itomasa7の観てきた!クチコミ一覧

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アンソロジー

アンソロジー

ACRAFT

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

とても「素直」な作品
フライヤーにもありましたが、
通信技術/記録技術などほぼなく
全ての出会い、交わす言葉の数々が全て
もしかしたら一期一会(この言葉自体まだない?)、

これが最後になるかも知れない、という所から
それぞれの場面/心情を詠む「歌(和歌)」には
様々な想いが込められている、
という事を素直に示した作品かと。


初日ゆえの固さが役者陣、照明、音響など
(結構多くの)スタッフ達に感じられましたが、
(※日本史にまったくうとい自分には)
今の人には難しすぎるような「人名」から
物語の流れからがとても「分かりやすく」描かれているな、
と感心しました。

ネタバレBOX

【思った事】
・ 照明効果の使い方がちょっと…
  (特に暗転/明転の切り替えタイミングなど
  「アレ?」と思うズレ、妙な間などを感じてしまいました。)

・ 音響についても舞台上の動きとタイミングが外れていた箇所が多かったかと…

  何よりどこもかしこも荘厳なBGMがガンガンかけられていて、
  物語の起承転結ではないですが、
  もうちょっと場面場面に合わせて
  曲と音の大きさに抑揚をつけて欲しかったかな、と。

・ 一部の役者陣に固さが見られ、
  台詞もトチリなどがちょっと多かったかも知れません。

  ※ あと、殺陣を終えてすぐ台詞回しに入る、
    などの切り替えが大変なのか分かりませんが、
    主人公と言える武心の声が小さいのがかなり気になりました。
    (終演時のあいさつまで声が小さい…)

  あと、一番大事な「歌」を
  何人かの人が詠む場面が出てきますが、

  ※ 特に元の「歌」自体を知らない自分には

  人によって発声の問題もあるのでしょうが
  ちょっと「かつぜつ」的に聞き取りづらく、
  「なんと言った(詠んだ)のか?」が
  ちゃんと分からないものがありました。

  ※ もう1回、今度は物語に出た「歌」と
    その心情/背景を理解した上で
    その場面での「歌」を
    聴いてみたいですね( ´ー`)

・ 「柿本人麿」、最初からずっと
  「武心」が将来的にこうなった、という展開かなー、
  と思ってました。
  福地さんが、ストーリーテラーから
  実際物語側に「舎人(とねり)」として登場し始めてもなお…
  (先日の別作品も「名を受け継ぐ」というのがありましたし)

  そういう意味で「久保田唱」演劇というには
  あまりにも「素直」に作られているかな、と。

  ただ、

  ※ 自分が日本史を知らなかった事もあり
    (知ってる人には最後までのおおよそは見えていたのかも知れませんが)

  大友皇子と十市皇女(もう読み方忘れてしまいました)の
  悲劇的な物語を「最後どうなるんだろう?」と
  観劇しているこちらも
  「素直」に楽しむ事が出来ました。

  ※ 日本史を知ってる人にとってはどうだったんだろう?

  ※ しかし、十市皇女と大友皇子の気持ちはともかく、
    天智天皇の元へ略奪婚された額田王(これも読めない…)の
    気持ちは舞台上の「歌」その他では理解しきれませんでした。

    「郷に入っては郷に従え」的に生きていく、という事でしょうか?

・ 泣ける場面、感情を引き込まれる場面は少なかったのですが、
  最後死にゆく武心が物語冒頭で語られていた
  「本当の名前を教えてくれ!」と
  元恋人に叫ぶシーン、
  あそこで急にギューっとハートを掴まれたような気がします。
  (こういう場面を多用しないのも「素直」なつくり故かしら?)

  あと、大友皇子があれほどこだわった「勾玉」が、
  実は十市皇女と民に向けた「歌」を彫り込んだものだった、
  というのは良設定でしたね。
  (これほどまでに「歌」が重んじられた時代だった、という事が
  感じられました。)


帰り歩いてて「名前が分からなくて混乱した」と言ってた人がいましたが、
自分は「人名」「物語」とも”混乱”はなく観れましたね。

あとは初見で、
・ 「物語の筋」としてちゃんとつかめなかった部分が
  あるかも知れない事

・ 「歌」がどれだけその場面に合った内容だったのか

などを知る為に、もう一回観劇したいですね( ´ー`)
売春捜査官/カム・ブロォ・ユア・ホーン

売春捜査官/カム・ブロォ・ユア・ホーン

モウムリポ(ポップンマッシュルームチキン野郎課外活動)

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2015/06/24 (水) ~ 2015/06/29 (月)公演終了

満足度★★★

side B「カム・ブロォ・ユア・ホーン」PMC野郎に求める「笑い」とは違う方向だったのかな、と
作ニール・サイモンのシチュエーションコメディ、という事で
「アメリカン(?)ジョーク」っぽい会話のやりとりが
多々あったのですが、それらがどうにも

「PMC野郎」のいつもの笑いの取り方と違う、
と違和感を感じてしまい自分は心から笑える場面が少なかったです
(周りが笑うので釣られて、というのは多々ありましたが)。

PMC野郎といえば
「単発ネタ」「ブラックジョーク」「シュールネタ(きぐるみ、裸など)」などの
小ネタに始まり、それを物語中で更なる大きなネタとして繋げてくる、

「笑いの魔術師」的な上手さ(ソリッドな笑い、と言えばいい?)が
自劇団のお芝居上重要なファクターになっていると思います。

しかし、(多分)元脚本(ニール・サイモン)自体の
仕込んだ笑いネタの方だと思うのですが、

会話のキャッチボール中のネタの多くに
「アメリカナイズされた」「アメリカンジョーク」としての笑いの取り方を感じ、
それが吉本新喜劇のようなコテコテさに近いノリに思えて、

「ここは笑う場面だから皆さん笑ってくださいね」という
予定調和的な笑いの取り方に感じてしまい
ちょっと気持ち的には「笑う」ではなく、逆にひいてしまいました。

だから、周りの笑い声に付き合えても「心からは」笑えませんでした。


ただ、演技の方は多少の噛みなど除けばとても良く、
メインストーリーの方が大きく転じた後は、
心温まる上にホロリと来そうになる、
これもまた「良きアメリカ(?)演劇」と思えるような展開で
ラストへの流れは安心して観る事が出来ました。

☆3.5、という所でした( ´ー`)

ネタバレBOX

【思った事】
・ 今までに、海外脚本家のアメリカンジョーク的な
  (?国は知らないけど結構コテコテだったりの)
  笑いの取り方を多用する演劇も何本か観ていて、
  それらにはそれなりに笑わされていたような気がします。

  ※ ただしそれらのほとんどは「某大物有名声優」達の
    声による”台詞への感情ののせ方、笑わせ方”の上手さを
    活かしたもので、
    「ネタ自体に笑った」というのは自分の中でも少なかったかと。

  そして、表にも書きましたが
  PMC野郎メンバーが元々持っている、得意とする笑いのスタイルとは
  ちょっと「噛み合っていない」「毛色が違う」感があり、

  (多分)元脚本自体に用意されていた笑いのネタにはほとんど
  気持ちを引かれる事がありませんでした(=笑えませんでした)。

  例.兄:弟:父、の間での会話に混ぜられた笑いネタなど。

  で、「これは多分吹原さん脚色によるものかな?」と
  PMC野郎のにおいが感じられるネタにだけ、
  自分は素で笑う事が出来ました。

・ ただし、ママだけが何故か「アメリカン」な?テイストに合っているのか?
  ・ ひっきりなしの電話のくだり
  ・ トップガン(?)ネタをしゃべるくだり
  などは、かなり自分のツボに入って笑えました。
  ? あれは元脚本/吹原さん、どちらのネタだったのだろう?

・ 物語自体の方は、父の会社をクビになった兄弟が
  わずか数週間のうちに兄と弟の立場/立ち位置が逆転していて、
  ・ (何かを)必死にしている、そして彼女との事を悩む兄
  ・ 今までの真面目さを全て捨ててしまい、遊び狂う弟
  の構図から、

  母の家出、追う父、
  実は兄が(父への今までの恩を返そうと)仕事を取る為に奔走していた事、
  彼女が兄の元へ別れを告げに戻ってくる、
  ~
  最後は父が「弟に自由を与える」事を認める、
  までの流れ、

  古き良きアメリカ(?)のホームコメディ(ハートフルコメディ?)の、
  心温まる物語の締め方のようで、
  これはこれで良い物語だな、と思いまいした。

PS.side A、side BともいつものPMC野郎らしく、
  開演30分前からの小ネタイベント(本日のはゾンビ即興劇っぽい?)がありましたが、
  あれって、人前へ出る事や演技の度胸をつける為に
  非常に良いイベントなんじゃないのかな?
  若手にドンドンやらせてもいいんじゃないかな?
  と思いました。
売春捜査官/カム・ブロォ・ユア・ホーン

売春捜査官/カム・ブロォ・ユア・ホーン

モウムリポ(ポップンマッシュルームチキン野郎課外活動)

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2015/06/24 (水) ~ 2015/06/29 (月)公演終了

満足度★★★★

A side「売春捜査官」思わぬ骨太ストーリー展開に驚きΣ(゚Д゚)
つかこうへいさんの本タイトル、
結構色々な劇団の演目として名前は聞いていた気がします。

(ここまではいいのかな?表に書いちゃって)
役者それぞれ恐るべきハイテンションで罵声/怒声が響き渡っての始まりから、
主人公の女部長刑事以外が全部脱いじゃう所までで

「これはPMC野郎の”風雲チキン城”的なファンサービスイベント演劇なのかな?」と、

ちょっと今日は「お芝居」モードで来ていた自分は残念に思いかけましたが、、、


思わぬタイミングから想像だにせぬ骨太かつ
物悲しいストーリーが展開しだして、

しかも1mもない舞台との距離、
劇場中に響き渡る演者達の雄叫びのような台詞の数々、
そして熱量がそのまま顔から汗としてしたたる所(どころ)か
みんな裸だから身体中全身汗まみれ、

自分の観た事のないような演劇スタイルですが、
「裸の男の発汗」って、
やはり感情伝播して熱量が伝わってくる度合いがすごいんですかね?

絵だけ観たら「おちゃらけたお芝居」のようにも観えてしまうだろうに、
あの会場では完全にお芝居に引き込まれました。


そして、ダブル、トリプルクライマックスとでも言うべき
更なる盛り上がりに強いショックを受けました。


どこまでが「つかこうへい脚本」でどこからが
吹原さん脚色なのか分かりませんがすごい話だったわ( ´ー`)

「裸パワー」を使える唯一の劇団ですかね、
PMC野郎って・・・

ネタバレBOX

【思った事】
・ 噛みトチリはかなり多かったかと。
  しかし熱量が強いので、観劇側の集中力は切らされず。

・ 雄叫びとでもいうほどの叫び声での台詞のぶつかり合い、
  連日の舞台のせいかホタテ紐さんののどがやられかけてたのが残念。

・ フライヤー内容と、
  冒頭の女部長刑事のむちゃくちゃな発言と行動、
  「昔捨てられた相手」だからという理由で自分の元へ異動させた刑事、
  そしてホモ刑事、更に裸祭り・・・

  もう舞台上の物語はメチャクチャな展開をしていて、
  「これはハイテンションコメディ(?原作自体?)の
  更にPMC野郎カラー版で”お芝居”とは言えないものなのかな?」と、

  熱量こそ伝われど、その道理もへったくれもない世界観/展開に
  ちょっと残念(熱量だけで☆3つかな?)とか考えていました。


  しかし、第一発見者の男を呼び出し
  (カウンターに座ってたのが
  第一発見者だったのには笑わされました)、
  そこから「こじつけで犯人にしようとする」というまた
  メチャクチャぶりに
  「これはさすがにコメディとしても無理が・・・」と
  思った辺りから急転し、


  隠された本編がスタート、
  殺された女性と犯人の関係、謎の「リー先輩」と刑事のつながり、
  そういったものがどんどん出てきていつの間にか
  めちゃくちゃ骨太かつとても不幸な事件に展開していく。
  
  それも舞台上の4人だけで演じ分けられているのがすごい。


  ホモ刑事がリー先輩役になって、
  犯人が「リー先輩」こそ島の女の子達に売春を斡旋する悪の総元締めとみなし、
  更にそこから「リー先輩」こそが悩める人であり一番の不幸を背負った人物で、
  島の女の子達こそ、
  都会に染まって変わっていってしまった哀れで貪欲な存在で、、、

  とすごい早さで「善(善意、というレベルでしょうか)」と「悪」が
  入れ替わっていく物語の展開にちょっと涙腺が緩みかけました。

  (差別語になっちゃうのかな?ここには書かないけど)
  「リー先輩」(になりきるホモ刑事)の背景と境遇があまりにも可哀想でした。
  
  そして「リー先輩」を犠牲に女性と島に戻ろうと決意したはずの犯人が、
  たまたま手に握りしめた1000円札から
  女性のプライドを全てズタズタにし、一番悲しい展開に至るという・・・


・ 犯人が連れて行かれる場面でクライマックスと思わせておいて、

  その熱量を保ったまま
  刑事と女部長刑事の一度は終わった恋のネタへ、

  更にはホモ刑事の帰郷のネタ、
  とダブル、トリプルとクライマックスが続き、
  その間にも笑いはちゃんと取る、

  最後まで見終わって、
  やっと「ふぅ・・・」と息を深く吐き出せたぐらいに、
  息つく暇もないほどの圧力とスピーディーな展開の物語でした。


・ 設定は多分昭和の終わり頃なのかな?と思いましたが、
  平成の今観てもとても面白く観劇させてもらいました。


・ 吹原さん以外の有名脚本家達の作品をPMC野郎メンバーが演じる「モウムリポ」、
  3年ぶりとの事ですがぜひ定期的にやって欲しいですね。

  自分の知らない過去の「名作」を、
  (PMC野郎アレンジ版で)知るチャンスですので・・・


B sideも楽しみです( ´ー`)
黒鉄さんの方位磁石

黒鉄さんの方位磁石

劇団AUN

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2015/06/24 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★

名場面×名場面×名場面×・・・=大名作、とはいかないのかと…
フライヤーでのまるで映画「鉄道員(ポッポ屋)」を
思い出させるようななつかしい昭和の風景、

そして劇場に入ってのかなり凝ったセット
「家」「陸橋(?)」「機関車の炉(?名前分かりません)」

期待はかなり高まりました。


(ネタバレできないので詳細ははぶくとして)

・ 主人公の幼少から機関士になり、定年までの人生という大きな物語

・ 人生を思い起こさせるきっかけとなるもう1つの重いテーマ

この2つがうまく重ならないまま
集約されずに物語が終わってしまったな、
と感じました。

パーツ、パーツで観れば「この場面ではかなり涙腺を緩ませた」
シーンなど沢山あるのですが、
どうにも締め方がうまくない・・・

うーん、あまりにもったいない(´・ω・`)

ネタバレBOX

【思った事】

・ 現代(昭和64年=平成1年?)の夜、
  (後に電車の操車場跡と分かる)その場所に現れたおじいさん、

  そして時を越えて

  ・ 幼少期の父、母、友人達、そして友人が憧れた機関士達

  ・ まだ若かりし頃の妻、娘たち

  ・ そして妻について何かを伝えようとする叔父(?)

