タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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帰還不能点

帰還不能点

劇団チョコレートケーキ

相模原南市民ホール(神奈川県)

2024/07/17 (水) ~ 2024/07/17 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。と言っても関東では 本公演1回のみ。午後仕事を休んで観にいった甲斐 価値はあった。
典型的な反戦劇で、太平洋戦争直前とその9年後を劇中劇仕立てにして描いた重厚作。しかし単に回顧・教訓といった描き方ではなく、今を いや今後をも問うような問題作である。

少しネタバレするが、1941年7~8月の模擬内閣演習(総力戦研究所)の場面から始まる。その時に何人かの役者が客席に背中を向けたまま議論する。激論を交わした結論に対する思いが 物語のテーマ。勿論 タイトル「帰還不能点」を意味しているが、個々人のその時の立場や生活、もしくは家族・親戚といった多くの者への影響を考えた時、果たして自分ならどうするかを考えてしまう。過去を振り返って、こうすれば良かったと嘆き悔いてみても始まらない。

物語では、不作為による後悔が痛々しい。しかし、好ましくない情勢や分析を正直に上層部へ進言できるか、それは翻って 今現在 組織の中で(不正は別にして)確実に実行出来るかどうか。公演は太平洋戦争という国家存亡に係る設定だからこそ真に迫る。先に記した 後ろ向きは、正直な結論を上層部へ進言せず、戦争を回避すべき行為をしなかった姿であろう。

また回顧した時期が1950年、その設定が妙。太平洋戦争で焦土と化してから5年、今 朝鮮戦争によって好景気に沸いている。隣国の戦争によって潤い喜ぶ皮肉。
劇団チョコレート ケーキらしい陰影ある照明、そして重低音の音楽が 濃密で緊張した場面を引き立てる。
第29回読売演劇大賞優秀作品
(上演時間2時間10分 休憩なし) 追記予定

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

桐朋学園芸術短期大学

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

「葉桜」「命を弄ぶ女ふたり」は、どちらも岸田國士作品。なお後者は「命を弄ぶ男ふたり」が原題だったような。それを女性バージョン、しかも現代的に改変している。ただし内容は同じだった。両作品に共通しているのは女性の2人芝居、その会話をどう描くか。

岸田國士作品は、映画 小津安二郎作品のように日常のありふれた光景を滋味ある会話で紡ぐ、といった印象だ。刺激的な出来事などは起こらず、淡々とした日常の味わい深さ それをどう観せ感じさせるかが見所だろう。

ネタバレBOX

〇「葉桜」(作:岸田國士)
舞台美術は中央にソファ、その後ろの丸窓に障子 そして桜が見える。上手は足踏みミシン、下手に鏡台(鏡なし)。和風の落ち着いた雰囲気を漂わす。母は和装、娘は洋装、その外見は世代や考え方の違いを象徴しているよう。

お見合いを終え 縁談を進めるか否か、決断を迫る母と迫られる年頃(19歳)の娘の揺れ動く心を描く。母と娘、世代が異なれば「結婚観」も異なる2人の女がお見合いで出会った男の印象と、自分たちの将来について葉桜の季節に逡巡する物語。

気になったのは、現代版(戯曲は大正14年作)に改変したのか否か。雰囲気は当時のように思えるが、速いテンポの会話は時代感覚としては違う、そう違和感を覚えるのだが…。そして母・娘という関係から、その口調は違うが やはり同年代による親子の演技は難しいようだ。

〇「命を弄ぶ女ふたり」(作:岸田國士)
舞台美術は、中央にベンチが置かれているだけ。
ある日の夕暮れ時に、自殺しようとする女2人が線路近くのベンチで奇遇にも出くわしてしまう。それぞれ死のうとする理由を正当化し、先に自殺することを譲らない。その面白可笑しい遣り取りをするうちに、死ぬことから生きることへ気持が変わってくる。もっと言えば、生への執着が芽生える。ラスト、夕闇に輝く星々(照明効果)はキレイで印象的だ。

原作通り、外見=顔面に「眼鏡」と「包帯」した男ならぬ女2人。線路に見立てて客席通路を駆け上がり、脇を回って舞台上へ倒れ込む。交互に何度か自殺を試みるから、その躍動感は半端ではない。そしてスマホを取り出しlineを見せることから現代版へ改変したと思われる。早いテンポと最新機器という時代感覚も合っている。

気になるのは、「眼鏡」と「包帯」がそれぞれの身の上話をするが、その切実さが伝わらない。そもそも自殺しようとする理由がはっきりしない。他公演で知っていたから自分なりに解釈しただけ。次のようなことが感じられれば良かった。
●「眼鏡」は恋人が亡くなった喪失感を話し出すが、その先は聞かなくても分かる。「包帯」は事故で二目とは見られない顔になったが、恋人から「悲しくはない」と。それぞれが相手の話を聞いても自殺するほどの事ではないと言い合い、相手を怒らせてしまう。それが納得出来ること。
● 結局、2人は自殺しない。勿論死ぬのが恐いこと。2人の悲恋は命を懸けるほどの価値がないと悟った、そんなことが感じられること。
●全体的に表層の面白さが目立ち、その奥に潜む<死と生>の奇妙な可笑しみが滲み出ていないのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

桐朋学園芸術短期大学

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

有名な戯曲2編「父と暮せば」(井上ひさし)・「2020」(上田岳弘)、と言っても後者は観たことがない。前者は現実をリアルに描いた反戦劇、後者は抽象的というか観念的な創造劇。その違いを続けて観ることで、演劇の幅広さ奥深さを改めて感じさせる。上演演目の選択は勿論、その並べ方(上演順)も上手い。

ネタバレBOX

〇「父と暮せば」(作:井上ひさし)
板敷の上に畳、中央奥は台所/流し場、上手に襖 傍に卓袱台。屋外には隙間のある板壁が見える。シンプルな造作だが、戦後のあばら家と思えば納得できる。登場人物は父と娘の2人。当日配布されたチラシによれば役者2人は同い年。それを父・娘を演じることの違和感を危惧したが…。設定では亡父だが、亡くなったのが兄で 親心といった面持ちで観ても泣ける。

物語は、戦後3年経った夏の広島が舞台。美津江は「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と固い決意。原爆で多くの愛する者を失った美津江は、1人だけ生き残った負い目を持っている。最近 勤めている図書館に通ってくる青年に好意を抱くが、恋のトキめきからも身を引こうとする。 そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」として現れるのが父・竹造。実はもはやこの世の人ではない。共通パンフには「死者と生者、父と娘それぞれの抱える思いが交錯しながら紡がれていく日々」とあり「いまを生きるあなたに届けたい物語」と結んでいる。

父と娘、その年齢差をあまり感じさせない演技力。全編 広島弁、その臨場感も相まってシーンとした場面では、至る所ですすり泣きが聞こえる。第二の故郷が広島であり、聞き慣れた広島弁に違和感は感じられなかった。それだけ方言指導と演技が確かということ。
気になったのは、すべって尻もちを搗き苦笑いする美津江。転んだのが気になったのではなく(⇦良くはない)、真剣に演技しているから真顔、その表情が硬く(特に目が据わっているようで)怖い。転んだ(アクシデント?)後の苦笑いだが、何となく柔和になったように思う。真剣に演じている表情だが、例えば亡くなったとは言え、父が幽霊となって現れる。それだけでも嬉しいと思うのだが…。真剣になればなるほど硬い表情・演技になる難しさ。因みに、美津江役の東春那さんは翌日 ブランケットの貸出をしていたが、その時の笑顔は優しい。

舞台技術は、冒頭の雷鳴や雨音、そして朝・夕を表す照明の諧調が実に効果的だ。特に原爆投下を表す目つぶし照明は 強烈な印象付け。また美津江の衣裳は白ブラウス&もんぺ、父の普段着も時代感覚に合っており、戦後間もない頃の様子を窺い知ることが出来る。

〇「2020」(作:上田岳弘)
舞台美術は横長テーブルを菱形に配置し、その角に額縁枠だけの小物を置いたシンプルなもの。正面奥に映像を映し出す。登場人物は男1人…約60分間の一人芝居でその台詞量は膨大だ。

