タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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どつぼ

どつぼ

ナイスコンプレックス

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/04/26 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

市街発イマーシブ演劇…阿佐ヶ谷編。劇場<阿佐ヶ谷アルシェ>を結婚式場に見立て、観客は これから始まる結婚式の参列者という 没入と言うか体験型の観劇。観客(参列者)によって好みが分かれる公演。自分は楽しんだ派。
ちなみに イマーシブ演劇は、新郎が寺山修司を慕う劇団員という設定が妙。

ホームページにあるが、本公演の始まりは、阿佐ヶ谷駅前で北口(新婦側列席者)・南口(新郎側列席者)に集合し、阿佐ヶ谷の街を散歩しながら「結婚式の会場となる阿佐ヶ谷アルシェ」に向かう。散歩は新郎コースと新婦コースの2つ。先導する案内人(濱仲太サン)が、Zoomを使って 店や景色などに思い出や2人の出会いや抱えている悩みなどを説明しながら歩く。そこに結婚式会場で起こる事の伏線が散りばめられている。

結婚式を挙げる迄の苦労話。それは世界的な感染症「ゾンビ禍」で順延を余儀なくされたカップルの苦悩を、ナイスコンプレックスのコンセプトである「実際にあった事件をモチーフに描いている。現実にあったであろう事を観客に体験させることで知ってもらう」を意図している。まさしく劇場のみで完結するのではなく、観客の脳髄に作品の一瞬を焼き付け残したもの。

説明にある「結婚式を控えていた普通の人間。全ての準備が整ったその時、世界は『ゾンビ禍』となる」は、どのような状況下か 容易に想像がつく。公演の結婚式は3回目という設定---延期・中止・決行中断、そして有り得ない事態への「慣れ」は怖いが、それでも人間は逞しい。そんなことを改めて感じさせる公演。
(上演時間2時間15分 散策含む)【新郎側参列者】

ネタバレBOX

寺山修司は、1975年4月に<ノック>と称し 阿佐ヶ谷近郊を劇場に見立てた実験演劇を行っている。閉ざされたドア、閉ざされた心をノックしてみる という謳い文句であったよう。
阿佐ヶ谷アルシェには何回も行っており 道順は知っていたが、改めて街中を散策してみると面白い。案内する場所---例えば、スナック ラスベガス等は公演に関わりがあることから、もう少し詳しく説明してもよかったかも(同じ場所に長く止まることは出来ないが)。

舞台美術、当初は新郎・新婦側の参列者という前提であるから 左右に分かれ椅子に座り、中央はバージンロード。物語(挙式)が進むにつれて椅子の位置やテーブルが運び込まれ 変形していく。

以降追記する
朝日に願え 春公演

朝日に願え 春公演

朝劇三軒茶屋1年ロングラン公演

三軒茶屋orbit(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めての朝劇 体験は新鮮だった。珠玉作。
説明にもあるが、この店のママで 私 馬淵愛理(守谷菜々江サン)の母が倒れ脳死状態。この脳死状態を巡り私と店の従業員 島崎貴明(佐瀬弘幸サン)、常連客2人--佐山香織(新野七瀬サン)・佐山浩司(世良佑樹サン)による濃密な会話劇。そもそも私以外の他人は、医学的または法的な建前という理屈、一方 私は唯一の肉親(娘)で色々な思い その感情が溢れる。相容れない理屈と感情の不毛な激論、その狭間で揺れ動く心、答えが出せない もどかしさ そんな整理出来ない心持を巧みに表す。

簡単に結論付けられない<生と死>の問題、その尊厳に係る会話は、あちこちに漂流し どこに落ち(辿り)着くのか関心を惹く。脚本 テーマは難しいが、演出はシンプルなもの。この会場(三軒茶屋orbit)をママの店に準え、激情した気持を落ち着かせるためにカラオケで歌う。観客は、ほぼ中央にある演技スペース(舞台+カウンター内)の周りに座っているが、その至近距離ゆえ臨場感は凄い。

上演前から 愛理は舞台上のクッションで寛いでいる。そして 唐突に店入り口から従業員、常連客2人の計3人が入ってきて 愛理と脳死に係る激論を交わす。当初、この人たちとの関係が不明であったが、だんだんと分かってくる。同時に親戚でもない 他人がここまで親身になって議論するのか、といった疑問が生じた。脳死を受け入れること、それは親族と他人とでは感情の度合いが違うのではないか。勿論、感情(精神面)だけではなく、病院(見舞い)へ行くといった肉体的な面、病院費用といった経済面等、諸々の負担があることは承知しているはず。ママが倒れてからの状況・経過が判然としないため、脳死の選択という<肝>の部分だけをクローズアップさせたドラマ。
(上演時間55分)【オールシーズン】追記予定

絶望という名のカナリア

絶望という名のカナリア

甲斐ファクトリー

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

第10回記念公演。面白い、お薦め。
人の生きる価値とは…。答え(解)があるような無いような漠然とした問い掛け、それを舞台という虚構性を通して浮き彫りにしていく。その独特の世界観が観客の関心と興味を刺激する。人間はモノではない、そこには喜怒哀楽といった感情がある。しかし物語ではモノ扱いのようで、世間の無関心であり哀れみといった光景が見えてくるようだ。

少しネタバレするが、物語は3つの場面で構成され 必ずしも夫々が直接的に交わることはないが、それでも交錯した展開といった感じがする。タイトルから想像はつくが、人生に「絶望」した1人の男を巡る狂気にして驚喜(語弊があるかも)、そして喪失と再生のドラマ。

現実にありそうなシチュエーション、そこに男の孤独・悲哀といった心情を描く。全体的に澱のような不快さ、そして滑稽でありながら どこか不気味な雰囲気を漂わす。公演の面白さは、脚本・演出は勿論、表現し難い情況をしっかり伝える役者の演技力であろう。見応え十分。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は 上手に幾つかの箱馬、中央には上部から照らし出した鳥籠。

第1に、主人公 鈴木カズオが籠から鳥を放つところから始まる。文字通り自己を解放するといった比喩のよう。物語では、解放=自殺といった描きで その行為寸前で止める。突然の闖入者による中止、そしていつの間にか カルト宗教(団体)へ入信していく。
第2に、アイドルグループを応援するため チケットや販促品の買取り等、金が要る。そのため出張風俗として稼ぐ。間違えて鈴木宅を訪れてしまうが…これが何度か続き少し親しくなる。風俗 闇バイトに潜む依存症のような不気味さ。
第3に、鈴木と或る研究施設で一緒だった女性が資産投資家になり、世間の注目を集めている。ある数式を用い運用に掛かる損益分岐又は高利回りが解明出来るような画期的なもの。しかし数式に不具合が見つかり、高配当が困難な状況へ。

