ファジー「ours」
TeXi’s
STスポット(神奈川県)
2024/08/21 (水) ~ 2024/08/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
第一印象は何を伝えたいのか といったテーマや世界観の暈け 解り難さが手強い。かと言って見巧者向けとも違うような。自分の感性が問われるような感じがする。なお トリガーアラートは、それほど気にならなかった。
説明では、男女二元論が生み出している「加害性」について考える1年間のプロジェクトで、リクリエーションを重ねながら三つの上演作品を発表する。本「OURS」は その二作目、女性(役者は全員女優)も背負っている加害性を表面化し加害性を生み出している社会構造を描くとある。にもかかわらず、劇中で「僕は」「俺は」等 性別に関係なく自分を表していると説明。男女は対立する存在なのか、それを意識させるものが分からないため、肝心の加害性が浮き彫りにならない。現代的に言えばジェンダー論を紐解く内容だろうか。
受付でネタバレに係る紙が用意されているが、読むのは 観劇前でも後でも関係ないように思える。それは 物語をどのように観せ伝えるかに苦慮した末のヒントのようなもの。二つのレイヤーを錯綜させ、物語を敢えて曖昧にさせているように思えた。つまり登場する人物に担わせた役割ー個性の ぶつかり合い と 何をしているのかといった作業を見せている。その二つのレイヤーは、スクラップ&ビルドといったことを連想させる。
何より 戸惑うのが舞台美術。タイトルにあるファジーという浮遊感あるものだが、同時に<死>といった重みを感じる。劇団の特徴として、異なる視点を持つ人間同士の対立や堂々巡りのフラストレーションをうず高く積み上げることで、ストレスフルだが、ワンダフルな作品を生み出すとあるが…う~ん。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、白く塗った平板で大きさが異なる立方体を作り それを4つ置く。周りの壁もオフホワイトで、そこにカラフルな紗幕のような飾り。天井にはミラーボール、ふわふわボールの束、床には おもちゃ や衣装掛け等 雑多であるが、全体的に浮遊感ある空間を演出している。かと思えば、幾本かのコーンバー、上演前から工事現場を思わす破砕音。登場するのは5人、デザインは違うが全員が黒色彩の衣装・靴で統一している。壁際の演技を見ていると鯨幕(死)を連想してしまう。人物の背景・関係性や場所等の設定や世界観を敢えて明確にしていない。それによって 誰もが持つ「加害性」を一般化して描こうとしているようだ。客席はL字型。
複数レイヤーの表現、その同時進行的に発する台詞は、物語の多面性の表れか。舞台は 集中してどう観せるかが重要だが、 現実には、同時多発的に物事は進行している。受付時に貰ったネタバレには、登場する人物が担った役割が記されている。しかし それを意識して観ても 物語の展開や世界観は、容易には理解できないのでは?担わされた役割は、「わかりにくさ」「怒り」「曖昧さ」「苛立ち」「無邪気」ということらしいが…。
終盤になって、音響等も含め「家の解体」の作業、そこの作業員の様子といったことが おぼろげながら分かってくる。立方体は部屋を表し、平板の留め具を外し 解体していく。そう言えば劇中で「休憩にしますか」といった言葉があり、役者が素に戻ったような雰囲気がある。そして家を思わせる家族の諸々の光景ー食事場面等 伏線が鏤められていたことに気付く。それでも宇宙云々といった台詞が飛び出し、混乱・混沌とした世界を持ち込む手ごわさ。
家の解体は 家族の崩壊、もっと言えば自分自身も壊れ 感情のコントロールが出来なくなっていることを表している。深読みすれば 5人に担わせた役割は、実は1人の人間が持っている多面的なこと。そして追い詰められた心は現実逃避するかのように空想の世界へ、それが宇宙の話に繋がるのでは と勝手に解釈。
ラストシーン、逆さにした椅子の脚の中にクマのぬいぐるみが閉じ込められている。それは自分(心)を自縄自縛していること、同時に社会の閉塞感と不寛容さを表しているかのよう。それでも家の解体に待ったをかけることで、救いと希望(再生・再構築)が…。
次回公演も楽しみにしております。
ゴシック
風雷紡
小劇場 楽園(東京都)
2024/08/14 (水) ~ 2024/08/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
冒頭から 物語へ集中させる雰囲気作りや関心を高める工夫、見応え十分。明治時代の長野県、そこの旧家を舞台にした悍ましい伝承物語。当日パンフに家系図が記載されており、登場する人間関係(立場)を明確にしている。時代背景と土地柄、そして本家・分家という家(家長)制度を絡め、人間の欲望 その深淵を描いている。
「姥捨て」する迄を前半、「御山入り」で自分の欲望と向き合うことを後半とすれば、その展開と観せ方も秀逸。隠された事実、それを解き明かすように七曲り先の六道(りくどう)、人々の欲望が剝き出しになって浮き上がる。各人の欲望に応じてテンポよく場面転換し、欲望の鏡合わせのような存在が繭(吉水雪乃サン)、その妖しい演技が印象的だ。
ちなみに舞台壁、前半と後半とで荒い岩肌から洞窟の中といった変化をみせ それが鈍く妖しく輝いているようだが、これにも伏線が仕込まれており巧い。
物語には、この家系とは別の人物を登場させ、人間の欲望とは この旧家に限ったことではない、そんな闇の広さと深さを鋭く抉っている。獣のような 出で立ちで、今まで「御山入り」した人々の魂の声が聞こえていた鍵屋の又やん(祥野獣一サン)、一方 実直な奉公人風の銭屋の照やん(山村鉄平サン)、後々の変化も含め この2人の存在が妙。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、劇場入口とは反対の奥に鳥居、その前に岩が2つ。この劇場の特徴である柱には しめ縄と紙垂。前半は崖岩を思わせるような幕。上演前には水が滴り落ちるような音が不気味。物語は御厨家4代に亘る姨捨て、その儀式に隠された因習を おどろおどろしく描く。観客は見巧者ばかりではなく、直截・表層的に見て感じることが大切。その意味で この世界観の好き嫌いはあるだろうが、丁寧な公演にしていると思う。
御厨家の女 まゆをその娘 絹が姨捨てに付き添うところから始まる。60歳になったら御山入りする定めになっているが、まゆ はまだ若々しい。その美貌ゆえに生への未練があるのでは と陰口を言われた。そして娘の絹も御山入りの年齢を迎えるが…。当主の結吉には亡き妻との間に2人の娘 紬と繭がいる。そして後妻に染を娶り、その連れ子。結吉の姉で分家となった糸とその子。多くが血縁関係という閉じられた世界。いや この地域そのものが排他的だ。
絹の御山入り、そこに同行した繭の純真というか特別な存在(力)によって、御厨家の人々の欲望が浮き彫りになっていく。例えば 紬は妹の繭が疎ましい、分家では本家への蟠りと我が子を本家の跡取りへ といった思惑を抱いている。血縁・地縁という閉鎖的な環境下における欲望は陰湿で後々まで祟る。代々の御山入りした多くの屍、その光景が見えなくても その凄惨さが感じられるような迫力。
前半は御厨家の周辺、そして今起こっている出来事を点描している。後半は岩肌の幕を取り、洞窟内を思わせるような鈍い輝きの岩。前半 その鉱物に係る会話があり、物語ー姥捨て では自分の大切なものを捨てないと神になったご先祖様に会えない。繭にとって大切なものの象徴としての鉱物。先にも記したが、夫々が抱いている欲望の鏡合わせとしての存在が繭。御山入りする当人と同行する者は白装束、しかし六道での繭は赤着物で修羅の形相。その観せる演出と鬼気迫る演技が圧巻だ。