物語は時代を往還するかのように、その時々の情景や状況を表す。「2020」というタイトルだが、描かれている時代・世界は現在の視点のよう。共通パンフによれば、疫病があっという間に世界を覆い、まさしくコロナによるパンデミックを連想させ、東京オリンピックを起点に はるか昔、人類の誕生からはるか先の世界の終わりまでを語る。まさしく<語る>のだが、それは独白のようでもあり、演者の精神・肉体から発する声のようなもの。それをしっかり伝え届けることが出来るのか否かが、この物語の面白いところ。

物語に関連があるのか、先のパンフによれば「クロマニヨン人」「赤ちゃん工場の工場主」「太陽の錬金術師」そして「最後の人間」などが語られている。また断片的な台詞で世相の象徴的なことを表し、時代を行き来するタイムトラベルまたは宇宙飛行を思わせるような映像、その舞台技術の駆使が印象的だ。照明ライトを浴び、その中に浮かぶキャストのシルエット…腕を天に向かって伸ばす姿が神々しい。全体的に観(魅)せるを意図しているよう。
また、具体的な事件等も映し虚実綯交ぜといった観せ方だ。語り続ける男、その本意をどこまで理解出来たかは解らない。

言えるのは、男が客席通路を駆け上がったり、横長テーブルに上り熱く語る姿。それが熱演といえるかどうか?だた永い人類史に絡めた人間心理と社会世相、それを額縁枠から覗く様は俯瞰的であり客観的に自身を語っている、とは感じられた。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

桐朋学園芸術短期大学

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

あまり学生演劇は観ないが、本公演は誘われて というか依頼されて3日間せんがわ劇場へ。全6公演のうち5公演(観なかったのは「地獄」)を観劇した。初日に「『地獄』だけは見たくない」と シャレにもならないことをスタッフ(学生)に言ったが、実は その時間帯に別公演を観ることにしていたというのが正直なところ。
ちなみに、この公演は学士「芸術学(演劇)」取得のための審査対象となる上演であり、上演作品の映像を専門家が観ることになっている。よって★評価はしない。

「観てきた」は演目ごとではなく 観劇日ごとに記する。始めに全公演に共通することと初日の「フローズン・ビーチ」、2日目は「父と暮せば」「2020」、3日目は「葉桜」「命を弄ぶ女ふたり」を書く。3日間は雨が断続的に降り、蒸し暑かったり肌寒かったりと体調管理が難しかった。そんな中、スタッフは 雨で足元が悪い中、受付や傘入れなど丁寧な対応、劇場内では座席への誘導やブランケットの貸出など親切な対応が気持よい。観客にとってスタッフ対応の良し悪し、その第一印象は大切。

ネタバレBOX

〇 共通
観劇した5公演は、いずれも有名作品。自分は「2020」以外は観たことがあり内容(粗筋)は知っていたが、演出(舞台美術も含め)や役者(演技)が違えば印象も異なる。その意味ではフレッシュな学生演劇を楽しんだ。とは言え、桐朋学園芸術短期大学専攻科、それも演劇専攻(56期)というだけあって演技は確か。

作品ごとにトリガーアラートを記載し、観劇にあたっての配慮をしている。例えば「フローズン・ビーチ」では、暴力・流血描写(服が血で赤く染まっている)、銃声などの大きな音、といったこと。

〇「フローズン・ビーチ」(作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)

舞台美術は、中央に横長ソファとテーブル、その後ろに白幕。上手のカーテンの奥にベット、レコードプレイヤー、下手は酒瓶が並んでいる棚が置かれている。
物語は1幕3場。別団体で観た公演の上演時間は 2時間30分ほどだったが、本公演は1時間20分と短縮版。その時間経過に伴う変化等を補うため、白幕へテロップを映し説明を加える。

物語は、カリブ海と大西洋のあいだにある島(リゾート地。島の名前は出てこない)に建てられた別荘のリビングが舞台。別荘の持主は、双子の姉妹である愛と萠の父親・梅蔵で、千津とその友人・市子は、愛に招かれて滞在している。千津と愛は親密のようだが、実は千津は愛に対する憎しみがあり、市子と共謀して彼女をベランダから突き落としてしまうが…。一方、双子の姉妹の義理の母で盲目の咲恵は、萌と二人きりでいる間に彼女と諍いを起こすが、体の弱い萌はあっさり死んでしまう。咲恵はベッドルームに萌の死体を運ぶ。咲恵と、死体を愛のものと勘違いした千津、市子との間で滑稽な行き違い。結局、萌は心臓麻痺だったが、千津と市子は真相を知らないまま日本に発ってしまう。第二場は、8年後の同日、同じ場所が舞台で登場人物も同じ。千津は自分が殺人犯だと思い込まされていた恨みから、再び市子と共謀し、愛と咲恵に毒を盛るが…。第三場は その8年後、水没しかかっている同じ場所に集まった4人。

戯曲の力であろう 世相を反映したかのような描きーーバブル期の狂乱景気・騒動、オウム真理教を思わせる妄信した狂気(凶器)ーーが点描されており見応えあり。

5人(キャストは4人)の女が繰り広げるサスペンスコメディ。等身大の女を生き活きと演じており、その弾けた(エキセントリックな)演技が実に面白い。時代・時間の変化は衣裳は勿論ヘアスタイルを変えるなど細かい。舞台技術は、照明の諧調で情況や状況を巧みに表し、音響・音楽(レコードを聞かせる)は効果・印象付けをしている。

気になったのは 次の通り。
●上演時間が共通パンフでは60分、入り口には80分、そして5分押し。数分なら気にならないが…。
●場転換、明転してもスタッフが舞台上で作業しており、慌てて捌ける。
●白幕へ映写した文字スーパーとそれを読む音声がズレている。
●死んだ萌がカーテンの隙間から動くのが見えてしまう。
いくつか列挙したが、改善の余地があるものばかり。
次回公演も楽しみにしております。
朗読劇 夏月夜十景

朗読劇 夏月夜十景

エムズクルー

新宿眼科画廊(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/16 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

朗読劇だが、比較的狭い空間にセットを設え、それによって情景豊かに紡いでいく。怪談というよりは不思議な妖艶噺と信仰噺といった印象だ。構成は大括りに前半と後半、まず朗読劇の企画(怪談会)に掛かる前半、続けて物語2編が後半として展開していく。

説明にもあるが、明治末期から昭和初期にかけての、百年に一度の怪談ブーム。文壇や演劇界、花柳界など都内各所で開かれていた怪談会や百物語。それらの会の記録と主宰の一人・平山盧江の短編小説をドラマアンソロジーとして上演すると。
前半は、会の記録から佐々木喜善氏に焦点をあて話を組立てる。そして今年の元旦に起きた能登地震から明治時代に起きた三陸の地震へ繋げる。災害に係る経験…自然の前では人間は無力、それでも生きていくといった力・逞しさを描いている。その目に見えない不思議な<力>は、物語の中に表れる超常現象もしくは怪奇・怪談に繋がるよう。後半は、怪談会に名を連ねていた新聞記者であった平山氏の小説「投げ丁半」と「二十六夜待」が格調高く語られる。

怪談話という先入観があるため、前半の怪談会、それも冒頭部分は少し早い〈喋り〉に感じたが、物語2編は情感に溢れ実に見事な〈語り〉だ。
今まで聞いてきた朗読劇の中ではレベルが高く 驚かされた。
(上演時間1時間25分 休憩なし) 7.15追記

ネタバレBOX

舞台美術は、縦型の和風照明が周りを囲むように点在。冒頭は、中央奥と上手に縁台が逆Ⅼ字に置かれている。下手に高さある椅子、その近くに丸椅子が倒れている。話や物語の展開によって、それらの道具の並べ替えをするなどして情景を表す。