物語は 3つの話を交錯させて展開していくが、必ずしも全てと繋げていない。現実にありそうな内容だが、それを都合よく纏め上げないところが巧い。逆に世間で注目を浴びるカルト的な宗教団体、若者が陥る闇バイト、ハイリスク・ハイリターンというマネーゲームという社会問題を切り口にして物語を紡いだ、という印象だ。そして中心に居るのが、鈴木という中年の男。数学に興味を持ち、それを生き甲斐と生活の糧(研究所勤務)にしてきた。その後を追い数学に没頭する女ー後の投資家 山崎ヒロ(東別府 夢サン)の憧れと嫉妬渦巻く心情が怖い。

未解決の数学問題、その解を発見することが生き甲斐であったが、先を越されてしまった。その喪失感・虚無感が生きる気力を失わせる。それが冒頭のシーンのよう。鈴木は未知のものに惹かれるよう、そこに宗教という得体の知れない、不思議な感性に惹かれたのか。数学という純粋学問を経済という悪還流と結びつける奇知。

ラスト、鈴木カズオは、飼っていたカナリヤに<ペレルマン>と名付け籠から放つが、それは嘗て挑んでいた数学問題を先に解いてしまった数学者の名。自縛していた気持を解放するといった比喩に思えるが。果たして このまま生き続けることが出来るのだろうか(鈴木は勿論、飼鳥が野生という現実も含め)。

本来 迷える者を救う宗教とその一方で殉教で財源を賄うための生命保険、そして更なる投資で富を築く。そこに人の生き様を絡め 怪しく虚しい人生観を垣間見せた力作。
次回公演も楽しみにしております。
花影

花影

臼井智希プロデュース

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

新撰組内の確執・抗争を描いた群像劇。特に近藤勇や土方歳三率いる佐幕派と伊東甲子太郎率いる御陵衛士との対立・抗争、山南敬助の隊規(局中法度)違反に伴う切腹など、史実を盛り込みながら<池田屋事件以降の新撰組史>を綴る。

新撰組を歴史---幕末という一時期に狂い咲きした徒花のように捉える。決して肯定しているわけではないが、それでも隊旗の「誠」に込められた意は、それを貫き通すこと。組織という枠は、時として 人の友情 繋がりを壊す無情なもの。物語は、藤堂平助と仲の良かった 晩年の永倉新八が記者に語るという回想形式で紡いでいく。

公演の見どころは、スピードと迫力ある殺陣・アクションシーン。型に嵌った殺陣ではないが、連続した力業とスピードで魅せる。特に土方歳三と山南敬助の対決は圧巻。当日「上演に関するお知らせとお詫び」が配付されたが、それには沖田総司役の志嶺雛さんが稽古中に怪我をしたため殺陣シーンをカットしたと。それでも違和感なく楽しむことができた。出来れば 新撰組一番隊 隊長の殺陣はどんなものだったのか観たかったな。一方 気になったのは、女優陣の声が小さく音楽が被さると聞き取り難くいこと。もう少し声量というか 力を込めた台詞(言葉)回しがほしい。

当日パンフに作 演出の臼井智希氏が、「新選組の史実には不明も多く、舞台はあくまで虚構ですが」と記しているが、だからこそ 逆に不明なところを想像し 描くといった面白さを観せてほしかった。例えば、山南敬助の隊規違反する迄の背景と心情の掘り下げ、伊東甲子太郎との考え方・方向性の違いを鮮明にする。史実の不明・曖昧なことを独創的に描くことによって、物語に幅と深みが出ると思うのだが…。
⭐4と思ったが、伸び代を考え 敢えて辛口評価
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 追記予定

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみ

MUSIC BAR道(東京都)

2024/04/20 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

<朗読ユニットさざなみ>は未見であったが、情感に溢れ 安定感ある朗読劇といった印象だ。今回は、宮沢賢治名著として3作品<①どんぐりと山猫 ②注文の多い料理店 ③よだかの星>の朗読であった。3作品のうち<どんぐりと山猫>は知らなかったが、なかなか皮肉と言うか辛辣なラスト。他の2作品は読んで知っていたが、朗読劇として聴くと、また違った味わいのある物語に思えた。小説は、自分の頭の中で平面的な空想を広げるが、朗読は役者の肉体(感情)を通して 物語が立体的に立ち上がるような感覚。さらにギターやフルートによる生演奏が情景を豊かにし、登場する者・物・モノが動き出すような躍動感が生まれる。

朗読するのは、小林千恵さんと中瀬古健さんの2人、演奏は 夜ヒル子さん。朗読は聞き取りやすく安定感がある。時に声色や表情を変え、物語に登場する者たちを息衝かせる。演奏は、朗読の妨げにならない程度の音(量)で賑やかさを出す。この絶妙なバランスが心地よい。

さて、ユニット紹介には「主に日本の近現代文学作品を表現する」とあり、「改めて日本文学を読もうと思ったのは宮沢賢治の『よだかの星』がきっかけ」とある。今回も「よだかの星」を朗読しているが、本公演では不思議と よだか が力強く生きていることが感じられる。勿論 よく言われる弱い者いじめや外見の美醜による差別といった 先行イメージを持っていたギャップによるものであるが、その状況に甘んじないといった何かが…。因みに、さざなみは2022年のコロナ過に結成とあり、云わば逆境の中での活動開始---その意気込みのようなものが朗読に影響しているのだろうか。

卑小、主催側の責任ではないが・・・。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

中央にテーブル、そして3人が横並び。どんぐりと山猫 の時にはガベル 、注文の多い料理店 の時には卓上ベルがテーブルに置かれる。それぞれの小道具は物語に関係したものであり、話を展開する上で効果的な役割を果たしていた。

さて、自分が聴いた回は、観客の中に長く咳き込んだ方がいて 気になった。さらにドリンクを床にこぼし、中央で録画(撮影)していたスタッフが急遽 床拭きをすることになった。全体的に静かで落ち着いた朗読劇、その中で集中力を欠くような状況になったことは少し残念。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
寂れた温泉街、閑古鳥が鳴く旅館・湯鳥を舞台にしたヒューマンドラマ。物語は、温泉街 旅館の活性化と街興しに絡んでの人間再起が交錯して展開していく。人の再起に関しては、それぞれの考え方 生き方を問うようなもの。表層的には面白可笑しく描いているが、地域興しや人への思いやりを通して、古き良き時代?を思わせる。

