テレビ万歳! ~宇宙テレビを見るときは、星を明るくして、なるべく地球から離れてみてね~
天ぷら銀河
SPACE EDGE(東京都)
2016/01/21 (木) ~ 2016/01/23 (土)公演終了
満足度★★★
大風呂敷をどう折りたたむか
説明のとおり「ひきこもった真鍋真はテレビばかり見ていたが、おばあちゃんに手渡された金属バットを手に、甲子園に出場する。」することになり...。ここからは主人公の真鍋真(中村亮太サン)が、世に出たことから生じる出来事を中心に、色々な挿話・コント・ギャグのようなバカバカしいネタのオンパレード。こうも話を散らかして収拾できるのかと疑問に思うほどであった。やはり危惧は...。
この劇団は知り合いに薦められ、「六助」(2013年3月・新宿ゴールデン街劇場)を観劇したことがある。その当時はCoRichメンバーになっていないことから、「観てきた!」の書き込みはない。手元手帳に観劇感想があり、読み返してみると、やはり突き抜けた芝居であったことを思い出した。
ネタバレBOX
ナンセンス・パフォーマンスが雑多に羅列するような感じ、と言うと厳しいようであるが、その一つ一つは面白い。ただ、この広げたネタをどう収拾するのかに注目した。最後はやはり奥の手というか禁じ手と思える「妄想」の世界のようであった。仮にその結末でもよいが、その収め方が”雑”のように感じた。
この妄想、引き篭もり少年...その迷える子羊が夢見る物語を色々な角度から描き、観客(自分)の視線を刺激する。もちろん笑いである。この多くの挿話・コント・ギャク等はどれもテンポよく、シーンの描き方はシンプル、切り出しはシャープで、一瞬下品なようにも感じるが、その後のシーンに繋げるための必然性のようにも感じさせる。その観せる手腕は素晴らしい。
さて、この色々な話...「笑った」瞬間に忘却の彼方へ、その繰り返しである。ナンセンス・コメディで観て楽しければ良しなのだが、それだけでは勿体無い、直ぐ忘れ=捨てるには惜しいものがある。これでもかと盛り込み、疾走する車からは景色が見えにくい。そこはもう少し丁寧な仕上げをし印象付ける工夫があってもよいのではないか。
大風呂敷を縮小する必要はなく、その大きく羽ばたく姿は堅持してほしい。型にはまらず一見破天荒な展開が面白い。そこがこの劇団の特長だから。矛盾するような表現かもしれないが、特長を意識しつつ、もう少しセンスのあるまとめ方にしたらもっと余韻も印象も残る。
最後に舞台セットであるが、舞台中央に丸台(盆のよう)、上手・下手に2~3段の階段状オブジェ、正面壁面にTVモニターをイメージした四角い枠。全体に色彩鮮やかなペンキが乱暴に塗ってある。その舞台空間をところ狭しと動くキャスト、演技は巧い。色々な役柄へ変幻自在。ラスト、主人公は丸台に横たわる。そのペンキを塗った床(敷物)を捲るとダーク色の敷物へ変わる。このラストを観る限り妄想と思っているが...。この見事な落差も秀逸。
この劇団(公演)は貴重な原石なのか、単なるガラス球なのか...前者であることを望んでいる。次回公演を楽しみにしております。
AKEGARASU―明烏 転生
NPO法人WOMEN’S
座・高円寺1(東京都)
2016/01/14 (木) ~ 2016/01/20 (水)公演終了
満足度★★★★
現代と過去が融合していない
落語には「人情噺」と「滑稽噺」があるという。本公演「明烏」は前者であろう。説明にあるとおり過去を落語噺と現代を重ね合わせ、男女の情愛が展開されるが、その繋がりが...。
さて明烏は、その名の通り明け方に鳴くカラス、その鳴き声を聞くと吉原遊郭から帰らなければならない、という合図のようなもの。落語噺では、その男女の切ない別れ話が情感豊に語られるところ。
ネタバレBOX
梗概は、説明文から一部引用し「江戸吉原の廓を舞台に 山名屋の花魁〈浦里〉と春日屋の若旦那〈時次郎〉の激烈な恋 運命的な二人の恋路。現代の東京 舞台の上で〈浦里〉と〈時次郎〉を演じる若い二人のいく末は… 業界人たちの思惑が飛び交い、右往左往 時空を超えて重なり合う運命の糸」...時代劇と現代劇が融合する新しい演劇が始まるというもの。
その舞台セットは、段重ねした平台からそれぞれ上手・下手に2~3段高いスペースを設ける。過去の吉原・山名屋シーンは下手側で演じられる。上手は過去・現在の区別や吉原遊郭内と大門の外という違いを見せる。上演前には、衣桁に八端のような絵羽模様の振袖が掛けてある。公演中は、場面転換(暗転)の都度、小道具が運び込まれる。
過去の「落語モチーフの世界」と現代の「芝居の稽古中」という二元的な観せ方は、目新しいものではない。この公演では、現代の舞台稽古が本筋で、魅せる世界観が落語噺としてのモチーフになっている。この公演では「心中」という結末であるが、現代ではステージママ・恋愛スキャンダルや嫌がらせスポンサーからの自立・決別し逞しく生きて行く。本来であれば対比のような観せ方であろうが、アイドルがその殻から脱皮するため稽古をしている光景しか残らない。落語噺と現代の物語は、男女の情愛という点で通じるものがあるが、そこに感情移入出来なかったのが残念(特に、現代のシーンでは情感不足)。それは別々の物語が平行して展開し、関連付けるために交互に、もしくは敢えて先祖・子孫で繋がりを持たせたという印象である。「心中」後は、来世で結ばれる=現代で成就?という望みが叶った。転生だから当たり前か。
生の「新内(節)」...実に艶麗で哀調を帯びており”心中物”にピッタリ。この演奏も含めキャストは熱演しており、花魁たちの艶姿も美しい。外見で落語噺を云々という訳ではないが、その美しい姿の内にひそむ悲しい男女の道行き...そこにこの公演での「おもてなし」を観た。
次回公演も楽しみにしております。
B コレクション4
Bコレクション
TACCS1179(東京都)
2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了
満足度★★★★
珠玉作品群...充実
全14話のオムニバスショートコメディ。1話が1~4名のキャストで5~10分程度の話(全体で上演時間90分)。
そのイメージは、シャボン玉のように大きさや色合いが違うものが空中に舞い、その全体の光景が美しく輝いているという感じである。
ネタバレBOX
上演作のタイトルと順番は次のとおり。
1.「遺失物係」 2.「山小屋」 3.「燃えるゴミの日」 4.「面接控室」 5.「将棋対決」 6.「余命宣告」 7.「靴をなめた父」 8.「茶道部」 9.「愛の援護射撃」 10.「蔵」 11.「遠隔操作」 12.「動作実験」 13.「息子の告白」 14.「母と子」
この小作品は大別すれば「あるある」「もしかしたらある」「ありえん」というところだろう。理屈のようになるが、「あるある」は現実的、「もしかしたらある」はファンタジーの世界。「ありえん」は観客が勝手に笑うか怒る?
