大帝の葬送
ロデオ★座★ヘヴン
王子小劇場(東京都)
2017/06/28 (水) ~ 2017/07/02 (日)公演終了
満足度★★★★
柳井祥緒作品・最近の観劇はgallery&spaceしあんでの「タイムリーパー光源氏」。エンタメ性高く、お得感あり。
今回のは、「眠る羊」(十七戦地)、「幻書奇譚」に似た議論劇であり、野木萌葱ばりの「歴史事件物」、宮様の御付きも登場するから劇チョコ「治天の君」もよぎるが、対立を経て目的を一にする感動物語(プロジェクトX即ち肯定史観)に着地する意味で劇チョコとは一線を画する。
時折はさまれる笑いは、史実という後ろ盾をもつゆえの自信の表れに見える。寄らば大樹の陰ならぬ、寄らば歴史事件。寄り添って樹液を受益する芝居。
その関係性の中での笑いは、稲田防衛相の「笑み」に似て気味が悪い。自衛隊という後ろ盾があるつもりの、自信が、よく見ると表現されている。
こういう感じ取り方はやはり歴史への「認識」から来るのであって、いかんともできない。事実を知り深めることを、若き作家たちに望む。
(完全に年寄りの繰言だ。)
今が、オールタイムベスト
玉田企画
アトリエヘリコプター(東京都)
2017/06/27 (火) ~ 2017/07/04 (火)公演終了
満足度★★★★
アトリエヘリコプターでみる初めての玉田企画。モンダイ児を作者が演じる、前みた舞台(怪童がゆく?)に通じるモチーフの別バージョンという感じ。短時間を切り取ったストーリーだが、ガサガサ鳴る手作り感のある回転舞台で三場面が入れ替わり、笑える微細な齟齬の、その微細さを分母にとれば(ノミの目で見れば)、ダイナミズムのある舞台である、と言える。だが我々は人間なので、実際にはあっと言う間に過ぎ去る短時間の(結婚式前夜という事ではあるが)日常の延長におかれた、あるあるドラマだ。
ミズウミ
日本のラジオ
ギャラリーしあん(東京都)
2017/06/14 (水) ~ 2017/06/18 (日)公演終了
満足度★★★★
ギャラリーしあんには5度ばかり赴いて、場所の佇まいに馴染み、気持ちばかりは常連のそれだが芝居はその都度なわけで・・。
夜公演。静かな芝居、と感じた。日本のラジオ観劇久々の3作目だが、そう言えばどれも静かさがあった。細部は忘れたが物語は時代をまたがっての幻想譚で、ファンタジー志向性に同期できるならミステリータッチな語りに乗れる事だろう。私は背後関係を追う気力を持続できず(あの距離にして声が聞えない場面あり)、薄い靄のかかったような観劇になってしまったが。口調に拙さの残る感じは、狙いだろうか?
腰巻おぼろ 妖鯨篇
新宿梁山泊
花園神社(東京都)
2017/06/17 (土) ~ 2017/06/26 (月)公演終了
満足度★★★★★
(3日前に投稿したつもりが。。)
「腰巻」が付く唐十郎演目は初である。通常上演4時間を圧縮したという、唐の若い才気が鋭く光る作品。
20年前、演劇のエの字も知らない私の衝撃体験、それが新宿梁山泊のテント公演だったが(鄭義信も舞台に立っていた)、あの幸運な瞬間も過ぎる、熱くてコミカルで自然な情感の流れる珠玉の舞台・・と思った。個人的な思いがどの程度作用しているか知らないが。。大鶴義丹は下手でも許す。巨体を揺すりながらヒーロー然と飛び歩くのがテントの名物になればいい。申大樹は小柄で身軽に華麗に身をこなすが、今回、唐ドラマでは軸となる「翻弄される青年」(主役)は初?.. 役の人物の膨らみに目を瞠った。他の劇団俳優諸氏も、スポットの当る客演も、全体である種の紐帯が出来上がっているかに見えた事が、「熱くさせる」最大の理由であり、殆どウォッチャー的観劇の対象になっている梁山泊芝居に珍しく落涙した。
いい芝居では、女優も美しい。
キョーボーですよ!
