ヘナレイデーアゲイン
AnK
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2016/12/22 (木) ~ 2016/12/26 (月)公演終了
満足度★★★★
孤独を好む女性が愛しくなるような…。
初見の劇団...この公演は、人の心情と少し変わった暮らしという生活感の捉え方がうまい。設定の不思議さはあるが、日々の積み重ねが人生だとすれば、その断片(8カ月)をうまく切り取りアッという間の1時間40分。観応え十分であった。
ネタバレBOX
舞台は勤務先の事務所内。中央に机、上手・下手側に乱雑な書類などが置かれている。殺風景ではなく、逆にその乱れようが心の中を投影しているかのようだ。冒頭の掴みはアッと驚かせるような仕掛けから、物語にグイグイ引き込まれる。その大きな力は、脚本の面白さ、演出の奇抜さ、役者のキャラクターの作り込みとその体現の上手さという総合的な魅力。
物語は、人との関わりを持つのが苦手もしくは嫌いな女性が、夜中に仕事をしている。話し相手はパソコンの画面、バーチャルな世界を自由に浮遊している。話は本人・小野薙(小林夏子サン)とパソコン内の分身・モモ(掘内萌サン)の心身が往還するような展開である。某年4月から12月の8カ月間に亘る妄想・夢想を、ブログで語らせて行く。それゆえ心情はストレートに表現され、展開は時系列で分かり易い。冒頭シーンも含め、観せる手法は巧み。
場所は新宿街、時間は夜中というシチュエーションは、独特ではあるが少なからずリアリティもある。目に見えない心情・仮想の世界と目に見える現実と猥雑な世界の対比のような描き方も面白い。(若い)女性が持っている又は思っている気持の高まりが迸(ほとばし)る。その激した姿が少し痛いが感覚的だが共感を覚えてしまう。
この本人だけが楽しんでいたブログ(非公開)に、ハッカーとして闖入してきたヒロ(金城芙奈サン)との不思議な交流が話を増幅させ物語に多面性を与えている。登場人物のうち、女性は非日常を表現し、男性(昼間働く職場の人)は現実世界そのものを表している。劇中台詞…不安に思う気持の拠り所が、家畜のような仕事に頼る、という自嘲または諦念のような感情に納得してしまいそう。人の生活(暮らし)は波乱万丈だけではない。むしろ変化のない平凡な日々、一葉一葉が舞い、枯れ積み重なるようなものかもしれない。表層はコミカル・コメディという感じであるが、その内容は滋味に満ち溢れたもの。ちなみに、季節は変わるが衣装の変化は…卑小だろう。
素敵なクリスマスプレゼントでした。
次回公演を楽しみにしております。
楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―
オトナの事情≒コドモの二乗
王子小劇場(東京都)
2016/12/23 (金) ~ 2016/12/27 (火)公演終了
満足度★★★★
初めて男版「楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき」を観た。この劇の設定は「女優」であり、それを「男」が演じるとどうなるかという試みは面白かった。演じるという点では男・女の差異は無いと思っていたが、「男優」「女優」という言葉がある以上、そこにはやはり違いが存在しているようだ。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手側、下手側にそれぞれ化粧台(意味合いが違う)が置かれ、その上には様々な化粧道具が並べられている。中央にはハンガーと椅子1脚。照明は低い位置に設置されており、人物造形を観せるためスポットで浮立たたせたかのようだ。
梗概…劇場でチェーホフの『かもめ』が上演されている。その楽屋では2人の女優が出番を待ちながら化粧をし続けている。そしてシーンの合間に主演女優が戻ってくると、彼女のプロンプターを務めていた若き女優が現れる。病院を抜け出してきたかのような枕を抱いた若き女優は「主役を返せ!」と主演女優に迫り…。
何度か「楽屋」を観劇しており、女優の存在・非存在、または時代背景などは知っている。それでも「俳優」という職業というか生き甲斐に魅せられた人の凄まじい業(端的には、他人に役を取られたくない)。それはどの時代にあっても関係ないということ。「女優」は、演じる”女”もさることながら、素というか人の性としての”女”も垣間見えてくる。繊細で婉曲に、それでいて絡みつくようなネチッこさが観客(自分)の心に纏わり付く。本公演「をとこの所為」は、女形・女方のような演技(立ち居振る舞い)で、それ自体は面白かった。
演目の主役が男性だったらどうなるのか?「男優」で思ったのが、仲代達矢と平幹二郎が俳優座の1期先輩・後輩の間柄ということ。似たような風貌のため、平は俳優座にいても自分の出番はないと思い退団したという(平が亡くなった時の新聞記事)。本公演も主演が「女優」ではなく、シェイクスピア戯曲のような主演が「男優」であれば観方も違ったかもしれない。
「楽屋」に話を戻すと、やはり女優Dをどう表現させるかだと思う。自分は演技の巧い女優であると信じ込んだ特異な性格破綻の女を男が演じることで、不思議な感覚を見事に造形していた。この病んだ女優D(辻貴大サン)と主演女優C(塚越健一サン)の一定の距離感(気持の中)を持った丁々発止がうまい。
女優A(大原研二サン)・B(渡邊りょうサン)の2人は生き生きと演じて好感が持てたのだが幽霊のような雰囲気がない。初め女優Cには、亡霊である女優A・Bの姿が見えないという設定だが、Cが幽霊になってもその状況(演技)に違和感がない、という変な感覚に捉われてしまった。
女優を男優という男性目線で描いた「楽屋」、色々な意味で面白かった。
次回公演を楽しみにしております。
痴女を待つ
スマッシュルームズ
シアター711(東京都)
2016/12/21 (水) ~ 2016/12/25 (日)公演終了
満足度★★★★
面白い!…
「痴女」というよりは「恥除」(ちじょ)のようなイメージの物語。非モテ男は、毎日決まった生活の繰り返しに疑問を持たない。何となく惰性で生きてきたような人生を少し省みると…。
その、どこかに居そうな男のもがく姿が少し痛く、切ないように思う。作・演出の中山純平 氏はそんな男を厳しくも優しい眼差しで描いている。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は盆(回転はしない)、6等分に色分け(対面は同色だから3色)しているが、特に意味があるように思えない。それ以外は小物が少し。演技する役者だけが盆上におり、それ以外は、客席とは反対側に半円のように立っているだけ。演技力が勝負だが、皆見事にキャラクターを立ち上げており、見応え十分であった。
梗概…清掃会社の契約社員として働く男(上松コナンサン)、29歳童貞、趣味はTVゲーム。一念発起し女性と付き合い、童貞を卒業する行動を開始。出会い系サイト、擬似恋愛(レンタル彼女)、特殊浴場など経験するが当初目的は果たせない。そんな時、職場にいる憧れの女性(小林知未サン:東日本大震災で故郷を離れた)が、その同棲相手とうまく行っていないことに気づく。彼女を助けたい、その一心からストーカー紛(まが)いの行為(室内への侵入・盗聴・遠盗撮など)を繰り返すうちに、憧れが強い恋心へ変化していく。相手の男は、職場の女を次々モノにするような駄メンズ(河原雅幸サン:自称ミュージシャン)。この恋の行方はどうなるのか…。
