GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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新・正午浅草

新・正午浅草

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2019/04/17 (水) ~ 2019/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/04/17 (水) 18:30

座席1階11列20番

まず、私事で申し訳ない。

私の実家は墨田区の東向島、東武線の東向島駅でここは昔「玉ノ井」駅と言った。
私の実家は蕎麦屋をやっており、父は永井荷風を何度か見かけたそうである。
私の幼少時以降、昔の赤線風情はかけらもないが、「抜けられます」にあるような迷路のような道筋にその名残はある。実家の蕎麦屋には、荷風好きの人が散策がてら寄ることがあり、昔のその辺りのことを尋ねることもあったらしい。

ちなみに、父親や祖父母は東京大空襲経験者だ。

そして、浅草は小学校まで、中学~高校は銀座が私の遊び場所だった。遊興(映画や食事、買い物、果ては飲酒=時効ね)に出かけるとすればこの辺り。実家の菩提寺は浅草にある。

市川菅野に住んでいたことがある。今も近くに住んでいて、本八幡にはよく足を運ぶ。大黒屋は閉店してしまいましたね。京成線は東武線と並ぶ、私の重要な足だった。

さて、こんな私だから、舞台に出てくる土地や名称、その1つ1つが郷愁を強く誘う。何か舞台上を生きている実感がある。もちろん生まれたときには、荷風は故人だったが、荷風の歩いた道は、私の歩いた道でもあるはずなのである。

そして舞台。昭和31年を基軸に、明治32年の青年期に始まる父との確執(といっても、何ともほんわりとした相互に交わされる意地と愛惜なのだが)、昭和11年の玉ノ井通い、翌年の戦時突入への冷めた嘲笑、そして昭和34年の最晩年の「正午浅草」から「正午大黒屋」※そして孤独死へと、「断腸亭日乗」を辿りながら話は展開する。

※荷風は「家」ではなく「屋」と書いている。

荷風役は、御年は荷風の寿命をしのぐ85歳の水谷貞雄。
さすがに、20歳の役には無理があったけれど、初老の荷風と晩年の荷風を鮮やかに演じ分ける。昭和11年の玉ノ井で老いを感じさせながらも、女に好かれる色丈夫を演じ、昭和12年では背筋をピンとさせ矍鑠たる姿で銀座を闊歩する。一方、昭和31年以降は、世をすねるでもなく飄々と生きる軽妙な老人像を、老いも楽しむ風情で演じ切る。
台詞の最後に「・・・ぜ」とつける粋。
水谷貞雄は、故宇野重吉に役には形から入れと教えられたそうだ。だから特に歴史上の人物を演じる時には、最初の登場からその人物に見えることを絶対命題にしているとのこと。
その点では、冒頭、市川を歩く荷風はまさに荷風であり、そこに水谷貞雄はいない。

父の死後、20年毎に夢に現れる父親との会話は、皮肉や嫌味でお互いへの面当てをしながらも、双方ののんびりとしたやりとりが見ていて楽しい。

玉ノ井でのたった3ヵ月のおゆきとの逢瀬。土砂降りの雨の中で会った彼女を、小説のネタにして、惚れられるとともに去っていく。元妾のおうたに、おゆきとの関係を尋ねられた際の荷風の回答が良い。この場面に限らず、「断腸亭日乗」を芯にしたこの舞台は、終始、荷風という人物をつまびらかにすることに専心しており、変に物語風にまとめようとしないことがすがすがしい。特に事件が起きるわけではないのだから。

タイトルに「新」とつくのは、作・演出の吉永仁郎が過去に荷風を題材にした一人芝居を「正午浅草」と題して作ったことから来ているらしい。ただ、改作といわけではないようだが。

荷風の菊池寛嫌いが、なぜかとても痛快で心地よい。
そして、森鴎外に対する強い思慕も、そこはかとない荷風の純情さを感じさせる。

ネタバレBOX

1つ心配だったのが、終演後、あれほど劇中矍鑠としていた水谷さんが、かなり疲れて見えたこと。舞台で段差を降りる時、左右から他の役者さんに支えられ、上手に下がるときにもやや前かがみで白石珠江さんに支えられていた。肩で息をしていたようだけれど、まずは千秋楽まで頑張ってください。成功祈念しております。
カフカの猿

カフカの猿

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/04/10 (水) ~ 2019/04/13 (土)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/04/13 (土) 14:00

「ある学会報告」通称なのか『カフカの猿』
これを、現代に引き寄せて翻案した舞台。
ある戦争代行会社が、嵩張る人件費を軽減しようと、猿を兵士にすることを思いつく。アフリカで捕獲された猿、そのうちの一頭が人間になること(兵士になること)を決め、成功を収めることで会社の役員まで上り詰め、その過程を自社の宣伝講演として話す一人芝居。
実際過去には、この猿の妻が僅かに登場する場面があり、当日の観客にはそのことを知っている方がいらっしゃった。その時点では、一人芝居ではなかったわけでが、やはり人件費(笑)の関係(海外公演で1名連れて行くことの経費)と、演出上、妻の存在が必ずしも必要ではないこと、主演にとって妻の存在がむしろ演技する上で邪魔になることから、2015年頃から辞めたそうである。

さて、特殊メイクを施した主人公(1時間半かかるらしい)、ゴリラともチンパンジーともとれるその容姿で、時に客席を駆け回り、演台に座り込み、ワインを飲み、葉巻を吹かす。客席の女性に関心を示し、観客の男性をいじり、その時折見せる知的な風情と粗野な振る舞いとのギャップに、観客たちはザワザワ感を抑えきれない。
そう、70分の舞台を通じて、終始、心を波立てられるのである。

語られるのは、会社の宣伝と自身の生い立ちに定着された不条理。
不条理とは、生の希求には「出口(escape)」しかないこと。
「自由(freedom)」とは幻想にすぎないこと。そして「出口」には、ただ逃走するという意義以上のものがないこと。

生には、前進、進化、向上というポジティブな意義は一切ないことを語り尽くす。
彼にとって、猿から人間になることは、「出口」の1つでしかなかった。
そのことは、彼が飲酒と喫煙という悪癖に耽溺していることが象徴的である。

フライヤーにあるように、ハワード・ローゼンスタインが扮した猿は、観客にひたすら強圧的に問いかける、あなたは生をどのように全うしているのかと。
字幕がないが、英語が不得手な方でも一見してみる価値もあり。
主催者は、字幕上演が、演者の妨げになるとことからする方針はない旨話されていたが、過去の他の上演では、字幕上演の実績があるのだから、そう頑なにならず、試してみる価値はあるのでは。

