第16回公演『大人』
劇団天然ポリエステル
中野スタジオあくとれ(東京都)
2016/06/30 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★
パワフル!
劇団の内情を暴露する内輪話...のような気もするが、この芝居の魅力は圧倒的なパワーで観(魅)せること。劇団「寂し部」、小さな売れない貧乏小劇団であり、そこに巣食う個性豊かな人々...。舞台中央には、長テーブルと椅子3脚。そこに「書かざる者、飲むべからず!」という張り紙が...。もちろん劇中シーンを意識していることは明白である。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、どう表現するか困るような散らかり方。この劇団「寂し部」の事務所であろうことは容易に想像できるが、先に記したテーブル以外に主だった道具は、上手にソファー、下手に冷蔵庫や障子衝立がある。それ以外が小物、過去公演ポスターなどが乱雑に配置されているようだが...。実は劇中でさらにメチャクチャにするが、その意味では計算した配置であろう。
梗概、劇団「寂し部」と劇団「ピリオド」の時代を超え、次元も異なるヒューマンドラマか。
伝説の劇団「ピリオド」の未完の台本と、それを大事に持っている同劇団の看板女優・明里(碧さやかサン)が、劇団「寂し部」へ迷い込む。「ピリオド」では、七夕を題材にロマンチックな芝居を上演する予定であった。しかし思うように筆が進まない。そのうち劇団内での恋愛話が拗れて...。そして迷い込んだ女優・明里の正体とは...。
典型的なドタバタコメディであるが、そこは緻密かつパワーで物語を大いに盛り上げ、自称ガラクタ集団という「寂し部」がいつの間にか「癒し部」になったようでホッコリする。書けない理屈派の「ピリオド」脚本家・雲居秋人(萬谷法英サン)と、書きたくない無頼(天才)肌の「寂し部」脚本家・柳映見(やんえみ サン)の競作場面が面白い。制作の苦労が滲み出ているが、そのマイナー思考とも思える場面を簡単に乗り越え、観ている人に元気を与える。その観(魅)せる工夫が、事務所内(パソコンの投棄、水噴射など)をメチャクチャにすることで、劇中シーンと観客の鬱憤を晴らすような...そんなシンクロを感じる。
演劇ってなんだ、という崇高なテーマが根底にあるようだが...。
いずれにしても役者の演技?力は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
エピローグに栞を
B.LET’S
ゆうど(東京都)
2016/06/30 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★
ゲネプロ拝見
ありふれた日常生活が、立てかけた栞の日めくりを通してゆっくり紡ぐられる珠玉な芝居。舞台となるのは関西にある古い家という設定である。その雰囲気をこの会場...古民家「ゆうど」はぴったりと調和する。本当に味わい深い芝居を観た、濃密な感興である。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
ゆうど...目白駅にほど近くにありながら、清閑な環境下にある古民家。場内は、座布団席と椅子席。下手に庭があるような座席。 テーブル、座布団、縁畳...その居間を舞台に、15年ぶりに娘と孫娘が帰ってくる。その家には老人となった父の姿と孫娘と変わらない女性が同居している。
父と娘の間は確執があるようだが、その内容がはっきりしない。娘が家を出た理由もそこにあるようだが、その輪郭を描くこともなく、淡々と物語は展開する。芝居は冒頭、脚本・演出の滝本祥生 女史の「小説家をゲストに招いている」という前説から始まるが、この件は既に芝居の導入へ。
劇仲の(祖母・母・娘)の3役を演じる中村優里サンがストリーテラー的な役割を演じる。そして冒頭ゲストとして登場する小説家は、もちろんこの方である。
この家に出入りしている近所の酒蔵・福田慎二郎(大田康太郎サン)の役割が掴みかねたが、この人物が重要な伏線であるようだ。
さて、娘と孫娘が帰ってきて父(祖父)に提案したのが、「遺書」を書くこと。映画「エンディングノート」(砂田麻美監督 2011年公開)を思い出した。それは死期近い父の姿を映像にする。本公演では死期が迫っているわけではない(ラストでは亡くなるが...)。単に小説の題材のようでもあり、15年の空白を埋める、それ以上に父娘の間で知らないことの理解をするという建前か本音が曖昧な理屈が並べられる。結局書き始めるが...。
この父は、地酒を全国の商店に卸す仕事を生き甲斐にしていた。その結果、全国に地酒が普及したという。社会的には功があったようだが、家庭は顧みず母の死にも悔悟するような振る舞いがあったようだ。この父と娘の拗れた想いが氷解するようであるが、それぞれの当時の苦しい胸の内がもう少し表現できていれば、感動の度合いが違ったかもしれない。
「遺書」という言葉への抵抗感、「生き様」のようなイメージで小説ネタにしたい娘。実の父娘、そして孫娘の関係が痛々しく、それでいてホッコリする関係が垣間見える。この身近で知っているようで、一方、面倒で疎ましくも感じる家族関係が実に上手く表現される。淡々とした日常、そこに確執・葛藤・嫉妬などの荒ぶる感情が...蠢く。
この感情を体現する役者の演技は、キャラクターを立ち上げバランスも良かった。なお、ゲネプロということもあり、少し緊張があったかもしれない。
B.LET’Sでは初めての古民家公演。音楽はアコースティックギターで生演奏、本当に素晴らしいひと時を過ごすことが出来た。
次回公演も楽しみにしております。
CRANK UP
PLAN N
シアター風姿花伝(東京都)
2016/06/29 (水) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
運営面で難あり
初見の演劇ユニット(劇団ではないという)の初日公演。芝居は面白かったが、運営面で残念なことがあった。観客マナーの悪さと主催側の対応の拙さが気になった。あまり運営面は書き込まないが、今回は危機管理が絡む。
上演時間近くに入場した人が、通路最前列に椅子を置き観劇していた。実質一番観やすい席となるが、そこは通路である。非常時の際の避難通路として確保しておくもの。客とは言え、主催者はしっかり断る等の対応をすべきである。この危機管理の甘さと他の観客(自分も含め)の心証を悪くしたと思う。
芝居は先に書いたとおり面白い。それは映画製作に関わる若者の群像劇で、等身大と思えるような清々しい印象を受けた。
芝居は★4である。
(上演時間2時間15分)
ネタバレBOX
過去・現在・未来のパラレルワールド...そのキーワードに示される観せ方は、演劇(映画も同様)手法としてはよく見かけるもの。しかし、少し捻りもあり凝った作りになっており、最後まで飽きさせない。それだけ緩急あるテンポとキャラクターを立ち上げた役者の演技力が素晴らしい。
舞台セットは、中央に回転する盆舞台。後方には左右非対象の階段状のスペース。それを囲うようにパイプの組み合わせ。イメージは廃墟、工事現場といったところ。このセットは後々印象深くなる。
大学の卒業映画製作を通じて描かれるドラマ。製作することができるのは1本、企画は同期2人(百瀬亮役・沼田星麻サン、鈴井直也役・吉田朋弘サン)が持っているが、結局1本に絞込み撮影を開始。多少のギクシャクを残しつつも順調に進んでいた撮影終盤に事故が...。撮影は中断し、映画は未完成のまま3年が経過した。その間に仲間はそれぞれの道へ。
何とか完成させたいと、撮影を再開させようとするが、問題が山積する。
芝居の構成は映画のカットバックのようである。過去シーンを現実(病室)で丁寧に重ね合わせるが、ほとんどを再現させているようでぐどく感じる。パラレルワールドの世界観を表現したい気持は解るが、1~2シーンの回想に止め、イメージを伝えるだけでも十分ではないか。
病室(カーテンを映写用の幕に転用する)での上映会。未完成の映像、そこには公園か広場が映し出される。先の舞台セットがパイプ等の無機質であること、その撮影現場は緑葉に光輝く自然豊かな場所であったという、その対比もよく考えている。芝居としては、伏線も巡らせ、構成も緻密にし観せようと工夫している。
ラスト...病室の見舞いに「フリージア」の花が...その色は黄色っぽい。その花言葉「無邪気」はこの映画製作に携わった人々そのもの。
次回公演を楽しみにしております。
読書劇『二十歳の原点 2016』
オフィス再生
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2016/06/24 (金) ~ 2016/06/25 (土)公演終了
満足度★★★★★
素晴らしいの一言!
