域地-ikichi-
戯曲本舗
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2019/08/09 (金) ~ 2019/08/11 (日)公演終了
満足度★★★★
中盤まではアニミズムを思わせるような台詞と動作、その雰囲気を高める音楽や照明の妖しい演出効果。一転して後半は登場する人物の懊悩がこの地(山奥)の精霊との不可思議なダイアローグを通じて解放されていく。纏わり付くような不気味さ、それを辛抱強く観続けた先に、”なるほど”そう言うことが描きたかったのかという謎解きにも似た気持にさせる。その意味で、いかに中盤まで興味を持たせられるかが鍵のような公演。
(上演時間1時間25分)
ナツ。キタル。ホタル。
tYphoon一家 (たいふーんいっか)
ザムザ阿佐谷(東京都)
2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
作家の創作・回想として、ある夏の4日間の冒険物語が紡がれる。オムニバスのような構成であるが、そこには作家の言い知れない故郷への想いが…。
紗幕を使った影絵的な人物描写と風景映写による情景描写を上手く使い分け、抒情的な雰囲気作りは巧み。
(上演時間1時間50分) 後日追記
Theatrical Power-POP
平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co.
神楽坂セッションハウス(東京都)
2019/08/03 (土) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団「平泳ぎ本店」の公演は、「第8回せんがわ劇場演劇コンクール」のファイナル作品以来となる観劇。「古今東西、古典から現代まで、演劇の宝物を一つの舞台に閉じ込める。」という説明のとおり、色々な戯曲(約15作か?)のシーンを様式所作や新劇風、ダンスのような身体表現を駆使して観せる。まさしく演劇的手法を奔放に組み合わせ創作している。そこにディバイジングの妙が観てとれる。
(上演時間1時間25分)
ひのくすり
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
上野ストアハウス(東京都)
2019/07/31 (水) ~ 2019/08/06 (火)公演終了
満足度★★★★★
2本立てであるが、舞台は同じ東南アジアにある小さな島。視覚による直接的な繋がりはないが、状(情)況や台詞によって連想させる。2つの話は、男優グループと女優グループの競演といった感じであるが、物語の底流にあるのは男女というよりは人間としての寂しさや悲しみ、見栄や欲望といった感情を描く。場面はほとんど動かないが、逆に人の感情の高ぶり揺さぶりが素晴らしい。2本に共通した観せ方であるが、冒頭のモノローグに観客の集中力を高めさせるあたりは巧み。
(上演時間1時間35分) 【❤チーム】 2019.8.10追記
ネタバレBOX
舞台セットは、左右のベットを段々に3段組んだ6人部屋。冒頭は、このタコ部屋風の自分のベットで独白する場面から始まる。ここは日本から遠く離れた島にある炭鉱。モグラのような生活をし、日銭を稼ぐような暮らしをしている。自分さえよければ他人は関係ない、この仕事現場から逃避することも出来ず、唯々諾々と無為な日々を送る男たち。
一方、女たちはマッサージと称して裏で風俗を営んでいる店で働いている。舞台セットは男たちと同様6人部屋。冒頭も同じように1人1人の独白から始まる。そして日々、誰が売り上げを伸ばしているか、そして客サービスまたは客あしらいを自慢している。こちらも訳アリの女たちが仲間同士の諍いが絶えない。
この男・女の物語は別々に上演されるが、所々に伏線を張り繋がっていくことを連想させる。例えば、炭鉱の男たちが息抜きで通うマッサージ店、その台詞が暗黙のうちに観客の意識下に刷り込まれる。また男の1人は離婚によって別れた娘がおり、マッサージ店にはそれらしき娘がいる。
男・女とも日陰者扱い、その環境下で荒んだ生活をしているが、何故か生き活きとしている。場面はタコ部屋だけだが、徹底的に台詞、会話にこだわっている。そこにストレートプレイの中に議論・口論・口喧嘩をのぞき観るような面白さがある。だから底辺でも生きている労働(生活)者の姿を観ることが出来る。無駄と思われるようなシーンを省き観(魅)せる演劇に拘った公演は自分の好み。
男・女の物語に演出上の違いがあるとすれば、臭い・匂いであろうか。もちろん実際に嗅覚として感じる訳ではなく、そう思わせ感じさせるところ。男の外見は炭鉱夫らしく薄汚れた格好、煤けた顔。一方、女は裏風俗という設定から小綺麗にし香水も付けているかもしれない。その感覚を漂わせるあたりが上手い。
舞台セット、プロットはほぼ同じ、にも関わらず上手く話を繋ぎそれぞれの人間臭さを描き出すところは巧み。ラストはそれぞれの環境下から逃げ出し、途中で同じ花火を観ているだろう余韻付けが見事だ。
次回公演を楽しみにしております。
群盗=滅罪
クリム=カルム
シアター711(東京都)
2019/07/24 (水) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
