r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

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奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話

奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話

イキウメ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/08/09 (金) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

小泉八雲の再話した4つの怪談を2時間の「演劇」に仕立てる趣向。
短編のていを残しつつ、長編に仕上げる手腕が際立ってうまく、心地よかった。
また、一つひとつの物語は、「語り」から始まり、登場人物たちが自ら演じる「芝居」へ引き継がれるのだが、その繋がり方にも、観ながらノっていくような快感があった。

俳優たちが行う道具の転換が、能を思わせるような摺足で行われるのも、生死の狭間にあるものをそこに立ち上げるうえで、効果を発揮していただろう。

ネタバレBOX

そういう演出はともすれば、しゃらくさくなってしまうし、俳優の身体にもあまり馴染んでいないことも多いのだが、イキウメも大人の劇団になっただけに、粛々とこなされていて、先述した「語り」と「演技」のトランジットの面白さとも併せ、「演劇」のうまみを感じさせてもらった。

「これは報告書が面倒だ」(←おそらく正確ではない)という終幕の台詞。なんでもない言葉だが、あぁこういう、あやかしの物語、論理では説明しきれない物語を「報告」し続けるためにこそ、この集団、演劇はあるのかもしれないと、妙に腑に落ちた。
潮来之音 The Whisper of the Waves

潮来之音 The Whisper of the Waves

台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター/暁劇場/本多劇場グループ

小劇場B1(東京都)

2024/08/09 (金) ~ 2024/08/11 (日)公演終了

実演鑑賞

災害(津波)のイメージと日常の断片が交錯する。
白塗りの登場人物たちが演じるシーンに、潮来らしき女性を通して台詞(声)が与えられるという形式は、確かに「生」でもなく「死」でもない、狭間の世界を思わせる。
幕開き直前から舞台に一列に並んで観客の動きをトレースする遊びも、思えば、ささやかな生活の記憶を伝えるものなのかもしれない。波の表象はもちろんだが、そうした仕草、表現にも妙味があった。

都市に暮らす女性の孤独や同性愛カップルの妊娠など、現代社会に生きる多様な個人に目を向ける一方で、演じられるドラマはやや典型にすぎるようにも思える。とはいえ、この形式で、物語を複雑化するのも難しいはず。ならば「典型」をより意識的にやりきったうえで、巧みに抜け出す面白さを見たいという気もする。

はやくぜんぶおわってしまえ

はやくぜんぶおわってしまえ

果てとチーク

アトリエ春風舎(東京都)

2024/08/01 (木) ~ 2024/08/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初演は映像配信で観たので、実演は今回が初めて。
2012年のとある高校の放課後。突如中止になったミス・ミスターコンをめぐる女子高生たちの会話から、ジェンダーやセクシャリティに関わる無知や差別が浮かび上がってくる。

初演では「言いたいことを詰め込んだ」ような気迫が印象に残っていたのだが、今回初めて実演に触れ、「女子高生」たちの会話のテンポ、流れに引き込まれ、乗らされたうえで、語られていること、起こっていることのグロテスクさに対面させられた。

この劇に織り込まれた、(悪意のない)内面化された偏見、無知、差別は、設定から12年後の今にもよくあるもので残念ながら「おわって」はいない。その終わらなさをあらためて丁寧に解きほぐして、向き合うきっかけにもなりうる作品だと思う。

かもめ

かもめ

SPAC・静岡県舞台芸術センター

静岡芸術劇場(静岡県)

2024/05/03 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

無意識によく知った「かもめ」の台詞をなぞりながら見始めて、そのノリの違いに戸惑った。ニーナは初めからちっともコースチャのことなんて眼中にないし、無軌道で良くも悪くもわがまま。コースチャもよくいう中2感という以前に、その文学的教養や素養を疑いたくなるほど、落ち着きがない。

だがやがてそれが、チェーホフの書いた登場人物の特質を現代社会に落とし込んだものだとわかってくると俄然面白くなってくる。それにしても、俳優が上手いせいなのか、ここに出てくる人物はみな、ショボすぎやしないか。いや、人間それぞれにしょぼく、エゴイスティックなものなんだろう。それが、この上演の核となり、ドラマを動かしている。