この童貞男に色々アドバイスするのが”神様”。それとなくアドバイスはするが、成就させるような安易なことはしない。主人公は女性にモテたい、そのくせ女性の目線が気になり、声さえ掛けられない気弱な男。できれば女性の方から声を掛けてリードしてほしいタイプ。少し古いかもしれないが「草食系男子」といったところか。この気弱な男が、女性が自殺しようとした場面で発する台詞…自死したら地獄へいく。この地獄は今と同じ、つまらない人生を繰り返していいのか。いくつかの珠玉な台詞を散りばめ、”恥ずかしさ”のような生き方に変化の兆しが見え始めたが…。
この公演、ダメ男という人間の世界を扱ったものであったが、時々登場する神様が”社会の窓”へ開陳するように「今の日本は食って寝て暮らせる場所があり、幸せのはずなんだがな。爆弾抱えて行かなくてもいい」など、社会性を絡め幸せの尺度や考え方は人それぞれだと言う。ちなみに主人公が本当に神様はいたのだろうか?という自問自答が意味深で面白い。
キャストは7人。盆の上で演技するのは多くて4人程度。寸劇の連続のようで心地よいテンポ。設定が清掃会社であるが、盆上以外の役者もハケることはしない。物語から沢山の感情が溢れるが、盆上で熱演する場面とそれを観客同様、客観的に見つめる役者がいる。客席から見れば、盆を通り越してその向こうにいるという不思議感覚。
もし、舞台セットが設え、出入りのある芝居だったらどのような印象になったのだろうか。そんな想像もしたら楽しくなった。
ラスト、痴女には言葉は要らない、舌さえあれば…。
次回公演を楽しみにしております。
当日の配布物に役名が記してあると感想が書きやすいので、次回はお願いしたい。
「ロストマンブルース」
SANETTY Produce
テアトルBONBON(東京都)
2016/12/20 (火) ~ 2016/12/25 (日)公演終了
満足度★★★★
死ぬとはどういうこと、という問いかけから物語は始まる。その人の存在を忘れてしまうこと。このタイトル「ロストマンブルース」は、音楽を忘れたらどうなる。世の中、変わるのだろうか。
謎めいた人物が登場するたびに、話が増幅するようで思わず身を乗り出す。この後、どう展開するのか興味は尽きない。そして全てが明らかになった時、人の思いの深さを知ることになる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台になるのがシェリーというライブハウスだった場所。上手側奥にドラム・ピアノが並び、下手側はカウンターと棚。中央に2セットの丸テーブルに赤い椅子。床は赤黒の市松模様という、いかにも音楽に所縁がある雰囲気が漂う。
物語の登場人物は、主人公の朝倉一義(夢麻呂サン)を除き、全員が劇中芝居をしているという設定である。朝倉は1992年に交通事故に遭い、記憶障害(喪失)になっている。何故か事故に遭った同じ日、毎年このライブハウスを訪ねてくる。
現在は2016年、事故から24年経つが本人の意識は当時(24年前)のままである。実はこのライブハウスも随分前に倒産(閉店)しており、現在はコンビニになっている。
この事実(朝倉が訪ねてくること)に元店長は、ビルオーナーの承諾を得てコンビニを一時的に元のライブハウスに改装している。店内は張りぼて仕様である。事故当時4歳,2歳だった娘も28歳,26歳に成長した。そして妻の名を忘れ、娘を妻と勘違いし出す。担当医が記憶の認識をさせる診療の一環として考えたのが、今回の芝居(バンド音楽)によって「記憶の覚醒」を図るもの。その結果...。人は張りぼてではなく善人ばかり。羨ましい家族、友人関係である。
1992年、尾崎豊の歌を聞いてきた自分には懐かしい。同時代もさることながら、同じ思い出の地(場所)を共有する人々には、そこはいつまでも在ってほしいものだろう。
冒頭、間もなく無くなるライブハウスに訪れた中年のバンドマン。熱く語る音楽への思い...しかしその言葉とは裏腹に仕事があるのかどうか。今は過去を振り返るのでも、未来を夢見るのでもないような暮らしぶり。それでも何か...好きな音楽であることは間違いない。そのあがく姿が自分(観客)のそれぞれの場であがく姿と変わらないような気がする。あがいた先に安易な希望は見せないが、だからこそ最後にかすかに差す光に胸が熱くなる。
物語は終盤まで「謎」だが、それが段々氷解していく過程に色々な伏線を張り巡らせている。確かにリアリティはないが、自分がその立場になったらどうするか、その問いが投げかけられているようで目が離せない。
キャスト陣の演技、シーンの転換に応じコミカル、シリアルにと変幻自在。やはり親子の分かり合い、夫婦の貧しいながらも理解しあった仲。それが記憶障害で妻の名を呼ばれなくなる寂しさ、切なさ...ラストに小さな奇跡と大きな感動。
次回公演を楽しみにしております。
執事達は沈黙
劇団ピンクメロンパン
シアター風姿花伝(東京都)
2016/12/14 (水) ~ 2016/12/18 (日)公演終了
満足度★★★
もう少し納得性があれば...勿体無い
舞台美術は物語を観やすくするよう工夫して作り込んでいた。しかし内容に謎(疑問)が多く、その展開はまるで霧の中をさ迷うようで手探りだ。
シェイクスピアの「ハムレット」をイメージさせるが、似て非なるものかもしれないが。ハムレットが父の死の真相を知ってもまだ...To be,or not to be: that is the question.と悩み独白するのと違い、本公演のラストには明確な思いが発せられる。その思いを激白する、演技は熱演なのか怒声なのか判然としないが、迫力は感じられる。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、豪華な執事控え室のような部屋。やや上手側に楕円形のテーブルと椅子、下手側には机、壁には絵画やリースが飾られている。上手側客席側にドアがあるが、執事の仮眠室という設定である。下手側奥に木製ドア。上手側奥、壁の上部にテラスを思わせる空間がある。
ふ
梗概...屋敷の公開見学(観光)に来た婦人たち。それが一転して当時の執事(衣装替え)になる。この屋敷の主人が放蕩息子・コソン(登場しない)に毒殺(噂)され、その息子が父亡きあと、2カ月で結婚式を行う。コソンの結婚披露宴当日の騒動がコミカルに描かれる。執事取りまとめ役・アジン(律人サン)は先代主人の霊を見る。先代は、自分は息子に殺されたとアジンに告白。復讐に燃えるアジンは他の執事たちに協力を求めるが...。
その執事役の女優陣は個性豊かな役柄(キャラ)を立ち上げ、楽しませてくれた。出来れば、その役柄の意味というか、役割がわかると良かった。
最大の疑問は、幽霊の存在を一番否定していた執事を幽霊として登場させ、物語を収束させてしまう。それが現実であることを証するためコソンの溺死した嫁も登場させる。
次の先代主人の霊を見るまでは、温厚であったアジンの態度が一変し、途端に厳しくなる。
それ以外には、コソンの嫁の悩み、相談事は何か、そもそも嫁いできた理由は何か...など多くの謎があるが、それらは卑小なことと割り切る。
物語には同性愛(レズビアン)、民族間抗争、飢饉=食欲、軍靴の音などの問題が散りばめられている。ハムレットでは、主人公の奇妙な性格を描きつつ、物語の展開とは直接結びつかないような事柄の省察が描かれている。この公演でも先の問題は観客への問いかけのような気がする。それが物語にうまく絡んでいれば観応えがあったと思うと勿体無い。
ハムレット同様、この物語では主人公・アジンの内省、その独白が見所であろう。執事の取りまとめ役として「支配」したい、という激白によって幕になる。「執事」は「羊」(家畜)にあらず。その反対の解放、自由を求めているのかもしれない。
公演には先代主人、その息子コソンは登場しない。その人物像は観客に委ねられている。そこで主人とアジンの主従の関係性をどうのように想像するかによって復讐の鬼と化したか。
それでも先の疑問は解けない、それ自体が問題だ!
