末期癌との闘病中。長年日本のメディア業界でタブーとされてきたことを書く肚を決めた。①ジャニーズ事務所②財務省の宗教的メカニズム③日本航空123便墜落事故の真相。
かねてから陰謀論が囁かれ続けてきた日航機墜落事故。自衛隊が訓練中に発射した模擬弾か無人標的機が垂直尾翼に激突、その証拠を隠滅する為に救助が大幅に遅れたと言われている。18時56分に墜落し、現場にすぐに(19時15分)到着した米軍輸送機が救助に入ろうとすると横田基地からの帰還命令。自衛隊の救助開始が翌朝8時半。何故救助を遅らせたのかが最大の謎であると。
(但し元海上自衛官・林祐氏はこれ等の陰謀論を明確に否定)。
歌っておくれよ、マウンテン

歌っておくれよ、マウンテン

優しい劇団

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/10/26 (土) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

主宰・演出を兼ねた尾﨑優人(ゆうと)氏がずっと前説し続けている。凄いエネルギーだ。まずそこにビビってたじろぐ。喋り口と才人振りがマッスル坂井を彷彿とさせる。臨機応変なアドリブ力、ふてぶてしさ。何か多摩川の河川敷で無料で公演を打っているのを知って気になった。「只でいいから観てくれ」ってのは随分な自信。只券貰っても行きたくない演劇が溢れている中、一度観たいと思った。

スタイルは古典的。早口で捲し立てるスピード重視。鴻上尚史とか野田秀樹とか沈黙恐怖症の詐欺師のセールスみたいに空白を一切許さない口上。狂ったように膨大な台詞が客席に乱射される。力技で二人姉妹が失くした歌を歌ってくれる山へと旅に出るオープニング。姉の千賀桃子さん、妹の小野寺マリーさん。

特筆すべきは池田豊氏のパワーマイム(講談)。柳生十兵衛(宮﨑奨英氏)が父・但馬守と袂を分かち、刺客として放たれた裏柳生六人菩薩に襲われる。毒蕎麦の円太夫によって窮地に陥ったその時、かつて彼等を裏切った男、風の弦之介が十兵衛を守る為に独り死地に赴く。一人で演るここの場面が凄まじい。神田伯山だよなあ。(令和の柳沢慎吾とも言える)。
漫☆画太郎の『珍遊記』のようにもうこの話をメインにしても良かった。

一番心に響いた台詞は「寂しさから人は家族を作る。それが人類の歴史ならば“寂しさ”もこの世に必要不可欠な気持ちなんだな。」

客層は出来上がっている。どんどんどんどん皆観に来ることだろう。早目に押さえておいて損はない。尾﨑優人氏は一廉の人物。是非チェックして頂きたい。

ネタバレBOX

尾﨑優人氏のFavoriteと語る劇団唐組『ビニールの城』2019年、2021年公演をどちらとも自分も観ていた。妙に嬉しい。

天井天下異聞奇譚

天井天下異聞奇譚

吉野翼企画

赤坂サカス広場 特設紫テント(東京都)

2024/10/26 (土) ~ 2024/10/26 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

客入れに二條正士氏!豪華だ。紫テントは凄く快適で観易かった。テント芝居は腰の痛みで途中から帰ることしか考えられなくなるので足が遠のいてしまったが、これならまた行ける。

『AGAIN〈オール・ザッツ・ニッカツ・シネマ〉』を思わせる。これは日活のアクション映画の総集編、名場面集なのだが、年老いた殺し屋宍戸錠がかつての日活アクション映画の中を彷徨い歩くもの。
アングラ芝居を観に客席に座って開演を待っていた男(吉原シュートさん)。そこに現れた男(高田那由他氏)がその席は俺のだと因縁をつけてくる。御存知寺山修司の『観客席』から開幕。いろんな客席に潜んでいた役者達が吉原さんを舞台の上に引きずり上げる。「やめてくれ!僕はこの劇を観に来ただけなんだ!」『青ひげ公の城』のように虚構世界に投げ込まれた主人公の地獄巡り。昔スタンリー・キューブリックの映画を中原昌也が「時空間を超えて各世界の主人公がただ悲惨な目に遭う映画」と評した。同じく今作もアングラ演劇の虚構空間で訳の解らない散々な目に遭う一観客の悲劇。寺山修司、岸田理生、高取英、昭和精吾。観るだけでもキツイのにこれを演らされるなんて・・・。

