最新の観てきた!クチコミ一覧

181-200件 / 185817件中
春のお花見桃祭り

春のお花見桃祭り

桃尻犬

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「友達たち」 
「友達に戻れたことなんてない」 
「披露宴」 
 
リアルが立ち上がり、細波がたつが、それでも人生は続いていく。
作り込んでいないかのように、さらりと、流れるように作り込んである。
わずかな重さはあり、しっかり手応えを感じるが、重すぎない。
ドラマでは、この加減がとても難しいが、
笑いを交えながら軽やかに越えていく作風は花見の公演に相応しく、とても心地よい。
演技力も見事の一言。人間っていいな、と思わせる力は本物で文学そのもの。
昼なのでソフトドリンクにしたが、
とってもビールが飲みたくなった。これも、計算されたリアル。
久々にモーパッサンの短編が読みたくなって、新潮文庫を買って帰った。

ふりむかないで

ふりむかないで

ゆめいろちょうちょ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2025/03/15 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

#ゆめいろちょうちょ
#舞台ふりむかないで
恋愛 いや不倫狂騒といった告白劇。フライヤーからも分かるが、1人の男性を囲んで7人の女性が寄り添っている? 少しネタバレするが、この男性は既婚者で多くの女性と…実はこの7人以外に一夜を共にした女性が何人もいるが、その人数は覚えていない。以前、言葉狩りで「不倫は文化だ」といった言葉(噂)が一人歩きしたが、今の時代はその風評が命取り。

さて、妻への嘘があっても不倫している女性には いつも真(誠)実。結婚したら もう恋愛は出来ないのか。人を好きになることは美しいはずなのに、それが罪になってしまうのが現実。ここに登場する男性と女性の関係は不適切だが、一方 妻は…。不倫となる一線とは、そして不倫相手になった女性の言い分と一線を越えるようになった状況とは を男性の語りを中心に展開していく。その告白を強要(余儀なく)される状況が面白可笑しい。

人と人、特に 男と女の出会いは運命的で、そのタイミングが重要だ。タイミングとは結婚しているか否か、独身ならば許されることも既婚となれば卑猥で不道徳となる。恋愛はまさに天国になるのか地獄への始まりなのか。一人ひとりとの出会いと別れを描きながら、恋愛という甘美な潤いと辛苦な渇きを上手く描いている。

同時に 女性の側が男性と親密になる、その現実味ある状況(年齢・職業や手練手管など)を巧みに設定しているところが妙。この会場(パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』)をリアルな修羅場/愁嘆場として覗き見るような感覚。公演は8人の確かな演技とバランスの良さ、そして生演奏が効果的・印象的だ。他人の不幸は蜜の味というが、この男性が味わう ラストが実に…。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間15分 休憩なし) 3.24追記

ネタバレBOX

舞台美術は、この会場にあるBARカウンターそのものを使用し、セットとしてあるのは壁際に椅子7つ。そして高価そうな1つは、睥睨するような感じで別場所に置かれている。ほぼ素舞台で、中央は大きなスペースを確保している。

登場人物は、真瀬温と史緒里 夫妻と 夫の浮気相手6人。妻に浮気がバレて、この店で問い詰められるところから始まる。当事者が一堂に会し、夫の温が告白するような一人語りで進む。どのようにして出会ったのか 回想するように説明していく。そして何故浮気をするようになったのか。
まず BARで働いている女 棚田穂波から誘惑される。以降、職場の独身先輩 利重牧子、会社近くの食堂のバイト 川東菜穂、就活中の大学生 古沢啓代、キャバクラ嬢 市井佐希、そして出会い系サイトで知り合った主婦 片寄純香 と様々な女性と肉体関係を持つ。妻は仕事が忙しくセックスレス状態、今は子供がほしくない。この悶々とした気持ち、その憂さを晴らすことが浮気の遠因。その心底には自分(夫)を見てくれないといった不満/真情が隠されている。 

この2人(夫婦)は 高校時代の同級生、久しぶりの同窓会で出会い 付き合いだして半年で結婚。そして今 新婚2年目。妻が浮気相手を調べ上げ 夫を追い詰めるが、その激怒ぶりが心底怖い。妻 史緒里を演じるのが主宰の神崎ゆい さん、やはり演技は上手い。実は史緒里は職場の上司を慕っている。仕事の遣り甲斐は、上司に認めてほしい そんな気持ちを秘めている。浮気とは、肉体関係という一線を越えたら、それとも心が夫以外に ときめいたら…。刷り込みのある、妻は上半身で考え、夫は下半身で行動するといった 女と男の本性/本能を浮き彫りにするようだ。

会場を上手く使い 臨場感ある場面を紡ぐ。至近距離にあるアクティングスペース、そこで浮気現場を濃密に描き出す。その場景は、甘美というよりは滑稽といった笑いを誘うもの。狼狽え、言い訳、謝罪の言葉(台詞)が何故か面白く思えてしまう。同じ浮気でも映画「黒い十人の女」のようなサスペンス?ものではなく、どちらかと言えばコメディ。
夫婦喧嘩と浮気相手への対応、その奇妙な光景を間近から覗き見る可笑しみ。色々(下世話)な場景を印象深くさせるギターの生演奏、実に効果的で良かった。
次回公演も楽しみにしております。
ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

