タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ハムレット

ハムレット

ラゾーナ川崎プラザソル

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2017/01/25 (水) ~ 2017/02/01 (水)公演終了

満足度★★★★

本公演は、ラゾーナ川崎プラザソルの開館10周年記念公演の第二弾(第一弾は「マクベス」)として上演されている。
「ハムレット」…シェイクスピア四大悲劇の1つ。その作品群の中でも台詞に関しては有名であり、翻訳も色々ある。明治期の坪内逍遥から現代に至るまで翻訳家が原文の意を汲み取るよう腐心している。
本公演でも当日パンフで松岡和子女史が「kin(姻戚関係)とkind(親子・兄弟などの肉親の情)とが同じk音で始まることとか、縁語であることをもっと打ち出す」ことを思っていたと。そして新たな表現は、劇を分かり易くするだけではなく、物語そのものの魅力を引き出していると思う。日本のシェイクスピアの翻訳者は男性が多く、女性は少ないと言われている。昨年亡くなった蜷川幸雄氏は1998年以降、埼玉県の彩の国さいたま芸術劇場でのシェイクスピア戯曲を松岡女史の翻訳を使用して上演していた。
その翻訳劇による本公演の魅力は…観応えがあった。
(上演時間2時間15分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台セット…素舞台であるが、張り出した床面は赤を基調にしており、奥壁にあたるところは白い幕にスリット。その何か所かにある切れ目から自在に出入りし場面転換を演出する。その多空間処理は物語の展開を途切らすことなく観客(自分)の集中力を惹きつける。また幕の上部には白いシャツが掛けられているが、何を意味しているのか判然としない。全体的な色調は赤・白という、一見対極のようであり豪華な(ダンス)ホールを思わせる。

梗概…夜の城壁にあらわれた亡き父王の亡霊は王子ハムレットに、現王 クローディアスが自分を殺害し王位を奪い、ハムレットの母でもある妻の ガートルードを王妃にしたことを語る。亡霊の言葉で、父の死因を知ったハムレットは 復讐を誓うが、なかなか実行出来ない。その躊躇と懊悩が交錯しハムレットの苦悩が表現される。一方、オフィーリアとの恋物語が純愛のような狂気のような展開も目が離せない。

さて有名な台詞…「To be,or not to be,that is the question」も色々な訳がある。それは時代とともに言葉が変わること。翻訳者の創意工夫によって作品の世界が広がっていくことらしい。松岡女史にしても先に書いたk音は従来の訳に変わり「近親関係は深まったが親近感は薄まった」にしたという。物語の解釈に沿って原文の意を表現しようと努めているようだ。女性の視点を踏まえた翻訳で、女性が男性に対して過剰な敬語は話さない。そこには自然な言葉遣いが聞かれる。それゆえ、現代風で分かり易いのではないだろうか。

役者陣の演技はバランスよく、その軽快なテンポは心地よい。
感じ入ったのは、オフィーリア(逢沢凛サン)の純真な気持と錯乱狂気した姿の演分けが素晴らしかった。特に仰臥し顔だけを客席に向けた時の目の虚ろさは見事。

次回公演を楽しみにしております。
とても精鋭な男たち

とても精鋭な男たち

トライヲンズ

上野ストアハウス(東京都)

2017/01/25 (水) ~ 2017/01/30 (月)公演終了

満足度★★★★

自虐的なタイトル…「とても精鋭な男たち」ではない、そんな駄メンズのような人たちが必死に頑張る一週間の物語。短期間、限定空間での共同生活を通じて顕わになる人格、行動が面白可笑しく描かれるシチュエーションコメディ、観応えがあった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セット、冒頭は折りたたみ長テーブル2つを付けて並べ、それぞれ3人ずつ向かい合わせで座っている。中央奥、3~4段ほどの階段を上ったところに室外へ出る扉がある。下手側に飾り棚があり、その上にスチール製の引出しが置いてある。その後、場面に応じて変化する。

梗概...高額な報酬に誘われた男5人、女1人が一室に集まり、あるミッションのため訓練を行う。その期間が一週間。報酬は1日2万円、6人×7日間分の84万円が既に用意されている。その金額で一週間分の生活費(食費や雑貨)を賄うことになる。使う金額が少なければ残金が多くなり、手取り額がそれだけ多く貰える。途中脱落者がいればその分は残った人たちで分配できる。

指令のようなものは、携帯電話へのメール(着信音はマリオゲーム)で確認する。まずはリーダー選びから始まる。ここに集まった人たちは「特別」ではなく、市井にいる人々のようだ。チラシには「社会不適合者かもですよ...でもね人に迷惑をかけるような事はしちゃいませんよ?」という弱気な気持が物語全体を包んでいるようだ。逆に気弱さが人を陥れないような救いに感じられた。人が脱落すれば分配金が多くなるのだが、何だかんだ助け合いながらミッションをこなして行く。

公演は、限定空間での物語であることから、登場人物の人柄なり経歴を紹介し、その人物関連を描く。その個々の視点と、このミッションなりが何なのか、そのミステリアスな展開に興味を持たせる。この両方を上手く取り入れ、物語を膨らませることになるのだが、物語性が弱くシチュエーションの魅力が今一つ伝わらなかったのが残念。
ここに居る人たちは、仕事がない、もしくは薄給の仕事に甘んじている。そして過去を振り返るでもなく、未来の夢を大きく見るわけでもない。その日暮らしに汲々としているが、それでも諦念している訳でもない。そのあがく姿が、観客のそれぞれの場であがく姿と大差ないと気づかされるような...。そこに等身大に近い自分の姿が見えるようだ。その姿は滑稽であるかもしれないが、それでも必死に生きている。
物語は、あがいた先に安易な希望は見せないが、しかし金銭とは違う”何か”を得て、この場所を後にしているようで、そこに微かに差す光をみたような気がする。

役者陣の演技は見事。しっかりキャラクターを立ち上げ、その悲喜交々とした演技が最後まで飽きさせることがない。常時登場している6人と教官役(香取佑奈サン)の艶ある演技(歌・ダンス?)が中盤の見所。実にバランスの良かった。

次回公演を楽しみにしております。
RS(2017年版)

RS(2017年版)

演劇制作体V-NET

演劇制作体V-NETアトリエ【柴崎道場】(東京都)

2017/01/20 (金) ~ 2017/01/22 (日)公演終了

満足度★★★★

自分では、既知したような物語であり、公演の最大の魅力は演技力だと思った。もちろん、脚本・演出も面白く巧みであるが、それを体現して魅力を引き出すのはやはり演技であろう。柴崎道場には初めて来たが、このアトリエではしっかり演技を磨いている、そんな感じを受けた。

仮定が事実を生み出してくるが、それが真実であるかどうかは分からない。なりきり人物の視点から見た、その主観が変形し客観的に形成されてくるような怖さがあった。
パンフレットには井保三兎氏の渾身の作とあったが、話のイメージと演出手法はそれぞれある内容を思い出すが…。
(【Aチーム】 上演時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、真ん中が直方体の空間イメージで、床(白い)は少し窪んでいる。周り(黒い回廊のような)はそれを支える支柱。この支柱の間隔が狭ければ「檻」といった感じである。