舞台上を歩いていたら『糸地獄』の冒頭シーン。吉原さんに台詞が投げ掛けられていく。おどおどまごまご。袖から本来の主人公・小寺絢(あや)さんが飛び蹴りして吹っ飛ばす。「これは私の役だよ!」
『吸血鬼』毒子役の藤田怜さんが目を引く美人。身長が高いのでどの場面でも目立つ。
内海詩野さんの声は武器、今作に絶対に必要なパーツ。
『恋 其之弐』中村天誅氏の帰還兵は絵になる。
ふと通り掛かる黒蜥蜴役の葛(かつら)たか喜代さんも印象的。
『アメリカよ』越前屋由隆氏の独白。ポルノ映画館の便所に逃げ込んだ追われる強姦魔。大久保鷹氏ヴァージョンを観たことがある。
作家は『身毒丸』に思い入れがあるのだろう。
楽曲提供のユニットは「みづうみ」(ギター&歌・那須寛史氏/ピアノ&歌・秋桜子さん )。これが良い曲ばかり。LIVEに行きたくなった。

客席の若い娘達が目を輝かせて楽しんでいた。寺山修司、アングラ、テント芝居・・・。間口が広いのできっかけとして良いイベントだと思う。帰り道の老人達も口々に「楽しかった」と。

ネタバレBOX

自分は全然アングラ演劇に造詣がないので昭和精吾氏がよく判らない。高取英氏も殆ど観てない。岸田理生さんもほんの少し。寺山修司氏でさえも何となく。まあこの筋の素人が森ようこさん見たさに無理して顔を出したテイ。でも観ると結構知っていた。いつの間にかに教育されていたのだな。「ああ、また暗転か・・・。」

森ようこさんの出番がもっと欲しいところ。イルゼ・コッホやイルマ・グレーゼから生み出されたナチスの女収容所長イルザを思わせる役どころ。

※紫テントといえば話題は新宿梁山泊『ジャガーの眼』。唐十郎最後の弟子を自認する丸山厚人(あつんど)氏の酷評ポストから荒れに荒れたX。元高校教師演劇部顧問の賛同から唐十郎イズムとは何か?で揉めに揉める。怒り狂う水嶋カンナさん、紅日毬子さん。だがそれこそ唐十郎の凄さなんだろうとも思う。お前等に本当の彼の凄さは分からない!と叫ばせる純情、その情念。逆に外野は唐十郎への興味が増した。(そもそも自分は唐十郎にも『ジャガーの眼』にも何の思い入れもない)。六平直政氏まで出て来るとは。
でもこれも正しい革命演劇の一つの在り方だと思う。(自分が当事者だったら怒り狂うと思うが)。黙って観ているだけの客を焚き付けるアジテートなんだから揉めて当然。ボロクソに叩く程の熱意すら今の観客は持ち合わせちゃいない。「つまらないから早く終わってくれ」位なもの。この後、飯を何食うかぐらいしか考えちゃいない。そもそもまともに観てさえいない。何も演劇に求めてなどいない。演劇がただの消費嗜好品になった現在、この話題で真剣になれるのは希有。全員Respect。水嶋カンナさんに更にRespect。

※いや、まだ揉めてんのか・・・。
こもれびラジオ

こもれびラジオ

劇団BLUESTAXI

テアトルBONBON(東京都)

2024/10/22 (火) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

(Aキャスト)