「二十歳の原点」(にじゅっさいのげんてん)の作者、高野悦子さんの命日にあわせた公演...4年前に発表し大きな反響を得たという。自分は初見であるが、本当に見事な公演であった。
某雑誌の紹介で観させていただいたが、当日は13名の観客。実に贅沢であることの感謝と同時に、もっと多くの方に観てほしいという気持が...。
2017年は京都でも公演を、そんな話をされていた。50年近く前の「時代」のことであるが、今でも何か投げかけてくるものがある。
ネタバレBOX
上手と下手にそれぞれ電気スタンドやウィスキー瓶などが置かれた机と椅子が置かれている。床には日記の文章を書いた布が全面に敷かれている。
両方の机に女性が座り、上手側の女性が万年筆を手にノートに文字を書き込む。同時に下手側の女性が朗読を始める。日記を付け始めた1969年1月2日(20歳の誕生日:大学2年)には「慣らされる人間でなく、創造する人間になりたい」との決心が記される。この「二十歳の原点」が内省するのに対し、大学に入るまでの「二十歳の原点ノート」はなんと瑞々しいことか。そこには学校生活(部活も含め)が生き活きと書かれていたと記憶している。
公演...体の背面に無数の赤い紐糸をつけた2人の女性と、その長い紐糸の一方の端を両手の指先に結びつけた2人の男性が登場する。女の動きはあたかも男が糸によって操っているかのようだ。その1人の男は「時代-1969年」、もう1人の男は高野と刻まれた「万年筆」である。そこには時代という運命の中にいる本人。一方はその時代のいる自身を見つめている。そこに緊密な関係がある。
男は日記のそれぞれの日の背景となったトピックを語り、机の女は、悦子の日記が読み上げる。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という有名な一節が書かれている。
日記は第一志望であった立命館大学での学生生活を中心に、理想の自己像と現実の自分の姿とのギャップ、学生運動、人間関係での葛藤と挫折、生と死の間で揺れ動く心などが綴られている。それは悦子が山陰本線で貨物列車に飛込み自殺する2日前まで続くのだが、途中から男により「自殺まであと○日」とカウントダウンが始まり緊張感が高鳴る。
そして強烈な印象を与えるのが挿話した、三島由紀夫が防衛庁で割腹自殺する直前の檄である。
終盤、2人の男が壁に立てかけられていたビニール傘を広げ、舞台にそれを投げ入れる。そのビニール傘に照明が複雑に反射する。また上手側に花火のような点滅照明も効果的であった。
“読書劇”であるが、聴覚だけでなく視覚にも訴え、若者の死に至る心の過程を圧倒的な緊張・緊密感で描く舞台、見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
パラサイトパラダイス
ワンツーワークス
ザ・ポケット(東京都)
2016/06/23 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
現代社会への問題提起
「衣・食・住」を「医・職・銃(住)」という現代の課題要素に置き換えて、さらに男女という性別の視点、老若という世代の違いという観点を複層させて観せる巧みさ。その描く対象は、集団としては最小の「家族」の単位で描く。
今回公演のメインは住居...「ひとつ屋根の下に暮らす意味って何? シニカルに描く『共依存する家族』の日常」 をユーモアを交えているが、その問題提起が鋭い。家庭内での部屋割りを巡り喧々諤々する家族。住居内別居、思いがけなく味わう解放感が得られる。一方どことなく遠のいていく互いの気持ち。家族の絆は、案外部屋という空間によって繋がりあっているのかも知れない。それが次々暴露していくような...。
ネタバレBOX
舞台セットはパイプを組み合わせた建築現場のような二階家。一階中央は「高見家」のリビングルーム、奥にはキッチンが見える。二階は3部屋、上手側から大学中退の息子、専業主婦の母、キャリアウーマンの娘と同棲相手が使用している。それに書斎(サラリーマンの父が使用)の3LDKの間取り。ワンツーワークスの舞台セットは、空間処理が巧く造作されている。その空間が家族の危うい繋がりをイメージしているようだ。
梗概…母の母、父の父が同居することになり、大騒ぎの末の家族会議の遣り取りが面白い。手狭と思っていた時が懐かしく思える時期がくる。「存・在」が「空・虚」になった時の気持ち。部屋割りの難しさ、その選択を迫られながら、奇妙な連帯感が感じられる。物語が進むにつれて、独居老人(隣人)の健康・医療の問題も透けて見える(サプリメントの常用)。そして終日、壁に向っての独り言。
また職業について、大学中退の息子の職業観は父やその父(祖父)の額に汗という時代感覚とは隔世の感といったところ。引き篭もりと思えて、実は起業へ向けて準備している。
また男女という性別による視点が鋭い。男らしさ、女らしさという「~らしさ」という刷り込まれた意識、そこに内在する役割分担への疑問も投げかける。男は外で仕事、女は専業主婦で家庭を守るという固定観念を、その独特な表現(男=股を開き、威張るような仕草、女=股を閉じ、従順な姿)をコミカルに演じる。演技は安定しておりバランスも良い。物語をしっかり体現しており、安心して観ていられる。
自室だから自由・幸せという発想が、逆に自由だからシビアな状況になることもある。自由であるが自分で選択しなければならない、いわば自分の運命は自分で決めることになる。自由であるがゆえ心が萎縮し自由の中で孤立を感じることもある。「~らしさ」という意識も不自由にしている。
その葛藤の先に自立と夢に向かう姿が観える、そんな見事な芝居であった。
次回公演を楽しみにしております。
ロミオとジュリエット
劇団新和座
要町アトリエ第七秘密基地(東京都)
2016/06/24 (金) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★
もう少し観(魅)せる工夫があれば...
