Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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ライカムで待っとく

ライカムで待っとく

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初演の時は劇場が遠いのでパスして、後で後悔した。今回は是が非でもと、早めに予約して臨んだ。
初演後の『悲劇喜劇』に戯曲が載って読んだはずなのだが、1964年の米兵殺傷事件の容疑者の経験に迷い込む話という記憶が全然なかった。
俳優たちは、現代の本土のライターとその妻は、いわば事件を目撃するコロスのようなものであって、その周囲の沖縄の人たちが真の主役。現代のタクシー運転手と、妻の祖父で写真館主人の佐久本寛二を演じる佐久本宝の弾けた演技がよかった。重いテーマだからと言って沈むことなく、明るい舞台にしていたと思う。現代のユタ?のおばあと、60年前の飲み屋のおかみを演じたあめくみちこも自然なコミカルさがいい。横浜の若い女性伊礼ちえ(蔵下穂波)の、「基地県なのに、神奈川の人は反対などと騒いだりしない、大人ださー。だからここが好きなの」と、神奈川をいじる皮肉が嫌味でないのも、素直な演技のおかげだろう。

回り舞台と、周囲のたくさんの空の段ボール箱をうまく使い、テンポの速い場面展開だった。

ネタバレBOX

さすが沖縄の若い劇作家である。沖縄からの告発の声に、本土の我々では言えない鋭さがある。
沖縄の戦争や基地被害を目の当たりにして、本土人に「寄り添ってください。今までもそうしたように寄り添ってくれればいいんです」とは、きついアイロニーである。

ライター・浅野夫婦の一人娘ちえみがライカムで行方不明になる。もう一人、伊礼ちえも。うろたえる夫婦に、ウチナーンチュたちは「どちらか一人は見つからない。それがここの決まりです」と残酷な覚悟を迫るが、夫婦はとても受け入れられない。これが本土が沖縄に押し付けている「決り」なのだと、観客に突き付けられて、胸に刺さった。観客も背負う問題だと訴えるように、一瞬客席の電気も明るくなった。
戯曲でもこの場面は何となく覚えている。この最後の印象が強くて、その前を忘れてしまったようだ
デカローグ5・6

デカローグ5・6

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/05/18 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

5は20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)が、タクシードライバー(寺十吾)の強盗殺人をする話。青年の犯行は、ひもを用意しているあたり、計画的ともとれるが、タクシーに乗るまでほぼ何の予兆も見えず、犯罪の理由がない。金を奪うから、金目当てではあるのだろうが、それほど金に困っているという描写もない。

6は、19歳の青年トメク(田中亨)が、団地の窓から覗き見た女性(仙名彩世)に恋をし、ストーカー行為をする。女性は、それを告白されて、最初は嫌がるが、すぐ青年に興味を持つ。「愛している」という純真で一途な青年と、「愛など存在しない」と、多くの男と寝ている女。

ネタバレBOX

5は強盗殺人の場面が、縄で首を絞め、何度も頭を殴り、それでも死なずに、最後何度もとどめを刺し…と、暴力場面が結構きつい。死刑制度反対の新米弁護士(渋谷謙人)が弁護するが、死刑判決が出る。青年が強盗をする直前にミルクを飲んだカフェで、新米弁護士は、弁護士試験に合格した喜びを婚約者?に電話していた。ただの偶然だが、その対照に社会の明暗が込められているのだろう。青年は最後の願いに弁護士に話をするが…。絞首刑のシーンもやるので見ていてかなりダメージ受ける。

青年の弁護士への話というのは、故郷の田舎で5年前、12歳の妹が、友達の酔っぱらい運転のトラクターにひかれて死んだという話。青年も友達と一緒に酔って、乗っていた。そのため、青年は田舎にいられなくなった。「あの事が起きなければ、その後も違ったと思う。あのことが起きなければ」と。人生何が起きるかわからない不条理を言いたいのだともとれるが、あまりに当たり前のことで、言い訳にもならない。こんなくだらないことを持ち出すしかないばかばかしさも含めての、不条理な社会を表現したというべきか。救いのない人間の生というべきか。

6は、失恋した青年がリストカットで自殺未遂し、女が青年を追うように関係がいつしか逆転してしまう。ありそうにないが、物語的にはよくある話というべきか。
柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』

柿喰う客新作本公演 2024『殺文句』

柿喰う客

本多劇場(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「タン麺をタンタンメン、ワンタンメンをタンメン、タンタンメンをタンメン」などなど、早口言葉とリズミカルな洒落を含むせりふが速射砲のように延々と続く。つかこうへいと野田秀樹を合わせたようなせりふ術。その言葉のエネルギーには圧倒され、時に置いてきぼりにされた。

