七月花形歌舞伎
松竹
歌舞伎座(東京都)
2013/07/04 (木) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
髪の怖さが印象的な『四谷怪談』
有名な怪談の通し上演で、虚仮威しの怖さではない、人間の心の怖さが感じられる作品でした。
序幕は怖い要素はなく、男に騙された姉妹の姿がテンポ良く描かれていました。
二幕目では病気で弱っているお岩が薬と偽られて毒を飲み、醜い顔になって嘆く過程がじっくりと描かれていて、切なさと怖さが伝わって来ました。
三幕目は川辺で幽霊に遭遇するエピソードが描かれるものの冗長さを感じました。
大詰では伊右衛門がお岩との幸せに暮らす夢が、蛍を模した照明の中で幻想的に描かれ、お岩の幽霊が祟る様子を様々な仕掛けを用いた演出で描いた中盤が対照的に引き立っていました。
お岩が毒を送った相手を復讐しに向かう前に髪を前に垂らして櫛で梳くシーンや、魚を捕ろうとして銛を川に入れると髪の毛がまとわりついているシーンがとても不気味でした。
話が進むに従って次第に照明が暗くなっていき、歌舞伎では珍しい完全暗転があったのが印象的でした。
尾上菊之助はさんは3役を時には早替わりを用いつつ演じ、見応えがありました。お岩の恨み節の時の倍音が良く響いた声色が魅力的でした。
中村小山三さんは92歳という年齢を感じさせない溌剌とした演技で楽しかったです。
レーニン伯父さん
風煉ダンス
d-倉庫(東京都)
2013/07/25 (木) ~ 2013/07/31 (水)公演終了
満足度★★★
コミカルなチェーホフ風物語
タイトルから連想されるように、チェーホフ作品を思わせる設定や台詞を盛り込んだ、文学的な雰囲気がありつつコミカルな作品でした。
過去の記憶がなく、レーニン廟でのレーニンの遺体役をしていた男がクビになり、唯一の手掛りを元に訪ねた村で様々な真相が明らかになる物語で、邸宅の広間での会話をメインに展開し、チェーホフとは異なり大きなクライマックスがありました。
笑いの取り方が好みではなく、個人的にはもっとシリアスな雰囲気が強くても良いと思いました。
若い役者達はわざとなのか実力なのか分からないぎこちなさを感じる場面がありましたが、滝川京子さんと御所園幸枝さんのベテラン女性2人は台詞回しや立ち振る舞いに芯があり、強く印象に残りました。
音楽を担当した鈴木光介さんが劇中の役柄として出演していて、ウクレレと倍音唱法を用いた歌の生演奏も良かったです。
森と邸宅のセットが切り換わる舞台美術が素晴らしかったです。照明は変化をつけ過ぎていて煩わしく感じることがありました。
初日だったからだとは思いますが、台詞を噛んだり、舞台装置の不具合があったり、舞台裏や袖から物音が聞こえて来たりと、ガチャガチャした感じが目立っていたのが残念でした。
シンポジウム SYMPOSIUM
東京デスロック
STスポット(神奈川県)
2013/07/13 (土) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★★
言葉とコミュニケーション
役者、ダンサー、批評家等からなる9人の出演者がタイトルの通りに討論会をする作品で、素で会話しているように見せながら、ラストにメッセージが浮かび上がってくる様に仕掛けが施されている構成が印象的でした。
3面の壁に映像が投影され、壁に沿って置かれた椅子に出演者達が座って議論し、観客は間のスペースの床に座って観る形で、冒頭に各出演者の出身地や現在住んでいる所を絡めた紹介がありました。
第1部のテーマは「なぜそこに住みたいのか?」で、土地への執着・愛着、記憶の積み重ねといったトピックについて討論し、第2部のテーマは「選挙について」で、選挙に止まらず政治との関わり方について議論が展開しました。
20分程度の休憩時間(飲み物とお菓子が観客に配られました)が入り、出演者と観客が入り混じった『響宴』の場が形成されていました。
第3部のテーマは「SNSの使用法について」と「愛について」で、後者についてはマ・ドゥヨンさんが韓国語で長く語った内容を通訳が一言に要約してしまい、言葉で伝わること/伝わらないことについて考えさせられました。
エンドロールの映像が流れたあと多田淳之介さんが現れて、その日の公演を振り返り、最後に「なぜ言葉を用いるのか」(うろ覚えで不正確です)というテーマを挙げるものの、誰も答えず沈黙のまま数分経ったところで終わりました。
