生きてるものか【新作】
五反田団
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/10/17 (土) ~ 2009/11/01 (日)公演終了
満足度★★★
かのもるてき生
旧作は前に見たので私は新作しか見なかったけれど、両方見る人はやっぱり旧作のほうから見るのが正解だろうと思う。どちらもワン・アイデアを作品全体に膨らませたものだが、ディテールが充実しているので、設定がわかってからでも退屈することはない。
これから見る人はネタバレBOXを開かないほうがいいと思う。念のため、阿佐ヶ谷スパイダースの次回公演を見る予定の人も。
ネタバレBOX
今はそうでもないけど、以前はSF小説が好きでよく読んでいた。今回の芝居と同じアイデアはフリッツ・ライバー、J・G・バラードの短編、フィリップ・K・ディックの長編小説でも使われている。未読だけどボルヘスの作品にもある。
ただ、舞台劇や映画では見たことがない。クリストファー・ノーラン監督の映画「メメント」が比較的似ているかもしれない。
物語の時間を逆行させて描くというアイデアだけど、単純にフィルムを逆回しするのとはだいぶ違う。だいいち、フィルムを逆に回したら音声は聞き取れなくなってしまう。また、台本の会話を時系列的に、ただ逆に並べただけでもない。ちゃんと状況がわかるように、ある程度まとまったやりとりを一単位にして、その順番を並べ替えてあるのだ。
久しぶりに、終演後に上演台本を買って帰りにちらっとのぞいてみたが、舞台の場面を思い返しながらでないと、ただ台本を読んだだけでは内容がかなりわかりにくかった。舞台で見てこその作品、ということだろう。
死体が息を吹き返すとき、役者たちがあれこれと面白い動きを見せてくれる。ダンス好きにとっては、これもけっこう楽しかった。暗黒舞踏というのも、いってみれば死体が踊っているようなものだし、西洋には「死の舞踏」という言葉もある。
ところで、阿佐ヶ谷スパイダースの次回公演は「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」というタイトルらしいが、内容的にこの作品とかぶるのではないか、とちょっと気になる。
『ROMEO & JULIET』
東京デスロック
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)
2009/10/24 (土) ~ 2009/10/28 (水)公演終了
満足度★★★
アジアのロミジュリ
個人的な事情から、岡崎藝術座するべきか、東京デスロックにするべきか、というハムレットなみの苦しい決断を迫られて、結局選んだのがこちら。
ネタバレBOX
東京デスロックの「ROMEO &JULIET」は去年、キラリ☆ふじみで上演された「大恋愛」のワンパートと基本的には同じだろうと思っていたから、当初はパスするつもりだったのだが、韓国バージョンを見た人の強力なプッシュもあったので改めて見てみることにした。
序盤に演じられたやりとりは、2年前にリトルモア地下で上演された「演劇LOVE~愛の3本立て~」のひとつ、「LOVE」を彷彿とさせる。
舞台上の人物が一人ずつ増えていき、その過程で他者が内輪に受け入れられていく様子を無言のパフォーマンスで表現したものだった。これはのちに東京デスロックとは別の公演、Castaya Projectでも見たことがある。
意外なことに、韓国の役者が演じることで、日本の役者が演じた他のバージョンとはずいぶん違うインパクトがあった。本編である「ロミオとジュリエット」に入ってからも決して悪くはないのだが、どういうわけか序盤のこのパフォーマンスを見ているうちに何度も涙腺が緩んできた。言葉の通じない役者たちが演じているにもかかわらず、作品の意図するところがビンビン伝わってくる、たぶんそのことが予想外に感動的だったのだろうと思う。
本編のロミジュリでは、序盤で示された群れの力学みたいなものが役者たちの動きによってそのまま引き継がれ、一方、台詞の面では従来通りのシェイクスピアのドラマが演じられる。相反する役者たちの言葉と動きが、愛し合う二人と憎みあう両家の愛憎関係にうまくマッチしているように思えた。
出演した韓国の女優のうち、踊りっぷりのいい一人が特に印象に残った。体つきは華奢で小柄だが、顔立ちは日本の女優の洞口依子にちょっと似ている。名前はわからない。
韓国バージョンを見ていてふと思ったこと。
日本の場合は黒いスーツに黒いネクタイといえば喪服のイメージだけど、韓国ではどうなのだろう。中国では喪服は黒ではなく白だという話を聞いたことがあり、韓国も儒教の影響が大きいから、ひょっとしたら日本スタイルの衣裳を喪服とは感じていないのではないだろうか?
ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜
維新派
にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)
2009/10/23 (金) ~ 2009/11/03 (火)公演終了
満足度★★★★
屋台は終演後も1時間ほど営業
維新派を見るのは6年前に新国立劇場中劇場で上演した「nocturne」以来。このときは良い印象を持たなかった。2年前に埼玉でやった「nostalgia」もチケットは取っていたのだが、開演時間を間違えて見られなかった。この劇団とはどうも縁がないなと思いつつ、2度目の観劇となる今回は、内橋和久の音楽に気持ちよく反応できたので、台詞のある歌の部分も、台詞のないダンスの部分も飽きずに最後まで楽しめた。ドラマとしてではなく、あくまでもソング&ダンスの音楽ショーとしての面白さだった。これがいわゆるジャンジャンオペラってやつ?
