タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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7ストーリーズ

7ストーリーズ

イークエスト・カンパニー

北池袋 新生館シアター(東京都)

2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了

満足度★★★★

ブラックコメディ...楽しめた!
開演前、静寂の中、車が街中を走る音。すでに孤独感が漂う。
男がアパートの7階から飛び降りようと身構えている。物語はその張り出した場所を往復し会話するだけのシンプルなもの。この公演の見所はこの男と、アパート住人たちとの奇妙な会話。いや会話が成立しているのか分からない、捩れ、勘違い、思い込みといった遣り取りに面白みがある。

終盤、老婆との会話が日常の繰り返しにこそ幸せがある、という当たり前のようで味気ないが、考えさせられる。
この芝居は面白かったが、気になることが...。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

ある夕暮れ、アパートの七階。一人の男が窓の外、外壁から僅かに張り出した突起の上に佇んでいる。今、飛び降りようとしているところに、7つの窓の1つが開いて、中で争っている男女の姿が見える。痴話喧嘩をしている。勢い余って男は女の首を締める。外の男は見るに見かねて仲裁に入る。しかし怒りが収まらない男はピストルを発砲。外の男も巻き込まれて大騒動となってしまう。
今度は両隣の窓が開き、それぞれの住人が顔を出し、事の顛末を外の男に詰問する。そのうち別の住人とその友人たちやパーティ会場の客たちも巻き込んで人が入替わり、立ち代り現れては男に話しかけるため男は飛び降りる機会を逸してしまう。
それから老婆が現れてとりとめもない話をし出すが...。

E-Quest Company 代表・谷口浩久氏が当日パンフで、この物語に”国家機関”と ある”動物”の登場について、この物語を暗示的に書いている。国家機関は警察、動物は鳩であるが、この物語の結末を上手く表している。

都会のアパートでの隣人関係は希薄または無関心といったところ。舞台はそんな情景を舞台うしろ(壁)の窓(部屋)に状況を投影している。窓の中にいる住人たちは、とにかく生きている。その無頓着振りと男が感じている繰り返しの平凡な日常への疑問が対比的で可笑しみがある。ここにブラックコメディとしての観応えを感じる。
自分自身を見失った男と100歳の老婆の他愛ない会話が印象的である。老婆曰く...警察は形式的な業務の遂行のみ。人の心には入ってこない。鳩、部屋に飼われたままでは飛ぶとこも忘れる。いやもはや飛べなくなっているかも。人生を坦々と生きた誇りのようにも聞こえる。そこには自立(信念)の大切さを問うているようだ。

さて、気になったこと。セットのアパートの張り出した場所を広角にひらいて作ってある。キャストが窓枠内で演技した場合、その角度が死角のようで観えないシーンがある。特に最前列両端の席は見切れになったと思う。上演後、気になって座ってみた。舞台セットまたは窓枠から半身出すような演技をするなど工夫があっても...。また男の悲哀・絶望が垣間見えて飛び降りそうな姿が見えると更に良かった。

次回公演を楽しみにしております。
月の道標

月の道標

ニラカナエナジー

座・高円寺2(東京都)

2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了

満足度★★★★

骨太作品だが...
旗揚げ公演に太平洋戦争における沖縄戦...ひめゆり等の学徒隊をモチーフに取り上げた作品は観応えがあった。場内には、すすり泣きが聞こえる場面も多く、心魂揺さぶられる思いである。
素晴らしい公演であることを前提にしつつ、気になるところも...。

ネタバレBOX

舞台セットは、段差のある舞台を平行に設置し、その間の空間に壕か洞窟のような穴を作る。上手・下手には怒涛の波をイメージしたオブジェが立つ。

梗概は、ひめゆり等の学徒隊をイメージさせるような物語。説明抜粋「太平洋戦争の末期、激戦地となった沖縄。洞窟の中に設営された陸軍病院で、看護婦手伝いの学徒隊少女は、過酷な看護の日々を送る。しかし、日本軍司令部のある首里が陥落、アメリカ軍から逃れるために少女たちは南へ南へと逃げる。暗い洞窟の地獄から、爆弾の降る放浪」することになる。

戦争という最大の不条理、そこに見る人間の絶望と希望、弱さと逞しさを描いている。しかし、沖縄情緒豊かな地唄や映し出された風景は、凄惨さよりも旅情という印象が強く残った。また転戦(移動)するに従い、少女たちが成長していく様は悲惨さよりも逞しさを感じる。すべてにおいて、負なる言葉...恐怖・喪失・諦めを並べる必要はないが、戦時下という切迫感なり悲壮感が感じられなかった。そこに戦争の悲惨さと命の尊さ、生きる逞しさをどうバランスを図り印象付けて観せるか。

自分の好みとしては、もう少し戦時下における非人間的行為、それは大きくは戦争そのものであるが、自軍における倫理観が欠如せざるを得ない特異な状況を描くことで、より反戦を意識した公演にできたと思う。
この公演の中で、2箇所胸が締め付けられるシーンがあった。1つ目は、薬を譲る親切な行為に対し、お礼が手投げ弾を渡す。2つ目は、投降の呼びかけに「捕まれば米軍にひどいことをされると日本兵が言っている」こと。徹底抗戦が多くの犠牲を出した痛ましさ。
中盤以降、暗転が多くその間隔も短いため、集中力を保つのが大変である。また、女学生の衣装も含め小綺麗であるため違和感も…。その当時の姿、状況を視覚的に観せることも重要であろう。

「ひめゆり学徒隊」という呼び名(総称)があるが、本公演では少女一人ひとりの名前を大事にしていた。本来、総称ではなく一人ひとりの名前があり、前途ある若い人の命があったことを忘れてはならない、と改めて思った。

次回公演を楽しみにしております。
合理的エゴイスト

合理的エゴイスト

劇団ピンクメロンパン

明石スタジオ(東京都)

2016/07/21 (木) ~ 2016/07/24 (日)公演終了

満足度★★★★

テーマ性がある物語だが…
現代から近未来を描いた内容...コンピューターの技術が刻一刻と進化している。その象徴として人型ロボットと人間との関係を興味深く観せている。専門的な用語としてシンギュラリティ(技術的特異点)という言葉があるという。人工知能が人間の知的能力を追い越し、自力で加速度的な発達を始める時点だという。

コンピューターが誕生して約70年、パソコンが普及して30年、インターネットが利用され出して20年、そしてスマートフォンを手にするようになって10年足らず...この加速度的に進化してきた歴史を見ると当たり前のような気がする。この進化がさらに進んだ世界...そこで起こる合理的なエゴと不条理へのストが展開する。この「エゴ」と「スト」の間にはイ(意)が必要なのだが...。

(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、瀟洒な部屋、段通が敷かれ上手に豪華なソファー、テーブル、下手にも丸テーブルと椅子。壁には斜めに掛けた絵画が飾られている。この美術から既に歪な世界観である。

梗概は、 幼くして両親を亡くした姉妹は仲睦まじく生活していた。ある時、政府の人間が「お宅にロボットはいないか」 と。家族を傷つけ殺す人間(自宅に火をつけ無理心中しようとする父親)、家族(愛情)を求めるアンドロイド…どちらに真心があるのだろうか。社会や常識に血を流しながらも懸命に存在することを求める。

シンギュラリティは、人にとって必要なアイテムになるという。危険や過酷な労働はロボットに任せられるという期待。一方で人類滅亡の序章という考えもある。誰も理解できないコンピューターの「知」に依存し、制御不能な人口知能に人は支配されるというもの。

