旗森の観てきた!クチコミ一覧

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メタルマクベス disc1

メタルマクベス disc1

TBS/ヴィレッヂ/劇団☆新感線

IHIステージアラウンド東京(東京都)

2018/07/23 (月) ~ 2018/08/31 (金)公演終了

満足度★★★★


休憩20分を挟んで4時間。次から次へと目先はどんどん変わる。こういう仕掛けを前提とした劇場は演目にも工夫がいると痛感した。
前年上演の時代劇と違って、マクベスは活劇ではなくて人間ドラマである。王冠簒奪の話ではあるが、人間のドラマが多彩に描かれているからこその名作である。その素材を、ラウンド劇場で、ミュージカルで上演する。客席千を越える大劇場では、どうしても実尺の俳優と観客の距離は遠くなる。人間で足りないところ(両端)は映像で補うから映像の比重は高くなる。昔々の連鎖劇は、映像も昔々のレベルで舞台とつながりやすかったが、今の観客になじみのある映像はCGを駆使して何でもできる。メタルマクベスは、2200年代と、1980年代、それにマクベスの物語の時代と、三つの時代を往復するが、未来も過去の映像も、それなりの金をかけて作られていて、劇場機能の回転する客席も全く抵抗がない。しかしよく出来ていればいるほど、舞台の実尺のマクベスとの間には距離ができる。これはヘビメタのミュージカルにしたくらいでは埋まらない。かつての新感線公演で旨く行ったのは劇場が狭かったからで、俳優と観客が直接あいまみえたからだろう
マクベスは橋本さとし、夫人は濱田めぐみ、客演者に加え新感線出身者とキャストも工夫されているが、ここでやる芝居の新らしさがない。二幕の終盤で、マクベスと夫人が、人間には箱があって、箱以上のものを望むと破滅する、自分たちはそうだったのか、と嘆くくだりがヘンに実感を伴う。演出者にはわかっているのかもしれない。
 いのうえひでのりはよく勉強もし、ときに大胆、ときに慎重、という用意のいい演出家だから、この劇場を新しい舞台表現の場として何かまだ見たことのない「演劇」も作れる可能性がある。今回は一つの試みとして、今後に大いに期待したい。
 現に、こういうイベント型と言うか、観客参加型、とでもいうべき公演は増えている。演劇のサーカス化と批判もあるがそれぞれに面白いものが出来れば観客は満足するのである。 しかし、機能頼りと言うのは難しい。超一等地にありながら、結局、演歌歌手の歌芝居が定番になってしまったかつてのコマ劇場の壮図の末路もちらつく。もっともこっちは劇場の場所も辺鄙だし、作りもあっさりしているが。
辺鄙と言えば、この劇場は、すぐ前にある魚市場が開いていない現在、周囲に何もない野原の一軒家で、東京のレールとしては馬鹿高いゆりかもめしか便利な交通機関がない。少し歩けば銀座まで行けるバスがあるが、夜になると本数も少なく、やむなく15分は歩いて有楽町線の地下鉄まで行かねば帰れない。熱帯夜はこたえる。利益は出ないかもしれないが、開く前と、幕間には盛大にケイタリングカーでも出したらどうだろう。現状は劇場にあるまじき惨状で、とても商業劇場とは思えない。


九月、東京の路上で

九月、東京の路上で

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2018/07/21 (土) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★

百年近い昔の9月に日本を襲った関東大震災の時の恥ずべき事件の本質は今の日本にも残っている、それを踏み越えろ!と言う啓蒙劇である。告発の内容は、人種差別とメディアの無責任と無力、それを増幅する大衆の付和雷同性、と言ったところがテーマになっている。天災がしきりに起きる昨今、社会的な環境もあって(たとえば原子力発電)このテーマは広く関心を呼ぶところだろう。最近、こういう問題劇を直接法で告発する劇が多くなった坂手洋二の燐光群。この劇団も長い歴史を持つようになって、なじみの俳優陣には年齢を感じさせる人も多い。反面、劇構成は手慣れたものになっていて、主な事件としてリポート形式で描かれる関東大震災の推移とその間に起きる朝鮮人虐殺事件は構成も巧みで迫力もある。社会劇も、いまは民芸や東芸のような古い劇団に加え、チョコレートケーキやトラッシュマスターズのような若い劇団もしきりに挑戦するが、これだけ直説法でしかも劇場の温度を高められる作家・劇団は少ない。
しかし、劇場を出て、観客たちに、この芝居が示唆するような行動を起こさせるだけに力があるか、というと疑問である。かつての事件は今や誰もが「指弾されるべき事件」として首肯するだろうし、それが潜在している現在を撃つならば、なにやら暢気なNPO法人などが現在の打ち手として登場するよりも、リベラル議員と極右自衛官の対立くだりを、もっと人間的に細やかに描くべきだったのではないだろうか。
現代社会が、20世紀時代のモラルでは整理出来なくなっているのは、もうほとんどの人間は心得ている。そういう観客の不安の琴線に深く触れていかないと、単に古いモラルでの安全な告発を言って見ただけに終わってしまう。それでは困る、ということで、新しい視角のある作品を提供してきた燐光群ではないか。今回は虐殺事件を表面に出し過ぎたのと、朝鮮人差別に象徴される人種・身分差別とヘイトスピーチを重ねて(私はここが違和感があった)二兎を追って、詰めを欠いたと思う。
長く社会劇に取り組んできた坂手洋二なら、何か演劇で今世紀の新しいモラルを発見してくれるかもしれないという望みを持っているのである。他劇団に書いたブレスレスなどは成功した例だと思うし、屋根裏も面白かった。声高なのは以外にこの作家には似合わないのかもしれないと思ったりする。