現実が観えるのはフィクショナルな作り込み。ファンタジーが成立するのは、その世界観がリアルな感触が立ち上がる必要がある。どちらにしても関連性があって作り手(作者)の意思が入り込まないと、短いだけに成功・不成功に直結する。
この作品群が珠玉と思えるのは、しっかり面白さが伝わる...その”観せるというシンプル”さであろう。
たとえば、「あるある」は、「燃えるゴミの日」の出来事。引っ越してきた若者がまだ使える高価な電化製品をゴミ収集場に...捨てるのであれば欲しいよ!
「もしかしたらある」は、「面接控室」での短時間。そう簡単に打ち解けないでしょうが、本番面接の心理的な前哨戦はあるかも。
「ありえん」は「将棋対決」、対局中、将棋盤上に食物を並べないでしょう。バカバカしくて笑えるが、記録係の女性へのアプローチが秀逸。
この作品=玉の大きさ、色、宙に舞う時間も違うが、シャボン玉に個性があるように甲乙付け難い。光の射す角度、流れる方向などによって見方が変わる。そのショートコメディは、日常の生活に埋没している記憶をサッと掬い上げ、忙しさの中に消えていく出来事・言葉を作者が受け止め、観客に伝える、そんな公演のようであった。いずれにしても笑った!(^^)
次回公演も楽しみにしております。
気持ちをきかせて
空間製作社
東京アポロシアター(東京都)
2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了
満足度★★★★
ブライダルコメディ...面白かった【チーム上田】
10周年記念公演第2弾、本公演はシチュエーションコメディの珠玉作。チラシの説明や絵柄(父が娘をエスコートイメージ)から明らかなように、結婚式におけるドタバタ物語。Broader Houseという小規模空間をいかに結婚式場らしく観せるか。その建物の規模や立地的な説明は省略し、心模様・機微のような人間味の部分を中心に描いている。
さて、当日パンフに脚本・演出 うえだかつひこ氏が「第1回作品はミュージカル『雪の華』です。ラストシーンに雪を降らせたのですが、終演後に劇場を出ると本物の雪が降っているという自然界の粋な演出で時間製作社はスタート」と記しているが、本公演も楽日最終公演後に劇場を出ると霙(みぞれ)が、そして翌日は雪になった。10周年を迎え、応援するかのように自然界の演出があったようだ。
ネタバレBOX
梗概は、説明から「新郎のシンイチロウと新婦のハルナは、新婦の父親から反対されていた。 議員の父親からすれば、高卒でリストラされたシンイチロウは頼りなく思えたからだ。 苦難を乗り越え、ようやく結婚式を迎えた二人だったが …。」
冒頭の舞台セットは、円柱の吸殻入れとBox(椅子イメージ)があるのみ。全体を通じてほぼ素舞台で、シーン作りは役者の演技力にかかる。この結婚式は訳ありで、それをいかに式場の係員が新郎・新婦に寄り添うことが出来るか。挙式の出席者の一人になったような気持...とはいえ、ドタバタしている裏舞台は見られないので、(表・裏)同時進行を俯瞰するような感じである。実際ありそうなシーン...父親の反対はもちろん、親戚や友人が出席しない、脅迫文が届く、余興ネタがないなど。その都度式場係と派遣会社から派遣された成りきり友人(2人)がピンチを切り抜ける。披露宴時間という限られた時間設定のためテンポ良く展開する。
各キャストの個性豊かな性格付け、式場における立場(リーダー、司会者、調理師)、それに前述の成りきり派遣友人の強かさ(仕事を兼ねた結婚相手探し)が面白い。もう少し個々人の経歴など背景の深掘りがあれば良かった。まぁ典型的なドタバタ喜劇であるが、泣き所もしっかり取り入れ観せる。この日に結婚式をしたかった理由は、亡き母を同じ年齢になったこと、そして母の命日であること。
最後に、余興シーンで成りきり友人の一人(馬場史子サン)が行う、ジブリ作品のワンシーン・メドレーには(会場内が)爆笑した。上演後1Fで挨拶させてもらったが、他公演(「落伍者」@てあとるらぽう 他)も観ているが、このようなネタを持っているとは...。
この劇団公演、次回も楽しみにしております。
特別機動戦隊 J レンジャー
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
上野ストアハウス(東京都)
2016/01/13 (水) ~ 2016/01/19 (火)公演終了
満足度★★★★
ヘビー級の脚本にライト級の演出
タイトルやチラシ(絵柄)からは想像できない骨太作品。当初は着ぐるみ笑(ショー)劇と思っていたが、それは大きな勘違いで印象が一転した。決して重厚・端正な作りという感じではない(失礼)が、底流にあるテーマの捉え方、その観せ方には驚いた。まさに自分好みの公演であった。劇中劇(映画製作)という客観的で同時進行するような展開が、相互に関連して立体的な公演になっている。その立ち上がった姿(テーマ)は、今の日本...いや戦後70年を経てまだ考え続けている課題・問題である。
さらに、その存在によって起こり得る将来の問題も垣間見えるという、過去・現在・未来にわたる提起をしたような公演、観応えがあった。
ネタバレBOX
梗概は説明文を一部引用し「赤字の小さな映画製作会社が起死回生の一打として企画した映画。それは特別機動戦隊Jレンジャーの全面協力の下、女性隊員達の恋と友情を描く青春ラブコメディ・・のはずだった。しかし映画は思わぬ方向へ進んで行く。世界の平和と秩序を守るために、愛するものを守るために、戦え!特別機動戦隊Jレンジャー」という映画製作が、思わぬ現実に直面する。
このJレンジャーは容易に自衛隊であることが想像できる。この組織広報局の対応が、国民の感情に寄り添ってということ。特定時期(観桜)に施設を開放し、地域住民との交流を図る。Jレンジャー(施設)の存在が地域経済の活性(雇用も含め)に繋がっている。なにより国(愛する人)を守るという使命感。
その組織の全面支援を受けて製作する映画、脚本は従来依頼していた個人から、インターネット上にいる姿なき脚本家達(集団)に依頼する。その脚本家はネットユーザーの意見を反映し面白い(興行的に成功)ものへ都度変化する。この映画のために5人の女優がオーディションで集まり、Jレンジャーに体験入隊する。