公演では家庭ロボット(アンドロイド)が不具合(故障)を起こし、回収し出すという。相当進化した形態のようで、一定の感情を持つようになるが、その耳目出来ない不思議な”心“は十分理解できない。アンドロイドには人の「心」そのものが不条理である。人の生活の便利さを求めるために造られ、不要になれば破壊される。至極当たり前のような行為であるが、近未来アンドロイドにはある程度感情があるような描き方である。その視点から見れば勝手に造り、自分たち(人間)の手違いで不具合を生じさせ、その結果破壊するのである。「エゴ」と「スト(襲撃)」の間には、「イ=意(思)」の疎通または交流が必要なのだろうか。

一方、人間でありながら、錯覚か記憶の錯誤であろうか、自分をアンドロイドだと思っていた。この男がアンドロイドを率いて人間社会に対してテロを起している。自分は人間である、という気持にアンダロイドに対する優越が透けて見え、アンドロイドからスポイルされる。そこに区別・差別という言葉の違いはあるが溝・壁があることは明白である。ここでも人間のエゴが見える。

この公演で、アンドロイドの不具合(欠陥)とは何か、人間を傷つけるようになったのか。このアンドロイド開発は1社独占なのか。他社があればそのアンドロイドの存在はどうなのか。政府の人間がアンドロイドを憎んでいるような行動。妻を盲目にされた恨みのようであったが...。その人間が持った心の痛みのようなものが解らない。人間の内面・感情からの視点の描きが弱いと思う。人間とアンドロイドがこのような事態・状況になった具体的なことを描くことで、問題の根源が見えてくると思う。またアンドロイドは、肉体的な痛みを持つまでになっているのか。一方、アンドロイドの軍事転用という指摘は鋭く怖い。この公演全体の描き方に濃淡が見えたのが残念であった。

いずれにしても経済至上主義、合理的で快適な生活を営むための欲求が、ロボット、アンドロイドの開発の原動力になっているようだが…。
役者陣の演技は安定しており、バランスも良い。そして役柄に応じて衣装に変化を持たせ役割を明確にする観せ方に工夫を感じる。

次回公演を楽しみにしております。
森の奥の噂ノ塔の上の

森の奥の噂ノ塔の上の

演団♤四輪季動

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/07/06 (水) ~ 2016/07/10 (日)公演終了

満足度★★★

盛りだくさんかも...
本公演は、物語の展開が分かり難いように思う。メインストーリーは青春期の好奇心を充たすような行動...それがタイトルにある森の奥の塔を目指すというもの。このイメージは、映画「スタンド・バイ・ミー」(1987年日本公開)を彷彿とさせるようだ。もっとも登場する人物の世代等(本公演は高校生男女、映画は12歳の少年たち)は違うが、若い頃の好奇心とその過程における友情が描かれている点では同じ。
そして映画タイトルを訳すと「僕のそばにいて」または「僕を支えて」…公演そのものではないか。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

梗概...ある街に住む少年と星空を眺めるのが好きな少女は、大切な"きょうだい"だった。 両親がいない中でお互いを支え暮らしている。 この街には、 強い願い事を叶えてくれる塔(神様)がある。 真偽は、面白半分、興味半分で少年達は森の奥に足を踏み入れる。 そして、森の奥である選択を迫られる。 大切に想っている人がいなくなってしまったら その時、どんな選択をするのか。

舞台セットは、中央に木枠で出来た「塔」。上手・下手にそれぞれ台が置かれているのみ。このシンプルな作りの中で森をイメージさせるため、台への昇降をもってして立体感、躍動感を表現している。それだけに脚本・演出に依るところが大きいが、この芝居では構成が散漫になっていた。

街外れの森に塔があり、そこから見える景色が素晴らしいこと、塔の上で願い事(1人)をすれば叶うという言い伝え。高校クラスメイトが好奇心から上ることに...。これが本筋であろう。この筋に①クラスメイトと馴染めない男子高校生とその妹の関係 ②星座好きな妹の本当の正体 ③ヒーローショー(笑)場面 ④大人(市役所役人や女教師)の隠し事、妨害 ⑤脚本・演出家による金の斧・銀の斧などが挿話として交錯する。その関連は緩く、それを挿話する必然性が感じられない。物語の輪郭(軸)を暈していることが、結果的にストーリーを分かり難くしている。
「スタンド・バイ・ミー」でも行方不明と騒がれた少年が列車に轢かれ、遺体を見つければヒーローになれるという。そして行動を起こす。
映画には、カインコンプレックスという心理が垣間見える。その特徴として同世代に心を閉ざしたと。この件、本公演では兄弟を兄妹に置き換えての描いたように思えるが...。

ヒーロー登場場面以外は、同じようなテンポ。単調な観せ方は観客(自分)を飽きさせる。日常(街)の近くにある、非日常(森)という神秘的な場所にある不思議な力のある「塔」...その謎に迫るようなドキドキ・ワクワクするような冒険譚でも良かったのではないか。
描きたい内容を盛り込んでいるが、そこには勢いがある。こじんまりと収まるよりは、勢いを大切にしつつ、観客に観せるという工夫も必要ではないだろうか。

次回公演を楽しみにしております。
家族計略

家族計略

劇団 背傳館

RAFT(東京都)

2016/07/19 (火) ~ 2016/07/20 (水)公演終了

満足度★★★★

雰囲気は十分かも...
東中野にあるRAFTという劇場(スペース)には、不気味で不快にさせるような雰囲気が漂う。比較的狭い空間には、小物ばかりが置かれているが、その物がこの公演を形象しているような気がする。もちろん、作・演出の高尾優太氏が意図していることは明白である。

客席は出入り口とは反対側に設け、最前列はベンチシートに座布団、2列目以降はパイプ椅子に座布団である。その前後列の段差があまりない(低い)ことから、座っての演技は見難いと思う。芝居の観せ方ではなく、客席配置に工夫が必要であろう。

当日パンフに「事前情報」として「あらすじ」のような記載がある。それとは別に「ある被害者の手記」なる資料が用意されていた。開演前は舞台中央にある丸卓袱台の上に置き自由に入手でき、上演後に読む(確認する)人は出口で配付するという丁寧な対応であった。

舞台にはダンボールを敷き座っての演技のスペースのみ茣蓙...和室イメージのようである。上手側に整理タンス、下手側に扇風機。部屋の何か所かに行灯がある。天井にはダンボールで作った動物の数々が吊るされている。卓袱台もタンスもダンボールで作られている。全体的に張りぼての偽装・空虚さを表現しているようだ。”狂気の臭い”という雰囲気作りは巧み。

(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

梗概...「事前情報」にある「中野擬似家族事件」を引用すると、家族関係に問題がある人間達が自己啓発セミナーと題した集団生活をしていた。このセミナーに参加していたのが4名と主催者1名の計5名のうち、3人が死亡。残り2名のうち重症者1名、行方不明1名という被害者が出た。主催者の男の背後にはカルト集団の影があったことから、警察の捜査はそちらに向かうが...。

この内容、どうしても宮部みゆきの直木賞受賞作「理由」を思い出してしまう。こちらは荒川区の高級マンションで、4人の死体が発見される。1人は転落死で、残りは何者かに殺されたようであった。当初、4人は家族だと思われていたが、捜査の進展に伴い、実は他人同士だったことが明らかになる。なぜ家族として暮らし、どうして死ぬことになったのかという謎を、別の登場人物の視点を通して解明していくという描き方であった。

この事件が起こった事故物件(事故・事件で死人が出たような賃貸部屋)見学ツアーに参加した人々の動機・理由が単に興味本位なのか、ラストシーンのある目的を持っていたのか、またはバラバラ(死体ではない)な思いなのか、そこが判然としなかった。①先の自己啓発セミナー時の行方不明者が義弟のため、その消息を知る、②霊が見えるという自己顕示、③アベックは心霊探訪という興味本位のよう。
このツアー(引率者)は、偽装家族事件を現場で追体験し、事件を風化させないことだという。だからこそ誓約書を書かせている。ここが物語の軸だと思っていたが、その描き方が弱い。さらにラストシーンを観ることで混乱してしまう。
この引率者が中野擬似家族事件の当事者であることは容易に想像できるが、ツアー参加者との関係が強引に思えた。この設定にもう少し分かり易い”説明”があると物語の印象(深さ)が違ったと思う。

役者陣は、殺風景・寂寞とした空間で迫真・緊張感ある演技を観(魅)せてくれた。

次回公演を楽しみにしております。
名なしの侍 (28日より大阪公演開幕!直前予約受付中!)

