黒田育世『おたる鳥をよぶ準備』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)
2011/09/27 (火) ~ 2011/09/27 (火)公演終了
満足度★★★★★
死ぬまで踊る覚悟
『なにもない空間からの朗読会』という企画の公演だった為か台詞が多かったのですが、有料公演でもおかしくないヴォリュームの本格的なダンス作品(寧ろダンスシアター作品)でした。個人的に好みではない表現が多かったのですが、有無を言わせない圧倒的な強度があり、コンテンポラリーダンスの公演では珍しい、休憩なしで2時間以上の上演時間中、一瞬も飽きが来ずに引き込まれました。
「なにもない空間」の名の通り、体育館そのままの空間でベース照明がずっと点灯したままの中で、踊ることに対しての切実な思いが表現されていました。
開場すると様々な買い物袋が散乱する中に、背を向けて座っている8人と背を向けて立つ1人がいて、黒田さんが上手に現れ、マイクを用いてお決まりの諸注意を話すところからそのままソロになる、現実との繋がりを強調した始まり方でした。
人身売買や無差別テロを報じるニュースの音声のコラージュが流れたり、メンバーが幼い頃に録音した歌声が流れたりと時間や生死を意識させる要素が沢山あり、また、世界中の国名を読み上げたり、あるメンバーの人生で関わりのあった人達の名前を読み上げたり、60秒をカウントダウンしたり、英語圏の80代から100歳までの老人が年下から順番に自分の歳を言う録音(もしかしたら聞き間違いかもしれません)が流れたりと、名前や数をリストアップするシーンが多く、自分と世界との繋がりを確認しているかの様で印象的でした。
途中に表面上はコミカルなシーンが色々とあったのですが、背面に見え隠れする悲痛さが感じられ心に刺さりました。終盤になって初めて全員が一斉に踊るシーンになり、それまでに出て来たモチーフをカノン的に繋げて行くダンスから叫びながらの全力で踊るユニゾン、そして黒田さんのソロへの流れが圧巻でした。最後は皆が「おたる鳥=踊る鳥」になって力尽きた黒田さんを弔う鳥葬の様なシーンになり、死ぬまで踊る覚悟が感じられました。
女性性の強調や、コントロールされていない暴走的な動きや、「愛」や「死」の直接的な言及、美味しい所を独り占めする黒田さんのスター的扱い、動物の動きを真似た振付といった要素は普段だと興醒めしてしまうのですが、今回は作品のテーマに合っていて違和感を持ちませんでした。
傘やシンバル、巻き散らされる多量のスーパーボールなど小道具の使い方が良かったです。特に何度も壁に貼られては剥がされてクシャクシャにされ、最後には貼られずその輪郭だけがテープで囲われて示される世界地図が印象に残りました。
とても切実なギリギリの表現で、何回も上演を繰り返すとなるとその表現が嘘に見えてしまいそうなので、これだけの力作がたった1回限りの上演なのは勿体ないながらもそれで良かったと思います。
ルネ・ポルシュ『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
豊洲公園西側横 野外特設会場(東京都)
2011/09/21 (水) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★
理解出来ないもどかしさ
政治的、思想的用語を多用してまくし立てられる会話と、複数の車が走り回る屋外ならではのスペクタルシーンが印象的な作品でした。知識不足のため表面的な部分しか理解出来ず、奥が読めたらもっと素晴らしく感じるだろうという雰囲気に満ちていました。
だだっ広い空き地に客席用のテント小屋、映像と字幕を映し出すスクリーン、移動ステージ車が設置され、その中を役者や車が動き回るダイナミックな空間の使い方が面白かったです。
役者達をカメラとマイクを携えた撮影クルーが追い掛け、ライブ映像をスクリーンに投影するという多層的な構成になっていて、中盤辺りからは車の向こう側やキャンピングカーの中など、客席から見えない場所のシーンが多くなり、同じ時間・空間にいるのにスクリーンに投影されたライブ映像を通じてしか見ることの出来ない状況がアイロニカルで興味深かったです。
政治経済や映画には疎いので引用の出典がほとんど理解は出来なかったのですが、おそらく作者も観客に全ての台詞を理解してもらおうとは思っていなくて、過剰に飛び交う情報の中にいる人々のやりようのなさを描いているように感じました。
話される膨大な台詞の量に対して字幕の文字数が少なく、かなり情報量が削られていて、複数人が話すシーンではどの台詞が誰のものか分からず、また主に演技をするエリアとスクリーンが離れていて役者を見ながら字幕を読むことが出来ず、ドイツ語が解ればなあと、もどかしく感じました。
映像を左右や上下で分割して映し出し、物がワープしているようなトリッキーなギャグ的要素を入れたり、映画の撮影シーンでは父親役を演じる女優がコントみたいな馬鹿馬鹿しいやりとりを繰り広げたりと、意外に笑いの要素が多い作品でした。
