旅芸人の記録【9/8(日)13時・9/9(月)14時・9/11(水)・12(木)公演中止】
ヒトハダ
ザ・スズナリ(東京都)
2024/09/05 (木) ~ 2024/09/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
おもしろかった。鄭義信ワールドを満喫した。足の悪い男、愛を求めてるのに喧嘩ばかりの素直でない親子、在日朝鮮人(今回は話に出るだけ)。ラストの旅立ちと紙吹雪は「焼肉ドラゴン」のラストと重なった。戦争中、時流に合わない女剣劇の大衆劇団。俳優もそれぞれに所を得て好演。女形の伯父役の怪演が見ものだった。太ってて吉原の花魁のなりが全然似合わないのが笑える。1時間45分休憩なし。
どん底
劇団東演
シアタートラム(東京都)
2024/08/31 (土) ~ 2024/09/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「なぜいま『どん底』をやるのか」と、プログラムに寄稿者が書いていた。浮浪者が集まる木賃宿など今の日本にはないし、貴族ばかりの観客の前で貧乏人の芝居をやったインパクトはいまはないと。それはシェイクスピアにもチェーホフにも言えることだ。でも、こうした古典が今も繰り返し演じられるのは、舞台の具体的設定を越えたところで、今の人間をも揺さぶる普遍的な何かがあるからだ。
「どん底」の場合、それは「人間讃歌」ということになる。三角関係のもつれの末の殺人と発狂というド派手な悲劇と、社会の落後者たちの愚痴ばかりの中だからこそ、人間の素晴らしさが一層ひかるのだろう。女主人のワシーリサでさえ、「あんたが私をここから連れ出してくれると思った。あんたは私の夢だったのさ」とワーシカにもたれかかるほど、誰もが脱出したがっている現実。そうした絶望的な状況だからこそ「人を救う嘘は真実だ」(サーチン)と。さらに「真実は、自由な人間の神だ」(同)となって、宗教と社会主義思想が架橋される。なんという輝かしい思想の提示だろうか。ゴーリキーはもちろん社会主義者だったはずだが、でも小説は思想劇ではなく、リアリズム小説だった。劇ではこんなファンタジーのような思想劇を書けたのは、ちょっとゴーリキーらしくなく思えるが、だからこそまたすごいのだ。
亡くなった大先輩の作家が1960年に民藝の「どん底」で「人間、この素晴らしいもの」と大きく手を広げた語るシーンに、っ頃から感動したと書いていた。先輩作家は「滝沢修のルカが」と書いていたが、このセリフは、今回、サーチンのものだった。今回、最後の幕でのサーチン(能登剛)の語りは迫力あり、感動ものだった。
今回の舞台の話が最後になってしまった。ベリャコーヴィチ演出のユーゴザーパド劇場の「どん底」を2000年に見た時は、スタイリッシュに生まれ変わった「どん底」に引き込まれた。面白かった。今回はその演出を踏襲した舞台なのだが、今見ると、セリフの途中でベッドで転がったり、不自然な動きは、自然主義演劇破壊の行き過ぎのように思える。それでも、ワーシカが宿主を殺したのを見て、ナターシャが「二人ともグルだったのね」と誤解して狂乱するやるせなさはたまらなかった。
また音楽が効果的。深刻な話が始まると最初ポルカのような音楽が流れ、それが低音の響く重厚な音楽へと引き継がれてテーマの重さを印象付けていた。また、せつない曲が流れるシーンもよかった。冒頭の入場とラストに流れるダンス曲と合わせ、4つの曲でうまく組み立てられていた。
2時間50分(休憩15分含む)
流れんな
iaku
ザ・スズナリ(東京都)
2024/07/11 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
11年前の作品を前編広島弁に書き直したということだったが、それほど広島弁を濃く感じなかった。
大衆食堂の店内のセット。冒頭、舞台中央奥のトイレで、女性がいびきをかいて眠りこけ、高校生の少女がそれを文句を言いながら見つめるプロローグで始まる。
食堂の店主の父が倒れて入院中、店を守る娘の睦美(異儀田夏葉)のもとに、幼馴染の司(つかさ=今村裕次郎)、東京の水産加工会社の駒田(近藤フク)が訪ねてくる。さらに故郷を出た妹夫婦も。この店をどうするかという話から、姉妹の秘めた過去、会社の公害の隠蔽が、次から次と明らかになり、互いの非難合戦はどんどんボルテージを上げていく。