御山入りした者が里に戻ってこないように嫁殺しという毒を盛る。そこに絡む 村人の鍵屋の又やんの獣のような荒々しさ図々しさ。一方 銭屋の照やんは実直そうだが、実は金を貰いお山の管理をしている。因習に相応しく口承という台詞まで飛び出し、なぜ記録が無いのか等という詮索をさせない。そもそもが理屈に合う噺ではなく、因習という得体の知れない といった醍醐味を味わわせてくれる。
その怪しい雰囲気(全体的に暗い空間)は、裸電球や鳥居に吊るされている提灯の点滅、狂気と化した白い着物と赤い着物というビジュアルの対比、そして おどろおどろした音楽が実に効果的だ。
次回公演も楽しみにしております。
雑種 小夜の月
あやめ十八番
座・高円寺1(東京都)
2024/08/10 (土) ~ 2024/08/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
日本の原風景、良き日本人を見るような公演。
本作は、劇団代表の堀越涼 氏の実家の団子屋をモデルにした雑種シリーズの第三作目。何処か分かるが当日パンフにも明記していないため、敢えて伏せておく。しかし その土地の方言で喋り、この時期に相応しい風習などを盛り込んだ家族劇。家制度や血縁とは といった一筋縄ではいかない問題や思惑を絡め、観客の心を揺さぶる。その情景は心温まるもの。
物語の肝は、<駆け落ち>と<化け猫>か。
この物語は 堀越氏の歩みを切ったり貼ったりしながら作った、人生に限りなく近い話だという。悪人は登場しない、しかし立場や考え方の違い、思惑によって小さな騒動が起きる。その山あり谷ありの人生(物語)は、多かれ少なかれ観客に寄り添い 共感を得ていると思う。課題や問題を乗り越えるには、人の思いやり優しさであると。その滋味をしっかり味わえる秀作。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は対面客席で 中央に舞台。会場(座・高円寺)入口に近い方に赤い鳥居、その反対側に竹林と演奏スペース。天井には社の屋根骨組み。情景によってテーブル等の道具を搬入搬出する。
物語は団子屋「小堀家」の三代に亘る家族劇。現世で中心になるのは小堀青子、その娘で長女 密、次女 白、三女 綾で、そこに東京 神田から来て従業員になった日下部美穂。すでに亡くなった先代夫婦や青子の夫、近所の裏のおいちゃん等が時代を超えて現れる。勿論 お盆の時期という設定が、日本的な習俗を絡め滋味溢れる話として展開していく。日々のゆったりとした営み、そこに地域の人々との関わりや祭りといった行事でアクセントをつける。
青子は小堀家の一人娘、幼少期から婿養子を迎える と聞かされていた。その夫 忍は長男で実姉は結婚に反対していた。青子と忍は思い余って駆け落ち、その甘美な響きとは違い、実家から徒歩5分の裏のおいちゃん家へ匿われる。典型的な家制度、お盆という風習を通して過去/現在の往還(37年間という時)は そのまま彼岸/此岸の人々の思いを通じさせるもの。裏のおいちゃんの通夜、それから猫-小夜の存在、その姿は見(擬人化)せず 役者の抱きかかえるような演技で表現する。弱っている人がいると傍に行って鳴く、という台詞が物語の底流にある<人の優しさ>。
そして三世代の小堀家と対を表すのが、裏のおいちゃんの息子。実の息子ではない―血縁がない。そこに地縁と同時に血縁という<縁>の綾を落とし込み、日常の暮らしにさりげなく深み(人生模様)を描く。
あやめ十八番らしい生演奏(ピアノ、ファゴット、ヴァイオリン等の洋楽器)、それとは別に劇中でラストシーンに用いる祭囃子(太鼓・笛等の和楽器)を練習する場面や劇中生歌を挿入し、人の地域および行事という切っても切れない情緒を描く。そして和洋楽器を上手く使い音響・音楽の幅広さを楽しませる。勿論 照明の諧調によって時間の流れなどが伝わる。登場人物 18人(日替わりゲスト含め。観劇回は山崎バニラ サン)は、三世代と地域の人々を描くとなると、この人数は相当か。むしろ、人物造形(当て書のようにも思える)がよく出来ていると感心する。縁と言えば、次女 白を演じる大森茉利子さんの娘 佐藤つむぎちゃんまで出演させ親子初共演している。
次回公演も楽しみにしております。
鴉よ、おれたちは弾丸をこめる
劇団うつり座
上野ストアハウス(東京都)
2024/08/07 (水) ~ 2024/08/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。何となく<滅びの美学>といった印象を受けたが…。この公演の面白さは捉えどころのない漠然とした世界観、その中にある逞しさ情熱といった輝きか。勿論 批判の矛先は国家 社会であろうが、同時に自らも省みなければならない。
1971年の銃口が2024年に炸裂する…その謳い文句の意味するところが 公演の肝。公演の面白いところは、学生運動を機にした物語であるが、その主役になるのは老婆たちである。何度も繰り返される「あたしたちゃ、恥で黒く染まった鴉」という台詞が、学生という若者から老い先短い老婆が日本の将来を見据えるといった皮肉であり気概を感じさせる。
(上演時間1時間35分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は裁判所第8法廷、中央奥に裁判官席、上手に被告席。中央に広いスペースを確保し、法廷内で繰り広げられる破天荒な行為をダイナミックに観せる。物語を支える舞台技術が印象的だ。単色(橙色)による照明の諧調、爆破・銃声など緊迫感ある音響、そしてラストに青年B(徳田雄一郎サン)が吹くサクソフォーンによる余韻。
物語は1968年・1969年と叫びながら投石する若者、それは学生運動が盛んな時期を表し、それから時代が下りチャリティショーに爆弾を投げこんだ青年2人の裁判シーンへ。この青年たちを救おうと16人の婆が裁判所を占拠する。青年・裁判所(法曹関係者)・婆はそれぞれ世代や体制・非体制といった立場を表す。その言葉・口調は、青年のアジテーション、法曹関係者の常識・正論を振りかざし、そして婆の現実的な静観と高揚、そこに外見的な違いだけではない深みをみる。
法廷は ある意味、閉鎖した場所で規則に縛られた世界、それは日本社会の閉塞感・不寛容そのもの。そこで婆が自由奔放に振る舞い掻き乱す。まさに日本社会に喝を入れるかのよう。また 法服を脱ぎ、検察・弁護士バッチを外せば、ただの人、そんなことを連想させるのが、ズボンを脱がしパンツ姿にさせること。混乱・混沌とした法廷(言い換えれば「日本社会」)で、物事の本質を見定めようと、欺瞞を看破し空疎な理論を突く。
婆の現実感は、根源的というか肉体的な面、例えば「子宮で絞殺す」「キスしておくれ」など、理屈ではない<生>であり<性>を表現する。それは生きることを第一義にした考え、勿論 深読みすれば反戦であり暴力反対のようにも捉えることが出来る。1971年頃は、東大や日大闘争に代表される全共闘運動、内ゲバ・凄惨なリンチ殺人、よど号ハイジャック事件、翌年にはあさま山荘事件が起きるといった暴力事件が続く。その銃口の先は、その時々であった課題・問題に何も為さなかった国家体制であり、見て見ぬふりをし続けた国民の責にも向けられる。そのツケは2024年に炸裂。具体的には何か…それは上っ面だけの是々非々への逃げ、不作為による問題の先送り意識、そんな恥っさらしが不吉な象徴である黒い鴉になり、その体内に笛を飲み 警笛を吹き続けるしかない のだろうか。
衣裳は、青年2人はカジュアル、法曹関係者はスーツ、老婆は白い着物と世代・立場で違うが、見た目の違い以上に逞しさを強調することで、将来の日本の在り様の憂いを表現している。印象的な台詞に「日常の真っただ中の非日常」、しかし 婆が青年に変身できないように、そう簡単に体制や意識は変革など出来ないのである。力強さと同時に客席通路を提灯で照らし入ってくる情緒さ。この硬軟ある演出が巧い。何より混沌とした世界観がよく表れていた。また 婆とは思えない色香と艶ある演技、そしてマイクで歌を歌い、煽るような言動が勇ましい。
卑小なことだが 鴉婆がマイクで演説している途中で、その(マイク)音が途切れたのはアクシデントか?