あまい洋々

王子小劇場(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2025/03/13 (木) 19:00

価格3,800円

noteの感想にも書いたが、鬼気迫るリアリティが断片的にセリフなどに出てくるが、その間のつながりに違和感を感じてしまう。
「タイポグリセミア現象」のようにとりあえず筋が通っていれば一応物語として成立するし、そもそも違和感のない演劇なんてあるのか?と言われれば全くその通りだし、気にしたら負けといえばそうなのだが、この「違和感」をわざと現出させている可能性もあるので、何とも言えない。
あの物語上のアイドルの歌唱とパフォーマンスははたして必要だったのか?印象としては「これって必要なの?」と思わせることが狙い、とも思えなくもない。少なくとも「虚構」の物語であることを強調する効果は確かにあった。

『フォルモサ ! 』

『フォルモサ ! 』

Pカンパニー

吉祥寺シアター(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

日本統治時代の台湾の植民地経営が素材である。先にノモンハンを旧新劇の東演が上演していたが、この時代の日本が行った対植民地経営には知られていないことも多い。
今は形を変えているが、帝国主義全盛の時代には世界中で頻発していた事件が素材である。日清戦争で奪った台湾の経営は日本の初めての外地領土経営で、それ以前の中国時代の政権も手がつけられなかった先住民との対立に手を焼く。ドラマは台北からも離れた出先機関の一室が舞台、登場人物は植民地経営の科学的アプローチを求められた人類学者と、経営を司るべく送り込まれた官僚とその家族。原住民の宣撫対策を廻っての対立が、辺地出先機関の二重性を暴露し、関係家族を巻き込んでいく。最近はあまり観ない構造だが、観ている内にこれは「火山灰地」(久保栄)が元ネタだな、ト読めた。
内容は全く違うが、人物配置や進行、テーマが最後に明確にと見えてくるところなど。旧新劇のスタイルを懐かしく思いだした。上演したpカンパニーも、もとは木山事務所が原型だから納得した。木山事務所は新劇外縁の独特の強情派・別役実、山崎正和、末木利文が柱になった制作会社で、今となっては、何でこの三人で組もうとしたのか、ワケ分からんと、言うところだが、アングラ全盛期のウラでずっと活動を続けてきた。先人たちが亡くなってからは化石化していた福田善之を引っ張り込んだりして、ますますワケ分からないが、いまも旧新劇の色合いは残っている。。強情恐るべし。
しかし、この「フォルマサ!」の作家、演出家とは、もう年代は完全に違うから、直接の影響は受けていないだろう。
今は、木山事務所時代の、「世界が消滅する危機意識」から回帰して、先の大戦以前のようなささやかな「領土」問題がクローズアップされている。最後に舞台に出演者が並んで天井に向かって頑張ろーと肩組んで叫んで終り、という劇はさすがに作れないが、問題は山積している
この作品は植民地問題だが、今は男女差別、官民格差、中央地方の乖離、人種問題、と、手堅く細かい今ウケの情報はいくらでもある。作者はそういう問題も巧みに混ぜて見せていく技術に長けている。演出家は舞台の上の人物処理ばかりに腐心していて、上達の跡は見えるが、作者も演出家もこれから向かう方向はあいまいだ。なんとなく、大きな作品が来たときのリハーサルという感じだが、こういう機会で場数を踏めるのは何よりだ
俳優はキャラを上手く出している。主役の人類学者の林次樹、その妻須藤沙耶、青年座から借りてきた松田周、現地の課長、内田龍磨、その妻水野優、皆はまっていて、熱演だが、そこがいかにも五十年前の民藝、文化座で古い。演出が若いからそこは仕方が無いかも知れない。休憩十五分で2時間15分。客席はほぼ4分の1.
それは、本のせいか、演出のせいか、役者のせいか。新劇で刷り込まれた「リアル」な演技は奥が深い。


COUNT10 〜十離詩・夢十夜〜

COUNT10 〜十離詩・夢十夜〜

街の星座

王子スタジオ1(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

薛濤という人の人生と詩作をいくつかネットで調べて見て、『おそらくこうだろう』的な流れのイメージはあった。

舞台を観ていて、実際、構造としては上記に近いフォームというか形態のようだったのだけど、ただ観ていてどこかでそこだけではくくりきれないというか、溢れ出す何か、というのか、何かに似ているというか、引っかかる感じがしていたのだけれども…それが何だろうか?と、舞台に出てきた小道具とか、流れだとかをいろいろとを思い返して…それが何か?喉につっかえて思い出せないが、ただそれを思いついたら、きっとそのイメージに全て持っていかれそうな、それは何なのか?むしろ思い出さないほうが良いのではないかなどと思いながらぼんやりと歩いていた。

