裸の町
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場付属養成所
青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)
2022/03/04 (金) ~ 2022/03/15 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2022/03/04 (金) 19:00
座席1階
「小劇場企画」と銘打っているが、休憩を挟んで2時間の本格的な会話劇だ。
時は戦前、お人好しの男性が金貸しに大金をかすめ取られ路頭に迷うという筋書き。舞台からは当時の庶民の生活、夫婦の力関係などが「こういう感じだったんだな」と思われる。パンフレットによると、作者の真船豊は「意識的に『人間』だけを描いた」というが、舞台から受けた印象は人間の本質というよりも「庶民の生活」や当時の空気だった。
金貸しを信頼して大金を預けるという、かいしょのない亭主に付き従ってきた妻。冒頭、この妻が凛として正座をしている姿が印象的だ。身ぐるみはがされて路上に出るしかない状況を招いたことに、妻は怒り心頭で夫に罵詈雑言を浴びせる。しかし、その激しい罵りもどこか最後は「また付き従うのではないか」という、何だか優しさのようなものが感じらる。こんな情けない男とは、今ならとっくに三行半で離婚というところだが、簡単にそうならないところに、もどかしさすら感じた。
この「凛としている」という表現がぴったりの女性が「もう実家に帰ります」という場面で、なぜかずっと沈黙をしてしまうというところに、昭和初期の夫婦の生活感というか、男と女のつながりのようなものを感じる。「今ならとっくに逃げられている」という状況でも、時代が夫婦の最後の糸をつないでいる、というふうに思われるのだ。
この妻を演じた八代名菜子の演技がすばらしい。当時の「日本の妻」の姿を十分に表現できているのではないか。さらに言えば、今回の舞台はこうした演技を十分に発揮できるこの女優のためにあるような筋書きだ。そういう視点で見ると、この長い会話劇も別の風景が開けて楽しめるのだと思う。
Speak low, No tail (tale).
燐光群
新宿シアタートップス(東京都)
2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2022/02/24 (木) 14:00
詩人の小沼純一氏の作品を坂手流の戯曲に仕上げた、不思議な感覚を得られる舞台。ジャズバーの時間が重なり、小さな歴史となって世の中とシンクロしていく。
ジャズのうんちくを語って盛り上がっている客の姿から始まる。その場面場面で暗転し舞台が転換していくので時の流れとか、登場人物の人生などをすんなり受け止められるのだが、何だがこま切れの会話劇という感じでもある。ただ、音楽などそっちのけで会社の上司への不満をぶつけあう女性客など多彩なお客さんの姿を無理せず楽しめる。ジャズバーで居酒屋のような会話? でも、自分もやっていると思うし、そういう時代なんだろうね。
もう一つ、並行して進むのが、お向かいの家に出入りする猫たちや猫に声をかける人たちの風景だ。こちらは時の流れはあまり感じられず、あくまでも「風景」といった感じで呈示される。年老いたお母さんとその娘の会話がベースになっているが、この二人、時間が止まったようにずっと同じ姿で登場する。話が進展するということもないので、ちょっと退屈かもしれない。
燐光群が鋭く切り込む政治的、社会的な問題はほとんど登場しない。それもそのはず、声高に議論する場所ではなく、あくまでも店の名の通り「speak low」なのだ。
女歌舞伎 さんせう太夫~母恋い地獄めぐり~
Project Nyx
ザ・スズナリ(東京都)
2022/02/06 (日) ~ 2022/02/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2022/02/12 (土) 14:00
「女歌舞伎」と冠したこの作品は、プロジェクト・ニクスのこれまでの集大成と言える。前回の「新雪之丞変化」より数段パワーアップして、音楽、舞台回し、美術と迫力ある舞台に仕上げた。
題材は、有名な安寿と厨子王。冒頭の津軽三味線から震える。この三味線は単なるライブの音楽というだけでなく、奏者の駒田早代が立ち回り、声量豊かな歌声を響かせる。舞台の重要な構成要素となっている。
千秋楽前だけに、出演者全員のせりふが板についていて、迫力と妖艶さが増している。スズナリという器もプロジェクトニクスに合っている。狭い舞台と袖を縦横無尽に使って演じる女優たちからは、何かここがホームゲームだというすごみさえ感じた。誰もが知っている物語だけにやりにくかった面もあっただろうが、ラストシーンでは思わずもらい泣きするような場面もあった。安寿は舞台の早い段階で命を失っているのだが、百鬼ゆめひなの操る人形に乗り移ったかのように最後まで存在感を示す。輪廻転生という壮大な空間は、感動的だった。