  これら時を超えたシーンがいきなり絡み合いながら描き出され、
  観劇している側には軽い混乱がはしります。

  ただし、メインは幼少期、友人達との楽しい場面、
  そして友人の1人が憧れた「機関士」(機関車の運行に携わるもの)達との
  触れ合いの場面なので、明るく物語は流れていきます。

  しかし、その後「現代」として、

  ・ 操車場にて、おじいさんを発見し、
    身元を調べて家族の元へ返そうとする男性

  ・ 自宅から行方不明になった『痴呆』のおじいさんを
    探そうと慌てる娘達

    ※ ここで初めて、おじいさんが「痴呆症」であり、
      その為に色々な時代の風景が現れ、そして大事な事が思い出せない、
      という理由が分かります。

  ・ 「忘れてはいけない大事な事」なのに
    「思い出せない」と悩むおじいさん

  この時点で、自分にとって本物語のメインテーマは

  ・ 【おじいさんの物語】
    おじいさんの幼少から機関士、そして定年過ぎまでの物語

  ・ 【痴呆】
    「痴呆」という老いと共に避けたくても避けられない重い病気

  主にこの2つに定まりました(勝手に定めたというより、物語自体がそう進んでいくので)。


  この後も【おじいさんの物語】は、

  ・ 「機関士に憧れた友人」と自分の目標を決められなかったおじいさん

  ・ 優しかった機関士が、戦争の赤紙で招集されて二度と会えなくなる様

  ・ 友人も自ら戦争へ

  ・ 機関士の先輩にも赤紙が・・・

  など、色々な小編(ショートストーリー)を交えて進んでいきます。

  そして、

  ・ 機関士になれたおじいさん

  ・ 機関車運行中は「絶対に汽車は止められない」という
    (お国の為とはいえ)悲しいルール

    ※ 日本中に物資その他を運搬する機関車は、
      基本年中無休で止められない事になっていたそうです。

  ・ 空襲

  ・ 終戦、そしてそれでも運行を止めない機関車、
    そして、夜、

    消灯令(?)が解除され、それぞれの家に明かりがつく事で、
    どれだけの人がこの街で生きていたのか、を
    「まるで星空を走っているかのようです」と語るおじいさん
    
  ・ その後、友人が憧れた「機関士」にあげた
    方位磁石が、先輩機関士と共に戻ってきます。
    本人は亡くなる瞬間まで、
    「この方位磁石があれば、日本への道に迷わずきっと帰る事が出来る」
    と語っていたと・・・


  この【おじいさんの物語】、だけで言えばはっきり言って「名作」レベルだったと思います。
  それぞれの場面が心に刺さり、涙腺を刺激し、
  時にその台詞の中に「現代」に通じるものまで感じさせる、という。


  ただ、自分は【痴呆】の側のストーリーの展開がどうにもいただけませんでした。

  ・ 主役の方(かた)の「痴呆老人」の演技がウマすぎて、
    その所作が痛々しく
    (転倒などしまくり、「本当に身体を痛めたのではないか?」と感じさせたり)
    
    そして、妻に先立たれ娘たちにうとまれるその姿もこれまた痛々しく、

    その(記憶がないゆえの)発言にも、あまりにも痛々しさを感じてしまいました。

    かつて、自分の父親がたどったのと同じ「痴呆」の道、
    【おじいさんの物語】には、幼少から機関士、そして定年までの
    悲しみと救いの物語があったのだけれど、

    【痴呆】の方の物語には、ほんとーーーに最後に最後になって
    やっと救いが訪れる瞬間まで、
    
    【おじいさんの物語】と【痴呆】と、
    脚本家はどちらを「メインテーマ」に据えたかったのかが
    分からなくなるほどの、
    「交じり合わない」
    「両方ともが大きく、かたや悲しみもあるが感動の物語、
    かたや救いの少ない悲しいだけの物語」
    として続いてしまいました。

    娘たちが父親の日記(亡き妻につけるように言われた)を見つけて、
    そこから初めて娘たちには語られなかった父親の過去と戦争、
    そこでの父親の「男らしさその他」が垣間見えて、
    それだけが救いでしたが、
    最後、操車場で男性に迎えに来てもらっった父が
    
    「誰でしたっけ?」と痴呆でまた全てを忘れてしまい
    男性を迎える姿には、

    ? 作者は【痴呆】に対する救い的なものを描きたかったのかも知れませんが、

    自分には、「なんとも哀れな悲しい姿」とか見えませんでした。


・ その上で、
  ・ 日露戦争で凍傷にて指その他を失い、酒に逃げるしかなくなってしまった父親

  ・ 単に操車場であった男性、だと思っていたら、
    実は自分と同じ「痴呆老人」が線路に飛び出した為に
    それを轢いてしまった電車運転手

  ・ 亡くなってしまった友人

  など、これまた救いがない小編(ショートストーリー)が
  何編も組み込まれていく本物語について、

  ラストまでがうまく集約されていない、

  それぞれの章/編がバラけたままに流れ、終わってしまっている、
  と自分は感動する事は出来ませんでした。


多分、観る人が観たら、主人公の老人などのあまりの演技の上手さに
全く違う感想を持つかも知れませんが、

自分は物語が終わって
「ストンと胸に落ちる何か」や、
「観た後で1本の筋として感じさせてくれる余韻」などのように
何か、1本の劇を通しての背骨のような太い筋が欲しかったな、と感じました。


※ 本劇は、「短編集」、かつ「メインストーリー」を定めた形だったら
  普通に面白かったと思います。


褒めたい部分は多々あれど、どうしても自分の中で
「オチ」ない為、感想が長文/散文になってしまいましたm(_ _)m
はんなり☆夏語り~縁~

はんなり☆夏語り~縁~

はんなりラヂオ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2015/06/20 (土) ~ 2015/06/22 (月)公演終了

満足度★★★★★

はんなりさんは泣かせ上手
朗読劇「はんなりラヂオ」、
今回は人と人との「縁」に絡めた3作品。

【沢村校長の晩年】
【花まんま】
【縁の五十両】

はっきり言って【花まんま】が泣かせました。
(ネタバレ避けて)フライヤーに書いている限りで、

自分の妹が「別人」を名乗りだした!

という所からの物語の展開が、
笑わせながらでありながらも、
それはあまりにも悲しくて、
でも「救い」があって素晴らしかったです(´;ω;`)


あと沢村校長の口ではブチブチ言いながらも
案外今の家政婦との暮らしを気に入っていそうな所も
癒やされましたね。

縁の五十両、見事に縁の連鎖の話なのですが、
自分にはちょっと「そもそも~~」という所で、
ちょっと大トリという感じではなかったですかね。

まあ、「これぞ朗読(群読)」と言える作品達、
そして演者陣でした( ´ー`)

ネタバレBOX

【思った事】

●沢村校長の晩年

・ 始まってすぐの頃、阪脩さんの語りが
  「ナレーション口調」のみだったように感じられ、
  「役に入り込めていない?」
  「ただ”読み”になってしまっている?」など、
  少々不安を覚えましたが、

  その後だんだんと沢村(元)校長が地を出していくにつれ、
  その口調から何からが「人のぬくもり」と
  「沢村(元)校長の(少々の)嫌味ったらしさ(?)」などを
  表に出していく様に、

  「ああ、最初は皆に慕われた”沢村校長”(という嘘の人格者)で、
  それが家政婦さんとの付き合いの中でだんだんと
  ”本音”を出すようになったんだな」という「変化」を演じた、
  と感じられるようになりました。

・ 「ただ言いたい事をいつも表に出さず」という行動が
  「いい人」という扱いを受けてしまい、
  その「誤解」は解ける事もなく、、、

  と晩年まで過ごして来た沢村(元)校長が、
  あまりにも押しの強い家政婦との付き合いの中で
  だんだんと「地の性格」を表に出すようになり、

  それがいつしか「家政婦手編みのニットキャップ」まで
  かぶるような仲になってしまっている(溶け込んでいる)という、
  だんだんと変化していく波のような「縁」に
  微笑ましさを感じました。


●花まんま

※ あらすじまんま書いちゃってます。

  (大阪ならではの笑いのテンションそのままの流れでありながら)
  妹が産まれてすぐに父を亡くし、
  片親(母親のみ)で苦労しながらも
  兄として必死で妹の面倒を見てきた。
  ※ 途中で兄妹とも10歳、7歳だったかと。

  しかし妹がある日高熱を出して以来、
  妙に大人びてしまった。

  ※ その時から、舞台横に「おばさん(?)」演者が
    一緒に(ジョジョで言うスタンドのように)立つようになり


  そして、「彦根(ひこね)」について色々と聴いて来る妹。

  ? すいません、彦根について自分自身詳しくないのですが、
    多分京都大阪の海の方?

  更には友達の家に行くと言って帰らず、
  電車にズル乗りし京都付近で保護された妹
  (彦根へ行こうとした模様)。

  兄は妹のノートに書かれた自分の家族と
  知らない誰かの家族達の名前、
  そして妹の名前が何故自分達の方に書かれてなかったのか?
  に疑問を持ちます。

  そして妹が「彦根へ連れて行って!」とお願いしてきた際に
  妹のノートの謎について問いただします。

  そして、、、

  妹「自分の中には別の誰か(しげたきよみ)がいる。
    そしてしげたきよみは二十歳を過ぎて、
    エレベーターガールになって
    知らない男に刺されて死んだ。
    彦根にはその家族がいる。
    一度でいいから彦根へ行かせて。」

  との願いに

  兄「彦根には連れて行ってやる。
    だけど、お前はうちの妹だ!

    苦労して育ててくれた母ちゃんもいるし
    死んだ父ちゃんとの約束もある。

    相手の家族だっていきなり知らない娘が
    ”実は死んだ娘(の生まれ変わった姿)だ”なんて
    言ってきても困るだけだ。
    だから(元の)家族に会うのは諦めろ」

  と。

  そして兄と妹、+なぞの「おばさん」(幽霊?)

  ※ この時点では「おばさん」=死んだ「しげたきよみ」本人かと思ってました。
    年齢が合わない所が更なる「謎」でしたが・・・

  は彦根へ、そして「おばさん」の案内もあり、
  海辺近くへ辿り着き、
  そこでガリガリのおじさん、を見かけます。

  妹「・・・お父さんだ・・・」

  兄に説明したしげたきよみの父親はとても太っていたそうです。


  近所の人にその話を聴くと、
  「娘さんが”事故”で亡くなってしまった時、
  自分は何も知らずたぬきそばを食べていた。
  そんな自分が許せずにそれから何も食べていない(最低限の栄養はとりつつ)。」
  との事。

  ※ この頃には妹=しげたきよみの死の直後に転生したもの、
    と物語上背景が見えています。

  (きよみの)父に会いたがる妹に「どうしてもダメだ!」とつっぱねる兄。

  そして妹は「ならば、あるモノを渡して欲しい」と兄にお願いします。


  そして兄はしげたの家を訪ね、
  立派に成人し歳をとったしげたきよみの兄、姉に対して

  兄「そこで髪の長い花がらのワンピースを着たお姉さん(しげたきよみの姿)に頼まれた」

  と父親に袋に入ったあるモノを渡すように頼みます。

  最初いぶかしがるしげたきよみの兄と姉、
  しかし父親がその”モノ”を見て驚きます。

  「花まんまだ・・・箸もちゃんと枝で2本・・・」

  ※ 花まんまは(自分は知りませんが)
    子供がおままごとでお花を使ってつくる
    「お弁当」のようです。

    そして、妹も、しげたきよみも、
    かつておままごとのたびに
    これを兄や(きよみの)父親にいつも出してくれた、と。

  亡き妹の事を思い出し、「誰からこれを託された!?」と
  執拗に聴くきよみの兄、姉に対して、
  ただ喜び、花まんまを(多分実際に)食べる(きよみの)父親。

  ※ この場面もう号泣でした。
    あまりにも悲しい家族に対して
    これまたあまりにも優しい場面(´;ω;`)

  そして兄は去ります。


  その後、妹の願い「○○湖を散歩しよう」に付き合って、
  じゃあ帰ろうと駅についた時、
  きよみの父、兄、姉がそこにいました。

  ※ (きよみの)姉は婦人警官なので、
    きっと子供がこれから
    帰るとすれば駅に行くだろう、と張っていた。


  そして、(きよみの)兄、姉が
  「花まんまを作ったのは、お嬢ちゃんなの?」と問いかけますが、
  (きよみの)父は「きよみ・・・」と妹を見つめます。

  兄は「さすがに父親には分かるのか・・・」と。

  しかし兄は妹を守り、
  妹は(きよみの)兄に名前を問われ、
  葛藤しつつも「今の自分の名前」を名乗ります。


  そして、(きよみの)母親が既に亡くなった話を聞き、
  亡くなったのが3年前だと言う事を知り
  (=ちょうど妹が高熱を出し、それから行動がおかしくなった)、
  
  きよみの家族達は、
  「きよみだけじゃない、母さんも父を心配してたんだ・・・」
  と気付きます。

  ※ そう、妹が高熱を出した後、ずっと「しげたきよみ」のように
    付き添っていた「おばさん」演者は
    「きよみの亡き母親」だったのです。


  そして、、、
  しげたきよみが亡くなった24歳を越えて、
  実の母親も過労が祟って亡くなり、

  妹がお嫁に行くその日、

  兄は「しげたきよみが生きた時間はもう過ぎた、
    これからは間違いなく、自分の妹の時間なんだ・・・」

  そして、親族のほとんどいない兄、妹に対して
  (亡き)父、母、きよみの母(幽霊達)、

  そして、
  きよみの兄、姉、

  更にはきよみの父親が妹のバージンロードの手を引いて歩く、という・・・

※ 千穐楽という事で【花まんま】作者の方も会場にいらしてましたが、
  ほんといい話書く人だな、あんた(´;ω;`)

  思わずあらすじそのまま書いてしまいました・・・


●縁の五十両

ささっと・・・

江戸時代の頃、貧乏な屋根職人の家を継いで自分も屋根職人になり、
50を越えようという父と母、
そして「せめて息子だけはこの貧乏暮らしから抜けさせたい」と
学を付けさせ、着物問屋に奉公にやらせた息子。

息子がある日家に現れたと思ったら、

息子「五十両貸してくれないか!理由は言えないが、
  おタナのお金に手をつけてしまった。
  年末までに用意できないと大変な事になる。」

心配する母親をよそに父親は息子を殴って追い返します。

※ 甘やかして育ててしまった。。。
  男にはそういう時がある。
  なんとか切り抜けろ、と。


しかし、それでもなんとか息子を助けようと
父は屋根職人の棟梁に「金を借りられないか」相談しようとしますが、
棟梁は「用事がある」と出かけてしまいます。

※ 自分が言いたかった「そもそも」はここ。
  棟梁と話せていたらこの物語は成立していない。

そして、父は屋根の瓦を積んでる中で、
その家の主が金庫(?)に大金を入れる途中で、
用事を思い出して出て行ってしまうのを見かけてしまう。

そして、「善人で正直者」だけがとりえだった父が
ついこの金を盗って逃げてしまう。


更には、この父が川に子供共々身投げしようとする
年増女(江戸時代の年増は25歳ぐらい)をみつけ、
自殺を止めた上で身の上話を聞き、
「悪い亭主に騙されて50両で今年の年末に女郎に売られるこの身、
その亭主も亡くなり、
しかしこの子があまりにも不憫で・・・」の話に、
盗ったばかりの五十両をそのまま年増にやってしまう。

※ この時点で、年増女と息子の関係は読めてました。
  それぞれの台詞的に。


そして家へ帰った父は、家の中がすっからかんに
なっている事を女房に聞き、

母「家財道具一式売って、あとは息子がいつも
  仕送りしてくれたお金を合わせて10両になった。
  あとはあんたがなんとかしてくれ。」

と。

で、父も今日あった出来事を話し、
「自分はとんでもない事をしてしまった。
とりあえず屋根職人の棟梁にこの事を伝え、
お縄を頂戴しよう」と。。。


その頃、息子と年増女が逢引。
そこで、
息子「まだ金が工面できないんだ・・・」という息子に対して
年増女「お金は、、、とんでもない”良い人”がめぐんでくれたんです・・・」
と。


そして翌日、屋根職人の棟梁の元へ出向き全てを話す父、
そこで屋根職人の棟梁は驚く話を。

棟梁「そもそも家の主が用意していたその金は、
  うちへの入金予定の金。
  そして、○○さん(父)が思わず金を盗むのを見てしまい、
  あわてて”確かに頂戴しました”との領収証を
  書いて出てきた」と。

棟梁「確かに盗みは悪い事だ。しかし良く話してくれた。
  ○○さん(父)の腕なら
  五十両ぐらいすぐ稼げる。
  そして、息子さんの五十両も貸すから
  来年、うーんと働いてくれ!」と、

気前よく、父の不貞を許す棟梁。


そして、年増女の話を聴いて父の元へ現れた息子と年増女と母。

息子「気前良く金を出してくれた、という御仁、
  聞けば聞くほど、父としか思えなくて」と。


そして、「今は仕事の途中だ、なんなら手伝え!」という父に
息子「おれも屋根職人を継ぐ!」と息子が告げて

~ Fin ~

と。


※ 結局、棟梁とすぐに話せてたら、
  めんどくさい事になってないですよね?