次回公演を楽しみにしております。
テレビが来るぞ!
劇潜サブマリン
千本桜ホール(東京都)
2016/12/15 (木) ~ 2016/12/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
面白い!..ブラック・コメディの秀作
タイトル「テレビが来るぞ!」は、自分勝手にテレビ撮影が来る事によるドタバタ喜劇を思い込んでいたが、もっと深いところを抉り出すような公演であった。
当日パンフに作・演出の ちば悠平 氏は「排他的な田舎にとって、テレビが来るというのはとてつもないイベントなのでした」と書いている。自分も地方出身者だけに何となく分かるような気がする。
ネタバレBOX
舞台セットは、大きな木または鉄製の枠、それが歪んで立てられている。その向こうは白いカーテンで仕切られている。そのイメージはテレビ画面、そしてこれから始まる物語のシュールな展開を思わせるような変形し崩れかけたような枠である。
梗概...母は有名女優であり多忙であったが、娘のために必ず手料理ということを宣伝(売り)文句にしていた。しかし、実際はレトルト食材を使用していることが分かり、TVレポーターに追跡取材されることになる。
娘=女(久山彩サン)は成長し、ある目的を持ってド田舎にやって来た。そこはTV放送される(中継)場所ではなく、したがってTVを持っている村民もいない。彼女はこの村にTV放送できるよう画策を始める。手始めに村での家畜加工場を支配下に置き、テーマパークの建設、村長を誹謗中傷し自分が村長選で勝利する。そして地元の名士・地主を籠絡し村全体を支配する。何事にも話題性を提供するがTV放映されることがない。ついには隣村を接収し、そこにダム建設を推進し湖底に沈めるところまで推し進める。その実現のために武力行使も辞さない。
いつの間にか支配者として君臨している。そんな彼女に反発する勢力(陥れられた人々)が現れ、彼女の思惑が瓦解していく。色々なパロディを盛り込んだ風刺も面白い。例えば、チャップリンが映画「独裁者」で地球儀に見立てた風船を弄ぶ(尻で押し上げる)ような場面を、この芝居では木枠をTVに見立てて弄ぶ(尻場面はそっくり)。
歪んだ木枠の向こうは、TV(放映)の中である。白いカーテンが引かれ画面が映し出され、第三者の姿が映るという巧みさ。都会と田舎の違いを際立たせるため、俚言・方言で喋るが、それも彼女によって標準語に統制される。効率・合理的という名の下に地域文化も中央・標準化という発想も怖い。
反対勢力に追い詰められ、彼女自身がTV取材の対象になる。その放映が実際、白いカーテンに顔のアップ等が実写される。その表情がリアル。
役者は各キャラクターを立ち上げ、敢えて喜怒哀楽をオーバーに表現し、面白可笑しさを増長させており見事。
ブラック・コメディとして観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ玖 『草乱〜そうらん〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/12/14 (水) ~ 2016/12/19 (月)公演終了
満足度★★★★
面白い!...争乱ではなく草乱に共感
徳川幕府三代目(家光)、天下泰平になりつつある時代(1637年)に起きた大事件。その史実をどういう視点で描くか、ということに興味を持っていた。時代絵巻AsH・灰衣堂愛彩 女史は弱き者から観た、そして戦った物語をしっかり現代に映し出していた。
タイトルは「草乱」になっており、これは天”草”、島原の乱と、”草”莽(そうもう)=民間、世間をイメージさせる。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セット、中央は江戸城内または武家屋敷の座敷をイメージさせる。奥に障子、上手側へは廊下、下手側は別場所を思わせる平敷石や立木。冒頭は「灰」の字を菱形に書き込んだ平板を釈台の前に立たせてある。
梗概は、島原藩の過酷な年貢の負担やキリシタンの弾圧が原因で起きた一揆という史実。そこに天草四郎(山本恭平サン)とその幼馴染のような友達(実は真田十勇士のような)との絆を描いた物語。
年貢を納められなかった大矢野村の角蔵の嫁(妊婦)が代官によって殺されたことが直接の原因として、島原と天草の領民たちは次々と蜂起する。彼らの総大将となったのは16歳の少年・天草四郎(設定では豊臣秀頼の子)。
当日パンフに灰衣堂愛彩 女史は「戦いのない平和な時代に満ち溢れた、時代に取り残された者たちの憎しみや恨み、そして哀しみ。為政者からの圧力に抗い、生きることに懸命だった者たち。」という当時の弱き者(農民)や弾圧されたキリシタン教徒という視座で描く。これは史実という世界で描かれているが、一方、人間・四郎(神の子)と友情を育むのが肢体の不自由な者(右腕がない、左足が不自由、右目が見えない)など、鬼っ子のような者を登場させている。こちらはフィクションに近いであろうが、その絡ませ方は巧い。
個人的な好みとしては、知恵伊豆こと、老中松平信綱を総大将として派遣するまでの徹底抗戦、幕府が本腰を入れるまでの過程をもう少し描いてほしかった。あっさり鎮圧されたのではないところに、武士ではなく名もなき民の力を見たのであるから。
また、四郎と子供達の友情を育む時代(幼少の時)が短く、四郎を庇い散っていくという心情が分かるような厚みがほしかった。
演技は好演、もう少し徹底抗戦した場面があれば殺陣シーンも増えたであろう。ラストの戦闘シーン(四郎を逃す)に印象付、余韻を持たせることが出来たと思う。
国家(幕府)は、権力を守ることに専念し、人は歴史の中に消えていく。だから個々人の思いや記憶を大切に残すことが大切になる。時代劇専門に上演している、この劇団(代表・灰衣堂愛彩 女史)は時代を掘り起こし記録することを通じて、目は現代や未来に向けられていると思う。歴史に埋もれるはずの弱き人々の視座から丁寧に掬(救)い上げた芝居は見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
【美修羅~misyura~】第四回公演
美修羅~misyura~
中野スタジオあくとれ(東京都)
2016/12/08 (木) ~ 2016/12/12 (月)公演終了
満足度★★★
阿修羅ならぬ美修羅...魅せる芝居【暁】
