満足度★★★★
ArtsChiyoda3331にて行なったワークインプログレス「ブリッジ」は、私には「完成度」高く、秀逸だった。場所も廊下の通行人が向こうに見える平場な空間で、「コスモオルガン協会」の集会を本当にこの場所でやってる臨場感が、むしろスリリングで、終始笑えた。
それを踏まえてのKAAT公演ははたして如何?という期待で観劇。もっとも3331で十分満足したので実は観る予定ではなかったのだが、時間が空いたのでスケジュールに入れた。古館寛治も見たかった。
3331上演版の何年後かの設定だ。同じく「集会」ではあるが、前半はメンバーそれぞれの「教祖」との奇妙な出会いエピソードが、回想式に描かれ、「モツコスモ」思想のさわりにも触れられる。そしていよいよ後半が、メンバーが椅子に座って並び、やり取りをする「現在」、3331版と同じ臨場感横溢せる時間がやって来る。
この部分の作りも、3331版が秀逸であった。設定を変えたことで幾つかのおいしい場面や要素を端折らねばならなかった事が窺えたが、大きな要素は「劇場」である事により、声も少し張らなければならないし、「芝居」的なイメージに寄らざるを得ず、「臨場感」の方は当然ではあるが減衰した。
コスモオルガン協会の思想の説明としては、やはり3331版のメンバーの奇っ態なやり取りに軍配が上がるが、KAAT版は、協会の内情に分け入り、歪な実態も露呈させて、具体的記述に踏み込んでいる。それにより、作者のカルトに対する否定的な視線が漏れ出ているようにも見えるが、最後はそんな判断の余地さえ与えないようなぶっ飛んだ奇怪な終わりである。今回なりの終わらせ方であり、まるで絶滅するはずの種がしぶとく生き残るかのような予感を残した。
つまり、作者はこの自ら生み出したモツコスモ思想に積極的に介入し、観客に思想の是非の判断を迫っている、かのような具合になっている。この思想の「プレゼン」をどう受け止めて良いのか、戸惑った客はいたかも知れない。・・いやいやこれはギャグですよギャグ・・と笑い飛ばせない何かが残るという。
恐らく創作の趣旨から言えばこのカルトに「否定」の評価を作り手が行なってはならず、しかしカルトの当然の帰結として危うさ醜さが露呈して来る・・しかしある思想や宗教的発想それじたいをみればそれが人間の財産になり得ないと断言する事はできない・・。このライン上に立たせて観客を迷わせること。その「狙い」に勝手に共鳴したような次第である。