含蓄に満ちた言葉を味わいたいと思うのは、舞台観客の強い要求だ。
でなければ、安価な日本語台本の販売、あるいは日本人による上演もありなのではないか。もちろん、ハワード・ローゼンスタインの演技に代えがたいものはないだけれど。

ハワード・ローゼンスタインには★5つ、ただし、理解が追い付けなかった自分の満足度としては★4つにせざるおえない。

ネタバレBOX

ハワード・ローゼンスタインのあの演技があれば、特殊メイクと合わせて「モルグ街の殺人」も上質な舞台化が可能かもしれない。
BETRAYAL

BETRAYAL

らまのだ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/04/12 (金) ~ 2019/04/16 (火)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/04/14 (日) 14:00

ハロルド・ピンターの戯曲。
まだ観たことがない演目なので、初めての劇場新宿シアター・ミラクルまで足を運ぶ。
うわあ、1階のエレベーター前汚いなあ。大丈夫かよここ、と驚いた。歌舞伎町が近いと言ってもなあ。
さてエレベーターにてビル4階へ。
しかし、ここからは別空間。

さて、舞台の感想。
まずは、とても品の良いお芝居を見せてもらった、というのが1つめ。
タイトル通り、この話は不倫話である。
ジェリーと愛人のエマ、そしてエマの夫・ロバート(ジェリーの親友でもある)の3人構成。ピンターらしい少人数編成だ。
フライヤーだと気が付かないけれど、この3人はなかなかの美男美女。
舞台は3つに区切られていて、1つはテーブル席(レストランだったり、ジェリーとエマが逢引きをするアパートだったりする)、1つは書斎(ロバートの家だったり、ジェリーの家だったりする)、そしてベッドルーム。
この3景を無理なく行き来することで、それぞれのシーンは円滑に切り替わっていく。

最初の場面は、別れたジェリーとエマが2年振りにレストランで会うことから始まる。
そこから時間は、どんどん遡って、最後はロバートとエマの結婚式の夜にジェリーがエマを口説くシーンで幕を締める。

冒頭のくたびれたような倦怠感から、ジェリーとエマの蜜月、そして2人の出会いと逡巡。背信とは何かをその根源に遡るように見せてくれる。
ただのメロドラマではない。ピンターらしいテーマ、人間がお互いを知るということの絶望。知らないことを知っていると思い、知っていることを知らない、コミュニケーションによる情報伝達の不可能性。そのとき、愛情というものはどのように機能しているのか、そもそも他社を知りえな上で恋愛や友情は可能なのか、それは自我が抱えたままの他者への幻想ではないのか。
ピンターの視線は、冷ややかでかつ透徹している。

うん、面白い。
中村美貴さんのファッションセンスの良さと、抱擁シーンで発散される熱量に、久し振りにメロメロでした。

有末剛緊縛夜話第十九夜

有末剛緊縛夜話第十九夜

有末剛 緊縛夜話

ザムザ阿佐谷(東京都)

2019/04/12 (金) ~ 2019/04/13 (土)公演終了

満足度★★

鑑賞日2019/04/12 (金) 19:00

長唄と緊縛、「阿佐ヶ谷心中」というタイトルと男女の道行き、とてもよい組み合わせだと思います。
しかし、どうも物足りないのはなぜ?

今回の有末さんは、緊縛師として緊縛に特化した役割なので、この数回のような役割としての不満はありません。
となると、正直なところ、緊縛に求められるキリキリしたような緊迫感、刹那感、背徳感が薄いのではないかと、自身思いました。心中に誘われる、男女の心情がどうも緊縛で表現しきれていないような。

有末さん、右目がかなりお悪いとのこと。お大事にしてくださいね。

検事と犯人のフィクション術

検事と犯人のフィクション術

東京パイクリート

Geki地下Liberty(東京都)

2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/04/13 (土) 19:30

失礼ながら、話としては珍しくはない。
正義感の強い検事が、その正義感ゆえに地方へ左遷。そこは警察と暴力団の癒着がはびこっており、警察は点数稼ぎに奔走し、暴力団は私益を肥やしている。それに巻き込まれる人々。
検事はどうするのか、というお話。
しかし、それは単に「筋」ということであり、どのような骨格で、どのような体型にして、どこに筋肉をつけるのか、それが問題。
こちらの舞台では、構成、脚本、演出、演技によって、全てを有体の筋から脱却させている。
前回公演のような、大掛かりなオブジェ(プロペラ機)はないが、箱馬の器用な使い方、壁に貼られた記号の組み合わせ、何となく凝った作りは、とても味がある。(ただし、これら細かいことを覚えることで、芝居への集中が疎かにならないかちょっと心配)
そして、音楽の選局が秀逸、ラストの「青い珊瑚礁」の解放感はちょっと重くなりがちなラストに思いっきり開放感を与えてくれました。

コメディーの部分を大事にしながら、地方都市を牛耳る暗澹たる権力の描写はしっかりしていて、主人公の検察官とその上司との対立には、ほどよい緊張感があり飽きさせない。2時間びっしりと楽しめました。

でも2年1回の公演はもったいない劇団だと思う。せめて年1回は上演して欲しい。

四月大歌舞伎

四月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2019/04/02 (火) ~ 2019/04/26 (金)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/04/15 (月) 16:30

座席3階4列37番

価格6,000円

夜の部を拝見。
個人的に、歌舞伎で「今観なければいけない役者」は片岡仁左衛門(ともう一人、坂東玉三郎)、「今観るべき役者」は市川猿之助だと思っています。(好みですよ)
そこで、当然にこちらをチョイス。

「実盛物語」
主演は片岡仁左衛門の実盛というより、寺嶋しのぶの息子、寺嶋眞秀の太郎吉。冒頭、斬られた手首に握られた源氏の旗を取り上げるところから、終幕に実盛と共に馬に跨る場面まで、とにかく見せ所を全て持って行きます。そこは仁左衛門、うまく彼を引き立てて楽しく芝居をさせることに腐心の様子。そこが微笑ましい。
そうなると、舞台の内容云々ではないですね。
ただ、太郎吉が母の敵として実盛に決闘を申し込み、それに対して成人になったら受けてやるという実盛とのやり取り、これが何度も繰り返されるのは、ちょっとしつこい。このあたりは古典といえども、すっきりさせてもよいのだとおもうけれど。
なお、太郎吉くん、母親の手首を持ち歩いたり、実の祖父の首を斬り落としたり、まあ大変なトラウマ背負っているにも拘らず、ひたすら明るいなあ。