  あとあまりお話が練られていないな、
  という事で、高評価は上げられませんでした。

  この物語を2/3にして、
  最後が【花まんま】だったら、
  見事な構成だったんですが・・・


まあ、攻殻機動隊SACの「猿オヤジ」事阪脩さん、
そしてちびまる子ちゃんことTARAKOさん、
など見事に演出してたかなあ、と。


長くなってしまいましたが、はんなりラヂオの朗読会は
次もぜひ聴きに来たいです( ´ー`)

PS.今回、【花まんま】の号泣度合いは、
  銀河万丈先生の「ごんべん」の最近の物語を
  超えてるレベルだと思いました。
  「別会」に近いレベルかと。
倫敦影奇譚シャーロック・ホームズ

倫敦影奇譚シャーロック・ホームズ

タンバリンステージ

六行会ホール(東京都)

2015/06/17 (水) ~ 2015/06/21 (日)公演終了

満足度★★★★

トラブルを超えて…
理由は公開されていませんが、
※ すいません、他の方の感想を読むと先に主役が降板したり
  色々あったんですね。詳細な理由はまだ把握してませんが・・・
開演わずか3日前に主人公含むキャスト3名の配役変更があり、

そのトラブル自体で「本劇はもうダメかな…」と自分は諦めもあり、

その上で交代キャストの1人がツイッターで
「失敗すると思う人こそ観に来てください!」と
まるで「自分達の”挑戦”を見届けて!」とでも言うかのような
(状況をわきまえぬ強気とも取れる)発言に、

「”不良品”と分かってて自信持って売りつけるとはどういう了見だ!?」と
はっきり言って激昂しました、自分。

観劇自体キャンセルしようかとも思いましたが、
「まあ、こういう状態でどこまでやれるのか」だけでも見届けるか、
と6/20(土)13:00の部観劇。


はっきり言って全く期待してなかったので、パンフレットその他も買わなかったんですが
(いつもなら観劇後の「お楽しみ」と欠かさず買ってます)、

「原作自体の物語の力」「脚本/演出の力」「照明/音響その他の力」
そういった要因にも助けられつつ、

役者自身の自分の出来る限りをやろうという姿勢もあり
(主人公ホームズなど観ていてそれが感じられるほど)、

中盤以降、物語の盛り上がりにかけて、
はっきりいって本劇の世界観に引き込まれました。

お芝居は「リアル思考」派なおじさんにはちょっとツライかな、
と思うような厨二な設定もありつつも、
「ラストどうなるんだ!?」とかなりハマって観劇できました。

そういう意味で、今回はなんとか座組全体の努力で
トラブルを乗り越えたのかな、と。

※ はっきりいって、今回の最終キャストで最初から
  やっていてくれたら、もっとずっと良いものに仕上がっていたんじゃないかなあ、
  とは思ってしまいますね。

ネタバレBOX

【思った事】
・ 原作は知らないのですが、実際本劇を観劇した限り
  かなり「面白そう」なお話ですね。
  久保田唱脚本、とはまた別の所で、色々ひっかけてくれる要素があり
  楽しませてくれる(あるいはそこも脚本で入れた要素?)。


・ その上で脚本/演出や照明/音響などの良さもあり、
  物語中盤以降、盛り上がっていくお芝居に合わせて
  自分の気持ちもどんどん舞台に引き込まれてしまいました。


・ ただ、開演後の出だし、今回のトラブルに巻き込まれた(?)3キャスト
  (主人公役以外は顔・役とも知りませんが)よりも
  その他のメンバーの方(女性など)がお芝居の世界にノレていないのか、
  ぎこちなさだったり、噛み/トチリだったり、
  何か役に入り込めていない感じが出まくってました(はっきり言って観客に伝わる悪い空気)。

  その時点では「今回のトラブルがなくてもこの座組は失敗だったのかな?」と思ってしまいました。

  まあ、中盤の盛り上がりからは全員いい演技をしていたと思いますが、
  どうして出だし、ああいう空気になっちゃったかなあ?
  (低トーンから始めるよう演出指示でもあったのかしら?)


・ ボクラ団義がかつて「遠慮がちな殺人鬼」での急病人発生時に使った、
  手帳を見るように脚本を確認する、という手が
  本劇中一部主人公に使われていたと思います。

  まあ、うまく所作/移動などの中でそれを行い、
  「読んでるふう」を出さないようにしていたので、
  それ自体は今回のトラブルからすれば「許容範囲」かと。

  ただし、この手が2度(あるいはもっと?)うまくいったからと
  こういうトラブルに対して「またこの手を使えばいいや」とか
  プロデューサーや作/演出が考えるようになったら終わりだと思いますよ。

  事故や急病などでは仕方がないとしても、
  今回のような(理由の明かされない)トラブル自体を出さない事が
  まず一番重要かと思います。

  観劇する側だって舞台や役者を「心配」もするし、
  舞台に期待しているからこそ「がっかり」もします。
  そこは「舞台を作る側」にとっても忘れて欲しくない所だと思います。


・ アンケートの「良かった役」で、名前を覚えている人の中で
  「ブレない演技をしていた」という事で
  ワトソンさんを上げたのですが(執事なども良かったのですが)、
  帰宅途中他の観劇者さんの会話が聞こえてきて、
  「そう!オールデガー(?)さん!」と自分も思い出しました。

  「狂人?」「悪の手先?」「実は味方?」と観客の心を?マークだらけに
  ミスリードしたあげく、物語中たびたび意味ありげに回想シーンで登場していた
  ホームズの兄だったとは・・・

  いやあ、オールデガー(?)さんが(主役自身を差し置いて)
  一番観ていて「インパクトがある」「面白い」「おいしい」役だったのではないか?
  と思いました。
  ※ もちろん演技の良さがあってこそですが( ´ー`)


・ 表にも書いたのですが、元々最終的なキャストの状態で、
  かつ、今日の開演直後のような気の抜けたような所なく、
  本劇が観てみたかったですね。
  
  続編や再演に期待したいと思います。


・ 6/20(土)13:00回は自分としては面白く観る事が出来ましたが、
  初日から今まで、どれだけの苦労と失敗をしてきたのだろう?
  ツイッターの感想などで「苦労されている」というのは知っていましたが、
  そこが気になります。

  今日がこなれてきた上での面白さだとしたら、
  初日を楽しみにしていた観客の方々には残念な思いをさせてしまったのではないか?と。


・ そう、竹石さんについて前々から思ってたのですが、丁度良いので。

  色々な方向の演技についてとても高いレベルで演じる事の出来る役者さん
  (自分が「ワラワレ」で初めて観てから
  たった数回の舞台の中で成長されたのか、元々がそのレベルだったのか)、

  同ボクラ団義メンバーの沖野さんなどのようにある方向で突出した演技の才を魅せる
  (「狂気」「狂おしいほどの純愛」「真面目バカ」その他)方とは違い、
  「オールラウンダー」タイプだな、と思っています。

  ただ、その自分の能力が全体的/平均的に高いレベルに達してしまっているがゆえの、
  ・ 器用貧乏

  ・ なんでも出来るがゆえにいいようにこき使われる
    (言いたい語彙を忘れてしまいました)

  ・ 力加減を知り尽くしているからこそ、
    適度(といっていいのか)の所で力を押さえるようになる

  など、色々な「経験」を積む意味では良いとしても、
  役者としてあまりにも「無理」をさせられたり、
  自分ならではの「色」を無くしてしまわないかなあ?

  というのがちょっと気になっています。

  ※ どんな役でもこなせる、なら役者の「色」なんてない、
    で良いのかも知れませんが、
    自分は「情熱的な演技ならこの人」、
    「理知的な演技なら・・・」
    のように、その役者さんに毎回期待させる何かが欲しいかなあ、と。
    (まあ、役者さんの「幅」を狭めるような事言ってますね、
    自分でも何が言いたかったのか良く整理できていません。)

  ※ すいません、家帰ったら内容見なおして書き直しますm(_ _)m

まあ、とにかく本劇が「楽しめるもの」に仕上がっていて良かったです( ´ー`)

2015/06/20(土)20:53 思考整理
─────────────────────────
感想投稿の際はビルの生け垣に座ってPC画面が見えないまま
急いで書いてたので、うまく自分の思考が整理できませんでした。
※ 色だなんだ、というのは確かにありますが
  (この役者さんの「こういう役」は安心して観られる、という)、
  僕は「役者さん」の色々な「役」と「演技」を観たいと思ってます、よ?
  ? なんで「色」って書いたんだろう??


最近の竹石さんについて思っていた事とは、


「忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆」初日を観劇した際、下忍兄役について
うまくバランスを取る形で演じた(?)のか、
演技自体は全く問題ないものでしたが、
妹や団蔵、仲間達に対しての突出した想い/感情があまり表に出ていたように感じられず、
「主役としての立ち位置を”智者”団蔵に食われた?」という感じがありました。

で、2度目の観劇では(多分ですが)見事に下忍兄の
・ 妹
・ 団蔵、仲間たち
・ 下忍という生き方
・ 織田信長
などに対しての感情を表に出しまくって(=熱が入って)、
その熱が団蔵その他を突き動かした、
「物語としての”きっかけ”となるキーマン」としての役割を果たした
(あくまでも「主役」であった)と感じました。


そこから、「オールラウンダー」としてどの方向への演技もこなせて
力加減も必要に応じて入れ抜き出来るようになった事が、

・ 良い方にも悪い方にも働きうる

・ どんな役でも無難にこなせる力量が、
  演じる役への突出した思い入れを失わせ(う)る、
  きっかけになってしまっていないか?

と感じる事がありました。


そうした時に「器用貧乏」的に便利に使われ、
今回のような「とんでもない無茶」すら振られて、
という事があれば、「役者道への思い入れ」がヘタってしまい、
それこそ「無難な演技」に走ってしまわないかな?
という事を恐れました。


どんな役(笑わせるバカ、泣かせる役、激しい怒りを持つ者、悪い奴、など)でも
こなせる力量があるからこそ、
そこにかける突出した想いというか、突き抜けるような意志は捨てないで欲しいなあ、
「役者という芸にかけたプライド」を捨てないで欲しいなあ、
と今回のトラブルの件を聴いた時に特に思いました。
(今一番脂が乗ってる時期だからこそ、ですかね。
落ち着くのはもっと歳をとってからでいいと思います。)


すいません、自分が竹石さんに思ったのはこんな感じですm(_ _)m
まあ、1観劇者の”感想”という事で・・・
─────────────────────────
金と銀の鬼─チェインソウル─

金と銀の鬼─チェインソウル─

X-QUEST

王子小劇場(東京都)

2015/06/17 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

これもまた「体感する演劇!!」
ライブハウスよりも更に舞台に肉薄するリングサイド席にて、

演じる役者達と同じ照明/音響効果をその身に浴びて、

「自分の出番はまだか!」とリングサイドに潜む役者陣の背中を見、

そして目線のちょっと上の世界(舞台上)では

あこがれの「レスラー」ならぬ「役者」達が
殺陣(アクション)に群舞に演技に笑いネタに、
を披露しまくる空間、

まさに熱気ムンムンの「演劇空間」を共有させてもらいました。

※ 実際は役者陣のハードな演技をいたわる為、
  冷房強めにしてるという事で少し寒いぐらいでしたが。


と、ここまではX-QUEST演劇と
王子小劇場の相性の良さについての感想です。


今回の舞台、再演(再再演?)との事で
知ってる人は結末まで知ってたのだと思いますが、
初見の自分は観劇序盤から

・ 笑いテイストいつもよりかなり多め?

・ 殺陣/群舞がいつもより少なめ?