活動家の夫婦から生まれた男・継美ツクシ(玉置玲央)が、革命組織から組合つぶしのために入社し、総務部の7人の女性たちをはらませて、妊娠退社に追い込み…、核だった女性たちがいなくなり組合も弱体化…という話らしい。そんな設定は後から見えてくるので、最初はとにかく速射砲のような言葉の嵐。

上司(中屋敷)が痴漢で逮捕・休職中に、ツクシがしきり、総務部長(七味まゆ味)が産休になるが、妊娠してないんじゃないの? そんなこんなのうちに、上司が部長を階段で誤って突き落とし、いや、逆に突き落とされてあしをくじき…と。総務部長と総務課女子が組合を守り、労災認定を迫るが、ワルシャワ労働歌や、「蟹工船」「海に生きる人々」、インターナショナルまで出てきて、カクメイはもはや空疎なネタでしかないことを突き付けられる。

玉置はでづっぱりだが、最後までせりふが一つもない。一言も発しない。本人の「せりふのない役をやってみたい」という要望から、この芝居ができたらしい。
休憩なし1時間50分+AT10分

ネタバレBOX

両親が組織を抜けるために作った子供ツクシが、両親のため、「非避妊主義者」となってみずからも中高校生時代やりまくり、両親の脱党をなしとげる。その時否認を頼んでも否認してもらえなかった女の弟が、背の高い労務課長(村松洸希)。しかし、ツクシは「子どもは革命の邪魔だ」と今やコンドームを二重で付ける避妊主義者。なのに、総務課の女たちは妊娠した。どうして? なぞを解くカギは、総務部長とのいつもより長い面会にあった。部長はツクシに、「子どもをつくらないというのは、革命を信じていないこと、革命を引き継ぐ人たちがいないのだから。そうじゃないのか」と詰め寄っていた。

生まれた子たちが成長してツクシをせめる。その中の唯一の男が「謝ってくれ、謝罪しろ、頭を垂れろ…生まれてきてくれて、ありがとう、愛している、と言ってくれ」と。アフタートークで、玉置は、このセリフが、一番ジンとくると語っていた。
ハムレットQ1

ハムレットQ1

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2024/05/11 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

柿沢ハムレットに続いて観劇。吉田羊のハムレットが、狂気を演じているときは裏声でコミカルに、素に戻ったセリフは地声で、と顕著に演じ分けていたのが目立つ。

Q1はスピーディーというが、それでも休憩込み3時間ある。それをほとんどカットしていないのだろう。ポローニアス(佐藤誓)が息子への使者レナルドー(佐川和正)にいろいろ伝言するところなど、初めて見た。
確かに短いところもいくつかある。第4独白の欠如は有名だが、他にもハムレットがイギリスから舞い戻ったことは、兵士の報告しかない。レアティーズ(大鶴佐助)との剣試合も、誘いに来る貴族の口上も含め、全体があっさりしている。クローディアス(吉田栄作)に毒杯を飲ませて命を奪う駄目押しをしない。今回の演出は、クローディアスが自ら剣を受けて死を選ばせている。その前のガートルード(広岡由里子)も、夫の制止を無視して毅然として毒杯を仰ぐ。二人の苦悩と絶望は大きいという解釈だ。

オットーと呼ばれる日本人

オットーと呼ばれる日本人

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/05/17 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

他の方も書いているが、オットー(尾崎秀実)役の神敏将が光った。思想劇ともいえる王道の戦後せりふ劇。木下順二の戯曲・せりふのうまさもあちこちで感じた。
(抽象的なセリフは俳優泣かせだったと、どこかに書いてあったが、本作は言葉としては平易だ。情報の出し方も、通信員のフィリップの仕事を「とんつーやるだけだよ」ですませたり巧み。比喩やイメージも工夫しており、活動の危険性を地バチのたとえで語るとか。「用心しないと、巻き込まれちまいますよ」と新妻に忠告した、検事の友人が、最後に糾問役で出てくる)
ただ男同士の政治活動のわきで、男女の恋愛関係は今一つとってつけた感があった。とくに宋夫人(桜井明美)と尾崎の関係。ジョンスン(ゾルゲ、千葉茂則)と女給の愛人も、ジョンスンたちの崇高な仕事を汚すだけのような気がする。
転向して屈折した友人と、直接の弾圧は受けずに首相ブレーンに食い込んだオットーの対比も、考えさせられる。