話の展開は、時代を遡行するように<怪談会>なるものが出来た経緯、そして平山氏の短編小説2編を休憩なしで朗読する。役者は小説=物語とト書きというかナレーションを担当する者がおり、その役割に応じて読み方を変える。物語中の登場人物は情感豊かに、ナレーション担当は淡々とした語り。その物語にあった雰囲気を漂わすため、例えば衣裳も現代物であれば洋服、時代物であれば和服といった気配り。

「投げ丁半」は、芸子 里奴とその馴染み客の友人である雀部 その2人が登場人物。どこかの温泉地(宿)へ投宿し 馴染み客である男を待つが来られないと…。馴染み客は電報によってその存在を示す。里奴は雀部を誘惑するが 相手にされない。そして夜に蜘蛛が現れ不吉で不気味な…女の情念によって金縛りあったかのような寝苦しい夜。花街を舞台にした艶話。
「二十六夜待」は、ある川もしくは海辺にある商家、その近くに流れ着いた心中死体。身元知れずで不憫に思い 商家の主人が丁寧に弔った。そんな時、男女の行方を捜している商家と置屋の者が事情を説明する。若旦那と遊郭女が川へ身投げをし、あの世で結ばれようと…その2人の亡霊が弔ってもらった主人のもとへお礼に来る。「二十六夜」の信仰と江戸の風俗を描いた心中物。

舞台技術、和風照明の諧調によって時間や情況を巧みに変化させる。和の柔らかく ぼんやりとした照明は怪しくもあり妖しさをも表現。それが怪談話と艶っぽい話と江戸という時代物にピッタリ。音響は 波ざる(波の音)、笛の音、仏具(リンの音)などの小道具で情景を豊かに表す。役者は台本を持ちながら、時にそれら小道具を巧く操り公演全体の雰囲気ー怪談ーへ誘う。
次回公演も楽しみにしております。
いっかいやすみ

いっかいやすみ

ポッキリくれよんズ

シアター711(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人生、いっかい立ち止まり考える時間と場所が必要、そんな特別な日を描いた物語。
チラシにあるような場所で偶然に出会った男女のほろ苦い思い、そのリアルな姿がちょっと切ない。登場する人物に料理人がいるが、その人が作るティラミスは<苦い>と評される。まさにその言葉を比喩としたような どうして苦いのか 得体のしれない不安や戸惑いが押し寄せる。

表現し難い感情、思いの距離感とでも言うのか、そんな曖昧で漠然とした気持を実に自然体に演じ観せる。また冒頭、男2人が何やら怪しく謎めいた会話から始まり 興味を惹かせる導入部、そして いつの間にか日常的な光景へ、その展開の仕方も好かった。何より この場所がどういう所なのかという設定が妙。
(上演時間1時間35分 休憩なし) 7.15追記

ネタバレBOX

舞台はリゾート地にある貸別荘 そのリビング。中央にテーブル、上手にビーチベット、下手はインナーバルコニーorテラスのような所に椅子、全体的にスタイリッシュといった感じ。上演前には海鳥の鳴き声、波の音が聞こえ海辺の風景が浮かぶ。

物語は、この貸別荘を契約するか否か判断するため下見(体験宿泊)にやって来た夫婦、そしてダブルブッキングしたカップルという2組、何とか商談成立させたい営業担当者(ベテラン-木村智之と新人-牧沙織)とその周りの人々が織りなす<休息劇〔⇦勿論 造語〕>といったところ。宮澤知宏・直美夫妻は、気持に微かなズレが生じているようで、それが修復できるか否か微妙な関係にある。特に妻は 夫が仕事に忙しく心に隙間を作っている。貸別荘はそんな夫との関係を見直すキッカケ、ゆったりとした時を過ごしたいと思っていたが、ここでも仕事の電話が…。
一方、予約手続のミスで同宿することになったカップル 相田悠木と福原美咲は、男より女の方が収入が多く、相田はデート代を節約するため体験宿泊(すべて無料)に申し込んだ。夫婦とカップルの契約に対する思いの違い、勿論 収入格差など嫉妬・卑屈・羨望などの感情を盛り込むことによって、一層 男と女の<気持>のあり様を浮き彫りにする。

冒頭、この貸別荘の契約をさせたい木村が、ここの清掃員 山内敏男に別荘(家)の前の持ち主であり、思い出深いと一芝居打ってほしいと依頼している。ミステリーを思わせるような導入が物語への関心を高める。また清掃員の妹?(劇中では木村の妹のようだったが、当日パンフの役名が山内葉子)が、レストラン勤務で心を病み この別荘へ逃げて来て…。皆なんらかの事情で<休みたい人々>が集まってしまう。夫婦、カップル夫々の関係の表面を取り繕いつつも、内に抱え発散できないモヤモヤした気持、その表現し難い感情を巧く描いている。また営業職にある者の焦りと苦悩、それをベテランと転職を繰り返す新人、この2人を対置させることで清濁を分かり易くしている。

舞台技術は、波の音や時間経過を表す照明の諧調。特に花火を連想させる音響・照明は効果的だったが、物語を強く印象付けるものは感じられなかった。
次回公演も楽しみにしております。
尺には尺を

尺には尺を

イノセントギアカンパニー

劇場HOPE(東京都)

2024/07/10 (水) ~ 2024/07/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

劇場がキーノートシアターから中野の劇場HOPEへ急遽の変更。その対応で大変だったと思うが、スタッフ応対はしっかりしており、舞台美術も違和感なく設えていた と思う。

シェイクスピア戯曲で、未見の演目であったため興味を抱いて観に行ったが…。物語はそれほど難しくはなく、どちらかといえば劇中でも言っていたがTV「暴れん坊将軍」「水戸黄門シリーズ」といった、権力あるものが正体を隠し市中を見廻るといったもの。

理性が欲情に絡め取られ転落していくといったストーリーだが、出演がすべて女優ということもあり、演じている男役の性欲感があまり感じられない。また全体的に台詞はしっかり聞こえるが、シェイクスピア劇独特の台詞回しのせいだろうか、今ひとつ〈言葉〉〈感情〉として伝わらないのが惜しい。人間が発する言葉、そこにある血肉のような生々しさが欲しい。とは言え、物語の内容はしっかり表現しており、分かり易く伝えているところは好い。
(上演時間1時間40分 アフタートーク10分 計 1時間50分) 

ネタバレBOX

舞台美術は、基本対称になっており正方形/羽目板のような壁で囲い、夫々の上部には十字架が飾られている。そして上手下手に同じようなクリスマスリースのような飾りと観賞用の低木。
物語は、タイトルに全て集約されているよう。つまり、劇中の台詞にも出てくる新約聖書の「マタイによる福音書」からだと思うが 「あなたが人を裁く同じ方法であなたは裁かれ、あなたが使う尺であなたは計られる」だろう。

梗概は説明にある通り、ウィーンの公爵ヴィンセンショーは外交でウィーンを離れることにしたと言い、代理を厳格なアンジェロに任せる。そして 若い貴族クローディオは婚前交渉で恋人のジュリエットを妊娠させ、姦通罪でアンジェロから死刑を宣告される。
クローディオの妹イザベラはアンジェロに面会し、慈悲を求めるが、自分と寝るならばクローディオを助けてもいいと持ちかける。イザベラは拒否し、刑務所でクローディオに潔く死ぬよう言う。そんな中 実は公爵は、ウィーンを出発しておらず、修道士に変装してアンジェロの動向を監視していたというもの。日本の時代劇、それも勧善懲悪ものといった印象で安心感があるが、早い段階で 先が見えているところに物足りなさを感じる。

シェイクスピアの戯曲のなかでは上演回数もそれほど多くはないようで 先にも記したが自分も未見。登場人物は変わり者が多く<ダークコメディ>と呼ばれている。物語はそれほど難しくはなく、人間が持つ自我と欲望を剥き出しにした人々、その人物を役者はコミカルに演じている。茶目っ気の中に深い人物像を立ち上げようとしているが、台詞が伝わってこないのが恨み。
次回公演も楽しみにしております。
『口車ダブルス』

『口車ダブルス』

劇団フルタ丸

小劇場B1(東京都)