やや物足りないのは、この劇の背景にある文化や社会がさほど立ち上がってはこないこと。現代版であるなら、「あるある」以上の今日性に触れたいし、そうではないのだとしてもこのドラマが生み出された背景としての時代、社会とのつながりを見たい。

アラビアンナイト

アラビアンナイト

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/05/04 (土) ~ 2024/05/18 (土)公演終了

実演鑑賞

言葉、演劇への強い信頼を感じる演出だった。
これといった装置もなく、徹底して人力、手作りで進行していく物語。
語りと芝居の切り替え、場面の転換、役から役への移り変わり……といった変化がすべて人間の身体で行われることで、観劇の時間にうねりが生まれる。それも「演劇」の妙味だ。と、同時に「想像力」を問われているのだなとも感じる。俳優も観客も。考えてみれば「想像力」こそが、明日をつくり出していく物語でもある。

百年への贈り物

百年への贈り物

川崎郷土市民劇上演実行委員会

川崎市多摩市民館(神奈川県)

2024/05/11 (土) ~ 2024/05/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

97歳の現役劇作家、小川信夫が主に脚本を手がける「川崎郷土・市民劇」の特色は、ただ単に歴史や偉人を描こうというのではなく、劇を通じて、地理や風土、文化も含めたその土地の姿そのものを立ち上げようとするところにある。

浄水場をつくり、工場を誘致するなど、現在の「川崎市」の原型をつくりあげた石井泰助を主人公とする本作もまた、石井を中心に置きつつも、彼の心情やその功績を讃えるというよりは、そうした物語を生み出した環境、事情、そこに生きる人々の姿を丁寧に描き出していく。特に今回は2019年の台風19号による多摩川の水害の様子を冒頭に紹介することで、歴史と現在を巧みに結び合わせてもいた。

巧拙はもちろんあるものの、公募で決まったキャストの演技も、ずいぶんと落ち着いているのが印象的。地域の物語を、地域の人々が演じ、その歴史や文化を内面化していくというのは、市民劇の定番のあり方だが、流行のミュージカル(音楽劇)スタイルでもなく、あくまでリアリズム演劇に足場をおいた「演劇」を実践しているという意味でも、この企画は稀有なのではないか。

カタブイ、1995

カタブイ、1995

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/18 (月)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

米兵による少女暴行事件とその後の抗議運動の盛り上がり——「何かが変わるのかもしれない」と思わせた1995年の沖縄を舞台に、反戦地主でもある祖母、娘、孫娘の三代にわたる女性たち、本土から訪れた娘の元彼、沖縄防衛局の女性職員……それぞれの葛藤や決意が描かれる。

3世代の女性の姿から立ち上がってくる傷、傷ついたものがつながる共感の生々しさはいわずもがなだが、いわゆる”当事者”のみを描くのではなく、県外出身の登場人物にも光をあてたことで、このドラマに立ち会う観客すべてに、基地の問題、沖縄が抱えこまされている矛盾を問う作品になっていたと思う。時折挟まれる法律の条文も、人々の暮らし、その現実との繋がり、あるいは乖離を実感させるものとして機能していて、耳に残った。

「東京からしたら沖縄のことは向こう側の、遠い土砂降り」

シリーズ前作にあたる「カタブイ、1972」から引き継がれているこの台詞は、あまりにも胸に迫る。ましてや、今の私たちは「何かが変わりそう」と思えた県民総決起集会の後の20数年を知っているのだから。

Le Fils 息子

Le Fils 息子

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/04/09 (火) ~ 2024/04/30 (火)公演終了

実演鑑賞

引きこもりの息子(岡本圭人)と、どうにかして彼を立ち直らせようとする父(岡本健一)を軸に展開する家庭劇。

社会的地位もあり、若い妻との新生活も楽しむ父の、「息子をどうにかしてやろう」とする傲慢さ、愚かさ、そして犯す間違いの数々……。言ってしまえば父親の「凡庸なクズ」ぶりを描くきめ細やかな筆致、演技に引き込まれる。息子を演じる岡本圭人の不安定(不気味にも見える)さ、現在の妻(伊勢佳代)と前妻(若村麻由美)の抱く不安や焦燥も鮮やかに立ち上がり、俳優の演技、そのやりとりを楽しむという意味では充実した時間だった。