最初の方で女優がこんな所で生声で台詞を話していたら声帯が潰れるという旨をわめくシーンがあるのですが、丁度その時に上空をヘリコプターが通過して台詞が聞こえないという、狙ったかの様なハプニングがあって、笑えました。
ホナガヨウコ企画×テニスコーツ 音体パフォーマンス公演『愛さないで下さい』
ホナガヨウコ企画
神楽坂セッションハウス(東京都)
2011/09/24 (土) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★
ガーリーな世界観
ダンスと演劇と演奏が一体となった「音体パフォーマンス」と銘打った作品で、女の子らしい可愛い世界観が印象的でした。
ギターを弾くテニスコーツの植野さんの体におぶさって落ちないようまとわりつきながらポジションを変えていく印象的な場面から始まり、4人のパフォーマーが台詞やダンスを通じて男女の愛憎関係をポップに描いていました。
音楽を担当したテニスコーツの2人も傍らで演奏するだけでなく、パフォーマンスに介入して作品に立体感を加えていました。
東京コレクションに参加しているファッションブランドが衣装を担当していて衣装替えが何度もあり、宣伝だけではなく公演時にもヘアメイクさんがついていたりと、この規模の公演にして異例なレベルでビジュアルに力を入れていて、パフォーマンス化されたファッションショーのような華やかさがあり、目を楽しませてくれました。
台詞と動きと音楽を並列に扱い、そこからメルヘンチックでガーリーな世界観を打ち出しそうとする意図は理解できるのですが、60分間の上演時間を持続させるには演出が少々弱く感じました。ポーズをパタパタと繋げるスタイルの振付を多用していて、流れるようなムーブメントがないため進行に硬さを感じました。
ホナガヨウコさんのイノセントな可愛らしさが素敵でした。菊池明々さんも所属しているナイロン100℃の公演に出演してときとは異なる存在感があって魅力的でした。テニスコーツの暖かみのある生演奏も素敵でした。
『庭みたいなもの』
山下残
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2011/09/22 (木) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★
不思議な魅力
コンテンポラリーダンスの公演には珍しい大規模な美術の上で展開する、言葉と身体とコミュニケーションを考察するダンス作品でした。正直なところ、台詞の意味が全く分からず、いわゆる「ダンス」的な動きもほとんどないため、どのように受け止めれば良いのか戸惑いました。かといって面白くないわけではなく、むしろ約90分間集中力が途切れることのない、言葉では表せない不思議な魅力がある作品でした。
7人のダンサーは舞台に現れる度にTシャツやバイクの車輪、プレイステーション2、分電盤などを持ち込み、その物についての断片的でもどかしい会話と動きが行われるシークエンスが続く構成で、照明も変化せず、BGMも時折流れる電動工具や金槌の音だけの中で脱力的な笑いも交えつつ淡々と進むのですが、後半はドラマチックな展開があり、対比が印象的でした。
木で組まれた高さ2m、広さ10m四方程度の舞台の下を通って客席に辿り着くという面白いアプローチでした。カミイケタクヤさんによる美術は高松の川の中州に2ヶ月間暮らした際に小屋とその時に集めた廃材で出来ていて、舞台の下がインスタレーションの様な空間になっていて素敵でした。
ロミオとジュリエット
カンパニーデラシネラ
世田谷ものづくり学校(東京都)
2011/09/22 (木) ~ 2011/09/29 (木)公演終了
満足度★★★★★
ユーモラスで軽やか
カンパニーデラシネラが劇場以外の場所で公演するときのシリーズ「デラシネラβ」の第1弾は、廃校になった中学校の教室をリノベーションした空間でのシェイクスピアで、大きな劇場では出来ないアイディアを盛り込み、こじんまりとした空間を活かした、60分間の上質なエンターテインメント作品に仕上がっていました。
基本的には物語に沿って進行しますが、芝居としての上演ではないので、戯曲にない台詞があったり、重要な場面が端折られて、そうでもない場面が拡大されたりと原作を自由奔放にアレンジしていました。
出演者が6人なので1人で複数の役を演じるのですが、身体表現を巧みに用いてシームレスに役を変えていく様が気持ち良かったです。台詞が結構ある序盤から次第に身体表現だけで関係や感情を見せる構成も世界観に入り込み易かったです。
組み合わせを変えて様々なものに見立てられるオブジェや、乗り物のミニチュアなどデラシネラ恒例のギミックのあるアイテムが駆使されていて、空間の作り方が面白かったです。特にミニチュアはとても細かいものが多く、教室サイズのこの空間ならではの表現でした。
