GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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快楽の谷

快楽の谷

劇団 背傳館

王子小劇場(東京都)

2017/03/08 (水) ~ 2017/03/12 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2017/03/11 (土) 19:00

すみません。消化不良です。関根さん以外は、誰が誰なのかがよく解りませんでした(紅一点だから当然と言えば当然なんだけれど)し、それぞれが背負っているものが判らなかった。
(理解不足ですみませんが)そもそも、エロゲーをコミケで売る程度で、同人とはいえ組織として成り立っていくのかな。
役者の方々のご親族の方らしき方が来ておられましたけれど、どういう感想もたれたのかな、そちらに興味がわきました。劇団の感じはとてもよかったのだけれど。

ネタバレBOX

端に喫煙室があり、そこの中でいろいろと行われているようなんだけれど、淫猥な感じと悲惨な感じが混在しているのはよいとして、何かのメタファー表現なのかしら。根
性焼きというのか腕に多数の煙草の焼け跡がある男性と、躊躇い傷だらけの関根さん。
他の方の口コミを読むと、主催者は異化を狙ったそうなのだけれど何との?
自閉的で吃音癖があるような煙草の焼け跡男性役の方が、終演後、劇場の入口辺りで、笑顔で歓談しているのを拝見して、なぜかホッとしましました。
三人でシェイクスピア

三人でシェイクスピア

劇団鳥獣戯画

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/03/07 (火) ~ 2017/03/07 (火)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/03/07 (火) 19:00

座席1列

第227回です。今更、コメントを書くのも恥ずかしいロングランです。
今回は昨年11月」に続き2回目の観劇となりました。前回の観劇後、長男(現在21歳)に、「ウルトラマンティガでオビコをやっていた赤星昇一郎さんの舞台を観てきたよ。「3人でシェークスピア」っていう舞台でさ、シェークスピアの全作品を3人で演るって趣向なの。」と話しました。

ちなみに、赤星さんのオビコを長男が観たのは18年ほど前に録画なのですが、その後何度も観ているので、オビコは次男を含めた家族全体の共通言語と化しています。ちなみにウルトラセブンのキュルウ星人ーあの大鉄塊のーでも通じます。

しかし、面白かったよ、と締めくくるも、筋を話そうとしても話せない。だって、筋なしなのだもの。ということで、今回、百聞は一見にしかず。連れていくことにいたした次第です。

月一公演で、稽古はどうしているのかな、などと余計なお世話をしながら、今回は周囲に気を配る余裕あり。リピーターの方もいるようですし、未だに「怪物ランド」の赤星さんとして覚えている方が多いのも、感心しきり。

長男も楽しめたようですし、私の方も前回に続き楽しませていただきました。
評価に関することは書けません。だって、スジなしなのですから。

ちなみに年間おおよそ12回見れて6000円のモモちゃんシートって、1回500円ということだよね。近くに住んでいたら、買ってもよかったのに。

ネタバレBOX

やはり、大筋での展開は変わりませんが、やはりアドリブ部分は変わりますし、セリフも少し変化しています。(例えば、冒頭、前回は最前列の私は「お地蔵さん」でしたが、今回は「大仏」でしたし、観客に知っている作品を尋ねる際に今回は「ジョン王」に行きつく前に「ヴェローナの二紳士」が入っておりました)
The Dark

The Dark

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2017/03/03 (金) ~ 2017/03/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/06 (月) 19:30

座席1階C列12番

予定調和にしないこと、間隙を作り観客に読み込ませる部分を設けること。単に意外性を追求するのではなく、本来現実にありうる偏りや欠落を示し、バランスボードにうまく人物を配置しないこと。この舞台のそうした配慮に感心しきり。

同じ間取りの3軒の家に3つの家族が位している。間取りが同じなのだから、3軒は同じセットの中を縦横に行き来するのだけれど、こうした舞台設定はそんなに珍しいものでないようです。(この日はアフタートークがあり、中山祐一朗さんがそうおっしゃていた)

同じ間取りを使うとなれば、それぞれの家族のシンメトリーを映し出すことが物語進行の肝になりそうなものです。確かに3つの家族は異なります。
15歳の引きこもりの息子がいる倦怠期の夫婦、新しい赤ん坊(娘)を授かりながら、過去に幼い子供を亡くしたトラウマからいがみ合う若夫婦、大きな息子(彼がある性癖がある)を持ち夫をなくした老母。確かに家族の像はバラバラです。
この3家族は、全く異なるシチュェーションで、同じセリフをシンクロさせながら笑いをとったりしますが、常にどこかが仲間外れです。一家惨殺の事件に関心を寄せる2家族、流れのままに不倫をする2家族、停電で灯りを持っている2家族、子供たちが意思疎通する2家族、食事をする2家族、シャワーを使う2家族、バーナーのある2家族というように。

それぞれの家族は当たり前といえば当たり前のように、横並びではありません。停電の闇で、登場人物の心の闇が動き出す、確かにそうした舞台なのですが、微妙な仲間はずれが、闇の濃淡・深浅を紡ぎだします。

ネタバレBOX

ラストシーンは、何とも幸せな気分で迎えることができるのですが、ここでもある家族にのみ悲劇が襲います。あのシ-ンは死ですよね。そこまで、頑なに避けてきたような
「死」の到来が、あの家族にどのような闇を招いたのでしょうか。