自由・解放、復讐・報復といった人の心にある善悪のような表現。しかし、そのような2項区分はあまりに表層すぎて、この物語の伝えたいテーマが暈ける。主人公カールの放蕩ぶりは、ある意味「自由への希望」であり「社会秩序」への挑戦だったようだ。「群盗」のリーダになり心の葛藤を呼び起こされる。自分が願った権力への復讐は、同時に法を傷つける。自由は秩序と相容れない不条理、理想と現実のせめぎ合い、そこから生まれる妥協という産物に絶望感が漂うようだ。
この公演、冒頭は取材シーンという現代劇であり、本編になると原作当時(18世紀)のような情景になり時代設定が判然としない。敢えて曖昧にしているのか、気になるところ。また原作と異なり重要な役所を男から女へ変えているが…それであればもう少し男女にした意味があるような展開があってもよかった。
(上演時間1時間50分)
おどる韓国むかしばなし『春春~ボムボム~』
あうるすぽっと
あうるすぽっと(東京都)
2019/07/20 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
老若男女問わず、多くの人に観て楽しんでもらうよう工夫した公演。同時に韓国と日本の共通したところや逆に異なるところ、その文化的な面白さを感じさせる内容。例えば文化の代表として言葉...「ウンメ~~」は韓国語で牛の鳴き声、日本では美味しいという感動語。隣国でありながら知っているようで知らない、でも共通した人の心もあるようだ。子供(特に小学生=将来の観客)を中心に、ある参加型の試みをするなどの好公演。
(上演時間1時間20分)
下北ショーGEKI夏祭り公演2019
ショーGEKI
「劇」小劇場(東京都)
2019/07/19 (金) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
1人の女性の半生を漫画や小説の有名なフレーズ(太宰治の「大人とは、裏切られた青年の姿である」等)を借用しながら紡ぐ、まさしく笑劇にして衝撃的な公演。舞台上で使用する小道具は、漫画的な観せ方を意識した心憎い演出だ。笑いと涙は人生そのものを表わすが、この物語に登場する女性はと言えば...。
(上演時間1時間50分)「漫画少女は眠らない」編
ネタバレBOX
舞台セットは、形の違う大小額縁のようなものが幾つも吊るされている。物語が始まるとそれが漫画コマ割のように観え、枠に登場人物が収まり現実と漫画の世界を行ったり来たりする。表面的にはポップで軽快な印象であるが、内容的にはとても深みのある公演だ。
梗概…主人公・豊富エマ(廣田朱美サン)は昭和51(1976)年生まれで、物語は彼女が8歳の時から始まる。そして時代を順々に経て令和元(2019)年の43歳までを描く。その時代はエマが8歳、16歳、25歳、33際、43歳であるが、同時に母親・寧々(吉川亜州香サン)も登場し二人三脚のように寄り添って生きている。エマは「顔面緘黙」という病気で表情に乏しく、人とのコミュニケーションが苦手。だからいつも母親に後ろ盾になってもらっている。自分の本心を隠し魔法犬として母を女剣士として操る。その際、額縁に収まり照明の中でポーズを決める。その姿はまさしく漫画タッチで面白可笑しい演出である。
観せ方は、映像的に言えばカメラアングルを変えるような感じで立体的に切り取る。例えば職場先輩で恋人の小野田とラブホテルでの光景など実に上手く表している。年代ごとの面白エピソードを散りばめながら、時々に印象的な台詞が聞かれる。自分は「言葉は刃、一度(口から)発したら取り戻せない」が心に響いた。
高校時代(16歳)の部活と初恋、デザイナー(25歳)として働き、恋人が出来るが裏切られ、中年(33歳)に差し掛かり、母が亡くなった現在(43歳)は…。その時々に人や社会とのたたかいがあり、変身することで本心を隠し誤魔化しどうにか生きてきた。物語はマンガとも歩みを一緒にしている。そこにタイトル「漫画少女」に因んだ時代背景や漫画文化が透けて見える。
エマという1人の女性の半生を通して、人が抱えているトラウマのような悩み、誰かに認められたいという自己承認といった諸々の感情を描く。幼い時、エマは父から自分の存在や愛情の拒否を受けたが、父は父で作家として認知されたいという悩みを抱えていた。2019年になった現在、万人に認められなくても、誰か1人でも認めてくれる人がいれば頑張れる。自己否定(顔面緘黙という病も含め)から自己承認されることで生きる力を得る、という否定⇒肯定へ帰結させるまでの経過と結末への導きは見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
僕たちへ、ぬかるむ町
演劇チーム 渋谷ハチ公前
小劇場B1(東京都)
2019/07/24 (水) ~ 2019/07/31 (水)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
父親の葬儀当日、25年ぶりに帰ってきた長兄が「この街は変わらねぇ」と呟く。もちろん街は開発され昔とは違っているが、呟きの意味するところは、人の心を揶揄しているようだ。底意地の悪さ、嘲り、裏切りなど人が持っているであろう醜悪な面を次々暴いていくような非人情劇。直接的には葬儀に集まった身近な人々の厭らしい部分をあぶり出しているが、真の狙いは人の懊悩を描くところにあるようだ。
観客の集中力を失わせないよう、”暗転なし”の工夫をするなど上手い観せ方。テンポの緩急、緊張をもたらすシーンなど観応えも十分だ。
なお、初日のためか演技が少し硬いこと、また冒頭は「ハッ?」「えっ?」などの感嘆詞のような応酬がくどく間が好くないところが気になったが…。