次回公演も楽しみにしております。
『本棚より幾つか、』-短編演劇祭-
楽園王
新宿眼科画廊(東京都)
2024/08/02 (金) ~ 2024/08/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
【Bプログラム】観劇。
この時期 仕事が忙しくなければ、Aプログラム・特別プログラムも観たかった と思えるほど面白かった。残念。
日常にある ちょっと奇妙で不思議な、それが今の時季にピッタリと思える演目選択の巧さ。第一の狂言「赤い靴」 第二の狂言「アオイハル」そして第三の狂言「紙風船」(作:岸田國士)であるが、「赤い靴」と「アオイハル」は何となく関連しているような感覚。受付時に3作品の紹介というか解説を貰ったが、これが名刺サイズ、その裏に小さい字でビッシリ書かれている。会場内の薄暗い中で読む気もせず、帰りの電車内で読んだが、なんと「アオイハル」は「赤い靴」の前日譚とある。物語に直接的な繋がりがないとあるが、何となくそんな気にさせるところが妙。
また「紙風船」は 何回も観ているが、今回は音響・音楽の効果によって、淡々とした日常に持ち込んだ虚実、それをメリハリの利いた物語に仕上げており実に巧い。3編とも二人芝居で、淡々とした会話が進むにつれ 滋味溢れるような心情が浮き彫りになる。しかし 物語を纏っているのは先にも記したが奇妙・不思議という世界観。この独特な味わい深さが 本公演の魅力だろう。3編に共通しているのは「赤」、そして舞台セットの小物に林檎を置くなどの拘りを見せる。
ちなみに客席は変形配置で、どこが正面でどこに座るか迷うが、そこはしっかり誘導してくれるので心配ない。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は 中央斜めにベンチを配置し、その奥の壁際に机と椅子2脚。机の上にライト・花瓶そして林檎。
共通の「赤」…「赤い靴」はタイトル通り、「アオイハル」も台詞に赤い靴、「紙風船」は赤い毛糸を編む。
「赤い靴」は、ベンチに座りバスを待っている女(役名:バス停で待つ女)、そこへ赤い靴を履いた女(役名:後からやってきた女)が ゆっくり近づいてきて 「バス 来ませんね」と話しかける。それから他愛もない世間話から好かれる女性像へ話題は漂流していく。何処に辿り着くのかと思ったら、赤い靴の女はバスを待っている女の夫と浮気をしており、妻がどんな女なのか確かめに来たが…。実は不倫相手の男に殺され、霊(魂)となって現れた。「赤い靴」に因んで童話や童謡の話も。
「アオイハル」は、女子高生の部屋に男子高生が勝手に上がり込んでいる。学校では ほとんど話したこともなく、なぜ此処にいるのか。男子高生は彼女から「好きではありませんでした」という手紙(ラブレター)を貰ったと告げる。それにしては過去形で文面も相応しくない。彼は学校に侵入した男が教師を襲い それを助けようとし、逆に殺された。此処にいるのは霊で、淡い恋心を抱いていた彼女が棺に入れた別れの手紙。
「紙風船」は、何回も観ており 物語としては知っていた。日曜日の昼下がり、暇を持て余した新婚1年目の夫婦の とめどもない会話。何時しか二人は鎌倉へ空想の旅へ出る。その情景は 執筆当時のもので古い感じがするが、平々凡々とした暮らしに、ちょっとした刺激を求め楽しむ二人。鎌倉旅行はテンポよく展開し 軽快なクラシック音楽が流れる。そして音楽が変わり 日常の光景、隣家の子供と紙風船で遊ぼうと…。
3編は独立した物語であるが、何となく繋がりが感じられる。勿論この時季の「霊」を扱った話で、それは怖いという存在ではなく、この世への未練をコミカルに描いた といった印象だ。けっして暗く後ろ向きではなく、むしろ前向きでカラッとしている。どこか吹っ切れた感じで、霊でありながら、生き生きとした人物像が立ち上がるから不思議だ。最後に「紙風船」、新婚の生者2人がこれからの人生を歩んでいく、そこに日常の暮らしという地歩が描かれ前の二編との対比が鮮明になる。
次回公演も楽しみにしております。
息子
劇団演奏舞台
演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)
2024/08/03 (土) ~ 2024/08/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、珠玉作。
「歌舞伎・近代劇の双方の性格をもつ戯曲」らしいが、それだけに表現が難しいと思う。公演は 戯曲の魅力を引き出すため、演出(池田純美サン)は勿論 照明や音楽といった技術、確かな演技、その相乗効果を最大限に活かしている。
物語は幕末の江戸、冬の夜中という設定。盛夏、汗を拭きふき会場に入ると、そこは一瞬にして真冬の風景/情景、雪が深々と降りしきる。上演前から抒情的な雰囲気に包まれる。
(上演時間50分)
ネタバレBOX
舞台美術は、角材を柱に見立て 火の番小屋(障子戸に「火の番」の文字)の外観を作り、土間に火鉢、奥は板敷きで 上手に行李や道具入れ、下手に薪 小枝や行燈が置かれている。上演前から映像照明を用いて降りしきる雪景色、そして物語が始まると紙雪が舞う。薄暗い番小屋内、奥の行燈の灯りと火鉢の種火が実に美しい。
物語は、火の番小屋に老爺(鈴木浩二サン)、そこへ捕吏(浅井星太郎サン)がやって来て、老爺を揶揄って また探索に出る。捕吏と入れ替わりに金次郎(森田隆義サン)が来る。寒さに難渋している様子を見て老爺は火(鉢)にあたるように言う。老爺には9年前に上方へ出て行った息子(当時19歳)がおり、金次郎の年格好は息子と似ているが、素性は良くなさそう。火をはさんで、世間話など他愛のない会話を交わすが、そのうち金次郎が、老爺やその連れ合い(老婆)、近所の娘のことを聞く。一方 老爺は上方で住んでいた場所や仕事を聞く。
終盤 また捕吏が番小屋へ入ってくるが、その時 金次郎は手拭いで頬っ被りし顔を隠す。2人は顔見知りなのでは…そして捕吏が金次郎を追う。遠く近く呼子が聞こえる。捕吏を振り切って逃げる金次郎。実の親であれば逃げ切ってほしいと願うが…。 言わずもがな、親子の切ない気持ちが通じ合うようだ。
台詞には一言もないが、父親と息子という情が自然と絡み合う。勿論 観客の気持ちの中に そう思わせる演技力ー感情表現が見事。本当に父親と息子か、その真偽をはっきりさせないところが妙。そして何故、老爺の息子が上方へ行くことになったのかが謎。親子の真偽と出奔のような謎、更に捕縛されたかどうか、その事実を明らかにせず観客の想像力に委ねているところが古典らしい(奥ゆかしい?)。
少し気になるのは、メインテーマが親子の情ならば、今では成人に当たる19歳の息子、たとえ9年経っていても見間違える、または声を忘れるだろうか。例え 落ちぶれて顔付きが違ってもだ。
江戸時代 深夜という暗がり、行燈の明かりに背を向けており 顔は影になっていたのか。雪景色、その雪明りである程度 判別出来るのでは。始めから2人が親子と知っていて、明かせない事情があったのか、本当に分からなかったのか。公演では後者のような描き方(戯曲も同様か)。金次郎は、極寒の闇夜に乗じて父(老爺)に会いに、しかし傍に寄って 火鉢の火や行燈に照らされるのは避けたい。そんな もどかしく 切ない気持ちがあったのでは、と想像してしまう。
次回公演も楽しみにしております。
劇団帰燕旗揚げプレ公演第2弾朗読劇『ひまわり』
劇団帰燕
中野スタジオあくとれ(東京都)
2024/07/30 (火) ~ 2024/08/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
台本を持った朗読劇であるが、演技という動作も加わる。物語は説明にある人物、そして座敷童子やヤクザも登場するが、その正体というか設定が妙。その奇知に驚かされ、滋味深い描き方に唸らされた。愛すべき人々が住んでいるシェアハウス「ひまわり」、そこで起きる不思議な出来事、秘密めいているのは 人生模様そのものである。
少し気になるのは、全員ではないが 言い間違えを防ぐためだろうか(台本の)台詞を指でなぞり読み、若しくは そう観える(教育的な指読とは違う)。感情を込めた演技をしようとしているが、目線が台本にある。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 【Aチーム】
*本公演はネタバレすると驚きというか興味が失せてしまうため後日追記⇒8.8追記。
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥にベンチとテーブル、傍に丸椅子が1つ とシンプル。朗読劇であるがアクションリーディングであり、ある程度のスペースを確保したかったようだ。
説明にもあるが、シェアハウス「ひまわり」には女優・漫画家・大学生そして郵便局員といった様々な女性たちが住んでいた。そして座敷童子まで登場する奇妙なところ。そしてヤクザまで来て立ち退きを迫るが、逃げ出すことも出来ず右往左往する。物語は、シェアハウスの管理人がストーリーテラーのような役割を担い、住人の性格・職業・立場等とハウスが置かれている状況を説明していく。
物語は時間軸を曖昧にすることで、過去と現在の状況を暈かす。若かりし頃の生き活きとした情景、そして歳月を経た今を対比して表(朗読)す。慣れ親しんだ場所(ハウス)から出ることも出来ず、新たな行(転居)先もない。かと言って経営難に陥ったハウスに居続けることも出来ず…。劇団員が彼氏という女性と その劇団のベテラン女優との確執、売れない漫画家、平々凡々と暮らす郵便局員、そして経済学部に在籍している女子大生。それらは過去、今は年老いて郵便局員は認知症を患っている。活力ある朗読から枯葉のような、その状況(設定)変化は見事。
