ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

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あの山の稜線が崩れてゆく

あの山の稜線が崩れてゆく

城山羊の会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/11/29 (木) ~ 2012/12/11 (火)公演終了

満足度★★★★★

なんじゃこりゃ
面白いぢゃないか。

ネタバレBOX

あと、やはり筋トレ的なものはヒツヨウだな。

ムキムキ(無期無期)である必要は無いかもだけど、
目の前のどう見てもアホそうな男より
自分の方がプヨプヨしてたらイヤだな。

ランボーのように(同性愛者という意味ではなく
アフリカ行っても、
一瞬でひからびそうな人(腹)は・・
やっぱ良くないと思うよ。

この場合、最初はどう考えても悪役めいた実の父親(前科あり)が、
どんどんマトモに見えてくるあたり(笑
スピード感があって面白い。
ユン・ハンソル『ステップメモリーズ―抑圧されたものの帰還』

ユン・ハンソル『ステップメモリーズ―抑圧されたものの帰還』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2012/11/22 (木) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

なるほどなぁ・・
規制されたところは確かに自分も観て、
違和感を感じたところなので、
「なるほど」と思った。

アフタートークで不満を言っているところを聴いて、
その違和感なり、
作品を別の文化背景のなかで上演することのむずかしさを知った。

きっと、イランの作品を観たときにも思ったのだけど、
ある国・時代の作品を別の国・数年先に持ってくるとき、
どの程度伝わるのか、あるいはほとんど伝わらないのか、
を考えることは重要だろう。

ただ、ある時代・国の人たちに向けて作ったものを
伝わらないからと言って他の国で上演することを拒むことが良い選択だとは思わない。
(今回は歴史のものだったので割とギャップは少なかったが、ただ、日本では絶望的なくらいに隣国の資料が少ない(汗

観た人たちは、観終わった後も、
観たものに対する自分なりの考えを、
資料に色々と当たりながら、観劇時間の何百倍もの時間を時には掛け、
整理していかなければならない(汗

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その作業は決して無駄ではない。
むしろこれからの時代、普通の人々のそうしたささやかな努力は、以前にも増して重要だ。
実際、60年前っすぐ隣の国で数百万が死んだと言われる戦争を誰も知らない。
そうした戦争・内戦が起こる可能性は、どこの国・時代でも常にある。
実際、極東アジアは既に昔のバルカン半島並の火薬庫に変貌を遂げているにも関わらず、
なぜかだれもそのことに気づかないフリをしている。
今ほど「反戦・反原発・反ファシズム」を叫ぶことが重要な時代も無いハズなのになぁ・・。

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逆に国内の作品は鮮度が一番だと思う。

本当は、外国の作品も、上演してからすぐ、持ってきてくれれば良いのにな、と思うけれど、それは贅沢だし。

ただ、人間には「想像力」があるので、
その時、その場にいた人間には自然に肌で感じられることを、
その何百倍もの時間、資料や証言を通して、
想像し、作品の肌触りを可能な限り再現していくことができる。


この公演と演出家の講演を見る限り、この演出家はどうやら恐ろしく才能豊かな人間のようだ。
そしてリヒニッツと同じく、ひどく挑発的でアイロニカルだ
演出家には、他の多くの人が見逃すものを見通して、声を大にして言う肝っ玉もあるようだった。
(上記の特徴は、才能に直結している

なるほど。
「韓国の演劇は既に日本のはるか先を言っていて、もう追いつけない」と
人が言うのも良く分かる(苦笑

この鋭さ、このアイロニー、そしてこの挑発。
40歳(演出家の年)にしてこの若々しさ(笑
一端ではあったけれど、魅了されるには十分な欠片だった。

また、これに懲りず日本に来てほしいなぁ・・(苦笑


いや、外国の作品を観るのって、結構大変なんですよねぇ。
昔メビウスを知った時には、日本人が到底知りえない元ネタがぎっしりあるなんて想像もしなかったもんなぁ・・。

ちなみに、外国の作品で自分たちが「実験的」と感じるものは、
現地の事件や感情をモチーフにしていたりすることが多い。
直接描くと、ダイレクトに伝わりすぎるので
少し抽象的な表現にならざるを得ないんだろう。

外国人にあえて分かりにくくする意図はなく、
そうせざるを無かっただけのことで、
それでも現地では色んな反応・批判があったらしいことを知ると、
世の中は広い、と思ってしまう(苦笑

そして、FTに来た外国人演出家の多くは誰も、
アーティストぶったところが全くない(実験をアーティストぶって用いたりしない
挑戦的でかつ非常に謙虚で、尊敬できる人たちばかりだったことは言えると思う。

ポツドール『夢の城 -Castle of Dreams』

ポツドール『夢の城 -Castle of Dreams』

ポツドール

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2012/11/15 (木) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★★

TOPS
座席なんか、ぎゅうぎゅう詰めでトイレにも行けなかったトップスの公演なんかと比べると
見違えるように素晴らしい環境。

舞台もずっと演劇的でユーモアも膨らませて
誰にでも見やすくなった。

それでも、やっぱりトップスの時のヒリヒリした感覚とは違うんだよなぁ。

トップスの頃は、公演の目と鼻の先で、
リアルタイムで同様の生活が進行しているのかもという緊張感があったように思う。

それに比べると、今の池袋西口では・・どうなんだろう・・?