国はもちろん、当時とは社会・政治状況が違うにも関わらず、今でも世界中で繰り返し上演される有名な物語。表現はふさわしくないが、この手垢のついたような物語は今でも多くの人を魅了する。表層的には、家同士の確執や大人の思惑を越えて男女の悲劇的な純愛が心に響く。そこには時代や場所が違っても普遍的な「愛」を感じるからではないだろうか。本公演では、その描きが弱いような...。
ネタバレBOX
ほぼ素舞台。暗幕で囲い、正面と上手にレンガ城壁をイメージさせるオブジェがある。決闘シーン等もあり、中央スペースに空間を確保している。
有名な物語であるが、梗概は次のとおり。
14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。当時、宗教問題からモンタギュー家とキャピュレット家も熾烈な抗争が繰り広げられていた。モンタギュー家の一人息子ロミオは、あるパーティでキャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会うい、二人はたちまち恋におちてしまう。仇敵同士の息子と娘であったが、両家の争いも二人の恋を止めることはできない。僧ロレンスの元で秘かに永久の愛を誓い合った。
その後、ロミオは親友・マキューシオを殺されたことに逆上し、キャピュレット夫人の甥であるティボルトを殺す。そしてヴェローナの女王エスカラスは、ロミオを追放の罪に処した。そこでロミオとジュリエットは...。
この公演の特徴の1つが、男女の純愛にも関わらず、キャスト全員が女性である。その観せ方は他の劇団でも行い、目新しさはない。新和座は神話や古典劇を得意としているだけに興味深く観た。単に古い作品というだけではなく、古典(名作)としてその地位を築いているが、本公演ではその魅力が表現仕切れていないと思う。
第1に、家同士の確執・抗争が見て取れない。そこから派生する人の争いにも必然性が感じられない。その場の台詞の説明だけで背景や状況が浮かび上がらない。
第2に、大人たち(モンタギュー家・キャピュレット家)と、ロミオとジュリエットという若者(13~14歳)の間の感情のズレのようなものも見えない。男女の一般的な「愛」という点だけ捉えても、歓喜・苦悩・絶望などの感情(表現)が乏しく2人の関係が美しくも悲しい物語として描かれていない。そして、物語の展開に合わせたメリハリのあるテンポが...全体的に一本調子のような流れ。
第3に、見た目の違和感として、キャストの体格差。全員女性であってもそこには容姿(外見)の違いがあることは否定できない。その観(魅)せるところにも配慮や工夫があると良かった。
それでも若さ溢れる演技、生き活きとしており、その面では楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
脱出前夜
The Stone Age ブライアント
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/06/22 (水) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★★
儚い夢か...
場内に入るとしっかりした舞台セット。そこで展開される物語に期待・気持が高鳴る。「脱出前夜」という意味深なタイトル...多くの人が感じ持っている気持かも...。その表現は少しイラッとさせる。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
まず舞台美術が素晴らしい。駅舎ホームかと思っていたが、そこはバス待合所。建設途中で途切れている線路、いずれ鉄道を通したいという。そのホームのようなところの柵うしろ...上手奥にはアパートの窓。下手は待合ベンチ、伝言板や時刻表が掲げられている。冒頭はアジサイ。中盤に桜など季節感を出している。
物語はアジサイ咲く6月某日...豪雨(音響)が印象的であった。物語は同年の桜が咲く時期に遡る。伝言板には3月23日と記される。そして1年後のアジサイが咲く時期を迎える。当日パンフにも記されているが、3日間の物語である。
長距離トラックの運転手だった男・若竹時生(アフリカン寺越サン)とその恋人・石月薫(土屋咲登子サン)が主人公である。二人はアパート二階で同棲しているが、最近気持ちにズレが生じてきているような。時生は小説家を目指し、習作に励んでいるような...一方才能に見切りを付けているような節も見受けられる。そんな中途半端な気持ちを察して、薫はイラツキ心配もしている。この二人を中心にアパート大家、バス会社の社員などが絡む。
生き甲斐を見つけ、それに向かって進む気持、そこには才能という見えない自身の壁が描かれる。その悶々とした気持とそれを処理できない苛立ちが見える。それが優柔不断のようであり、うまく アフリカン寺越サン が演じている。それに呼応するかのような土屋咲登子サンの演技も迫真。
実際、自分の”やりたい事が出来た”と言える人が何人いるだろうか。例えば仕事にしても後から辻褄あわせで、やりたかった事と刷り込ませているかもしれない。本作でも夢を叶えた人・リハビリ学校の教師、夢を諦めて、詐欺まがいの営業をしている人。悲喜こもごもの人生模様が垣間見える。この物語の結末はハッキリしないし、させない。敢えて観客に委ねたような…。
自分では、敷かれたレールに乗る(冷徹に俯瞰する)こともあるが、途中で途切れた先を自分で敷設して行くことを望みたい。劇中にある、「辛い」と言う一線(一筆加え)を越えたところに「幸」があると言っていたのだから。
次回公演を楽しみにしております。
ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売)
Toshizoプロデュース
中野スタジオあくとれ(東京都)
2016/06/24 (金) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★
状況・場面が動かないような...