冒頭、白衣を着た女性・阿笠(江崎香澄サン)がワゴンを押して場内へ。その衣装と”実験”という言葉から医療・研究施設のような印象を持つ。しかし直ぐになりきり人物による某事件の検証を始める。プロファイリングした人物像、その家族関係を仮に置いて、事件を確認するような内容は緊迫感に溢れていた。
この件は、設定こそ違うが、ある立場と役割を持たせた時、人(感情)はどのように変わるのか。スタンフォード大学の心理学実験を思い浮かべる。大学・心理学部で刑務所(実験監獄はスタンフォード大学地下実験室を改造)を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験。大学生などの被験者を看守役と受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を演じさせた結果…。

また劇中、真っ暗にし数分間は聴覚に集中させる演出があった。これは某興行の暗闇劇を思い出す。この暗闇劇(商標登録)の演出支援方法は特許を得ているものである。もちろん全編暗闇で、本公演のように一部シーンのみ暗くするのとは違う。

この脚本と演出については、既知(視)のような気がしていることから、どう臨場感を盛り上げるかという演技力に注目した。役者陣は、実験としての劇中劇キャラクターとしてなりきり観応え十分であった。

気になった点が2つ。どちらも自分の思い違いかも…。
●成りきり人物のうち、刑事とストーカー(女性)はどのような経過または理由で登場することになったのか。その役割がはっきりしない。他の登場人物は罪の軽重はあるにしても囚人とのこと。よって収監先からこの実験場(室)へ来ているようだが、先の2人は? 
●ラスト、森先生(中川悠史サン)と阿笠の素に戻ったような緩い会話(森先生役の本名、苗字ではなく名の方を知っているか)は本編に関係していたのか。それとも重い雰囲気を和らげる演出であったのか。

次回公演を楽しみにしております。
KeyWord

KeyWord

LIBERAL

明石スタジオ(東京都)

2017/01/19 (木) ~ 2017/01/22 (日)公演終了

満足度★★★

「生きる為なら奴らはなんだって売る。愛の言葉がより高く売れた、そして売った言葉は決して却ってくることはない、ここ大事」という説明から、一度発した言葉は消せない、そんな大切な思いが込められていることが分かる。
その大切さが今ひとつ伝えきれないような…。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

魅力ある”言葉”…それを探すもしくは確認するような劇中劇仕立ての構成。最近見かける光景、会話相手が目の前にいてもスマホなどの電子機器を通した画面の中を見る。そんな高校生3人組(男2人、女1人)が物語を俯瞰しているように展開していく。公演では「言葉」はもはや「言霊」はなく、単なる伝達手段の一つに過ぎないというアイロニーを思わせる。

舞台セットは、少し高いところに石柱イメージの神殿なのか廃墟のような造作。その壁には偏旁のどちらかのみが落書きされた中途半端な文字が見える。また所々に鍵穴のような影も見える。

梗概…才能に恵まれない男、才能に溢れた女、その男女は兄・妹でそれぞれの国の王、女王である。この才能とは魅力的な言葉を表現できるか。その才能のあるものだけが生きていける国、どんな願いでも叶う国。一方、才能がない国は何も持たないもの達が流れ着く国(場所)。表現力…この才能があるか否かという差別・被差別という表層的な面が物語の本筋になってしまった。主張したいところは、プロローグとエピローグで高校生の思いが変化する、そんな態様が観てとれる「言葉」というkey Wordであろう。
しかし、それを表すための劇中”物語”は、あくまで「言葉」という台詞、伝達手段に止まってしまった。主題の「言葉」に取って代わり、表面的な魅力(歌・ダンスなど)が前面に出てしまったようだ。確かに劇中に「言葉」に絡む場面はあったが、それは別の意味(言葉のキレイさ、巧みさ)として独り歩きし”言葉の力”そのものの正鵠を得ていないのが残念であった。それは言霊(ことだま)ではなく、台詞に流れた「言葉」で力=魅力がない。

総じて若い役者が熱演。先にも記したが歌・ダンスなどパフォーマンスで楽しませようとしていることは伝わる。それに適した衣装を着るなど観(魅)せようとしている。それだけにもう少し主張なりテーマが浮かび上がってくれば…。

次回公演を楽しみにしております。
キャプテン★浅草

キャプテン★浅草

劇団 演劇らぼ・狼たちの教室

雷5656会館・ときわホール(東京都)

2017/01/19 (木) ~ 2017/01/23 (月)公演終了

満足度★★★

今より少し未来の話という説明であったが、その雰囲気は”昭和”時代そのもの。ある家族とその家に下宿している人々の交流には義理人情がしっかり描かれる。そして昭和50年代頃に流行ったTV番組を彷彿とさせる。
この公演は「第7回したまち演劇祭In台東」への参加作品。演劇祭は地域密着でオープニングステージ(1月7日)では子供ワークショップも開催している。地縁・血縁が集まっているかもしれないが、そこは下町の演劇祭、義理人情に厚い人々が観に来ているのだろう。少なくともそういう身近な人を取り込んでいるのだから…今後もっと飛躍を目指すためには一見(客)さんをどう魅了するか。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

公演は、浅草・雷5656会館ときわホールで上演されたが、物語の家族が住んでいるもの浅草というシャレの利いた設定である。この家族は主人・轟勘太郎(森川陽月サン)後妻・里子(山岡雪菜サン)、長女・心(保坂藍サン)、次女・宙(そら=長澤水萌サン)。明治の時代から代々せんべい屋「雷せんべい」を営む。この主人の名前からTV「寺内貫太郎一家」を思い出す。その番組も家族や隣人との触れ合いを描いた人情味溢れるホームコメディだった。主人の風貌や家族を突き飛ばす演技は、ソックリだ。他にもパロディを取り入れていたが、この部分が一番ツボにはまった。

梗概…ある日、内閣府「異星人対策本部」の依頼を受けて、「国連地球防衛軍・日本支部・東京支店・浅草出張所所員」、通称「キャプテン★浅草」の任務に就く。任務は、観光客の振りをして地球侵略、浅草の街を狙うエイリアンたちの発見・説得・撃退すること。人工知能「FUJI」に任命されたエイリアンハンター、ハヤタ(作・演出うちやま きよつぐサン)のコーチのもと特訓する彼らのところへ、エイリアン、ノース将軍の娘・コヴァール(久志瞳サン)が現れ轟家の次女・宙が連れ去る。どうして宙が連れ去られるのか。その理由が明かされた時、人情という感情が動く。さて轟家の人々は、無事に宙を奪還するコトが出来るのか。
物語の序盤に仕込まれる伏線は、最大の見せ場(戦闘シーン)で明かされるという効果的なもの。

荒唐滑稽な話であるが、家族との絆と地球を脅かすというエイリアンとの戦闘シーンは面白かった。場の繋ぎとして挿入する歌謡曲も昭和のポピュラー歌を選曲しており懐かしい。近未来という設定と昭和の雰囲気という時代間隔(感覚)のギャップが愉快である。前説では「今日は若い人も観に来ている」と言っていたが、世代によって面白さの受け方が違うかもしれない。

さて、難いことを言えば、内閣府から任命されたこの危険な任務の報酬、国家権力による人心操作という面に不安と怖さを感じるが、あくまでコメディとして楽しんだ。

次回公演を楽しみにしております。
飛ばない教室 または、わたしのいないその場所

飛ばない教室 または、わたしのいないその場所

冗談だからね。

RAFT(東京都)