若者の、特に地方の若者たちの荒涼とした風景の描写は、
東京の演劇シーンでは望むべくもなく、
現在進行形で燃えている場所はだいぶ前からヒップホップに完全に移ってしまったのかな、という認識を新たにしたり。
(西部劇のガンファイトがライムに移っただけなんじゃないかと思えた向こうのヒップホップに比べて国内のソレは昔ずいぶん牧歌的に見えたけれど、今では他の何にも負けない完全な心の鏡として機能しているような・・


方法論だけそのままで完全な新作として上演するやり方もあるんではないかな、と思ったり。

よわくてやわらかくてつよい生き物

よわくてやわらかくてつよい生き物

うさぎ庵

アトリエ春風舎(東京都)

2012/11/18 (日) ~ 2012/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

一言断っておくと・・
やはり二人芝居で1時間以上喋りっぱなしということもあって、
役者さん二人の地理的な距離もあってか?
完璧という訳ではなかったように思います・・。

でも、自分も何度も観ている大塚氏と、
多分初めてキッチリ見ると思われる
坪井さんの人間的な魅力が大きいのでしょう、
色んなところをちょっとずつ想像力で補いながら観ていくと・・
自分はこの話、
シンプルだけど、悪くないのかな、
と思ったりしました。

きっと、要約すると凄くどこにでもありそうな夫婦の悩みのようにも思えたりするんですけど、
その描き方が素晴らしいと思いました。

ネタバレBOX

子どもをつくらないと決めた夫婦の死に別れの物語なのですが、
子供はいらないと思っていた奥さんが、
旦那が「子供はいなくても、君の仕事が僕らの子供だから・・」
と言うようなことを言って、末期ガンの旦那にだまって
50過ぎで不妊治療に向かう描写がとても良いな、と思いました。
笑う門には福来る

笑う門には福来る

LiveUpCapsules

王子小劇場(東京都)

2012/11/16 (金) ~ 2012/11/19 (月)公演終了

満足度★★★★★

大圓朝
落語好きなら圓朝の名前を知らない者はなく、
様々な逸話も、さほど真面目に本を読んでいなくても、
ことあるごとにどこかで耳にしているはず・・。

自分も彼の創作した落語は色んな噺家を通してずっと慣れ親しんでいるし、
圓朝まつりも頻繁に行っている(彦八祭りも行くけど

洗濯機もテレビも何もなくてもいいから、
大圓朝の生きていた時代に生まれ、
彼の生の落語を聞きたいと思うことしきり(苦笑

冷静に考えてみれば、
生み出す作品が全て大傑作のあんな天才(日本の劇作家にはついぞ出現しなかったタイプ
が突如目の前に現れれば、
誰しもが虜になるし、嫉妬するのも当然と言えば当然で・・。

ただ、彼の素晴らしかったところは、
天才ではあるけど、いろんな人の生や死を見つめたからなのか、
噺の中に何とも言えない愛おしいような哀しいような空気が張りつめていることで。

それを、巧い噺家が、素晴らしい神社の一室かどこかで話すなら、
一度に空気が溶け出すみたいに、
いつしか江戸の闇夜の中に放り込まれていたりする。

東京の噺家たちが上方に対して優越感を常に抱いているのは、
大圓朝の功績が非常に大きい。

それだけの人物なので、
圓朝もサンテグジュペリと同じくらいの逸話に富む。

それだけに、それらをまとめるのは大変で、100分でも全然足りないくらい。
でも、この作品は凄く良くまとまっていたと思う。

最後をもう少しうまくまとめられればもっといいかな、
と、少し思ったけど(苦笑
それでも、圓朝の魅力的な逸話を生の演技で
目の前で観られたのはとても嬉しい(笑

落語ファンと言うとちょっと古臭い様にも思えるけれど、
良く考えれば、今の劇作家で100年後に誰かが声に出して読んで、
これだけ胸に染み入る作品を書いている人がいるんだろうか・・?

ペルシャの昔の詩人たちが作った作品が600年たってからも
現代の人びとに愛され暗記され読まれているが(人生を指し示してくれもする
日本の作品で500年後に残るのは
ひょっとしたら圓朝位かもしれない。

きょうはビッグサイトでスクイテンの講演を聴いたら、
帰りに台場の夕景がみたくなってゆりかもめに乗ったけど(笑
同じようにこの芝居を見たあとは、
圓朝の落語がすぐにでも聴きたくなったなぁ・・。

現代の東京は、
大したことのない詰まらない街なのかもしれないけれど(苦笑
過去の偉人の痕跡や、
他の国の人の夢の話が時たま聴けるから、
ちょっと輝いて見えたりするときもある。

F/T12イェリネク三作連続上演 『光のない。』

F/T12イェリネク三作連続上演 『光のない。』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2012/11/16 (金) ~ 2012/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

ちいさな小部屋で観るのも良いけど・・
こういう大きな劇場で5人の役者を見るのも良いな・・。

学生時代、フランス語とポーランド語は勉強してみたけれど、
間に挟まれたドイツ語はちっとも勉強したいと思わなかったけれど、
ちょっと今後悔中(あくまでちょっとだけ(苦笑

少しだけでも齧ればよかった(齧るだけなら今からでも遅くないかな・・でも齧るならペルシャ語にしたいかな(苦笑

たしかにこれは、総合芸術としての地点の集大成かもしれない。
そして、どんな要素が入ってきても、それらに柔軟に対応できる
5人の役者陣の到達点かもしれない
(前回が到達点かと思ったけど、これだけ色々な要素に対応できるのを見ると、まだ先は見えないような(笑

前衛でありながら、総合芸術で、オペラ。
ユーモアに溢れながら、内容を考えれば笑うのを少し躊躇する(ドイツ人ならシニカルな笑いを浮かべられるのかもしれないが

リヒニッツと同じ、福島の大地を汚した日本人の、
「呪われたドイツ語」(リヒニッツのプレトークで言っていたけど。自分たちの言葉の美しさを硬直的に讃える人は多いが、呪われた有様について美しく語る人は少ない
と同じ呪われた言語で発声しているからこそ、
翻訳されてもなお、美しさと呪詛の二重構造がそのままに残されているのだろうな・・(苦笑