多少ドラマティックにすぎる物語とはいえ、「家族」という舞台なればこそ、浮き彫りになる間違い、すれ違いそれ自体は特別なものではなく、共感、共振する人も多いかもしれない。

ネタバレBOX

だが、そもそも息子の状態は、現代なら、素人目に見ても十分に(それも劇の序盤の段階で)医療や心理の専門家が入るべきだと判断できるもので、そのリアリティを放置したまま悲劇に向かう筋書きは、結局、「衝撃的な結末」ばかりを目的化しているように見えてしまう。
音楽、転換などの効果も定型かつやや過剰に感じられた。
メディア/イアソン

メディア/イアソン

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/03/12 (火) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

エウリピデスの悲劇『メデイア』とその前日譚にあたる『アルゴナウティカ アルゴ船物語』を再構成し、あらたな演劇に仕立てる意欲作。怪物や魔法に彩られたイアソンとメディアの出会いの物語があればこそ、あの重苦しい悲劇の背景も理解できるというものだ。

影絵のような無彩色の舞台(装置)は洗練されていて、特に後半では(その陰惨な内容とも相まって)観客の想像力を刺激する。だが、ファンタジー色の強い前半については、しばしば禁欲的すぎて、描かれる世界の奥深さ、すでにすれ違っているイアソンとメディアのあり方、そこでの感情を見えづらくしていた面もあるのではないか。(とはいえ、若き日の二人のどことない頼りなさ、青さの表現は新鮮で印象に残った)

また何よりもこのプロダクションを特徴づけるのは、メディア/イアソンの間に生まれた子供たちが語り手をつとめる「物語」という構造。終幕の「語り」「子守唄」が、血に塗れた悲劇と共鳴し、鎮魂、そしてわずかながらの希望/祈りの場へと昇華していくさまに、ギリシャ悲劇を「いま」に投げかける意味が込められているように感じた。




アンドーラ

アンドーラ

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/03/11 (月) ~ 2024/03/26 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

あまりにも恐ろしく、わが身を振り返らずにはいられないが、それをすれば身の置き場がない。

舞台は敬虔なキリスト教国「アンドーラ」。隣り合う「黒い国」でのユダヤ人虐殺から救い出されたアンドリは、救い主の教師夫妻とその娘、バブリーナと家族同然の暮らしをしていた。だが、密かに愛を育んだアンドリとバブリーナが結婚を申し出ると、父は決してそれをゆるそうとしない。おりしもアンドーラ国内には「黒い国」が侵略してくるとの噂が流れており……。

ネタバレBOX

悲劇的な結末は、登場人物たちの回想(証言)によって序盤から示されており、
観客は、どのようにしてそれが起こってしまうのか、その時人々が何をし、何をしなかったかを注視することになる。

アンドーラの人々は、平和を愛する唯一無二の国の市民を自認しているが、「黒い国」からアンドリの実母だという女が訪ねてくると、雪崩をうつように疑心暗鬼に陥り、結果として、女とアンドリは殺されてしまう。一人ひとりが手をくだしたのではなくても、誰もがこの顛末を後押しし、あるいは見過ごしたことが証言によって浮き彫りになっていくのは、辛いものだ。誰もが(特に序盤)まるで「気のいい市民」のようにふるまっていたのだから、なおさら。彼らの姿はもちろん、善良さや良識を持ち合わせていると自認する観客(私)にも重なる。(俳優たちは皆、こういう「市民」の善良さといやらしさをまとう好演だった)

結婚を否定される理由を「ユダヤ人であること」に求めたアンドリは、これまでに過ごした「ユダヤ人」としての立場とも相まって、実際には教師の子であることが判明してもなお自らのアイデンティティ=ユダヤ人であることを捨てようとしない。アンドリは、そして人々はなぜ民族に根拠を求めることをやめられないのか——。
この上演において、悲劇の青年を演じる俳優は女性(小石川桃子)である。このことは、人種や民族にかかわる問題だけでなく、たとえば、現代において、どのように「女性性/男性性」がつくられるかといった問いにまで視野を広げさせる。