「黒塚」
陰影、照明、舞台装置と見事。
鬼とは、鬼として生まれてくるのではなく、人が鬼になるのだ、という鬼の在り方を忠実に表現し、その鬼の悲しさを淡々と表現する猿之助の演技が素晴らしい。
錦之助の阿闍梨も、尊厳のある振る舞いで、鬼女の悲しみを一層引き立てている。

「二人夕霧」
主人公は、鴈治郎演じる伊左衛門。熱愛の上結ばれるはずだった恋人(夕霧)が亡くなり、しばらくして女房になったのが二代目の夕霧。しかし、先代の夕霧は生きていて伊左衛門に会いに来て、という話。
この伊左衛門のダメ男振りが楽しい。それでも2人の美人に迫られている男振りがうらやましい。通常の舞台だったら、往年の森繁久彌なんかがやるとはまり役なんだろうなあ。でも、こうした役ができる役者って、歌舞伎界を除くと今いないなあ。同じ古典芸能でも、野村萬斎とかだと、ちょっと硬いものなあ。そういう意味では、歌舞伎界というのは凄いなあ。故勘三郎とか、仁左衛門、猿之助でもはまりそうだもの。
日本酒をちびちび飲みながら、おばんざいでもつまみながら観たい作品。
ただ、この演目の時には、私の周囲ではすでに帰っちゃった方が多くいて、もったいない。

エラリー・クイーン 

エラリー・クイーン 

PureMarry

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2019/04/11 (木) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/04/11 (木) 19:00

座席1階6列22番

価格6,800円

芝居を観るというより、エンタメイベントの趣。
それでも十分楽しめます。
第1部50分、休憩15分、第2部1時間5分
第1部と第2部はそれぞれ別の話で、それぞれで殺人事件が起きます。エラリー・クイーンが殺人者のを当てる前に、進行役が観客に犯人の推理を呼びかけ、挙手した観客3名程度に犯人と理由を喋らせるという趣向です。正解者には記念品がもらえます。
この日、第1部では正解が1名、第2部では正解が2名。不正解でも参加賞がもらえるようでしたが。

第1部開幕の、紫城るいさん、桐生園加さん元タカラジェンヌご両人のダンスは見事。
華やかな幕開けです。物語が戦前なので、ちょっと貨幣換算など判りづらい部分もあるが、総じてストーリーは明快。役者さんも手慣れた感じの演技で、気軽に観ていられます。それなりに楽しいですし、老若男女問わずに楽しめますが、客席は半分程度の入り。関係者関係の子供さんも多かったようです。
この入りの原因は、やはりチケット価格ではないでしょうか。6800円となると、自身観ることはもちろん、子供を連れて観るというのにはかなり敷居が高い。これはもったいないなあ、と思います。
パンフレットを子供たちが懸命に売っており、観客もほだされて購入していましたが、これも1500円はちと高いかと。そもそも解題を要するような舞台でもありませんし、私は大人げなく買いませんでした。

最後に手許に送られてきたチケットは、指定席引換券。
それはよいとして、開演1時間前から、引き換え開始、30分前から開場と書いてあるので、開場前にホールに向かうと何か要領を得ない。結局、開場するまで待たされて、受付で引き換えるように指示されました。引き換えが先着順でよい席になったのかは判りませんが、それだったら、急いで開場前から来ることなかったのに。

ネタバレBOX

最後の推理を当てると、記念品がもらえます。
その中身は、出演者のサイン入りポスター。やはり太田奈緒さんのが一番出たのかな。
太田奈緒さん宛の花も多かったし。私は桐生園加さんのをもらいました。

第1部を回答したので、第2部では控えましたが、そちらの私の推理ははずれました。
私は3人目の方と同じ、犯人は弁護士秘書と推理。
実は、彼女が本物のシュガーで、屋敷に来たシュガーは偽物という推理。秘書が初めて屋敷に遺言書を預かるために訪れたとき、暗い中、弁護士は玄関先で足を取られていたのに、彼女は初めてにも関わらず、すいすいと入っていきましたし、遺言書を入れる封筒が見当たらない時にも、暗い中ベッド脇にあることをすぐ指摘しました。
すでに、彼女は屋敷を訪れたことがあり、父親と結託して他の犯罪に手を染める2人の兄弟を抹殺することで同意していた。
弁護士秘書が、遺言書の開封に立ち会わない(屋敷に行かない)とクイーン達の前で宣言したのも、自身を捜査から遠ざけておくため。実は当日になって同行を申し出て、弁護士を殺害、後から追うようにやってくる、と。
そうすると、顧問弁護士をもたない父親が、シュガーの勤める弁護士事務所に遺言書のを預託したのも判ります。まあ、父親自体もシュガーに遺産300万ドルを渡すと騙したのですけれど。
弁護士を殺して、遺言書の内容を確かめたのは、父親への疑心暗鬼。自分が利用されていないかの確信が欲しかったのだと。
偽のシュガーは、本物シュガーこと弁護士秘書の部下か何かで、遺言書開封前に兄弟に命を狙われる可能性も考慮した影武者。
こういう推理いかがでしょうか。

でも父親は、誰を殺すために深夜徘徊していたのでしょうか。
これは永遠の謎です。
1つの部屋のいくつかの生活

1つの部屋のいくつかの生活

オフィス上の空

吉祥寺シアター(東京都)

2019/04/06 (土) ~ 2019/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/04/10 (水) 14:00

座席1階A列6番

鵺的「修羅」
一昨日、解体社の舞台アフタートークで散々いじられたH氏(あくまでも演劇論でですよ)の名前が、この舞台でまた語られたのは一人含み笑いしました。やはりK劇場は使用料が安いのですね。(このネタも一昨日に出た)

さて、小劇場ネタで適度に笑いを取った後は、確かに鵺的世界。
それでも、いつもよりは抑え目かな。展開としては、予測可能な範囲です。
脚本うんぬんとか、演出うんぬんとかは敢えて言いません。
というのも、女優陣が豪華で、皆様が一堂に会して演じているだけで大満足。確かに鵺的に縁の深い方も多いのですが、いかにもな犬神家の一族的座席配置で、性と業を演じ切る。正面右端にVoyantroupe川添美和、左端にフロアトポロジー小崎愛美理、そこに挟まれる鵺的奥野亮子と堤千穂。随時登場する牡丹茶房赤猫座ちこ、ハマカワフミエ。
絢爛豪華。それぞれが、場持ちしていやあ満足、満足。

