バルブはFB認証者優遇に反対!!の観てきた!クチコミ一覧

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象はすべてを忘れない

象はすべてを忘れない

ままごと

象の鼻テラス(神奈川県)

2013/12/01 (日) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

海辺のテラスで幸せなひととき♪
 横浜の港にある象の鼻テラスは、俯瞰で見ると象の頭部のような形をしているガラス張りの大きなカフェ。その内外で柴幸男と20人超の役者たちが歌唱やダンス、紙芝居、寸劇など様々な出し物で客を驚かせたり、楽しませたりする4時間半。
 バルブの居住地から横浜までは結構な距離があるのだが、いやぁ~、行って良かったです。
 男女から成る役者たちが和気藹々と自分たちも楽しみながら客を喜ばせる姿は見ているだけで人を幸せな気持ちにさせます♪
 おまけに役者も案内スタッフも親切かつフレンドリーで、客が困っているとすかさず手を差し伸べてくれるし、気さくに話しかけてもくれる。このホスピタリティには痛み入りました。
 テラス内には“象の鼻ラジオ”という音声放送が流れており、象の形をした手回し充電式のラジオ受信機で聴くのだが、機械に不具合が生じると
役者やスタッフが目敏く見つけて直してくれて、バルブも何度お世話になったことか。。
 このラジオ放送がまた面白くて、「板東英二が『世界ふしぎ発見』を降板した7月27日の横浜の天気は雨でした。」などと横浜の過去の天気を伝えるコーナーがあったり、音楽や架空のニュースを流したり。このお天気コーナーのみ何故かブラックなのを除けば、他のラジオコンテンツや出し物は柴幸男らしい“上品で可愛いユーモア”に満ちていて、クスクスと笑いながら温かい気持ちに。 笑いの要素はなかったものの、とりわけ温かい気持ちにさせられたのが役者陣が総出で行う終盤のパフォーマンス。これは、ある女優が公演の説明文を基調にした詩のようなものを客席に向かって語り聞かせ、テラス内外に散った役者たちが詩の内容を当て振りで表現するというもの。
 なんでも象は一度見聞きしたことは決して忘れないそうで、「ペリー君」と名付けられた象のオブジェに乗っている詩の語り手はそのうちペリー君がテラスに来てから見聞きしたはずのものを列挙し始め、「海」「船」「親子連れ」「カップル」などをあちこちに散った神妙な表情の役者たちが夕陽に染まりながらジェスチャーで表現する姿はあまりにも美しく、尊く、熱いもので胸を満たされたバルブはあやうく落涙しそうに。
 上述の象の性質に由来するらしい“記憶”というテーマと各出し物の関連がやや薄いと感じていたバルブは、テーマをダイレクトに反映したこの出し物で完膚なきまでに打ちのめされてしまったのだ。
 出し物はこれだけにとどまらず、ネタバレに記すサプライズ色の強いものも。
 海辺のテラスでこれだけのものが無料で楽しめるこの催し、もしこういうのが好みなら、できるだけ多くの方に体験してほしい。

ネタバレBOX

“象の鼻スイッチ”は、随所にある指示書に書かれた通りのことをすると近くの役者が決まった反応を返してくれるという出し物。指示書通りの行動がスイッチとなり、役者が“作動”してくれるというワケ。
かと思えば、幾種類もの紙芝居や“味わい深いダンス”と名付けられたダンスパフォーマンスがコーヒーや紅茶を注文するようにオーダーできるひとときが設けられていたり、さらには、紙芝居の扉を開くとフレームの向こうで役者たちが寸劇を演じてくれる“人間紙芝居”ともいうべき出し物があったり。
楽しいですよ♪
新説・とりかへばや物語

新説・とりかへばや物語

カムヰヤッセン

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/12/13 (金) ~ 2013/12/23 (月)公演終了

満足度★★★★

思弁的野心作
 作・演出家の分身たる噺家が『とりかへばや物語』を翻案した新作落語を創作しながら、説明文で作・演出家の問うていることを考えていくお話。
 創作落語の中身は当然ながら劇中劇として表現され、時間もそちらにより多く割かれるが、思弁的な作品ゆえ理屈っぽいやり取りが必須となり、その理屈っぽいやり取りをことごとく“噺家と作中人物の会話”、あるいは“噺家と師匠の会話”として処理しているあたりがなんとも巧い。
 さらには、噺家が創作落語すなわちホラ話として書いているはずの噺がそのじつ噺家と師匠の関係に大きな影を落としているという劇構造、セリフのシンクロの効果的な活用にも唸らされたが、本作が優れているのはそれだけにとどまらない。
 噺家と師匠の会話も劇中劇における会話もそれこそ落語の世界のように粋で洒脱で観る者を魅了し、のみならず性を扱う劇として避けては通れぬ色っぽい場面もじつになまめかしく演出され、危うく下腹が張りつめそうに。
 しかも、落語家役を振られた役者は語り口はもとより所作においても本物と見紛うくらい役になりきっており、どれだけ役作りに心血を注いだのかと感心しきり。
 これほどの傑作にもかかわらず四つ星にした訳はネタバレにて詳述する。

ネタバレBOX

 噺家が『とりかへばや物語』を改作してこしらえる噺。それは双子を持つ父親が、しっかり者で和算の得意な男っぽい娘を男として、不甲斐ないがお喋りの達者な女っぽい息子を女として、すなわち表向きの性別を取り替えて世に出すというもので、息子は作中で“かつては女だけだった”と仮定されている落語界に女装して潜り込み、腕を磨いて名を上げていく。

「喋る、ことって、ぼくはきっと女性のほうが得意だろうと勝手に思っていて、なのにこれがプロの「噺家」になる時は、圧倒的に男性の演者の方が多い。
でも、僕らがはじめに耳にする「話」は、きっと絵本の上の母親の声だったりする。
これは、男女の役割がどこかで取り替わってしまったのではないかしら。
というのが、今回の作品の出発点でした。」