今回、主宰の水嶋カンナは、寺山修司の句の朗読など舞台の進行に彩を添える役回りで若手のパワーを引き出している。スズナリは、コロナ禍以前と同じような満席。期待通りの価値ある舞台だった。
私の心にそっと触れて
メメントC
新宿スターフィールド(東京都)
2021/12/16 (木) ~ 2021/12/22 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/12/20 (月) 14:00
座席1階
認知症は専門である脳神経内科の元教授が認知症を患う。うすうすわかってはいるのだが「自分がそんなはずはない」と介護を拒否。必死になって寄り添う妻も疲れ果て、夫に手を上げるような状況に追い込まれていく。だが、この舞台は認知症介護の厳しさだけを伝えているのではない。認知症が進行し、既に自分だけの世界を生きるようになった人が「自分の心に何か、温かいもの」が触れてきらめく一瞬を舞台で見せるために、2時間余りの物語が展開する。
主人公は医師、娘は弁護士。鎌倉の庭付きの家に住む裕福な家庭である。だが、病気の進行はいやがおうにもその家庭をむしばむ。さらに患者の胸の内や、こだわり、葛藤など本来は外に出ないものを周囲にさらけ出し、ぶつけていく。この点、特に、主人公が誇りをもって勤め上げてきた医師という職場へのこだわりがすごい。かつて診療した患者だったピアニストの女性を登場させ、妻が浮気を疑うという筋立てなどはかなりリアリティがある。この役を妖艶に演じた駒塚由衣という女優はとても迫力があった。
脚本を輝かせたのは言うまでもない俳優たちだ。主人公を演じた元文学座の外山誠二、妻を演じた民藝の白石珠江。この二人の演技は出色である。特に外山は、経験したこともない認知症患者という難しい役を、強烈な迫力とリアリティーをもって演じぬいた。客席が息をのむ迫真の場面が何度も訪れ、終幕時には感涙を誘った。また、壊れていく夫を理解しようと懸命に努力するがどうしても現実を受け入れられない介護者の妻を演じた白石は、せりふだけでなく微妙な表情の暗転までクリアに演じ、胸の内が舞台からあふれてくるような芝居だった。
認知症ケアについては、舞台で描かれたような激しい周辺症状(BPSD)をどうしたら少なくできるかという点など、大きく進んでいる。薬では治らない病気であるが、周囲が理解できなくなってもその人の魂や本質はそこにこれまでと同じようにあり続ける。今回の舞台は、本当にいろんなことを教えてくれた。
秀作だ!
美談殺人
タカハ劇団
駅前劇場(東京都)
2021/12/16 (木) ~ 2021/12/20 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/12/18 (土) 14:00
座席1階
人は自分が生きてきた人生に意味を求める。どんな人生でも、それが自分にとって、あるいは世の中にとって意味のあるものであったか。これは劇中のせりふでもあるように、人間の根源的なものであろう。舞台は、このように世間一般的に考えられている「生きる意味」を逆手に取るようにして、生きる意味とは本当は何なのだろうかと問いかける。異色の傑作である。
舞台は平均寿命が50歳にまで低下した近未来の日本。超高齢化の今では想像しにくい社会だが、物語では日本人が短命化することで人口が減少し、格差が増大するという世の中だ。ゴミだらけでホームレスがあふれる新宿・歌舞伎町。「貧困化が進み女を買う男が消え、風俗店が壊滅した後にホームレスが住み着き、そのうちの一人が今回の主人公となる。一方、格差の対極にいる著名人の大金持ちたちは、短命化日本で自分の生きた意味を残そうと、死ぬときに「美しい価値ある人生の物語」をニュースで読み上げてもらうために「美談作家」に大金を支払っている、という組み立てだ。ホームレスの一人が美談作家に成り上がり、その行く末と破滅を描いていく。
設定は荒唐無稽に見えるが、実にリアリティーがある。また、歴史の針を逆回転させていくような象徴的な人物が登場するのもおもしろいし、自分には「歴史の教訓を学べよ!」と現代日本に鋭い視線を浴びせてきているようにも感じた。人が自分の人生に意味を持たせることを突き詰めていった結果、何が起きるのか。ここに劇作家高羽彩の強烈なメッセージが込められる。
舞台回しというか、主人公の妹で声を失った女性の役で、舞台手話通訳が見事な演技を見せる。単なる手話通訳ではなく、登場人物の一人として立ち回る。今回、脚本の妙で、それが非常に自然な形でステージに溶け込んでいるのがいい。聴覚障碍者もそうでない人も「通訳」でなく「役者」を見るという形になっていて、障害の有無にかかわらず同時に舞台を楽しめる。ただ、そうは言っても役者をやりながらの通訳だから、それを補うためにタブレットを貸し出してせりふの字幕を座席で見ることができるという配慮もなされていた。バリアフリー演劇の進歩系として一つの成果を出して見せた。
三文オペラ JAPON1947
Pカンパニー
