みかんの部屋
劇団フーダニット
タワーホール船堀 小ホール(東京都)
2018/04/13 (金) ~ 2018/04/15 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/04/13 (金) 18:30
座席1階1列
過去2回、当劇団の存在を知ってから観たいと思ったのに、日程が合わずに断念。
ミステリー専門の劇団ということで、好事家特有の興味がありました。
でも1公演が3日間という制限は厳しい。そして、ようやく今回の観劇となりました。
「みかんの部屋」
トマは「罠」で知っているのだけれど、この作品は全く知らない。
ただ、「罠」の面白さから推測するに、外れはないよな、という思いがありました。
全6話の短編から構成され、3話ずつ休憩を挟んで上演されます。
実のところ、船堀を拠点に活動する地元劇団ということで、チケット価格も安いし、問合せ時の対応もよいし、好印象なのですが、何かサークル活動の延長線かなという感じで(そうした劇団も多いことに違いはないのですが)あまり芝居自体は期待はしておりませんでした。
しかし、舞台装置もきちんとしているし、会場も公共施設としては手ごろで快適。
全体的に、いい雰囲気なのです。
1話目は、妻と夫に駆け落ちされた2人の男女が、みかんの部屋と言われる(みかんの絵が飾られている部屋)ホテルの27号室で、今後の復讐についてやりとりをします。
しかし舞台が始まった際に、予感は当たったかなと思いました。
フロアを仕切るボーイ長の方のセリフの歯切れが悪い。来客の男性の演技が(悲嘆を上げる)どうも拙い。彼を追いかけてくる女性の演技がオーバーで落ち着きがない。
オチとしては、中々ブラックで面白いのですが、これは予想のレベルかな、と納得。
2話目は、銀行強盗の仲間割れの話。芝居としてはとても安心して観られましたが、通り一遍の愛憎劇で、こちらは話が面白くない。
と、ここまでは、こんなものかな、と思いましたが、、、、
いやあ、3話目からは、面白いのなんの。
橘さんのメイドの登場でメリハリが出たのと、甲斐さんの花が備わったからかしら。
3話目は、導入から嫌な感じの話(間男の話)で、夫役の行動が???でストーリー進行も何なのこれ、という感じでいたが、ラストのオチが秀逸。全ての不自然さを回収します。フランスの話だよねえ、と妙に納得。
4話目は、叔父から多額の遺産を相続して、田舎から出てきた女性の話。
支配人役は、ちょっともたつき気味でしたが、主演の女性は軽快に話を進めていきます。実はこの女性は、、、というお話。
5話目は、残酷なまでの悲劇。夫を殺した女性が5年の刑期を経て、刑務所から出てくると、愛する男性の出迎えもなく、、、そして、というお話。ラスト間近では、観客もおいおいおい、となります。
6話目はかなり倒錯した話。神父と娼婦のホテルの一室での話。話の入り口から予定調和を期待すると、かなり外されまくります。終盤、甲斐さんの生○○えでの話の転換が絶妙なニュアンスとなっています。
休憩時の紅茶もおいしかったですし。
ちょっと侮ってしまってごめんなさい。
大変、面白うございました。
また観に行きます。(船堀って、船橋住まいの私にとっては近くて便利!助かります)
殺しのリハーサル
PureMarry
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2018/04/12 (木) ~ 2018/04/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/04/12 (木) 19:00
座席1階12列7番
いやあ、本当に見ごたえありましたね。
やはり、レビンソン&リンクの作品、未見なれば見なくてはなるまいというのが、「コロンボ」で育った、現60~50歳代。
山口馬木也さん、月船さららさんの芝居は、結構観ているけれど、いやあ、本当に芝居達者なのねえ。こうしたミステリー劇は、安楽椅子型の純粋推理では劇が成立しないので、どういう形でフェイクを放ち、どんでん返しに持っていくかが見どころになります。役者が演じる役が、何かをまた演じるといった二重構造になる。
つまり、演技の中で演技をしているということなので、その演じている役と素の役とのバランスのとり方(ある意味、ギャップ)をどう演じ分けるかということが重要になる。「なーんちゃって」的な部分なんだけれど、これを明確に意識して演じながら、客をも騙す役柄の一貫性を保つといったところが、舞台成功のカギだと思っている。