発狂したバブリーナが、アンドーラの祭りの日のように塗料を手に「街を白く塗らなくちゃ……」と現れるところで幕は降りる。個人的な趣味として、舞台のクライマックスとしての”狂乱”には、鼻じらんでしまうことも多いのだが、これはただ慄然と見守るほかなかった。それはこの劇世界で、バブリーナの狂乱こそが、しごく真っ当な反応のように思えたからかもしれない。
the sun

the sun

カンパニーデラシネラ

シアタートラム(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

カミュの未完の自伝小説、短編小説をもとに構成された舞台。
日本ろう者劇団のメンバーのほか、それぞれ異なるバックグラウンドを持つダンサー、俳優の参加を得て、カミュの文学が空間化されていく。いつもながら驚かされるのは、舞台上にあふれる「言語」の多様性とそれらが切り替わり続けながら時間を構成していく推進力。

「言語」とはもちろん、手話や生演奏(驚くべき活躍!)の音楽のことだけではない。カミュの書いた物語に沿った(いわばマイム的、演劇的な)場面もあれば、そこから離れ、書き手をも含む世界を俯瞰するような場面もあり、自在に視点が、語り方が変わり、それにしたがって演技も動きも変わっていく。

かつて同じ作家の『異邦人』を題材にした時から、さらに、文学とその世界を舞台化することへの挑戦の深度が増していると感じた。

ネタバレBOX

複数の小説の断片を組み合わせて構成されており、かつ、その内容をそのまま演じているのではない——とすると、観客にとってはそこで何が表現されているのか、舞台の構成をどう受け止めるのか、難解に感じる面もありそうだ。舞台を観た後に作品に触れる面白さがある——ということか、あるいは当日パンフレットなどで触れられる情報を増やすのか、その辺りのスタンスをどこに置くか、これは考える余地(と楽しみ)のある課題だとも思う。
イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

CoRich舞台芸術まつり!とCoRich舞台芸術アワードの覇者の中から、いずれもドラマ演劇を得意とする作家、演出家を選び出し、出会わせたCoRich舞台芸術プロデュースによる意欲作。
 
科学者ブライアン・ウッドとその家族を軸に、ロスアラモスで原子爆弾の開発に関わった5人の青年たちのその後が、老年期まで、およそ65年にわたって描かれる。大プロジェクトにかかわることへの興奮や喜び、畏れを抱いた青春期から、ベトナム戦争、湾岸戦争を挟みながら変化していく時代、結婚や子供の独立などの出来事を経て、彼らの内心はどう揺さぶられたのか。やがて日本との関わりを持つようになったブライアンは——。
 
5人の中には過去を明確に悔い、苦しむ者もいれば、愛国心、敵外心をさらに募らせる者も。若さが放つ奢りと輝き、年齢を重ねた上での迷いや弱さ、頑固さを体現する5人の俳優たちと、時代と家族の変遷をストレートに描くストーリー展開で集中力を途切れさせない充実した上演だったと思う。
 
日本人が日本語で、原爆を投下した側であるアメリカ人たちの群像を描く「フェイク翻訳劇」としての狙いは、おそらく、その「イノセント」なあり方から、日本人の現在、来し方行く末をも振り返らせるところにあるだろう。廃墟のような装置、黒く煤けた小道具を用いて進行する劇の中で、当たり前のように口にされる日本人や敵国に対する差別、想像力の欠如した発言の数々は、なるほど刺激的だが、当時のアメリカ人、それもロス・アラモスにいた人間ならば当たり前の感覚であり、そのこと自体がさまざまな対立、紛争、戦争を時には見過ごしやり過ごしている多くの人間たちの存在を思い起こさせる。「謝れない」ブライアンの内心の葛藤もまた、時代の変化を知りながら過去をうまく消化できない人の姿だと思えば思い当たることも多い。





ネタバレBOX

途中、英語が通じない日本人(たち)に仮面を着け、無視される存在として見せたり、焼け野原にたびたび未来の子孫を思わせる少女を登場させたりと、わかりやすくビジュアライズされた演出も印象的な本作だが、率直にいえば、その強さ、わかりやすさが危ういと感じた面もある(ただし、戯曲は未読なので、どこまでが演出の範疇か明確にはわからない)。

時代や与えられた環境の中で、その人なりに生きる中で身につけてしまった偏見、差別、無関心こそがイノセンスの表れならば、こうした仕掛けは、むしろ分断や敵愾心を刺激するようにも思えるし、被爆者の血を受け継いでいる胎児に手を伸ばす幕切れの処理の仕方も解釈を任せるというにはシニカルに寄ったもののように見えた。