この訓練を通じて、女優たちはその性格、身体能力、経歴や悩み・希望・夢を語り出す。さらにJレンジャーという組織のあり方も考え出す。この考える姿こそ、観客に投げかけるもの。Jレンジャーの役割・必要性・生きがい・使命感等の肯定面、一方、不必要・危険・同盟国テロに関連したテロの標的という否定面が浮き彫りになるような各シーン。また少数の主張を押し込め、脅迫するような全体主義を下にした似非民主主義も感じる。
この公演では多くの印象的な場面があるが、特に感じ入ったところ...。
映画脚本の件、ネット上の作者(実態が不明)で多くのユーザー意見を取り入れる。興味を持つ多くの読者がいる反面、その内容には誰も責任を負わない。個人の意見がなく、極端な多数(全体)主義に危機感を持つ。そこに金のために行動していたプロデューサーも気づく。多数という中に隠れる無責任さ、怖さ。
同盟国がテロから攻撃を受け出撃するが、J組織は犠牲者、それも隊のシンボル的な隊員が犠牲になることを望む。国民の憤りを煽り組織の存在・重要性を正当化できるかというもの。
その舞台セットは、高さ30cm程の立方体が6個、八の字形に置かれている。ラスト近くに墓に見立てられ、そこに桜が舞い落ちるシーンは胸が痛い。TV子供番組の”○○レンジャー”のような赤いボディ・スーツがカッコ良いが、それは外見だけのこと。見た目ではなく、真に考えなくてはならないこととは...。
2015年の安保法に絡め、当日パンフにある脚本家・堤 泰之 氏が「初演時(2014年9月)は、ちょうど集団的自衛権の問題が話題になりかけた頃でした。それがわずか1年半の間に、こんな形で法案が成立するとは・・・この国のことについて、今、目の前にある戦争について、観客の皆様と一緒に考えることができたら・・・」と。自分も同感でさらに混乱と混迷の世になったようだ。この公演、訴えたいところは明らかであることから、あざといと思うところもあるが、自分は素直に受け止めることにした。
最後に女優陣の言葉...訓練中に傘を銃に見立てていたが、本当に傘で良かったと...。
次回公演を楽しみにしております。
ラマルク
にびいろレシピ
OFF OFFシアター(東京都)
2016/01/14 (木) ~ 2016/01/17 (日)公演終了
満足度★★★
瑞々しいが...
場内は薄暗くモノトーンな照明。その雰囲気は無機的な状況に浸っている感じである。その世界は寓話のようであり、御伽噺でもあるようだ。
説明文のタイトルは「ラマルク」だが、別にRamarckとスペルが表記されている。その名前は、その分野を研究しているものであればある人物に気づくであろう。
この芝居は、プロローグとエピローグを描くことによって、ストーリーの全体像もしくはイメージ像が築けたかもしれない。そう思うと少し勿体ない気がする。
ネタバレBOX
ダーウィン「進化論」を研究すると、そのRamarckの名前が引き合いに出されることがあるだろう。提唱した「用不用」説...人体器官は使用しなければ退化する…説明文が意味深である。赤ん坊は天使…生まれるに際して”翼”はどうしたのだろうか。
さて、人の思い(希望)も用・不用が関係しているのだろうか?自分が、この物語から感じられることは2つ。
第一に、大気(核)汚染のような環境悪化によって地上に住めなくなった人類の(近)未来が描かれる寓話。それは自然界の変化ではなく、人為的な活動によってもたらされたもの。地下(シェルター?)ゆえに太陽の輝きはなく、植物が育たない。その暗喩が植木鉢に風船を入れ(植え)る動作になっているのではないか。この先、どうなるのか、未来はあるのか、その不透明さが不気味で怖い。
第二は、母親の胎内で聞いている御伽噺...こちらは人間の主体的な関わりが観て取れる。それが”生まれて見る光景”について、幼馴染みが描く美しい風景画として聞かされる。一転して自然の恵みを感じるセリフの数々。
その舞台セットは、中央に色鮮やかな円段通。上手は、2段差のある上空間。下手には棚や地空中など乱雑に配置した植木鉢が数個。上手の空間で女性2人が膝枕をさせ、もう一人の女(子)の髪を梳くような仕草。生命の誕生によって広がる未来、そこには夢も希望もある。
さて、物語としては前の話のイメージが強い。それは映画「デイ・アフター・トゥモロー」(2004年)のように自然環境が急速に悪化し、一瞬にして氷河に襲われる。その閉じ込められた先...図書館が、この公演では地下に置き換わるようだ。そこに自然に対する人間への警鐘が...。
役者の演技からは、地下での生活苦が感じられない。逆に、郷愁のようなものが見える。緊迫感、絶望感が観えないのが不思議。そして個人(姉妹)生活に立脚した視点ゆえに社会的な問題提起に及ばない。それであればやはり胎内か...その不思議感覚だけの印象では勿体ない。嫌いではない描き方だけに。
次回公演を楽しみにしております。
台風の夜に川を見に行く
マニンゲンプロジェクト
「劇」小劇場(東京都)
2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了
満足度★★★★
映画のような演出
映画のカットバック、フラッシュバックのような演出...その年代を映し出し、過去や現在など年代に関係なくランダムに描きだす。シーンの切り出しで、時間の連続性が不規則になり時系列でないことが物語の展開を難しく観せるようだ。しかし、だからこそ一定の時間内に描きたい内容を凝縮し、緊張感と臨場感溢れるシーンが生まれる。物語を時間軸(過去から現在)を一定方向で理解しようとすると混乱が生じるかもしれないが、少なくとも自分はその描かれた人物の人生(半生)とそれに関わった人々の日常起こるかもしれない出来事(事件)をダイナミックに捉えた舞台として楽しめた。全員が、それぞれの人生においては主人公であるような…。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
登場人物にして、主人公(佐竹麻希サン)は、横浜マリーまたはメリーをモチーフにしているのだろう。その彼女のドキュメント映画が約10年ほど前に某映画祭の一環で上演されたことがある。その独特の風貌(メイク・衣装など)は、その時代に道化として現れるタイガーマスクやピエロメイク、現代的に言えばコスプレも入るかもしれないが、その自己主張(表現)の一種であろう。そこには他者から認めてもらう、というような面と”生きている”をアピールしているような気がする。