作者得意の会話劇がさえにさえる芝居だった。会話の自然な流れで、次々大きな問題が出てくるので、まるでジェットコースターのように景色がガラガラ変わる。その分、一つのテーマを深めるというものではない。最後に残るのは、過去に縛られてきた姉の心の解放であり、再生の歩み出しである。
異儀田さんは複雑な役をしっかりと演じて、舞台の大黒柱を見事に務めていた。司役の今村裕次郎はボケ役で、笑いを醸すトリックスターを好演。ひ弱なサラリーマンの駒田を演じた近藤フクも、いざとなった時のダメ男ぶりがよかったし、妹役の宮地綾も長年の鬱屈を一気に吐き出すようなエキセントリックぶりがよかった。
ナイロン100℃ 49th SESSION 「江戸時代の思い出」
ナイロン100℃
本多劇場(東京都)
2024/06/22 (土) ~ 2024/07/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
峠の茶屋で出会った武士と浪人から、小学校のタイムカプセルを掘り出しに来た4人組、峠の茶屋の三姉妹と亭主(池田成志、ピリリと舞台を占める客演)等々のナンセンスな話がどこまでも続く。すると突最前列右端のカップルの客が「こんなの見てられない。帰ろうぜ」と席を起つのでびっくり。雑兵姿の武士が「帰っちゃいけねえ」と二人を止めに来て、これも芝居のうちとすぐわかるのだが、最高に笑えた。
後半はとんでもないことが起きて、みのすけがキューセイシュを名乗って世迷言を言うのだが、細かいことは忘れてしまった。
テーマとかメッセージとかなしに、ナンセンスギャグだけで3時間20分の長さを感じさせない。ケラの手練手管と俳優陣の客席を引き込む怪演は大したものである。
ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル
東宝
帝国劇場(東京都)
2024/06/20 (木) ~ 2024/08/07 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
売れない俳優(井上芳雄)が歌姫に一目ぼれ。相棒の作家と組んで、歌姫のパトロンに金を出させて新しい芝居を作ることになる。リハーサルでは俳優とパトロンが、演出やせりふをめぐって悉く対立するが…
「パリのアメリカ人」を連想させる筋立てだった。いろんな作品から借用した曲やせりふをちりばめているが、具体的には全然覚えていない(8月22日記)。シェイクスピアのセリフもあった気がする。
デカローグ7~10
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/06/22 (土) ~ 2024/07/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
7から10を一日で見た。1から通して、庶民生活に起きる小さな話を10個も並べる、しかも「社会主義」ポーランドの40年前のテレビシリーズが元ネタ、というと、普通はあまり食指を動かされないだろう。ところがそれがそうでもない。どの作を見ても、巧みな展開に引き込まれ、登場人物の心理や選択をめぐって、こちらもハラハラ・ドキドキさせられ、大小はあるが確実に心動かされる。それぞれ無関係の話をデカローグ(十戒)という枠で緩く(あるいは緊密に)つなぐアイデアもうまい。
(つい先日、山田太一「男たちの旅路」シリーズの「車輪の一歩」をDVDで見たが、庶民性、一話完結の連作というスタイル、そして何より各回にそれぞれ異なる強いテーマ性など、共通点がある)
7「ある告白に関する物語」十戒7盗む勿れ
22歳の娘マイカは16歳のときに産んだ女の子を、校長だった母親(津田真澄)が実子として戸籍に入れ、自分はその子の姉として生きてきた。うばわれた娘を取り戻すための思い切った反乱。娘は母親に向かって「私の娘を盗んだ!」となじる。6歳のアニャを誘拐することは「これは盗みではない取り戻すだけだ」と。「盗む勿れ」の戒律から、こんな話を着想したところに舌を巻く。
津田真澄の母親像にリアリティがある。かつて蒸す値を切り捨てたことに負い目はあるが、決して悪人でも冷血漢でもない。アニャを失いたくない悲痛さが胸にしみる。
8「ある過去に関する物語」十戒8隣人について偽証する勿れ