なお、この舞台では何度か、今何時なのかを尋ねる会話があるのですが、これは実際の時刻なのだそうです。だから、あんなに半端な時刻だったのだな、と得心がいきました。でも、昼の舞台の時は、どうしているのでしょうか?停電しても闇になりませんから、お話が成立しないですよね。
「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」

雷ストレンジャーズ

小劇場B1(東京都)

2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/03/03 (金) 19:00

座席貴族番

かなり前に配られたチラシ(今のチラシと仕様が違い、裏面が白紙、内容も全く分らない)で「一幕のグロテスク劇」というタイトルを見かけてから、これは絶対見ようと心に決めていました。あの毒々しいオウムの絵に魅入られたともいえます。
フランス革命ーバスティーユ襲撃時の興奮が、劇の進行と共に居酒屋の中でも高まっていきます。劇中劇は、虚構なのか現実なのか。それらが混沌としてきたときに、居酒屋内の人々の判断は断絶し、狭い空間で各々の言動は暴発を始めます。
そして、劇中劇と現実との狭間を取り払い、大きく引き金を引いてしまうのが、あの人とは、、、

舞台衣装もよく調達したな、という感じで、特に浮浪者の衣装は、動くたびに本当にほこりが立つんですよねえ。

上演時間は80分。時間が残り少なくなった時、どのようなエンディングを迎えるのかと思いましたが、彼らは夢中の混乱から現実の混乱へと舞台を移動して行くのでした。
多くの笑いもあったけれど、物語の節々でエッジを利かせながら話の散逸を防ぎ、シニカルなセリフと時折起こる極度の緊張は心地よい。入りの静けさからスピード・ボルテージがどんどん高まっていき、最後の唐突に見えるエンディングは、まるでラベルのボレロみたい。

辻しのぶさんは確かにきれいです。適度な熟れ具合がまた。胸の谷間をまじかで観られたのは眼福。(あれ、最近こんなことばかり書いているなあ)

ネタバレBOX

貴族席で拝見しました。全くの貴族です。1舞台3人のみ。パンフレット付きで500円高いのだけれど、パンフレット自体が500円なので、お得感ありありでした。何かとてもお客として構ってくれた感ありましたもの。

ただし、この席はご注意。急に役者さんが目の前から話しかけてきたり、狭いのでぶつかりそうになったります(実際、ニアミス多かったし)。近くにあったランプも、単なる雰囲気だけの小道具かなーと思っていたら、しっかり使うし。油断できません。

ちなみに、盗んできた宝石をばらまく場面で、最後にポケットから出した銀色のお宝、何か気付いた人どれくらいいたかなー。あれ、繋がったドアのノブです。目の前で誇らしそうに見せてくれました。
出口なし/芝居

出口なし/芝居

双身機関

こまばアゴラ劇場(東京都)

2017/02/25 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2017/02/26 (日)

価格3,000円

両方の戯曲について不勉強だったので、2本立てなのかと思い、終わったときは、あれもう一本やらないのかなあ、と思って劇場を出ました。帰って調べると、この2つ生きていないであろう1人の男と2人の女という設定がそっくりなんですね。

かなり、観客を選ぶと思うので「お勧め」はできませんが、サルトルでもベケットでも、興味がある方は一見してみてもよいかと思います。

でも、安部公房やイヨネスコなどかなり(良い意味で)偏りのある劇団ということは判りましたので、今後、贔屓にしたいと思います。

ネタバレBOX

寂光根隅的父氏が、パンフで気分を悪くするだろう、というようなことを書いておりましたが、確かにねえ。でも演劇の身体性が、まったくない舞台なので、これは朗読劇なのかな。
白い花を隠す

白い花を隠す

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/02/28 (火) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2017/02/28 (火)

価格3,000円

すでに伊丹市で公演した演目なので、東京公演初日も淀みない。
2001年のNHKのドキュメンタリー番組改編を元ネタに作られた作品とのこと。あの事件から、すでに15年以上経ったのかと思うと、まさに光陰矢の如し。

さて、この舞台を語ろうとすると、この番組改編事件の解釈に触れなくてはならないのは、どうも気が重い。でも、そうしないと話の筋道を辿れないから。だから、そのあたり触れません。もちろん、ここでの事件解釈が、Pカンパニーの主張、あるいは参加した役者さんたちに共通した主張だとは思ってはいない。ただ、比重こそ異なれども、プロデューサー、演出家、脚本家が、ここで描かれている主張へ軸足を置いているのは事実なのだろう。

「胸の中の法廷」とは、何なのか。ただの自己満足なのかな。本来、法で裁くというのは、公明正大、ひたすら努めて私事や思い入れに左右されず判断されるべきものだとすれば、この舞台に出てくる何人かのジャーナリストは、思い入れや立場に固執する偏狭者にも思える。序盤の軽いタッチが中盤以降、怒鳴り合い、哀願、叫びばかりになるのは、そうした偏狭者の特徴が前面に出てしまったからだろう。正直、うるさい。

Pカンパニーはもっと抑制が効いた芝居が魅力のような気がするのだけれど。

ネタバレBOX

さて、事件解釈に触れないで書くとすれば、どうしても姉妹のことになる。この姉妹、お互いを思いやる気持ちを持ちながら、亡くなった母親の愛情の在り方を軸に、激しく対立する。