…いつもは電車でまっすぐ帰るのだけど、明日は休みだしバスに乗ったりして少し長めにゆったりと行こうと、街ゆくあしたは土曜日休みだし華金な雰囲気のほころんだ人々の顔を眺めながら、気付いた。気付いてしまった。それで文字通り全てが予想通り持っていかれてしまった(苦笑)…ただ、それをここで書くとみる前の人たちに先入観を植え付けるかもしれないので、ネタバレに書きます。ネタバレと言って良いほどのものかは知らないけれど…

ネタバレBOX

十の転落の人生。詩作。繁栄のただ中の長安で。これは何かに似ている。何だろう?と思ったら、思い出してきた。

2018年、まだコロナもなく、アベノミクスの勢いもあった、ウクライナの戦争もなかった平和な時代、まだ十代のビリー・アイリッシュを幕張の100人くらいしかいないステージで観た感じというのか、そのリリックを見ても不穏で不遜、そして真っ逆さまに奈落に落ちそうな不穏で不安な不思議なステージ…今考えるならそこには能天気な時代が目の前で一瞬で闇になり、不穏と不安が支配し始める不安定な時代の始まりを確実に予言していた。今みたいな派手なステージとかじゃなく、当時は必要最低限のセットだった。

そんなビリー(・アイリッシュ)…薛濤は長安のビリーだったんだ。若い女性たちにパワーワードを与えて申し訳ない(苦笑)。

繁栄のただ中で転落し、じきに戦乱の萌芽を感じつつ、金満の宴で詩を詠む。金持ちの玩具なのだから、指先一つでどこの気持ち悪いオッサンのところに飛ばされるか分からないが、とりあえず自分が気に入らなければ破滅しようが時の権力者に唾を吐きかける不遜さはあった(という伝説)。そういえば長安は当時の唐の西部に位置し、現代のアメリカで言うならL・Aのような場所だ。

今まで長安というと、自分のイメージとしては最先端の仏教を西域から輸入する最前線宗教都市兼権威@唐代というイメージだった。でも、こういう作品を観ると、今まで渋谷だと思っていた長安は実はL・Aだったんじやないかという気がしてきた。

僕はオッサンやオタクの欲望を具現化したようなアニメ声の女優より、世の中は全員敵みたいな不遜で不敵な女優のほうがはるかにエネルギーがあって素晴らしいと思うタイプなので(アニメ声も苦手ではないです、オッサンなので(苦笑))、素直に素晴らしく感傷的な詩作(裏に悲しみや反骨心を感じる)を使いつつ、素晴らしい詩人の人生を語り、また実人生ではアル中を憎みつつ自分もアル中ロードに片足を突っ込みかけて藻掻く等身大(自分はアルコールを飲まないが(苦笑))のヒップホップ的な物語(実話ではないと思うが)を語る、優しさや癒しの要素のあまりない気がする一人芝居を素直に素晴らしいと思った。

そういえば俳優の女性の髪型もなんか当時のビリーに似ている。当時は目の前の少女が、一瞬でブルーノ・マーズと肩を並べるビッグネームになるとは想像もできなかった。

でも、薛濤って人、考えれば考えるほど、ビリーだよ。日本でこんな感じの女性作家がいる?いやなんか、たぶん普通に文章で読むだけなら全くそんな頭に残らなかった。目の前でビリーっぽい髪型の女優が髪振り乱してアル中と薛濤の酔っ払ったんか知らんが当時めっちゃ権力あった男に酒宴でモノ投げつけた(事実なら酒宴は凍りついたろう)伝説を繰り返し語る一人芝居見てなんか、今の自分たちの等身大のストーリーなんだと、ようやく気付いた。帰り道だけど。

なんか夢十夜あんまり書けなくてすみません。
白い輪、あるいは祈り

白い輪、あるいは祈り

東京演劇アンサンブル

俳優座劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

育ての親vs産みの親は主題ではないのね。所謂、戦争の被害者は市民や兵士って奴。ベタベタな面白は好みではないが、客層がかなり高齢なのでアレぐらいがちょうどいいのかしら。で、多分、俺はこれが最後の俳優座劇場。

リセット

リセット

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2025/03/11 (火) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ひと言でいうと、とある危うさをはらんだ家庭を舞台とした「不条理演劇」。

本作の特徴は、主要な登場人物が「軽い認知症の気がある祖母」「アルコール依存症気味な家父長にして母」
「正体がつかめない息子と名乗る男」と、全員が信頼性に欠ける“語り手”という点で、誰をどのくらい
信用するかで受け取り方も結構大きく変わってくるかなと思います。

ネタバレBOX

家の屋根も壁も大きく傷み修繕を要するほど古い家屋に老いた母と2人暮らす家父長の女性。

夫の存在は最初から全く言及されず(リビングには写真すらない)、彼女の頭を占めているのは
20年前に台風が襲った日から姿をみせなくなった息子で、失踪宣告こそ出たものの、どこかで
生きていることを信じてやまない。

