硝子の途(再演)
劇団ヨロタミ
あうるすぽっと(東京都)
2016/09/16 (金) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★★
さすが!
「理屈」と「感情」を秤にかければ、「感情」が重たいと思わせた公演。
初演も観ているが、その時と違うのはもちろん、池袋演劇祭参加作品から大賞受賞になったこと。その記念公演として、あうるすぽっと という大きな劇場(昨年はシアターグリーン BOXinBOX THEATER)での上演になった。キャストの一部が変更になったが、基本的には初演時と同じメンバーである。
(上演時間2時間10分)
ネタバレBOX
義理と人情を秤にかけりゃ...ではなく「理屈」と「感情」を秤にかけたら、自分の中では感情が勝った作品である。どんな形にしろ、わが子が亡くなった。この作品では中学生、育ててきた子がこの世からいなくなった親の悲しみ、その子が苛めを行い、非はわが子にあろうとも、である。親(母)として、子と向き合っていなかった、その自責の念が悲しい。育てるまでにあった色々な苦労・喜び。夜泣き、小児病気や保育園・幼稚園、また小学校時の行事など楽しい思い出もあったであろう。そういう描かれない背景に思いを馳せてしまう。
もっていき場のない やるせない思いは、どんな形(過失致死)でも相手がいれば、そこに感情をぶつけてしまう。それが理屈に合っていなく理不尽であろうが...。
一方、加害者は正当防衛として扱われるかもしれない。加害者本人はもちろん家族にしても犯罪者になるか否かは大きな問題であろう。にも関わらず、結果として保護観察処分まで受け入れる。それから17年の歳月を苦しみ、さらに生きている限り人を死なせたという事実と向き合っていかなければならない。
信用や信頼を失ったら、それを回復させるには築きあげた何倍も時間がかかると言われる。この公演では社会規範、法制度と照らし合わせれば理屈に合わないところもあろうが、それらを押し退けてあまりある力強い物語(内容)であった。その感情が動かされた家族の絆...その形態は先の事件(事故)に絡んだ被害者・加害者家族はもちろん、この喫茶店”あけみ”にいるマスター(息子)とその母(息子が40歳過ぎまでミュージシャンを目指す)や、姉・弟の実父との関係を描くことによって、事件などの社会性と家族という人間性の両面から観せているようだ。そのどちらに気持が傾くか...。
さて、あうるすぽっと劇場での公演...演技面と制作面で苦労されたようだ。演技では舞台が大きくなったため、台詞がしっかり聞こえるよう意識したという。また制作面は集客のこと。豊島区報、公演チラシにチケットプレゼントの記載など苦労がありありと伝わる(観客としては嬉しいが)。この苦労されたことが平素の小劇場公演でも活かされればと願ってやまない。
次回公演も楽しみにしております。
天召し-テンメシ- 【第28回池袋演劇祭参加作品】
ラビット番長
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/09/15 (木) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★★
面白かった!
初演も観ているが、その時に感じた刹那的な面は、将棋を愛す人々の物語という印象へ変わっていた。その大きな要因は舞台セットであることは言うまでもない。
この物語はあるプロ棋士をモチーフにしているが、映画「聖の青春」も公開、「第29回東京国際映画祭Closing Film」に予定されるなど期待も大きい。さて、この「天召し~テンメシ~」は...。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
将棋の世界、それも表舞台、裏人生というかけ離れた対比で描く。その関係は義父と息子・亀山智(さとし)という関係で近づけている。その成り行きを自然に観せる。初演で「グリーンフェスタ2014」(GREEN FEST賞)を受賞した時の印象に比べると、真剣師というアウトロー的な側面よりは、将棋に魅了されて指しているようだ。その生い立ちと将棋に現れる棋風(品位)に追い詰められ破天荒、自堕落な暮らしに身をおとす。真剣師...その破滅型人間が持つ魅力、しかし生業よりは人間的魅力が前面に出ていた。
一方、プロ棋士(故 村山聖 九段・追贈がモデルのようである)として将来有望視されながらも病に冒され満足に勝負・活躍出来ない悲運な人間の哀れ。
天賦の才を自身で精神的に壊し、一方、肉体的に蝕まれる男、そのどちらも抗うことが難しい状況を将棋という勝負の世界を通じ描き出す。
この状況を動かすことが難しいように思えた。真剣師が生きる世界(賭け将棋)が無くなり、時代が流れていることは理解しつつも、それを芝居でどう表現するか。登場人物が子役から成長し、服装等の変化で感じることも出来る。しかし「生死」「勝負」という、表現は正しくないかもしれないが、静謐すぎるため、時代・状況の変化が将棋という世界に閉じ込められて動かない気もする。井保三兎氏のコミカルな演技をもってしても、それを凌駕した将棋世界の方が上回ったようだ。
本作では、将棋世界の魅力を描きつつ、その厳しさもしっかり観せる。例えば、奨励会以外からプロ棋士への挑戦と夢、逆に奨励会での成績と年齢制限という規則と現実。その先にあるプロ棋士世界の厳しさが如実に分かる。
更にコンピューターとの対戦(電王戦をイメージ)させるような、そんな現代の将棋世界も紹介する。井保氏は将棋の世界に通暁していると思うが、その知識を程よい情報として盛り込むことで、物語に厚みを持たせている。
初演の舞台セットは葬儀祭壇であったが、今回はほとんど障子戸が後景。今作でも祭壇は観るがそれは心象付け程度である。その意味で初演時と本作品とは印象が大きく違う。
それにしても、井保氏は下手演出が好きなようである。本作でも説明・動かしは下手側がほとんどであった。上手側は大阪の水商売女の姦(かしま)し姿+小説家・木下の説明が少しだったような...。
次回公演を楽しみにしております。
熱海殺人事件
ぷらんぷらん
新宿ゴールデン街劇場(東京都)
2016/09/14 (水) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★
悪くはないが...
今年は つかこうへい 七回忌ということもあり、多くの団体で同氏の作品を上演している。この劇団「ぷらんぷらん」が旗揚げ公演として選んだ「熱海殺人事件」は、岸田國士賞を受賞した代表作である。それだけに劇団としてどう特長付けし魅力を持たせるか、その点に注目した。この公演ではオーソドックスな観せ方で奇を衒(てら)うという感じではなかった。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
梗概は有名であるが...。舞台セットは、中央に大きな籐椅子のみ。
登場人物は部長刑事・木村伝兵衛(新川晃啓サン)、福島から赴任してきた熊田留吉刑事(花里弘二サン)、木村の愛人である婦人警官・片桐ハナ子(やんえみ サン)、恋人を殺した犯人の大山金太郎(高橋英希サン)の4人。
事件はタイトル通り「熱海」で始まる。大山は、幼馴染の恋人アイ子を熱海への旅行に誘い何故か殺害してしまう。この謎解きに警視庁が誇る木村部長刑事が挑む。
この作品に込められた故郷での閉塞感や上京後、都会での理不尽、不平等感など社会性が薄められているところが残念であった。この作品の普遍的な訴えが見えなくなっている。
一方、何回も強調する台詞...犯人を一流に仕立て上げる。冒頭、大きな籐椅子に片足をのせている。国家権力の象徴としての警察への当て付けか、まるで足蹴にしているようで、実にアイロニカル。
そして、この作品の有名なシーン...冒頭、白鳥の湖の曲をバックに怒鳴る、捜査資料をわざと落とす、大山を花束で叩きつけるなど、有名どころはそのままである。
この公演、出演者の演技力は確かでバランスも良い。そしてその力を十分引き出している。それだけに先に記した社会性や犯人の犯行に至るまでの感情を省略しているようで勿体無い。この新宿ゴールデン街劇場で心地よく観せるため、上演時間90分を前提にしていたようである。そうであれば個人的には、劇中の歌うシーンを短くする、ラストの福島県の母への想いのようなシーンをカットしても良かったと思うが...。
「熱海殺人事件」という有名な、そして”力”のある脚本を借りて旗揚げ公演をしているが、それでも、しっかり観(魅)せてくれる。そして、精力的な活動を裏付けるように、次回公演は11月を予定しているという。
次回公演を楽しみにしております。
ひなあられ
演劇ユニット「みそじん」
シアター風姿花伝(東京都)
2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
微笑ましい...面白い!