即興的にテーマが決まって展開した様に見えるものの、チラシや当日パンフレットに書いてあることに絡んだ内容だったので、予め全てが構成されていたのだと思います。
東京デスロックがここ1年の間続けている、『リハビリテーション』、『カウンセリング』といった、物語性のない、素(あるいは素の様に演じている)の会話をベースにした作品は、観客に能動的に考えることを促していて興味深い試みだとは思いますが、今回は切れ味が弱く感じられ、普通の討論会とは違うことを示す演劇的な趣向がもっと明確に見えた方が良いと思いました。
目に殴られた
二十二会
BankART Studio NYK(神奈川県)
2013/07/12 (金) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★
視界の境目
アーティスト・イン・レジデンスの美術展の会場に設置された、各辺が2m程度の立方体の空間の中で観客1人と役者1人で行われる、視界を巡る20分程度のパフォーマンスで、何かの実験の様な雰囲気が新鮮でした。
ヘッドフォンを着け、目を瞑った状態で開始し、ヘッドフォンから聞こえてくる機械的な合成音声(?)に従って正面の壁にある赤い点を見つめたり体を動かしたりすることによって、普段意識していない視界の境目を感じさせられている内に、役者が視界の外から内にゆっくりと入って来て日常的な行為を行うものの、視線を動かさない様に指示されているので、逆にその行為の音や気配に強く意識を集中させられました。
途中で後ろからヘッドフォンを取り外され、指示の口調が友達や恋人に話しかける様な感じとなり、終盤では床に寝るように指示され、左の壁に写った自分の影の輪郭を役者の手の影がなぞって行き(実際には触れずに)、あたかも役者が自分の中に入ってくる様なシーンで暗転し、不思議なエロティシズムを感じました。
通常舞台作品を観るときは体の大半は動かせなくても視線は自由なのに、この公演ではその視線の動きをも拘束させられる体験が興味深かったです。しかし、パフォーマンスとしては実験的な段階に止まっている様に思え、さらに感情的あるいは知的に刺激する要素が欲しかったです。
第36回 納涼能
公益社団法人能楽協会
宝生能楽堂(東京都)
2013/07/19 (金) ~ 2013/07/19 (金)公演終了
満足度★★★
シテ方五大流派による名曲集
能に詳しくなくてもタイトルは聞いたことがあるような有名曲目による番組で、金春流・喜多流・金剛流・宝生流・観世流のシテ方の五大流派をまとめて観ることによって、それぞれの特徴を感じながら楽しめました。
能『田村』(金春流)
坂上田村麻呂による鈴鹿の鬼退治を描いた物語で、品格のある雰囲気が魅力的でした。
地謡の表現が印象的で、地から湧き上がる様な出だしや後半の激しいテンポの変化が物語をドラマティックに描写していました。大鼓と小鼓の息がピッタリと合っていて、心地良い緊張感がありました。
狂言『酢薑』
薑(はじかみ=ショウガ)と酢の商人が場所争いをする物語で、お互い「から(辛)」と「す」を織り込んだユーモラスでリズミカルな会話の流れが楽しかったです。
柄on柄で、しかも多色使いなのにチグハグに見えない装束のセンスが素敵でした。
仕舞『高砂』(喜多流)
謡も舞いも装飾性がなく素朴で、質実剛堅な印象がありました。
仕舞『羽衣』(金剛流)
優雅さを感じる舞で、空気の質量を感じさせる扇捌きが美しかったです。
仕舞『鞍馬天狗』(宝生流)
キレが良く迫力のある動きで、数分の間に物語性が感じられました。
能『葵上』(観世流)
葵上に取り憑く六条御息所の生霊を成仏させる物語で、鬼の姿となった生霊と修験者の息詰まる争いに引き込まれました。
舞台手前に置いた小袖で葵上の姿を表したり、般若の面を着けながらも仕草や顔の角度で深い悲しみが伝わってきたりと、ミニマルでありながら効果的な演出が興味深かったです。
ゼロ・アワー
やなぎみわ 演劇 プロジェクト
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2013/07/12 (金) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
戦争と音声メディア
第2次世界大戦中に日本から連合国軍兵に向けて放送されたラジオ番組『ゼロ・アワー』に纏わるエピソードをフィクションを交えつつ人工的でクールな質感で描き、戦争モノにありがちな悲しみや嘆きとは異なる、単純に割り切れない不思議な感情を抱かせる作品でした。