今回一番特徴的だったのは今までの作品では見られなかった、観客とのコミュニケーションでした。客いじりや、ちょっとした観客参加のシーン(楽しかったものの、いまいち必然は感じられませんでしたが)、途中での席の移動などが盛り込まれ、和やかな雰囲気が漂っていました。
会場が狭いためダンスは少々窮屈さが感じられましたが、劇場での精緻な作品とはまた異なる魅力があり、芸術性を保ちながらも万人が楽しめる作品だと思います。後半は話を知っていないとちょっと分かりにくいシーンもあるので、あらすじを予習してから観た方が楽しめると思います。
悩殺ハムレット
柿喰う客
シアタートラム(東京都)
2011/09/16 (金) ~ 2011/09/25 (日)公演終了
満足度★★★★
魅力的な女優達
ホストクラブの様な設定で繰り広げられる女優だけで演じられるシェイクスピアは、かなりラフな若者言葉や極端な身体表現が物語に上手くマッチしていて、大音量のテクノミュージックに乗せたスピード感のある展開が爽快でした。
中心にソファが置かれただけのシンプルな舞台で15人の女優達が入れ替わり立ち替わり現れてテンポ良く進行し、物語が分かり易く90分にまとめられていました。半狂乱になったオフィーリアが歌うシーンの扱い方が面白かったです。所々にネタを差し挟み、悲劇ながらも笑える場面も沢山あり楽しかったです。
「〜系」や「〜じゃね?」など現代的な台詞は文体こそ全く異なりますが、元の戯曲を上手くアレンジしていて、あの台詞をこう変えたのかと楽しめました。一見悪ふざけの様でいて、しっかり戯曲を読み込んで各キャラクターが性格づけられ、現代演劇に対しての問題意識も感じさせる、ちゃんとした作品に仕上がっていたと思います。
どの女優も個性があって存在感があり、良かったです。柿喰う客のメンバーは中屋敷さんの台詞回しが板についていて、フィクション性が強いながらも強度のあるリアリティが強く感じられました。オフィーリアを演じた新良エツコさんの歌が素晴らしかったです。テンションの高いキャラクターが多い中、真面目でほんわりとしたホレイシオを演じた荻野友里さんも魅力的でした。
次回は『マクベス』とのことで悲劇が続きますが、喜劇作品だとどのような演出・演技になるのか楽しみです。ぜひシェイクスピア作品コンプリートを達成して欲しいです(年2本ペースでも20年近くかかりますが…)。
桃子バレエ団 創作バレエ・13
谷桃子バレエ団
新国立劇場 中劇場(東京都)
2011/09/22 (木) ~ 2011/09/23 (金)公演終了
満足度★★★
三者三様
バレエ団のメンバー2人とゲストの3人の女性振付家による作品3本立てで、それぞれ様式の異なる作品を訓練された身体のバレエダンサー達が
踊り分けていました。
髙部尚子『フラ*ワラ』
ベッリーニのオペラをアレンジした音楽を用いた、ストーリーのないシンフォニックバレエ作品でした。クラシックバレエ的な振付で衣装もいかにもバレエ的な華やかなもので、オーソドックスな印象でした。白い床にパステルカラーの衣装で明るい雰囲気でした。
バランシン作品のような音楽の構造に対応した振付ではないため、音楽がただのBGMになってしまっているように感じました。そもそもベッリーニの曲があまりモチーフを展開して行く構築的な作風ではないので、シンフォニックバレエ向きではないような気がします。
ダンス自体は悪くなかったのですが、現代においてこのような作品を作る意味が感じられませんでした。
日原永美子『オディールの涙』
『白鳥の湖』アナザーサイドといった趣の作品で、黒鳥オディールの側に立ってバレエの古典がモダンバレエの様式で描かれていました。
オディールはボブヘアにバーレスクダンサーのような衣装とコケティッシュなビジュアルで、親である悪魔に命令されて王子をそそのかすことに葛藤を覚えるという、魅力的なキャラクターに描かれていました。
アンサンブルは重心の低い動きや長い布の付いた衣装がアジア的雰囲気を出していて新鮮でした。照明や映像がとても凝っていて美しかったのですが、映像が多すぎると視線がダンサーに行かなくなってしまうと思いました。音響の処理が雑だったのが勿体なかったです。
木佐貫邦子『T-scab』
ゲスト振付家として作った作品ですが、バレエ団だからとバレエ的なテクニックを多用することはなく、いつも通りのコンテポラリーダンス作品になっていました。
他2作と異なり幕や壁を取り払いバックヤードが露にされた空間に、スタンドにセットされた照明が乱雑に並び、奥にずらっとダンサー達が並ぶ冒頭シーンが印象的でした。ビートの利いた音楽に乗せて踊る姿が格好良かったです。前半は刺激的でしたが、後半は繰り返しが多く少し間延びしているように思いました。