若い頃、郵便局員は職場の上司と不倫をし生んだのが管理人。脳に腫瘍ができ認知(症)が進行しているが手術は難しいと。座敷童子は漫画家の描く登場キャラ と若い頃に散りばめた伏線を回収していく。現実には、借金の取り立てにヤクザが来て脅す日々。個性豊かな人物たち、その刺激的な会話や日常生活は、主人公メイ(女子高生)が見失っていた事を少しづつ気づかせてくれた。
老人ホームではなく、シェアハウスという設定が妙。制度的な縛りを無くし、気ままに過ごせる場所としての自由度を広げる。昔ながらの仲間、その酸いも甘いも知り尽くしたという人間関係。その長き年月には、時に ぶつかり合うが皆 心優しい。このシェアハウスの先行きは、ラストの処理如何ではハッピーエンドにもアンパッピーエンドにも出来るという優れもの。
次回公演も楽しみにしております。
「君の死に方、私の生き方」
コルバタ
新宿スターフィールド(東京都)
2024/07/31 (水) ~ 2024/08/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
SFファンタジー。全体的に美しく浮遊感ある演出で観(魅)せる。
物語は説明にある通りだが、陸地と海底をあるもので繋ぐ。それは心にだけ聞こえる<声>、これが物語を支えている。少しネタバレするが、生死の狭間(世界)で人の優しさ思い遣りを描いている。
(上演時間1時間50分 休憩なし)【A・菅野組】
ネタバレBOX
舞台美術は、周りに白紗幕が垂れ下がり海中をイメージ。中央奥の一部が回転し公衆電話ボックスが現れるが、この装置が重要。
登場する人物は、島という場所柄から皆知り合いのよう。説明にある女漁師 高田七海(池内菜々美サン)は絵描きの 高橋天斗(ジャスティスMIKIOサン)と付き合っている。2人は美女と野獣カップルと揶揄われていたが、そんなことは意に介さず仲が良い。高田家の4人姉妹弟はすべて父親が違い、母はまた別の男と海外に住んでいる。ネグレストされた子供たちは結婚願望が強い。七海や天斗と幼馴染の伊藤凜(Maoサン)は女だが、七海の妹 春(トギナナミ サン)が好きで結婚したいと思っている。しかし、同性婚は認められない。現代的なテーマを挿入するがサラッと流し深堀りしない。
或る日、七海・天斗・凛の3人は或る島に向かう途中、天候が急変し 落雷にあって海底にある楽園へ。地上では意識不明で生死を彷徨っている状態だが、楽園では楽しい時を過ごしている。その現実と幻想、それは生と死の狭間の世界の中にいることを意味する。実は天斗は既に亡くなっている。七海は意識を取り戻せば地上へ、一方 海底の楽園に居れば天斗と一緒にいられる。しかし地上では姉 美子(鰺坂万智子サン)や弟 義明(松田よしきサン)が看病し 意識の回復を願い、医師(マツダヒロエ サン)が懸命の治療。
また海田美咲(酒井葉子サン)という女性も楽園におり、こちらは母 花子(岩井杏加サン)が回復を待っている。タイトル「君の死に方、私の生き方」は、七海と天斗の選択 その揺れる心を表している。
楽園…竜宮城のように楽しいひと時を過ごしているが、地上では昏睡状態。その意識下へ交信してくるのが電話(ボックス)。現実と幻想の世界を繋ぐ唯一の手段が、今では珍しい公衆電話。多くは楽園のシーン、そこには くじら(☆★朋★☆サン)、タコ(花子と二役)、クリオネ(水野月葉サン)・ひらめ(菅野真紀サン) がおり、舞い踊り 時に意味深な行動や言動が…。そして七海と天斗のために粋な計らいをする。
全体的に明るい雰囲気で、生死の狭間という切迫・緊張感はない。もっと言えば海中の楽園ーパラダイスという感覚もあまりない。むしろ公演では、場所の設定ではなく、2人とその周りの人々の<優しい心>・<相手を思い遣る気持>に焦点を当てた描き方。それを 総じて若いキャストが等身大の若者像として体現して観(魅)せた 爽やか作品。
次回公演も楽しみにしております。
犬の刺客 2024
友池創作プロジェクト
OFF OFFシアター(東京都)
2024/07/30 (火) ~ 2024/07/31 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人を笑わす漫才の裏に隠された笑うに笑えない悲哀が…。再演を繰り返しているようだが、自分は初見。説明にある一部のお笑いマニアで評判だった漫才コンビ「犬の刺客」のバックステージ、そこで繰り広げられる人間模様が実に面白い。
お笑いブームに乗ろうとするが、一発屋にもなりきれず解散した二人 とあるが、実は楽屋にいる他の人たちの人間模様も重ね合わせ滋味溢れる物語にしている。劇中 漫才シーンがあるが、そこには笑いではなく 漫才ネタを考え稽古してきた苦労が浮かび上がる。一方、マニア(客)にとって(漫才の)笑いは癒され勇気づけらる、という相乗効果に繋がっている。その双方を巧みに結び紡いだ好作品。
女性漫才師2人の考え方や生き様といった違いを際立たせ、それぞれのリアルな人物像を立ち上げる。そうすることで 共感する幅を拡げる。なぜ漫才コンビを組み そして解散に至ったかを激白していく、その過程が肝。楽屋には2人以外の人々の勘違いや思惑が錯綜しドタバタの様相を呈するが、<芸人>の生き様を描くという芯はブレない。
本公演 たった二日間4公演、期間限定の掘り出し物市のような希少なもの。激情と性情のような感情をキャスト5人の熱演で観(魅)せてくれる。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、楽屋ということで 剥き出しのコンクリート ほぼ素舞台。上手に衣装掛け、中央に折り畳み式の長テーブルと丸椅子、下手は忘れ物が入ったダンボール箱。
「笑いの神様」というイベントで漫才をしている場面から始まる。1人は犬の被り物をして吠え、もう1人は犬が吠えた理由について補足する。
漫才コンビ「犬の刺客」を解散して5年。久し振りに雑誌の取材ということで、小山亮子が懐かしいライブハウスの楽屋にやってくる。実は取材する記者は来れず、政治部から転属してきた垣田太一が興味本位から色々詮索し始める。同じ時に楽屋にやってきた男 宇田川陽平、何者で何のために来たのか謎めいている。当初来る予定だった記者とはメールでの遣り取りのため誰も顔を知らない。誤解、勘違い、人違い、成りすまし等 楽屋は混乱しドタバタ騒動。
一方 漫才師2人…亮子は漫才ネタを書いていたが、周りからは面白くないと酷評。相方である植田美稔はスタッフや先輩・同輩等と親しくし、情報を駆使し業界内で上手く立ち回ろうとする。養成所時代はそれほど親しくもなく、美稔はピン芸人として活動しようとしていた。ひょんなことからコンビを組んで少し売れるようになってきたが、壁にぶつかった。美稔はネタを作家に依頼することも視野に入れたが、亮子はあくまで自分が書くと主張。亮子の理屈というプライドと融通の利かなさ、美稔の気配という拘りのなさ 流される性格…2人の相容れない激論。
コメディとシリアス場面を交錯するように描き、メリハリを付け 飽きさせない。
「犬の刺客」の笑いによって救われたのが陽平。上司からパワハラまがいの行為を受け、精神的に参っていた時に聞いた漫才が忘れられない。今では美稔のマネージャー的なことをしている。何とか「犬の刺客」を復活させたいと…。漫才で人の役に立つ、そんな熱い気持を2人にぶつける。楽屋には後輩芸人 南由良もおり2人の動向を気にしている。芸人の不安と希望といった複雑でリアルな気持が犇々と伝わる。そして太一・陽平・由良の喜劇的な役回りが、漫才師2人の衝劇というか突劇をしっかり引き立てており実に巧み。ラストの黄昏を思わせるような照明と優しいピアノの音色が印象的だ。
次回公演も楽しみにしております。
愚者と星と死神についてのいくつかの考察
feblaboプロデュース
エビスSTARバー(東京都)
2024/07/24 (水) ~ 2024/07/29 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人生にはうまくいかない時や躓く時もある。これから先どうすればよいのか迷い悩んでしまう。そんな時 占ってもらい、少し背中を支えてもらうか押してもらう。占いは悩み相談でもあり、救いという自己暗示の効果を期待しているよう。
タイトルが意味深であったが、「愚者」「星」「死神」は、タロット(占い)結果における過去・現在・未来を表している。物語は、恵比寿にあるBarを舞台に繰り広げられる再起劇。まだ何者にもなれない症候群のような若者、職場環境・人間関係に悩む中年女性、承認欲求が強いユーチューバー、そしてBar経営者の気持を丁寧に掬い上げる。
登場人物は全て女性、一生懸命やればやるほど人との関係が拗れる。そんな歯がゆい思いが激情となって ますます相手を追い詰める。日常に見られる どうしょうもない光景、それでも占いに救いを求める切なくも滑稽な話。
エビスSTARバーを舞台に、間近で観る光景は、そこで起きている日常を覗き見ているような感覚。公演の魅力は、等身大の人々のリアルな生活が描かれているところ。そこに現代的な問題を落とし込み、その問題の捉え方に表裏があること、更にそれをタロットカード(占い)に絡める巧さ。まさに人間洞察、そこに脚本・演出の池田智哉氏の真骨頂をみる。