改めて芝居を観る位置(座席)の重要性を知った。説明にあるとおり、 築80年以上経つ数寄屋造りの家をゲストハウスとし、そこでの出来事を素舞台、パントマイムで表現する。実力ある劇団という印象である。
自分は和室(座敷)で座わるシーンが多くなると思い、最前列で観ることにした(この劇場で座わるシーンだと後方客席では観えないか)。その位置(目線)からは、パントマイムでの仕草がしっかり観ることが出来たが、それによって大切なことを見落としていた。
まさしく「木を見て森を観ていなかった」と思う。その意味で少し勿体なかった。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台に木椅子4脚。それを状況場面に応じて移動させる。
ゲストハウスという建屋での人間(ゲスト)模様である。動かない家屋の中での物語は、人が動かすことになる。その状況の変化なり盛り上がりが観えなかった。敢て古民家という設定にする必要があったのだろうか。例えば、北海道から来ているゲスト・宇内博子(白須陽子サン)の苦悩は、ゲストハウスとは別の山崎邸で吐露する。
ゲストハウスそれ自体を問題にしても良かったのでは...。
例えば、劇中にもあったゲストの深夜での行為など、近隣から苦情が寄せられていた。新聞などで、民泊に関する記事を目にする。外国観光客への有用性、一方近隣との関係や行政許認可などの課題も聞く。またはゲストの国情、慣習の違いなども面白い。広い敷地や古美術だけではなく、”数寄屋造りの ゲストハウス”という謳い文句の内容が見えてもよかったと思う。
シチュエーションが固定した(本公演では家)ものではなく、状況が変化するようなものであれば、その出来事が変化し空気や距離感も動く。そこにパントマイムというこの劇団の売りも生き活きと表現できると思う。本作は自分の目線がパントマイムという動作に捉われ、芝居全体を見ていなかったかもしれないが、森に風が吹かず木がなびかないため、観客(自分)の心も揺れなかった。
その理由は、場面転換ごとの暗転が多く、集中力を保つのが難しかったこと。そしてパントマイムは、自分の座ったのと同じ目線(高さ)で観ることになり、役者の表現の違いが気になったこと。例えば、テーブルに茶碗・皿を置く高さが異なる。椅子の背もたれが一定の目安に演技していたと思うが、近くで見ているためその高低差という些細な点(もっともセールポイントだったと思う)に注視してしまった。
また、個々の役者の演技力は確かなものを感じるが、一方、妙な距離感もあり、白々しさが感じられる。この芝居で自然体なのは近所に住む山崎夫婦(藤原稔三サン、重松愛子サン)。
本公演、改めて”観る”ことの大切さを痛感した。
次回公演を楽しみにしております。
シェイクスピアの子供達とラビリンスな家族たち
劇団東京ドラマハウス
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/06/23 (木) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
凝った作りのような...【星チ-ム】
架空と現実のラビリンス(迷路)の物語であるという。その設定は、公演に向けてシェイクスピアの「リア王」の稽古に闖入者が...。そして稽古中にも関わらず、独自の演劇論が繰り出される。この突然入ってきた四人家族の正体とは、そして彼らの真の目的とは何か。
初見の劇団公演であるが、この迷路、迷い込んだら病みつきになるかも...。
(上演時間2時間弱)
ネタバレBOX
典型的な劇中劇である。その構成は多重になっており、物語の進展は漂流するが如くあちらこちらに行くが、ラストはある程度予測がつく。予定調和のような気もするが、それまでに描かれる過程が面白い。
セットは、舞台周りにレンガ状の通路。中央は段差があり、そこに演台を設置してある。また高さのある2つの衝立が、演台の左右にある。その柄は縦に白黒の交互模様。何となく鯨幕を想起させる。場面によって、その衝立を反転させ、違う絵柄が現れる。この情景変化は、舞台美術の制作に関する注文が発せられ、その力量が試されるという、劇中演出であることを示す。
梗概は、先に記した「リア王」の稽古中に四人家族が突然入ってきて、自分たちの物語の結末を教えてほしいという。この者達の素性、目的などが不明のまま。そして稽古は中断し、この家族の一人ひとりからドラマが語られる。その複雑な家族構成、心の闇、愛憎・嫉妬など、まさしく心のラビリンス。
話はいつの間にか、この四人家族が自分(稽古中の演出家)の実家族へすり替わる。いつの間にか青森・津軽弁で語りだす、演出家の生い立ち。四人家族にいる息子の咳、演出家自身の咳がシンクロして同一人物であることは想像がつく。この演出家の姿...どうしても太宰治を想起してしまう。稽古劇は「リア王」であるが、ハムレットの有名な台詞も飛び出す。そぅ「To be,or not to be, the question」である。太宰の生まれ故郷、作品「新ハムレット」を連想する。全体を支配する演出は、法廷劇から家族ドラマへ変容する。
この稽古..「.リア王」の役イメージを巡り議論している最中。いったん20分間の休憩を入れるが...演出家の夢想における深層心理のようなラビリンス。この家族の正体、セットの鯨幕が象徴している。
役者の大仰な演技は、劇中稽古のイメージ。しっかりキャラクターが立ち上がってくる。その役者陣のバランスも良く、最後まで緊張感(途中まではサスペンス風)を保ち、観(魅)せてくれた。
この公演、シェイクスピアに魅せられた演劇人...「シェイクスピアの子供達」を導入にしており、「迷宮(ラビリンス)な家族たち」が掻き回す。いや書き回している。当日パンフには、作・演出の井口成人 氏がデザインのことについて書いている。チラシの絵は三階建に見える建物もよく見ると二階建という。あれ、自分では導入稽古中、闖入劇、実家族という三階建(構成)と思っていたのだが...。自分としては、”二階建と見るか、三階建とみるか”、それが問題だ。
次回公演も楽しみにしております。
震~忘れない~
Unstoppable Film
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/01/20 (水) ~ 2016/01/24 (日)公演終了
満足度★★★★
ドキュメンタリー風
東日本大震災から5年、改めて地震・津波の天災とそれに伴う人災を問う。ドキュメンタリー的手法のような公演であった。それは既にTV映像や新聞報道で既視し、または既報された出来事をいくつか挿話として繋げているように思う。
創作劇としての物語ではなく、当時起こった、またはそれに起因した出来事を描いているが、その展開は系統・時系列のように整理はしていない。その場面、シーンの不連続な重なりが各所で起きている出来事の臨場感と現実感を生んでいるが...。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
冒頭の地震・津波による轟流・轟音はすごい迫力があった。この物語の緊張感は、このシーンで掴み全体イメージを形成した。そして起因した出来事を踏まえた上で、そこから生じた問題を色々な立場や観点から描く。1つ1つの出来事は、エピソードのようになるため冒頭の掴みが重要になっている。
その描き方であるが、5年の歳月を経ていても悲惨さは直ぐに実感してしまう。もっと言えば5年を経ても...この間に何(復興の進捗)をやってきたのだろうという思いを強くする。それだけに感情ではなく客観的に描くことで、今の現状が浮かび上がる。そこに今、この公演を行う価値があった。
一方、人災(原発)は、人の利害、行政の思惑など色々な要素...背景・状況などが錯綜し、制作者として第三者的な言動は炯々には言えないだろう。さもしたり顔したとしても当事者の心情に響かないし、芝居を観るている観客の心魂を揺さぶらない。
ドキュメントにすることで事実(または類似)の重みが伝わる。そうすることで「原発事故」は日本人全体との問題、「福島の人は大変」などという他人事にならない。観客が自分のことのように考えてもらう工夫のようなものがある。
マスメディアからの情報はもちろん、取材もしているのではないだろうか。