ネタバレBOX
会場がかつて学校だったからだろうか、理科室の雰囲気のある美術がとてもいい。ただし労働者も出てきたりするから、必ずしも学校という設定ではないようだ。
モロトフカクテル【公演終了、次回公演は来年4月@楽園】
タカハ劇団
座・高円寺1(東京都)
2009/10/15 (木) ~ 2009/10/18 (日)公演終了
このカクテルで乾杯は無理
評判作の再演ということで見に行ったのだけど、最初に見てイマイチだった「もう一度スプーンを曲げよ」のときの評価を覆すものではなかった。
ネタバレBOX
70年安保からすでに40年近くが経ち、当時学生だった人の孫が今では同じ大学の学生であってもおかしくないくらい。後の世代が当時のことに興味を持ってあれこれ調べていけば、だいたい似たような感想に辿り着くのではないだろうか。その意味では、それほど新鮮味はなかった。
当時、内ゲバをやっていた過激派が今も解散せずに残っていて、大学生を勧誘したりしているのも、最初に知ったときはちょっと意外な感じだった。
この芝居では、大学の自治会室が廃止されることになり、それに反対する学生の動きを中心に描いている。それを支援する人物としてかつての過激派のメンバーが登場し、署名集めに協力したりするが、何かというと組織への支援金を求めるので、宗教団体みたいだと皮肉られるところが可笑しい。
当時の学生男女がつけていた交換日記が自治会室に残っていて、それを読んだ現代の学生が、彼らの政治思想と性欲の折り合いのつけ方に、ある種の滑稽さと堅苦しさを感じるというのもうなずける。
劇中、この日記の男女が役として登場するのだが、その描き方にはかなり疑問を感じた。
冒頭に登場して二人が日記の内容を交互に語るところでは、それが現在なのか過去なのかがどうもはっきりしない。
かつて学生運動に参加していて、今は大学の職員になっている中年男が、実は二人の知り合いで、夜中に自治会室で三人が会話するところでは、男女が中年男の回想の中にいる人物だと感じられる。
ところが終盤になると、現在も過去も関係なく、学生たちが入り乱れる。
具象の舞台装置は現在の自治会室を表していると考えるのが普通だと思うが、そこへ過去の人間を登場させる場合、それなりの手続きというか設定が必要なのではないだろうか。その辺があいまいなので、過去の二人はときには現在に住む幽霊のようでもあり、ときには現在の人間の回想の中の登場人物に思えたりもする。あるいは芝居自体が過去と現在を行き来しているのかとも思えるし。実際、終盤の籠城場面では過去と現在がオーバーラップする。
もうひとつ、見ていて変だと思ったのは、脇役の一人にふいにスポット照明が当たって、彼が客席に向かって突然ナレーションを始めるところ。劇中の人物がナレーターを兼ねるときはふつう、物語がその人物の視点で描かれることを意味すると思うのだが、この芝居ではそういうそぶりは全然なくて、ただ会話では充分に状況説明ができなかったので、とりあえずモノローグで説明しておこうという安易な発想が感じられた。
神村恵 新作ソロ公演 「次の衝突」
神村恵カンパニー
現代美術製作所(東京都)
2009/10/16 (金) ~ 2009/10/17 (土)公演終了
踊る霊長類
現代美術製作所という会場は前にいちど、トリのマークが公演をやったときに来たことがある。中央に太い柱がある、かなり広い場所。踊る場所として選ばれたのは白い壁が直角に並ぶその一角。ゆるい曲線を描いて置かれた椅子と二つの壁が扇型のスペースを区切っている。その真ん中あたりに扇風機が一台、開演前から回っている。左右の壁際に小さなスピーカー。下手にスタンド式の照明器具が3つ。
神村恵が客席後方から、客の間を抜けて登場。衣裳は黒っぽい膝丈のスカート。Tシャツはピンクと紫の中間みたいな色。足袋サイズのグレイのソックスは扇風機のスイッチを足で切り、蹴飛ばすように扇風機を倒してあとで、じきに脱いでしまった。
ネタバレBOX
今回は、複数のダンサーとやっているカンパニーの作品とも、前にいちど見たソロ公演ともだいぶ違う。これまでの彼女のダンスはある動きを繰り返しながらそれが少しずつ変化していくのを確認する作業というか、自分の体の動きとその変化をダンサーが主体的に見守っているという印象が強かったのだが、今回のはなんというか、最近よく彼女が共演している手塚夏子の影響みたいなものが感じられた。ダンサーが主体的に体を動かすというよりも、体の内側から生まれてくる衝動を受け止めて体を動かしているというか。
全体的にミニマルな印象はこれまでと同じだが、今回のは力を抜いて体を揺らせている、ダンスの振りとして体を動かすのをやめているという感じ。パッと見には、酔っ払いとかゴリラなど霊長類の動きのようにもみえる。腕はだらんと下げていることが多く、手を顔の高さまで上げたという印象がまったく残っていない。
ただ、中盤には明らかにバレエを思わせる足と手の動きが、だらだらとした動きの中から見えてきた。(経歴を見ると、彼女はバレエを習っていたことがある)。それに、倒した扇風機を隅へ移動させたり、ドリルみたいな工具を手にしたりと、段取りめいたことは間々でちゃんとやっているので、そこだけは普通の人間にもどったように見える。
また、ソロ公演と銘打ってあるが、途中で客席に紛れ込んでいた岸井大輔が、舞台に出てなにやらいろいろと話始める。そしてその間も神村の動きは続いている。この二人が舞台にいるときの奇妙な対比は、なんらかの効果を生むというよりも、そのあともずっと違和感として残り、逆にいえばそれが効果といえば効果なのかもしれない。体を動かす人と口を動かす人の違い、みたいなことで。
過去の公演のプログラムに載っている作者自身の言葉や、今回の場合は音楽家の高橋悠治の言葉の引用などを読むと、体に染み付いたダンスのテクニックや体の癖みたいなものから離れて、新しい動きを見つけたいというのが神村ダンスの目標のようだ。
上演時間は約45分。外がまだ明るい昼公演を見る。
コネマラの骸骨
演劇集団円
ステージ円(東京都)
2009/10/09 (金) ~ 2009/10/21 (水)公演終了
残念
マクドナーの脚本は期待通りの面白さ。ブラックな笑いを散りばめたグロテスク・コメディ。絶望的すぎて笑っちゃう。だけど役者の演技には不満がいっぱい。
世田谷カフカ
ナイロン100℃
本多劇場(東京都)
2009/09/28 (月) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
満足度★★★
正月気分
千秋楽に見てきた。ケラの芝居は劇団健康がナイロン100℃に変身してまもないころから見出したので、エチュードをやりながら作ったという今回の作品は、なんとなく昔のやり方にもどった感じがする。最近の作品から入った人は戸惑ったりするのでは?