初見の劇団、本公演は旅芸人シリーズのようで、物語は面白く演技(殺陣)も観せてくれる。登場人物(劇中の旅一座の篠、楓、ヤエ、美山、小春)はすべて女性で華がある。ただ、シリーズ物であれば、これまでの物語の粗筋を冒頭で観せてくれると分かり易い。もちろん、公演ごとに独立しているが...。
第一回から前作(第三回公演)までをyoutubeにて公開しているらしいが、事前にそれを観ておいてほしいとなれば、客層が固定してしまうかも...それでは勿体無い。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央に少し大きな平台(台座)が置いてあるだけで、ほぼ素舞台。上手側壁に旅一座の看板。下手側壁には篠、楓、ヤエ、美山、小春の錦絵が飾られており、情緒ある雰囲気を漂わせている。
梗概..鳥獣戯画という謎の集団が一座に襲い掛かる。親とも言えるヤタガラスを殺され復讐に燃えるミツバ。本作でも暗躍するホウズキなどが登場する。.訪れた町では人や動物を拐い、赤鉄の串で貫ぬくという恐ろしい事件が続発していた。人々はその所業を「ハヤニエ」と呼び、犯人の呼称は「モズ」と呼んでいた。 モズを探す彼女たちは図らずも鴉の生き残りとの邂逅(かいこう)を果たし...。
女性による殺陣シ-ンが多く、その演技もなかなか迫力があり観せる。中央の台座のような所への上下の動きは躍動感を生みテンポも良かった。また客席通路も利用し、現場(所)の移動を演出させているあたりは巧い。ただ中盤以降、暗転が多くなり少し気になる。
全体を通して印象付(照明・音響などの技術はもちろん、桜舞うラストシーンなど)が上手く余韻を意識していたようだ。
先にも書いたが、シリーズ物だけに前作との繋がりが気になる。例えば、本公演では篠(大庭咲子サン)が けらべぇ(小山俊樹サン)に自分の短刀を渡している。ラストはその短刀が次回作に繋がるような終わり方をしている。その理由なり原因をうまく引き継げるのだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
夢にかける保険はありますか
劇団サラリーマンチュウニ
上野ストアハウス(東京都)
2016/12/08 (木) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
満足度★★★★
面白い発想の保険
この保険に加入するのは本人の意思ではなく、家族などの近しい人が当人を心配して手続きをするのだろう。劇中にもあったが、夢追いに年齢の制限を設けるのは、「生き甲斐」との関係で疑問が残るが、本人の考え方次第といった描き方のようであった。
何となく劇団(員)の等身大の物語のように思う。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は二分割し、上手側は居酒屋の座敷、下手側はスナックのカウンター・ボトル棚が作られている。物語を分かり易く展開させるセットのようで好感が持てる。
梗概は、劇団ホイップクリームに所属する矢部純二は、両親が加入してくれた保険金で、夢を叶える時間をもらう。ただし、目標を達成出来なければ、強制就職しなければならない。その期限は30歳迄であと1年に迫っていた。一方この保険会社はインターネットでの風評で”夢を諦めさせる”ブラック企業のような書き込みをされ、その悪評の払拭に躍起になっている。企業内での陰謀や利己を絡ませ、企業と個人(劇団員)の再起をかけた戦いが始まる。その戦いこそが、己れ(企業理念と自身の才能)を信じることへ繋がる。
企業の思惑に振り回される保険加入員(ここでは「劇団員」)の甘酸が面白可笑しく描かれている。また終盤には人の心にある嫉妬・羨望を曝け出す、そんな見所も用意している。
本公演、役者は全員サラリー(ウ)マンであるが、しっかり興行を行っている。もちろん演技はしっかり観せてくれるが、2足や3足の草鞋を履いての活動は大変であろうと察せられる。そんなところが本公演の夢追い保険に思いを馳せてしまう。
物語の発想としての保険は面白いが、実際問題としては夢追いに年齢に制限を設けてしまうことに疑問が...。
例えば、将棋界では新進棋士奨励会(通称:奨励会)のようにプロ棋士の養成機関における年齢の制限は規定(例外あり)されている。しかしこの芝居のように夢が30歳までというのは...。反面、いつまでも夢にしがみ付いて、他の道を探せない。その意味で第三者(企業)から見切りを付けられるということも理解出来ない訳ではない。夢と現実は諦めと金銭を天秤にかけている。そんなアイロニーが見える公演であった。
もっとも本公演では、夢の内にある才能が開花したようだが...。
次回公演を楽しみにしております。
裏の泪と表の雨
BuzzFestTheater
ウッディシアター中目黒(東京都)
2016/12/08 (木) ~ 2016/12/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
面白い!【表の雨】
劇団uzzFestTheaterの公演は、”てっぱん”のような面白さがある。当日パンフのご挨拶文_代表・藤馬ゆうや氏は「2016年は3回の公演を実現する事ができました」と記している。本公演以外は、「ユーカリ園の桜」「アイバノ☆シナリオ」であるが、どれも面白かった。
本公演、舞台は大阪の西成区あいりん という地区というところ。自分はそこに住んだことがないので、その地区・地域の事情は分からない。しかし、パンフレットによるとションベン臭い街だとか。その街にあるお好み焼き屋で働く人、その周りの人々が生き活きと描かれていた。日常起こりそうな出来事、家族の絆といった人情世界に浸れる。街の情景は見えないが、その雰囲気は十分察することが出来る。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
劇場内の壁際にある板の間に座布団を敷き、急遽 桟敷席にするほど盛況(もっとも自由席は前3列で、うち2列はベンチ席になっているため、壁を背凭れにしたい人が敢えて利用していた)。開演が5分遅れたが、それを知らせるため、キャストの松島えいみサンがラウンドガール(水着姿)のようにボードを持って周知する。出演者情報を見ると本公演直後にラウンドガールを務めるらしいが、これも演出か?