(上演時間1時間45分) 後日追記
しだれ咲き サマーストーム
あやめ十八番
吉祥寺シアター(東京都)
2019/07/19 (金) ~ 2019/07/24 (水)公演終了
満足度★★★★★
劇中劇ならぬ落語劇といった構成である。舞台は現代と江戸時代(吉原)が混然一体となっており、時代を行き来するといった時空間の往還ではない。噺家によって場面が自由自在に操られ、それが落語の世界なのか、噺の劇化なのか...実に不思議な世界観を築き上げており見事だ。同じ舞台に花魁姿の女性がいれば、現代ファッション?のyoutuberの女性も登場するが、不思議なことに違和感はない。
この世界観を支えているのが舞台美術だ。前に観た「ダズリング=デビュタント」の舞台美術も素晴らしかったことから、舞台造形には拘りがあるようだが…。
物語は、説明にある“嫐打ち”の漢字のような女・男・女の愛憎、また至芸への執念や嫉妬といった人間の業(ごう)などを、情感豊かに描き分ける巧みさ。上演時間は2時間35分(途中休憩10分)と長いが、飽きることなく集中して観られる秀作。
後日追記
第10回せんがわ劇場演劇コンクール
せんがわ劇場
調布市せんがわ劇場(東京都)
2019/07/13 (土) ~ 2019/07/14 (日)公演終了
満足度★★★★
せんがわ劇場が主催する演劇コンクールで、予選(書類審査)を通過した6団体によって競われた。40分間という限られた時間の中で表現することになる。コンクールは2日間にわたって専門審査員、市民審査員および全公演を観劇した観客の投票によって審査する。専門審査員がグランプリおよび劇作家・演出家・俳優の各個人賞を選び、市民審査員と全公演を観劇した観客の投票(持つ票数は異なる)によってオーディエンス賞を決める。
今回のコンクールの特徴は、参加団体全ての公演がパフォーマンス系であったこと。この傾向(ここ数年は圧倒的にパフォーマンス主体)は、時間的制約が影響しているのであろうか?何となく見巧者向けで、演劇初心者には解り難いようにも思える。「演劇とは」という問いに正解はないかもしれないが、少なくとも観客が劇場に足を運ばなくては成り立たないだろう。多くの人に演劇を楽しんでもらうには敷居が高い内容に思えたのが残念だ。
(上演時間各40分)
ネタバレBOX
7月13日(土)【1日目】
①キュイ(東京)『蹂躙を蹂躙』13:30~14:10
ほぼ中央に電飾が吊るされており、椅子を次々倒す。チラシ説明と合わせると人を殴り倒す行為のようだ。そこには人の何とも言い表せない苛立ちのようなものが浮き上がる。不気味さは、何かが崩壊するような音響によって助長される。世界の崩壊、人の存在否定のなうなディストピアを思わせる。
②世界劇団(愛媛)『紅の魚群、海雲の風よ吹け』15:00~15:40
大人になるって...繰り返されるフレーズを定型と非定型を比較しながら展開する。身近な教師は教えているようで、実は肝心なことは教えない。一方、スマホなど身近な媒体の方が役に立つというアイロニー。女の子の悩みを母親とドーパミンという比喩で描く。外観は歌舞伎風のメイクや衣装、そしてキューブも隈取のような柄が目をひく。
③イチニノ(茨城)『なかなおり/やりなおし』16:30~17:10
茨城県愛を感じさせる内容。車が飛ぶ、人も飛ぶ、宇宙人が来るという夢物語。100年後の世界観と、何年経とうが変わらぬ故郷。その変わらぬ街には忘れたい事があり、強いて忘れたことにする。大胆な夢想の中に繊細な人の心、機微を描いた舞台。キューブを使用した上下運動が躍動感を生んでいた。
7月14日(日)【2日目】
④劇団速度(京都)『Nothing to be done.』13:30~14:10
上手側に倒れるであろうことが一目瞭然な角材が立っている。そして倒れた時に当たるであろう花苗が舞台中央奥に置かれている。登場人物は男2人。1人は自分のからだの一部を指しながらもう1人の男に何かを訴えている。2人は言葉を交わすことなく、ラグビーのように体を押し付け合うだけ。何もない「ゴトーを待ちながら」を思う。
⑤ルサンチカ(京都)『PIPE DREAM』15:00~15:40
「理想の死に方」について、様々な職業、年齢の人々にインタヴューという形式で描いたモノローグ。中央に滑車があり、それに自ら吊り下がる女性、その周りにいる男性の2人芝居。滑車に吊るされた不自由な体から、身体障碍者の生への疑問、一方生への渇望を感じる。現実逃避、夢と現実の狭間で揺れ動く”何”かを描く。照明の陰影が印象的だ。
⑥公社流体力学(埼玉)『美少女がやってくるぞ、ふるえて眠れ』16:30~17:10
グランプリ受賞。しかし正直、自分は好きではない。
表層的には「第10回せんがわ劇場演劇コンクール」のファイナルに選ばれて、コンクール当日までの公演制作の過程を美少女という存在を介して朗読、漫談、1人芝居?として面白可笑しく展開。単に分かり易いだけという印象。
幕末純情伝
★☆北区AKT STAGE
北とぴあ つつじホール(東京都)
2019/07/12 (金) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
未見だった つかこうへい作品。
「やってらんねえよ!」…憤慨しつつ、それでも明日を信じて奮起する、そんな力強い台詞が随所で聞かれ心に響く。そして、つか作品らしく弱く虐げられた人々への温かい応援歌のような物語は楽しめた。