本当に”喫茶店・ひなこ”の客になり横で見聞きしているような感じである。登場するのは三十路女、四十路女の10名。そこはやはり恋愛・結婚話が中心になる。ちょっと痛くておもしろあったかい演劇、というフレーズ通りであった。
さて「みそじん」は、お座敷公演は何度か観ており、その4姉妹の人物造形、立場という関係を濃密に描いている。本公演は劇場公演ということで「第1回公演」と銘打ったという。お座敷という小さい空間からシアター風姿花伝という少し大きな場所に舞台を移し、10名の女優が彩り豊かな花をそれぞれ咲かせたようだ。
(上演時間2時間弱)
ネタバレBOX
舞台は喫茶店内をしっかり作り込んでいる。上手にトイレ、その奥に店出入り口。下手はカウンター、その壁には飾り棚。中央にはテーブル・椅子が配置されている。カウンターには、公演タイトルに因んだ雛人形が飾られている。
梗概というよりは、その登場人物の紹介が面白い。3姉妹と店の常連客が織り成す恋愛、結婚話が中心である。長女は競馬場通いの46歳、次女はこの店を実質的に切り盛りする35歳、三女は結婚間近いの30歳。若い(35歳)アルバイトもいるが、常連客はパチンコ狂の女、夫婦仲冷え切り女、離婚を繰り返す女、万引きGメン、砲丸投げの選手と個性的な面々。ドタバタ騒動の繰り返えしであるが、実に微笑ましい。近所にこんな喫茶店があれば自分も行ってみたいと思わせる。
この物語中、雛人形は飾ってあり、それ故婚期が遅れるような。婚期が遅れる...片付けも満足に出来なければきちんとした女性になれず、お嫁さんにもなれない。「お雛さまを早くしまわないと嫁に行き遅れる」と言って躾る。また、早く飾り出すと「早く嫁に出す」、早くしまうほど「早く片付く(嫁に行く)」。雛人形は婚礼の様子を表しており飾る時期を娘の結婚に準えるなど様々な理由があるようだ。いずれにしても親心のようであるが...本公演では親はいない。出来れば親の陰が見えれば印象的だったかもしれない。
女優10名とも適材適役といった感じで、本当に実在しているかのようである。何しろ生き活きとしている。市井に見る出来事をデフォルメして観(魅)せる。できれば、この年代であれば介護、姑仲、子育、もしくは働く形態(正社員OL、派遣社員、パート、アルバイトなど)の苦楽のようなもの。もう少し社会との関わりが見えると...個人的にはそんな場面も見たかった。
次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 特別公演 『白瓊〜しらぬい〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/09/08 (木) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★
会津魂を観る
幕末の物語は、その視座によって描き方が変わる。例えば、新撰組などは暗殺集団と言われ、後には賊軍という汚名を着せられても魅力ある物語になる。本公演で描かれる会津藩・白虎隊は日本史の教科書に載るほどであるが、その魅力は何であろう。
それは、混迷を極める幕末において愚直なまでに至誠を貫く姿...それも十代の少年たちの一途な思い、そして悲劇性が後世の人々の心を打ったのかもしれない。本公演では、そんな思いが十分伝わる物語になっている。
脚本・演出は灰衣堂愛彩女史、そして出演者は全員男性である。女性の視点で捉えた男(武士)の世界...それは紛れもなく会津藩精神を体現しているようであった。
制作に関して、灰衣堂女史自ら場内入り口で当日パンフを配付し、前説・上演後挨拶など丁寧な対応をしているのには驚いた。
ネタバレBOX
男優たちは十代ではないであろうが、少年に観えてしまうほど熱演であった。幼馴染のようにして育った仲間、その無邪気な行為も会津藩追討によって激動の渦に巻き込まれる、いや自ら飛び込んでいくようだ。
「ならぬことならぬ」愚直なまでに至誠を貫く。厳しい風土環境の中で純粋培養のように育った若者。しかしそこに秘めた不屈の魂と人を思い遣る精神がしっかり描き出される。
幕末史実を踏まえ、京都守護職の任務、大政奉還後の会津藩の立場などを分かり易く説明(台詞)する。歴史の断面と人間(仲間、家族)という内面を上手く取り込み、重層的に観えるような。
梗概...新政府軍の侵攻の前に、各方面に守備隊を送っていた会津藩は少年で編成する白虎隊までも投入するが敗れた。戦闘シーンでも、新政府軍の大砲に比べ、会津藩の武器は旧式の小銃のようである。隊長が逃げたように描いているが、いずれにしても少年たちだけになった。そして城下町で発生した火災を若松城の落城と誤認した白虎隊士中二番隊の隊士の一部が飯盛山で自刃する。
このシーンへ繋ぐため、会津藩の家訓等が随所に織り込まれている。死に遅れることによって卑怯者・臆病者と言われ生きることへの恐れ。未練者にならないために死に急いだかもしれない。それこそ少年ゆえの純粋さだったと思う。それらの感情描写が実に繊細に観て取れる。
舞台セットは、上手側に城内の一室、下手側に段差のある平台。場面転換はその立ち位置で屋内か屋外かが分かる。
本公演、衣装、小道具(刀など)は時代を感じさせるが、髪型や登場人物(土方歳三役)によっては現代風で違和感がある。すべてを外見で観せる芝居でないことは承知しつつ、少し勿体無いように思えた。
生きることを切に願った父親のラストシーン...実に印象的であった。
次回公演を楽しみにしております。
タイムリーパー光源氏
十七戦地
Gallery&Spaceしあん(東京都)
2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★
頑張る青春SF源氏物語かな...