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2021/12/15 (水) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/12/16 (木) 13:30
座席1階
ブレヒトの有名作を翻案して、舞台を終戦直後の日本に設定。焼け跡に闇市がたち、人々が食うや食わず、生きるのに精いっぱいという世情での物語に仕上げた。「芝居だからハッピーエンド」という宣言があって、いつものPカンパニーとはかなり趣が違うが、街にクリスマスソングが流れる中での上演ということもあって何となく勇気づけられるような気持ちになって劇場を出ることができる。
ミュージカルなので当然、役者たちの歌唱力も問われる。でも、これはさすが。よく鍛えられている俳優陣だけあって、安心してみていられる。役者の年齢を問わず、ダンスの切れもいい。演出もシンプルで、分かりやすい。ブレヒト劇によくある難解なところは今回、まったくないので、役者たちが見せてくれる多彩な表情までしっかり楽しむことができた。
終戦の混乱期だが、そういう時代だからこそ才覚を発覚してうまく稼ぐ人たちはいるものだ。でも大多数の人は赤貧の海の中で苦しむ。「世の中金だ。金があれば何でもできる」という劇中のせりふは、豊かになったように見える現代でも、格差社会の構造は変わらない。同じ意味を持って通じる言葉だ。ブレヒトが「人生は厳しい」と言っているように、この終戦直後に本番の三文オペラでも人生の厳しさがガンガンと伝わってくる。
ただ、そうはいいながらもどこかいい加減で、どこかテキトーなところもしっかり盛り込まれて、ああやっぱり人間が生きていくにはこうでなくっちゃね、という思いにもさせられる。
ラストシーンは結構面白い。予想外の展開もあって楽しめます。
ホテルカリフォルニア
劇団扉座
紀伊國屋ホール(東京都)
2021/12/07 (火) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/12/08 (水) 18:30
名曲「ホテルカリフォルニア」の名に魅かれて劇場へ。結論から言うと、この名曲と今回の戯曲に直接の関係はない。しかし、この曲だけでなく当時の日本ポップスなども舞台ではふんだんに使われ、1970年代に「青春」(今は死語かも?)を過ごした元若者たちのツボを打ち抜く楽しい舞台だった。自分的にはチューリップの名曲に泣きそうになった。
作・演出の横内謙介など劇団オリジナルメンバーがつむぐ、劇団創設前の実話をベースにした青春グラフィティー。当地の進学校である県立厚木高校の演劇部(扉座のメンバーも所属)が全国大会で活躍したことも触れられているが、舞台で繰り広げられるのは文化祭の後夜祭でいかに盛り上がることができるか、青春の思い出を作りたい、という若い情熱が物語の中心である。
まったく同時期に高校生だった自分にとってはずばりストレートの直球という舞台だ。あの頃はやった「マジソンスクエアガーデン」のバッグ、受験勉強の定番である「赤本」。神奈川県では「出る単」と言っていたのか(自分の出身の愛知県では「しけ単」と呼んだ)「試験に出る英単語」という受験生のバイブル本。地元各地区の中学の優等生だった子が集まった進学校で、上には上がいると打ちのめされたあの頃。東大を頂点とする受験レースが象徴する学歴社会への疑問。生きるとは何かと沈思した時間。そして、校内で男子生徒が回したエロ本(舞台では「プレイボーイ」だったので、エロ本とは言えないかも)。こうした小道具、多彩なエピソードが40年も前の自分を鮮明に浮かび上がらせた。
受験勉強が第一と指導され、それを受け入れざるを得ない生徒たちには、文化祭で盛り上がるということですら「勉強しなきゃなのに」と罪悪感を覚える。そんな中で愚直にも、当時のディスコダンスで爆発しようぜ、としらけ世代を鼓舞する生徒会メンバーたちがなんだかとてもいとおしい。
田舎者の自分にとっては、歌舞伎町のディスコなど話に「そうだげな」という与太話でしか知ることができなかったが、神奈川は田舎とキャストは言うが、小田急線一本で新宿まで行けたというのはやはり、そこでの高校生の文化が変わってくる。実際にディスコに行っていた生徒はさすがに優等生学校だけあって珍しかったようだが、舞台上で繰り広げられる「サタデーナイトフィーバー」「ジンギスカン」には、「神奈川の高校は大人への扉が近かったんだ」と感じてしまった。愛知県から新宿は新幹線で行かないと無理なのだから(笑)
この舞台は90年代後半からの再再演という。小劇場志向の劇団が40年も続くのは慶賀の至りであって、まさにこの舞台、還暦近いおっさんたちが高校生役をやるという、横内氏も言っているように「もう最後の機会」なのだろう。それだけに力が入っていて、熱量も高い。扉座研究生たちの若手も力を発揮した。
オリジナルメンバーの六角精児が開幕前からDJを務めるのも楽しい。これだけの完成度の舞台なのに、空席が目立ったのはもったいない。還暦前後の善男善女、この舞台を見ないと一気に老化が進むぞ!