名なしの侍 (28日より大阪公演開幕!直前予約受付中!)

劇団鹿殺し

サンシャイン劇場(東京都)

2016/07/16 (土) ~ 2016/07/24 (日)公演終了

満足度★★★★

現代音楽と時代劇の融合...次代劇として期待大!
映画「7人の侍」(黒澤明監督・1954年)を思い出す。もちろん、モチーフもストーリーも関係ないが、物語の骨太さ、斬新さという点で似ているような気がする。また観せ方のイメージは絢爛豪華というよりは、地を這うような血・汗・泥という言葉が似つかわしいところも同じような。

乱世...戦国孤児が生きることに汲々とした暮らしから、いつの間にか野望に魅せられた人間へ変貌していく。その生き様をダイナミックに描く。
また、芝居としての観せ方も大胆であった。その1つが舞台セットの妙である。劇団鹿殺しは、 こまばアゴラ劇場、青山円形劇場、紀伊國屋ホールと劇場規模が大きくなってきている。
今回はサンシャイン劇場であり、どの客席からでもしっかり観えるよう工夫している。そして劇団の管楽器隊と現役ミュージシャンでバンドを編成し生演奏で聴かせる。そのため上手側に大きく演奏スペースを確保している。芝居の舞台面は斜めになっており、1階最前列や2階席からも観やすいような、いわゆる八百屋舞台の作りである。

もう1つ感心したところ...演出の格調の高さである。現世・来世を往還する姿に有名な文学作品を思わせるシーンが...
(上演時間2時間5分)

ネタバレBOX

7人の侍...乱世、貧しい農村では野武士たちの襲来に苦しんでいた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、作物を盗られれば飢え死にする。百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことにする。そして7人の侍と野武士と戦うことに...。

この物語も乱世...日本史の教科書に記されたような武将の名が出てくるが、物語の主人公は孤児集団。その子供たちを預かり剣術を教えている道場。そこに今川、徳川と織田の有名な桶狭間の戦いの場面へ誘われる。説明にある、月見草のように闇に咲く名も無き侍たちとはこの孤児たちのこと。しかし時は下克上...名を馳せた武将に成りすまし...という本・贋者が入れ替わり、そのうち人格まで変わり権力の権化へ...。野望と友情の挟間に揺れる思い、抗いきれない運命に翻弄される姿が痛々しい。その人となりの心情をしっかり体現させており、観応え十分であった。もちろん演技としての殺陣(泥臭い)や剣舞(優雅さ)、演奏の楽器隊という夫々のパートで楽しませてもらった。

その変幻自在の演出は巧み。舞台には卒塔婆が何回も持ち込まれる。そして現世と来世の境界...三途の川の渡し場での笑いネタ。時に慟哭、そしてコミカルにという硬軟の描き分け。そして何度も境界から往還するが、その件に太綱に摑まる。このシーン...芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出してしまう。「生きたい」という強い思念そのものが生命力になっている(仏法説話の意ではなく、観せる感覚)。

この脚本の底流にある「生命への讃歌」、「権力への揶揄」そして平和への希求(「7人の侍」時は自衛隊法、本公演では安保法が関係...偶然か)がしっかり観てとれる秀作。怒パンクで観(魅)せる時代劇。ここに「7人の侍」に通じる斬新さを感じる。生「音楽」を芝居という生身の人間が演じる舞台で融合させ、独自のステージを作り上げているようだ。

次回公演を楽しみにしております。
雁次と吾雲

雁次と吾雲

護送撃団方式

萬劇場(東京都)

2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★

虚実混濁の世界...盛りだくさんのようで
物語の場所・時代やその内容は架空・仮想という前提であるが、その描きからは日本の大正期...デモクラシーという自由民権をイメージさせることは間違いない。その一見史実に即した描きでありながら、実は虚実混濁という設定のズレに面白さを感じる。その情景・状況の錯覚、作・演出の藤森俊介氏の術中(語彙は相応しくないが好意的)に誘い込まれるようだ。

内容的にはメインストーリーとサブストーリー、さらに挿話があり盛りだくさんになったようで、主張(印象)が暈けてしまうようで勿体無い。
テーマ性の強い公演であり、その主張を中心に展開したほうが分かり易いと思う。
(上演時間2時間20分)

ネタバレBOX

セットは階段舞台...正面上部に張り壁に架空の絵画街角(庵や珈琲店の看板)が描かれている。周りはレンガを模した張り壁。その全体的な雰囲気は少し敢えて野暮ったくした造作のように感じた。そこに大正のような時代感を漂わす。「自由の塔 凌空楼」が見えるが、浅草にあった凌雲閣がモデルであろう。この姿は空中楼閣かも...。

梗概...暴動した中、兄・吾雲(一内侑サン)は弟・雁次(關根史明サン)との別れ際、「生きろ」と叫ぶ。以降2人は会うこともなく、雁次は兄は死んだものと思っていた。そして「生きろ」は兄の人生まで背負わされたような重み。この言葉が呪縛になって自由に生きられない。この心情の件も理解し難いところ。ところが偶然にも再会し...吾雲は自由に生き、親友・宝月(神谷未来紘サン)と「自由」を求める運動をしていた。そして自由を勝ち得た先にあったものは...。

この「自由を謳歌」することは人民が暴力的になり、その先は軍靴の足音が高くなるというもの。この帰結が説明不足、短絡的に思えた。自由という抽象的なことに対し、人それぞれが選択し責任を負う、という過程が観られない。自由の果てにあるのが戦争である、というのは史実を見た場合であろう。この公演では虚実混濁ということからすれば、もう少し多角的な観せ方があってもよかったのではないか。またラスト...自由を空(カラ)に準えているが、突き放して観客(自分)に考えさせるということだろうか...。

この公演ではラジオ(高校野球・駅伝放送)を用いているが、一方的に瞬時・広範囲に情報提供できる便利なもの。一方、情報の鵜呑みという思考停止という怖い面も裏腹にある。現代で言えばインターネットの普及が該当するか。その情報の真偽・正否は自由に利用と同時に責任も伴う、という主張も垣間見える。この壮大風の物語はメインであるが、この兄弟に親友の妹・白乃(本間理紗サン)との恋愛話がサイドとして絡み、さらに華族という戦前の「家制度」、「流民」に対する差別(人民が国民に代わった時、自分より弱者をいたぶる)などの問題も盛り込む。

その演出にダンスシーンが入り華やかさが出たが、そのイメージする意図は何か。自由の謳歌を身体表現で表したのだろうか。物語は面白く考えさせるものがあるが、もう少し観せる焦点を絞っても良かったと思う。

