愛、あるいは哀、それは相。 公演情報 TOKYOハンバーグ「愛、あるいは哀、それは相。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい!【ゲネプロ】
    東日本大震災から5年を経て、被災地を舞台に震災をテーマにした映画や小説が増えてきた。直後であれば現実味があるが、近視眼的になる。今であれば切実・切迫感は薄れるが、もう少し客観・巨視的に見られるようになるだろう。
    この公演は、再々演ということであるが、東日本大震災3.11を思い起こすには優れた内容である。少しずつ設定や演出を変えているが、その根幹は揺るがない。脚本・演出が優れていることは言うまでもないが、その描く内容に相まった舞台技術(照明や音響・音楽)が印象的であった。

    何をどうしたらよいのか、その出口はもちろん糸口さえも見えないようだ。その解決すべきことが人それぞれの思いと状況によって異なる。感情表現の言葉にすれば、悲しみ、嘆き、落胆であろうか。この作品は、被災した家族の心情を推し量り、葛藤や限界を感じて創っているという、作り手の心優しさが見えるところが素晴らしい。
    (上演時間1時間55分)

    ネタバレBOX

    東日本大震災で被災した人々の形態や状況は様々。そしてその人達の立場によって発せられる言葉は違う。この家族(初演は観ていないが再演時は姉妹という設定)は、親戚を頼り、伊勢市に身を寄せている。このように身を寄せる先がない人々もいることを説明する。

    舞台セットは、HOTLINEという喫茶店内...上手にカウンター、中央にテーブル席(1つは花札ゲーム盤)。その店内は細かいところまで細工が施されている。福島県相馬市から親戚を頼って引っ越してきた母、娘2人の家族。この被災者を中心に描いているが、実はこの家族を取り巻く人々を描くことで、この家族の在り様が浮かび上がるという巧みな演出がよい。所在無い家族を気遣う人々...例えば、例年であればこの喫茶店で賑々しく年明けイベントを行っているが、震災があった年越しは自粛するかどうか。家族にとってはどうしたら良いのか、元気付になるか、無神経と受け止められるか、その判断が難しいという。この公演のいたるところで、思いやることの難しさが垣間見える。また娘の高校生活を通して、放射能汚染に対する危惧について説明する。経済的な面も含めて、被災者に対する補償で生活している人々との対比。しかし、それは是非という短絡的な見方ではない。被災した方々の思いや生活状況などは様々であろう。少なくとも、人の感情と暮らしという両輪をしっかり見据え、飽くまで客観的に捉える。そこから観客が自分で考えるという、問いかけがされている。観客の受け止め方も違うだろう。人は自分が見てきた、または経験してきたことでしか現実を判断できないだろう。だから同じ社会に生きていても切実感は異なる。しかし、他者に対する痛みの感覚を無くした人間が、淡々と傍観者になっていることはできない、と自分は思う。

    日本は有数の地震発生国という。それゆえ天災と復興を繰り返す歴史の中で、災害慣れしているかも...。災厄に見舞われても”仕方がない”という諦めというか割り切りをする意識もあるのではないか。しかし、今回は地震という天災と放射能漏れという人災が重なっている。この後者の影響により復興が進まないばかりか、将来に対する不安を払拭できない。

    震災年(2011.3.11)を軸に、当時は社会をよりよくしたいという雰囲気があったが、災害時だけのユートピア幻想にしてはならない。そういう意味では、再々演ということであるが、何回も繰り返し上演してほしい公演である。

    脚本が優れているのは、この土地の伝統、それも遷宮という行事を通して家族への思い遣りを描くところ。日本の良き伝統・風習が、お仕着せの励ましではなく、この地で暮らしていく家族への繋がりが見えてくること。この木遣りの伝承を、役者陣がしっかり演じていた。登場人物のキャラクターがしっかり立ち上がり、実に自然体である。

    そして舞台技術の音響は、冒頭の地響き・轟音を始め、素晴らしい音響効果。照明は、季節感(例えば雪景色、春桜舞い)がしっかり出ており、時の移り変わりが体現できるようだ。そして全体的に余韻と印象をしっかり残す見事なもの。

    できれば、震災直後の描きとともに、5年経過しても復興の道は険しいと思う。その思いを描いた続編的な内容を描いてほしいような...。

    次回公演を楽しみにしております。

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    2016/03/30 17:06

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