2017/01/20 (金) ~ 2017/01/22 (日)公演終了

満足度★★★★

観劇当(初)日は、昼間に粉雪が舞い、会場へ行く途中では小雨が降る、そんな厳寒な1日。一方場内は熱心な観客と公演(役者)の熱演で熱気に包まれ、その寒暖の差は冗談じゃないよ。
客席は前2列が高低差のあるクッション席、3列目以降、段差があまりない椅子席になる。最後列からは、横臥・伏臥したシーンは観えたのだろうか、と心配になる。
(上演時間1時間強)

ネタバレBOX

舞台セットは、横長の木箱(3箱)を上手く組み合わせ状況を作り出す。上手側壁際に登場しない時の役者が座る場所、その上部には衣装を掛けるバーが設えてある。一方、下手側は物置部屋のような殺風景な場所。中央から上手側にかけて鋲付けしたような板壁のようなものが立っているが、それは映写時の幕代わりに利用していた(仕掛けがあるものと期待したのだが)。冒頭は映像による人物紹介が中心。映画の世界でも活躍する作・演出の前川麻子女史らしい始まり方のような。そして、この映像に映っていた役者が画面から飛び出してくるように客席側から登場する。

舞台には特に仕切りがある訳ではないが、二分割して物語が進む。同時期の平行した物語はある人物を通して交差する。演劇部の現役とOBとの意識や状況の違いが上手・下手で表現される。
高校卒業後の進路について、部員同士が話すシーンは等身大のようでリアル。もっともやりたい事は何か、それさえ明確にならず”帰宅部”もいるのだから、演劇好きで大会出場を考えていたこと自体、生(精)を感じさせる。高校部活で演劇をする意味は、卒業しても続けるのか。何のために演(や)るのかという自問自答は、演劇に限ったことではない。そこには高校生、その世代の不安・焦燥・希望・夢などフワフワとした実態の掴み難いものへの苛立った感情が見える。現実として見える就職…社会(人)へ出ること、そこに諦念のような思いも垣間見えてくる、と…

表層的にはそう観えたのだが、高校生、十代における模索、苛立ちだけではなく、生きることとの戦いのようなものが観て取れる。舞台二分割…上手側はクラスメイトの自殺は、心の戦い(インナーウォー)のようであり、下手側は別場所での拉致監禁・加虐シーンこそ戦いである。そこには人の悲しみ、痛みが感じられず、少し怖い(平穏・平和を蔑ろの)感じがする。もっともそれは大人になっても変わらない感情の動きであり、それを高校生という多感な時期を背景に切り出したようだ。

さて登場人物の高校生は、桃太・栗次郎・柿生という名であるが、3年から8年(成就するまで年数がかかる)ほどで”実”が生ることの隠喩であるならば、前川女史の温かな名付の気持を察し、また自分自身を信じ活動は継続していくだろう。

次回公演を楽しみにしております。
ドロップイン・ヘブン

ドロップイン・ヘブン

ハイバネカナタ

シアター711(東京都)

2017/01/18 (水) ~ 2017/01/22 (日)公演終了

満足度★★★★

ドロップイン・ヘブン…ぶらっと立ち寄るような心地良い場所といったところか。タイトルにあるような場所が舞台になっているが、その美術が意味深さを表している。
この公演は緩いサスペンス・ミステリー風であり、興味の持たせ方、その観せ方が巧い。
時々、歌など余計なと思うところもあったが、そこは緩衝・娯楽として楽しむことにした

ネタバレBOX

舞台セットは、ヘブンリー・ヘブンという酒場。上手側にソファ、ローテーブルの客席がある。その奥に両開きの窓があり、窓ガラスの向こうに高層ビルが見える。下手にはカウンター、その上にラジオやピンク電話が置いてある。中央は店の出入り口になっている。このセットは多くが絵(トリックアート的か)で描かれており、その表面を取り繕ったような美術は、物語の底流にある疑心・嫉妬など人の心に蠢く不気味な感情を表現しているようだ。

梗概…コミュニティ新聞の記者・野々々村は某記事に掲載された写真のカメラマン「カヨコ」を見つけ出せという依頼を受けた。やっと見つけて働き出した店「ヘブンリー ヘブン」にはカヨコが2人(加代子、香葉子)いた。探している相手はどちらだ?野々々村は調査を進めていくうちに、マスターや常連客の秘密に巻き込まれていく。表面的には市役所職員、バイトの劇団員、コンビニ店員、フリーカメラマンという平凡な人たちが集う、これまたありふれた酒場である。この写真に写っていた内容が秘密(パーティ、通称「モザイクの夜」)そのもの。カメラマンを探し全ての写真を回収したいというのが真の目的であった。そこには利権絡みの陰謀が渦巻く。様々な面倒臭さや秘密が不思議に絡み、 野々々村は”ヘブン”を見つける! 愚かしくも物悲しい、そんな”居場所”に翻弄される人々が ...。

さて、常連客はもちろんマスターも気心知れた関係と思っていたが、そのうち不信・嫌悪・嫉妬など人の醜悪な面が表出してくる。
大人はずるい、色々なものを沢山持っていて捨てられない。そんな子供の言葉が胸を打つ。その娘が慕っているのが母親である。しかし、母親を神様と思っているが、実は紙(幣)様で、風俗嬢のような。この母親も含め見かけだけの大人であり、仲間意識など、舞台美術同様、張りぼてのようで嫌気がさす。そこにマスターの思惑が…。

スパイが登場したり、違法薬物、街再開発→宇宙施設の建設など話が散らかって収束させるのが難しいと思ったが、細かいところを凌駕するような人間ドラマ...そのブラック・コメディは面白かった。
なお、ラストの化粧シーンは、どんな意味があり必要だったのだろうか?

次回公演を楽しみにしております。
カミサマの恋

カミサマの恋

ことのはbox

シアター風姿花伝(東京都)

2017/01/18 (水) ~ 2017/01/23 (月)公演終了

満足度★★★★

この物語は、年や地域によって違うかもしれないが、春の彼岸入りから彼岸明け(3月中旬から下旬)にかけての話(出来事)を神事と心事を融合させたような不思議なもの。舞台が暗転・明転するたびにカレンダーの日に×印が付けられ、日の経過を表すなど丁寧な描き方である。
(「Team箱」 上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

舞台セットは大部分が和室であるが、上手側は増築した応接間である。棚には茶器などが並ぶ。中央奥は二階へ上がる階段が見える。下手側奥は仏壇、客席よりは床の間のようで祈り際に使う太鼓が置いてある。それ以外に樽、丸卓袱台、座布団など生活感を出すように工夫している。舞台と客席の間は廊下であろう。

梗概…春が感じられるようになってきた3月の津軽。舞台は「竜神さま」なる神の声を聴いて、土地の人の悩み事に助言する"カミサマ"遠藤道子(木村望子サン)のもとへは嫁姑問題、息子の受験、息子の結婚相手探しなど身近な悩みごとを抱えた人びとが訪れてくる。相談者の話を丁寧に聴き、神様の言葉として助言し相談者の心をほぐしてゆく。TV出演をした関係から東京からわざわざ来る者もいる。その道子には銀次郎という息子がいる。何年も連絡がなかった銀次郎がある日突然あらわれ、道子に頼みごと。銀次郎は、近所の人々と違って客席(廊下)側から登場し、自分の家であることを印象付ける。その銀治郎は娘・しのぶとの確執もあり、道子の家でも悩み事は尽きない。

