痕、婚、 公演情報 温泉ドラゴン「痕、婚、」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    山﨑薫劇場!
    凄まじい作品。叩きのめされる。大正12年(1923年))関東大震災発生、震度7の揺れ、大規模火災、10万人以上の死者。天災によるやり場のない怨みや怒り、恐怖、苛立ち、不安、それら全てを社会的弱者にぶつけて憂さを晴らす。朝鮮人が各地で虐殺された。何の罪もない彼等をぶち殺したのは殺気立った普通の市井の人。時が経ち冷静になり、恥ずかしさと罪悪感から贖罪を背負う。だがそんなもの一体何になる?殺された連中にとってそれが一体何になるのか?

    震災から二年経ち、やっと日常を取り戻した東京の下町。洋服店の店主(いわいのふ健氏)、娘(飯田桃子さん)、住み込みの職人(山﨑将平氏)、辞めた短気な職人(相川春樹氏)。隣の醤油屋の女将(中村美貴さん)。看板書き(筑波竜一氏)と教員(林田麻里さん)夫婦。よく猫を探しに来る在郷軍人(シライケイタ氏)。上京して来た新聞記者(阪本篤氏)。出版社の男(秋谷翔音〈しょうん〉氏)。
    そんなある日、店の前で「裁縫職人募集中」の貼紙を眺めている一人の女性(山﨑薫さん)の姿が。

    とにかく飯を食う。やたら皆食べる。日常の生活が丁寧に描写される。掃除をして配膳して後片付け、草履を揃える。毎日の日々の積み重ね。縫い物の技術、洋裁の楽しさ、雑誌に載った写真を眺めて自分が着てみたい服を選ぶ女性陣。それをミシン一つで縫い上げる山﨑薫さん。
    山﨑薫さんのたすき掛けは絵になる。
    作品としての目線、テイストは中国映画『鬼が来た!』みたいに突き放した感覚。日本のドラマツルギーっぽくない。韓国人が今作を観てどう思うのか知りたくなる。

    新国立劇場演劇研修所第17期生公演にて『君は即ち春を吸ひこんだのだ』を演った飯田桃子さん。今作はその作者であった原田ゆう氏の新作。手足が長く表現力も大きい為目立つ。売れそう。
    相川春樹氏は手塚治虫顔。『福田村事件』の水道橋博士にイメージがだぶる。
    シライケイタ氏の朝鮮から連れ帰った飼い猫「柴田君」が気になる。噂だけが広がり皆に嫌われて恐れられる可愛い猫。
    筑波竜一氏の描き込んだ設定、中村美貴さんの吐き捨てる台詞、山﨑将平氏の負い目、いわいのふ健氏の表情、申し分がない。

    そして山﨑薫さんの怖ろしさ。これを見逃すと後悔することになる。テーマは「贖罪」。全ての「被害者」と全ての「加害者」、全ての「傍観者」に送る。
    本当にもう一度観たいくらい良かった。
    必見。

    ネタバレBOX

    ※震災の後、各地の自警団による朝鮮人狩りが発生。恋人ヨンゼフとこの町、下谷区に逃げて来た山﨑薫さん、一人何とか路地裏の洋裁店に逃げ込む。床に這いつくばり散乱した生地を身体に被せて隠れる。恋人は彼女を探してまだ路地をキョロキョロしている。必死に「こっちに来て!」と言う。何故だか口から咄嗟に出たそれは日本語だった。だが恋人は追って来た日本人達に取り囲まれ私刑に遭う。

    その日以来、山﨑薫さんは朝鮮語が話せなくなった。どうしても声に出せない。ラスト、発作的に旦那となったいわいのふ健氏の首をハサミで後ろから刺して殺そうとする。いわいのふ健氏はそれに気付き観念したような表情を浮かべる。だが刺せない。どうしてもどうしても刺せない。声を上げて泣き出す彼女の口から漏れるのは朝鮮語、「ヨンゼフ、ヨギヨ (ここよ)、イリロ ワ(こっちに来て)」

    失った自分を取り戻す描写。失った自分の感情と失った自分の言語。
    ラストはこれが映画だったら、時間軸を飛ばして老夫婦の単調な日常の描写を綴り観客にこれまでの空白を想像させる方法論が多いと思う。エピローグとして。

    猫に石を投げていた子供達を張り倒したり、林田麻里さんの話に突然ぶち切れたりするシーンの混ぜ方が巧み。山﨑薫さんの企みが全く判らないことが作品に深みを与えている。

    山田風太郎の『明治十手架』なんかをこのメンバーでやって欲しい。

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    2025/03/21 14:41

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