架空の出来事ではなく、実際起きたこと。同じ時代に生きても、その体験、視たことがなければその痛み・悲しみが見えないし共有することもできない。
物語は十分、その魅力を惹きつけるが、やはり展開が細切れのような...。
もう少し創作...感動的シーン(はぐれた子供との再会も早く、その心配する様子も平面的)を(魅せるため)盛り込んでも良かったと思うと、少し勿体無い公演になった。
舞台美術、音響・照明という技術は素晴らしく、物語の重厚さを増す役割を果していた。
次回公演を楽しみにしております。
ショカの恋文
カリバネボタン
萬劇場(東京都)
2016/06/22 (水) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★
時代背景が錯綜する
説明文によれば、奈良時代から平安時代の平城天皇・嵯峨天皇兄弟。 『薬子の変』で争ったのは何故か。
古代中国の殷の王子 子昭は病を治す旅に出て、恋した女に心を伝えるため彼は漢字を発明し続けるのは何故か。
書道ガール 鈴里蛍が出会った盲目の青年 明。 盲目の彼に書道家トゥクドゥスーウンの作品が見えるのは何故か。
この三つの時代を 佐伯真魚と橘逸勢が繋げる。
時空間移動が繰り返されるが、それが分かり難くいようにも...。
しかし、書...特に「漢字」にまつわるエピーソードが面白く描かれる。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)
劇団の要望もあり、ネタバレに関することは26日以降公開します。
AOI NO UE 葵上 TOMOE 巴
(有)Yプロジェクト
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2016/06/22 (水) ~ 2016/06/24 (金)公演終了
満足度★★★★
今を捉えた内容
「AOI NO UE 葵上」と「TOMOE 巴」の2部構成であるが、その底流には共通した現代の問題が描かれている。両方観ると分かるが、葵上だけだと、そのタイトルから源氏物語そのものを想起する。確かにその描きが濃いが、あくまで現代、それも今を捉えたものである。
テーマは明確であり、それを印象的に描くという演出の工夫が観られるが、少し中途半端な感じもする。それでも物語に強い牽引力があり、最後まで飽きさせない。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、三間四方の正方形の舞台。その角には柱、客席正面奥には囃子方(能管、小鼓、ピアノ)、上手にコロス(地謡合唱隊)。下手には、あの世とこの世を結ぶ橋掛かりの通路がある。
「AOI NO UE 葵上」...新興宗教「光の源」は信者を増やし、国政にも影響を及ぼす。教祖、光(ひかる)の正妻葵(あおい)は懐妊したが、子宮に重度疾病が見つかり余命宣告がされる。呪術使いの巫女によれば、そこには六条(光の愛人)の生霊が見え、その霊を退治する。そこに表れた真の姿は...。
源氏物語「葵上」が材か。
「TOMOE 巴」...選挙を控え、憲法改正・悪論議、特に憲法9条 自衛隊のあり方が選挙の争点。そんな時期、墓参り愛好家(墓マイラー)達による有名人の墓地巡り。そこに現れる三島義仲(由紀夫)の愛人(男)の亡霊が現れ、自衛隊市谷駐屯地での三島割腹自殺の光景。義仲と最期を共に出来なかった恨み言...。
能「巴」が材...木曽義仲の愛人にして女武者
「AOI NO UE 葵上」と「TOMOE 巴」の間に狂言回しならぬ、現代漫才が挿入される。
両方の底流にある現代の政治(社会)問題への問いかけ。そのテーマは明確であり、それを能楽×現代劇×音楽劇として魅せる。古代の物語を現代に置き換えて...そこには少しの融合、融和も見られない、中途半端な感じがした。
古代の物語の部分は能楽...その夢幻能であるが、現代シーンでそれを行うと違和感がある。また能面も上部分(目鼻)だけを覆うもの。音楽は和楽器と洋楽(ピアノ)の音質の違いもあり調和していないと思う。「AOI NO UE 葵上」も「TOMOE 巴」も、それどれの描きの中で「古代」と「現代」を区別し、別々に描いている。それゆえ分離した印象であり、その演出のために能楽と現代劇をあてがうようだ。そしてその音楽も古代=和楽、現代=ピアノのような。もっと古代、現代を融和してモチーフが垣間見える程度でも良かったと思う。
しかし試みは面白く、違和感を感じつつも飽きることはない。逆に物語の展開に興味津々、楽しめる。その意味でなんとも不思議な公演であった。まさしく”現代能楽劇”なのかもしれない。それを体現した役者陣の演技は見事。
次回公演を楽しみにしております。
ギンノキヲク2
演劇制作体V-NET
TACCS1179(東京都)
2016/06/15 (水) ~ 2016/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★
トータルバランスに優れているが...【Bチーム】
介護をモチーフにしているが、それはあくまで生活の一部を切り取るようで、施設で通じ合うことの本質を自然と感じる。それゆえ重くならない、という描きに希望が観える。
プロローグからエピローグへ、その完結する話の展開は手馴れたもの。誰もがいつか世話になるかもしれない、そんな高齢者施設...特別養護老人ホーム「紀陽の里」での心温まるドラマ。
前回は、ラビット番長公演として観たが、今回は演劇制作体V-NETとして上演している。内容的には変わらないが、演出に工夫が凝らしてある。しかし、その点が少し気になるが...。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、基本的には変わらない。特別養護老人ホーム「紀陽の里」の事務所。そこは段差を設けて少し高い。その事務所を真ん中に、上手・下手に紗幕で蔽われた異空間をイメージするスペース。事務所内は、机、椅子、パソコン等の事務用品などが配置されている。その全て横に並んだ作りは観客を意識したもので、映画「家族ゲーム」(1983年 森田芳光監督)の食卓風景そのもの。
梗概は、この「紀陽の里」での人間模様が中心。さて、毎回このホームではレクリエーションが披露され、それが物語に彩りをつけている。今回は漫才、アイドル、そして落語である。メインはプロローグで演じた落語「芝浜」(「唐茄子屋政談」も面白い)であろう。先に記した演出の工夫というのは、この落語(高座)を演じている最中に脳梗塞で倒れ半身不随...そしてホームへ入所しているところへ繋がる。
その師匠の息子であり弟子がこのホームで働いている。落語修行の途中で芸人としてTV話題になったが、それも一時期のこと。一発芸人として、「今あの人は」という追跡番組で取り上げられるか。この「落語」がプロローグからエピローグで完結し、その観せ方はさすがに巧い。
気になるのは、この「落語」はレクリエーションの出し物、そこでの人間模様も脇筋ではないだろうか。自分では、ホームでの高齢者(利用者)または職員の視座からの話が本筋で、そこで巻き起こる泣き、笑いがこの公演を支えていると思うのだが...。本公演では、確かに訪問介護先での対応の難しさ、徘徊への対応という利用者の描き、一方ホームの経営事情、職員の労働条件の悪さも説明される。
それでも、脇筋は本筋のテーマなりを暈けさせるようだ。チラシ--介護で人を笑顔に出来るのか?--「老人介護」というテーマに真っ向勝負を挑み、介護する人、これから向き合うことになる人に共感してもらえるエンターテイメント作なのだから。本・脇筋のトータルバランスは良い。そこに少し軽重をつけてほしい。
それでも、この脚(本)は素晴らしい。そういえば落語ネタのところで、薄毛髪で弄っていたが、そうなった理由は「神(髪)に召された」とか。自分は「紙(本)に魅せられた」といった満足感を得た。何しろ髪は1本1本が大切だが、こちらの紙も1本1本が勝負。
次回公演を楽しみにしております。
COLORS
天才劇団バカバッカ
吉祥寺シアター(東京都)
2016/06/10 (金) ~ 2016/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★
現代的テーマが...