アメリカ兵達に人気のあった日系アメリカ人の女性アナウンサー「東京ローズ」の5人の内の1人がアメリカの記者につけ込まれて、アメリカに戻るものの国家反逆罪を宣告される物語と、謎の6人目の東京ローズを探す物語が、戦中/終戦直後/現代を前後しながら描かれていて、そこに波やチェスといったモチーフが重ね合わされて、重層的な拡がりが感じられました。NHKラジオの前身にまつわる話をNHK横浜放送と同じ建物に入っているKAATで上演するということも興味深かったです。
真っ白な床と壁からなる空間の中央に、タイトルの「ゼロ」にちなんだドーナツ型のカウンターが設置されていて、話の展開に連れて5分割されて様々な配置で用いられるのが美しかったです。特に弧を互い違いの向きにして接続して波の形にして、ラジオの電波と海の波を象徴していたのが素晴らしかったです。
ラジオ放送で流されている設定の音声を、実際に事前に配布されたポケットラジオを通じて聞く趣向は興味深かったものの、もう少しその仕掛けを大胆に使えそうな気がしました。
音響と照明はKAATのスタッフが担当していて、劇場の機能をフル活用して非常に凝ったことをしていながらも、目立ち過ぎることもなくて、素晴らしかったです。
劇中のアナウンサーが着ている白と青のオリジナルの制服を、受付や案内のスタッフも着ていて、口調もデパートの案内嬢の様で、開演前からやなぎみわさん世界観を徹底していたのが印象的でした。
音声デザインを担当したフォルマント兄弟が当日パンフレットに書いた文章は、架空の技術や風習をあたかも実在するように説明する、「兄」の三輪眞弘さんならではの文章で面白かったのですが、6人目の東京ローズの正体を書いてしまっているので、そこは配慮して欲しかったです。
The Swing of Sympathy
The Bambiest
Neuro Cafe Tokyo(東京都)
2013/07/12 (金) ~ 2013/07/14 (日)公演終了
満足度★★
洒落たサブカル感のあるダンス
ダンスとアニメーションのコラボレーション作品で、ファッショナブルでコケティッシュな雰囲気が新鮮でした。
振付・演出の菅沼伊万里さんのインタヴュー、アニメーション映像の尾角典子さんインタビューに続いてダンス映像にアニメーションを付加した映像が流され、その後にダンサー2人によるパフォーマンスが上演されました。
ダンサーが踊る映像にアニメーションが加えられたり、アニメーション作品にダンサーが絡んだりと、ダンスと映像の様々な関係性が表現されていて興味深かったです。小難しい感じではなく、エンターテインメント性が程良くミックスされていて、キレのある動きが気持ち良い振付でした。ダンス公演を行うには狭い会場で、少々動きを抑えた印象があって、残念でした。
赤白チェックのショートパンツ、金色のスカート、水色のスカート等、衣装が洒落ていて、モード系なメイクも作品に合っていました。
ダンスパフォーマンス自体は良かったものの、企画概要書のような当日パンフレットやクリエイター達のインタヴューが仰々しく、ロンドンで勉強したことを強調したり、作品を革新的なプロジェクトに見せようとしていたりで、鼻に付く感じがありました。
先にパフォーマンスを行って終演後にインタヴュー映像を流し、興味のある人だけに見てもらう形にした方が良いと思いました。
マシュー・ボーンの『ドリアン・グレイ』
TBS
Bunkamuraオーチャードホール(東京都)
2013/07/11 (木) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★
二面性と軽薄さ
19世紀の上流階級を舞台にした小説を、現代のファッション業界に置き換えてダンス作品としたもので、意図的に演出された(?)ダサさがセレブリティ達の軽薄な雰囲気を皮肉っている様に感じました。
ファッション・フォトグラファーのバジルとファッション誌編集長のレディH(原作では貴族の男性)に見い出されたドリアンがモデルとして売れっ子にるものの、快楽に身を任せた生活を送った末にバジルを殺し、更には自身のドッペルゲンガーを殺すことによって自分も死んでしまう物語が、派手な音楽と照明を伴って描かれていて、台詞が無くてもストーリーが分かり易かったです。
具体的な動きが多く、接触の多いエロティックな振付で、男性デュオならではのダイナミックなダンスが印象的でした。
回り舞台の中心に大きな壁が設置されていて、片面はフォトスタジオを思わせる真っ白な空間、反対側は錆びた鉄の骨組みで、ドリアンの二面性を象徴していました。