火曜昼の回を見たが、サザンシアターの客席がほぼいっぱい。この作品への関心が高いのだろう。

ネタバレBOX

ソ連に情報を流した尾崎の行為が、どう日本の国内改革に役立つのか、世界平和に役立つのか。売国奴なのか平和活動家なのか、その評価は難しい。もし戦後も生きていたら、毀誉褒貶は二分しただろう(アメリカの捕虜として、対日本軍宣伝に携わった日本人の例も思い浮かぶ。その人は生涯隠し通した)。公演パンフで加藤哲郎一橋大教授が語っている内容が興味深い。我々の持つゾルゲ・尾崎像は、戦後、冷戦と国内赤狩りのためにアメリカがつくったものだそうだ。この戯曲にもある上海の場面は、関係者Aの証言によるものだが、Aはアメリカのスパイで、証言は嘘だそうだ。政治的ベールをはいで、その実像を明らかにすることは、難しい課題になっている。
GOOD  -善き人-

GOOD -善き人-

フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ナチスが台頭する1930年代のフランクフルト、大学でドイツ文学を教えるハルダー(佐藤隆太)が、ナチスに入党し、その仕事を引き受け、時流に流されていく姿を描く。同時に、施設に入っている母(那須佐代子)の我がままに翻弄される。精神を病んでいるらしく家事の出来ない妻(野波麻帆)にはいたわりが必要。

親友のユダヤ人の精神科医のモーリス(萩原聖人)からは、ナチス党員の力で出国許可をくれと言われるが、うけあわない。保身をなじられるが、モーリスも無理だということはわかるので、あきらめて、ある日、いなくなる。

ハルダーは教え子のアン(藤野涼子)にいいよられ、関係が深まり、妻とは別居へ。小悪魔的な藤野が、自分のことしか考えてない身勝手さをかわいく演じていた。同時に、ナチのボウラー(と、ジャズ好き同士で仲良くなる。ボウラーは子どもができないために出世できないと嘆く。ナチスにはそんな因習もあった。
とにかく佐藤隆太が出ずっぱりで大変な芝居。スマートな好人物を、嫌みなく演じていた。もう少し深みが出れば、言うことない。

ネタバレBOX

ボウラーから障害者の安楽死作戦に参加を勧められる。ボウラー自身は、後で役立たずの烙印を押されて自殺してしまうらしい。(舞台でその展開は覚えていない。実在の人物なのか?)

最後はハルダーはアウシュビッツの仕事へ赴任する。それまでずっと背広姿だったのが、ここで初めて制服に着替える。黒いロングコートに階級章の入ったナチスの制服という外見と、おどおどした表情のまだ変わらない心映えのギャップが際立つ。ハルダーはまだアウシュビッツがどういう場所かを知らない。
椿姫

椿姫

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2024/05/16 (木) ~ 2024/05/29 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

何度聞いても、ほれぼれする傑作。緩徐曲のあとに速い歌を組み合わせる、当時のオペラ作法にのっとったところも、2幕1場の冒頭のアルフレードの歌など、感情の変化に合っている。なかほどのヴィオレッタの歌もそうなっているのは、少し滑稽な感じ。でも変化がついて楽しめる。

今回は2幕1場のヴィオレッタとジェルモンの駆け引きの二重唱が、感情の変化とドラマを一曲に乗せて発見があった。聞きごたえ抜群であった。この曲が、アリア中心のオペラから、演劇的オペラへの転換を促した画期的曲というのも分かる。これはワーグナーも同じ方向で、さすが、ベルディと同い年というのはダテではない。ベルディは「オテロ」や「ファルスタッフ」で、演劇性を一層徹底させる。一方、もっと時代の下るプッチーニの方が少々アリア中心に戻るのはまた興味深い。

ジェルモンの歌う「プロヴァンスの海と陸」は有名な曲だが、2幕2場のクライマックスのジェルモンも参加する歌、3幕のヴィオレッタの別れの歌も、メロディや伴奏が共通している気がした。全く同じとは言えないけれど。

ヴィオレッタの中村恵理が好演で、高音の伸びは絶品。アルフレードのリッカルド・デッラ・シュッカもまけてない。ジェルモンのグスターボ・カスティーリョもいい声を聴かせてくれた。

深い森のほとりで

深い森のほとりで

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/05/10 (金) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

バングラデシュで待っている人のために、次々直面する困難を乗り越えて、ワクチンつくりに挑む科学者の物語。素直に感動した。運営交付金を減らされる弱小国立大学、金のない人たちが死んでも、多額の資金のかかる薬の開発に腰を上げない製薬会社(「死の谷」という)、海外からは何をしているか見えないガラパゴスの日本の研究者など、新聞かテレビのドキュメンタリーのように今日的実情が盛り込まれている。また、ビル・ゲイツ財団やワクチン開発支援機構など、ハードルは高いが支援の手があることも分かる。2017年2月から2023年3月31日まで、最後の場面ではコロナ禍もかかわってくる。

主人公原陽子(湯本弘美)の研究者歴もきちんと語っている。恩師本田教授(広戸聡)のおかげで今があるという背景が、物語の奥行きを深めている。わきに配された人々も、それぞれモデルがいておかしくないつくり。東大史料編纂所の学術支援専門員という、知り合いの娘さんが来ていて「まさに自分も、作中の産学連携支援の山口さんと同じような立場」と言っていた。女性研究者たちの直面する壁、挫折、それでも持ち続ける研究への思いを、過たず描いていた。