BOAT

BOAT

東京芸術劇場/マームとジプシー

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2018/07/16 (月) ~ 2018/07/26 (木)公演終了

満足度★★

炎暑の夏では時期も悪かった。劇場へたどり着くのがやっとで、ホッとするまもなくデストピアのはなしだから点数も辛くなる。
舞台にずらりと舟が並ぶ島の街に、海から、空から、見えない危機が迫ってくる。なんだかイキウメみたいだなと思っていると、その町の住民の反応は師匠・野田の赤鬼みたいで、古風な煙突掃除とか灯台守の登場人物の街は、カタストロフになる。イキウメや赤鬼と違ってこちらは大災害の全貌を見せてしまうのだから、話を納得させるためにナレーション風のモノローグや、大きな白のボード(スクリーン)を使うが、その大小が違うものだから、俳優はその操作に右往左往、演技のリアリティを見せるつもりはないことは解っていても、味気無さに気が滅入る。少々今風の音楽を聞かされたり、大舞台に空飛ぶボートを見せられたくらいでは芝居は終わらない。映画のエンドロールみたいな幕切れは全く意図不明。
やはり、脚本自体の安易さに問題があると言わざるを得ない。少し、ファンタジーを甘く見ているのではないか。またそこに安易なテーマを持ち込んではいないか。この作・演出は東京芸術劇場がバックアップしている次代を担う演劇人と言う高い評価で、今回はプレイハウスが開いたが、舞台も埋まらなければ、客席も埋まらない。約半分強。贔屓の引き倒しにならなければいいが。

「天守物語」〜夜叉ケ池編2018〜

「天守物語」〜夜叉ケ池編2018〜

椿組

花園神社(東京都)

2018/07/11 (水) ~ 2018/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

恒例の夏芝居。炎暑の今年は一段と厳しい興業だが、若い時はそれがかえって嬉しかったりするものだ。外波山は随分頑張ってこの興業を定着させてきた。芝居の中身も、大胆な新進の演劇人への目配りもあり、今年はなんだろうかと、観客も期待してきた。その今年は泉鏡花。天守物語・夜叉が池篇と言うタイトルで、脚本が高取。鏡花の二大名作を寺山修司でつなぐという発想を篠井英介演出でやる。出演はこの公演にはよく付き合う松本紀保。まとまりそうで難しい座組みで、結局はどこも中途半端で半分ほどで飽きてくる。松本紀保だけはさすが高麗屋というところだが、それでまとめきれるという感じでもない。鏡花の世界そのものが少し時代からずれてきて寓話性が通じなくなってきているのかもしれない。そうなると、こういう季節ものの興業には難しいのではないか、と言う感じだ。

ウィルを待ちながら

ウィルを待ちながら

Kawai Project

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/18 (水)公演終了

満足度★★★★

芝居というのは実に不思議なものだとつくづく思う舞台だった。
作・演出は河合祥一郎。東大教授で、演劇現場でも活動し、いわば文武両道の演劇界の星である。知識があるうえに、頭がいい、感性も鋭い。この公演のパンフレット、作品意図など僅か五行で、完璧に言いえて(当たり前のようだが、現在の演劇界では稀有である)、隙がない。義父の故・高橋康也もすごかったから、父子二代日本のシェイクスピア受容のレベルを上げてきた。
だが、シェイクスピアの名セリフを織り交ぜて、ベケットのシチュエーションを借りた老年役者の二人芝居をアゴラで、と聞くと、いかにも学者のお遊びのような印象を受ける。豊富な知識を振り回し英語の通(ツウ)しか楽しめないスノブ芝居ではないか?
ふつうの企画だと、そうなるのが当然の成り行きであるが、この舞台は違う。田代隆秀(シェイクスピア・シアターから四季)と高山春夫(早稲田小劇場から蜷川作品)と、日本の特異なシェイクスピア作品を脇役で経験してきた老優二人が配役されていて、老いに直面したシェイクスピアの名場面を軸に、二人のシェイクスピア体験(が現代演劇史になっている)の楽屋落ちや裏芸まで織り交ぜながら、演劇と言うものがどのように書かれ、演じられ、受容されるかと言う事を、面白おかしく見せてくれるのである。いや、頭がいいと言う事はすごいもので、素材の整理は行き届き、それぞれのエピソードも奥の深い見事な本だとほとほと感心した。演出も作・演出だが奇手を弄さずオーソドックス。こういうシェイクスピア・ヴァラエティのような舞台は本場英国にもありそうだが、ちゃんと日本的にできているのである。
しかし、酷暑の午後のアゴラ劇場まで来る客は残念ながらうすい。観客も拍手はするが、シェイクスピアの世界に想像力を刺激され、感動したか、と言うとこちらも心もとない。もしこれが、日本演劇協会とか、シェイクスピア協会の余興に演じられたらどうだったろう。多分拍手喝采。絶賛。だが、それは河合祥一郎の作品の主旨とは違う。そこが演劇を実際に街中で舞台に上げる難しさ、不思議さである。
1時間45分。