9-Statesの特長ともいえるモニターを活用した演出…言葉の持つ<力>を台詞と文字で聞かせ そして見せる。少し哲学めいているが けっして世迷言ではなく、心に刺さるような味わいがある。すぐに物語の内容や人物に準えて理解することは難しく、後になって反芻するようなもの。

物語は、生きることに疲れた男 西野海斗が主人公、そして彼をめぐる個性豊かな人々との交わりを通じて人の喜怒哀楽を高らかに謳う。誰彼が善・悪でもなく、人それぞれに立場や事情がある。それは本音でぶつかり合うことで解る、理屈ではそうなのだろうが そう簡単ではない。そんな問いかけ をするような描き方である。そこに この公演の強かさがある。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、旅館 湯鳥(ゆとり)のロビーといったところで、中央に帳場、その横奥は別場所へ通じる階段。上手は玄関に通じる通路---障子、暖簾、雪洞そしてベンチが見える。下手は少し高くし和室---卓袱台や座布団、更にその横に厨房へ通じる通路がある。上手下手の上部にモニターがそれぞれ設置されている。

物語は温泉街の復興と人間の再起…閑古鳥が鳴く旅館だけに出入りする客は一組の家族だけ。それ以外の多くは旅館の従業員。そして温泉街の活性化のために企画したのが小説の舞台になった この温泉地の聖地巡礼。その小説家の創作に係る考え方や生き方が旅館の人々ひいては温泉街の復興に絡んでくる。

小説家として名を馳せているが、実は当人ではなくペンネームを拝借している 全くの別人。自分の書きたい題材では売れない=小説家としての存在が認められない。一方、世間が求める題材と自分が書きたい題材とのギャップに悩み苦しむ。すべて編集者の言いなりで良いのか自問自答するが…。

温泉街の人々VS 小説家と編集者の双方の思惑が錯綜する。旅館の従業員 西野海斗(瀬畠 淳サン)は、元編集者でありペンネームを無断使用されていた小説家の担当であり恋人であった。小説家としての(自分)才能と世間の評価の狭間で悩む姿に人間らしさを見ることが出来る。結局は、世間に流されることなく自分自身を見失わないこと らしい。
次回公演も楽しみにしております。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

とても情感に溢れ、抒情的な朗読劇。
役者(女優)陣の朗読力は勿論のこと、全体の雰囲気作り‐‐‐音響・音楽、照明が物語の情景を巧く表現していた。少しネタバレするが、物語はチラシ説明(裏面)にあるように「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話から成る。この2つの物語は時間軸を隔てて関係している。何故 時間軸を違えて2話なのか、といったところが公演の肝。

「青春カルペディエム forラナンキュラス」は、高校3年の時の話であることから瑞々しい印象、一方 「魔女のお茶会 forスノーフレーク」はしっとりとした雰囲気を漂わす。役者が一部入れ替わることから、話し方や雰囲気が異なるのは 当たり前だが、2つの物語に共通した優しさは変わらない。そして それぞれの花言葉に込められた思いを紡ぐようでもある。

上演前から せせらぎを思わせる水音、そして朗読中にも水音や微風・涼風をイメージさせる効果的な音響。また情景を優しく包むかのように流れるピアノ音楽。照明は時間を表す、例えば 夕方(夕日)は茜色といった色彩。時々の照明の諧調が情景を、役者へのスポットライトは心情を見事に表す。
マイクを使った朗読であるが、聴き取りやすく しっかり物語の世界観に浸れる心地良さ。余韻と印象付けを意識したような演出に思える。
(上演時間1時間15分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

朗読劇として横並びに椅子とマイクが4組。
「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話は、20年という時を経ている。「青春カルペディエム forラナンキュラス」は高校3年生の時に転校してきた南野ベルシアと地元の森宮咲胡の純真 繊細な友情を抒情的に描いている。「魔女のお茶会 forスノーフレーク」は2人が卒業して20年の時を経て邂逅するような展開かと思っていたが、実は違う人物。しかし この設定のほうが心に響く。

ベルシアは 父親の転勤のたびに転校を繰り返し、友達が出来ても すぐ別れてしまう。その淋しく虚しいを思いをしないため、敢えて友達作りをしない。しかし咲胡は、ベルシアのそんな気持を知らず、彼女に関心を示す。そして いつしか2人は親しくなり卒業を迎える。ベルシアは父の元へ、咲胡は刺激を求めて東京へ それぞれ違う所へ行く。

それから20年の時が過ぎ、咲胡は地元へ戻ってきて 魔女と呼ばれるようになる。毎日決まって行く喫茶店、そこへ(修学)旅行でやってきた福原という少女と親しくなる。彼女はベルシアの娘で、母は亡くなったという。携帯電話に親しい人の連絡先を登録しておいたが、壊れてしまい…。その後悔と謝罪の気持を伝えることを娘に託したようだ。咲胡は解離性同一症に悩んでおり、実は高校3年生の時はベルシアだけではなく、彼女自身も救われていた。

咲胡が、ウサギ(ぴょんきち)に話しかけていたのは、喫茶店オーナーで高校の飼育係の後輩としてなのか、またはウサギを擬人化させて独り言を呟いていたのか判然としないが、結末としては上手くまとめていた。それぞれの物語は単独でも味わい深いが、2つを繋げることで 人の情感や関係がより鮮明に描き出され 深みと幅が増していた。
次回公演も楽しみにしております。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

サスペンス&ブラックコメディといった公演で、東京 新宿にある地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」で飲食しながらの観劇。実際は 食べながら観るのは難しいかも。
舞台は 都会の片隅の地下倉庫ということだが、レストラン会場ということもあり、その雰囲気はない。どちらかといえば熱気むんむん、満席だから当たり前だろう。

物語の内容からして タイトル「私を殺して…」は、逆説的な意味合いにとれる。人は究極(生死)の状態に追い込まれると、生きることを欲す。その心情表現を表面的には面白可笑しく観せながら、物語は二転三転するような展開。役者は、時に会場内を歩き回り 観客を弄り、または舞台に上げ一体感を煽るような。前説でも 木下采音さんが「(^^♪東京ハイビーム~」と掛け声をかけ、決まり文句の唱和を求めるなど 場を盛り上げる。