(上演時間1時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、会場になったエビスSTARバー店内そのもの。冒頭、この店の客で占いをしている女性 渡邉さくら(40歳代)が店のバイトの女性 大園明香(20歳代)の運勢を鑑定している。占い歴は浅く、タロットカードの絵柄の説明(あんちょこ)を見ながら話している。さくら は企業のベテラン職員だが、後輩の指導が厳しかったのかパワハラで休職を命ぜられていた。
最近、恵比寿界隈でよく当たる占い師がいるとの情報、その あやふやな情報をもとに飛び込んできた女性、実は相手と上手くいかないという。相手は男ではなく漫才コンビを組む相手のこと。そして怪しげな変装をして来店した女性、実は店長 伊藤由依の姪 山下莉奈でユーチューバーとして活動している。漫才コンビ<濱松>ー濱岸夏鈴と松田美波。1人は地道に稽古に励み、もう1人は占いで将来を…。その意識の違いで衝突し相手のことが解らなくなっている。まだ何者にもなれていない若者の悩み。また莉奈は手っ取り早く稼ぐことで承認要求を満たそうとしている。人間洞察が深く、リアルな人物像を立ち上げている。またキャストは等身大の人物を生き活きと演じている。
占い(手段)は、占い師という見知らぬ第三者に悩みを打ち明けることで気持を鎮める。一方、占い師は 打ち明け話にどう寄り添った<言葉>を言うか。その<言葉>は厄介で、相手がどう受け止めるかによって薬にも毒にもなる。例えば 休職中のさくらは、一生懸命に後輩の指導をしたが、相手に厳しいと思われたらパワハラになる。漫才コンビにしても自分の主張と相手の気持を考え合わせること。そんな日常の一コマを切り取り、滋味溢れる物語を紡ぐ。
冒頭 さくら曰く、タロットのカードには正位置と逆位置があると。占いによって自分の気持を整理する。今の状況をポジティブに捉えるかネガティブに思うかによって、自分の取るべき態度・方向が決まる、要は自分次第。物語は、このBARでの出会いが良い方向に向かう大団円、そんな希望がみえる。
ラスト、カウンターの垂直下照明(シーリングライト)の諧調が実に印象的で余韻を残す。
次回公演も楽しみにしております。
ThreeQuarterカウントダウン公演「2…」
四分乃参企画
中野スタジオあくとれ(東京都)
2024/07/26 (金) ~ 2024/07/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
劇団ThreeQuarterは 2024年12月末に解散する。本公演はラストステージに向けて、その一つ前の公演、そして演目は「飛龍伝2024~風信子と共に~」(つか こうへい作)。つか作品に劇団脚本家の清水みき枝女史が女性の視点を加えて改訂したとある。どのようにテキレジしたか、興味津々で観劇した。
(上演時間2時間20分 休憩なし)【花チーム】
ネタバレBOX
舞台はバリケードらしき柵と赤旗が両端に置いてあるだけの素舞台。それを運び入れ闘争状況を演出する。赤は赤旗、故郷のリンゴを連想させる色として使用している。細かいことだが、学生側は、大学名が書かれたヘルメット、大学(法政、早稲田)校歌、角材を用意し、機動隊側は警棒、制服などシンプル。
梗概…1960年安保反対学生運動を指揮した全共闘委員長・神林美智子と第四機動隊隊長・山崎一平の間に生まれた子「勝利(かつとし)」、彼の俯瞰するような回想を通して、2人の馴れ初めから別れまでを緊迫感溢れる物語として綴る。
つか作品らしく、学生運動をしている学生の方が機動隊の給料より仕送額が多い。学歴にしても然りである。国家権力の象徴として登場する機動隊、革命を叫ぶ学生の暮らしが、その生活レベル(貧富)において逆転しているという皮肉。
<革命>とは人と人が信じ合い赦し合うこと、と叫ぶ。その信念のためには体も…その哀しいまでの行為。立場が人をつくるというが、その典型的な展開に抗うことができず、運命(さだめ)に翻弄される切なさが伝わる。
全共闘学生幹部と機動隊隊長が故郷では幼馴染、その後の歩みによって敵対関係になるというドラマチックな出会い。そして1人の女 神林美智子を巡って恋のさや当てが虚しい。出来れば 神林美智子役の大澤星夏さんが もう少し人格的変化(上京したばかりの初々しさと委員長へ選ばれた後の貫禄ー黒眼鏡の掛け外しだけではなく)を観せてくれたら、もっと感情移入が出来た。他の女学生闘士のほうが迫力があった。強がれば それだけ反面の愛らしさが浮き彫りになる と思う。
演技は闘争・総括場面を始め 殴る蹴るのアクション、台詞は怒声や罵声など大声を張り上げる。全共闘の作戦(機動隊の配置図の入手)とはいえ機動隊隊長と恋人そして結婚までし子供を産む。神林美智子の激白「好きでもない男の子など生まない」、他方、同志の女性が好きな人 作戦参謀・桂木順一郎の子を自ら堕胎する。闘争中とは言え、好きな人と結ばれたいと願う、しかし活動の前には男も女もないと非情な言葉が飛ぶ。当時の状況やその場の雰囲気がそれを許さなかった。女性視点を強調したとすれば、この場面あたりか。全体としては、何か目的いや使命を持った学生の情熱をしっかり体現していた。
音響音楽は絶えず鼓舞するような勇ましいもの、または長渕剛の情感ある歌を流す。照明は原色を点滅または目つぶしで高揚効果を出す。
神林美智子の亡き母が娘に残した言葉「やってられねえよ」…1960年の安保闘争から60年以上経った今、そういうことを言わなくても済む世の中になっているのだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
赤鬼【キイチゴ】
キイチゴ
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2024/07/26 (金) ~ 2024/07/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
寓話。物語は、テーマ性も強く想像力を掻き立てられる面白さ。表層的に描かれていること、その奥にある考えさせること、それが重層的に立ち上がる好作品。この演目は未見であったが、そもそも野田作品を観たことがあっただろうか。う~ん思い出せない。ラストはある映画を連想する。
少し気になったのは、物語の前提というか設定ー具体的にはいつ頃なのかーが分かり難い。勿論テーマの普遍性を考えれば、敢えて拘る必要がないのかもしれないが、この公演では<赤鬼>の言葉や状況から、ある時代・背景が連想できる。にも関らず その(外見的)表現と時代が結び付かない、その不自然さが気になる。
(上演時間1時間40分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は三方囲みの素舞台、四隅に供花か。役者は正面通路も使いダイナミックに演じる。上演前から波の音。小物として紐。
登場人物は3人と赤鬼、その設定が妙。村人に疎んじられる「あの女」と頭の弱いその兄「とんび」、浜一番の嘘つき「水銀(ミズカネ)」という、村人にとっては厄介者を異質に重ねる。
梗概…浜辺に暮らす「あの女」とその兄「とんび」。ある日、女は海で赤鬼と遭遇し家へ連れて行く。女の気を惹くため「水銀(ミズカネ)」は、赤鬼を恐れる浜の人たちとの仲介役になろうとするが上手くいかない。人々は赤鬼が人間を食べる、そんな異質の者への偏見や差別などが顕わになる。やがて女と「赤鬼」は言葉が通じ合うようになる。しかし浜の長老による裁きによって処刑されることが決まった 赤鬼。そこで女と赤鬼、そして とんび と水銀とともに島を出るが…。
「人間」と「赤鬼」、その異質なもの同士の共存は可能なのか。その先には、人間同士が夫々の立場や主張を押し通す、そんな対話や歩み寄りがない世界が浮き彫りになる。それまで潜在的にあった不寛容・同調圧力は、コロナ禍によって顕在化する。自分と違うー異質なことに対する畏怖と敬遠、更には疎外。それは対面での会話が少なくなってきた現代人の歪みを大きくする。ラストが秀逸、人が存在するためには、その深い悲しみを知ることになる。
気になるのは、女と赤鬼が何となくであるが言葉が通じるようになる。赤鬼が喋る言葉ー英語(原作がそうなのか)ーによって幕末に漂流した異人を連想してしまう。鎖国、その閉鎖的な土地柄における異人は まさに赤鬼。赤鬼と3人は、赤鬼の仲間が待つ沖へ舟(床に紐を舟形にする)で向かうが…。キャストはハーフパンツ等の洋服。赤鬼だけが異様な格好をしている。出来れば要らぬ想像力を排除するような衣裳が好かった。赤鬼役以外は1人何役も演じる。しかし、その格好で突然 腰を曲げ長老を演じたりするが、無理がある。
赤鬼の仲間はいなく 遭難してしまう。溺れて浜辺にいた女にフカヒレの吸い物を出すが、今まで船上で食べていた味と違う。そこで初めて女(人間)が食らっていたものが…。映画「アライブ ‐生還者‐」を連想。物議を醸しそうなテーマだが、赤鬼への偏見・差別を通して人間の命の重さや生存本能について考えてしまう。そこに人間のエゴと怖さをみる。
次回公演も楽しみにしております。
BACHELEAN バチェリアン
FREE(S)
ウッディシアター中目黒(東京都)
2024/07/23 (火) ~ 2024/08/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