飛ぶ太陽
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/12/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/11/30 (火) 13:00
座席1階
終戦直後、福岡県・添田町のトンネルに旧日本陸軍が隠していた大量の火薬を占領軍が処理する際に大爆発が起き、山全体が吹っ飛ぶという惨事で住民ら147人が犠牲になったという史実を舞台化した。今回も期待を裏切らない、素晴らしい舞台だった。爆発事故で犠牲になった人や、腕を吹き飛ばされるなど大けがをして生き残った人など、それぞれの人生を事故の前後でうまく描いていた。
今回は、役者たちがグレードアップしていたと感じる。客演の宮地真緒もよかった。桟敷童子の鍛えられた俳優たちによくついていったと思う。そして、毎度のことながら舞台装置と演出は見事だった。種明かしはネタバレボックスに入れてある。
当時の大手メディアが占領軍を恐れて事故を報じなかったという場面も出てきた。戦争が終わっても言論の自由がすぐに獲得されたわけでなく、占領下の報道が制限されていたというのも状況としては理解できる。それでもやはり、当時も気骨のある記者がいた。現場に入り、写真を撮り、話を聞いて事故を伝えた西日本新聞は、しっかり仕事をした、と言っていい。
舞台は事故の悲惨さだけでなく、被害者たちが戦後どのようにして国と戦って賠償を勝ち取っていくかというところも描かれる。最後まで住民たちに寄り添った物語で、好感が持てた。
力作である。見ないと損するかも。
集金旅行
劇団民藝
俳優座劇場(東京都)
2021/11/24 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/11/26 (金) 13:30
座席1階
劇団民藝が全国各地で巡回する公演でロングランを重ねている演目という。自分は初めて拝見した。井伏鱒二の原作を、コメディータッチで描く。アパートの部屋代を踏み倒して逃げた元借主から家賃を回収する旅に出る売れない作家。これに同行したのが、かつての交際相手から慰謝料をふんだくろうとする女性。夫婦に見えてまったく違う、風変わりな男女の珍道中、といった物語だ。
アパートの大家が突然亡くなるところから物語は始まる。住人たちはお人好しの大家とこのアパートを気に入っていたのだが、借金のかたにアパートを取られるということが分かって、住人たちがこのアパートを守ろうと考えをめぐらす。そして、少しでも借金返済に充てようと、お人好しに付け込んで部屋代を踏み倒した連中から回収しようと、集金旅行という発案になる。
井伏鱒二が別名で登場し、集金旅行の主人公として描かれる。アパートに転がり込んでくる大学生の太宰治とか、文豪の名前が次々に出てきて面白い。
借金の取り立てといってものんびりしたもので、列車に乗って旅館に泊まり、家賃を踏み倒した人物のところを訪問してお金を返してもらう、というゆったりとした時間が流れている。電話もあるにはあるが、交換手を通してつないでもらうという時代。そういう時代背景もあってか、借金取り立てというぎすぎすした雰囲気はまったくない。
一方、別れた男から慰謝料を取ろうと考えた女性もこのアパートの住人なのだが、一緒に旅に出るというシチュエーションに、何となくお互いの気持ちを通わせていくというのが、少し微笑ましい感じだ。旅先でのドタバタ劇もあったりして、笑えるところがたくさんある。
井伏鱒二が自分を売れない作家として描いているのも興味深い。実際、売れなくて苦労を重ねたという。代表作「山椒魚」で描いたこの魚の心は、井伏の実感だったのかもしれないなあ、と舞台を見ながらぼんやりと考えた。こうした自虐的な物語は、日本の文豪たちには珍しいのではないか。
休憩を挟んで3時間近いので、長いと言えば長い。しかし、このゆったりとした時間はこの芝居のベースにあるべきものなのだろう。通信手段が発達し、新幹線で目的地まであっという間という世界に住んでいると、何かしらこの時間の流れがとてもうらやましく感じる。
シアトルのフクシマ・サケ(仮)
燐光群
座・高円寺1(東京都)
2021/11/19 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
座席1階
なぜ仮題となっているのかは、劇の最終盤で示される。珍しいタイトルだが、まさに、地震・津波や原発事故で痛めつけられた福島を象徴する主題だとわかる。
物語はフィクションだが、極めてリアリティーの高い描かれ方をしている。それは、背景にある原発事故を政府が「アンダーコントロールされている」と強弁したところや、放射能で汚染された古里の土地についての地元の人の思い、試行錯誤の観光振興の取り組みなど、現実世界をベースに描かれているからだ。それは、この物語を構想した坂手洋二さんの真骨頂なのだろう。
津波や原発事故で廃業の危機に直面している浜通りと中通りの酒蔵が、お互いに手を取るようにして米シアトルで日本酒づくりをするという夢のような物語だが、実現したら本当にいいだろうな、と思う。現実にはこの物語でも描かれた酵母菌だけでなく、コメ、水をどうするのかということになる。カリフォルニア米はあるものの、日本米のように日本酒になったときに深みのあるあじわいを保てるのか、水の質も違うだろう。でも、それを乗り越えて生きようとする人たちの姿はとても力強い。半面、原発事故の罪深さを浮き彫りにしている。
