中二階な人々
Theatre☆Company ゆみねこ企画
絵本塾ホール(四ツ谷)(東京都)
2015/11/25 (水) ~ 2015/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★
味わい深い...
同級生の男女6人が共同生活している一軒家が舞台で、そこでの暮らしが坦々と描かれる。変化に乏しい内容かと思ったが、30歳前後の微妙に揺れる心情がしっかり伝わる秀作。
映画であればロング、アップなど画面処理で距離感なりを表現することが出来るが、芝居は舞台と客席の距離は一定で、観る範囲は同一になる。それでも映画にはない、役者の息遣い、客席からの笑い声など、場内一体となったライブ感が演じている人物の心の機微、各人の距離感を表現している。
そう、生活は坦々、心の動きは淡々であるが、それぞれが悩み迷っている姿は、その年齢の人の等身大を見事に映し出した。
ネタバレBOX
舞台セットは、同居している一軒家の共同スペース(リビングか?)で、中央にファッションソファー、テーブル、上手にBOX棚とその上にコーヒーカップ等。下手は観賞葉のみ。上手が玄関、下手が別部屋への廊下か階段のようである。
この公演の時代背景は、2002年。主宰・演出家の秋葉由美子女史が当日パンフに「2002年は、内閣府の調査でニート(就職する意思がなく、職業訓練もしていない若者)数が85万人になったことで話題になった年だそうです。大学に行って、就職して、結婚して、子どもを産んで...という”人生のレール”に疑問を持つ若者が、それだけ増えてきた頃。」と記載している。
まさにその書いたこと、感じたことが、この公演に現れている。変化に乏しい物語のようであるが、上演時間2時間は飽きさせない。そこには日常の中にあるちょっとした出来事が、ざわざわ、もやもや...表現し難い心境を同居人宴会の中で吐露する。そのキッカケは外部のバイト後輩・ワタナベミユキ(古河遥香サン)を同居人・タカギ(奥村俊サン)への愛告白という形で刺激を与える。その小さい波風を立てる演出が巧い。
仲が良い時ばかりではないだろう。嫌悪の部分を描けば、メリハリは出るだろうが、敢えてそのシーンは使わない。そこに優しさ、信頼というポジティブ面だけで描くという信念のようなものを感じる。
タイトル「中二階な人々」は、若者と呼ばれる年齢ではなく、もう少し自立を迫られそうな中途半端な感じが読み取れる。”今”の居心地は良い、しかし本当にそれでよいのか、日常に流されているのでは、自分が本当にしたいことは、その疑問の数々と自分でも捉えきれない本心...その”もどかしさ”が、その年齢を通り過ぎてしまった自分には愛らしく思える。今だから言える”ガンバレ!
この舞台設定の前年(2001年)には、アメリカ同時多発テロ(9.11)が発生しており、日常の生活に埋没して苦悩する姿も描く。平和集会から帰ってきたであろうシーンは少し唐突感があったが、さりげなく911をイメージさせるTシャツを着るなど、細かい所にも配慮している。
物語に変化が少ない分、演技力が試されると思う。会話する面はテンポがあるが、無言...いわゆる”無の間(ま)”は若干長いシーンもあったと思う(自分感覚)。
繰り返しになるが、日常をしっかり捉え、そこに内在する人の揺れる危うさのようなものが共感できる、そんな秀作であった。
次回公演を楽しみにしております。
燦の夜を征け
劇譚*華羽織
東京アポロシアター(東京都)
2015/11/26 (木) ~ 2015/11/29 (日)公演終了
満足度★★★
広がりも深さも感じられず...
風営法強化で危険地区指定された「歌舞伎町」...という謳い文句に惹かれたが、内々の小さな物語であった。近い将来あるかもしれない、そんな先見性を感じるだけに勿体ない。
演出や演技でグッと引き寄せられる力強さがあればよかったのだが、それも物足りなかった。初日でかたくなったのだろうか。
ネタバレBOX
舞台セットには、「KEEP OUT」の立ち入り禁止テープが張り巡らされて、異様な雰囲気作りになっている。その物語は、名門家族における兄・妹の歪な恋愛感情の縺れが原因の「歌舞伎町」危険地区指定である。
登場人物もホスト、キャバクラ、オカマという風俗店代表の面々、それにチャイニーズマフィアが絡み、少女一人を巡って抗争が起きる。兄側と妹側という対立構図、そしてアクションシーンで観せることになる。物語はあくまで兄・妹が中心で、なぜその妹を執拗に狙うのか、というミステリー風なところがあるが、その理由は強引、偏執という類で説明するに止まる。それゆえ歌舞伎町という歓楽街を舞台背景にしながら、物語に社会的な広がりが持てない。また兄の妹に対する一方的な愛情による行動だけに、”何故”も描かれず人間的な掘り下げも弱い。かろうじて歌舞伎町の風俗で働く人々の仲間意識は強いのかな~と感じたかも。
せっかくビジュアル的に化粧、女装、派手な衣装など見た目は賑やか。その身なりでアクションを上手く観(魅)せてくれたら、と少し残念に思った。
次回公演を楽しみにしております。
Only Lonely Rose
My little Shine
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★
面白いが…
過去と現在の境界に紛れ込み、不思議な体験をする女性の物語。ミステリー・サスペンス要素を織り込み、浮遊感、意識の混濁のような世界観を描き出す。空虚な過去、虚脱の現在、復活の未来へと導く。心底にあった思いが、ベールを剥ぎ取るように形象化される。
この公演では「大切なものは失ってから分かる」という台詞に見られるような、学習的な言葉によって物語が紡がれるようだ。世界は在るがままの目に見えるものだけではない。意識の潜在下に本音があり、行動していると...。
良い子ぶってもダメ!、あんたどうしたいの?
知っているようで分からない本当の気持とは...
