満足度★★★★★
鑑賞日2017/03/06 (月) 19:30
座席1階C列12番
予定調和にしないこと、間隙を作り観客に読み込ませる部分を設けること。単に意外性を追求するのではなく、本来現実にありうる偏りや欠落を示し、バランスボードにうまく人物を配置しないこと。この舞台のそうした配慮に感心しきり。
同じ間取りの3軒の家に3つの家族が位している。間取りが同じなのだから、3軒は同じセットの中を縦横に行き来するのだけれど、こうした舞台設定はそんなに珍しいものでないようです。(この日はアフタートークがあり、中山祐一朗さんがそうおっしゃていた)
同じ間取りを使うとなれば、それぞれの家族のシンメトリーを映し出すことが物語進行の肝になりそうなものです。確かに3つの家族は異なります。
15歳の引きこもりの息子がいる倦怠期の夫婦、新しい赤ん坊(娘)を授かりながら、過去に幼い子供を亡くしたトラウマからいがみ合う若夫婦、大きな息子(彼がある性癖がある)を持ち夫をなくした老母。確かに家族の像はバラバラです。
この3家族は、全く異なるシチュェーションで、同じセリフをシンクロさせながら笑いをとったりしますが、常にどこかが仲間外れです。一家惨殺の事件に関心を寄せる2家族、流れのままに不倫をする2家族、停電で灯りを持っている2家族、子供たちが意思疎通する2家族、食事をする2家族、シャワーを使う2家族、バーナーのある2家族というように。
それぞれの家族は当たり前といえば当たり前のように、横並びではありません。停電の闇で、登場人物の心の闇が動き出す、確かにそうした舞台なのですが、微妙な仲間はずれが、闇の濃淡・深浅を紡ぎだします。