ネタバレBOX
基本的にはカフカをメインにしたコント集っ感じ。はじめと終わりに劇団員3人が登場して、一応メタフィクションのような体裁になっている。冒頭では村岡希美、廣川三憲とともに、若手の水野顕子が自分の不条理体験を椅子に腰掛け、客席に向かって、世間話ふうに語った。廣川が語る稲荷の本尊、キツネかタヌキかのエピソードなどはその後もネタとしてまた出てきた。
若手の水野は抜擢という感じで使われていたが、彼女の鼻にかかった声が誰かに似ているとしばらく考えているうちに、12月にこの本多劇場に出演する麻生久美子の声だと気づいて、ようやくモヤモヤがすっきりした。
中盤、彼女がこの芝居の台本を持って自分の部屋で稽古するうち、デブの彼氏と喧嘩別れする場面が面白かった。
そこへ友人の植木夏十がやってきて、人形芝居を始めるようすをなぜかカメラが捉えて、下手のスクリーンに大写しする。
舞台の様子をライブでスクリーンに映すというのはときたま見かけるけど、ケラの作品ではひょっとしたら初めてかもしれない。
映像といえば、序盤のダンスとの合成が凄かった。個人的にはあそこがこの作品のハイライトといってもいいくらい。後半も楽器を奏でる人間に直に映像を重ねて面白い効果を出していた。この部分だけを切り取って、コンテンポラリーダンスのショーケースである「吾妻橋ダンスクロッシング」に出してもきっとウケルだろうと思う。
今回はカフカの長編を題材にしているということで、小説の内容を舞台に再現する場面もあったし、中村靖日の演じるカフカ本人も登場した。しかしそうした場面は雰囲気が暗めで、衣裳も黒っぽく、肝心のカフカの小説の面白さが充分に伝わっているとは思えなかった。
ちなみに、私のカフカ体験は、小説は虫だけのクチ。「城」と「審判」は舞台や映画を見て大筋は知っている。ウチにカフカの短編全集というのが積読の状態で置いてあるので、この芝居を機にできれば読み始めたいと思う。
この日の座席はN列だった。本多劇場はD列とE列の間が通路になっているが、ここと客席後方へ延びる二つの通路が、演技スペースとしてたびたび使われた。通路に展開した役者たちが少年王者舘の芝居を思わせる群唱で、宮沢賢治の詩「雨にもマケズ」のパロディをやったのが可笑しかった。食べた野菜はたしか4キロだっけ?
本多劇場で芝居を見る場合、経験的にE列以降を選ぶようにしているのだが、(A~D列は段差がないし、そもそも舞台に近すぎる)、今回の芝居ではそれが大いに幸いして、むりやり体と首をひねって見るという苦労をせずにすんだ。あれも一種の不条理だと思う。
以上、思いつくままに感想をだらだらと。
最後にひとつ、客演の横町慶子は何年ぶりかで見たが、そのナイスバディは健在だった。
ジゼル
谷桃子バレエ団
新国立劇場 中劇場(東京都)
2009/10/10 (土) ~ 2009/10/11 (日)公演終了
満足度★★★
秋の悲恋
7月に続いて谷桃子バレエ団の公演を見る。ただいま創立60周年の特集をやっているところで、これもその一環。今回の演目は「ジゼル」。
歌舞伎には人気演目の十八番というのがあるが、クラシックバレエでも十八番を選ぶとしたら、ジゼルは必ず入るだろう。歌舞伎とクラシックバレエには共通点が多いと常々思っていて、同じ演目を観客が繰り返し見るというのもその一つ。歌舞伎とクラシックバレエに限らず、それは古典全般についていえることかもしれないけど。
ジゼルをナマで見るのはこれが6回目くらい。さすがに開演前にプログラムを開いて粗筋を確認する必要はなくなった。簡単にいえば、秋の収穫を迎えた村を舞台に、身分違いの恋をした村の娘ジゼルの悲劇が描かれる。
2日間で3公演。主役と主要な脇役は毎回変わる。私が見た回の主演は佐々木和葉と今井智也。他の日の二人は以前に主役を演じたのを見ているので、これでこのバレエ団のプリマをみんな制覇したような気分になる。
格安チケットを座席のわからないまま購入したら、二階席の最前列だった。基本的にオペラグラスを使わないので、遠くてダンサーの表情が見えにくい二階席はなるべく取らないようにしているが、この新国立劇場の中ホールは意外とこぢんまりしていて、二階席でも最前列なら悪くないかなと思った。上から見ると群舞のフォーメーションがよくわかるし、スモークの広がり具合も効果満点。
今回、この作品を久しぶりに見て感じたのは、特に前半部分において、音楽とドラマがとても密接に関わっていること。たとえば「白鳥の湖」だと振付家によって構成を大幅に改訂することがあるので、ドラマと音楽は必ずしも一体化していないのだが、ジゼルの場合は芝居と音楽がほぼ不動なので、ドラマを盛り上げるBGMとしての効果がとてもよく感じられる。ドアのノックや角笛の響きといった効果音としても演奏が機能していて、ダンサーの仕草ともちゃんと一致しているのだ。
後半に登場する白い霊たちは首領格のミルタ(樋口みのり)を含めて21名。劇場のサイズに制約されるのかもしれないが、人数的にこれはちょっと少ない気がした。次に別の団体で見る折には、何人くらい出ているのか数えてみようと思う。
わが星
ままごと
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2009/10/08 (木) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
星のめぐり
柴幸男の作&or演出作品は「御前会議」「あゆみ」「少年B」に次いで4本目。自分が芝居を見る場合、たいがいは脚本の良し悪しがまず気になるのだけど、柴作品は脚本的にはそれほど魅力を感じない。特徴となっているのはコンセプトを前面に出した演出だろう。
よくいえば思春期のみずみずしい叙情性、悪く言えば学生演劇的な青臭さを感じる。この作品に共感する人がいることは充分に納得できるし、この作品にうまく反応できない私はたぶん、すっかりオッサンになってしまったということだろう。
ネタバレBOX
以下は観劇中、観劇後に頭に浮かんだ無責任なあれこれ。
家族の会話が何度も変奏されるところは、少年王者舘の芝居を作者が評価していたことと合致する。
音楽を専門家が担当しているのなら、役者の動きもダンスの専門家に振り付けてもらってもいいのではないか。役者全員が同じ動きをするのが個人的にはかなり単調だった。役者それぞれが自分独自の動きを持っていてもいいのでは、と思った。
音楽とテキストとダンス。これってミュージカルの三大要素だろう。いっそのこと本格的なミュージカルにしてみては?「御前会議」でやったような中途半端な「ミョージカル」ではなく。
前説の人がやたらと細かい数字にこだわっていたのが可笑しかった。4秒の休憩とか。世界のナベアツを連想したのはたぶん私だけだろう。
奥様女中/ジャンニ・スキッキ
ミラマーレ・オペラ
六行会ホール(東京都)
2009/10/08 (木) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
満足度★★★★
オペラ@小劇場
オペラをナマで見るのはほぼ初めて。座席数が約250の小劇場で開催、という点に引かれた。それとクラシックのコンサートで2度見たことのある、ソプラノ歌手の國光ともこが出ていたのも決め手。
オペラ作品の上演時間は1本が2時間くらいだろうと勝手に思っていたが、この日の2本はどちらも1時間ほど。気軽に見られる手頃な長さだった。
ネタバレBOX