役者陣の演技は安定しておりバランスも良かった。ダンス・アンサンブルも高い身体表現で素晴らしかった。劇中での意味付けなり必然性を考え芝居・ダンスを調和できれば印象深い。

次回公演を楽しみにしております。
夏の夜の夢

夏の夜の夢

天幕旅団

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

現代版...面白い演出
キーワード「夢」を感じさせるファンタジー作品は観応え十分。まさに今の時季...夏の夜に魔法でもかけられたかのような素晴らしい公演...終わってみれば一時の幻想のようであるが、確かに”SPACE 雑遊”という脳内ならぬ場内で観た。それも色鮮やかにである。
先人の訳本を踏まえた独自の演出、そこに芝居では大事な”発想 ”という夢(幻)ならぬ現実を観た。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

冒頭、坪内逍遥の訳本で始まるが、直ぐに「分からない」というツッコミのような台詞から、現代版...天幕旅団:渡辺望 流の「Hedgehog Magic Circus」へ変容させるような見せ方。

舞台は四方囲みの雛壇席で、どの位置から観ても楽しめるだろう。舞台周りには役者が屈んで出番を待つ。その衣装は白地であるが、役や場面に応じて上着を羽織り、その人物表現をする。そのシンプルな演出は、物語をテンポよく観せ、観客(自分)を飽きさせない。

戯曲「夏の夜の夢」は古今東西、数多く上演されている。表現は相応しくないかもしれないが、この手垢のついたような芝居をどう観(魅)せるか。本公演は、その分かりやすさが大きな魅力である。上演後、会場階段近くで渡辺氏と話をした時、現代風にしたと語っていたが、まさにそんなイメージである。

舞台では役者が実に生き活きとしており、自由奔放に演じているという感じであった。先人の訳本...分かり難い台詞を(敬意のためか)挿入し、その都度、先に記したように氏の台詞を追従する。この古典の持つ面白さは、訳本である以上、色々な表現ができる。この物語の持つ面白さを先人の力を借用しつつ独自性を示す、という柔軟な発想が素晴らしい。それを演出の面でも魅せる。少し段差のある舞台に上がるという動作で躍動感と天・地という空間処理をする。それは妖精が飛び回るという浮遊動作が観て取れる。と同時に地上にいる人間の地歩が感じられる。

この公演で、森の中という設定は、照明による木々の陰影のみ。その点が弱いような気がした。幻想的で浮遊感ある演出である。それは白地のゆったりした衣装が躍動するたびに布地が舞い妖精のように観える。その妖精が森という神秘的な場所にいるという感覚がほしいところ。

役者の演技は安定しておりバランスも良い。そして演出であろうが、妖精のような悪戯っぽく遊び心も垣間見える。とても観応えのある公演であった。

次回公演を楽しみにしております。
絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版〜

絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版〜

劇団テアトル・エコー

テアトル・エコー5階稽古場(東京都)

2016/07/15 (金) ~ 2016/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

自分の好み...秀作です
テアトル・エコー5階稽古場で観るのは初めてである。そこにはしっかりセットが作られており、物語は説明にある うつりゆく季節が風情豊かに映し出される。
とても丁寧な制作で自分好みである。
登場人物は5人...女性4人と姿は見えないが、下働きの男性(りょうた)が...。ここには昭和(初期)という空間を見事に出現させ、当時の女性たちの生き様を心情豊かに描く。
(上演時間前半60分、後半65分 途中休憩15分 全2時間20分)

ネタバレBOX

舞台セットは和室・縁側...上手は玄関や母屋に通じる襖戸、その客席側に蓄音機、下手に座机、鏡台が置かている。さらに下手側は厠という設定である。中央には季節によって違うが、丸卓袱台がある。三和土に赤い草履。

「昭和モダン」と呼ばれた時期の女性4人が集まり、熱心に小説談義をしている。その「書く」ことに対する色々な思いが、各人の視点で語られる。梗概...説明から抜粋「デビュー作以来、一本も書けていない作家・文香の部屋に集まってくる作家仲間のまや子、すえ、薫。才能とは、自分とは何か。葛藤、羨望、嫉妬、友情、そして恋」を心地よいテンポで描いている。その思いは情熱的に、また叙情豊か、そして深淵を見る時もある。ラスト、文香がまや子に新作の構想を語る場面は圧巻である。自分の文才に疑問を持ち、足掻く心の中(うち)を書いたような物語(「湧き水を足で掻き回して濁している」との台詞に呼応して)...なぜか落語「紺屋高尾」の等身大の正直職人と心優しき花魁のことを想像した。訥々と語る文香...照明で彼女を浮き立たせ、その光の中での長台詞は心魂揺さぶられる。

この公演の見所、それは4人が典型的な当時の女性像を表していると思われるところ。文香(さとう優衣サン)は、文学で身を立てたい。その才能と向き合い苦闘する姿が知的女性のようである。まや子(吉田しおりサン)は、先進的であることを望みつつも奔放と古風の両面(客観性)を持つ。評論家志望。すえ(志々目遥菜サン)は、旧家に育ち父母の愛情に疑問を呈しつつ、母への反発が父への思慕へ倒錯するような。猟奇・狂気という作風。薫(大森柚香サン)は、庶民派の代表のようである。自由な発想と創作姿勢が生きた文学になる。実は子供が産めないため離縁された経験もある。当時の「家制度」を考えさせる。

この4女優の演技が実に自然で...芝居の面白さを堪能させてもらった。
そして、この四季折々を表現する演出が見事。春は桜と花びらが舞い落ちるさま、夏は青葉繁る、秋は中秋の名月とススキのゆれ、冬は枯れ木と雪...というように陰影する。公演全体の時の流れに人の心の移ろいを投影し、余韻を残す。もちろん、衣装も季節に合わせて変わる。自分好みの見事な公演であった。
矮小なこと...まや子さんのストッキング、昭和初期にあんなお洒落なものがあったのだろうか。最前列の至近距離で観ており気になったのだが...。

次回公演を楽しみにしております。
羅馬から来た、サムライ 東京公演

羅馬から来た、サムライ 東京公演

THE REDFACE

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2016/07/13 (水) ~ 2016/07/15 (金)公演終了

満足度★★★★

羅馬(ローマ)からのサムライ(宣教師)
スクエア荏原・ひらつかホールは、空席が目立っていたが勿体無い。江戸時代中期の出来事であるが、その外見(衣装や仕草等)のリアリチィに拘ることなく、その底流にある西洋・東洋(日本)の精神の教えがしっかり観て取れる。精神支柱の相違などが、分かり易い台詞で説明される。

この物語は史実のようであるが、自分はまったく知らず実に興味深かった。
そして、声楽家の歌イメージは実に深窓...。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、階段状で中央上部に額縁のような枠。そこに聖母マリアをイメージさせる青色のヴェール・ドレスを着て、ゆったりした衣下には見えないが赤ん坊を抱いているような...。 舞台美術はシンプルであるが、逆にそれだけ脚本の良や演出力が求められるところ。

梗概...江戸時代中期。チラシ説明には、寛文8年とあったが、新井白石が活躍する時代と合わないような気がする。
屋久島に和服を着て刀を持ったイタリア人、ジョバンニ・バチスタ・シドッチが上陸するが、密入国の罪で捕えられ長崎から江戸に送られる。
この時、幕府からシドッチ(宗教家)の取り調べを命じられたのが新井白石(朱子学者)であった。当初、オランダ語の通訳のせいで誤解が誤解を生むが、徐々にお互いの言葉の意味を理解するようになり、2人の間は日ごとに変化していく。それは友情にも似た不思議な関係に。
自然科学に対する遣り取りは興味深い。事実に基づく理解(白石は自然科学に対するシドッチの知識に敬服)は早いが、精神的な考え方の相違は相互受容するのに時間がかかる。