演技は、各キャラクターを確立しバランスも良い。その陰陽ある生活状況等を表現する照明と音楽は印象深い。特に横浜マリーが壁際で佇む姿に照射し、壁に映し出された陰影が悲しい。
彼女のエポックとなるような出来事を年代映写し、その時代の特徴(状況)を後景にしつつ、スナックという場を設け、客(1962年生まれの高校の同級生という設定)、店の人たちを従えて、というよりは登場人物全員がカットバックしたシーンに応じて主人公になるという群像劇。
その舞台セットは、スナックの客席(2つのボックス席、テーブル上には飲食物)、上手にポスター・雑誌表紙、下手にオロナミンC(大村昆)が貼られている。細かい工夫であるが、恵み(施し?)を請う時に出される新千円札(1950年)、オロナミンC(1965年)、復刊した新ロゴ LIFE(1978年)など、登場人物のエポック時期を象徴するもの。
横浜マリーの半生を中心に、その人生は戦中・戦後という時代に翻弄されたが、必死に生きて来た。そして出入りしていたスナックで出会う人々の人生を衛星のように上手く切り出し、男女間の嫉妬・すれ違い、家庭内で堆積する不満・鬱憤、親子の諦めと断絶、大都市で成功したい・自立したい、そのような関係・願望が、斜に構えつつも温かく見つめるような公演。その描いた姿は、多少コミカルに、シーンによってはシュールに使い分け、その根底には逞しく生きるが見える。登場する人々を通して街路を行き交う、平凡にして日常を淡々と生きる。
この一瞬乾いたようなシチュエーションであるが、一方応援歌のような...その潤いも感じられる。その大きな流れ(台風)の中で身を委ねて面白さに浸(溺)れた。
次回公演も楽しみにしております。
ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー
Ammo
d-倉庫(東京都)
2016/01/08 (金) ~ 2016/01/11 (月)公演終了
満足度★★★★
人間的視点と社会情勢
ブラジルであった、実事件をモチーフに描いたようなサスペンス劇。
当日パンフに劇団Ammo代表の南慎介 氏が今回(本公演)はある、矛盾の話...と記していたが、さらに根深い不条理のようなものが感じられた。
この公演は、観客の視点を自然に転換させる巧みな観せ方が見事。冒頭の凶悪シーンから物語が進展するにしたがい、いつの間にかストリートチルドレンの側に立ったヒューマニズムを思わせるような...。人間の中に潜む狂気のような感情と、そうならざるを得ない政治・社会情勢を上手く融合させる手腕が素晴らしい。
描くは、今の日本では想像し難いため、異国の地の出来事としつつも普遍的に感じるであろう、「富裕」と「貧困」の間で現れる人間の本性を...。
ネタバレBOX
カンデラリア教会虐殺事件。この教会は、違法薬物売買、売春などに関わった、家のない子どもの宿泊所の機能を持っており、食料、教育などの援助を行っていた。某日、子どもたちのグループに発砲し、当時のマスコミ発表では6名死亡と伝えられた。
リオデジャネイロは、インフレなど経済不安定から、路上生活や犯罪行為に走る少年たちが問題視。警察等により路上生活者への「取締り」や「補導」を名目とする暴力行為があったという。リオには「死の部隊」と呼ばれるグループがあり、商店主らは治安悪化などで観光客の客足が伸び悩むことから、安給料の警官や元警官などが依頼を受けて路上生活者に近づいて暴行や殺人を行っていたという。
公演は、この実際あった事件をスラム(「チラシ」のイメージ)に置き換えて、もっと広範で深刻な内容にし、その重大性を強調している。舞台セットは、d-倉庫の天井の高さを利用し、斜面に広がるスラムをイメージさせる高層構造…中央部は出入り口、上・下手に変形階段。斜面坂道などを思わせる。
冒頭は子供による強奪シーンであるが、次第にその環境・境遇から止む終えないものと肯定されるようだ。その人間性は貧困という病のせいだ、という論理が個人における正義と悪行の分かれ目になってくる。その根源は劣悪な社会・経済状況にある。
観所は、「死の部隊の警察官」のエスケルディーニャ(西川康太郎サン)とフッチボールコーチのジョルジ(桑原勝行サン)の対決シーンであろう。裕福でなければ権利も自由もない...生きている価値さえないという。一方、貧困であっても生きて夢をみる自由はある、そんな対立会話の応酬が圧巻であった。
物語は、ストリートチルドレンへの人間的な同情へ...個人的な視点を据えているが、その先には国家への鋭い批判が...。
その描き方が現在ではなく、10年前の追跡取材で明らかにする。その事件を客観的に観る上でも、巧い構成である。そして、取材を通じて明らかになる過去と現在の恐るべき繋がり…観応えあった。
さて、現在の日本社会に目を向けると、犯罪性には疑問があるが路上生活者がいるのも事実。実際、行政機関がその人数を把握する調査を行っている。その状況になった原因等は色々あるだろうが貧富差が拡大しているのではないだろうか。
この公演は芝居としては面白いが、ブラジルにおける当時の状況が色濃いような気がする。観念的には理解しつつも身近な問題として実感するには...。
ただし、貧富・差別・自由・権利、そして暴力の連鎖という大きく普遍的なテーマの見据え方は良かった。
最後に、最近は海外時事(ニュース)を入手する部署から離れているが、それでもブラジルは2016年オリンピック開催に向けて治安改善に努めていると聞くが...。
次回公演を楽しみにしております。
三日月にウサギ
9-States
OFF OFFシアター(東京都)
2016/01/07 (木) ~ 2016/01/11 (月)公演終了
満足度★★★
心の彷徨...閉塞からの解放を求めて
表層的に物語を捉えると、その閉鎖性のある街から出ないのか、また逆にそれを承知で入ってくるのか、という疑問が生じる。しかし、そこは敢えてそういう状況の中で展開していく波紋の色々…そんな感じがする。
公演の雰囲気は沈滞的であり不気味な感じもする。何か起こるだろうという、その不思議感覚が面白い。
芝居の台詞にもあったが、ジャンルにとらわれると本質を見誤る...この劇の狙いはどこにあるのか。自分としては、”生きる”をしない者と”生きたい”者が出会って、心的交流から見える彷徨では...。
この公演は2ヶ月連続公演Vol.2となっており、前回はホテルが舞台であったが、今回はジャズ喫茶である。そのセットは...