舞台セットは、お好み焼き「お喜代」の座敷。そこに上手側・下手側にテーブルが置かれ、壁にはメニューの貼り紙。下手側奥にガラス窓があり、その向こうに波板塀、蔦が見える。この窓に滴る雨が効果的で余韻を残す。タイトルの雨降りは、心の汗や泪と流すとともに、ションベン(臭さ)をも清める、そんな気持にさせる。
梗概...両親の離婚によって離ればなれになった兄弟が28年ぶりに再会する。その時の長さを表すようなぎこちない態度・そぶりや会話。朴訥な話し方であるが、それゆえに滋味が感じられる。同じ頃、兄は離婚し店も譲り、新たな旅立ちを考えていた。また弟は別の意味で旅(高飛び)をしようとしていた。
コメディであるが、その底流にはこの街独特の人情(在日韓国人の登場など)を絡める。ここに登場する人々は実に魅力的(俚言も含め)で、その街から本当に連れて来たのかと思わせるほどである。特におばちゃん安田邦子(山口智恵サン)は、そこに住んでいる典型的な人物像のようだ。
作・演出のコウ カズヤ氏は、「出てくる人間達は、僕が今まで出会って来た人間がモデルになっている」と書いている。その自身の体験取材のようなことが、しっかり登場人物のキャラクターを書き分け、喜劇仕立てにしている。そして人の出会い別れ、そんな悲喜交々を通じて街を謳いあげた秀作。
そして、人物以外に街という風景に1つの役を担わせたところに、コウ カズヤ氏のこの地区への愛情を窺い知ることができる。
実に見応えのある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
弟の戦争
劇団俳小
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/12/07 (水) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
満足度★★★★
強いメッセージの骨太作品
強い問題意識(テーマ)を感じる。その観せ方はサスペンス風にして最後まで飽きさせない工夫をしている。多面的な描き方なのであろうか、少し分かり難いシーンもあったが、それでも事実をなぞり虚構の世界を重ね合わせた骨太作品という印象である。
設定は、イギリスの中流家庭であるが、当時の日本の状況に重ね、さらに言えば今日の日本(人)の姿に重ねて合わせているようだ。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、建築現場で見かけるようなパイプ組で、2階部分を作り他(多)空間を創り出している。その1階部はイギリス・ヒギンズ家のリビングルーム。上手側にダイニングテーブル・椅子、下手側にソファーが置かれている。2階部はタイトルにある弟アンディ(=ラティーフ 駒形亘昭サン)の部屋である。
梗概...1990年夏。イギリス・ヒギンズ家は兄弟2人で、兄のトム(町屋圭祐サン)と弟のフィギス。 兄は物分りが良くて、特に父を尊敬しているようだ。弟のフィギスは、物事(興味)に拘るタイプで、両親を困らせることもしばしばあった。 その弟が、ある時奇妙な言葉を喋りだし、 「自分はイラクの少年兵・ラティーフだ」と言い始める。
冒頭、兄が心の友人として大切にするフィギス...その姿は紗幕に映し出された陰影のみで、実体は定かではない。この虚構とも思えるよう男は、不定期に現れ、その出現は何を意味しているのかが分かり難かった。精神科医が登場するが、劇中での描きはアンディとラティーフという分身(ドッペルゲンガー)のような感じもする。
アンディ=ラティーフの体験とアナウンサーの実況中継が事実をなぞり、一方この夫婦の会話は、それぞれの主観や立場などの感情に傾く。事実と感情の衝突に観えるのは、TV画面を通じてもたらされる表面上の情報に基づくもの。人は実際、見聞きした体験の向こうにある出来事を想像することは難しい。そして湾岸戦争など、自分にはほとんど関係ないと...。
物語のラスト、兄と弟の様子が逆転(もともと本当に「弟の戦争」か?)。兄の第三者的な行動の結果だとしたら怖い。対岸の火事をわが事のこととして捉えられない。平和を脅かす毒牙さえも傍観しそう。
ただ描き過ぎて、観客への問い掛けなど余白があっても良かったのでは?
脚本は明確なテーマを提示し、また演出は物語を飽きさせない工夫をしている。問題の所在は、市井(中流家庭)の人々…主に夫婦の会話で紡ぎ出され分かりやすい。それを体現させる役者陣の演技は見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
あの雲の向こうは青空だった
劇団FULL HOUSE
シアター風姿花伝(東京都)
2016/12/08 (木) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
満足度★★★
感情の盛り上がりが...
本公演は、歌謡界を描いたものではなく、人を思いやるような、そんな心温まる物語である。話としては好いのだが、気になるところも…。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、上演前は着物が掛けられ華やかな歌謡界というイメージを作ろうとしている。その後は場面に応じて転換させる。主には歌手・川島さくら(加藤まゆ美サン)の自宅兼事務所内。上手側にサイドボード、その上にコーヒーメーカーが置いてある。客席側にミニ応接セット。下手側に事務机と椅子。母が歌手であることは、壁に貼ってあるポスター(「百花繚乱!じょっぱれ!チンパンジー」の曲名が印刷されているが、同曲は劇中挿入歌でもある)で分かる。
梗概...冒頭、ストリートミュージシャン(氏家エイミーサン)の路上ライブを年配のアベックが聞いているところから始まる。場面は変わり先の音楽事務所、そして毎朝決まったような母と息子・勇気(中平成哉サン)、そして母のマネージャーが加わった会話。そんなある日、1人の青年・曽根崎哲(脇野星サン)が(事務所)応募チラシを持って訪ねて来た。それは何年も前のチラシ。そこから断片的な記憶を辿り、曽根崎と歌手・川島さくらの出会い、そんな邂逅するような話。物語に動く感情は、母と子の愛情、青年とその友人の思いと裏切り、そして彼女・吉田真知子(貴雅マリコサン)への切ない恋心が交錯する。
母で歌手の さくらは、息子の運転する車で事故死しているが、息子のことが心配で現世をさまよっている。一方、曽根崎は仮死状態であるが恋人をめぐり友人を裏切ったとの罪の意識下にある。愛情・悔悟などの感情が透けて見えてくる。それらの感情が現世への未練となっている。それらを乗り越えないと(成仏)いけない...それがタイトル「あの雲の向こうは青空だった」になるのだろう。
物語は面白いが、早い段階で母が亡くなっていることが分かってしまい魅力が半減し残念である。朝の会話で、母と息子、マネージャーの視線がわざとらしく外れる、動き(動線)が不自然であった。
また、感情の高まりとしては、母の一方的な愛情、青年の彼女への愛しさは通じる。逆の息子は坦々とした態度、彼女は秘めた(抑えた)感情で、当事者同士の感情の盛り上がりに差があるように思う。いや確かに思いやる心があったことは描いているが、そのシーンが短(少な)い。互いの高まった感情の交差が大きな感動をよぶと思う。観客(自分)は、その感情の差を醒めたように観ていたようで感情移入が...、その意味で勿体無い公演に思った。ラストはプロローグに対するエピローグを観せるが、少し余韻付けがくどいような。
次回公演を楽しみにしております。
ワンダフルムーン
トツゲキ倶楽部
d-倉庫(東京都)
2016/12/07 (水) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
人の棘と温かさの両面
時代設定の妙、ミステリアスな物語で興味を持たせ、トツゲキ流ミュージカルで観せるという、いろいろな工夫が好ましい。