恐山のイタコは死者の声を聴く「仏おろし」で知られるが、津軽では、それに似た”カミサマ”なる存在があるらしい。民間信仰で、迷信と思う人もいるだろうが、家族の災厄や悩みなどを聴き、神様におうかがいを立て助言をする役を担っている。いわば人知の及ばない”神の領域”を設け、その声をうまく利用して、ささくれだった人間関係を修復を図る。ウソかマコトか、あいまいな部分をあえて残して、心を和ませる生活の知恵といったところ。

道子に弟子入りしている下条由紀(廣瀬響乃サン)も訳有りのようであるが、全部を描き切らない。その余白は観客の想像する領域として残す、その余韻が巧い。
役者陣はそれぞれのキャラクターを立ち上げ、バランスも良い。その土地の言葉(方言)を喋ることで土着信仰の要素をしっかり伝える。
死という掴み様のないものに謙虚に向き合っている。その一方で生きている人の悩み事、それも身近な生活にあるところ。その様相を丁寧に映しとって紡ぎ出したこの公演、観応えがあった。

次回公演を楽しみにしております。
メロン農家の罠

メロン農家の罠

桃尻犬

OFF OFFシアター(東京都)

2017/01/12 (木) ~ 2017/01/18 (水)公演終了

満足度★★★★

狭い世界の物語であるが、その向こうに現代都鄙の問題が垣間見えるようだ。日常の生活をデフォルメして奇妙に描いているが、そこには「人」を表出、息をのむような生々しさが…。登場する人物の本音にざわざわし息苦しさを感じる。そぅ、「自分はこういう人間である」という叫び声である。この肉体と性格を持って生まれ、こう思っている、感じているという強烈な主張のぶつかり合いに緊迫感がある。平凡な生活に僻々している、その裏返しにメロン泥棒という刺激を与えることで物語を牽引する。
この物語は東京近郊の農家を舞台にしているが、シチュエーションこそ違うが、1980年代のある映画を想起してしまう。青春群像劇ならぬ猥雑な土着群像劇は見応えあった。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台セットは、茨城県にある農家の和室(畳)。上手側に別空間をイメージさせるスペース。和室の下手側に飾り棚があるが、そこに色々な小物。正面は襖であるが、その絵柄はメロン。

梗概…この農家には姉・自分(30歳)・妹(10歳)の3兄弟が住んでいる。10年間に亘ってメロンを盗まれ続けている。毎年防犯対策を講じるが効果がない。表層は、メロン泥棒という日常ありそうな出来事を設定しているが、実のところ変化の乏しい生活、姉妹・自分が置かれている環境の閉塞感にイラついているようだ。10歳の妹が、暴走(万引きの繰返し)・狂気(ラストの行動)のような行為を展開するが、その心底には自分の面倒を見るために姉・兄が犠牲になっているという負い目のようなものを感じている。
この家に出入りしている中国人、姉の婚約者(後に夫)を巻き込んで、お互いの感情が爆発させる。この家族またはその周囲にいる人の思惑が誤解と勘違いでねじれ錯綜する様が面白い。

この公演は、映画「遠雷」(根岸吉太郎監督)を思い出してしまう。都市化の波に呑み込まれていく1980年代初頭の宇都宮を舞台にした青春もの。日々の鬱屈を晴らすかのようにトマト栽培に励む主人公は、お見合いした相手とその日のうちにベットイン。ふたりは結婚することになるが、披露宴の夜、人妻と駆け落ちした友人がひそかに主人公のもとを訪れ…。都会でもなく田舎でもない中途半端な日常への苛立ちや、青春風俗がリアルに描かれる。特にセックスに対してあっけらかんなヒロイン像などが話題になった。ラスト、主人公カップルが歌いながらのエンド(この公演でもラストは歌を…)。

公演では、学歴詐称してでも嫁探し(お見合いパーテイ)をしているが、近郊農家における苛立ちと閉塞感が漂う。また猥語の台詞が並び…そこに鬱積と焦りが見える。本来は坦々な話(生活)であるが、その状況や環境に通底する問題を、住んでいる人間の欲望を借りて表現させているところが巧い。物語を面白くしているのは、登場人物のキャラクターと関係性であるが、それをしっかり体現している役者陣の演技は見事。この個性豊かな登場人物が、脚本の奥深さを一層掘り下げて表現し、面白さを倍加させている。

次回公演を楽しみにしております。
ジャングル人か!

ジャングル人か!

(劇)レインボウ城!

上野ストアハウス(東京都)

2017/01/06 (金) ~ 2017/01/08 (日)公演終了

満足度★★★★

寒風吹く中、街頭でチラシを見せ呼び込む劇団関係者…それとなく見ると無料公演!昼間は用事があったので、夜観させてもらった。2017年松納めの日に劇団レインボー城!第100回記念公演。その勢いある物語、年初幸先よいスタートを切ったと思う。
チラシは登場人物の多彩な姿…そのキャッチフレーズが「太平の眠りを覚ます宝船、四隻そろって上野に来航!襲い掛かる生命力!ボクの、ワタシの人生が、変な所からまた始まりますよ!」という訳の分からないもの。
しかし、そのナンセンスと思えるような物語は、現代人の色々な思いを面白可笑しく描き出していた。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

冒頭、舞台セットは渦を巻いた絵が描かれた衝立が立っている。その後は場面転換に応じてセットも変わる。

梗概…正月初詣している時に時期はずれの台風が来る。その寺が千葉県木更津市にある證誠寺(しょうじょうじ)である 。場面は転換、車で雪中を走っていたが道に迷ったシーンへ。そして更に中学生の部活場面へ転じていく。そして地球温暖化を研究するための部員募集。

さらに飛躍したシーン…衣装を竹のように巻き込んで、その中に女性が立っている。もちろん竹取物語の”かぐや姫”であることは一目瞭然であるが、実は天王星(科学的に、この星は主にガスと多様な氷から成っているらしい)から来た異星人である。この星は零下によって異星人は滅し、かろうじて1星人のみ地球に来た。身近で約束事のように描かれる地球人・異星人の恋愛模様は楽しくもあり哀しさもある。
大宇宙、それに関連した地球温暖化対策の課題、異星(性)人の恋愛という卑近な問題まで多様多彩な張り合わせが、徐々に一つの物語を形成してくる。一見ナンセンス・コメディと思えるが、その奥にはしっかりとしたテーマがあるのだが…。鮮明、明確にせず、あくまで軟らかく包み込み、観客に委ねるような投げかけである。当日パンフにも「南総里見八犬伝や指輪物語のような緻密な嘘ではなく、かなりテキトーこいてます。」とあるが、なかなか強かな公演である。

冒頭に紹介した寺には、『狸囃子』(伝説)が伝えられ日本三大狸伝説の1つになっているという。 この伝説を元に、童謡『証城寺の狸囃子』が作詞作曲されている。この公演全体は狸に化かされているのか?雪中で迷った車内、眠ってみていた夢物語かも…。

役者24名(1人何役か演じ、登場人物は28人)が個性豊かに演じ分ける。それもかなりのハイテンションで足早なテンポも心地よい。これで「完全無料!」だから”得した気分”である。