ネタバレBOX
基本的(舞台セット)は、同じようだ。中央から下手側にカウンターとスツール、中央にトイレ、上手に店の出入り口がある。下手客席側に懐かしいゲーム機1台。中央に丸テーブル席・椅子がある。
主人公は、ウサギ(山田青史サン)と三木薫(倉垣まどかサン)の2人。この両人の”生きて行く”ことから生じる、周囲の人達の思惑と誤算による悲喜劇といった感じである。
何故だか、波形を見ただけで少し先の未来のようなものが見えてしまう。一瞬SFかと思わせるようなところもあるが、それは枝葉のようであった。その先読みに頼って日銭(パチンコの回転率等)を稼いでいたが、この街から出るため大金を得る算段をする。金融(FX)で勝負することを企むが...。
そんな時、他の街から薫がやって来て、ウサギに能動的に”生きてみよう”と働きかける。その薫は父親から性的虐待を受けており、外見を男の格好にし、必死に生きてきた。そんな生き方に違いがある人と人の出会い。生きるのが息苦しくなったら「(三日)月にでも住むか」、「波形読まずに未来ワクワク」という台詞が何となく悲しい。
人として強欲を持つ者、無欲の者、または多くの欲を持たずに淡々と過ごす者、その心のあり様を捉えた時、自身に内在するもの(欲望)が透けて見えるようだ。他人から見えない内面を描こうとしているが、その表現が難しい。人は不自由からの解放=欲望を実現していくか、手っ取り早く行うためには他人を利用する。その端的手段が「金」だという。
積極的に”生きること”にすることで周囲の人々との関係・状況が変化して行く。自分の意思と関係ないところで他人の思惑を左右する。自分が幸福を求めることで、周囲の人々を不幸にする。
この自分と他者との「幸福」と「不幸」の逆相関がアイロニーのように感じて、芝居の沈滞・物憂げな雰囲気を追いやり滑稽にさえ思えた。
生きる目的を持った(共有した)ことによる悲劇、無関心から派生した他人の不幸という喜劇...不可思議な公演であったが嫌いではない。
冒頭に記した街の閉塞感について、若干の説明...家族のこと、郷土愛のような一片が見えると違った見方もできるが、好みの別れるところであろう。全体の怪しげな雰囲気の中で、彩りを見せたかったのか…高山ふみ(飯野くちばしサン)社長と従業員の会話が浮いたようで違和感があったのが残念。
次回公演も楽しみにしております。
陽のあたる庭
演劇ユニット狼少年
小劇場B1(東京都)
2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了
満足度★★★★
骨太...感動!
第2回公演...とても観応えのある翻訳劇であった。チラシ記載のとおり原作はジョン・スタインベック「二十日鼠と人間」(邦題・1937年出版)である。原作の舞台となったのは、1930年前後の世界大恐慌時のアメリカ・カルフォルニア州の農場であるが、本公演はそれから約30年後の東京オリンピック前年(1963年)、日本・栃木県にある飯場・安藤組に 時と場所 を換えて描く。そこには原作同様、貧しくても逞しく生きる、そして愛しくも切ない、そんな人間讃歌が語られる。そして、オリンピック前年という高揚感ある時代背景にも関わらず、当時の世界状況・社会状況への鋭い批判と、2020年の東京オリンピックに向け、現在に対しても警鐘するという骨太作である(1時間40分)。
ネタバレBOX
開演前から昭和歌謡...「いつでも夢を」などを流し、50年以上前の雰囲気を醸し出す。舞台セットは、劇場出入口の対角にある壁面に沿わせて平板を粗組む。2場面(山中、飯場)であるが、平板は山林や飯場での寝床・腰掛場に見立てる。飯場シーンの場合は、それに木食卓と丸椅子も暗転時に配置する。
梗概は、チラシ説明「戦災孤児のダイとショータは、いつか自分たち家を持つことを夢みながら、出稼ぎ労働者としていつも一緒に各地を渡り歩いていた。地方の道路整備が着々と進められる中、二人が辿り着いた新たな働き口であるトンネル工事の現場で、二人はそこに集う人々との生活を始めるが…」のとおり。
物語や人物造形は原作に模しているが、日本の状況をしっかり捉えている。例えば、東京オリンピックの前年当時(1963年)、東京では道路舗装、ゴミ収集が行われ美化が進んだという。しかし、飯場労働者(在日朝鮮人)・ピョンの言葉を借りれば、それは上辺だけで汚い・臭いものに蓋をしたに過ぎない。
公演の中で繰り返し出てくる台詞「世界はひとつ」は、東京オリンピックのスローガンの一節で、当時の世界情勢・東西冷戦を意識している。その状況は変化したが、現在では世界いたるところで紛争が起こり、テロも頻発している。そういう世界、さらには国内では震災復興ということを意識しておく必要があることを痛感。
主人公2人ダイとショータは戦争孤児という設定である。それを考え合わせると、社会の底辺で働く人々に向けた優しい眼差し、逞しく生きる人々への応援歌、平和への思い。その描かれる内容に心打たれる。この心魂に響く演出...暗転時には小鳥のさえずりなどが聞こえ、明転後の照明もコントラストを付けインパクトを持たせる。音響・照明を(相乗)効果的に利用し、観客に印象付けるという観せ方が丁寧である。
演技は、役者全員が安定しバランスも良かった。その性格付も原作とおり確立していた。女優2人、飯場の飯炊き女・照代(岡本恵美サン)は、その明るく優しい姿が、”日本のおかあさん”そのもの。親方の息子の嫁・留美子(森由佳サン)は、アイドル出であるが汚れ役で切ない女を好演していた。そしてやはり、ショータ(曽我部洋士サン)の演技が素晴らしい。
気になったのは、すぐに安藤組に来た時の飯場の緊張感がなくなったこと。溶け込むまでのエピソードがあると更に印象深いと思った。逆にその変化に2人が飯場に親しんだという、時間の経過が見えるのかもしれないが...
次回公演を楽しみにしております。
カドルノワの写本師
日本大学芸術学部 ミュージカル研究会
シアター風姿花伝(東京都)
2015/12/25 (金) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★
もう少し深みがほしい
第一印象はミュージカル研究会の本公演であるが、演者の歌唱力に差があること。また内容について、テーマ設定は鋭いところがみえるが、その捉え方が表層的で深みが感じられなかった。タイトルにある”写本”の枠に止まり、書物に対する当時の緊迫した状況が伝わらない。
ミュージカルという観せて楽しませる、その魅力が十分に感じられず残念である。
舞台セット...特に後景の街並は雰囲気があって好き。
ネタバレBOX
「焚書」と当時の統治(下)状況、特に宗教的な内容が示唆されていたと思うが、その件をもう少し掘り下げてほしかった。
確かにミュージカルであるから「歌」「ダンス」で魅力付けようと努めていた。それがもう少し内容(筋)の充実に結び付いていればよかった(問題意識は持っているとのこと、あえてクドクド書く必要はないと思っている)。
12人の怒れる陪審員
えにし
駅前劇場(東京都)
2015/12/26 (土) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★★
原作通りなようで
アメリカのTVドラマは見たことないが、映画「12人の怒れる男」(1957年製作)は日本のTV映画、そして名画座でも見たと思う。この映画のオマージュとして「12人の優しい日本人」(1991年 中原俊・監督 三谷幸喜・脚本)もある。
今回は女性キャストがいることから、本公演のタイトル「12人の怒れる陪審員」になっている。俳優座プロデュース公演を観ているが、本当に久しぶりに観た。
この原作は、法廷物サスペンスドラマとして傑作と評されている。評決の話し合いのため集まった部屋で物語が展開するため、必然的に限定空間というシチュエーションになる。
ネタバレBOX
本公演は、原作通りの展開のようであり、その登場人物の性格、出身背景等も同じである。その意味で新鮮さは感じられない。しかし、原作のもつ魅力もあり、最後まで緊迫感ある芝居ではあった。日本でも裁判員制度が導入されているが、アメリカにおける陪審員制度のメリット、デメリットを考えさせる上で引用される物語でもあるという。
楕円形テーブルに12席を配置し、陪審員番号順に左回りに着席する。なぜか赤黒の市松模様のような床がカラフルで印象的であった。或る夏の1日...扇風機作動せず、滴り落ちる汗。映画だとそのアップを捉え、不快イライラが伝わるが。その代わりに舞台では、人物の全身の動き、室内での全員の全体の動きを観ることができる。演出ではストップ-ムーブなど面白く魅せる手法を取り入れている。また回り舞台にすることで、人物描写を別角度から描いている。全員一致の評決という条件、そして圧倒的不利(無罪 1対11 有罪)な状況からの逆転劇。その非暴力にして論理的な展開に固唾をのむ。
しかし、やはり原作(当時の証拠能力、捜査状況)に忠実すぎる気がする。現代的な要素(捜査能力の向上など)を加えることで新鮮味を出しても...。
また、事件に対する論理展開が中心になり、人と人の複雑な関係性・背景のようなものが置き去りにされたようで、乾燥した感情を持ったのが残念であった。
次回公演を楽しみにしております。
ヘレン・ケラー
東京演劇集団風
レパートリーシアターKAZE(東京都)
2015/12/25 (金) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
やはり“風”の公演は見事!