舞台の左右に大きな酒の樽が鎮座する。これが、福島第一原発でメルトダウンした炉心を冷やすために使われた後の汚染水タンクとオーバーラップしてとても興味深い。造り酒屋の樽でなく汚染水タンクが果てしなく連なる現実を悲しまずにいられない。
セイムタイム,ネクストイヤー
演劇企画イロトリドリノハナ
オメガ東京(東京都)
2021/11/11 (木) ~ 2021/11/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/11/11 (木) 14:00
座席1階
不倫劇というより大人の恋物語という言葉が似あう舞台だ。カリフォルニアのコテージの部屋が舞台であるせいかもしれない。それよりも、この二人が後ろめたさをぶつけあいながらも前向きに自分の人生を理解し、複線の生き方をまじめに、力強く進めているある種のすがすがしさが感じられたからかもしれない。
ブロードウエイの傑作であるという。いつもの出張先で知り合って偶然にも一夜を共にした男と女。二人とも家族持ちであることから最初の朝にこれきりにしようという雰囲気も流れたが、お互いへの思い絶ち難く、年に一回コテージで会うということになった。まるで七夕の織姫と彦星だが、その年に一回の関係が二十何年も続く。
それだけ時が流れれば、お互いの家族の子どもが大きくなり、仕事が行き詰まったり、引っ越したりいろいろなことが起きる。だが、この二人はそれらの多くを隠さずにまるでエピソードを楽しむように語り合い、体の関係だけでなく、物理的な距離は離れているが心は支えあっているという絶妙な関係を築き上げていく。
途中休憩を挟んで2時間半近く。長せりふもバンバンある熱のこもった二人芝居に拍手を送りたい。ソワレとマチネでダブルキャストで行う構成で、私が見たのは公演を主宰した森下知香。今回は演出家ではなく主演女優ということだった。もう一つのペアの平野綾子も演劇ユニットを主宰している演出家であり、女優とのこと。女性主導の舞台だから全体がきれいに流れていた、という面もあるかもしれない。
とてもよかったと思う。森下、平野のオリジナル作品も見てみたいと帰り道で思った。
廻る礎
JACROW
座・高円寺1(東京都)
2021/11/04 (木) ~ 2021/11/11 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/11/09 (火) 14:00
こうしてみると、本当に終戦後の昭和史は舞台になる。演劇だから多少、強調されている部分はあるだろうが、登場する人物のそれぞれが個性的で、エネルギッシュである。戦争の惨禍からこの国をどう復興させ、残った日本人が生き抜いていこうとしているか。舞台はこのドラマを十分に堪能させてくれる。
ジャクローは田中角栄元首相をいろんな角度から描いたシリーズで知られるが、毎度感心するのは役者が演じる政治家によく近づいているということだ。狩野和馬の田中角栄はもう、はまり役といっていい。今回も新潟から当選してきたばかりの1年生議員としてまず、登場する。主役の吉田茂を演じた谷仲恵輔にしてもそうだ。自分は本物の吉田茂を見たことがないが、小説吉田学校を読んでのイメージや写真を見て思い描いた人物像そっくりだったから驚いた。イメージが一致したのは自分だけかもしれないが、だからこそ自分には、この演劇が極めてリアリティーの高い物語として胸の内に入ってきた。このほかにも、山口シヅエはよく似ていたと思う。
舞台の構成も秀逸だ。開幕前のアナウンスは、吉田茂の演説会に観客がきているという設定で行われる。客席は開幕前からこの政治の舞台に引き込まれているわけだ。開幕前に流れる当時の流行歌も雰囲気を高めている。
今回のテーマは日本国憲法。GHQに押し付けられ、軍備を捨てざるを得なかった当時の状況や、朝鮮戦争が起きると百八十度態度を翻して再軍備を迫るというアメリカのご都合主義に翻弄されながらも、自分の中にある筋を曲げようとせず立ち向かっていく政治家の姿はすがすがしささえ感じる。安部政治の一強に文句も言えない今の自民党メンバーとは雲泥の違いで、どうして政治家たちは志や哲学を失ってしまったのかとため息が出る。
そして、やはり終戦直後だ。保守も革新も、軍隊を持つか持たないかという立場を超えて、もう戦争は二度とやってはいけない、という強い信念にあふれているところは感動的ですらある。日本の国土と国民をどう守っていくか。特に外交で紛争を解決していこうとする吉田茂の信念には、本当に拍手を送りたい。敵基地を攻撃するしかない、みたいなことを言っている自民党政調会長はこの演劇を観るべきだ。
もちろん、今の国際情勢は当時とは違うし、軍備の性能や規模も違う。だが、軍備でなく外交交渉こそ国を導く手腕であるという吉田茂のせりふは、今も色あせていない。
この舞台は社会派劇の妙味であるドラマチックな展開と、現実世界との交錯、そして歴史の教訓、いろんな楽しみ方ができる。座高円寺という少し広い劇場で行われているのも、この舞台にふさわしい。公演終了まで幾日もないが、観ないと損するぞ。
フタマツヅキ
iaku
シアタートラム(東京都)
2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/10/28 (木) 14:00
「フタマツヅキ」とは二間続きの部屋のことだ。落語家の夢を追ったが鳴かず飛ばずでぬれ落ち葉のようになり、一人息子に蛇蝎のように嫌われている初老の男と支え続けた妻。その男が高座を持った小劇場でお笑いを続けるピン芸人と、ひょんなことからファンとなって結婚し、支え続けようとする女性。この二つの夫婦が二間続きの舞台で縦横の糸のように交錯する物語。構成がすばらしく、2時間ほどの上演があっという間で、さわやかな感動を残してくれる秀作だ。