夢と生活のはざまで悩んだことのある、多くの人の心を打つ舞台である。主人公の壁にくじけず挑戦し続ける姿に励ましをもらえるだろう。
俳優たちは、青年劇場らしい楷書の演技で、ユーモアさえまじめさがみえる。看板役者たちは今回はおらず、広戸さん以外は知らない顔だが、よかった。若い五嶋佑菜さんには太めキャラの愛敬があり、八代名菜子さんは清楚な美しさがよかった。

ハムレット

ハムレット

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2024/05/07 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

今回は、体調のせいか前半はのれなかったのだが、後半は舞台のセリフがビンビン響いてきた。とくに4幕4場のハムレットのいわゆる第4独白ははっとさせられた。イギリスに派遣される途中、ポーランドへ向かうフォーティンブラスの軍勢を見て、大した意味のない狭い土地をめぐって戦争する愚を語り、つづいて「思考の4分の1は知性だが、残りは臆病だ」という。ハムレットが自分の不行動・逡巡を、知性のもつ臆病さ(慎重さ)として自省する。400年前より、人々の教育程度があがり知識は増えたが、行動力の落ちた現代の我々にとって刺さる話だ。「これでいいのか、いけないのか(小田島雄志訳)」の、死(自殺)の誘惑とたたかう第3独白より、よっぽど重要だと思う。
実はこの第4独白、主に3種の原テキストのうち、Q2にはあるが、最も完成形とされるF1にはない!!!! この重要な独白がないバージョンが基本テキストとは!。当然、現在の上演でもカットされる場合がある。

「ハムレット」はなぜこれほど評価が高いのか。私は今までぴんと来なかった。今回、知性に足を引っ張られて行動できない姿が、非常に現代的であることに気づいた。シェイクスピアの主人公の中でも、これほど知的で内省的な人物はいない。レアティーズが父の怪死を知って、民衆をたきつけて王宮を攻めてくる単純な行動とは、まさに対照的だ。ハムレットはそれでいて退屈な人物ではなく、諧謔や機知もある。与えられた任務(運命)の重みに加えて、人物としてのふくらみと面白みがある。この芝居はハムレットの比重が大きすぎて(出番もセリフ量も)ハムレット役者次第で芝居の成否が決まる。怖い役でもある。(頭はいいが、他人を陥れるために知性を使うイアーゴ―とも違う)

結局ハムレットは最後まで復讐を行っていない。クローディアスを討つのは、彼らの罠にはまった怪我の功名にすぎず、みずから能動的に行動したものではない。レアティーズとの試合に向かう「覚悟が肝要だ」という肝のせりふも、実は受け身の姿勢である。どんな事態に臨んでもひるまない、ということである。演出の吉田鋼太郎は、ハムレットは「人を殺すとはどういうことか」に真っ向から挑み、「殺してはいけない」ということを描いたと述べている(パンフレット対談)。

その通りだが、一方、ガートルードの寝室で、物陰に潜んでいた人物(ポローニアス)のことは、何度も短剣でめった刺しにしている(今回の演出)。明らかに殺意が見えた。それは、相手を王と思ったからと語る。復讐を遂げようと思ったからというわけだ。(しかし、ここに来る途中で、祈る王を見て通り過ぎてきたのだから、自分より先回りしていることはあり得ないとわかるだろう。芝居には出てこないが、ハムレットはどこかで寄り道していたのか。それはさておき)つまり「殺すことを否定する」のと矛盾する。このようにシーンとシーンの間に矛盾があるのが、ハムレットの難しいところだ。だから、答えが出ない。そして、そのわりきれなさが「ハムレット」がいつまでも演じられ、語られ続ける理由なのだろう。

柿澤勇人のハムレットは予想以上によかった。登場した宴会の場で、本当に聞こえないほどの小声。亡霊の「誓え~」への反応の速さ、第4独白のしみじみした語り等々。墓場で「俺はオフィーリアを愛していた!!」と力いっぱい叫び、オフィーリアの遺体を両手で抱え上げ仁王立ちする姿は、心技体の一致した名場面である。オフィーリア(北香那)の狂乱の場も、バレエのように回り、舞い、幼子のように歌う。広い舞台いっぱいに舞う姿は可憐で美しく、素晴らしかった。

すぐ吉田羊の「ハムレットQ1」がある。見て、何を感じることになるだろうか。

ネタバレBOX

前半1時間45分(休憩15分)後半1時間35分とかなり長い舞台。ガートルードの寝室の場(3幕4場)のハムレットが入ってくるところで前半を幕にし、後半はシーンを少しおさらいして、そこから再開する。流れを途切れさせないための工夫だろう。通常はその前の、王の祈りの場までで区切ると思う。
「シカゴ」来日公演2024