「人」という漢字は、背を向けているのに、その一方で支えあっている。昭和時代の団地の人間関係、そこで起こる奇妙な出来事を面白可笑しく、ちょっぴり切なく描いた秀作。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
昭和44年の希望が丘ニュータウンという団地が舞台。そのセットは、高さの違う台座2つが前後(都合4つ)に設置されている。上手側(1)と下手側(3)にスタンドマイクが用意されている。シンプルな造作であるが、その上下の動きが躍動感とテンポ感を生み出している。
梗概...2つの話を従えて本筋が展開する。まず、この団地に越してきた母・立花帆凪(杉村理加サン)、娘・芽里(前田綾香サン)のミステリアスな行動。外出は夜だけ、娘は声が出ない。父親は既に亡くなっている。2つ目は、団地内で自転車による交通事故が発生した。この事故が事件かもしれないと刑事が団地内で聞き取りを始める。事故死した男の尻に咬まれた痕が...。団地の住人によるよからぬ噂話...それが新しく入居してきた母・娘に向けられ...。
昭和44年といえば、乗用車とトラック等の事故件数が拮抗してきた頃。それだけ乗用車による事故が多くなってきた。本公演ではさすがに団地内で乗用車という訳にもいかず、自転車での事故死として描いている。そこは芝居としての”笑い”と現代の自転車事故という状況の両方を意識しているようだ。コーラス主婦(松井由起子サン、高島素子サン、金井恵理花サン)の衣装は赤・黄・青という信号機(並び含め)をイメージさせている。
サスペンス仕立では、後方壁幕に月を映し出し...劇中では民俗学として、月の不思議な”力”として「竹取物語(かぐや姫)」「人狼」の話を紹介していた。しかし、アポロが月に行ったのは半世紀ほど前。ウサギも棲んでいない。そういえば、この物語では不思議な薬(実は「整腸薬」)が出てくるが、竹取物語でも不老不死の薬が出てくる。昭和45年には大坂万博で「月の石」も展示された。そういった、いくつもの小ネタ、演出が面白い。
しかし、本公演の最大の魅力は、初「トツゲキ流ミュージカル!」の謳い文句にある歌であろう。この劇団の公演は下北沢が多い(d-倉庫もある)が、この劇場の天井の高さが聴かせる効果を果たしていたようだ。もちろん出演者(専門家もいる)のボイストレーニングの賜ものであろう。
物語は、団地の人々の小さな悪意が込められた噂話であるが、底流にあるのは大きな思いやりと優しさ。年末に相応しい”トツゲキ倶楽部”らしい公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
組曲『遭遇』
空想組曲
サンモールスタジオ(東京都)
2016/12/07 (水) ~ 2016/12/14 (水)公演終了
満足度★★★★
楽しさとの遭遇...印象付も好し
独立した14短編集(日替わり短編含む)が織り重なり、寄木細工の小箱・大箱が組み立てられるようだ。その箱には想像したことが収ま(入)っているが、箱の大小は観客の思い描き方によって異なる。
一見オムニバスのようだが、短編が収束(収斂)していくかのようだ。やはりタイトル通り「組曲」という方が相応しい。物語は宇宙-その未知な世界を不可思議な出来事を絡めて描いている。
組曲・宇宙というイメージから、ホルスト作曲「惑星」をイメージした。こちらも本公演の半分7つの楽章に分かれておりテーマで聴かせる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
ファンタジー的な観せ方であるが、内容は残虐・非道...飼い猫を殺し、その飼い主の少女の心を傷つける。少女はショックで不登校(自宅から外に出ない)になってしまった。彼女が好きな主人公(小西成弥サン)は、自称宇宙人(中田顕史郎サン)から願い事を叶えてあげると言われる。当初は金持ちになどというありふれた願いを言っていたが...。
物語の展開は、僕の願い事のたび、宇宙人から「願い」に対する懐疑的な質問をされ戸惑う。その質疑の繰り返しを通して、本当の願いを知ることになる。人の感情(この場合は本当の願い)を正確に(言葉)に表すことは難しい。そのあやふやな気持を突き詰めた結果、僕がとった行動...その意外さ。
すべては夢物語か、現実の出来事だったのか。それは観客の想像に委ねられたように思う。宇宙はフラット...暗闇なのか、そこで描かれるものは色彩がないのか。公演チラシにも、「そして『色のない世界のスペースオペラ』…」だと。そして「形を変え姿を変え、終わりを迎えることなく繰り返される果てのない物語」、と結んでいる。しかしこの物語は14短編を統率し、全体が意思を持って流れていく。本公演は、枝分かれしている「語る」という仕組みを乗り越えた面白さがある。
舞台セットは、中央にブース、上手側に直方体の椅子。下手側に衝立状のドア(出入り口)。ブース内に照明が当たると宇宙空間が広がるような美しさ。作りは簡素であるが、その空間とそこに広がるイマジネーションが世界観を豊かにする。その意味で舞台美術の妙、舞台技術(照明)は印象的であった。
また、キャスト全員の演技力は確か。その観せる魅力は素晴らしい、そしてそのバランスも良い。個人的には 岡田あがさサンの独特の雰囲気が印象的であった。
少し気になったのが、「僕と君との二人芝居」(鍛治本大樹サン)の一人芝居。客いじりのようなことをしつつ、その役柄の人間性を吐露(弟を見殺し)する場面に違和感を覚えた。確かに終盤シーンへ繋ぐためには人物像を描いておく必要があるが、その観せ方が他の挿話と違い、時(流れ)が足踏みしていたような...。
次回公演を楽しみにしております。
『TERU TERU!』『焦土』
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/11/19 (土) ~ 2016/11/20 (日)公演終了
満足度★★★★
対を成すようなイメージ...その妙が好い
「TERU TERU」と「焦土」は、2015年の「国際共同制作ワークショップ」で創られた15分の「種芋」をフルサイズに発展させたもの。
この両作品のテーマは「雨」であるが、その捉え方は対照的である「TERU TERU」は雨が降り続けることへの祈り「テルテル坊主」、一方「焦土」はその読みの通り焦げた大地への降水の祈り。
(上演時間 各70分 途中休憩30分)
ネタバレBOX
「TERU TERU」
冒頭、自転車に乗って男が登場する。この男の父は息子に僧侶になってほしいと願う。男には好きな女がいるが、女の母はこの地の領主に娘を嫁がせたい。この男女は運命のような柵(しがらみ)に囚われ、強く愛を確認する。雨が洪水のように降り、禁断(愛)という洞窟の中に囚われる。雨をやませるためにテルテル坊主を作る。この坊主と父の僧侶という繋がりが見える。
舞台美術は上部から水(雨)が降るイメージ。その下で愛を閉じ込め循環させている。娘は掃除しているが、それは雲を掃くが、なかなか掃ききれない。一方、男は垂れ幕のようなものから頭だけを出し、首から下を覆い隠す。その姿がテルテル坊主そのもの。その演出は面白く、そして切ない。
「焦土」
焼け野原といった風景...舞台美術は墓場(塔婆が立っている?)のような大地。上手側奥は別空間をイメージ、手前客席側に祈祷場。下手側はベッドが置かれ生ナマしい。
冒頭は、ロボットダンスまたは群舞にして全キャストが登場する。和服(袴)男、軍服男、みすぼらしい男、洗濯女、着物の異国女といった人たちが、乾ききった大地に苛立つ。焦土...煉獄の中、自分が助かり生きることへの執着、他人を犠牲にしてもというエゴ、そこに見る人間の本質が厭らしい。
舞台技術(照明)は、白い壁に妖しげな陰影を映し、とても印象的であった。受難の地へ誘い込むような...。
両作品とも「雨」であるが、先に記したように捉え方は対照的であり、その組み合わせの妙は感心した。
国際共同制作ワークショップ上演会 テーマ「化粧」
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/11/18 (金) ~ 2016/11/19 (土)公演終了
満足度★★★
テーマを身体表現で...