今回の舞台では、その辺りの演技力が役者さん皆にあり、大変感心した。
ラストは、いかにもレビンソン&リンクらしい仕掛けで終焉するところは期待通り。
その上、「刑事コロンボのテーマ」(正確には「NBCミステリー・ムービー」というらしい)がかけられては、まいったまいった。
ただ、残念なのは、後列で結構、空席が目立ったこと。
これくらい面白いのにもったいない。先日の全労災ホールで上演された「鎮魂歌」が、結構な入りだったので、ちょっと意外な気がした。
これ、チケット代のせいかな。正直、価格を見たとき、ちょっと躊躇したのは事実だし。ドストエフスキーの翻案と違い、著作権の取得にお金がかかったすれば、芝居好き、コロンボ好きの方々には、残念なことだな。
我、堕ちて 修羅と君が世 淫雨 されど紫雲英よ 万象の頃
WIND PROMOTION
ザムザ阿佐谷(東京都)
2018/04/11 (水) ~ 2018/04/15 (日)公演終了
満足度★★
鑑賞日2018/04/11 (水) 19:30
座席1階B列6番
初日、前説の押しがあったのか、それと後の挨拶が長かったのか、終了は21:20。
この劇団ファンの方にとっては、楽しかったようなのだけれど、私的には消化不良というか、もやもや感が漂いました。
テーマとしては、この世は陰陽、つまりは男女、善悪などが並び立ち、生死の覇境は曖昧模糊。個を成り立たせているのは、家族という関係性。というようなところなのでしょうか。
テーマなんかなくても、エンタメとして楽しめればよいのだけれど、
タイトルに象徴されるようなエロチシズムもないし、奇妙奇天烈さ、あるいはグロテスク、カタルシスを果たすようなとんでもなさもない。
主人公一行は、旅を続けるのだけれど、それをただ舞台の上をグルグル回るだけでは、
小劇場とはいえ、どうも芸がない。何かもっと視覚的にも演技的にも、納得させてくれるものがないと。ダンサーの皆さまも、狭い舞台で発散しきれないもどかしさも感じた。
琴乃さん、Twitterで読んだのだけれど、数日前から声が出なくなったそうで、舞台上でも辛そうだったなあ。
JUKEBOX 2018
劇団天動虫
梅ヶ丘BOX(東京都)
2018/03/21 (水) ~ 2018/03/21 (水)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/03/21 (水) 18:00
座席1階1列
今回は短編劇数編による構成。
タイトル的にどうしても「ファム・ファタル」が観たかったので、消去法で3月21日にお伺いすることになりました。全4話で、途中、天動虫の最新ショートコントユニット(漫才ではないよね)「ゴルゴンゾーラ」のコントと、たけヒーローさんのミニライブが、入るというてんこ盛りの舞台。
ゴルゴンゾーラには、また会えるのかな。なかなかツボを押さえた笑いでした。キング・オブ・コントも3回戦くらいまでいけるのと違うかな。
ライブでは「Salvation」の曲って、こんなに良かったんだっけ、と再確認。劇中歌とかどうしても舞台の一部になってしまうので、あまり意識していなかったのだけれど、やまざきまさよし氏に通ずる切なさい歌詞とメロディーがよい。舞台も走馬燈のように思い出せたものなあ。でもね、せっかくの物販の機会を逃してはいけない。絶対、CD数枚売れたって。私買っていたと思うし。忘れてくるとはなあ。
外はやたらと寒かったのに(雪降るし)、舞台周辺春らしく花満開な雰囲気。帆足さんいわく、確かに一杯やりたくなる雰囲気です。
さて、舞台。
「喧嘩仲裁屋」は、もはやジョニーさん熟練の技ですね。適度なアドリブが心地よい。前回観たのは、レストランの狭い空間だったのだけれど、少し空間が広がっただけで、かなり軽快だし、喧嘩相手の距離感を感じられ、ちょっとした仕草が躍動感を生んでいます。やはり空間って重要だね。ここは鉄板で文句なし。
「ワンス・アポン・ア・タイム」
親友3人組、どうしても言いたいのだけれどけして言ってはいけない禁断の一言に悩む少女1人。2人の親友は、悩み込んでいる彼女を見かねて、悩みを聞いてあげようとなるのだけれど、それにはまた秘密があって、、、、という、捻りに捻ったマトリューシュカ状態の話。実はよく考えると、秘密警察が跋扈するような全体主義国家での話のようでかなりブラックにも理解できるのだけれど、それでも、女の子の友情は壊れない、という明るくチャーミングな話に仕上がっている。
なんで~、という脱力感を、ひたすら感じる、ある種の不条理劇(かな?)