ネタバレBOX
舞台セットは、図書館をイメージさせるため、変形階段の上辺の上手・下手に書架をイメージした張りぼてが立(建)てられている。基本的には、その階段の昇降の行動で場所と時間の変化を現す。物語は、複雑な様相を呈するが、場面転換の前には妖精のような妖しが現れるため、混乱することはない。
主人公の女性が、現在(図書館勤務)と過去(高校生時代)の境界に紛れ込む...今昔の意識が混濁したような世界が現れる。”良い子”でいるのは本当の自分、という自問自答するような姿。良い子を演じているのか否か、実は本人も気が付かない。他人(友人)を通した評価で一喜一憂する。自分探しのような話が中心であり、周りにいる人々と出来事・事件はその彩りに過ぎない。
高校時代の女友達は、一緒にいるだけで友達と言えるの? 彼氏は、私の気持を理解しているの、束縛していない? 図書館の閉鎖はどうなるの? ストーカーは? など色々絡み、それを収束させるため強引な展開になっている。印象としては、辻褄合わせに終始したように思える。
主人公の人物像の掘り下げを行い、人のあり方のようなものを描いて欲しかった。先にも記したが、自分のことは自分がよく知っていると思っているが、案外知らない面もある。自分の大切な気持、思い遣りは、その先にあるものを失って初めて気づく。
ラストシーン、懐中電灯オジさんとの会話が、それまでの話のすべてを凝縮するような言葉...”一つの星だけでなく、すべての星を愛す大らかさ”、という教訓臭も鼻に付く。このオジさん、殆ど登場しないだけに違和感がある。それも浮浪者のような風体・格好にする意味もわからない。真の姿は外見ではない、というような比喩か?
気になるところは、どうして過去・現在が陥穽するのか、そのキッカケ、理由が明確でないところ。
公演を通して、シーンごとの出来事のコミカルな演出、緩いサスペンスは楽しんだが、物語の展開がご都合的のようであり、残念に思った。
次回公演を楽しみにしております。
ドアを開ければいつも
演劇ユニット「みそじん」
atelier.TORIYOU 東京都中央区築地3-7-2 2F tel:03-3541-6004(東京都)
2015/11/21 (土) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
秋バージョン
一つ屋根の下、日々起きていた出来事は今は昔。面倒くさくて、やっかいで、温かくて懐かしい。
亡き母の七回忌前夜に集まった四姉妹の他愛無い会話、綺麗ごとだけではない波瀾の家庭史を、静かに時に激しく繰り広げる珠玉のホームドラマ。
今は父と二女の二人だけが実家で暮らしている。人は現在だけを生きてきた訳ではない。時空を越えて過去の家族との心を通わすことができる。それを仲立ちしているのが、長い時を一緒に積み重ね、やさしく見守ってくれた家の存在。その家の風景が家族の思い出とともにある。舞台となっている家も老朽し...唯一の物理的騒動であるが、父が登場しない家にあって5番目の登場(人)物のように思える。このお座敷公演は、その雰囲気にピッタリである。
ネタバレBOX
今、この四姉妹はそれぞれの生活を築いており、少し距離がある関係になっている。それでも会えば一瞬にして時が逆戻りする。そして、さりげなく近況も見せる巧みな演出。
さて、「人」という漢字は、背を向けるように2本の線が左右逆方向に払われながらも互いを支えあっている。他人とは違い、家族(母は亡く)...それでも姉妹は、日常的に会わなくなった分、お互いの近況が気になり、思いやりも増す。もっともそれが、お節介、煩わしいという反発を生むこともある。姉妹のキャラクターがしっかり立ち上がり、遠慮のない本音がぶつかり合う。観客(自分)は、それをそっと覗いているような感覚である。
公演によってキャスト(役柄も含め)が変更になるが、それにも関わらず濃密な会話が聞こえる見事な公演。
今回は秋バージョンということで、ホトトギスの花が咲いている。できれば、音響として、窓を開けたら雨の音、そして止んだら虫の音が聞こえたら...風情があったかもしれない。
次回公演を楽しみにしております。
ときのものさし
HOTSKY
遊空間がざびぃ(東京都)
2015/11/20 (金) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
心が揺さぶられる珠玉作
初見の団体...「介護」という説明文に興味を持って観たが、滂沱した。観る年齢層によっても捉え方に差があるかもしれないが、人はいずれ老いる。その時までどう生きるか...この公演でも特別な出来事は起きない。ただ坦々と日常の生活が...しかし、だからこそ身近で味わい深いものがある。
芝居の魅力は波瀾万丈か、虚実皮膜の世界を描くだけではない。その物語性も大切であろうが、芝居の丁寧、細密にもその魅力を感じる。本公演は言葉に力強さがある。その輝く台詞が公演全体を覆いつくし観る者の心を揺さぶる。
なお、認知症が進むと言葉が少なくなるが、そこに演出の工夫が…。
ネタバレBOX
介護施設「緑風荘」にいる母は認知症が進み、息子や嫁、孫の名前まで忘れがちである。自分の思いは、「後悔先に立たず」という諺があるが、本当にそのとおりであると実感した。認知症になると会話が著しく困難になり、意思相通が難しくなる。公演では「こえ」という役柄があり、無音になる芝居を観(魅)せていた。
また、公演の構成の巧みさに感心させられた。約60分という短い上演時間を前半・後半に括り分け、その前半...心の彷徨は、既に故人となっている離婚した夫、実妹に向けられる。その会話は方言や標準語が交わり愛らしく聞こえる。丁寧な展開の中に深い思いやりが見てとれる。今になって言える、または聞かされる本音の数々。”生きてきた”という実感がこもる。