劇団チャリT企画
新宿眼科画廊(東京都)
2017/06/09 (金) ~ 2017/06/13 (火)公演終了
満足度★★★★
共謀罪に焦点が当てられているが、改憲を経た近未来の設定。即ち今の政権が進めている「国民を監視し、口を封じ、本当のことを知らされない」真に権力に都合の良い「明るい未来」に向けた一連の動きの「庶民目線でみた怖さ」を、コンパクトな尺で「説明」した芝居である。
以前40minutesという企画に参加し、IS日本人人質殺害事件の顛末を説明した説明劇を持ち込んだのを見てチャリTの説明力(面白可笑しく分りやすく)に感服したが、長編より短編に心得がありそうである。
共謀罪の強行採決はエライ事であるし、他にも怪しからん(国益に反する売国的な)法律を通そうとしたり通したりしているらしい今の政権だが、危急な事態にもピリピリせず、飽くまでも「おかしな事態を笑いたおす」線で、コンスタントに風刺を紡ぎ上演し続けるチャリTの奇妙なしぶとさにも、笑ってしまう。
あ、カッコンの竹
コトリ会議
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/06/08 (木) ~ 2017/06/12 (月)公演終了
満足度★★★★
少し時間が経って感想を書こうとすると、ストーリーがよく思い出せないが奥行き感のある竹林の美術だけは月光の照明で出来た陰影とともに記憶に貼りついていた。ああ、宇宙人が出ていた。何組かの悩めるカップルがいた。ああ、竹林で出会った男女の愛の行方、みたいな要素も。そう言えば冒頭に二人の娘が超然と竹林に生息する風景。劇構造はわかりづらかったと思う。台詞を追えないと迷子になり、本当は大事なことが起きているのに見過ごしてしまったのか、大したことではなかったので見過ごしてしまったのか、分からない状態に。前者だったときのために、重い腰を上げて追跡体勢。何となく追えたような、追えなかったような。現にもう忘れてしまった。やはり月明かりのような青白いくっきりした明り(やはりLEDかな)が、何か「そぐう」ものだったという、その記憶を手がかりに考えると、「そぐう」場面というのは「一旦落ち着く」局面であるので、順繰りに巡ってくるエピソードのリレーの起点にその場面をすえて、巡るサイクルをイメージして劇が組み立てられたら、良かったのではないか・・などと、適当な意見ではあるが、不要な難解さがあったのは確かであるように思う。
タイム!魔法の言葉
動物電気
駅前劇場(東京都)
2017/06/03 (土) ~ 2017/06/11 (日)公演終了
満足度★★★★
初・動物電気。客いじりが上手でお芝居でも「間」の使い手。役者の「役者的エネルギー」あっての「笑い」満載舞台。ストーリーはあれどストーリーを逸脱する笑いの手を緩めず、ラストまでやりきっていた。
たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す
シベリア少女鉄道
赤坂RED/THEATER(東京都)
2017/05/24 (水) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
満足度★★★★
初・シベリア少女鉄道。3年くらい気になっていたが漸く相見えた。怒涛の終幕、評判通りの「凝り方」に口元が緩んだ。夜道に出て歩きながら反芻・・する事はないが、笑ったツボが効いている。
愛死に
FUKAIPRODUCE羽衣
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2017/06/08 (木) ~ 2017/06/18 (日)公演終了
クヒオ大佐の妻
ヴィレッヂ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2017/05/19 (金) ~ 2017/06/11 (日)公演終了
満足度★★★★
俳優で決めた観劇。岩井、川面。この二人と宮沢りえ、ハイバイとサンタフェ(懐かしい)の化学反応への期待がむくむく黒煙を上げ、つい手が出た。
吉田大八は昨今悪くない映画を撮る監督だが、舞台は未知数。