さて、4姉妹に最も強烈に因業含みの復讐をしたのは、腹違いの姉だったのですね。

ネタバレBOX


かわいいコンビニ店員飯田さん「我がために夜は明けぬ」
和室設定を逆手にとってのスペースオペラ。宇宙船内での人間模様を軽妙に描き切ります。
ただし、他の方も言われているように、設定としては活ききっていないかな。宇宙船内であの人数ならば、もっとドロドロした人間関係・愛憎劇を描けてよい。
彼らが行く先はよく判らないけれど、地球への帰還が可能という前提があるとすれば、ラストの未来への希望を高らかに謳う締めはかなり強力なバインドになるはず。もっと、落とし込むだけ落とした話でもよかったのではないかと思う。
Farce =ファース= 道化師

Farce =ファース= 道化師

IN EASY MOTION

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/04/02 (火) ~ 2019/04/07 (日)公演終了

満足度

鑑賞日2019/04/03 (水) 19:30

座席1階A列17番

価格5,500円

IN EASY MOTIONは初見の劇団でした。
しかし、「BASED ON A TRUE STORY」「怪しの雨」、そして前回公演「半月」と、内容については不明なことが多いものの、フライヤーやタイトルなどから興味をそそられて、しばらく関心を寄せていた劇団でした。
今回もフライヤーとタイトル、そして『衝撃の結末』というキャッチに惹かれて、日程もよいことから観劇に至りました。なにせ35回の公演を開催させたということは、その実績からそれなりのものは十分期待できるだろうと。

チケットも5500円、新国立劇場小劇場並で、世田谷パブリックやKAATの公演と比べては高め。人気のオフィスコットーネやチョコレートケーキ、鵺的などより明らかに高い。
劇場を考えれば、自信と人気の裏打ちなのだろうと解釈しました。

確かに、舞台に登場する役者さんたちは総じて達者で、セリフを噛んだり戸惑ったりは一切なく、稽古の賜物と資質の高さを感じさせる舞台でした。(テレビ以外で初めて拝見したプリンプリンの田中さんは、その舞台歴に比して、かなりセリフが棒読みでしたけれど)

さて、ここからが問題です。脚本・演出を伊藤和重さん1人が担っているとなれば、この作品の失敗はほぼ伊藤さんの責任と言えます。この作品をサスペンスあるいはミステリーとするか、知的障害を持つ家族の物語をするかはともかく(あるいはその両方)、あまりに話が粗く、様々な伏線の回収がなされないまま、結果として各場面やセリフが宙に浮いたままで、けして衝撃的ではない結末を迎えます。

ちなみに、暴れる娘を刑事課長が抑える場面が、しばしばありますが、娘役の大串有希さんの方が、父親役の宮本大誠さんよりもずっと強そうです。

ネタバレBOX

結果、この2つの話は、娘が珍しく外出をした時に強姦されるという、唐突な事件でリンクします。結果、娘の爪に残った犯人の皮膚片と、犯人と思しき男の毛髪とのDNA鑑定によって犯人が見つかり、連続強姦事件は解決し(?)、刑事課長は衝撃の(実はありがちな)結末に至ります。
以下、諸々の回収されない伏線と、?なところを書き連ねます。

① 冒頭、警察では刑事課長を中心に強姦事件の検討が行われ、中盤に検察官が登場し相補方法に示唆を与えます。「全てを疑え」「発想の転換をしてみろ」「冷静になれ、感情を持つな」等などの発言があり、事件全体を俯瞰することや、一方で共通点と相違点を整理することが検討されます。しかし、全くそのようなことは事件の解決に反映されません。

② おそらく娘の夢、ないし自意識内でのことだと思われますが、彼女が普通に喋る場面が3回挿入されます。彼女の好きな韓流スターが出てきたり、素性の判らない女友達が出てきたりしますが、このシーンの意味は何なのでしょう?単に娘が外出するための動機付けなのでしょうか?

③ 母親が過去、娘にフラメンコを教えたらしく、それぞれが見事なフラメンコを披露する場面がありますが、これは母娘が未だ継がっていることの表象ですか?だとすると、かなりマニアックな習い事だと思うので、何か別の意味があるのかと憶測してしまいます。

④ 強姦事件の一部が2回演じられますが、そこに出てくる3人の男組は誰?またなぜ飛行場らしきところまで運んできて、また運び出すのか?目隠しの上で、飛行機の爆音を聞かせると、ある被害者には米軍基地と言い、ある被害者には自衛隊内部だと言います。その意図は?また、必ず警察に届けるように強く求める意図も判りません。

⑤ 女刑事が、依存症の人間はそれを周囲に知ってもらい、止めてもらいたいという衝動に駆られると説明しています。(必ず警察に届けるように強く求めるのは、その衝動からとも思えなくはない)しかし、被疑者が依存症として以前数年いたであろう行動圏内(品川管区)で、僅か2回の犯行(強姦)は少なすぎませんか?

⑥ 娘を強姦した犯人は見つかったとして、その犯人が連続強姦の犯人とは特定できない。何といっても手口が違うのだから(連続強姦では、膣に紙片を入れるという報告は一切ない、3人の男の関与もあったのかどうか)。

⑦ 女刑事が娘の膣に入っていた紙片に、文字が書いてあるとは言っていないのに、被疑者が「何て書いてあった?」と聞くことから、秘密の暴露とされ犯人とされます。しかし被疑者の立場からすれば、紙片であれば何か書かれていたのではないかと思うことに不思議はないし、「何か書いてあった?」と言い間違い、聞き間違いもあり、そんな断定的な自白なるとは思えません。また、被疑者が文字を聞いて「ファース、道化師か。」と言ったのに対して、女刑事が「私はエフ、エイ、アール、シー、イーと言ったので、ファースとは言っていない。」と強弁するのだが、それは頭の中で綴れば自然と出てくることです。「ジー・オー・オー・ディー」と言われれば、聞いた方は「グッド?」と答えるでしょう。

⑧ 被疑者が途中で自分を道化師に例えるのだけれど、これは伏線?だからと言って、毎回膣に「Farce」と書いた紙を入れていたのならともかく、唐突すぎません?