次回公演も楽しみにしております。
おいしい鍋と愛の話

おいしい鍋と愛の話

HitoYasuMi

OFF OFFシアター(東京都)

2017/01/07 (土) ~ 2017/01/09 (月)公演終了

満足度★★★★

現実にありそうな3姉妹の話。この女三人芝居ユニット、Hito YasuMiはキャストの名前の一字(大村(仁)望サン、飯坂(泰)子サン、川村(美)喜サン)を入れたしゃれたネーミング。3年前に結成し下北沢カフェ公演を経て、今回初めての劇場公演だとか。
本当の姉妹かと思うような息の合った芝居。そこに日替わりゲストが出演して彩り?を加える。姉妹の個性、立場、役割がしっかり描かれ面白い。
2020年の東京オリンピックが間近になって…そんな2017年冬、年末・年始をはさんだ数ヶ月の物語である。
3姉妹と言えば、半世紀(50年)前の1967年1月からのNHK大河ドラマもそうであったような。色々な意味で、姉妹は3人が物語にしやすいのだろうか。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、上演前から布団が3組敷かれ、そこに姉妹が寝ている。下手側には別空間をイメージさせるスペース。東京・表参道の賃貸マンション(1DK)で共同生活をしている。雑多な空間であるが、それゆえ生々しい暮らしぶりが感じられる。

2020年東京オリンピックを控え、このマンションも新国立競技場建設の関係から立ち退きを迫られている。その期限まであと1カ月程。何となく居心地の良い生活から、またそれぞれの途を歩き始める、そんな過渡期にある適齢期の娘3人。
長女・伊智子(飯坂泰子サン)はしっかり者で看護師。恋愛経験も少なく、処女でいることが重荷だった。そして出会い系サイトを利用して…。
次女・芙実(大村仁望サン)は臨時の学校保健師。恋人と同棲していたが解消し別れた。生徒の悩み相談にも乗っていたが、生徒の一人が自殺を…。
三女・紗苗(川村美喜サン)はバイト(夜はガールズバー勤め)。男友達は多く、生活も場当たり的だ。近所のコンビニ店長を密かに慕い、ある夜泥酔し自宅へ…。

姉妹がそれぞれの出来事を通して傷つき、悲しみ、もがく姿が少し痛く切ない。姉妹だから知られたくない、一方で心配し合うというリアル感に引き込まれる。
鍋料理食べながら、それぞれの悩み、心配事、今後のことを話す。それがタイトルでありチラシ写真である。観ている方(自分)も心温まるよう。

3人の視点からそれぞれの不安・困惑を鮮明に、それも半ばコミカルに描く。人(女性)の内面を覗き見る表現、生活環境の変化に折り合いをつけながら変化していく様、その両方を高揚感あるテンションで絡み合う秀作。この脚本・演出に対して役者陣(ゲストは佐藤正和サン)の演技も上手い。
短い期間であるが、姉妹にとっては貴重な時間…そこに刻印された思い出は、観客である自分もしっかり共有させてもらった。

次回公演を楽しみにしております。
たたかうおとな

たたかうおとな

演劇企画アクタージュ

荻窪小劇場(東京都)

2017/01/06 (金) ~ 2017/01/09 (月)公演終了

満足度★★★★

「子供の喧嘩」よりも始末が悪い「大人の喧嘩」…【Bチーム】
子供の喧嘩によって話し合うことになった夫婦2組の壮絶な会話劇。当初は大人らしく穏やかな話し合いが続くと思われたが、大人と言えど人間である。その性格が段々と露わになり、自分自身のこと、夫婦間のこと、さらには男女という性差による感情など、錯綜し漂流するような会話が面白く描かれる。
前説であった上演時間を越えて約1時間30分。

ネタバレBOX

舞台セットは、赤い壁のリビングルーム。中央にソファーとローテーブル(その上にチューリップが入った花瓶)が置かれ、壁際に飾り棚やハンガーが配置。上手側は台所や洗面所へ通じる。下手側にソフトクッションのような椅子2つ(白と黒)

梗概…ザッカリー(9歳)がイーサンを殴打し、イーサンは前歯2本を折る怪我を負った。この”こどものけんか”により、加害者男児の両親が、被害者ロングストリート宅へ赴き、話し合いをする。被害者・イーサンの両親は、ホームセンターに勤務する父・マイケルと、アフリカに関する書籍を著す作家の母・ペネロピ。加害者・ザッカリーの両親は、多忙な弁護士の父・アランと投資ブローカーの仕事に就く母・ナンシー。両家の話し合いは、最初は良好なものだったが…。
何故か帰れなく話し合いを続けている。そうした中で、アランは製薬会社の薬品データ偽装の訴訟を抱えており、会話の途中に何度も電話がかかる。一方腹痛を起こしたナンシーは嘔吐し、吐瀉物がアランのズボンとペネロピの蔵書にかかる。
アランとナンシーは互いに無関心。マイケルとアランがスコッチを飲み始め、女性2人も酒が入って口喧嘩もヒートアップ。アランとペネロピが口論となるが、途中に電話が何度もかかりアランの携帯をナンシーが取り上げ、花瓶の中へ…。

ある言葉(台詞)や瞬間(仕草)によって、人の機微に触れ機嫌を損ねるような地雷を踏む。この限定空間(リビング)にはいろいろな所に地雷があるようだ。各人の視点から描かれており、被害者・加害者意識から妄想、感傷、軽視、認識の欠如を思わせるような場面が次々に暴き出される。その批判は相手夫婦のみならず自分の伴侶にも及ぶ。大人としての論理的な対応が必要、そんなことが垣間見えるがまた感情的な言動と行動を繰り返す。そこには子供より始末が悪い人(大人ゆえ)の本質が見えてくる。内面(性格)と外面(職業)を纏った人、その”たたかうおとな”は見応え十分。

この翻訳劇は面白いが、それを体現する役者陣の演技が硬く、その力量差もあったように思う。人物の性格や社会的地位(職業)を醸し出すような、演技に血肉があればもっと面白いかと…。

次回公演を楽しみにしております。
ミュージックドラマ 「あなただけ」

ミュージックドラマ 「あなただけ」

駐日韓国文化院

駐日韓国文化院ハンマダンホール(東京都)

2016/11/29 (火) ~ 2016/11/30 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2016/11/29 (火)

本公演は、2016年から2018年までの3ヵ年を「韓国訪問の年」に制定したことを記念し、韓国文化院で特別公演として上演された。ミュージックドラマとは、普通のミュージカルと違い、大衆ヒット曲と演劇を掛け合わせた劇のことを指すそうだ。韓国の90年代のヒット曲が劇中にちりばめてある。
本来、韓国での上演は3時間であるが、それを2時間に短縮している。
公演(台詞)は韓国語であるが、舞台両脇にモニターが設置され日本語訳が出される。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側に街灯と花壇、下手側は樹木とベンチが置かれている。奥の壁面を幕にし夜空・(三日)月を映し出し、とても綺麗な描写として印象付ける。

梗概…慶尚道に住むとある夫婦の結婚生活を描いた物語。夫婦の新婚で暮らすシーンから、妊娠(娘)、出産、娘の結婚などを経て、老齢していくまで、喧嘩していがみ合いながらも仲睦まじく暮らしていく様子を描いた物語。90年代に韓国で流行した名曲で構成された、全世代の人が楽しむことができる公演になっている。