 作・演出の北川さんは説明書きにこう書いていて、劇中劇は上の問いかけに是(ぜ)と応じ、時の為政者が発した女人落語禁止令を受け“女装落語家”が男として出直し、これを機に落語が男のものになるという顛末をたどるが、残念なことに“喋ることは女性のほうが得意なはず”との主張はあまり説得力を伴って伝わってこない。これが本作を4つ星にした理由である。
 女装落語家の師事する女落語家は「男は理屈でものを考えるからいけねえ」「男は初手からサゲを見据えて話し出すから噺に遊びがなくていけねえ」などと持説を述べるが、“理屈でものを考えること”も“サゲを見据えて話し出す”ことも落語を上手く話すための必須条件に思え、“喋りは女が上手(うわて)”と信ずる女師匠の主張には首肯できかねたのだ。
 とはいえ、本作が問いかけていることはとても興味深く、“問題提起の劇”としての価値は甚大。
 今回示されたテーマはまだまだ深掘りできそうなので、スピンオフ作品の製作を切に望む。

ザ・ランド・オブ・レインボウズ

ザ・ランド・オブ・レインボウズ

天才劇団バカバッカ

六行会ホール(東京都)

2013/12/11 (水) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★

当日券で鑑賞。楽しいコメディ。
“変わります宣言”を行い、前作を境に第二期へ突入したはずだったバカバッカ。
 今作を観たら、変身宣言など無かったかのごとく以前の作風に戻っていたが、これで良かったのではないだろうか?
 変身宣言の中で主宰は「今後は大人の鑑賞にも耐えるものを」といったことを語っており、そこを意識したのか、第二期一作目にあたる前作『タイム・アフター・タイム』は前々作『ウェルカム・ホーム』にあった“ファミリー向け演劇”の趣が消えており、ストーリーも子供には理解しづらい複雑なものになっていた。いや、「子供には」どころか、大人であるバルブまでが途中で話を見失いかけたくらいだ。
 ところが今作は家族でも楽しめそうな健全な作風に還っており、それに伴いストーリーも単純に。
 筋がすっきりした代わりに、以前のように脱線エピソードやミュージカルシーンが多めになって“エンターテイメントショー”の趣が強くなり、結果、とても取っつきやすい楽しいコメディに仕上がっていた。
 説明文には「映画に青春を捧げた若者たちの群像劇」とあり、若いスタッフが一丸となって映画製作に打ち込む熱い劇を予想していたが、この見立ては良い意味で裏切られ、スタッフは問題児だらけで誰も彼もがトラブルメーカー。みんなが勝手に振る舞って団結しようにも団結できず、製作がなかなか進まない様子を劇は面白おかしく描き、観客の笑いを頻繁に誘っていた。
 なお、持ち上がるトラブルはぶっ飛んだものばっかりで、物語は著しく現実味を欠いているが、コメディなのだし、これくらい荒唐無稽でも構うまいとバルブは思った次第。

ネタバレBOX

 かくかくしかじかで、本作はクランクインに至るまでのゴタゴタを話の主軸に据えているが、これは賢明な判断。
 撮影シーンを主にしていたらハチャメチャな要素が薄くなり、コメディとしては生彩を欠いたものになっていたはず。
24250

24250

MCR

中野スタジオあくとれ(東京都)

2013/12/10 (火) ~ 2013/12/13 (金)公演終了

満足度★★★★★

痴話喧嘩演劇はかくあるべし!
 二組のカップルが周囲の者らを巻き込んで盛大に痴話喧嘩を繰り広げる、ただそれだけの劇。ストーリー性には乏しいため話はあまり動かず、会話劇の性格が濃いが、口論ばかりしている面々が相手を説得するために持ち出す屁理屈やたとえ話には櫻井さんらしい極度の理屈家ぶり、レトリシャンぶりが色濃く出ていて面白く、頭をフル稼働させないとついていけない、ややこしいけど機知に富んだ櫻井流のセリフの応酬を堪能。
 登場人物8人が相手を言い負かすためその場しのぎで発したような言葉の中には『ニーチェの言葉』に出てくるような目からウロコの名言・金言が無数にあって、櫻井流箴言集に酔い痴れた。
 本作、本来はもっと広い劇場でもっと大金を取って見せるはずだったそうだが、ある意味マニアックなこういう劇に結果としてなったのは、商業演劇の話が流れ、小さな小屋で客ウケをあまり気にせずに済む廉価で見せることができたがゆえ。状況と櫻井さんの才能が結び合って生まれた本作のようなお芝居は今後作られない可能性が大なので、観られるうちに観ておくことをお薦めしたい。
 なお、さっきの書き方だと本作には哲学的なセリフばかりが溢れていると誤解されかねないが、櫻井作品らしく間抜けなセリフやバカバカしいやり取りもてんこ盛りなのでご安心を!
 あと、会話劇というと現代口語演劇の影響か、人物同士が淡々と言葉を交わし合う静かな劇が想起されがちですが、本作の場合、ドタバタを伴うやり取りも多く、むしろやかましいくらい(笑)。
 面白いです♪

デンギョー!

デンギョー!

小松台東

高田馬場ラビネスト(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/10 (火)公演終了

満足度★★★★★

意外や労使対立の劇
 宮崎の小さな電気工事会社の労使対立を軸にした、悲喜こもごもの人間ドラマ。
 観てつくづく思ったのは、演劇は緩急だということ。
 “急”にあたるシリアスで重いシーンは方々の女性客からシクシクと啜り泣きが聞こえてくるほど痛切な反面、“緩”にあたるコミカルなシーンは電気工同士のしょうもないふざけ合いが極まって肉弾戦まで飛び出すほどで、その振れ幅の大きさに引き込まれた。
 それも、緩、急、緩、急…と続く大きな流れがあるだけでなく、それぞれの緩や急の中にさらなる“緩、急、緩…”が畳み込まれているという念の入りようで、作劇のお手本を見る思いでした。
 しかし、流行り廃りに捉われずにこうした普遍的な人間ドラマを作り続ける団体があるのは心強い。
 この団体が今作で描いたのは人類が滅びない限り永遠になくならないに違いない、中間管理職の苦悩。上からは圧迫され、下からは突き上げられる者の憂いを管理職役の松本哲也が抑えた演技で見事に表現しており、その苦しい胸の内がひしひしと伝わってきた。
 もちろん、コミカルなシーンもシリアスなシーンに負けず劣らず面白く、飄々としてトボけたキャラクターが素敵な永山智啓扮する中年電気工から同僚への「何か面白いこと言え!」というムチャ振りから始まるくだらないやり取りにはその都度笑わされました。

ネタバレBOX

 終盤は緊迫したシーンが続くものの、垂れ込めた重苦しさを払拭して余りある開放感あふれるシーンで劇は終わり、本作には最後の最後まで緩急の妙味が。ただ、その晴れやかなラストシーンにあの人の姿がないのが切なかった。
ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

KAKUTA

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2013/12/02 (月) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

初KAKUTA2発め/ショッキングなほど煮えたぎれ美しく
 バンド演奏があるほかは割とオーソドックスな青春譚であり血族劇。中盤まではそれ以上のものには思えず、4つ星にしようと思っていたら、終盤部の怒濤の畳みかけにまんまと心さらわれてしまった。。
 したがって5つ星!