当時は鎖国、三代将軍・家光の時には「島原の乱」があり、キリスト教の話は聞くこともしない。白石にとって仏教が唯一。
白石はその後、シドッチとの対話をもとにして『西洋紀聞(せいようきぶん)』を書き後世に影響を与えることになる。また、「西洋は自然科学の分野は優れているが、精神面では劣る」との認識は和魂洋才の思想のもとにもなるという。本公演で史実の知らなかったことを知る、知への好奇心がくすぐられるようであった。

シドッチが牢獄にいるときに、その世話をしていた老夫婦は、シドッチの日常に感動して洗礼を受ける。そこには言葉も通じない老夫婦を改宗させるだけの裏話が...。先人の宣教(宗教)家との邂逅するような出来事が謎めいている。

声楽家の2名が素晴らしい歌声で魅了してくれた。聖母マリア(五東由衣サン)が絵画から抜け出して洋楽を、6代将軍・家宣の生母・長昌院(?)やオペラオロンテーアの(新宮由理サン)が権威を誇示する歩きで歌う対比も面白い。それもソプラノ、メゾ・ソプラノという異なった聴かせ方...その演出が巧い。

最後に、観客へのサービスであろうか。客席中を新井白石(奥田直樹サン)とシドッチ(榊原利彦サン)が歩き回る、観客に話しかけるということは必要だろうか。舞台上の演技に集中して観たいところ。

次回公演を楽しみにしております。
膨らむ魚

膨らむ魚

劇団 バター猫のパラドックス

OFF OFFシアター(東京都)

2016/07/12 (火) ~ 2016/07/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

シュールな...
人間の内面・感情を描いているが、その描き方が逆説的である。描き方がより人間の厭らしい面をクローズアップさせる。その効果的な観せ方が実にシュールで印象深い(不快)ものになっているが、それだけ上手いということ。
当日パンフレットに、”狂気が、溢れ出す。”とあるが、その「感情」は、「無感情」という正反対によって浮き彫りになるが、人間の光と影という二面性を観るようであった。
ちなみに当日パンフレットは、役名が書かれていないため感想が書きにくいのだが...。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、ほぼ素舞台。舞台下手側に黒BOX2つ。正面は張り壁のようで、顔写真を撮るような感じて一部が刳り貫き窓引戸がある。

この公演で印象的なのが、終盤の心情吐露シーンである。長い暗転...大川興業の暗闇演劇「The Light of Darkness」の公演パンフが挟み込まれていたが、この暗闇劇は2回観たことがあるが、全編暗闇である。その意味で最初から全神経を各所に集中させているが、本公演ではワンシーンのみその手法を用いても、集中力を保つことは難しい。

梗概...兄・妹・弟の三兄弟が、幼い頃近所にある塔に登ろうとし、弟(6歳)は落ち意識不明になった。6年後に意識は回復したが、その間の成長が止まっている。近所の人に揶揄され、その腹いせに放火をしたが、その結果、放火先の生活を崩壊(母は焼死)させた。弟の身代わりに姉が10年間刑に服した。兄は家出したまま、妹・弟を見捨てたようだ。
一方、被害者家族には子(姉妹)があり、妹はアイドル目指して活動中。この姉妹を兄は偽名を使い支援している(償いの気持)。その正体がばれて被害者・加害者の痛みと悲しみの連鎖が、終盤迫力を持って描かれる。

また、サイドストーリーとして、弟は詐欺まがい似非宗教法人の教祖に救われ、教団で活動している。この教団を強請るジャーナリスト(娘が難病で金が必要)とのエゴのぶつかり合い。更にアイドルの追っかけが不気味な存在。

メインストーリーにサイドストーリーが複層的に絡み、人間の内面を炙り出す。その源になるのが、心を持たない少女。幼い時に親に捨てられ心を操れない。その無の思いが他人の心内にずかずかと入り込んで、一見単純・素朴な言葉が相手を傷つける。この無を表現する演技として、手足を直線的に大きく動かす。軍行進のような感じであるが、その仕草はロボットのイメージであろうか。この、ゆきぽよ(木村有希)サンの演技は妖しくもコケティシュで良かった。
総じて役者陣の演技は安定しており、バランスも良かった。それぞれの役柄の人物像を立ち上げ、その心情表現も上手い。

暗闇シーンは、心情を吐露する台詞のみで、暗転時間はもう少し短くても良かったのではないか。繰り返し発せられる「想像する」は、この暗闇シーンでは心情を浮かばせるまでにはならなかった。また終盤の狂気(凶器)シーンは、照明の点滅を利用した迫真効果を出すなど、もう少し盛り上げがあれば一層観応えがあったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
PASSION ∞ヘレンケラー「光の中へ」∞

PASSION ∞ヘレンケラー「光の中へ」∞

アブラクサス

調布市せんがわ劇場(東京都)

2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

やはり素晴らしい!
ヘレン・ケラーの生涯を凝縮して描いた公演...多くの劇団で公演しており、言葉を認識するまでの少女期、それ以降の社会福祉・反人種差別の活動に尽力したトピックを織り込み描いている。
ただ、自分の好みとしては、アン・サリバンとの関わりとその後の人生の観せ方に違いがあり、芝居としての一貫性がほしいと感じたが...。

舞台(美術)は素舞台に近い。あるのはテーブルと椅子が数脚。周りは暗幕で囲い、脚本・演出・演技で魅せる力作。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

「奇跡の人」(本作はヘレン・ケラーの物語で、アン・サリバンに関する部分は大幅に割愛)というタイトルで上演されることが多いが、それはヘレン・ケラーとアン・ーサリバンとの出会い、結びつきが中心に描かれる。その意味ではヘレン・ケラーの人生に大きな影響を与えた人間としての関わり、言葉の認識というプロセスが中心であり、その見せ場として井戸での水汲みシーンが有名である。本公演でもその描き方は他の劇団公演と変わらない。

前半・後半という括りをするとすれば、後半はヘレン・ケラーの社会、反人種差別に対する運動のトピックが紹介される。労働条件改善の訴え、南部黒人集会での演説や講演である。そしてライフワークになる社会福祉活動。自身の経験を踏まえた公演は、世界中へ。
この前半・後半を幽体離脱体験という形を挟むことで物語展開させたところも巧い。前回公演は、この場面がくどいようで違和感を覚えたが、今回は繋ぎに絞ったようだ。

前半はヘレン・ケラー(羽杏サン)とアン・サリバン(森下知香サン)との出会いと成長、後半はポリー・トンプソン(Azukiサン)を伴った活動に登場人物も含め軸が変わる。そこに時の経過が感じられる。もちろん役者陣の老齢していく容姿・演技もしっかり観える。
ヘレン・ケラーという女性の半生を過不足なく描いているという点では観応えがある。それを体現する役者、特にヘレン・ケラー、アン・サリバン、ポリー・トンプソンを演じた女優3人は素晴らしかった。

さて、自分の好みであるが、後半部分はヘレン・ケラーの人格形成を成し、その自覚に基づいた活動・運動を展開している。そこには出来上がった人物像があり、その人格を形成するまでのプロセスが観えない。前半の過程に対する感動が、後半では文献でも知れるような展開にしていたが...。上級学校に進学しての考え方、物の見方など成長する”過程”を力のある女優陣で観たい。また活動・運動を通して成長や人的交流があったと思う。彼女に限ったことではないが、人の成長…ヘレン・ケラーらしい違った感動がありそう。もっともポリー・トンプソンとの出会いは人格が形成され運動している時期であるから、物語の構成は相当工夫する必要があるが。