この「イノセント」は(もちろん反語だとして)誰にかかる言葉か。
観客にインパクトを残す工夫の一方で、この問いにしつこく止まり、紐解く地道な取り組みも観てみたかった。


9人の迷える沖縄人

9人の迷える沖縄人

劇艶おとな団

那覇文化芸術劇場なはーと・小劇場(沖縄県)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/14 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

1972年本土復帰を前に行われた新聞社での「意見交換会」の様子を、現代の劇団が再現するという二重構造からなる作品。

タイトルから『十二人の怒れる男』のような、多様なバックグラウンドを持つキャラクターによる論争劇を思い浮かべていたのですが、この舞台に「水面下の感情の動き、駆け引き!」とか「手に汗握る議論の行方!」といったドラマティックな筋立て、終着点はありません。
有識者、主婦、戦争で息子を失った老婆、俳優、本土からの移住者……それぞれがそれぞれの立場について語る劇中劇部分は、一見「さまざまな意見」を整理して、キャラクターに割り振っているだけにも思えますが、それを演じる現在の沖縄の演劇人たちの稽古風景が挟まれることで、徐々に「報告劇」としてのリアリティを増していきます。中でも「有識者」を演じる青年が直面している基地/米軍にかかわる理不尽は、二つの世界を橋渡しする重要な設定となっていました。また、意見交換会でうちなーぐちを使う二人の人物「老婆」「文化人」が背負った歴史の奥行きも印象に残っています。とりわけ「文化人」の自負と不安が交錯する表情には、戦後の沖縄で言葉や文化にかかわってきた、多くの人々、演劇人の姿も重なっているように思えました。

「稽古中」の俳優、演出家の会話にしばしば折り込まれる解説、実際にウェブサイトで募集した「復帰あるある」をスライドに投影しながら語り合うレクチャー風の場面など、親切だけれど、演劇としては戸惑いを感じる仕掛けも、振り返ってみれば、単に感情移入を誘うドラマを見せようというのではなく、観客と共に本土復帰前夜を体験するための回路として有効に働いていました。私ははっきりとは聞き取れなかったのですが、同行した人によれば客席でも「そうだったのよー」といった年長者の声が挙がっていたそうです。

今回の那覇の劇場において、この作品は、沖縄の現在を、歴史を踏まえつつ、あらためて捉え直すツールとして機能していたのではないでしょうか。またそれは、演劇でしかできない方法で、だったと思います。

ネタバレBOX

終幕では、過去と現在、それぞれのドラマの幕切れの後に、虚構(劇中劇)と現実それぞれのカーテンコールが続きました。この構成には唸らされるものがありました。
「今もなお、沖縄人は迷っている、迷わされているのだ」という、呆然とするような実感がそこにはありました。

過去の人物であれ、現在の人物であれ、個人的な横顔に折り込まれた背景、事情は、戦後の沖縄が経験してきたさまざまな事件、その葛藤、矛盾について具体的に知らないと、県外の人間にはすぐにはピンとこない部分もあるとは思います。ですが、その「疎外」もまた、特に本土の人間にとって強い体験になるのではないでしょうか。
ひび割れの鼓動-hidden world code-

ひび割れの鼓動-hidden world code-

OrganWorks

シアタートラム(東京都)

2022/03/25 (金) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「表現」の源泉を求めた、古代ギリシャへの旅。
白い布をかけ、色をなくしたシンプルな舞台は儀礼の場のよう。
その周囲を「俳優」が歩き、時間の旅を始める冒頭から、深い時間の奥行きを感じました。「俳優」と「コロス(ダンサー)」が対置されながら進行する展開のなか、印象に残ったのは、ディデュランボスの祭礼の場面です。その踊りの輪には、盆踊りにも通じる、死者や過ぎ去った時間への思いが表れていました。

舞台構成、ダンサーたちのキレのある身体……頭脳と視覚を刺激する作品です。断片的で抽象的ながら、不思議なニュアンスを感じさせるイキウメの前川知大さんが執筆したテキストとのコラボレーションも含め、「ダンス」でもない「演劇」でもない、「パフォーミングアーツ」を開発する意欲、意思がそこにはありましたし、その地盤はすでに十分に固められつつあるとも感じます。この魅力的な場が、時には逸脱や混沌も含みつつさらにオーラ、熱量を放つ展開をみたいと思います。


