「獣の時間」「少年Bが住む家」
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2020/10/23 (金) ~ 2020/11/02 (月)公演終了
満足度★★★★
朝鮮人、浮浪児を見下し虐待する日本人舎監たち(内田竜磨、山口眞司)。しかし院長(山口)の娘(伊藤安那)は、若さゆえの純粋さで、海で自分を助けてくれた院生567号(西山聖了。名前もなく、番号で呼ばれる)に優しく接し、熱心に本を読ませる。特にデミアンの「生まれ出ようとするものは、一つの世界を破壊しなければならない」がの一節を何度も。箸の使い方も教える。
しかも567号の愚鈍さ、いじけた性格は、生き残るための芝居で、実は頭の良い少年だった。心を通わせ始める二人。
しかし、それは長続きせず、567号は生き地獄のような孤児院に連れ戻される。
母親(清水直子)が壁面に合間合間にくくりつけて増やすノイバラは、人間性を取り戻す576番を象徴するのかと思うと、全く違う意味がクライマックスで明らかになる。
デミアンの一節が、567号=カン・テスの決断を象徴する言葉になる。
日帝時代にあった、脱走困難な孤島の孤児院「仙甘学院」をモチーフに、日本の朝鮮支配の罪を告発する舞台。二人の男同士の蔑みと反抗、支配と服従の逆転も描き、小品ながら濃密な作品。
舞台中央に開けた矩形の穴が、学院への抜け穴になったり、棺になったり。この作品がどこか違う世界とつながっているような、あるいは地底の底に降りていくような、垂直方向の世界観を視覚化してくれた。
獣道一直線!!!
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2020/10/06 (火) ~ 2020/11/01 (日)公演終了
満足度★★★★
木嶋佳苗の連続殺人事件にインスパイヤ―されたピンクでブラックなコメディ。「パワハラ女」の登場場面から、スカートの下をさらけ出す最後まで、池谷のぶえのつきぬけた役作りと体当たり演技が出色だった。古田新太もよかったが、少々お疲れ気味? 科白を噛んでいたのがご愛敬だった。
苗田松子(池谷)が、夫の中薮(池田成志)の家で、出所してきた古田とふける「愛欲の日々」がきわどいけれど、笑えた。プロローグの「不要不急の俳優なんてお荷物」ソングや、古田と池田のフェイスガードでベッドインとか、コロナを逆手に取ったギャグも、コロナを笑いに変えるしたたかさが良かった。
池谷と美月ちゃんの早変わり、いれかわりの二人一役の「毒女・苗田松子」も笑えたし、演劇的仕掛けで、「悪い女」の可愛さ、危なさが多面的に感じられた。
とにかく難しいことを考えず、毒と下ネタとコントに気楽に笑えた2時間半であった(休憩込み)
舞台上のカメラを使った演出=絵が、スクリーンに拡大されて出る。も、俳優を大きくみられるからうれしかった。ケラなど、生の舞台で映像を使う作家、演出家が増えてきているのは、いいことだ。生の舞台で映像を使う事には躊躇もあるが、遠慮せずに、色んな使い方印チャレンジしてほしい。野田秀樹作「真夏の世の夢」の、プルカレーテ演出も映像を、出演者の映像をふんだんかつ巧みに使って印象深かった。
氷の下
うずめ劇場
仙川フィックスホール(東京都)
2020/10/14 (水) ~ 2020/10/15 (木)公演終了
満足度★★
「かもめ」の一幕目でニーナが演じる独白芝居を連想した。空港でどんなに離陸時間におくれて呼び出しを受け続けても、ゲートにいこうとしない女の身勝手な独り言。「コンサルタントは(精神科の)治療だ」「こいつできるけど傲慢じゃない、とクライアントに思わせることが大事だ」と豪語するおとこ。あざらしの大群と白熊のスケートの自作のミュージカルをプレゼンする女。あと女優がもう一人、最初はセーラー服で、最後は、他の女と同じスカートの短いスーツ姿で現れる。
それぞれ絶叫型の独白、力演型のスピーチがつづき、対話や物語はない。自助を求める新自由主義へのけんお、気候変動への関心、コンサルなどの非生産的な無意味な仕事(今で言うとブルシットジョブ)へのひはんがある。