前回公演を凌ぐような力作。そこにヘレン・ケラーの年を追った人生経過(順々?)ではなく、芝居的な観せ方があったら、他団体・公演と一味違ったヘレン・ケラーの物語が観られそう。

次回公演を楽しみにしております。
ルドベルの両翼

ルドベルの両翼

おぼんろ

BASEMENT MONSTAR王子(東京都)

2016/06/28 (火) ~ 2016/07/06 (水)公演終了

満足度★★★★

幻想的な...
寓話...活喩のような物語。会場はアークホテルビル地下 BASEMENT MONSTAR王子で、その階段を下りると、そこには洞窟内の神秘的な世界が広がる。場内には 末原拓馬氏 の柔らかく朗々とした声が響き、その心地よい音質に誘われて物語の世界に浸る。その異空間と思われるところに暗渠(あんきょ)のような通路。しかし、そこには水は流れていない。そこをキャストが激しく動き回る。舞台(役者の動線)と参加(観客)席には区切りがあるが、雑然としている。そして席は桟敷、ベンチ、スツールと様々である。参加者の視線(桟敷は見上げる、ベンチは平行、スツールは少し遠目)によって印象が違う。そのことは十分意識しての配置であろう。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

場内は全体が暗色、形容しがたい舞台美術。その異形オブジェに囲まれて、キャスト5人が縦横無尽に動き、走り回る。その熱量が半端なく上がり汗が迸る。
物語は人間界とは別世界...瀆神(とくしん)とは少し違うかもしれないが、天上界の怒りから地上界へ。その索漠・茫洋とした様子が舞台美術に表れているようだ。空虚は照明効果による幻像表現として演出する。それは登場人物の外見・衣装にも妖気をただよわせる。

寓話のような...天地の境が人間界のような描き。登場するのは人間の姿をした架空の生きものか。そこに おぼんろ ならではの非現実的な世界観で描くことによって、より物事の本質に迫るような切り口が垣間見える。
今回は、天使と奴隷(極端な譬え)の恋の果てに痛みを伴う仕打ちを受ける。それも後世にまで...。さらに双子(児)という、古の時には忌み嫌われたようだが、本公演でもそれを踏まえた展開のようだ。それらの不条理とも思われるような考えと行為に抗う、もしくは翻弄される姿が痛々しい。

パンフには、「僕らはこの場所で変幻自在の夢をみる」とのコピーが書かれている。本公演の雰囲気は魔、実際に描かれている話は俗談のようである。それでも翼があって飛べるような夢が観れた。

次回公演を楽しみにしております。

「君に決まってた」(公演終了) ご来場ありがとうございました。

「君に決まってた」(公演終了) ご来場ありがとうございました。

Sky Theater PROJECT

「劇」小劇場(東京都)

2016/07/06 (水) ~ 2016/07/12 (火)公演終了

満足度★★★★★

妄言...ホーム・シチュエーション・コメディ!は面白い
観劇した日(七夕)は暑かったが、この「劇」笑劇場での公演で更に熱くなった。ヒートアップした笑い笑いの連続で、その観せ方にも工夫が凝らされている。「TVゲーム」を題材にしたコメディ...たかがゲーム、されどゲームに振り回される大人たち。その姿を通して家族とは...そんな親子、家族ドラマが...。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットはしっかり作り込んでおり、この「桜井家」の居間を中心に、その奥に中庭であろうか。狸の置物も見える。上手側に台所への出入り口、室内にTV、中央に卓袱台、下手側に和箪笥が置かれている。時季は4月、この家には樹齢65年の桜の木があるが、朽ちてきたため切ることにした。最後になるであろう観桜日のドタバタ。

梗概...恭平・安吾の父子は子供の時のゲーム遊びを巡り確執があった。そして、安吾も2人の子どもの親になった。今でもゲームは趣味。恭平は「ゲームなんて」と安吾の前では毒づくがゲーム好きの孫娘かわいさに手を出したところドはまり。でも安吾には絶対に知られたくない。その日、恭平は安吾のゲームソフトのセーブデータを誤って消してしまった。15年以上、引き継ぎ、引き継ぎしてきた大切なデータを。確執から生じたプライド、ごまかしの噓が思わぬ事態をまねく。

居間という限定された空間で演じるため、登場人物は場面毎にせいぜい3~4人が登場し、笑いを繋ぐ。次場面への笑いネタの繋ぎ方がわかり易い。そして登場人物のキャラクター造形とともに、その外見でも印象付ける。同じような衣装(水着や下着姿も含め)は身に着けず、役どころがイメージしやすい。
基本的に暗転がなく、1日の流れの中にドタバタ騒動が組み込まれ、照明の照度によって午前・日中(雨)・夕方という時間経過が分かる。もちろん、桜の花びらが舞い落ちて風情も感じられる。

隠し事の顛末...居間に家族やこの「ごまかしの噓」に関わった人々を集め、逆回転映像のように観せる。それも1対1の対(論)戦のようにメリハリを利かせる。役者陣のチームワーク・バランスの良さが見事。
脚本、演出、演技や舞台美術・技術が上手くかみ合い、実に印象深い公演であった。

ゲーム...子供にとっては友達付き合いの重要なアイテムらしい。持っていないと遊びの輪に入れず、もっと言えば仲間外れにされる場合もある。一方、親からしてみれば、勉強もしないで...その視点によって「ゲーム」という存在の捉らえ方が異なるようだ。教訓臭くならない程度に、もう少し”ゲームの功罪”が透けて見えてもよかったかも。

次回公演を楽しみにしております。
CALL AT の見える桟橋

CALL AT の見える桟橋

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/07/01 (金) ~ 2016/07/09 (土)公演終了

満足度★★★★

”遺”空間のような...(Aチーム)
説明によれば、「あるものは運転をしていた あるものは博物館にいた またあるものは戦場にいて 別のあるものは病院のベッドにいた」とあるが、描かれているのは1890年であるという。その時代設定における情景・状況の違和感は、既に現世と来世の狭間にいることを意味している。

さて、メガバックスコレクションの舞台の特長は、その舞台美術の素晴らしさにある。今回もその例外ではなく、「現世」と「来世」の間をイメージさせる妖気・霊気が漂う、そんな雰囲気の場内である。ただし、チラシにあるようなロマンチックな絵ではないが...。

ネタバレBOX

誰もいないはずの場所、「現世」と「来世」の間から呻き声のような...。その遺空間のような場所で見たこともない生きもの?を見る。人智を超えた恐怖を前に自分が知っている、そして住んでいる世界とは違う異界の存在が出現する。そこには罪を喰らう獣・クッキー(本澤雄太サン)、夢を喰らう獣・ビスケ(鈴木ゆんサン)、嘘を喰らう獣・スフレ(ザッちゃんサン)がいる。その獣はほとんど動かない。固定された場所や檻の中、または鎖に繋がれている。オドロオドロした格好である。その形容しがたい姿は、観客の心象によって異なり、自由な想像力で楽しむことになる。暗流の世界...しかし物語の中では明るさのようなものも感じる。

人は死んでも嘘をつく。何のための嘘なのか。見栄、自分を守るため、優しさなど色々な理由があるのだろう。この場に居合わせた全員が嘘をついていた。現世と来世の間 そこは現世への想いを浄化する場所。川を渡る船の修理が出来次第、次の場所...古城へ向かうことになる。

