ピンク地底人
採点【ピンク地底人】
★★★謎のありか。

舞台上には三つのベッド。そこには意識不明に陥った男女が眠っている。それぞれの病室を訪れる者はみな、起きるはずのない彼らが覚醒したと証言する。ベッドの脇で掘り起こされる記憶、取り返しのつかない出来事、すれ違い……。

シンプルなセットの中で、効果音(これも俳優たちが担当)を巧みに使いながら、現実と幻想、過去と現在を、台詞や演技のみで、切り替えていく様子には心地よささえ感じました。また、「連続変死事件」を絡めたサスペンス的な設定には、どこか平坦で得体の知れないものになってしまったこの世界への違和感、不安感がよく現れてもいました。

終幕に至るまでの人間関係、一人ひとりの心情については、ややカンタンめに収まってしまった感もあり、せりふも演技ももっともっと謎めいていてもよいのではないかという気もしました。やはり、いちばん恐ろしく、魅力的なのは、人間そのものと、人間関係の中に横たわる「謎」でしょうし。簡単なことではありませんが「オチ」を急がず、「謎」に向き合い、ますます色っぽさを増していってほしいなと、期待しています。

★★★若者のナイーブな不安と悲しみ

 意識が戻らない病人たちがそれぞれのベッドに横たわる中、殺人事件の犯人探しが始まります。取調室での嘘の自白、次々と増える意識不明の病人など、サスペンス・タッチで進む複数の物語には、夢の中の邂逅といったSF要素もシームレスに組み入れられていました。

 物語上で起こる物音を擬音語、擬態語などを使った人の声で表現するのが劇団の持ち味で、俳優は舞台上下(かみしも)の端にいながら、声を使って効果音の役割を果たしていました。淡々と存在しているのがいいですね。騒音だけでなく街にあふれる言葉も混ぜ合わさるのが面白かったです。

 劇場の壁をそのまま使ったブラックボックスで、道具や衣裳の色を白、黒、赤等に絞り、統一感のあるシャープな空間にしていました。黒く塗った椅子やテーブルに白い線で縁取りをしているのが良かったです。白線に注目すると空洞をはらんだ骨組が浮かび上がり、捕らえ所のない空疎さや満たされない心などの抽象的な表現にもなっていたように思います。

★★★★★研ぎ澄まされた演劇

シーンのひとつひとつが緻密で、計算されつくしたものを感じる。その象徴は役者が発する効果音。効果音を役者の声で行うという作品には過去何団体かで体験しているが、ピンク地底人ほど洗練されたものはなかった。それらが作品に不思議な緊張感を見事に生み出す。

この緊張感と狂気をはらんだ空気感がピンク地底人の持ち味。「研ぎ澄まされた」という言葉が本当の意味でぴったりくる作品だった。

★★★擬音だけの作品も観てみたい

このフェスティバルへの応募文章とチラシの文言を読んでから拝見したら、ストーリーが全然違っていて少し戸惑いました。
携帯電話がいつ出てくるんだろうと待っていたんですが、最後まで出てこなかったですね(笑)。
チラシのビジュアルから受ける印象と、作品の内容もかなり違いました。

SFっぽい少し不思議なストーリーは、イキウメに似てるな~と思いました。
(後で気づいたのですが、イキウメの『散歩する侵略者』を上演されてますね!)
効果音を役者さんの声で表現するのが面白かったです。漂う雰囲気が独特で、登場人物たちのぎこちない会話にも味わいがありました。

作・演出のピンク地底人3号さんは、戯曲で会話を書くことが初めてだったと伺いました。
今までの戯曲は擬音とト書きだけだったそうで、とても興味深いです。
擬音だけの作品も観てみたいと思いました。

★★「雰囲気=世界観」では物足りない

前回の東京公演『明日を落としても』でも採用されていた、俳優たちの発声によって環境音をつくる手法は、今回はメトロノームのように一定のリズムを刻んでいくのだが、残念ながらそれはわたしには眠気を誘う効果しかもたらしてくれなかった。低い唸り声のようなものがずっと鳴っているシーンにしても、いったい何の意図があったのか。停滞したムードしか感じさせない。ある種の暗い世界を描きたかったのだとしても、これではまるで生気を失ったゾンビの世界ではないだろうか(そしてそのゾンビ性が、何か批評的な視座によって導き出されたものだとも感じられない)。

そもそも台本がまずよろしくないと思う。「イスラエルとパレスチナ」など、歴史、復讐、赦し……などなどのよくある話が語られるのだが、結局こういった紋切り型を振りまいてみても、何かを考えている「かのふうな」ポーズにしか感じられない。またそれらの話が、この物語のメインとなる事件とどう繋がるのかも今ひとつ見えてこない。

演劇ではしばしば、なんとなくの雰囲気が「世界観」と呼ばれてしまうことがある。「この世界観が好き/嫌い」という言い方は確かに感想としては言いやすいものだし、この『ココロに花を』にはその意味では「世界観」があったけど、そこから何かがひろがっていく感触は得られなかった。

役者の演技も単調だった。もちろんそれは演出のせいでもある。リアリズムの会話で押すところにしても、空想的なシーンにしても、もっと発話の方法や舞台での居方を練り上げていく必要を感じます。例えば単純な話、やっぱり女性の板挟みになる男には、ああ、この人なら確かにモテるわ、しゃーない、というくらいの説得力が欲しい。

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