せちがらい現代日本で最低限の生活を獲得するために、川辺で人知れず戦っているホームレスの人々を、とことん優しい視線で描いていたように思います。小さき者を慈しみ、ささやかな幸せを愛でる繊細さが伝わってきました。
ただ、なにげない日常が淡々と続くお芝居は、大事件でなくとも何らかの出来事が起きた時に、空気がぐっと変化するような、劇的な仕掛けが必要だと思います。照明・音響・衣裳・舞台転換などの目に見える(耳に聞こえる)演出でもいいですし、役者さんの演技の密度でもいいのですが。そういったところに物足りなさを感じました。また、具象と抽象のバランスがあまり良くなかったように思います。
終演後は一般客も参加OKの2日目カンパイ(劇場内で開催)に参加させていただきました。自己申告のカンパ制で、炊き出しの料理食べ放題・缶ビールなど飲み放題という大盤振る舞い!赤字が出るんじゃないかと勝手に心配になりましたが、お客様は皆さんとても楽しそうでした。私は缶チューハイをいただいたので150円カンパしました。
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役所や教会の人、そしてホームレスに暴力を振るう若者らの言動・行動に、致命的な想像力の欠如と愚かさを感じられたのは、川辺で鍋を囲むホームレスの人々の、ほんの数時間(数分間?)のささやかな幸せが、リアルに描かれていたからだと思います。
作品の中にぐっと入りこめたのは、開幕してから約40分後だったと思います。お笑い芸人“ぺん”(木下智巳)の川辺からの登場が、もっとドラマチックだったらな~。余命が少ないと告白するテント少年(高野ユウジ)が、ニコニコ顔の奥にある本音を表す(ケンカする)ところが良かったです。
具象・抽象のバランスについては、例えば、拾い集める缶もシールも本物だし、テントも本物。食事も本物で役者さんが実際に舞台で召し上がっていました。でも、川から這い出てきた“ぺん”が全身びしょ濡れではなかったんですよね。濡れた服を脱がせてから新しい上着を渡すはずが、濡れた(はずの)シャツの上に新たにシャツを着せていました。細かいことですが気になってしまいました。
老人シゲさん(小川がこう)が天井から紐に吊られて宙に浮くシーンが挿入されており、そのシーン自体はスリリングで面白かったのですが、なぜなのかがわかりませんでした。嵐がやってきて川でおぼれていたところ、警察(?)のヘリコプターによって助けられたんですね。翌朝になってジョージ(東亨司)が「(住処が飛ばされたので、今度は)川じゃないところにする」と言ったところで、初めてわかりました。
シゲさんが1人で釣りをするシーンは、劇的な空気の厚みが出ていたと思います。かつてジョージがやっていたように、壁に缶ビールのシールを張っていくのも効果的でした。冒頭のシーンとのつながりがもっとわかりやすければ、さらに良かったんじゃないかと思いました。