ミュージカル「エビータ」

ミュージカル「エビータ」

Bunkamura/日本テレビ/TOKYO FM/ぴあ

東急シアターオーブ(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

懐かしいミュージカルを見た。いくつもの著名な作品のある作家・作曲家コンビ。演出も78年初演のものだという。オケもオーケストラ編成で音が厚い。幕開きのこの中の名曲「泣かないで、アルゼンチン」を軸に構成された葬儀の場を見ただけでウルウルしてしまう。二幕冒頭のこのナンバーを聞かせるところでは、大統領との結婚に成功し、大衆の星になったエヴァの絶唱に続いて、振り向きざまに一転彼女を待ち受ける差別と困難を、軍、旧制力、大衆の群舞で見せる。そのタイミングの鮮やかさ、振付の見事さ、舞台美術の配色の素晴らしさ、さすが、原版!!本場!!
こういうメロディ重視のミュージカルは最近は受けないのか、あまり見ることも亡くなったが、先の曲だけでなく、「星降る夜に」とか「新しいアルゼンチン」とか気持ちのいいメロディの曲が次から次へと出てくる。俳優もうまい。本も以前はエヴァ=ヒロインの女優モノと思っていたが、歴史の事実を踏まえて、エヴァの人間像を一人の女性の人間ドラマとして、はっきりわかる演出になっている。主演女優が、成り上がりを見せることをほとんどしていないのもステレオタイプでなくていい。それだけ曲の痛切さが出た。語りでのチェは声がいいし歌がうまい。
「泣かないで、アルゼンチン」が劇場ミュージカルに向いた名曲だと言う事がよくわかった。

睾丸

睾丸

ナイロン100℃

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2018/07/06 (金) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

ナイロンも25年か!ナンセンスと新しい笑いを軸に、独立独歩の四半世紀である。昭和の後半以降、日本の現代劇は非常に多彩な発展を遂げてきたが、表立って活躍した人々の裏側で、しっかりそれを支え、市民への回路をつなげたのが、ナイロンと新感線だと思う。彼らがいなければ、日本の現代劇は新劇を引きずり、教養主義も、政治性も抜け出せなかっただろう。大したものだ! まずはおめでたい。
記念公演の「睾丸」はこの劇団創立から舞台に立ってきた、みのすけと三宅弘城をフューチュアして、外部からも新旧取り混ぜてゲストを呼んだ舞台だ。今回の素材は、25周年と言う看板に合わせて時代回顧もので、中年に達した学生運動に取り込まれた世代が、現代の世相の中で家族も、男女関係も、社会の中での居場所も、確信が持てるものを失い、古色蒼然の過去の主義と半端な人情の中で繰り広げるコメディである。かつてはよく「ナンセンス!」と他人を批判したものだが、彼らはそのナンセンスの中で浮遊している。それでオトコか!?と言う事でこのタイトルになったと思う。
みのすけと三宅弘城は元学生運動の一環として学生演劇をやった作者と演出家で、作者(三宅)はその主演女優(坂井真紀)と結婚して娘(根本宗子)もいるが、離婚寸前。そこへたまたまパチンコ屋で出会った演出家(みのすけ)が、家が全焼したと転がり込んでくる。ケラの芝居で、シチュエーションにこういう現実的な社会関係を持ち込むことは珍しく、また、自らの演劇経験もそこはかとなく反映しているのか、いつものような物語の飛躍は少ない。この二人を軸に、主要登場人物13名、それぞれに、今の社会で生きづらい人たちが集まってきてナンセンスな笑いが展開する。休憩10分を挟んで3時間15分。とにかく面白い。まったく飽きない。こういう生な事件を素材にしていながら、実際に身の覚えの人々もまだ多い中で生モノの難しさも乗り越えて、笑える。そしてちゃんと今の社会批判になっている。だが、ケラはこういう解りやすい物よりも、多くの作品が成し遂げたように、とっぴなシチュエーションを独特の喜劇に落とし込む作劇の力がある。年齢的にもうかつてのように年5作の新作は無理なのだから次回ははまたケラらしい世界を見せてほしい。
ナイロンの俳優たちは、出てきただけで存在を納得させる力がある。面白い顔ぶれの資質が違う客演も、赤堀雅秋はうまくハマったが、安井順平は七転八倒、根本宗子は歯が立たず、と言ったところだろうがこの経験はきっと役に立つ。


ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル

ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル

パルコ・プロデュース

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2018/07/06 (金) ~ 2018/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

現代アメリカの典型的ローカル劇だ。数年前にピューリッツア賞と言うから、アメリカでは受けたのだろう。家族から離れて一人で隣人に善意を分かち合いながら生きてきた女(篠井英介)とその家族たち、と、この女が加わっているコカイン中毒から抜け出す患者のチャットグループ、と現代的な病理を抱え込んだ一つの家族と、一組のネット上のグループ、が劇中で交錯する、というイマ風のドラマだ。話の筋は、この女の姉が死んだことからくる家族のゆらぎだが、それはあまり重要ではない。現代的な社会構造の中での生きづらさが、麻薬依存を生み、個人の孤独を増幅する有様を、徹底的に孤独な登場人物たちを登場させて描いていく。中には、日本からアメリカへもらわれていった孤児などもネットグループの一員として登場する。ひょっとすると彼女が出ているためにこの作品の日本上演を決めたのか、とも勘繰りたくなるほど、ドラマの内容は現代日本からは遠い。やがてこうなるという先進国の先取りドラマは随分見てきたけど、これはどうだろう。国情、人情が違いすぎる。ここまで行くにはまだ一世代はかかるだろう。
俳優たちは役は把握していて破綻はないが、どこまで行っても日本人で、女優陣になるともうNHKドラマである。ドラマの基本に現代アメリカの生活(たとえば飛行機で行き来する広さ)があるのだから、台本が与える感情は出せても索漠とした生活感は出せない。それは日本でやるのだから仕方がない。この作品はやはり、アメリカならではのところがあり、うかがい知る殺伐としたあの国の風景と、その裏側にある篠井が演じるような超越的とでもいうしかない人間性の発露(これも日本にはないものだ)があってこそ成立する「スプーン一杯の水を少しづつ根気よく与える」ことでしか生きていけないかの国の物語なのである。
久しぶりにG2の演出を見た。相変わらず人物の出し入れや見どころの作り方は旨い。大きな舞台もこれから続くようだが、二十年前颯爽と関西から出てきた才能の新しい展開を期待している。また楽しみに見てみよう。

serialnumberのserialnumber

serialnumberのserialnumber

serial number(風琴工房改め)

The Fleming House(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

風琴工房が改称して新しくなったが、主宰の詩森ろぼは変わらずこれはプロデュース公演のようだ。いろいろ言いたくなる舞台だが、総評としては、なかなかよく出来た一夜芝居だ。
まず脚本。小劇場でそのお約束で見ている分には、今を流行の精神病理、情報(メディア)管理、医学倫理、性同一障害など、さまざまなキワキワノ話題を織り込んだ面白い謎とき劇だが、フライイングもある。個人的にはこういうことは言いたくないのだが不用心にやっていると、思わぬところから槍が飛んでくる。その槍に対して戦わなければならないことも当然演劇にはあるわけで、そこの覚悟が作品にしっかり組み込まれている必要がある。上に上げた四つのいずれにも、甘いところがある。外国を舞台にしたくらいではクレーマーからは逃げ切れない。こういう人たちに対抗するのは無駄(と私は思っていませんと言うだろうが)なエネルギーの消費だ。少し旗揚げもあって面白くしようとし過ぎている。
役者。二重人格はすでにいくつもの作品があるから、演技例はあるわけだが、田島亮はよく消化していてうまいものだ。対する酒巻誉洋は、もう少し、演技の折り目がはっきりしていると良いと思う。相手の二重人格に呑まれないようにする医者の役だが、こちらにも課題がある。それは早い段階で客にわかっているからだ。
二部建てになっていて、序幕は、作者と杉木隆幸が演じる。ここは詩森がやるべきではなかった。役者ではないのだから相手との間に差があり過ぎる。ことに女言葉の処理(ですわ、のよ)が拙すぎる。こういうところはお仲間内が多そうな客に甘えず、下手でも俳優に任せるべきだろう。それが総合芸術たる芝居の約束事だ。
舞台。劇場のせいもあるが、ここははっきり精神科の診療室をきちんと作った方がいいと思った。裁判モノが法廷を作るのと同じである。このドラマは、「治療」と言うプロセスがあることを前提に成立しているのだから。
劇場。新し劇場だから、場所の説明などはもっと詳しく。お仲間内だけでなく、暗い夜道で地図を見ながら行く客もいるのだから、もっとチラシの地図の字は大きく、カッコよいイラスト風の地図など客は腹が立つだけである。近くの駅はちゃんと書く!。
今後。詩森はアラ・ミドル女性作家花盛りのいま、演劇雑誌では、特集も組まれるほどになった。これからもう一つ上の活躍を期待したい。おもしろいことにこの作家群の大御所・永井愛以下、現在期待されている女性たち、共通して身近なところから社会的関心もあり、芝居に細やかな配慮も、技術もある。何となくみな雰囲気も似ていて親切な隣のおばさん風である。今回の劇場は客席60.ここから100台まではスッと行けるのだが、そこからの200の壁を乗り越えるのがなかなか難しい。本多で待っている。