芸のためなら女房も泣かす、という昭和演歌を地で行くような貧乏な家庭だ。妻に家庭を支えてもらっている負い目を心に刻みながらも落語を捨てきれない悲しさ、どうしようもない自分に対する怒りみたいな感情を、モロ師岡が熱演する。ほかの俳優たちも鍛えられていて、本音と違うことを言ってしまう男女の胸の内をうまく演技に乗せている。
お金はないが夢はある、と聞こえはよいが、夢を追うにも生活がある。その厳しさをストレートに表現しているから単なる夢追い物語に終わっていない。人間は支えあって生きていくものだとは分かっていても、支える心が相手を追い詰めたりすることもある。そうした一筋縄ではいかない人の心を、この芝居は丁寧に物語に織り込んでいた。
大阪出身の劇作家横山拓也率いる演劇ユニット。初めて拝見したがファンになりそうだ。
太秦ラプソディ
劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)
サンシャイン劇場(東京都)
2021/10/22 (金) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/10/26 (火) 13:00
座席1階
スーパーエキセントリックシアターの舞台でいつも期待するのは、座長の三宅裕司と小倉久寛の掛け合いだ。今回も盛り込まれてはいたものの、主な笑いどころは劇団員たちによる軽妙なギャグの数々だった。それはこの舞台が大部屋俳優たちを主役にしているからであり、タイトルにもあるように「名無し」の出演者たちの軽快な動きが今回の舞台を支えている。
コロナ感染対策?のため1回に制限されているカーテンコールの後の恒例のトークで、三宅さんは「SETは非常に幅広い年齢層で構成されている」と言っていた。舞台のテーマである「いつかは主役を」という夢にあふれる大部屋俳優たちのような劇団であるようだ。老若男女が入り乱れての今回の構成に、それこそ幅広い年齢層が集まっている客席もみんな、よく笑えるわけである。
SETが時代劇を取り上げたというのもいいな、と思う。描かれている通り、時代劇はテレビの主役からとっくに締め出されていて、今や専門チャンネルのBSで固定ファンをつないでいる状況だ(NHKだけは頑張っているが)。そのテレビも若者たちは見なくなっていて、人気ドラマという言葉さえ存続が怪しい。パンフレットに「時代劇基礎知識集」が載っていたのは、なんだか寂しい気もしたが、時代劇というジャンルを次世代に引き継ぐためには必要なのだと思う。
時代劇では定番の「人情」を描いているためか、今回の舞台は派手な笑いが起きる仕掛けにはなっていない。だが、私としてはSETの面白さは思いっきり笑える舞台だと思っている。そういう点では少しおとなしい舞台であった。
大人のメルヘン絵本シリーズ 『霧野仙子』
Project Nyx
満天星Cafe(東京都)
2018/11/20 (火) ~ 2018/12/11 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
座席1階
2021年10月8日から17日にかけての公演を拝見した。
これまでに5回?公演があったというが、今回はニクス15周年記念公演と銘打ち、新宿梁山泊の芝居小屋満点星で行われた。
霧野仙子とヤルセナカスが4組。それぞれバージョンが違う。拝見したのは、霧野仙子役に吉田直子、ヤルセナカス役にジャン・裕一という大人の風格漂う「ジュテーム」組だ。前振りや舞台回しを受け持つ「ラズベリー隊」に、ニクス率いる水嶋カンナを筆頭に20,30,40代女性のトリオで舞台を仕切った。
そもそも、漫画家やなせたかしとイラストレーター宇野亞喜良が組んだ最初で最後の絵本のオマージュ作品だ。だが、リーディングのスタイルでなく、絵本をベースに宇野亞喜良の絵をふんだんにつかった、1時間余りのニクスらしい妖艶な舞台が展開する。
自分が見た「ジュテーム」組は、霧野仙子の何とも言えない色っぽさが物語を支配する。吉田直子のゾクッと来るような美しさに見入ってしまう。一方のラズベリー隊は、前振りですべるところもあったが、やなせたかしの歌詞を奏でるコーラスは満足できる。バックのギター演奏もよかった。そのメロディーに「天国への階段」があったのにはとても感動した。
新宿梁山泊は12月に、李麗仙追悼公演と銘打って「少女仮面」を上演する。水嶋カンナの熱演をここでも期待したい。
二代目はクリスチャン
9PROJECT
シアターX(東京都)
2021/10/08 (金) ~ 2021/10/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/10/09 (土) 13:00
座席1階
映画化もされたつかこうへいの著名な作品。これを、つか作品をやり続けるこの劇団がアレンジして新たな装いで舞台化した。神戸を仕切るやくざの親分が殺された。親分には、修道院に預けられて育った敬虔なクリスチャンである娘がいた。二代目を襲名した彼女だが、愛したのは自分の父親を殺した男だった、という展開である。
主演の高野愛は上演の時が流れるほど存在感を増し、ラストシーンになだれ込んでいく。組の親分であった父親を殺した男をつかこうへいの劇団でも出演した吉田智則が演じた。最初は多数の組員が入り乱れるようにして進んでいくが、終盤に近付くにつれ、この二人に物語が昇華していく。その筋立ては非常におもしろい。