⑨ 刑事課長は、わざわざ娘に浴場で犯人の遺体を見せるのですけれど、それまで、あれほど娘の内面を気遣っていたのに、この無神経さは何なのでしょう。

などなど、どうもしっくりこないことばかり。(書きなぐりですみません)
道化師の可笑しみも悲しさも感じるに至りませんでした。
クラカチット

クラカチット

東京演劇アンサンブル

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/28 (木) 19:00

SFといえば言えなくないけれど、それは執筆当時に核兵器がまだなかったということ。
クラカチット=核爆弾ということから、渦巻く陰謀、暗躍する組織、もたらされる世界の危機、主人公の運命やいかに!というサスペンスなんじゃないの。と思って観たが、これもけして的は得ず。
一言で言うと、「クラカチットを脇に配した好色一代男」かな。
確かに説明にあるように「大メロドラマ」です。

まあ、主人公プロコプの女好きは無類この上ない。随分、女性には奥手で、まともな恋愛などしたことがないと言っておきながら(ましてや、大学の同級生トメシュが女にもてると嫉妬する始末)、シュールの女に心奪われては、あらゆる苦難もなんのその、トメシュを探しにまいります。
実質トメシュは序盤で退場、むしろ彼がプロコプから聞き書きしたクラカチット製造法のメモ書きと残されたクラカチット自体が、物語を裏から表からぐいぐいと引っ張っていきます。その先々で出会う様々な女性。結局、手を出しちゃうんだものなあ。
それでも、変に甘ったるい雰囲気になったり、愛の苦悩に浸ることがないのは、そう、クラカチットが折に触れ、ドカーンとやってくれるからで、これがどうも心地よい。
まあ、これからも女性の間を飛び回るのでしょう。

カーソン役の公家義徳とデーモン役の松下重人が怪演、プロコプとの絡みは雨宮大夢をいじりまくって丁々発止。プロコプを引っ張りまわすこのお2人なくして、この芝居はあり得ない。

1つ質問です。誰か教えてください。
トメシュが躍るところや、プロコプがアンチに迫る場面などなど、舞台上2段目の下から出てくるキャベツたちは何を意味しているのでしょう。
原作にも、そのような場面があるのでしょうか。

ネタバレBOX

ラストの老婦人とプロコプとの対話、老婦人は本来神様だったようだけれど、この第三者的な女性像にしたのは正解。説教口調にならないし、嫌味にもならない。
プロコプ=クラカチットというオチは、捻りはないけれどこれも心地よい。
R.U.R.

R.U.R.

ハツビロコウ

小劇場 楽園(東京都)

2019/03/26 (火) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/26 (火) 19:30

ハツビロコウ初の翻訳劇。
上演台本は松本光生氏だけれど、新訳ということではないらしい。
事前に、①ここでの「ロボット」とは機械仕様のものではなく、有機体であるということ。
    ②ロボットの反乱を描いた作品であるということ。
くらいの知識しかなく、そもそも三幕構成であることも知らなかった。
「上演台本・演出」とわざわざ書いたのは、意図するところがあって第一幕とロボットがハリー達を襲撃する場面は削りました、という表明なのだろう

第一幕を削ると、人間がロボットと共生していた(ロボットが隷従していた)場面がなくなり、襲撃場面がなくなると、ロボットの登場シーンも大きく削られ、その暴力性も描かれなくなる。(ロボットが向上へ侵入を図るのも、ブスマンが殺されるのも目撃者に)語られるだけだ)

登場するロボットは3体、反乱の首謀者ラディウスと、ガル博士が最後に作った(ということは最も人間に近づけた)プリムスとヘレナのみ。彼らは感情(らしきもの)を持っている。

さて、こうした構成の意図は何か。おそらく、人間とロボットとの境界線をあいまいにし、現代における人間とAIの関係に近しい状況の上で、「R.U.R」を読み替えてみようとする試みなのかと思う。
人間のヘレナが既存の存在として登場するこの舞台(第一幕では、外部からやってきて、感情を除いたロボットの人間との近似性に驚く)では、むしろヘレナ自身がロボットではないかと勘繰ってしまう状況が用意されている。何せ演じる森郁月さんのスタイルとファッションは、他の男達(背広や作業服、白衣といった)の日常性と一線を画しているし、ロボットへの感情移入が際立っているから。
とはいえ、ヘレナがロボットとの平等と共存を強く主張しながらも、同時にロボットの存在が人間を怠惰にして子供を産まなくさせているという推測からロボットの増産を辞めさせようとする(人工生命製造の秘伝書をシュレッダーする、つまりこれは種の絶滅を意味する)姿勢は、大きな矛盾を孕み、そのことが彼女の人間性を担保しているかとも見れる。
そして、ラディウスの粉砕機行きを救おうとしたヘレンでさえも、ロボットたちに殺されるという経緯は、まさに種間の争いの根深さを象徴し、人間とAIの未来に不安を残すだろう。

第三幕の最後に光明が見いだせるのか。ロボットはすでに増殖の途が断たれているのだ。
彼らに秘伝書の復活を期待できないでもないが、100年もかかって作り上げたものを、20年の寿命しかないロボットが1から構築するのは不可能だろう。感情を持ってしまったゆえに、死を恐れるロボットも哀れ。

最後に、ロボットのヘレンは1人2役のはずなのだけれど、役者を替えたのはなぜかな。
バランスを取れるプリムス役がいなかった?(失礼)

目指したと思われるテーマの表現には成功していると思うけれど、役の掘り下げがなされておらず、
役者の力量が高いだけにもったいない気がする。割と成功、やや失敗かな。劇として好きな部類なので。

でも、次回も高い次元で期待しております。

ハツビロコウへは期待が高いので。

血のように真っ赤な夕陽

血のように真っ赤な夕陽

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2019/03/15 (金) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/22 (金) 14:00

座席1階A列1番

最近は劇団チョコレートケーキへの新作よりも、他劇団への脚本提供が目立つ古川健氏。
どこの劇団も、あの古川健氏の新作!ということを前面に出すので、見落とすこともなく、いつも満員である。
それにしても、その提供サイクルは早く、自前のチョコレートケーキ公演は大丈夫か、と心配になってしまうが、何のことはない、過去公演のブラッシュアップで、再演でも高評価を得ているのだからたいしたものだ。

むしろ、劇団員の皆さん、特に西尾氏などは客演で腕を磨いているようだし、他の浅井、岡本両氏もまた腕を磨いて私たちの前に現れてくれることだろう。

さて、古川氏は自身の脚本については、演出家のアレンジに一身に身を任せるようで、同じ作者であるからしてテーマ性については近似的であっても、かなり劇団毎のカラーというか、雰囲気に取り込まれて、テイストに差が出るものだなあ、と感じることが多い。