2024/07/10 (水) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
講談風の語りを交えて描く現代劇ー保険営業の悲哀がしっかり味わえる。説明にあるヘッドハンティングされて新部長に就任したのは、保険営業のプロと素人の女性2人。対極の2人の部長が公演の肝。この2人が講談師の役割を担い、物語を膨らませていく。プロの部長は、部下を厳しく鍛えるが相談し難い。一方 素人の部長は相談し易いが甘く見られる。保険営業を通して人材管理・活用、そして育成・適所といった人間観察が透けて見えてくる。

キャスト2人が、釈台代わりの演台に張扇を叩きながらリズミカルに語る講談風の話芸、そして現代劇にも現れる奇抜さ。「言葉のガソリンで回り続ける保険屋たちの群像悲喜劇」の謳い文句、いつの間にかノせられたシリアス/コメデイ。笑い続けた衝撃、いや笑劇だった。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、後ろの壁に大きさの違う歯車、壁際に段差を設え その上り下りで躍動感が生まれる。始めは 演台(可動式)が2つ並んでいるが、物語の展開で動かし情景と状況を作り出す。シンプルなセットであるが、そこが社内であり営業先、居酒屋等の空間を見事に演出する。さり気なく<第三生命>の看板が掲げられている。

冒頭、講談師の口上によって 登場人物のプロフィールが紹介されながら1人づつ現れる。これによって早い段階で社内の立場や関係性、そして営業スタイルが明らかになる。キャスト陣は その人物像をしっかり立ち上げている。物語は何か目的に向かって収斂するといったものではなく、1人ひとり保険営業に対する考え方、顧客への接し方を通して人生の悲哀を表す。その人生模様―心理なり行動の様態を講談師が語ることによって、より鮮明になる。

また講談師は新部長として劇中に入り込み、まったく異なる性格・立場によって社内の人事掌握をする。まさしく飴と鞭のような対応によって、人材の育成と活用が出来る といった典型的な描き方が共感を得る。またバーに現れナンパされる第三者をも演じ、出ずっぱりで、しかも多くの役割を担う2人(真帆サン、篠原友紀サン)の存在が公演の要。

保険営業職は学歴やキャリアは不問、武器はセールストーク。好きなバンドを辞めた独身中年男、若くしてFPの資格を取得した計算ずく妻帯者、1人で息子を育ている謎の女、そして新卒など、世間に居そうな人物を登場させ、観ている人の心に訴える。勿論 皮肉・自虐や笑いを込めて。この営業職と一線を画す清掃員 五味豊(フルタジュン サン)の存在が妙。社内で自分の存在をアピールする、その自我と向上心は保険営業のみならず社会人の普遍的な姿を表す。

舞台技術は照明の点滅や諧調、しかし それほどの印象付けは感じられない。また音響・音楽も邪魔しない程度、その控え目な演出が寧ろ良かった。
次回公演も楽しみにしております。
駈込み訴え

駈込み訴え

中瀬古健

MUSIC BAR道(東京都)

2024/07/05 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
中瀬古 健 氏による一人芝居、熱演。
「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるが、物語(小説)は イスカリオテのユダのキリストへの狂おしい思い〈思慕と裏切〉を大胆に解釈し語られる。嫉妬、愛憎相反するような感情、その複雑な思いを繊細に演じる。それによって ユダの心情が抒情豊かに描かれる。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術は 中央に平板を組んだ立ち台、その後ろにシンク、上手に小姿見、下手に脚立が置かれている。舞台の前後を照らす天井の小さな照明が効果的。壁・柱や天井に小説の一節または文が書かれた貼紙。また劇中、講談風に語(喋)る場面では釈台のようなものを利用し観せ聞かせる。シンプルなセットの中を自由自在に動き回りユダの心情を切々と表現する。

冒頭は 時代がかったような語りから始まり、自分が如何に主に尽くし奉仕してきたか。それでも報われない思い 仕打ちに憤る。自分が これほどまでに慕っているのに…。あろうことか、主は 貧しく教養もない百姓女に恋をしたと邪推し嫉妬する。自分の奉仕に対する見返り、その思慕が受け入れられないと悟った時に芽生えた裏切りの感情。心の変遷とその複雑な思いが順々と展開される。フードを被ったキリストは「おまえたちの中の一人が私を売る。その者に 1つまみのパンを与える」、一方 ユダは「私はしょせん商人。賤しめられている金銭であの方に復讐、銀三十」旨、その対の台詞に心魂が震える。

何となく、暗鬱なユダという人物の感じが 作者・太宰治に似ているような気がして興味深く観た。ユダという人間の懺悔録(自己憐憫・自己憎悪等)から奥深く印象的な公演に仕上げている。何故、ユダがキリストを銀三十で売ったのか、謎に包まれた伝説に材を得た原作。小説を読むのと違って、生身の役者の血肉を通してユダの感情・人間性をリアルに立ち上げた。公演は彼の演技力で成り立ち、その迫力・緊迫感に圧倒される。

暗転による場面転換が絶妙で、情景・状況の変化が分かり易い。またロウソクに火を点し 水を流すなど観せ方に工夫を凝らし飽きさせない。ラストはローリング・ストーンズの音楽で余韻を残す巧さ。
少し気になったのは、下手の壁に寄り掛かるような演技の時、見切れになるような。台詞にある「堪忍ならないor堪えられない」(⇦遠くて不正確)と書かれた貼紙のある柱が出っ張っているため、後部客席からだと壁際の演技が観えにくい。
次回公演も楽しみにしております。
【延期公演開催】エアスイミング

【延期公演開催】エアスイミング

演劇企画イロトリドリノハナ

小劇場B1(東京都)

2024/07/04 (木) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

1920年代 イギリス。女性が貞淑で従順であらねばならなかった時代。性規範や倫理を逸脱したとして精神異常の烙印を押され、収容施設に収監された女性の物語。
この演目 最近よく上演されているようで、自分が知っているだけでも昨年秋から4公演目。本公演も含め そのうち3公演が下北沢で上演されており、たまたま5月の公演に出演していた女優も観に来ていた。途中休憩時に雑談したが、懐かしい と感慨深げのよう。

原作がシャーロット・ジョーンズ、翻訳が小川公代女史、すべて同じであるから演出・演技等にその特徴が表れる。
(上演時間2時間15分 途中休憩含む)

ネタバレBOX

舞台美術は中央にバスタブ、周りは上下で色が異なるタイル。水道蛇口・シンク、その傍らに箒やブラシ等の清掃道具が置かれている。客席の一部を この収容施設の階段に見立てている。蛇口やバケツ等が真新しくて照明が当たると輝いて見え ちょっと違和感。小綺麗でスタイリッシュといった感じ、先入観・偏見かもしれないが、もっと薄汚れ陰湿といった印象を持っていた。

物語は1924年から約半世紀、精神異常者として「触法精神病院施設」に収監された女性2人 ベルセポネー(森下知香サン)とドーラ(室田百恵サン)の不撓不屈の精神が描かれている。上流階級育ちのペルセポネーは、妻帯者の男性と恋に落ち 妊娠して婚外子を産み、父親に施設に入れられてしまう。そして社会の性規範に囚われず、葉巻を吸い過度に男性(軍人)的にふるまったことを理由に2年前に収容されたドーラに出会う。この2人が 空想・想像力を交え、励まし合い、笑わせ合いながら 権力の象徴とも言える精神病院内で紡ぐ会話劇。

精神異常者として身体の管理と拘束をする、その理不尽な対象を女性に絞って描いている。それは外国(イギリス)の しかも過去のことではなく、現代日本に通じる問題・課題でもあろう。当時における触法精神障碍者の実話を基に、現代を生きる女性の「痛み」「苦しみ」「患う」の声をすくい上げる。それゆえ 理不尽・不平等が生じている状況を打開、端的に言えば ジェンダー格差による不利益の克服といった意も込められている。
2人の女性が励まし助け合いながら<生きようとする>その姿に心魂が揺さぶられる。孤独と絶望に押しつぶされそうになるが、わずか1日のうちのたったの1時間の清掃業務で…。「狂気」と隣り合わせ、現実逃避と自己肯定を行ったり来たり。そして女優のドリス・デイを引き合いに出しながら、夢と希望を語り<生きよう>とする姿は、どんな状況においても諦めないことを訴える。これは女性だけではなく、男性や最近ではLGBTQにおいても生きづらい世を少しずつでも変える運動へ、を連想させる。