アンティゴネーへの旅の記録とその上演

アンティゴネーへの旅の記録とその上演

マレビトの会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2012/11/15 (木) ~ 2012/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

これは・・
凄い。

今までの京都のマレビトのイメージとは全く違うと思う。

まだ確信は持てないけど、これからの演劇の形を変えるかもしれない。

初日を観たけれど、照明なんかを含めて最終日までもっと進化(・・というか変化?)するかもしれない。

・・こうして見ると、並の作家には構築不可能な世界かもしれない。

世界に入っていくには時間が必要だと思う。

6~7時間いても観劇の仕方に慣れるのは大変かもしれない。

国内劇団にも関わらず、事前予習は海外作品以上に必要かもしれない。

非常に繊細な作品だと思う。

・・まだ確信は持てないけど、歴史に残る作品になるかもしれない。

ゆっくりと一日、西巣鴨で過ごすくらいの気分で行った方がかえっていいかも。

焦ると、肝心の詩とでもいうべきものを、
わざわざ足を運んでも目の前で逃してしまうかもしれない(それが一番悔しい(苦笑

明日はみんな批判するかもしれないけど、
一年たったら同じ人たちが口をそろえて褒めているかもしれない。

今日分かろうとしないで、1か月後に気づこう位の気構えでも良いかもしれない。

(こういうとき批評家と名前が付く人たちは真っ先にギロチンにかけられるから大変だよなぁ・・皆無視したフリをして逃げないでくれることを熱望します!(でもなんかコレ岸田賞取りそうだなぁ・・って、そういうのあんまし興味ないんだけど(苦笑

キメラガール アンセム/120日間将棋

キメラガール アンセム/120日間将棋

The end of company ジエン社

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/11/07 (水) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

完成形が見えてきたような・・
題名が舞台の内容をよく表している気がした(ジエン社にしては珍しく

演技は完成に近づいているみたいだ。

まだ未完成という訳ではなく、
劇団員を固定して何回か繰り返せば、
現在の地点のように、
自在にリズムを操れる域に近づくかもしれないという意味で。

ただ、こちらの方がずっとポップカルチャー寄りだと思う(キメラガールという題名があらわすように

将棋のルールを知らないなら、確認しておいた方が良いと思う。

ネタバレBOX

自分の兄貴が昔、奨励会で挫折して
今、ネット将棋にハマっているので、ちょっと分かる気がした。

ただ、ハチワンダイバーみたく
将棋の世界に苦も無くダイブできるほど
将棋に対してやる気のある人だったら
簡単にプロになっているのではないかと言う気もした
(羽生以外は、プロになるのは才能1割、やる気残り全て(世の中大抵そうだと思う(苦笑
そういう細かい意味ではあちこちリアリティもないのだが、ジエン社にはそこもあまり気にならない(本筋ではない

登場人物の女の子たちが、時に将棋の駒になったり、合成(キメラ化)したり
舞台技術が進歩すれば飛躍的に見え方の精度が上がると思う。

舞台を見始めて最初は
シベ少のラスト・・?と、一瞬思うかもしれないが(汗
エヴァとハチワンダイバーあたりをイメージしてみて行けば、
作者のイメージにだいぶ近づけるのではないかと・・(私見です

あと、役者の動きは凄く音楽的だと感じた
(将棋の盤面を見ていると、たまに音楽が流れる(気がする)ように、川(前回から役者の動きを川に見立てることがあるようだ)が流れる。
テノヒラサイズの飴と鞭と罪と罰

テノヒラサイズの飴と鞭と罪と罰

テノヒラサイズ

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2012/11/06 (火) ~ 2012/11/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

アメ村でも観たけど
今回は三鷹・・。

前回は大阪の中心部で、今回は三鷹と、
「・・イヤ、なんか本来だったら下北とかで全然大丈夫だと思うんだけど、
東京の演劇エリアから外れててちょっと残念」とか思ったり(苦笑

正直、行くまで初演を観ていたことを完全に忘れていた
(ヒドミといい最近物忘れが多いな・・(汗
けれど、劇場入って舞台上のセットを見た瞬間に、完全に思い出した(笑

テノヒラサイズを何度か観た人なら分かると思うのだけれど、
役者さん達が非常に個性的(そういう意味ではスクエアに似てるかな・・)なので、
東京ではそのあたり、ちょっと演技が「クサイ」とも見られそうだけれど、
大阪ではこの位分かりやすくないと通じない(お調子者の街だからか(笑
し、その安定感のある演技に支えられ、
役者のポジション(舞台の中での立ち位置とでも言うのかな・・)が目まぐるしく変わっても
安心して見ていられる(そこが意外性という点で物足りなさを感じる人がいる理由かもしれない

演技が役者の地に結構支えられている部分が多い気もするから、
台詞で「私がやった」
的なことを言っても、
観ている観客は
「・・男前やな、この女性(ヒト」
位な柔らかい空気が観客席を包む。

そういうのは、全部自分が2年前(だったか?)アメ村で体験したことだ。

「どうやって俺を楽しませてくれるんだ?」
的なBlurの歌詞でも聞こえてきそうな(Entertain me!)
雰囲気で腕を組んでいる人にはちょっとアレかもしれない(笑