ドリアンがイメージモデルを務めるブランドの名前が『IMMORTAL』(しかも終盤では看板に書かれていた最初の2文字が消えてしまう)だったり、原作でドリアンが恋する、『ロミオとジュリエット』を演じる女優が男性バレエダンサーに置き換えられていて、プロコフィエフの同名のバレエ音楽で踊ったり、原作を知っていると更に楽しめる趣向がバランス良く盛り込まれていました。マシュー・ボーンさんと同じイギリス人のダミアン・ハーストやフランシス・ベーコンの絵をさりげなく引用していたのが洒落ていました。
ゲイ的な表現で良くある、露悪的に古臭くてダサい感じに演出する表現が中途半端に感じられました。もっとビザールな感じが欲しかったです。R15指定の割りにはそれほど表現が激しいとも思いませんでした。
残響の長いクラシック用のコンサートホールでの上演だったせいか、ビートの効いた大音量の音楽の音像がぼやけていたのが気になりました。一番最後の音も綺麗にフェィドアウトせずに途中で切れてしまったのが残念でした。
『わが闇』(再演)
ナイロン100℃
本多劇場(東京都)
2013/06/22 (土) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
様々な感情を刺激する家族劇
田舎町に住むある家族の半年間を描いた物語で、良くありそうなホームドラマ的内容でありながら、予定調和に留まらない硬軟のレンジの広い展開と充実した演技によって3時間半の長さを感じさせない作品でした。
第一幕はプロジェクションマッピングや照明を効果的に用いた演出に魅了され、第二幕はそのような効果をほとんど用いない、戯曲と演技の求心力に引き込まれました。
第一幕のラストが雷の鳴る中を半狂乱で盛り上がるシーンが単純に楽しいだけではない深い情感を醸し出していて、美しかったです。終盤はシリアスで険悪なシーン、温かくて感動的なシーン、ドタバタのコミカルなシーンが矢継ぎ早に展開し、感情を激しく揺り動かされました。
タイトルの「闇」が精神的な意味から物理的な意味にも拡がり、さらに終盤で良い意味で見い出される構成が素晴らしかったです。
三姉妹がメインに描かれることからチェーホフの『三人姉妹』か連想され、実際オマージュ的な場面もあり、人が死ぬシーンを直接見せずにシルエットだけ、あるいは字幕だけで表現するのもチェーホフ的でした。
3人の客演の役者達を殊更に立てようとせずに劇団員と対等に扱うことによって緻密なアンサンブルが組み上がっていて、各キャラクターがリアルに感じられる魅力的な芝居となっていました。
カフカの変身
佐々木博康&日本マイム研究所
江戸東京博物館ホ-ル(東京都)
2013/07/07 (日) ~ 2013/07/07 (日)公演終了
満足度★★★
人形の様な人間と、人間の様な虫
フランツ・カフカの『変身』のマイム作品化で、虫になった主人公とその他の人々の演技スタイルを異ならせることによって、台詞を用いずに主人公の孤独な姿を描いていました。
有名な冒頭の前に、虫に成ってしまう前の多忙な生活や家族との団欒を描くプロローグが追加されていて、本編はかなりカットされながらも原作に沿って展開し、終盤に家族の団欒の回想シーンが挿入され、家族に酷い扱いを受けながらも家族のことを思いながら死ぬという構成で、終盤は原作に比べてドラマティックな盛り上がりがありました。
虫は毒々しい柄のマスクを被ってはいるものの動きは普通で、逆に周りの人間達が顔を白塗りにして人形振りで演技をしていて、主人公の思いの伝わらなさが強調されていたのが良かったです。
出演者の技術が安定していて、人形の様に動く奇妙な姿が印象的でした。マイムの定番技や手品も盛り込まれていて、エンターテインメントとしても楽しめました。
『現代のためのミサ』(P.アンリ)、『鏡の中の鏡』(A.ぺルト)、『無伴奏チェロ組曲』(清水靖晃)といった、2003年の初演当時の頃に話題となっていたクラシック・現代音楽系の曲が多く用いられていて、時代の空気感が出ていました。
しかし当時編集した音源をそのまま使っているらしく、ノイズが目立ち、曲の繋ぎ方もかなり荒くて、気になりました。今後も再演を続けるのならオリジナル音源から再編集した方が良いと思いました。
言葉の中で世界は踊り、踊る世界にウタが溢れる
ナズ・ラヴィ・エ
d-倉庫(東京都)
2013/07/05 (金) ~ 2013/07/07 (日)公演終了
満足度★
学園祭ノリのパフォーマンス