・ トクナガワールドいつもより少なめ?
  (思ったより普通に物語が進んでいる。)

  【トクナガワールドとは?】
  謎場面と謎場面がどんどん切り替わっていって、
  いつしか集約されていく「人間の思考」
  そのもののような世界/物語の構成。
  (勝手言ってすいませんm(_ _)m)

という事で、めちゃくちゃ舞台上に惹きつけられた自分ですが、
序盤では、客観視している方の自分は
「X-QUESTならではの、あの脳内でダイレクトに
物語がつながるような、あの感覚は味わえないのかな?
だとしたら☆4つかな?」など、
冷静かつ自分勝手な(集中しきれない)思考を走らせていました。

そして、中盤までの物語の流れに
「この舞台は1回ではきっと理解しきらないかなあ?
せめて2回は観ないと謎だらけ?」とも考えました。


しかし、伏線の貼り方がまた「うまく人を騙す」。


ある場面のある台詞で「あっ、つまりこういう事?」と思い、

また別の場面の別役の台詞で「つまり、○○と○○はこういう事?」など、

妄想力を掻き立てられた上で、
見事に想像の斜め上で繋がる展開、

いやあ、やっぱりX-QUEST、トクナガワールドは健在でした。


(パンフレット自体をまだ読んでいない)
自分の理解はあくまでも自分のもので、
他の観劇者の方は「ここはこういう意味で、ここと繋がるんだよ」と
別の理解をしているかも知れませんが、
自分としては最後の最後に物語がパズルでいうとピースがカチッと(擬音変かも)ハマる、
そんな感覚で終わらせてくれた上に

また上手く感情を刺激してくれる締め方だった事に
「X-QUESTにハズレなし!」と言いたいぐらいですね( ´ー`)

ネタバレBOX

【思った事】
・ アクションのレベルがまるで往年のジャッキーチェン。

  何日も繰り返し演じなければならない「演劇」という事で、
  実際「当て」たりは避けているのでしょうが、

  各シーンをそれぞれ映画/TVのようにカメラを回して撮影し、
  OKテイクが出るまで撮り続けたら、
  それこそ今回の演者陣の殺陣・アクションの
  レベルの高さがうかがえるかと思います。

  本当にアクロバティックに動きまわるし、
  斬り斬られまくる。

・ 笑いネタが本当に豊富でした。
  ※ 洋風おにぎりネタはちょっと「天丼やりすぎ」ギリギリの所でしたが・・・

・ 初日は少し噛みトチリが多かったかも( ´ー`)

・ 物語をストレートに流しているようで、
  台詞1つで思わぬ過去や裏の設定を思わせたり、
  という部分が上手いですね。

  例.銀鬼の「つなげるもの」に関するネタ
  例.金鬼(?)が言ったのかな?「鬼子として閉じ込められていたのを助けられた」という話
  例.金鬼の桃太郎(未来の自分)への台詞

・ いつもに増して衣装がかっこいい。
  特に緑と赤のコンビの衣装、
  「よくこんなの作ったなあ」と思うほど見栄えがしてました。
  そしてあの大立ち回り、アクションでも破けないというのがスゴイ。

・ 自分の理解では、
  (はしょって書きますが)
  銀鬼が、鬼子として幽閉されていた金鬼を助け自分の角を与えて鬼とした。
  そしていつの間にか記憶の繋がりがゆがみ、
  金鬼が兄、銀鬼が弟、と思い込んでいた。

  そして、金鬼は生まれ変わったら
  きっと黒い髪のヒト(?)として、再び銀鬼の元に現れる。

  という流れだったのかと思いますが、
  銀鬼にとって「自分の兄は金の髪の兄者だけだ・・・」と
  泣くシーンに心を打たれました。

・ 桃太郎の逸話へのトクナガさんの考察が面白かったです。
  ・ 何故獣だけが仲間になったのか?
    そして、獣なので実際言葉も通じていない
  ・ 桃とは神や不老長寿に繋がるもの
  ・ 桃太郎はまだ生まれていない存在
  などなど

・ いきなり黒鬼がカニを襲い始めたので「ど、どういう事(??)」と思ったら、
  その衣装を着込んで金鬼に化けたとか、
  まさにお伽話の世界ですね。
  理解するまで数秒かかりましたが笑わせてもらいました( ´ー`)

・ そうそう、自分が何に騙され、妄想したかを書き忘れてました。

  1.銀鬼の「くっつける」ものを使った事があるという話から、
    角が偽物で銀鬼は人?何故か記憶を失っている、
    という事は早くから想像していました。

  2.金鬼(?)が幽閉された鬼子の話をした所からも、
    銀鬼を助けて偽(にせ)の角をやったのは金鬼、と想像。

  3.銀鬼が鬼が持てないはずの鬼斬りを普通に持てた事でも
    やっぱり「人間?」と想像。

  4.金鬼が桃太郎との会話の中(?)で、
    「まだ早い」や、
    「いつの間にかどちらが先かがおかしくなっている(?)」のような
    説明をした辺りから、
    「あれ?銀鬼と金鬼の関係は違う?桃太郎はどう係る?」と。

  5.銀鬼が鬼斬りで斬られても死ななかった事などから、
    あれ?やはり「銀鬼は人間」でいいのかな?
    (結局は角を失う(=鬼の力を失っていたから)なんですかね)

  6.(あれ?こっちが先かな?)
    緑が鬼斬りを使っても金鬼を殺せなかった事で、
    「金鬼も銀鬼も実は人間だった?周りの鬼を騙していた?」
    と想像。

  7.金鬼に銀鬼の角が取られ、
    銀鬼が「そうだ、自分の角は桜の枝で作った偽物・・・
    つまり自分は人」という
    場面で「やはり銀鬼だけが人間だったのか」と思わせておいて、
    最後に銀鬼が助けた側(鬼)で、金鬼が助けられた側(人)、という。

・ フライヤーの台詞、「一番悪いのは───お前だ!」は、
  ずっと黒鬼にかかるのかなと思ってましたが、
  人形に言ってましたね、確か。

  あいつが妖刀鬼斬りを用意したりと画策してた人物なんでしょうか?
  ※ 2015/06/18
    パンフ読んで思い出しましたが鬼斬りは元々緑の家の家宝でしたね。


本劇、思い出せば思い出すほど
「笑えた」「何故か泣けた」「アクションに見惚れた」、
そんな場面の連続で感想も書き尽くせません。

今回の公演は長期なのでなんとかもう1回、あの感覚を味わいたいなあ( ´ー`)

PS.終幕後も「想い出」と「妄想」が尽きない、
  という所がトクナガワールドの凄さですね。
チャペック博士の子供たち【アンケート即日公開!】

チャペック博士の子供たち【アンケート即日公開!】

劇団バッコスの祭

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2015/05/29 (金) ~ 2015/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

「ロボット」と「人間」、そして「人間」と「地球」
フライヤー内容では、
あまり役に立たなそうなロボット達の、
「博士が帰ってこない、さあどうしよう?」という
なんとものんきな説明のみでしたが。


いざ舞台が始まってみると、
クセのあるロボット達、
そして博士の子供(人間)との笑える
会話の中に少しずつ少しずつ、

「鉄腕アトム」の頃から語られている(更にずっと昔から?)
「人間」と「ロボット」についての
普遍的なテーマが織り込まれてきます。


喜劇調に進む物語に大きく笑わせられながらも、
ついロボットや人間が発した台詞の内容について
「考えさせられてしまう」場面も多々、
そしてつい涙腺を緩ませられる場面まで。
(これ以上はネタバレか…)


小さなテーマと大きなテーマ(物語本編本筋)、
本劇団の作/演出の方は本当に
「でっかいテーマをぶつけたい!」という気持ちを持ちつつも、

観劇する側に対して「ただの重い想いの押し付け」に
なってしまわないように、
喜劇調かつハッピーエンドを目指しながら
軽妙に「テーマ」を盛り込んでいく、
という巧みさがあると思います。


そして、役者陣についても全員が全員演技上手とは言えないけれど、
そこはまだまだ発展途上、それぞれの役を喜怒哀楽の感情を
見事に出しつつ演じていく姿に好感が持てました。


カフェ公演で四角い部屋の1つの角が舞台となり、
そこに向かう2つの面に観客席が配置されている為、
観る位置を変えるとまた違った役者の表情などが楽しめるかな?

と思いましたが、明日で千穐楽かつ満席状態との事。
ふむぅ・・・


PS.感想書いてすぐ表に出てしまった為、
  舞台後にくれるというアフターパンフレットを
  貰い忘れてしまいました。
  何が書いてあったんだろうなあ・・・気になるなあ・・・

ネタバレBOX

【思った事】
※ 1つ1つの台詞自体に小さな「テーマ」が盛り込まれている為、
  そのすべてを記憶はしきれませんでした。
  その中でも気になったものを。


・ ロボットには「心」がない。
  設定された情報から、与えられた場面に対して
  「心」があるかのような対応/反応をしているだけ。

  という所から、人間だって同じような経験を繰り返して
  「心」を獲得している、
  だとしたらロボットにも「心」はある(獲得できる)のでは?
  という話の流れが自分の心に刺さりました。

  「心」なんてない、と言いながら戦争ゲームの
  仲間であった女性に恋をしていて、
  「実は人妻だった」という事実にショックを受ける戦闘ロボ、
  笑わせられつつ考えてみると深い話だなあ、と。
  (「それ、心じゃん!」と突っ込みたくなるような( ´ー`))


・ ロボットに仕事を奪われた元社長、
  最初ロボットなんて憎い!という所から始まり、

  たまたま妻が買ってきたメイドロボの
  「好きになってもらうには、どうしたらいいですか?」
  という問いかけに、

  ロボット全員が憎い訳じゃない(自分を失脚させたロボだけが憎い)、
  そしてロボットはなんでも人間の言いなりで
  自分の気持ちを表に出してくれない(だったかな?)、
  だから嫌い、

  という本音を晒していく流れ、
  そして最後に就職が決まった事をメイドロボと一緒に喜べるまでになる、
  この流れが涙腺を緩ませます。


・ 冒頭、お掃除ロボがゴミを拾いながら
  「こうやってゴミを拾っていけばきっと世の中はきれいに
  ・・・ならない(人間が地球を汚染し続ける限り)」という
  「真理」にいきなりたどり着いてしまったかと
  思った所でバッテリー切れ。
  
  そして毎回毎回すぐバッテリーが切れてしまうポンコツ、
  という笑い設定のようでありながら、
  実はその理由が本物語の一番の根幹であり大テーマである、

  アイザック・アシモフのロボット三原則の
  「1.ロボットは人間を傷つけてはならない」を
  拡大解釈する事により生まれる「マイナスワン」という思想、

  全ての生物を生かす為には地球を汚染し続ける
  「人間」こそが有害な存在である、

  ならば緩やかに「人間」には滅んでもらおう、
  という流れに繋がっていたとは驚かされましたΣ(゚Д゚


・ あと、「心」が欲しい、というロボットが、
  写真のような絵は描けるけど、
  心を打つような芸術的なものが自分には作れない、
  という話から、
  「人間っていずれロボットにとって変わられた時、
  ”芸術”(感性/創造力)の部分以外ロボットに勝てないんじゃないか?」
  という話が、思わず納得させられてしまうものでした。


・ 戦闘ロボの戦場での1人芝居、
  「確率2%!ならやる価値はある!」のネタが、
  まさか最後にお掃除ロボがたどり着いた結論、
  「人間が50年以内に自分の欲よりも、地球の汚染について考える可能性」
  と掛けられていた所が、

  「ウマイ!」と思わせられてしまいました。
わが星

わが星

ままごと

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2015/05/16 (土) ~ 2015/06/14 (日)公演終了

満足度★★

”自分には”「理解」出来ず何も「感じられなかった」
「名作」と呼ばれた舞台の再再演、
平日にも関わらず200人オーバー(300人近い?)観客動員(スゴイ!)、
フライヤーにも魅力的な言葉の数々
(人の一生と星の一生との関わりから何から、更に「ラップ」が入る、なども)。

舞台セットはどこまでもシンプル(=演技/表現力で勝負するタイプか?)、
かつ青山円形劇場のような観客席が周囲を囲む舞台(このタイプは自分の好み)。

開演の瞬間まで期待は膨らみました。


しかし、集団での言葉の揃わぬ早口ラップ?がまず聞き取りづらい。
状況を正しく理解できない。
(ネタバレになるから表はここまでに…)


きっと伝わる人には伝わる「物語」「テーマ性」があったのだと思うけれど、
「意味不明」の言葉の通り、
「意味」を探した自分にはまったく理解ができませんでした。

きっとどこかで物語が大きく動き「感情の爆発」や「吸引力」を発揮する、
「心に突き刺さる」場面が来る、
という期待も60分超える頃には疲れきってしまいました。

自分と、同様に途中で舞台を諦め下向いてた人、フライヤーをずっと読んでた人、
だけは同じ気持ちだったのじゃないかなあ・・・

ネタバレBOX

【思った事】
・ 最初の聞き取りづらい高速ラップ&回転で表現される物語はさっぱり「意味不明」でした。
  (まあ、人の一生、太陽系の一生、なのかな?と)

・ しかし、そこを「じゃあ、巻き戻してもう少し時間をかけて今の様子を」の
  ように話が戻った時、「ああ、今のは単なる導入だったのね( ´ー`)」と
  ホッとしたのですが・・・

・ もっと難解な表現が待っていました。

  ・ 人間と太陽系/恒星の一生を掛けたメインストーリー
    「まあ、誕生から死まで、という意味では重なるわな」
    でも、それ以上の「人間ドラマ」「星のドラマ」は見せてくれない。

  ・ それを眺める別の?星系の人達。
    「今見えている!」「今見えるのは過去の光だ。今から会いにいっても間に合わない…」
    かなり「意味不明」

・ 多分自分は「人」「恒星」「それを眺める人」の関係に
  ちゃんとした「筋」を示して欲しかったのかなあ、と今更ながらに思います。
  (ファンタジックな内容でも、現実的な設定でも、
  とにかく「あやふや」なまま、がいただけない…)

  それがあやふやなまま、最後にチーちゃんと眺める人(若者)が出会って終了、
  「全く意味が分からない」。

  「意味」を求めてはいけないタイプの演劇だったのかも知れません。

  ※ 自分自身、「舞台上のあるがまま」を受け止め、その熱を受けて
    最終的に結末に辿り着けるものは「好み」の範疇なのですが…

・ そういう理解出来ないものが多すぎて、
  毎年毎年誕生日ごとに「もっと大きな望遠鏡(?)」を求める
  チーちゃん(地球?)の行動の意味すら良く分からず、
  「天丼勘弁して・・・」とイラついてしまいました。

・ ずっと待ってました、いつ心の琴線に触れる場面が来るのか?と。
  ・ 月ちゃんが死ぬ場面?⇒違った。

  ・ (もう終盤だけど)太陽が近づきすぎて「明日はもうない」という場面?⇒さあ?…

  はっきりいって自分には、どこがこのお芝居の「面白さ」
  (笑える、泣ける、謎がある、その他なんでもいいけど観客側の心に揺さぶりをかけてくる部分)
  だったのかが、さっぱり分かりませんでした。

・ (これだけの評判の舞台についての文句だから
  「感じ取れない側が悪い」と言われればそれまでかも知れないけれど)
  2つの異なる事象の重なる点を合わせる、という所までで表現者としての
  思考が止まっちゃってるのか、現れる各登場人物(勢力)の間の「筋/つながり」が見えない。
  
  観ているこちらが「舞台上の表現中の本質」にたどり着けていないのかも知れないけれど。

・ 名声を得るほどに人を惹きつけるものがあったとして、
  自分はその方向にアンテナ(感受性)が伸びてなかったのかも知れません。

・ つい先日観劇した舞台に引き続き、
  (本劇は役者陣その他「必死さ」は感じられたものの)
  終演後に拍手する気力はありませんでした。

  はっきり言って「ラスト5分」からの5分が本当ーーーに長く感じました。
  (もうどう転じても心に来るものはないな、と悟ってしまったのもあって)


PS.今まで舞台公演開始以降の観劇でも、初見を楽しむ為に「観てきた!」は見ないようにしてたけど、
  ここまで自分の感覚とのズレを感じるものを観てしまうと、
  「観てきた!」である程度自分でも「楽しめそう」「求めているものと合いそう」と
  思ったものだけ選んだ方がいいなあ、と今日は痛感しました( ´ー`)
ロストマンブルース

ロストマンブルース

SANETTY Produce

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/05/26 (火) ~ 2015/05/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

秀作会話劇、そして「歌」へのこだわりが素晴らしい
GENKI Produceさんの初演は
「久保田唱のロジカルミステリ」の観劇作法として
1.隠されていた謎に驚く
2.冒頭からいくつも仕込まれた伏線の回収を楽しむ
と、2回観劇しました。