蛸入道 忘却ノ儀

蛸入道 忘却ノ儀

庭劇団ペニノ

森下スタジオ(東京都)

2018/06/28 (木) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

始まる前にタニノクロウが前説で、蛸が人間よりも優れた動物で、やがては我々も蛸の方向に向かうのではないかと言う説を紹介する。されば、その蛸を弔う新しい儀式をやるのかと、思うと違う。まずは般若心経を45分。今は少なくなったろうが、昭和の中ごろまでは普通の家でも親しみのあった経典だがこれだけ長いとだれる。暑い。暗い。舞台中央の寺の広間に男女の僧・8名が香を焚き経を唱えるが、出演者の経文の唱え方がまるでできていない。仏教法事にはなかなか演劇的なところもあって、声明などは都内ホールでも年に数度はやっているだろう。客の耳をなめてはいけない。半ば過ぎると、現代的な楽器や、女性独唱者が出てきていささかペニノ風になるが、結局は何が始まるわけでもなし、ありがたいお説教があるわけでもなし、何やら狐につままれたような1時間40分であった

ネタバレBOX

蛸進化論を聞かされるので、そのうち何らかの回答があるかもと期待するのは俗人で、それはあっさり肩透かし。そこがペニノらしいところではあるが、かつて、マンションの一室で見せていた異質、異次元の世界からは遠くなって、ただの邪教の匂いがするのが残宴である。グロテスクの中にもどこかピュアな一線が通っていた。肩すかしも昔からあったが、今回は仕掛けも含め俗っぽい。こけおどしの寺のセットも、細かく見ると結構雑で、これでは暗い照明に頼らざるを得なかったのだろうと意地悪になる。
ニューレッスン

ニューレッスン

ジョンソン&ジャクソン

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ナンセンスと言う難しいジャンルが着実に成長しているのを実感できるのがシブゲキだ。笑を無理強いしないで、うまくシチュエーションを転がしていく。いとうせいこうや、ブルースカイは作・演出も務めているからその辺の匙加減もいい。今回の特筆は大倉孝二と池谷のぶえだ。いまさら言うまでもないが、動きに無理がない上に身体から笑いが転がり出る感じだ。ナイロンとは違ってのびのびと役者の良さが出た。ほぼ満席の客席でも中年以下でいろいろな男女の客が愉快に笑っている。良い風景だった。

お蘭、登場

お蘭、登場

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2018/06/16 (土) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

この劇場の「お勢登場」も前売り即日完売で苦労したが、こちら「お蘭」はもっと足が速く午前完売。劇場は同じなのに、スタフ(作・演出)も俳優も、主催(製作)も変わった。どういう話し合いが行われたのか、知る由もない(知ってもどうと言う事はないが)が、タイトルまでフォローしてしまうとは、ずいぶん大胆なことをやる。幕が開くとセットの二重組まで「お勢」と同じ、出だしも同じお勢登場の場面から始まるので、これはパロディかと思ってしまうほどだ。しかし、お勢が乱歩のファンタジックな世界を軸に現代的な悪女を作ろうとした現代劇なのに比べると、こちらは乱歩の猟奇趣味を素材にしたステージショーの味わいである。いまどき乱歩がそんなに面白いか?と首を傾げるが、お蘭は役者もそろい、北村想も肩の力が抜けていて、75分と言う短さもあって、とにかく飽きないし、面白いのである。劇中でも言うように、乱歩などは今や子供だましの設定のカノン的な繰り返し(これは旨いことを言うと思ったが)で、劇中設定が引用される、人間椅子、鏡地獄、お勢登場、江川蘭子などもろもろの作品に登場する悪女も、種を割れば、どれも同じの「蘭子」の繰り返し、これを小泉今日子が七変化で勤め、歌まで歌い、追う側の明智(堤真一)も、こちらは小説ではあまり登場しない目黒警部(高橋克美)も、まずはカノン的装置のパーツ(明智も空地と名前は買えてある)と決めてしまえば、あとは本と役者の世界である。楽屋オチが何度も登場してシーンにまでなっているのも、ステージとしては面白い趣向で客ウケしている。数年前に乱歩の著作権が切れたよしで、大劇場も小劇場もしきりに乱歩原作を上演するが、これほど乱歩を読み切った作品は少なく、どこかで乱歩的幻想と怪奇の世界を信じようとしている。こちらはまるでその気がないところがよかった。これは確かに現代の乱歩の読み方で「日本文学シアター」にふさわしい。

ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ

ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2018/06/23 (土) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