脈絡の無い短いシーンをダンス、音楽を盛り込みながら連ねた作品で、物語性は希薄でパフォーマンス的要素が強かったものの、全体を貫く意図が見えて来ず散漫な印象を受けました。
暗闇の中で蓄光テープを貼り付けた衣装で踊ったり、紗幕にシルエットを映し出したりと幻想的な雰囲気で始まるものの、その後はナンセンスなショートコントの様なシーンが続き、終盤に向けて内省的な雰囲気になって行く構成でしたが、何を表現したいのかが分かりませんでした。
擬音語・擬態語や変顔を多用し、演技も過剰だったり、稚気を強調したスタイルだったのが児童演劇あるいは学芸会みたいで、薄っぺらさを感じました。
所々に笑いを狙った場面がありましたが、幼稚な笑いの取り方で全然笑えませんでした(他の客は結構受けていました)。
6枚の大きな白い可動式パネルを動かして舞台空間や人の配置を変化させていましたが動きがスムーズでなく、移動させる時の音も気になって残念に思いました。もっと精密なコントロールをして欲しかったです。
バンドの生演奏の中、全員がユニゾンで踊る最後のシーンで、ステージを覆う大きなビニールが用いられていましたが、効果が感じられず、むしろ視覚的に邪魔でした。
グラン・ヴァカンス―飛浩隆「グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ」(早川書房)より―』
大橋可也&ダンサーズ
シアタートラム(東京都)
2013/07/05 (金) ~ 2013/07/07 (日)公演終了
満足度★★★★
苦痛で歪み軋む身体
仮想空間内のリゾート地に暮らしているAI達が謎の存在と壮絶な攻防を繰り広げる1日を描いたSF小説のダンス作品化で、コンテンポラリーダンスの公演にしては長めの2時間半の上演時間でしたが、鋭い緊張感が保たれていて長さを感じませんでした。
原作は異なる章タイトルを含む4つのパートに区切られ、シーンの順番も入れ替えられていて、物語を見せるのではなく、印象的なシーンをヴォリュームを持たせて描くことに重点を置いた構成となっていたので、原作を読んでいなくても楽しめると思いました。
原作では「蜘蛛」、「官能素」、「硝視体」、「罠のネット」、といった、SF的趣向に富んだ概念による非現実的な描写が多いのですが、そのような独特の概念は用いずに、原作が持つ残酷でエロティックで美しい雰囲気が表現されていました。
舞台化どころか映画化やアニメ化も難しそうな、小説だからこそ表現出来るような奇妙な出来事が、ダンサーの身体だけで描写されているのが新鮮でした。
このカンパニーの今までの作品に比べて舞踏の動きのヴォキャブラリーが多く用いられていて、さらにアクロバティックな振付も多く、原作の苦痛に満ちたAI達の身体性がダイナミックに表現されていました。
複数のダンサーがユニゾンで踊る時に音楽をきっかけにせず、おそらく他のダンサーの動きをきっかけにしていてるらしく、微妙なタイムラグを伴いながら動きが伝播して行くのが印象的でした。
終盤では、奥の壁全面に投影されるモノクロの映像や、天井を青く照らすストロボ、細かく色が切り替わるLED照明を用いて、仮想世界が崩壊していく様子を表現していて、インパクトがありました。
サックスとエロクトロニクスを用いる黒スーツ姿の3人のミュージシャンによる即興的な生演奏がクールに緊張感を高めていて刺激的でした。終盤のサックス3重奏による讃美歌風の曲の時にチューニングが合っていなかったのが残念でした。
グッドバイ
バストリオ
SNAC(東京都)
2013/07/03 (水) ~ 2013/07/06 (土)公演終了
満足度★★★★
自然な不自然さによる開放感
太宰治の未完の遺作『グッド・バイ』と、出演者が稽古期間中に書いた日記をコラージュした作品で、別れや死を感じさせる内容ながらも開放的な雰囲気があり、心地良かったです。
水の入ったペットボトルを持った4人の女性が入ってきて、日記を読むところから始まり、次第に太宰の『グッド・バイ』の話が断片的に挿入され、太宰の入水心中と出演者達が富士の樹海に行ったエピソードとを関連させたりと、太宰の『グッド・バイ』あるいは太宰自身と日記をさりげなく関連させていたのが良かったです。
終盤で突然異質なシーンがあった後に、それまで会場内に散らばるばかりだった紙が最後に飛行機となって外に出ていく様子がとても美しかったです。
日記を助詞を飛ばしながら読んだり、台詞の最後の音をハミングで伸ばしたり、奇妙な動作をしたりと、リアリズム的ではないものの、確固とした様式性があるわけでもない演技が絶妙で、不自然なのに自然に感じられました。