ここは現世への未練を断ち切る場所か。自分がなぜ死んだか解らない。その未練とこれから渡る川向こうへの畏怖を払拭するような。この場に留まることも出来るそうだが、みんな川を渡っているようだ。この希望なき状況に僅かな希望、生き返ることが出来る人物がいるらしい。死にたくない者と生きたくない者の反する気持が浮き彫りになる。
この状況においても芯が強い男女の小気味よい演技が印象的である。それが、自称大泥棒で運転中の事故死ラスク役(キリマンジャロ伊藤サン)と自称エンターテイナー・ライア役(小早川知恵子サン)の遣り取りが実に自然であり圧倒する演技である。

この不思議世界に壮大さ、死んでも現世に想いを繋いでしまう。この狭間という中途半端な場所から見る、本心と虚飾が揺れるように描かれる。
沈鬱になりそうなシチュエーションであるが、先にも記したように明るさがある。そんなこともあり、「この先を見てみたい!」(実は池袋演劇祭で観劇済)と思わせる感興。

次回公演を楽しみにしております。
金曜はダメよ♥

金曜はダメよ♥

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2016/06/29 (水) ~ 2016/07/04 (月)公演終了

満足度★★★★

”ホラ・コメ”のうまい観せ方
少し難くなるが、経済用語に「見えざる手」という言葉があったと思う。市場における自由競争が最適な資源配分をもたらすとか。
この”ホラー・コメディ”の芝居は、別の意味で「神(紙)の見えざる手」のような...。自分たちだけではどうすることも出来ない神=紙の領域があるようだ。その紙には「ジェイソン」「 13日の金曜日」などをイメージさせてはいけない。この紙を支配しているのが、実にわがままな。
その見えざる手とは...ホラーではない?

ネタバレBOX

舞台セットは、中央に横長テーブルと椅子があるだけ。冒頭は男女がある山荘に着いて一息ついたところから物語が始まる。実はこの人たちは映画の登場人物という設定である。そして現実の映画製作関係者が登場する。この実在と架空の世界という2重構成(舞台セットも地下・上階の多層イメージ)で物語は展開するが、現実と台本の中の人物が共振・共鳴するようだ。

映画製作といっても監督、シナリオライターが集まりアイデアを出し、プロットを考えているといった段階である。この映画のプロデューサー(登場はせず、携帯電話での指示)の思いつきで、話の方向がコロコロ変る。それに振り回されるシナリオライターたち。当初台本を大幅に変更し、登場人物も消去しようとするが、台本中の人物は消されないよう騒ぎ立てる。この人物はシナリオライターの筆先によって役の存否が決まる。まさしく紙の手が支配する世界。そしてこの紙の手も、姿が見えないプロデューサーの意向には逆らえない。結局、適役が配分いや割り振られたのだろうか。

抗えない運命なのか。台本中の人物、この場で映画台本と向き合っている人々のそれぞれの意味付けや立場が違っても、人の世は可笑しくも無常である、そんな思いを抱く。そして再び経済の話になるが、いつの間にか自動調整機能が働いて自然な収まり方。不条理とも思える製作トップへの抵抗にアイロニーを感じる。

この「ホラー」を「都市伝説」へ変容させながら、自分が思い描いた映画(台本)作りに向かう姿が明るく元気に描かれる。ここに劇団、トツゲキ倶楽部の真骨頂を見ることができる。当日パンフの演出・横森文サン、作・飛葉喜文サンのつぶやきが書かれているが、両人の共通語は「生き」である。そして役者陣はこの「生き」を芝居の中で活き活きと演じていた。そこには安定した演技力とバランスの良さがしっかり観て取れる。

自分が、この「劇」小劇場にこの芝居を観に来たのも運命なのか。いや自分の意思で、そして選択をしている。

次回公演も楽しみにしております。
第16回公演『大人』

第16回公演『大人』

劇団天然ポリエステル

中野スタジオあくとれ(東京都)

2016/06/30 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了

満足度★★★★

パワフル!
劇団の内情を暴露する内輪話...のような気もするが、この芝居の魅力は圧倒的なパワーで観(魅)せること。劇団「寂し部」、小さな売れない貧乏小劇団であり、そこに巣食う個性豊かな人々...。舞台中央には、長テーブルと椅子3脚。そこに「書かざる者、飲むべからず!」という張り紙が...。もちろん劇中シーンを意識していることは明白である。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、どう表現するか困るような散らかり方。この劇団「寂し部」の事務所であろうことは容易に想像できるが、先に記したテーブル以外に主だった道具は、上手にソファー、下手に冷蔵庫や障子衝立がある。それ以外が小物、過去公演ポスターなどが乱雑に配置されているようだが...。実は劇中でさらにメチャクチャにするが、その意味では計算した配置であろう。

梗概、劇団「寂し部」と劇団「ピリオド」の時代を超え、次元も異なるヒューマンドラマか。
伝説の劇団「ピリオド」の未完の台本と、それを大事に持っている同劇団の看板女優・明里(碧さやかサン)が、劇団「寂し部」へ迷い込む。「ピリオド」では、七夕を題材にロマンチックな芝居を上演する予定であった。しかし思うように筆が進まない。そのうち劇団内での恋愛話が拗れて...。そして迷い込んだ女優・明里の正体とは...。

典型的なドタバタコメディであるが、そこは緻密かつパワーで物語を大いに盛り上げ、自称ガラクタ集団という「寂し部」がいつの間にか「癒し部」になったようでホッコリする。書けない理屈派の「ピリオド」脚本家・雲居秋人(萬谷法英サン)と、書きたくない無頼(天才)肌の「寂し部」脚本家・柳映見(やんえみ サン)の競作場面が面白い。制作の苦労が滲み出ているが、そのマイナー思考とも思える場面を簡単に乗り越え、観ている人に元気を与える。その観(魅)せる工夫が、事務所内(パソコンの投棄、水噴射など)をメチャクチャにすることで、劇中シーンと観客の鬱憤を晴らすような...そんなシンクロを感じる。

演劇ってなんだ、という崇高なテーマが根底にあるようだが...。
いずれにしても役者の演技?力は観応えがあった。

次回公演も楽しみにしております。
エピローグに栞を

エピローグに栞を

B.LET’S

ゆうど(東京都)

2016/06/30 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了

満足度★★★★

ゲネプロ拝見
ありふれた日常生活が、立てかけた栞の日めくりを通してゆっくり紡ぐられる珠玉な芝居。舞台となるのは関西にある古い家という設定である。その雰囲気をこの会場...古民家「ゆうど」はぴったりと調和する。本当に味わい深い芝居を観た、濃密な感興である。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

ゆうど...目白駅にほど近くにありながら、清閑な環境下にある古民家。場内は、座布団席と椅子席。下手に庭があるような座席。 テーブル、座布団、縁畳...その居間を舞台に、15年ぶりに娘と孫娘が帰ってくる。その家には老人となった父の姿と孫娘と変わらない女性が同居している。

父と娘の間は確執があるようだが、その内容がはっきりしない。娘が家を出た理由もそこにあるようだが、その輪郭を描くこともなく、淡々と物語は展開する。芝居は冒頭、脚本・演出の滝本祥生 女史の「小説家をゲストに招いている」という前説から始まるが、この件は既に芝居の導入へ。
劇仲の(祖母・母・娘)の3役を演じる中村優里サンがストリーテラー的な役割を演じる。そして冒頭ゲストとして登場する小説家は、もちろんこの方である。