後半...実の息子夫婦との関係は、自分の覚束ない記憶への諦め、苛立ち、息子への気遣いが痛いほどわかる。親密(親子)であれば向き合いたくない現実がある。その突き放したような描写が切ない。
この”夢・現”で繰り返し呟く言葉...胸の中で自分の支えとなる「しょうがないね~」は、”自分を許すお守り””大事な人を安心させるおまじない”という。慎ましやかな響きは、彼女の人間性をしっかり印象付ける。
最後に「認知症は、英語でロンググッドバイ」というそうだ。長い別れであるが、大切な思い出もたくさん残してくれた。そんな余韻を感じさせる見事なラスト。
次回公演も楽しみにしております。
家族カタログ
B.LET’S
小劇場 楽園(東京都)
2015/11/19 (木) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
ゲネプロ拝見
「雨降って地固まる」という諺があったが、この公演は”台風が来て血固まる”ような家族再生の物語。もっとも固まるのは結束というか、その思いやりという目に見えない”気持”。家族だから知っている、しかし案外知らないことも多い。そして時として鬱陶しくなる存在をしっかり感じさせる。
BLET’S得意の会話劇が、楽園という小空間を濃密に満たしている。それは観客(自分)の心にも面白いという満足感を与えてくれた。
ネタバレBOX
梗概は、向井醤油専門店(家族)の濃口ならぬ恋愚痴の話…始まりは三女・友布子(如月皐サン)が付き合っていた男が二女・友美(永島広美サン)と結婚し、その当時、家族内でしっかり話し合わなかった結果、三女が家を飛び出した。その憎悪ある三女が法事で帰ってきたことから騒動が起こる。家族という内に現れた台風は激しい爪痕を残し、一過した後は…。
上演後に書いたアンケートを見ると、この2~3年の公演はほとんど観ている。脚本・滝本祥生 女史に作品の良し悪しを聞いても、多分どの作品も思い入れはある、と答えるのではないだろうか。脚本を書くことは子を産むと同じようなもので、大変なことだと思っている。子にもそれぞれ特長があるように、作品にも...。
本公演は、家族という内側の世界を描いており、現実的に考えれば、特異な出来事(事件)を展開するのは難しい。その意味でありそうな話を愛憎表現で牽引しているため、スリリングさは感じられない。また暴露話の応酬に終始しそうになるが、家族ともなれば内輪の思い出や出来事が頻繁に出て来るのは当たり前かもしれない。ここが他人との会話の違うところだろう。
全体は予定調和のような気もするが、二女が三女に向かって「将来、私の前に現われないで!」という本音が怖い。そこには姉妹を超えた、人間(女)としての感情が顕になっている。この公演は演出・演技で見せる”常識や理性で律しきれない思考や感情”表現が素晴らしい。
さて、作品(子)は、他人(観客の自分)から観ると、「春の遭難者」のような社会性が垣間見えるのが好みである。例えばこの作品でも、不景気にも関わらず商売が成り立つ老舗...世間の目、悪い噂のような、家族外との関係、影響はどうであったのか気になる(視点が散漫になる危惧はあるが)。
次回公演を楽しみにしております。
あたしのあしたの向こう側
トツゲキ倶楽部
d-倉庫(東京都)
2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
パラレルワールドが…
人は色々な選択や判断をして生きている。それが間違った選択だとしても過去は変えられない。SFの世界ではない…いや芝居なのだからやり直しは出来る。そんな別次元の自分が目の前に現れる。
これから起こる不思議体験は…。
ネタバレBOX
交番内の一場面...舞台セットはその後ろにピラミットのような階段。
交番勤務の警察官が「パラレル宇宙論」という雑誌を読んでいるところから物語は始まる。
時空管理をする組織(局)の誤作動により、パラレルワールドが出現する。その結果、現在の私も含めて9人(同じ名前のため女1~9という番号で識別)の自分が現れる。私以外の自分の存在が理解できないという不思議感覚。そこで起こるコミカル騒動は、笑いが渦巻くにも関わらず哀切を感じてしまう。選択が違った結果、ベクトルが拡散し勝手な会話(思い出話)で収拾できないかと思われたが、あることをキッカケに収斂していく。過去に選択した結果が今の私...しかし、今の私はやりたいことが分らない(明確にできない)。恋人と思っている人との関係も進展しない。もどかしく思う過去の自分たちが今の私を叱咤激励する。
女優9人が同一人物であるにも関わらず、個性豊かに”私”もしくは”自分”を演じる。特に女5(前田綾香サン)の存在感、女9(佐竹リサ サン)のコメディアンのようなストーリーテラー役は秀逸。まさにシャレではないが、5(ゴ)・9(ク)=極上の輝きである。そして、この女優陣を始め、取り巻く登場人物の生き活きとした演技力がこの公演の魅力だと思う。
気になるところは、時事...政治ネタが少し強引のようで白けてしまいそう。例えば「地域紛争の後方支援に行ったきり帰ってこない」とか、もうワンフレーズくらいのほうがインパクトがあり、印象にも残るのではないか。
最後、女5が着ている「青幕」のような服が悲しい...余韻のある見事なラストシンーンであった。
次回公演も楽しみにしております。
音無村のソラに鐘が鳴る
演劇企画ハッピー圏外
TACCS1179(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/19 (木)公演終了
満足度★★★★
最先端科学技術を緩く…
物語は、最先端科学技術の話題であるが、その観せ方は軽妙コミカル。また舞台セットもその演出の延長線上にあるようなマンガに出てくるようなもの。