十七戦地・柳井祥緒氏が、説明文にあるような”恋のお作法を学び”というような単純な恋愛物語を描くとは思えなかったが、見事に”らしい”公演になっていた。
この公演、平安時代の残暑という設定であるが、もともと外形から観せることはしていない。いや、その雰囲気は出すように工夫はしているが、小手先の芝居ではない。それでも少し気になるところが...。
本公演は劇団員のみで成している総力戦だという。その表現する場...しあん、初めて訪れたが雰囲気のある会場で心地よかった。
(上演時間65分)
ネタバレBOX
恋の作法を学び、愛しい人...藤壺を恋攻略する策を練る。陰陽道の秘術を用い、振られる前に時間を巻き戻し、その経験値を繰り返し上げていく。しかし、この恋攻略のシュミレーションを通じて自分の本心・欲望が炙り出されるというシュールな内容になっている。この相手の心を探るうち、自身を見つめ自信(自己主張)を持つようになる。
相手への感情表現は、自分が素直になること。邪心があれば王命婦(藤壺の宮の侍女)が取り次いでくれない。ここで時代背景の重要性が明らかになる。本公演のシチュエーションであれば、現代に置き換えてもタイムリープという繰返しのシーンを作り出すことはできる。しかし平安時代に直接会えないという”しきたり”を取り入れることによって、実際登場しない藤壺の意思がこの王命婦を通じて伝えられる。しっかり第4の登場人物が立ち上がってくる。そして光源氏の本心・欲望が見えざる手によって翻弄されるところが面白い。
その繰返しのキッカケのような事象...食用菊を食すること、蚊であろうか、それとも別のことが...。いずれにしても笑いの小ネタ・陰陽道の秘術を操る動作は滑稽であった。遊び心と、その裏に描くシュールな内容は、やはり十七戦地らしい。とは言え、上演時間が65分と短いこともあり、今まで観させてもらった公演に比べると、その描き込みが薄いという印象は否めない。
登場人物は3人。その誰も演技は確かでチームワークが良い。比較的短い物語であるが、印象に残る演技であった。強いて言えば、鴨居の高さに演技が多少ぎこちなくなる、もしくは小さな演技になったこと。
最後に気になること...外形(観)への印象として、例えば舞台入り口、庭へ出る際、「ガラッ」とガラス戸の音がする、現代のソファーセットなど、衣装の雰囲気への気遣いに比べて違和感があった。承知・納得できる範囲であるが、やはり内容とともに視覚も大切であることを再認識した。
次回公演も楽しみにしております。
味がしなくなったガムみたいな
マニンゲンプロジェクト
「劇」小劇場(東京都)
2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★
シュールな...
公演も面白かったが、当日配付されたタブロイド版「マニンゲンプロジェクト Vol.12」の作・演出の町田一則氏の文章がよい。
本公演の説明にある、この世界はそこそこブラックです...は自虐または自愛ネタといった、いわば等身大的な物語。表層的にはシュールであるが、その根底には人間愛に溢れているような...。
「味がしなくなったガムみたいな」というタイトルとは違い、噛めば噛むほど味がするような、そんな味わいのある公演であった。自分は結構好きである。
(上演時間1時間48分)
ネタバレBOX
先の当日パンフには、ブラック企業 云々という書き出しである。そして演劇界もそこそこブラックであり、それは理不尽であると。続けてノルマに言及し、小劇場演劇の世界にはびこる悪習であるらしい。本公演は、この小演劇界の舞台裏...登場人物の言葉(台詞)を借りて毒舌を吐いている。
舞台は中央にローテーブルと椅子、上手側に丸椅子2つ。中央には風采が上がらない男がゲームに興じている。上手の椅子には上下白のシャツとズボンで、半眼・無表情といった男女。どうやらゲームをやっている男は劇作家のようだ。そしてなかなか脚本が出来ないという台詞から、劇中劇として構成していることはこの段階で推察できる。この劇団の稽古、さらに入団希望の引篭もり男が登場し、劇団内の人間関係や運営について鬱憤・不満が吐露される。もちろん、本人が喋るのだが、言いにくい本音・本心といったところを、本人に寄り添うように白シャツ男女が代わり毒舌する。
表層的には劇団内のキャラクターによる自虐ネタのように思われるが、その実はどこにでもいるような人々の話。劇団員という姿を借りて、一般の人々の内心を炙り出すようであった。例えば、ウインドーに映る自身を見て、今まで何をやってきたのか、このまま年を重ねるのかと自問する女。親に年金を払い込んでもらい経済的に自立できない男など、世間を見渡せばいるような人物像である。この公演の面白いところは、一見身内話の自虐ネタのようで、実は人間観察・洞察の鋭い人間ドラマのようである。この炙り出しを人間関係が苦手な引篭もり男に担わせるところにアイロニーを感じる。
人はそれぞれの性格、生い立ちによって自分を装(色)・虚(色)していく。登場する白シャツ男女は、乱暴な口調で捲くし立てるが、それが真の姿であろう。その白地に段々と人生が染み込んで本人の今カラーになっている。それがまた変化を続けるのであろう。劇作家のプロポーズを絡めた「何とかなるさ~」という台詞は、町田氏の文章にある「その気になれば何しても生きていけます」と相通じ表現であろう。そしてどんな人生色になって行くのだろうか。
少し気になるところは、ラスト近くに暗転の間隔が短くなり、その暗転時間が長いような。余韻に浸ること、集中力を逸らさないためにも工夫してほしいところ。もう一つ、引篭もり男...キャラ設定とその演技力が相まって見事であるが、その濃さゆえもう少し短かくても印象に残ったと思うが...。
キャスト陣の演技は確かでバランスも良かった。人間の炙り出しという点からすれば、天野芽衣子サンの役に見せ場があってもよかったかも。彼女の慟哭することとは何か。
照明・音響(ゲーム:ドラクエ音楽)も効果的であった。
次回公演を楽しみにしております。
ちなみに、町田氏による役者紹介も面白い。
天泣に散りゆく
文化芸術教育支援センター
世田谷観音(野外舞台)(東京都)
2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
身魂揺さぶられる...凄い!
見た目から言えば、世田谷観音境内に設えた奉納野外舞台が時空間を越えて、1945年8月中旬の満州を出現させたかのようだ。当日は雨が降ったり止んだりの不安定な天気であり、上演中、一時小雨が降ったが中断することはなかった。上演後、藤馬氏は「人の涙が雨になった」旨の挨拶をしており、自分もそのフレーズをこの「観てきた!」に書き込もうと思っていたが...もしかしたら大方の人たちも同じ思いかもしれない。その当たり前のようなことが戦時中という異常時になると当たり前でなくなる。
戦争、その最悪な不条理をしっかり観せてくれた秀作。身魂が揺さぶられた。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は本堂に向かう境内石畳の左側に設える。右側を中心に天幕・パイプ椅子が並ぶ。舞台には紗幕に世界地図を描いたもの。場面転換に応じてテーブル、椅子が持ち込まれ場景を作り出す。その様子が見て取れるが実に自然な動作で、観客(自分)の気を逸らさない。
そして、外見から感情移入できるような作り込みである。男優陣は全員坊主頭、軍服姿が当時を思わせる。石畳に響く軍靴の音。それも境内入り口方向から段々と大きく聞こえる演出は巧い。好戦況と思わせながら、終戦(玉音放送)に向かっている様子に重なる。
梗概...満州では日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が日本人(民間人)への虐殺を繰り返す。祖国を守るため、家族を守るため、11人の男たちは弾薬なしの飛行機で突撃する。その名は『神州不滅特別攻撃隊』 である。
これは史実であり、世田谷観音に「神州不滅特別攻撃隊之碑」があり、この場で上演する意味があった。
この物語を体現する役者は、それぞれの人物造形がしっかり出来ており、当時の愛国心、夫婦愛、そして仲間との連帯感が濃密に描かれる。そして回想する老人が、当時死ねなかったことに負い目を感じる死生観に”戦争”という狂気が見える。
国策によって満州へ移住した日本人や「王道楽土」の満州国人に対して、それらしい保護も行わず撤退しているようだ。軍という作戦主義ばかりで政治という態度が見られない。そもそも国策のため繁栄のためと称し、どれだけ多くの人たちが犠牲になったことか。犠牲を強いる構造に対し、過去の悲惨さを教訓とし死者と共闘しなければ...。それこそ夢違観音。
この企画・脚本の松本京 氏、演出の山本タク 氏が当日パンフで同趣旨で多くの人々に平和の尊さを伝えたいと...まったく同感である。そして営利団体ではなく、NPO法人が開催することに意義があるという。
次回公演を楽しみにしております。
Infinity
ハグハグ共和国
萬劇場(東京都)
2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
大切な人の思い、想い...見事!