生ピアノを使った音響(二番目の女が弾く)がゆにーく。あざらしのパンパンに膨らんだぬいぐるみと、白熊の着ぐるみはおもしろかった。
リチャード二世
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2020/10/02 (金) ~ 2020/10/25 (日)公演終了
満足度★★★★
タイトルロールの岡本健一の演技に尽きる舞台だった。前半の落ち着いた王から、後半の嘆きへりくだり錯乱する、失脚した王へ。えんじゃ皆、歴戦の俳優ばかりで、セリフが聴き取りやすい。安心して、シェイクスピアを楽しめた。この芝居は、ストーリーは単純で、セリフの機智や修辞が聴きどころなのでなおのこと良かった。
全体を上手く刈り込んだテキストレジーで全体を3時間20分(休憩20分込み)と適度な長さに。王が降伏する城壁が、舞台左前の小さな踏み台になっていたり、「棺」を、遺体を覆う布で済ませたりと、簡素だが雰囲気をよく出す美術・小道具も良かった。
また特筆すべきは衣装。とくに王侯貴族たちの威厳を、落ち着いた色合いとシンプルだが華のあるデザインでよく示していた。衣装にこれだけ手間をかけられるのは、新国立劇場の企画公演ならではだと思う。
センポ・スギハァラ
劇団銅鑼
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2020/09/17 (木) ~ 2020/09/22 (火)公演終了
満足度★★★★
劇作家・平石耕一さんの出世作にして代表作。杉原千畝の話は今や有名だが、顕彰の先鞭を切った作品でもある。ビザ発給の決断がひとつのポイントだが、満州で見た日本人の専横ぶりをナチスに重ねることと、外交官として子供に誇れる仕事かどうかという角度から迫る。子供の存在は独楽を通して象徴され、それがキーアイテムとなる。津上忠さんの教えのように、小道具を三回生かしていた。
杉原役の館野元彦が、気さくな気骨の人をえんじてよかった。妻の中村真由美も夫を支える気丈さを示していた。ユダヤ人家族のパートも横手寿男、山形敏之ら、好演していた。
領事館とユダヤ人アパートの転換を一瞬でできる、パタパタ式の美術も良く出来ていた。
私はだれでしょう
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2020/10/09 (金) ~ 2020/10/22 (木)公演終了
満足度★★★★★
いろいろなことを考えさせられた。まず、初演も再演も見ているのに、3度目の今回見て、大事なことを全く覚えていないことに愕然とした。同じことは井上ひさしの「ムサシ」の再々演でもあったが、今回はあまりにひどい。実はそこにこの戯曲の深さと難しさがあると思ったので、書き留めておきたい。以下、戯曲分析が中心になります。
初演は川平慈英の記憶喪失の元軍人役が見事だった。様々なキャラクター、見事なタップダンスを演じ分けて、それが最も印象が強かった。それと絡んで、戦後のGHQの検閲下に置かれたNHKラジオの「尋ね人」のスタッフの話で、その責任者がGHQの意向に逆らって最後は連れて行かれる。覚えていたのはそれだけだった。
今回見て、主人公の河北京子の弟が特攻任務に抗命の罪で自殺した「赤縄」の話、CIEのフランク馬場の二重国籍と日本の孤児院支援の話、そして「尋ね人」でGHQから問題にされるのが、原爆の広島・長崎からの投書を読んだことであることを、全く忘れていた。これはこの戯曲の三つの肝とも言うべきテーマなのにである。(例えば「きらめく星座」で言えば、「大日本帝国の大義、ありや、なしや」を忘れてしまうようなものだ)
ここで考えてみると、実はこの戯曲は大きく二つのプロットがある。メインが「尋ね人」の室長のたたかい。サブが、記憶喪失の山田太郎の話である。初演で川平慈英が演じた。この二つの話は実は互いに独立している。ところが、サブの山田太郎の話の細部が面白いために、私の記憶の中で、メインの細部が霞んでしまったのだと思われる。