物語としては、坦々とした夫婦生活に見せ場があまりなく、劇的ではないことから緩慢で飽きられそうな展開になり勝ち。ところが本公演は、本当に何処にでも居るような夫婦の姿を奇を衒(てら)うこともなく普通に描いている。波風があったとすれば、娘の結婚相手が障碍者であったこと。娘の(将来)結婚生活を心配する親心が見えるが、その心配も乗り越え娘は幸せな結婚をする。

芝居を面白く観せるには事件のようなことが必要であろうが、殊更に出来事を起こすことなく日常の暮らしの中に幸せがある。そんな当たり前のことを年齢とともに滋味を醸し出し紡いで行く。世界中の多くの夫婦・家庭の在りよう、普遍的とも思えるような人間讃歌がそこに見える。変化に乏しい堅実な市民生活、だからこそ観客(自分)の生活に同化して安心して観ていられる。その劇中の生活は自分自身のように思えるのだから…。

演者はわずか4人…カン・ボンシク(夫役)、イ・ピルレ(妻役)、カン・ウンジ(娘役)、ハン・ヨンソク(結婚を控えた娘婿役、一人多役)。その登場人物はほぼ同じ人物が年齢を重ねて行く。その老齢化していく姿(変化)も見事である。若い時のダンス、歌唱と高齢になった時の違いもしっかり演じ分ける。その演技を舞台技術がしっかり支える。音響はもちろん音楽を指すが、照明は平凡な生活に色づけし抒情豊かにしている。

次回公演を楽しみにしております。
WHAT A WONDERFUL LIFE!

WHAT A WONDERFUL LIFE!

タクフェス

東京グローブ座(東京都)

2016/12/27 (火) ~ 2016/12/29 (木)公演終了

満足度★★★★★

プロローグと4話オムニバスを紡いだ構成と展開は巧い。脚本はもちろん面白い、そして、それを観せるための演出と印象付けがしっかり意識されている。人生を四季に準(なぞら)えて悲喜こもごもをオムニバス形式にすることでメリハリを付け、笑いと涙で織り成す人生譚。
東京グローブ座の高い空間の特長を活かし、舞台美術は少し高さのあるセットを設え、躍動感と心地よいテンポを持たせる。
映像(デジタル)とは異なり、生身の人間(役者)が”居る”というアナログは、体現する演技が観客(自分)にストレートに伝わる。まさに同じ空間を共有し楽しむという演劇の醍醐味を味わうことが出来た。
(本編:上演時間2時間30分、ライブイベント30分、計約3時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、高さと幅のある階段状が2つ、ハの字型に設え話ごとに可動・変形させる。上手側には季節感を表現する花や樹(例えば春は「桜」、秋は「紅葉」)、下手側にはその場面の特徴となる物(夏は「縁台」、冬は「屋台」)が置かれる。

オムニバス4話(春夏秋冬の移ろい)
春-主人公(宅間孝行サン)は29歳の銀行員。集金した金を競馬につぎ込みスッてしまう。何とか最終レース大穴狙いで取り戻そうとするが…。銀行員仲間や予想屋を巻き込んだドタバタ。行員の恋人がいたが、別れたようだ。

夏-銀行を辞めアングラ劇団に入団。上演時間が迫る中、役者同士がゴタゴタする楽屋。役者の矜持・舞台に立つこと、興行の成否を気にする中年ならではの滋味ある話。

秋-ヤクザ組織の若頭に。今日は親分の誕生日。親分を立て若い衆の面倒を見る。親分の娘の気まま・我がまま、若い衆の無鉄砲な行動が面白い。相思相愛と思っていた女性が敵対ヤクザの殺し屋と知り、悲しい結末へ…。

冬-敵対するヤクザ組織から襲撃されるが、その場に居合わせた(新人)刑事の拳銃を奪い組員3人を射殺し逃亡する。あれから15年、時効成立まであとわずかというところ…プロローグの場面がこの4話目に繋がって来る。事件の真相は…。主人公にとっての人生とは何だったのか…。

3話目迄は、面白可笑しく喜劇的な感じである。4話目は初老となった主人公の述懐、今までと一転し泣かせるシーンである。この落差ある構成は見事で、感動に打ち震える。
総勢27名のキャストが登場するが、それぞれの役割・立場をしっかり弁えた演技で、そのバランスも良い。全体的に飄々としたシーンに軽妙な台詞が合わさり、観ていて気持ちが良い。やはりオムニバスというメリハリが利いた構成は分かり易く、観客の心を捉え易いと思う。そして味わいが違う話でありながら、人生という断面を上手く切り取り、それを軽重なく並列性を持った視点で描いているところに安定感を感じる。

本編終演後は、芝居とは打って変わり観客を楽しませる、そんなサービス精神溢れるイベント(歌・ダンス)。本編(芝居)、イベントを通して3時間の長丁場であるが、それでも飽きることはない。

次回公演を楽しみにしております。
十二夜~Shakespeare garden Live

十二夜~Shakespeare garden Live

J-Theater

小劇場 楽園(東京都)

2016/12/27 (火) ~ 2016/12/29 (木)公演終了

満足度★★★★

初見の団体・ユニット(J-Theater)によるシェイクスピアの「十二夜」(邦題)は、その戯曲の面白さを十分引き出していた。これは喜劇の類になると思うが、悲劇(例えば、ハムレットの To be,or not to be,that is the question のあれか、これかの選択)の世界とは違って「あれでもあり、これでもある」という矛盾した世界をしっかり観せている。女は(男装して)男になり、いけないことをして楽しむ。
本公演でも、その表現は人が取り違えられる喜劇として見ることが出来る。
魅力的なヒロイン・ヴァイオラが海難に遭って男装することで真実の愛を見つける。一方、オリヴィア伯爵家の執事・マルヴォーリオの愛に悶える苦悩も見える。

(上演時間2時間30分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台は、ほぼ素舞台。上手・下手側に当時を思わせる置物があるだけ。この劇場は真ん中に柱があり、それを挟んで二面から観ることになる。その柱面に鉢植えのアクセント。

梗概…舞台はイリリア(本公演では架空の国として描く)。イリリアの公爵・オルシーノーは、伯爵家の女主人・オリヴィアに恋し、仕えているシザーリオを通じて求婚するが、オリヴィアは亡き兄の喪に服するため、オルシーノーからの求婚を拒絶し続けている。そのシザーリオは男ではなく、双子の兄・セバスチャンとの航海中に船が難破し、生き延びた妹・ヴァイオラである。ヴァイオラはオルシーノーに恋をするが、自分は家来(しかも男)・シザーリオ。その思いをオルシーノーに伝えることができず苦悩する。またオリヴィアは、シザーリオに恋をしてしまい、オリヴィアから告白されたシザーリオ(ヴァイオラ)は混乱する。一方、ヴァイオラの双子の兄・セバスチャンも助かっていた。彼を助けたアントーニオと共にイリリアに滞在するが事件が起こる。
オルシーノー、ヴァイオラ、オリヴィアの三角関係、瓜(うり)二つの双子・ヴァイオラとセバスチャンが引き起こす混乱、それぞれの恋の行方は…。