しかし今回のSANETTY Produceさん版では、
「既に謎を知ってしまっている」という事で、
まずチケット発売時1回予約しました。

もう1回観るかどうかは「その後の情報公開次第かなー」と
思っていたのですが
(前の感想にも書いたのですが)
・ 数名の役者達が別舞台参加から
  本舞台まで残す所わずか10日のタイミングで合流、
  という事実を知る。
・ 同様舞台直前のタイミングで体調不良で役者が降板。
などから、舞台としてそもそも成立しない可能性を考え、
「とりあえず1回でいいや」と思っていました。

しかし、いざ観劇してみると、
まず役者自体の演技について問題など全くない上に、

(自分にとっての最大の楽しみである「謎解き」はともかくとして)
会話劇としてのテンポの良さ、
初演と比べて「音楽」への強いこだわりなど、
あくまでも「別プロデューサーによる作品」である事が
強調されていて、非常に楽しめました。

そして、これだけ良く出来ている舞台なのに、
「体調不良による役者降板」が響いたのか、
平日から千穐楽までまだまだ席が残っている、との事。


「もったいないな」という気持ちが非常に強かったので、
千穐楽日を急遽予約しました。
(笹塚ファクトリーの良い所として、
どんな席でも舞台自体は見やすい、というのもあったので)




今回の観劇では「純粋に会話劇」として楽しんでみよう、と
いう視点で観ましたが、
・ ロッカーあさくらの荒々しさ
・ ライブハウス「シェリー」に集う様々な人々
の会話の掛け合いの中に
・ 激しさ
・ 巧みに組み込まれた笑い
・ 隠された真実に近づくにつれての悲しみ、各役者の情熱の高まり
・ 静寂の上手い使い方
・ ストーリーテラーとしてのマスターの語り
など、会話で物語を作っていく面白さがあふれている上に
ライブハウスならではの「歌」への強いこだわり(くりゅうさん?)、
が出ていて非常に良い作品だなあ、と
観なおしたからこそ分かる良さに気付かされました。


元々が良い作品を、新しいプロデューサーの色で見事に再構築した、
SANETTY Produceの今後に期待です。

ネタバレBOX

【思った事】
1つだけ
・ ストーリーテラーとしてのマスターが語る、
  「ライブハウス」が消える時、についての話
  あさくらが永遠に忘れない限り、
  ライブハウス「シェリー」は永遠に不滅なんだな、
  と自分なりにそのメッセージを受け取りました。

2015/06/10(水)
PS.書き忘れてましたが、ネタばらし後の暗転で、
  ロッカーの髪が白くなってますよね。

  他の人も言ってましたが勘違いでなければ、

  前半.ロッカーの世界(20うん年前)の視点の時は黒く、
  後半.実際の世界(2015年)の視点の時は周りと一緒に歳を取って白く、

  なってるのかな、と思うと芸が細かいなあ、と。

  ロッカー役沖野さんご本人この舞台後に髪を切ってる事からも
  かなり髪を痛める方法を使った?のかと思います。

  舞台公演前半に比べ、後半になるほど髪が傷んでか、
  前半と後半での差が見比べにくくなってた気はしますが、
  役の為に身体を張るのはやはしすごいですね。

ゴベリンドン

ゴベリンドン

おぼんろ

吉祥寺シアター(東京都)

2015/05/21 (木) ~ 2015/06/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

初めて「参加」するタイプの舞台
(まずこれは表に書いておこう)
昨年のコメフェスでの主催の前説で「言葉で世界を紡ぎだす」、
「語り部」としての上手さに惹かれるものを感じ、
その上でのCoRichアワードでの人気ぶりにかなり気になっていた劇団でした。


しかし、最近Twitterで回ってきた、
本公演のCoRich「観たい!」に投稿された
「かつてファンだったのに役者からとてもひどい対応を受けた」という内容。

それを読んだ自分は
「そういうスタンスの役者がいる劇団は嫌だし、
自分もそういう目に合うのも嫌だから観劇やめておこう」
と敬遠していました。

しかし、ベテラン観劇者含む多くの方々の
「『おぼんろ』を知らない事は演劇ファンとして損である」という感想。


それを読んで、
「(事実は知らないですが)ネットのマイナス投稿1つで
自分にとって”何か新しいもの”に触れるかも
知れない機会を捨てるのはもったいないな」と
とりあえず1回は観劇してみる事にしました。


吉祥寺シアターに着いて、
「あ、ここは倉庫型劇場で、
高さなどあまりに広い舞台スペースのせいで
舞台と観客との距離感がありすぎ、
全然役者の感情などが伝わってこなかった、
ちょっと自分は苦手な劇場だったな・・・」と
過去1度観劇していた事に気付きました。


などのマイナス要因を胸に抱えていたのですが、


1.「溢れるほどのホスピタリティ」
開場時、まさか舞台開演前の一番集中したいであろう時間に
主催が入り口で観客全員と握手し、
場内では役者陣がそれぞれ
「ゴベリンドンは初めてですか?ならこちらの席がいいですよ」と案内し、
更には知り合いだけでなく知らない1人客に対しても笑顔を向けて、
これから始まる物語の世界について楽しそうに語って歩く面々。

聞いていたマイナス評価と全く逆の観客を大切にしようとする行為の数々、
(元々このスタイルでやられているのかは知りませんが)
この雰囲気自体がまず自分の観劇経験の中で初めて知る空気でした。
(人見知りな自分でさえも、つい開演前から楽しくなってしまう、
舞台自体へのワクワク感も増していく、
そんな空気を実際舞台に立つ役者陣が率先して創りだすとは・・・)


そして、

2.「見事すぎる劇場空間の使い方」
スペースが広すぎる、高すぎる、事を良い方向に活かし、
全方位に観客席を配置し、また開演後も舞台上のみならず
観客席の端から端までを動きまわり、

まさに役者の息遣いが観客に伝わる、そんな近距離での
「語り部」5人の夢の空間でした。
(観客を「参加者」と呼ぶ、その理由をまさに体感しました。
あれは「舞台を眺める」ではなく、
一緒に「参加」している空間で起きる「出来事」そのものでした。)




そして何よりも、
主催が始めに語る「昔おばあちゃんから聞いたお伽話の世界」、
そう、「お伽話」そのものでした。

お芝居といえば役者がセリフと所作/表情や身体での表現などで
演じるものが中心となりますが、

おぼんろはその「語り部」として物語についての語りを使い、
「参加者」側の想像力を試し、
そして「参加者」の心象風景として物語の世界を描き出します。

語られる物語自体についても、笑い、涙、驚き、謎解きなど
色々な要素の詰まった、とても素晴らしいお伽話でした。

本劇に「参加」出来た事が自分にとって幸せです。

ネタバレBOX

【思った事】
表に書きまくったのであまりないのですが
・ 舞台空間の上部スペースまで上手い使い方をしていた。

・ 背もたれのない座席はちょっと途中背中が痛くなった。

・ 劇場全体を使った全方位演劇(観客席の自分の後ろでもお芝居が行われる)の為、
  様々な方向に首を動かしましたが、
  さすがに真後ろを観るのは苦しかった・・・
  (だけど、そのセリフ(語り)だけで、状況がつかめたので
  全然「話に置いていかれる」事はありませんでした。)

・ 序盤、ちょっとセリフが聞きづらい面がありました。
  発声なのかなんなのか???

・ 照明効果、音響効果とも使い方がとても上手かったです。

・ 物語本筋との関係を匂わせずに語られたいくつかの事象
  (鍛冶屋の話、蝶のさなぎの話、など)が
  終盤に向かうに従って重要なキーワードになっていく、
  展開のさせ方が非常に上手いと思いました。

・ 舞台開演に際して、主催が「想像力を働かせる為のレッスン」を
  観客に行っていましたが、
  ぜひ次観劇する時は、最初から最後まで目をつぶって、
  「語り部」達の語る内容だけで自分の脳内に物語を描いてみたい
  (朗読劇を聴く時はいつもそうやっているのですが)、
  そのくらい「台詞」ではなく「語り」が上手だと思いました。

・ 終演後、主催が自分達の最終目標として
  「シアターコクーンでの上演」をかがげていましたが、
  本物語を観た後だからこそ、
  自分も小劇場演劇の観客であり応援者だからこそ、
  「その夢を応援したい!」と思いました。

・ わずか5人で演じる舞台とは思えないほどの
  物語の広がりでした。
ロストマンブルース

ロストマンブルース

SANETTY Produce

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/05/26 (火) ~ 2015/05/31 (日)公演終了

満足度★★★★

「初演の記憶を消してー!」そしたら最高の舞台
本劇、作/演出久保田唱が自劇団以外ではあまり
観せていないと思われるほどの
「久保田ロジック」「久保田システム」が詰まってる
(久保田唱の「ロジカルミステリ」ファンならたまらない!)。

そして、役者陣の情熱がぶつかり合う姿がすごい!
(知ってる役者さんなら
「あの人こんな熱い演技もできるのか!?」と驚くくらい。)


それだけに、自分が初演(GENKI Produceさん版)で、
既に「謎解き」を終えてしまっていたのが悲しい・・・

※ いや、GENKI Produceさん版
 「ロストマンブルース」十分に面白かったです。

  ただ、今回の座組の熱さの上に
  「何も知らない自分」がいたら、
  自分の感性に最高のパフォーマンスで
  突き刺さったはずです・・・
  それを差し引いての☆4つ、と。
  (初めて本劇観れる人は最高だな、と思いますね。)


冒頭からの流れでもう伏線張りまくり、と思える部分が
まるで「デジャブ」かのように、
すべてについて「アレはアソコに繋がって」
「コレはココに繋がって」と
推理小説のネタバレ聞いちゃったかのように
自分の脳が先読みしちゃう。。。

それがとても悲しかったです(´・ω・`)


ただ、やっぱり本劇は役者の「熱の入れ方」が
とても良いと思いました
(そこは初演版を超えていたかと)。

ある人がブワッと熱を入れた場面から
自分は「純粋に物語自体」をすごく楽しめました。


(ネタバレに近いけど1つだけ)
「音楽」というキーワードを「演劇」に置き換えると
ある人のナレーション的セリフの数々が痛いほど
胸に突き刺さります。

そして、「笹塚ファクトリーは今年で閉館」という事も。。。

※ 観劇時、そういう事も「視点」にくわえて
  いただけるといっそう興味深く
  観れるんじゃないでしょうか。

ネタバレBOX

【思った事】
・ 舞台開幕前の前説代わりの歌手の方の歌から、
  初演よりかなり「音楽」というイメージに力を入れているな、と。

・ 沖野さんが序盤声が結構枯れていて、
  「まだ2日目でどうして?」「大丈夫かな?」と
  少し(舞台自体の空気が壊れないか)心配に。
  ⇒
  ちゃんと中盤以降で立て直しました。
  役者さんってすごいね。

・ 久保田演劇で多用される文字映像の表示が
  役者さんに隠れるのはともかく
  今回のセットでは「読み」づらかったです。

・ 音響がすごく良かった。
  舞台自体の音楽性で言ったら間違いなく初演よりずっといい。

・ 主役のロッカーを始め、男優/女優どちらもすごく
  熱量の高い演技をしている。
  そしてそれらがぶつかり合うから
  「真剣な空気」がすごく産まれている。
  
  ロッカーが本気でキレて悩んで~のくだり、
  「答え」を知らなければ自分も
  同じ気持ちで悩んでしまったはず。

・ 中盤、嫁が実は娘で、と役の立ち位置が明かされていく場面、
  娘の涙にすごく心を揺さぶられました。

  三田寺さんってこんな演技出来る人だったんですね。

  ※ ボクラ団義舞台「シカク」では、
    三田寺さん=癒し系のかわいいアザラシちゃん=シリアスな展開を持つ舞台には
    向かないのでは?と三田寺さん回を敬遠してしまったのが
    惜しまれる・・・

・ マスター(佐藤さん)が冒頭から述べる
  「ここはライブハウス”シェリー”」~のくだり、
  「音楽」というキーワードを「演劇」に置き換えると
  すごく状況が(一応)「演劇好き」の自分には
  すごく伝わってくる。

  そして、ライブハウス”シェリー”が
  実は集客に悩んでいて潰れた話が、
  「笹塚ファクトリーが今年で閉館になる」話と
  かぶってしまっている事に気づいて「アッ!」と。
  (これは久保田さん狙った訳じゃないんでしょうが)

・ 6番シードの女優さんだと思うんですが、
  「シェリー」というロッカーのもう1人の娘、
  歌がすごく上手い、声量がほんと高い。
  (アフターイベントでのライブでは、
  曲の二番が分からず歌詞見なおしてちゃってましたが
  歌唱自体はすごくイイ!)

・ 当初、何人かの役者が10日ぐらい前まで
  別舞台に立っている、という話から
  「練習期間それだけで大丈夫なの?
  セリフすっ飛びとか観たらしらけちゃうよ?」
  と心配しましたが、
  全くそんな心配は杞憂に終わりました。
  ※ 序盤のロッカーのセリフには、
    「まだ役になりきれてないかな?」と思うような
    慣れてない感じがあったかもですが・・・
  (役者さんってすごいですね、
  2時間舞台のセリフと所作を
  何日ぐらいで覚えてるんだろう?)

