ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売) 公演情報 Toshizoプロデュース「ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    状況・場面が動かないような...
    改めて芝居を観る位置(座席)の重要性を知った。説明にあるとおり、 築80年以上経つ数寄屋造りの家をゲストハウスとし、そこでの出来事を素舞台、パントマイムで表現する。実力ある劇団という印象である。
    自分は和室(座敷)で座わるシーンが多くなると思い、最前列で観ることにした(この劇場で座わるシーンだと後方客席では観えないか)。その位置(目線)からは、パントマイムでの仕草がしっかり観ることが出来たが、それによって大切なことを見落としていた。
    まさしく「木を見て森を観ていなかった」と思う。その意味で少し勿体なかった。
    (上演時間1時間45分)

    ネタバレBOX

    舞台に木椅子4脚。それを状況場面に応じて移動させる。

    ゲストハウスという建屋での人間(ゲスト)模様である。動かない家屋の中での物語は、人が動かすことになる。その状況の変化なり盛り上がりが観えなかった。敢て古民家という設定にする必要があったのだろうか。例えば、北海道から来ているゲスト・宇内博子(白須陽子サン)の苦悩は、ゲストハウスとは別の山崎邸で吐露する。

    ゲストハウスそれ自体を問題にしても良かったのでは...。
    例えば、劇中にもあったゲストの深夜での行為など、近隣から苦情が寄せられていた。新聞などで、民泊に関する記事を目にする。外国観光客への有用性、一方近隣との関係や行政許認可などの課題も聞く。またはゲストの国情、慣習の違いなども面白い。広い敷地や古美術だけではなく、”数寄屋造りの ゲストハウス”という謳い文句の内容が見えてもよかったと思う。

    シチュエーションが固定した(本公演では家)ものではなく、状況が変化するようなものであれば、その出来事が変化し空気や距離感も動く。そこにパントマイムというこの劇団の売りも生き活きと表現できると思う。本作は自分の目線がパントマイムという動作に捉われ、芝居全体を見ていなかったかもしれないが、森に風が吹かず木がなびかないため、観客(自分)の心も揺れなかった。

    その理由は、場面転換ごとの暗転が多く、集中力を保つのが難しかったこと。そしてパントマイムは、自分の座ったのと同じ目線(高さ)で観ることになり、役者の表現の違いが気になったこと。例えば、テーブルに茶碗・皿を置く高さが異なる。椅子の背もたれが一定の目安に演技していたと思うが、近くで見ているためその高低差という些細な点(もっともセールポイントだったと思う)に注視してしまった。
    また、個々の役者の演技力は確かなものを感じるが、一方、妙な距離感もあり、白々しさが感じられる。この芝居で自然体なのは近所に住む山崎夫婦(藤原稔三サン、重松愛子サン)。

    本公演、改めて”観る”ことの大切さを痛感した。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2016/06/27 18:25

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