愛を再確認する展開、その描き方はベタだが 楽しませようとしている。多くの女優(11人)が1人の男性を今でも そしてこれからも愛し…。男は非の打ち所がないような好青年、そして資産家でもあるが それを自慢しない。その彼がある事情によって記憶喪失になり、今まで付き合った女性…元カノから改めて結婚相手を探す というもの。
男にとっては自分(記憶)探しだが、一方 元カノ達の気持はどうなのだろう。「花嫁を選ぶオーディション合宿」に参加し恋愛バトルを繰り広げる。この人と結婚…絶対選ばれたいという貪欲さがもっと 観たかった。オーディション進行役が、彼と元カノ達の(過去)関係をそれぞれ説明するが それも表面的だ。なんとなく記憶喪失になる直前まで付き合っていた彼女の気持を際立たせるために敢えて暈し曖昧にしたかのよう。
彼の経営している組織に係わる違和感が…。少しネタバレするが、終盤 その組織が乗っ取られ という事態に陥る。それを伏線として次の展開、そんな予定調和なことが分かってしまうのが少し憾み。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は上手に箱椅子が1つ、下手は階段状の空間。壁にはステンドグラス風の飾り。この劇場の特徴である入口近くの別スペースを上手く利用。オーディションということから全女優が一堂に会するシーンが多くあり、しかも自己PRのため踊り歌うといったパフォーマンスを披露することから、広い空間を確保した舞台になっている。
冒頭 主人公の男性は、玩具売り場の女性店員のアドバイスで子供達の好みにあった玩具を選び買うことが出来た。女性店員の親切な対応に感じ入り付き合いだした。それから3年が経ち いよいよプロポーズという時に…。男性は児童養護施設(会社形態)?に関わっており、玩具はそこに居る子供達へのプレゼント。
終盤、「オーディション合宿」に参加した女性(もしくは親族)が、選ばれなかった腹いせに彼の経営している会社を乗っ取る。施設は公共団体の運営は勿論、民間(会社組織)での運営(許可制だったか)も認められている。しかし、愛を確認する恋愛ストーリーに株取得といった金銭的なことが絡むと下世話なる、そんな違和感。この場面を生かすなら、もっと怨み辛みといった嫉妬の渦を描くことか。
見所はオーディションに参加した個性豊かな元カノ達の仕草や仕掛け、そして自分こそはと爽やかに(物足りないが)競い合う姿。同時に参加している女性の元カレから よりを戻したいや現地スタッフの男性に好かれた結果はどうなるのか 興味を惹かせるところ。
ラスト、参加女性がデザイン違いだが赤で統一した洋服で登場した姿は圧巻。清楚な中に色香が漂い華やかさが…。実は映画「黒い十人の女」を連想。タイトルにあるように黒い衣裳(和装・洋装)、そう喪服を思わせる女性達の陰謀。妻以外に9人の愛人がいる男。妻はそんなに浮気相手がいたことを知るが、いつの間にか奇妙な友情が芽生えるという内容。真逆のような男(夫)だが、少し似たような内容と感情が芽生えるが、映画に比べたら毒なんか無しに等しい。その意味では観(魅)せ楽しませるといった娯楽劇。
次回公演も楽しみにしております。
日曜日のクジラ
ももちの世界
雑遊(東京都)
2024/07/25 (木) ~ 2024/07/30 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初見の団体だが、観劇して良かったと思える作品。何となくフィクション性とドキュメンタリー性を併せ持ち、どこかの街、ある家族などといった曖昧さ、しかし その中に表現し難いリアルな狂気を孕んでいるようで目が離せない。全編を貫く怪しく不気味な感じ、その独特の雰囲気・世界観が物語を興味深く そして力強く牽引していく。緊密な人間関係、濃密な会話、そんな張り詰めて逃れられない状況だが、何故か心地良さもある。観た回は満席、観応え十分。
チラシには<架空の日本>とあるが、台詞から現代日本 しかも地域まで特定出来そう。この場所(憶測)が妙。自衛官の息子はパイロット、しかし3年前のある日 飛行中に行方不明になった。溺愛していた母の嘆き、残された家族の夫々の心情と周りの人々との関りが歪に立ち上がっていく。「日曜日のクジラ」ーこれは夢や希望を叶えるというよりは、儚さと願望 そしてラストは衝撃的な…。あまり記すとネタバレになりそう、ぜひ劇場で。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 7.31追記
ネタバレBOX
舞台美術は、MOTELを営んでいる桐野家のリビングをリアルに再現しているよう。中央にソファとテーブル、その後ろは摺りガラス戸、周りは整理棚、壁には飾り物で実際に人が住んでいると錯覚しそう。珠暖簾・ギター・コーヒーポット等。上演前には波の音。
さて、当日パンフに矛盾を矛盾のまま、描きたいという想いでこの戯曲を書いた…ある種のわかりやすさを放棄した作品 と書かれていたが、その不安定で定まらない感じが 逆に不穏という怖さになっている と思う。
物語は4幕。「架空の日本」、海岸沿いの国道にある小さな看板明かり…冒頭 何となく京都府舞鶴市を連想させるような台詞。舞台となるMOTELの経営者 桐野京子は自衛官になった息子 ひかる を溺愛していたが、飛行訓練中に行方不明になったまま。それから3年後、神の使いである「願いを叶えるクジラ」の噂が流れ、それを見つけるために三人のヤクザ者を呼び出すが…。
ひかる は登場しないが、その嫁 工藤真美やその兄 丈一の存在によって不安もしくは不穏な様相を漂わす。母 京子、ひかるの弟 祐輝、妹 あかりという家族、更に あかりの友人 高橋海香や京子の友人 向井昌枝という家族以外の人々によって家族と町の状況を浮き彫りにしていく。母はひかるが小学生の頃に描いた飛行機の絵を褒めるといった溺愛ぶりを示す。母から逃避するように東北の自衛隊基地のパイロットへ。しかし、母はブルーインパルス飛行訓練を この地へ誘致し息子の晴れ舞台(姿)を見たいと思い、市長へ要請。何年か前 幼馴染の市長の不正、それを脅しのネタに飛行訓練の誘致を強引に行い、その結果 息子は行方不明になった。勿論 市長にも街の活性化という目論見があった。諸々の利害が一致したイベントであったが…。
公演は母の不気味な存在感…一市民でありながら市長と通じヤクザを操る黒幕的な人物を好演。祐輝の真美への恋慕という個人問題、海香が東日本大震災 被災者といった社会問題、それぞれ違う次元の問題を点描し興味を惹かせる。しかし、何かに収斂するといった感じではなく、そこにある出来事を綴ったという印象。動的なラストシーン(ガラス越しの凶行)と静的な照明技術(モノクロ)は対照的だが 圧巻だ。
次回公演も楽しみにしております。
べらんだぁ占い師シゲ子
四宮由佳プロデュース
新宿スターフィールド(東京都)
2024/07/23 (火) ~ 2024/07/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ハートフルコメディといった物語だが、描き方によっては怖い話にもなる、そんな深みのある公演。少しネタバレするが、ナレーションと書かれた名札を付けた男が情況等を説明するが、それでも曖昧なところがある。だだ些細なことに拘っていると面白味、その醍醐味を見失うかもしれない。
タイトル・説明から、占い師 シゲ子が ひょんなことから自宅マンションのベランダで占いを始め、”よく当たる”と評判になるというもの。占ってもらいたい人々の内容とシゲ子のアドバイスが物語の肝。占い事は悩み相談でもあり、何か共通するものがあって収斂していくというよりは、ありがちな悩みを点描する。そこに現代人が抱える心情が浮き彫りになり、シゲ子のアドバイスが心に染み込んでいく。
これが国家社会が絡むと別の様相を帯びた物語へ変貌する、そんな紙一重の公演。また、自分はある小説をも連想し、色々な意味で楽しみ 考えさせられた好作品。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕で囲い、上手/下手にベランダ柵の一部。そして下手の一部に穴が開き、その前に観葉植物を置いただけのシンプルなもの。
下村シゲ子(四宮由佳サン)が住んでいるマンションの隣室に勅使河原俊一郎という男が引越してきた。その挨拶をベランダ壁の穴を通ってくるという非常識さ、その後も頻繁にその穴からやってくる図々しさ。そして いつの間にか占ってもらいたい人を連れてくるようになる。図太い この男の目的は何か?後々解るが大した意味はなく、そのままの人物像だ。この人物が道化師的な存在、役割を担っているようだ。
シゲ子の占い=実は生まれつきの能力で、相手の体に触れると内心が分かる。将来を占うというよりは、相手の悩み事が分かり寄り添うアドバイスをする。例えば、カスハラ対策のため必要以上に丁寧な言葉遣いを求める上司との関係、全力で事(仕事や恋愛等)に向き合わず、失敗することを恐れ ある程度のところで妥協してしまう。親友と思っていた女子高生、しかし相手は恋愛(同性愛)感情を持っており 今後どう付き合えば、など現実にある切実問題を突き付ける。観客の中にも経験があるようなこと、それに寄り添うような言葉に納得や共感を抱くのだと思う。
一方、相手にしてみれば 自分の心の中が見透かされてしまう怖さ、劇中でもあったが学生時代の親友で兄の妻になったクミコの心を勝手に覗き、兄のことを まだ好いていることを確認してしまう。