東京から少し離れた地域にある架空の町、峰原市。閉鎖した印刷工場を改装してカフェを作り、更にその一角にブースを置いてコミュニティFMラジオ局の放送を行なっている。「こもれびラジオ」は鈴木絵里加さんが局長。場所を提供しているカフェのオーナー・小野健一氏と山口祐子さん夫妻。補助金を負担している市役所の市民自治推進課の担当・鯵坂(あじさか)万智子さん。ヘビーリスナーである菅原琴さんがスタッフ採用の面接に来ている。現役スタッフの木野雄大氏と高根沢裕貴さん。カフェ常連のお喋り好きな介護士・杉山さや香さん。朗読の番組を持つ町内の古本屋の主人・大谷朗氏。

鈴木絵里加さんは多才。いろいろ細かいネタを仕込んでくる。
菅原琴さんは何か男にもてそうな雰囲気がある。歌手でLIVE活動もしているそうだ。
お笑い芸人役の松野翔子さんは松田聖子ライクな昭和アイドルをブースでずっと無音で演っているシーンが強烈。
小野健一氏はひたすら弄られて周囲に柔らかな笑いを提供。何とも掴みようのない憎めない男を好演。
ブースに入った大谷朗氏の語る想い出が映像となって舞台上に見えてくる時こそラジオから魔法がかけられる瞬間。

是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

市長からラジオ局の梃入れを要求され東京からやって来る水野里香さん。実は彼女はこの町出身でカフェ・オーナー夫妻とは知らぬ仲ではなかった。

鈴木絵里加さんは挙動不審なコミュ障キャラで決める。クライマックス、もうどうしたらいいか分からなくなったが逃げ場を失くし追い詰められた弱者が吐き出す本音。ずっとラジオにしがみついて生きてきた自分。こんな孤独な惨めな自分に話し掛けてくれるのはラジオのDJだけ。あんたの声だけを頼りに生きてきたんだ。さあこれを聴く世界中のたった独りの為にお前の想いを込める時が来た。お前の想いは必ず伝わる。だから全てを信じて吐き出せ。それがラジオだ。
Silent Sky

Silent Sky

アン・ラト(unrato)

俳優座劇場(東京都)

2024/10/18 (金) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

『unrato#10 三人姉妹』も『unrato#11 月の岬』も素晴らしかった。(『月の岬』は席が悪かったのでもっと良い環境で観たかった)。更に今作は朝海ひかるさんが主演。いつもながらキャスティングが絶品。場内を埋める年季の入ったコム・ファン。周囲では「こんな老後になるなんて」と、同じ境遇の者達が全国公演を追っていった話に花を咲かせる。ヅカファンの背負ったカルマは殉教者並みだ。

このラインナップに高橋由美子さんが不思議だったがメチャクチャ良かった。むしろ彼女でなければいけない位。貫禄の保坂知寿さん。竹下景子さんはここ数年で一番輝いて見えた。やはり素晴らしい作品に参加している時の女優が一番生き生きしている。このレヴェルで演れる誉れ。幾ら実力があっても発揮出来る場がなければどうしようもない。松島庄汰氏は松坂桃李に見えた。朝海ひかるさんは男っ気のない仏頂面が八代亜紀っぽくもある。そしてこの作品の持つ気品。『博士と彼女のセオリー』なんかを思い出した。通路を贅沢に使って演劇空間を客席まで広げる。朝海ひかるさんは通路を歩く姿がいつも絵になる。

牧師の娘、ヘンリエッタ・スワン・レヴィット(朝海ひかるさん)はマサチューセッツ州にあるハーバード大学と提携した女子大学で学び、ハーバード大卒と同等の資格を得て卒業。だが髄膜炎により聴覚に障害を負う。1893年エドワード・ピッカリング率いるハーバード大学天文台に職を得て毎日の天体写真を解析しデータを整理する作業に。ピッカリングは分光器の付いた望遠鏡で天体撮影する技術を開発し、宇宙を知る為に膨大なデータを集めていた。職場の上司に恒星の分類法を確立した天才アニー・ジャンプ・キャノン(保坂知寿さん)、家政婦から天文学者にのし上がったウィリアミーナ・フレミング(竹下景子さん)。レヴィットは単調な作業の中、膨大なデータからある法則を読み取る。