そんな女性の元を1人の「息子」と名乗る男が訪ねてくる。祖母は男を孫と認めたものの、肝心の
女性はどうしても息子と思うことができず、両者の間には消せない亀裂が生じる。

家の中のことを徐々に我がもので切り回していく男に危機感を覚えつつ、出ていかせることもできない
女性のもとを、今度は「息子の妻」と名乗る女が訪ねてきて……。

先にネタバレすると、女性の息子は台風の日に亡くなっており、女性は発見したその遺体を自室の地下深くに
埋め、息子がどこかで生きているのだという念に至った(地下の遺体はDNA鑑定の結果、息子のものと断定
されたとのこと)。

女性が修理工や何かと思っていたのは、精神病院のスタッフで、息子を名乗る男性は実は病院の医師だった。
そう、女性はいつの時期かは判然としないものの、病棟の患者だったのだ……。

……と物語を単線で追っていくとこんな感じなのですが、ネタ明かしされた範囲のことしか分からないため、
どこまでが女性の妄想で、どこまでが実際にあったことなのか、ほとんどのことが実は闇の中なのだという
事に気づかされます。

ただ、これが新しいなあと思ったのは、すでにこの作品と比較されている安部公房「闖入者」だと、平穏な
日常が闖入者の理不尽な乱入によってかき乱され、最後は破滅を招いていくという結果に至るんですけど、

この話って闖入者が入り込んでかき乱すところまでは一緒(=不条理演劇のお約束なフォーマットに乗っかって
いる)なんですけど、女性のいる日常が袋小路でがんじがらめになってにっちもさっちもいかない、一見平穏ながら
実際は真綿で首を絞められている状況で、闖入者の乱入はある意味「破滅」どころか「救済」を招いていんですよね。

母親の面倒を十分に見ることができず、支え合うはずの存在である夫は不在(夫が最初からいないのさりげないながら
大きな意味を持っていると思っています)、親から継いで幼少からの記憶が根付いている家はもはやボロボロで対応を
求められている。

いわば古いものを両肩にしょい込んで動けなくなっているのが今で、「息子」の到来は物語を通じて見ていくと荒療治
ながら状況を動かしたという意味で「救い」にはなっていたのかなと。そういうことって舞台を離れたところでもたくさん
あるというか、そういうことだらけですよね……。
白い輪、あるいは祈り

白い輪、あるいは祈り

東京演劇アンサンブル

俳優座劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/21 (金) 14:00

座席1階

ブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」を題材に劇作家鄭義信が創作・演出。「焼き肉ドラゴン」などの作品群にいたく感動した自分としては、どんな作品かと期待して閉館間近の俳優座劇場に出かけた。

ミュージカル仕立て。劇団の若手とベテランが息の合ったダンス・歌唱を聴かせた。このあたりはさすがに鍛えられていて、見ていてとても楽しい。
裁判官のアツダクが狂言回しのような役割を担っていて興味深い。討たれた領主の男の赤ん坊を拾って戦乱の中を逃げ延びて育てたグルシェを演じた主役の永野愛理は、クルクル回るような視線での演技など、細かいところまで秀逸だった。
原作があるので無理は言えないかもしれないが、人情味があふれ、権力を持つ者への鋭い批判の目が或る戯曲を書く鄭義信らしさがあふれていたかというと、そうではない。ラストシーンはとても印象的で、ここが鄭義信らしいところだとは思ったものの、基本的には客席を楽しませる仕掛けを重視したつくりだった。期待する部分が違っていたのかもしれない。

歴史ある俳優座劇場の終幕にかける戯曲として、東京演劇アンサンブルのブレヒトというのはふさわしいものだったと思う。外部の劇作家に書き下ろしてもらうより、これまでのアンサンブル作品のようにブレヒトに真正面から挑んでいくのもありだったか。

怪人二十面相

怪人二十面相

J-ROCK

赤坂RED/THEATER(東京都)

2025/03/18 (火) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

耽美性やおどろおどろしさはなくて、ライトウェイトですかね。時代を現代に置き換えると、こうなっちゃうのかな。それでもなかなかに楽しめた朗読劇でした。

もびいる

もびいる

COMPANY<らなうぇい>

王子小劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

エッジが効いた物語です。兄弟版テラスハウスは川崎のぼる先生の「てんとう虫の歌」のようにはいかず、その葛藤が舞台の上で繊細に描かれていました。しかし、鍵となるのは空から俯瞰して見ている白い天使だったような気がしました。