ポワントを用いず、裸足あるいはハイヒールだったのですが、やはりコンテンポラリー系のカンパニーとは体の使い方が異なり、バレエダンサーの精度の高さという良い点と、ラフさが表現できない悪い点の両方が見えて来る作品でした。コンテンポラリー系で常連の、スカンクさんの音楽と堂本敦子さんの衣装が素敵でした。
1 hour before Sunset
Dance Theatre LUDENS
象の鼻テラス(神奈川県)
2011/09/16 (金) ~ 2011/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★
透明感のあるダンス
横浜港沿いのカフェ/イヴェントスペースでの公演で、ダンサー5人とパーカッション奏者1人によって途切れることなく流れるような時間が形作られた、スタイリッシュで美しい作品でした。
それぞれが自由に動いているように見えながら、めまぐるしく2、3人の組を入れ替えて動きを合わせたり、時折現れる5人全員のユニゾンも一瞬だけですぐにバラバラに動き出す、客の視点を固定させることがない緻密で多彩なフォーメーションの扱いが見事で、生演奏の音楽(スティーヴ・ライヒ作曲『シックス・マリンバズ・カウンターポイント』)と相俟って、ボキャブラリー豊かにノンストップで持続する運動に快楽性がありました。
ドラマ性や笑いを用いず、身体の動きや配置のみで構成された、まさにダンスといった作品で爽快感がありました。動きだけで十分魅力があるので、途中で一度話す台詞や後半のやや叙情的な展開は必要がないと思いました。
加藤訓子さんの演奏も素晴らしく、演奏する姿が踊っているみたいでした。ライヒさんの曲以外に、スチールドラムを改造したランダムに音がなる楽器を用いた即興演奏や、マリンバの優しい音色が印象的なゆったりと曲(当日パンフレットとには書かれていませんでしたが、おそらくハイウェル・デイヴィスの『プール・グラウンド』でしょうか?)も夜景にマッチして美しかったです。
会場の2辺は全面ガラスで出入り口は開けっ放し、残り2辺が客席という配置で、会場内に海からの涼しい風が流れ、時には建物の外に走り出て横浜港の夜景に溶け込みながら踊る、解放感のある空間の使い方が気持ち良かったです。
通行人が足を止めて少し様子を見ていたり、無音になったときに外の人の声やかすかな波の音が聞こえてくるの作品の一部のように機能していて面白かったです。
開演時刻が19時だったので、開演時には既に暗くなっていましたが、タイトルの通り日没の時間に合わせて観てみたかったです。
連結の子
文学座
吉祥寺シアター(東京都)
2011/09/09 (金) ~ 2011/09/23 (金)公演終了
満足度★★★★
東武鉄道で繋がる家族
刑期を終えて出所した男の父親と祖父の関係を描いたホームドラマで、シリアスなテーマながら要所要所で笑わせる部分がある、分かりやすくてバランスの良い作品でした。
良かれと思ってした行為で罪に問われた男が刑に服して出所しても、厳格な父は引き取ろうとせず、電車の運転手だった祖父の家に引き取られ、そこでも世間の目に不安を感じてヤケになる話に、そこに隣に住む米屋の家族や、裏のありそうな怪しい女と結婚することになった叔父のエピソードが交わりながら、家族の絆が描かれていました。
バラバラに見えた3世代に渡る男家族が鉄道オタク繋がり(ただし、乗り鉄、撮り鉄、模型マニアとジャンルは異なります)で一体となるクライマックスの高揚感が素晴らしかったです。個人的にはこのようなベタな物語は好きではないのですが、引き込まれて涙が出ました。はっきりした結論が出ないまま終わるのも、客に色々考えさせる効果があって印象的でした。
木造住宅の壁を取っ払ったようなリアルなセットで、手前の畳敷きの広間の後ろに台所が少しだけ見えていて奥行き感のある空間が良かったです。キャットウォークの使い方も効果的でした。
トイレに入った人物とは別の人が出てきて、前の人物が置いた封筒を次の人物がその人が置いたものとして扱ったり、時間的に間があるはずの次のシーンの登場人物達が途中で入ってきて静止しているなど、工夫を凝らした場面転換の演出が興味深かったです。
最後の台詞の後の暗転が早すぎて、余韻が感じられないブツ切りな終わり方になっていたのがもったいなく思いました。
今回初めて文学座の公演を観たのですが、勝手にイメージしていた古めかしさはあまりなく、大袈裟に盛り上げようとしないスタイリッシュなセンスもあって楽しめました。男の犯罪のことを近所の人達が知らないという設定には違和感を覚えました。
死ぬほどに愛して
荒馬の旅
プロト・シアター(東京都)
2011/09/16 (金) ~ 2011/09/20 (火)公演終了
満足度★★
男と女
ダンサー2人役者1人の男性3人と、歌手2人役者1人の女性3人による、あまり台詞のないエロティックなパフォーマンスでした。
具体的な物語はなく、いくつかのシーンが続き歌が入る構成で、男女の性的な関係が描かれていました。全裸になったり、壁にぶつかったり、男女で濃厚に絡んだりと体を張った演技でしたが、共感できるところがなく、90分の上演時間が長く感じられました。