ホロコーストの過去をめぐる話。かつてユダヤ人少女を見捨てた女性と、見捨てられた少女の、40年後の再会を描く。テーマは10作の中で随一の注目度だが、内容は10作の中で一番茫洋としている。結末が肩透かしというか、何か不全感が残る。裏切られた少女の話を聞いても、当事者の二人をよそに、大学生たちはケーススタディとしてしか考えない。子の若者たちの姿にポーランドでも戦争体験の風化が示唆されているのかもしれない。
9「ある孤独に関する物語」 他人の妻を欲する勿れ
不能になった夫(外科医)と、不倫する妻。しかし、妻の不倫は、相手の大学生に押し切られたもので、妻は夫を愛している。よくある夫婦の疑心暗鬼と心理戦なのだが、夫の不能という設定が、男としてのプライド、夫としての自尊心にかかわるヒリヒリした問題にする。妻を疑う夫の行動と、情事がばれるかどうか、夫はどういう行動に出るのかに目を離せない。これこそどうでもいい小さな話のはずなのに、芝居に引き込まれ、一喜一憂させられた。
10「ある希望に関する物語」他人の財産を欲する勿れ。
父が莫大な価値を持つ切手コレクションを遺した、兄弟の話。人情としては、よくわかる話。天国から地獄へ、見事な落差を作って見せる展開がうまい。番犬として本物の犬が舞台に現れ、言うことを翌期うのはユーモアが漂い、舞台がなごんだ。
白き山
劇団チョコレートケーキ
駅前劇場(東京都)
2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
素晴らしい舞台だった。戦争と作家という骨太のテーマを貫きつつ、日常は苦労と失敗の積み重ねで、笑いが絶えない。楽しい時間を過ごしつつ、深く考えさせる。劇団チョコレートケーキで初めて笑った気がする。井上ひさし・永井愛の境地に、さらに大きく近づいたと思った。ただ、笑いの起きたところを台本(『悲劇喜劇』7月号所収)でみると、淡々と書いてあるだけで、演出と俳優が、隠れた笑いのネタを生かしていることがうかがえる。
そういう点では、作・演出・俳優の共同作業で生まれた奇跡のような舞台だった。俳優陣では斎藤茂吉を演じた緒方晋が出色。言葉数は少ないしぶっきらぼうだが、ぐっと抑えたマグマを内に持っている感じが、本当に茂吉に見えた。素晴らしい
雨とベンツと国道と私
モダンスイマーズ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/06/08 (土) ~ 2024/06/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
相変わらず、蓬莱隆太らしい、心がひりひりさせられる芝居だった。パワハラで人を傷つけた人間は、もう社会的に許されないのか。パワハラは見ていて痛ましいが、「仲良しごっこでいい映画は作れないんだ」という監督のセリフにもウソがないだけに、考えさせられる。作者は「許すべきではないか」と考えているようだ。それがパワハラ容認ととられる危険性もある。難しいところだ。
さえないメガネ女性五味栞を演じる山中志歩の、根暗で引っ込み思案で面倒臭そうな人間の姿が見事だった。セリフ量も膨大。全体の半分くらいあるんじゃないか。彼女のおかげで成功した舞台である。
ゴースト&レディ
劇団四季
JR東日本四季劇場[秋](東京都)
2024/05/06 (月) ~ 2024/11/11 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
舞台美術と、細かいマジカルな演出がまずすばらしい。マジカルというのは、寝床の死んだ人が魂(俳優)がぬけたあとも、死体(別の俳優がせりあがる?)は残っているとか、ゴーストとライバルが煙の中に入っていった後、煙が薄れると、そこには誰もいないとか。ちょっとした工夫とこだわりだが、見ていて驚きがある。
ナイチンゲールがただものではないことがよく分かった。女性は邪魔だ、という男社会に切り込んだジャンヌ・ダルクである。(ゴーストも「また神の声か。神が語り掛けるのは女ばかりだ」とぼやく)。看護師たちを募って、支援物資も集める社会起業家であり、非衛生状況を放置・隠ぺいする軍医の責任者と闘う改革者であり、本国の有力者に手紙を出しまくって、政治を動かす政治家でもある。そして、現場を回って負傷者に希望をあたえる「ランプの貴婦人」。小学生向けの偉人伝の中の人と思っていたら、とんでもない。「世界を変えた100人」の一人に選ばれる傑物だ。
派手さはないが、音楽もダンスも楽しめた。
ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中
劇団青年座
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
那須凛は、家と恋の間で苦しんだり、ダメ男辻潤から心は離れているのに、外見はそれを否定する前半がよかった。後半、大杉と一緒になると一直線すぎて迷いがなくなってしまう。
伯父役の横堀悦男が存在感があった。アジア主義者の頭山満と親交があって、その話もよく出てくる。幼い野枝を預かって育てたそうで、あの伯父があってこその伊藤野江だったという気がしてくる。
それにしても伊藤野江の芝居は、この7年で5本目。永井愛、宮本研ほかいろんな作家がそれぞれの野枝を書く。小説、映画も。村山由佳「風よあらしよ」はNHKでドラマになった。すごい人気である。華もあり嵐もあり棘もある。史上傑出したマドンナであり、スターだ。
未来少年コナン
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/05/28 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
映像やメカの模型を一切使わず、見立てと人力で未来少年コナンを舞台に再現したところが見事。アニメのあれこれの名場面を思い出した。モンスリー(門脇麦)の回心(痛みの回復)やレプカ(今井朋彦)の力の哲学はセリフを補筆して深みがあった。「バカね」の名セリフもあって堪能した。
人間関係の変化を、長いダンスやパフォーマンス場面で見せていたのがよかった。コナン(加藤清史郎)とジモシー(成河)が最初の反発から親友と認め合うまでの競い合いなど。特によかったのは、がんボート上でダイス(宮尾俊太郎)とモンスリーが、磁気拘束具のリモコンを奪い合いながら、ダンスのようにもつれあって関係を接近させるシークエンス。
海、風、砂から、射撃音や足音、飛行機の音など、すべての効果音を舞台袖でミュージシャンがその場でつくる。紗幕を通して客席からも見えるつくりも、今回の成功した試みとして挙げておきたい。
幕開けのモンスリーとおじいの対話は、戦争を起こした大人たちを責める戦後世代と、過ちを繰り返すなと諭す戦争世代の対話として、日本の戦後のそれぞれの言い分と重なった。アニメ「未来少年コナン」が、敗戦と復興という戦後状況をそのまま映していたことに気づかされた。
ライカムで待っとく
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初演の時は劇場が遠いのでパスして、後で後悔した。今回は是が非でもと、早めに予約して臨んだ。
初演後の『悲劇喜劇』に戯曲が載って読んだはずなのだが、1964年の米兵殺傷事件の容疑者の経験に迷い込む話という記憶が全然なかった。
俳優たちは、現代の本土のライターとその妻は、いわば事件を目撃するコロスのようなものであって、その周囲の沖縄の人たちが真の主役。現代のタクシー運転手と、妻の祖父で写真館主人の佐久本寛二を演じる佐久本宝の弾けた演技がよかった。重いテーマだからと言って沈むことなく、明るい舞台にしていたと思う。現代のユタ?のおばあと、60年前の飲み屋のおかみを演じたあめくみちこも自然なコミカルさがいい。横浜の若い女性伊礼ちえ(蔵下穂波)の、「基地県なのに、神奈川の人は反対などと騒いだりしない、大人ださー。だからここが好きなの」と、神奈川をいじる皮肉が嫌味でないのも、素直な演技のおかげだろう。
回り舞台と、周囲のたくさんの空の段ボール箱をうまく使い、テンポの速い場面展開だった。
デカローグ5・6
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2024/05/18 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
5は20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)が、タクシードライバー(寺十吾)の強盗殺人をする話。青年の犯行は、ひもを用意しているあたり、計画的ともとれるが、タクシーに乗るまでほぼ何の予兆も見えず、犯罪の理由がない。金を奪うから、金目当てではあるのだろうが、それほど金に困っているという描写もない。