この作品も、その激烈な題名からとは異なり、かなり俳優座独特の理想主義、人間至上主義、あるいは性善説的な風潮の作品に仕上げられている。日本への帰国時に祖母と父親がなくなり、幼子と離れ離れになったことが語られるが、それでも他の皆は無事帰国し、現在も元気に暮らしているとなれば、それ以上に何を求めようか。彼ら南部の開拓団も、他の開拓団のように自決を選ぼうとしていたのだし、それでなくとも死地においやられたのかもしれないのだから。

もし、チョコレートケーキが上演しようとすれば、もっと開拓団と中国人との深刻な対立や、暴力性が描かれていただろう。劇中繰り返される、良い人もいれば悪い人もいる、という何気ない道徳訓も、もっと構図的に示されていたと思う。

舞台冒頭と最後に登場する現在(日中国交正常化直後)の大陸でのチャンさんと息子との邂逅は、置いてきた幼子が大きく成長していることを示し、民族的な対立が恩讐のかなたになったことを示し、観客に安らぎを取り戻してくれる。

ただし、「血のように真っ赤な夕陽」と表現された、あの激烈な生の瞬間の軌跡は、薄められた感があるが。

ネタバレBOX

地区長の集団自決した隣村校長役の谷部央年のインパクト凄し。
敗戦による満人やソ連からの脅威に怯える南地区の皆々。しかし、実際に満人が暴力に走るとか、ソ連軍が侵攻してくるという描写は、あくまで伝聞・推測の域を出ない。ともすると緊張感の欠けた時間帯になりがちなのだが、谷部央年が語る狂気に満ちた集団自決の描写は、場面を高い緊張に走らせる。彼は自死せず、死を賭してこれから満人を手あたり次第殺しに行くと言い。銃弾を分けてくれるよう頼む。
南地区の皆々は、始め、その無為な行為を留まらせようとするが、、、

地区長の河野正明が、銃弾を手にした時、何をするんだろうと訝しく思ったが、
銃弾の半分を渡したときには、谷部央年が演じた狂気が理性や善悪を超えて、一つの説得力を勝ち得たことへの納得と共感を強く感じた。この場面は必見。
殺し屋ジョー

殺し屋ジョー

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/03/22 (金) 19:00

まあ、ジェットコースターに乗ったような2時間20分。あれ休憩無かったらどうだったのだろう。
あっという間に終わった感は、やはりあったのだろうなあ。
劇団俳小の芝居は、古典劇でも現代劇でも、割とどっしりと構えて、テーマを掘り下げるような作りの印象なのだけれど、これは全く違ったなあ。脚本の特性もあったのだろうけれど、やはりシライケイタ氏がギアを一気に上げちゃったことが大きいのだろう。いかれちゃったというか。

クリスが父の家を深夜訪れて一騒動。混沌とした出だしから、この騒動の顛末が示されるまでには、すでに観客はジェットコースターの席に座り、振り落とされないようにきっちりと安全ベルトをしている。ここで、母親殺しが示されると、ジョーの登場の静かなイントロに逆戻り。落ち着きを取り戻した舞台空間は、その後、スピードを徐々に上げて、スクリュー回転、前方回転、急降下と予測だにしない展開に目もくらむばかりだ。

母親殺しがクライマックスになるかと思いきや、ラストの乱闘はよくもまあ、あそこまで徹底してやれるものだと、感心を通り越して呆けてしまった。

実のところ、スミス一家によって語られる実母の存在には実態感がなく、クリスをはめるレックスに至っても、人物像は一切見えないままだ。ただ、この5人がいるという、その存在感が、全ての場面で全面を覆い尽くし、暴力とSEX、そして露わな欲望(性欲、金銭欲、食欲などおなど)がだけが垂れ流されていく。

まあ、凄い芝居でした。

でもやはり、定時開始は守って欲しいなあ。途中入場者による周囲の迷惑を考えないこともないけれど、あと3名とか待っているのは、待たされた身からするとちょっと。

ネタバレBOX

ラストの銃撃で、最後にドティがジョーに銃を向けた際に「子供ができた」という旨の発言をするが、まだ、彼女と関係を持ってそれほど日にちが経っていないよね。ドティを担保にして、彼女の母親を殺すまで。
何で妊娠したことが判ったのだろう。それとも、理想とする家族を持ちたい、という願望を口にしたに過ぎないのかな。
白いウサギ、赤いウサギ

白いウサギ、赤いウサギ

生田みゆきプロデュース ウサギの会

こった創作空間(東京都)

2019/03/23 (土) ~ 2019/03/23 (土)公演終了

満足度★★

鑑賞日2019/03/23 (土) 12:00

役者は当日の公演で、初めて台本に目を通し、演じるといった斬新な企画の舞台。
もちろん、稽古も演出もないので、役者は集中力と機転、反射神経を試されるわけだ。
事前に、舞台装置の説明くらいの打ち合わせはあるのだろうけれど、同じシュチュエ―ションで演じられるのは、一生に一度だけだから、何ともはやまさに正念場の芝居。
私は最初の吉野美紗さんの舞台を拝見。1時間きっちりだけれど、なかなかに緊張感ある舞台だった。

何を書いてもネタバレになるので、それは後述1つだけにして、気付いたことを1つ。
その場で初めて台本を読むのだから、朗読劇の体裁になるのだけれど、それでも作業や演技が伴うので、台本を片手に持たなくてはならないことが多い。
しかし、台本がバインダーに綴じたりしていないために、片手で本の背を持つと紙面が反り返ってしまい、読みづらそうなことこの上ない。結局、視界が紙面をとらえきれずに、セリフが切れ切れになることが多かったのはかわいそうだった。そこは、役者の力量と関係ないので。

ネタバレBOX

ラストでは、水コップ2つのうちを選んで、役者がそれを飲むというシーンがある。芝居の途中で、観客が役者に見えないように一方に毒を入れたというシュチュエ―ションで、役者の運命を決めるという設定なのだが、観客も毒注入までは見ているものの、その後コップを移動させるので、実際のところどちらがどちらか判らなくなってしまう。
もちろん、毒が入っている訳もなく、何か味覚料が入っており、役者にはどちらか判るようになっているのだろう。そして、飲み干した後に横になり、運命やいかに、というところで終演になるのだけれど、どうもそこのところがよく判らないのが残念。
というのも幕が閉じるわけでもなく、終演後に役者が来客と歓談を始めてしまうので、毒入りだったのか否か、彼女の運命は?ということが盛り上がらずじまい。
もう少し、何かメリハリができなかったものかなあ、それも含めて役者さん次第ということなのかなあ。

ということで、先のコメント含めると評価は低めになるが、なかなか、貴重な体験なので、次回があれば是非ご覧になられることをお勧めする。
THE Negotiation

THE Negotiation

T-works

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/13 (水) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/03/13 (水) 19:00

東京初演を拝見。
大阪での公演後だったので、芝居もよく練られていて観ている分にもスムーズな進行が心地よい。
(多少噛んだのは、東京初日の緊張感?)