「奥様女中」は宮本益光という人による日本語訳詞での上演。これがものすごくわかりやすかった。やっぱり台詞の意味がメロディといっしょにダイレクトに伝わってこそ面白みが倍加するわけで、字幕をたよりに外国語の歌を聞くのとはずいぶんちがう。訳詞がよくこなれていたし、歌唱もしっかりしていたので歌詞が聞き取れないということもほとんどなかった。登場人物は主人、女中、下男の3人だけ。演じる松山いくお、國光ともこ、内田雅人はコミカルな芝居の演技がうまいのに感心した。もちろん歌もよかった。ただし下男役の内田は歌わないし、ほとんどしゃべりもしないのだが、それでも芝居心はちゃんと伝わってきた。話の筋は単純。女中が主人の心をつかんで奥様になる、その計略をコミカルに描いたもの。むしろ主人と女中のキャラクターの面白さで見せる。だからなおさら芝居の演技力が必要になる。この日本語版は2002年の初演後もちょくちょく上演されているらしい。
「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニの作曲。劇中でジャンニ・スキッキの娘が父親に向かって歌うアリアが有名で、これだけは聞き覚えがあった。こちらは字幕付きの上演。日本語版を楽しんだあとなので最初はちょっと物足りなかったが、遺産相続をめぐって欲深い連中が右往左往するという設定がわかりやすかった。恋人たちと死体のほかはみんな強欲な連中ばかり。主人公がそのいちばん上をいく悪い奴。公演期間中、日によってキャストは替わるのだが、この日のタイトルロールは折河宏治。恋人たちは鷲尾麻衣と村上敏明。
小さい劇場ながらもちゃんとオケピを設けて、十数人編成の室内アンサンブルが生演奏した。これは非常に贅沢な感じ。
アヌーク・ファン・ダイク「STAU」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山円形劇場(東京都)
2009/10/08 (木) ~ 2009/10/08 (木)公演終了
満足度★★★
トリエンナーレ・フィナーレ
ダンストリエンナーレの最後はオランダの女性振付家アヌーク・ファン・ダイクの作品。フェスティバルの後半は天気もぐずつき、疲労もたまってきたが、どうにか通し券を無駄にせずに済んだ。最終公演にふさわしく、面白い趣向を凝らしている。
この作品だけはこのあと金沢でも上演されるので、これから見る人はネタバレBOXを開けないほうがいいと思う。
ネタバレBOX
劇場に着くと、カバンと靴を受付に預けてから入場するという。絨毯が敷いてあるとはいえ、それまで靴を履いて歩いていた場所をいきなり靴を脱いで歩くというのはちょっと抵抗があった。日本に初めて来た外国人が日本の家に靴のまま上がろうとして注意されるのならわかるが、来日した外国カンパニーの公演会場で日本人が靴を脱がなきゃいかんというのはヘンな話だ。しかし逆らうわけにもいかず、おとなしく従う。
開演時間になってようやく入場。いつもの円形劇場とはちがって、フロア全体が丸く平たい床になっていて、その中央部分に座席が設けられていた。真ん中に四角い舞台スペースを残して、3列の椅子が四角を描くかたちで並んでいる。舞台を客席が2方向から挟んだり、あるいは4方向から囲むというのは演劇の公演ではちょくちょく見るが、ダンス公演では珍しい。最近ではイデビアン・クルーの公演で2方向の座席というのがあった。
観客が入場する間も、ダンサーたちはフロアに佇んでいた。やがて客入れが終わるとまず、舞台監督みたいな人が、今回来日できなかったアヌーク・ファン・ダイクに替わって、開演前の挨拶や諸注意やダンサーの紹介などをした。それが終わっていよいよパフォーマンスが始まったのは予定の開演時間を20分ほど過ぎたころ。
前半は男女二人のダンサーが登場。ノイズ系の音楽が流れるなか、ときどきマイクロフォンを爪ではじくようなヴォッという音に合わせて、身震いみたいな痙攣的な動きを差し挟みながら踊る。体を近づけつつも触れない距離で、鼻をクンクンさせたり、びくっと痙攣したりと性的なニュアンスの漂う出だしから、徐々に離れて今度は観客に絡み始める。その場合も、近づくけれど触れることはほとんどしない。いじられるのはもっぱら最前列の客。客の座っている椅子の下にもぐりこんでそのまま向こう側まで通り抜けたり、暗転を挟んでほんのつかのま、男性ダンサーが全裸になったりした。
ダンスの振付うんぬんよりも、パフォーマーと観客の距離を縮めるというのが作り手のねらいらしい。いちばん遠くても3列目だから、いやでもダンサーの体が身近に感じられる。
後半は観客全員を立たせてから、設置されていた椅子をすべて撤去する。ここからはオール・スタンディング。女性ダンサー2人が加わる。部分照明があらかじめ決められているらしく、あちこちで踊るダンサーを照明が順繰りに照らしていく。ダンサーの移動に合わせて観客もぞろぞろと動く。ときたま4人のダンサーが観客一人を取り囲むこともあったが、観客をダンスに巻き込むのはいちばん最後の場面だけで、それもほんの数名だったので正直なところホッとした。後半でも男性ダンサーは全裸になって二階でスポットライトを浴びていた。
正味1時間。座席が4方向からステージを囲む前半も、観客がオールスタンディングになる後半も、個人的には過去に見た演劇作品で体験済みなので、それほどビックリするということはなかった。ただ、このフェスティバルを通じて、いい場所を占める関係者席の多さが気になっていた者からすると、パフォーマーと観客だけでなく、一般客と関係者の垣根をも取っ払ったこの作品は、フェスティバルのラストを飾るにふさわしいといえるかもしれない。
せいぜい30分くらいのスタンディングだったが、それでも途中で床に座り込んでいる若い観客がいた。パフォーマーの動きがしばらく止まっていたからそうしたのだろうし、パフォーマーが移動したらまた立ち上がったとは思うが、それにしても足腰弱すぎ。
ジル・ジョバン/カンパニー・ジル・ジョバン「Black Swan」 / 中村恩恵/Dance Sanga「ROSE WINDOW」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山円形劇場(東京都)
2009/10/06 (火) ~ 2009/10/06 (火)公演終了
低調
ダンストリエンナーレの第10弾。これがラス前。プログラムの内容か自分の体調かはともかく、ここへきてやや失速ぎみ。この日は日本とスイスの振付家の作品2本立て。
ネタバレBOX
中村恩恵の「Rose Rainbow」は本人のソロ。mori-shigeという名前のミュージシャンがチェロを弾いた。序盤は薄暗いスポット照明と暗転で短い場面が続く。衣裳は白いユニタードふうのもの。突然、強烈な光がともって、疲れた目にはちょっと暴力的な照明。動きはバレエのコンテンポラリーふう。女優なみに役を演じている感じがした。ドラマ性を感じるわりには、踊りは抽象的で、美術はシンプル。ドラマチックに演じるなら美術や衣裳はもっと具象のほうがいいのではないか、と思ったりした。舞台後方にドアがいくつも並んでいるのがこの円形劇場の特徴。それをちょっぴり活かしていた。ダンスとは関係ないが、あの湾曲した壁とたくさん並んだドアを見ていると、今昔物語に出てくる飛騨の匠の話を思い出す。上演時間は約30分。
スイスのジル・ジョバンの「BLACK SWAN」では本人を含む男2女2が出演。ダンスの部分も、小道具を使った演出部分も、とにかく凡庸というか退屈だった。似たような動きを長く続けすぎ。しつこくやればいいってものではない。上演時間は40~50分あったけど、10分くらいのダイジェスト映像で紹介しきれる内容ではないか?