最後に、権力に対して弱者は「負けて負けて負けて負け続けて、積み上がって勝ちになるまで」戦い続けるのだという歌がある。この作品の最大のメッセージが込められた歌だ。これも全然忘れていた。「負けて負けて負け続けて」ということが、10年前、3年前に見たときよりも、胸にこたえる心境の変化だろうか。それだけでなく、山田太郎の「私はだれでしょう」のサブプロットが、「尋ね人」のメインプロットを食ったせいもあると思う。
そもそも「私はだれでしょう」のタイトル自体がサブプロットのもので、メインプロットがタイトルになっていないことに、作品構造のずれがある。公演の宣伝のために、タイトルは、戯曲を書くよりも前に決める。推測だが、最初は記憶喪失の男の話がメインに絡む予定だったのが、戯曲を書いているうちに、ずれたのではないだろうか。(あくまで勝手な推測です。井上ひさしさんすいません)
メインプロットに、折々の闖入的にサブが絡む構図は、「きらめく星座」の脱走兵の息子、「頭痛肩こり樋口一葉」の花蛍、「人間合格」の活動家の友、「太鼓たたいて笛吹いて」の行商の弟子など、井上ひさしのお得意のものである。しかし、いずれもタイトルはきちんとメインプロットから取られている。また、サブとメインが有機的に絡んでいる点も、ずれが目立つ「私はだれでしょう」とは違う。
この作品は井上ひさしの最後から5番目の作品。戦争を描いたのは、この後では朗読劇「1945年口伝隊」があるだけである。それだけに、集大成的要素がある。原爆は「父と暮せば」、やくざの若親分の話は「雨」、記憶喪失の話は「闇に咲く花」からの借用でもある。日系米人の将校はアメリカの日系人収容所を描いた「マンザナ、我が町」に通じる。実際、実在のフランク馬場の両親は収容所に入れられ、本人も入れられる危険があった。最後に「ラジオの魔法」は、井上ひさしの言い続けた「劇場の奇蹟」に通じる。人生に文化芸術(演劇、ラジオ)はどういう意味があるのかという芸術論である。
そして晩年めざした音楽劇という形式。「誰かの鉄砲玉になるのはもう嫌だ。これからは、私は誰になるべきでしょうを考えていきます」というセリフは、東京裁判三部作のエッセンスと言ってもいい。
とにかく集大成なだけに情報量が多い。(初演は休憩15分入れて3時間20分の長さだった。再演からは休憩込み3時間に少し縮めている)そして一つ一つは割と無造作に置かれていて、見逃しやすい。再演、再再演に価値があるし、何度も見て、新たな発見があるゆえんだと思う。
馬留徳三郎の一日
青年団
座・高円寺1(東京都)
2020/10/07 (水) ~ 2020/10/11 (日)公演終了
満足度★★★★
大変笑えた。山村の過疎の老夫婦宅に、東京にいて何年も帰らない息子の、部下を名乗る男がやってくる。オレオレ詐欺師らしい。老父は金に困っているなら仕事を紹介するといい、それがなんと「ロシアのスパイ」。金髪美人にロシア語を習える、という。怪しげなロシア語まで操り、爆笑した。
いっぽう、近所の親子三人が用もないのに何度も来る。最初は詐欺師に、息子の部下なら息子の似顔絵をかけという。詐欺師を追い詰めるかと思うと、だんだんこの親子自体がおかしなことを言い始める。別々にやってきては、息子は両親がボケ始めえてるといい、両親は息子が若年性アルツハイマーだという。互いに、相手が逃げた、行方不明だと言っては助けを求めて、混乱させる。
かと思うと、別の村人が「この家の息子は死んだ。あんた調査が足りない」といい出し、老妻は「いや、生きてる。今海外で商社マンだ」と。
いつの間にか、詐欺師は家の息子に扱われ、甲斐甲斐しく朝食を作る…。
同じ人でも、出てくるたびに言うことが変わる。コントの連続のようで、笑いにはことかかないが、なにが真実かというと、つかみどころがない。すべての解釈をするりとかわす、軟体動物のような舞台。老人役の三人が、自然体でユーモアがあって良かった。これは痴呆化(高齢化)進む日本の桃源郷かもしれない。ボケても人は幸せに生きていけると。