「シカゴ」来日公演2024

TBS/キョードー東京

東急シアターオーブ(東京都)

2024/04/25 (木) ~ 2024/05/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

何度見てもほれぼれするザ・エンターテインメントである。しかし、それだけではない。無力な女性がメディアや弁護士を巧みに使って、男社会の中でしたたかにのし上がる、女性賛歌、フェミニズムの作品ととれないこともない。とんでもない悪女だけれど。金次第でどんな嘘でもつくビリー・フリンの一方で、愚鈍なほど正直で影の薄い夫のエイモス・ハートも、きちんとソロで丸々一曲歌う(ミスター・セロファン)見せ場がある(「君の時間を取りすぎてないと良いけれど」と控えめですらある)。

また真実や正義などそっちのけで、売れるネタに飛びつくマスコミのセンセーショナリズム、腕利き弁護士の弁舌一つで陪審員の採決が変わる衆愚裁判、そしてすべては金次第というアメリカの軽薄さを暴いている。「この国がいかに素晴らしいか、私たちこそ「生きた見本」です」と歌うフィナーレは、アメリカ大衆社会への痛烈な皮肉である。こうしたアメリカの破廉恥と退廃を、極上のエンターテインメントにしてしまうこと自体、アメリカのしたたかさを示している。

Medicine メディスン

Medicine メディスン

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2024/05/06 (月) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

精神病院らしい施設の一室で行われる演劇治療らしい。その出来次第では退院できるのではないかと、ジョン(田中圭)は期待を持つ。老人の紛争で現れる音響兼役者のメアリー(奈緒)、ロブスターの着ぐるみで現れる、エネルギッシュに指示を下す俳優のメアリー2(富山えり子)、そしてドラマー(荒井康太)。彼らがジョンの治療劇の出演者、音響だ。メアリー2がブースに入るときに起こる強風など、演出家の工夫かと思いきや、すべて台本の指定らしい。かなり凝った戯曲である。

「気分はどうだね」「いいです」「何でここに来たんだと思うかね」「僕がほかの人と違うから…」…医師とジョンらしき会話の録音が、舞台にいる4人以外の、監視者の存在を示す。二人のメアリーは、雇い主と携帯で話したりもする。こちらからは見えないが、相手からは見えると思わせる「視線の政治学」が可視化されている。監視と監禁の中での、1年に一度の治療劇。両親の愛情の薄かった幼少時代(赤ん坊の人形も使う)、いじめ、そして、施設の庭で花咲いた恋と退院の夢…。歌ったり、踊ったり、走ったり。劇中劇を出たり入ったり。振幅の激しい感情と、ダンススタジオのような動きはすさまじかった。

ネタバレBOX

治療劇は、実は施設の巧妙な罠というべきものだった。ジョンの一生を振り返って、自己を見つめさせるというのは見せかけだけ。彼に、施設内で恋した経験を思い出させ、その時の外へ出たいという望みが、結局みじめな別れと虐待しかもたらさなかったことを思い知らせる。「ここにいるのが正義です」と屈服させるのが狙いなのだ。

メアリー(奈緒)はそれを知っているから「私たちのやっていることは、彼に残酷すぎないか」と躊躇を見せ、メアリー2(富山えり子)をブースに閉じ込めもする。しかしメアリー2はそんなメアリーの迷いなど歯牙にもかけず、(施設側の)台本通りに彼をどん底に叩き込んで、次の子ども劇場へと去っていく。

最後にスピーカーから流れる、年老いたジョンの声は、彼がすでに何十年も施設に閉じ込められていることを暗示する。メアリーが、最後はジョンに寄り添って終わる。せめてものジョンへの慰めなのだろう。にしても、残るもやもやが大きい。もう少しわかりよくしてほしかった。
トリスタンとイゾルデ

トリスタンとイゾルデ

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2024/03/14 (木) ~ 2024/03/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

イゾルデ役のリエネ・キンチャ、トリスタン役のゾルターン・ニャリとも途中交代の出演であったが、心配は全くの杞憂だった。バスのヴィルヘルム・シュヴィングハマー(マルケ王)もすばらしい。プランゲーネの藤村実穂子もよかった。私は「ワルキューレ」のフリッカで見た記憶がよみがえった。

デカローグ1~4

デカローグ1~4

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

プログラムA:1 計算では絶対起きないはずの事件によって、人知の限界を語る。デカローグとはモーゼの「十戒」のことだが、全10話がきれいに10の戒律に該当するわけではなさそうだ。しかし第1話は「主が唯一の神である」という第1戒律に直結する。そのため、やや抽象的な芝居になったと思う。
2階建てのセットが団地を示す。これからの10話で、コンクリートの箱の住民たちの小さな出来事が演じられていくことが予告されている。