ジネット・ローラン/オー・ベルティゴ「La Vie qui bat」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山劇場(東京都)
2009/10/05 (月) ~ 2009/10/05 (月)公演終了
ワーストかも
ダンストリエンナーレの第9弾。カナダの振付家ジネット・ローランの作品。このフェスティバルの会場はこれまでずっとスパイラルホールか青山円形劇場だったが、今回に限り青山劇場で開催。出演するダンサーが9人と多いからだろうか。生演奏をするミュージシャンも14人いたし。客席はさびしくない程度に充分、埋まっていたようだ。
ネタバレBOX
ミニマル・ミュージックの作曲家で知られるスティーヴ・ライヒの曲「ドラミング」を使った作品。音楽はライブで演奏される。ライヒの「ドラミング」を使用したダンスといえばベルギーのダンスカンパニー、ローザスの作品が思い浮かぶ。日本では2001年に上演されたが、私は残念ながら見ていない。作られた年代が気になったので調べてみると、ローザスの「ドラミング」の初演が1998年。一方、ジャネット・ローランの今作「La Vie qui bat」は初演が1999年。見終わったあとで思うことだが、どうせならローザスのほうを見たかった。
振付もダンスもかなりダメだった気がする。出演者は9人と多いが、振付は基本的にデュオが中心。しかも動きの半分くらいはペアの一人が相手の体を持ち上げるという、リフト主体。ユニゾンなのかそれとも動きをわずかにずらしているのかが判然としないこともあった。ライヒの音楽を使う意味があったのかと疑問を感じるくらい。ダンサーの動きは音楽を反映しているようには思えなかった。
衣裳もヘンテコ。足元はホワイトカラーの会社員が穿くような黒い靴。一方、ズボンとシャツはブルーカラーの労働者が着るようなグレーの作業着ふう。そして頭髪だけはパンクの若者かと見まごうような人工的な赤。終盤でズボンを脱ぐと、全員が穿いているショーツがこれまた頭髪に近い赤。わけのわからないチグハグさだった。
タルダンス・カンパニー/ムスタファ・カプラン-フィリズ・シザンリ「DOLAP」 / 鈴木ユキオ/金魚「犬の静脈に嫉妬せず」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山円形劇場(東京都)
2009/10/04 (日) ~ 2009/10/04 (日)公演終了
満足度★★★★
地震国のダンス
ダンストリエンナーレの第8弾は、トルコと日本の作品の2本立て。
トルコとコンテンポラリーダンスという言葉の組合せがそもそも矛盾しているのではないか、と冗談をいいたくなるくらい、今回のフェスティバルではいちばん異色というか、単純にいって珍しさを感じる作品。
もう1本は初演を見たことのある鈴木ユキオ振付作品の改訂版。
両者の内容に共通点は感じられなかったが、結果的にはどちらも面白かった。
ネタバレBOX
トルコからはタルダンス・カンパニーの男女二人が出演。タイトルは「Dolap」。初演は9年前にパリで。大型冷蔵庫サイズの直方体の箱が重要な役割を果たす。要するに、人間2人と箱1個によるコンタクトだと思えばいい。
出演する二人の衣裳は裾が短めのズボンと半袖のシャツ。それにニット帽の縁をひとつ折り返してかぶっている。
開演して登場すると、端に寝かせてあった箱を中央に移して立てる。箱を挟んで二人は、互いの足が箱の方を向く形で、直線上にあお向けに横たわる。そのままならただ人も箱もじっと静止しているにすぎない。そこでまず、一人が横たわる前に箱を、先に横たわっている相手の方へゆっくりと倒す。倒したほうもすぐに横になる。すると、傾けた箱はそのまま反対側の寝ている人間に向かって倒れていく。体が箱の下敷きになる寸前に、相手は両足を上げて倒れかかった箱をキャッチする。そして今度は相手のほうへ箱を蹴って倒す。これを交互に続ける。
次はいったん両足で箱をキャッチしたあと、数十センチほど体を移動させてからまた箱をキックする。倒れる位置が少しずれたので、相手も数十センチ移動しないと箱をキャッチできない。
最初は二人の間を箱がメトロノームの振り子のように行き来していたが、今度は、常に反対側にある時計の針のように、箱を中心点にして二人がその周囲を回り始めるのだ。その間も仰向けに横たわったままで箱はキックしている。
次は一人が箱を両足でキャッチした瞬間、もう一人が跳ね起きて、傾斜したまま止まっている箱の上に乗りかかる。バランスよく形が決まってところで元の位置にもどり、今度は立場を逆にする。
その後も次々といろんな動きが繰り出すのだが、派手ではないものの妙に意表をつく動きの連続で、最後まで面白く見た。中盤ではそれぞれがソロで演じるパートもあった。
演じる二人は生まじめに黙々とパフォーマンスをこなしていく。その雰囲気がどことなく神村恵カンパニーのミニマルな作品と似ている気がした。動きそのものよりも、取り組む姿勢が。
出演者二人の経歴を見ると、男性のムスタフォ・カプランは大学で電子工学と電気通信学を学び、女性のフィリズ・シザンリは工業大学の建築学部を卒業したとあり、ともに理系のインテリだという点が興味深い。さしずめこの公演は「重さとバランスに関する調査研究」だったのかもしれない。
鈴木ユキオの「犬の静脈に嫉妬せず」は3年前にこまばアゴラ劇場でやったのを見ている。とても好きな作品だったので、また見られるのが楽しみだったのだが、出演者の人数が減っているうえ、美術もすっかり違うものになっていたのがちょっと残念だった。ただし、見覚えのある振りはちゃんと残っていた。客席に向かって遠投するところとか、胸板を叩きまくるところとか、ワイシャツの襟元や裾を開けて相手に誇示するところとか。