途中の場面の区切りに、テレビの甲子園中継の音が効果的に使われていた。冒頭の老人の会話からして「加山雄三と歌丸は同じ歳だぜ」「嘘だろ」と、懐かしい昭和ネタでくすぐっていた。歌丸が司会の「笑点」といい、甲子園テレビ中継と言い、古き良き時代のノスタルジーをくすぐる。高齢者を描くツボにはまっていた。
All My Sons
serial number(風琴工房改め)
シアタートラム(東京都)
2020/10/01 (木) ~ 2020/10/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
戯曲はすでに古典的な有名作だが、初めて舞台を見た。すばらしい傑作だった!!。戯曲、演出、俳優、美術と3拍子も4拍子も揃った充実の舞台だった。ケラー家の庭での朝から翌未明にかけての一日の出来事。古典的な三一致の法則にのっとったかのよう。最初はご近所たちとのたわいもない話で幕を開けるが、次第にこの家をむしばむ「罪」が明らかになる。背景の二階家は、内面で傷ついた家庭を象徴するかのように、一部が焼け焦げて崩れている。庭のど真ん中の、大風で倒れた木は、リンゴ。聖書にあるように「罪」を象徴するようだ。
次男のラリーの戦死を受け入れずに現実を逃避する、母親役の神野三鈴がとくにすばらしい。あらためて気づいたが、声がいい。低音が混じり奥深く響く。しかも、この現実逃避した母親が、最も現実に近づいていたことが最後に分かる。つまり、他の人は気づかない怖ろしい深淵を、ただ一人予感していたから、母親は逃避するしかなかったのである(現実は、母親の予感以上に過酷なものだったが)。
父親役の大谷亮介は、最初はただ偉そうにしているだけに見えたが、それが自分の秘めた罪を虚飾するものとわかってくる。元共同経営者スティーブ(パイロット21人が死んだ大事故の原因の、欠陥部品納品の罪で刑務所にいる)の息子のジョージ(金井勇太=好演)に対し、悪いのはスティーブだということを、自信たっぷりに丸め込む場面は見事だった。長男・クリスの田島亮はかっこよく、死んだ次男の恋人だったアンの瀬戸さおりも美しく素敵だった。
日常のリアリズム芝居から、奥深い思想、戦争批判、おカネが人を狂わす資本主義批判へ。「戦争も平和もつまりはカネだ」という資本主義・帝国主義の醜い事実を照らし、「戦争で儲けたやつら」に裁きを下す。井上ひさしの「闇に咲く花」「太鼓たたいて笛吹いて」を思い起こさせられた。似ているところが多々ある。
最後に。日本で戦争を批判すれば戦争指導者(天皇も含むかどうかは別にして)による無謀な戦争がまず批判の第一になるが、アメリカのこの劇に、その要素はない。「正義の戦争」だからだ。「戦争で儲ける奴ら」への批判が第一となる。それが、逆に普遍的な資本主義批判につながる。
また、子世代が父世代を批判する厳しさも欧米的なもの。ドイツのナチス世代を批判する戦後世代も同じ。日本では、元兵士だった父親を息子たちはあまり批判しない。あるいは、戦死した戦中世代が、戦前世代を批判したりしない。あるいは批判は少数にとどまる。この違いはどこから来るかはわからない。
ブルーストッキングの女たち
劇団青年座
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2020/09/26 (土) ~ 2020/10/04 (日)公演終了
満足度★★★★
宮本研はこの芝居で「真っ直ぐに生きる人間」「一途な人生の輝き」を描いたのだろう。だから中心は伊藤野枝と大杉栄になる。あるいはこのふたりを中心にした結果、「一途に短く生きた人生」がたちあがることになる。人生観や社会論の作者の考えは表面には出てこない。大杉に対して「理想はいいけれど、現実を見ないとしっぺ返しを食う」「3人の女の戦いで、勝ったのは野江さん」など、ふたりの人生へのコメントがあるくらい。青鞜内部の女性たちの家庭や社会での地位や性をめぐる議論もほとんど踏み込まない。同じ青鞜をモデルにした永井愛の「私たちは何も知らない」を去年見たばかりなので、比べる形になった。