公演全体の雰囲気は、ハッピー圏外らしい温かみと優しさに包まれている。現実の宇宙開発事業はロケット発射場のある自治体、政府機関、民間企業における様々な思惑が絡むようであるが、この公演でもリアル社会を投影しているような...。
ネタバレBOX
梗概は説明引用させてもらい「民間・音無宇宙開発局はロケット事業の岐路に立たされている。 それまでの無人探査衛星打ち上げから、 宣伝目的の名目だけの有人ロケット開発への移行を迫られていた。 技術、費用、人材、時間不足など、とっても不可能な状況。 局員もやる気を失いかけるが、音無宇宙開発局へやってきた青年により事態は急変する。」という。
さて、芝居には細かい疑問等が多くある。例えば青年の正体は、なぜ前科者ばかりが集まっているのか、この人数で遂行できるのか、さらに言えばあんなに簡単に脱獄できるのか...等々。
しかし例えば、母親の胎内にいる赤ん坊が足蹴にするとお腹が凹凸するように、胎内という宇宙の中で暴れているのが「ハッピー圏外」という劇団であるとすれば、大きな流れは大切にしつつ、些事と思えるようなところにも工夫を凝らしもっと大きく成長するだろう。その結果、遊び心という自由”度”は縮小しないでほしい(スケール感は大切)。
このロケット打ち上げ...宇宙開発には軍事戦略、テロ対策という国家的側面と軍需産業、宇宙産業という資本市場がしっかり観える。この社会的な問題の捉え方が鋭く、一方人間の優しく人情という味が感じられる。この”鋭く 緩い”公演は面白い。
ちなみに、ある新聞によれば、観劇した2015年11月には今まで打ち上げてきたロケットを改良し、人工衛星に優しいロケットを打ち上げる予定であるとか。その意味で、脚本・演出の内掘優一 氏の先見性に驚かされる。
次回公演を楽しみにしております。
メガネ温泉
劇団オンガクヤマ
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★
行ってみたくなる温泉
未見の劇団であり、温泉での会話劇というシチュエーションに興味を持った。その話は面白いしテンポも良い。温泉に浸かっているような心地よさを感じる。このメガネ温泉の効能が舞台正面に掲げられているが、本当にあったら行ってみたい。このステージカフェ下北沢亭という小さな空間が、本当に温泉宿の一空間を醸し出している。簡素な作りであるが、そのイメージ作りは見事である。
また、制作サイドの対応も気持ちよい。宿のおもてなしを受けるようだ。このカフェのトイレは出入り口の反対側の奥まった所にある。トイレに行く際、舞台上を1~2歩 歩くことになるが、その面にはバスマットを敷くなど違和感のない工夫が施されている。また上演時間は60分という案内であり、その通りであった。時間を守るということは前提にしつつ、自分は多少の開演・終演時間の誤差は気にならなかった。せっかく温泉に来て、のんびりとした時間を過ごすのだから。
良い点が多いが、自分の拘りとして気になるところが...。
ネタバレBOX
梗概は説明抜粋...「温泉効能を知ってか知らずか訪れた一人の女。彼女は どうしても譲れない事情を抱えていた。そこに居合わせた3人の男。 メガネ温泉の湯上り処で、複雑な事情が交錯する。」というもの。登場人物は4人(女1人、男3人)で、女がニット帽を被った男が脱衣所から出てきたことに興味を持ったことが始まりである。その後に現れる男との会話...恍け、誤解、思い込みなど、会話のズレが面白く描かれる。その組み合わせは「男・女」「男・男」「男3人」「全員」という全てのパターンを観せる。
舞台セットは、中央に腰高さの畳縁台1つ、上手は男女浴場暖簾、下手は渡り廊下のイメージである。正面壁にはメガネ温泉の効能が掲げられているが、普通の「腰痛」などの他に「失敗」「失恋」「ストレス」などの文字がある。そして小物はメガネ温泉の名入り手拭、団扇、牛乳瓶のラベルなど細かいところにも配慮している。
脚本や演出、演技も恍けイラッを感じつつも温かく見守ることができる。全体を通じて好印象であるが、自分の拘りとして冒頭シーンのキッカケが不自然過ぎる。違和感がある姿で脱衣所から出てきても、あそこまで興味を示すだろうか。そしてニット帽の意味するところが終盤近くになって明らかになる。この伏線への工夫があってもよかったと思う。
この温泉の近くに霊験あらたかな神社があり、それに対するフェティシズムのようなものらしい。効能と同じように、この近辺の観光案内を貼るなど神社の存在を示めせると思う。
先にも記したが、公演(制作サイド含め)は丁寧で、内容的にも面白い。
次回公演を楽しみにしております。
ニホンオオカミはいなかった
十七戦地
小劇場 楽園(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
多角的な思考
表層的な話は「ニホンオオカミ捏造詐欺事件」の顛末が中心であるが、その物語が進展する中で、生態系、自然環境など現代人が考えなければならないテーマが織り込まれ、複眼的に問題提起しているようだ。
本筋は、次の展開を待ち望むようなスリリングさ、テンポ良く観せ飽きさせない。そして登場人物は本当に必要な役柄のみ。その人物像もしっかり性格付されている。
クリミナル・ホームドラマ...それは骨太の内容であるが、観せ方は巧緻である。
ネタバレBOX
梗概は、福岡県の林業一族・辻交(つじかい)家の当主が亡くなり、広大な山林が遺された。同時に莫大な相続税を課せられるが、その納税に”ニホンオオカミの目撃談”をでっちあげ、研究機関や財団から「ニホンオオカミ保護基金」を詐取するが、その足元では破滅の影が忍びよる、というもの。
ニホンオオカミは明治時代に絶滅したといわれている。食料(家畜)被害を防ぐため捕獲し続けた結果だという。しかし、現在では鹿による食物被害が深刻になっているという。本来、鹿の天敵であったオオカミがいないため動物の生態系がおかしくなっている。