一見としては、面白い作品。
「ファム・ファタル」
解説を読んだままの作品。ある芸術家が女性の塑像を作成していると、その塑像が生命を持って、、、という幻想譚。確か井上さんが演じることになっていたのだけれど、芸術家役をジョニーさんが演じた。この話をメルヘンとして観るか、芸術家の人生(精神性)に思いを馳せて奇譚として観るかで、かなり印象が異なる。その境界線上を、微妙に揺れ動いているような舞台である。
4つの作品の中では、一番見応えがあった。ジョニーさんが「飛び火」から「Salvation」を通過して、極々シンプルな演者として、この域にまっで達していたのだと思うと、ちょっとした武震いを覚えた。視線の強弱、指先の神経、体のしなり、セリフの切なさ、どれをとっても素晴らしい。
「俺達には明日がある」
これは(も?)新作ですよね。
正直、この作品が一番つらかった。10年目を迎えて売れずに解散を考えている漫才コンビが、有名プロヂューサーが見に来ている舞台に上がる前の楽屋の話。これだけで30分は長い。ほとんど、ジョニーさんの力量だけで、引っ張っていた感じがする。結局、どうしたら受けるだろうか、受けなかったら解散をするのかに思いを巡らし、回想をちょこちょこと挟み込むだけしか、話の展開がない。
千晶さんが、コメディリリーフとして、セクシー漫談の芸人として絡むのだけれど、こうした登場人物をたくさん絡ませて、主人公2人を周囲の反応や会話から、掘り下げていくようにしたらいかがかな。だって、せっかく楽屋という設定があるのだから。(千晶さんのセクシー漫談聞きたかったな(笑)、ゴルゴンゾーラで表現したような芸能力あるのだから)
総括:ジョニーさんは発展途上とはいえ、ある種完成形でもあるので、新たなステージが必要だと思う。バリバリの悪女でも、妖艶な幽霊でも、やってみる価値あり。(「上を向いて歩こう」の霊媒師なんかには、そうした片りんがありました)
今回のフライヤーは躍動感あってよかったです。
HPの扉もしかり。また、観に行きます。(次回の予定聞いたのに、もう日程忘れています。これだから年寄りは、、トホホ)
天動虫がんばれよな!てな感じで、次回も期待しています。
四月大歌舞伎
松竹
歌舞伎座(東京都)
2018/04/02 (月) ~ 2018/04/26 (木)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/04/06 (金) 16:45
座席3階3列22番
片岡仁左衛門の作品は、過去幾つも観てきましたが、
昨年、国立劇場で「通し狂言 霊験亀山鉾」を観て、
久ぶりに孝夫(この方がしっくりくるなあ)悪の魅力に痺れました。
そこで、齢を考えると、彼の舞台は、少なくとも関東でやる演目については
全て観なくてはと決意した次第。(ただし、先月の玉三郎との共演を見逃したのは大失態)
今回の「通し狂言 絵本合法衢」は最高。これぞ悪の境地という芝居で、
ご本人もこの芝居は体力的に今回が最後になるだろうとのこと。
そこで松竹が気を利かせて「一世一代」と付けています。
そごいんですよ。
無茶苦茶な悪の魅力。とにかく何人殺すんだよ!てなくらい、殺しまくります。
最近はやりのナレ死もあったりして、え、殺されちゃったの!てのも含めて、とにかく、冒頭に出てきた人物、
みーんな殺されます。
「霊験亀山鉾」「四谷怪談」「桜姫東文章」と南北の作品とは、片岡仁左衛門はとても相性が良いです。
次回はどんな舞台やるんだろう。
期待、無限大ですね。
Cendrillon
チームジャックちゃん
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2018/03/21 (水) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/30 (金) 19:00
座席1階2列
どうも、継母の立ち位置がよく判らない。
長女は家督を得るために義理の父を夫と共に謀殺する。それを次女に見られたことから、誰にも喋らないと誓う彼女に常に猜疑心をいだくようなる。義理の父の死によって、家督は長女夫妻のものとなるが、夫を亡くした母親(こちらは実の親のはずなのだが)を、蔑むような態度に出る。
現在の法律では、継母が家督一切を相続するだろうし、ましてや実母であれば、それほどまでに排除したりすることはないと思うのだけれど。
ハムレットマシーン
OM-2
日暮里サニーホール(東京都)