「自分は楽しみに来たんだ、楽しまなきゃソンだ!」
みたく前のめりになって、大阪チックに娯楽にガツガツしてた方が良いと思う。

大阪の観客は、テノヒラサイズが自分たちの意気込みにキチンと応えてくれる劇団だと知っているから、
安心して舞台に身を委ねている。

その空気がまた心地よかったり(笑

物語は、完璧。

ただ、初演と再演と二回観た経験から言うなら、
出来れば二回観た方が絶対に良いと思う。

あまりに完成度が高いため、
宝塚並に舞台のあちこちに見どころがちりばめられている(それこそテノヒラサイズの視界のなかに(笑

この作品を1回観ただけで全てを把握するのは難しい(どんな舞台でもそうだけれど、今回は特にそうだと思う。面白いところが一杯あるよってことです

自分も割と舞台を観て、舞台を分析する力的なものは割とある方だと思いますが、
2回観て、大阪の観客たちが笑っていた所で自分が気づいてなかったところにようやく気付いてきました。テノヒラサイズについてはまだまだです(苦笑

別に営業でもなんでもなく、2回観るのがおススメです
(一応チケプレ的ななんかでも、知り合いがいるとかでも全然なく、純粋な感想です(笑

ネタバレBOX

場を収めるために罪をかぶるのは、大阪では「カッコいいこと」らしい(笑
霊感少女ヒドミ

霊感少女ヒドミ

ハイバイ

アトリエ春風舎(東京都)

2012/11/06 (火) ~ 2012/11/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

超満員
小竹向原ゴーストラブストーリー?

自分、初演も観てたみたいでした。

・・あちこち覚えてる(どの程度初演と一致してるのかは知らないけど・・雰囲気?

ネタバレBOX

映像とともに流れるナレーションが物語の雰囲気に合っているのかは
サッパリわからないけれど、
ハイバイらしい?マンガみたいな、オモチャみたいな小道具
(変な模型みたいなのの中の人形を動かすと、モデルになった実際の人物がふきとぶとことか)
を効果的に生かしながら、
そこをターニングポイントにするみたく
急速にコミカルでなんかイッちゃった?雰囲気から、
メロウでしんみりした雰囲気に振り切れる感じが、
とても「らしい」気がした(笑

映像だと、こういう・・なんか、
加速度がMAXになって振り切れるところで急にマイナスに行くとでも言うのか、
マンガチックな展開が最大になって、完全に非現実的なところまで行ったところで、
急速に現実に戻る(しかも想像上の人物と現実の人物(たぶんそういう関係なんじゃないかと思うけど・・)がクロスしてそれぞれの世界を入れ替わるみたいな・・)
切り替えを鮮やかに行うには便利なのかもしれないなぁ・・(好き嫌いは分かれるかもしれないけど(苦笑

なかなか上手く言い表す言葉が見つからないけれど、
急にストンと落ちるハイバイらしさ(自分が考える
が良い風に出た作品だと思いました。

上演時間1時間というのも素晴らしいし・・(笑
スペース・ファンタジー 『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』 

スペース・ファンタジー 『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』 

宝塚歌劇団

東京宝塚劇場(東京都)

2012/10/19 (金) ~ 2012/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

銀河
やはり以前から思っていたのだけど、
銀河英雄列伝と宝塚は合うな・・(笑

ちなみに一緒に星の王子様のやつも観たお袋によると、
服装的に前回の飛行士姿のほうが好きなので
そちらの方が評価が高めとのことでした。

確かに今回みたいな服装で街歩けないな。
それに女性も男性的な軍服が多かったのも、
評価が分かれるところだった(笑

評価は人それぞれ。

【終演しました!】母をたずねて三人で

【終演しました!】母をたずねて三人で

ふつつかもの

王子小劇場(東京都)

2012/11/01 (木) ~ 2012/11/04 (日)公演終了

満足度★★★

自分は逆に前半が面白く、後半が良く分からなかったような・・
東大とかというと、役者の人がいろいろ考えるせいか、
みんなとても器用で、なんか変わった人(俺が言うなよ
といった印象が・・。

今回もそうだった。

一人ひとりが凄く器用。
独特の味もあって。

ネタバレBOX

ただ、一人ひとりが非常に器用にそれぞれの役をやりぬいた結果、
最後のぼんやりとした結論?にぼんやりとなだれ込む、
というのは、演技の器用さに比べれば
ちょっとキレに欠けるかなぁ・・(実はこのような舞台は、都内の割と偏差値の高めの高校で(自分は)よく見かけた(汗

もっとキャッチーだったり、身体能力を生かしてたり・・
頭で考えるより飛び跳ねて勢いのある作品を観たいな・・。

・・あ、鉄道ネタはとても好きです。
鉄道旅行とか好きなんで(笑

どうせだったら、もっと電車のセットとかを作り込んで、
温泉やら駅弁やら紅葉やらを車窓から楽しんだりというのを本気でやってくれたら・・(観てると結構鉄道好きそうだもんなぁ・・
逆にまったりめでも相当気に行ったかも(笑

それでさらに時代設定を明治とか大正でとかにして、
いろんな歴史・事件と絡めてみれば・・
結構観客をひきつけると思うんだけどな・・。

わざわざ現代の、母親探しというありふれた題材にしなければ、
小道具や演技の器用さを見ていると
なんかもっと全然ドラマチックな作品にできたんじゃないかと思うだけに・・惜しいなぁ・・。
隣人ジミーの不在

隣人ジミーの不在

岡崎藝術座

あうるすぽっと(東京都)