舞台序盤は、子供を亡くして7年も経ちながら、未だに立ち直れない姉を思いやる妹、妹の愛情に感謝しながらも不器用にしか立ち回れない姉、このコントラストの中、妹の結婚・妊娠となり姉は疎外感を持ち始めるといった展開に、件の事件が起き、姉妹周辺は慌ただしさを増していく。
「(母親を)嫌いだと言えるからこその家族」(姉)、「家族だからこそそんなことは言うべきではない」(妹)。「(母親の)過度な愛情の押し付けが苦しかった」(姉)、「お母さんは、女手一つで私たちを育ててくれたのよ」(妹)。「あなたは絶対間違っている」(姉)、「お姉さんはいつも自分勝手」(妹)。お互いを罵り合う中での決別。(家を出た姉は帰って来なかったのだろう)
(って、この話は件の事件の何か隠喩になっているのかしら。)

ラストに、タイトルにある「白い花」(喫茶店で飾ってある観賞用の花の原種)を見たい、と言って家を飛び出す妹の夫。(原種はアフリカにしかないというのだから、彼も帰って来ないのかも)
白は無垢の象徴だから、件の事件に対する自らの態度(でもこの方、ホントによく周りを気遣い、地べたをはいずるようにがんばったよなあ)

その後、呆然とした妹は、幼い娘に「お母さんを愛している」と、姉を苦しめた亡き母の口癖(この回答に、姉は窮してしまっすと、母親は口をきいてくれなかった)を漏らす。
事件は背景で、こちらの話を描き切った方が、面白かったかもしれない。

話の軸としては、こちらの方が面白かったな。
ピーピング・トム『ファーザー』

ピーピング・トム『ファーザー』

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2017/02/27 (月) ~ 2017/03/01 (水)公演終了

満足度

鑑賞日2017/02/27 (月)

座席1階L列6番

初日の公演を観てきました。4度目の来日ということなので、以前の公演はそれなりに高評価だったのだろうと思います。日本ベルギーの友好150周年記念のイベントいうこともあろうけれど。
世田谷パブリックシアターの演目は、比較的安く上質のものが演じられるので、先週の「たくらみと恋」に続き、今回はダンスとはいえ期待大。(でも、チケットはこちらの方が高額だった)
席は2,3階を眺めて8割程度の入りだと思います。
上演時間は80分。

ネタバレBOX

飽くまでも、身体表現で見せるということなのでしょう、字幕はなし。私も英語くらいは判るのだけれど、飛び交う言語は、劇団の人種の多様性を反映してか、中国語、ドイツ語、韓国語(らしい)などなどで、ストーリーがどこに進んでいるのかよく解らない。

女性陣の身体表現は素晴らしいと思えるのですが、老男性の裸や下着姿はなんともはや見ていて辛いものがある。日本で募ったご老人も出演しているのだが、どれくらい舞台の意図・方向性を理解しているのだろうか。(彼らは、ただ指示に則って、動いているだけにしか見えないし。)

とにかく長く感じた。つまらない、とも違うのだよなあ。訳わからない、というのが正確なのかもしれない。

笑えるツボもあり、時々、会場を笑いが包むのだけれど、時として1人、2人だけが声をあげて笑う。それが悪いということもないのだけれど、私には面白さが判っているぞ的な自己主張に思えて、何かそれが白々として物寂しい雰囲気を漂わせていました。

それなりに期待してきたのに残念。
「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/20 (月)

座席1階3列

「ロミオとジュリエット」の翻案ではありません。歌舞伎ですね。「ロミオとジュリェット」のハイブリッドでキッチュでハイパーな「傾奇」。もしかしたら、タイトルにある「ロミオとジュリエッタ」は、個人名と恋愛悲劇との掛詞に過ぎないのかもしれない。それくらい、本来の話との共通性はない。

世話物でありながら、まさに荒事。歌う躍る、殺陣あり艶事あり、駈けづり回る飛び跳ねる、修羅場もあれば見得も切る。目に焼き付くのは、胸の谷間と網タイツ、粋な漢の着崩し姿。セリフのケレン味は抜群。

舞台で起きるあらゆることが、向島の戯作者(登場人物の1人)の作った戯作のメタ芝居のようにも思えてきます。つまり、舞台で起きることが、彼に芝居を書かせているのだけれど、実は彼自身も戯作に登場する1役に過ぎない、というような、胡蝶の夢みたいな芝居です。

浅草を根城とする同劇団、この演目を東洋館でやることの意義を深く感じます。
すぐ手の先にある吉原と隅田川。そして勝手知ったる劇場を隅々まで使いこなす巧緻性。土地柄なのか、贔屓筋(ファンではない、親族や友達でもない)も多そうですし。

飲食禁止ではないこともよいです(芝居の邪魔にならない範囲ですよ)。大衆娯楽で飲食禁止はないよ。

樹里恵の服装はナコルルですよね、赤バージョンの。
客席通路に立つ樹里恵こと古野あきほさん、横で観ていて凛としてカッコよかったな。
「狼眼男」こと毛利小平太の丸山 正吾の客席を駆け抜ける横の速さと、舞台に飛び乗る時の縦の軽快さにも目を見張った。

また拝見に伺うと思います。そのせつも宜しくお願い致します。




棒が歩いて犬に当たるくらい納得できない事件の顛末 バツイチ探偵・興呂木参次郎の事件簿

棒が歩いて犬に当たるくらい納得できない事件の顛末 バツイチ探偵・興呂木参次郎の事件簿

東京ストーリーテラー

ブディストホール(東京都)