公演で興味を惹いたのは、社会的な観点と人間的な観点とでも言うのだろうか。ペルセポネーは妻帯者の男性と恋に落ち婚外子を産んだ。今でも不倫などのスキャンダルは世間から非難を浴びるし、興味本位で騒ぎ立てられる。社会的な観点からみれば精神病院へ収監するという問題、一方 不倫された妻の人としての感情(憤り)はどうか。端的な構図はペルセポネーの行為は同性への裏切りのようで…。この公演は、あくまで社会体制(規範)からの自由 解放という<声>のようだ。
もう1つ。女性が貞操であらねばならない時代。今でも女らしさ男らしさ、そして<あらねばならない>という曖昧な固定観念に囚われる。しかし現代においても その不自由な観念を払拭したと言い切れるだろうか。ラスト、2人が踊るー演劇的に見れば、奈落の底から抜け出すように泳ぐーまさに自由に空を羽搏くエアスイミングだ。

途中休憩を挟んで前半と後半とすれば、前半は少しテンポが緩く(ウィッグを付け、帽子を被り別人を演じるなど工夫をしているが)足踏みしているよう。毎日同じことの繰り返し、その淡々とした閉塞感が感じられるとよかった。前半 最後のバスタブを動かし夢見る場面は印象的。一転 後半はテンポが良くなり夫々が抱えた苦悩と人格崩壊が顕著になり情景・状況描写に迫力が増す。
格子状の照明は施設の格子であり台詞にある風呂(タイル)磨き、また水滴の音?と水玉模様の回転照明によって孤絶やスイミングを夫々 連想させる。そして 地味な色彩の衣裳を着て、髪や身体的な老いを見せるが、ラストには希望が…。
次回公演も楽しみにしております。
迷子

迷子

WItching Banquet

Half Moon Hall(東京都)

2024/06/27 (木) ~ 2024/07/03 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

迷子は、道に迷った そのままの意味であり、心の迷い 人生の迷いでもあるような物語。
梗概は、説明にある通りだが、ストレートプレイに歌唱シーンを挿入し 敢えてミュージカル風にしたことに違和感を持つか否かで評価が分かれるかもしれない。自分は、前作「AIRSWIMMING-エアスイミング-」も観ており、この団体の特長と好意的に捉えている。

初めて行った劇場-Half Moon Hall-下北沢駅 徒歩数分にある豪邸の地下にあるホール、音響設備が整っているため 使用したのだろう。生演奏が心地良く響き 優しく包み込むようだ。当日パンフにオリジナルのMusical Numbers 16曲が紹介されていたが、それとは別に最初と最後は「家路」(ドヴォルザーク交響曲第9番第2楽章)が流れ哀愁が…。勿論それにともなって照明の諧調を行い印象付ける。

苦悩や悲哀によって自暴自棄に、そんな時に偶然出会った人の縁によって…。この人々の心情の衝突と寄り添いが物語の肝。物語はストレートだが、演出は舞台美術を始め音楽・照明といった舞台技術に工夫を凝らす。全体的に丁寧な創作をしているといった印象だ。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【夕陽の丘side】6.30追記

ネタバレBOX

舞台美術は、平板台を変則的に積み重ね その段差によって情景・状況の変化を表わす。同時に役者の動きに躍動感が生まれる。演奏者は上手にReed、下手にPiano。ちなみに演奏者の衣裳は黒衣のようで、まさに黒子に徹している。

見知らぬ街をさ迷い歩いた末、現在地が分からなくなった女 真紀、その彼女に声を掛けたのが香子、この2人の偶然 いや必然的な出会いから始まるヒューマンドラマ。
香子の家族は、夫は出奔、長男 堅一は東京で働き、次男 智哉は軽度の知的障碍者、そして自身は統合失調症に悩まされ 皆バラバラで崩壊寸前。壊れそうな家族を繋ぎとめようとする長男の苦悩、そして打開策を模索するが…。
一方、真紀は夫の浮気で離婚、一人息子を必死で育ていたが仕事のストレスでアルコール依存症になり、元夫に親権を奪われ 孤独と自責に苛まれていた。

1人ひとりが抱えた悩み、しかし1人では解決できない問題も 寄り添い 労わり合う、といった優しい気持で乗り越えようとする。予定調和のような気もするが、そこは人の心根を信じたい。
家族をサポートする家政婦 登紀子(歌唱)、香子の脳内で囁くVoice(ダンス)、その次元の異なる存在が 現実と虚構を表しているようで面白い。精神的なバランスを崩しかけた家族、その渦に一石を投じる形となった真紀…愛情・孤独・優しさを主題にした珠玉作。

観(魅)せる演出は、第一に音楽・歌唱(スタンドマイクも使用)、そしてヒーローの映像、椅子を逆さにして花瓶に見立て花(金木犀)を活けるといった工夫と小物等で楽しませる。このホールならではの至近距離ゆえのサービスか。
ちょっと不自然に思えたのが、Voice以外の役者は全員同じ白靴(ゴム底)を履いており、滑らないため(観客もスリッパに履替えるのと同様)か?
次回公演も楽しみにしております。
地の塩、海の根

地の塩、海の根

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

混迷する世界、その時代に生きる者にとって演劇の<力>とは…。
フライヤーには「ポーランド作家ユゼフ・ヴィトリンによる現ウクライナ地域の民衆の苦悩を描いた反戦小説」とあり、2022年6月に関西の演劇人と坂手洋二氏が この小説をもとにした「反戦リーディング」を上演したとある。タイトルからも分かるように小説「地の塩(未完)」と「海の根」という物語(思い)が交錯するように描かれており、その内容は民族・歴史・文化・言語など多岐にわたり、色々な課題・問題提起をしている。

さて、この作品が燐光群(作・演出 坂手洋二氏)で上演されるから興味を惹くのであって、日常的に この国・地域に関心を持っている日本人がどれほどいるだろうか。地政学的にも すぐ反応できる人はそれほど多くいないのでは(⇦誤解か?)。今回観劇したのは、以前観た「ストレイト・ライン・クレイジー」が少し残念な思いをしたこともあり、このまま燐光群公演を観なくなったら という思いが正直なところ。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

素舞台。ただ奥が高くなっており、カーブを描くように低くなり また客席側が高くなる。一見すると八百屋舞台のようだ。基本 リーディングだが、役者が動き回り少なからず情景と状況を表す。
客席近くの上手 下手に対峙しての会話は圧巻。


物語は、某国立大学の講堂からウクライナ、ロシア、クリミアへ時間や場所が次々に変化・変遷していく。言えることは<今>を描いているーその意味では現代叙事詩。その観せ方はドキュメンタリーフィクションといった臨場感あるもの。小説「地の塩」の章立を順々に展開するようだが、原作は未完(10章迄)である。そして ロシア語の翻訳はあるがウクライナ語の翻訳はない。そこで リーディングを行うために役者を集める。

リーディング作業と「地の塩」をウクライナ語に翻訳しようとする作家(家族)の話が交錯する。ロシア語を拒否し、ウクライナ語に未来を託す家族、しかしロシアに止められている息子はロシア語などの教育を強いられる。さらに小説の世界へ、そこでは踏切警手が オーストリア帝国の兵士として徴兵されロシアとの戦争へ…。
ロシアにいた息子とウクライナにいる父の邂逅、父は「地の塩」をウクライナ語へ翻訳し、息子は その思いを綴った「海の根」、その地に対する脈々たる歴史と敬愛が書き込まれているよう。

公演の面白いところは、ウクライナ、ロシアといった一方的な観点ではなく、まさにジャーナリステックのような視点で描いたといった印象。他方 難しいところは、現在進行している戦争を扱っているところ。自分の考えスタンスが確りしていないと、単に同調して見誤る可能性があるということ。その意味では おそろしく手強い公演だ。