さて、説明によれば 自殺コ-ディネイタ-安楽(久下恭平サン)の元に自殺志願者のマドンナ(黒田由祈サン)と名乗る女がやって来て、「美しく死にたい」と…。安楽はマドンナにさまざまな死を提供するがマドンナはなかなか納得しない。そんな中、怪しい訪問者(栂村年宣サン)が乱入し事態は思わぬ方向へ…。中盤までは、安楽とマドンナの(掛け合い)漫才のような軽快な会話が続くが、訪問者の登場で雰囲気は一転し怪しげになる。ここから物語 そして会話が漂流し始め、どこに辿り着くのか俄然興味を惹くようになる。

大ヒット韓国演劇の日本バージョン…韓国での公演は分からないが、日本では舞台セットに溶け込むようにピアノが置かれている。駒木菜穂さんの生演奏が、効果的な音響・音楽を担い 同時にライヴ感を引き出しており楽しめた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
表層的には、演劇(虚構)としての面白さ可笑しさの中に、現代日本の課題を点描して物語を紡いでいく。日本のどこかにあるような情景を立ち上げているが、必ずしもリアルではない どこかずれているといった印象だ。過度に感情移入させることなく、物語として楽しんでもらう、そんな娯楽性を感じさせるが…。

シャッター商店街となった一角にあった白鳥鮮魚店が舞台。日本語教師のボランティア、そして外国人を自宅に住まわせ共同生活をしている白鳥亀子、そして久しぶりに実家へ帰ってきた次男 香魚夢の親子を中心に巻き起こる人情劇。そして 驚かされるのが舞台美術。劇場内には日本の原風景が、そして個性豊かで人情味に溢れた人々が生き生きと描かれている。

同居人が外国人という設定であるが、別に外国人である必要はない。家族ではない他人---街(地域)の人々との心温まる内容でも物語は成り立つ。夫婦で魚屋を営んでいたが、夫は8年前に亡くなり妻(亀子)が一人になった。息子たちは家から離れ、今では ほとんど帰ってこない。切実さと可笑しみが切り取られた光景がそこにある。この独居(老人)問題だけではなく、色々な課題を投げかけ 観客それぞれが抱く思いに寄り添う(共感を得る)ような描き方だ。

当日パンフに脚本・演出の谷藤太 氏が「古き懐かしき昭和の香りがそこかしこに漂っています」と書いており、まさしく郷愁を思わせる作品に仕上がっている。観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、シャッター商店街と化した鶴吉商店街、その街並みとその一角にあった白鳥鮮魚店。大漁旗、電柱に電線、スナックの看板など懐かしさと活気、そしてシャッターが閉まった店先が並ぶといった廃れ寂れ、その両方の面影・光景が同居している。この作り込まれた舞台セットを観るだけでも価値はある。

白鳥家には3人の子…長女は幼い頃に交通事故死、長男は行方知れず、そして主人公とも言える次男 香魚夢(中学校の英語教師)である。そして鮮魚店の主(あるじ)であった父は8年前に他界し、店は廃業し 母は地元で日本語教師のボランティアをしている。香魚夢は大晦日に帰ってきて、実家の様子と母の生活環境の様変わりに驚く。実家に住んでいる外国人たち、仲違いしている母と娘、認知症の母と息子、引篭もりボランティアなど個性や背景が区々の人々を面白可笑しく描き、日本のどこかにあるであろう風景を描き出す。また舞台技術としても、背景の壁に 月や雲といった情景を映し出す。

同時に、今の日本が抱えている課題・問題でもあり、どこか共感してしまうであろう話が描かれている。切実なコトを優しく労わるような紡ぎ方をしており、人間関係の妙---人情味溢れる結末は劇団enjiらしい。物語は大晦日から翌年の夏祭り迄の半年間、その間に香魚夢の心境の変化---その最たる出来事が、姉を事故死させた本(犯)人との対決。

同時に、教師としての自信喪失からの再起と自分の娘との関わり方を模索する。公演は、商店街等の人々の群像劇であり 1人の男の成長譚でもある。ちなみに タイトル「白鳥先生と過ごした2日間」は、鮮魚店の跡を継がなかった息子の教師ぶりを 父が亡くなる最後の2日間ずっと授業録音(テープ)を聞いていたこと。親の心情がしっかり伝わる逸話。
次回公演も楽しみにしております。
ワイルド番地

ワイルド番地

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
「珠玉のデュエル(決闘)コメディー!」という謳い文句は、誇張なんかではなく 本当に楽しめた。演劇初心者から見巧者まで、幅広い人たちに受け入れられるのではないか。
魅力の第一は 物語の分かり易さ、第二は テンポよく展開し飽きさせない、第三は 決闘という非合法を 敢えて合法化することで心情を炙り出す。演劇の面白(味わい深)さを しっかり表現したような公演。観応え十分。

上演時間2時間(途中休憩なし)だが、あっという間 というのが実感だ。公演中なので 詳しく記さないが、最近笑っていないな という人にはお薦め。ぜひ劇場へ。
追記予定

ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

劇団帰燕

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

チーム全員で、前説を兼ねたトークで上演前の雰囲気を和ませる。上演前なら写真撮影OKとのことでサービス精神に溢れている。やはり旗揚げプレ公演 第一弾ということもあり、気を使っていることは ひしひしと伝わる。

物語は、まだ何者にもなれていない若者が、若さゆえに悩む葛藤もしくは恋愛といった内容。自分の気持に正直に向き合うのが怖い、そんな誰もが持つ感情を仲良し3人娘を通して描く。始めは緩い恋愛モノかと思って微笑ましく観ていたが、終盤は 人それぞれが抱えている心の闇のようなものを露呈する展開だ。

タイトルに<ミュージカル版>とあるから、歌やダンスで観(魅)せようとしているが、少し緩いようだ。歌の音域・声量やダンスのキレなど課題も散見出来たのではないか。なにより、本当に歌うべき または踊るべき場面なのか。ミュージカル版にすることで得られる印象 効果がなにか 分からなかった。逆に、先に記したラストのストレートプレイ シーンのほうが内容と相まって力強くて 引き込まれた。

場面転換ごとに衣裳(コスプレ風を含め)替えをしているようで、場所・時間の違いや経過を表現している。また視覚的な意味でも楽しませる工夫をしているところに好感。勿論、脚本や演出の力に負うところもあると思うが、演技は粗削りだが 緩急があり自然体といったところ。
(上演時間1時間25分 途中休憩なし)【Bチーム】
追記予定