(上演時間2時間10分)【浅野鼓由希★チーム】
ネタバレBOX
セットはなく、段差だけの素舞台。大きな空間を確保しているのは殺陣シーンのため。
梗概…冒頭、沖田総司は女で勝海舟の妹という設定。ある事情で勝家を出奔し新撰組に入隊した。ここで沖田総司は土方歳三、坂本龍馬と男女の三角関係になるという奇抜な展開へ。そして彼女の実の正体とは...。
公演の魅力は、沖田総司が女であることから、幕末志士(土方・坂本・高杉晋作等)たちとの情交を通じて日本の行く末を語る展開。多くの幕末の物語は男中心に描かれることが多いが、ここでは新選組一番隊長で人気抜群の人物を女という奇抜な設定にし、その視点で幕末という激動期を描いている。大義名分という大上段ではなく、男・女...人間としての生き様、その身近なところを生き活きと描いているところに つか作品への共感と魅力を感じる。
また沖田が女であるがゆえ他隊員に恋愛感情が芽生え、病が伝染すると疎まれるなど、人間臭い面も描き新選組が内部から崩壊していく過程を浮き彫りにする。人間讃歌を謳いながらも、他方では人間の弱さ切なさなどを描く。場面によっては下ネタを挿し入れながら、それが人間の愛すべきところと言わんばかりの迫力だ。もちろん つか作品に観られる啖呵を切るような威勢の良い台詞と相俟って自分の気持を清々しいものにしてくれる。
演技は前半、特に序盤の殺陣シーンは迫力があったが、徐々に殺陣というよりは演武的な観せ方になり、ある種のパフォーマンスといった印象を受ける。出来れば要所要所は序盤で観(魅)せた迫力ある殺陣シーンを見たいところ。それでも浅野鼓由希サンの股割のような姿は力強く、斬っているという感じがよく表されている。衣装が現代風なのは開脚など和装では不都合なシーンがあるためであろうか?見始めは違和感があったが、そのうち物語に引き込まれ気にならなくなった。観終わってみれば、むしろ視覚的に時代を特定せず、その時代に生きた”人”を描くことを強調した演出ということが解る。
閉塞した時代状況を自由な時代へ変える、その新時代の幕開けに相応しい元号「自由」へは叶わなかったが、「天下は明るい方向に向かって治まる」の「明治」時代へ。
そして「明治」からいくつかの元号を経て「令和」へ、「幕末純情伝」は つか作品では未見であったことから新鮮であったが、根底には時代は移れども「人」と「時代」への鋭い洞察があり、彼らしい切り口で観応えある内容であった。
次回公演を楽しみにしております。
アシュラ
平熱43度
ワーサルシアター(東京都)
2019/07/03 (水) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
「一人二役!」「小道具なし!」「転換スピード0秒!」このハイスピード演劇にアナタはついてこれるか!?...という謳い文句通りで心地良いテンポで観ることができた。一方、この謳い文句によって脚本の魅力が損なわれた面も観られ勿体なかった。
ディストピアに一筋の光明が…。
(上演時間2時間)【修チーム】
ネタバレBOX
セットは、舞台上部から観たら凸状で、客席に向かって突起し何か所かに白布が掛けられているだけ。ほぼ素舞台に近い作りはアクションスペースを確保すること、時間的空間の広がりをイメージさせるためだろう。小道具なしのパントマイムで状況・情況を表現する。また1人2役を演出するため、体を回転させるなどして場と人物をイメージ転換させる。その意味では「転換スピード0秒!」ということになる。
梗概…いつの日か、某研究所から開発中の新種ウイルス“ASHURA virus-アシュラウイルス-”が漏れた。そのウイルスの名前は20歳未満に感染し、遺伝子を変化させ「超能力」を扱う。この超能力者となった”新生人種”が反政府組織としてテロ行為を行いだす。政府は、新生人種の抹殺を秘密裏に実行するという社会ドラマ。一方、この部隊に配属された男の使命と彼女の思念(妖怪サトリのような相手の心が分かる)の切なさが人間ドラマとして描かれる。
1人2役は新生人種(子供時代)と旧人種(成長し抹殺組織)の間で行われるようで、謂わば、過去と現在の同一人物が殺し合う、もしくは過去と現在という異次元空間での闘争のように思える。その設定であれば大胆奇抜で面白いと思うが…。表層的には新旧の人種闘争で、アクション・超能力という見せ場でストーリーを牽引する。連続した時間上にある同一人物が殺し合ったらどうなるのか、または異次元間の闘争の果てはどうなるのか、といったことが解らない。なぜ新人種がテロ行為を行いだしたのか。設定の曖昧さが、ラストの女性の衝撃的な告白シーンの盛り上がりに繋がらない。謳い文句に捉われるあまり、脚本が伝えたかったことが おざなり になったように思える。
脚本は20年以上前に書かれ、2013年に再演したという。自分は新種ウイルスが漏れたという設定に、2011.3.11東日本大震災後の原発事故を連想してしまう。新人種の得体のしれない超能力の脅威=放射能汚染、その取り組みが遅々として進まない現状。蓋をして隠蔽する、その様子を新旧人種間の確執のように描く、そんな暗喩的な公演に思える。暗澹たる世界観にあっても、足元にある人と人の信頼関係、恋愛感情を掬い上げ物語に織り込む。社会+人間ドラマとして観(魅)せているところに好感を持った。
次回公演も楽しみにしております。
ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.7