2017/02/15 (水) ~ 2017/02/20 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2017/02/18 (土)

座席1階1列

価格3,500円

おそらくブディストホールでの観劇は15年ぶりくらいだと思う。この空間は和む。

舞台はというと、優しい芝居だ。
設定や人物像を大事にして、けしてデティールをおざなりにしない演出。律儀といってもよいくらいに、描くべきことをきちんと描く(叔母さんとの電話のシーンとか)。
舞台装置の移動も淀みなく進められ、車や電車を椅子やソファーで描く技も熟練している。小物へのこだわりもすごくて、おもすび村に住む夫婦が使う携帯電話は、単なるガラケイではなく、アンテナ付きのやつ。土砂崩れを整備するための荷車、スコップなどもおざなりではない。

伏線もしっかり張っていて、「犬も歩けば棒に当たる」というセリフは、冒頭で用意されているし、「納得できない事件の顛末」も単純な落ちではなく、状況こそ異なるものの、前半部で興呂木参次郎に同様なリアクションがあったりする。だから、こういう人物なんだなという説得感が強く印象に残る。
小ネタの応酬に、観客は大喜びだ。

会場は年配のご婦人が多く、子供さんも目にした。安心して、役者さんたちに身を任せて観ていられる芝居だということを知ってきているのだろうなあ。築地本願寺が参拝者なんかに広報なんかしているのかしらと、ふと思う。

ネタバレBOX

ただし、気になる点もあったことは事実。
細かいことはいろいろあるのだが、
何で興呂木参次郎を雇うことを促した社員が、それをもって会社を辞める口実になるのかが判らないし、おもすび村へは、駅からバスもタクシーもなくて、皆へとへとになって歩いてきたのに、後から来る人々は平気の平左(叔母さんまでも笑顔で来る)。

しかし一番気になったのは、物語構成としてはどうなんでしょう。近くの席の方が、役者さんに話していたのを聞いて、私も、と思ったのだが、各パートで雰囲気がバラバラなのである。

前半、気の強い有能な役員秘書(女性)と息子の紹介で入った社員(男性)との確執があり、それぞれ怪しげな言動があり、嫌が上にも事件の予感が色濃く漂う。赤川次郎のようなミステリーもあるのだから、そちらの方に進むのかと思い、会場はやや緊張。2人の間には何があるのか、彼らは何を企んでいるのかと思わせておいて、一方の男性の謎はあっけなく解けてしまう。えっこれで終わりなの。彼はとても良い人でしたとさ、チャンチャン。

途中からのどかな田舎の労働を通した人間形成のお話に。

もう一つの女性側の謎は、田舎での労働や仲間作りによる息子の自立を描ききった後に、最後に取って付けたように収束される。そして、悪事を暴かれたにも関らず、社長に強弁を吐く秘書に対して、従業員が社長への愛情を語りながら、秘書に強く反駁するシーンでまとまる。まるで松竹新喜劇じゃないか。

物語の入りの雰囲気(興呂木参次郎周辺のゆるーい雰囲気と、社長の息子の事故の隠ぺい工作や先の2人の登場の緊迫感)がとてもよかったので、もう少しユーモアミステリーを追求してほしかったのだけれどなあ。

たくらみと恋

たくらみと恋

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2017/02/18 (土) ~ 2017/02/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/19 (日)

座席3階A列11番

価格4,000円

これを観られたのは、至福の幸運。
シラーの戯曲なんて日本ではまずやらないだろうから、記念に観ておくかくらいの気持ちでチケットを買った。もちろん、レフ・ドージンもマールイ・ドラマ劇場のことも知らない。外国語の演劇は字幕がついていても、映画と違って同じ画面の中に納まっていないので、やたら首を振らなければならないので、そのしんどさもあって乗り気の観劇ではない。ロシア語なので単語聞いても、全く判らないだろうし。

この戯曲は、シラーの中でも有名な作品らしい。それも悲恋もののようだ。古典主義の悲恋物は、ガチガチの硬さ(几帳面さ)と形式主義のイメージ。退屈かな、疲れるな、と席についても悲観的な観測。そう、あくまで記念だよ、記念、と私の心の奥底がつぶやいている。

しかし、開幕10分で杞憂は裏切られる。この舞台は、ひたすらラストの悲劇に邁進するのだが、それが時間を感じさせないくらいにぐいぐいこちらの心を鷲掴みにしていく。そのポイントは、軽快な音楽を使い、ところどころで軽妙(セリフ回しや女性陣のテーブル上のダンス?など)に、笑いさえも挟み、本来は重いトーンで貫かれている戯曲に弛緩と緊張を交互に与え、けして観客を飽きさせない。
 もちろん、タイトルの通り、権力による「たくらみ」は陰湿で執拗で、本来なら見ていて強い嫌悪感をいだかせそうなストーリーである。そこに純真な恋愛感情が翻弄されるわけだが、物語に通底するテーマを削ぐことなく、けして私たちに不快感を与えることはない。(ネタバレに続く)

この舞台が、わずか4000円で観られた幸運に感謝したい。

追伸:三軒茶屋駅を降りると、とにかくロシア人、ロシア人。もちろん目当てはこの芝   居。うらやましい、言葉が判って観られたのは。
追伸2:フェルディナンド役の男性、よほどキスがうまいのだろうなあ。女性陣が演技    離れてうっとりしているように見えた。

 