エチュードで即興的に作ったものをあまりブラッシュアップしないまま舞台に乗せた様な感じがあり、全体的に洗練されていない中途半端な印象を受けました。
前半で進行とは無関係に1人の役者が客席に声を掛けて会話するシーンがあったのですが、作品の要素として機能している様には思えず、むしろ邪魔に感じました。
照明のプランの意図が分かりにくく、切り替えのタイミングの精度も甘く、役者達の演技をサポートしていなくて残念でした。音響もバランスが安定していなくて、音楽を流しながら調整しているのが気になりました。
女性3人の歌はそれぞれ、ロック系、ブルース系、クラシック系の歌唱法で聴き応えがあり、3重唱のハーモニーも美しかったです。もっと歌をたくさん聴きたかったです。
宮澤賢治/夢の島から 飴屋法水『じ め ん』/ロメオ・カステルッチ『わたくしという現象』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
都立夢の島公園内 多目的コロシアム(東京都)
2011/09/16 (金) ~ 2011/09/17 (土)公演終了
満足度★★★★★
強烈なアクチュアリティ
2人の演出家による、宮沢賢治のテキストに触発された作品のダブルビル公演で、屋外ならではの演出が素晴らしい公演でした。
『わたくしという現象』(構成・演出/ロメオ・カステルッチ)
入口で畳1枚より大きい白い旗を受け取り、それを手に持ちながら不穏なBGMが流れる中を行列になって会場へ進むときから既に独特の世界観が広がり、会場に整然と並べられた膨大な椅子に1人だけ座っているというビジュアルに圧倒されました。超常現象のような冒頭シーンから引き込まれ、白い服を着た70人以上のアンサンブルの静かな佇まいが美しかったです。観客参加のシーンもあり、まるで宗教儀式のような厳かさがありました。人と自然が溶け合うような最後のシーンが印象的でした。
台詞がない無言劇で象徴的な作品でしたが、おそらくレクイエムの典礼文を用いていた音楽と美しい照明によって、天国のような世界が描かれ、30分にも満たない短い作品ながら強烈なインパクトを残す作品でした。
『じ め ん』(構成・演出/飴屋法水)
ゴミで埋め立てられ、水爆実験で被爆した第五福竜丸が展示してあるという夢の島のコンテクストを活かした、放射線や命、死、未来について考えさせられる作品で、悲観的な未来が描かれる中に微かな希望も感じさせる印象深いでした。
『2001年宇宙の旅』(2001年は主役の小山田米呂くんの生まれた年)、『猿の惑星』(米呂くんの父親、小山田圭吾さんのソロユニット「コーネリアス」の名の由来になった作品)、そして日本SFの代表作(題名を記すとネタバレになるので伏せます)とSFの名作が巧みに織り間込まれていて素晴らしかったです。ガムランの生演奏が神秘的な雰囲気を生み出していました。星空や虫の音も作品の世界観に取り込まれマッチしていました。子供達の行列や飴屋さんのでんぐり返りが孤独と希望を同時に感じさせて美しかったです。
たくさんあった印象的な台詞が音響のバランスが悪くて聞き取りにくかったのが残念でしたが、それを差し引いても余りある魅力のある作品でした。
両作品ともいわゆる演劇とは異なるタイプの作品ですが、舞台上での絵空事が描かれているのではなく、現実世界と繋がる強烈なアクチュアリティがあり、むしろあまり演劇を観ない人に観て欲しく思いました。
ハードコアダンスファクトリー第三回
大橋可也&ダンサーズ
UPLINK FACTORY(東京都)
2011/09/11 (日) ~ 2011/09/11 (日)公演終了
満足度★★★
ダンス工場
パフォーマンスやトークを通してダンスを探求するシリーズの3回目で、今回は記録映像上映、大橋可也&ダンサーズのパフォーマンス、芸術評論家の平倉圭さんを迎えてのトーク、国枝昌人さんと古舘奈津子さんのデュオ作品という計3時間程度のプログラムでした。
8月にd-倉庫で上演した『ウィスパーズ』の記録映像の上映は実際の舞台を観たので、パスしました。
大橋可也&ダンサーズは次週にアゴラ劇場での公演を控えた『OUTFLOWS』の抜粋でした。数組の2、3人ずつのグループがそれぞれ絡み合うような動きを繰り返す前半と、男1人、女2人が愛憎相反するような動きを繰り返す後半からなる作品でした。ビートに合わせてリズミカルに踊るような振付はなく、日常の動きを増幅した感じで、欝屈とした雰囲気がありました。大谷能生さんの音楽はルネサンス期のポリフォニーやジャズベースやノイズをミックスしたもので、唐突な停止や再生が繰り返されて緊張感がありました。アゴラの公演では照明や映像、衣装も入るので、独特の雰囲気がどう拡張されるのか楽しみです。
トークは大橋さんの作品の作り方や、大谷さんがダンス作品にどのように音楽を付けていくかの話題を中心に進められていましたが、時間が足りず話が深まらない印象を受けました。