前半は青鞜の編集局で主要人物が顔を揃える。ついで辻潤宅。次の「人形の家」の終結部の劇中劇が長くて驚いた。子供を置いて家を出たノラに野枝(のえ)を重ねる構図になる。
最初「私は子供を置いていくことはしない」と言っていたのに、辻潤と分かれると、二人の子を手放した皮肉。最初は子供に未練はない強い女を装っていたが、その母性の葛藤は、後半、辻潤が長男のマコトと現れた場面で噴出する。野枝が息子に詫びるのに対し、息子は「父さんはいつも野枝さんはいい人だ、と言っています」と無愛想に答える。息子の口を通じて、辻潤の未練が伝わる仕組み。その、自分を愛してくれる夫を子供とともに捨てた事実が、野枝を更に苦しくさせる。
後半は大杉栄をめぐる妻と、愛人の市子と、野枝の四角関係から、甘粕事件まで。日影茶屋事件での市子(小暮智美)の刃物を持って愛を迫る場面は迫力あった。
抱月と須磨子のシで終わる同志関係が、大杉と野枝にも重ねられている。ほかにも平塚らいてうと奥村の(籍は入れないものの)小市民的夫婦関係も対比される。
大杉を演じた石母田史郎のダンディぶりが良かった。野枝の田上唯は、野枝のエキセントリックな激しさよりも、純粋さ、真面目さが感じられた。関東大震災の殺害直前のふたりの、真っ白い衣装が白装束のように眩しかった。
細かいところでは、辻潤(松田周=役よりもかなり若いが、好演)と息子の放浪の姿には映画「砂の器」が重なった。大杉栄の自由恋愛?論には、サルトルとボーヴォワールを思わせた。また、りんごが小道具として生きている。大杉が最初かじっていて、子供がりんごを売り、最後に殺害犯の甘粕がまたリンゴをかじる。「小道具は3回使え」の津上忠さんのセオリー通りだ。
『夜鷹と夜警』(よだかとやけい)
東京No.1親子
ザ・スズナリ(東京都)
2020/09/11 (金) ~ 2020/09/22 (火)公演終了
満足度★★★★★
皮肉たっぷりの「政治屋」批判が後半連発されて、笑い転げた。。「政治家はやめられません。われわれの決断一つで、多くの人を(幸せにできる、というのかと思いきや)貧乏にできる(ウマイ!!)」「悪政を敷きながら、いかに当選を勝ち取るかの、そのスリルがたまらない」(ここまで本音いう政治家がいたらサイコー)などなど久々に笑った笑った。絶妙のコントの連続だった。
しかも、笑わせるだけでなく、ほかにも詩情や慧眼にみちたせりふが多い。夜、散歩しながら「太陽の影は厳しすぎる。月明かりの影は、合づち上手で一人ごとのリズムを作る」などと言って、ひとりごとしたり。「田舎は王様の顔が見えやすくていやだろ。都会は自分が誰の奴隷かわからないからすごしやすい」とか。
結婚式専門のカメラマンの科白「どれだけ幸せな二人を世に放てば、悲しいニュースが亡くなるのか」などなど
蝙蝠と格闘しながら友情が芽生えるコント(佐藤B作のまじめなとぼけが面白い)、ギター歌手が、突如辻斬り侍に変身する(村上航)、美人で演技のうまい安藤聖、有名なオヤジと共演して、何も臆する様子のない(どころか、芝居を引っ張る)佐藤銀平、役者たちも良かった。
十二人の怒れる男
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2020/09/11 (金) ~ 2020/10/04 (日)公演終了
満足度★★★★
戯曲は名作中の名作、役者もベテラン、若手、いずれも名のある人たちが結集、演出はロンドンの実力者。これでは見ないのが損だろうと見た。期待通りではあったが、期待を越えるものはなかった。そこが微妙なところ。こちらの期待が高すぎるのかもしれない。以前、戯曲を読んだ気がするが、有名な映画は見ていない。でも、忘れていて、見ながら、探偵小説のように、証言の信ぴょう性を一つ一つ崩していく展開がやはり一番面白かった。現場に出かけたり証人に尋ねたりできない、一種の安楽椅子探偵ものである。
ゲルニカ
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2020/09/04 (金) ~ 2020/09/27 (日)公演終了
満足度★★★★