・ 初演版と全く同じではなく、細部を強化してくるかな、
  とは思っていましたが、
  自分は「(多分)ここは強化、話の筋が分かりやすくしたのだろう」
  と分かった(思った)のは、
  「尾崎豊の曲が好きだった」「尾崎豊といえばピアノ曲が多い」からの
  「卒業」を聴かせる辺りを膨らませたかな?
  と感じたくらいでしょうか。

・ 物語に集中できてからは、そこで起きる/判明する
  様々な出来事もやっぱり心に伝わってくる。
  ラストの奥さんの「初めまして、私は・・・」から
  「○○ー(奥さんの名前)、いるじゃねーか」
  という小さな奇跡まで非常に楽しませていただきました。

・ 「上手い」とまでは言えませんでしたが、
  千代さんのベースなど
  役の為にこういう技能も身につける、
  というスタンスは素晴らしい。


PS.アフタートークとして千代さんが
  「本劇では自分は中年の役という事で
  ?Kg太りました」という話を聞いて、
  「小劇場演劇の世界にもデ・ニーロはいるんだな」
  と、そのこだわりようにちょっと感動しました。
かべぎわのカレンダリオ

かべぎわのカレンダリオ

バンタムクラスステージ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2015/05/14 (木) ~ 2015/05/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

あなたはA⇒B派?僕はB⇒A派(観劇順です)
Bに引き続きA「マレーネの晩秋」観劇。

フライヤーか何かに載ってて気づいたんですが、
A110分、B70分だったんですね。

作品自体もゲームで言えば
Aが本編、Bはファンディスク的なものと感じました。


で、観る順。
(自分はB⇒A順だったので想像ですが)

A⇒Bが本来正しい観賞順(#1、#2ですし)
(A本編を見て、気に入ったらBであの人達のその後、を更に楽しむ形)

B⇒Aは本来邪道なのでしょうが、自分はこれが逆に効きました。

Bで表の顔と少しだけ裏の顔を眺めた人物達について、
Aで知らなかった事実(伏線的な要素)を
どんどん驚きながら回収していくという。

だから「A⇒B⇒A」って言ってたんだな、あの人。
(両方の楽しみ方が出来るから)。

※ 「かべぎわのカレンダリオ」で絶対にやっちゃいけない観劇方法。
  Bだけ観て「こんなものか」と判断してAを観ない。

  Aを観て同じ判断を下すのは仕方ないですが、
  Bはあくまでファンディスク、
  本編Aを観ないと観劇者として「完全燃焼」出来ず、
  「かべぎわのカレンダリオ」の面白さとカッコ良さ、
  作/演出の観せたかったものが正しく伝わらず、
  正当な評価が出来ないんじゃないかしら。


で、感想。
A「マレーネの晩秋」はBとは打って変わって
光と闇、表と裏の世界が交互に映し出される
かなりシリアス、ハードボイルド(?)寄りな世界。

(ネタバレは避けるとして)
メイン役から脇役までしっかりとした背景と感情の機微が
設定/表現されている、
非常に細やかさを感じさせる脚本/演出、
そして何より各人の演技
(特に大人でダークなカッコ良さの表現)が素晴らしい。

メイン役はもちろんサイドの方の思わぬ一言や行動に
漢(おとこ)と女、それぞれの美学が込められている、
とても豪華なハードボイルド世界でした。
(ある意味古き良き時代のルパン三世も入ってるんですよね( ´ー`))


で、裏世界(マフィアの世界)から表世界(映画館スタッフと観客達)からの
切り替わり、起伏と緩急のバランスが見事で
恐ろしいほどの緊迫感を味わった後に、
ほどよいゆるさで笑わせてくれる、
かなり観客の「感情操作」が上手な舞台でした。


※ ただ、シアターKASSAIの前席のパイプ椅子。
  2劇続けて観劇したらどんどんどんどん
  お尻が痛くなってきてまいりました。
  しかも椅子の足がゆがんでいるのか
  ちゃんと固定されておらず、
  体重移動させると音が鳴ってしまって・・・
  (座布団しくなど工夫はしてくれていたのですが)

ネタバレBOX

【思った事】
ほとんど感想は表に書いてしまいましたが、

※ ちなみにカレンダー(カレンダリオ)は
  主役の殺し屋兼映画館の会計士の名前です。
  感想書いてて「こりゃ観てない人は意味分かんないな」と思ったので説明おば。


・ 「かべぎわのカレンダリオ」という言葉の意味が分かりました。
  かっけー、ハードボイルド小説の主人公って感じですわ( ´ー`)


・ この舞台(A、B)は、単に映画館での出来事ではなく、
  「映画」というものを物語の重要なキーワードとして使っている。

  ・ マレーネがカレンダーに好意(「おじさま」としての)を持つのも「映画」つながり。

  ・ 引退したマフィアボスの「映画」にかけた想い。
    そして、カレンダーが「映画」に詳しくなった理由。

  ・ マフィア兄の妹との真実のつながりを示す父の「映画」。

  ・ 神父の「何故あの娘(マレーネ)を殺さない?」の問いに対する
    カレンダーの答え。

  なんか、趣味「映画」ってだけでカッコ良く思えてしまいそうです( ´ー`)


・ 思わぬ裏設定(事実)
  ※ 多すぎるので覚えているものをいくつか

  ・ 映画技師と見習いはカレンダーが殺し屋である事を知って、
    なおかつ殺した死体の処理に手を貸していた(ちょっと怖い・・・)。

  ・ あの口うるさいだけのマネージャー(?)が
    マレーネの父(元マフィアボス)に娘の警護も
    任されたマフィア(?)だった。


・ 「ボス」と呼ばせた男が生み出す舞台上の緊張感がすごい。
  映画館の温かみのある場面を一転して
  マフィア達の恐ろしい世界に変えてしまう
  あの力に溢れた演技は素晴らしい。
  (そしてそれを途中退場させてしまう脚本がすごい、「アッ!」と驚く。)


・ 同時に映画館場面でほのぼの、笑える空気を作ってくれる
  各映画館スタッフ陣とぽっちゃりの観客さんのやりとりが素晴らしい。


・ カレンダーが「映画に詳しい殺し屋カレンダー」になるまでの過去が深い。


・ マフィア兄の、妾の子としての母親の死への復讐に始まり、
  カレンダーの過去から自分と重なるものを見出し、
  カレンダーの心を掌握しようとする行動。
  そして、父達が作った「映画」を観ることで
  義理の妹と自分との関係に対して生まれる葛藤の表現が演技含め見事。


・ (名前分かるので出します、「サイショさん」)
  単なる「ボス」の手下に始まり、
  かつて自分が子犬の件などでマフィア兄と
  非常に親しくしていた事を思い出し、仕える事を決意する。

  そして物語最後、映画館の抵当権書類をマレーネに渡し、
  マフィア兄の近況と
  「カレンダーはきっと戻ってくる」と予言して去っていく、
  マフィア手下はテライケメン( ´ー`)


・ マフィアから足を洗い、酒と映画の毎日を過ごす
  元マフィアボスに少々愛想をつかし、
  その上元マフィアボスの(かつてのマフィアとしての)
  面影を見た事からマフィア兄に協力する殺し屋「ピアス」。


その他多くの役がみんながみんな
ハードボイルド的(?)に「かっこいい」存在でした。


? 分からなかったのは、
  カレンダーが元の人格「ダンテ」だった頃、
  妹を亡くした事を何故元マフィアボスのせい、として恨んでいたか。
  (結局助からなかった、とかそういう事じゃなかったんですかね、
  直接的に元マフィアボスの何か悪の手が伸びたんですかね。)

  そして何故その記憶を失ったか。


バンタムクラスステージさんをコメフェスで初めて観た時、
「僕らの本来のスタイルは結構シリアス目な作品なんですよね」
と言っていたのですが、
その意味/劇団の本来の作風が非常に良く分かる良作でした。

ただ、観劇順情報は欲しかったなあ。
(Bだけ観て帰る、をやってしまう可能性があったので・・・)

PS.他の方の感想を読んでいて「ああっ!」と驚いてしまいました。
  AとBって同時間軸内の物語だったんですね。
  どうりで「同じ芝居」が入ってる訳だ。。。

  自分はてっきり、Aが終わった後戻ってきたカレンダー達の日常が
  Bだとばかり思ってました。。。まだまだ観劇眼が足りないなあ(´;ω;`)

かべぎわのカレンダリオ

かべぎわのカレンダリオ

バンタムクラスステージ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2015/05/14 (木) ~ 2015/05/25 (月)公演終了

満足度★★★

B⇒A順で観劇する事になり、本日B観劇時点での評価は凡ダッシュ
B「ラウラの夏」観劇。

自分にしては珍しいのですが、
CoRichやツイッターでの本劇の評判の高さを聞いて
慌ててチケット予約。

5/24(日)朝からの公演順がB⇒A⇒Bとなっていた事、
早い時間から観たかった自分は、
(A⇒Bの順じゃないと問題あるんじゃないかな?)
とは思いつつ、B⇒Aの順での観劇を選択しました。


フライヤーで基本設定を知り、
観劇を開始してすぐからの流れ、

「アレ?フライヤーの説明での空気感とは違う?(全然明るい?)」
と演技に笑いながらもその辺りに違和感を感じていました。

しかしその後、舞台の暗転ごとに見えてくる
同じ世界を違う角度から見たかのような雰囲気の切り替わり、

そして一部メイン役の表と裏の顔が見え隠れするさまに
「面白そう!」とは思えたのですが、
「面白い!」と断定できませんでした。

70分という短い時間の中でそれなりに動く物語展開、
しかし感情がどうにも引っ張られきらない、
それは何故?


そう、気になっていたメイン役達の隠された背景が
(全部)表に出てきてないのです。


そして気付きました。
共通キャストになっているこのメイン役達、
この背景を知るには
「やはりまずAを観る必要があったのではないか?
その上でBを観るからこそB自体に
すんなり入っていけるのではないか?」

終演後、近くの観客の方が言ってました、
「A⇒B⇒Aなのよ」と。


また自分の「やっちまったなあ」系のミスです。

きっとAでメイン役達の背景(過去)に触れて、
そしてBでの展開を楽しむのが正しい観劇スタイルだったのかな、と。

※ つまり本作品は
  「A+B合わせて1本」、

  単独して1本で成立した作品というよりも、
  両方、順を追って観る事により
  面白さが格段に上がるタイプなんじゃないかな、と
  (特に後編的な位置にあるBは単独では成立しないのかと)。


そういう意味で残念ですが、
今の所Bを先に観ちゃった時点での評価は凡ダッシュ、
いい所もあるけど、ちょっと物語の世界が自分には捉えきれていない
(Aを観てない為)、という感じでしょうか。


次にAを観たら自分の中のA+Bの総合評価が
変わるような気がします。

ネタバレBOX

【思った事】
・ 異国系の舞台での役の名前って
  何か特徴や「きっかけとなる出来事」がないと
  覚えにくいんですよね、

  そういう意味で最初、
  「どっちがマレーネでどっちがラウラだっけ?」
  と何度も分からなくなってしまいました。


・ 単なるキッチリタイプの映画館会計士、とみせておいて
  実はマレーネの頼りになる「おじさま」にして、
  「??(A観てないので背景不明)の元殺し屋」

  マレーネのピンチにかけつけ、
  殺し屋3人向き合う場面、
  すごく「いい空気感」を出した所で暗転。

  ※ Aを観てない自分は結局この会計士の
    隠された事実を知る事が出来なかったのが痛いです。
    そして、マレーネ、ラウラの義理の姉妹についても。
    (特にマレーネが命を狙われた理由が・・・)

    Aでそこが分かっていると
    多分短い時間で展開する各場面各場面について、
    もっと感じるもの、吸引力が高まったものと思われます。


・ 話が横にそれますが、
  イタリアの古い映画館のくだり、
  イタリアでの映画鑑賞は途中に休憩をはさんで
  ジェラートを楽しむ、というアレ、
  想像して「とてもいいアイデアだな」と思いました。

  日本の映画館は収入のほとんどをフード類の販売に頼っているとの事。
  だからポップコーンなどが売れるのは大いに結構なのですが、
  問題は映画観賞中にみんながそれをバリボリ食べる音。

  映画の構成方法に工夫が必要ですが、
  途中に休憩を挟んで
  小腹がすいたりのどが渇いたりしたみんながフード(ジェラート)を楽しめる、
  そんな観劇スタイルに変わったら
  自分ももっと映画+フード類を楽しめるのかなあ、と。


・ 先生が「8月の○○(映画のタイトル忘れました)はいい、
  亡き妻と最後に観た映画です」と語ったシーン、
  ちょっと涙腺引かれました。

  そして自分としては最初から気になっていましたが、
  せっかく世に生み出された1本の名作に、
  他人が勝手に手を入れてしまう行為、
  それを「今更だけどやっぱり良くない!」と
  いうマレーネの気持ちには同感です。


・ あの女教師は出てきて男先生とモメる段階から、
  「きっとこの2人はデキてる、
  あるいは最後に結ばれる存在なのだろう」
  と早い段階で勘ぐってしまいました。

  まあ、その後の流れで
  「もしかしてやっぱりラウラと??」と
  場面を観ていていろいろと想像を楽しめる形に
  物語を展開してくれたのは良かったです。



さて、これからA「マレーネの晩秋」観劇。
「かべぎわのカレンダリオの本当の力を見せてもらおうか!」( ´ー`)

PS.☆は3つですが、
  「続き」(本来逆ですが)が観たい、
  舞台上の演技は良かった、
  という意味で「お薦め」に入れさせていただきました。
『ひとよ』★【横浜公演】6月6日・7日KAAT大スタジオ!★

『ひとよ』★【横浜公演】6月6日・7日KAAT大スタジオ!★

KAKUTA

ザ・スズナリ(東京都)

2015/05/21 (木) ~ 2015/05/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

笑いと涙は両立出来るのか?⇒KAKUTAの回答「出来る!」
(タイトルがネタバレだったらすいません)
舞台セットはなんとも生活感の感じられる謎の事務所、
タクシーの配車センター(事務所)でした
(これは開演前に分かります)。

そこでの「一夜(ひとよ)」、いったい何が起こるのか?

開演前の暇なひととき、色々と想像してみたのですが、
開演早々からその後の展開まで、
自分の想像力のはるか上を行く物語が
狭い事務所を中心に繰り広げられました。

役者の軽妙なやりとりに「今回のKAKUTAは喜劇なのか?」
と思わせておいて、
練られた脚本は確実に胸に突き刺さっていく、
(^▽^*)と(´;ω;`)が共存し続けた、
舞台観客として幸せな2時間でした。

ネタバレBOX

あらすじ全部書くのもアレなので

・ かーちゃんは子供達を守る為に亭主を轢き殺し

・ しかし「殺人者の子供達」のレッテルを貼られた兄弟たちが
  幸せになれるほど優しい世界でもない訳で

・ そして15年が経ち

・ かーちゃんの友達だった女性は、亭主に死なれ
  痴呆の義母の毎日のイビリに耐え切れず殺人を犯し

・ シャブ中で家族に逃げられた元ヤクザは、
  10数年ぶりの息子からの連絡に喜び
  仕送りの為に運び屋に手を染めて

・ ジョニーデップが語る「ターニングポイント」は、
  それぞれが経験したただの「一夜(ひとよ)」の出来事だった

・ 子供達が自分の不幸を受け入れ笑う時、
  かーちゃんは自分の行為が「本当に正しかったのか?」と
  思い返して涙する

・ 笑いは絶えないのに、みんながみんな不幸を抱えたタクシー会社でのひととき

ただ「幸せ」になりたくて行った行為が「不条理」な結果を生み出して、
それでも人々はたくましくもそれにあらがって生きていく、

桑原脚本/KAKUTAワールドは今回も健在でしたヽ(´ー`)ノ


今日は雪山さんのトークショーがあったのですが、
メインのお芝居を笑いと涙で本当に堪能できたからこそ、
「マスクのお兄ちゃん」はキャストトークも非常に楽しめました。

ああ、幸せな時間だなあ( ´ー`)


PS.実際の所、冒頭でかーちゃんがあっけらかんと
  「父ちゃんを轢き殺してきた」と独白するシーンから
  既に自分の妄想力全開で涙がボロボロ出ていました。
  
  自分は「KAKUTA演劇を神格化してしまっているのか?」とも思いましたが、
  あの舞台上でのそれぞれ怪我をおっていた無言の兄弟達、
  そして現れたかーちゃんのあっけらかんとした
  独白から「今後」についての話からが、
  既に涙なしではいられない「不条理」な背景世界として
  自分の感じる心に刺さってたんですね。

  そこからいきなり15年ふっとんで、
  喜劇としてリスタートした時は驚きました、

  脚本/演出が「匠(たくみ)」だなあ( ´ー`)

PS2.2015/05/24(日)追記
  意図的なものだったか分かりませんが、
  ヤクザの子分の登場の仕方が「もしかして殺したはずの亭主?」とか
  タクシー運転手(ヤクザ兄貴)の電話が「裏で何か悪い事が動いている?」とか
  色々と観客の想像力を刺激して、ミスリードさせてくれたのも楽しかったです。
  (色々な方向性を想像するからこそ、事実が明かされた時
  「なるほどっ!」と驚くので)
スワン・ダイブ

スワン・ダイブ

カムカムミニキーナ

本多劇場(東京都)