生まれ出ずる悩み...その思いを強くするのが、生まれた日から死に向かって歩み始めることだろう。何故、何のために生まれたのか、人は苦境に陥った時にこそ、そんな哲学的な自問自答を繰り返すのではないか。
終末医療の現場、ホスピスを描くとなればその抱くイメージは泣けるもの。しかし、本公演は死という覚悟をいったんは受け入れ、その上でやりたいことは、生まれ変わったら何をしたい、という前向きな姿を描いている。滂沱を好む観客には肩すかしになるかもしれないが、それでも患者本人、家族や近しい人々、そして医療従事者のそれぞれの思いや立場から繰り出される珠玉の台詞に泣かされるであろう。
私事だが、家族としてその思いをしたことがあり、身につまされる内容であった。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
病院内の中庭といった舞台。上手側は一般病棟(治療を継続)、下手側はホスピス病棟。下手側上部は紗幕になっているが、幕を開けると診察室が現れる。この病棟を向かい合わせに配置することで、終末医療における治療続行かホスピス受入れかという選択を促しているようだ。中庭(床は芝イメージの緑)からやや上手側奥に向かって傾斜になっている。芝居ではその上部や途中に立・座して、俯瞰・全貌しているかのようだ。実に空間処理が巧い。ベンチ、テラス風のテーブル・椅子、鉢植えなどがアクセント。
梗概...このホスピスでは恒例でイベントを実施している。今回はカリスマモデルによるファッションショー。実はこのモデルも傷心しているようだ。
患者や医療従事者、その関係者が参加する物語(白雪姫)形式のファッションショーへ仕上げる。その表現の場が、これからの自分の物語の続きを...。
ここは子供ホスピスも併設されており、その子供たちの願いは”大人になりたい”である。もう一つ印象的な台詞...色々な思い(考え)は多くあるが、命は一つ。思いは大切(尊重)したいが、生かしたい命は...。このような珠玉にあふれた言葉の数々に泣かされる。
患者意思の尊重、分かりきったことであるが、医療従事者はそれに沿(そ)う。家族は生きてほしいと治療を促すが、それには痛みが伴う。こちらも本人の意向に副(そ)うだけ。本人も含めみんながつらく悲しい苦渋の選択に添うだけ。それが鮮明になるシーンが、ホスピス病棟の医者とこの病院の医院長(娘が末期癌で一般病棟に入院しており、その母)による終末医療に関する論戦が圧巻。どちらが正しく、間違っているという短絡的なものではなく高次元の提示。もちろん観客への投げかけであろう。一方、モデル事務所の人々は、このホスピスとの関わりを通じて心豊になる。
この話を体現するキャスト陣の演技は確かでバランスも良い。驚きは、ショーに挟み込まれるファッションシーンがアクションシーンへ変身する。その一端を池袋演劇祭CM大会(サンシャイン噴水広場前、8月19日)で披瀝し「優秀賞」を受賞していたが、改めて本編で全部観たが迫力があった。
次回公演を楽しみにしております。
撃鉄の子守唄 2016年版
劇団ショウダウン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2016/09/01 (木) ~ 2016/09/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
「失われた世界」を膨らませたようで...面白い!
この物語は、アーサー・コナン・ドイルをストーリーテラー的な役割に仕立て、実在した人物とエルドラドという黄金伝説の都市という虚実綯い交ぜにした”壮大なファンタジー世界”である。
(上演時間前半1時間30分、後半1時間30分、途中休憩10分)
ネタバレBOX
プロローグ、年老いたドイル(白石幸雄サン)が若き日の冒険譚を回想する。一人称視点の語りが、空想冒険という扉を開けたとたん、輻輳的になり背景・状況が動き出す。その契機に現れるのが2妖精である。この件、ドイルにしたら思い出したくもない「コティングリー妖精事件」を想起させる。
物語前半の舞台は、1881年、北米のニューメキシコの町。西部劇では有名なビリーザキッドやパット・ギャレットなどが登場する。一方、伝説の都市エルドラド。伝説の黄金都市に絡んで、チプチャの王族:キャロル(林遊眠サン)、チプチャ族の妖術師の末裔:シャロン(山岡美穂サン)を登場させる。この史実と創作を綯い交ぜにし物語を膨らませる。
物語後半...エルドラドを目指して冒険の旅が始まる。本公演でのエルドラドの地は、垂直に屹立する崖の上という設定であった。さて「失われた世界」に出てくるメイプル・ホワイト国のモデルが南米のギアナ高地にあるテーブルマウンテンだと言われているのは有名なところ。
エルドラドの財宝は、世界樹がもたらす”不老不死”だという。さて「命」はそれに限りがあるから尊く、生きるための活動をする。逆にいつ果てることもない永遠の命があったら怖いような...。それこそ撃鉄を弾(ハジ)いて子守唄を聞きたくなるかもしれない。もっとも、ここでは劇綴...物語でよかった。
この公演では、突き動かすような台詞の感覚が魅力的であった。その最大の効果は状況が瞬時に表現されること。観客には、今観ている世界だけではなく、物語に横たわる歴史とロマンという悠々たる時空を想像させる。だから、在るがままの目に観えるものだけではなく、底に幾つもの豊饒な層があり、その潜在するものが観客に伝わり”感動”という意識を刺激する。
その台詞とともにアクション・演技...こちらは観たままを楽しませるという娯楽重視(多少コミカルな動きなど)のようであった。
この表現・体現が見事に融和しており、「シアターグリーン BIG TREE THEATER 」という劇場が異空間に紛れ込み、我々観客もろとも長い不思議な冒険に連れて行ってくれたようだ。まさにテンターテインメントの醍醐味を味あわせてくれた。
次回公演も楽しみにしております。
ハジケル、
もぴプロジェクト
池袋GEKIBA(東京都)
2016/08/31 (水) ~ 2016/09/04 (日)公演終了
満足度★★★★
もぴプロジェクトの新たな挑戦...面白い!