6は、19歳の青年トメク(田中亨)が、団地の窓から覗き見た女性(仙名彩世)に恋をし、ストーカー行為をする。女性は、それを告白されて、最初は嫌がるが、すぐ青年に興味を持つ。「愛している」という純真で一途な青年と、「愛など存在しない」と、多くの男と寝ている女。
柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』
柿喰う客
本多劇場(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「タン麺をタンタンメン、ワンタンメンをタンメン、タンタンメンをタンメン」などなど、早口言葉とリズミカルな洒落を含むせりふが速射砲のように延々と続く。つかこうへいと野田秀樹を合わせたようなせりふ術。その言葉のエネルギーには圧倒され、時に置いてきぼりにされた。
活動家の夫婦から生まれた男・継美ツクシ(玉置玲央)が、革命組織から組合つぶしのために入社し、総務部の7人の女性たちをはらませて、妊娠退社に追い込み…、核だった女性たちがいなくなり組合も弱体化…という話らしい。そんな設定は後から見えてくるので、最初はとにかく速射砲のような言葉の嵐。
上司(中屋敷)が痴漢で逮捕・休職中に、ツクシがしきり、総務部長(七味まゆ味)が産休になるが、妊娠してないんじゃないの? そんなこんなのうちに、上司が部長を階段で誤って突き落とし、いや、逆に突き落とされてあしをくじき…と。総務部長と総務課女子が組合を守り、労災認定を迫るが、ワルシャワ労働歌や、「蟹工船」「海に生きる人々」、インターナショナルまで出てきて、カクメイはもはや空疎なネタでしかないことを突き付けられる。
玉置はでづっぱりだが、最後までせりふが一つもない。一言も発しない。本人の「せりふのない役をやってみたい」という要望から、この芝居ができたらしい。
休憩なし1時間50分+AT10分
ハムレットQ1
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2024/05/11 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
柿沢ハムレットに続いて観劇。吉田羊のハムレットが、狂気を演じているときは裏声でコミカルに、素に戻ったセリフは地声で、と顕著に演じ分けていたのが目立つ。
Q1はスピーディーというが、それでも休憩込み3時間ある。それをほとんどカットしていないのだろう。ポローニアス(佐藤誓)が息子への使者レナルドー(佐川和正)にいろいろ伝言するところなど、初めて見た。
確かに短いところもいくつかある。第4独白の欠如は有名だが、他にもハムレットがイギリスから舞い戻ったことは、兵士の報告しかない。レアティーズ(大鶴佐助)との剣試合も、誘いに来る貴族の口上も含め、全体があっさりしている。クローディアス(吉田栄作)に毒杯を飲ませて命を奪う駄目押しをしない。今回の演出は、クローディアスが自ら剣を受けて死を選ばせている。その前のガートルード(広岡由里子)も、夫の制止を無視して毅然として毒杯を仰ぐ。二人の苦悩と絶望は大きいという解釈だ。
オットーと呼ばれる日本人
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/05/17 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
他の方も書いているが、オットー(尾崎秀実)役の神敏将が光った。思想劇ともいえる王道の戦後せりふ劇。木下順二の戯曲・せりふのうまさもあちこちで感じた。
(抽象的なセリフは俳優泣かせだったと、どこかに書いてあったが、本作は言葉としては平易だ。情報の出し方も、通信員のフィリップの仕事を「とんつーやるだけだよ」ですませたり巧み。比喩やイメージも工夫しており、活動の危険性を地バチのたとえで語るとか。「用心しないと、巻き込まれちまいますよ」と新妻に忠告した、検事の友人が、最後に糾問役で出てくる)
ただ男同士の政治活動のわきで、男女の恋愛関係は今一つとってつけた感があった。とくに宋夫人(桜井明美)と尾崎の関係。ジョンスン(ゾルゲ、千葉茂則)と女給の愛人も、ジョンスンたちの崇高な仕事を汚すだけのような気がする。
転向して屈折した友人と、直接の弾圧は受けずに首相ブレーンに食い込んだオットーの対比も、考えさせられる。