さて、フライヤーの渋めの色調、あまり説明文をきちんと読まなかったので、ちょっとした心理劇かと思っていたのだけれど、心理劇には違いないものの立派なコメディー。それもセリフと行動と間で笑わせるバランスの良い上質品だ。

まず、開幕直後から気付くのが、完全な日本語オリジナルなのに、海外の現代演劇を模するような作りをしていること。場所はトゥイッケナムホテル(イギリスだよね)、登場人物が全て外人名であるだけではなく、海外翻訳劇によくある口調まで意識している。例えば、アリソン(山﨑和佳奈)のセリフに頻繁に出てくる語尾の「・・・わ」。
通常、「・・・でしょう」「・・・ですよね」と言えばよいところを「・・・ですわ」という言い回しをする。(これ、古典劇に多いのだけれど、何でかな?)
アリソンとアレックスの、いかにもな世間話を含んだフレンドリーな挨拶なんかも、どうも日本人感覚としては変なのだけれど、これも意識的なのだろう。
そう、もうここから自然とおかしみを醸し出している。

さて、気になるのは何の交渉かということ。
どうやら、アレックスが社長を務める会社とアリソンがCEOを務める会社が合併するらしい。おおよその条件では折り合ったのだけれど、1つだけ双方譲れないことがあるらしい。アレックスと秘書ドナーは、重役にも伏せてこの交渉に臨み、アリソンとCOOのウォーレンは交渉に破れれば辞職覚悟で臨んでいる。
さて、その交渉内容とは、、、、って、え、そんなことなの!!!(いやあ、確かに大事なことかもしれないけれどさあ)

もちろん、この交渉内容だけで2時間近い芝居を持たせられるわけはなく、交渉は紆余曲折、あらぬ方向にいったり、本末転倒したり。

ホテルのフロアマネージャーを演じるボブ・マーサムのとぼけた演技と仕草も軽妙でおかしい。

作・演出の村角太洋さんが、この作品大好きなのよく判るわ。



ネタバレBOX

ただ不満が2つ。
1つは、アリソンがドナーにホテルのバーで、他社との合併を約した契約についての真贋を訪ねる場面。確かにアリソンは契約書とは一言も言っていないので、ドナーが勘違いして「それは嘘です」というまではよいのだが、その勘違いの内容が、彼女がウォーレンをハニートラップしようということだというのは苦しい。
ドナーないしアリソンの勘違いにはなっているかもしれないけれど、嘘になっていないので。もっと、適確な返しが欲しかった。

もう1つは、ラストに社名を変えるということで同意する場面の後、「スティーブン&ロバートソン」と、ちょっと問題ありのホテルの従業員の名前を組み合わせてた会社名を考えるのだけれど、なんでわざわざ「&」入れるかな。もう少し洒落た、落ちの着く名前にして欲しいなあ。
「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2019/03/08 (金) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/12 (火) 19:00

座席G列5番

「ミスターマン」
神の創造の話から始まるこの物語は、トーマスの自意識の果てしない暴走の物語。
のんびりとした出だし出だしは、母親との会話、近所の人々との交流があり、そして自分が空を飛ぶ幻想に浸り、神の愛を強く感じる日常がある。ところどころにユーモアを交えた展開は、吃音ではない「フォレストガンプ」なのだが、途中から次第に様相が変わり始める。

劇中、カメラが彼自身や客席を背後に映したり、トーマスのアップを投影したり、天使や悪魔の群像を舞台一杯に展開する演出は、彼の自意識を混沌としたものとして印象付けるのに大変効果を上げている。

結構、クスっとする場面も多いのだけれど、大声で笑っておられた男女が最後列におられて、ちょっとなあと感じたのは事実。まあ、笑いのツボは様々だからねえ。

ネタバレBOX

空を浮遊するのは幻想だが、もしかして母親は本当にいたのか、街の人々の交流は現実なのか、物語の進行に従って次々と露呈するトーマスの蛮行は前半の展開そのものに疑問符を投げかける。この展開は十分に怖い。
最期のダンスパーティー会場入口での情景は、彼がとても街の人々に愛されているとは思えないのだ。

トーマスが自らのあらゆる行動を正当化し、ひたすら善行を積むだけに尽力していると思い込む様の狂気は、
斉藤淳さんの一人芝居は、メリハリがよく効いていて様々な意味で楽しめるものになっている。ラストクライマックスでのの炎上場面も、そこまでの軽快かつ、変調のよく効いた芝居の賜物で、とても見ごたえのあるものとなっている。
「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

「ベッドに縛られて」 「ミスターマン」

名取事務所

小劇場B1(東京都)

2019/03/08 (金) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/12 (火) 19:00

座席G列5番

「ベッドに縛られて」
今回は2戯曲上演なのだが、作品的には「ミスターマン」の方が先に作られたらしい(1年前)。それを知ると、「ミスターマン」の一人芝居が、この「ベッドに縛られて」の独白調のニ人芝居へと拡張された(あるいはベッドの上という形での濃密度化、コミュニケーションの空虚化)ものと考えるのもあながち間違っていないと思う。

ベッドの上にいる父と娘、彼らはそのベッドに閉じ込められるように寝ている。
父は寝ようとするが、娘の話は止まない。
娘はおそらく今20歳くらい、10年前にポリオを患いそのまま寝た切りに近い生活を送っている。母親も10年前に亡くなった。娘は父を父だと認識はしているようなのだが、それが」どうもはっきりしない。
娘は、時として発作を起こして夜眠れない。そんな時は、「初めからやりなおせばいいのよ」と自身の記憶と向き合うことにする。
物語りは、主に父親の過去についての自分語りとなる。
父は、昔からずーと家具屋に勤めており、倉庫搬送係から、先輩の販売員を殺すことで
販売員の立場を手に入れ、その後、流行りの家具販売で成り上がり、裕福な生活を手に入れ、ついには自分の店を出すことになる。そして妻と結婚し娘が生まれる。しかし、そこから彼の転落が始まって、機を一とするように妻と娘に不幸がおとずれたことを娘が、父の語りに被さるように語りだす。

父は現在何をしているのか、娘の汚れた寝間着とベッドシーツが何を意味するのか。
父が犯す犯罪、家族の優雅な生活、娘の幸せな日々、これらは現実の過去なのか、それとも架空世界ないし妄想なのか、それははっきりしない。