ちなみに、観劇した日のある新聞の記事...他国での話であるが、オオカミが馬を常食している。村人は馬が捕食されても放置しているという。実はオオカミを保護している。ヨーロッパオオカミは絶滅の危機に瀕している。野生馬がいればオオカミは無理して羊や牛、鶏を襲わない。馬は肉も多くは取れないから、犠牲にし他の家畜を守ると同時にオオカミの絶滅を防いでいると...。
他方、山林を育てるには50年以上必要で、伐採したら将来その(木の)恩恵を享受することができない。先祖代々守ってきた林木...所有権は辻交家にあるかもしれないが、目先の対応(欲)で将来の自然(環境)は保たれるのか。
この公演では、相続(税)という期限のある事柄を上手く利用し、緊急かつ切迫した状況を自然に作り出している。無理なく進む話、一定期間内に決着させる必要があるための山場作り。しっかりした脚本に基づく観せる演出は見事であった。特に食事シーンは登場人物を一堂に会させ、その役割セリフを言わせる。その濃密な会話がその場の空気を引き締める。
この公演は物語の面白さと、そこに内包している数々の問題を投げかけているようだ。語弊があるかもしれないが、芝居という見世物に知的な問いかけ...実に見事な公演だと思う。
次回公演を楽しみにしております。
【追記(2016.1.9)】
東京新聞に次の見出記事が掲載
「ニホンオオカミ 信じて探す」
早大探検部OB
「百十年前に絶滅したとされるニホンオオカミだが、その生存を信じ、調査を続けている民間グループ「ニホンオオカミ倶楽部」(東京)が、、新たに三重県松阪市の山中で調査を開始する」...と。
国際共同制作ワークショップ上演会
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/14 (土)公演終了
満足度★★★★
濃密な…
三作品の共通した訴えは、平和の希求のようであった。
台湾、インドネシア、フィリピンの三チームが「雨」という共通テーマで創作した小作品(15分)の上演と各演出家のアフタートーク。
テーマ「雨」の選定は、アジアの国の人々にとって「雨」とは、また「雨」が惹起する情感もさまざまだろう。同時に、人が水を飲まずに生きていけない以上、どんな人間にも「雨」が根源的に大切なものであるという感覚は共有されている。
「雨」をめぐって、お互いの差異と共通性を見つけてゆければ...と主催者は語る。
ネタバレBOX
台湾「焦土」
焼け焦げた大地に囲まれた村で、日常生活を送っている。雨を待ち望んでいたが、雨は焦土をつくり、恵みの大地もつくる。そこには「世を蓋うのも功労も、一個の矜の字に当たり得ず。天に弥るの罪過も一個の悔の字に当たり得ず。」というらしい。
す
インドネシア「ペットボトルの中の雨」
雨は空と大地をつなげる神聖なもの。ジャバとバリの神話によると空は男性、大地は女性。それをつなげる雨は命を創造する。近代社会とパフォーマーの雨に対する個人的文化的経験をつなげ、断ち切りたい。声と体の動きの力を共に探っていき、言葉に頼ることなく何かを伝えたい。
フィリピン「TERU TERU!」
フィリピンの神話の中の雨は、自然への畏敬の念だけではなく、生きるとは何かということを伝えている。神話は語り継がれ、自分たちが誰なのか分からせる。しかし、気候変動により雨に対する受け止め方が激しく変化してきたのはなんという皮肉か。神話そのものが変化しつつある。大雨による洪水に関するアジアの神話を見せたいと。私たちはどこにいるのか、生きるとは何かを考えたいという。
いずれも素晴らしい”種芋”で、これがどう育つのか期待したい。
『黄金のごはん食堂』
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
「米」は文化…
「アジア舞台芸術祭」は、「アジアの若い演劇人が出会う場所」として構想された、国際コラボレーションの“土俵”だという。
さて「黄金のごはん食堂」は、昨年の「国際共同制作ワークショップ」(15分)で上演したフルサイズ版である。
この公演は、食を通じて自由と管理、裕福と貧困(飢餓)という構図が見える。近未来の不確かで不安定な社会が透かされるようであるが、ラストには一筋の光が...。
ネタバレBOX
場面ごとに時間と場所が異なるが、基本的には2050年(職場・戦場)、2048年(職場・食堂)、2010年(自宅)の三つの時代である。それによって観客の意識が混乱することはないだろう。
この公演は、食べることは生きること、人と繋がること、幸せが感じられること...そんなイメージを持つものであった。
最近、「食」をテーマにした映画「東京ごはん映画祭」(2015.10.31~11.13)が開催されていた。世界には「食」を切り口にした映画祭がいくつかある。生命に直結した物であり、それを題材にしたこの芝居は素晴らしかった。
梗概は、2048年の食事情は管理・統制下にある。私・さんしろう(猪俣三四郎サン)は、食堂で働いている。その「食堂」の食材は従業員たちが窃盗している。
2050年には食料不足で強奪行為が横行している。妻・もえこ(小山萌子サン)が病気、一人息子・ゆうた(遠藤祐太朗サン)は革命軍のリーダー。途方にくれる主人公...この時代のシーンは鮮烈。息子は戦車で轢殺、妻は拉致途中(頭陀袋のような中)餓死する。この母子の死の演出(ナレーション)が印象的である。
2010年新婚当時の我が家。その追憶シーンは「食堂」への就職が決まり、妻が懐妊(息子)する...幸福期である。
この世界共通にある「食」を通じて、不平等・理不尽さが鮮明に描かれる。そこには特定の国・地域ではなく、普遍的な問題として強く主張しているようだ。
ぜひ、このような企画を続けてほしいと思う。
Popn' Mad Effecter
踊る演劇集団 ムツキカっ!!