レンタルディレクター

レンタルディレクター

演劇企画アクタージュ

studio ZAP!(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地方都市にあるレンタルビデオショップ<カリチャイナ>が舞台。その街の夏祭りには、商店街の店が 或る出し物…イベントで街興しをしているよう。カリチャイナでも催しの準備をしようとするが、アイデアが浮かばない。物語は、善意に溢れる地元の人々と東京から来た憂い謎めいた一人の青年との交わりを通して、人の<優しさと切実さ>を仄々と描いている。

少しネタバレするが、夏祭りには 映画の上映を目論み、宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフに、ショップ店員が脚本を書き下ろす。物語の基調には、よだかの星…容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われている を意識しているよう。表層的にはコミカル、ユーモア溢れるといった印象だが、そんな中で 東京から来た青年の存在と仕事がカギ。ショップに出入りする個性豊かな人々を描いているが、その背景には地方都市の活性化が透けて見える。同時に人の心にある苦しみ・・人との関わりが苦手といった ありふれた悩みを取り上げている。

物語では、克服すべき困難に立ち向かうといったことではなく、ただ その人を肯定する といった自然体で受け止めている。登場するのは、ショップの店長や店員、八百屋の夫婦、美容院経営者、そして会社員など 普通の人々。その人々が抱える普通の悩みだからそこ、観客のあるある感情を刺激する。

最近見かけなくなった レンタルビデオショップという設定が妙。人の滞在時間は、借りて すぐ帰る人もいれば、店で視聴する人もいる。人の出入りが自在に出来ること、地方都市ということで 昔馴染みといった常連客を取り込んでおり、登場人物が固定していても不思議ではない。そこへ東京の人…仕事と苦悩 そしてショップ店員の悩みがシンクロしてクライマックスへ。癒し系劇 といったところか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に丸テーブルと椅子、上手後ろにDVDが並んだ棚、下手も同様に棚やリビングチェアが置かれている。壁には映画のポスターやチラシが貼られており、レンタルビデオ店といった感じは出ている。ほぼ中央奥が出入り口、下手は別部屋へ通じる。

レンタルビデオ店は、ほとんどが常連客で日々騒がしい。人見知りの従業員(バイト)高畑綾乃を「よだかの星」に準えて、彼女の心を解(開)放しようと働きかける人々の優しさ。また近所の八百屋の夫婦喧嘩、その八百屋の女将と絡む美容室の女性オーナー、仕事が忙し過ぎる会社員など、どこにでもいるような人々が織り成す人情劇。夏祭りといった地域 季節の風物詩(イベント)を絡め 面白可笑しく仕上げている。

個性的で愛嬌ある人々、その言葉と行動に隠された優しさ。そして 社会にある棘のようなコトへの皮肉と人への応援がしっかり伝わる。まず 八百屋の主人は、ビデオ店へ入り浸ってエロDVDを借りている。妻はそれを知っている。夫婦して何気にビデオ店の売り上げに貢献しようと。
また ブラック企業のようなところで働いている会社員、自分がいなければという強い責任感。しかしビデオ店の店長 黒澤明は、例えば この店のバイトが1人居なくなったとしても大丈夫。それが組織というものと諭す。

この気心知れた人々がいる街へ、東京から写真を生業にしている青年 諏訪信二がやってきて、物語は動き出す。風景写真は撮れるが、いつしか人物は撮れなくなったという。実は女性が乱暴されそうなところへカメラを向け、助けたことがあった。その時ファインダー越しに犯人の目を見て といったトラウマを抱えている。この心に傷を負った青年と ビデオ店の人見知りの女性の淡い恋が…。
全体的に優しく仄々とした雰囲気、それを役者陣が楽しんで演じているよう。

蛇足ながら、カメラマンが人物を撮れなくなった理由…自分は戦場カメラマンとして戦地の不条理、といったことを連想した。
次回公演も楽しみにしております。
「溢れる」

「溢れる」

プロデュースユニット・カムパネルラ

劇場HOPE(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明にある涙が溢れる女と涙を流さない男、どうして そうなったかという原因というか理由を解き明かしながら、二人の繋がりを抒情的に描いた青春群像劇。二人は旧知の仲というか、親戚関係にある。物語は、男の或る事故が原因で二人の感情の揺れ、感受性の度合いが違ってきた。全体的に丁寧な作りで好感がもてる。

物語は<涙のソムリエ>が経験した事例解説といった展開で紡いでいくが、それはプロローグとエピローグでその旨の台詞があるだけ。構成としては、あまり重きを置いていないよう。むしろ、事例解説として紡いだ内容が、<涙を流す 流さない>といった ありふれたことに意味を見出しているところに面白さがある。それが「感受性が豊かだね」「優しい人だね」VS「心が死んでいる」「冷たい人だ」という対照的な人物を立ち上げ、観客に問い 考えさせる。それぞれの立場のシーンを描き、そのどちらにも肯いてしまう説得力ある言葉だ。

内容は勿論、感受性の豊かさを表現する場面では、人のノートまたはメモの一部を奪うような 比喩的な描き方をしており巧い。感情移入の度合い、その整理出来ない感情を仕事(メモを捨てられない)に絡め表している。二人の男女をメインストーリーとすれば、人の涙を見るのが好き、いや流れる涙から、その人の物語(人生)を覗きたいという、変わった嗜好?の男のサイドストーリー。その二つの物語を巧みに繋げ、謎解きのように興味を惹かせる。総じて若い俳優陣だが、心情・深層表現の巧さ、時に面白可笑しい場面を挿入し 飽きさせない工夫が好い。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は左右で色彩が異なる、そこにすぐ泣く 泣けないといった違いを表しているよう。舞台技術は不穏というか不安になるような音響と優しく奏でるような音楽、その効果音が印象的だ。全体的にフワッとした感じ、そこが瑞々しいといった感じになっている。

メインストーリーは、すぐ泣いてしまう女性と泣くことが出来ない男、その2人の心の在りようを抒情的に描いている。2人は従兄妹、そして従女は 学生 もしくはもっと幼い時から従兄のことが好きで、今でも慕っている。この男性が、高校の時に事故に遭い サッカーをあきらめざるを得なくなる。この時、男はショックで泣きたかったが、先に彼女が泣き 自分の遣る瀬無い気持を持っていってしまった。男は泣くこと(涙)を奪われ、女は感情移入が激しく泣いてばかり。