現代的なテーマをコミカルに描きながらも、その内容はシュールで心に響く。多くの人に理解できるような、もしくはしてもらうような...行政の啓蒙劇のような感じもしたが...。なにしろ「市議会から様々なマイノリティを加入させるよう 指示されたことから巻き起こる大騒動」なのだから。
この吉祥寺シアターがある武蔵野市はもちろん、いくつかの市区で”LGBT”に積極的に取り組んでいる。例えば、中央線沿線の国立市では、庁内で実施したLGBT研修を受けた職員が「LGBTバッチ」を着用しているとの新聞報道があったほどだ。
タイトル「COLORS」は、色々な意味で「共生」を表すのだろうか。
ネタバレBOX
マイノリティといっても様々な方がいる。その描き方は小市民感覚から壮大な世界...その先の大きさまで包含した描き方である。芝居的にツッコミどころはあるだろうが、卑小なことに捉われず、その底流にあるテーマなりを楽しみ、考えたい。
舞台美術は中央に映像が映し出されるが、あくまでイメージのみ。そして舞台上は陸橋のような階段を真ん中で断ち、それぞれの片側階段を可動させる。またシーンによって部屋をイメージさせる衝立を配置したりする。物語の展開は、ご当地ヒーロー・市営戦隊ファイブ・カラーズが中心になるが、その正義のヒーローは固定化しない。誰もがヒーローになり、悪者の役柄に代わる。そしてメッセージは「正義とは悪を作らない」と。
このマイノリティ、「いない存在」ではない。そして言葉の定義をしっかり行うことが大事だ。確かにLGBTは、性的少数者の総称であるが、同性愛のレズビアン(L)、ゲイ(G)、両性愛のバイセクシャル(B)、心と体の性が一致しないトランジェスター(T)の頭文字である認識。公演でもその説明がされた。
この公演では、この枠を超えた、さらに大きな範疇で捉えた差別を描くことで、現実にある、そして目の前の差別に警鐘を鳴らす。その観(魅)せ方が実に巧い。
ストーリーは、あちらこちらに飛び漂流するようであるが、その本筋はしっかりした方向性を指している。すなわち理解され難い人々、マイノリティへの相互理解へ。その物語をしっかり体現している役者陣の演技はキャラが立ち、見事であった。
また、どうしても移民や在日住民の課題を想起してしまう。こちらの問題は、自分ではフーコーの振り子のように気持の証明(整理)が定まらないのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
雨夜の月に 石に花咲く
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2016/06/15 (水) ~ 2016/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★
狂想曲...協奏曲のように共鳴して
たゆたゆの人とエゴの人のチグハグとした思いが妙に可笑しい物語。
舞台美術は、 SPIRAL MOONらしい丁寧な作りで、物語を展開する上でとても大切な役割を果たしている。そして気になるのが、この叙情(諺・故事)的なタイトルなのだが...。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
舞台セットは、地方の金物店の座敷。正面には両開きのガラスドア。中庭のようなところに自転車が置かれ、塀には蔦。上手・下手は廊下があり、上手は玄関に通じ、下手は台所など家内の各所へ通じるらしい。畳に丸卓袱台。来客に応じテーブルが運び込まれ、受賞結果を待つ控えのようだ。
開演までの間、ネコ、鳥、虫の声...風情が感じられる。
また制作サイド、客席の座席配置は前後席を多少ずらす。前の人の間から観ることが出来るよう配慮している。細やかな心遣いである。
梗概...都心から2時間であるが、都会の喧騒が感じられない地で金物屋を営む男・志田亀雄(久堂秀明サン)が、人生の記念に書いた小説が権威ある夏目文学賞の最終候補に残った。そして結果発表の当日、何となく落ち着かない男のところに、編集者、地元紙、全国紙、スポーツ紙の記者と地元TV局らが、受賞取材のために来ていた。最終候補者4人のうち2名が盗作疑惑、作風違いで辞退した。俄然受賞の機運が高まり周囲の人間も受賞を心待ちにするが、その本心は...自己都合、エゴむき出しといったところ。
マスメディアの人々、この志田亀雄は受賞者候補の中でも注目されていないが、万が一の受賞に備えて派遣された、二番手・三番手の取材者。ところが受賞の期待が高まりエース級の取材者と交代させられそうになる。どうしてもスクープをモノにしたく...そのドタバタが面白可笑しい。巡ってきたチャンス。
どちらも現実(目)にならない結果...タイトルの意味するようなことか?