ネタバレBOX

若い2人はもちろん、劇中何度も心が揺れる。
16歳の女は自ら身を引こうとし、両親の命のために男を騙す(それでも高い純潔性を保つのだが)。そして共に死を選択することすらも考える。
20歳の男は、父親の女への侮蔑に対して毅然と立ち向かいながら、一方で大公の愛人の誘惑に負けそうになり、だまされたと知らず女に嫉妬しを罵倒する。
その果てにたどり着くのは、、、

どの役者を見ても隙が無い。

なんということだ、けして観衆迎合をするような卑下ない高尚な舞台、厳粛な心中劇。ラストの数分間では、今までの芝居から突然突き放されたように感じ、涙が出た。

演劇を観て、生きててよかったと思ったのはいつ以来だろう。
満足度は★がつけられないくらい。
SUBLIMATION-水の記憶-

SUBLIMATION-水の記憶-

護送撃団方式

萬劇場(東京都)

2017/02/15 (水) ~ 2017/02/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/15 (水)

座席2列

『あなたのその曖昧さ、全面的に愛してる。』このセリフを吐くのは、誰もが想像するように主人公の曖昧な女性である。しかし、このセリフがどこで誰に吐かれたのか、そのシーンにはかなり驚いた。

”形を壊すスチームパンク LOVEサスペンス!!”という煽り文句。

この舞台は、登場人物同士をたくみに裏切らせながら、その上で観客をも少しづつ裏切っていく。それも、特定の登場人物と観客しか知らない形で。登場人物と観客がある種に共犯関係を築かせるのだ。これが「形を壊す」。

まさに設定は、スチーム満載の「スチームパンク」。

説明書きを読んだ観客は、割り切りたい男と曖昧な女が愛し合うという意味で「LOVE」を想い観劇に臨むのだけれど、この「LOVE」は全く私たちの想像を超えるものだった。

そして次々と明かされる事実と、暴力描写や30年前の回想シーンは上質の「サスペンス」。

何のことやらと思った説明書きが全て、きれいに舞台内容をなぞっていることには、ほとほと感心せざるをえない。確かに「真実なんか蒸気の向こうに消えていく。」のだから

また、舞台装置も見事。確かに狭い。しかし、その狭さも舞台を立体的に見せることや深い奥行きを感じさせること、そしてトンネルをくぐり時間経過を見せることで無限の広さを感じさせる。
その上で、ダンスシーン、アクションシーン、そしてモブシーンが、最初狭いと感じさせる舞台に収まるのは、演出と稽古の賜物だろう。その上それぞれのシ-ンの出来栄えも高品質だ。

本来、舞台では難しい回想シーン。舞台装置の大掛かりな変更(例えば、歌舞伎などの回り舞台)が必要と思われる過去への移行も、人物配置の妙ででスムーズに行われる。だから、舞台は停滞することなくどんどん進んでいく。

舞台開演時の演出も気が利いている。まさに【舞台への誘い】、観客席がこの街との地続きとなり、舞台と観客の一体化を感じさせてくれる。

まさに観るべき舞台!!!

追伸:スチームのせいか、結構、劇場内が冷えます。、ひざ掛けを貸与してくれますの   で開演前にいは借りておきましょう。



ネタバレBOX

『私の体の60%は世界で最も曖昧な物質で構成されているんです。』
これが水であることは、舞台のタイトルからも自明の通り。ただ、この水を、スチームであったり、街をめぐる水道管内の水であったり、そして人間に含まれる60%にまで拡張して、そこに宿る記憶の物語として舞台化したお手並みは見事の一言。

物語を貫くウェンヤンの存在も街の混沌を体現するように魅力的。
ウェンヤンの分裂症的な性格は、あの街にあった水の記憶に由来するものなのか。
優等生的だが、曖昧なことを愛し、仲間を裏切り、兄を蔑み、○○を偏愛し、自らの愛の証明のために自傷する。自らの存在の前に、意図のあるなしに拘わらず全ての者をひれ伏させる。しかし、そんな彼女は、街の誰からも愛される(あるいは嫉妬される)存在なのだ。
彼女は割り切りたい男をも飲み込んでいく。

水道管に水を送り続ける、【存在しなかったのにすべてを見ていた】ラウ、スチームの中を時空間を渡るように舞い続けるフーグー。彼、彼女は水の近くにいて全てを司っていたのかもしれない。彼らは歌わない、たった2人の沈黙のコロスではないのか。ただ1つ、30年前に嫉妬に駆られてラウがとった行動のみが、自らの役割を逸脱するのだが。

なお、1つだけ言わせてもらうと、30年前の事件の際にリーと組み合う人物の素性が判らないのが消化不良。クインに暴力を振るっていることから、親なのか夫(ないし恋人)なのか。その人物描写を捨象したことは正解だったけれど、どうにかしてすっきりさせて欲しかった。(どこかで判るようになっていたのかな?)
マジメですがなにか?

マジメですがなにか?