あのね、あの時、あの夜の音。

あのね、あの時、あの夜の音。

劇団さかさまのあさ

ひつじ座(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/03/20 (木) 18:00

 舞台セットや、役者の化粧やカラコンの派手派手しく、今話題で漫画原作のアニメ化、映画化もされた『押しの子』のポップでダークな世界観、Tik TokでバズったアイドルグループやInsta映えなどを狙った感じなどと雰囲気が似ていた。
 しかし劇が始まると、全然そんなことはなかった。
 記憶喪失で自分の名前すら忘れてしまった女性が、不思議な女性と出会い、その女性は自らを"アイ"と名乗り、ここは死後ではなく、死語の世界だという。記憶喪失の主人公の女性からすると、その"アイ"とはこの死語の世界で会うの初めてな気がするのだが、"アイ"の側はどうにも記憶喪失の主人公の女性と前にも会ったことがあるような素振りをみせ、どうにも馴れ馴れしく、距離感をやたら詰めてくる上に、名前が思い出せないならと勝手にナナシと名付け、良い名前と一人満足して、勝手に他の妙に個性的でアクの強い死語たちに紹介してしまう強引さだが、どこか憎めず、謎を抱えているところが鮮明に印象に残った。
 また、大抵亡くなった人や昏睡状態、認知症が酷く進行して呆けている人が主役の話の場合は死後の世界が舞台になり、死神、鬼と閻魔大王、悪魔相手に七転八倒の地獄破りが描かれたり、現世とほぼ何ら変わらない世界が描かれたり、死後において六大王に裁かれながら進んでいくドタバタ、ハチャメチャ道中が描かれたり、主人公が幽霊となって現世でやり残したことを成し遂げようと奮闘する話だったりするものだが、そのどれにも当てはまらず、記憶喪失の主人公の女性が死後ではなく死語の世界で大切なものを思い出そうと悪戦苦闘する話ということで、発想が突飛でなかなか面白かった。
 チョベリグ(チョーベリーグット)、チョベリバ(チョーベリーバッド)というかつてのギャル言葉を擬人化した上でレズカップル?というような設定にしていたり、前田という言葉が絶妙に間が抜けていて、感覚がズレているが、時々的を射たことを言う、また死語の世界における人から忘れ去られると、その言葉を消す役割の鬼も、言葉を消す際衣服を奪う地獄で言うところの奪柄婆のような、非常なようでいて心根は優しさや人情も時々垣間見られるエバ、ギャルの組み合わせ鬼々羅々の言葉を消すのを何処か楽しんでいるようなサイコパス的で、情緒どうなっているんだろうと考えさせられるような鬼も出てきたり、かと思うと主人公のナナシの記憶のカケラが擬人化し、時に主人公を追い詰め、時にナナシが記憶を思い出すのに一役買ったりと闇なのか光となるのか全く言動行動が読めない登場人物を出してみたりと、登場人物たちの細かい設定や、主人公の記憶を封印したのにはそれ相応の理由があった背景、"アイ"も悩みなんてないようでいて実はといったことを一つ一つ丁寧に描いていて、そこそこ登場人物が混在し、登場人物の誰も彼もが主張しあい、その癖主人公は影が薄い割には、非常に分かりやすく、頭に入ってきて、鮮明に物語が眼の前に立ち上がって来るようだった。
 
 ふわふわしたキャラも出てきたが、言葉を消す鬼が出てくる際、照明が暗くなり、音楽も不穏で不気味で思わず背筋が凍るような音だったりして、闇陣営と主人公側の比較的光?陣営とのコントラストがハッキリしていて、分かり易かった。
 それでありながら、"アイ"が鬼たちに囲まれた際も、絶体絶命の危機のような状況で、古い流行語や間違った言葉、悲劇のヒロインぶったりすることで深刻な場面も深刻になりすぎず、時に笑える場面になっていて、非常に劇の中での緩急の使い方が、あまりにも自然で、上手いと感じた。

 主人公のナナシが途中から記憶を少し思い出し、赤いポーチをチョベリグ、前田氏たちと危険を試みず探し回るが、冒険の途中で必ず出てくるナナシの記憶のカケラに頭を悩まされ振り回され、追い詰められるが、それは本当の自分と結果的に向き合うことになり、自分が母親であることを思い出し、遠い昔に娘を、娘と友達複数人だけで行った海辺で貝を拾っていたら大きな波に飲まれ、海難事故で娘を亡くした辛い過去を思い出し、その辛い過去から現実逃避せず、向き合い、母親である自分だけは忘れないでいようと心に決め、歩き出し、そして、実は"アイ"こそが…という衝撃の結末に向かって、後半戦はジェットコースターのように話が進み、別れが辛くて切ない終わり方に、心にグッとくるものがあった。
 

フロイス

フロイス

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2025/03/08 (土) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