この家に出入りしている近所の酒蔵・福田慎二郎(大田康太郎サン)の役割が掴みかねたが、この人物が重要な伏線であるようだ。
さて、娘と孫娘が帰ってきて父(祖父)に提案したのが、「遺書」を書くこと。映画「エンディングノート」(砂田麻美監督 2011年公開)を思い出した。それは死期近い父の姿を映像にする。本公演では死期が迫っているわけではない(ラストでは亡くなるが...)。単に小説の題材のようでもあり、15年の空白を埋める、それ以上に父娘の間で知らないことの理解をするという建前か本音が曖昧な理屈が並べられる。結局書き始めるが...。

この父は、地酒を全国の商店に卸す仕事を生き甲斐にしていた。その結果、全国に地酒が普及したという。社会的には功があったようだが、家庭は顧みず母の死にも悔悟するような振る舞いがあったようだ。この父と娘の拗れた想いが氷解するようであるが、それぞれの当時の苦しい胸の内がもう少し表現できていれば、感動の度合いが違ったかもしれない。
「遺書」という言葉への抵抗感、「生き様」のようなイメージで小説ネタにしたい娘。実の父娘、そして孫娘の関係が痛々しく、それでいてホッコリする関係が垣間見える。この身近で知っているようで、一方、面倒で疎ましくも感じる家族関係が実に上手く表現される。淡々とした日常、そこに確執・葛藤・嫉妬などの荒ぶる感情が...蠢く。

この感情を体現する役者の演技は、キャラクターを立ち上げバランスも良かった。なお、ゲネプロということもあり、少し緊張があったかもしれない。

B.LET’Sでは初めての古民家公演。音楽はアコースティックギターで生演奏、本当に素晴らしいひと時を過ごすことが出来た。

次回公演も楽しみにしております。
CRANK UP

CRANK UP

PLAN N

シアター風姿花伝(東京都)

2016/06/29 (水) ~ 2016/07/03 (日)公演終了

運営面で難あり
初見の演劇ユニット(劇団ではないという)の初日公演。芝居は面白かったが、運営面で残念なことがあった。観客マナーの悪さと主催側の対応の拙さが気になった。あまり運営面は書き込まないが、今回は危機管理が絡む。
上演時間近くに入場した人が、通路最前列に椅子を置き観劇していた。実質一番観やすい席となるが、そこは通路である。非常時の際の避難通路として確保しておくもの。客とは言え、主催者はしっかり断る等の対応をすべきである。この危機管理の甘さと他の観客(自分も含め)の心証を悪くしたと思う。

芝居は先に書いたとおり面白い。それは映画製作に関わる若者の群像劇で、等身大と思えるような清々しい印象を受けた。
芝居は★4である。
(上演時間2時間15分)

ネタバレBOX

過去・現在・未来のパラレルワールド...そのキーワードに示される観せ方は、演劇(映画も同様)手法としてはよく見かけるもの。しかし、少し捻りもあり凝った作りになっており、最後まで飽きさせない。それだけ緩急あるテンポとキャラクターを立ち上げた役者の演技力が素晴らしい。

舞台セットは、中央に回転する盆舞台。後方には左右非対象の階段状のスペース。それを囲うようにパイプの組み合わせ。イメージは廃墟、工事現場といったところ。このセットは後々印象深くなる。

大学の卒業映画製作を通じて描かれるドラマ。製作することができるのは1本、企画は同期2人(百瀬亮役・沼田星麻サン、鈴井直也役・吉田朋弘サン)が持っているが、結局1本に絞込み撮影を開始。多少のギクシャクを残しつつも順調に進んでいた撮影終盤に事故が...。撮影は中断し、映画は未完成のまま3年が経過した。その間に仲間はそれぞれの道へ。
何とか完成させたいと、撮影を再開させようとするが、問題が山積する。

芝居の構成は映画のカットバックのようである。過去シーンを現実(病室)で丁寧に重ね合わせるが、ほとんどを再現させているようでぐどく感じる。パラレルワールドの世界観を表現したい気持は解るが、1~2シーンの回想に止め、イメージを伝えるだけでも十分ではないか。
病室(カーテンを映写用の幕に転用する)での上映会。未完成の映像、そこには公園か広場が映し出される。先の舞台セットがパイプ等の無機質であること、その撮影現場は緑葉に光輝く自然豊かな場所であったという、その対比もよく考えている。芝居としては、伏線も巡らせ、構成も緻密にし観せようと工夫している。

ラスト...病室の見舞いに「フリージア」の花が...その色は黄色っぽい。その花言葉「無邪気」はこの映画製作に携わった人々そのもの。

次回公演を楽しみにしております。
読書劇『二十歳の原点 2016』

読書劇『二十歳の原点 2016』

オフィス再生

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2016/06/24 (金) ~ 2016/06/25 (土)公演終了

満足度★★★★★

素晴らしいの一言!
「二十歳の原点」(にじゅっさいのげんてん)の作者、高野悦子さんの命日にあわせた公演...4年前に発表し大きな反響を得たという。自分は初見であるが、本当に見事な公演であった。

某雑誌の紹介で観させていただいたが、当日は13名の観客。実に贅沢であることの感謝と同時に、もっと多くの方に観てほしいという気持が...。

2017年は京都でも公演を、そんな話をされていた。50年近く前の「時代」のことであるが、今でも何か投げかけてくるものがある。

ネタバレBOX

上手と下手にそれぞれ電気スタンドやウィスキー瓶などが置かれた机と椅子が置かれている。床には日記の文章を書いた布が全面に敷かれている。 

両方の机に女性が座り、上手側の女性が万年筆を手にノートに文字を書き込む。同時に下手側の女性が朗読を始める。日記を付け始めた1969年1月2日(20歳の誕生日:大学2年)には「慣らされる人間でなく、創造する人間になりたい」との決心が記される。この「二十歳の原点」が内省するのに対し、大学に入るまでの「二十歳の原点ノート」はなんと瑞々しいことか。そこには学校生活(部活も含め)が生き活きと書かれていたと記憶している。

公演...体の背面に無数の赤い紐糸をつけた2人の女性と、その長い紐糸の一方の端を両手の指先に結びつけた2人の男性が登場する。女の動きはあたかも男が糸によって操っているかのようだ。その1人の男は「時代-1969年」、もう1人の男は高野と刻まれた「万年筆」である。そこには時代という運命の中にいる本人。一方はその時代のいる自身を見つめている。そこに緊密な関係がある。
男は日記のそれぞれの日の背景となったトピックを語り、机の女は、悦子の日記が読み上げる。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という有名な一節が書かれている。

日記は第一志望であった立命館大学での学生生活を中心に、理想の自己像と現実の自分の姿とのギャップ、学生運動、人間関係での葛藤と挫折、生と死の間で揺れ動く心などが綴られている。それは悦子が山陰本線で貨物列車に飛込み自殺する2日前まで続くのだが、途中から男により「自殺まであと○日」とカウントダウンが始まり緊張感が高鳴る。

そして強烈な印象を与えるのが挿話した、三島由紀夫が防衛庁で割腹自殺する直前の檄である。

終盤、2人の男が壁に立てかけられていたビニール傘を広げ、舞台にそれを投げ入れる。そのビニール傘に照明が複雑に反射する。また上手側に花火のような点滅照明も効果的であった。

“読書劇”であるが、聴覚だけでなく視覚にも訴え、若者の死に至る心の過程を圧倒的な緊張・緊密感で描く舞台、見事であった。

次回公演を楽しみにしております。

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