マジメイト

王子小劇場(東京都)

2017/02/10 (金) ~ 2017/02/12 (日)公演終了

満足度★★★★

大槻さん版を観劇しました。
歌あり、踊りあり、芝居(コント)あり、楽しいステージでした。
初公演としたら、少なくともお金を取って「楽しませる」という点では及第点だと思います。マジメイトなので、「マジメですが、何か?」でデビューということで、次回以後はどのような展開を見せるのか、そこは今後への期待ですね。
1つだけ意見をするとすれば、劇団名でもあり、今回の公演名にも含まれた「マジメ」という概念を、はっきりさせておくことが重要ではないかと思います。やはり、劇団活動の根幹にかかわることだと思いますよ。他で間延びする場面があった、とのご意見がありましたが、観客として考えている「マジメ」との乖離が、舞台の進行についていくことを阻害してしまったのかなあ、と思われました。せっかくのリズム感を止めないためにも、観客を引っ張っていく価値観、マジメイトが考える「マジメ」を前面に打ち出すべきだと思います。

ネタバレBOX

最前列中央で寝ていたおじさんがいて、初演にもかかわらずかなりやりづらかった思います。同情いたします。でも、ミニコンサートでは乗っておりましたけれど。
ちなみに、アンコールできるような余裕が欲しかったですね。やはり、マジメイトの舞台は、お祭り要素が欠かせないと思うので。盛り上がりは重視しましょうね。
クライングメビウス

クライングメビウス

劇団虚幻癖

Geki地下Liberty(東京都)

2017/02/08 (水) ~ 2017/02/12 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2017/02/10 (金)

座席2列

モチーフは最高。
並行世界に生きる2人の恋物語。と書くとファンタジーぽく聞こえてしまうけれど、ダークどころか、まさに残酷劇。この並行世界の描き方が秀逸で、女性の世界は社会劇として、おそらく圧政下での革命運動を描きながら、男性の世界は極私的な閉ざされた世界を描いていく。この恋する2人はけして善男善女ではないところもよい。特に男性は、傲慢でエゴイスト、芸術至上主義で人の心を解することをしないという存在で、女性も娼婦崩れ(この「崩れ」というのは、その運命を受け入れるでもなく、そこから逃れるでもなく、ただ漫然としているという意味)、革命に同調するでもない。
結果、物語は悲劇を迎えるのだが、そこに作者の死生観を見ることもできて、その価値観も悪くない。並行世界を結ぶ2人の乞食の存在、そして彼らが渡す、恋する男女2人を結ぶノートが制限付き(使える期日が限られており、かつ伝えられる文字数が日々減っていく)ということも(理由は不明、ただの意地悪と思えなくもないが)悲劇性に拍車をかける。
女性の世界の始まりは、暗殺者の登場で高い緊張感で始まり、男性の世界の始まりはゆるーい空気とユーモアで始まる対比は、最後への道筋を思うと意外性をはらませる意図ととらえられ、気に入りました。とてもよいです。

ネタバレBOX

男性は上述のような性格ゆえに、恋人にも、芸術家仲間にも、仕事の後輩にも裏切られ、非業の最期を迎えます。女性は妊娠・堕胎の悪夢を振り払えないまま死への旅路に向かっていきます。さて、2人はまた会うことができるのか、、、ここまでは、最高。
乞食2人は、神とサタンの比喩なんだろうけど、人類の不幸を喜ぶロココことサタンが神を嘲る場面は、さながら黙示録を想起させる。朝倉さんの前半のお茶目な演技から、ここに至っての鬼気迫るセリフ回しは大きな見せ場です。

さて、ここからは????ということを上げさせていただきます。
・まず、何で女性マリアは娼婦なの?他に娼婦がいる描写はないので、革命組織の資金源でもないようだし、組織トップの妹であることを考えると、その立場はないよなあ。
革命組織の1員ということでよかったのでは、より不幸な境遇にしたかったのかなあ。
また、この母親は物語のキーマンでもあるのだが、なんで娘に寄生している生活しているのだろうか。そもそも、革命というのはお金がかかるもので、それなりの資金源(海外の支援とか、政府転覆を図るパトロンとかいないと、成立しないでしょ)

・2人の男女の恋愛は、一瞬の世界の交錯をきっかえとするものなのだけれど、進藤さんごめんなさい、女性がそれほど魅力的に思えない。男性の真京さんはっそれなりの魅力を湛えているのだけれど。

・両方の世界を行き来する暗殺者、そして、マリアを懐妊させたがる男の存在っていったい何?

・そして、この舞台の世界観を見事に破壊してくれたのは、2人がノートでやり取りをしたいる際に、マリアの後ろで革命組織の皆々が躍る恋ダンス。恋愛要素があるだから、2人の心のトキメキを描くのは当然。しかし、これは悪乗り以外の何でもない。先ほどまで、命のやりとりをしていた人々が、いちゃいちゃしながら恋ダンスとは。

余計なものが骨太の設定をとんでもなくしてくれています。
ニール・サイモンの名医先生

ニール・サイモンの名医先生

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2017/02/06 (月) ~ 2017/02/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/02/08 (水)

座席1列

ニール・サイモン最高!
何を書いてもネタバレしそうなので、ここは一般に感じたことを
1.衣装の多様さに驚きます。着替えも多いのでしょうし、控室が広いとも思えない。
皆さんどうやって着替えているのかとても気になりました。

2.舞台を観て、戯曲を読んでみたいと思うのは作品の独創性がよく表れている所以だと思っています。そこで、どこまでニール・サイモンが書いているのかほんとに読んでみたいと思います。

3.1時間で11話、オムニバスは頭の切り替えを求められるので、結構慌ただしいかな
と思 いましたが、そうでもなかったです。時間に比して見応えがありました。全話後で内容をなぞらえましたし。(結構、オムニバスって、印象の強い話が他の話を記憶から駆逐してしまい、あれ何の話だっけといういことがあります)