いくら教科書に出てくるからと言っても一般には殆ど知られていない中世末期のポルトガル神父フロイス〔風間俊介〕を主人公にした一代記である。キリシタン殉教記では西洋にも認められた派手な殉教物語りがいくつもあるから、井上ひさしもラジオドラマにするときは他に手がなかったのだろう。
ラジオドラマ〔当時の名優揃いである〕は再び聞く機会もないだろうが、往復書簡形式をとったと聞けばなるほどと思う。結局井上自身は舞台劇化はしていない。今回の公演クレジットを見ると、井上ひさしの名は解説には出てくるが、フロイスを主人公にと考えたラジオの企画担当者も出てこない。これなら、元本の膨大なフロイスの「日本史」や「殉教史」を元に、作者が師匠を忖度しないで自由にフロイス傳を書いた方が面白かったのにと思う。全集本でもひっくり返せば、ラジオドラマのテキストは出てくるのではないかと思うが、この舞台で井上ひさしの果たした役割がよく分からない。
いかにもひさし好みの村の若い女〔川床明日香・好演〕や戸次重幸〔日和見の惣五郎〕も抑えめである。井上好みの歴史に手を突っ込んでかき回す面白さがない。演出は材木で囲んだ一杯の抽象セットで時代劇を成立させ、そこでのステージングもそれは見事なものだし、作者もよくまとめたと思うが、まぁここまでと遠慮したところも見える。それが煮え切らない副題に現われている。
二幕で休憩入りで2時間40分。とにかく過不足ない出来なのに、劇場が暖まらないのは素材のせいばかりではない。井上ひさしは死後には主人公が胴切りされて吊り下げられる「薮原検校」のような残酷無比の代表作だってあるではないか。このフロイスこには井上らしい思いっきりの良いドラマがない。そこは、当然、作者が違うからである。忖度ばやりの世相はここにも反映している。なんだか、故人の聖人化で後味は良くなかった。
劇をと言うこまつ座なら、小説の劇化をもっと自由に試みたらどうだろうか。誰がやったとて故人の作品の名声を損なうことはないだろう。

リセット

リセット

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2025/03/11 (火) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

チラシの表面に「三月の冷たい朝、消えた息子が立っていた」とコピーが大きく書いてある。ハハァ、これは別役もどきか、と当てをつけて見はじめると、予想は当たり、いかにも中流の夫を亡くした老婦人(赤地まり子)の前に、次々と、自称親族、(息子、妹、その夫、息子の未知の嫁、親族ならぬ不動産屋、老人介護業者)が現われ、老婦人の大好きな夫が残した家からの転居を勧める、これはかなり現実を踏まえているが、家族にドントンはいってくるあたりほぼ、安部公房風、「友達」である。なーんと思っていると、最後はちゃんとミステリ風なオチまで付いていて結局はミステリ劇になる。それはそうだろう、別役風、も安部公房風も、ケラから加藤拓也まで、いろいろな劇作家がやり尽くしている。
しかし、ミステリ風のオチではこのドラマは何も物語らない。所詮ミステリの謎解きに終って、1時間40分面白く見てもで、そうだったの、と言うだけになってしまう。
このドラマの構造ではどこかに、何か別の画期的な工夫がないと、折角の新人作家起用もアトリエらしくなくなってしまうい。
先般、この作者が新宿のトップス上演の劇壇ガルバにかき、この演出家がまとめた作品〔ミネムラさん〕はなかなか面白かった。こちらは無茶ぶりの仕掛けがあって、そこは必ずしも成功とは言えないのだけど、結果、面白かった。この演出家はあまり沢山見ていないからなんとも言えないが、文学座ガールズの中では、手堅く商業作品もまとまられそうな演出家と思った。むしろ無茶ぶりのトップスのような小劇場の方が、演出家も作者のウデの振るいようもあるのではないか。理に落ちてはつまらない。
それにしても、やはり、文学座の役者たちは上手い。久し振りの俳優も出ているがちゃんとアンサンブルがとれていて、過不足なくちゃんと役を拡げている。

痕、婚、

痕、婚、

温泉ドラゴン

ザ・ポケット(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

山﨑薫劇場!
凄まじい作品。叩きのめされる。大正12年(1923年))関東大震災発生、震度7の揺れ、大規模火災、10万人以上の死者。天災によるやり場のない怨みや怒り、恐怖、苛立ち、不安、それら全てを社会的弱者にぶつけて憂さを晴らす。朝鮮人が各地で虐殺された。何の罪もない彼等をぶち殺したのは殺気立った普通の市井の人。時が経ち冷静になり、恥ずかしさと罪悪感から贖罪を背負う。だがそんなもの一体何になる?殺された連中にとってそれが一体何になるのか?

震災から二年経ち、やっと日常を取り戻した東京の下町。洋服店の店主(いわいのふ健氏)、娘(飯田桃子さん)、住み込みの職人(山﨑将平氏)、辞めた短気な職人(相川春樹氏)。隣の醤油屋の女将(中村美貴さん)。看板書き(筑波竜一氏)と教員(林田麻里さん)夫婦。よく猫を探しに来る在郷軍人(シライケイタ氏)。上京して来た新聞記者(阪本篤氏)。出版社の男(秋谷翔音〈しょうん〉氏)。
そんなある日、店の前で「裁縫職人募集中」の貼紙を眺めている一人の女性(山﨑薫さん)の姿が。