サブストーリーは、人の涙に そのひとの人生が見える。人の人生を覗き見るといった嗜好?の男が、涙のカウンセリング講習会に通い続ける。涙の味は、その人の人生の味わいか。涙のソムリエを称しているカウンセラーが、泣いてばかりいる女性の原因・理由を探ろうとするが 手がかりがつかめない。そこで講習会に通う男の力を借りて…。

泣くことは、仕事のモチベーションが下がり非効率、一方 泣いてスッキリして前向きになれるといった議論めいたものがあるが、考え方次第の理屈付けのよう。2人の思いがぶつかり、過去の出来事(もしくは思い違い)が洗い流されるかのようなラストシーン。予定調和であるが 何となく清々しく気持良い好公演。
次回公演も楽しみにしております。
ナマリの銅像

ナマリの銅像

劇団身体ゲンゴロウ

新宿スターフィールド(東京都)

2024/03/27 (水) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

タイトルにある「銅像」は虚像を表し、「立場が人を作る」といったことを思わせる。気弱で自分の意思をハッキリ伝えられないような青年が、いつの間にか神に祀り上げられ 島原の乱の指導者になってしまう。本人の戸惑い、困惑とその言動に振り回される人々の悲哀を史実に絡めて描く。

舞台という虚構性の中に社会性と人間性の両面、さらに過去と現代を繋げる、そんな輻輳する作品。表層的には、江戸時代初期に起こった一揆という社会ドラマ、それに否応なく関わることになった人々の人間ドラマを交錯させた描き方だ。しかし、一揆の概要を観せるだけで、敢えて深堀しなかったようにも思える。むしろ島原の乱と太平洋戦争を絡めた不条理劇が立ち上がる。人の意思など時代の趨勢に飲み込まれ、否応なしに破滅の道へ…。

公演の見所は、人間の弱さとエゴが 事態を悪化させ、取り返しのつかない状況へ追い込んでいく。その過程をテンポよく観せ、どのように物語を収斂させるのか といった興味を惹かせるところ。総じて若いキャストのキビキビとした動き、その躍動感あふれる演技が熱演のように思える。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Bチーム】
2024.4.2追記

ネタバレBOX

舞台美術は、数枚(個)の平板と箱馬を変形させ情景を作り出す。基本は和装、武器は棒を刀に見立てるなどシンプルなもの。
特に島原の乱と太平洋戦争を思わせるシーンは迫力がある。乱の場面は、天草四郎=神格化された青年が箱馬の上から拡声器を使って煽るような言葉を浴びせる。戦争の場面は、暗闇の中でLEDライトを点滅させ、閃光と爆撃といった照明・音響で迫力・緊迫感を出す。

物語はパチンコバイト青年・益田は店内でマイクパフォーマンスで客に金を使わせる。その煽るような口調を買われて、島原の乱 の指導者へ。信念なき指導者の下、一揆を加速させる仲間たち。しかし、史実にある通り 劣勢になり鎮圧寸前の状況になっても、戦うことを止めない。虚像に踊らされた多くの犠牲者…農民もいればキリシタン信徒、その翻弄された人々の姿こそが怖い。

一方、益田を神に祀り上げた人々は、信じたふりをする。誰も指導者=責任者になりたくはない。翻って自分で考えることをせず、誰かに責任を押し付ける。そんな人の弱さエゴが浮き彫りになる、と同時に為政者という立場の思惑を描く。いつの時代も変わらぬ<人間の姿>を描いた群像劇。

音響・音楽は銃撃といった効果音、宗教音楽、そしてピアノを奏で優しい雰囲気を作り出す。先に記したLEDライトの点滅など効果的な工夫をするなど、演出にも工夫を凝らし好感が持てる。ただ過去と現在なのか、その立ち位置(時代感覚)、世界観の違いが曖昧に思える。それが妙と言われればそれまでだが、やはり物語の流れがしっくりこない といった印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
人形の家

人形の家

劇団東京座

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

近代劇の代表作であり、フェミニズム運動の勃興に影響があったと言われる作品(翻訳劇)。それを格調高く丁寧に描いており好感が持てる。この劇場では珍しいL字型客席で、舞台美術(調度品)は豪華仕様を思わせるもの。

物語は、端的に言えば<女性の人間としての自立>を描いたものと言えよう。男(父や夫)に守られ、言いなりになっている従順な女(妻)という立場・意識からの解放、今でも色褪せない課題や問題を孕んでいる。同時に自立=働くことは、生活の糧を得る手段だけではなく、生き甲斐といった目的・目標を持つことが出来る。そんな前向きな生き方をも観せる。女は家の中にいるだけの おとなしい人形ではない。

公演は、劇中でタランテラを踊って観せ、女性の明るく陽気な一面を覗かせる。膨大な台詞で紡ぎ、ダンスという躍動感で味付けをする。実に演劇らしい魅せ方だ。また音響・音楽の印象効果、照明の階調による余韻等、舞台技術も上手い。
ただ気になったのが、演技力というか…。
(上演時間2時間50分 途中休憩15分)追記予定

天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
前回公演は 千穐楽に観劇予定であったが、止む無く中止になってガッカリしていた。今回再演を観ることが出来て本当に良かった。前評判 そして期待通り、いや それ以上の満足感を得ることが出来た。全回完売、開場前から劇場である楽園の前は 長蛇の列で驚いた。

風雷紡は社会的事件の概要を描きながら、その中に人間ドラマを息衝かせる。今回も「よど号ハイジャック事件(昭和45年3月31日~)」を取り上げ、その事件の過程における人物の心情を丁寧に掬い上げ紡ぐ。当時は、いや今でも大事件である 日本初のハイジャック事件。劇場地下に降りる階段の壁に、当時の新聞や週刊誌の記事コピーが掲示されていた。

シンプルな舞台美術であるが、この劇場の特徴(ほぼ中央にある柱)を巧く生かし、旅客機内(コックピットと客室)と地上を描き分ける。同時に肉声とマイクを通した音声の違い、さらに映像で時刻を表示し、刻々と迫る状況を表す。怒声に対し平静に対処する、その緩急とも言える表現が得も言われぬ緊張感を漂わす。

事件は報道等で(後日でも)概要を知ることが出来るが、その場にいた人々の心情は解らない。風雷紡公演の面白さは、舞台という虚構性の中に 人の心情を想像させ、さもそうであったかのような臨場感を味わわせてくれるところ。今回は、人それぞれの<正義>とは を問い、さらに人間的な成長譚をも描いている。見応え十分。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術はシンプルで、柱を境に 前は操縦席、後ろを客室に見立てた飛行機(よど号)内。機長・副操縦士の透明椅子、そしてスチュワーデスが別椅子で並んで座る。事件発生と同時に、刻々と刻まれる時間表示が緊張感を漂わせる。時間稼ぎをして対策を練りたい政府と航空関係者、一方 早く国外に出たいハイジャック犯との攻防が見どころの一つ。