2012/11/02 (金) ~ 2012/11/06 (火)公演終了

満足度★★★★★

勝手に解釈するが吉・・?
気付いたら何故か何回か観ていて、
自分も(勝手な)見方が分かってきたような気がする。

まず、この岡崎藝術座の舞台、
他の人はどう思うか分からないが
自分はとてもコミカルだと思う。

・・なんかよく分からないけど、どことなく不思議だ。

今回は、ほんのちょっと・・-・・だけ、似た感じの舞台を最近京都で(飴玉エレナの短編のひとつ)観たばかりだったので、
非常に特異な物語を観たという印象も無く、
一部凄く分かりやすいパートを得た気分にもなったので(苦笑
それ以外の大部分が分からなくても
何となくわかったような気になってみたりしたものであった(しみじみ・・

ネタバレBOX

この舞台、当日パンフにも載っているけど、
キリストの受胎をモチーフにしている。

それを、岡崎藝術座ではおなじみのテーマ「混血児」と絡めているので、
余計に分かり易く感じられた。
(もちろん作者の意図と全く同じとは限らず、自分で勝手に分かった気になっていただけだが

ちょっと考えれば、物語の中で、
近所に全く黒人がいないのに、夫婦に黒人の子供が生まれるということ自体、
よく考えれば宗教的な設定のはずだ。

ただ、それが黒人であるため、
夫婦にも観客にも全くそれが伝ってこない。
(そもそもキリストは白人ではないようだし黒人?の可能性もある

「飴玉エレナ」では、種無しの夫に浮気の可能性の無いらしい奥さんとの間に生まれた子供(岡崎と同じ設定!)が軽く奇跡を起こしまくるというのをとてもコミカルに描いていたのだが、
そのことを思い出しながら、ひょっとしたら生まれたその黒人の子供が
今頃は神さまになって奇跡を起こしまくってるのかもしれないというのに(笑
そのことにまったく気付かない父親は、
沖縄の国際通りで保険の調査会社の人に
万引きされたiPone24S(だっけ?)の被害状況を子細に報告するうちに
何の落ちもない無い落語(これは辛い(苦笑
に30人くらいの外国人?と一緒に観劇に巻き込まれて
話が終わっていくというフシギなエンディング(笑

これは教会の説教をパロっているのだろうか?
息子が本土か韓国?で教祖になっていることを暗示しているんだろうか?

『聖☆おにいさん』のように立川でアパートをシェアしながら暮らす
クロマティ(神?)のお父さんが、
こんな風にダメダメな感じで、失業して国際通りをうろつきながら
iPone24Sを盗難されていたら・・?
切なくなるねェ(苦笑
・・寒ぐねぇが・・・?

思わず、何弁かもわからない言葉が咄嗟に口を出て心配してしまいそうだ(涙

・・まぁ、自分の解釈の仕方があっているのか全く分からないが、
岡崎藝術座の、ゆるふわで(ここ重要
なんかメッセージっぽいものあるっぽいんだけど、
それがいつも観客に全く伝わってないっぽくて、
でもなんかよく考えると際どい題材が取り上げられてる雰囲気があるというのは、
なかなか特殊で面白いのではないかと思ったり。
アミール・レザ・コヘスタニ [イラン]『1月8日、君はどこにいたのか?』

アミール・レザ・コヘスタニ [イラン]『1月8日、君はどこにいたのか?』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2012/11/02 (金) ~ 2012/11/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

洗練と検閲
何より、素晴らしく洗練された舞台だった。

11/4追記
アミール氏はシーラーズの出身だったのか・・。
それでハーフィズの話が講義で出てきたんだと、最後になって納得(笑
シーラーズはサァディーの出身地でもあるし。
どんな所なんだろうか・・(19世紀の旅行記じゃたいしたことないところみたいだけど(苦笑

ネタバレBOX

キアロスタミなどのイラン映画に見られる、
シンプルだが非常に洗練された手法で人生の滋味を感じさせてくれるのと似たやり方で、
監視社会のなか、
現代的な技術である携帯電話やビデオカメラによって
分断され、脅迫され、お互いを欺き合い利用されつつ、
(言葉の)暴力的な様相を際立たせていく
テヘランの若者たちをクールに切り取っていく。

最早、自分がイランや台湾などの映画を通してみた、
人間味溢れる表情豊かな人々という世界は、消え去ってしまったのかもしれない。

携帯電話などの普及によって
相手の顔を見ずに平気で嘘を言えるということ。

ビデオカメラによって
前の交際相手の人生を簡単に破滅させる力を手にすること。

それらは、現代的な技術によってもたらされたものだが、
同じように更に昔、西洋によってもたらされた銃のように、
ある種の力を持って
イランに生きる人たちの人生を別の形で変えつつある。

日本でほんの少し前に起こったのと同じような社会の変化が、
イランでは現在進行形で生み出されている。

ひょっとしたら、
かつては日本映画などの中にあったある種の洗練、
近代以前の日本文化にあったと思われる均整とでもいうべきものの残り香、
それに似たものがイラン映画の中にもあったような気がするのだけれど、
その最後のペルシャ文化の光芒を今、自分は目にしているのではないかという気がしていた。

ペルシャ人にとって、
検閲というのはさほど問題ではないように見える。

考えてみれば、
サァディーの「薔薇園」の時代から、
王様の機嫌を取りながら社会を風刺する美しい詩を吟じる話など、後を絶たない。

英国人や日本人に比べれば、
どうやら遥かにそれらの検閲を見透かす術に長けたペルシャ人を観客にもったイランの作家たちは、
検閲を逆手にとって、
見た目の刺激に流されることを免れながら、
裏に多くの意味を含んだままシンプルだが力強い作品の制作に専念できているようで、
それは一見、検閲から免れて自由を謳歌しているように見える西洋や日本にくらべ、
遥かに自由な創作環境を得ているようにも感じられる。