2018/03/22 (木) ~ 2018/03/24 (土)公演終了
鑑賞日2018/03/23 (金) 19:30
割とご年配の方々の観劇が多い。私も立派に年配なのだけれど、皆々様の目にはどのように映ったのだろう。
私には、ただただ不安を感じさせる舞台だった。万人には薦められる舞台ではありません。
今回、d-倉庫を中心にハムレットマシーンのフェスティバルが開催されているけれども、何でこの芝居だけ会場が違うのかな、と思っていたら、確かにこの舞台はd-倉庫ではできないや。
ひたすら増殖する自意識、「もう役は演じない」「私はマシーンになる」という宣言通り、果てには自我を超越していくハムレット。
まあとんでもないものを観たな、というのが正直な感想。
背中を見せて
独弾流GARAGARADON
ザ・ポケット(東京都)
2018/03/21 (水) ~ 2018/03/25 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/22 (木) 14:00
座席1階B列10番
わずか1日+αの、家族と恋人同士と親子の再生の物語。ストリップ小屋の楽屋を舞台に、これらの物語が同時並行的に描かれていく。
割とすっと、入って行ける話なのだけれど、冒頭の小梅とライター、そして男性ストリッパー達の絡みは何の意味があったのだろう。(小梅とライターが、訳アリでそのストリップ小屋に出向くというのはわかるのだけれど、男性ストリッパー達の立ち位置って?)
鎮魂歌〈レクイエム〉
Pカンパニー
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2018/03/22 (木) ~ 2018/03/26 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/22 (木) 19:00
座席1階1列11番
ドストエフスキー「罪と罰」を、戦中(とはいえ、まだ日華事変辺り)の日本に翻案した作品。
敢えて、戦時下の日本にしたのは、戦争という大義における「罪」と、その「罰」の在り方を、個人における「罪」と「罰」の意義と対比させる狙いがあったのだと思う。
ただ、その試みは鮮明ではなく、あまりうまく機能しているようには思えない。
しかし、一方で主人公が試みる殺人の「罪」と「罰」の有り様は極めて鮮明に描かれていて、これはこれで主人公の傲慢と懊悩は強く観客に伝わってきて、それだけで十分にドラマとしては成立していて、見応えは十分。
むしろ、戦争という背景なしに、現代に翻案してしまったら、もっとしっくり来たのかもしれない。(ただ、だとすると、妹の境遇や主人公が助ける娼婦の存在が描けずに、物語の深掘りができずに、話自体が浅薄になったかもしれないけれど)
舞台装置の法廷は、このドラマの設定をうまく象徴している。
でも、タイトルは「罪と罰」の方がしっくりきたけれどなあ。まあ、ドストエフスキーの原作まんまと勘違いしないようにという配慮なのかもしれないけれど、「鎮魂歌」というと、誰の魂を、となるので、ちょっと的外れな感じがするけれど。(けして、主人公の魂は救われることがないので)
うみべのクロノス
人間機械
遊空間がざびぃ(東京都)
2018/03/21 (水) ~ 2018/03/25 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/23 (金) 14:00
神クロノスと1人の保健教諭が、血の繋がらない姉妹の悲劇を思いっきりの愛着を持ちながらもただの傍観者としてしかいられないという悲劇。
しかし、そこには、表現や関わり方の違いこそあれ、悲痛なる叫びをあげる人間に対して、神の深い慈愛と救済心、人間の無力だがけして諦めない関係性がある。そういう話です。
JUKEBOX 2018
劇団天動虫
サラヴァ東京(東京都)
2018/03/16 (金) ~ 2018/03/16 (金)公演終了
赤道の下のマクベス
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2018/03/06 (火) ~ 2018/03/25 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/18 (日) 13:00
パンフレットを読むと、鄭義信氏の「影の昭和史」3作品につらなる作品ということである。これらは、2016年にこの新国立劇場で、連作で拝見した。