4.さて、舞台は延々と続くスラップスティックコメディー、オーバーアクションはあるものの、クス笑いが続く空気は居心地がよかったです。

5.舞台の構造がかなり特殊で、脇の方々は役者さんが対面になった時の表情が見えづらいのではないかな。でも、椅子の使い方などかなり工夫が見られたと思います。

ネタバレBOX

さて、まずはチラシから。このセピア色のチェーホフ先生、どこからか昔の本人の写真を持ってきたのかと思いましたが、先生を演じる塚本さん自身ではないですか?
塚本さんのチェーホフの造形はほぼ完ぺきに近いですもの。
開場後ずーと、舞台のベンチに座っている塚本さんこと先生。かなり観客にプレッシャーかけています。(笑)正面で30分待っているのは、ちょっときついです。
印象が強かったのは、くしゃみの話、プレイボーイの話、オーデションの話、繰り返しの妙が、全く異なるトーンで観られます。
特にオーデションの話でのささいけい子さんの演技は、力量を感じさせました。私、きちんと「三人姉妹」が演じられるのよ、という点がツボで、ラストの先生のセリフが活きます。
剣持さんは眼鏡が曇る熱演で、力業を何度も繰り出します。当たり前かもしれませんが、全て各話の役柄が全く別の人物に見えるのが妙です。最初の大臣と銀行の専務などは、役柄が被りそうなのですが、そうはなりません。怒っている芝居(怒る理由は異なるわけですが)が別人物に見えます。
テーマは、、、、ないです。でも、品のあるすがすがしい芝居です。
ちなみに、塚本さんの先生はレオン・トロツキーに極似なので、剣持さんがスターリンを演じてコメディーを作ったら面白そうですね。
最後に、葵夏穂の美ボディを至近距離で観られたのは目の保養。

うえをむいてあるこう

うえをむいてあるこう

劇団天動虫

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2017/01/28 (土) ~ 2017/02/05 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/02/05 (日)

ワダ・タワーさんでっけえ!
話の内容は、地縛霊となった女性とその友人たちとの交流。これを天動虫が勢いで魅せます。とにかくこの劇団は、女性のみということ、帆足さんを除くと、ほぼ20歳中ごろの年齢層なので、客演者の組み合わせで、かなりのバリェーションができて、舞台ごとに印象が大きく異なる。でも、いつも疾走感のある芝居であることに変わりはない。本当にそれだけで魅せきるだけのパワーがあります。「アンゴルモア、アンゴルモアこいこいこい」温井さん他ノリノリでしたね(一番は帆足さんかな)。
そうそう、それとあの名曲がバンバン出てくるのかなと思っていましたが、そちらに安易に流れなかったことは高得点かな。(何となくその気・わかった気にさせる歌だものなあ)。

ネタバレBOX

面白かったこと前提に2つだけ、意見を。
1つめ。それほど濃厚な話というわけではないので、繰り返しが多くてやや冗長に感じました。今回は帆足さんが演出ではなかったのですが、もう少しスマートにしてもよかったのでは。先のセリフとお菓子のお供物の繰り返しはちょっと多いような気が。
2つめ。死んだ翔子さんの死因がよくわからない。(というより描かれていたかな)これがないので、友人たちの悲しみや地縛霊になったことの意味がよく分からない。
12回公演は過去最長ですか。ということは、温井さんは、天動虫で過去最長に叩かれたということですね、後遺症が心配です。ジョニーさんはああいうドSな芝居ははまりますねえ。
「ガドルフの百合」

「ガドルフの百合」

HyouRe Theatre Company

SPACE EDGE(東京都)

2017/02/03 (金) ~ 2017/02/04 (土)公演終了

満足度★★★★

帰り際にチラシを2枚もらい、友人に勧めようと思ったのだけれど、よく考えたら翌日が最終日。そう2日公演で3回しか舞台がない。うーん、面白い舞台なのだが口コミができない。

ネタバレBOX

ガドルフはひたすら先へ進むのだが、歩は全く進んではいかない。彼には「雨ニモ負ケズ」の主人公のような明確な意思があり、誰かの力になることを望んでいるが到着地は来ない。一方で彼を待ちわびる人々は地面にひれ伏してひたすら彼の到着を待ちわびている。ガドルフの行く手を遮るのは、風や雨(これを女性ダンサー演じるのだけれど、その身体性が絶妙)である。彼はたどり着くことができるのだろうか。
ラストシーンの地平線を前にひたすら待つ人を演じるシーンはちょっと斬新でしたね。
ただし、「雨ニモ負ケズ」の3人の輪唱形式の読み上げで、ミスが出たのは、前半と後半を繋ぐ重要なパートなだけにちょっと残念。でも、必見の舞台です。
オセロ王

オセロ王

劇団鋼鉄村松

王子小劇場(東京都)

2017/02/01 (水) ~ 2017/02/05 (日)公演終了

満足度★★

ありきたりなテーマというものがある。それをもってダメな作品だと決めつけるのは間違っていると思う。見方を変えれば、それは普遍的なテーマであるから、何度も繰り替えされるだと思う。その意味では、この作品のテーマは普遍的で、そこにどのような回答を提示するのか、そしてどのような表現を用いるのかが、作品の価値なのだと思う。
また、テーマ性の強い作品や緊張感の高い作品に笑いを挟むのは当然ありである。一方、全編コメディで通しながら、強い主張を訴えるというのもありだ。
で、この作品はテーマの取り扱いが半端だ。コメディとしても半端だ。場面場面では、腹を抱えて笑えるのだけれど、芝居となると急にクールダウンしてしまう。死があり、差別があり、闘争があり、親子・夫婦・兄妹・恋人同士の愛情がある。そこが描かれる段になると、説得力がコメディ部分と乖離してしまい、何とも気まずい雰囲気になってしまう。