出演者4人のうち、安次嶺菜緒と鈴木はよく体が動くぶん、動物的というか獣的な印象が強い。あの引きつったような動きを見ていると、いつのまにか自分の指にも力が入っていたりする。共演は川合啓史と寺田未来。
て
ハイバイ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2009/09/25 (金) ~ 2009/10/12 (月)公演終了
満足度★★★★
孫の手ではなく、祖母の手だった
再演を初見。これは面白かった。祖母の死を軸にして、集まった家族の肖像が描かれる。作者の岩井秀人があちこちで語っているところから判断して、内容は彼の家族のことを描いた実話がベースの作品だろう。少なくとも、こちらはそういうつもりで見た。
ネタバレBOX
父親の暴君ぶりが家族全体に暗い影を落としている。ドメスティック・ヴァイオレンスの一例といっていいのではないだろうか。妻と4人の子供。子供は男女二人ずつ。作者に相当する人物は次男だろう。90歳を過ぎてだいぶボケの症状が出てきた祖母。彼女の見舞いを兼ねて久しぶりに家族全員で集まろうといいだしたのは長女らしい。両親の家と祖母の住む家が分かれていて、家族は祖母の家に集合。カラオケ大会になる。子供のころにずいぶん父親から暴力を振るわれた子供たちも今は成人している。同等に父親の暴力をこうむったようでも、その程度や受け止め方には個人差がある。わきあいあいと宴が進むはずもなく、軋轢が生じるたびに、家族の関係が観客の前に提示されていく。その夜、祖母が息を引き取る。そしてキリスト教の神父だか牧師による葬儀が行われる。
葬儀を軸にした家庭劇というのはそれほど珍しいものではないが、描き方の点で面白いのは、まず作者である次男の視点で一連の出来事を描いたあと、たぶんだいぶ経ってから作者が家族にあれこれと取材したのだと思う、当時の家族の行動を追加して、葬儀前後の出来事を再構築していることだ。したがって同じ場面が別の角度から再び描かれたりする。映画で今思いつくのは、ガイ・リチー監督の「ロック・ストック&ツゥー・スモーキング・バレルズ」あたり。実話だという強みに加えて、この独特の構成が作品を非常に面白くしている。ただ、やはりいちばん興味を引き付けるのは家族そのもののユニークさ。
家族に与えた影響の深刻さがまるで理解できていないように思える父親の頑迷なまでの厚顔さ。祖母と過ごす時間の長かった長男が長女との口論の中でにじませる祖母への思い。母親が娘に語る忍従の理由と、夫へ離婚を切り出すときの呪詛にも似た決別の言葉。どれも印象深い。
脚本というよりも演出面だと思うが、母親役を男優が演じたり、90過ぎの祖母を若い女優が演じたりしている。笑いを取ろうとか、深刻さを和らげようとか、そういう意図でやっているのかもしれないが、個人的にはまったく不必要だと感じた。いったんこの家族の深刻な関係に興味を覚えてしまうと、笑いなどは全然必要なくて、とにかくこの家庭劇の顛末が知りたくてしかたがなくなるのだ。母親を演じる男優がときどき男っぽい地を出した演技をしたときに客席から笑い声が起こっていたが、そういうときでも私はまったく笑う気がしなかった。思うに、母親役だけを男優が演じているというのは、何か特別な演劇的効果をねらったとかそういうのではなくて、単に母親への思い入れが強すぎることからくる、作者の一種の照れ隠しではないかと思う。もしこの作品が映画化されるとしたら、おそらく普通に歳相応の配役がなされるだろう。そう考えると、これはあくまでも舞台劇ならではの演出ということになる。
役者はおおむね好演だったが、特に父親の猪俣俊明、長男の吉田亮、長女の青山麻紀子がよかった。
矢印と鎖
BATIK(黒田育世)
青山円形劇場(東京都)
2009/09/30 (水) ~ 2009/10/02 (金)公演終了
しゃべるな
BATIKの黒田育世の新作(初演は今年5月、福岡にて)ということで、楽しみにしていたのだが、内容は大いに期待はずれ。前作の「ペンダント・イブ」は面白かったものの、途中でダンサーが声を出していたのがちょっと気になっていた。そしたら今回は叫び声、笑い声が作品中に響き渡っていて、前作での不安が的中したかっこう。ダンスで声を出すのは別に禁じ手ではないと思うが、黒田作品の場合は叫びや笑いを体の動きで表現してこそ魅力なわけで、安易に声を使ってしまうのは逆効果だと思う。
出演者は5人。そのうちBATIKのメンバーは黒田と西田弥生の二人だけ。これまでBATIKの作品はいずれも面白かったので、今回が例外であることを祈る。ファンとして、黒田育世にひとことだけ言いたい。
しゃべらずに、黙って踊れ。
キム・ヒジン/モム・カンパニー「Memory Cell」 / フランク・ミケレッティ/クビライ・カン・アンヴェスティガシオン「Espaço contratempo」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山円形劇場(東京都)
2009/09/28 (月) ~ 2009/09/28 (月)公演終了
デュオ
ダンストリエンナーレの第6弾。ちょうど折り返し地点まで来た。見るぶんにはまだまだ興味深く、飽きるということはないのだが、見た印象を言語化する、つまり感想を書くことには、ちょっと大儀さを感じるようになってきた。
フランスのフランク・ミケレッティと韓国のキム・ヒジンの作品2本立て。特に共通点があるようには思えない組合せだが、強いて挙げれば、ともにデュオのダンスだということか。
ネタバレBOX
フランク・ミケレッティの作品では男性デュオが踊った。本人ともう一人、黒人ダンサーが出演。ただしギターを弾くミュージシャンも登場したので、厳密にいうと人数的にはデュオ作品ではない。上演時間は約45分。