とにかく飯を食う。やたら皆食べる。日常の生活が丁寧に描写される。掃除をして配膳して後片付け、草履を揃える。毎日の日々の積み重ね。縫い物の技術、洋裁の楽しさ、雑誌に載った写真を眺めて自分が着てみたい服を選ぶ女性陣。それをミシン一つで縫い上げる山﨑薫さん。
山﨑薫さんのたすき掛けは絵になる。
作品としての目線、テイストは中国映画『鬼が来た!』みたいに突き放した感覚。日本のドラマツルギーっぽくない。韓国人が今作を観てどう思うのか知りたくなる。

新国立劇場演劇研修所第17期生公演にて『君は即ち春を吸ひこんだのだ』を演った飯田桃子さん。今作はその作者であった原田ゆう氏の新作。手足が長く表現力も大きい為目立つ。売れそう。
相川春樹氏は手塚治虫顔。『福田村事件』の水道橋博士にイメージがだぶる。
シライケイタ氏の朝鮮から連れ帰った飼い猫「柴田君」が気になる。噂だけが広がり皆に嫌われて恐れられる可愛い猫。
筑波竜一氏の描き込んだ設定、中村美貴さんの吐き捨てる台詞、山﨑将平氏の負い目、いわいのふ健氏の表情、申し分がない。

そして山﨑薫さんの怖ろしさ。これを見逃すと後悔することになる。テーマは「贖罪」。全ての「被害者」と全ての「加害者」、全ての「傍観者」に送る。
本当にもう一度観たいくらい良かった。
必見。

ネタバレBOX

※震災の後、各地の自警団による朝鮮人狩りが発生。恋人ヨンゼフとこの町、下谷区に逃げて来た山﨑薫さん、一人何とか路地裏の洋裁店に逃げ込む。床に這いつくばり散乱した生地を身体に被せて隠れる。恋人は彼女を探してまだ路地をキョロキョロしている。必死に「こっちに来て!」と言う。何故だか口から咄嗟に出たそれは日本語だった。だが恋人は追って来た日本人達に取り囲まれ私刑に遭う。

その日以来、山﨑薫さんは朝鮮語が話せなくなった。どうしても声に出せない。ラスト、発作的に旦那となったいわいのふ健氏の首をハサミで後ろから刺して殺そうとする。いわいのふ健氏はそれに気付き観念したような表情を浮かべる。だが刺せない。どうしてもどうしても刺せない。声を上げて泣き出す彼女の口から漏れるのは朝鮮語、「ヨンゼフ、ヨギヨ (ここよ)、イリロ ワ(こっちに来て)」

失った自分を取り戻す描写。失った自分の感情と失った自分の言語。
ラストはこれが映画だったら、時間軸を飛ばして老夫婦の単調な日常の描写を綴り観客にこれまでの空白を想像させる方法論が多いと思う。エピローグとして。

猫に石を投げていた子供達を張り倒したり、林田麻里さんの話に突然ぶち切れたりするシーンの混ぜ方が巧み。山﨑薫さんの企みが全く判らないことが作品に深みを与えている。

山田風太郎の『明治十手架』なんかをこのメンバーでやって欲しい。
ここは住むとこではありません

ここは住むとこではありません

TEAM FLY FLAT

雑遊(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/20 (木) 18:00

価格4,000円

どう見てもまともじゃない人ばかりが出てきて、なんやかやの挙句、なんだかイイ風に終わるかと思いきやなんじゃそりゃという結末。予想通り一筋縄ではいかない

舞姫 〜盟星座の住人達〜

舞姫 〜盟星座の住人達〜

玄狐

サンモールスタジオ(東京都)

2025/03/15 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

チラシとユニット名に惹かれ、あらすじ、再演との情報、新派俳優が複数出演と見てつい(普段観ないテイストを味わえるかも、と)足を運んだ。
目指す物語世界はよく判り、期待しつつ観る。演技やミザンス面、あるいは脚本の人物描写なのか引っ掛かって追いづらく、睡魔が襲う(こっちのコンディションもあるが)。中々の時間をうつらうつらしてしまったと思っていたが、伏線が回収される終盤には物語の全容は見えており、像が脳裏に刻印され、眠った事実も忘れていた。
舞台となる(やがて取り壊される)劇場とそこに住む人々が作者の中に息づき、愛おしさをもって綴った痕跡が横溢し、取りこぼした伏線もありながら念一つで立っているとも見える舞台だった。

川辺でひとり

川辺でひとり

株式会社ノックアウト

駅前劇場(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

鑑賞日2025/03/20 (木) 12:00

価格2,500円

Bチーム観劇。日常的な風景のはずなのにかなり捻った演出で違和感を醸し出すという一風変わった会話劇

ネタバレBOX

松澤つかささんのヤンキーは、それっぽくて良かった。

自然な台詞回しと不自然な台詞回しが混在していて、演出意図がちょっと見えにくかった。ほぼ全員棒立ちというのはなんとなくわかるが…
ロケット・マン

ロケット・マン

劇団鋼鉄村松

劇場MOMO(東京都)