素晴らしい クリスマスプレゼント ありがとうございました。
この公演は、2015年上半期(4月~7月)は東日本地域巡回公演を行い、下半期(9月~12月)は九州地域を52ステージ行い、この東京公演は凱旋公演にあたる。東京演劇集団 風 では、この「ヘレン・ケラー」(脚本・松兼功 氏、演出・浅野佳成 氏)を1995年に初演しており、何度となく再演しているという。
記憶の中で、親に初めて買ってもらった本が「偉人伝 ヘレン・ケラー」である。遠い世界の人と思っていたが、後から調べてみると、その本を読んだ時にはまだ存命であった。
三重苦というハンデを乗り越え、「ことば」の意味を理解し、単語から文章になり人に伝えるようになる。それはアニー・サリバンとの出会いがなければ...そう考えると人の縁の不思議を感じる。
ネタバレBOX
この公演は、ヘレン・ケラー誕生(1880年6月)から「物、事柄」「ことば」に意味があることを認識する1887年夏までを描いている。もちろん、見せ場は井戸で水を汲み...waterと叫ぶシーンである。
舞台は、中央部に室内、執務室などのシーンによってセットを搬入・搬出する。ヘレン・ケラーが好んで触っていた、蔓草…蔦も上・下手に取り付けていた。実に細かいところまで見せる。もちろん井戸(ポンプ)は、下手客席側にある。
この演劇集団の劇風は丁寧・重厚というイメージを持っている。今回公演も例外ではないが、扱う題材(人物)にしては、暗く重苦しくならず、どちらかと言えば明るい感じすらする。
ヘレン・ケラー(倉八ほなみ サン)は、腰が引けO脚ぎみに歩くが、これは彼女の演技感性らしい(初日の乾杯時に他の劇団員から聞いた話)。
一方、サリバン先生(高階ひかり サン)は誇張したような演技に観えるが、先に記した巡回公演では、学校体育館のような広いところでは、遠い位置から観る場合、オーバーな演技にしないとその醍醐味(いわばヘレンとの格闘)が伝わらないかもしれない(短期間での劇場用への演技修正は難しいのではないか、公演全体に影響する)。
どちらも観せるという”端正な演技”と”実話に基づく臨場感”が自分の心を捉えた。
現代において、人は人工物や情報が氾濫する中で、個性や意思は状況によっては飲み込まれてしまう。そんな希薄な存在に追いやられるかもしれないが、それでも不確かであっても存在はする。この公演の若い二人の女性は、単に特異な存在ではなく、誰もが持つ生きるという普遍的な意思を伝える。身体的な不自由は自覚しつつも、それでも困難を乗り越え逞しく生きる。それを周囲の人たちが温かく見守る...クリスマスに相応しい公演であった。
地方巡回公演の取り組みも含めての評である。
次回公演も楽しみにしております。
優子の夢はいつ開く
パイランド
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★
驚きの展開!
内田春菊女史の脚本らしい...そんな感じを受ける面白い公演であった。女史の本業ともいえる漫画家の特長も活かしており、その力(魅力)をいかんなく発揮している。
序盤はコミック-ストーリーのような印象を持ったが、終盤はホラーのような感じもする。その変化の大きさに驚かされる。独創的なストーリーで、まったく先読みができない巧みな構成。想像を絶するラスト...観終わってみれば、ブラックジョークのようであった。
主人公・鈴木優子(住友優子サン)は単なる専業主婦、家庭をきりもりする婦人、などというありきたりな描き方ではない。
ネタバレBOX
演出は、暗転時にスクリーン-プロセスを用い、女史のマンガスケッチを映し出す。その電影も単に静止漫画ではなく、コマ送りするイメージである。また漫画だけではなく、見せ場となるシーンには実映像を挿入する。
梗概は、裕福な家庭に育った優子、幸せな結婚生活(夫・大学生一人息子)を送っている。そんな中、児童施設から子供(小学4年生)を一時的に預かることになり、その施設職員も家に出入りしだしてから、家庭内に波風が立つ。そして彼女自身は主婦から一人の女になり、”性”まで解放してしまう。
一見平凡で幸せそうな家庭にも、それぞれ抱えた問題がある。TVドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)を思い出した。それは、平和に見えた家庭の崩壊の発端は、謎の男からの電話が契機になっていたが、本公演では施設職員と預かる子が闖入者である。
表面上は素知らぬ顔(頻繁に行う奇妙な「ダンス」、「歌」で表現?)をしているが、夫の裏切り。本当のところは家族から逃げ、人生相談と称し、その相手の不幸を楽しみ自己満足にひたる。本当はかまって欲しい孤独な女性...の内面が崩壊していく様を世間(近所の偽主婦友達)の羨望を絡め、しっかりと観(魅)せる公演は秀逸であった。
次回公演を楽しみにしております。
for×for=many mind~士×志=十色~
super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★
幕末伝…面白い【Team P.s】
初日、雨にも関わらず満席だったようだ。上演時間135分(途中休憩なし)、疾走するようなテンポとアクション(特に殺陣)の良さは最後まで飽きさせない。
物語は幕末群像劇であるが、その視点は新撰組からのもの。この劇団公演は何回か観ているが、多くは築地ブディストホールである。今回はシアターグリーンBOXinBOX THEATERであり、その段差がある客席から俯瞰するような感覚で観た。そこには、封建時代末期であり、近代日本の黎明期という大きな歴史のうねり(変わり目)の中で必死に生きた武士と志士、そして男たちに関わった女性...男は己を信じて、女は彼への思いを寄せてが切ない。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央が出入口で左右に低階段、壁面はステンド-グラスのようである。殺陣を意識し簡素な作りになっている。それだけに、他の技術…照明、音響が重要になっているが、その役割はしっかり果たしていたと思う。
梗概は、近江屋で坂本龍馬が暗殺される夢から始まる。この坂本龍馬に似ている人物・川原染太郎(清水勝生サン)が、新撰組一番隊の隊士で、現・夢の意識が混乱する。この不思議な感覚が観客(自分)の意識下にあり、本当はどうなのだろう、というミステリアスなところが魅力的だ。登場する人物だが、新撰組を代表する近藤勇や土方歳三は登場しない。それでも新撰組ファンであれば知っている隊長の名前が...。やはりその代表は一番隊長、沖田総司(女優・金村美波サン)であろう。
本筋は、知られている史実をなぞるような展開であるが、その人としての生き様と集団・組織の中での立場による葛藤、その方向性の違いから袂を分かつ苦悩。信念に基づき不器用に生きる、その心情が表現豊かに演じられる。