オムニバス3話であるが、その共通テーマはタイトルにもなっている「ハジケル」である。下平慶祐氏のオリジナル「ハジケル、汗」 岸田國士氏の「動員挿話」 久保田万太郎氏の「三の酉」であるが、それぞれの趣きは異なる。全体としては荒削りに思えるが、それよりも勢いと観客を楽しませようという思いが伝わるところに好感が持てる。
下平氏の手書き挨拶文が挟み込まれていたが、そこには「凡そ、1年間劇団公演をお休みしていた訳ですが、その間たくさんの商業演劇(所謂、大劇場)に携わり、内4本ぐらいはブロードウェイの翻訳劇でした。」と。正直に言えば、公演を重ねるごとに面白くなってきた(申し訳ない!)。岸田、久保田両作家の原作と下平氏のオリジナル作は異質に感じるが、その構成や観せるためのイメージ...その舞台セットにも拘りが表れている。
次回公演も今年中に予定していると聞いた。先にも書いたが、荒削り(説明不足や衣装・和服の着こなしなど)かな、と思うところも散見された。公演全体の中では矮小なことであるが、精力的に活動されるとあれば...。
(上演時間1時間40分 アフターにソプラノ歌手による音楽10分程度)。
ネタバレBOX
オリジナル「ハジケル、汗」
高校サッカー部の話であるが、とにかく走るシーンがほとんどである。シンプルであるが、青春群像が見て取れる。主人公はサッカー部1年生のルーキーが、先の試合で”何か”でやる気を失せている。また新キャプテンに対してその力量を疑問視した蟠(わだかま)り。練習での外周走に絡んでバスケット部など他部と競走することになり...。まさにハジケル!である。
気になったのは”何か”である。キャプテンへの蟠りは、この競走で解消される理由が分かるが、自分の内省面は説明不足のような。もう一つ、サッカー部内での練習(外周走)中、その直後にそのまま他部と競走出来るのだろうか。
「ハジケル、血」 原作「動員挿話」
第1幕、日露戦争が始まり、主人のもとにも出征の命がくだる。主人は馬丁を呼び、一緒に戦地へ行くよう勧めるが黙ったまま返事をしない。実は女房が断固として反対している。主人や夫人の説得も妻は聞き入れず、主人は主従の縁を切ると怒りだす。
第2幕は、主従の縁と義理、世間的立場と夫婦の愛の間に悩むが、ついにひとり戦地へ行く決心をする夫に、妻がとった行動は…。ここでは弾(はじ)く!
「ハジケル、涙」 原作「三の酉」
舞台中央に男が座り本を読んでいる。その傍らで若い女(おさわ)が語らう。朗読ならぬ読書を通じた2人劇。三の酉での出会いから、おさわの少女時代からの苦労が浮き彫りになっていく。だんだんに過去が明らかになる。悲しい話をさらっと話す芯のある女性。詩・抒情的な印象を受ける。これは弾(ひ)くというイメージである。
1作目は「動き」、2作目が「深み」、3作目が「味わい」といったイメージである。その作品ごとに特徴、魅力を十分感じることが出来た。
舞台転換も薄暗の中で要領よく行っている。観客の気を逸らさない工夫が見て取れる。しかし、その時間が短い分、着替え(運動着→着物)は大変であったと思うが、着くずれも見えて。
舞台セットも見事。上手側にはロマン溢れる日本髪結の女性と熊手を描く。下手側には旭日旗、舞台(板)は、サッカーの激しさを表すような荒々しく勢いのある描き。しっかり3作に合わせた舞台絵柄であった。
1話目を引き合いに出せば、オリジナル作品(下平氏)は、2人の先輩(岸田國士、久保田万太郎)の力を得て疾走する姿のようである。まさにこの公演そのものではないか。
次回はどのような公演になるのか、楽しみである。
新約熱海殺人事件
EgHOST
高田馬場ラビネスト(東京都)
2016/08/30 (火) ~ 2016/09/04 (日)公演終了
満足度★★★
新約と言うよりは”新案” 【狂気の行方】
つかこうへい氏が生きていたら何と思うだろう。苦笑するか怒るか...本筋(ストーリー)や舞台セットは今まで観てきた「熱海殺人事件」であったが、その演出は西荻小虎氏の独自性が出ている。その特徴は、ストーリーよりも観(魅)せて楽しませるというパフォーマンスの印象が強い。その意味で”新約”というよりは「”新案”熱海殺人事件」といった感じである。
副題「狂気の行方」とあるが、当日パンフに演出・西荻氏の解説が記載されていた。それを都合よく抜粋させてもらえば、「…恐れるな。深淵に足を掴まれ立ちすくんでしまうなら、俺達が前を歩こう。背中を追いかけてこい。その先で待っているから」と。
言葉は悪いが、手垢の付いたような「熱海殺人事件」を独自の演出で表現するため、自分自身を勇気付けしているような。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
上手・下手の両側に机が置かれ、舞台を横断するようにレッドカーペットが敷かれている。舞台中央に椅子2脚が向かい合って置かれている。この構図の色彩は、印象を強く持たせる赤と黒のコントラスト。下手側の机に・木村伝兵衛部長刑事(西荻氏)が開演前から座っている。この芝居の中で動くことはなく...ラストのみ不敵な笑み。
大音量の「白鳥の湖」をBGMに電話でがなりたてるオープニング、新任刑事に渡す書類を床にわざと落としたり、また犯人を花束で何度も打ち据えるシーンなど、この作品の名物となっている部分は残しているが...。それも水野朋子刑事(こいけサン)に担わせている。
水野刑事の演技は熱演。客席の隘路に立ち絶叫している。その時はカラオケも大音量で台詞が聞き取れないが、敢えてそうすることで切実さが強調される。
梗概は、熱海で起きた殺人事件を破天荒な取調べで行うもの。一般的な登場人物は、部長刑事・木村伝兵衛、地方からきた新任の刑事、木村の愛人の婦人警官、恋人殺しの犯人の4人。物語は、犯人・大山金太郎を、木村伝兵衛が一流の犯人に育て上げる中で、新任刑事、婦人警官、さらには木村自身も成長をしていく、といったもの。そこでは同性愛という設定もあった。