矛盾・混乱、それらが混在する雑多な世界。それが喜劇の面白さと言わんばかりの戯曲。人間は矛盾し訳が分からない行為をするところが面白く、人間臭いところ。機械と違って理屈や論理通りに行かないのが人間であり、恋に落ちることなど反理性的のようであるが、その「おめでたい」ところが喜劇の祝祭性である。人は己の愚かしさを自覚しなければならない。だからシェークスピアの喜劇には道化(フール=愚者)が登場し、登場人物の愚かしさを指摘する。もちろん本公演では、フェステ(伯爵家の道化)がいる。フェステは色々冗談を言いながら駄賃をせしめる。
道化フェステのみ事実をしっかり見ている。

本公演の魅力は、戯曲の面白さをそのまま引き出すのではなく、劇中で歌(7曲)を歌い、そのうち4曲は戯曲の台詞に曲を附して楽しませる。

少し残念なのは、役者の演技が硬く、観客(自分)が感情移入し難いこと。
次回公演を楽しみにしております。
2016 K-Arts 振付集団東京公演

2016 K-Arts 振付集団東京公演

駐日韓国文化院

駐日韓国文化院ハンマダンホール(東京都)

2016/12/15 (木) ~ 2016/12/15 (木)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2016/12/15 (木)

韓国の4年制国立大学として芸術分野で活躍する人材を輩出している韓国芸術綜合学校。
K-Arts振付集団はK-Arts舞踊団に属する舞踊団で、韓国芸術綜合学校の創作科の教授と卒業生、在校生によって構成されている。

この集団は、振付師と踊り手の両方の役割を果たしながら、個人やグループでの共同作業による創造的、実験的かつ現代性を反映するような活動を目指す舞踊団であるという。
舞踊は言語と民族性を超えた人類の共通性を持っているという。人間が持つ「身体」を介して自分を表現して他者(人)とコミュニケーションする芸術。舞踊を通じて韓国と日本の芸術交流の発展を目指して公演されたもの。
(上演時間1時間強)

ネタバレBOX

演目は5題…「秘めやかな同行」「コンベイトタ」「Doll doll」「Maintain」「パルレ」。

ドラマ性のあるもの、身体表現に特化したもの、舞踏を通じて人物描写したものなど、その表現内容は様々。
特に最後の「パルレ」は、女性が集まり洗濯(パルレ)しながら労働を尊い儀式として昇華させる韓国的な情緒と感受性を現代的に脚色したそうで、一種神秘的であるが、その行為自体の表現はどこかコミカル滑稽のようにも感じる。

まさしく観て感じる公演であり、舞踊の奥深さを思わせるものであった。
舞踊が好きな方は、一見の価値あり。
次回公演も楽しみにしております。

ヘナレイデーアゲイン

ヘナレイデーアゲイン

AnK

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2016/12/22 (木) ~ 2016/12/26 (月)公演終了

満足度★★★★

孤独を好む女性が愛しくなるような…。
初見の劇団...この公演は、人の心情と少し変わった暮らしという生活感の捉え方がうまい。設定の不思議さはあるが、日々の積み重ねが人生だとすれば、その断片(8カ月)をうまく切り取りアッという間の1時間40分。観応え十分であった。

ネタバレBOX

舞台は勤務先の事務所内。中央に机、上手・下手側に乱雑な書類などが置かれている。殺風景ではなく、逆にその乱れようが心の中を投影しているかのようだ。冒頭の掴みはアッと驚かせるような仕掛けから、物語にグイグイ引き込まれる。その大きな力は、脚本の面白さ、演出の奇抜さ、役者のキャラクターの作り込みとその体現の上手さという総合的な魅力。

物語は、人との関わりを持つのが苦手もしくは嫌いな女性が、夜中に仕事をしている。話し相手はパソコンの画面、バーチャルな世界を自由に浮遊している。話は本人・小野薙(小林夏子サン)とパソコン内の分身・モモ(掘内萌サン)の心身が往還するような展開である。某年4月から12月の8カ月間に亘る妄想・夢想を、ブログで語らせて行く。それゆえ心情はストレートに表現され、展開は時系列で分かり易い。冒頭シーンも含め、観せる手法は巧み。

場所は新宿街、時間は夜中というシチュエーションは、独特ではあるが少なからずリアリティもある。目に見えない心情・仮想の世界と目に見える現実と猥雑な世界の対比のような描き方も面白い。(若い)女性が持っている又は思っている気持の高まりが迸(ほとばし)る。その激した姿が少し痛いが感覚的だが共感を覚えてしまう。

この本人だけが楽しんでいたブログ(非公開)に、ハッカーとして闖入してきたヒロ(金城芙奈サン)との不思議な交流が話を増幅させ物語に多面性を与えている。登場人物のうち、女性は非日常を表現し、男性(昼間働く職場の人)は現実世界そのものを表している。劇中台詞…不安に思う気持の拠り所が、家畜のような仕事に頼る、という自嘲または諦念のような感情に納得してしまいそう。人の生活(暮らし)は波乱万丈だけではない。むしろ変化のない平凡な日々、一葉一葉が舞い、枯れ積み重なるようなものかもしれない。表層はコミカル・コメディという感じであるが、その内容は滋味に満ち溢れたもの。ちなみに、季節は変わるが衣装の変化は…卑小だろう。
素敵なクリスマスプレゼントでした。

次回公演を楽しみにしております。
楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―

楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―

オトナの事情≒コドモの二乗

王子小劇場(東京都)

2016/12/23 (金) ~ 2016/12/27 (火)公演終了

満足度★★★★

初めて男版「楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき」を観た。この劇の設定は「女優」であり、それを「男」が演じるとどうなるかという試みは面白かった。演じるという点では男・女の差異は無いと思っていたが、「男優」「女優」という言葉がある以上、そこにはやはり違いが存在しているようだ。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側、下手側にそれぞれ化粧台(意味合いが違う)が置かれ、その上には様々な化粧道具が並べられている。中央にはハンガーと椅子1脚。照明は低い位置に設置されており、人物造形を観せるためスポットで浮立たたせたかのようだ。

梗概…劇場でチェーホフの『かもめ』が上演されている。その楽屋では2人の女優が出番を待ちながら化粧をし続けている。そしてシーンの合間に主演女優が戻ってくると、彼女のプロンプターを務めていた若き女優が現れる。病院を抜け出してきたかのような枕を抱いた若き女優は「主役を返せ!」と主演女優に迫り…。

何度か「楽屋」を観劇しており、女優の存在・非存在、または時代背景などは知っている。それでも「俳優」という職業というか生き甲斐に魅せられた人の凄まじい業(端的には、他人に役を取られたくない)。それはどの時代にあっても関係ないということ。「女優」は、演じる”女”もさることながら、素というか人の性としての”女”も垣間見えてくる。繊細で婉曲に、それでいて絡みつくようなネチッこさが観客(自分)の心に纏わり付く。本公演「をとこの所為」は、女形・女方のような演技(立ち居振る舞い)で、それ自体は面白かった。

演目の主役が男性だったらどうなるのか?「男優」で思ったのが、仲代達矢と平幹二郎が俳優座の1期先輩・後輩の間柄ということ。似たような風貌のため、平は俳優座にいても自分の出番はないと思い退団したという(平が亡くなった時の新聞記事)。本公演も主演が「女優」ではなく、シェイクスピア戯曲のような主演が「男優」であれば観方も違ったかもしれない。