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2019/07/11 (木) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
「魯迅の『狂人日記』を原テクストとした韓国・日本の2劇団による上演。両劇団の切り口・アプローチを見比べる」という謳い文句に対しては、韓国の「狂人日記」は、連続したモノローグ、日本の「今日人。明日狂。」は個人を取り囲んだ群衆、といった印象の劇。どちらも演劇的な身体表現は豊か、そして原テクスト「狂人日記」の言わんとしていることが分かる優れもの。
(上演時間2時間30分 途中休憩含む)
ネタバレBOX
自分が観た回は日本「今日人。明日狂。」、韓国「狂人日記」という上演順。日本、韓国とも素舞台で、時にいくつかのキューブが用いられるのみ。印象的なのは、どちらも照明を駆使した演出、心象付けが素晴らしい。
〇日本「今日人。明日狂。」DangerousBox(日本)薄暗くした雰囲気の中で、演者・ダンサーは基本的にモノトーンファッションに身を包み、全体を通して妖しく時に荒々しいパフォーマンスを繰り広げる。狂人日記の核と思えるところは、冒頭で表現され、以降それを説明するかのような展開である。円陣の中心に足を向け、仰向けに寝ている演者の真ん中に立ち姿の女性2人。この2人が裏表・上下に重なり捩じらせることであたかも1人の人間を立ち上がらせるようだ。自分の中にある正邪・建前と本音といった2面性のような、しかし、そんな単純には表現しきれないもどかしい根源的なものが観てとれる。「人食い」というフレーズは、ある人の意識下にある誇大妄想かもしれないが、もしかしたら誰もが持っている繊細な感情のようにも思える。小説の行間に込められた思い、それを生身の身体表現で”感性””として表しているところが上手い。
〇韓国「狂人日記」 劇団新世界(韓国)
個々人が持っている、少し偏執的な側面を狂人として強調する。1人ひとりの独白を基本に、それを連続させることでいつの間にかそれが普通なことと思わせる。日本とは逆に1人ひとりが個性豊かな衣装に身を包み、個々独自のスタイルで表現して行く。登場する狂人は、サムスン狂人、拘束狂人など9狂人であるが、その中に白ミニ姿の舞台狂人がいる。3番目に登場するが、出番が終わると舞台から消えるのが定めだが、黒いマントを羽織り闇に同化してでも舞台上に居続けたいと…。他人と違うことをことをすれば狂人扱いされる。狂人の思惟は、自己表現・主張が上手く出来ない自分自身への嫌悪や怒りかもしれない。その感覚表現は、狂人の偏執ぶりを可笑しみで包み、他人の目を意識し恐れた隠れ蓑のように思える。多数の中の個人という没個性こそが生き残れる、そんな社会への警鐘とも思える描き方。
冒頭に記した「両劇団の切り口・アプローチを見比べる」は、どちらも「狂気」というものは、誰もが気付かないだけで、本当は自分の中(心もしくは頭)の奥深くにある、狂人と自分との境界線が曖昧に思えてくる。同時に個性より集団という社会性のようなものが優先される。何となく人間の意識下を描き同時に社会という構図への批判、そんな個性=個人、集団=国家が個々に浮き彫りになるような両公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
楽屋ー流れ去るものはやがてなつかしきー
藤原たまえプロデュース
千本桜ホール(東京都)
2019/07/10 (水) ~ 2019/07/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
「楽屋」は数多く上演され、自分も何度となく観ているが、本公演は丁寧で分かり易いという印象だ。女優という業に魅入られ身も心も苛まれるが、それでも女優であり続けたい執念、そんな世界観がしっかり描かれている。この有名な戯曲「楽屋」をどう観(魅)せるか、演出力が問われるが…。
その演出であるが、まず「楽屋」は、いくつもの2項対比をしていることから、それを意識した舞台セットの作りは見事。上手・下手側は死者と生者、鏡台の内側と外側(客席寄り)はまさしく楽屋と表舞台を表している。また女優の懊悩・心情を表すため、照明はモノクロ諧調による陰影付けという巧みさ。そして何といっても役者の動線を意識した演出は素晴らしい。
演技は、力のあるモノローグ、その意味で女優が”女優”になりきっており「楽屋」の世界観を堪能させてくれる。そして舞台と客席の間には楽屋の鏡があることをイメージさせ、鏡の中の自分に語りかける、同時に楽屋での回想・稽古風景を挿入する。もちろん鏡に向かうことは、常に客席側を向き演技し続けることになり、鏡という媒介を通して自分と観客という内外を意識すること。まさしく女優の存在そのものを表現している。初日のためであろうか演技が少し硬いように思えたが卑小なこと。
(上演時間1時間25分)【Aチ-ム】 後日追記
MITUBATU
なかないで、毒きのこちゃん
OFF OFFシアター(東京都)
2019/07/02 (火) ~ 2019/07/09 (火)公演終了
満足度★★★★
何だこの面白さ味わい深さは…すぐに思い出せず悶々としたが、ハッと気が付いた。これはシェイクスピアの「マクベス」ではないか。
物語は、お下劣な場面もあるが、最後は有名な映画音楽で追憶を誘い、そして清々しい印象を残す。これってこの劇団「なかないで、毒きのこちゃん」のイメージだっけ?