今の政治情勢っをネタにした喜劇で、よく御存じの題材だけに客席の受けはいい。松尾貴史の安倍のまねなどは、よく特徴(その逃げ回りの話術の脚本も含めて)を伝えて、大受けである。二時間足らず、新劇版の「ニュース・ペーパー」である。こういう生の風刺劇は新劇から遠くなっているので、いい試みだが、正直言えば、こういうのは、ニュースペーパーに任せて、永井愛ならもう少し深くこの問題を人間的に扱った作品を書いてもらいたい。ニュースペーパー的な素材だから、俳優もそういうタッチに慣れた安田や松尾は生き生きしているが、他の男優陣は、どちらでやっていいのか計りかねているし、ご贔屓・馬淵英里何も、地の気の強さが出てしまって深刻になりすぎた。
例をあげせば、「コペンハーゲン」のような芝居だって、永井が腰を据えて書けば書けるし、井上ひさしを越えていけることにもなるだろう。観客は、井上調の問題提起、解決はもう過去のものだと言わないだけで、知っているのだ。

ネタバレBOX

こういう話は政治家も大新聞も悪い、組織が問題だと、括れば括りやすいが、では現状では、実にくだらない内容が大新聞の何倍も出ているネットニュースの方が頼れるかと言うと、実はそんなことはない。ネットを炎上させているのはほんの少数のフリークだけなのは、大組織も承知していて、安心しているのである。政治も新聞も右顧左眄していても、現実市民にそれぞれ役立つところはあるわけで、社会は20世紀前半のように単一の思想で社会システムを動かせなくなった。ならばどうするか、どういう悩みに取り組むか、が創作者の取り組むべきことで、子供の陣取りのような記者クラブの課題などは、末梢的すぎて分かりやすいが、ここからは本質に届かない。
忘れる日本人

忘れる日本人

地点

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2018/06/21 (木) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

久しぶりに見た完成度の高い抽象演劇である。紅白の紐に囲まれた広い空間に和船が回転するサーチライトの中に見える。船の下には何やら人間が。開演すると、その人々(7人)が出てきて、「地点語」でテキストを発語する。囲まれた空間は現代日本、人々は日本人、船は日本が担いでいる物、とでも解釈しておけばいいのだろう。ときどき人物がまわりの海にポチャンと落ちたり、観客から手を挙げた11人(サッカーに絡めたギャグだ)に舟を担がせたり飽きさせない。物語には紹介にあるようにいくつかのシチュエーションがあるようだが、一つ一つは解らなく(細かい筋が理解できなくても)ても大丈夫。見るこちらも地点語にも、このスタイルにもだいぶ慣れて、こういうスタイルの演劇も楽しめる余裕が出来た。俳優がすべてすり足で主に横に動いていく動き(案部聡子はやはりうまい。手を挙げたりするとハッとするような美しい形になる)とか、リズミカルな発語の構成とか、結構完成度が高く見ていて気持ちがいい。昔の利賀村の鈴木忠志のようだが、鈴木が絶対君主制と白石加代子で築いた舞台よりも、こちらは現代的で、俳優の質もあってのびのびやっていて、内容は現代日本へのかなり厳しい批判なのだが、明るい。そこにも抽象演劇の時代の変遷を感じた。選曲・音響効果もうまい。90分。
余計なことだが、京都の劇団はどうして東京でやらないのか。地点もかつては池袋の奥の劇場で何度もやっている。KAATは設備もよく、厚遇されているのだろうが、東京の客には横浜は遠い。カーテンコールで三浦基に京都まで来いなどと言われると、そんなに粋がらなくてもいいじゃないか、言う相手を間違えているのでは、と思ってしまう。こういうところまで鈴木をまねる必要はないだろう。、

日本文学盛衰史

日本文学盛衰史

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2018/06/07 (木) ~ 2018/07/09 (月)公演終了

満足度★★★★

明治から大正にかけて、近代日本が動き出した時期に登場する文人たちはよく小説や芝居のネタになる。芝居でも井上ひさしの「国語元年」とか宮本研の「美しき者の伝説」とか、福田善之とか。しかし、この舞台はそれらと同じ内容を踏まえていてもぜーんぜーん違う。
先駆作品が、作家と社会の構造をまずは政治的関係でつかまえていたのに比べ、今回の平田本は個人のキャラクターに比重を置く。日本の近代国家の黎明期に先人たちが、近代国家で使う「国語」成立にどう苦労したか、それが国の運命と通底音でどう響きあったか、と言う事に視点が置かれている。これはかねて国語に関心の深い作者ならではの視点である。また、この作家には珍しく、意識的に商業演劇的ななギャグが盛大にとりいれられていて(慣れないことはやるものではない。テレてもいるし、ぎごちない)先人作品とは違う愉快な作品になった。
過去の平田作品と違って、オリザ・リアリズムを基調にしていないのはいいとして、以前は一つの演出意図が見えていたが、今回は、面白く(いや、笑わせると言ったらいのカナ)やることに主眼が置かれたようで、キャラ優先である。漱石や独歩を女優がやる意味が解らない。笑えることは笑えるが、女性の役は全部女優がやっているのだからよくわからない。結局現実の人物からうまくキャラを抽出できた鴎外、花袋、藤村、賢治、一葉(ことに、この二人はうまく出来たと思った)が観客の知識ともうまく響きあって舞台を引っ張っている。新劇寄席のような味わいである。
小劇場ながら一月近く30公演。とおしの一幕で全四場、四つの通夜のシーンで構成される2時間15分。ほぼ満席であった。登場人物、約三十名。これでは出演者の板代だけでも大変だろう。これだけ楽しめたのだから、この低料金で大丈夫かと、余計な心配になった。