確かに3作品は、1950,60,70年代となっており、今回1940年代というのは収まりもよい。
ただ、鄭氏のこれらの作品は、在日朝鮮人という立場の(今回は若干異なるけれど、朝鮮人に重点を置いた、物語であることに変わりはない)物語であり、その上「影の」と付けることに、どうしたも抵抗感が付きまとう。
鄭氏自身が、そう名乗っているようには思えないので、別の呼称を期待したい。
さて、朝鮮人BC級戦犯の話である。まあ、この舞台について語ること、朝鮮人BC級戦犯について語ることは分けて考えないといけない、と思う。
そこにあるのは、理不尽な状況下でも、人は食事を求め、笑いを求め、自由を渇望するということ。もちろん、理不尽な状況には何の慰めも意味をなさない。ただ、死にゆくことを待つだけだ。ましてや、個々に描かれる戦犯たちは、故郷から遠く離れた地で裁かれ、死んでいく。彼らを家族が訪ねることもない。
鄭氏はタイトルを「マクベス」では「オセロー」で当初考えていたとのこと。でも、きっと「ハムレット」も考えたでしょうね。だって、そっちの方が物語の推移を比して見れば、ピッタリな感じがするし。でも、あまりに当てはまりすぎて、照れ臭くなったのだろうなあ、と勝手に推測します。
ハムレットマシーンのかけら
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2018/03/15 (木) ~ 2018/03/18 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/17 (土) 14:00
座席1階1列
終演後、恒例のアフターミーティング。
今回は、御大たちの長い意見が噴出して、とりとめのない状態になりました。
実のところ、この1ヵ月余りの「ハムレットマシーン」狂騒曲、この「ハムレットマシーンのかけら」が、他の「ハムレットマシーン」とどう違うのかが聞きたかったのだけれど。
「かけら」という言葉は、何を意味するのかも知りたかったですし。
1時間といった、凝縮された舞台。ダンスということですので、演劇云々というのは当たらないのでしょう。
少しテンポが緩やかになったところで、寝不足からちょっと睡魔が、、、、
うつっとしたら、舞台上のダンサーが1列目の私の隣の席に来て、私を眺めていました。
それも満面の笑顔で。あれは、アドリブか!!!すごく、バツが悪かったです。
次の金曜日には日暮里まで、また「ハムレットマシーン」を観に行くので、感想はそれを観てからそちらにします。評価は、楽しかったかどうかでの判断です。実は、まだ上演台本手元にあるのに、読んでもいないのです。ごめんなさい。
廃墟
ハツビロコウ
シアターシャイン(東京都)
2018/03/13 (火) ~ 2018/03/21 (水)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/03/20 (火) 18:00
座席1階1列
率直な感想、三好十郎脚本の上演ということで、悪い方の予測があたった感じ。
何事でも挑戦が大事、一歩踏み出すことが必要ということも判るけれど、ハツビロコウにはこうした会話劇は似合わない感性なのかな。それとも演出が追い付いていないのか、ないしは台本が未消化なのだろうか。
ハツビロコウの過去作品は、敢えて言葉を省くことで、強い情念を示すことに長けていたように思う。沈黙をセリフとして使うような。そのために、かなり入り組んだ設定(時間軸が入れ子になったり、新たな事実が加味されたり)でも、コンパクトにまとめあげることが可能で、物語が拡散するとなく、深い親和性を獲得し観客が極めて同調しやすいものになっていた。
今回、最も気になったのは、会話劇であるがゆえに、熱量を込めすぎたこと。会話を継続するために抑揚ではなく、大声を張りあげる場面が多くなってしまった。まあ、三好十郎の脚本って、先鋭な言葉の応酬というのが特徴で、こうなりやすいのかもしれない。でもね、沈黙よりも強い熱量はないですよ。
うーん、期待とちょっと違いました。
わが闇
劇団俳優座演劇研究所
赤坂区民センター 区民ホール(東京都)
2018/03/14 (水) ~ 2018/03/16 (金)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2018/03/15 (木) 13:30