死ぬ程面白い。今作をどうしてもやりたかった製作陣の気持ちが伝わる。世界は変わるかも知れないよ。貴方のほんの少しの気付きで。
ちょっと、一分、一世紀。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

高橋由美子さん演ずる妹の奏でるピアノ、そのメロディに抱かれながら心地良く自分の研究データを眺める朝海ひかるさん。ハッとする。「音楽だ!」神様は長い間自分にあるメロディを伝えようとしておられた。これは音楽だ!これで解った。この世界のメロディが!最高の名シーン。

明るい変光星(明るさが変化する星)程、変光周期は長くなる。(周期光度関係)。セファイド(脈動)型変光星は周期的に明るさが変化するタイプの変光星。変光の周期からその星の絶対等級(本来持つ明るさ)を決定することが出来る。絶対等級が特定出来れば見かけの明るさとの差によってそこまでの距離を特定出来る。セファイド型変光星の変光周期と平均光度との間で成り立つ関係を「レヴィット(リービット)の法則」と呼ぶ。この発見は遠く離れた系外銀河までの距離を測るための、史上初の標準光源と認められた。宇宙の距離梯子(地球から見える星までの距離測定方法)として画期的なものとなった。彼女の発見を使って数々の宇宙の謎が解けていく。
ドクターズジレンマ

ドクターズジレンマ

せんがわ劇場

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/10/18 (金) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ジレンマとはどちらも選択肢を選べない板挟みの状態のこと。今作では結核の名医(佐藤誓氏)が邪悪な天才芸術家の夫(石川湖太朗氏)を救うよう美しい妻(大井川皐月さん)に懇願される状況。この心美しい女性の頼みを聞いてやりたいが、夫はクズ中のクズ、死なせた方が良い。でも奴の描く絵は天才的、彼の絵に夢中になってしまう自分がいる。

客席三面でステージを囲む。役者は最強の布陣。これだけの本物をよくキャスティングできたな、と政治的手腕に感心。ここまで名優集めに集めたら凝視する以外に手はない。凄いレヴェルでの対決。
石川湖太朗氏はやるじゃねえか。「芸術に現実生活以上の価値はあるのか?」「いやあるんだよ、そうでなければ人間の存在に意味などない!」
昔、今村昌平の助監に付いていた人が言っていた。「あの人は映画製作以上に価値があるものはこの世にないと本気で信じている。良い映画を作る為にお前等が犠牲になるのは当然なことだと。」常軌を逸したエピソードの羅列にゾッとした。キチガイじゃん。でもそれに興奮する自分もいた。
今作がファム・ファタール、大井川皐月さんの代表作になるだろう。(表情が時折、菅野美穂に見えた)。

個人的MVPは山口雅義氏。場内を爆笑の渦に叩き込む。
是非観に行って頂きたい。普通じゃこのランクの役者は揃わない。

ネタバレBOX

1796年、エドワード・ジェンナーが牛痘(牛の天然痘)から膿を精製して作った種痘を人が接種すると天然痘に罹らないことを発見。これが世界初のワクチンとなった。少量の毒を自ら体内に保持することで強き毒から身を守るという新しい発想。

1906年の今作発表の段階では結核はまだ完全に治療が可能な病気ではなかった。(1943年ストレプトマイシンの発見まで待たなくてはならない)。主人公が画期的な治療法を発明したとするフィクションである。