今までに観た「こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん。」「おれたちにあすはないっすネ」、そして今回の公演、実にバリエーションがあり...。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
いつの日か、または異次元の下北沢にある廃劇場という設定。上手側はブルーシートで覆われ、メイン舞台は、ダンボールが重なり、下手側に木箱を重ね合わせたようなベットが置かれている。中央にはドンジャラの卓と牌。全体が廃墟といった雑然とした雰囲気を漂わす。また車の運転シーンを表すため客席後方の一部を使用する。
物語は、色々なキャラの人(スリ、生肉大好き、人殺し、出張デリヘル嬢など)がこの廃墟のような所に出入りしている。取り留めもない日常、そんな暮らしにさざ波が立つ出来事が。ここに住んでいる け太郎(政岡泰志サン)のところに娘とその夫が一緒に暮らそうと誘いに来て、皆、祝福と一抹の寂しさといった複雑な気持が溢れ出す。
奇妙な設定(廃墟・生肉からの想像)や奇抜な外見(例えば け太郎はおむつ姿)を除けば、中盤から殺人犯の逃亡先とそこを突き止めようとする警察、その刑事ドラマの概観を示す。この緩いストーリー性をベースに、奇妙な空間で暮らす人々のペーソスを織り込み、それを外見やオーバーアクションで笑いに包み、色んな味わいを感じさせる逸作。
この一見貧しき吹き溜まりのような場所も、脛に傷持つ人にとっては安住の地かもしれない。また出張デリヘル嬢・ちゃん(未来サン)の仕事とは別の、人柄-優しさ思い遣り-への思いを「きれいは汚い、汚いはきれい」と叫び、思いの丈を打ち明けるシーンは公演の真骨頂ではあるまいか。
この台詞、シェイクスピアの『マクベス』の「きれいは汚い、汚いはきれい」(邦訳)にあり、神様や善人にとっては美しくきれいなものも、悪魔や悪人にとってはかえって忌々しく醜い存在で、反対に、善な人々にとっては忌み嫌うべき汚らわしい悪徳が、悪な人々にとってはきれいな美徳として喜ばれる。このオクシモロン的な言葉、正しさは一つではない。人が持つ、または感じる気持は機械などと違って理屈や理論通りにならない矛盾が人間らしい面白さかも...。まさに公演そのもの。
この公演は喜劇だと思うけれど...男が女装して、しかも出産もするという冒頭のシーンはあれもこれもありという矛盾した世界観を示す。しかしラスト音楽「スタンド・バイ・ミー」は追憶を誘うと同時に、この物語に関連(秘密小屋へ集まり、タバコ、トランプ、特有の仲間意識など)付けるという巧みさ。そして祝祭性のある喜劇とは趣を違える結末と冒頭シーンへの帰結は見事。
次回公演も楽しみにしております。
ブアメード
Pave the Way
ブディストホール(東京都)
2019/07/04 (木) ~ 2019/07/07 (日)公演終了
満足度★★★★
公演の魅力はミステリーサスペンス風として物語を牽引するところ。本筋は観応えがあると思うが、展開がやや散漫で冗長に感じる。少し枝葉と思われるような脇筋・場面をカットし、物語をシャープにすることでテンポも良くなり印象付けも出来るのではないか。
また、前作「あの鐘を鳴らすのはあなた」ほどではないが、やはり怒鳴り声というか大声が多く、本当に大声で激白するシーンとの区別、そのメリハリが効かないところが残念だ。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
大学のサークル部室内。張りぼてに白黒ペイントで絵柄を施したセット。中央にテーブルと椅子、上手側に別場所をイメージさせるスペース。全体的に白っぽい感じであるが、照明(真偽判定の際の照射)効果を意識した配色であろうか。
物語は、大学サークル内の人間関係を中心に自分と他人との関わり合いなど、表現し難い内容を浮き彫りにする。自分は友人から疎まれている、その被害妄想男・古幡翔(布施勇弥サン)と孤児院育ちで不思議な能力を持つ女子大生・伊地知月美(藤本かえでサン)を中心に織り成す青春群像劇。まず月美は人が嘘をついたかどうか分かるという能力を持つ。何となく妖怪覚(さとり)を思い浮かべる。人の心の内が分かるという点で共通していると思うが…。古幡は伊地知に好意を寄せていたが、その彼女は同じサークルメンバーと付合い始めた。2人の交際に古幡は疑問を浮かべ、悶々とした日々を過ごす。ある日、部室のテーブルに「お前たちの、秘密を暴く」と書かれた手紙が置かれていた。その夜、伊地知が姿を消し、彼女の行方を探すサークルメンバーが観た真実とは...。
伝えたいテーマは分かるし、楽しんで観てもらうようミステリーサスペンス仕立てにするなど工夫していることも解る。しかし描き方が粗く丁寧ではない。例えば、なぜ古幡翔が人間不信になったのか、原因なりキッカケが判然としない。これを描くことで苛めとの関わりの有無が鮮明になる。また興信所員兼アルバイトが探偵役になるが、ラストの月美との関係を表す伏線が弱い(この事件を格安で引き受けたことぐらい)。さらに月美の真偽の判定能力は一種の特殊能力のように描いているが、自分としては人に対する挙動の観察眼が鋭くなったほうが、より人間臭く魅力的に描けると思うが…。孤児院育ちを関連付けることが出来れば人間味を増すかもしれない、などが挙げられる。完全リアリティを求める必要はないが、ある程度の辻褄・納得性は必要だ。そうすることでバックボーンが明確になり人物造形に深味を増すことが出来るだろう。もっとも粗削りだが魅力ある公演があるのも事実だが。