「よど号ハイジャック事件」の概要をなぞりながら、観客には その場(機内)にいたであろう臨場感を味わわせる。どの事件もその場にいなければ第三者的な立場で俯瞰しているに過ぎない。この舞台では、観客をよど号の乗客であったかのようなリアル錯覚へ誘うよう。国内初のハイジャックという社会的な事件を扱いながら、一方でそこに居合わせた人々、そして政府関係者の立場や思惑を描く。もっとも乗客は1人も登場させず、状況の緊迫さは 女性・子供の様子や特別な事情がある客の話など、スチュワーデスの機長への報告・説明をもって表すところが巧い。

登場人物は、航空(機内と地上)関係者、政府関係者そしてハイジャック犯。その人物たちの性格や立場そして思惑を絡めた人間模様がもう一つの見どころ。機内では機長と副操縦士の言動と行動の違いで緩急を表し、スチュワーデスによって 登場しない乗客の様子を逐一報告させることで緊迫感を漂わす。また政府関係者である運輸大臣と運輸政務次官が自ら人質になって という政治家としての揺らぎを皮肉る。逆に韓国政府との関係に苦慮し、金浦国際空港で人質解放時に韓国人に犠牲が出たら国交問題になると…。
この登場人物たちを役者陣が特徴を捉え、実に上手く表現している。また石田機長とチーフスチュワーデスとの会話、山村運輸政務次官が母に娘(孫)についての電話は、この事件後の私的(艶聞や殺人事件)なことまで垣間見せているようだが…。

公演では「『剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力』そして、これは『正義』の物語」と謳っているが、国 政府の面目か人質の命かといった秤を描いていることは明らか。同時にスチュワーデスになった動機、さらには先輩後輩もしくは上司部下といった関係性に絡め人の本音と建て前を描く。高額な収入の必要性、先を歩く者は、絶えず後ろから見定められているといったプレッシャーがある。そこをどう乗り越えていくかといった成長譚をも描く。その意味では衝撃的な事件の中に普遍的な人間性を垣間見せる上手さがある。
次回公演も楽しみにしております。
見よ、飛行機の高く飛べるを

見よ、飛行機の高く飛べるを

ことのはbox

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
この演目、ことのはboxでは 4回目の上演だが、劇場がすべて違っていることもあり、舞台美術は少し異なる。とは言え、基本的な構造は同じで、説明にある名古屋の第二女子師範学校の寄宿舎(談話室)内が舞台。自分は全ての上演を観ているが、今回公演は 〈印象と余韻で感情の機微を表現〉するような演出だ。役者陣の熱演は勿論、照明や音響音楽といった舞台技術が いつにも増して効果的な役割を果たしていたと思う。

明治44年10月、まだ封建的風潮が残る中で、教師たちが押し付ける「女性の生き方」を真正面から考えだした女生徒たち。そんな中で起きた事件が大きな波紋を呼ぶ。100年以上前の設定だが 今でも色褪せない課題・問題を内包した物語。見応え十分。
(上演時間2時間50分 途中休憩15分) 追記予定

新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
トレモロ公演は未見であったが、太宰治の「新ハムレット」を分かり易く 楽しめる作品に仕上げていた。原作を先に読むか、読んでから観るか、そんなことは問題ではない。この公演を観るだけでも原作の面白さは解る。自分は読まずに観劇し、翌日 急いで読んだ実感として言える。当日パンフによれば「原稿用紙に二百枚、五時間の大作」とあるから、勿論 テキレジはしている。

公演の面白さは、独特の舞台美術と役者陣の熱演であろう。勿論、原作の面白さを十二分に引き出した早坂 彩 女史の演出力、その巧さは言うまでもない。この作品を観たいと思ったのは、トレモロが未見であったこと そして「こまばアゴラ劇場」が最後だということ。この劇場の構造を上手く使い、妖しい雰囲気が漂う中で「長編戯曲風小説(レーゼドラマ)を、軽快にかつ濃密に描いた一幕劇」、まさに謳い文句通りの珠玉作。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は、上演前は紗幕に覆われていたが、始まってみれば長い縁台のような板に形の異なる椅子や梯子状のようなものが脇に取り付けられ、和箪笥や本棚も見える。実はこれ回転し、城内や帆船に見立て情景を作り出す。板の下には蔦が巻き付いており、板や蔦といった自然 温もりを感じさせる。下手には、天井からペットボトルを切り開いて繋ぎ合わせたようなオブジェが吊るされている(アフタートーク:青☆組 吉田小夏女史との対談の中で、<柳>と説明していた)。この真下の床面を開け、階下と行き来する。また下からの照明がオブジェに反射し 青白く妖しげな雰囲気を醸し出す。

登場人物はシェイクスピアのハムレットと同じだが、衣裳が奇抜というか統一性がない。洋服の上に着物を羽織ったり、足元は足袋や草履であったり革靴、スニーカーといったもの。なんとなく情緒不安定な人物が立ち上がっているような感じだ。そして この外見が人物の性格というか気質・気性を表しているよう。また 男役を女優が演じる、例えばボローニアス(たむらみずほ サン)やレアチーズ(清水いつ鹿 サン)、自分を父親と言ってみたり、オフィリア(瀬戸ゆりか サン)から兄さんと呼ばれたりしている。そこに長編戯曲風小説とは違う、人が演じる 演劇という創作の奇知が活かされているようだ。

梗概は、シェイクスピアの「ハムレット」を準えているが、全体として原作者 太宰治の姿が朧げに立ち上がってくるようだ。長板の端を客席側に向け、その先端にハムレット(松井壮大サン)が座る。そして長台詞の独白は、太宰の別作品 例えば「人間失格」のように自己の弱さ軽薄さを嘆くようにも聞こえる。この心情を吐露させるような描き方(演出)が実に巧い。