火曜昼の回を見たが、サザンシアターの客席がほぼいっぱい。この作品への関心が高いのだろう。
GOOD -善き人-
フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京
世田谷パブリックシアター(東京都)
2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ナチスが台頭する1930年代のフランクフルト、大学でドイツ文学を教えるハルダー(佐藤隆太)が、ナチスに入党し、その仕事を引き受け、時流に流されていく姿を描く。同時に、施設に入っている母(那須佐代子)の我がままに翻弄される。精神を病んでいるらしく家事の出来ない妻(野波麻帆)にはいたわりが必要。
親友のユダヤ人の精神科医のモーリス(萩原聖人)からは、ナチス党員の力で出国許可をくれと言われるが、うけあわない。保身をなじられるが、モーリスも無理だということはわかるので、あきらめて、ある日、いなくなる。
ハルダーは教え子のアン(藤野涼子)にいいよられ、関係が深まり、妻とは別居へ。小悪魔的な藤野が、自分のことしか考えてない身勝手さをかわいく演じていた。同時に、ナチのボウラー(と、ジャズ好き同士で仲良くなる。ボウラーは子どもができないために出世できないと嘆く。ナチスにはそんな因習もあった。
とにかく佐藤隆太が出ずっぱりで大変な芝居。スマートな好人物を、嫌みなく演じていた。もう少し深みが出れば、言うことない。
椿姫
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2024/05/16 (木) ~ 2024/05/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
何度聞いても、ほれぼれする傑作。緩徐曲のあとに速い歌を組み合わせる、当時のオペラ作法にのっとったところも、2幕1場の冒頭のアルフレードの歌など、感情の変化に合っている。なかほどのヴィオレッタの歌もそうなっているのは、少し滑稽な感じ。でも変化がついて楽しめる。
今回は2幕1場のヴィオレッタとジェルモンの駆け引きの二重唱が、感情の変化とドラマを一曲に乗せて発見があった。聞きごたえ抜群であった。この曲が、アリア中心のオペラから、演劇的オペラへの転換を促した画期的曲というのも分かる。これはワーグナーも同じ方向で、さすが、ベルディと同い年というのはダテではない。ベルディは「オテロ」や「ファルスタッフ」で、演劇性を一層徹底させる。一方、もっと時代の下るプッチーニの方が少々アリア中心に戻るのはまた興味深い。
ジェルモンの歌う「プロヴァンスの海と陸」は有名な曲だが、2幕2場のクライマックスのジェルモンも参加する歌、3幕のヴィオレッタの別れの歌も、メロディや伴奏が共通している気がした。全く同じとは言えないけれど。
ヴィオレッタの中村恵理が好演で、高音の伸びは絶品。アルフレードのリッカルド・デッラ・シュッカもまけてない。ジェルモンのグスターボ・カスティーリョもいい声を聴かせてくれた。
深い森のほとりで
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/05/10 (金) ~ 2024/05/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
バングラデシュで待っている人のために、次々直面する困難を乗り越えて、ワクチンつくりに挑む科学者の物語。素直に感動した。運営交付金を減らされる弱小国立大学、金のない人たちが死んでも、多額の資金のかかる薬の開発に腰を上げない製薬会社(「死の谷」という)、海外からは何をしているか見えないガラパゴスの日本の研究者など、新聞かテレビのドキュメンタリーのように今日的実情が盛り込まれている。また、ビル・ゲイツ財団やワクチン開発支援機構など、ハードルは高いが支援の手があることも分かる。2017年2月から2023年3月31日まで、最後の場面ではコロナ禍もかかわってくる。
主人公原陽子(湯本弘美)の研究者歴もきちんと語っている。恩師本田教授(広戸聡)のおかげで今があるという背景が、物語の奥行きを深めている。わきに配された人々も、それぞれモデルがいておかしくないつくり。東大史料編纂所の学術支援専門員という、知り合いの娘さんが来ていて「まさに自分も、作中の産学連携支援の山口さんと同じような立場」と言っていた。女性研究者たちの直面する壁、挫折、それでも持ち続ける研究への思いを、過たず描いていた。