たぶん、
イランの作家たちにとって、
創作の本当の危機というのは検閲などではなく、
携帯などのコミュニケーション技術の発達によって、
人間が依然持っていた表情の変化を失い、
代わりに声だけで嘘をつくときにみせる
探るような表情が顔に張り付いて、
他の表情が欠伸の出るような、詰まらない、味もそっけもないものになることなんじゃないかという気がする。
(嘘をよくついている人というのは大抵シケた顔をしている気がする。
それは、シケた顔をした人が皆嘘つきという意味では勿論ないけれど、
嘘つきの人はどんどん自分の顔をつまらなくさせているのだと気づいてほしいなぁ・・

もし検閲というのが文化の芽をつむものなのだとしたら、
ペルシャや中国などでの、当時の日本からしたら目もくらむばかりの
眩い文化というのは説明がつかない。

一見、自由を謳歌しているようにも見える日本だが、
良く考えてみれば、メディアにはスポンサーになったグローバルな企業群が好む
パッケージ化された情報が垂れ流されている。

みんな(男も女も)、AKBみたく自分もうまくパッケージ化されようと、
特に若い人ほど必死になっているように見えるんだけど、
それこそが生きづらさの根源で、
まぁ、上手くパッケージ化されたフリをするのは別に人生の余興程度にとどめて、
もっと大事なことは別にあることにもっと気づいてほしいなぁ、
と、特に若い男子について思う。
(女子はみんなそんなことにはとっくに気づいているのでクールだろうけど(笑
バラバラ姉妹に憐れみを

バラバラ姉妹に憐れみを

水素74%

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/10/31 (水) ~ 2012/11/07 (水)公演終了

満足度★★★★★

なるほど
一見、ストレートな舞台のようで、
どんどん雰囲気が変わっていくあたり。
70分にその流れをきっちりまとめてくるあたり。
非常に素晴らしい。

これは登場人物たちのダメっぷりがそのまま作品の評価につながらない
良い例のような気がする。

シンプルで、ちょいゲージュツで、寂しさと、ちょっとした優しさがあって。

「東京っぽい」というと語弊があるのかもしれないけれど、
自分が最近ようやく認識しつつある漠然とした東京っぽさを体現しているような気もする。

これが春風舎でなくて中心地のアゴラに投下されるあたり、
しかも週末を挟んで1週間近くで上演されるあたり、
アゴラの方向性が水素に向かっていることを示しているような・・。

ネタバレBOX

登場人物はみんなバラバラ。

言ってることがくるくる変わり、よく殴られる女性。

その女性のことなんかちーとも見てないのに、
自分のことだけは見てろ、全面肯定しろと言って殴る小太り氏。

何も信じてないのに、どこかに真実の愛的なものがある気がして内心少し焦っているっぽい?女性。

女ににりたい、というよりかは、男のままでいたくない男。

逃げた男の子供を引き取りながら、育児放棄をしてるような女性

これらの表現が適切かは分からないが、
登場するのは、なんだかこんな感じの、
ダメな感じの男女。

しかもお互い会話がまったく噛み合わず、
お互いに自分の思い込みを押し付け合っては、
結局は誰の言うことも理解しているようには見えない。

なんだかなー、と、思って見ていると、
最後でそれぞれがひとつにつながってくる。

それは、たぶんみんなの死んだ(殴り殺されたと思われる)
母親の想い出みたいだ。

お互いの対話が全くかみ合っていないのにも関わらず、
どうやら、母親への愛憎っぽい感情で、
この子たちの心は実は一つに結びついているみたいだ。

生きている人間同士では決して分かり合うことはなく、
ただお互いに孤独なままに、
死んだ母親の想い出に、想像の世界の中で癒されいていく様は
非常に寂しく見える。

そういえば、きのうお袋とニュースを見ていたら、
息子をエレベータの事故で失った母親が、
それ以後ずっとエレベータを使えないで階段を使いながら、
こどものことを忘れないでいる場面があった。

水素のハナシは、それの逆バージョンだ。

きっと、その息子は、そんな特別な子じゃなかったんじゃないかな。

クラスにいたとしても、クラスメートとしてどれだけ印象に残っていたか。

でも、その母親にとっては特別で、
そのニュースを見るお袋の目は、
そんなことは母親にとっては当たり前のことで、
死んでもいつまでも忘れないのは当然であるかのようだった。

それが親子逆だったとしたら・・
このわりとハードな現代社会で、
そんなんで子が生きていけんのかね、と、思ったりもするが、
この作品で描いているのは、まさにそこだった。

恋人に暴力をふるっていた小太り氏は、
シューマイにグリーンピースをのせるためだけに生きる、
何も考えないマシーンになってでも生きていくため、
殴り殺された想い出の母親に、
自分が言ってほしい言葉をしゃべらせることで、
命をつないでいくようである。

ふと思う。

母親との思い出がなかったら、この子たち、もうとっくに死んでたかもしれないな。

母親は死んだかもしれないけど、
この子たちの中に生きてるから、
子供たちも、自分の中の母親を消さないために、
苦しくても生きて行こうとするのかもしれない。

母親は死んじゃったけど、どうもこの子たちをしっかりと支えてくれてるみたいだぜ、と気付いたら、どうもそんな悪い話じゃないな、と、ふと気づいた(笑
アンドロイド版『三人姉妹』

アンドロイド版『三人姉妹』

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2012/10/20 (土) ~ 2012/11/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

ちょっとトラブル?もあったようだけど・・
自分も最初出たときは『をっ!?』
と思ったけど、すぐ慣れてしまった。

アンドロイドが有りか無しかと言われたら、
別にあっても特に違和感は無かった(登場することに対して)し、
逆に非常に巧く、考えられて使っていたように思う。

ジエン社×アシモフな三人姉妹?