公演の全体観は好きで、物語の展開や描き方も悪くはない。表層的と思えるような苦悩も人によって深刻さが異なり、人の捉えどころのない曖昧な感情を掬い上げ描こうとする試み。何が本質的で普遍的かはそれほど重要ではない。観客それぞれの面白いと感じるところは違うし、その最大公約数を求めるような公演を続ければ、劇団コンセプトが揺らぐ。
その上で、描きたい事(テーマ性)を明確に持ち、脚本は本当に必要な場面か、笑わすための繋ぎ場面(例えばサークル先輩OBとの遣り取り)なのかの区別(描き方の濃淡)、役者の台詞(大声が多い)の感情表現のメリハリなど辛口コメント(期待感を込め)はある。一方、真摯に公演に取り組んでいる姿(制作サイド等)も見ることが出来た。
次回公演も楽しみにしております。
バー・ミラクル
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2019/06/29 (土) ~ 2019/07/08 (月)公演終了
満足度★★★★
3編のテイストが異なる作品。しかし何となく連作のようにも思えてしまう。公演の魅力は上演順が絶妙で、それぞれの作品の味わいを引き出し、全体構成として面白さを倍加させているようだ。
飲酒しながらの観劇は至福のひと時。
(上演時間1時間25分)【Dry編】(途中休憩10分程)
ネタバレBOX
コの字客席で、どの位置から観ても面白さは伝わるだろう。劇場出入口近くにバーカウンター、中央に脚高のラウンドテーブルと椅子があるのみ。
「悪魔のかいせつ」(萩原達郎)
椅子に座ったまま柱に縛り付けられた男。気が付くとウイスキーボトルを持った女、床に倒れた男とカウンターに伏した女、どうやらどちらも死んでいるようだが…。男は記憶がなく、女は思い出さないほうが良いと意味深なことを言う。男は小劇場の役者で、女も同業だという。しかし男の貧しさに比べ、女は裕福な家の生まれで経済的には困らないと言う。ここに貧富の格差が見え、男の憤懣が浮かび上がる。女が出て行き、男の独白が始まると死んでいると思われた2人が起き上がり、男の回想を再現しだす。出て行った女との会話、死んでいた男による浦島太郎の話などから詳解するまでもなくメタファーであることが解る。その幻想もしくは妄想話が”性”を連想させる。
「嘘つきな唇は、たぶんライムとジンの味。」(いちかわとも)
バーで離婚話をしている夫婦。妻は夫の隠し事を疑い、夫は素直に浮気を認めているが妻は納得しない。その様子をじっと窺うバーテンダーは2人の学生時代の友人でもある。妻が席を外した時、バーテンダーは夫に離婚したい真の理由を問うが…。夫は無精子症ではないが、精子数も少なくその運動力も弱いと医師から告げられた。妻や両親からの子(孫)授かり願望に応えられないという悲観した気持の表れ。その”生”への向き合い方の意識差を描く。こうアッサリ理解し合うと拍子抜けし、始めの深刻さはどうしたのかと思ってしまうが。
「力が欲しいか」(高村颯志)
飲み食い散らかして帰った客の後始末をしている従業員の脳に響く...「力が欲しいか」
それに対し興味のない返事に業を煮やして現れた悪魔。従業員のとぼけた言葉と悪魔の囁きは、すれ違って交わらない。人は誰かに怒りを覚えた時、咄嗟に「ブッ殺してやる!」と叫んだりする。決して本心ではなく、その場の勢いと鬱憤晴らしの暴言のようなもの。その虚言に反応したような悪魔の囁きは幻聴か夢想か...そこに本心ではなかった戯言に対する”正”もしくは”制”するような感情が働く。
2話目の夫の切実な生への思いと妻の包容力という現実的な会話劇を、1話目の性という妄想メタファーで暗示し、3話目で理性的な人間像を夢想させているようだ。この構成によって現実からの遊離・浮遊感だけではなく、地に足を着けた身近な内容に引き寄せる。そして何となく”命”という根源ワードを連想してしまうが…。
人間、アルコールが入ると本音や愚痴が出る、そんな設定のバー・ミラクル公演なのかもしれない。バーという狭い空間での濃密な、いや軽妙な会話劇は一時の安らぎであった。全体を通して人間の魅力なり面白さを観方を変えて表している。その表現を巧みに演出している上演順、その構成は実に見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
カテゴリーボックス:Re/描かれたテーブル:Re
9-States
小劇場B1(東京都)
2019/06/27 (木) ~ 2019/07/01 (月)公演終了
満足度★★★★
生きていく術に潜む優しき狂気のようなものが描かれた逸作。それを会社という組織の権力争いを通して浮き彫りにしていく展開は、分かり易く納得性もある。偽りと孤独は人の本質を突くのであろうか?