夢と生活のはざまで悩んだことのある、多くの人の心を打つ舞台である。主人公の壁にくじけず挑戦し続ける姿に励ましをもらえるだろう。
俳優たちは、青年劇場らしい楷書の演技で、ユーモアさえまじめさがみえる。看板役者たちは今回はおらず、広戸さん以外は知らない顔だが、よかった。若い五嶋佑菜さんには太めキャラの愛敬があり、八代名菜子さんは清楚な美しさがよかった。
ハムレット
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2024/05/07 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今回は、体調のせいか前半はのれなかったのだが、後半は舞台のセリフがビンビン響いてきた。とくに4幕4場のハムレットのいわゆる第4独白ははっとさせられた。イギリスに派遣される途中、ポーランドへ向かうフォーティンブラスの軍勢を見て、大した意味のない狭い土地をめぐって戦争する愚を語り、つづいて「思考の4分の1は知性だが、残りは臆病だ」という。ハムレットが自分の不行動・逡巡を、知性のもつ臆病さ(慎重さ)として自省する。400年前より、人々の教育程度があがり知識は増えたが、行動力の落ちた現代の我々にとって刺さる話だ。「これでいいのか、いけないのか(小田島雄志訳)」の、死(自殺)の誘惑とたたかう第3独白より、よっぽど重要だと思う。
実はこの第4独白、主に3種の原テキストのうち、Q2にはあるが、最も完成形とされるF1にはない!!!! この重要な独白がないバージョンが基本テキストとは!。当然、現在の上演でもカットされる場合がある。
「ハムレット」はなぜこれほど評価が高いのか。私は今までぴんと来なかった。今回、知性に足を引っ張られて行動できない姿が、非常に現代的であることに気づいた。シェイクスピアの主人公の中でも、これほど知的で内省的な人物はいない。レアティーズが父の怪死を知って、民衆をたきつけて王宮を攻めてくる単純な行動とは、まさに対照的だ。ハムレットはそれでいて退屈な人物ではなく、諧謔や機知もある。与えられた任務(運命)の重みに加えて、人物としてのふくらみと面白みがある。この芝居はハムレットの比重が大きすぎて(出番もセリフ量も)ハムレット役者次第で芝居の成否が決まる。怖い役でもある。(頭はいいが、他人を陥れるために知性を使うイアーゴ―とも違う)
結局ハムレットは最後まで復讐を行っていない。クローディアスを討つのは、彼らの罠にはまった怪我の功名にすぎず、みずから能動的に行動したものではない。レアティーズとの試合に向かう「覚悟が肝要だ」という肝のせりふも、実は受け身の姿勢である。どんな事態に臨んでもひるまない、ということである。演出の吉田鋼太郎は、ハムレットは「人を殺すとはどういうことか」に真っ向から挑み、「殺してはいけない」ということを描いたと述べている(パンフレット対談)。
その通りだが、一方、ガートルードの寝室で、物陰に潜んでいた人物(ポローニアス)のことは、何度も短剣でめった刺しにしている(今回の演出)。明らかに殺意が見えた。それは、相手を王と思ったからと語る。復讐を遂げようと思ったからというわけだ。(しかし、ここに来る途中で、祈る王を見て通り過ぎてきたのだから、自分より先回りしていることはあり得ないとわかるだろう。芝居には出てこないが、ハムレットはどこかで寄り道していたのか。それはさておき)つまり「殺すことを否定する」のと矛盾する。このようにシーンとシーンの間に矛盾があるのが、ハムレットの難しいところだ。だから、答えが出ない。そして、そのわりきれなさが「ハムレット」がいつまでも演じられ、語られ続ける理由なのだろう。
柿澤勇人のハムレットは予想以上によかった。登場した宴会の場で、本当に聞こえないほどの小声。亡霊の「誓え~」への反応の速さ、第4独白のしみじみした語り等々。墓場で「俺はオフィーリアを愛していた!!」と力いっぱい叫び、オフィーリアの遺体を両手で抱え上げ仁王立ちする姿は、心技体の一致した名場面である。オフィーリア(北香那)の狂乱の場も、バレエのように回り、舞い、幼子のように歌う。広い舞台いっぱいに舞う姿は可憐で美しく、素晴らしかった。
すぐ吉田羊の「ハムレットQ1」がある。見て、何を感じることになるだろうか。