チラシの解説を見てもどういうダンスの経歴があるのかは書いていないが、見た感じではちょっとストリートダンスっぽいかなと思った。ストリートダンスといってもいろいろな種類があるのだろうが、エネルギーの塊みたいなものが体の内部を速度を変えながら移動していて、それが体の動きになって表面化したような感じ、といえばいいか。ただし、ストリートダンスほど動きは細かく分割されていない。速度は極端に遅いけれど、太極拳などもその動きを見ていると、あるエネルギーが体の中を間断なく移動しているという印象を受ける。ということで、ストリートダンスと太極拳の中間的なダンス、ということにしておこう。作品の演出とかテーマよりも、とりあえず動きの特徴をあれこれ考えながら見ていた。
韓国の女性振付家キム・ヒジンの作品は、フランス人の男性ダンサーとの共作・共演。上演時間は約30分。男女デュオという組合せはいちばんドラマチックになりやすいと思うし、実際、この作品も二人の濃密な関係を描いているようだ。韓流ドラマを地で行くようなダンス。こういうストレートな感じのダンスは、どちらかというとバレエのコンテンポラリー作品として上演してもいいのではないだろうか。シルヴィ・ギエムなんかが踊ったらすごいかも。逆に吾妻橋ダンスクロッシングではまず見られないだろうなあ(笑)。
エステル・サラモン「Dance#1/Driftworks」
ダンストリエンナーレトーキョー
スパイラルホール(東京都)
2009/09/27 (日) ~ 2009/09/27 (日)公演終了
ぷるぷるふるえる
ダンストリエンナーレの第5弾はドイツの振付家エステル・サラモンの女性デュオ作品。開場が開演の5分前。しかも実際の開演は予定を15分も過ぎてから。いったい舞台裏で何があったのだろう。上演時間は約1時間。
ネタバレBOX
エステラ・サラモンともう一人の女性が出演。二人とも白ズボンに白シャツ。タンクトップがサラモン。もう一人はホルターネックで微妙に衣裳を変えている。ダンスのほうも同様に、ユニゾンではないが似たような流れで動くことが多かった。
前半の出だしでは二人がうつぶせに、横一列に寝そべっている。つま先を床に立てて踏ん張ることで、体を前後に揺すっている。一見、芋虫のように這っているのかと思ったが、いつまで経ってもその場で上下運動するばかり。やがて体を起こして立ち上がる。その間も体のどこかしらを前後あるいは左右に往復運動させている。立ち上がってからは膝を小刻みに屈伸させることが多かった。体の振動に促されるように腕もゆっくりと動かしている。二人の動きを見ているうちに浮かんだのは、紙相撲という遊びで使う力士の動き。底に敷いてある紙を指で突付くと紙製の力士がチョコチョコ動くというアレ。ああいう感じで二人の位置がいつも間にか逆になっていたりする。動きの変化の緩慢さでは舞踏といい勝負。途中で二人が客席へ背中を向けて、お尻を中心に背面全体をプルプルさせるところが可笑しかった。全体的に健康体操みたいな雰囲気があり、エステル・サラモンの顔立ちが何となくジェーン・フォンダに似ているところから、エアロビクスのワークアウトを連想したりもした。
タイトルの「Dance#1/Driftworks」というのを見てもわかる通り、前半と後半で別の作品になっている。後半は一つの作品というよりも、作品以前のサンプル集といった感じ。ワークショップではこういうのをやりますという宣伝用の見本、というか。
今津雅晴「still life」 / 木野彩子「IchI」 / キム・ジェドク「Darkness PoomBa」 / 浜口彩子「15秒」
ダンストリエンナーレトーキョー
青山円形劇場(東京都)
2009/09/26 (土) ~ 2009/09/26 (土)公演終了
極東編
ダンストリエンナーレの第4弾。この回だけは4本立てと数が多い。他の公演は単独か2本立て。日本から3人、韓国から1人という内訳。それぞれ上演時間は25分くらい。
ネタバレBOX
木野彩子「ICHI」は、上野天志とのデュオ作品。陰影礼賛ということだろうか、とにかく照明がやけに薄暗い。連日の劇場通いや加齢のせいもあるが、薄暗い中で動きを見つめようとすると、目が疲れてくるのがよくわかる。暗いところで本を読むと目が悪くなる、というのと同じ。作り手は動きを見せたいのではなくて、作品としての雰囲気を作りたいのだろう。黒い格子状の板を4枚立てて、和風家屋の塀、あるいは檻を思わせる形にときどき移動させる。塀を挟んでユニゾンで動く男女は恋仲だろうか、道ならぬ恋を咎められて檻に閉じ込められたのか。そういう想像を働かせたいところだが、それには衣裳を和風にするとか、もう少し工夫がほしい。生演奏するミュージシャンが下手に3名。
今井雅春「Still Life」は本人のソロ。畳3枚を並べた周囲に靴がたくさん揃えて置いてある。横になっていた今井が体を起こして、靴を咥えるところは犬を演じているよう。両手にも(手袋ではなく)靴を履いているので、なおさら動物的な印象。畳3枚分に照明が当たっていて、この作品も周囲が薄暗い。やれやれまたか、と思っていたら、今井が立ち上がると同時に白い照明が広がって、ピアノの演奏も鳴り出した。今井は長袖の白っぽいシャツを妙な具合に着ている。シャツの前裾を捲り上げて、腕を袖に通したままで、頭の後ろまで脱いでしまっているのだ。シャツの前裾をまくって頭にかぶるのは、コンテンポラリーダンスで何度か見たことがあるが、それをさらに進めて、いったん頭を襟首から抜いてから、後頭部に引っ掛けてある。(説明がメンドー)。両手の靴はそのままで、音楽に合わせてシャープな動きで踊る。終盤でようやく靴を手から脱ぎ、畳周辺の靴を全部畳の上に移す。ベートヴェンの「歓喜の歌」が響き渡るなか、今井が舞台正面に進み出ると、背後の畳の上に、天井の方から靴が次々と投げ入れられる。わけのわからない内容だが、自分なりに想像すれば、「人間になりたかった犬」の話、ではないか・・・?