占い一見(相談事)は回想として描き、それをオムニバス風に紡いでいく。心情としては実に分かり易い。キャストは 占ってほしい客であり回想シーンの人物、その複数役を担うが仮面をすることで人物像を違える。少し気になるのは、シゲ子の内心ーー生まれ持った能力を持て余す、または怖いと思ったことがないのか。その懊悩のようなものが感じられなかったこと。シゲ子曰く、自分のことは占えない(占った人々の思いを介して自分のことを知るだけ)。
なお、照明や音響・音楽といった舞台技術は強調していないが、物語を邪魔しないよう控えめ。それでも優しい音色は聞こえる。
シゲ子は「サトリ」の能力だが、一方「サトラレ」という能力もある。いずれにしても人の心が読める人間などは、国家機密/戦略上などの重要または危険人物になる。小説「家族八景」(筒井康隆作)では、主人公の少女が夫々の家族の内面を読んでしまい行く先々の家庭に亀裂や事件を起こす。続く<七瀬シリーズ>では超能力者たちは迫害を恐れ能力を隠していると。その意味ではコメディにもシリアスにもなり得る面白さ、その両面を併せ持つ好作品。本作は前者に特化して観(魅)せている。
次回公演も楽しみにしております。
百こ鬼び夜と行く・改
仮想定規
中野スタジオあくとれ(東京都)
2024/07/18 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
考えさせるテーマ、それをエンターテインメントな観せ方で飽きさせない。表層的には人間の愚かさを描きつつ、それでも愛すべき存在であると。妖魔界そして人間界、それをキャストは1人複数役を担い紡いでいく。
見所は、外見から瞬時に怪(妖)しの世界へ導き、説明の「蛙の鳴き声が煩くて眠れない」という(苦情)投書に繋げていく。ミュージカルとして歌が(上手か)どうかは別にして、観(魅)せ、楽しませるという点では好かった。
上演時間は事前情報では1時間45分とあったが、実際は1時間20分程(休憩なし)。
ネタバレBOX
舞台美術は入口の所に朱鳥居、そこに劇中重要な千社札が貼られている。後景は竹が描かれた白幕が等間隔に3枚、その前には切り株か岩(ラストは注連縄)がある。情景の変化によって白幕を回転させ赤幕にする。この幕の表裏が人間界、妖魔界といった違いを表す。
また冒頭は、客席寄りにキャスト・スタッフの名前が入った提灯が置かれている。なお、観た日は英語字幕付き公演だったため、2列目上部に黒の横板(枕木のよう)に白文字テロップを映す。上演前から蛙の鳴き声。
舞台は、打ち棄てられた神社の境内とそこにある池。客席をこの池に見立てている。最近町内に引っ越してきた男 神原一(はじめ)、町内会長は彼に投書の処理をさせようとする。途方に暮れた神原は池に石を投げ込むが、大蝦蟇が現れ石を投げないよう頼む。この大蝦蟇を介して妖魔界を覗いてみると、人間の愚行ーー災害から守ってくれていた大木を伐採する といった自然破壊が浮かび上がる。
なお「投書」そのものを最近の風潮である不寛容に結びつけてしまうと対立軸が暈けてしまう。つまり「鳴き声の煩い」は何を示唆もしくは象徴しているのかを捉え 描いている。公演では妖魔対人間という分かり易い構図にしている。
人間 生まれた時は裸、最初に(付けて)もらうのが名前。妖魔界で力を持つ第六天、人間の名前や楽しみを喰らい生き永らえている。それが神原の母になったり…神原が忘れてしまった尊き心を思い出させる。人間には名前があって1人ひとりが違う。同じように妖魔界の要石・烏天狗・ろくろ首・九尾の狐など多くの異形を登場させ、人間に準えれば、夫々に個性や役割があり大切なものになる。
引っ越してきたばかりで、自分には関係ない。そんな見て見ぬふりをする姿、ラストになって明かされる町内会長の名前「境 獏」。人間界と妖魔界の境にあって夢を喰らう獏を連想させる意味深な存在。そして蛙の鳴き声が煩いのは、自然破壊による災害への警鐘…その意味では色々なことを考えさせる珠玉作。
化粧や衣裳が独特、白塗りにタトゥーアート、被り物で怪しげな雰囲気を醸し出す。また投書を燃やすシーンではマジックを見ているような錯覚。音響ではエコー効果を効かせるなど工夫を凝らす。シリアスな内容だが、歌い(時にスタンドマイクあり)踊り、賑わいを演出する。
少し気になったのは、妖魔を前に神原と大蝦蟇が右往左往する、それを上手・下手を行ったり来たりするが、その回数が多く諄いような。また、海外公演バージョンとして英語字幕を少し読んだが、ほとんど(冒頭以外は)台詞だけのようで、日本独自の風習なり土俗的なト書き、ナレーション的説明があると分かり易いかも。
最後に上手の赤幕に書かれていた字は何て読むのだろう。「旬」なら解るが「勹」の中に「目」(⇐見間違えか?)。終演後に聞けばよかったが忘れた。
次回公演も楽しみにしております。
帰還不能点
劇団チョコレートケーキ
相模原南市民ホール(神奈川県)
2024/07/17 (水) ~ 2024/07/17 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。と言っても関東では 本公演1回のみ。午後仕事を休んで観にいった甲斐 価値はあった。
典型的な反戦劇で、太平洋戦争直前とその9年後を劇中劇仕立てにして描いた重厚作。しかし単に回顧・教訓といった描き方ではなく、今を いや今後をも問うような問題作である。
少しネタバレするが、1941年7~8月の模擬内閣演習(総力戦研究所)の場面から始まる。その時に何人かの役者が客席に背中を向けたまま議論する。激論を交わした結論に対する思いが 物語のテーマ。勿論 タイトル「帰還不能点」を意味しているが、個々人のその時の立場や生活、もしくは家族・親戚といった多くの者への影響を考えた時、果たして自分ならどうするかを考えてしまう。過去を振り返って、こうすれば良かったと嘆き悔いてみても始まらない。
物語では、不作為による後悔が痛々しい。しかし、好ましくない情勢や分析を正直に上層部へ進言できるか、それは翻って 今現在 組織の中で(不正は別にして)確実に実行出来るかどうか。公演は太平洋戦争という国家存亡に係る設定だからこそ真に迫る。先に記した 後ろ向きは、正直な結論を上層部へ進言せず、戦争を回避すべき行為をしなかった姿であろう。
また回顧した時期が1950年、その設定が妙。太平洋戦争で焦土と化してから5年、今 朝鮮戦争によって好景気に沸いている。隣国の戦争によって潤い喜ぶ皮肉。
劇団チョコレート ケーキらしい陰影ある照明、そして重低音の音楽が 濃密で緊張した場面を引き立てる。
第29回読売演劇大賞優秀作品
(上演時間2時間10分 休憩なし) 追記予定
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演
桐朋学園芸術短期大学
調布市せんがわ劇場(東京都)
2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了
実演鑑賞
「葉桜」「命を弄ぶ女ふたり」は、どちらも岸田國士作品。なお後者は「命を弄ぶ男ふたり」が原題だったような。それを女性バージョン、しかも現代的に改変している。ただし内容は同じだった。両作品に共通しているのは女性の2人芝居、その会話をどう描くか。
岸田國士作品は、映画 小津安二郎作品のように日常のありふれた光景を滋味ある会話で紡ぐ、といった印象だ。刺激的な出来事などは起こらず、淡々とした日常の味わい深さ それをどう観せ感じさせるかが見所だろう。
ネタバレBOX
〇「葉桜」(作:岸田國士)
舞台美術は中央にソファ、その後ろの丸窓に障子 そして桜が見える。上手は足踏みミシン、下手に鏡台(鏡なし)。和風の落ち着いた雰囲気を漂わす。母は和装、娘は洋装、その外見は世代や考え方の違いを象徴しているよう。
お見合いを終え 縁談を進めるか否か、決断を迫る母と迫られる年頃(19歳)の娘の揺れ動く心を描く。母と娘、世代が異なれば「結婚観」も異なる2人の女がお見合いで出会った男の印象と、自分たちの将来について葉桜の季節に逡巡する物語。
気になったのは、現代版(戯曲は大正14年作)に改変したのか否か。雰囲気は当時のように思えるが、速いテンポの会話は時代感覚としては違う、そう違和感を覚えるのだが…。そして母・娘という関係から、その口調は違うが やはり同年代による親子の演技は難しいようだ。
〇「命を弄ぶ女ふたり」(作:岸田國士)
舞台美術は、中央にベンチが置かれているだけ。
ある日の夕暮れ時に、自殺しようとする女2人が線路近くのベンチで奇遇にも出くわしてしまう。それぞれ死のうとする理由を正当化し、先に自殺することを譲らない。その面白可笑しい遣り取りをするうちに、死ぬことから生きることへ気持が変わってくる。もっと言えば、生への執着が芽生える。ラスト、夕闇に輝く星々(照明効果)はキレイで印象的だ。
原作通り、外見=顔面に「眼鏡」と「包帯」した男ならぬ女2人。線路に見立てて客席通路を駆け上がり、脇を回って舞台上へ倒れ込む。交互に何度か自殺を試みるから、その躍動感は半端ではない。そしてスマホを取り出しlineを見せることから現代版へ改変したと思われる。早いテンポと最新機器という時代感覚も合っている。
気になるのは、「眼鏡」と「包帯」がそれぞれの身の上話をするが、その切実さが伝わらない。そもそも自殺しようとする理由がはっきりしない。他公演で知っていたから自分なりに解釈しただけ。次のようなことが感じられれば良かった。
●「眼鏡」は恋人が亡くなった喪失感を話し出すが、その先は聞かなくても分かる。「包帯」は事故で二目とは見られない顔になったが、恋人から「悲しくはない」と。それぞれが相手の話を聞いても自殺するほどの事ではないと言い合い、相手を怒らせてしまう。それが納得出来ること。