候補者本人の気持よりも周りの人々の思惑に翻弄される。段々とエゴがむき出しになる、それにストレートに絡まないボンヤリ感が地方都市らしい情景と相まってホッとする。本人の当初の気持..処女作がたまたま評価されただけ、野心も次回作の予定もない。しかし、結果は、次作「ボレロ」も高評価を得る、とラジオ放送を通して聞かれる。
小説というネタがこの公演の面白いところ。偶然であれ、評価されて気持良くなり、通常であれば舞い上がる。ところが主人公はいたって淡々としている。この男の妻・鶴子(秋葉舞滝子サン)が実にうまく本人の気持を代弁する。夫婦のほのぼの感がうかがい知ることが出来る。一方、編集長の才能は大切。それは本人のためだけではなく、読者のためにある。本人の思惑とは別のところで働く芸術(読みたいという欲求)という視点の濃密な遣り取り、観応えがあった。
最後、第二作が「ボレロ」(本のオビに「変じゃない、恋だ!」)だという。有名な作品概要は、自分が踊る準備をしているが、周りはその気にならない。しかし段々と周りも巻き込んで盛り上がる。本公演とは逆パターンであるが、この公演も洒落た演出かも...。
次回公演を楽しみにしております。
平和な時代に生まれて-終わりなき道の標たち-
九十九ジャンクション
小劇場 楽園(東京都)
2016/06/15 (水) ~ 2016/06/19 (日)公演終了
満足度★★★★
深く重いテーマであるが、分かり易い
物語の内容がすぐ分かる、そんなチラシはインパクトがある。もちろんテーマは「選挙」と「平和」の問題である。近い将来に起きるかもしれない、そんな身近なことでありながら、なぜか飄々と描かれる作風...その少し距離を置いた演出は巧みである。時間軸を長くすることで、政治判断の是非は歴史が証明(審判)するような...。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セット...冒頭は大学のサークル部室内。白板には「軍事介入することから生じる無幸の市民の犠牲」「軍事介入しないことから生じる無幸の市民の犠牲」が書かれ、その功罪のようなことについて議論する。大学生らしい有・無為という2極という分かり易さ。マニフェストまで見える。
大学生として、平和問題に対する関心。そこに50歳代の新入部員が加わり、実際自分たちの政策を実政治に通用するか。そんな若者思考が序盤の話。
選挙、公職選挙法等の改正(選挙権年齢、18歳へ引き下げ)施行を機に、若者層の支持獲得へ。従来型の選挙活動(地盤・看板・鞄)を嘲るようにネット利用による政策浸透が効を奏する。今の選挙制度、システムに対する批判。特に投票率と議員世襲の問題は露骨に観せる。もちろん国政を始め身近な最小行政地の選挙まで自分の生活・暮らし向きに関わるのだから当然であるが。
そして国政での政策実現に邁進する。そこには大学生の面影はなく、政治家としてのダークさも垣間見える。現実社会との折り合いが必要なことも透けてくる。そして掲げた「積極的平和主義」...20代で「軍事訓練義務」、中高年が派遣地状況によって徴収される「戦地兵役義務」という、世代ごとに責任と義務を負う。時限徴兵制・兵役義務が、国民に平等になれば逆説的に争いも減る、というもの。この世代間負担(義務)の考え方、今の年金制度に似ていると思うが...。
この公演、深く重いテーマであるが、プロパガンダに陥ることなく、柔軟な笑いに包まれた上質な仕上がり。テーマは一目瞭然であり観客も自分で考えるということは承知の上での訴えであろう。今、描いておきたいという気持が十分伝わる。
次回公演を楽しみにしております。
くちづけの麦を
劇団回転磁石
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/01/15 (金) ~ 2016/01/18 (月)公演終了
満足度★★★
寓話のようであるが、その訴えが弱い
冒頭は宗教色...受胎告知などという台詞が飛び出すような寓話のようで、期待感が高まるが...。この冒頭の壮大感は、本編に入ると萎んでしまう。
物語の展開に捻りがなく、描き方も表層的で観客(自分)の心は揺さぶられることはなかった。ファンタジーという謳い文句であるが、その作風も普通の劇のようで魅力を十分発揮していないようだ。
ネタバレBOX
梗概...「天使募集」のチラシを見て、そこにある受胎告知の仕事に応募する。「受胎告知」は天国の川を流れている魂をすくって、地上の女性に届ける。しかし届けようとした女性は難産で、その父親が「子を犠牲にしても、娘の命を救ってくれ」と懇願しているのを見て、その魂を連れ戻す。
中世ヨーロッパの街を想起させるような舞台。それはレンガを積み上げた重厚感を醸し出す。
街の中心にある教会傍でパンを売っている子(ベルヌ)は孤児たちにパンを分け与え慕われている。そんなベルヌは時折、聞こえるはずのない人々の苦しみの声が聞こえる。それを鎮めるのは父親が汲んでくる水。自分が父親の代わりに水を汲みに行こうとするが、その川の所在を教えてくれない。そして父親の言葉...教会へは行かないようにと。
少しミステリアスなところもあるが、全体的にはお手軽な感じ。物語の設定の割りには深みが感じられないのが残念。演技としてはハツラツとしており若さ溢れて好感が持てるが、その体現すべき脚本・演出が物足りない。
そう言えば、都市部にも下水道があるが、それは近くて遠い存在であろう。マンホールの下に広がる世界を知らない。しかし本によれば胎内を思わせるような...街が生きものであることを実感させられるという。何やらこの物語にある教会下に流れる川、受胎告知に繋がる胎内という神聖さ神秘さ。
全体的な着想は面白いと思うが、それを十分表現仕切れていないように思う。観客の心を揺さぶるような...