世界各国が政治・経済などあらゆる分野で関係していることから、対岸の火事といって傍観していても物価高など火の粉が降りかかってくる。正当なメッセージが込められた倫理観という醒めた見方、遠い国の出来事(戦争)といった他人事ではなく、自分たちとの関わりという視点で観ると興味深いかも。勿論、公演の主張は明確で 燐光群らしい反骨そして硬派なもの。
次回公演も楽しみにしております。
ワーニャ伯父さん×母がいた書斎

ワーニャ伯父さん×母がいた書斎

S.H.Produce

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/06/19 (水) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観(聴き)応え十分。
「ワーニャ伯父さん」…どんなに辛く厳しい現実があろうとも生き抜く、そんなメッセージを印象深くさせる演出が良い。「母がいた書斎」…無難にまとめたといった感じだが、こちらの作品も演出が巧い。どちらの作品もキャストの感情に訴えかけるような熱演(朗読)が物語の世界へ強く引き込む。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は 後景に何枚かの白紗幕、黒っぽい壁(暗幕?)と相まって鯨幕のように見える。舞台前後に段差を設え スタンドマイク(前4本、後2本)、キャストは立ち位置を固定せず、マイク間を移動する。この動きは、感情や場所といった精神的・物理的、そして会話する相手との距離感の変化を表しているようだ。登場しない時には、上手 下手にあるパイプ椅子に座り待機している。

●「ワーニャ伯父さん」
ワーニャ(新濱 卓サン)が自分の人生(47歳)を顧み 無駄に過ごしたと苦悩するが、それでも姪ソーニャ(桜羽萌子サン)が、いつか来るその時まで生き抜くことを諭すといった、よく知られた物語。
始まりと終わりに 登場人物(キャスト)が一瞬静止するが、それによってチェーホフの閉塞した世界観とは別の光景が描かれているといった印象だ。勿論 描かれている内容の根幹は変わらないが、何となく現代的といった感じだ。劇中 何気に雑踏・雑談のような外の世界が入り込むようで、約130年前に書かれた物語を現代から俯瞰したような。それは後景の鯨幕(枠)のような美術と相まってモノクロ映画で「ワーニャ伯父さん」を観たような感覚。

語りは 下男(足立彬光サン)と乳母(伊庭波弦サン)、この2人は黒い衣裳でその外見から黒子、そして淡々とした語りで感情表現をしない。それはト書きでありナレーションのようで見事な語りに徹していた。一方、登場人物はそれぞれが役に見合った衣裳。さらにワーニャの義弟セレブリャコーフ(多田健悟サン)はメガネをかけ老境を、その妻エレーナ(星いくみサン)は若くして美貌を表すためウィッグで長髪、といった外見にも気を配る。他に医師アーストロフ(米山真平サン)、母マリヤ(中村伊佐サン)。演技(朗読)は 聴きやすく、感情が迸った熱演が良かった。ただ 少し早口で悲哀が…惜しい。
舞台技術、特に照明の諧調は巧い。紗幕の上下から照射することで情景や状況の変化、スポットライトで人物の心情を表現する。橙色彩で温かさ、銃声の瞬間は青白い閃光といった印象付け。また音響・音楽は、朗読劇ということもあり、あまり目立たないようにしているが、帰りの時に鳴る鈴や優しいピアノの音色が心地良い。ラストはJupiterを選曲し余韻を…。

●「母がいた書斎」
物語は、概ね説明にある通りだが、予備校の講師への片思いという感情は あまり感じられなかった。ヒロイン 弥永香奈(有藤詩織サン)は女医であった母 路津子と同じ道を歩もうとしている。幼い頃に亡くなり、その思い出・記憶はほとんどない。受験勉強、進路に悩んでいた時、母の書斎で見つけた<母の日記>を読み、といった物語。
ワーニャ伯父さんで夫婦を演じたセレブリャコーフとエレーナは、夫々 メガネやウィッグを外し、今度は若々しく現代的な夫婦(一宏・路津子)を演じる。またワーニャ伯父さんでは語りを務めた下男が 予備校講師 松尾尚人、母マリアが 一宏の上司(婦長) 東美保として感情表現する等 魅(聴か)せる演技が見事。舞台技術は上述と同じ。
次回公演も楽しみにしております。
きく

きく

エンニュイ

アトリエ春風舎(東京都)

2024/06/18 (火) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

未見の団体、そして「CoRich舞台芸術まつり!2023グランプリ作品」ということで興味をもって観たが、自分にはよく解らなかった。いや説明を読んでいたからだと思うが、描こうとしていることは何となく分かる。

タイトルの<きく>ことを色々な方法・手段で表現しようとしているのだろうが、今まで観てきた作品と違うため戸惑う。今では、このような作品が好まれるのだろうか。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、正面後ろにスクリーンが3枚。その前に横並びで箱馬がキャスト分並んでいる。天井や壁には手作りのモノが吊下がり 貼られている。シンプルな空間だが、展開に応じてスクリーンを上げ、箱馬を動かし場転していく。ここは何処で、集まっているメンバーの関係性は、といったことは判然としない。

冒頭、横並びの箱馬に座って たわい無い話を小声でしているが、1人の男が突然大声で「母が癌だった…」と話す。東京で働いている男(息子)、広島にいる病気の母、母子家庭で頼る親戚はいない。その彼に向って母の介護は大切と諭すメンバー。「そんな事は解っている!」、しかし遠方・仕事・経済など八方塞がりの状況だから苦悩しているのだと。彼の状況には同情するが、解決策は見出せない。この時点で彼は自分の心情は解りっこないと拒絶している。

そのうち 別の話題へ移行し、<きく>について次から次に色々なアプローチをする。夫婦で行っているゲーム、長大な筒を耳に当てた何らかの競技など、雑然とした情景が繰り広げられる、といった印象である。この場面を煽るのが撮影しているスタッフ。実はキャストの1人になっているよう。そして照明とは別にキャストをスクリーンへ、更に角度を変え上手の壁にも映し出し 多くの人が存在しているような錯覚(混沌とした世界観)を演出する。場面によっては、キャストが1人ひとりバラバラに喋り 会話が成立しているのか否か。いや物語における会話ではなく、日常の雑踏の中で知らぬ者(同時に多人数)が勝手に喋っている光景か。その意味では舞台という虚構性ではなくリアルな現実世界を描いているのかも知れない(台本通りorアプローチか?)。

通底しているのは「母が癌だった」である。<きく>という行為の真剣度、それは意識的か無意識かといった違いで、大きく違うのだろう。親身になれなければ 実際は聞いていないに等しい。<きく>は<きかせる>と対になり、男が初めの段階で拒絶しているよう。だからこそ <きく>人たちの会話が漂流し始めるのではないだろうか、と勝手な解釈をしている。
次回公演も楽しみにしております。
キネカメモリア

キネカメモリア

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2024/06/19 (水) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
映画愛に満ちた珠玉作。少しネタバレするが、古びた名画座といった場所。劇場内に入った瞬間、昔よく行った映画館の雰囲気で懐かしさが込み上げてくる。といってもまだ都内にある いくつかの名画座に行くことがあるが。

秋葉 舞滝子女史の演技は勿論、演出は実に巧い。特に照明の諧調によって 登場人物の心情や情景の変化を効果的に表現している。物語は滋味に溢れ、印象付けと余韻が見事。

劇中に出てくる映画に準えている様な物語。それは日常の暮らしを淡々と紡ぐ、しかし それだけに多くの人(生)に寄り添うようで、思わず共感してしまう。自分にとって、映画は娯楽であり学び でもあったような気がする。そんな懐古的な思いに浸った。
(上演時間1時間20分 途中休憩なし)6.21追記

ネタバレBOX

舞台美術は、地方都市の寂びれた映画館(扇野文化劇場)のロビーが舞台。正面に多くの映画(洋画)ポスターが貼られ、上手に売店カウンター、下手に演台のような捥ぎり場。その近くに入場料(大人1,000円、中高校生700円、60歳以上500円)が掲げられている。