 “Na”

“Na”

PANCETTA

「劇」小劇場(東京都)

2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「Na=名」をめぐる7本の短編からなる公演。

揃いの白いツナギ(無名性の象徴ですね)を着た4人の出演者が、劇中で名前(と人格が一致した)「人物」を演じることはほとんどありません。通し番号か、「王様」「先生」といった代替可能な役割で呼ばれることで起こる混乱や事件を扱った7つの小さな喜劇から、笑いはもちろん、ふんわりと人間関係の緊張や情が引き出され、最終的にはやはり「名」が保証する(人物としての)同一性に焦点があたる構成に唸らされました。

コントの集成といってもいい内容で、演技も戯画的なものですが、ダジャレのくだらなさ、身体をつかった表現での奮闘ぶりだけでなく、たとえば「王様ゲーム」で生み出された嫌な緊張感、失敗の末自分の「名前」を食べてしまうアオヤギさんの焦りなど、関係性によって生み出される感情にフォーカスしている点が、スマートでした。同じツナギを着た二人の演奏者の存在、使われ方も、単なるBGM係ではない意味と持っていたと思います。こうした感性は、たとえば今後、子供向けのコンテンツなどでもうまく生かせそうな可能性も感じました。

オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

亡くなった姉の子を育てた祖母、シングルマザーとして奮闘する母、性暴力事件をきっかけに溝が生まれてしまった双子。女性だけの三世代の家庭を舞台に、性暴力が残し続ける傷、その深さにいかに向き合い、寄り添うかが描かれます。当事者の哀しみ痛みだけでなく、周囲の戸惑いや過ちも静かに見つめ、解きほぐしていく手つき、プロセスが印象的な作品でした。

とりわけ、音信不通となった姉・倫子(西岡未央)と、その心を追って旅することになる妹・結子(滝沢花野)の関係は、少女期の二人のアンサンブルの良さも手伝って、直接の被害者ではない(と思っている)人間が、どのように、性暴力や差別と向き合っていくかというヒントを示しているようにも思えました。

ネタバレBOX

会場の割には、やや声を張った芝居が多く、そのことが演じるキャラクターを「典型」に見せてしまうところはもったいなかったなと感じています。また、母、祖母の世代が何を感じ、考えていたのかはそれほど語られず、双子だけでない家族(母から娘)の肖像はやや薄いように感じました。ただ、二人のキャラクターをそれぞれが生きた時代の肖像としてとらえ、想像を膨らますことはできましたし、それもこの物語の背景には欠かせないものだったと振り返っています。
残火

残火

廃墟文藝部

愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)

2022/05/20 (金) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「平成」にフォーカスしながら、いつか訪れる東海地震への漠たる不安を抱える少年と阪神淡路大震災で生き残った少女との出会いと、20年強にわたる交流を描くドラマ。
両親と片腕をなくし、深い悲しみ、トラウマを抱えながらも生きるヒロイン「火花」の強さ、美しさが際立つ舞台でした。後に東日本大震災に遭遇することになる友人「歩鳥」も交えた日々の風景に、語り手の少年(後の青年)の持つ「カメラ」の視点が持ち込まれるのも(ベタだともいえますが)効果的だったと思います。
3つの震災を並列にしそれぞれを主要な登場人物が経験するという筋立ては、(「平成」がそうした災害と共にあったという見立てにはうなづく部分もありつつ)図式が過ぎるとも感じましたが、俳優たちが発する今を生きていることの迷いや輝きが、その作為の跡を薄くし、ドラマをうまくドライブさせてもいました。

ネタバレBOX

それだけに終盤、架空の「東海地震」が多くの犠牲者を伴う形で起こり、ヒロインに死をもたらすという展開には非常に驚き、考えさせられました。「平成」を象るものを明確にし、ここまでに少しずつ積み重ねてきた生の喜び、強さを、逆照射するためだとしても、これは悪しきセンセーショナリズムなのではないか。2つの震災を、そのトラウマも含めて描いてきた時間はなんだったのか。疑問が残りました。
ふすまとぐち