次回公演を期待しております。
GIFT あなたが教えてくれたこと
Funky Honey
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/01/15 (金) ~ 2016/01/17 (日)公演終了
満足度★★★
ハートフルミュージカル...もう少し深みがあれば
笑いと涙のハートフルミュージカルという謳い文句の公演...その描いたイメージは、人間の「優しさ」と「恐ろしさ」という二面性を見せる。
この物語は、既に何度か見覚えのあるような内容で目新しさは感じられない。そして、ミュージカルということから、もう少し魅せるダンス、聞かせる音楽を堪能したかった。
何より未来の氷河という荒涼、寂寞感が伝わらない。また喪失感のような空虚な心情描写が見えると好かった。
ネタバレBOX
物語...人間の「優しさ」は、主人公にあたる幼馴染2人が時空を超えて2255年の世界にワープした時の出来事。時空間移動を可能にする機器が故障し、元の世界に帰れなくなり途方にくれる。それでも相手を思い遣る心を見失わず相手を信じる。そこに居たネズミ…実験マウスとの邂逅も心温まる。
一方、未来の世界は氷河に...。その荒涼・寂寞した原因は人間の行為なのか、自然現象なのか判然としないが、人間が何らかの形で関わっていることを示唆する。その人間に寄り添っていたのが、人型ロボット(擬人化で表現)である。もちろんロボットであるから人間的な感情は持たないが、いつしか心情、機微という表現し難いことも理解していくようになる。全体を包む雰囲気は良かったが、その表層的な世界観では心魂が震えなかった。
役者は全員女性であり、ミニ宝塚歌劇団のようで、柔らかい雰囲気がある。一方、役柄に成りきれず、気恥ずかしさが伝わるところがある。特に男性(役)は、男の仕草を真似るという外見に捉われた演技にとどまらず、男性役としての”華”(シャープな動き、大きな身振りなど)が観えると映える。
ファンタジーとしての魅せ方は良かった。ロボット...稚拙なしゃべり方がそのイメージであるが、その表情は無表情に近く、それが除々に感情移入していくような錯覚。その先にある自己消去という行為に悲しさが滲む。「物」から「形」へ、そして「心という器」が感じられた。
次回公演を楽しみにしております。
BREAK 【グリーンフェスタ2016 「BIG TREE THEATER賞」受賞】
劇団C2
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了
満足度★★★★
体感エンターテイメント...見事!
グリーンフェスタ2016において 【BIG TREE THEATER賞】を受賞。その印象は、説明に謳っているスピード感溢れる「体感エンターテイメント」を表現。 ドラマチックに描かれる登場人物たちが創り出す胸を突き抜ける感動。」は実に見事!
日本の戦国時代という歴史物語のような感じもするが、あくまで異次元での出来事として描いている。話が進展するにしたがい、現実的でないことは明らかになる。その描かれる根底にあるものは...。
ネタバレBOX
テーマ性としては、人間の本性や自然界の掟のような受け入れやすい命題...その掲げられたものが観える。それを物語の展開で実証していくようなもの。
始めのうちは、メイク、衣装などの外見的ビジュアルに目を奪われるが、物語にも面白味があることから飽きることなく観ることが出来る。
この公演は観客の気を逸らさないという点、テーマ性のお仕着せでなく寓話の役割を果たしている。それらの要素をしっかり取り入れたエンターテイメント作品である。
梗概...疲弊した国に突如として現れ、時の権力者(将軍)に取り入った女・魅鬼(キキ)。彼女は秘術を駆使してあらゆる問題に対処していくが、権力者の思惑を超えて支配していく。一方両親を失いある邑で育てられた男・鎌田真悟朗は絶対防御の力を得る。ここに思慕する女性がいるが、それは邑で義兄弟の契りを結んだ男の妻。この人間的ドラマと、何年も前に起こった神秘・猟奇のような力を持つ”腕”。そこに宿っているのは絶大な力。それを手に入れた将軍、家臣団といつの間にか救世側に立つ魅鬼とその仲間との戦い。その力・邪悪なウイルスを駆除するという社会派ドラマの様相になる。その人間味ある物語と社会的要素を含んだ寓話のようなものが融合した話。
演出は、ダンス・パフォーマンスで魅せる。必ずしも”殺陣の力”ではなく、”剣舞”のような観せ方である。展開している場面...戦闘・対決シーン、思慕・恋愛シーン、回想シーンなど、場面に応じて伝える手法、臨場感、雰囲気の作り方が巧い。例えば、対決または対峙する場面は段差のある舞台装置を上手く利用する。客席からは一直線上に重なるキャストを上段・下段に配置することで、その姿が重ならないようにしている。同時に多くにキャストが登場する場合には、敵・味方のどちら側の人間か明確にする。要は観客が物語に追い付けるようにしている。それは観客を舞台上にのせ体感させ、一方話に同化し過ぎないよう俯瞰しているという視点も兼ね備えているようで、相当観せる工夫をしている。
この物語で、大きく感情を揺さぶられたというシーンはなかった。エンターテイメント性、観客に観てもらうというサービス精神に溢れた公演...そこが最大の魅力であったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
らいおんの憂鬱
ザレ×ゴト
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/02/04 (木) ~ 2016/02/08 (月)公演終了
満足度★★★★
笑いに隠された鋭い問題提起
本筋は(近)未来に実現しそうな宇宙旅行中の出来事である。その時から更に先の時代から或るミッションのために派遣されてくる人の活躍...ストーリーはループするような感じでそのラストシーンは観客の好みが分かれそうである。
基本はコメディであるから小ネタにも伏線を張り巡らせている。近未来要素を少々詰め込みすぎちゃったよパワフルファンタジー、面白かった。
ネタバレBOX
300年先の世界からやってくる...その時代では宇宙環境が変化しており、「太陽」という存在がなくなる。いつまでもあると思っている環境、物質、生物などへの警鐘が鳴る、そんな問題提起を含む内容である。その大きく重いテーマを笑いという渦の中にかき消す。硬質に描くことが出来る内容であるが、そこは柔軟にすることで、観客一人ひとりが向き合う問題としてしている。
舞台美術は、中央にサークル、その輪郭に沿って左右に可動する三角形の台座状の装置。舞台奥を少し高い位置にし、別次元(場所)をイメージさせる。そこは紗幕で蔽い鮮明に観えない分だけ距離感を表す。基本的にはサークルにある三角形の台座を動かし、操縦席やその他の室内演出をする。時空間移動を伴うが、分かり易い展開になっている。
ストーリー中の挿話は、現代の社会問題そのもの。
話は、300年前の宇宙(観光)旅行している宇宙船が危機的状況になることを知り、未来からその救助のために派遣されてくる。表層的には、その救助の過程における旅行客・乗務員の人間模様が描かれる。その危険な状況に陥る原因は、宇宙海賊船による緩い襲撃、宇宙環境(隕石など)による衝撃である。元々、海賊船の乗員がその労働対価に見合う賃金、労働条件の改善を求めるため、船体の機材(エンジン等)を売却し給料に充てる。実社会のブラック企業を糾弾するかのようだ。
もちろん、環境問題も透けて見える。
さてラストシ-ン...宇宙船からの脱出における新婚夫婦、親友、乗務員仲間などの人間模様が中心に描かれてきたが、その話がループするようで、悲喜劇が錯綜して終わる。この展開を悲劇にして余韻に浸るか、喜劇にし安堵して帰路につくか、観客の好みが分かれる。
総じて若い役者で構成されており、躍動感があり勢いがある。また演技力に差が見られずバランスが取れていたと思う。その一方、役のキャラクターに個性がなく、誰もがどの役を演じても同じに見えるかも...。
次回公演を楽しみにしております。