劇中の台詞 「終わらない映画ってないかな? 映画は終わりがあるから映画なんだよ」は 映画に準えて人生を語るようなもの。2本立の映画を上演している古びた映画館、そこに毎日通ってくる常連客 戸田克子(秋葉 舞滝子サン)、そして最近同じように毎日通う女子高生 一ノ瀬沙織の映画愛。と言っても2人の感性や事情は異なる。一方 映画館を含む このあたり一帯が再開発される予定でデベロッパーも通い出した。ちょっとした事件といえば この立ち退き騒動ぐらいか。

克子の大学時代は学生運動が盛んで、自分と彼も運動に参加していた。しかし運動の方向性を巡ってグループ内の対立から彼を…。その彼と待ち合わせをして見ようとした映画が「さよならコロンバス」、しかし現在に至るまで見ていない。克子は、この映画を見るまでは(人生)先に進めない。この見ることの出来ない映画(存在)こそが この劇作を支えており、克子の心情の肝。映画の内容は、一ノ瀬家が一代で築いた成金という設定と同じ。映画の恋沙汰とは多少違うが、沙織を監視していた執事の橋田正孝が、映画館に通っているストリッパーの篠山ローザに惚れた。そして避妊を含めた下ネタは映画そのもの。貧富という格差恋愛に対する差別や偏見といった観点ではなく、何方かと言えば古びた映画やストリップという廃れつつある<文化>のようなものへのノスタルジー。その対となる例として、再開発ーアウトレットモールが絡んでくる。

現代の忙しない日常とかけ離れた空間と時間、昭和という時代の雰囲気が漂う中で、過去を引きずり愁いある人生を送る。最新の話題作ではなくリバイバル、そこに古き良き時代の郷愁が感じられる。それまでの映画は、非日常・虚構の世界が強く反映された内容。しかし本作で取り上げた映画は、 日常というあり触れた内容を撮るという、当時としては斬新なもの。今では、うらぶれているが 何故かホッとする。映画を見て心に残る…その映画のフィルムがたとえ失われても、見た人の心の中で残り(生き)続ける。人生も同様で、大切な人が亡くなっても その人のことを忘れなければ、心の中でずっと生き続けるのだと…。そう考えた時、「さよならコロンバス」がたいして面白くもなく、すぐ忘れることが出来るならば、克子は新しい人生を歩み出すことが出来るのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
有頂天

有頂天

中央大学第二演劇研究会

シアターブラッツ(東京都)

2024/06/13 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

理解に苦しむような内容のため、コメントが難しい。天才写真家と大学時代の写真部同期で、CM等の商業写真を撮るカメラマンとの確執、そして自殺願望をもつ女優を絡め、まだ何者にもなっていない若者の葛藤劇といったところ。

説明の「死を望むからこそ”今”を全力で生きる彼女の姿勢」と「泰然、いや漫然と生きる人々は…」、その描かれている内容は理屈先行で上から目線、もっと言えば傲慢のように思えるのだが。そしてラストも釈然としない。辛口コメントはネタバレで。

なお、舞台美術はスタイリッシュで分かり易く、舞台技術は観(魅)せる工夫をしており好ましい。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、階段状になっており 真ん中に緋毛氈が敷かれている。中央奥がBar店内ー上手にカウンター、腰高スツールと酒棚、下段の上手にソファ、下手にテーブル・椅子が置かれている。それぞれ別場所(夫々の写真家 事務所)を表わしている。物語は客席の一部も使用し、第三者的な存在も登場させる。
舞台技術、特に照明はカメラの連続フラッシュを連想させる強い明滅、情景に応じた諧調がスタイリッシュな舞台美術を映えさせる。また夜を徹した朝、ブラインドを開け夜と朝の明暗効果も良かった。

物語は、「あらゆる物事は終わる瞬間にこそ輝く」を信条に撮影を行う芸術肌の天才写真家 折尾マサミチ(アキ サン)と、大学時代の同期で商業写真を撮り、経営者としても敏腕をふるう商業カメラマン 館山タツヤ(冨士原脩斗サン)、この2人の写真に対する捉え方考え方の違い。そして館山がCM撮影で起用している女優 桂木ユキ(種倉あかりサン)が、自分の女優もしくはアイドルとしての存在、その(芸能)人生を賭けた問いをする。半年後に自死をする迄を写真に収めてほしい。それを折尾に依頼する。

女優として大成するか否か、24歳で見極めるのは、芸能人(女優)という職業のためなのか(傲慢印象)。彼女と行動を共にして 最期まで写真を撮る折尾の信条と心情はどうなのか。つまり「終わる瞬間にこそ輝く」という最高傑作は、彼女の死の瞬間 その時をもって達成されてしまうのではないか。それ以降 彼はその傑作を超える写真を撮ることが出来るのか。そもそも自殺しようとする人間を写真の被写体として冷静に撮ることが出来るのか(理屈だけか?)。内容としては、二人のカメラマンの写真に係る確執を膨らませるならば、共感出来るような所があったかも知れない。

また 大学時代の写真部同期で部長、今ではBarを開店した男バニー(山内浩敬サン)が、どうして女装変貌したのかその理由は?何か原因・理由があったような思わせ振りであったが、単に性癖で片付けられたような。

因みに、余命宣告された人が その期間 生きた証し(写真だったか映像)を遺(残)したいといったドキュメンタリー映画だったかTVがあったが…生への執着、生き様を感じさせるものがあった。

終盤、折尾が〈今が楽しいことを知ってしまった〉からは、自分の写真に対する姿勢が常に死と隣り合わせ、その緊張感との鬩ぎあいが解けてしまったのか。ユキは自分の思いを確認するために周りの人々を巻き込んで…。最後は女優らしい台詞 「年齢を重ね性格女優でも目指そうかしら」といった強かさ。物語の結末は劇場で…。
次回公演も楽しみにしております。
阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
昔、捨て子・孤児等が寺に集められ、民衆のために死んでゆけと教えられ、人柱・生贄として育てられた子供たちがいた。民間信仰のようなことから材を得て、地続きの今に警鐘を鳴らすような公演。愛情も学問もなく、ただ人身御供のためだけに生かされた童の存在ー「阿呆丸」と呼ばれた。物語では名前が付けられたのか否か、数えるだけの、ひい・ふう・みい という三婆にその役を担わせる。

本当にそんな伝承・風習があったのか。時代の流れ 大きな渦の中に、その存在は形を変えて浮き上がってくる。時代は昭和初期、物語は昭和12年から始まり日中戦争へ。上演前には、HP説明にあるような「明治政府は…生贄・人柱を殺人罪として禁止 時は流れ 昭和の時代、戦争の足音が近づく頃」と書かれた立板。勿論、生贄・人柱は戦時における出征を示唆している。時代に翻弄されるのは、当時に限ったことではなく、「阿呆丸」は決してあってはならないこと と思う。

公演では、主役で阿呆村の女頭目を演じた 音無美紀子さんの存在感が凄い。彼女を中心とした役者陣の熱演が、公演を支えているといっても過言ではないだろう。物語の世界観が緊張・緊迫をもって語られる。桟敷童子らしい舞台美術・装置がラストを印象付ける。そう言えば 「獣唄2021-改訂版」(主演:村井國夫サン)の時と似ているような…。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定

コエコガレ

コエコガレ

戌吸い企画

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/06/08 (土) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

描いている内容(テーマ)は、切り口が多少異なるが、この1年で同じような公演を3~4本観ており、既視感があり新鮮味が感じられなかったのが残念。問題意識も高く、訴えていることの重要性は理解しつつも、舞台となると もっと刺激的というか関心・興味を惹かせるものがほしい。あまりにオーソドックスな描き方なのだ。

またカーテンコール(アフタートークのような)で、キャスト1人ひとりが<舞台(公演)についての感想>を述べていたが、異口同音に脚本・演出家への辛口コメント?
実は、自分も劇中における このシーンが気になって…。
(上演時間1時間) 

ネタバレBOX

ほぼ素舞台で、一部凸状になった所あり。動物が戯れる玩具、そんな小道具が散在。
説明では<モノ>であると書いてあるが、チラシの絵柄等から容易に想像がつく。動物虐待・殺処分を取り上げた内容。

主人公 一宮(岡 ちひろサン)は学生の頃、動物を拾い警察に届け出るが、遺失物扱いで不安に思い連れ帰る。しかし 家では飼えず途方に暮れる。なんとか飼い主を見つけるが不幸にも…。この辛い思いから、動物愛護・保護の仕事に就く。捨てられた犬・猫の飼い主探し、そんな橋渡しの仕事に生き甲斐を感じていた。しかし自分の体調変化に気づかず、緊急入院・手術する羽目に…。残された犬・猫はどうなるのか?