共和国軍=正義、ファシスト軍=悪という単純な善悪では割り切れないスペイン内戦の闇をしっかり見据えていた。とくに、共和国軍、人民戦線派にも偏狭なセクト主義や、残虐な殺戮行為があったことには驚いた。そのままだと、ゲルニカ爆撃は、愚かな人間を罰する「神の火」になりかねない。際どい作劇だったと思う。スペイン内戦について教えられるところが多かった。
日本には馴染みのない、当時の複雑な対立関係を割り引くことなく舞台にした、劇作家と演出家の努力に感嘆しました。領主の娘サラ(上白石萌歌)が目覚めていく主筋に、バスク独立勢力の決起、教会・ファシスト側の陰謀をからませています。外国人ジャーナリストの二人連れ(勝地涼、早霧せいな)に、証言者の役割を担わせ、さらに、サラの出会う若者(中山優馬)に、重い秘密を背負わせている。重層的な芝居でした。それらの美談も醜聞も、善も悪もすべてをたたきつぶす爆撃場面は、抽象的ながらも、イメージ喚起力が強く、圧倒されました。
ただ、パルコ劇場の間口が大きすぎて、芝居のサイズとはミスマッチだったかな。
星をかすめる風
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2020/09/12 (土) ~ 2020/09/20 (日)公演終了
満足度★★★★
非情な歴史と、それを超えて手渡されていく人間の真心を感じさせる秀作舞台でした。最初、殺された看守が暴力で囚人を支配する鬼姦手と言われると同時に、「本の虫」だったというので、「アレッ?」と思います。その謎が一歩々々解明されていく。殺人事件の犯人より、こちらの謎の方が私には面白かった。シェイクスピアの「薔薇の名前は違っても、香りは同じ」というセリフを、「創氏改名」を強いられた朝鮮人の立場から「名前の重要性」という意味に、解釈を逆転させるやりとりが面白かった。原作にあるということだが、元が舞台の名場面なので、新解釈を舞台で見るとまた格別。
葛西和雄さん、広戸聡さんら青年劇場の看板俳優たちはもうおなじみですが、ユン・ドンジュ役の矢野貴大、看守杉山役の北直樹、看護師の傍島ひとみがよかった。有望な若い俳優を知ることができたのも収穫だった。
ベイジルタウンの女神
キューブ
世田谷パブリックシアター(東京都)
2020/09/13 (日) ~ 2020/09/27 (日)公演終了
満足度★★★★
面白くて時を忘れ、夢のような3時間半を過ごせました。ケラの芝居はその場で立ち上がる雰囲気が絶品です。一つ一つのシーンが絶妙なコントのようで、キャラクター同士の掛け合いが生きています。今回はそれを痛感しました(ザ新劇という舞台を見た、ダブルヘッダーだったかからでしょう)。大きなストーリー、テーマに貢献するというより、その場の作る空気と人物のずれやもつれを楽しむ。さらにステージングと映像がそうした空気をびしっと視覚的に定着させる。何度見ても惚れ惚れします。
緒川たまきの世間知らずのお嬢さん社長、犬山イヌ子と温水洋一の乞食友達、なりあがり悪党と水道オタクの双子の兄弟を演じ分ける山内圭哉、いずれもはまっていました。吉岡里帆と松下洸平の若いふたりも、初々しくて爽やかで、ベテラン陣とはちがうフレッシュさがあってよかった。
ひとよ
KAKUTA
本多劇場(東京都)
2020/09/03 (木) ~ 2020/09/13 (日)公演終了
満足度★★★★
映画を見て興味を持った友人が、今回の舞台を見て「映画はシリアスだったけど、舞台は喜劇。コメディなのに、ぐっと泣かせる」と絶賛していた。舞台は家族経営のタクシー会社。母親・こはる(渡辺えり)の「父ちゃん、殺した」という告白から始まる。3人の子は就職内定が出た長男から、専門学校に入学した長女、高校生の次男まで。「刑期を終えて、ほとぼりが冷めた頃、15年後に帰ってくる」と言って、母は自首しにいく。これがプロローグ。15年後の父親の法事の日から、本編が始まる。
15年後の会社はまず、誰が三人兄弟なのか探してしまう。若い従業員たちの方が目立って、誰が家族で、誰が従業員なのか最初戸惑う。しかし、これはこの家族の微妙な関係を示している。家族同士だけでは「過去」が大きすぎて耐え切れず、従業員たちがいて、やっと関係を保っている