3本目、キム・ジェドクは韓国の男性振付家。タイトルは「「Darkness PoomBa」。チラシの解説によると、「プムバ」という乞食の格好で演じる韓国伝統の音楽パフォーマンスを基にしているとのこと。舞台にはドラムとギターとベース、客席にはスタンドマイクが置いてあって歌手が唄う。ダンサーは7人。そのうちの二人は床に置かれたトレイの飯を喰う仕草をしていたから囚人かあるいは乞食の役なのかもしれない。他の5人とともに、身体能力の高い動きを披露。2人~5人と組合せを変えながらも、ユニゾンのやけに多い振付だった。以前に見た韓国の男性振付家の作品でもユニゾンが非常に目立っていて、これは向こうの流行というか好みなのかもしれない。中盤には振付家で、出演もしているキム・ジェドクが客席のマイクまで降りてきて、唄ったりハーモニカを吹いたりしたが、激しく動いたはずなのに歌や演奏では呼吸の乱れが感じられなかったのがすごい。全体としてはエンタメの色合いが濃く、歌手が客席ではなく舞台中央に立てば、そのままで歌のライブコンサートになりそうだった。実際、手拍子を求められたし。そう考えると、ユニゾンの多い振付はショービジネスのバックダンサー的な踊りなのかもしれない。
浜口彩子「15秒」は7人のダンサーが出演。本人は出なかったもよう。この作品が始まる前に、舞台の壁を覆っていた黒い幕がようやく取り払われて、背景が白っぽい壁になり、舞台全体がずいぶん明るくなった。作品はコンテンポラリーダンスそのものをパロディにしたような、ちょっとコミカルさもある珍しい内容。コンテンポラリーダンスを見続けていると、特徴的といえる動きがいくつか見つかるものだ。そういう短い一連の動きを取り出して、それにちょっととぼけた名前をつけて、風船に吊るした紙やフリップボードに書いて一つずつ紹介していくというもの。特にフリップボードをめくりながら演じていくという形式は、お笑いのコントでよく使う手口だ。コンテンポラリーダンスによるセルフ・パロディということで、作り手は自虐的になっているのかとも思ったが、別にそういうこともなさそうで、ダンサーたちは楽しそうに、そして真剣にやっているようだった。名前のついたダンスの断片がたくさん出来たわけだから、今度はフリップボードをシャッフルして、無作為に既存のフレーズを繋げて作品化してみるのも面白いかもしれない。聞きかじりの知識だけど、そういう偶然性を利用した創作方法は、今年亡くなったマース・カニンガムもたしかやったはず。
ミシェル・ノワレ/カンパニー・ミシェル・ノワレ「Chambre blanche」
ダンストリエンナーレトーキョー
スパイラルホール(東京都)
2009/09/24 (木) ~ 2009/09/25 (金)公演終了
満足度★★★★
5人の魔女
ダンス・トリエンナーレの第3弾は、ベルギーのミシェル・ノワレの振付作品。素晴らしかったヤスミン・ゴデール作品のあとだけに、それほど期待せずに見に行ったのだが、これが予想外に面白かった。
ベルギーのコンテンポラリーダンスのカンパニーといえばローザスが有名だが、女性ダンサーしか出ていないという点でも、この作品はローザスの「ローザス・ダンス・ローザス」を想起させる。
ただし、ミシェル・ノワレの作品は、BABY-Qの東野祥子のような、ちょっとダーク・ファンタジーな雰囲気がある。上演時間は約80分。
ネタバレBOX
舞台の三方には薄水色のカーテンが下がっている。舞台中央に白い四角の机。背もたれのない黒い椅子がいくつか。
出演者は女性5人。振付家のミシェル・ノワレも出ているが、ダンスの主力は若手の4人。全員衣裳は黒ずくめ。薄手のワンピースはノースリーブで裾が膝丈。序盤はそのうえにコートを着用。脱いでカーテン付近に吊るしたり。
開演前から客席に背を向けて座っている金髪の女性がひとり。これがミシェル・ノワレ。彼女がカーテンの向こうへ消えるのと入れ替わりに別の女性が登場。机の周辺をゆっくりと移動。そしてまた別の一人と入れ替わる。この辺は机周辺の動きそのものよりも、人物の出入りの呼吸が面白い。カーテンで区切られたスペースは控えの場所で、カーテンの向こう側で起こっている出来事のほうがむしろ重要、そんな印象を女性たちの振る舞いから感じる。
一人ずつだった登場がやがて二人になり、三人になる。ダンサーの顔が識別できないうちは、出演者が何人なのかもわからず、人物の出入りにまどわされる。金髪が二人、黒髪が二人、赤毛が一人。ほぼ白黒の舞台なので、髪の色がとくに印象に残る。ジョージ・ミラー監督の映画「イーストウィックの魔女たち」に登場した3人も、髪の色が3色に分かれていたのを思い出す。
ダンサーの動きには独特の緩急がある。目配りや顔の動きとあいまって、周囲への警戒感がはっきりと読み取れる。何を警戒しているのかはわからない。ただ謎めいた、張り詰めた雰囲気の中でダンサーが動く。
若い4人のダンサーの踊りが中盤のクライマックス。それぞれが特徴となる自分の動きを持ったうえで、ときおり動きが揃うというのが振付の魅力。特に黒髪の二人は背丈も似ていて、姉妹のようだった。
後ろ向きで立ち、カーテンに投影された影といっしょに躍るところも印象的。
ミシェル・ノワレが机を移動させる長い場面。机は自動で動いているように見えたが、どういう仕掛けになっていたのだろう。
暗転によって時折謎めいた短い場面が差し挟まれる。その辺にBABY-Qと似たものを感じた。トップレスの女性の背中が一つから三つに増える。背中の動きはまるで女性版の室伏鴻。蛍光灯の光に照らされた白い胸が机に横たわるラストでは、フェスティバル・トーキョーで見たロメオ・カステルッチの作品を思い出した。
ミシェル・ノワレという人、けっこうキャリアがあるようだけど、これまで来日したことはあるのだろうか。もしまた日本で作品が上演されることがあれば、ぜひ見てみたい。