2015/05/16 (土) ~ 2015/05/24 (日)公演終了

満足度

「好み」や「理解力」の問題じゃないと思う
古事記、武田信玄、
(×白鳥の湖、これは別の舞台でした)
をベースに
デフォルメした物語らしいです
(フライヤーなどにその辺りの説明あり)。

タレントの行為に観客達は爆笑、、、大爆笑していました。

自分は「何を笑っているのか?」すら分かりませんでした。

半分のパートを占める役者達の「笑い」というか
「演技」自体がコテコテでした。
(多分作/演出の指示なのでしょうが…)


作/演出が示したかった「テーマ」もあるのでしょう。

途中で「理解する事」「感情移入する事」全てを諦め、
アンケート用紙に
「『演劇』を舐めるな!最悪だ!」
と書きました(結局捨てました)。


基本自分は宣伝行為的な事が嫌いなので、
「この作品観なきゃ損だよ!」とかそういう
自分の立ち位置の分からない事は書きません。

ただ本作については、色々な方に観劇した結果として
「どういう気持ちを抱いたか」を教えて欲しいなあ、
と思いました。

ネタバレBOX

【思った事(経緯を追って)】

●観劇前
・ 「武田信玄について知っておくといい」と
  ツイッターで情報が出ていたのでwikipediaで調べました。
  でも説明が長いので端折ってしか理解しきれませんでした。
  
  当日現地でフライヤーなどをもらったら
  そこに本劇で知っておくと良い武田信玄(晴信)その他の
  情報が書いてあったので
  「こういう親切はありがたいな」と思いました。

・ 客演する方の関係もあり「本劇はハズレないだろう」と
  勝手な予想を立てていて、観劇前にパンフレットを買いました。

・ セットはシンプルだなあ、と思いました。
  (舞台が始まると、観客席からは見えない位置に通路があるなど
  それなりに仕掛けのあるセットだった模様です。)

・ 説明チラシを読んでいて「本劇団は結構独特」と書いてあったので
  「完全に心を空にして目の前の出来事を
  そのまま受け入れないと面白さが分からない」とかかな?
  と思っていました。


●観劇時
・ 冒頭、医師役の人の声がちょっと小さかったかな。
  (丁度先日、別舞台で「俳優の声が小さい」という話があり、
  特にそこを気にしました)
  でもそれはすぐに直りました。

・ 別の場面になり、金掘り師達が出てきた辺りから、
  いろいろと?マークが浮かぶようになりました。
  演技がどうにもコテコテというか、いわゆる「大根役者」と言いたくなるような。
  そして、「女性もヒゲが生えている」というネタで会場の笑いを取ろうと必死。
  ※ 観客達(特に高齢の、多分本劇団ファン?)は、
    爆笑していました。

  しかし自分には、物語の背景も何も示されていない状態で
  いきなり単なる一発ネタを1度ならず2度3度と天丼で投げられても
  「はっきりいって反応できない…」という感じでした。
  
・ その後、真面目パートと先のようなコテコテ演技パートが
  繰り返される形で物語が進みます。

・ 物語自体も、その背景設定である
  古事記、武田信玄、白鳥の湖をデフォルメした姿を、
  うまく説明できていない感じで、
  「よく分からないな」と思いつつ、
  なんとか俳優/女優の語りの内容から
  状況などを理解しようとしました。

・ この辺りからでしょうか。
  タレントが演技ではなく、芝居をしている役者にいきなりツッコミを入れたりと
  暴走行為を始めました。
  ※ 観客達は大爆笑していましたが、
    「いや、これお芝居じゃないだろ」と
    自分はドン引きしました。

  そして、この劇団について
  「お芝居を観せる劇団ではなく、有名タレントが暴走する姿で笑わせる」
  というスタンスなのかな、と思えてきました。
  ※ 有名タレントだけでなく、普通の演者も
    大して面白くもない笑いネタをポロリポロリと振っては、
    会場中が大爆笑していました。

  もう、作/演出の狙いだけでなく、会場にいる観客の反応にすら
  ?マークだらけでした。

・ なんかいきなり武田晴信が金ピカの「マグマ大使」の姿で現れ、
  それを演技関係なくタレントが殴る蹴るして笑いを取る場面あたりで、
  自分の怒りが頂点に達しました。
  観劇中ですが、アンケート用紙を取り、
  「『演劇』を舐めるな!最悪だ!」
  と書きました。

・ これはお芝居と呼べるものではないし、観客も多分そういったものは
  求めていないのだろう、と理解し、
  すぐにも劇場を出たかったのですが、狭い椅子の上
  観劇中の他人の視界を遮る事も出来ず、
  ただただ舞台上を睨んでいました。

・ 作/演出が求めたものを表現しているに過ぎない、
  と思いつつも、
  舞台上の役者達に対して、
  「自分達が演じているものを、こちら側(観客席)から観てみろ!
  あまりの雑さに頭痛と吐き気がしてくるぞ」という気持ちになりました。

  そして、役者達の表現全てに対して、
  ※ 確かに何人かの役者は噛みトチリが多く、練習不足としか思えなかったのですが
  「この劇では全員大根役者だわ、
  自分が何故役者を目指したか?という所からやり直しては?」
  など、怒りの言葉しか浮かびませんでした。

・ 舞台上大きな蛇や馬などが出てくる場面がありましたが、
  よく見るとかなり雑な小道具の数々(ダンボール丸見えな蛇など)。
  
  本当に「観客を舐めてるんだなあ」、
  「有名タレントが笑わせ行為をすれば、それでOKだと思ってるんだろうなあ」
  本当は、
  外人が英語が分からない日本人に対して英語でバカにするように、
  「観客をバカにしてるんじゃないかな?」
  など、色々なマイナスの思考が走りました。

・ ほんとーに苦痛でしたが、やっと舞台閉幕。
  (多分初めて)自分は拍手をボイコットしました。

・ そして、本日はトークショーがあるという事でしたが、
  「聞きたいのは謝罪の言葉だけだ」と思い、
  そそくさと劇場を後にしました。

・ 買ったパンフレットも、穢らわしいもののように感じ、
  すぐに捨てました。

・ タモリさんとバラエティ番組や、
  阿部寛とドラマや、
  をやってきたそれなりに好感度の高い有名タレント、
  大嫌いになりました。
  一生顔も(もちろん演技も)観たくない。

  タレントが舞台上で演技無視で笑いを取る行為、
  子供が学芸会などで「ママ、観て!すごいでしょ!」と
  勝ち誇るのと似ているな、と思い、
  この劇自体大人がやってる学芸会のようなものだな、
  と思いました。

・ 有名声優を客寄せパンダにしてくだらないお芝居をする劇団も嫌いですが、
  有名タレントを客寄せパンダにして同様をする劇団も大嫌いです。


劇場で爆笑していた方々は多分それなりの満足感を持っているのでしょうが、
普通に「お芝居」として本劇を観劇した、これからする方々に
「どういう感想、感情を持ちましたか?」
(自分だけが不満タラタラだったのか、あるいは誰が観てもそうなのか)
聞きたい気持ちでいっぱいです。

ここ数年で一番最悪の舞台(「演劇」を名乗ってほしくもない)でした。

PS.25週年だそうですが、毎回こんな事をやって25年活動してこれたのなら
  「そりゃすごい」と鼻で笑いたいです。

PS2.帰り道感想に書きたいと思っていた事を思い出しました。
  「物語の流れ」「お芝居の構成」について技巧をまったく感じない。

舞台 新選組オブ・ザ・デッド

舞台 新選組オブ・ザ・デッド

舞台 新選組オブ・ザ・デッド

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2015/05/13 (水) ~ 2015/05/18 (月)公演終了

満足度★★★

とにかく「バランス」が大事なのかと…
映画版に比べ、表現としての振り幅の大きさ、
「観客に観せたいものは何か?」という意味では
舞台版は面白く仕上がっていると思いました。

ただし、全体的に「バランス」が悪かったかな、
という気がします。

観劇している自分は、
笑いはともかくその他の方向には
感情を引かれる事がほとんどありませんでした。

残念だなあ( ´ー`)

ネタバレBOX

【思った事】
・ 映画版について、
  バナナマン日村さんをメインに使い、
  かつ「くずやまげすたろう」なる狙った名前をつけて
  完全に「笑いを狙っていくのか?」と思わせぶりだった割に、

  実際には笑いが少ない上に物語として
  「観客に何を観せてどういう気持にさせたかったのか?」
  がよく分からない(自分にとって)なんともモヤモヤするものでした。


  そこから比べると舞台版は、
  中盤まで「笑い」に注力する場面では
  「しっかり笑いを取ろう」という意図は感じました。

  単なるコメディとして終わらせるのだったら、
  このやり方で良かったと思います。

  しかし、
  深く考えられた世界観と設定を用いて、
  その後急激にシリアスパート、感動パートへ展開していく、
  という流れを考えた場合、

  「やり過ぎな笑いの取り方」は
  観客の気持ちを物語から一度素に戻してしまう事を
  よくよく考えて使わなければいけなかったのでは?
  と思いました。
  (一度緩みきってしまった場の空気が、
  舞台上はともかく観客側までまたすぐに
  切り替え直せない、という感じでしょうか)


  例として

  ・ 退場前に笑いネタを1つやらせる
  ・ アドリブネタを差し込む
  ・ チャドさん?の英語日本語織り交ぜての捲し立て(まくしたて)トーク
  ・ 裸での叩き合い
  ・ それらに思わず素で反応してしまう役者さん

  などがありましたが、

  ・ 物語に織り込む「笑いネタ」として、上手いものではなかったかなと
    (とにかく単発のギャグを入れた、という感じ)
  ・ 役者さんが素に戻って反応してしまう=観客側も物語の世界から素に戻って笑う
    =また1から物語の世界に入りなおさなければならない

  など、笑わせるだけ笑わせたのは良いのですが、
  そこで観客側は一度集中が切れて、
  その後急激にシリアス、泣かせに転じていく物語に
  吸引力を全く感じられなくなってしまいました。
  (盛り上がっていた気持ちが一度落ち着いてしまった為?)

  ※ 久保田唱さんと言えば物語の緩急の付け方の上手さ、
    バランスの良い喜怒哀楽の盛り込み方と驚き要素で
    観客の気持ちをあっちこっちへ引っ張り回す、
    感情操作の上手い脚本/演出家で、

    「笑いネタ」についても物語の中で集中の邪魔にならない程度に
    もっと巧みな笑いの取り方をするのではないかと思っていますが、
    今回はその妙味があまり観られなかったかと。


  また、今回はシーンの導入、切り替えの為のダンスもなく、
  幕間は説明文と映画の映像が流れ続けていましたが、
  舞台自体と調和していないなあ、と感じました。

  ・ 話の経過/つながり上出したのでしょうが、
    映画内容を差し込まれても
    それまで観ていた舞台と気持ち的につながりません。

    単に映画のPVを観ているようで興ざめかつ
    気持ちが物語から離れてしまいました。

  ・ 説明文が必要以上に表示されていたかと・・・
    舞台上の演技では表現不可能なもののみに限っては
    いるのでしょうがちょっと多用しすぎに感じました。


  など、いつもなら出来ている
  「観客の気持ちを物語の世界から離さない為の工夫」
  が脚本/演出/演技まで全てにおいて、
  今回はあまりできていなかったのではないかな?
  という気がします。

  物語のペース配分的にも、いつもの上手い緩急の付け方、
  が観られなかったかと。


・ 映画/舞台とも加藤(?)役を演じた女性の
  体術/立ち回りが上手いなあ、と思いました。


・ 最後のオチ(近藤局長の武士としての見せ場、沖田総司の見せ場)は
  少し気持ちを引かれる部分もありました。

  でもその後すぐ全員が
  「さあ、長州の味方をするぞ!」
  と観客席側を向いたまま幕が落ちるのを待っているのは、
  ちょっと滑稽というか変な締め方でした。

  昔の漫画の最終回の
  「俺達の戦いはこれからだ!
        ~ 完 ~
              ○○先生の次回作にご期待ください。」
  のような絵面に見えました。。。
  (あのポーズになってから台詞がなかった、
  幕が締まるまでの間が長かったなど?)


・ 同じ時間軸で展開され、キャストも一部同じ人、という関係にありながら
  映画と舞台がお互いを高め合う関係になかったのが残念です。
  (構成も意図的なものも基本バラバラ、というか。)

  映画が面白く感じられなかったのが、
  「本劇を観劇する事で気持ちが変わるかな?」と
  期待していたのですが
  結局、「映画と舞台は別のもの、だな」という気持ちで終わりました。

  せっかく世界観から何から相互に高め合える関係だったのに
  もったいないかと。

  それぞれの制作者感で意志/方針の統一がなされていない、とか?


本劇の「のびしろ」を考えても、今回は複数回観劇はいいかなあ・・・
という気持ちになりました。
うーん、残念(´・ω・`)


PS.舞台の構造の制約なんだろうけど、上手下手のハケ口から
  「ゾンビが来た!噛まれた!」の繰り返し。
  映画のように四方八方は表現できないにしても、
  もう少し繰り返されるゾンビの出現から戦いまでに工夫が欲しい。
朗読劇 私の頭の中の消しゴム 7th letter

朗読劇 私の頭の中の消しゴム 7th letter

ドリームプラス株式会社

天王洲 銀河劇場(東京都)

2015/04/28 (火) ~ 2015/05/06 (水)公演終了

満足度★★★★

少し期待ハズレ回か
下野紘×藤澤恵麻回観劇。

ネタバレなんて存在しないようなものなので、全部表に。

今回は1階席前から4番目と演者の表情まで良く見える良席。
それゆえにいい部分も悪い部分も受け止めてしまったかなあ、と。


●藤沢さん
カオル役について、始まりの場面からラストまでを
よーく練習し演技プラン練ってきたんだろうなあ、
という素晴らしい「読み」(演技と言った方がいい?)と
場面場面での演じ分け、これは本当に見事でした。


●下野さん
僕は下野さんがどう他の演者と違う、
下野流のコウスケを演じるのかを楽しみにしてたのですが・・・


コウスケ役の基本設定である粗暴でテンション高め
(他の演者さんは基本そう演じてましたが、
下野さんとはそもそもキャラが違うかと)を
序盤必至に演じようとすればするほど
まくし立てるようなしゃべりになり、
そこに噛みその他のミスが連発してしまいました。

※ 藤沢さんの落ち着いた演技ぶりと対照的過ぎて、
  練習不足、あるいは生の朗読劇には向いてない?
  と疑ってしまいました。

しかし、中盤から後半にかけて「本当の深刻な場面」に向かうにつれ、
演技に集中できてきたのか
下野さんの「素」(ファンから見た)に近い発声と
その上での声優としての演技上手を上手く活かしてきたかと。

台本の台詞に間や余韻をもうけたり、
実際のコウスケの気持ちにシンクロするような
空気感を後半かなり出せていました。

だからこそ、前半の無理をした感じがもったいないなあ。


帰り道で他の観客の話が聞こえましたがやはり
「男性役は別の日の役者さんの方が心に刺さった、
女性は今日の人がうまかったけど」という感じでした。

本劇を朗読劇として観に行った層は同じような
感想だったんじゃないかなあ、みんな。




ただ、今日酷かったのが、声ヲタ女性ファン。
下野さんが噛んだり何かリアクションする度に
「笑う」とかじゃなく、「キャー!」などと黄色い奇声を上げる上げる。

イベントならともかく、
朗読劇という舞台を観劇してるって事を忘れてないかしら?