とくに長男・大樹はカギとなる人物なのに、外に勤めている上に、自室にとじこもりがちなので舞台にいる時間自体が少ない。つまり、このままいくと存在感が薄いわけだが、どもりという性癖を与えられているのがポイントで、そのためにセリフを聞けばすぐわかる。ほかの登場人物・俳優も、とにかくキャラがたっているのはさすがである。
母親がついに帰ってくる。最初はただ歓迎していただけに見えるが、じつは子供たちは人生を狂わされたわだかまりがある。長男は内定を取り消され、長女は専門学校をやめてバーで働き、次男は高校でいじめを受けて東京に出た。ただ、長男のセリフに一度出てくるだけで、底流にあることをほのめかす程度。長女の「(母の帰宅を)喜んでいいんだよね?」という一言に集約されている。
同時に、母親の帰宅がテレビや週刊誌で報じられる(家族は積極的に取材を受けてる)。匿名の嫌がらせを受けたり、周囲の目は厳しい。
そういう元を作った母親は、「母ちゃん、間違っていない」というが、渡辺はぶっきらぼうに演じて、内面の葛藤がある、カラ元気であることを感じさせる。長男から「母ちゃんは立派だよ」となじられて、母親がふてくされ「母ちゃん、エロ本読んでる」という場面もぶっきらぼう。ただ、この場面は爆笑である。せりふでこれだけ笑える場面はそうはない。
最後、母親と兄弟だけになる場面がきわだつ。そういえば、途中、母と子どもたちだけになる場面が一度もなかった。そこに、この家族のぎくしゃくした関係が現れていたのだと気付かされる。兄弟三人だけになる場面もほかに一度しかない。同じ家に暮らしていても、打ち解けられない関係を示している。母親の殺人が(暴力的父親から子供たちを守るためとは言え)何を家族に残すか考えさせられた。
暗い過去や、心に傷を抱えた人間が、ずっと抑えてきた内面を垣間見せる場面が秀逸で、そこが桑原裕子の芝居のみどころだと痛感した。
シリアスなテーマなのだが、脇の俳優たちがコミカルな舞台の雰囲気を作って楽しい。作・演出の桑原裕子自身が演じる長男の嫁と、外人のように言葉のたどたどしい北海道の酪農男(成清正紀)のふたりが、部外者ならではの寂しさをまぎらす喧騒(桑原)と、無責任なボケ(成清)を演じて、トリックスター的存在である。
女々しき力プロジェクト〜序章『消えなさいローラ』
オフィス3〇〇
本多劇場(東京都)
2020/08/21 (金) ~ 2020/08/23 (日)公演終了
満足度★★★★
いろんな作品へのオマージュを込めた別役実の隠れた秀作。なんといっても別役にしては分かりやすい。ローラが、帰ってこないトムを待つのは「ゴドーを待ちながら」のよう。母親がすでに死んでいて、ローラがその遺体を母の椅子に座らせたままでいるのは、ヒッチコック「サイコ」のよう。そして「ガラスの動物園」のパーティーの後片付けをしないまま、時が止まった家は、ゴシックホラーのようであった。テーブルの上の干からびたお茶やパン粉を食べさせる、渡辺えりと尾上松也のやり取りが、ユーモラスで面白く、大いに笑えた。
最初は、渡辺えりが演じるのはローラなのか、母親なのか、一人二役なのか、そういうもやもやから入るけれど、すぐに、これはローラの二重人格化とわかってくる。そういう謎ときの要素、過去の輝いた瞬間から抜けられないローラのいじらしさ。そして最後に尾上松也が明らかにするトムの死。切ない芝居であった。
三谷文楽『其礼成心中』
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2020/08/13 (木) ~ 2020/08/20 (木)公演終了
満足度★★★★
よかったです。三谷幸喜らしいパロディがうまく成功していた。曽根崎の森の饅頭屋が、「心中店の網島」を書いた近松に文句を言いに行くと、「俺に芝居を書いてほしければ、俺が書きたくなるような心中事件を起こして見ろ。それなりの心中、それなり心中」という展開に、笑ってしまった。
Fly By Night~君がいた