公演は流れるようなスピード感と感情豊かな表現、その絶妙なバランスが素晴らしい。ラストは、主要な登場人物が揃って冥界で花火見物とシャレ込む...少し救われるシーンである。
最後に制作サイドへ、受付(5階)から場内(下手側のみ開放)に入るまでに時間がかかる。5階混雑のため、スタッフが1階でエレベーターを<開>延長のまま待機させ、延長ブザーが鳴り続ける。受付応対に工夫が必要だと思われた。
次回公演も楽しみにしております。
テノヒラサイズの人生大車輪'15
テノヒラサイズ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2015/12/22 (火) ~ 2015/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
初見…面白い
初見の劇団、すでに関西では実績があるという。その劇風は、独特の切り口でのスピーディなストーリー展開と印象深いキャラクター作りに定評ある座付作家が織りなすものらしい。チラシには「パフォーマンス・コメディ」と呼ばれ、この劇団の新スタイル演劇とある。奇跡の90分!と記しているが、実際は105分のコメディである。
この公演、2014年(第26回)池袋演劇祭大賞の劇団ショウダウンの鉾木章浩 氏の名が制作にあり、前評判も上々であり再々再演という。
その内容...結末からすると、物語に対して疑問も残るが、パフォーマスという観点から見れば肯ける。その思いは作・演出のオカモト國ヒコ 氏が当日パンフの挨拶文にある(句点はあるが、読点はない7行の長文)。
この演技(身体性)は、リアルをデフォルメしたような面白さがある。今回は劇団員5人にTVドラマの久野麻子サン(スイス銀行)、所属劇団の看板女優・榊菜津美サン(アマヤドリ)を迎えたという。その芝居は堪能できた。
ネタバレBOX
物語性を重視した場合、その結末から「何で」という疑問が残るシチュエーションである。何故か地下室で椅子に縛り付けられている、”男女7人冬物語”。その人達は、監禁される理由を認識しているようであり、触れられたくない過去を解き放つことで、共通した接点を探ろうとする。
それはジグソーパズルでピース(人)をはめていくような感じである。個々のピースの形は確かであるが、それを全体でみるとキッチリはまらない。人々のキャラクター、過去状況は鮮明であるが、それを組み合わせても釈然としない。その空白のような感覚を”余白”か”隙間”で捉えれば、”余裕”と”理屈”に分かれるかもしれない。ストーリーを重視すれば、隙間は理屈で埋めたくなる。しかし、この劇団の謳いは、「いろんな演劇スタイルを混在させたまま一つの作品」としている。敢えてのパフォーマンス劇。その演出...衣装は全員ツナギ、道具はパイプ椅子のみの素舞台。
この芝居の素晴らしいところは、それでも結末の方向によっては喜劇が悲劇(心療内科的)に変る可能性があること。そこに懐が広く深いものを感じる。案外、喜劇が奇劇で、悲劇が飛劇かもしれない。
出来れば、”パフォーマンス”という身体性で観(魅)せるだけではなく、そこに社会性などとあまり堅いことは言わないが、印象付くようなものがあると...。
梗概は、結末を含め、再々々再演があるかもしれないため割愛する。知りたければ劇場へ。
最後に、今回は出演していないが、劇団員の上野みどりサン始め、制作スタッフの対応が親切、丁寧であり気持よい。
次回公演を楽しみにしております。
水面に浮く花
teamキーチェーン
劇場HOPE(東京都)
2015/12/18 (金) ~ 2015/12/22 (火)公演終了
満足度★★★★
優しい...
全体を優しく慈愛に満ちた目で見ているような、そんな温かさを感じる公演である。当日パンフでも脚本・演出のAzuki女史が「日本の文化や日本人らしい気遣いや優しさ、絆が生む力。私はそれを感じる度に、この国に産まれて良かった。」と記している。この芝居を生んだのは間違いなく女史(他にスタッフ・キャストなど関係者の協力はもちろん)であろう。
今の世の中、自分のことしか考えない、家族の絆に疑問が、いやそれ以上に確執がという声も聞こえそうだ。女史の言葉に呼応するのであれば、この芝居は古き良き時代を ほうふつ とさせるような懐かしい日本の原風景を見るようだ。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央が畳部屋に丸卓袱台・箪笥、上手が玄関、格子戸の先に外の板塀が見える。下手は台所というイメージの通路。客席側は庭・縁台。その庭には小さな池がある。
梗概は、平均的な暮らしをしている5人家族(両親・兄弟・妹)、そこに見知らぬ男が訪ねてくる。実は二男は実子ではない。両親だけが知っており、本人も含め子供たちには話していない。同じ病院で出産した他の子(実母は事情により育てられない)。一方自分の子は死産したこともあり、引き取った。この男は、実母の再婚相手で、二男を引き取り新しい家庭を築きたいという。
さて、この家の母親が若年性認知症に...家族のことを忘れない、そして自分のことも忘れてほしくないと願う。先10年分の”忘れな草”の苗を届けてもらうよう手配済み。その花びらを子供の名前を呼びながら池に浮かべる、実に印象的なシーンである。チラシのデザインはこのイメージであろう。
人に対する慈しみに貫かれた世界観。実際の人間社会は醜く汚いものもある。それでも人に対する信頼を持ち続けることの先に希望が見える。
しかし、人間の醜さに目を瞑ってばかりもいられない。人は悪いことをするという前提に立ち、それを予防するために法律もある。悲観的な見方だけでは未来は見えない。人間は良い面、悪い面の両面から捉える必要があるのではないか。この世には絶対的な悪人、善人はいないのではないか。
そう考えた時、二男の思考、行動があまりに もの分りが良すぎる。悩みが深ければそれだけ芝居的にも奥行きができたと思う。
もう一つ気になることは、二男の件と母の認知症の話の関連性が見えないこと。なぜか違う話が別々にあり、違ったまま平行して展開したような感じである。
二男の件は家族の絆として捉え、(若年性)認知症はまさに医療の大問題であり、身近なところに大きな問題提起をする、その卓越したテーマ設定は素晴らしい。それだけにそのテーマがもう少し深いところで絡み合えば良かったと思う。
最後に、当日パンフに役名があると助かる。
次回公演を楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~VOL.4
昭和歌謡コメディ事務局
ブディストホール(東京都)
2015/12/17 (木) ~ 2015/12/20 (日)公演終了
満足度★★★
あぁ懐かしき青春時代...