物語は何の波乱もなくハッピ-エンド。出来れば幾つかの困難な出来事を入れることによって、内容に幅と深みが増し、観客に考えさせることが出来たのではないか。勿論 演劇的にもハラハラドキドキといった緊張感も得られ、集中力が増す。
劇中で緩い遊びのようなシーンがあるが、これは不要ではないか。キャストから、本編より この緩いシーンの演出の拘りが強った旨、説明があった。

公演は、舞台技術に工夫が観られた。特に照明は、大きさの異なる水玉模様が散らばり、一宮の動きに連動している。その光景は犬・猫の足跡が一宮を追う、そして集まるといった様子を表しているよう。音楽はピアノの優しい音色。
一宮以外は、六匹の犬猫でカジュアルな衣装、耳と尻尾を付けただけのシンプルな姿形。それでも性格なり特徴を表した演技が印象的だ。
次回公演も楽しみにしております。
短編作品集『3℃の飯より君が好き』

短編作品集『3℃の飯より君が好き』

劇団印象-indian elephant-

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「メイクアップ」は、ある公共劇場の企画で「子供に伝えたいこと/子供と考えたいこと」というテーマで30分の戯曲として応募したものらしい。この作品はベタな青春ドラマ、ショートムービーといった印象で、朗読劇としては 脳内にしっかり映像化が出来た。その意味で分かり易い作品だ。

「3℃の飯より君が好き」は、夫婦の会話劇であるが、人と社会の夫々の距離感というか関係性、その表し難い内容を舞台を通して描いており面白い。
どちらの作品も照明技術が巧く、眼前で演技している役者の姿、その人影を壁に映し出し、人物の多面的な捉え方を観せているよう。
(上演時間1時間30分 休憩なし)【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は、後景に水玉模様のある紗幕、下手にソファ、横並びに椅子が3脚。
〇「メイクアップ」
基本 椅子に座っての朗読。登場人物は中学3年生の女子生徒2名、男子生徒1名。女子生徒は小学生時代にスイミングスクールで知り合い、中学生になり安藤理沙は演劇部へ、山﨑陽子はどこにも入部せず、スイミングを続けている。男子の岡田保は演劇部。最近クラスの女子の間で化粧をする子が…陽子曰く、化粧は男への媚る といった男尊的な感情だという。それに批判的な意味合いも込めて、2人は化粧をしない約束をする。

演劇部の卒業公演で「オセロー」を上演するため、理沙(デズデモーナ役)は舞台化粧をしたいが、陽子は化粧を認めない。約束を破るのか、裏切るのかといった激高。また、保はオセローを演じるにあたって、リアリティを高めるため ブラックフェイスを考えている。このことを陽子が匿名Xで呟き、人種差別とバッシングされ 公演が危うく…。
それにしても12月のプールはベタだなぁ

「メイクアップ」を通して誰のための 何のための化粧か?男女の性差に潜む男女差別、一方演劇「オセロー」を通して、表層的には人種差別。両方に、差別意識・裏切りという共通の言葉が浮かぶ。「オセロー」で黒人 将軍オセローの部下 イアーゴーが、正直者に見せかけているが実は悪党だと言い、「私は私ではない」といった台詞があったと思う。このような論理矛盾が成立する世界観では、真実や正義は1つではない。物事の見方・捉え方は一律ではなく、視点を変えれば違って見えるのではないか、そんな示唆に富むもの。
まさしく子供と考えるに相応しい内容だろう。

〇「3℃の飯より君が好き」
休憩なしで素早く場面転換。舞台美術は、メイクアップで使用した椅子を搬出し、代わりに下手にテーブルと椅子を置く。
或る一夜の夫婦の奇妙な出来事を通して、改めて愛情(個人)そして生活(社会)との関わり、そんなありふれた幸せを描いた作品。

妻が仕事から帰り、夫が夜勤の仕事に出掛ける迄の 小一時間の物語。
洗濯ものを片付け、食事(1年近く前に作り、冷凍していたカレー)といった ありふれた光景。暗転後、突然 妻のお腹が妊婦のように大きくなり、夫の股間は凍り脹らむ。冷たい身体、これは2人の関係性の比喩であろうか。何とか温めて溶かしたい。

結婚して2年経ち、この地へ来て もうすぐ3年が経とうとしていた。妻が言う、新婚っていつまでなの。新婚旅行にも行っていない。夫はいつかと言うが、具体的ではない。カレーは今の冷めた?夫婦関係ー仕事をし家事もテキパキする 今を大事にする妻、一方 売れない詩作、物事を先送りする夫ー。そこへお腹と股間の膨らみは、何らかの啓示か?夫は子を望み、妻はまだ早いという意識の違い。同時に、地域との繋がり(祭りへの参加)を考えている夫、距離を置きたい妻、しかし移住して家賃補助を得ている現実。

ありふれた日常の中に、夫婦の関係や地域との関係、それを冷凍から解凍していくような温かく優しい気持にさせる不思議な物語。
次回公演も楽しみにしております。
青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)

青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)

藤原たまえプロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2劇場同時公演というのは 初めて観た。いや正確にはシアターグリーンの3劇場同時公演というのを観たことがあるが、公道を挟んで離れた場所の劇場という意味では初めて。自分が観たのは「劇」小劇場側の<結婚式場>だが、やはり小劇場楽園側の<控え室>が気になる。最後にキャストが挨拶に回ってくるが、おめでたい結婚式場で 何故か血まみれの男女2人、何があったのか…。

藤原たまえプロデュース公演、2024年は本公演のみ らしい。その意味では祝祭(当日パンフに「お祭りですよ皆様」とある)を込めて結婚式を題材に取り上げたのだろうか。(普通に)結婚式といえば、その準備期間も含め気苦労が多い一大イベント。公演では、その気苦労を誇張して面白可笑しく描いているよう。現実でもドタバタするが、ここまでは…と思ったが、脚本・演出の山崎洋平氏によれば、これは実話を舞台化したものらしい。

ちなみにタイトル「青い!大劇場結婚式」とは真逆の設定のよう。勿論、大劇場ではなく小劇場、そして青ハルを思わせる若年カップルではなく、中高年の熟年カップルが 時に激しく そして照れながら並んで歩く。その姿が微笑ましい=激しい動きに汗だく、その熱演に笑ってしまう。
舞台は<生モノ>というが、この公演は更に劇場間を行き来するため、人通りが多い時にはハプニングが、何が起きるか予測不可能な…。ぜひ劇場で確認してほしい。
(上演時間1時間20分 休憩なし) 

ネタバレBOX

劇中「結婚式」のようでもあり、深読み出来る内容になっている。新婦が劇団の座長。挙式までに色々注文を付けるが、結婚式というイベントを舞台化するための演出かと。

中央に挙式演壇、天井や後景は紅白幕、床は緋毛氈。時々 豆電球が妖しく輝く。上手は 公道に面した壁、実は開閉する大扉になっており、外から脚立を使い上ってくる。勿論 その先には小劇場楽園があり、そことの往復をする。花嫁衣裳を着ての動きとしては大変であろう。ちなみに下手の床も開閉し 階段を使って上り下りする。2劇場を使った公演…克服すべき困難は、自分の体力と言わんばかりだ。
勿論、脚本・演出の面白さはあろうが、どんなハプニングが起きるかわからない面白さ。それを観ているドキドキワクワクといった 高揚感が公演の魅力であろう。
次回公演も楽しみにしております。

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