マレーシア、日本、中国の演出家が、「化粧」をテーマにした小作品...その「種芋」が上演された。
2002年に始まったアジア舞台芸術際は、今年(2016年)からアジア舞台芸術人材育成部門」(APAF)と改めた。そのプロデューサー・宮城聰 氏によればテーマについて次のように書いている「化粧について考えることは、人間とは何かを考えること、演劇とはどういうものでどう変化してきたかを考えることにつながります」と。少し観念的と思えるような芝居(演出)であるが、その主張は「言葉」が無くても伝わる。
ネタバレBOX
上演タイトル(上演順)
「a」 (島貴之 日本)
単語に沿ったパフォーマンスであるが、そのイメージは表現遊びといった感じがした。観た目は、軽快なラジオ体操イメージから後半は演劇性ある重厚なものへ変化。将来の小さな夢が描かれているような...。
「en TRANCED」(アイーダ・レザ マレーシア)
まっすぐでエネルギッシュな話。全身白い衣装の4人(女3、男1)。自分の体の胸・肩・腕などを叩くサマンダンス。リズム、動き、パフォーマンスに「エントランス」の意味を持たせる。儀式としての身体表現との違いが化粧(メイク・アップ)ということだろう。
「Kiss Kiss Bang Bang 2.0」(ワン・チョン 中国)
キスのオンパレード。キスの形態は、ジェンダーを乗り越えたようなパフォーマンスのように思える。演者は男4人、女1人、犬1匹、その組み合わせが変化しながらキスを繰り返す。日本では、あまり見かけない光景に他国性を感じる。
それぞれに「化粧」を描いているのだろうが、その(国際的)演出の違いによって印象も異なる。一方、観客の観る感性によっても異なることを考えれば、この「国際共同制作ワークショップ上演会」は面白い試みである。
「みどりのおばさん現る メランコリー白書」 「マイセブン」
グワィニャオン
萬劇場(東京都)
2016/11/30 (水) ~ 2016/12/04 (日)公演終了
満足度★★★★
面白い! 【みどりのおばさん現るメランコリー白書】
グワィニャオン15周年...それを記念して2本立て公演「みどりのおばさん現るメランコリー白書」と「マイセブン」である。この2作品は物語がリンクしており、一つの事件と、その事件のその後が描かれ、双方の登場人物達が絡み合い、事の深層が顕わになるという。自分は前者のみ観たが、それだけでも面白かった。後者も観れたら...残念に思う。
物語は、緩いミステリーといった描き方。みどりのおばさん=交通安全という言葉が結びつくほど一般的になっている。この制度(学童擁護員)は、児童を交通事故から守るためスタートしたという。自分が小学生の頃は、学校で交通安全に関する映画を上映していたが、今はどうなのだろうか。
この学童擁護員の組織は全国規模で、各支部が存在するという。物語は東京都八王子市が舞台になっている。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
昭和34年(1959年)11月19日、通学する児童を 交通事故から守るための学童擁護員(愛称:緑のおばさん)の制度がスタートしたという。物語りは、このみどりのおばさんと無軌道な若者という分かり易い対立構図で展開する。
舞台セットは、中央奥に八王子市街の模型が作られているが、劇中に「ウルトラの母」が登場し、その大きを示すためTV撮影用のセットが組まれているようだ。上手側にますだ商店(たばこ屋?)、下手側に2階建ての学童擁護員八王子支部詰所の看板が掲げられている。両側に電柱も立ち街の一角を作り出している。
昭和の懐かしい雰囲気を感じる。1役2名(大人と子供時代)を往還させ、その中で地域の繋がり(子供がみどりのおばさん一人ひとりの性格分析をして親しみ)を見せる。この公演では、子供が抱くヒーローとしてウルトラの母が街を守る。(安全)守るをみどりのおばさんに準(なぞ)らえていると思われる。
梗概...警察取調室であろうか、中央に机・椅子が置かれている。主人公・津田みどり(渡辺利江子サン)と刑事・笹岡(尾形雅宏サン)との激しいやり取りから物語は始まる。その台詞回しは、つかこうへい 「熱海殺人事件」もしくは「売春捜査官」のパロディ。自動車、バイクの衝突事故、それに巻き込まれた通行人(みどりのおばさん)に関わる事情聴取のようだ。実は本名を名乗らず、のらりくらりの返答。そして事故から49日目にしてようやく真実を語り出したが...。
交通事故を再現する演出は、コメディタッチであるが、リアル感もある。若者の狂気と車の凶器が見て取れる。一方みどりのおばさんの侠気が子供を守る。しっかり見せ場(クライマックス)へ導く展開と観(魅)せる 力 が素晴らしい。この公演では交通事故というよりは「事件」に近いような取り扱いであるが、その悪意を教訓臭く観せることはしない。そのエンターテイメント性重視が心地よかった。
次回公演を楽しみにしております。
空の箱庭
「空の箱庭」舞台化プロジェクト
新宿眼科画廊(東京都)
2016/12/02 (金) ~ 2016/12/06 (火)公演終了
満足度★★★★
抒情的な...