2024/11/28 (木) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

配信を視聴。かつての勢いのある小劇場演劇という感じが良かった

R老人の終末の御予定

R老人の終末の御予定

ポップンマッシュルームチキン野郎

すみだパークシアター倉(東京都)

2025/03/06 (木) ~ 2025/03/11 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/03/10 (月) 19:00

価格6,000円

7年ぶりの再演ということで、基本ストーリーは変わらないけど会場も変わったことで雰囲気は変わった

狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

狂人よ、何処へ ~俳諧亭句楽ノ生ト死~

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2025/03/19 (水) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当日パンフによれば、吉井勇の原作で 三代目蝶花樓馬樂をモデルにした人物 =俳諧亭句樂を主人公に、その句樂や句樂の周辺を描いた作品群。公演は、その「句樂もの」の幾つかを遊戯空間(構成・演出・美術 篠本賢一 氏)が再構成し、滑稽洒脱な物語として紡ぐ。その粋な芸人の生き様が生き活きと描かれ、実に抒情や憧憬が豊か。この「句楽もの」戯曲の選択と構成が妙。

吉井勇という歌人で劇作家のことは知らなかったが、「ゴンドラの唄」は黒澤映画「生きる」で知っており、その作詞家だという。哀愁に満ちた印象を持っていたが、開場前に流れる同曲はポップ調でなんとも楽し気である。原作の「句楽もの」は読んだことも観たこともないが、この再構成(換骨奪胎か)によってどのような姿に生まれ変わったのだろう。自分は、この滋味溢れる内容と小気味良い展開は好きである。

幾つかの「句楽もの」を繋ぐのが、桂右團治師匠の語り。これによって場面が変わったことが分かり、物語全体が違和感なく構成される。夫々の場面を通して、当時の芸人たちの暮らしや考え方、そして先にも記した生き様が面白可笑しく立ち上がる。同時に 狂人となった主人公が述べる戯言、しかし そこには現代にも当て嵌まる皮肉や批判が込められている。
また場面変化に対応した舞台美術が見事。同時に「句楽もの」の世界観とでも言うのか、その雰囲気も楽しめた。
(上演時間2時間40分 途中休憩10分)3.22追記

ネタバレBOX

舞台美術は、平台のような裏面を三方向に立て半囲い、天井には裸電球が吊るされているだけ。中央は素舞台。上手の客席寄りに高座、釈台が置かれており、客席中央に座布団。シンプルな造作だが、場面に応じて卓袱台などが置かれ、平台の一部が戸になっており開けると障子になる。勿論 時代に合わせた衣裳や小道具も雰囲気を損なわない。

出囃子で 桂右團治師匠が高座へ。物語は、河岸近くにある盲目の落語家 小しんの家。そこへ古くからの仲間である焉馬と柳橋が句楽を見舞った帰りにやってくる ところから始まる。盲目となり脚も不自由になった小しんは、精神病を患って 入院している句楽のことが気になってしょうがない。何時しか句楽との楽しかった日々を回想する。実は白装束の句楽が客席側にある座布団に座り聞いている。全体が浮世離れした浮遊感ある雰囲気に包まれている。

物語は、小しんの家での句楽の病気見舞い(1話「俳諧亭句楽の死」) 船旅の船中(2話「焉馬と句楽」)、伊豆の旅館(3話「句楽と小しん」)、浅草の仲見世(4話「縛られた句楽」)と続き、芸人の滑稽洒脱のような<粋>が描かれる。そして最後は句楽が入院している精神病院での突飛な話<魂を作る機械>(5話「髑髏舞」)へ。この最後の話は、魂の形は定かではないが 瓶のようなものに入って、赤・黒や青といった色が付いている。魂は作るだけではなく、病気にもなるから(魂の)病院も必要だ。魂(材料)は酒に入っているモノで作られている。しかし、どんな酒にも入っている訳ではないから 飲み比べをする必要がある。先に記した話(1~4話)には 全て酒(日本酒・ウィスキー・ワインなど)が出てくる。まさに魂の彷徨であり 酔(粋)狂の人である。

今では米の値段も高騰し 酒(代)への影響もあろうが、金で解決できる分には まだよい。魂を作る機械の話の中で、魂の欠片があちこちに落ちており足の踏み場もない と言う。そして死人に魂を分けてやりたいと。「句楽もの」が書かれた時期は、たぶん大正期であろう。日清、日露戦争で多くの死傷者を出した。また国外に目を向ければ第一次世界大戦が勃発していたかも知れない。そう考えると、現代のロシア・ウクライナ戦争やイスラエルによるガザ侵攻が重なる。

最後(精神病院)の舞台美術は、白幕で囲い 句楽の白装束、他に3人の白衣裳の患者、そこは病院であり遊魂の世界のよう。芸人たちの微笑ましくも哀歓ある生き様の中に、現代の世態にも通じる皮肉や批判が…。それを華族であり知識人が綴っているところが面白く、そして遊戯空間が再構成し現代に蘇らせた。見事!
次回公演も楽しみにしております。

このページのQRコードです。

拡大