さて幕が開いた。演劇脳で作っていないな~、早々にそう感じ始めた。カット割り、ズーム、音重ね・・等の技が使えない事に手をこまねいているかのような間、平凡さ、埋まってなさが舞台の隙間に流れる。
しかしそれらを一旦「謎かけ」として受け止め、いつかその謎が氷解するのを待つという観客の脳内作業が持続する時間内であれば、「次の手」を打てる。疲労は個人差で訪れ、客席から衣擦れや物音がし始める。(それでも音は小さい方だ。皆、大枚をはたいて観に来ているのだから・・)
演劇脳であれば、シリアスな内容を伝えるのにそのままシリアス発言をさせたりしない。笑いに振っておいてそこに「嘘」がありそうだ、という事でシリアスを想起させる。フックを用いる。笑いと真面目の緩急と見せ方が、はっきり言って下手である。どっちつかずの行為になってしまっている箇所が一つ二つでない。(映画なら伏線なしの直球シリアス発言を、感動的に演出する編集もおそらく可能だろう。または、感動モードの可能性を担保した、どちらつかずの場面としても、成立させられるに違いない)
もう一つの違和感は、宮沢の演技とハイバイの演技の質感が違う。吉田監督作「桐島、部活やめるってよ」で進路指導をやる教師役の岩井秀人が、短いカットながら秀逸なキャラを見せていた、あの毒の笑いの線を、今回も登場以降出していたが、それに対する「受け」芝居を作らなければ、落ちない(笑いとして成立しない)。吉田演出がリアル演技を求めていたのなら、岩井秀人への演出不足か、人選ミスとも言える。岩井キャラを生かすなら、宮沢りえの「受け」が不十分、というより、否応なく「華」を帯びてしまうサンタフェ宮沢に、とりあえず謎めきを封印して「普通の主婦」を演じろと言っても無理ではないか。
それ以前に脚本の問題があるかも知れない。主役の宮沢りえは終盤にいたって辛辣な日本人男批判を展開するが、この思考を持つ人物として成立させながら、前半の対話をこなすのは大変だろう。対する男や女の側も、どういう芝居のテイストを狙って、何をどう繰り出せば良いのか、不明のままやっていたのではないだろうか・・?
と、難癖の文字数が多くなったが、(普通の?)作り手が作るような舞台ではない、予想を覆す奇抜さはある。
そして私としては、意表をつく後半の展開は好きである。そして宮沢が何かに憑依されたかのように毒のある言葉を吐く・・だが悲しい哉それが真実日本の姿である・・というくだり。この部分が作り手にとってこの劇の頂点である、としたら、何か心強い気がするが、それだけにもっと理解しやすい叙述にできなかったか・・という思いは残る。やはり文句になった。
粛々と運針
iaku
新宿眼科画廊(東京都)
2017/06/02 (金) ~ 2017/06/06 (火)公演終了
満足度★★★★
昨年のアゴラ公演が最も印象的な<iaku>、三鷹市芸文での数年前、そして満を持しての再演という触れ込みで同じく三鷹(エダニク)、今回の「趣向」舞台と、関西は遠いし名前もピンと来ないが着実に存在感が増している劇団(以前買った戯曲集を改めて手に取ったり・・読んでも中々面白い)。
現代人(日本人)のリアルな生活観を背骨に、人物らをけしかけて「出来事」を起こして面白がる作家の視線が感じられる。人間だから、生活を営み、存在し、行動を起こせば、必ずや面白い何かが、そして何か考えざるを得ない材料がそこにある。。
訴えたい人の文体ではなく、観察者のそれである。
今回の作品が包含する二つのエピソード(死期の近い母をもつ兄弟、子を作らない約束だったのに子が出来た=かも知れない=夫婦)は、彼らに見えない二人の女の会話と場転指示を挟んで、舞台上では交互に進行する。やがて会話は錯綜し、人物6名の舞台上での関係性の全容が見えて来るまでの「謎解き」の時間を楽しむ芝居だ。伏せられた事実がスローペースで解明され、現われ出た全容は、それなりのリアルな姿かたちを取って、一応は納得できる。安定した実力を感じさせる終演。
ドグラ・マグラ
演劇企画集団THE・ガジラ
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/06/04 (日) ~ 2017/06/12 (月)公演終了