座席1階1列
俳優座に限らないけれど、研究生公演のよいところは、同じ座組で比較的高い頻度で継続的に舞台が観られるところにある。
俳優座研究員に限ると、27・28期を前回「花粉熱」、今回「わが闇」と連続して拝見したのだけれど、この2期はとにかく芸達者が多く、観ていてはっきりと「うまい」と感じる。
石川修平さんのうざったさは相変わらずだし、金本徳義さんの惚けた風情は十分に楽しめるし、辻井亮人さんの軽妙さは適度な不快感を与えてくれる。
女優陣でみれば、椎名彗都さんは年齢に似合わない落ち着きが何と言えない切なさを醸し出しているし、天明屋渚さんの可憐さは天性のものだと思う。他の役者さんまで述べだすときりがない。
むろん、そこに留まって・よいというものではないだろうし、別のステージに上がって欲しいものだが、まずはお金をとって見せる舞台としては十分に及第点だと思う。
渇愛
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2018/03/09 (金) ~ 2018/03/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/03/13 (火) 19:00
座席1階G列1番
名取事務所は、題材、脚本、演出、役者その他内容云々ではなく、とにかく観ようという劇団なので、今回も何の予備知識なく劇場に向かう。(せいぜい、知識は韓国の脚本だというくらいです)
上演時間を見ると、85分。案外短いな、という感想。
舞台が始まると、数分のペースでやたら暗転で舞台装置が変わり場面が変わる、車のブレーキ音のような甲高い雑音が発せられ、フラッシュバックのような照明が点けられる。次第にそれらの場面が、観客の意識の中で繋がっていき、ことの顛末を憶測するころには、舞台の展開も落ち着く。が、終始薄暗い舞台は、観客に沈鬱な気分を強いたままだ。血糊のついたシャツ、連綿と続く暴力、息子と少女の静謐な死の儀式。
実際の事件をモデルにした、という文言を読むと、確かにそちらに意識が流れていきがちだけれど、舞台と並行している時間枠では、狂気の隙間に嵌り行く人々を見ていると、消耗が激しくてそんなことに頓着する余裕さえない。
特に、養子ジンギがジェソプに対して何度も「本当に悪いのはあなただ!」と叫ぶ場面は、その真意がつかめぬ間に、ただただ不快だ。
観劇者を選ぶ舞台。
奴碑訓
Project Nyx
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2018/03/09 (金) ~ 2018/03/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/03/09 (金) 19:00
座席1階D列10番
まずは、これだけ多彩かつ多様な人材を揃えあげた、プロデュース力に関心しました。美女劇という前提なので、男性役も女性に翻して役付けしたのだけれど、それがうまくはまるためには、役の性格をうまく全体に収斂しなくてはなりません。男女の違いで描き分けられている部分も、女性としての違いで描き分けられなくてはならないので、その意味、脚色、演出に大きな負担がかかりそうなものですが、その難点を見事に中央突破しています。キャラのエッジの立ち方が、半端ないですもの。
欲を言えば、、前半のエロチシズムが、後半あまり感じられなかったことですかね。それは、男性の欲目でしょうか。
初日にして、この完成度も立派。
何の気になくプレミアムシートにしたのですが、結構なお得感がありました。
1970年代、アングラ感満載な舞台ですが、むしろとても新しく見えるから不思議ですね。
温故知新とはこういうことですかね。
父
雷ストレンジャーズ
サンモールスタジオ(東京都)
2018/03/07 (水) ~ 2018/03/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
ストリンドベリの芝居は、初見。戯曲も「令嬢ジェニー」くらいしか知らない私にとって、この舞台を観れたことは、結果的に幸運だった。
昨年、「緑のオウム亭」を観劇して、その時もらったコピーの次回公演告知。長らく待ちわびただけのことはあった。
説明書を読むと
「家父長制度、父権制の色濃いシステムの中で「父」であらねばならないと