● 結局、2人は自殺しない。勿論死ぬのが恐いこと。2人の悲恋は命を懸けるほどの価値がないと悟った、そんなことが感じられること。
●全体的に表層の面白さが目立ち、その奥に潜む<死と生>の奇妙な可笑しみが滲み出ていないのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演
桐朋学園芸術短期大学
調布市せんがわ劇場(東京都)
2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了
実演鑑賞
有名な戯曲2編「父と暮せば」(井上ひさし)・「2020」(上田岳弘)、と言っても後者は観たことがない。前者は現実をリアルに描いた反戦劇、後者は抽象的というか観念的な創造劇。その違いを続けて観ることで、演劇の幅広さ奥深さを改めて感じさせる。上演演目の選択は勿論、その並べ方(上演順)も上手い。
ネタバレBOX
〇「父と暮せば」(作:井上ひさし)
板敷の上に畳、中央奥は台所/流し場、上手に襖 傍に卓袱台。屋外には隙間のある板壁が見える。シンプルな造作だが、戦後のあばら家と思えば納得できる。登場人物は父と娘の2人。当日配布されたチラシによれば役者2人は同い年。それを父・娘を演じることの違和感を危惧したが…。設定では亡父だが、亡くなったのが兄で 親心といった面持ちで観ても泣ける。
物語は、戦後3年経った夏の広島が舞台。美津江は「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と固い決意。原爆で多くの愛する者を失った美津江は、1人だけ生き残った負い目を持っている。最近 勤めている図書館に通ってくる青年に好意を抱くが、恋のトキめきからも身を引こうとする。 そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」として現れるのが父・竹造。実はもはやこの世の人ではない。共通パンフには「死者と生者、父と娘それぞれの抱える思いが交錯しながら紡がれていく日々」とあり「いまを生きるあなたに届けたい物語」と結んでいる。
父と娘、その年齢差をあまり感じさせない演技力。全編 広島弁、その臨場感も相まってシーンとした場面では、至る所ですすり泣きが聞こえる。第二の故郷が広島であり、聞き慣れた広島弁に違和感は感じられなかった。それだけ方言指導と演技が確かということ。
気になったのは、すべって尻もちを搗き苦笑いする美津江。転んだのが気になったのではなく(⇦良くはない)、真剣に演技しているから真顔、その表情が硬く(特に目が据わっているようで)怖い。転んだ(アクシデント?)後の苦笑いだが、何となく柔和になったように思う。真剣に演じている表情だが、例えば亡くなったとは言え、父が幽霊となって現れる。それだけでも嬉しいと思うのだが…。真剣になればなるほど硬い表情・演技になる難しさ。因みに、美津江役の東春那さんは翌日 ブランケットの貸出をしていたが、その時の笑顔は優しい。
舞台技術は、冒頭の雷鳴や雨音、そして朝・夕を表す照明の諧調が実に効果的だ。特に原爆投下を表す目つぶし照明は 強烈な印象付け。また美津江の衣裳は白ブラウス&もんぺ、父の普段着も時代感覚に合っており、戦後間もない頃の様子を窺い知ることが出来る。
〇「2020」(作:上田岳弘)
舞台美術は横長テーブルを菱形に配置し、その角に額縁枠だけの小物を置いたシンプルなもの。正面奥に映像を映し出す。登場人物は男1人…約60分間の一人芝居でその台詞量は膨大だ。
物語は時代を往還するかのように、その時々の情景や状況を表す。「2020」というタイトルだが、描かれている時代・世界は現在の視点のよう。共通パンフによれば、疫病があっという間に世界を覆い、まさしくコロナによるパンデミックを連想させ、東京オリンピックを起点に はるか昔、人類の誕生からはるか先の世界の終わりまでを語る。まさしく<語る>のだが、それは独白のようでもあり、演者の精神・肉体から発する声のようなもの。それをしっかり伝え届けることが出来るのか否かが、この物語の面白いところ。
物語に関連があるのか、先のパンフによれば「クロマニヨン人」「赤ちゃん工場の工場主」「太陽の錬金術師」そして「最後の人間」などが語られている。また断片的な台詞で世相の象徴的なことを表し、時代を行き来するタイムトラベルまたは宇宙飛行を思わせるような映像、その舞台技術の駆使が印象的だ。照明ライトを浴び、その中に浮かぶキャストのシルエット…腕を天に向かって伸ばす姿が神々しい。全体的に観(魅)せるを意図しているよう。
また、具体的な事件等も映し虚実綯交ぜといった観せ方だ。語り続ける男、その本意をどこまで理解出来たかは解らない。
言えるのは、男が客席通路を駆け上がったり、横長テーブルに上り熱く語る姿。それが熱演といえるかどうか?だた永い人類史に絡めた人間心理と社会世相、それを額縁枠から覗く様は俯瞰的であり客観的に自身を語っている、とは感じられた。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演
桐朋学園芸術短期大学
調布市せんがわ劇場(東京都)
2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了
実演鑑賞
あまり学生演劇は観ないが、本公演は誘われて というか依頼されて3日間せんがわ劇場へ。全6公演のうち5公演(観なかったのは「地獄」)を観劇した。初日に「『地獄』だけは見たくない」と シャレにもならないことをスタッフ(学生)に言ったが、実は その時間帯に別公演を観ることにしていたというのが正直なところ。
ちなみに、この公演は学士「芸術学(演劇)」取得のための審査対象となる上演であり、上演作品の映像を専門家が観ることになっている。よって★評価はしない。
「観てきた」は演目ごとではなく 観劇日ごとに記する。始めに全公演に共通することと初日の「フローズン・ビーチ」、2日目は「父と暮せば」「2020」、3日目は「葉桜」「命を弄ぶ女ふたり」を書く。3日間は雨が断続的に降り、蒸し暑かったり肌寒かったりと体調管理が難しかった。そんな中、スタッフは 雨で足元が悪い中、受付や傘入れなど丁寧な対応、劇場内では座席への誘導やブランケットの貸出など親切な対応が気持よい。観客にとってスタッフ対応の良し悪し、その第一印象は大切。
ネタバレBOX
〇 共通
観劇した5公演は、いずれも有名作品。自分は「2020」以外は観たことがあり内容(粗筋)は知っていたが、演出(舞台美術も含め)や役者(演技)が違えば印象も異なる。その意味ではフレッシュな学生演劇を楽しんだ。とは言え、桐朋学園芸術短期大学専攻科、それも演劇専攻(56期)というだけあって演技は確か。
作品ごとにトリガーアラートを記載し、観劇にあたっての配慮をしている。例えば「フローズン・ビーチ」では、暴力・流血描写(服が血で赤く染まっている)、銃声などの大きな音、といったこと。
〇「フローズン・ビーチ」(作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
舞台美術は、中央に横長ソファとテーブル、その後ろに白幕。上手のカーテンの奥にベット、レコードプレイヤー、下手は酒瓶が並んでいる棚が置かれている。
物語は1幕3場。別団体で観た公演の上演時間は 2時間30分ほどだったが、本公演は1時間20分と短縮版。その時間経過に伴う変化等を補うため、白幕へテロップを映し説明を加える。
物語は、カリブ海と大西洋のあいだにある島(リゾート地。島の名前は出てこない)に建てられた別荘のリビングが舞台。別荘の持主は、双子の姉妹である愛と萠の父親・梅蔵で、千津とその友人・市子は、愛に招かれて滞在している。千津と愛は親密のようだが、実は千津は愛に対する憎しみがあり、市子と共謀して彼女をベランダから突き落としてしまうが…。一方、双子の姉妹の義理の母で盲目の咲恵は、萌と二人きりでいる間に彼女と諍いを起こすが、体の弱い萌はあっさり死んでしまう。咲恵はベッドルームに萌の死体を運ぶ。咲恵と、死体を愛のものと勘違いした千津、市子との間で滑稽な行き違い。結局、萌は心臓麻痺だったが、千津と市子は真相を知らないまま日本に発ってしまう。第二場は、8年後の同日、同じ場所が舞台で登場人物も同じ。千津は自分が殺人犯だと思い込まされていた恨みから、再び市子と共謀し、愛と咲恵に毒を盛るが…。第三場は その8年後、水没しかかっている同じ場所に集まった4人。
戯曲の力であろう 世相を反映したかのような描きーーバブル期の狂乱景気・騒動、オウム真理教を思わせる妄信した狂気(凶器)ーーが点描されており見応えあり。
5人(キャストは4人)の女が繰り広げるサスペンスコメディ。等身大の女を生き活きと演じており、その弾けた(エキセントリックな)演技が実に面白い。時代・時間の変化は衣裳は勿論ヘアスタイルを変えるなど細かい。舞台技術は、照明の諧調で情況や状況を巧みに表し、音響・音楽(レコードを聞かせる)は効果・印象付けをしている。
気になったのは 次の通り。
●上演時間が共通パンフでは60分、入り口には80分、そして5分押し。数分なら気にならないが…。
●場転換、明転してもスタッフが舞台上で作業しており、慌てて捌ける。
●白幕へ映写した文字スーパーとそれを読む音声がズレている。
●死んだ萌がカーテンの隙間から動くのが見えてしまう。
いくつか列挙したが、改善の余地があるものばかり。
次回公演も楽しみにしております。