特に、かよわい感じのした修道女の高野がその小柄で、細い体から猛烈な熱量を発出する後段は見逃せない。長い日本刀を使っての殺陣は、よく訓練されていると言っていい。飛び散る汗、つばき、そして涙。これが舞台上でキラキラ輝くのだから、その迫力には客席も満足だろう。
それぞれの役者が、つかこうへいが散りばめたと思われる印象深いせりふを発散していく。「なぜ? 大したことじゃありませんよ。ただ、気に入らねえだけです」というのは組員の一人だが、こうした脇役にも深いせりふを与えている、会話劇としてもいい感じで楽しめる舞台である。
舌っ足らずの関西弁はご愛敬か。
がん患者だもの、みつを
うずめ劇場
シアター風姿花伝(東京都)
2021/10/06 (水) ~ 2021/10/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/10/06 (水) 14:00
座席1階
かつては宣告されたらもう人生おしまい、という病気だったが、今は二人に一人が患者となる時代。若くしてがんになった人も治癒して社会復帰している人もたくさんいる。それでもやっぱり、日本人の死因の1位であるだけに怖い病気だ。今作は、がんを患ってストーマ(人工肛門)をつけるようになった内田春菊さんが、劇団に書き下ろした快作である。
設定の妙というか。乳がんと診断されることになる職場の先輩と、励ましているのか迷惑がっているのかよくわからない後輩のアイドル系ユーチューバーという年が離れた二人の女性。これを軸にした舞台は、暗さをまったく感じさせないポップなムードで進んでいく。
大腸がんでストーマを造設した男性がこの二人の女性の間に入って微妙な三角関係を作っているというのもいい。笑える場面はたくさんあるが、先輩の女性がユーチューバーのオタク女性を「オタクだから生身の男性と付き合ったことなどないだろう、ましてリアルなセックスなど」と思い込んでいたのが、実は子どもまで作っていたという衝撃の場面だ。このほかにも、タイトルにあるように「がん患者だもの」という現実世界で「あるある」の小ネタがたくさんあって、飽きることはない。
初日だったので、内田春菊さんが舞台終了後に登場してミニライブをしてくれた。ちょっとしたお得感があった。不勉強だが、「うずめ劇場」は初めて見た。また、新しい注目劇団を見つけたぞ、というお得感もあった。
子供の時間
劇団文化座
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2021/10/08 (金) ~ 2021/10/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/10/08 (金) 17:00
座席1階
何という悲劇的結末。映画にもなったリリアン・ヘルマンの有名な戯曲で、その結末は分かっている。分かっていてもズシーンと胸に重たいものが響く、悲劇的な結末である。
最初は他愛もない子どものウソ、言い逃れだったのかもしれない。いや、言い逃れというには少し悪質なのだが、いずれにしてもちゃんと調べればウソだとわかる与太話だったのだ。それが、大人の世界の世間体とか、あるいは自分のかわいい孫を守りたいという思いとかが、大人たちの判断を狂わせる。そして、本来は平穏な毎日と達成感を得るはずだった大人たちが自滅していく。ここまで悲劇的だと、その原因を作った孫娘のメアリーがどんな思いを胸に成長したのか、という後日談を知りたくなってしまう。普通なら、正気で生きてはいられないだろう苦しみが、彼女にものしかかっていくだろう。
真摯な舞台を通して客席と向き合ってきた文化座が、80周年記念作にこの戯曲を取り上げたわけはいろいろあるらしい。だが、半世紀以上も前の、インターネットも携帯もなかった時代に書かれた戯曲が胸に迫ってくるのは、今の世の中を見通しているからだ。半世紀後にも、フェイクニュースや根も葉もないウソで命を落としている人が現実にいるという世の中を、だ。この戯曲が記念作に取り上げられた理由は本当はそこにあると、私は思う。
子供じみた悪口や、冗談のつもりで流したでっち上げニュースは、ネット社会にあふれている。プロレスラーの女性が自殺した事件は、ネットに悪口(もちろん真実ではない)を書き込んだ人は書類送検されただけだった。そうしたことを目の当たりにして、私たちはフェイクニュースの恐ろしさを知る。ネットに書き込む前に、その話が真実なのか、真実と信じるに足るものであるのか、私たちは考えなければならない。
ニュースを扱う世界では、発信されようとしているニュースが真実か、真実と信じるに足るものであるかを検証する作業、業界用語で「ウラを取る」なんて言われる作業を行っている。いや、最近は行っていないメディアもある。しかし、ウラを取らなきゃ怖くて書けない、という感覚は、ジャーナリストには最低限必要な資質なのである。ニュースがウソだったために人が死ぬなんて結果を招いてはならないのだ。
今回の舞台を見て、ズーンと重苦しい気分になったのは、この舞台があまりにも現代社会を深く映しこんでいるからなのかもしれない。そして、ここが舞台の力強さ。カレンとマーサを演じた二人の女優の、感情や思いが黙っていても胸の内からあふれてくるような見事な芝居。そして、文化座を今も率いる佐々木愛さんの、動きは少なくともどっしりと胸に迫るセリフが、舞台の迫力を支えているといっていい。
舞台転換の際の長さと物音が気になったが、休憩を挟んで3時間。長さを感じさせない舞台だった。