男らしくあろうとする男とそのシステムの中に存在する女性達。」ここまではその通り。だけれど、その後を読んで、イプセンの「人形の家」のような、家父長制度、父権制に抗い、自立と自由を求める女主人公(ステロタイプな解釈で恐縮なのだけれど)を想像していた。
しかし、「人形の家」のノラは、家父長制からの脱出を試みる、それと対峙して自己の立場を決めるのに対して、「父」の妻は家父長制・父権からの脱出を図るのでもなく、それらを否定ないし破壊しようとするでもなく、自らが父権を握ろうと企てるのだ。
その点では、権力奪取劇である。
父であるためには、まず男でなければならず、そして子を持たねばならない。
妻は、この2つの前提を根底から揺さぶることから、主人公の存在基盤を、そして精神を蝕んでいく。
まず、妻は周辺の人々に、彼は精神を病んでいるという情報を流布する。そして彼が家父(家庭の男性)として果たそうとする責任や義務をおざなりした上で、果たして娘は主人公の子だとどうして言えるのだろうかと、あらゆる角度から疑義を投げかける。
「父」の主人公は、家父長制に象徴されるような高圧的で、他者の思慮を排除するような矮小な人物ではない。例えば、娘を自宅に置いておきたい妻に対して、街に住みたいと望む娘を、街の知り合いに預ける手はずをする。娘の希望をできうる限り尊重する開明的な人物だ。主人公と娘の心は通い合い、それゆえに、この2人は幾度も抱擁をする。
かれが父権をかざすのは、家族を責任もって養っていくこと、家族の心の安寧を保つことに対してであって、権限というより父としての責務への従順さからに他なならない。
(以下、ネタバレ)
とにかく、主人公のセリフの数々が素晴らしい。朗々と詩を読み上げるように、次々と発せられる不安と猜疑の叫び。真実への訴求に没頭する言葉の洪水。
オープニングの気怠い雰囲気から、終盤の狂気からの誘い。それを見事に変化をつけながら演じきった松村武さんには、心底参った。
毒おんな
椿組
ザ・スズナリ(東京都)
2018/03/02 (金) ~ 2018/03/14 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/02/05 (月) 19:00
座席1階1列
(この公演の目玉は、何と言っても小泉今日子の芝居をザ・スズナリで観ることにある。
新国立でも、東京芸術でも、世田谷パブリックでも、紀伊国屋でも、シアターコクーンでもなく、さりとて、本多や吉祥寺パブリック、座・高円寺でもない。
ザ・スズナリだ。
そして、1日2公演の日も含めて13日の長丁場、計19回の公演、休業日なし。
さすがというか、チケットは順調に売れて、私は5回目の公演を拝見。まだまだ先は長いので、正念場はこれから来るのだろう。
小劇場の舞台はきつい、主役は特に。それも完売を見込めば(彼女のバリューを考えれば十分に見込めたはず)、本多劇場での開催も可能だったろうにと思う。
さて、せっかくの機会ということで、最前列の真ん中に陣取って、小泉劇場に浸ることにした。前3列が自由席で、4列目以降の指定席より1000円安い。椅子ではなくベンチなので、お尻が痛いのと、明日の置き場に苦労するのと、背もたれがないつらさを我慢すれば、お得な席だと思う。至近距離1.5mの小泉今日子さんは、確かに役者としての虚飾も飾りっ気もなく、それでいて明らかにあのキョンキョンでした。
岸 リトラル
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2018/02/20 (火) ~ 2018/03/11 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2018/03/04 (日) 14:00
役者の力量に全幅の信頼ありきでないと、3時間半見せられないよなあ、という芝居。
気を張らずに観て正解かな。
「炎ーアンサンディ」に比べると、その凄惨さからかなり救われており、岡本健一の役もユーモアとアイロニーに溢れて、ところどころで、つい頬が緩む。
頓珍漢な感想かもしれないけれど、これって「オズの魔法使い」かな、と。
「オズの魔法使い」って、実はドロシーが死んでいて、虹の向こうとは天国なのか、という解釈をしていた文章を読んだことがあったのだけれど、この物語で同行する兵士他は、ライオンやブリキ男や案山子に思えなくもない。そじて主人公が死んでいるとなれば、彼が死んでいる父親と気持ちを交わすことにも、違和感がない。
案外、ほっこりとした、救いのある舞台でした。