笑福寺門前、築地 ソバ屋・寛兵衛が舞台...昭和の雰囲気が漂う劇場内。
第一部は夫婦(江藤博利と林寛子)で営むソバ屋での珍騒動。
第二部は昭和の歌謡ショーとして、当時の流行歌を歌う。最前列に”ひよこ隊”と呼ばれるファンの一団。黄色い法被を羽織、ペンライトを振り、テープを投げ、笛を吹く姿...その遠景には確かに青春時代が観えた。
自分が観た回のゲストは「城みちる」、本人の言葉を借りれば究極の一発屋とのこと。「イルカにのった少年」で42年間芸能人として活動してきたという。喋りも上手である。
さて、日本を始め世界の情勢について、自分なりの今年の一字は”危”である。そんな世相で、少しでも明るく楽しい公演、自分は堪能した。このようなドタバタコメディが上演できるのは平和であればこそ。この公演で元気をもらい、楽観的な気持で年越しをしたいものである。
『0<ゼロ>地点「つぎはぎだらけのヒーローズ」』
演劇企画ユニット劇団山本屋
笹塚ファクトリー(東京都)
2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
観応えあった【つぎはぎチーム】
公式な上演時間は2時間とあったが、実際は2時間20分ほどあった。しかし、その長さを感じさせない迫力のある公演であった。魅力は登場人物の見た目のビジュアル、その個性豊かなキャラクター設定とアクションにあると思う。ストーリーも少し分かり難い場面もあるが、全体的には重層的で最後まで飽きさせない。
タイトル通りヒーローは登場するが、その”つぎはぎ”の意味するところは...。映画にもなったが、”アンデス山脈から奇跡的に生還”を連想するような究極な選択における堕ヒーローが描かれる。設定状況は、劇中劇ならぬ映画撮影を通してという多重の観点を設け、時空間をも隔てる。登場人物(主人公の仲間)ごとの感情と現状を上手く描いており、キャラクターとその超能力が丁寧に明かされる。その観せ方は多彩であるがイメージしやすい。
ネタバレBOX
ヒーローのイメージが壊れるシーンは、映画「アンデスの聖餐」(1976年公開)、「生きてこそ」(1993年公開)を連想した。争いごとに終止符を打ったヒーロー、実は窮地の場面で人肉を食し生き延びた。その暴露ドキュメントを映像化しようとする監督・スタッフと真実は秘匿しておきたいヒーローメンバーとの攻防。その手段として超能力を駆使して記憶を摺りかえる、または消去するなど、観せ場となるシーンを演出する。
その観せる舞台は、中央に城門イメージ、両側に客席に向かって二階部から降りる階段がある。簡素なセットであるが、大勢によるオーバーアクションを行うには適している。そのあたりの計算は見事。
プロローグとエピローグを繋げるところは常套手法のようであり、それによって時空を越えさせる。舞台という額枠に映画撮影現場を持ち込み、大勢の人物描写と時空を跨ぐという、いろいろな仕掛けが後半では複雑になり、冗長に感じたところもある。しかし、構成、制作は丁寧で、観客(自分)の気を逸らさない。終盤は怒涛の如く事実が明らかになり、慟哭する姿が痛ましい。
演技は、アクションだけではなく、人物像(内面も含め)を確立するような熱演であった。できればエンターテイメントのような芝居にも、先の映画にあった普遍的な課題...自分と宗教等との向き合いが垣間見えると更に人間的な深みが増したかも(本公演は、ヒーローという”正義”に”好奇の目”を晒すだけに止まったようだ)。
次回公演も楽しみにしております。
ものがたり降る夜
ことのはbox
上野ストアハウス(東京都)
2015/12/16 (水) ~ 2015/12/21 (月)公演終了
満足度★★★★
行儀がよい性 【箱チ-ム】
この脚本は1999年6月に初公演されており、当時は世紀末の雰囲気が漂い、電子機器類を始めとして2000年問題の対応に追われていたことを思い出す。今から16年程前のことであるが、10年ひと昔という言葉からすれば、もう過去のこと。その時代状況(今でもか)において、大っぴらに語られることがない「性」のこと...。この公演の説明謳い文句でもある。
演出はオーソドックスで観客に観てもらう、という丁寧な描き方であるが突き抜け感が乏しいと思う。演出家・酒井菜月 女史から視た、もしくは感じている「性」は、愛らしく、優しく行儀が良いものかもしれない。
演技は、チーム「箱」にとって初日であったが、全体的にかたく物語の滑稽さが表現しきれていないのが残念であった。
上演時間2時間15分(途中休憩なし)
ネタバレBOX
公演の説明にもあるが、性に向き合った物語であり、「政治」は夜作られるというが、こちらの「性事」(多く)は夜営まれる。どちらも体制(勢)が重要である。
梗概は、売春行為を通じて性に向き合う若い女、夫の浮気に対する復讐のため、自分も男と性交を試みる中年女、この二人の女性はカウンセリングを受ける。その医師の紹介で山奥にある、とある場所へ行く。そこに民話研究会を名乗るメンバーも来て、「性」と「宗教」問題を民話に絡め、確認していくような作業が展開する。
この民話の件、差別用語について興味を持った。そう言えば、最近「うどんかるた」の一句「色白太め、まるで妻」が差別だとクレームが。難しい世の中だ。
現代日本人があまり話題にしない事柄(苦手?)を絡めて、サラッと表現する。性は、(表面的)愛に捉われることなく、もっと自由・開放的なものであると。一方、民話研究会を隠れ蓑にした新興宗教メンバーの活動は、当時のオウム真理教を示していることだろう。
地下鉄サリン事件から4年。その全容解明を目指している頃。一般的に宗教信仰の自由とその勧誘...信者にとってみれば、良かれと思って入信を勧めるが。
この「性」と「宗教」は、タブー視するわけではないが、大っぴらに会話することもない。現代日本人が苦手と思っている二大テーマを、民話に絡めて斜に諭す。そんな酒脱さが欲しい公演であった。初演時と時代状況が異なることから、その違いに力点を置いた演出があっても良かった。
最後に、冒頭のムーブメントが中途半端な動きに感じられた(初日だから?)。多くの人(世間)の中で、違和感を感じている個人...その表現が見えなかったのが少し残念であった。
次回公演を楽しみにしております。