ネタバレBOX

 2つの修羅場が併走する本作一の山場に続き、諍って傷ついた者たちがロックに合わせてイカれたように踊り狂う終盤部のワンシーンは迫力! 踊る一同に同化して激しいカタルシスを味わった。
 そこから微笑ましくも感動的なラストを経てキャスト全員が揃い踏みし、バンド演奏に合わせて笑顔で乱舞するカーテンコールへ、という流れは完璧!
 劇場内は心地良い一体感に包まれ、客席からは手拍子が自然に起こり、気がつけば冷静なバルブまでもが両手を高々と掲げてキャスト一同に心からの喝采を送っていたのでした。。
ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

KAKUTA

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2013/12/02 (月) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

初KAKUTA/アイロニーの夜
 KAKUTA初体験は『アイロニーの夜』から。
 フライヤーに記載のあった4つの短編小説を、朗読とそれに同期した演技によって表現する試み。
 各話の読み手のチョイス、配役、演出…あらゆる点で申し分なかった。
 4話とも、セリフやエピソードの付け足しもなければ割愛もなく、過剰なショーアップも控えられ、ほぼ、というか、完全に原作通り。
 にもかかわらず、原作の世界が朗読と演技によってとても豊かに表現されていた。
 原作を全て読んでから観た私が、展開が分かるにもかかわらず楽しめたのは、演出家、さらには読み手と演者の技量の賜物と言っていいだろう。
 とりわけ感心させられたのは演出の桑原裕子によるキャラクター造形。
『神様 2011』のクマは一体どう表現されるのか? 
 これが観劇前からの一番の懸念事項だったが、人間界に暮らし、人と会話もできる擬人化されたこのクマは人間にもクマにも見えるよう見事にスタイリングされていたし、『テンガロンハット』のキーパーソンと言うべき青年・山田はその掴み所のなさが配役の妙も手伝って巧みに表現されていたし、『炎上する君』のブ女子コンビはメイクさんと衣裳さんが演出家の注文に応え原作で示されている通りのルックスを完璧に具現化している上、演じ手の桑原裕子と異儀田夏葉がブ女子コンビの無愛想さ、ぶっきらぼうさを適切な役作りで上手く醸し出し原作通りの滑稽味を漂わせていて、キャラ造形については文句のつけようがなかった。
 各作品の持ち味を顧慮して選ばれた役者たちによる朗読も素晴らしい。
 不気味なところもあるものの、どこか微笑ましく温かい『テンガロンハット』は柔和な雰囲気を持つ四條久美子が笑顔を絶やさず優しい声音でやわらかく読み上げ、容姿に恵まれない女子2人が自分たちだけを信じて力強く生きるお話『炎上する君』はよく通るハスキーな低音ヴォイスが魅力的な高山奈央子が「男なんて!」と突っ張って生きる女子2人の物語を作品に相応しい落ち着いた語り口で迫力を伴って読み聞かせる。他2作品も読み手のチョイス、読み方ともに適切だと感じたが、私は特に上記2作品の朗読に心惹かれた。
 そして忘れてならないのが、“アイロニー=皮肉”というテーマと4作品の相性。『神様 2011』だけが人間と国家の間に生まれる皮肉を描き、人間と運命の間に生じる皮肉を描いた他の3編と趣を異にしていて、その点だけが少し惜しまれるが、どれも皮肉の利いた話であることに間違いはなく、お陰で、個々の作品だけでなく、全体としてもとても楽しめる一作に仕上がっていた。
 各作品の合間合間に断片的に演じられるオリジナルストーリーもテーマに即しているうえ上々の出来。
『神様 2011』を除く3編とこのオリジナルストーリーは間合いに重きを置く桑原演出によりクスクスと笑える仕上がりになっていて、その辺も見所。

ネタバレBOX

 原作では容姿についての記述がない『テンガロンハット』の地味で内気な女主人公を大枝佳織という清楚で美しい女優さんが演じていたのはめっけもの! 原作を読みながら十人並みの女性を想像していただけに、とっても得した気分に。
光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫>

光のない。(プロローグ?) <演出: 宮沢 章夫>

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/30 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★