本公演、先に書いたパフォーマンスとは、舞台中央にある両開戸から警視庁テロ対策班が突然乱入し、互いに格闘し出す。その型(空手の突き、蹴りのような)からは想像出来ないが、柔道部という設定から乱取のようだ。そして合間にマイクで歌うなどカラオケシーンへ変わる。
今まで観てきた濃(悩)密な会話にみる、貧困・差別などという社会問題の炙り出しよりは、観て楽しむという娯楽中心の芝居へ変化させている。これはこれで一興かも...。
次回公演を楽しみにしております。
オムニバス of Oi Oi vol6
Oi-SCALE
駅前劇場(東京都)
2016/08/30 (火) ~ 2016/09/04 (日)公演終了
満足度★★★★
別の意味で怖い!【A】
夏場のオカルト話は、背筋も凍るような怖いものを期待したが、表層的な怖さではなく物語に描かれる内容が深く怖い。今回観たのはAプログラムの4話オムニバスであるが、どれもがアフォリズム、滋味がある観応えあるものばかり。
開演前の舞台にはモニターが2台、上手・下手側の壁際にもモニター2台が設置されている。画面には何も映し出されていないようであるが、受付時に渡されたフィルターを透して見ると、そこには...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は暗幕に囲われた素舞台、物語によって都度小物が運び込まれる。
プロローグは、オカルトコメディと言ったところ。4人の車座、順々に怖い話を紹介し合っているが、1人が怖い話をし、その次に話す内容は「友達に聞いたんだけど…」前の人と同じ話をし出すという笑いへ。その掴みのまま本編へ繋ぐ。
第1話「ボクノアト」
”弱兄強弟”の間に入る女性が味わう怖さ。母を亡くしその面影を求める弟。 探し物が見つかるように印を付ける。自分も忘れてほしくない行為として(相手の体に)痕をつける。
第2話「増殖」
菌(ミクロの虫)が指先から侵入し人体を蝕む。それを食い止めるために手首を切り落とす。手首が山積み。それでも街は壊滅していく。
第3話「風立ちぬ」
悪魔学における悪魔の一人。ロノウェ、序列27番の侯爵にして大伯爵。その悪魔と契約しアーティストとして成功するが、それも27歳迄。松田聖子の歌に合わせて奏でる真実とは...。
第4話「KV-201XR」
自動掃除機を直している男。その父と女。その電化製品を直そうとするが、型が古く部品がない。さて、この父と女はロボット...その旧型ロボットを動かすバッテリーがなく。少子化の果てに訪れる愛着ロボットとの生活にも限界が...。
モニターから見ている片眼は、現実社会に潜む闇を凝視しているようだ。その四角い枠には様々な顔が現れるイメージ。思いつめた顔、邪悪な顔、欲望の塊の顔、そして世相を煮詰めたような顔である。枠自体には生命も通わない物体であるが、その中に映る人の眼差しによって感情が動く。そんな怖さを感じる公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
『ストラック・アウト・ライフ』ご来場ありがとうございました!
ド・M(マリーシア)野郎の宴
Geki地下Liberty(東京都)
2016/08/25 (木) ~ 2016/08/28 (日)公演終了
満足度★★★★
独特の雰囲気がよい
野球になぞらえた人生の話。といっても高校卒業から20年。年齢にしたら30歳後半になったところ。台詞にもあったが、人生100年、野球にたとえれば3回裏といったところ。人生という試合はまだまだ続く。
さて、人生1回裏での約束、それに拘っていた20年の思いが、この小さなロッカールームで氷解していく。その過程がぎこちなく、気まずく、照れくさく、まだ青春を引きずっているような雰囲気がよい。
芝居の魅力は、この何とも表現しにくい独特の雰囲気、そして人生の滋味が感じられるところ。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、球場のロッカールーム。スチールロッカー3連とベンチ4台、ゴミ箱というシンプルなもの。物語は会話で成り立っていることから、その演技力やバランスに注目することになる。その点、序盤こそ台詞が聞き取り難く、テンポも緩かったように思うが、全体を通してみると実感が伝わる。
この小さい空間で男優6人がけっこう濃い演技を行うが、そのバランスもよく会話劇を楽しめる。非現実な...と思われる展開は、野球少年のその後の生き方を描いた、もしくは準えた人生譚と思えば矮小なこと。
約束事(甲子園出場をかけた地区予選決勝時)は、今思えば他愛ないように思えるようだ。しかし、当時の特別な状況下では、そういう気持になるのかもしれない。当人同士のそれぞれのわだかまりは年月を経ても埋まらない。それは相手を思ってのわだかまりであり、誤解である。それを周りの仲間が気を使うことによって、仲が良かった関係に亀裂が生じる。物語的には、大きな盛り上がりはないが、逆にリアルな空気が漂う。
ポカリ粉末と薬物の勘違いシーンは、中盤(野球で言えば、5回いや誤解)以降ひっぱり過ぎの感はあるが、誇張した笑いネタとしては面白かった。ただ、この勘違いがいつ解るのかという点に興味を持ってしまう。その意味で脇筋が濃くなり過ぎたのが残念。
ここに集まるキッカケは、高校時代の補欠選手のある事情。郵便ではなく、それぞれの自宅(実家)のポストに直に投函している。誰が集まるのか分からない状況。
自分の思いは、とりあえずレギュラーメンバー9名には手紙を出し、その結果本人を含め6名が集まるという設定でもよかった(そうであったかもしれないが明確に伝わらなかった)。その来ていないメンバーの消息に触れることによって、また違った人生観の広がりが持てたのではないだろうか。ただし、簡単な説明(台詞)にしないと、物語が分かり難く散漫になる危惧もあるが...。
次回公演を楽しみにしております。
HOME!!
[DISH]プロデュース
テアトルBONBON(東京都)
2016/08/24 (水) ~ 2016/08/28 (日)公演終了
満足度★★★★
心温まるが...