d-倉庫(東京都)
2015/11/12 (木) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
エンターテイメントな…
芝居とダンス...観せると魅せるを融合したような公演である。時代背景がはっきりしないところが気になるが、話の内容はきわめて現代的、というか近未来の出来事を暗示しているようだ。上演時間2時間20分は少し長いようであるが、飽きることはなかった。
ネタバレBOX
大学の「忍者研究会」メンバーが忍びの里を訪れるところから物語は始まる。メンバーの一人がその里(忍者)出身であることから、案内役となっている。通常であれば忍びの里に一般人を招き入れないところであるが、そこにはある目的が...。忍者が持っている”癒しのような力”、その効能を取り込んで治験に利用する。この物語の中心となる兄・姉・妹の三人の間にある生き方に対する確執、それが研究会メンバーを巻き込んで騒動になる。この効用をめぐり善悪の考えが披瀝される。善の考えは平和利用、悪は混乱を招き、結果的に人口減(これ以上の人口増を抑止)をもくろむ。
この効用...最新医療で話題になるゲノム編集技術を連想した。遺伝子変異を人工的に作り出し、治療に生かす試みが始まっている(例えばダウン症の研究)。そのための臨床試験(治験)を行い、健康な人や患者に投与して安全性や有用性を調べる。まさに忍者の特性、という効能を利用する手法に似ている。その利用は、人間の心(善悪)で決まるというもの。
本公演では、社会性...科学の発達に関わる功罪、また自然環境の保護をテーマにしているが、それを直接セリフで説明している。言葉にするとその範囲での受け止めになってしまい、せっかく広がりのある訴えが小さく感じられる。その観せる工夫がほしいところ。
また、公演の特長...演技とダンスの楽しみについて、別々に捉えコラボしているようであった。観客の好みもあろうが、公演全体の統一感がほしいような。例えば、和の忍術を表現するダンスは、その衣装が中東のベリーダンス風、モダンバレエをイメージさせる白衣装など調和が感じられない。
また、ラストシーン...忍者研究会メンバーの一人とその子孫(5代目と8代目という時代差)が邂逅するが、その衣装に時代の差が感じられない。
些細なことであるが、公演のエンターテイメント性の豊かさを考えると、物語の面白さに比べ、それを観(魅)せる調和・親和性が足りないように思え、勿体ない。
次回公演を楽しみにしております。
ラバウル食堂
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
市井の中で…
市井の暮らしを通して、戦後の歩みとどのように向き合ってきたかを考えさせる秀作。今年(2015年)は戦後70年であり、そのテーマで多くの演劇が上演されている。本公演では、食堂を開店(ラバウル食堂という店名)した理由が明かされるが、そこには戦中・戦後を通じた悲話が...。
ネタバレBOX
この食堂を開店した故先代店主は、戦時中にラバウルで調理兵(軍隊での正式名称は別)として従軍していたが、病のため帰国することになった。その際、多くの戦友から家族などに宛てた手紙を託された。戦後になり一軒一軒尋ねて手交していたようだが、それも限界になった。そこで逆にこの店名にすることで、遺族等に知ってもらいたいと。
この心温まる逸話とシャッター商店街と言われる地域の街興しを絡める。その手段としてローカルTVが協力することになり、取材などが始まり関係者が狂喜する。その騒動がコミカルに描かれる。登場人物の全員が善人で展開する人情話は、坦々とした日めくりカレンダーのようであり、その日の暮らしを覗き見るようだ。
人は自分が見ている事象からしか現実を判断できないと思う。同じ時代・社会に生きていても戦争・紛争などが見えない人がいるかもしれない。先の戦争が始まる前も、多くの人は悲惨な戦争を予感することなく、日常を過ごしていたことだろう。
この公演では、身近な暮らしを切り取って描いているが、その街は常に変わり、愛着ある風景がリセットされる。そんな不安を抱えつつも明るい未来を模索する人々の姿が見える。
公演全体を通じて、芝居という「箱庭的な世界」を心穏やかに覗いているようで、実に楽しいひと時であった。
次回公演を楽しみにしております。
悪魔はいる
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
不気味な…
輝く言葉、印象的な台詞が散りばめられており、メモしたくなるほどだ。ワクワクドキドキして観ていたが、段々と胸の底に澱むものを感じる。その正体不明の”何か“が分かるように導く演出が妙である。
この「悪魔はいる」の状況は、今年(2015年)出版業界のみならず世間を騒がせた”アレ”のことを思い出してしまうのは自分だけであろうか
ネタバレBOX
回転しないミラーボールがシャワーだとすれば、言葉は珠で溢れ、台詞は「空がわたしを呼んでいる」など魅力あるフレーズが降り注ぎ、実に気持ちよい。
公演梗概は、中小出版会社が発行した書物か記事が原因で、その被対象団体?から圧力、妨害さらには破壊活動へエスカレートする恐怖。それから逃避するように、現在(水商売を行っていたと思われる廃店舗)の場所に居住している。
舞台セットは、中央上手寄に長ソファー、テーブル。テーブルの上は酒、ツマミなどが散乱している。上手には別場所への出入口、また下手側にはテーブルがあり、その奥の壁に「不夜城」の文字(看板か?)が見える。この退廃的な雰囲気が閉塞感を漂わせる。そして、キャストは、この場(末)のようなところに似合う表情...沈鬱、憤怒、諦めなど、その立場をくっきり現すような演技を観(魅)せる。そして台詞、ここでは言葉といったほうが合うかもしれないが、その丁々発止が見所の一つであろう。
さて、その圧力等を受けることになった”標的...書いた内容(本)”はどのようなものか。あえて明確にしないような、暈けるような的に向かって「言葉」という矢を射るようだ。言葉は発した瞬間に消えてなくなり、聞いた者は瞬時に受け止める。その言葉によって人の感情は動く。それゆえそこに「悪魔はいる」かもしれない。
この公演の主体は、「言葉」なのか「文字」なのか、出版会社と出版物が物語の中心のようであったが...誤解であろうか?