フランケンシュタインー現代のプロメテウス

フランケンシュタインー現代のプロメテウス

演劇企画集団THE・ガジラ

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2018/06/07 (木) ~ 2018/06/13 (水)公演終了

満足度★★★★

原作が書かれて2百年。今なお、いま生きている人間がやってみようと思うほど大きなテーマを持った作品だ。二百年経って、なんと内容にも現実性も持てるようになったと言う事ともある。
さまざまな上演があるが今回は、大詰の北極海からの回想形式。サスペンス・ホラー仕掛けでは経験豊富の鐘下・作・演出だけに、真っ暗な舞台、ギョッとさせる人物登場、小劇場とは思えない巨大氷河の音響、ゴシック風の猟奇的な俳優演技、ヤヤッツと思っているうちに2時間は過ぎるが、注文を言えば、この仕掛けはもう少し上級者の舞台で見たい。俳優も形にはなるが、そこへ行くまでの動きやセリフが支え切れていない。総勢60人くらいしか入らない劇場なのにやたらと声を張りあげるので、バランスも悪いし聞き取りにくい。この話、主人公の家庭事情が時代のせいもあっていり組んでいるのだが、台詞で解らせようとしているので、これではよくわからない。ここは脚本で少し整理して今回のテーマである、人間とは何か、に絞ってもよかったのではないか。家庭の葛藤では、男女はその役割(結婚)があるが、人造人間にはそこが違う。しかもその人造人間を、かなり性的には女性が出る女優がやるので、生理的にもつかみにくい。
もう一つ、脚本後半は体言止めの台詞だおおくなってなにやら燐光群みたいだが、体言止めは内容を強く一つに規定してしまうので社会劇にはいいかもしれないが、こういう劇には不向きだと思う。その辺から私はこのドラマから外れていった。前作の夢野久作がよかっただけに今回も大いに期待したのだが、もう一度、少しプロダクションのレベルを上げて見たかった。

ウーマン・オブ・ザ・イヤー

ウーマン・オブ・ザ・イヤー

TBS/ 梅田芸術劇場

赤坂ACTシアター(東京都)

2018/06/01 (金) ~ 2018/06/10 (日)公演終了

満足度★★★★

 ちょっと古風だが、チャーミングな懐かしい感じのミュージカルだ。タカラズカ退団後初めての大舞台、早霧せいなの主演である。オリジナルは1981年のトニー賞をいくつかの部門で受賞している。こちらの主演は、ローレン・バコールだった。このミュージカルはさらに古く41年の映画脚本をもとに作られていて、こちらはキャサリンヘップバーンの主演の由。時代とともに設定などは変わっているとのことで今回は81年版のミュージカル台本の本邦初演だ。
 田舎のジャーナリストでは飽き足らず、家庭を捨てて都会で前向きに突進する美人テレビキャスター、言い寄る男は多いが彼女は、風刺漫画家と一目ぼれして再婚する。その勇猛果敢な取材も、女性の社会進出と認められてその年の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。しかし、男女の仲はきしみだし、取材で知った亡命ロシアダンサーが、家庭のためにソ連に変える決意をすることをきっかけに、過去の家庭を顧みて…。と言うような話で、今となってはかなり古めかしい自立女性ものなのだが、板垣恭一の訳・演出の舞台は、原作を無理に最近はやりのロック型にはめようとせず、原作原曲を生かして20世紀ミュージカルの味でまとめている。やはりこういうスタイルになると、さすが、ブロードウエイで評価を得たというだけあって、多彩なナンバーも、その組み合わせもよく出来ている。大劇場向きのようで、秘書(今井朋彦)や相方のキャスターとか、脇役にもそれぞれ見どころが振ってある。マンガ家のグループ四人男、とか、解れた男の再婚した家庭、とかあまり説明の要らないシーンが面白く出来ている。歌のナンバーも踊りのナンバーも納まりがいい。
 主演の早霧せいなは舞台映えする女優で、手足を長く美しく見せてよく動き、この勝手放題の自意識過剰女を面白く見せる。久しぶりのタカラズカ出身で、普通の演劇でも活躍出来そうな女優の出現でこれからが楽しみだが、聞くと、タカラズカでも頭角を現すのが遅く実年齢は高い。これだけの逸材ながら、よほどうまくいかないと旬の時期を逃してしまいそうだ。注文を言えば、動きは一級なのだが、その裏の人情の表現がタカラズカ風にわかりがよすぎる。この興業も関西の仕込みだが、芸風を生かすには関東の方がいいのではないかと感じた。
 興業元の梅田芸術劇場は時に素性不明の作品でがっかりさせられるが、今回は作品選択も、日本版の座組みも非常にうまくいった。
 