本当の家族、本物の家族という定義をすること自体無意味と思えるような、そんな”家族”の心温まる物語。内容はほのぼのとしているが、舞台セットとの関係では違和感が...。
さらに、物語の根幹に関わると思うところにも疑問が...。
この違和感と疑問がどうも気になる。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは、段差があり高い位置の舞台・上手側にHOMEのイメージを作っている。その家の外形は鉄鋼、また中央にある2つの扉も黒い鉄製で、それも閉鎖している。
物語はこの家に住んでいる高齢・伊達博万(斎藤みつじサン)が惚け出した、いや認知症に近いイメージである。隣近所の人、民生委員の人たちが気にかけている。この家、もともとは身寄りのない子を預かっていた施設のようである。孤児院といったところであろうか。ここで育った子供たちは自立し、最近ではこの元ホームへ立ち寄らない。この惚けの状況を近所の人は、その自立した子供たちへ連絡し...。そして、この伊達さんとその妻・こずえ(大友恵理サン)(当初、行方不明という設定)との間に実の娘・華(臼井静サン)がいる。この娘はその子(孫)・涼(吉田珠子サン)を連れて実家に帰ってきた。そこで育った、血の繋がりのない”兄弟姉妹”と再会し、ドタバタ騒動が起きる。その実子と孤児たちとは分け隔てなく育てられた。そこに真の家族の姿を見ることが出来るという心温まるドラマ。
さて、物語では自分の居所が分からない、迷子になってしまう。宅急便が来ることを忘れる、冷凍食品を冷蔵庫へ入れ忘れそうになる、など認知症を思わせる行動。そして民生委員が見回っている。
ところが、ラスト...妻と一緒に登場しない海外にいる子供に会いに行く。妻との会話から惚け出してはいるが、そのフリであることが明らかになる。何故、認知症のフリが必要なのかが分からない。また子役が登場し、父の子供の時の幻影のという描き方である。その意味するところも説明不足のように思う。
この物語は、少し古い言い方をすれば「義理」(育てたと言ったら寂しいが)と「人情」(隣近所の世話)の世界のようなもの。そう考えると認知症または過度の惚けたフリは、人の善意を弄ぶまたは裏切っているように思えてならない。
また、心温まるというソフトで明るいイメージと、舞台セットのハードで暗い(黒扉)イメージのギャップに違和感を覚える。
この、疑問と違和感が払拭出来ず気になった。
次回公演を楽しみにしております。
和牛ステーキ 1 ポンド
コルバタ
シアターブラッツ(東京都)
2016/08/25 (木) ~ 2016/08/28 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しめる舞台
前説担当者が、観客に向かって「演劇ファンですか~、プロレスファンですか~」と呼びかける。その時点でボルテージが上がる。
舞台セットはしっかり作り込んである。もちろん演劇公演であるから当たり前であるが、まさかプロレスシーンをあんな所で行うとは...。
1つの公演で「芝居」と「プロレス」という、どちらも観せる、そして魅せており楽しませてくれた。
ちなみに自分が観た回のゲストは、 ジャガー横田サン、ブル中野サンという大物選手であった。前説担当が、今日は楽屋が緊張していると...。
(上演時間95分)
ネタバレBOX
舞台セットは、上場村にある畑来路神社の境内。上手側に平台(もともと神社の休憩場所か、劇中劇を行う場所として設置したかは判然としない)、その後ろに大木。下手側に神社の鳥居、賽銭箱、しめ縄。そしてバス停留所。
梗概は、貧乏劇団がこの村の祭りの一環で行うイベント興行を引き受けた。
劇中劇の舞台裏といったところ。実はこの村、劇団代表・込山結(志田光サン)が一時住んでいたことがある村で、その姉(妄想)の墓もある。そして確執ある母・美子(斎藤啓子サン)との思い出も溢れ出してくる。
冒頭に躾けの延長にあるような形で、母が子を叩くシーンがある。映画「きみはいい子」(呉美保監督・2015年公開)を思い出した。母もその母から叩かれ、それがトラウマになっている描きがあったが、公演の根幹は親子の関係、夢と希望。
母は日本人ではない。出稼ぎ外国人で水商売で働いていた先で出会った男との間に子供が出来た。堕ろすことなく、産んで一人で育てることに...。その苦労を子(娘)にあたり散らす。そして娘はプロレスの世界へ...。
この娘、いつも心を平常に保つため「空想」と「妄想」の世界を創り出し、頑張って来たが、その「妄想」が大きく出現し、その結果...。この描き方、キャラクターそのものの存在が笑いを誘っていたが、実はシュールである。
芝居としては、やはり演技力(経験)不足は否めない。それでも一生懸命という熱量は伝わる。そして本当に体を張った演技、劇中劇としてのプロレスシーンは本業であるだけに魅せていた。客席通路を使い、舞台と客席最後尾まで往復して観客を楽しませる、というパフォーマンス。
演劇を見に来た、という観客には物足りないかもしれないが、自分には公演(場内)全体が盛り上がり楽しんだというように思われた。
次回公演を楽しみにしております。
フィニアンの虹
Seiren Musical Project
萬劇場(東京都)
2016/08/24 (水) ~ 2016/08/28 (日)公演終了
満足度★★★★
魅力的な舞台...【RVメンバー】
この「フィニアンの虹」(原題:Finian's Rainbow)は、1947年にブロードウェイで初演されたクラシック・ミュージカルであるという。今から約70年前の内容であるが、この物語に描かれる社会問題は今でも身近にあると思う。
当日パンフの企画挨拶(内海和花・加藤真衣・樹林杏さん)の連名文に、今だからこそ上演する意味があると書いてある。
公演は、脚本はもちろん、ミュージカルとしての演出(音楽、美術、照明など、詳細を書くには紙面が足りない)は、観客に楽しんで観てもらう、そんな意気込みが感じられるもの。
制作面では、若い人(大学生が多い)が丁寧に会場案内をするなど心配りが良かった。
なお、70年前の内容であるため気になるところも...
(上演時間全2時間30分:前半1時間30分、後半50分、休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットもしっかり作り込んでいる。段差のある舞台を森の中と思わせるような幕で囲い、上部には葉が生い繁っている。下手側に大きな木が生えている。また、平板の両側にレンガを模した壁がある。
梗概..フィニアンは.妖精オッグから盗んだ魔法の金の壺(3つの願いを叶える)を持ち娘シャロンとアイルランドからアメリカのレインボーバレーにやってきた。その地はローキンズ上院議員が手に入れようと目論む土地だった。 村の若者ウッディと恋に落ちるシャロン。某日、ローキンズに侮辱された村の黒人をかばい「あなたも黒人だったらいいのに」と叫ぶと、壺の魔力でローキンズは黒人になりシャロンは魔女裁判へ。 追いかけてきた妖精オッグは壺を取り戻せるのか。
この公演のテーマは一目瞭然...貧困や人種差別などである。表層的には、黒人差別を通して他の差別も見せる。例えば、劇中でアイリッシュダンスを踊っているが、イギリスによるアイルランド支配によって、ダンスを含めた伝統的文化活動が禁止される。窓外から見ても、上半身は動かさず下半身だけで踊るダンスが生まれた。
ミュージカル...その地声は個性的であると同時に、歌い方に工夫を凝らしているような。歌い出しではないが、敢えて”しゃくり”のような低音で歌うところが聴かれた。
さて、気になるところ。
夢を叶えるために妖精から魔法の壺を盗んでいるが、レインボーバレーでの夢とは何か。それもある期間だけ滞在するようであった。貧困が関係していることは想像できるが…。そして金の壺が、願いを全て使い切り、妖精が人間になり自分の故郷(妖精)へ戻れなくなった。この故郷に帰れなくなったことは、日本の歴代内閣が重要案件にしているあのことを連想してしまう。
次に、全ての川(河)にダムを建設し電力を、という合言葉。日本との国情や時代背景は違うが、現代的には環境との調和も意識した台詞があっても...。
最後に妖精オッグが、当初シャロンに恋したが、失恋後すぐにスーザンと恋仲になる。人間の女性の温もりを感じたとはいえ、心変りが早いような(妖精だから、そんな感情になったのか?)。
全体を通じて魅力的な公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
風は垂てに吹く
テトラクロマット
吉祥寺シアター(東京都)
2016/08/18 (木) ~ 2016/08/23 (火)公演終了
満足度★★★★
映像的空間を演劇的に演出...見事!