ネタバレBOX

「オセロ」である意味は誰でも判る。白と黒(「はくにん」と「こくにん」)、コインの裏表、でも、それ以上の意味が見いだせない。安易な掛詞(シャレ)の域を出ていないような気がする。
空を飛んだ後のライト兄妹

空を飛んだ後のライト兄妹

東京パイクリート

小劇場B1(東京都)

2017/01/25 (水) ~ 2017/01/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2017/01/26 (木)

座席1階1列

まずはお詫びをいたします。所詮、飛行機とかのセットはないんだろうな、と少し侮っておりましたが、何と素晴らしいセット(飛行機!)を作ったことか。確かに、空を飛ぶことはないのですが、そのセットとたまに出てくるエンジン音だけで、”ライト兄弟(妹)”のドラマであることを強く強く印象付けます。
そして、各役者さんたちのキャラがエッジ立ちまくりでキレキレ、服装・仕草・小道具・言葉使いに工夫がなされていて、彼らの交錯する芝居は多彩なパステル画を見るようで一切飽きさせません。特に内藤羊吉、用松亮のライト兄弟の強烈な個性は仲がよいのに全く異なる(それでも高い共感性を保っている)2人をうまく描き分け、前半は弟中心に、後半は兄中心に進む構成もメリハリが効いていてとても心地よいもでした。そして、ともすれば濃くなりすぎそうな芝居全体を、妹キャサリン役の内海詩野さんがうまく中和してくれます。
とてもよいものを見せていただきました。

ネタバレBOX

ラスト近く死期が近いであろうシャヌート氏(兄弟の目の敵)を飛行機に乗せてやろうと言いだす弟オービル、多くの失ったもののために訴訟は譲歩できないと自分の意志を曲げない兄ウェルバー(この失ったものは、キャサリンの35年の年月なのだろう)、頑固者(弟)と変人(兄)を中心としたドタバタ展開の後に、最後で2人の人物像を描き切る手腕は見事でした。ラストシーンもきれいに落ちました。
アンティゴネアノニマス-フェノメノン/善き人の戦争

アンティゴネアノニマス-フェノメノン/善き人の戦争

お布団

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2017/01/25 (水) ~ 2017/01/29 (日)公演終了

満足度★★

アンティゴネーの話は、ギリシア悲劇の中でも(設定はともかくとして)割と現代の価値観に通じる内容で翻案作品も多いような気がする。
そうした中で、この作品は完全に現代なのか、それともギリシアの時代なのか、それを交錯させているとしてその境界線あるいは緩衝地帯はどこかが不明朗だ。
役者の皆さんを左右に配置させ、演じる場に立たせる設定はさながらギリシアの舞台劇(あるいはブレヒト的なのかも)を彷彿とさせるが、その登場の際に不在から存在へと転換するキレがないので、フラッと出てきた感じしかしない。姉妹の会話は聞くべきものが多いので、メリハリと言う点で残念な気がする。

ネタバレBOX

そんな消化不良が、終演後のセッショントークを混沌とさせてしまったのではないかな。
誤解

誤解

アルシェ提携公演

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2017/01/23 (月) ~ 2017/01/29 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2017/01/23 (月)

座席1列

重い話だ。円企画の皆さんに、コトウロレナさんが客演の初日を観ました。
母娘の2人の演技がよとてもよい。娘マルタ役の乙倉遥さんは、その容姿にはチラシなどで見える明るさ健康さは微塵もなく、同じ人物かと思われるような役作りだ。母は「疲れた」という言葉をただただ繰り返し、ゆっくり休めることのみを望む。それでも、娘の、太陽のある誰もいない白い海岸での生活の夢に、引きずられるように殺人を重ねていく。その先にあったものは何か、という話なのだけれど、そこには悔悟の情や絶望、ましてや愛などというものはない。久しぶりに触れるカミュの世界、そして、溢れるばかりの観念の洪水に酔いしれました。
舞台装置も狭い空間を巧妙に使い、ホテルのフロントと客室、川を巧妙に見せる。終始重苦しい照明、とはいっても決して完全な闇を作ることなく、薄く目に入る役者の姿は、彼らが生者であることを否定しているようで薄気味悪い。それと対照的なツリーの装飾照明は、マルタの心に僅かに灯る生への渇望を観るようだ。
ただし、セリフの難しさ(2字熟語がやたらと多い)から、初日ということもあり、立川さん以外(彼のセリフ1言としかないのですが)、皆噛んでいたので今日以降頑張ってください。

ネタバレBOX

この芝居、母と召使には名前がない(原作は知らないけれど)。召使は本当にいたのか?彼は母娘に付き添うただ生の意思のみを見守る神ではなかったのか?(最後のセリフが示すように)そして母も存在したのだろうか、彼女は息子との20年間の空白を、マルタとの20年の生活よりも優先させてしまう。そこには母というエゴしかない。
マルタが息子ジャンの妻マリアに浴びせかける、血を吐くような言葉。そこではマリアの説く愛や善、そして怨嗟の言葉もただただ空しい。

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