幼女にも出て欲しかった
20代から50代まで、いろんな世代の女優5人が『光のない。(プロローグ?)』ほか同シリーズのテキストの断片を時に声を揃えて、時に別々の文句をまちまちに語って聞かせるパフォーミングアート色の濃い公演。
 舞台上をさまよいながら別々の文句を諳んじる女優達の声をサウンドエフェクト技術を駆使して増幅・加工し、かつ交錯させ、音の万華鏡とも言うべき美しくも妖しい、眩暈のしそうな音場を作り出すファーストシーンから持っていかれた!
「パフォーミングアート色の濃い公演」と書いた通り、この公演は上のシーンで出色の仕事をしている音響マンをはじめ、美術、音楽、照明などの各スタッフが裏方の枠に収まらない“イイ仕事”をして女優陣とコラボレートする“総合芸術作品”の趣が強く、バルブは五感すべてを全開にして本作を堪能。
 演出の宮沢章夫が自ら手がけた美術も素晴らしく、逆トレイ形に盛り土をした舞台の周縁に洗剤、ワインボトル、テレビ、電話機など津波で流された生活用品を思わせる品々を点在させて荒涼とした世界を表現し、3.11への応答として書かれた『光のない。』が上演されるに相応しい場をしつらえていた。
 良かったのは、相当なボリュームがあり且つ掴みどころのない『光のない。』3部作から、3.11を直接的に想起させる比較的分かりやすい文句が選ばれ、読み上げられていた点。そしてもう一つ、テキストを読み上げる女優たちが、同時に“テキストの意味を探る者たち”としても描かれている点である。
 つまり、女優たちも観客同様、テキストの意味を完璧には分かっていないという設定になっており、原テキストにたまたまある「意味、分かる?」という文句を読み上げて観客に問いかけたり、ある文句の意味をめぐってああでもない、こうでもないと言い争いをしたり、意味をより正しく汲み取ろうとテキストを見ながら朗読したりするのである。
 お陰で、観客たちは置いてけぼりを食うことなく女優陣と一緒になってテキストの意味を探ることになり、退屈せずに劇を鑑賞できるのだ。それどころか、笑劇の作り手としても名高い宮沢章夫の手によって言い争いのシーンなどはかなりコミカルに演出されていて、客席からは笑いもチラホラ。
 先に記した各技術スタッフの“イイ仕事”にこうした“魅せる工夫”も加わったこの舞台は、ここ数年の宮沢章夫演出作品の中でも屈指の出来と言っていいだろう。
 当方は松井周とのアフタートーク付きの回を観たのだが、松井氏も指摘していた通り、テキストが文字で表示されることが一切なく、『光のない。』が徹底して音声のみで表現されているのも本作の特徴の一つ。
 宮沢章夫いわく、文字を使わなかったのは、
“全てが失われ、紙やペンさえなくなった世界であの出来事を伝えるにはどうすればいいかと思案した時、口承に依るしかないと考えた”ためだという。
 つまり、3.11を受けて書かれた『光のない。』をいろんな世代の女優が読み上げるのは、あの惨事が世代から世代へと語り継がれていく“この先”を暗示してもいるわけである。
 ならば、女優陣にはぜひ幼女も加えていただきたかった。
 そうすれば“代々語り継がれていく”感じが増したはずだし、幼い者にとってはなおのこと分かりづらいに違いないイェリネクのテキストを幼女がまるで呪文でも唱えるように単なる音としてたどたどしく読み上げれば宮沢氏が本作で伝えたかったことの一つ“イェリネクのテキストの難しさ”が観客により明瞭な形で伝わったはずだから。
 …などと小さな不満を挙げていけばキリがないが、夕陽とも朝陽ともつかない黄色がかった光の満ちる舞台の上を女優たちが語ることをいったんやめてゆっくりしずしずと歩んでいく中盤の“沈黙の6分間”をはじめ、思わず心奪われてしまうような美しいシーンが相次ぐこの舞台はやっぱり魅惑的。
 とりわけ、“沈黙の6分間”の美しさは只事ではなかった。
 ただ、3.11を題材にした劇がこんなにも美しくていいものだろうかという疑問は残る。
 同時に恐ろしさも描かれているとはいえ、題材が題材なのに、この劇はいささか美に寄りすぎている。

ネタバレBOX

 本作では後半部で“復興”が描かれるとはいえ、それはまだ道半ばにも至っておらず、そこに思いを致すなら、やはり本作は美しさをもっと抑え込むべきだったとやはり思う。
 
Dear friends (東京)

Dear friends (東京)

劇団6番シード

劇場MOMO(東京都)

2013/11/29 (金) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★

ドリフの長屋コントみたいな楽しさ♪
 舞台となるのはオンボロアパート“メゾン・ド・ピクルス”の一室、「哲学先生」と仇名される偏屈なギャグ漫画家の住居兼仕事部屋。
 安アパートのくせにこの部屋、8畳間にキッチンスペース付きとかなり広く、舞台スペースに合わせてセットを組むから必然的にそうなるわけだが、かなり横幅がある。
 ウナギの寝床のように細長いこの部屋にいろんな住人が出入りしてはドタドタと他愛ない騒動を繰り広げるのはドリフの長屋コントを観ているようで、うきうきと心が躍る。
 あるいは、『マカロニほうれん荘』といった昔のアパートものギャグ漫画を読んでいるような楽しさ。
 ギャグ漫画家は常人には理解不能なぶっ飛んだ新作のアイデアを始終ブツブツ呟いてるわ、金欠から転居してきたホストの男はDAIGOみたいなギャル男口調で持説を熱く語るわ、他にもネガティブ思考の家出少女、ガラッパチな水商売女など、どの住人もキャラが立っていて、各キャラクターの偏りよう、十人十色っぷりはまさしくギャグ漫画!
 そこへほどよく人情味がまぶされて、ペーソスとユーモアのバランスも丁度良い。
 ただ、全体として見ると小エピソードの寄せ木細工といった印象は否めず、もうちょっとストーリー性があれば、そして結末にもう少し締まりがあれば、もっと良くなったと思う。
 大家の娘を明るく演じた椎名亜音さんに好感♪

ネタバレBOX

 水商売女が「おならしちゃった」と繰り返す天丼ギャグは不要。
ホテル・アムール

ホテル・アムール

ナカゴー

あさくさ劇亭(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★

リアリズムは期待するまじ!
 深夜のラブホテルでの痴話喧嘩話という前情報と、ピンクのダブルベッドが舞台中央に鎮座し、それを足元側から覗き見るように客席が設けられているという空間構成から、顔をにまにま、下腹部をムズムズさせつつ覗き見感覚で楽しめるリアルな艶笑会話劇を期待したが、蓋を開けたら痴話喧嘩を端緒にしたただのドタバタ劇。
 ステージングから艶っぽいシーンで始まるのかと思いきや、墨井鯨子演じるヨシコという女が隣で寝ている恋人・コウジに声を荒らげて詰め寄るシーンから劇は始まり、せっかくのピンクな気分は幕開けと共に消失。。
 序盤のこの痴話喧嘩のくだりも含め全編通じて会話のリアリティはゼロだわ、作・演出の鎌田氏の引っ張り癖、天丼癖が痴話喧嘩シーンも含め随所に出ているわで、観劇中は下腹部のみならず心も萎え気味だったが、ドタバタシーンは思いもよらぬ展開、そしてカップルを演じる墨井さんと今村圭佑さんの吹っきれた演技によりそれなりに楽しく観られました。
 喧嘩に疲れて大人しくなった墨井さんの意外にも妖艶な所作、傷ついて泣き出すシーンの思わぬ可愛らしさなど、バルブと同じ墨井ファンにとってはそうした点も見所の一つか?