アンナ・カレーニナ

アンナ・カレーニナ

Studio Life(スタジオライフ)

あうるすぽっと(東京都)

2018/05/26 (土) ~ 2018/06/10 (日)公演終了

満足度★★★★

長編小説一気読みのような舞台である。この長編小説、文庫で三冊はあろうかと言う長さだから、若い時でもなければ読み通せない。今回の脚色はスコットランドのトランスジェンダーの有名な作家の脚色で、どうやらこの公演のために書かれたもののようだ。普通は、アンナの不倫の悩みを軸に男女愛の難しさをドラマにするのだが、この脚色は脇筋の、農業に目覚める貴族夫婦もかなり、アンナのあわせかがみとして追っていて、そうなれば、当然、この大長編、上演時間に入りきれない(これで2時間半)。V字スロープと平舞台の裸舞台に俳優がそれぞれ登場して、いきさつを語り続ける。小説の全貌は解るが、登場人物の精神性にまではなかなか手が回らない。脚本のせいもあるし、俳優の力不足もある。それぞれの場面は感情移入するまもなく次!と言う事になって、いつもは肝心の冒頭と最後の停車場シーンなどあっさりしている。そうせざるを得ないのだ。出入りが多い舞台だが、俳優の動きがかなり無神経でドタドタする。今までは男女の役柄で歩き方も工夫があったが(何も歌舞伎のようにやれと言っているのではない)折角のスタジオライフの舞台だけに残念。これで、満足する観客もいるのだろうし、私が観た回は高校生の学校鑑賞会らしく半分は高校生だった。彼らが、どう見たか、原作を読みたいと思ったか、聞いてみたい。

iaku演劇作品集

iaku演劇作品集

iaku

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/05/16 (水) ~ 2018/05/28 (月)公演終了

満足度★★★★

ここの所、若い劇団でも「家族」がテーマの作品が多くなったのはと、今時代の中心にいる30歳から40歳の人々が大きな関心を寄せているからであろう。この「粛々と運針」はなかでも至れり尽くせりの秀作だ。この世代が直面する夫婦と子供の問題、親たちを見送る必然、地域社会のあり方、三つのテーマを二人づつ三組の会話劇で構成している。その内容は格別新しいことはなく、橋田ドラマや向田ドラマが散々扱ったテレビ・レベルの話題なのだが、それを、現代向きにアレンジしてあるのがうまい。テレビレベルと言うのもそれだけ普遍的な問題を扱っているわけで、誰が見ても面白い。構成も、台詞もシャレていて、わざとらしくなく、舞台の魅力にあふれている。今風で、見ていて気持ちがいい。
会話劇だから役者も、うまくないとつまらないのだが、今回のキャストはなかなか素敵だった。変に悪ずれもしていないが達者でツボを心得ている。演出と息があっているのだろう。この作者ここの所評判がいいが、あまり急がずに、いい仕事を選んで、次第に劇場のスケールも上げて、多くの観客に接するような活動を祈っている。実力は充分である。

ハングマン

ハングマン

パルコ・プロデュース

世田谷パブリックシアター(東京都)

2018/05/16 (水) ~ 2018/05/27 (日)公演終了

満足度★★★★

イギリスの現代劇作家の作品では頻繁に紹介されるマクドナーの新作。この作家の作品は土着的な味わいがあって馴染みやすいのか、何本も紹介されている。今回も、田舎のしけたパブを舞台にした近過去物。イギリスで絞首刑が廃止されたのは70年代のようで、そこからはまだ50年しかたっていない。この絞首刑執行人だった男が、死刑廃止後もその仕事に誇りを持ち、その結果・・と言うなかなか厳しい指摘が土俗性が残る村落的社会の中で展開する。一幕は、やや説明的だが、二幕になると俄然、サスペンス仕立ての誘拐劇、殺人劇が、外では嵐の雷鳴の中で展開する。社会的なテーマのある現代劇なのだが、ウエストエンドでも観客が集められる面白い犯罪劇になっている。
長塚圭史の演出的確。田中哲司、羽場祐一、ともにいつのまにかにか世田パブの舞台負けしない力をつけている。小劇場出身の市川、谷川、村上の庶民三人組はもう商業演劇で鍛えられた大劇場脇役に劣らないほどうまくなった。秋山奈津子、この人はホントに隙がない。芝居が終わると、カーテンコールで中央にいながらさっさと引き上げる役者らしい熱の醒め方がいい。
ところで、今世田パブでは下のトラムで「バリーターク」をやっている。現代イギリス作品で、これも見てみたいのだが、チケットが全く手に入らない。芝居好きにきくと皆お手上げである。つまり出演者のミーハーファンが手をまわしてチケットを買い占めて、連日ファンクラブの総会のようなことになっているよし。全公演を見たと自慢するような、芝居の何たるかを全く分からない観客に劇場を占拠されるのは本当に困ったものだ。タレントのためにもならない。いっそ、武道館ででもやったらどうだと憎まれ口をたたきたくなる。

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