満足度★★★★
二十数年経って、当時見逃した映画がDVD化されてTSUTAYAの棚に並ぶ。『ドグラマグラ』を手に取ったのはつい昨年のこと。松本俊夫監督特集でよく掛っていた『修羅』『薔薇の葬列』も一昨年、大森でようやくお目見え。生きてる間に観られた幸運をかみしめた。
さて、夢野久作の原作は、文庫本が長らく本棚に並んでいるが開いていない部類。従って本作の印象といえば映画の印象、即ち医師正木役・桂枝雀の怪演であった。
今回の舞台をみて「原作」への関心が首をもたげてきた。怪奇なミステリー作品には怪奇な人物像が似合う。「私」役はその強烈さに翻弄され、受動的であやふやなまま事態を観る者として存在し、最後になって中心的な謎に迫る構成が可能になる。それが今回の舞台は全般に挑戦的な演出が施され、熟練とは言えない俳優たちがこの趣向と素手で格闘しているという印象である。終盤に至って「鐘下節」が炸裂するが、これが大胆な脚色なのか原作を踏まえた台詞なのか・・原作を知りたく思った所以。
隅に向かって「闇」が深まる地下劇場space雑遊の利点が照明ともども発揮され、装置・音響への注力も加減なし。
雨と猫といくつかの嘘
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2017/05/23 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
満足度★★★★
B「雨と猫と・・」華やぎの香り、猫組ver
・・Cプログラム「時計屋の恋」のみ観劇出来ず、割と本命だったので残念。Dは短編二本の朗読と劇中歌ライヴだ。意外やライヴはうま味有り。出し物の発表という体裁だが、コーラスなお揃い衣裳とナンチャッテ振付と吉田小夏女史のMCで臨場感が花開く。もっともD単体ではどうかという所。A・Bあっての企画だ。
そんなわけで、うつらうつらのA観劇から1週間後、かぶりつきの(寝る間のない)B観劇。
再演に掛けるに相応しい、秀作と言える作品。手のひら返しの評だからネタバレ枠の穴蔵へ。
まつろわぬ民2017
風煉ダンス
座・高円寺1(東京都)
2017/05/26 (金) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
せんがわ劇場での初演が、風錬ダンスを見た最初(もしや渋さ知らズのライブで目にしてはいたかも?)。粗さはあったがエネルギッシュに舞台を本気で作りこんだ土っぽい、ライブっぽさもある芝居であった。
座高円寺は広い。その前の野外劇がこの劇団の本領を出す場所だとすれば、この劇場はどうだろうか・・当初は再演を観る予定はなかったが急遽時間ができたので当日券を求めて観た。
舞台の板の上を、遠慮なく走ったり跳んで着地をし、そこが土の上の想定であろうがドン、ドタンと板の音を鳴らす。だがそんな不協和は屁でもない。巨大な作りこみ美術にとってはむしろせんがわ劇場があまりに狭かったと再認識する。再演に加わった伊藤ヨタロウが冒頭から登場して自らの提供した楽曲を歌い、一気に引き込む。演奏はカミ手手前に三人、複数の楽器を分担し、分厚い音を聴かせ、音楽ライブの要素が次第に侵食し始める。主役の女性がそもそも歌い手らしい。
この反骨、理屈抜きの反骨は最後に来てその場所を得、物語を締めくくる。圧倒され、鳥肌が立つ。広くて高い座高円寺1の空間(劇場建造物)に負けている(双方和解の上?)舞台は多々あるが、この種の芝居が空間を埋めるばかりでなく外へ流れ出る熱度を持ったことに、ただ驚いた。
ゴミ屋敷よ永遠なれ。
雨と猫といくつかの嘘
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2017/05/23 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
天の敵
イキウメ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2017/05/16 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
爪の灯
演劇集団円