同3 小島聖は、精神的に不安定で危うい女性を演じるとピカイチである。今作でも、元不倫相手の前に突如現れて、彼を巻き込んでいくが、巻き込まれてしまうのも無理がないと思わせる。寂しいクリスマスイブを送りたくない、というのはカトリック国では日本以上に切実かもしれない。それが未婚率上昇に歯止めをかけているかも。

B:2 がんで死にそうな夫と、夫以外の男の子供を妊娠した妻。女は医師に「自分は産むべきか中絶すべきか。教えてくれ」と迫る。ユダヤ人の医師は、収容所で妻子をなくした。子供を失った傷を抱える医師には、妻にいう言葉は一つしかないが…。

同4 ABプログラムの中では、抜群の出来。この1編を見られただけでも、とくに近藤芳正の抑えた動きの中に、葛藤がにじむ演技が素晴らしい。娘の夏子の下着姿もさらす真正面のぶつかりも、父役に負けてなかった。そして結末の見事な回収。途中の娘の動きが、そういう意味だったのかと分かる。ドキドキした緊張と解放を1時間の中で存分に味わえる舞台だった。近藤の演技にあたたかい笑いも多かった。

ネタバレBOX

2では、最後に突然(!)回復した夫が、「僕たちの子ども」ができたと医師に語って喜ぶ。父親は誰なのか。本当に夫の子なのか、何も知らないだけなのか。あるいは夫は別の男の子と知りながら、そう自分に言い聞かせて受け入れているのか。「僕たちの…」に、「間」があったので、夫は不倫の子を受け入れたのではないかと、私は受け取った。

3、4はどちらも最後に、女の話は嘘だったということで、話が収まる。そういう共通点のため、どんでん返しのカタルシスがある。だから、プrグラムを1-3,2-4という組み合わせにしたのだろう。この後は、順番通りのプログラムである。
夢の泪

夢の泪

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

東京裁判3部作の二部作目。久しぶりに見ると、よいところ、イマイチのところ、ともによくわかる。
松岡洋右の弁護人に抜擢された弁護士夫婦、同じ曲を互いに「夫が作った曲だ」と奪い合う占領軍で歌う歌手二人、朝鮮人の父をヤクザに刺されて警察に訴えても相手にされない学生(「いまぼくは感じる…捨てられた」は強い曲)、アメリカで日系人として収容所に入れられた日系2世の将校(「うるわし父母の国」もよい)、以上の4つの筋がない合わされている。いずれも作者の追求したテーマであり、一つのテーマだけで独立した作品も書いている。そういう点では、集大成的な作品である。このなかで、一つの曲の謎を解いていく顛末が、理屈っぽくなりやすい芝居を救っている。

日本人弁護士に、被告が弁護料を払えないからと、みなで街頭で募金を訴える歌が面白い。「こころやさし君よ」。心優しい人々のはずが、石を投げられ袋叩きにされる皮肉がきいている。全体として歌は、既存の曲に、新しい歌詞をつけているのだが、メロディーと合わない、かなりこじ付けというか無理筋の歌詞もあり、苦しいところだ。

弁護の証拠を集めようとしても、戦時中の役所の書類は焼却されてしまった。その償却命令が8月7日に出ていたというのが、どうしてだろう。まだ御前会議で決まっていないはず。ポツダム宣言受諾の最初の「ご聖断」は9日なのだが。

ラスト近くにしみじみ歌われる「丘の上の桜の木」(宇野誠一郎作曲「心のこり」=ひょっこりひょうたん島挿入歌)が、耳に残る。郷愁と戦死者への鎮魂とが込められた名場面。しかし、それで終わらず、さらに10年後、戦争を忘れ旧指導者が復活して繁栄に浮かれる日本を揶揄するシーンで締めくくるのは、井上ひさし流の戦後日本へのきつ~い風刺である

ネタバレBOX

娘の英子が弁護士の父母に訴える台詞に、作者のメッセージがある。「人様に裁いてもらっても駄目だ。あとから、あれはよかった、いや間違っていたともめるだけ」「自分たちが自分たちを裁かなければ」(記憶なので正確ではない)。

VIOLET

VIOLET

梅田芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/04/07 (日) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

見てる間は、よくわからないところが残るけれど、見終わってあれこれ考えると見えてくるものがある。主人公の顔の傷も、黒人の肌の色も、舞台ではノーメイクなので、能動的に想像しないと見えてこない。「大事なものは目に見えないんだよ」という『星の王子様』の狐の教えのとおりである。映画と違って想像力を使わなければならないからこそ、能であれ、新劇であれ、古びない訴求力を持つということを考えさせられる。観客に考えさせることの多い芝居である。歌はうまくて素晴らしい。
2時間10分休憩なし

獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち

獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち

劇団東演

俳優座劇場(東京都)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

桜隊が原爆で全滅したことをめぐる芝居だが、桜隊(特に丸山定夫=南保大樹)よりも、演出家の八田元夫(能登剛)と劇作家の三好十郎(星野真広)が強く印象に残る。最後に、丸山の死に責任があるのは誰か、丸山の堕落を厳しく批判して映画をやめさせた三好十郎が丸山を殺したのではないかと、二人が語り合うシーンが印象に強いせいだ。また、桜隊の「獅子」の稽古を三好が見に来て、我慢できなくなって、役者たちをくそみそにこき下ろすシーンが格段に秀逸だからだ。

1940年から次第次第に厳しくなる新劇人へのしめつけと、その中で芝居を続けるためには、移動演劇連盟に入るしかなく、また広島へ行くしか選択肢がなかったという苦境が、劇団内の議論で示されていく。疎開や、軍都・広島に感じた危険性から、俳優がどんどん抜けて、その代わりの俳優を探す。そうして彰子が加わるのである。彰子は、大映の女優の友達も誘い、その彼女も原爆で亡くなった。

桜隊の話に並行して、出征した夫・かもんに宛てた新妻・女優の彰子(あきこ)の手紙が挿入されていく。彰子は結局、桜隊に加わって、原爆死する。(原案になった本を読むと、この手紙は、戦後50年以上、カモン(映画「無法松の一生」で、息子役を演じた俳優)が保存していた、妻からの手紙の現物である。それを知って、感動した)

桜隊が演じる「獅子」のラスト、丸山定夫の獅子舞は、それまでの2時間の集大成にふさわしい、リアルで生き生きした場面だった。園井恵子(  )の演じる慌てふためく農家の国策おかみをおしのけて、丸山の堂々としたせりふ「それが人間じゃぞ」の晴れやかさがよかった。2時間20分(15分休憩込み)

ネタバレBOX

観劇後、原案の堀川惠子「戦禍に生きた演劇人たちー演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇」を一気に(特に後半を)読んだ。三好の「獅子」の稽古でのダメ出しは、八田の遺した膨大なメモに残っていたもので、だから罵倒言葉が格段に個性的でリアルだったのだ。他にも丸山についての三好の言葉など、ほぼ八他の記録からそのままとっており、舞台でも非常に強い印象を与えた。三好と八田が戦後に抱え続けた「戦争責任」のとげも、本書でより深く知ることができた。
丸山定夫の戦意高揚映画出演や、戦時ラジオへの出演の問題も、これまでになく掘り下げて書いている。その堕落から脱却を目指した丸山の再起をかけたのが「苦楽座(=桜隊)」であり、その良心的行動が、広島での被爆死に結果したという歴史の皮肉には、簡単には素通りできない重いものを突き付けられる。


八田が自身の戦争責任と向き合った戯曲「まだ今日のほうが!」は5年前にみたことがある。本書によれば、「まだ今日のほうが」のドイツ語挨拶をめぐる兄妹の会話が核心だそうだが、私の感想を見直すと、そのことは全く触れていない。妹と元活動家の恋人の、左翼活動の堕落をめぐるやり取りに目を奪われてしまっていた。
イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

原爆を賞賛したり、いろいろ心が波立たせられる芝居だった。原爆実験で、もしかしたら空気に連鎖反応を起こして世界が破滅するかもしれない、という議論が出てきた。映画「オッペンハイマー」でも、カギとなる疑いとして出てくる。それを相談しにオッペンハイマーはアインシュタインに会いに行き、その後の二人の関係の伏線になる。

1944年から2009年までを、60年代、70年代、90年代と時を追いつつ、ロスアラモスで出会ったカップル、子供たち、友人たちの60年以上の人生を描く。

ネタバレBOX

ベトナム戦争に志願した息子は、車いす生活になって戻り、娘は日本人の被爆男性と結婚する。海兵隊将校の息子はイラク戦争で劣化ウラン弾をあびる。かなり欲張った芝居である。

200×年に米国の核開発関係者が、広島で被爆者と会って絶対に謝らなかったことがあった。その話を知った作者が、原爆開発の戯曲化を思いついた。そうとは知らなかった。ただ、現実の謝らなかった科学者は「リメンバー・パール・ハーバー」とまで言ったそうだから、この芝居でいえば、海兵隊の将校になった男のような人物ではなかったのか。この芝居の主人公ならば謝ったのではないかと思った。
La Mère 母