「楽屋」に話を戻すと、やはり女優Dをどう表現させるかだと思う。自分は演技の巧い女優であると信じ込んだ特異な性格破綻の女を男が演じることで、不思議な感覚を見事に造形していた。この病んだ女優D(辻貴大サン)と主演女優C(塚越健一サン)の一定の距離感(気持の中)を持った丁々発止がうまい。
女優A(大原研二サン)・B(渡邊りょうサン)の2人は生き生きと演じて好感が持てたのだが幽霊のような雰囲気がない。初め女優Cには、亡霊である女優A・Bの姿が見えないという設定だが、Cが幽霊になってもその状況(演技)に違和感がない、という変な感覚に捉われてしまった。

女優を男優という男性目線で描いた「楽屋」、色々な意味で面白かった。
次回公演を楽しみにしております。
痴女を待つ

痴女を待つ

スマッシュルームズ

シアター711(東京都)

2016/12/21 (水) ~ 2016/12/25 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い!…
「痴女」というよりは「恥除」(ちじょ)のようなイメージの物語。非モテ男は、毎日決まった生活の繰り返しに疑問を持たない。何となく惰性で生きてきたような人生を少し省みると…。
その、どこかに居そうな男のもがく姿が少し痛く、切ないように思う。作・演出の中山純平 氏はそんな男を厳しくも優しい眼差しで描いている。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台は盆(回転はしない)、6等分に色分け(対面は同色だから3色)しているが、特に意味があるように思えない。それ以外は小物が少し。演技する役者だけが盆上におり、それ以外は、客席とは反対側に半円のように立っているだけ。演技力が勝負だが、皆見事にキャラクターを立ち上げており、見応え十分であった。

梗概…清掃会社の契約社員として働く男(上松コナンサン)、29歳童貞、趣味はTVゲーム。一念発起し女性と付き合い、童貞を卒業する行動を開始。出会い系サイト、擬似恋愛(レンタル彼女)、特殊浴場など経験するが当初目的は果たせない。そんな時、職場にいる憧れの女性(小林知未サン:東日本大震災で故郷を離れた)が、その同棲相手とうまく行っていないことに気づく。彼女を助けたい、その一心からストーカー紛(まが)いの行為(室内への侵入・盗聴・遠盗撮など)を繰り返すうちに、憧れが強い恋心へ変化していく。相手の男は、職場の女を次々モノにするような駄メンズ(河原雅幸サン:自称ミュージシャン)。この恋の行方はどうなるのか…。

この童貞男に色々アドバイスするのが”神様”。それとなくアドバイスはするが、成就させるような安易なことはしない。主人公は女性にモテたい、そのくせ女性の目線が気になり、声さえ掛けられない気弱な男。できれば女性の方から声を掛けてリードしてほしいタイプ。少し古いかもしれないが「草食系男子」といったところか。この気弱な男が、女性が自殺しようとした場面で発する台詞…自死したら地獄へいく。この地獄は今と同じ、つまらない人生を繰り返していいのか。いくつかの珠玉な台詞を散りばめ、”恥ずかしさ”のような生き方に変化の兆しが見え始めたが…。

この公演、ダメ男という人間の世界を扱ったものであったが、時々登場する神様が”社会の窓”へ開陳するように「今の日本は食って寝て暮らせる場所があり、幸せのはずなんだがな。爆弾抱えて行かなくてもいい」など、社会性を絡め幸せの尺度や考え方は人それぞれだと言う。ちなみに主人公が本当に神様はいたのだろうか?という自問自答が意味深で面白い。

キャストは7人。盆の上で演技するのは多くて4人程度。寸劇の連続のようで心地よいテンポ。設定が清掃会社であるが、盆上以外の役者もハケることはしない。物語から沢山の感情が溢れるが、盆上で熱演する場面とそれを観客同様、客観的に見つめる役者がいる。客席から見れば、盆を通り越してその向こうにいるという不思議感覚。
もし、舞台セットが設え、出入りのある芝居だったらどのような印象になったのだろうか。そんな想像もしたら楽しくなった。
ラスト、痴女には言葉は要らない、舌さえあれば…。

次回公演を楽しみにしております。
当日の配布物に役名が記してあると感想が書きやすいので、次回はお願いしたい。
「ロストマンブルース」

「ロストマンブルース」

SANETTY Produce

テアトルBONBON(東京都)

2016/12/20 (火) ~ 2016/12/25 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2016/12/21 (水)

死ぬとはどういうこと、という問いかけから物語は始まる。その人の存在を忘れてしまうこと。このタイトル「ロストマンブルース」は、音楽を忘れたらどうなる。世の中、変わるのだろうか。
謎めいた人物が登場するたびに、話が増幅するようで思わず身を乗り出す。この後、どう展開するのか興味は尽きない。そして全てが明らかになった時、人の思いの深さを知ることになる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台になるのがシェリーというライブハウスだった場所。上手側奥にドラム・ピアノが並び、下手側はカウンターと棚。中央に2セットの丸テーブルに赤い椅子。床は赤黒の市松模様という、いかにも音楽に所縁がある雰囲気が漂う。

物語の登場人物は、主人公の朝倉一義(夢麻呂サン)を除き、全員が劇中芝居をしているという設定である。朝倉は1992年に交通事故に遭い、記憶障害(喪失)になっている。何故か事故に遭った同じ日、毎年このライブハウスを訪ねてくる。
現在は2016年、事故から24年経つが本人の意識は当時(24年前)のままである。実はこのライブハウスも随分前に倒産(閉店)しており、現在はコンビニになっている。

この事実(朝倉が訪ねてくること)に元店長は、ビルオーナーの承諾を得てコンビニを一時的に元のライブハウスに改装している。店内は張りぼて仕様である。事故当時4歳,2歳だった娘も28歳,26歳に成長した。そして妻の名を忘れ、娘を妻と勘違いし出す。担当医が記憶の認識をさせる診療の一環として考えたのが、今回の芝居(バンド音楽)によって「記憶の覚醒」を図るもの。その結果...。人は張りぼてではなく善人ばかり。羨ましい家族、友人関係である。
1992年、尾崎豊の歌を聞いてきた自分には懐かしい。同時代もさることながら、同じ思い出の地(場所)を共有する人々には、そこはいつまでも在ってほしいものだろう。

冒頭、間もなく無くなるライブハウスに訪れた中年のバンドマン。熱く語る音楽への思い...しかしその言葉とは裏腹に仕事があるのかどうか。今は過去を振り返るのでも、未来を夢見るのでもないような暮らしぶり。それでも何か...好きな音楽であることは間違いない。そのあがく姿が自分(観客)のそれぞれの場であがく姿と変わらないような気がする。あがいた先に安易な希望は見せないが、だからこそ最後にかすかに差す光に胸が熱くなる。

物語は終盤まで「謎」だが、それが段々氷解していく過程に色々な伏線を張り巡らせている。確かにリアリティはないが、自分がその立場になったらどうするか、その問いが投げかけられているようで目が離せない。

キャスト陣の演技、シーンの転換に応じコミカル、シリアルにと変幻自在。やはり親子の分かり合い、夫婦の貧しいながらも理解しあった仲。それが記憶障害で妻の名を呼ばれなくなる寂しさ、切なさ...ラストに小さな奇跡と大きな感動。

次回公演を楽しみにしております。

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