国枝昌人×古舘奈津子デュオは前回と同じムーブメントを用いながら、音響や照明を用いて舞台作品としてのダイナミックさを付加した作品になっていました。最初は男性だけが繰り返すシークエンスがユニゾンとなり、加速されていくに従ってバラバラに崩壊していく過程を見せるアブストラクトな内容でした。物音をマイクで拾ってディレイを掛け、次第に音量を上げていくことによってハウリングを発生させる音響がシャープでした。前回より快楽性のある作品になっていましたが、逆にコンセプトが伝わりにくくなっていると思いました。
かもめ
第七劇場
シアタートラム(東京都)
2011/09/08 (木) ~ 2011/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★
洗練
『かもめ』以外のチェーホフ作品も取り込んでスタイリッシュに再構成した作品でした。想像していたよりかは物語に沿った構成でしたが、戯曲あるいはオーソドックスな演出での上演を知っていなければ分かりにくい構成・演出だったと思います。
白いリノリウムの床、大きなテーブルの上に吊り下げられたカモメ、十数脚の椅子、そして下手手前にブランコが設置されたシンプルで美しい舞台を開演前から役者達が舞台上に出ていて、動き回ったり数字を読みあげたり(終幕のロトゲームのシーンからの引用)していて、客電が落ちてからの台詞のやりとりは『6号室』のもので、狂っているのは誰かというテーマが『かもめ』の世界に付加されていて効果的でした。
70分程度の上演時間の中に、コースチャの創作劇のシーン、トリゴーリンの出発前のニーナとの会話のシーンなど有名な場面はしっかり押さえてありました。
最後のコースチャの自殺の場面はピストルを持ってはいるものの、動きや音で撃った表現をしていなくて分かりにくく感じました。
会話の流れとは無関係に繰り返される暴力的な動きが不思議な感じを生みだしていました。皆が裸足の中、医師ドールン1人だけが靴を履いていたのが、色々な解釈を出来そうな興味深い演出でした。
アルカージナを演じた木母千尋さんの女優っぷりが堂に入っていて良かったです。対照的にニーナは低い声で抑揚を付けずに話していたのが印象的でした。
最初と最後近くの音楽にストラヴィンスキーの『春の祭典』が使われていて、春が来る前の荒涼としたロシアをイメージさせ、生贄=かもめ=ニーナを連想させる、面白い選曲でした。開演してからの1曲目、2曲目がストラヴィンスキーの曲だったので、どうせならチェーホフとロシア繋がりということで全曲ストラヴィンスキーにしても面白かったと思います。
トラムで2000円(初めてこの劇団を観る人は1000円)という破格の値段設定や、終演後に食べ物と飲み物が出されて劇団と客がコミュニーケションを取る場を設けたりする活動に、演劇をもっとオープンなものにしたいという姿勢を強く感じられました。
秘密裏にどうぞ
ガレキの太鼓
都内某所、とある一軒家(最寄駅、京王線下高井戸駅)(東京都)
2011/09/10 (土) ~ 2011/09/12 (月)公演終了
満足度★★★
男女同窓会物語編を鑑賞
一軒家のある1時間をそのまま切り取ったような作品で、とても臨場感がありました。
ある出来事の為に地方の高校の同級生だった人達が東京のシェアハウスに住む人のに家に集まり、他の部屋に住む人の出入りもありながら、特に事件もなく進む会話から、故郷や親との距離感について考える世代に差し掛かった人達の心情が浮かび上がってきて、共感出来る物語でした。
ダイニングとリビングが一繋がりの空間で行われる同時多発会話にリアリティがあり、台詞を聞き取れないことが逆に楽しかったです。他の2編も共通の登場人物がいて話がリンクしているみたいなので、どう繋がっているのか気になりますが観に行けず残念です。
ヴェニスの商人
SPACE U
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2011/09/08 (木) ~ 2011/09/11 (日)公演終了
満足度★★
孤独なアントーニオとシャイロック
現代的な衣装を着た役者達の丁寧な演技と、奇を衒わない分かり易い演出で描いた『ヴェニスの商人』でした。
アントーニオを優柔不断でちょっとゲイの気があるように描き、裁判のシーンでも自棄な感じで振る舞う頼りない男に設定していたのが新鮮でした。シャイロックは悩み葛藤する姿を強調していて、単なる悪役にせず同情を引く人物として描かれていました。ラストシーンがハッピーエンドではなくシャイロックの娘・ジェシカが父の威厳の消失を悲しむ姿をクローズアップしていたのが印象に残りました。
しっかりとした発声に基づいた台詞回しは過度に朗唱的にもならず、聴き取り易かったのですが、大事な台詞を噛む場面が多く見られ残念でした。全体に演技が中庸な感じで、もっと緩急があった方が良いと思いました。