口に含んだ水を吹き出したり、ある容器から他の容器に水を移し替えたりと多様な水の使い方が印象的でした。
開場の内部と外部を隔てるサッシを開け放ち、外の風や音が入り込むオープンな空間の使い方と、ドラマ的な流れがない作品の構成が良く合っていて、心地良い雰囲気を生み出して魅力的でした。お酒を飲みながら鑑賞出来るスタイルだったのも開放感を増すのに一役買っていました。
屋外で演技をする時に隣の客に被ってしまって見えにくい位置にいることが度々あったのが残念でした。
少年王マヨワ
ニットキャップシアター
座・高円寺1(東京都)
2013/06/28 (金) ~ 2013/06/30 (日)公演終了
満足度★★★
神話と団地
神話的世界と団地内の閉じた世界が繋がった不思議なスケール感を持つ物語を、様々な演劇ならではの表現を用いて描いた作品で、おどろおどろしい中にうっすらとユーモアが存在する独特のテイストが印象的でした。
『古事記』に描かれている不幸な短い一生を送ったマヨワの墓がある丘を造成して団地を作った為に、団地の住民に呪いが降り掛かり、目に怪我を負ったを少年にマヨワ(=目弱)の霊が乗り移る物語で、メインストーリーはそれほど複雑ではないのですが、1人複数役で普通の会話の文体とナレーションの文体が入れ替わりったり、構成も団地の住民のエピソードが断片的に挿入される形なので、複雑に入り組んだ印象が強く、そのことによって独特な世界観へ引き込まれました。
団地の棟を表すアルファベットが振られた縦長のパネルが舞台奥に間隔を空けて立ち、両サイドには様々な楽器を乗せた台が2つずつあり、床面は白いラインでで描かれた長方形によって演技エリアが区切られているという真っ黒のシンプルな空間がスタイリッシュで、その中で展開されるドロドロとした物語との対比が鮮烈でした。
役者達が木の形のポーズをして森の情景を表現したり、人や人以外の生き物を白い布人形で表したり、効果音や音楽を役者の声や楽器演奏で表現したりと、電気的な技術はあまり用いずに人間のアナログな技術で様々な表現をしていたのが、呪術的雰囲気のある物語にマッチしていて効果をあげていました。
所々に素晴らしいシーンがあったのですが、全体としては芯が弱く感じられたのが勿体なく思いました。
平原慎太郎ソロダンス公演 NOCON 『ボレリッシュ』
コンドルズ
あうるすぽっと(東京都)
2013/06/29 (土) ~ 2013/06/29 (土)公演終了
満足度★★
絶頂に達することのないボレロ
イキウメの前川知大さんがテキストを担当した(台詞はなかったので、おそらくプロット的な文章でしょうか?)作品で、ラヴェルの『ボレロ』は用いられず、静かな雰囲気の中にうっすらとドラマ性を感じました。
劇場に入ると、大量の灯体を吊った3本のバトンが低い位置まで下げられ、床には会議テーブルが並んでいて、全身黒尽めのスタッフ達が出入りしているという、仕込み途中の様な光景で、そこへ静かに黒ブリーフ姿のダンサーが入って来て、ベジャール版『ボレロ』を思わせる動きを踊って始まりました。
机の上の埃を払い落とす様な動きが次第に展開し、シャツ・パンツ・ベスト・ネクタイを身に纏い、ラヴェルの『ボレロ』と同様に次第に音量を増して行く音楽に合わせてダイナミックに踊るものの、ラヴェルの曲とは違って頂点に達せず、逆に次第に減衰して行き、ダンサーが倒れ込む度に床と壁にランダムに照らされていた帯状の明かりが消えて行き、音と光が無くなって終わり、メランコリックな雰囲気がありました。
激しく動く時でも体の隅々までコントロールが行き届いた繊細なダンスが美しかったです。
ダンサーは1人ですが、机を様々な位置に動かす2人もパフォーマーとして存在していて、間隔を空けて立てた机に森の映像が映される中を横切る姿が印象的でした。
上手では別の2人が小さなパーカッションを生演奏していて魅力的な音を生み出していたのですが、後半は録音の音楽だけになってしまったのが残念でした。
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」
株式会社AMATI
東京文化会館 大ホール(東京都)
2013/06/28 (金) ~ 2013/06/28 (金)公演終了
満足度★★★★
役者な歌手達
設定を現代のアメリカに置き換えているものの、先鋭的な突飛さやスノビズムのない、歌手達の芸達者な演技で魅せる、親しみ易い演出で、リラックスして楽しめました。