ただ、彼らは同じベッドで自らの回想を語るだけだ。
「ミスターマン」の主人公トーマスのように、カフェや墓参り、ダンスパーティーに出かけたり、ともすると空を舞ったりするような自由は全くない。

確かに荒唐無稽。しかし、そこには、自宅内のあちらこちらに壁を立て付け、家を迷路にし、ベッドだけの小部屋を作ってしまう父親の果てしない束縛への希求と、自らを閉じ込めようとする絶望感だけがにじみ出てくるだけだ。

娘役の小飯塚貴世江さんが家具屋の下働きの男達の相槌役を引き受けるが、実のところ、娘と父の交流はほとんどない中、父と子の相槌が物語り中で成立する雄一の交流なのである。
1つの場所への拘束といい、交流不能でありながら、お互いを希求す2人といい、ベケットの「幸せな日々」を思わせる作品。

寺十吾さんは、珍しくよく口籠ったけれど、あれは演出?(父の意識の混乱?)すでに5回目の公演ということだし。むしろすらすらと話して、セリフが一層無機質なった方が、それぞれの孤立感が強調されてよかったように思う。

SWEAT

SWEAT

劇団青年座

駅前劇場(東京都)

2019/03/06 (水) ~ 2019/03/12 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/03/08 (金) 19:00

実際、海外で上演されたとき、場面転換はどのようにしていたのだろう。
2000年と2008年との時空間を行き来するのだけれど、物語りの主軸は2000年で、2008年を描く冒頭と最後の場面を、2000年の背景で接続を図るという構造になっている。

やはり、何というかアメリカの作品というのは、どうも乾いている感じがする。
人間の感情が剥き出しになっているというか。

登場人物に関する表記について1つ疑問?
それぞれの出自について「イタリア系アメリカ人」「コロンビア系アメリカ人」「アフリカ系アメリカ人」と記載されているのだけれど、トレイシーやジェイソンは「ドイツ系白人」と書かれている。これは、アメリカ籍を持っていないことから、こういう表記になったのだろうか。トレイシーは代々、アメリカに住んでいるようなのだけれど。


ネタバレBOX

2008年、黒人警官ア―ヴィンと、8年の服役を終えたクリスとジェイソンそれぞれが対話する場面→クリス、ジェイソンがそれぞれに母親を訪ねる場面→事件が起きたバーにクリスとジェイソンが訪れ偶然に邂逅、オスカーとスタンに詫びる場面
ジェシーの2008年は描かれないが、シンシアとトレイシーの今は、残酷なほどに対照的だ。子供たちの精神も同様に。

それだけに、最後の4人の邂逅とオスカーが廃人同様のスタンの面倒を見ていることに、
クリスとジェイソンが驚きと感謝を示す場面で、オスカーの「当り前じゃないか」と語る場面は、この物語にも救いはあることを端的に示している。ここまで溜めに溜めたものが、堰を切るように押し寄せてくるのを感じた。
音楽劇『母さん』

音楽劇『母さん』

俳優座劇場

俳優座劇場(東京都)

2019/03/04 (月) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/02/06 (水) 14:00

座席1階2列8番

サトウハチローの母親への思慕を見事に描いた音楽劇。
主演の土井裕子さんや、阿部裕さんの歌唱が見事なのは言うに及ばず、他の役者さんたちもかなりなハイクオリティで歌唱をこなしていて、新劇の役者さんも大変なんだなあ、と感心した次第。
チケットもほぼ完売のようで、こうした舞台に多くの人が触れるのはよいことだと思います。

知っている歌謡はもちろん、新垣さんがメドレーをつけた多くの詩も、曲そのものの良さはもちろん場面構成の上で素晴らしかった。

ただ、異母妹の佐藤愛子が指摘しているように、多くの母を謳った詩があくまでハチローの創作の範囲内である、という指摘は払拭しきれない物足りなさもあった。
ハチローの母への思慕の源泉が今一つ理解できなかったのだ。
母親春は、お嬢様育ちで、父親に翻弄された、ある意味弱く不幸な女だった。
それへの憐憫があったのかもしれないし、他の兄弟に注がれた愛情が自分には注がれなかったという嫉妬もあったかもしれない。
舞台では、後半かなりハチローと母親との関係が濃密に描かれているのだけれど、前半でその根幹となる心情の発露が十分に描かれているとは言い難い。

でも、ただただ何度も目頭を押さえなければならないのは確かで、親子の原風景を歌謡と共に見せつけられる2時間半は、よいものを観たなあ、と感心させられるばかり。

『逆柱 ―追憶の呪い―』

『逆柱 ―追憶の呪い―』

鬼の居ぬ間に

小劇場B1(東京都)

2019/02/28 (木) ~ 2019/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/03/01 (金) 19:30

逆柱と言うとテレビ版「河童の三平」でのおどろおどろしい話が、子供時代に観た記憶がまざまざと蘇る。
逆柱に言われる、意味の二重性を冒頭に提示し、この話はこの二重性についての物語なんだということを、明確にしてから展開する脚本には感心。(その意味は、観客がお考え下さいというような投げっぱなしをすると、何でこうした展開になるのか観客が、頭を悩ませることになる)

とにかく希望をひたすら剥いでいく進行は、鬼の居ぬ間に特有な展開。しかし、政吉としの間には30年間言わなかった秘密があって、それが一縷の望みとして最後に示されるが、最後の最後でまたもや、、、という締め方は、本当にゾクゾクした。

ネタバレBOX

でも家督相続の際、長兄と次兄が拾われた子供だということが判るのだが、その時点で次兄は長兄と血がつながっていない可能性は考えなかったのだろうか。4歳も違えば、一緒に拾われたとして、長兄には実の母親がいることは当に判っているはずだろうに。そして血が繋がっていないことが判れば、長兄への忠誠もなくなり、政吉やしのへの対し方にも違いがあったろうに。

次兄の母親が、出産後に殺されたことを暗示させながら、実は長兄は次兄と血が繋がっていないことを前から知っていたにもかかわらず黙っていたことに、強い憎しみを抱く次兄の屈折した心情。湧き出る殺意。
でも、他の一族はその後、どのように離散していったのかは、やはり気になるところ。

「つらかったら、逃げてもいいんだよ」と政吉が、教え子に伝えた言葉、それはしのと政吉2人に返ってくる言葉でもあったのだなあ、と政吉がしのを絞め殺す場で、ふと思った。

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