ふすまとぐち

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/27 (金) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ほぼ全編津軽弁によるドタバタ家庭劇。上演前にプロデューサーによる簡単な津軽弁講座があり、(結局わからない部分は思っていた以上にありつつも)楽しく観劇できました。
いじわるばあさんを思わせる姑・キヨ(山田百次)と必要な家事以外の時間は押し入れに閉じこもって暮らす嫁・桜子(三上晴佳)の嫁姑戦争を軸にした物語は、過剰な事件も交えつつ、終始ハイテンションな演技で進行します。ですが、実のところこの物語の背景にあるものはむしろ、重苦しく苦い現実ではないでしょうか。

非正規の仕事しかない長男・トモノリ(中田麦平)しかり、出戻りの娘・幸子(成田沙織)しかり、キヨの支配するこの家から自立すべきだと知ってはいても、すぐにそれを実行できるような状況にはないようで、だからこそなんとなくキヨの支配に従っています。一方、敵対しているはずの嫁姑の関係には、キヨが嫁に悩みを共有する「親族」なる怪しい団体と引き合わせようとしたり、桜子がキヨの嫌う虫をハサミで撃退したり、急病の気配にいち早く気付いたりと、緩やかな絆を伺わせる面もあります。二人は共に孤独を抱えながら「家庭」を支える役目を負う仲間でもあるのです。

ネタバレBOX

桜子が閉じこもり、時折内側から抵抗の意を示すために「ドンッ」と叩く押し入れは、終盤キヨの療養するベッドとして使われます。この押し入れが、この家族の心臓部なのではないか、逃れたくても逃れられない「家族」を象徴し、つなぐものではないかと想像すると、この劇の空間設計のダイナミズムに驚くと同時に、日本(のとりわけ地方)を覆いつづける生活の不安と、「家族/親族」の呪縛のリアルな重みに思いを馳せずにはいられませんでした。
マがあく

マがあく

シラカン

STスポット(神奈川県)

2022/03/30 (水) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「部屋」=領域をめぐる諍いを淡々とシュールに、ポップに描き出す不条理劇でした。

舞台は入浴中の男の部屋。「下見」と称してこの部屋に忍び込んだ女性と何も知らない女友達、不動産業者と客が鉢合わせし、権利を主張しあっているところに、大家も登場、さらに風呂上がりの男も交え、事態は混乱を極める。最終的には「部屋」自身が争いの幕引き役として乗り出してきて−−。

登場人物それぞれの主張に一貫性はそれほどなく「えっ!」となるような発言も淡々となされるため(それが笑いを誘うのですが)、今目の前で起こっている攻防戦がどういう状況にあるのか見失ってしまうこともありました。とはいえ筋やテーマでなく、目の前で展開する状況そのものを見せるという意味では、とても演劇的な試み、企みを持った作品だったと思います。「部屋」自身の声や目線の導入も、(ある種の「神」の存在のように)状況を俯瞰し、設定に立体感をもたらす役割を果たしていて、面白かったと思います。ドミノでつくられた部屋の境界線が、上演中ずっと、登場人物たちの身体との間に、えもいわれぬ緊張感を生み出していたのも、印象的でした。

甘い手

甘い手

万能グローブ ガラパゴスダイナモス

J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)

2022/04/23 (土) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

文化祭前の学校を舞台にしたドタバタ青春群像劇。

若者……に限らず、誰にもある「ほんとうの私」をめぐるモヤモヤを、複数のエピソードを織り交ぜつつ、変に深刻にならず、ラストの盛り上がりへと昇華させていく手つきが爽快で、楽しく観劇しました。一定のテンションを保ちつつ単調にならない演技、スピーディーな場面転換も、演出力はもちろん、劇団力の強さを感じさせるものだったと思います。

俳優の年齢と役の設定のギャップもありますし、これがリアルな高校生活だとは思いませんが、もう少し上の世代によるノスタルジーとして描かれた若者のイノセントさ、呑気さ、右往左往だと思えば、ちょっと甘酸っぱい感慨も湧いてきます。

(ガラパはだいぶ以前に観たことがあるのですが、作り手が若者ではなくなったことで、むしろ、フィクション、エンターテインメントに振り切れた面もあるのかもしれません)

横山祐香里さん演じる堅物先生、椎木樹人さん演じる熱血先生の佇まいも、個性的でありつつ、ちょっと大人の余裕としての重しにもなるような魅力がありました。


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