素舞台の上に色々なサイズの椅子やベンチやテーブルがあり、それらを組み合わせてそれぞれの場を作っていたのですが、照明や人物の配置などの総合的な空間デザインが上手く行っていなくて、スタイリッシュさがなく、あまり面白さを感じられませんでした。また転換の際の役者達の動きがもっさりしていたのもテンポが悪く感じました。
38人もの役者が出演していたのですが、アンサンブルとして必要性を感じる部分がなく、勿体なく思いました。
謎の球体X
水素74%
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2011/09/02 (金) ~ 2011/09/11 (日)公演終了
満足度★★★
面倒な人たち
何か曰くありげな人達が噛み合わない会話を繰り広げる、ブラックでシニカルな作品でした。照明や音響の効果もほとんどなく会話だけで進められる物語に不気味な魅力があり引き込まれました。
怪我の絶えない妻と周りに気違いと思われている旦那の家に、小さい頃の友達だと主張する女や、お節介焼きな大家、家庭の事情で離れ離れになった妹など、どこか壊れている人々がやって来て、それぞれの独自の価値観で話し、会話の中で力関係が入れ替わっていく様子が描かれていました。
まともな登場人物が1人もいなくて妙なやり取りが続いて笑えるのですが、同時に人間の心の怖さも描かれていて恐ろしかったです。
中盤で仄めかされる要素がラストで爆発してメタ的な展開になるのですが、そこまで不穏な台詞のやり取りでジワジワと盛り上げていた緊張感が崩れてしまっていました。その破れかぶれ感もたぶん作者の意図なのだとは思いますが、ラスト前までは見事な会話の展開だったので、その締め方が勿体なく思いました。
ステージ・客席を含めて星のホールの半分しか使わないという大胆な空間プランは、おそらく必要とされる演技エリアから来ているのだと思いますが、がらんどうの空間に設置されたスピーカーから聞こえてくる蝉の鳴き声や車の通過音などの環境音がどこから鳴っているのか分からない効果を生み出し、また役者の声も普通の舞台とは異なる残響が響き、不思議な孤立感が感じられました。
どこか病んでいるキャラクターを役者の皆さんが好演していました。台詞と台詞の気不味い時間など絶妙で、笑ってはいけない場面程笑いが込み上げて来ました。特に、旦那役を演じた古屋隆太さんが淡々とした口調の中に狂気を感じさせて素晴らしかったです。
「謎の球体」がまったく話の中で出て来ず、本当に謎のまま終わってしまいました。
薔薇とダイヤモンド
架空畳
座・高円寺2(東京都)
2011/09/07 (水) ~ 2011/09/08 (木)公演終了
満足度★
空疎な情報量
ヨーロッパの歴史や神話を織り込んだ、言葉遊びをふんだんに用いたファンタジー作品でした。過密な情報量が売りとのことですが、意味がない情報ばかりが多く、「意味がない」ということに意味を持たせる意図も感じられず、空疎な印象を受けました。
互いに死んだと思っている姉と弟のパラレルな関係を描いた物語でしたが、色々とエピソードがあり過ぎて芯のない話になっていました。たくさんの言葉遊びが使われていましたが、駄洒落レベルのものばかりで、言葉の多義性から来る意外性や深みが感じられませんでした。
役者も皆一本調子で会話の間の取り方も不自然で、キャラクターの造形が弱く、伝わってくるものがありませんでした。対話のときでも複数名が客席を向いた状態で台詞を言う演出も古臭さしか感じられませんでした。
やたらと走ったり、回ったり、飛び跳ねたり、側転したりする身体表現も、回る度によろめく人がいたりして、逆効果だったと思います。普通の立ち姿ですらちゃんとしてない人がいて、舞台上での身体の在り方をもっと考えて欲しかったです。
ぬいぐるみハンターでの怪演が印象的な桐村理恵さんがこの作品では全然キャラが立っていなくて残念でした。
大掛りな美術は開演前には期待させられたのですが、作品中で必要性が感じられず、むしろ低い位置から照明を打ったときに人影が写ってしまっていて邪魔に感じました。
観劇後のスケジュールを調整する必要があったので、案内係のスタッフに上演時間を確認したところ1時間半程度との返答だったのですが、実際に終演したのは開演予定時刻から2時間20分後でした。把握していないのなら適当に答えずに、他のスタッフに訊くように案内するなどの対応をして欲しかったです。
作品も制作スタッフも良いところがなくて、残念な公演でした。
I'm ボカン
クリタマキ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2011/09/06 (火) ~ 2011/09/07 (水)公演終了
満足度★★★
対照的な2本
梶井基次郎の短編小説『愛撫』と『檸檬』をモチーフにしたソロ作品2本立てで、両作に共通する「妄想」というキーワードを対照的な表現で描いていました。
『愛撫』