(上演時間1時間45分) 【描かれたテーブル:Re】
ネタバレBOX
この劇場は2方向から観劇できる。自分は出入口から左側の客席へ。その方向から見たセットは、白黒の市松模様ような床に丸テーブルと椅子、やや下手にソファーが置かれ、奥まった所にサークルフェンス。このエリア内は鳴海家具という会社のデザイン部という設定であり、外周を廊下等に見立てている。何となくセンスの良い調度品が配置されているような雰囲気だ。
梗概…カリスマ経営者であった先代社長が亡くなり、兄・妹がそれぞれ社長・副社長に就任したが、経営方針の違いという名目に隠された家族間の確執が会社を危うくしている。物語は会社の存続を左右する家具のデザインを担当する部署にいる人々と会社経営陣の思惑を絡めて展開する。もっとも表層的には勧善懲悪的な感じで分かり易い。
主人公の渋谷優香(坂本未緒サン)はデザイン部の新人社員。彼女が信頼している先輩社員でデザイン部のエース、しかも兄の友人が、実は兄を自殺に追い込んだ人物であると知った時の驚きと怒り...それまで内気で本心を言わない彼女が豹変した態度に偽善人の姿を見ることが出来る。
亡くなった兄との夢想シーンで人を赦すことを仄めかしていたが、何となく違和感を覚えていた。しかし、土下座して謝る先輩を亡くなった兄と生きている妹が見下ろすラストシーンにリアリティを覚える自分は心狭き人間だろうか、と考えてしまう。
他人には寛容を求めるが、自分は相手の理不尽な行為を許さない。そんな本音を隠して暮らしているうちに、自分の本心はどこにあるのか、それさえも見失って偽りの気持ちがいつの間にか本心と刷り込まれ、すり替わってしまう。憤り、怒り、失望など負の感情を押さえ付け、偽りの優しさで相手に接する。それは自分自身の醜さを表さず”大人の対応”という甘美な言葉に飲み込まれ、自分の器の大きさを誇示する自己満足そのもの。人は誰しも他人には良く思われたい、出来れば敵を作りたくないという一種の保身が働く。そのうち正面から向き合わない、もしくは本音を言わない表面的な付き合い。個々人が持つ外面似菩薩内心如夜叉のような心持を中心に描きながら、それを会社の経営方針、そこに潜む権力争いになると本心剥き出しの感情が溢れ出す。兄と妹の確執が今一つ伝わらないような。それでも見えない”心”の機微を社会的な関心事を絡めることによって浮き彫りにさせる脚本、その演出は見事。
脚本・演出は素晴らしかったが、キャストの演技力に少し差があってバランスを欠いていたように見えたのが残念なところ。
次回公演も楽しみにしております。
山兄妹の夢
桃尻犬
シアター711(東京都)
2019/06/26 (水) ~ 2019/06/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
虚実綯い交ぜの世界観の中で、これまた曖昧模糊とした会話が交わされる。物語は何んらかの整合を図るわけではなく、あえて漠然・不確かなままで芝居全体の雰囲気というか”力”で観せる。キャストは皆、怪演でキャラクターがしっかり立ち上がり、息もバランスもピッタリ。特に会話が成り立っているのか否かはっきりしない台詞、それでも表現し難いモヤモヤした気持(芯)がしっかり伝わるという不可思議さ。自分好みな公演。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
セットは、上手側に2段ほど段差を設けたスペースがあるのみ。シーンによって客席寄りの下手側にテーブル・椅子が持ち込まれるが、基本的に素舞台に近い。
冒頭は、タイトルにある山兄妹の兄たかのり がその恋人から別れ話をされているという回想シーンから始まる。別れる理由は、兄の無目的なような生き方が気に入らないというが、それが本当なのか判然としない。別れるための常套句”性格の不一致”と同じような曖昧な理由付けのようにも聞こえる。その回想話をしている妹ナナ、この兄妹の従兄、兄の工業高校の先輩の3人に回想シーンの兄が突然入ってくるという突飛な展開。その時空間の違いや現世・来世などの生死に関係なく、登場人物が縦横無尽に出現する。交わされる会話も自己中心的な勝手話であるが、それが何故か心に響くという奇妙な感じ。
CINEMATIC
Lady Bunnies Burlesque
Studio Freedom(東京都)
2019/06/26 (水) ~ 2019/06/26 (水)公演終了
満足度★★★★
自分らしさを表現するLady Bunnies Burlesqueと、夢の世界の物語を描くGN.BBs。
それぞれのコンセプトを活かした2つのグループが初タッグを組んだCINEMATIC公演。
その公演日はたった1日の豪華・贅沢なもの。妖艶という行儀のよい言葉よりはもっと色っぽさを強調した内容である。それは出演者が女性として、その肢体・姿態を十分意識し強調して観せようとしている。この公演は理屈的なことは抜きにし、その場の雰囲気を楽しんだほうが好いと思ったが…。
この公演の最大の魅力は、観(魅)せること、観客に楽しんでもらうこと。それがしっかり伝わり、1時間30分がアッという間に過ぎた。まさしくエンターテイメントと呼ぶに相応しいショーであった。
実際観て体験しなければ、その楽しさは分からないが、少なくとも会場内は大盛り上がりであった。
(上演時間1時間30分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
公演は司会であり道化師でもある りんたろう氏の前説の後すぐ公演が始まる。メンバー構成はシンガー、ダンサー合わせて10名。その全員が妖艶・セクシーまたはダイナミックなダンスで大人の世界観や子供心のようなキュートでハッピーな演出で魅了していく。またセクシーな衣装(替えも楽しみ)に身を包み、ステージ上だけでなく、時には会場に降り立ち、客席の間を体をくねらせ踊(躍)り抜ける。
歌は、キューティーハニーなど全22曲を聴かせる。その曲の間の話も面白く会場・観客の気を逸らせない。観客・出演者やスタッフが一体となって熱狂と興奮を演出したワン・ナイト。商魂逞しく、出演者へチップ(Carrot)を衣装等に挟み込んだりして渡すシステムが…バーレスクショーのような、遊び心を誘うもの。
気になった点が2つ。
1つは、歌やダンスの振り付けと後景に映し出す映像の雰囲気が合わない。例えば黒い衣装にダーク系の映像は遠くから(Standing席で)観る人にとっては人物が埋没してしまう。また海と夕陽の風景の映像をバックにダンサーが後ろ向きで踊るシーンは、映像をワザと手振れまたはコマ送りをしているようで、せっかくのダンスに集中できない。人物(衣装等)やダンスの魅力と映像や照明のコントラスト、調和に工夫が必要ではないか。
2つ目は、冴月里実さんの歌唱が弱く、第1回の「Lady Bunnies Burlesque Live vol.1」の時に比べると元気がないように思えたのが心配であり残念でもある。
それと制作サイドは、入場時の対応をもう少しスムーズに行わないと開演時間が遅れる。
次回公演も楽しみにしております。