そして、アレとは「絶歌」(元少年A)のことである。もちろん本公演とは関係ないのであるが…。
次回公演を楽しみにしております。
ストリッパー薫子
BuzzFestTheater
シアター711(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
タイトルとのギャップに驚き
この公演の最大の魅力は、エロチックなタイトルと物語の脚本、コミカルとシリアスな演出のギャップ...その感情振幅が大きく、良い意味での裏切られが印象的である。芝居の画一化といえば大袈裟であるが、例えば悲劇・喜劇は、泣き・笑いという感情表現が片寄るような観せ方になる。自分もその流れを自然に受け入れていたと思う。
しかし、このリップ座公演はエロカワイイと人間の深淵という異質な状況を見事に融合させていた。
ネタバレBOX
梗概は、説明文から「ストリッパー薫子に近付く、テレビマン・岡本は、 『貴女のドキュメンタリー映像を撮らせてください!』」と懇願する。だが、薫子の心の奥底には、今でも深い深い傷跡が残っていた。 岡本は彼女の闇を消し去ることができるのか。そして岡本の真の目的は、薫子の父(実は養父)が大手芸能事務所代表で、その力で所属事務所にいたお子元の妹を甘言を弄し陵辱した上で自殺に追い込んだ。その復習のために近づいてきたと...。
そして、薫子自身も幼き頃に父から受けた心の傷...その結果、多重人格を形成する。サイコサスペンスの様相を見せるが、その描きはユーモアとグロテスクなシーンが交差し、観ている者(自分)の感情を揺さぶる。
ストリッパーという華やかな表舞台、一方哀愁、焦燥が漂う裏舞台は楽屋である。その両方を舞台セットとして見せる。表舞台(非日常)は、スポットライトを浴び回転盆の上で艶かしく踊る姿態(肢体)。楽屋は化粧台、長椅子、ロッカーなどが乱雑に配置されている。それが現実(日常)生活を物語っている。ここでも非日常と現実(虚実)というギャップを見せるが、まさに薫子の心の多重性を暗示しているようだ。
この公演は、職業こそストリッパーという設定であるが、悲喜こもごもの人間ドラマが垣間見える。
なお、ラストは映画「監督失格」(2011年制作)に見るような悲しい結末であるが、しっかり余韻(ナレーション、音楽)を感じさせる見事な幕引きであった。
次回公演を楽しみにしております。
泥花
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2015/11/05 (木) ~ 2015/11/12 (木)公演終了
満足度★★★★★
凄い...人間の逞しさ!
炭鉱三部作の第二弾...単に真ん中という位置付けではない。この作品は戦後の混迷期の社会情勢...炭鉱街を背景とした国策・資本と労働という階級闘争を描く。その一方で炭鉱ヤマ主の姉妹弟たちの人としての生き様が力強く表現される。その両方がしっかり融合した内容になっており骨太であり繊細でもある秀作。
その底流には戦後日本が逞しく復興していくのだ...そんなメッセージと希望が感じられる作品でもある。
それを象徴するかのようなラストシーン...凄く逞しい。
ネタバレBOX
戦後の混迷期に炭鉱という街で危険と隣り合わせで必死に生きてきた人々。舞台には、国策としての「石炭増産運動」と資本(企業)の「祖国復興ノ為ニ 石炭ヲ堀リマショウ」の檄文が掲げられている。また舞台一面に向日葵の花。
冒頭は炭鉱ヤマ主である父親が落盤事故の責に耐えられず失踪し、姉妹・弟が残されたシーンから始まる。その後、親戚宅に身を寄せることになる。この場面が一瞬のうちに転換する。このひと夏の姉妹弟の生活を中心にするという焦点を絞った演出が見事である。この夏に経験する出来事が今後生きていく上で重要な意味合いを持たせている。
炭鉱ヤマ主の子供ということで、裕福な生活を送っていた。本当に働くという意味すら知らなかった。親戚宅にいる時に、父親の炭鉱で働いて命を落とした人の息子と出会った。その人物は労働運動に身を投じることになるが...。
この登場人物において、資本(雇う側)の家族と労働(炭鉱夫)という対立構図を自然に描き込む。
しかし、この芝居では”恨み言”という、人間の持つ嫌らしい面ではなく、「泥花」という炭鉱に生きた人に共通の言葉を少し謎めかして興味を惹く。この「泥花」こそ、炭鉱で働く人の守り花だという。
何回も繰り返される「石炭は人間の苦しみと悲しみ」「機関車は苦しみと悲しみを食って走る」など、石炭に対する”恨み言”のようでもあるが、ラスト近くに「泥花」は泥が花(石炭)に...その恩恵をさりげなく、しかし理由は明確に言う。そしてその花は幻で、その花を見た者は願いが叶う...しかしそれを見るのは人間が死ぬ間際で、それは美しいとも。まさに死と隣あわせである。それ故、その詩的な台詞が愛おしい。
公演全体を通して、当時の社会世相...特に炭鉱を中心に形成されている街で働き、生きている人々を優しく観ている。しかし現実の社会は厳しい。
だからこそ、タイトルに込めたメッセージ...「泥花よ咲け、今日が駄目ならまた明日、泥花よ、咲け」が輝く。
本作にも機関車(「DOROBANA51」号)が疾走し、それがラストシーンに繋がる。また、機関車の見せ方も「オバケの太陽」のように正面ではなく、横向きにするなど工夫と変化を持たせる。
ラストシーン…舞い落ち花吹雪の中、ハジメが正面(客席)に向かって両腕を大きく振り、足を踏み鳴らし力強く歩く姿が、日本の復興に重なる。
次回公演(泳ぐ機関車)を楽しみにしております。
我が名は桃
タッタタ探検組合
ザ・ポケット(東京都)
2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了
満足度★★★★
らしい公演...面白い
童話「桃太郎」のパロディであることは、タイトルと梗概によって明らかであるが、そこはタッタタ探検組合の公演である。この昔話(鬼=悪という構図)を真逆から捉えるという新たな視点で観せるところに並々ならぬ力量を感じる。
その描きようは鬼(牡仁)の目(立場)から人間社会を痛烈に批判(皮肉)したもので、実に観応えがあった。
ネタバレBOX
時代背景は、まだ朝廷が地方豪族を抑え切れておらず、豪族同士の戦いも絶えない。そのうち有力豪族と朝廷のみが生き残っていた。桃たちが討伐軍となって出向く牡仁一族支配地には、多くの金銀財宝、それに不思議な力を秘めた神が祭られている。
それらを狙い人間(権力者)が蠢く。その醜悪な姿は人間の本性を現す。平和に暮らしている牡仁一族からすれば退治(討伐)されるのではなく、人間と対峙(専守)しているだけ。この攻防の観せ方が、殺陣等の斬り合いではなく、現代的表現にすればスポーツでの決着をつける。この見せ場は、単純明快で分かりやすく、それでいて清爽の気がみなぎっていた。
そのスポーツは相撲であり、牡仁氏と人間が正面から取り組む。その観せ方に工夫(上部から俯瞰するイメージを持たせるため、数人でキャストを真横に抱え上げる)して一種の立体感を演出する。
舞台セットは、地方巡業のような土俵と幟が作り込まれていた。
ちなみに丸い土俵は江戸時代からではなかったか?