ネタバレBOX

 ヨシコにしつこく浮気を疑われて正気をなくした彼氏が3人の浮気相手の生き霊を呼び出して勃発するドタバタ劇は圧巻!
 彼氏が浮気相手の一人の女子高生を「バックで姦ってる時、モジャモジャの背毛(せなげ)が目に入って萎えるんだよ」と絶叫調でなじったり、墨井さんが彼氏のまた別の浮気相手に「膣を引きずり出してやる!」と金切り声で悪態をついたり、卑語は相次ぐわ、墨井さんは四方八方に唾を吐いてベッドに結界を作るわで下品の極みだが、時に高尚視されかねない演劇の世界においてここまでお下劣に徹する姿勢にはちょっとだけ快哉を叫びたくなる。
しどろオムライス

しどろオムライス

劇団しどろもどろ

立教大学ウィリアムズホール4Fスタジオ(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

先鋭的学生演劇。デミグラス編を鑑賞
 お初の学生演劇でここまで良質なものが観られるとは…。
眠れぬ夜などにたまたまEテレあたりでやっていて、思いがけぬ面白さについつい最後まで見入ってしまう先鋭的なコント番組をさらにトガらせたような短編オムニバス公演。
短編集で内容はまちまちながら、どの話も熱を帯びすぎることなく、全体が抑制の効いたクールなトーンでまとめられているのがいい。“みな若いんだし、もっと熱い芝居をやりたくならないのか?”と少し不思議に思いながらも、抑えめの演技でしれっと笑わせにくる作風はもろに好みで、最後までにまにましながら観入ってしまった。

ネタバレBOX

先に「先鋭的」と書いたが、10本の短編のうちそれが最も極まっていたのが、演劇の約束事が次々破られ、何重構造にもなったメタ演劇が展開していく「安藤の世界」。
 こういうものには時々出くわすが、メタ演劇をここまで突き詰めたものはかつて観たことがなく、今公演で最も気に入った。
 最後は出演者全員が自分の出ているメタドラマに翻弄されて発狂するに至るが、仮にテレビのコント番組で同じような試みがなされても、“視聴者がついて来られないのでは?”との危惧からここまでは絶対にやらないだろうし、多層構造もせいぜい三重構造程度にとどめるに違いない。
 しかも、単に野放図なだけでなく、中盤、ある人物から「そのうち私は心を失った」という凄いセリフが比喩としてでなく、それもさらっと発せられるなど、観客をハッとさせるシーンも相次ぐ。
 当公演がどんな先端的コント番組よりも過激だと書いたのは、このような意味においてである。
 二番目に気に入ったのは、現実世界がゲーム内の仮想世界に取り込まれていくブラックコメディ「Bluetooth」。
 ゲーム内の一キャラクターがゲームプレーヤーである引きこもり大学生の分身のような性格を帯びていき、逆にプレーヤーを操り出してゲームを始めるというストーリーにはゾクゾク…。この劇団の持ち味である“抑えた演技”が不気味さを際立たせ、初めのうち起きていたクスクス笑いはやがて消失、最後にはどのお客さんも恐怖に顔をこわばらせていたのは言うまでもない。主従関係が逆転するという共通点から、当方は腹話術師が人形に操られる“いっこく堂”のあるネタを想起した。
 「レミニセンス」は今公演では珍しくお笑い要素ゼロの悲恋物語。何年にもわたるお話が省略の妙によりコンパクトにまとめられていて感心。劇団の持ち味である抑えた演技がかえって切なさを際立たせ、ラストシーンでは心の冷たいバルブの目も思わず潤んでしまった。
 他にも良作はいっぱいあったが、中でもとりわけ完成度が高かったのが以上の三篇。
 ケチャップ編を観られなかったのが悔やまれる。
 また観たい劇団。
永い遠足

永い遠足

サンプル

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2013/11/17 (日) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★

喜劇作家の潜在能力
 現に喜劇を書いているかどうかはともかく、喜劇を書く潜在能力を持っていそうな演劇人の作品を好んで観ていることに最近気づいたのだが、松井周の喜劇作家性が強く出た一作で、考えさせられながらも笑った場面が多々。
 一応、『オイディプス王』が劇の主要な下敷きになっています。
 母子相姦を暗喩的に示したシーンの迫力は断然!

ネタバレBOX

●ネタバレ

 その『オイディプス王』にしても、安っぽく滑稽に変奏されているのが松井周らしくて面白い。
 それだけに、原話よりもショッキングに脚色された重い結末には胸を抉られた。
 その結末はその後、ある演出によって相対化されるが、あの演出はまぁ余興的なものと見なして構うまい。
 もちろん、同作を下敷きにした物語にはサンプルらしくシェアハウス、先端医療、ネット社会など今日的なモチーフが多々ちりばめられ、松井流現代戯画の趣も。
 ただ、時事的な多くの劇が陥りがちなように、そうしたものをただネタとして消費するのでなく、それらを扱う作・演出家の手つきに“これらは他人事ではない”という切実味が感じられるのが何よりいい。そして、上に挙げたモチーフ群は大なり小なり滑稽味を強調された形で劇中に現れ、時に笑いを誘いもするが(今作はこれまで観た松井作品の中で一番笑いを取っていた)、観る者は笑いのめした当のものが己にも含まれていることに、あるいは己と密に関わるものであることに笑顔が消えた頃に気づかされ、ハッとさせられる。笑い一つとってもこのように一筋縄ではいかないところがサンプルらしさだ。
 現代的なモチーフの一つとしてシェアハウスを挙げたのは、ヒト、ネズミほか4つの生物の交合種であるネズミ人間ピーターがある場所に仲間たちと新天地を作ろうとするのが、ピーターと同じくはっきりした帰属先を持たない(なにしろピーターは4種の生物のハイブリッド!)若者たちがシェアハウスに新手のコミュニティを打ち立てようとする姿にダブって見えたから。たぶん松井周の頭の中でもピーターはシェアハウス住人と二重写しになっていたのではないか?
『永い遠足』というタイトルは初めピンとこなかったが、人生をあてどなくさまよう人々を描いたこの劇にふさわしい表題だと今になって思う。
 他、思ったこと、感じたことを以下につらつらと。

●キャスト8人が一堂に会するのが終盤の一場面だけで、それまではずっと会場の体育館、茫漠としてガランとした体育館のあちこちに1~数人ずつが点在して演技をするのが、人間、ことに現代人の哀しきモナド性を暗示しているようで身につまされた。

●館内を徘徊して移動舞台の役割も果たす街宣車(?)のスピーカーから開演直後に流れる曲がSMAP『世界に一つだけの花』なのはなぜなのか?