これでもっと人間じみてくれば、人手が足りない地方の劇団なんかにはありがたいんでないかと思ったり。

ネタバレBOX

それにしても風変りな登場人物ばかりだった。

ロボットの方が逆に人間臭く感じるくらいだったけど、
どうもそれが作者たちの狙いなんではないのかと、
最後のほうで思った。

それと、断片的ではあるのだけど、
暗く描かれている未来の社会情勢がなかなか見応えがあるようにも思った。

今現在は、無人のステルス戦闘機など、
戦争の無人化が進みつつあるようにも思われたりもするのだけど、
教師までロボットがやるようになる未来では、
就職先が軍隊くらいしか無いようにも見えた描写は
なかなか面白いとも思ったり。

・・そうだよな、SFじゃないけど、
なんでもロボットが出来るようになったら、
戦争までロボットに任せたてたら
いつ寝首をかかれるか分からないから、
最後に人間に残された仕事の聖域は戦争だけなのかもしれないな、
とも、ふと思ったり。

ロボットはお互いを壊し合わず、
人間だけが、人口調整のためとか金持ちの娯楽のため、
洗脳され、憎しみ合わされて、お互いに殺し合う未来・・・とか?
COSMOS

COSMOS

空∞羽

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2012/10/26 (金) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

力作
この週は東京でも観たい公演もあって(リンクス含む
関西でも観たかった公演で行けなかったものがいくつもあって
本当に観る公演を選ぶことが苦しかった。
(・・ほんの1週間前まではまさか自分がASA-CHANGやスクエアやピンク地底人を外すとは思わなかった。この選択は、結局、前作など直近で自分が観た所は外す、という基準だったので余計に苦しかった。つまりそれだけどこも甲乙つけがたいと想像できた。

そんな中で観れた関西の公演は、正直、そのどれもがとても素晴らしかった。

かといって観れなかった公演が、自分が観ることにした劇団などに比べて劣っているとは全く思っていない。

ただ、自分が目の当たりにした人々は、その誰もが非常に前向きで
熱意にあふれていたということは確実に言える。

そのため観劇後に、☆3つとか4つつかの中途半端な評価が
自分の中には全く思いつかなかった。

そもそも、東京以外で公演するだけでも
(集客の面などで)大変なのに、
さらにその上、東京でも観たことが無い作品を上演している、
というだけで、
どこもどれだけ純粋な情熱に基づいた公演なのか、というのが分かるように思う。
(今回関西で観た舞台はどれも東京で観た記憶のない種類だと思う

それを観るだけでも、十分に関西に来る価値はあるように思う。

(あとでもう少し書き足せれば・・(汗

TOMATO

TOMATO

--

京都人間座スタジオ、同志社大学寒梅館クローバーホール、ZAZAPOCKET´S(京都府)

2012/10/25 (木) ~ 2012/10/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

実は力作
一人芝居なので軽めかと思いきや、
まさかの一人二時間弱公演・・最近関西の一人芝居凄いね(汗

公演に行く前に軽くアンデパンダンで
サーモンとクリームチーズのバケットサンドを食べたからかな?
(多分エレナのチラシを初めて見つけたのもここの店なんじゃないかな・・
ちょうど一週間前にボロフェスタが終わったばかりで、
音楽好きな人たちがみんなやり遂げた、見遂げた充実感が店内(≒街)にあふれている気がして
(こういうの敏感なので良いお祭りだったんだなとすぐ気づいてしまう自分が憎い(苦笑
その満ち足りた雰囲気とサーモンとクリームチーズの味覚とが、
この公演の雰囲気とぴったり合っているようにも思えて(笑
自分にはとても素敵な公演であったように思えた
(他の街だとこんなことはまずないんだけど、
京都の場合、街がコンパクトなのと、
季節感を中心に全てが回っているようにも見え、
舞台に向かう途中のいくつかが相乗効果を与えて、
舞台をより楽しませてくれることが非常に多いように思う

京都の場合、ユリイカがetwで公演をやったりして、
特定のカフェの雰囲気と舞台のイメージが一致すると
自分にも印象深い公演になることが多いのだけれど、
エレナの場合、自分にとってはそれは今のところアンデパンダンだった
(会場は違うけれど

エレナがアンデパンダンをイメージしてるのかは分からないけど、
少なくとも自分の中でそれは一致した。

ユリイカを経て分かったのだけれど、
こういう場合、あまり作品の内容について細かく言う必要は無いように思う。

ただ、自分の知っているお気に入りの場所に流れているのと同じ雰囲気が
舞台の上にもあるように感じた。

それだけで十分なのかな、と。

もう少ししてまた観たら、舞台の内容をもう少し掘り下げてみようかと・・。

ジャム瓶

ジャム瓶

西村朋恵プロデュース・こまち日和

FOLK old book store(大阪府)

2012/10/25 (木) ~ 2012/10/31 (水)公演終了

満足度★★★★★

大阪の舞台というと・・
お笑いなんかの影響か、コテコテ?なものを連想しがちなような気もするけど、
最近気づいたのだけれど、
ちいさなカフェ公演とか、
一見ちょっと軽めの作品に凄く良いものが多いように思う。

そして、それらの作品というのが、
作品を発表する会場の雰囲気とかと密接なつながりがあるようにも見え、
東京に完全に同じ形で持ってくることはほとんど不可能なのが感じられて
また、余計に残念な気もしたり。