シアターX(東京都)
2017/05/19 (金) ~ 2017/05/28 (日)公演終了
満足度★★★★
角ひろみ作品の舞台を初観劇。新人戯曲賞受賞いらい頭の片隅にあったが、その公開審査で最終対決となった清水弥生作「ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド」を自分が推していただけに少々複雑な思いがあった。その印象を思い出すと・・鴨長明を取り上げていた。作者自身の思いよりは企画のオファーに応えた感が漂うが、作風なのかも知れぬ、と判断保留。言葉使いに静謐さがあり有能な書き手である事は確かなようだが、巧く伏せて巧く謎解きを施す、手法に目が行く。その手法は、作者の地元中国地方を襲った豪雨による災害があった年(だったと記憶する)、川の流れをその連想に導きつつ鴨長明にも重ねる「点線で導くような」叙述で発揮されていた。作者が何をどれ程取材したかは判らないが、その苦労(があったとして)を感じさせない作品で、受賞は筆力への評価に着地したとの印象だった。
その戯曲の印象が思い出される観劇だった。撒いた種を最終局面で早業で刈り取る筆には唸ったが、それまで不分明に置かれる時間は私には長く、座りの悪さは否めない。
もう一点は、(受賞作同様?)高度な舞台処理を求める戯曲だったのだろう、役者の「言い方」「処し方」が明らかに違うと思える箇所があり、もどかしい。さらりと流されるがその台詞のはまらなさが、「分からなさ」を広げていたと感じる。役者全員とは言わないが、戯曲の世界との乖離が、ラスト手前あたり、淋しかった感じがある。
ある種の演技、「相手からもらえ」という言葉で導かれる演技が、必ずしも有効でない例では?と思い巡らせながらそこを見ていたが、正解はテキストを発音する人形としてまず存在する事が第一、その上に「関係」が探られていく、という順序ではないか。適当だがそんな印象はある。
円の舞台は数えればまだ二度目。円の神髄はここに‼ という発見を、いつか。
エンドルフィン
モノモース
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/05/24 (水) ~ 2017/05/29 (月)公演終了
バージン・ブルース
うさぎストライプ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/05/04 (木) ~ 2017/05/21 (日)公演終了
「風のほこり」「紙芝居」
新宿梁山泊
芝居砦・満天星(東京都)
2017/04/26 (水) ~ 2017/05/07 (日)公演終了
満足度★★★★
ふいに出来た時間で、久々のアトリエ観劇。「風のほこり」のみの観劇だったが、詩情が流れる荒唐無稽な世界、というか、即物的だったり無機質なものに詩的なイメージを当て込んで世界を立ち上げる唐十郎の世界が、今回なりのオリジナルな形で広がっていた。
唐ゼミが上演した頃(未見)、近年賞を取った作品だと知り、よく読めば梁山泊で初演とある。主役渡会久美子への当て書きで今回も度会が演じた。フォックの壊れたスカートのめくれから臀部を覗かせる奇妙な演出(戯曲)が、分かりやすい特徴。最初は大ミスではないかとやきもきした。というのも臀部を見せる必然性がなく、台詞で説明が施されるのは暫く後になってからである。唐十郎が梁山泊に書き下ろしたという後期作品だから、そのあたりを読めずに書いてしまったものかな・・あるいは悪戯心のなせる業か・・など詮索をしてしまう。
この作品のモデルは唐十郎の母であり、彼女は一度、当時あった劇団に作品を書いて送った事があるのだという。義眼であった母にまつわる幻想的な物語が舞台だったが、事実としての母のエピソードのほうに関心が向く。唐にとっての特別な作品、従って他の作風と少し違う・・という具合であっても欲しいところが、他の作品と同列に並べて不自然がない、つまりさほど特別でない作品である事に、その経緯を読んだ後で少し物足らなさを思った。でも、これが唐十郎である・・という事なのだろう。
初演時の配役に懐かしい顔があった。本作とは関係ないが、鄭義信作品をもう一度梁山泊でやってほしい。