斬新な視点での脚本、観(魅)せる演出は実に見事であり、各所にあるアイデアはいつも感心させられる。ともすれば教訓のような臭さも出そうであるが、そこはキャストのコミカル・遊び心あふれる演技で、消臭している。
子どもの頃に聞いた昔話...仮にこのような話であったなら、と視点を変えるなどすれば、物事は違って見えるかもしれない。何が真実か、重要かなど、自分の考えをしっかり持つ...そんなことを改めて思ったりした。
最後に気になったこととしては、オープニングの映像が少し長いような。
次回公演を楽しみにしております。
八重咲ク
劇団KⅢ
d-倉庫(東京都)
2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了
満足度★★★
もう少し説明が...
架空戦国時代における積怨・復讐の連鎖と繰返し、そこに人間の正邪心の葛藤、または理性と感情の相克が描かれる。本公演は三部作のうち、第二部にあたるという。前話との繋がりの説明がないと分かり難いと思う。登場人物が多く、この公演から観るとキャストの素性と立場の整理が必要になる。相関図が書かれた当日パンフがあるとよいのだが。
気になったところは...
ネタバレBOX
冒頭この物語を動かす人物が登場し怨嗟を語り、その結末がラストシーンになってくる。物語は単純な勧善懲悪ではなく、現れる集団(グループ)の現在における対立軸と過去の因縁が無条件(説明なし)で示されるため、ストーリーを追うことだけに終始してしまう。さらに人の魂を喰らう”鬼”も出現し、戦場を跋扈する。乱世を平定する、そんな崇高な理想は現実の戦闘(殺人)という非道な行為の前でどう気持に折り合いを付けるか。その心の在り様によって自分の中に鬼が棲むことになる。このリアル集団という複対立軸、歴史という時間軸、気持の葛藤という心軸が場面ごとに錯綜するため混乱する。
一方、衣装・化粧などのビジュアル面とアクション・殺陣は迫力...と言いたい所であるが、殺陣に関しては場面に巧・稚があり、その実力は均一化できていない。殺陣は連続したシーンとして構成しているが、そこに濃淡が出ては勿体無い。脚本が分かり難い分、観せる部分で芝居を牽引してほしかった。
一番気になったのは、脚本と演出・舞台美術がもう少し有機的であれば...。
この舞台セットは、城壁を思わせるような建屋(石垣をイメージ)、上・下手の階段状になっているところには唐草模様が見える。また大きく「丸ニ山桜」の家紋が掲げられているが、その花弁の一つが朱色である。自分のイメージであるが、それは血塗られているようだ。色鮮やかであるが、不吉な感じもある。物語全体を印象付けているようだ。
この公演、物語(背景)は大きなスケールで描いているようであるが、その壮大感が表現しきれていないため勿体無い。
次回公演を楽しみにしております。
桜の森の満開のあとで
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/10/31 (土) ~ 2015/11/10 (火)公演終了
満足度★★★★
白熱した机上議論
近未来における日本の地方都市の在り方を示唆するようだ。前提は、あくまで大学における授業であり、架空の地方都市という設定を確認しておかないと、現代の法制度などと整合性がとれない。
タイトルに惹かれて観劇することにしたが、直接的な関連性ではなくその背景に隠されている危うさ、悲しさが垣間見える。
ネタバレBOX
大学ゼミの卒業試験「モックカンファレンス」(通称モック)は、模擬会議のこと。この会議では一定のルールのもとに会議を進め、成績評価されるという。
この卒業試験は、集大成としてそれまでの年間成績がどのようなものであっても、この卒業試験で優秀と認められれば「A」評価になるという。
この大逆転の可能性が、この公演のドキドキ感を膨らませる。
卒業(モック)試験の題材は、高齢者から選挙権を放棄させる条例である。この街の状況が次から次に顕わになり、地元の危うさが露呈してくる。
ゼミ成績がかかっているため、利益代表役(例えば商店会、漁業連、農業連、行政職員)として喧々諤々と相手(賛成・反対)を論破しようと熱演する。
この議論は高齢者対策(高齢者の行政に対する口封じ)が声高に問われる。公演の表層とは別に、安保法(案)、原発、特別特区(正式名称別)...今日本が抱えている問題をしっかり考えさせる。学生議論を通じ観客にもその問題提起をしている。
この登場人物は指導教授(市長役)も含めて12名である。どうしてもこのシチュエーションだと「12人の怒れる男」(1957年・アメリカ)や「12人の優しき日本人」(1991年・日本)という映画を思い浮べてしまう。ここでも映画同様、全会一致が原則だからである。
物語を面白くするため、家庭の事情で大学に通学しなくなった友人を参加させ、単位を取らせる設定もある。事情とは、卒業試験という恩恵で単位が取得できるか、という興味を持たせる。実に上手い演出である。
ところで、個人的にはラスト...高齢者から選挙権を奪い、逆に若者は被選挙権を失うという動議のようなもの。一件落着のような...老人・若者の歪な平等感を説くが、若者は行政、ひいては為政への主体的な関わりから遠ざかるようであるが...。責任ある立場、それを牽制する立場などが必要であると思うが自分の勘違いであろうか。
最後に、タイトルであるが、坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」は、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、その寂寥感を書いたものだという。この公演でも切り口は弱者切捨ての発想のようであった。その象徴する言葉...姥捨...言い換えていたが本音といったところ。その響きは本当に悲しい。
終わってから、年代果林さんと話をさせていただいたが、総じて若い役者が多くて勢いがあるとか。生き活きと演じており好ましい。
12人ひと幕の濃密な会話会議劇は素晴らしかった。
次回公演も楽しみにしております。