●稲継美保さん演じる“電気の妖精”ともいうべきキャラクターがすこぶる魅惑的! 配役も、ウエストのくびれと腰回りの豊かさが強調されたフランス人形を思わせる妖艶な赤いワンピース姿も、古風なその格好になじまないローラーブレードに乗って電子のようにスイスイと軽やかにあちこちを回遊する様も、話の鍵を握る家出少女の分身にして未熟な少女を姉のように教え導く良き話し相手でもあるという劇中での役回りも、すべてが良かった!!

●エンディング曲として戸川純『諦念プシガンガ』がかかって気持ちが上がった。
お嬢さん

お嬢さん

浮世企画

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/11/12 (火) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

当パン挨拶文のタモさんのくだりも◎
 女三代を描いたこの家族劇、初代と二代目の終盤のやり取りに尽きる。
 観て良かった。
 それまでは細かいアラが気になっていまひとつハマれかなかったが、そんなことがどうでもよくなるくらいあのシーンにはしんみり、ホロリとさせられた。

ネタバレBOX

 ただ、あのやり取りを見ると、なぜあの母娘(おやこ)、つまり初代と二代目は初代が危篤に陥るまでああも反りが合わなかったのか、分からなくなってしまうのも事実。
それもそのはずで、この点は脚本が巧いというのか、ズルいというのか、初代は寝たきりという設定ゆえ初代と二代目のカラミが終盤のそのシーンまでほとんどなく、従って、母娘(おやこ)の諍いの描写がほとんどない、というか、描写せずに済んでいるのだ。
 甘粕さん演じる初代、すなわちお婆さんが劇の進行にほとんどからまないことが本作に面白味を与えているとはいえ、険悪な親子関係に説得力を持たせるためにも、初代と二代目がどんなことで揉めていたのか、そこはもっと具体的に描かれるべきだった。
 ただ、もっと根本的なことを言うなら、本作、女が強い家系の“血の劇”として、いささかあっさりし過ぎていたきらいが。女三代だけで済まさず、劇中では会話で説明されるのみにとどまるその前の三代もちゃんと役者を割り当てて描いてこそ、“女代々の血の劇”としての本作は本当の完成を見たのではないだろうか?
 やっぱり血って粘っこいものだから、時間をかけて粘っこく描かなければその凄みは伝わらない。
 ただ、そんなに時間をかけてちゃあケラリーノ・サンドロヴィッチもびっくりの四時間超え大河劇になってしまうが、それでも尺を大幅に伸ばして再演する意義はあると思う。
 苦言ついでに言うなら、笑い所になりえた二代目の不倫のくだりがハネきらずに終わったのはもったいなかった。
 これは二代目を演じた広正裕子さんが美人すぎたがゆえ。
 不倫に浮かれて浮気相手にさえヒかれてしまう間抜けな役回りをあれだけの美女が演じてもリアリティが出ないのだ。本作では不倫相手がグレードの低い安い男と設定されていただけになおのこと。あれだけの美女はあんな安い男と不倫なんぞしないし、よしんばしたとしても説得力なんて出ない。
 最後にもう一つ。
 初代と二代目は同じ“そういう血筋”の持ち主だと劇中で判るのだから、その血が三代目、つまり安い男といっとき浮気する二代目の娘・仁美ちゃんにも継がれていることをほのめかすシーンがあっても良かったのではないだろうか?
 もし付け足すのなら、そのシーンはちょっとコミカルに、そして可愛らしく描いて欲しいところ。
地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

ぬいぐるみハンター

小劇場 楽園(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度

後半はただの空騒ぎ
演出や演技以前に脚本に難あり。

ネタバレBOX

 ある大学のワンダーフォーゲル部の面々が2005年から2025年まで実に20年にわたって交際を続ける劇。9人は在学中にエベレスト登頂に挑んで頓挫するも、神戸アキコを社長とするIT企業を立ち上げて成功を収め、卒業後も付き合いを続けていく。その長い歴史の中でコミュニティ内での惚れたはれたの色恋沙汰があったり、ある者が脱サラしてラーメン屋になったり、いろいろと小騒動があって、それらは小ギャグが利いていてそれなりに楽しめたのだが、その先がいけなかった。社長の神戸アキコが「我が社の新事業を発表します! それはサイバーテロです!」などと言い出し、物語は混迷を極めていくのだ。というのも、その発言の動機づけが曖昧なため、神戸は側近の女子社員と「やる!」「ダメ!」の水かけ論を繰り返すばかりで、話が堂々巡りにはまり込んで全く進展しないのだ。そのやり取りは笑いも生まず感動も生まず、単なる空騒ぎ。その後神戸はわがままが過ぎて仲間から孤立し職場結婚した伴侶からも見放されて淋しい20年間を過ごしました、という教訓譚めいたオチがつくが、そんなの教訓譚でもなんでもなく、方向を見失った話に無理やり“けり”をつけただけ。そして劇は思わせぶりな終わり方をするが、感動も笑いも呼べなかった以上、そういう終わらせ方をするほかないだろう。
 劇全体を見ても、前半のメインエベントたるエベレスト登頂計画は途中で頓挫するわ、IT企業の成長譚としても描き込み不足で説得力に乏しいわ、サイバーテロは結局行われないわで、なんというのか、話の軸というか、背骨のない劇だったな。
 役者陣は果たして、この劇を面白いと思って演じていたのだろうか?
モスキート

モスキート

月刊「根本宗子」

BAR 夢(東京都)