幕を用いず、開演前から部屋のセットが見えていて、序曲が演奏される中、本来もっと後になってから現れる伯爵婦人が一人で嘆いている姿が描かれ、この物語の中である意味一番報われないとも言えるこの人物にフォーカスを当てていました。
下品になり過ぎないセクシュアルな演技が多くあり、程良い刺激がありました。特に女2人が少年を着替えさせるシーンでは本来されるべき動きとは異なるエロティックな仕草が行われながらも、それが元々の歌詞に合っていて、とても官能的でした。
恋の思いを紙飛行機が象徴していて、様々なシーンで飛ばされていたのが印象に残りました。
歌手は際立って突出する人はいませんでしたが、全員が安定したレベルで演技も自然で音、楽的にも演劇的にも満足しました。主要な役は美男美女揃いで、脇役も凄く背が高かったり丸々とした体型だったりと個性的で、それぞれのキャラクターが立っていました。カーテンコールでの振る舞いも格式張っていなくて、フレンドリーな雰囲気があって良かったです。
オーケストラは歌と乖離しそうになったり、ミストーンがあったりしましたが、流れに勢いがあったせいか、あまり気にならずに聴けました。
レチタティーヴォの伴奏をするフォルテピアノはピットの中ではなく、舞台上手袖に配置されていて、歌手の演技に合わせて的確なタイミングで伴奏を付けていて気持良かったです。モーツァルトの他の作品の引用のみならず、ワーグナーやガーシュインの引用や、現代音楽の様な不響和音も用いる自由な伴奏が楽しかったです。
舞台美術はこじんまりとしていて豪華さは無いものの、第3幕ではミース・ファン・デル・ローエの『バルセロナ・パヴィリオン』、第4幕でピエール・コーニッグの『ケーススタディハウス#22』と近代建築の名作を模したセットとなっていて洒落ていました。
現代的でスタイリッシュな衣装もセンスが良く、視覚的にも楽しめました。
夜叉ヶ池
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2013/06/25 (火) ~ 2013/06/30 (日)公演終了
満足度★★★
妖艶さに欠ける演出
ある村の池を巡る幻想的な物語を描いた泉鏡花の戯曲をオペラ化した作品で、叙情的な音楽と奇を衒わない演出により親しみ易い内容となっていました。
日照りの続く村を舞台に、狂おしい愛と人々の身勝手さが描かれた物語で、前半は原作とは異なる台詞(歌詞)が多く、後半は比較的忠実でした。シリアスな雰囲気が支配的な中、第2幕前半では蟹、鯉、鯰のコミカルなやりとりがあり、その後の悲劇が引き立っていました。
演出が泉鏡花の妖艶な世界観を描けていないように感じられ、退屈することは無かったものの、惹き付けられることもありませんでした。
池の中の生物達のシーンでは竜神を御輿状の頭部のオブジェで表し、魚を模した帽子とカラフルな衣装を纏った合唱とダンサーが賑やかに動いていましたが、無意味な動きが多くて視覚的に煩く感じました。またオフステージで歌う男性合唱がおそらくPAを通していた為に違和感がありました。
音楽はドビュッシーを思わせる美しい響きで、聴き易かったです。鐘の響きを彷彿させる4つの和音の連なりと子守り唄がテーマ曲の様に要所要所で鳴り響き、ドラマの進行を引き締めていました。
セットはリアルな岩と木々で構成された具象的なもので、終盤では新国立劇場の大掛りな舞台機構を活用したダイナミックな演出があり、見応えがありました。
『Cour d'amours(コールドアモール) ・スクラプ's ver2.5』
マイムリンク
シアターX(東京都)
2013/06/22 (土) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
満足度★★
チグハグなパフォーマンス
12人のパフォーマーによるパントマイム公演で、台詞や小道具を用いずに物がある様に振る舞ったり、人間以外の生き物を表現したりしていましたが、イメージの奥深さや広がりをあまり感じられませんでした。
パート毎にタイトルが付けられていて、1人の男と鳥の群れを描いた『Age of Birds』から始まり、カーチェイスをコミカルに描いた『スパイ大作戦』、レトロなテイストのアニメーション映像の中の物を操っている様に見せる『ショータイム』、人の一生を逆回しで見せる『LIFE』等、様々なシーンが多彩な手法で表現されていました。