ネタバレBOX

この会場も、開演前に何気なく地下室のトイレに行ったら、
裏の川べりの景色がフシギな高さで
その地下室の窓から目に入ってきて、
なんだか秘密基地を地下に抱えた不思議なカフェの面持ちで自分も舞台に向き合えたから(笑
公演中に会場のあちこちから鳴り響く効果音や演奏、
それに途中で上映される絵本めいたアニメーション、
そしてチャーハン・ラモーン氏の、
名前が中華風の割に
恐ろしく洒落た台詞のいくつか(笑
に胸を躍らせる準備はもうできていた(笑

・・・あと、自分がときめいたもの(苦笑
にもうひとつ足すとするならば、
おなかぺこぺこになってる子供のプライドを傷つけないように細心の注意を払いながら、
気付いたら子供がいつの間にかパンを食べているという魔法
(石をパンに変えられる魔法には別に憧れないけれど、
子供の心を見通せる優しさと想像力には憧れる(笑
を使えるおじさんの死というロマンティック?な展開かな(秋らしく

劇中には、メッセージというか、重そうな何かは特に無いのだけれど、
河にふく秋風に気付けば吹き飛ばされそうな(笑
軽いスノビズムとしっとりとしたセンチメンタリズムとでも言えばいいのかな・・?

それらが、とてもスマートに、オモチャみたいな遊び心と溶け合って、
カラフルな模様を描いていた。

前日(金曜)観た隕石少年などもそうなのだけれど、
東京の公演の場合、もう少しアートっぽくなるところが、
大阪だと遊び心がもう少し前に出る感じと言うのか。

どちらが優れているとかではなく、
全く別の雰囲気があって、
自分は両方とても好きです。
アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』

アールパード・シリング [ハンガリー]『女司祭―危機三部作・第三部』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2012/10/27 (土) ~ 2012/10/30 (火)公演終了

満足度★★★★★

そんなに難しく考える必要は
無いのかもしれない。

会場で売っていたパンフに載っていた、
舞台に参加した子供たちの言葉を見ながら、そう思った。

トランシルヴァニアの話は、
ジプシー音楽なんかに興味があることもあって、
何年か前からたびたびあちこちに聴きに行っている。

最初は、「トランシルヴァニア」なんて聞くと、夢のような所なんじゃないかと思っていた。

別にそれは昔も今もそんなに変わっていないのかもしれない。

夢のように恵まれた土地もあるかと思えば、
山を少し隔てたところでは、そうでないところもある。

ネタバレBOX

特に、最近のグローバリズムとでも言うのか、
経済の混乱状況の中では、
そうしたしわ寄せがジプシー(ロマ)の人たちの住む山間の村に大きく行ってしまい、
夏の間は割合に食糧に恵まれていても、冬に飢餓状態になって殺し合いになって、
白い雪に赤い血が飛び散っているところもあった、などと聞くと、
東ヨーロッパのそういった村のすべてがそうとは限らないまでも、
かつて自分が抱いていた「貧しくとも歌声の溢れるのどかな山村」
という、日本では非現実的に見えても、ヨーロッパでは実現しそうな(勝手な)イメージとは、
大きく隔たってしまっているのではないかと思ったりもした。

子供たちの出身の村のことは詳しくは知らないが、
自分の体験に似通ったという話をある子供が語るとき、
近くで悲しそうに目を伏せる別の子どもの姿を認め、
映像で見る美しい村の冬を自分なりに想像してみる。

子供たちに自分の力で考えることを教える女優が正しいのか、
神を信じて、理想的な共同体の一員を目指すことを教える牧師が正しいのか、
作品の中では見えない。

子供たちを残してきたことを悔やむ女優の姿も、
トランシルヴァニアに比べればはるかに恵まれて見える
ブダペストの雑踏の映像を後ろにしては、
説得力が無さすぎる。

あの村の冬は、
コミュニティの存在を心の支えにして耐えられるほどのものなのだろうか?

失業などによって、
子供たちの家庭が次々と崩壊しているように見える中で、
演技を教えることがどんな救いになるんだろうか?

色んな考えが頭の中をよぎる。

あの女優のしたことはただの自己満足なんじゃないか?

牧師や体育教師の言うことが正しいのではないか?

そんな(現実社会と同様の(苦笑))混乱のなか、終演後に
公演のパンフの中に、
子供たちの驚くほどに前向きなコメントを見つけ、
ようやく気づけた気がする。

・・・暗闇の中に光を見つける、というのはこういうことなのかもしれない(苦笑

大人が「これが正しい」と言って、子供たちに結論を押し付けること。
これが一番無意味なのかな、と思う。

同時に、大人の考える仕組みを、子供たちにムリに押し付けて、
子供たちの可能性を潰すべきではないようにも思う。

子供たちの言葉を見る限り、
子供たちは、この公演に登場するどの大人より、
また、ほとんどすべての大人より、
賢明であるように感じられる(もちろん自分より(苦笑

子供たちは直感により近く、生命力により溢れている。

情報を与えすぎて混乱する心配は杞憂だと思う。

例え失敗したとしても、彼らは大人よりずっと早く立ち直るだろう。

父親を早くに亡くした子供も、
こうして舞台を他の子供たちと一緒に作り上げることによって、
世界の人びとからより多くを吸収するに違いないと思う。

クレタクールにとっての何よりの成功は、
自分たちが世界的な評価を得ることではなく、
この子供たちが自分たちの力で舞台に立ち続けることによって、
美しいが貧しいあるひとつの村で作り上げたものを世界にもたらして拍手を得、
成長(という言い方が適当なのかは分からないけれど
していくことなのではないかとも思う。

ただ一つ、何か自分も建設的な質問をして、
彼らの成長に加われなかったことが悔やまれる(苦笑

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