2013/11/02 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

ガイシャの名はユウスケ。。。
 まさかの本格ミステリーでビックリ!
 ただ、話にご都合主義的なところが目立ち、ディテールに曖昧な部分も。
 そもそも、観客心理としてこの劇団にはもっと多くの笑いを求めてしまうし、バー公演ならなおのこと。
 もっと長尺でもいいので、たっぷり笑えて謎解きも満喫できるミステリーを!
 しかし、“今回はミステリー、大事なセリフを聞き落としたら話を見失う”という不安感ゆえか、「謎を解きつつも肩の力を抜いて楽しくご覧くださいませ。」とねもしゅうが当パンに記しているにもかかわらず、皆さん、いつものバー公演より硬直的な態度で鑑賞していた気が…。正直、場の空気が少し重たかった。かく言うバルブもイキウメのミステリー色濃厚な新作ホラー演劇『片鱗』の結末がすんなり呑み込めないという痛い経験をしたばかりだったので、皆さん以上に肩を怒らせ、気を張って鑑賞! それどころか、“笑ってる間に重要なやり取りがなされたら…”と気がかりで、“笑わない努力”までする始末。
 ねもしゅうさん、やっぱミステリーは客を否応なしに硬くさせてしまうものなのですよ!!
 でも、アラは目立ったもののねもしゅう組の面々がミステリーを演じているということ自体が面白く、楽しい公演でした。
 劇の語り部も兼ねるあやかの思わぬ“居場所”が判るラストも良かった。
 そして、どなたが選曲したのか、客入れ時に流れていた秋深いこの季節にぴったりの美しくも憂わしげなジャズ! 沁みました。。

ネタバレBOX

 以下、本作で腑に落ちなかった点です。
 ちゃんと観てれば判ることがありましたらばごめんなさい。。

●あやかは東京で美術を学んでいるはずなのに、ねもしゅうがユウスケを殺した夜になぜ長野にいたのか? 東京からわざわざユウスケに会いに来たのか? それ以前に、そもそも殺人事件はいつ起きたのか?

●なぜあやかは愛する男の死体を見てそこから血を抜くという冷静な行動が取れたのか? あやかが血フェチなのを暗示するくだりはあるが、いくらあやかが血フェチの変態女でも、倒れているのは愛する男、それも、殺したねもしゅうに報復せずにはおれないくらい好きだった男。ならば、まずは存命を願って救急車を呼ぶなり脈を取るなり然るべき行動を取るはず。

 他にもいくつかありますが、以上の2点がとりわけ気になりました。
場外乱闘!

場外乱闘!

lovepunk

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★

動機付けが足りない
 弱小プロレス団体・新宿女子プロレスの物語。
 4作目にあたるという本作は、代表者のアキラがレフリーからレスラーに転向し、団体を立て直そうと奮闘するが、それをきっかけに様々なトラブルを抱え込むというストーリー。
 全体にスラップスティック色が強く、イタコを祖母に持ち物故したレスラーを口寄せできる恐山出身の選手をはじめ個性派揃いのメンバーがリングの内外で揉み合う様子は愉快痛快! 肩の力を抜いてドタバタ騒ぎを楽しんだが、いくつか難点も。
 まず、演技が一本調子。レスラーを演じる9人は最初から最後までほぼハイテンションを貫き続け、しかも間(ま)というものをほとんど取られないため、ぶっちゃけ観ていて消耗。バーのくだりなどのコミカルなシーンが大ウケを取れずに終わったのも間(ま)と抑揚の欠如によるところが大きいのではないか?
 次に、いずれの登場人物にも奥行きが感じられない。彼氏とのデートのシーンなど、試合着も練習着も着ていない普段着の彼女たちも描いていれば登場人物それぞれにもっと深みが出たように思われる。しかし、それをしなかったがために、「プロレスは人生だ。人生はプロレスだ。」との文言がチラシにあるにもかかわらず、彼女たちの“人生”が見えてこなかった。
 試合のシーンはショーアップ不足。本物のレスラーさながらに闘うのは土台無理なのだから、足りない分はダンスを交えるなどして“趣向”によって補うべきだった。ダンスを絡めて試合を見せるという趣向がない代わりにダンスシーン自体はいくつか設けられていたものの、惜しむらくは動きがバラバラ。統制の取れたダンスは女子プロ団体という傾奇者集団にはそぐわないということなのか、動きを綺麗に揃えることをあえてしていなかったが、ダンスシーンは演劇というショーの一部と割り切り、不自然さに目をつぶってでも動きは揃えるべきだった。
 試合のシーンに物足りなさを感じたのは観劇環境にも一因があるかもしれない。普通の演劇のようにステージと客席を向かい合わせに配置するのでなく、舞台中央にリング兼ステージを設け、四方を客席で取り囲む形にしたら本物のプロレス観戦さながらの気分が味わえて臨場感が増したかも。
 それより何より、一番の問題点は物語の肝となる出来事がどれも動機付けに乏しい点。これについてはネタバレに詳述する。

ネタバレBOX

 たとえば、5人の選手が「自分が勝つようにマッチメイクをしている!」とアキラにキレて団体をやめるくだり。5人はアキラへの対抗心を剥き出しにして新団体を設立するが、アキラによるマッチメイクが特段利己的なものだとは思えなかったし、そう主張するのなら脱退者5人にはどう利己的なのか、その根拠を分かりやすく示して欲しかった。そもそもアキラという人は清廉潔白で凛々しく、そんなセコいことをしそうな人物には見えない。このくだりに説得力を持たせたければアキラをもっと胡散臭い人物に仕立てるべきだった。
 また、脱退者が復団する契機となるアキラからの檄も「自分に勝て!」といった単なる精神論で説得力に乏しく、脱退者を復団させる動機付けとしては弱すぎる気がした。
片鱗

片鱗

イキウメ

青山円形劇場(東京都)