ブラックライトを用いて手首から先、あるいは肘から先だけが見える様にして魚やクラゲを表現していた『海』は美しかったのですが、その後に続いた大きな顔を作って音楽に合わせて歌っている様に見せる『三文オペラ』は変化に乏しく冗長さを感じました。
具象的な分かり易い表現が多かったのですが形態模写に留まっていて、マイムだからこそ表現できる、時間や空間を飛び越える感覚があまり伝わってこなかったのが残念でした。『スパイ大作戦』での鞄の受け渡しのシークエンスは技術的には物足りなかったものの、その感覚がうっすら現れていていました。
全体としての一貫性が感じられず、散漫に感じました。もっと物語性を盛り込むか、あるいはそれぞれのパートが単体ではっきり完結するオムニバス形式として構成した方が良いと思いました。
台詞が無い分、表情で様々な感情を表現していましたが、演技が過剰で「熱演感」だけが空回りしているように思いました。場面によっては人形の様に無表情で淡々と演じた方が深みが出ると思いました。
BGMに用いられた映画音楽やポップスが大仰で、身体表現に釣り合ってない様に感じられました。ピアノ曲が用いられた『風』みたいなバランスが観ていて気持ちよかったです。
(飲めない人のための)ブラックコーヒー
岡崎藝術座
北品川フリースペース楽間(東京都)
2013/06/14 (金) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
不気味に浮かび上がるエゴイズム
少女監禁事件をモチーフに、人が持つエゴイズムを描いた作品で、じわじわと侵食して来る気持ち悪さが恐ろしかったです。
全身真っ白の格好をした男3人が現れ、その内の1人が客席に背を向けた状態でいらつきをぶつけるようにボールをいじるシーンが数分間続いた後、外国人排斥を訴える詩的なモノローグで始まり、その後は監禁の話が中心となり、台詞も日常的な表現でしたが、監禁した男とされた少女は舞台には登場せず、幼馴染み達の証言によって間接的に描かれるのみで、しかもほとんどの台詞が長いモノローグで緊張感がありました。
監禁されていた女を可哀想に思う気持の中に次第に押し付けがましい正義感が浮かび上がって来る最後の長台詞が圧巻でした。
前半は少し入り込み難かったのですが、監禁の話になる中盤からは、登場人物達の自分勝手さに嫌悪感を抱かされつつも、引き込まれて行きました。
重い空気が支配的な中、時折あっけらかんとしたユーモアを感じさせる演技や台詞がさらっと紛れ込んでいるのが可笑しくも不気味でした。
台詞に強度があり、戯曲単体で読み物としても十分魅力があると思いました。
ダークな音楽が流れる中で横一列に並んで体を傾けたり、上手の奥でシーン毎にスピードを変えながら足踏みを続けたりと、台詞と直接関係していない(と思われる)動きや、対話がほとんどない構成といった現代的な手法が「手法の為の手法」に陥ることなく、必然性と効果が感じられ、強烈な印象が残りました。
「近代能楽集邯鄲・葵上」再演
江戸糸あやつり人形 結城座
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2013/06/19 (水) ~ 2013/06/23 (日)公演終了
満足度★★★
幻の世界をさまよう人形
室町時代の能の謡曲を昭和の三島由紀夫が翻案した『近代能楽集』から2作品を、江戸時代から続くあやつり人形劇団の結城座が現代の松本修さん(MODE)の演出で上演するという、様々な時代の折り重なりが興味深い公演で、人形ならではの表現が美しかったです。
『邯鄲(かんたん)』
不思議な枕を用いて寝て、夢の中で自分の生涯を知ってしまう男の物語で、主人公を夢の世界での人形、現実世界は人形を用いずに人形遣い自身が演じる形式でした。
主人公とその乳母以外の登場人物は骸骨姿で、夢=死者の世界が不気味かつ滑稽に描かれていました。赤いドレスを着た女の滑らかな動きが官脳的で美しかったです。
『葵上(あおいのうえ)』
かつて付き合っていた女との思い出に浸り、妻を捨て幻に溺れる男の物語で、病院が舞台なので、人形遣いは白衣姿で操演していました。
回想シーンでは(人間に対して)実物大に近いサイズのヨットが舞台上に現れたり、妻がベッドから起き上がる最後の場面でそれまでモノトーンだった世界に鮮やかな赤色が現れたりとヴィジュアル表現が印象的で、性と死を巡る濃密なストーリーと合わせて、独特の情感が漂っていました。
斎藤ネコさんによる情熱的な音楽は、生身の人間が演じる時に流れると大袈裟に感じてしまいそうでしたが、人形の静かな佇まいにはマッチしていました。