La Mère 母

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

5,6年前に作者ゼレールは「父」で、認知症の高齢者がみる世界を観客に体験させて、鮮烈な日本デビューを果たした。全く知らない人たちの住む別の場所と思ったら、それはよく知る娘夫婦の家だったというような。別々の俳優が演じるのがじつは同一人物という奇策で、当然別人と思っていた観客にもショックを与えた。

前置きが長くなったが、「母」はこの手法の延長にある。舞台で起きていることは、現実なのか、母(若村麻由美)の脳内妄想なのか。最後になるまで、その境目がわからない。
子離れできない母親の「からの巣症候群」を描いたということになる。極端すぎる気がするが、そこが妄想の妄想たるところなのだろう。でも「父」の変化球や、「息子」の多声性とどんでん返しに比べて、少々一本調子のように思った。

ネタバレBOX

いないはずの息子(岡本圭人)が現れ、帰ってきたのかと思えば、父(岡本健一)が「一人で何をやってるんだ」と、息子の存在を否定する。それでも息子は現れ続けるから、ほとんどは母のみる幻想なのである。
息子は「ママは僕の人生を台無しにした」等、母への辛らつな批判を口にする。母の嫌いな妻のことを、母よりも会いたがったりして、母に対する他者性を見せる。じゃあ、これは現実なのか。実は逆で、妄想だからこそ母の心内に抑えた恐怖や、自分を責める言葉、見たくない最悪の想像が現れるのだろう。
カラカラ天気と五人の紳士

カラカラ天気と五人の紳士

シス・カンパニー

シアタートラム(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/26 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

別役実が生きているときより、死後、別役作品の舞台が格段に面白くなった気がする。数年前、坂手洋二の演出もよかったが、今回はまた抜群の芝居に仕上がった。とにかく笑える。別役のブラックユーモアとナンセンスとズレが、ひとつひとつ客席の笑いになってドカンドカンと破裂する。
前半も微苦笑がつづくが、後半、女性2人が出てから爆笑パターンになる。とくに高田聖子の、煙草で男たちを翻弄し、パラソルをもって反撃する、押しの強い演技は最高だった。

別役作品は電柱が1本立っているだけ、という美術が定番だが、今回は地下鉄のホームがつくりこんであった。電柱の代わりに、梯子の付いた太い柱だった。美術で変化をつけている割には、戯曲の解釈は奇をてらったものではない。にしても、動きが乏しせいか、スベることも多い別役戯曲を、見事に活気ある舞台にしたのは功績である。男たちの前半は決して動きが多いわけではないが、なぜか笑える。
休憩なし70分

ネタバレBOX

薬剤師の手違いで、青酸カリと思っていたのが実は重曹だった。「馬鹿にされた」と怒った女二人はパラソルをもって、社会に復讐してやると飛び出していった。そして二人が踏切を超え、「時速250キロ」の特急列車に突っ込んでバラバラになって死んだ、とニュースが入る。
時速250キロの新幹線に踏切はないけれど、これは猛スピードで移動する新幹線=現代日本にたいする、ドン・キホーテ的挑戦なのだろうか。
密航者~波濤をこえて~

密航者~波濤をこえて~

株式会社エーシーオー沖縄

R's アートコート(東京都)

2024/03/27 (水) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

懐かしい嶋津与志さん。30年ほど前に映画「GAMA月桃の花」で取材した。この戯曲は知らなかったが、戯曲と俳優の熱演と相まって、いい舞台だった。
沖縄出身の女優外間結香が、芯の強い沖縄女性を好演。取調官(清田正浩)は、米軍の犬としての強権ぶりと屈従がよくわかる。ブザーが鳴るたびに追い詰められていく様が、しょせん米軍のコマにすぎない苦しさをよく示していた。
取調室から、照明一つでシームレスにヒロ子の部屋、清次郎(齋藤慎平)との回想へという演出がうまかった。

清次郎は直情径行な男で「坊ちゃん」のよう。米軍の土地とり上げに義憤を感じて、伊佐浜の米軍基地の鉄条網を切ったり、横暴な米兵たちに大工道具を振り回して一人で立ち向かったり。齋藤氏に作者嶋は「あれ(清次郎)は馬鹿なの」と語ったそうだ。あんなふうに馬鹿になって、米軍に歯向かいたいという願望が書かせた人物だろう。

ネタバレBOX

最後、取調官は、清次郎を反米活動家として有罪にするための証人になれ、そうすれば密航の罪は許してやると持ちかける。ヒロ子は「見損なうんじゃないよ」とばかりに当然拒む。脱走した清次郎が天海に密航しようとして拿捕されたと知って姿勢を正す。「清次郎が私に合うために密航しようとしてくれた。私にはそれで十分」と。
「私を罰したって、密航者は私で終わらない。次々私のあとがいる」
まだ取り調べも収容所生活も続くが、芝居はここで終わる。ヒロ子はこの後どうなるだろうか。最後まで拒否し通せるだろうか

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