周りで物語の世界に気持ちが入ってる人たち(自分含め)が
いきなり現実に引き戻される嫌な奇声でした。

自分は俳優/声優の演技としての朗読劇を聴きたいのですが、
彼女らは「あこがれの声優さん」のトークイベントかなんかの
つもりなんだろうなあ( ´ー`)

朗読劇 私の頭の中の消しゴム 7th letter

朗読劇 私の頭の中の消しゴム 7th letter

ドリームプラス株式会社

天王洲 銀河劇場(東京都)

2015/04/28 (火) ~ 2015/05/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

2人とも物語の波に合わせてスイッチが入る「情熱役者」タイプなのかしら?
鈴木拡樹×竹達彩奈回観劇。

ネタバレも何もないんですが、
2人そろって「上手い」タイプではなかったかな、
ただし、お話の盛り上がり、そして悲しみのクライマックスに
かけてすごく情熱的な演技をされていて、
ここ数年、毎年恒例の泣きモノとして本劇を何度も観劇してた私は、

今回3階ほぼ最後尾という一番悪い席にも関わらず、
2人の演技の「熱」と照明効果の上手さ
(今回ベースをずっと暗めにしてたんですよね)もあって、
幸せパートからもう涙腺は潤みっぱなしでした。

いやあ、竹達さん、芸幅(どんな役をこなせるか)広いとは思ってなかったので、
朗読劇にはあまり期待してませんでしたが、
思わぬ情熱演技にグイグイ引っ張られました(鈴木さんも同じタイプかと)。

「上手さ」より2人の「情熱」が光る舞台でした。

※ 「上手さ」的には☆4つですが、
  2人の「情熱」お芝居に完全泣かされたので5つ、
  とさせていただきます。

ネタバレBOX

序盤、
鈴木さんに比べ竹達さんが役が固めきれていないのか
発する声にアニメその他の「キャラ」っぽさと
地声とが同居してしまい、その上ちょっと声も小さく、

やはりアニメキャラなどではない、
役を自分で固めるタイプの朗読劇には向かないかな?
など思ってしまいました。

そして鈴木さんの方も男性役を演じながらその中での
社長役その他の演じ方に「無理に笑いを取ろうとする」ような
ちょっと朗読劇としては「上手さ」を感じられない、
そんな空気感にそぐわない演じ方をされていたかと。

しかし、男性の悲しい過去からそれが元で会えなくなってからの
半年以上からを演じていく男性、女性(鈴木さん、竹達さん)、
「もう、”情熱”を込めて演じぬく!」という覚悟が決まったのか、
そこからのお芝居には引っ張られまくりました。

照明効果の上手さがすごかったのもあって
(基本暗闇の中のスポットライトで2人の
明るい場面暗い場面がどんどん切り替わっていく)、

本当に一番遠い席、であったにも関わらず
2人の演技にすごく引っ張られました。

そして早い段階から涙腺持ってかれました。
そして周りじゅうハンカチやらティッシュやらで
目をぬぐったり鼻をすすったり、
もう涙のオンパレード、

観客を「上手さ」よりもそのひたむきな「情熱」で
引っ張っていってくれた、思わぬ素敵な舞台に仕上がったと思います。


そもそも本劇「私の頭の中の消しゴム」シリーズは
声優さん+役者さん(?)での組み合わせが基本で、
僕は声優さん側の「新たな一面」や「思わぬ実力」を
観たくて通ってるタイプなのですが、

竹達さんはきっとお芝居その他にも向いてるんじゃないかな( ´ー`)
いつか舞台あるいは銀幕で観てみたいな、
と思わせられましたね。

若いしこれからアニメも舞台もいろんな役を演じてどんどん
芸幅も広げて、今度は動いて泣かせる竹達彩奈さんが観たいなあ、
と思いました。
ザ・ボイスアクター アニメーション&オンライン (再演)

ザ・ボイスアクター アニメーション&オンライン (再演)

劇団6番シード

新宿村LIVE(東京都)

2015/04/15 (水) ~ 2015/04/21 (火)公演終了

満足度★★★★★

アニメ声優ヲタクの自分が熱弁したくなってしまうほど収穫のある舞台
感想2連投すいませんm(_ _)m
しかし、オンラインゲーム編、アニメーション編は
全く別の舞台だったので
2つとも感想を上げさせていただきます
(特にアニメーション編は書きたい内容多々だったので)。


マチネでオンラインゲーム編にてプロの「声優」の
あまりの「熱さ」に触れて、
その後ソワレですぐにアニメーション編、

実際席についてから思ったのですが、
「オンラインゲーム編/アニメーション編の位置付けって、
きっとWキャスト、一部物語変更あり」みたいなものなんだよな、
と想像してました。

だからあまりに同じ展開が続いてしまうと、
あれほどに「熱さ」のある舞台だからこそ
ちょっとだけ「飽き」ちゃうのかな?
(気持ちが引っ張られなくなってしまうのかな?)
とマイナス思考してしまっていました。

しかし心配は杞憂に過ぎませんでした。


・・・いやあ、ほんとすごい!

背景となるアニメ/ゲーム、
そして登場声優としての背景設定は一緒とはいえ、

・ アニメのアフレコ現場風景

・ ゲームのアフレコ(違う言い方があったような?)現場風景

全く別の劇をメインキャスト一緒でやってしまうなんて
思いもしませんでした。

※ だって
  ──────────────────
  ゲーム編2時間+アニメ編2時間=4時間
  ──────────────────
  かつアフレコ中心のお芝居という事で
  アフレコパートでは1時間近くポンポンと続く長台詞を

  ※ ゲーム編は台詞間にわざと筋(つながり)が
    なかった為覚える事自体に苦労したかと

  逆にアニメ編は1つのアニメとして台詞間には
  物語の筋(つながり)がある分
  台詞は覚えやすかったかも知れませんが、
  マイク前での移動のやりとりが延々続く為(それがアフレコ作業)
  そういう位置取りなんかも覚えなければいけないという、
  合計すれば超ロング舞台。

  それを本日アフレコパートについては
  「ミス(ほぼ)ゼロ」でこなしてましたので。


ネタバレにならない範囲で驚いた事

1.ほっちゃんがいた!
  川村ゆきえさん演じる大声優役が
  まさにほっちゃん(堀江由衣)さんの
  グラビア/コンサートとは違う表に出ないアフレコ現場での姿
  (として浅野真澄さんの漫画「それが声優!」で語られている)
  まんまだったので驚いてしまいました(低姿勢ぶりまでまさに大声優)。

2.宇田川さんの声優演技があまりに「声優!」してる
  素の声と全く異なるキャラ付け/デフォルメされた声、
  とでも言うのでしょうか、
  マスコットキャラの声を見事に演じていました。
  その為、役者がやる「声優業界のお芝居」というよりも、
  「本物の声優達のアフレコ現場」として観る事が出来ました。
  ※ 他にもすごく「声優!」な声を出している方がいましたが、
    すいません名前が分かりませんでしたm(_ _)m
    女王様みたいな人。

3.アフレコ現場の実際が描かれている(と思う)
  アニメのアフレコ現場って声優10人近くが
  3本足らずのマイクを取り合ってどんどん
  台詞を言っていく形式、という事は「アニオタ」なので
  さすがに知っていましたが、
  今まで実際その光景がまったく頭に浮かびませんでした。

  どうやって順番に、かつ自分の使うマイクを選んで台詞を発していくのか?
  それが今回の「ザ・ボイスアクター アニメーション編」を
  観る事で痛いほど(実際主人公はかなり痛い思いをしまくりでしたが)
  よく分かりました。

  台本上の各人の台詞とその空きの長さを把握して

  ※ 基本的にアニメやお芝居は「現実世界」と違い、
    狙って複数人の台詞をかぶせる以外では
    1人1人順に台詞を発していく形になるので
    (現実世界だとお互いが同時に喋り出したり、という事が良くありますが)
  
  今マイクを使っている人の台詞終わりとその後の空きの長さで
  次に使うマイクを決めて後ろに並んでいく、
  という流れだったんですね。

  主人公もトラブってしまいますが、
  これって慣れないとかなり難しい流れ作業だな、
  と思いました。

  そして何より主人公。
  最近のTwitterなどでも話題になっていましたが、
  俳優がいきなり「声優初挑戦」する風潮ってどうなのよ、と。

  スタジオジブリなんかだと「媚びた演技の声優よりも俳優の方が偉い」
  みたいな事を宮﨑駿も言ってしまっていたので、
  何か声優が格下のように使われているイメージがありますが、
  本来ならアウェイである声優業/アニメアフレコに初参加する
  俳優さん側が「勉強させてもらう」立場なんですよね。

  本劇ではベテラン俳優だけどアニメアフレコは初めて、という
  主人公がかなーりの低姿勢で、
  アニメアフレコのルールが全く分からずに
  色々とトラブっていく姿が描かれていて、
  「そりゃそうだよな」と納得してしまう上、
  「声優」がちゃんとした立派なプロの仕事として
  描かれているのがなんだか嬉しいです。

  更に言うと最近「SHIROBAKO」という、
  アニメ制作会社がアニメ制作していく流れを描いたアニメが放送され
  かなりネットで話題になっていたのですが、

  それが終わったばかりのこのタイミングでの「ザ・ボイスアクター」(再演)、
  まさに流行にリアルタイムでこんな舞台が観れるとは、
  とタイミングの良さにも感激しました。


※ 表感想の時点で長くてすいませんm(_ _)m

【総括】
「アニオタ」ならアニメーション編は観るべき
(そしてリアルに顕現したアフレコ現場のほっちゃんをまず見るべき)、

そして「声優」好きなら声優ブームの火付け役となったゲームへのボイス入れ、
そしてゲーム業界の「今」

? 実際には「今」よりは古いお話なのでしょうが

が分かる「オンラインゲーム編」も観るべき、
という感じでしょうか。

ネタバレBOX

【思った事】
表に描かなかったのは

・ 最初初声優挑戦の主人公に優しく接してくれるほっちゃんが
  主人公が俳優としての「自分流」をどんどん取り入れて
  現場を荒らしていく(?)姿にめちゃくちゃ怒り、
  そして「メンタル的に弱い」ほっちゃん
  (堀江由衣さんはメンタル弱くないですよー、
  田村ゆかりさんはともかくとして)は
  それに調子を崩されて演技に支障をきたしてしまう。

  そして「主人公を下ろしてくれ」と音響監督に言ったり
  主人公に「自分の演技の事だけ考えて(他人なんて考えず)演じろ!」と言ったり、

  途中チームワーク的な所から外れた本性を見せるのですが、
  最後にあくまでも声優初心者で頑張っている主人公のその熱意その他を認めてくれる所に、
  ほっちゃん(川村ゆきえさん)自身の成長を感じたり。


・ 主人公が絵コンテを観ながら
  (動くアニメ映像じゃないからうまくイメージがつかめず)
  手探りで演技していく中、
  熱が入ってきてやっと「自分の役のイメージが見えた!」と
  思った瞬間に、
  絵コンテが真っ白状態に(作画未着手部分に入った為)状態になってしまい、
  せっかく見えたイメージが消えてしまい、台詞が喋れなくなってしまう。

  それが元で色々トラブルが起きるが、最後主人公が
  「自分の役の最後の姿が明確にイメージできました!」と
  音響監督にそのイメージを伝える。
  
  しかし、音響監督は「作画がまだ上がってきていないんだから、
  実際そんなイメージで演技されてもそれに上がってきた作画が合うかどうか分からない、
  今思っていたイメージは全て頭から捨てろ、その上で”ただ”泣いて見せろ」と
  無茶(?声優さんには普通なんですかね?)な要求をする。

  悩む主人公に打ち解けてきた
  (というか主人公を少しずつ認めてくれ始めた声優陣が)

  風の谷のナウシカの「ラン、ランララランランラン」の
  テーマが流れてる場面、
  あれをイメージすればだいたい泣けるから、
  とアドバイスしてくれた上、
  最後主人公が泣く演技をする場面でまさかの全声優陣大合唱。

  ネタとして笑わせつつ、「そうだよな」と納得もしてしまう、
  そんな「面白い」締め方をするのが上手いなー、と。


・ アニメ主人公(本劇の主人公ではないです)の単なる仲間役の
  若手声優が初めて「脇役のその深層に迫る」という
  主役級の場面を貰うが、
  その演技が上手く行かず(音響監督からOKを1つも貰えない)悩んだ挙句、
  主人公(俳優)に
  「俳優さんはカメラに向かって演技すると思うんですが、
  人ではなくカメラに向かって演技する場合
  どうやってその気持ちになりきるんですか?」と相談する姿など、
  ありうるよなー、と思える本劇の本筋が「面白い!」。

  そして、それが後々のトラブルに繋がっていってしまう流れが「上手い!」


・ オンラインゲーム編、アニメーション編、両方ともで思ったのは、
  普通お芝居を観る上で「噛み」「トチリ」なんてつきもので
  1芝居観れば少なくて数回、多ければ10回以上出会ってしまい
  場合によっては、せっかくのお芝居への集中が解けてしまう事もある、
  しかし「人間なんだから噛み、トチリぐらいしょうがないよな」と
  半ば観客としてあきらめている部分でもありました。

  でも本劇はあくまでもアニメの「アフレコ現場」、
  アニメのアフレコの本番で「噛み」「トチリ」なんてあったら
  別録り含め録り直し当たり前の世界の為、
  本劇中のアフレコシーンでの「噛み」「トチリ」は
  普通のお芝居以上に本劇が作っていく空気感、求心力を
  壊してしまう可能性がある、

  そんな高過ぎるハードルを越えて
  1人につき何十何百という台詞を(声優と違い台本なしで)、
  発していく「声優」役の役者陣の凄さに驚嘆しました。

  はっきりいってクライマックスのアフレコの流れは、
  (オンラインゲーム編も同様の構成でしたが)
  いつミスが出ないか、という怖さも含め
  手に汗握ってしまいました( ´ー`)


あと私事(わたくしごと)ですが、
自分がそもそもお芝居を本気で(?)観劇するようになったのって、
そもそも無趣味だった自分が
インターネットでラジオが聴ける事を知り、
なんとなくで声優さんのラジオを聴いて
声優さんって声もいいし話も面白いな、
と思ってアニメを見始めて、
更に声優さんの活動を調べていったら

声優業/俳優業を兼業される方が多く
声優さんの舞台を観に行ったのが初めで、

しかしその頃はお芝居としての面白さなんて
まったく感じていなくて単に
「あの有名声優を生で見れる」ぐらいの気持ちしかなくて、
それがたまたま応援しているJリーグのチームの応援番組の
アシスタントのグラビアアイドルが出るという小劇場演劇を観に行って、

「これが本物のお芝居か!」とあまりに精巧に作られた脚本から
本物の役者の演技からに惹かれるものがあり、
小劇場演劇の方にハマっていって、という流れもあったので、

まさかその小劇場演劇のお芝居でかつて自分が憧れた(?)
声優業/アニメのアフレコ現場の真実(にしか見えない)に
触れられた、というのは嬉しかったなあ、と。



長々と失礼しました。
いやあ、6番シードさん、開演前のPVその他含め
こんなに面白い劇団さんだと知りませんでした。

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