テロルとそのほか 公演情報 工場の出口「テロルとそのほか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    もう少し緩急があった方が・・
    良いのかな、と思う。

    それぞれの独白の中には、いくらでも突っ込むところがある。

    それ(どんな意見にでも突っ込みどころがあること)は当たり前かもしれないし、
    もう少し考え抜いた末の精華を観たかったかもな、という気もしたりした。

    ひとつ言うなら、「教育」について。

    いつも思うのだが、子供は常に大人より賢明だと思う。

    うわべだけの言葉はすぐに見抜かれる。

    愛情の無い姿勢は見透かされる。

    別に誰に教わるでもなく、皮膚で感じるのだと思う。

    何かを子どもに伝えるということは非常に難しいと思う。

    思い出してみれば、子どもの頃に先生から何かを学んだことは無かった。

    ふだん小学校ではわざと100点を取らずに先生たちの様子を観察し、
    中学受験が終わってから先生の態度がかわるのを見て、
    この程度の人たちが先生をしているのかと失望したことがあった。

    先生(大人)の態度の微妙な変化は直ちに子供たちに伝わる。

    多少成績が悪くてもそれぞれの良いところを見抜かなければならない。

    うわべに関係なく大人同士であっても、お互いに内面を尊重しあえるなら、
    子供たちはそれを見て学習する。
    (自分は先生たちを反面教師にして学習した。成績の悪い子どもの方が良い子よりはるかに個性的であることが多いにも関わらず、先生(大人)たちの態度のせいなのか、自分に対して自信が無いように見えたのが、そのころから自分には不思議だった

    子どもは勉強からではなく、
    周りの大人の人生に対する姿勢から影響を受けると思う。
    (そうであるのが幸せだと思う。無理なら本から大昔の人の言葉を抜き出すしかないが

    子供たちの心に感銘を与えるのに教師である必要は全くない
    (素晴らしい教師は、教師にならなくとも、その生きる姿勢で
    多くの子供たちにむしろ教師になる以上に
    大きな影響を与えたのではないかと思ったりもする

    ねじ職人だって何だって関係無いと思うし、
    多くの人が、教師よりも自分たちの生きる姿勢によって子供たちが育まれていくのだと
    信じる社会の方が健康的だと思う。

    お金が無くても人生を楽しみ、一つ一つの物事を大切にし、
    子どもたちの元気な姿を見るのが何よりも楽しみであるように
    大人たちが振る舞えば、
    子どもたちは勝手に自由に育つと思う。

    道を踏み外す子もいるかもしれないが(また戻ってこれる社会であればなお良い
    全ての人が仲良く暮らせるように
    何か発明をして貢献したいと思う子たちも大勢出てくると思う。

    子どもたちの心に芽を植えるために教師になるという選択は悪くは無いけれど、
    演劇作品としてはそれだと教師以外になった人たちには
    少し閉じた気がしてしまうのではないかと思われるので(自分にとっては
    こうした方が良いのかな、という気がちょっとした。


    そのようなちょっとした感覚がそれぞれに対してあったのだけれど、
    ここでは教育に対してだけちょっと書いてみた(苦笑

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    2012/12/11 22:38

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