2013/11/08 (金) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

“怖いは面白い”を実感
 面白い。なのに4つ星にしたのは、この劇のことを人に話す時、素直に「面白かったぁ~!」と言う自信がないからだ。というのも、バルブは話の呑み込みが悪く、結末の解釈に自信が持てずに終演後、自分の見立てが合っているかをスタッフの方に尋ねに行ったという体たらく。「合っている」とのことでホッとしたが、やはり自力で理解できなかった作品に5つ星はつけづらいものである。
 とはいえ、分かりづらさが怖さを生むという側面もあるはずで、分かりやすくしようとバルブ基準に合わせて説明過剰にしていたら怖さが損なわれて本作は台無しになっていただろう。
 やはり、当方のような物分かりの悪い人間は度外視して製作にあたるのが恐怖モノの作り手としての正しい態度なのに違いない。
 ところで、ここまでに「怖」という字が繰り返し出てきたのは本作がホラー演劇として一級だったからに他ならず、ホラー慣れしてない当方は本作を観て“怖いは面白い”ということに気づかされ、今後はホラー演劇にも手を広げようと思った次第。
 それくらい怖かったし面白かったのだが、それは演出や人物造形、さらには人物造形を支える演技に負うところが大だったと思う。
 というのも、本作のストーリーだけを怪談話として人に話してもあまり怖がってもらえなそうな気がするのである。こう言ってはなんだが、筋だけに着目すると同巧の話を過去にも何度か聞いたような記憶があるのだ。
 なのに本作が“一級のホラー演劇”と形容して差し支えない怖さを持っているのは、やはり演出、とりわけその大きな仕事の一つである人物造形の賜物だと言えよう。
 冷淡な人間性がひしひしと伝わってくる長身の男も本作の不気味さを高める上で大きな役割を果たしているし、社交性に乏しそうで何を考えているのか分からないアフロヘアの独身男も同様だ。
 しかし最も恐怖感を高めているのは、なんと言っても、本作の鍵を握る人物の家族だろう。
 この者が時を追うごとに薄気味悪く見えてくるよう前川氏が演出したことにより、本作は“じわじわ、ひたひた怖くなる”というホラーの醍醐味をかち得たように思う。

ネタバレBOX

 呪われた者たちが体から漏らす水は何を意味するのか?
 なぜ呪われた者たちの口癖は「絶対に許さない」なのか?
 これらを含め本作はいくつかの謎を残したまま終幕するが、恐怖感を高めるためにはおそらくこれくらいの不思議は残しておいたほうが良いのだろう。
Parallel /パラレル

Parallel /パラレル

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/07 (木) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

バルブは黒沢美香さん推し (^-^*)ノ
 コメディを謳いながら笑いがやや少なめ。
 パラレルワールドというSF的設定を取り入れながら、物語は会社を舞台にした世知辛い話で現実味が強すぎる。
 そんなことを感じながら観ていたが、終盤に至って劇が大きな転換点を迎えてから2つの不満は一挙に解消。最後の最後にたっぷり笑えて、おまけに甘酸っぱい気分にまでさせてもらえて満足(^▽^)/
 今回は、枝分かれした物語を演劇としてどう表現するか、そこにいちばん興味を持って観劇したが、その表現方法はシンプル過ぎてかえって意外だったくらい。その方法が生むある効果が劇に面白みを与えていて、そこのところも存分に楽しませてもらいました。
 その効果により、ところどころ詩の唱和でも聴いているような気分に浸れて、耳の正月を満喫。意図してそういう座組にしたのかどうなのか、今回の女優陣は美声揃いだったのでなおのことでした(笑)。

ネタバレBOX

 終盤で2つの世界が交錯してから劇は俄然盛り上がるが、並行世界の混交はもうちょっと早めに起こっていても良かったかも。
 とはいえ、ビフォアーをしっかり見せるからこそアフターの面白さが際立つとも言えるわけで、どのタイミングで物語を転調させるか、その判断は難しいとは思いますが…。
知覚の庭

知覚の庭

遊園地再生事業団

青山円形劇場(東京都)

2000/11/17 (金) ~ 2000/11/23 (木)公演終了

満足度★★★★★

笠木泉ばかり見ていたような…
 今も役者として大活躍中の笠木泉が遊園地再生事業団の舞台に初めて立ったのがこの作品。
 笠木さんは当時から清楚で可愛く、彼女ばかりを目で追っていた記憶があり、お陰で温水洋一が出ていたことなど完全に失念していた(笑)。
 ある大学生グループが学校の中庭で大麻を育てる怪しくも妖しい話で、不気味ながらも美しい照明によって高められた妖気に魅入られ、バッドトリップしているような退廃的な気持ちよさを味わいながら観劇したことを覚えています。
 やや暗めの本編から一転、ホンダCITYのCMソングをバックにフルキャストで軽快に踊るカーテンコールも忘れがたい。
 この頃の宮沢章夫は本作を含め“青春群像劇”とカテゴライズできる諸作品を遊園地再生事業団名義で作っており、ユーモアにくるみながらも若者の苦悩や感傷を真っ向から描いていて、抒情性さえチラつくそれらの作品をバルブは今でも愛してやまない。
 宮沢章夫がそんなウェットな作品を作っていたなんて、今の宮沢章夫やラジカルガジベリビンバシステム時代の宮沢章夫しか知らない人には想像しづらいかもしれないが…。
 この時期の宮沢章夫がなぜ上のような作風に傾いたのかはバルブの中でいまだに謎である。

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★

熱演ではあったが…
 楽しもうと努めたがかなわず、睡魔との闘いに…。
 本好きが高じて図書館員になった女が繰り返し読んでいる台湾の悲恋物語に不満を感じ、本の世界に入り込んで中身を書き換えようとする。
 なぜこんな劇が、それも日台合作で作られたのか、その意味が分からない。
 役者陣は熱演していたが、その熱の向かう先がどこなのか図りかねる。
 本の中の出来事として描かれる三角関係の物語は日中台の関係を暗示しているのかもしれないが、仮にそうだとして、早回しの映像を観ているような超急ピッチな演技とめまぐるしく切り換わる字幕を追うのに観客は精一杯で、受け取るべきメッセージを落ち着いて受け取れない。
 加えて、夫ともう一人の男の間で揺れている夫人が池に浸かって男を待っているという意味不明な設定がこちらの頭を混乱させ、ますます理解を妨げる。
 そういうワケの分からない設定をもうけるのなら、せめてそのシチュエーションから笑いを作り出すくらいのことはして欲しかったところ。
 また、「リアルとフィクション(中略)が交錯する」と説明文にあり、これは映像と演劇のコラボレーションを指しているのだろうが、それら2つは並列しているだけで、決して「交錯」してはいなかった。
 そんなこんなで楽しさも刺激も感動も何ひとつ得られず、なんとか眠気に打ち勝ってカーテンコールを目にした後は“最後まで観抜いた!”という不毛な達成感だけを胸に劇場を去ることに。
 矢内原美邦のような天然タイプの演劇人が作る芝居は、天然なだけに当たり外れが大きいなぁ…。
『静かな一日』は当たったのだが…。
 ステージングや美術はカッコよかった。

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