ファクトチェック
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋ホール(東京都)
2021/09/17 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2021/09/23 (木) 13:30
座席1階
中津留ワールド炸裂、といった3時間であった。15分の休憩を挟むが、長く感じられない迫真の舞台だった。
物語はある新聞社の政治部に、社会部の特ダネ記者だったアグレッシブな男が異動してくるところから始まる。現政権(自民党と菅内閣を風刺してある)の一方的で民の声を聴かない政治を、その政治の中枢に食い込んで変えてやろう、という男だ。彼は官房長官会見(当時、まだ菅氏は官房長官だった)に後輩記者を黙らせて割り込み、さっそく官房長官に質問を連発する。官邸の会見は報道官が仕切っていて、官邸クラブの加盟社が優遇されるようなところがある。この会社は加盟社なのだが、再質問なし、というルールを無視して質問を連発する。
もちろん、公式の記者会見なのだから、記者クラブの内輪のルールなど取材には関係ない。だが、日ごろルールをぶち壊すような記者はいないから、官邸サイドににらまれることになるかと思ったら、なぜか、官房長官が気に入って特定の記者だけの懇談に来ないかと誘う。
メディアは権力の監視が役割である。ウオッチドッグ(番犬)と呼ばれ、政権が怪しい方向に行くときに激しく吠えて警鐘を鳴らすのが役割である。この主人公の記者もまさに、このジャーナリズムの本質を行く男だったのだが、中津留ワールドのおもしろいところで、この男が官邸側のうまい取り込み(ここはネタバレするので書かないが)で外堀を埋められ、結局政権の首がすっ飛ぶような隠された議事録の部分を報じないという選択に追い込まれるのだ。
核心となる議事録のネタが、東京電力福島第一原発の事故による汚染水放出に関連したものであり、総理の前任者(安倍さんである)が東京五輪招致に際してアンダーコントロールと言ったことで官僚の仕事が捻じ曲げられていくところがあってとても興味深い。これは安倍前首相が「私の妻がかかわっていたら国会議員も辞める」と答弁したモリカケ問題の裏映しであるからだ。担当の官僚が自殺する(舞台では事件に巻き込まれたとにおわせるくだりもあるが)ところも、赤木さんの自殺をトレースしているようで、リアリティーが増してくる。
政治部の記者がここまで腐っているか、と言われると「実際はここまでひどくはないだろう」とは思う。しかし、結果的に政権のやりたい放題を許しているわけだから、「番犬」の仕事を果たしているとは残念ながら言えないだろう。
現実の政治やメディアの報道ぶりを想起しながら、エンターテイメントとしても十分に面白い、楽しめる舞台である。厳しい中津留ワールドに全力で応えようとした青年劇場の意気込みも感じる。
ただ、取材相手(家族にもだが)に対して怒鳴るような主人公の口調がとても気になった。芝居であるからある程度は仕方ないとは言えるが、取材相手をやり込めるようなやり方をする人は優秀な記者とはいえないからだ。この人は何を熱くなっているんだろうか、と私は冷めてしまった。それを割り引いても、この舞台はお勧めだ。
The Weir -堰-
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2021/09/10 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/09/16 (木) 14:00
座席1階
アイルランドでは、たくさんの不思議な話や妖精の話が今も伝えられているという。妖精というのはあの世に住む人たちであり、現世に生きる人たちと時々接点がある? まあ、その接点が不思議な話なのであり、科学や常識では説明がつかない不思議な出来事は妖精の仕業なのだとか。アイルランドの劇作家コナー・マクフィアソンの「堰」は、オカルトチックな不思議物語を紡ぐ舞台だ。
この舞台は約2時間の上演時間、ずっとアイルランドのパブのセッティングで繰り広げられる会話劇。まあつまり、日本でいえばスナックのバーカウンターでマスターと客が話すよもやま話といったところだ。アイリッシュバーは日本でもたくさんあるが、サッカーの試合を大画面のテレビで流しているような日本風アイリッシュバーではなく、地元の人が止まり木に腰掛ける、どこの町にもある日本国内のバーという雰囲気である。酔っぱらう場所は万国共通だな、と思ったりもする。
バーに来る客はこれまでの人生で傷ついたり、思いもかけなかったことに遭遇したりした経験を問わず語りに話し出すことがある。日本でもそうだ。マスターやママはじっと耳を傾け、酒を注ぎながら心を寄せてくれる。そうしてまた次の日、私たちは頑張って仕事に出ることができる。この物語でも同じである。
こうしたどこにでもある風景が妙に懐かしく思うのは、コロナ禍でも外出自粛が続き、外に飲みに出ることがパタっとなくなったからだ。この舞台もコロナ禍で一年延期されたという。去年予定通り見るのと、今年、緊急事態宣言発令中の中で見るのとは、感じ方が大きく違う。コロナ禍がずっと続くわけではないと思うのだが、「ああ、こういう時間はもうないのだろうか」としんみりとしてしまう。
傷ついた人をさりげなく励ます、言葉をかける。そうした優しい空間が懐かしい。酔っぱらいの騒々しい口げんかはまあ、あるけど。妖精たちの物語に、いつも以上に優しさを感じるのはコロナ禍だからだろうと思う。