conSept
シアタートラム(東京都)
2020/09/01 (火) ~ 2020/09/13 (日)公演終了
満足度★★★★
コンパクトながら心にしみるミュージカルでした。福井晶一演じる父・マックラムのクライマックスの歌がいい。亡妻とのなれそめを歌う「セシリー・スミス」、そしてベルディ「椿姫」から「乾杯の歌」。オペラは苦手という無骨な男も、好きな女性と見るオペラは別。「何を聴くかより誰と聞くかよ」の歌詞がしみます。「人生は誰と歩くかが大事」というセリフもよかった。二人の女優の歌もよかった。狂言回しの原田優一が、姉妹の母親役、怪しい女占い師役、その他を当意即妙に演じ分け、コミカルにテンポよく物語を進めて、飽きさせない。芸の幅が広くて感心した。
最後の停電の日に、停電のおかげでマックラムは命を救われ、ミリアムの受けた占いの「527」の本当の意味も明らかになる。
子供のハロルドが停電を怖がった時、機転の利く母親がやった、目隠しして10数えるというおまじないにも、人生の智恵があった。目隠しの闇に比べると、停電しても少しの明るさが強く感じられ、怖くなくなると。光を感じるには「闇」を知らねばならないということだし、もっとる来事を考えれば、日常の幸福を感じ取ることができるということである。
「停電があるから光が必要なように(?)、闇があるから希望が必要だ」という科白はベタな分引用しやすいが、上記のおまじないの方が深みがある。
無畏
劇団チョコレートケーキ
駅前劇場(東京都)
2020/07/31 (金) ~ 2020/08/10 (月)公演終了
満足度★★★★
配信で鑑賞。本当は舞台で見たかったが、都合が合わなかった。
中支方面軍司令官で南京事件当時の責任者だった松井石根の、南京事件の責任に迫る。松井は東京裁判で絞首刑になった
松井は日中が提携してアジアを発展させるべきという大アジア主義者で、中国を愛していた(と描かれている)しかし、南京事件は起きた。補給のないままの徴発による進軍、東京の大本営を無視した作戦行動などは、同僚・部下の軍人たちがすすめた。予備役から引っ張り出された高齢の松井は、直接虐殺を命令したわけではない。ぎゃくに軍規のひきしめを繰り返し強調していた。
殺意 ストリップショウ
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2020/07/11 (土) ~ 2020/07/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
赤いブラジャーと赤いパンティという、あられもない下着姿の鈴木杏がまず痛々しい。役のためとはいえ、かわいそう。戦後の闇市の時代、引退公演のストリッパーが、自分が傾倒した進歩的知識人の戦中の転向と、戦後の民主主義の旗振り役への豹変に殺意を抱いた経験を語る。インテリのこうした表b編ぶりはよくある話で、新味はない。
三好十郎はこの程度かと思っていると、進歩的インテリの隠れた情欲生活が暴露されて、あっと驚いた。しかも、天井裏から覗くという、「屋根裏の散歩者」のような話。
ここまできてわかる、革命思想に対する作者の意地悪な視線とニヒリズムが凝縮された芝居だった。
1950年の発表からもずっと上演されなかったというのは分かる。観客も演劇関係者も共産党員やシンパが多かった時代、劇場にはかけにくかっただろう。
「聖人君子も一皮むけばただのスケベ」というのは、よくある人間観である。しかし、戦前戦後の転向・再転向という、こわばりきって茶化しにくい大テーマを、見事に下半身レベルに引きずりおろしたのにはびっくりした。見事なイデオロギーの解体である。脱帽。
演技はもう少し、卑猥さが欲しいというのもわかるが、上述したようなイデオロギー問題だけに、この直球勝負がふさわしかったと思う。鈴木杏の体当たり演技に、惜しみない拍手を送ります。マイク、録音など、一人芝居の「声」に変化をつけた演出も良かった。
2時間の一人芝居に、全く飽きることがなかった。(途中の平凡な話じゃん、という思いも含めて)