気になるのが、説明にある「太平洋戦争開戦の直前・1941年初夏、太宰治はシェイクスピア『ハムレット』の翻案(パロディ)を書きあげた。登場人物たちの懸命で滑稽な生き方は、2024年に生きる私たちにどのように響くのか」という一文である。冒頭、男(黒澤多生サン)が原作の<はしがき>を<ト書き>のように読み上げるところから始まる。その中で昭和16年と言い、劇が始まると 王妃ガーツルード(川田小百合サン)だったと思うが、改めて西暦1941年と言う。しかし原作には、その台詞はない。そして原作も劇も終盤に王クローディアス(太田宏サン)が「戦争がはじまりました」 そして帆船が燃え、レアチーズが死んだと。海外では 今だに戦争紛争の火種は尽きることがない。パロディの中に、そんな社会性(警鐘)を潜ませているよう。

照明は、全体的に薄暗く 人物が登場するとスポット的に照らし出す。音楽は劇中 朗読劇の場面でホレーショー(大間知賢哉サン)などが、小太鼓や銅鑼など和楽器を用いて演奏する。それが 何となくリズミカルで妙に台詞と合っており心地が良い。そして物語が進むにつれ、役者陣の演技 特に声圧が増し物語へ集中させる。表層的には滑稽洒脱であるが、その内容は色々な意味で現代性を帯びており奥が深い。
次回公演も楽しみにしております。
願望機

願望機

演劇ユニットG.com

ザムザ阿佐谷(東京都)

2024/03/20 (水) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。SF風であるが、何となく現実らしさも想起させる。
さて、公演「願望機」というタイトルより 映画「ストーカー」の原作シナリオといった方が 通りは良いらしいが、自分は原作は勿論 映画も知らなかった。舞台は、ザムザ阿佐ヶ谷という地下劇場と相まって、怪しげで不穏な雰囲気が漂うもの。そして映画は元々の小説の最終章・第四章のみを抽出したものらしいが、本公演では原作の第一章~第三章の場面も描いているという。

物語は、時間軸の違う二組の話が交差しながら展開していく。この時間軸の違いこそが、原作(全章)の魅力=世界観を表しているようだ。説明にある「隕石の落下以後、そこは〈ゾーン〉と呼ばれる侵入禁止区域となった」、そして「〈ゾーン〉には、どんな願いでも叶えてくれる〈願望機〉とやらがあるらしい」と…。人の欲望の果てにある心底の願望とは何か。

二組の物語は、別々に描かれ交錯することはない。全体の(統一した)雰囲気を保ち、しかも時間軸を違えているため、<ゾーン>という未知の領域が長く存在していることを表している。いつの時代でも人の欲望(もしくは願望)は尽きることなくある。それは人それぞれで違うであろう。願望機…幻想のような、しかし その願望こそが人類の興廃に繋がるような描き方。

濃密な会話の中にコミカルな動作、その演技に魅了される。そして幻影的な照明、不安・不穏を煽るような音響、その舞台技術の効果が物語へ集中させる。観応え十分。
(上演時間2時間40分 途中休憩10分) 追記予定

純白観想文

純白観想文

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/16 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
物語は、あらすじにある通り 東京郊外。春に、孫の読書感想文を一生懸命 手伝っている元高校教師・源三。彼を訪ねてきたのは かつての教え子 斉藤潤二。前半はシュールで軽やかなコメディタッチ、しかし或る出来事を境にシリアスな展開へ。内容や展開などは分かり易いと思っていたが、ラストの暗転後のシーンが何を意味するのか手強い。その捉え方によって、物語に描かれている内容がまったく違ってしまう と思えるからだ。

劇団演奏舞台の公演は何度か観ているが、いずれも演奏ブースは下手にあり目立たないような配置になっていた。が、今公演は中央真後ろに楽器が置かれていた。この公演は今月、中板橋の新生館スタジオでも上演する予定になっており、演奏ブースはどうするのか気になっていたが、なんとなく想像がついた。演奏舞台の特色は、バンドによる生演奏と俳優陣のエキサイティングなアンサンブルだけに、演奏ブースは気になるところ。

本公演は、役者であり奏者の池田純美さんが2度目の演出に挑んでおり、演奏配置と回転模様のような照明が印象的だった。少しネタバレするが、エコーを利かせた台詞も心情面を強調しているかのようだ。結論の捉え方を別にすれば、全体的に分かり易い作風、音楽<『Faraway』(opening)・『霞 草』(ending)>も印象的で良かった。

説明では、「『家族』という小さなコミュニティの中で、わずかな綻びから生じてしまった悲劇を描いたヒューマンドラマ」とあるが、家族という身近な存在・関係だからこそ逃れようのない怖さ。文庫本「羅生門」と散乱した肌着は、この物語を象徴する小道具で、タイトルの所以でもあるような。この濃密な会話劇、生きるためならという理性と本能の鬩ぎあいが 狂おしいほどに伝わる。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

舞台美術は、奥に演奏スペース。部屋中央の座卓の上には、孫の橋爪武彦が小学校5年生の時に書いた「『羅生門』を読んで」と書かれた原稿用紙(読書感想文)と文庫本「羅生門」、そして散乱する肌着。

一人黙々と感想文に向き合う元高校教師で芥川賞作家である源三、そこへ元教え子がやってきて他愛のない会話が続く。そして孫が8年前に亡くなり、その顛末が語られるところから人の心ーその深淵を覗き込むような展開へ。娘 沙織は夫 肇からDVを受けており、生活費に事欠いていた。父の源三に金を借りようとするが 断られる。武彦は白いブリーフが黄ばみ学校では苛められていた。或る日 万引きをして、悪いことと知りながら、生きるためと自分自身に言い訳をした。そして…。一方 沙織は肇を刺し罪に服す。

源三は娘 沙織や孫 武彦を見ているようで観ていなかった。その悔悟のような気持が終わりのない読書感想文の執筆。人を観察し見極めることの難しさ、理性と本能ー生きることとはを問う「羅生門」のテーマと重なるよう。書き終わることがない、そして読まれることのない読書感想文こそが、源三の贖罪。前半に語られる 源三と潤二の止め処も無く漂流するような会話は、人にとっての最後の衣装がパンツなら、源三の最後の砦(生きる より所)は感想文だと、そんな落ち着き方だ。

暗転後のラストシーンが手強いと思った。明転して、沙織が潤二に父 源三の様子を尋ねるシーンへ。それは、単純に考えれば 行方不明になった娘 沙織が潤二と再婚し、父の様子を聞くといったもの。もう一つは、この物語全体が源三の妄想、呆けてきた老人の戯言(回想)を娘が心配したもの、といった捉え方も出来る。そう考えれば、平凡な家族に襲い掛かった現代(普遍)的なテーマが浮かび上がるような気がするのだが…。
次回公演も楽しみにしております。

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