猫を可愛がるが故に傷付ける妄想をしてしまう話の冒頭の部分だけを抜き出して拡大した小品に仕立て上げられていました。
最初は踊らずに喋るところから始まり、ポータブルレコードプレーヤーでカントリー系の音楽を流しながら踊る、チャーミングな動きが多い楽しい雰囲気の作品でした。
『檸檬』
欝屈した気分だった主人公が八百屋で買ったレモンの香りを匂いで気分が晴れ、本屋で悪戯をする物語が抽象化しつつも筋に沿ってダンス化されていました。 こちらは台詞はなく、純粋に身体の動きを見せるスタイルで、前半の静かで官脳的な雰囲気と後半の暴力的な雰囲気の対比が印象に残りました。『I'm ボカン』のタイトル通り、レモンが爆弾に見立てられるのではなく、自身が爆弾の様な勢いがありました。
レモンを大量投入した演出が美しくインパクトがありましたが、香りがあまり漂って来なくてもったいなかったです。事前に切り込みを入れておいて果汁や香りが散りやすくした方が良いと思いました。クライマックスの音楽はもっと音量を上げて、扇っても良いと思いました。
日本近代文学を踊る試みが新鮮で、2作を対照的に仕上げた構成も良かったのですが、動きに関しては既視感のあるものが多く、あまりオリジナリティを感じられなかったのが残念に思いました。
フリキル
COLLOL
ギャラリーSite(東京都)
2011/09/01 (木) ~ 2011/09/06 (火)公演終了
満足度★★★
真っ白
いくつかの引用を含むテキストが断片的に表れる、私的で抽象的な作品でした。コンセプトや意味は全く分かりませんでしたが、無機的でスタイリッシュな雰囲気が印象的でした。
真っ白な空間の中心に2台のスピーカーが重ねて設置してあり、客席はアクティングエリアを4方から囲む形でした。開演前から5人の役者と音響スタッフが出てきていて、窓のところで佇んでいたり、踊ったり、会話していたりと日常的な雰囲気から始まりました。
テキストはオリジナルの他、『マクベス』の一節や作曲家シューマンとブラームスのエピソード、川上弘美さんや岡崎京子さんの作品の引用(当日パンフレットに書いてありましたが、未読なのでどの部分かは分かりませんでした)などからなっていました。複数人が同時に話す場面が多く、残響の多い空間だったので音響的に面白かったです。
チラシで大木裕之さんの名を見て、有名なアート系ゲイ映画作家と同姓同名の別人だと思っていたところ本人だったのでびっくりしました。他の4人が真っ白の衣装を身に付けている中、1人だけカラフルなピチピチのトレーニングウェアを着て、役者・パフォーマーとは異なる緩い身体性でコミカルな味わいを添えていて良かったです。
独特な雰囲気で良かったのですが、抽象的な表現なので構造がもう少し見える構成にした方が良いと思いました。また、後半が叙情的になり過ぎたように思いました。
riverbed sleepless summer
白米少女
プロト・シアター(東京都)
2011/09/02 (金) ~ 2011/09/04 (日)公演終了
満足度★★
それぞれが抱えるトラウマ
川沿いの小屋を舞台に、姉妹と男3人のそれぞれが持つ心の傷をじっくりと描いた作品でした。可愛らしいユニット名から想像していたのとは異なる、シリアスなテイストでした。
妹が長らく連絡を取っていない姉が住んでいるはずのアパートに来ても、そのアパートは既になく粗末な小屋があるのみで、その小屋の主である元科学者とその幼馴染みや元同僚、姉との関係が明らかになるつれて、それぞれの悩みも見えてくる物語でした。
人は皆、人に言えないトラウマを持ちながら生きているというテーマがストレートに描かれていましたが、ありきたりな展開で2時間強の時間で描く内容としては物足りなさを感じました。
役者達は落ち着いた演技で良かったです。妹役を演じた人(当日パンフレットに配役が記載されていなかったので名前が分かりませんでした)の多彩な表情が魅力的でした。
下手には川を摸したプール、中央~上手は拾った空き缶が散乱する室内を表していた美術は雑然さの中にセンスの良さを感じさせました。
バイオリンとエレキギターの生演奏があったのですが、間奏曲みたいな扱いになっていて、演技との相乗効果がないのがもったいなく感じました。曲もワンパターンな展開や安っぽい打ち込み音源、メロディーラインと合っていないコード進行など、あまり魅力が感じられず、長過ぎると思いました。バイオリンの演奏は安定感があり、美しい音色が素敵でした。
演奏時に流れる映像は凝ったアングルや編集で作られていた洒落た雰囲気でしたが、物語との繋がりが不明な内容で意図が分かりませんでした。
開場時間まで窓のない入り口を閉めきって、雨が降り出す中、屋根がないところで待つ客を放置していたり、明らかに席に余裕があるのに端の席から詰めて座るように促したり、配役が記されていないのにアンケートに「良かった役者は誰ですか?」という設問があったりと制作サイドの動きが残念でした。