佐藤誓氏=ワクチンを免疫力が上がるサイクルに投与すると回復に至り、下がるサイクルに投与すると死に至ることを研究。各個人の免疫のサイクルを知らないとそれは毒にも薬にも成りうる。
髙山春夫氏=もう引退した身であるが、誰の医学的発見も既に過去に誰かが見付けたものの模倣に過ぎないと冷ややか。
清水明彦氏=貪食(どんしょく)細胞こそが病原体を食い尽くしてくれる医療の根本だと信じている。全ての医療は貪食細胞の援護であると。
山口雅義氏=この世の全ての病気は敗血症であると固く信じている。病原菌が溜まった核嚢(かくのう)?を手術で切除すれば皆が健康になると。
※口蓋垂(のどちんこ)を除去する手術(全く何の意味もない)で大金を儲けた当時の医師に対する皮肉らしい。
内田龍磨氏=ユダヤ人医師というだけで意味ありげ。欧州のユダヤ人という十字架は日本人には想像もつかないものなのだろう。
佐藤滋氏=『名もなく貧しく美しく』を地で行くプロレタリアート医師。
石川湖太朗氏=三四郎の相田をナルシシスティックに酔わせて大倉忠義ライクにした感じ。往年の石田純一風味の着こなしが判り易い。第二幕の爆発は彼によるもの。人間のクズがその生き様に揺るぎがない為に、逆に周りの連中の理性が揺らいでいく。メタ・ギャグを観客に言うシーンは沸いた。(元々戯曲にある台詞らしい)。

バーナード・ショーの今作に込めた皮肉は医療業界に対しての非難だそうだ。医師達の虚栄心と高額な報酬を払える患者だけを求める傲慢な私利私欲。医師としての崇高な社会的使命、啓蒙思想を見失ってしまった現実。
穏やかな社会主義を標榜するフェビアン協会にて政治活動、大学設立を為した彼はこの社会の最大の問題は構造的な貧富の格差にあると主張した。

最後まで何の話だか分からない。戯曲の意図も伝わり辛く、演出の意図もどうもハッキリしない。そこが狙いなのかも知れないが、「芸術も等しく糞だ!」で良かったんじゃないか。

※呼び鈴が鳴って来客が入って来る通路が毎回違うというギャグは面白かった。第二幕のアトリエの舞台美術は美しかった。
おまえの血は汚れているか

おまえの血は汚れているか

鵺的(ぬえてき)

ザ・スズナリ(東京都)

2024/10/18 (金) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

凄い空間に立ち会える喜び。最高級の役者陣が圧倒的な世界を体感させる場。ここに今居れることの幸運を噛み締める観客達。

古い日本家屋の居間。家の無職の兄(谷仲恵輔氏)は座布団を叩き付けると横に転がって昼寝。妹である中村栄美子さんが起こして追い払う。今日は入り婿に入った旦那(浜谷康幸氏)の家族会議。旦那の呼び集めた親族達が続々とやって来る。三十年振りに顔を合わせる兄弟達。勝手口の軒下の庇に頭をぶつけて流血している今井勝法氏がまず登場。派遣で食いつなぐ労務者だ。集められた疑心暗鬼の面々がこの場の真意を無言で探り合う。

今井勝法氏(この人は演出の寺十吾氏の分身なんだと思う)と谷仲恵輔氏の対決はもう『サンダ対ガイラ』。完全にイカれたキチガイの取っ組み合いが延々と続く。この二人さえ見られればあとの話はどうだってよくなる程の破壊力。これぞ『ジョーカー』日本版に相応しい、無用のプライドだけを持て余した“無敵の人”。この二人をメインにスピン・オフを作るべきだ。はっきり言って作家の訴えたい事なんてみんな霧散、この「モンスター・ヴァース」に取って食われた。

是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

金の話になった為、一足先に帰っていく今井勝法氏。それ以降、かなり場がパワーダウン。谷仲恵輔氏の独壇場となるが更に彼が去るととてつもなく空虚な空間に。そこに残された浜谷康幸氏と中村栄美子さん夫婦。何という侘しさ。いたたまれない。

西原誠吾氏の奥さんとして堤千穂さんが付いてくるのだが、彼女は作品を観る度に器がデカくなっているように感じる。まるで全てを食い尽くすクリッターのようだ。

途中、階下からギターの音が漏れてくる時間が結構あったのが残念。無音の芝居が狙いだっただけに。

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