失恋した女性の心の彷徨を描いたような物語である。情景は目に浮かぶようであるが、その風景・景色はのっぺりとした静止画のようである。額縁の中で人物だけが動き、その感情だけが伝わるようだ。枠がない空に箱庭を作るという絵空事、そのぽっかりと穴が開いたような心内が少し切ない。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
テーブルに相向かいに座る、または海を眺める、いずれにしても組み合わせの違う2人芝居に近い。
梗概...主人公の女性・駒場(篠原彩サン)は7年間同棲をしていた「渋谷くん」(登場しない)から突然の別れを告げられ傷心、友人チャコ(三澤さきサン)に電話し、その家に住まわせてもらうことになった 。江ノ電沿線、海が見える青壁の家である。その家には保育士・池ノ上(花戸祐介サン)が住んでおり、チャコの従兄弟と言っていたが、後日、夫であることがわかる。チャコは売れっ子絵本作家、実は浮気をしており相手の男・北沢(森田陽祐サン)の子を宿した。場面は浜辺の散策で知り合った男・浜田山(武井駿サン)とのぎこちない会話。登場人物5人の淡々とした日常会話が瑞々しい。
駒場は、別れた現実を何とか受け止めようとする、そんな時、渋谷くんが自分より若い女性と結婚することを聞く。私の7年間は何だったの?口惜しさ、苛立ちからの痛飲する姿がいじらしくも切ない。一方、池ノ上は飄々とした物腰、チャコの浮気を容認しているようだ。そのチャコは、不毛な関係をも楽しんでいる様子だ。そして浜田山は駒場の大学の後輩で在学当時から慕っていたような...。
それぞれの関係は交錯した人間関係ではなく、あくまで2人の関係の中で揺れ動く感情を表している。肉感的というよりは精神的な気持の変化に心を重ねて観るような、そんな等身大の物語である。
役者5人のキャラクター(感情表現のヘタな男-池ノ上、一見楽天家-チャコ、身勝手でずるい男-北沢、透明感の浜田山)はしっかり立ち上がっている。特に、花戸さんの飄々とした態度が、篠原さんの喜怒哀楽という感情を浮き上がらせ、人物描写が生き生きとしていた。
この物語は、結婚を意識した女性が、自分の胸の内に抱え込んだ気持ちに折り合いをつけるような、そして現実に立ち向かおうとする過程が緩やかに、透明感溢れる描写で演出されているところが好い。
絵本というファンタジックな浮揚感は、この物語のゆったりとしたテンポそのもの。そして波の音が聞こえ抒情豊か...余韻のある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
「ヴルルの島 」
おぼんろ
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2016/11/30 (水) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
満足度★★★★
おぼんろ らしさ
寓話は記憶に残りやすい。神話や諺が長年人の心に残るのは、教訓的な要素が人々の経験・体験を通じて共感できるからではないだろうか。しかしそれは後知恵で追加されてくるもの。寓話はその神秘性も含め、律しきれない”もの”を植えつけるから時代を超えて残るという。
おぼんろは、大人のための寓話を物語り続けている。本公演には色々な寓話...教訓的要素がちりばめられているが、すべてを救い上げることは難しい。この公演も例外ではなく、観念的要素が...それでも観客に訴えてくる力は見事。
さて観劇したのは公演2日目であるが、語り部・末原拓馬氏が場内を見渡し、参加者(観客)が少ないのに驚いていた。自分も意外な気がしたが...。
ネタバレBOX
舞台セットは、昔々か若しくは遠い未来か、今現在か定かではない。もちろん場所も特定できない、一種の仮想世界である。その不可思議な情景をしっかり観せる。中央に花道、四方八方に小スペース。参加者の後方で演技をすることもあり、それによって物語は不可思議であり変幻自在に紡がれる。
孤独な盗人は港に泊まっていた船に乗り込み、積み荷ごと船を奪おうとした。しかし、その船はゴミの島ヴルルへ向かう。島で盗人は、誰かに何かを贈りたいと願う怪物...壊れかけた軍用ロボットに出会う。そして、島にまつわる悲しく残酷な過去が...。盗人はこのロボットを”アゲタガリ”と呼び出した。
この盗人が、この島に来るのは宿命であった。親との邂逅するような、しかしその真実は悲しい。
おぼんろ の公演は、語り部の独特にして繊細な言葉(台詞)が瞬時のきらめきで表現される。その物語(セットも含め)は、観えるものだけではなく、底に幾つもの豊饒な層があり、その内にある力が参加者(観客)の心へ訴えてくる。夢・現実の区別なく儚い世界に漂う、その心地よさが魅力であろう。
語り部は、毎公演とも熱演である。場内をところ狭しと駆け回り、時に参加者の後ろへ回り情景を紡ぐ。この走る動作は、当然息が上がるが、その結果”語る”が自然と離れ、(声なき)身体表現へ移行していく。そのダイナミックさが、今度は物語に意志を持たせて自走するようだ。
次回公演も楽しみにしております。
位置について
かわいいコンビニ店員 飯田さん
シアターノルン(東京都)
2016/11/30 (水) ~ 2016/12/04 (日)公演終了
満足度★★★★
台詞から気持が伝わる
保育園の物語であるが、その展開は大人事情による目線で、保育園児との関わりはあまり見えてこない。ここでは保育園を取り巻く環境の厳しさ、そこで働く人々の悲喜こもごもが少しドタバタしたコメディ...とても面白く、長時間であるが飽きることはない。
当日パンフに主宰の池内風 氏が「言葉とは、気持ちを伝えるための手段の1つに過ぎない」そして「複雑化させた言葉を巧みに操り、間接的に気持ちを伝える」と書いている。同感であるが、その延長線として、言葉を巧みに操れない、それゆえ純粋な園児と保育士(先生)の関係、その拙い言葉に気持が観えるような物語であってもよかったと...個人的には園児と先生の交流、それぞれの成長と旅立ちを観てみたかった。
(上演時間2時間10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央奥に中二階のようなスペースを作り、別場面を演出する。主な場所は、保育士の執務室兼休憩室のようなイメージである。上手側にピアノ、園児教室へ通じる出入り口、下手側は古びた木製事務机と椅子。事務用品やボードに留めたカード・写真が保育園らしさを出している。
シチュエーションは、私立星和保育園の各保育士が抱えた喜びと苦悩を労働環境(条件)などのシステムと絡めて描く。特に主人公・安西春(笠井里美サン)が実母の浪費癖で金策工面等で休みが多く、交代シフトで他の先生に負担が掛かる。また、彼女のクラス(5歳児ゆり組)には仲の良くない園児がいるが、それは母親同士の確執のようだ。それが子供へ影響する。子を思う気持ちが高じてモンスターペアレンツへ。厳しい労働事情を前面に押し出しているが、その緩衝として女性が多い職場を反映して恋愛話を盛り込む。ラストは、大人事情が優先し園児たちの気持が置き去りにされたように思えたが...。
保育現場の状況は、新聞やTVニュースで見聞きすることがあるが、それは何らかの事故があった時のこと。その都度喧伝される保育事情(待機保育も含め)は推測できるかもしれない(実態は正確に把握できない)。それを物語にしている。
個人的には、保育園児と先生の関わりを中心に描いてほしかった。その場面は安西先生が子供に話しかける、その子になって喜び回るという一人芝居で見せてくれたが、そのシーンはとても印象的であった。親離れする一歩が保育園または幼稚園であろう。不安に思う子の手を離し先生に託す。そして子供は小さな保育園という社会(世界)の生活を経験する。
一年を通じて、入園式・母の日・父の日・夏休みを経て、運動会・お遊戯会 そしてお別れ会など、さまざまなイベントがある。それだけ先生は大変な仕事、目に見えない苦労があろう。それを園児との関わりを通じて先生自身も成長していく。そんな有り触れた物語でも良かったと思う。
安西先生の恋人・塩崎望(池内風サン)も会社を辞め、退職金を安西先生の母親の借金返済に充てる。そして安西先生の保育園での苦労を察して園を辞めることも選択肢であると...。タイトル「位置について」は、今までの生活(保育士)を見直しスタートラインに立つこと、物語のクライマックスの運動会にかけてのネーミングであろう。そこには自分達(大人事情)のスタートは見えるが、子供たちの気持ちはどうなったのか、気になるところ。
この公演は役者陣の演技が素晴らしい。その先生のキャラクターと立場が鮮明で、物語をグイグイ引っ張る。唯一、新人男性保育士の野田洋平(堀雄貴サン)が優しいが優柔不断さで、濃い女優陣の演技をより際立たせていた。
次回公演を楽しみにしております。