「飛ぶ」「狭間(はざま)」という2つのキーワード、それを色々な人物等を登場させ「あの人」に思っていること、伝えたいこと、そして聞きたいことを描き出した感動作。その描き方はもちろん、舞台セットは映像の世界のようである。一見抽象的に観えるが、それが自分の中では想像する楽しみになっていた。
演劇は、観客に楽しんでもらうことが大切。自分にはとても魅力的な芝居であった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台美術は、吉祥寺シアターの天井の高さを利用した空間処理が巧い。セットは、羅針盤かローマ字時計のような円形の中にグライダー模したものが置かれている。そこにはいくつもの太紐が吊るされ、結ばれている。また円錐台形の向月台のようなものもある。それら全体を半囲いするようなドーム型骨組み。客席上部には帯状の薄布4枚。
梗概は、黄昏時の天文台の廃墟-そんな場所へ彼女はきた。夜明けに現れるという伝説の雲、モーニング・グローリーの絵を描くため。そして、TLS(難病)によって「(意識は体に)閉じ込められた」夫との「つながり」を取り戻すために...。日が落ちて、夜が訪れるその逢魔ガ時、廃墟は活気ある工房に変貌する。
色々な人達等...特攻隊員や翼の発明家、しゃぼん玉を吹く少女(野口雨情・作詞)、世界的女性パイロットとナビゲーター、宇宙船に乗り込んだ犬(!?)、砂漠に不時着した飛行士(星の王子さま)など、国籍、年代などバラバラ。そこに共通するのは「飛ぶ」である。
それぞれが抱えた(忘れたい、記憶に封印したい)想いが語られる。ネガティブな面は夕暮れから現れる。ポジティブな面(実は楽しかった思い出、「しゃぼん玉」2番歌詞など)は夜明けから、という1日を昼夜という大括りで描く。順番は「暮れ」から「明け」という推移に喜びが感じられ印象的。それらの感動はラスト...病室シ-ンへ引き継がれる。先に記した「飛ぶ」と「狭間」の意味が氷解する様が観てとれる。
昼夜の狭間...「光」と「闇」が溶け出す瞬間、その薄暮時だけに見る夢のような物語。その演出はカット・バックするような時空または異空間を往還する。その観せ方は、映像のコマ送りのように時間軸を巻き戻す際、小刻みにステップを踏みコミカルな動作で体現させる。また「ポジ」「ネガ」の関係は映像イメージそのもの。そして舞台美術に合った照明効果の演出は見事。
次回公演を楽しみにしております。
エルドラドを探して
劇団 白の鸚鵡
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/08/19 (金) ~ 2016/08/21 (日)公演終了
満足度★★★★
熱演伝わる
シアターグリーン学生芸術祭Vol.10 招致公演、2016道頓堀学生演劇祭Vol.9最優秀劇団賞受賞作品...役者は熱演であった。
「いじめ」問題の描きから「アイデンティティ危機」というテーマへすり替わるような錯覚に陥る。しかし「エルドラド」という地を背景にしていることは容易に想像でき、その支配と服従という構図...それを現代の病「いじめ」におけるいじめる側といじめられる側に見立てているようにも思える。分かりやすいテーマであり、その観せ方は理解しやすいよう工夫している。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
二重の紗幕を使い、人影で子供・金田武(河波哲平サン)の誕生を喜ぶ様子。幕を引き返し、姉との二人暮らしの現在シーン。その舞台セットは、二枚目の紗幕でうしろが見えない。中央にクローゼットが置かれている。そのドアノブを回し扉を開けると「エルドラド」という時空を超えた世界が現れる。多重による舞台空間を作り出すことで、物語の時間軸が分かるように工夫している。また紗幕情景には、スペインの沈まない太陽をイメージする絵柄がある。この演出は丁寧で観客(自分)の気を逸らさない。
この「エルドラド」(黄金_伝説らしい)のシーンを中心に見た時、征服者たちは先住民(セリフでは「インディアン」と呼んでいた)の文明・文化を破壊し自分たちの”それ”を押し付ける。芝居の単純図式した描き方は、非道・残虐で、ここでも先住民対征服者を善悪、正邪のように観せる。この力の差は、科学技術としての武器の威力。武器の前では、人間の勇気や知性は無力化するのかもしれない。歴史認識の検証は必要であろうが、植民地化は繰り返し行われたというのが事実。
一方の図式、「いじめ」も暴(腕)力の差であろうか。こちらも「いじめ」の連鎖が描かれる。いじめに加担しなければ、自分がいじめられる。また止めさせるなどの行為はしない。いじめに対する最大の自己防衛...観て見ぬふりへの批判も垣間見える。いじめの繰り返しは許されないと...。
この「植民地=黄金強奪」と「いじめ=加虐満足」を同一線上に描いているような気がしたが...。
演技は熱演...厭になるほどの嫌悪感、日和見という狡さがしっかり観てとれる。そして主人公・武の不甲斐なさ。そのネガティブな印象にも関わらず、”エネルギッシュ”という魅力を感じてしまう。一人ひとりの黄金郷を探すためにドアノブに手を添える。ラスト、役者それぞれがドアノブをテーブルに置き、それを照明で輝かせる、という印象付も良かった。
次回公演を楽しみにしております。
スリー・ハンドレッド・ミリオン
Q商会
新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)
2016/08/19 (金) ~ 2016/08/21 (日)公演終了
満足度★★★
面白いのに...勿体無い【B】
昭和の3億円事件をモチーフにした劇を創作する、その作家の脳内物語。その創作に妄想が入り、想像のキャラクター達を解き放ち勝手に動き出す。作家と作家が作り出した相棒「お岩ちゃん」が物語を進める。
この物語の本筋は、ショートコントの繋がりが除々に物語の全体像を表す。その姿はジクソーパズルのようにピースがピタッと填(は)まり、辻褄が合う訳ではないが、千切り絵のような味わいのある物語が出来上がってくる。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台は、うしろの壁が鉄扉(円道路鋲のような打ち)のようで固いイメージであるが、そこで繰り広げられる話は、コント&コントという柔らかいもの。
梗概...作家のところに新作のオファーが来る。そのオファーは 「三億円事件」(1975年12月)の真相を突き止めるというもの。 未解決事件の真相を突き止めるため、想像のキャラクターを解き放つが、思いも寄らない”真相”に辿り着く、というもの。
まず3億円事件の概要を映像で説明し、その背景に独自の解釈を付ける。虚実綯い交ぜのような面白さがある。それは3億円事件の犯人は警察内部の仕業、というよりは警察組織そのものが犯した事件とする。そして有名なモンタージュ写真...それを使った捜査は、反社会的勢力(暴力団等)や学生運動家の取り締まりに利用したという。疑惑に思われた事柄を笑いに包み込みながら鋭く描く。さらにフリーメイソンが暗躍しているという壮大な物語である。
また、別の誘拐事件を作り、その身代金3億円であることから2つの”3億円事件”を絡ませミステリー風に展開していく。さらにグリコ・森永事件(1984・1985年)も取り上げる。観客を飽きさせない工夫や伏線をコントに用いるなど、観せ方は巧みである。バラバラのコントが千切った色紙を貼り合わせるように彩りを増し、その手作り感にぬくもりを感じる。稚拙だと思っていたコントがしっかり計算され繋がっていく様は見事であった。
なお個人的には、次のシーンは好まない。
グリコ・森永事件を扱っていることから、1粒キャラメルを噛み、それを次々他の人へ噛み渡す。その口から口へ、...気持ち悪い。また舞台(板)でキャラメルを踏んで、それを口に入れる。過度に不衛生(汚い)で、品がない演出は好まない。この観せ方でなくても笑わせることが出来ると思うが。
因みに、チラシには「『下品ほっこり』コント演劇」とある。
実に残念な公演になったと思う。
次回公演を楽しみにしております。